投稿者 aumer_yasu | 2月 9, 2008

四女の物語

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四女の「物語」

2008年01月25日

 『週刊新潮』にオウム真理教教祖松本智津夫の四女の「手記」が掲載されたというのを知って、読んでみた。 同誌はなぜ彼女を信頼し、こんなにも大きくその話を扱ったのだろう。どういう補足取材をしたのだろう。 少なくとも、私は全く取材は受けていない。彼女の代理人を務めていただいた弁護士さんの事務所にも、まったく取材はなかった。 彼女が、江川には絶対に事前に連絡しないことを編集者に約束させたのだろう。私に問い合わせをされたら、編集部が「手記」掲載をためらうような事実や資料を示されて、計画がおじゃんになってしまうかもしれないと考えた四女が、強硬に「江川外し」を主張したのは分かるとしても、なぜ『週刊新潮』ともあろうものが、それにを受け入れてしまったのだろうかと、不思議でならない。 もちろん、ここに書かれている彼女の”心境”が本物であれば、こんなに喜ばしいことはない。けれども、こういう状態であれば、何も私のところから出て行く必要はないし、私も未成年後見人を辞任する事態にはならなかった。 
 「手記」は、家族に虐待され、社会からもいじめられた「かわいそうな身の上話」と、一連の事件への責任を一身に背負って教団や松本家と対峙していく「健気な姿」で成り立っている。 こうした「物語」を提示すれば、人の同情を集め、人が自分のために動き、支援を集めることもできると、私と関わっている間に、彼女は”学習”してしまったのかもしれない、という気もして、忸怩たるものがある。 実際、彼女が気の毒な育ち方をしたのは事実だ。幼い時に両親が逮捕され、彼女を特別扱いするおつきの者たちによって育てられた。その一方で、就学拒否などで社会のオウムに対する反感をぶつけられた。家族内の権力闘争も目の当たりにし、彼女自身も三女と対立した。両親から受け継いだものと生育環境が、彼女の価値観や行動に大きな影響を与えてしまったのは間違いない。言葉と行動にしばしば大きな乖離があることや、きわめて強い権利意識と被害者意識、それに他罰的なふるまいも、特異な育ち方の中から、彼女なりに身につけた”生きる知恵”なのだろう。 そういう点で、私は今も彼女に同情しているし、松本智津夫の罪深さを改めて感じている。 彼女にはもちろん幸せになる権利がある。できれば、現実の社会の中で幸せに生きて欲しい。 でもそれは、メディアを通して彼女の「物語」を膨らませたり、他の人々を彼女の「物語」の中に巻き込むことで実現するのだろうか。 私も、彼女の「物語」をたくさん聞いた。私以外にも、カウンセラーの先生が、じっくりと話を聞いてくださった。自分の思いを吐き出し切れば、いずれ現実と向き合って、今後の人生を現実的に考えるようになるのではないか、と思っていた。後から分かったことだが、私の前に彼女の支援をしていた元信者が2人とも、それぞれの生活に支障が出るほど、彼女の「物語」につきあっている。けれども残念ながら、彼女は語り尽くしたり、語り疲れることはなく、むしろ語れば語るほど、「物語」を膨らませ、その中の「健気に美しく生きる主人公」と現実の自分とを混同していったようだ。 彼女の「物語」では、彼女は悲劇の主人公であり、純粋な被害者だ。彼女の思いに反する者は、常に悪役か、無理解で鈍感な人間として描かれる。例えば、重い病に冒されたという「物語」に浸っていた時の彼女にとって、検査の結果「特に異常はありません」と語る医師は、ひどい人間になってしまう。付き添っていった私が、一応薬を処方してもらったり、落ち込んだり怒ったりしている彼女に「別の病院に行って、セカンドオピニオンをもらったら?」と勧めてみても、なかなか機嫌が直らない。「別の医者にも『何でもない』とか言われたら、私はもう生きられない」などと言い出して大泣きするのをなだめるのに、相当の時間を要した。挙げ句に、一緒になって医師をあしざまに言わなかった私は恨まれることになった。こうした恨み、は彼女の「物語」の中にしっかりを根を下ろす。当時彼女と親しかった元信者らは、私の無理解に傷つけられたという「物語」を彼女から聞かされている。

 家族についての話も、すべてが創作とは思わないし、彼女の家庭での生活が幸せなものでなかったのは事実だろう。母親や姉である三女の方が人生経験や影響力において上位にあっただろうから、彼女が不本意な思いをしたことも何度もあっただろう。けれども、具体的なエピソードに関しては、出来事の一部が彼女の中で膨らまされて、彼女好みの「物語」に脚色されている可能性は否定できない。裁判で、母親や三女らは、彼女の主張に反論していた。今となっては、どちらの言い分が本当か、私はよく分からなくなってきた。もちろん双方が、それぞれの「物語」を語っている可能性もある。

 それでも、自分が悲劇のヒロインとなり、「健気に美しく生きる」物語だけであれば、社会にとってそれほど大きな問題ではないだろう。

 ただ、彼女が私には語らなかった「もう一つの物語」がある。『週刊新潮』にも語っていないだろう。それが今も気がかりだ。「松本智津夫の後継者」であり「救済者」としての「物語」である。

 この「もう一つの物語」の全体像がはっきりしたのは、私が提供していた住まいを彼女が飛び出し、行方を探している中でだった。彼女がパソコンの中に書いていた文書の数々、彼女と接点のある元信者たちの証言、現役の幹部の話などから、彼女の考えや計画、さらには私には知られないようにとっていた行動が分かってきて、この「もう一つの物語」が見えてきた。

 私と出会い、それなりに生活も安定してきた頃から、「もう一つの物語」は彼女の中でどんどん膨らんでいったようだった。その断片は、途中から私にも情報が入ってきた。そのたびに、私は彼女と長い話し合いをした。彼女はいつも話の途中で「フラッシュバック」を引き合いにした。「母親や三女に虐待された体験」が蘇るというのだ。この言葉が出されると、私は彼女の話を聞くしかなくなった。あくまで事実の確認や話し合いの続行をしようとすれば、彼女は激しい「拒絶モード」に入り、殻に籠もって会話に応じなくなってしまうからだ。

 こういうことの積み重ねで、彼女はかわいそうな身の上の「物語」持ち出せば、すべてが許され、思い通りになるといった、”知恵”を、体得してしまったのかもしれない。

 カウンセラーの方の協力をいただきながら、時間をかけて心をほぐしていくしかないと思ったのだが、それでも彼女は、思い通りに「もう一つ物語」の世界を展開できないことに、不満を募らせていったらしい。そうした彼女の不満は、やはり彼女が行方不明となった後に、彼女と接点のあった人たちから聞いた。彼女からも、「自由に生きたい」というメールが来た。私の条件は「オウムの活動をしないこと」だけだったのだが……。それは「もう一つの物語」を展開するうえでの、障害だったのだろう。

  
 今考えるに、彼女の「物語」をすべて現実のものとして受け入れ、彼女の言葉が彼女の本心だという前提で、支援を考えたことが私の失敗だった。今回のような「手記」を発表したり、彼女について書くつもりはなかったこともあり、私は彼女の話を検証・吟味するより、とにかく彼女をいったんは受け入れ支援することに徹しようと思った。

 たとえば彼女は当初、「お父さんは多くの人の命を奪ってしまったので、私は一人でも多くの人の命を助けるために医者になりたい」と言っていた。私は「あなたが責任を感じる必要はない」と繰り返したが、それでも彼女が医師になりたいと言うことから、その話を前提に、大学受験の勉強に集中しやすい静かな環境を提供しようと思った。彼女自身も喜んで私の提案を受け入れた。でも、彼女はその環境を嫌うようになった。彼女にとっては、その静かな環境は、思う存分に「もう一つの物語」を展開しにくい「陸の孤島」(と彼女は言った)だった(都心から1時間ちょっとの場所なのだが)。

 父親や事件への評価もその後、「弟子たちが勝手に事件を起こした」説へと傾斜していった。果たして今の本心は、どこにあるのだろうか……

 私のところから出て行った後も、「救済」を語っていたと思うと、韓流スターに会いにいくツアーに参加したいと、書類の偽造までしてパスポート申請を行うなど、彼女の言葉はいつの時点を信頼していいか分かりにくい。あまりの罪悪感のなさに、もしかすると、彼女にはうそをついている意識はなく、言葉が口から発せられた時点では、そういう「物語」の中に彼女もいて、語られた言葉が本心なのかもしれない、という気もしてきた。単に、短期間で気持ちは別の「物語」へと移動してしまうだけ、なのかもしれない、と。

 そうであれば、彼女が語っていた将来の志望も、「健気に美しく生きる私」という「物語」の一断片だったのだろう。そして、ストーリーはしばしば書き換えられる。なのに、そこをなかなか見抜けず、彼女の「言葉」を信頼してしまったのが、私の甘さだろう。

 ただ、ではどのようにすればよかったのだろうか……。今の私には思いつかないが、こういう私の失敗を、『週刊新潮』に生かしてもらえなかったのは、本当に残念だ。

 これまで私は、彼女が社会に出て行くのにマイナスになるような事柄はなるべく明らかにしないように努めてきた。未成年後見人の辞任申し立ての際も、最小限の説明にとどめた。ひょっとすると、今後何らかのいい出会いがあって、彼女が「物語」より現実の世界で生きる方向に変わる可能性もないとはいえない。ネガティヴな情報が出回れば、そういう可能性がさらにせばまってしまうかもしれない、と思った。

 ところが、こういう「手記」が出たことで、彼女の「物語」に巻き込まれる新たな被害者が出てくる可能性が出てきた。現に、今回の「手記」に感動し、同情している人も少なくないようだ。次の被害を防ぐために、具体的な話は最小限にとどめつつ、今回の一文を書くことにした。

 そして、何よりも願うのは、彼女が、生身の自分を謙虚に見つめ、現実の社会でどう生きていくのかを考えてくれることだ。彼女について、よい思い出として残っているのは、笑顔がかわいかったということだ。救済者や「健気に美しく生きる私」の「物語」を展開しなくても、あの笑顔だけで受け入れてくれる人が、この社会にはきっといると思う。そういう出会いにいつか恵まれることを、祈ってやまない。


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