Hatena::Groupkygaku

一般KY論入門:raycy RSSフィード

安岡孝一先生のご研究ぶりには,つい目を剥かせられてしまうことも。似たふるまいがマルクスにあったし私にもあろう。事例「Koichi Yasuoka先生的研究者生態」を典型とし合理的経済人ならぬ研究人モデルへ抽象化、汎学問化して名を冠し「一般“安岡孝一”学」とする。省略形は"一般KY論"。空気云々KY由来ではないことに注意。(一つのドーダ理論発現型?)
犀| sec| Tw| | | | 霊際| KY| Q Oj| | | | | | | | Pj| Pe|
記事一覧 近コメ 近トラ  QWERTY 系統変遷 Sholes特許 ETC -A VTM QPA TQ

2010-10-01

山田尚勇の書いたタッチタイプの普及史と、勝手に「最初びっくり じわじわ普及曲線」。参考:1933年ごろの『Zの悲劇』、、

05:58

    • (山田尚勇を読み、その論旨をつかみ確認してから、論じたいものです。貴殿の記事でも そうなされたであろうように)

勝手に「最初びっくり じわじわ普及曲線」

    • 海千山千に出くわしたときってか、眉唾?なんだろう、、
  • 鍵盤を見ない打鍵に出くわしたときに、それを直ちに信じることができようか、、
      • この目で直接見た、、
      • 伝え聞いた、うわさで聞いた、
      • 新聞が伝えていた、、
    • なぜ? できるなら、なぜもっと早くからやってなかったのか、、
  • 議論は分かれたか
    • 賞賛:すごいすばらしい、
    • 懐疑:何か仕掛けがあるんだろう、
    • 私もやってみたい、
    • 万人にできるのだろうか、
    • 職業ピアニストになれる人が限られるように、才能がいるのだろうか、、
  • (「だれでもできるって触れ込みで、やってみたけど、できないじゃないか、、どうしてくれる、、」)

cf.ユリゲラーのスプーン曲げとか、

海千山千に出くわしたときってか、眉唾?なんだろう、、 - 霊犀社2

「山田尚勇:タッチタイプの“発見”」前史

I first began using the method in 1878 under the following circumstances.

http://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Edward_McGurrin#The_First_Touch_Operator

I was a clerk in the law office of D. E. Corbitt, in Grand Rapids,Mich.

Utah州成立とFrank Edward McGurrin - yasuoka の日記

, Michigan.

He bought a second-hand No. 1 (Remington) Typewriter

「鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言」を枚挙するの法 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

, with the tin front and back, on which the carriage was pulled back by a string and a sledgehammer blow was required to depress the keys.

http://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Edward_McGurrin#The_First_Touch_Operator
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu

1878年ごろMcGurrinが中古のレミントン大文字機時代からはじめた?(with sluggishhammer?とか だっけか 違ったか、a sledgehammer blow was required to depress the keys. キーが重く深かったのかな、、ハンマーは重くキータッチも深かったのかな、、)

山田尚勇の言う「今日でいうタッチ・タイプ法」

山田尚勇

# タッチ・タイプ法の出現

 今日でいうタッチ・タイプ法とはタイプライタ操作の際、

(1)10本の指全部を使う(実際は9本の人が多い)

(2)打鍵する際に文字盤を見ない。その理由は;

    a より速く打つためと

    b 疲労度を軽減するため

ということである。

タイプライタ入力法の発展
安岡孝一ら「今で言うところのタッチタイピスト」;山田尚勇「今日でいうタッチ・タイプ法とは」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

山田尚勇の書いたタッチタイプの普及史 など

大雑把には、うろ覚えでは、、

(1873年か1874年か)

1888年 タッチタイプの「発見」(発売だか から約15年後)(鍵盤見る必要が無い、しかも速いらしい、競技、新聞一般紙に載る)



当時のキーサイズでは

45キー以上だかで、タッチタイプの習得は、急激に困難に、

50キーでは、タッチタイプの習得は、、


1900年ごろ タイプ学校の半数ぐらいまでにしか、教授目標?教授法?として採用されていなかった、、

(この辺の根拠の補強も欲しいかな、、でもまあ、次のオーエンやエサレッジだかもあるか、、)


(発売だか 「発見」から実に約40年後だっけか 何がどうしたんだっけか)


1916年だっけか オーエン女史の嘆き(自称タッチタイピストたち多し、、)

1920年ごろのタッチタイプ普及の現状

エサレッジだが

19何年最後のダブルQWERTYマシン発売




といった文脈の中で、Any pioneer was jeered as a faker.の根拠探しに、当たる構えが必要ではないでしょうか。

で、それでも、探したけれども無かった、と。そうおっゃってらっしゃるのかな。


cf.

KoichiYasuoka2005年ごろから2008年『キーボード配列 QWERTYの謎』

1886年のそして1888年7月25日のTraub「」

KoichiYasuoka(安岡孝一)「バカか、オマエ(id:raycy)は。」

07:40

「バカか、オマエ(raycy)は」http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100930#c1285848658

ふーん、私(安岡孝一)がhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html で参照した文献の本文を読みもせずに


>安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。


私を「的外れ」よばわりしたわけね。バカか、オマエ(id:raycy)は。

http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100930#c1285848658

いまさら そうおっしゃる貴殿は、きっと全知では らっしゃらなかったのでしょう、たぶんこのraycy分野に関しては少なくとも、、2007年来の交信歴でありますのにね。人間の証明ですね。


私は、主に 記事の著者やらタイトルやら当該ブログ記事内情報を見て、判断させていただきました。cf.のMcGurrin(December1888でしたっけか)参照文献をくまなく読んでから書いたわけではありませんでした、いまだに。今後 読み直してみるつもりでぇぇぇぇス?、、将来、、どっしようかなあ、なんか億劫になってきたなあ、。


思考やら調査やらの経路に依存せずに、結果として、結論が得られていれば、この場合、 私の主張「文献の選択として、的外れ」が成立するって場合もあるでしょうに。

あっ、貴殿は、経路依存説でしたかね。あれ?どっちかな、なんていえばいいんだろう。

経路依存性がない?ある?あれれ、どういうことだっけか、、

経路によらず、、

結果結論はともかく、貴殿は「貴殿が考える正しいプロセス」を重視する立場なのでしょうね。


その貴殿の考える 正しい科学の手続き は、『子供の科学』が標榜する目標とも、きっと相通ずるものがあるのでしょう。

そして貴殿の考える正しい手続きに、中国新聞も引っ込めた、http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/516022#1832418 納得したかどうかはともかくとして、、

また、一次史料に当たる重要性を強調され、「New York State Libraryで 19世紀の速記雑誌を漁って」Rose証言を107年ぶりに再発見なされた。

見つけてから読んだか、読んでから見つけたか、 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

カリフォルニアに脱出したMcGurrinへの(債権者の?)気持ち

08:43

1905年にソルト・レイク・セキュリティ・アンド・トラスト社の頭取に就任するが、1915年に辞任を迫られ、カリフォルニア州オークランドに脱出。

フランク・エドワード・マッガリン - Wikipedia

McGurrinはなぜ、ソルト・レイクを?「脱出」しなければならなかったのか。

そのころ、彼には、どのような言葉が かけられていたであろうか。どのような思いをもつものが、ソルト・レイクやらにはいただろうか。


これ、タッチタイプやら need not looking at the keys だかに関するものでは、必ずしもありませんけれども。

だけに限定せずに、

ないまぜで、

これで死ぬまでネタには困らないってわけです。

10:40

カネには なりそうにありませんが、、

なぜらな、永久永遠に恒久的に古来そして未来永劫、普遍的に、 

正しさやら正当性が問題なのか、手続きが問題なのか。両方 問題ではあるかなあ、、

12:16

正しさやら正当性が問題なのか、手続きが問題なのか。両方 問題ではあるかなあ、、

ってのは、通常の手続きでは、埒が開かないからってのがあろう、、超法規的措置、、テロとか、クーデターとかも?

  • そうなっちゃ、問題かな?

でも、命題の正当性の判別ってのが、通常は、問題ではないのかなあ、、 まず一義的には、、

王道?


覇道

とも言い切れないか、ともかく世の中を回すことのほうが重要ってな場面局面もあるかな、、


まあ実際、正しさや真理を中心にして世の中が回っているわけでもなさそうだし、、

私がもし「私(葉仮名尾前id:raycy)をバカ呼ばわりしてくださった貴方の立場」だとしたなら、(後知恵になるかもしれませんが)neverと書かず not jeeredとし、文献cf.McGurrin(December1888)とせず文献cf."Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.だったか

| 14:24

貴殿側が採り得たであろうオルタナティヴ オプション

もし私が「私(葉仮名尾前id:raycy、かつカルマサイテー人)をバカ呼ばわりしてくだすった貴方(id:KoichiYasuoka安岡孝一先生)の立場」だとしたなら、(後知恵になるかもしれませんが)

    • never jeeredと書かず
    • not jeeredとし、
  • 文献cf.
    • 文献cf.McGurrin(December1888)とせず、
    • 文献cf."Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.だったか
      • 第三者による
      • 賛辞っぽい記述(確認中)
        • 毀誉褒貶で jeered の側の証言があれば、一発解決でしょうが、残念ながらjeered側は そうおいそれとは見つからないようだ) 
      • (できれば (賞賛の側については特に?)1888年7月25日以前のほうが 望ましいのか、、まあ、なんとも言えないかな、、)

の含まれる記事を選択指示cf.するほうを選びます、たぶん。(文献候補 確認中)

ちょっと怪しいので 確認中

確認中 Men?複数? (最初見たときにも思ったけれども)、、あれれ?、、

1887年には確実に載っている

「"Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.

  Men who can transcribe down their shorthand notes on the typewriter without looking at the keys and as rapidly as an expert pianist can meander his fingers over the cadenzas in one of S. R. Mills's capricios, don't grow on every bush」

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#McGurrin
「鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言」を枚挙するの法 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

cadenzas in one of S. R. Mills's capricios


貴殿が指摘たように、貴殿が書いたcf.McGurrin(December1888)の文章にある文言「He was never jeeredでしたっけか」は、本邦ではたぶん ロッキード絡み答弁で二階堂氏が使ったころ以来広く知られることとなったであろう「悪魔の証明」にあたる命題構成の文言のようでもあり、never jeeredの証明は、困難を極めるでしょう。

「悪魔の証明」質問答弁文例集 - 霊犀社2
「鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言」を枚挙するの法 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
「悪魔の証明」ってなシチュエイションは、賄賂収賄事件とかの言い逃れ的に政治家も使っていたし、論証しようっていう人なら、だれでも、気のつく程度のことだろう。あくまで証明、? - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

ですから、それは、求めるほうに無理がある。

  • 世間様も、ロッキードが耳に残っている人やらには、けっこう いわゆる耳なじみのある言葉概念でしょう。

私が書いた文言でも、

「文献の選択として、的外れではなかろうか。」

となっていた。

jeeredがnever無いほうの絶対的な証明は困難としても、あるほうなら、絶対的証明とはならないが、賛辞賞賛なら あれば例示はできるはず。


だが主張する側も、neverを主張するのには慎重を期する必要がある。って思ってます。

こちら(葉仮名尾前id:raycyあるいはカルマサイテー人)が採るべきjeered探しの網

Any pioneer was jeered as a faker.の文言を生かしたい立場なら、捜査網の仮説を立てて、

山田尚勇の書いたタッチタイプの普及史と、勝手に「最初びっくり じわじわ普及曲線」。参考:1933年ごろの『Zの悲劇』、、 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

でも否定派も賛意派も、やるべきことは、同じはずなんですけどね。

でも、やってることが「悪魔の証明」じゃ、徒労多そうな道であることが、目に見えてて、、なかなかやれないし、やりきれるもんでもなさそうだし、、

トラックバック - http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20101001

2010-09-30

Koichi Yasuoka 「He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).」

10:03

He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).

The Truth of QWERTY

この文献表示だと、完全にこの一文に係っている表現になっているっぽい。

  • (最大広めに取れば、安岡孝一氏の論評部全体かな、
    • (その場合には、どんな言及が、cf.文献に 追加的に求められようか、
      • Third District Court
      • has never been at the Federal Court there
      • could operate his Remington No.2 blindfolded, using all the fingers.
  • (事前予想として、読前の心構えとして、
    • (この一文に限れば、jeeredか respect,admiration に関わる言及があるかないか、、
      • (マッガリン自身が書くとすれば、人に歴史あり 回想として やら 答辞としてか。
      • (だが、記事タイトルは「キーボードを見ることなくするタイプライティング」の解説のようである。そんななかに 回想やら 気持ちやらの表現がでてこようか。
  • (あるいは、「リスペクトされたからこそ、同誌に投稿なり寄稿なりが掲載されたのである」ってことかな。
  • (そうではなく、「論議の的になっていたので、主張なり反論なりの機会が与えられた?
  • (魔法や神業ではなくて、手順を踏んで訓練すれば、誰でも到達できるとか、
  • (こういう仕組みで、できているんですとか、内実の 種明かしになっている?

いや「his skill」にのみ係っているのかな。そうならそれで、完結。

jeeredについては、無いものはないんだから示せない、、皆さんも探し出せるもんなら探し出してみろってか くださいってか ってことですね。たぶん見つからないでしょうけれどもねって。それまでの間は、never無いってことで、よろしいですね、皆さん、。では。

----

まてよ?、、

----

安岡孝一氏自身が、さまざまなタイピスト 二本指?タイピストだかによって 優勝がさらわれたり、決着のつかない時期が相当期間あった って書いてなかったっけか、、

鍵盤を見ないで打つタイピングの優位が 必ずしも認められない状態が コンテストにおいても しばらく続いていた、

そういう状態にあっては、「鍵盤を見る必要なく打つ打鍵法やそれを主張する者」に対し いささかの懐疑が生まれたとしても そうおかしくはあるまい


ダブルキーボード派も、タッチタイピングを、そうそう勧める立場は、採らなかったのではないか?

ダブルキーボードでタッチタイプって、そうやすやすと、できますかね、JISかなよりもキー数多いはずですよね、、

参照文献の示し方例

12:14

1867年10月出願のU. S. Patent No.79868は、「similar to the keys of a piano or melodeon」と書かれているものの、Fig.1をどう見てもピアノオルガンの鍵盤には見えない(Karl H. E. Kroemer『Keyboards and Keying, An Annotated Bibliography of the Literature from 1878 to 1999』(Universal Access in the Information Society, Vol.1, No.2 (October 2001), pp.99-160)参照)。

ピアノの鍵盤と初期のタイプ・ライター - yasuoka の日記

じゃあ引き下がれない可能性が高いでしょうね。あるいは、振り上げたこぶしを おろせない可能性が高そうですね、死ぬまでフラグ立てたまま、もしnever jeeredならば。(中国は尖閣列島どうなったかな、

14:12

私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど


>文献の選択として、的外れではなかろうか。


存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。それが出来ない限り、この件について私は引き下がる気はありませんので、そのおつもりで。

http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285680526

オリジナルの記事2006年には論拠は、存在しないものなので 特に論拠を示さずに、 neverと書いてよいっていう判断で、そのあとのcf.は、never jeeredの論拠とかとは、関係なかったってことですかね。

ですから「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げているのです。


>文献の選択として、的外れではなかろうか。


とまで書いたのでしょう? それを示していただくまでは、私としては一歩も引く気はありません。ここで引いたら、私にこの論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生にも、申し訳が立ちませんからね。

http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285713912

的外れなことが示せれば、どうかな、と。「his skill」に対するcf.だったんですかね。

あるいは、より的に近い ましな例が示せれば、

あと、的のとり方、


【記述混乱整理中】http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100930/1285841050

厳密には「He」「Frank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります」そうなるか、、あれれ、、


でもすべての 鍵盤を見る必要のない打鍵法提唱者たち各人に対して、いちいち称揚やら毀誉褒貶(きよほうへん)の記録がすべてそろっているとは思えない。

データの欠損が出よう。


全員が必ず、was jeered as a fakerとされたとの記録がなくとも、

そのメソッドが jeeredされた、あるいは、数名がjeeredされたならば、

大勢として、みんなjeeredされたってな いいかたをすることはあろう、、

McGurrinに対しては、たまたま jeeredの記録がのこっていなかったってな場合もあろう。

マッガリン流ってなものが残らなかったとしたなら、教授可能なレベルにまでこなれて無かったとか、マッガリンだからこそできたとか、そういった性質が、あるいは、あったか? McGurrinは 鍵盤を見ないことを推奨するが、それを人々はどう聞いたか、読んだか、、

マッガリンは、前打鍵のどれかの指を、キーにタッチしたまま残しておけってことで、ホームポジションを提唱していないっぽい。


文字通りに厳密に読めば、McGurrinを含む鍵盤を見る必要が無い打鍵法提唱先駆者たちすべてってことになるかもしれないが 

緩めには、

任意の 鍵盤を見る必要がない打鍵法提唱先駆者ってことにもなるし、

任意の 鍵盤を見る必要のない打鍵法を提唱する先駆者が jeeredされたり

鍵盤を見る必要のない打鍵法がjeeredされたりしていたなら、

てか、気分的には、厳密な言語の運用でなくて、一名でもそのようなjeeredがあったならば、

まあ、そういうのが見つかったなら、それから考えるか、、

同じ 鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中にも、そしられたりそしられなかったり、分け隔てがあったりするものかな、、

McGurrinは never jeeredだったが、他のタッチタイプ鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中には、jeeredされたものもいた?

私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。私は「的外れ」なんでしょう? だったら貴殿がちゃんと的に当てて下さいよ。

http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100929#c1285743459

何で私が的に当てなくちゃいけないんですか。

もし私が 、貴殿の2006年のくだんのブログの文章ではcf.が前の一文に対して「的外れ」なのを示せれば、それでもいいんじゃないでしょうか、それではすみませんか。

あるいは、貴殿のものよりは、より的に近いものを示せれば、それでもいいかな


1888年7月25日以前の 賞賛記事ならば、never jeeredは示せないが、少なくとも もう片側の respectだっけかやらadmirationやらは、あったことが 示されるが、、


1889年ごろにおいて、誰でもできるタッチタイプとかを説いている人がいたなら、かなり怪しい、、

とすれば、1889年のメソッドを、1893年には、メソッドを変更しているとおぼしきトーリーは、そしりを受ける可能性のある候補かも。

neverとあれば それは 「私が知る限り存在しない」ってな意味です

15:40

それは、「私」が全知の場合に、正しい。

トーリーの教本とWyckoffら版元の偽?歴史本とで気になったことなど。

16:40

トーリーのPractical1894年版とWyckoffだかのは、初めてみた気がする、、

トーリーので、

メソッドに、ぶれはあったか なかったか

待機位置はQPだが、ランドマークAP

Practical 1889年版 見てない

別書   1893年版 

Practical 1894年


Caligraph No.3 universal keyboard?


Wyckoff Seamans & Benedict (1900), The History of Touch Typewriting, New York: Guilbert Putnam, pp. 6–10

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu

Roseの (McGurrinらしき?)マシン(鍵盤)を見ないで打鍵している者を見たっていう証言は、ここに一応引用があったのね。二次資料だけれども、

ビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。

国際速記者会議とタッチタイピング - yasuoka の日記

ビンゴって、自力到達ってわけじゃなかったのかな、再発見?、あるいは独立に到達したか?


Longleyの証言として、1881年ごろに買ったType-Writerに付属のパンフレットには、両手のゆび一本づつ または 右手の指二本で操作するように書いてあった、とある。

見つけてから読んだか、読んでから見つけたか、

17:28

2007 年 08 月 11 日

New York State Libraryで 19世紀の速記雑誌を漁っていたところ、1881年9月1~2日にシカゴで開催されたInternational Convention of Shorthand Writers of the United States and Canadaの議事録に、Theodore Cuyler Roseの以下の発言を見つけた(pp.38-39)。

国際速記者会議とタッチタイピング - yasuoka の日記

Wyckoff Seamans & Benedict (1900), The History of Touch Typewriting, New York: Guilbert Putnam, pp. 6–10

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/1900Wyckoff.djvu

Roseの (McGurrinらしき?)マシン(鍵盤)を見ないで打鍵している者を見たっていう証言は、ここに一応引用があったのね。二次資料だけれども

トーリーの教本とWyckoffら版元の偽?歴史本とで気になったことなど。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

1900年には発表されていたネタの、107年後の世紀をまたいだ再発見だったんでしょうかね。

【記述混乱整理中】

19:04

http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100930/1285823578

Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys was jeered as a faker. -- Hisao Yamada: "A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels", Journal of Information Processing, Vol.2, No.4 (February 1980), pp.175-202.

He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).

The Truth of QWERTY

【記述混乱整理中】

厳密には「He」「Frank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります」そうなるか、、あれれ、、


でもすべての 鍵盤を見る必要のない打鍵法提唱者たち各人に対して、いちいち称揚やら毀誉褒貶(きよほうへん)の記録がすべてそろっているとは思えない。

データの欠損が出よう。


全員が必ず、was jeered as a fakerとされたとの記録がなくとも、

そのメソッドが jeeredされた、あるいは、数名がjeeredされたならば、

大勢として、みんなjeeredされたってな いいかたをすることはあろう、、

McGurrinに対しては、たまたま jeeredの記録がのこっていなかったってな場合もあろう。

マッガリン流ってなものが残らなかったとしたなら、教授可能なレベルにまでこなれて無かったとか、マッガリンだからこそできたとか、そういった性質が、あるいは、あったか? McGurrinは 鍵盤を見ないことを推奨するが、それを人々はどう聞いたか、読んだか、、

マッガリンは、前打鍵のどれかの指を、キーにタッチしたまま残しておけってことで、ホームポジションを提唱していないっぽい。


文字通りに厳密に読めば、McGurrinを含む鍵盤を見る必要が無い打鍵法提唱先駆者たちすべてってことになるかもしれないが 

緩めには、

任意の 鍵盤を見る必要がない打鍵法提唱先駆者ってことにもなるし、

任意の 鍵盤を見る必要のない打鍵法を提唱する先駆者が jeeredされたり

鍵盤を見る必要のない打鍵法がjeeredされたりしていたなら、

てか、気分的には、厳密な言語の運用でなくて、一名でもそのようなjeeredがあったならば、

まあ、そういうのが見つかったなら、それから考えるか、、

同じ 鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中にも、そしられたりそしられなかったり、分け隔てがあったりするものかな、、

McGurrinは never jeeredだったが、他のタッチタイプ鍵盤を見る必要の無い打鍵法を説くものの中には、jeeredされたものもいた?

存在しないかんたらの話に持ち込もうとしたのは、どなたか。

19:20

あらためて、安岡孝一氏がコメントを寄せてきたと思しきmy記事

安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

をみて、おどろいた。

存在しないなんたらについて私は、どうのこうのとか、書いてないじゃないか。

マッガリン以外の言を以って、特に1888年7月25日以前の毀誉褒貶なら、それなりの説得力があろう。

確かに、1888年7月25日にこだわりすぎたのは、問題かもしれない。

それは、彼の引用部に、称揚ばかりが あるいはあるのかな と思ったからで、称揚がないのならば、いずれにしろ、いったい何のためのcf.かってな感じ かも。

「his skill」かな

  • never jeeredの論拠
    • たとえば奇跡的にマッガリン自身の証言として「わたしは タッチタイプでjeeredされたことは 一度たりとて無かった」とか、
      • もっとも 本人に聞こえないだけで 周りではjeered されているかもしれないってのもあるが、 
    • あるいは 他者からの、マッガリンへの称揚のことばやら賛辞が並んでるとか (悪魔の証明に対する次善の策として。)

かなと思わせて、 そんなのってわけでもない のかな、。

で、論拠を聞かされたのは2010年9月なわけですよね。世界中のThe Trueth of QWERTYを楽しみにしてらっしゃる皆さまがたよ。それまでは2006年8月だっけのcf.に論拠があるのかなって思わせられていた場合もあろうが、どうかな、cf.は、リスペクトとかadmireの論拠になっているかな。


無いことの証明が容易でないことは、皆さん先刻ご承知と思ってていいのでは。

だから、称揚 賛辞の論評をいくつか並べれば、手の尽くし方としては、一応の誠意として受け取られるのでは。

で、そういうのが cf.に あるんじゃないかな、と思っては、変でしょうか?

 

KoichiYasuokaKoichiYasuoka2010/09/30 21:10>的へのあたり具合を見てみるか、、ってか、本文を読んでみるか、、まだ読んでないので、、

ふーん、私(安岡孝一)がhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html で参照した文献の本文を読みもせずに

>安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。

私を「的外れ」よばわりしたわけね。バカか、オマエは。しかも私は、一昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、「的外れ」を補強しろとか撤回しろとか言ってるわけじゃありません。何いつまでもウダウダやってるんです? とっとと参照する方法を示して下さいよ。

トラックバック - http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100930

2010-09-29

先駆者たちが うそつきのそしりをうけた時期があるとすれば、

05:57

KoichiYasuoka  2010/09/28 22:28

>うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いにひどかった時期であり


と主張するのなら、1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。

2010-09-28 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

私が書いた部分を見ていただければ、

山田尚勇が述べる歴史の順序は、

  1. マッガリンはじめ先覚者が 鍵盤を見ないで打つ打鍵を説いた。
  2. 人々はタッチタイピングの先覚者たちの「鍵盤を見ないで打つべき」ってな言を信じなかった。
  3. そして1888年の、マッガリンとTraub(山田尚勇にはTaubとある。)の一揆うちがあり、ここで一応の決着をみる。

ってな流れでは。たぶん。

つまり、うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いに ひどかった時期であり、それを過ぎてからは、事実の前に、説き伏せるための引用可能な根拠ができ、信じる人も徐々に増えていったってことだろう

安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

ということで、山田尚勇の 私による勝手に代弁部分であり、私の主張ってわけでも 必ずしもない、。また、断定のつもりはありませんでした。断定しているように読めますでしょうか?


あと山田尚勇原文には、そしりを受けた可能性のある「被そしり受信者なり論難こうむり者」は、

Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys (

google:タイピストは文字鍵盤を見る必要がないと提唱した先駆者たち -raycy

タイプライタ入力法の発展
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

CiNii 論文 -  A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels
The Truth of QWERTY

とあり、「He

He was never jeered as a faker,

The Truth of QWERTY
タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

彼McGurrinひとりに限定されてはいない。


私としては、「そしり」流言があったとすれば その埋蔵場所時期候補としては、山田尚勇に、

 1900年までの間にようやく全指を用いるタイプ法が抬頭してきたが、それでも約半数のタイピスト学校では依然として鍵盤を見ながら打鍵する方法を教えていた。やっと1920年になってエサリッジ( Etheridge 1920, p.242)が次のような論評を書いている。

タイプライタ入力法の発展

とあるので、

  • 鍵盤を見ることなく打鍵する方法を あえて教えなかったタイピスト学校は、鍵盤を見ない打鍵法に対して批判的であっただろう。

なので、鍵盤を見ないタッチタイプへの「そしり」なり「批判」的なものが、半数のタイピスト学校の教師やらによってもたれていたとも考えられ、

「そしり」を見つけられる可能性のある範囲としては、遅ければ1920年まで 早くとも1900年ごろまでには、あるかもしれない と、思っています。


これは、1888年7月25日以前の証言とは 相反するようですが、そうではなくて、

1888年7月25日以前のほうが、「大いに ひどかった時期であり、」、漠然と根拠なくではあろうが 「そしり」には強いものがあったであろう、、

  • だから探しやすいかも と思ったってのもある、、でも実際には探し当てるのは かえって困難なのかも、、

その「そしり」やら「批判」は徐々に減衰していくが、1900年あるいは1920年ごろにまで、根深く 隠然とあったであろうってな仮説をとってみています。


(でも、その「そしり」の性質は、1888年7月25日ごろ以前と以後では、その性質が、変わってくるでしょうかね、。)


このような仮説設定をしてから、広めの構えをもって網を張って、傍証なり反証なりの調査収集に 当たるべきでしょう、、ってな気持ちです。

Simple Touch-Typing「「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。」

| 06:44

ベイツ・トリー(Bates Torrey)のタイピング

ベイツ・トリー(Bates Torrery) は、1889年に「Practical Typewriting: All-Finger Method」と云う両手の8本の指と親指を使う教則本を 発表しています。このタイピング法は、「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。目的の文字(キー)への指の移動が「Guide Key」から相対的に移動すると云う「相対操作方法」の始まりと云うべき画期的な操作方法でした。

Touch Art 指運

出典 : Touchart Or Practical Typewriting p21

タッチタイピングの本質

とある。

AとP

FとJだっけ、またAと;

(1915年8月3日成立)は、キーボードのAとセミコロンに嵌め込む「キャップ」の特許である。

キーボードのFとJの目印 - yasuoka の日記

でもなかった、、

山田尚勇の「jeered as a faker」の引用元は、あるのかないのか。

06:59

The Atlantic: 第 193 巻

Cairns Collection of American Women Writers - 1954 - スニペット表示

Mrs. Longley might have lost the argument if another rebel, Frank E. McGurrin of Salt Lake City, had not appeared on the typewriting scene. McGurrin was the official stenographer for the Federal Court in Salt Lake City, ...

McGurrin was the official stenographer for the Federal Court in Salt Lake City - Google 検索

とあり、また、同誌には

Bruce Bliven,Jr., The Wonderful Writing Machine

The Atlantic - Google Books

ブルース ブリーヴェン Jr.だかも引いてあるようだから、あるいは そっちから引いてきているのか。

「jeered as a faker」とかってのは、あるいは、どっかから引いてきたのか、、どこにあるかわからぬが、、

「鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言」を枚挙するの法

07:34

存在しない記事を参照する方法

2010-09-28 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

悪魔の証明」、そしり表現はないとして、できることといったら

「鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言」を枚挙するの法ってことぐらいになりますかね。

だが、鍵盤を見ないで打つ打鍵法ってこと自体の知名度が低かっただろうから、

評価を立てるには、鍵盤を見ないで打つ打鍵法ってアイディアが広まってから、、

それは、1888年7月25日以後ってことかなあ、、うむ。


でも、McGurrinによれば、勤務先オフィスが1878年のレミントンNo.1調達したころから?、タッチタイプ法が試みられテストされはじめ、

He ( D. E. Corbitt? ) bought a second-hand No. 1 (Remington) Typewriter,

http://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Edward_McGurrin#The_First_Touch_Operator

I made up my mind that whatever a girl could do I could do, so I set to work to learn to operate without looking at the keyboard. I discarded my former method of two or three fingers and determined to use all of my fingers. Before the end of the year 1878 I could write upwards of 90 words a minute in new matter without looking at the keyboard.

Utah州成立とFrank Edward McGurrin - yasuoka の日記

1881年には、第三者によって観察されていたようであり、、

ビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。

国際速記者会議とタッチタイピング - yasuoka の日記
スラッシュドット・ジャパン日記検索: ビンゴ

1886年ごろには、速記の雑誌などに載りはじめ?

1887年には確実に載っている

「"Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.

  Men who can transcribe down their shorthand notes on the typewriter without looking at the keys and as rapidly as an expert pianist can meander his fingers over the cadenzas in one of S. R. Mills's capricios, don't grow on every bush」

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#McGurrin

1888年にいたるまでの、潜伏期間は あった、、

Re:http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285680526 http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100928#c1285713912

09:07

着色を、ピンク(疑義)からグレー(真偽不明)に、まあ格下げしとくべきでしょうかね、

Tuesday, August 08, 2006


He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).

http://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

疑義、疑念、反論、反証真偽or適不適の判別が微妙なもの成立していると見做しているもの

色分け凡例 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

真偽不明レベルへ。

論法としては、先の記事だけでは納得できませんが、。

貴殿による2010/09/28 22:28の付加コメントも加味してなら、

2010/09/28 22:28

Frank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いた

2010-09-28 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

まあ、充分な反証を探し当てるのは、なかなか困難でしょうね。

    (それでも、
      「“私が知る限り存在しない”⇒ならば、“never”」
    ってな論法には、まだ ちょっと疑問の余地が、、)


ところで、

2010/09/29 07:45

この論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生

2010-09-28 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

には、この文言「jeered as a faker」の訂正も 託されたうちに入っているのですか?

山田尚勇氏が「jeered as a faker」を書いた典拠あるいは経緯は、把握済みなのでしょうか。

あと、「タッチタイピスト」なんかについても、安岡孝一先生の最新研究の成果を、反映なさるおつもりでしょうか。

安岡孝一ら「今で言うところのタッチタイピスト」;山田尚勇「今日でいうタッチ・タイプ法とは」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

「謗られた」

09:29

  • 鷗外全集: 著作篇
    • 此詞を餘り正直に閡いて、源氏物語の文章を謗られたのだと解す
鷗外全集: 著作篇 - Google ブックス
  • 大国聖日蓮上人 tanaka chigaku - 608 ページ -
    • ... の信やる宗法佛神を謗られたものと誤解して起す所の怨嫉である。
大国聖日蓮上人 - Google ブックス
”謗られた” - Google 検索

「without looking at the keys」 と Traub:「今で言うところのタッチタイピスト」(安岡孝一 共著『キーボード配列 QWERTYの謎』87ページ)

10:17

ここは ぜひとも、筋だてとしては、そしりを受けていてほしいものだが、

「was jeered as a faker」

"Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.

Men who can transcribe down their shorthand notes on the typewriter without looking at the keys and as rapidly as an expert pianist can meander his fingers over the cadenzas in one of S. R. Mills's capricios, don't grow on every bush.

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#McGurrin

そしりがあったとすれば、

「without looking at the keys」ってな打鍵法が、それだけ衝撃的であり、にわかには信じがたいものであったってことでしょう。それを真に受けて1878年ごろから試したMcGurrin?


と、散々鍵盤を見ずに打鍵する法について論じてきているが、、

そんなことは、タッチタイピングの本質とは関係なくて、ってな説も、ありうるのかな、、

「トローブは、今で言うところのタッチタイピスト」(安岡孝一 共著『キーボード配列 QWERTYの謎』87ページ)

安岡孝一氏が主張する2005年来の「Traubのタッチタイプ」の内実は、2008年3月になってようやく『キーボード配列 QWERTYの謎』で示された。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
安岡孝一氏が著書で開陳した「タッチタイプ」の定義は、通常一般とは異なるものだった。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
「本物の科学」が提供する「今で言うところのタッチタイピスト」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

キーボード打鍵姿勢やらキーボード ランドマークの歴史

| 10:54

キーボード ランドマークの歴史

  • 1882年のLongleyの講演では、スペースキーをすぐに打てるとあるから、(右手?)親指をスペースキーに載せとくようなことはあったのかな、、
  • トーリーの教本1889年には、左手小指はAに 右手小指はPにタッチってなふうに、書いてあるとか、、
  • 打ち下ろしたときに右手小指がA 左手小指が;だかPだかってのは、1891年ごろの教本で見たかな

手指の待機位置は、中空、やや開き加減、落としたときに左小指がQに右小指がPに、、

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.archive.org/details/instructioninpra00torriala

Instruction in practical shorthand: a simple arrangement of the essentials of Graham phonography for all schools. Comprising also a progressive scheme of word-sign study; a rev. version of Smith's numerals; a manual of blackboard illustrations for shorthand teachers; and suggestions for typewriter practice .. ([1893])

Author: Torrey, Bates


Hand position is best secured by dropping the fourth fingers upon P and Q and making the other fingers

fall naturally upon the next figures in order, P O I U, for right hand, and Q W E R for the left; then

place the right thumb on the space bar, and if the elbows are close to the body, a good hand position is attained. It can not be too often reiterated that good hand position is the foundation of met/tod in type-writing.

Instruction in practical shorthand: a simple arrangement of the essentials of Graham phonography for all schools. Comprising also a progressive scheme of word-sign study; a rev. version of Smith’s numerals; a manual of blackboard illustrations for shorth
キーボードがデカかった時代、指形にキーを配置することは、切実さは少なかっただろう、、 - 霊犀社2

するってえと、Torreyの場合、ホームローは上段 QWERTYUIOPの段、ホームポジションはOWER UIOPで、その要はQ と P?

Re:キーボードのAとセミコロン - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

1893年か、、Bates Torreyじゃないか、、Q と P?

するってえと、1889年のタッチってのは、どうかな、、直接見てない伝聞なので、要チェック、、


その後、

  • 全キーマーカーやら
  • 親指マーカーやら、
  • 小指マーカーやら
  • 人差し指マーカーやら
  • 中指マーカーやら

やがて

「悪魔の証明」ってなシチュエイションは、賄賂収賄事件とかの言い逃れ的に政治家も使っていたし、論証しようっていう人なら、だれでも、気のつく程度のことだろう。あくまで証明、?

12:07

私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど

>文献の選択として、的外れではなかろうか。

安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

とまで書いて、私を「うそつき」よばわりした以上、存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。

2010-09-28 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

そんな、、

こんなことで言い争うつもりもありませんが、

先に論証して見せてらっしゃるのは、貴殿の

「 私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いた 」っていう部分じゃないでしょうか。貴殿御自身の知を神化なさっていらっしゃるのか。

悪魔の証明http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_logout.cgi?SESSION=6533悪魔の証明http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_logout.cgi?SESSION=6533

「悪魔の証明」質問答弁文例集 - 霊犀社2

安岡孝一氏が当てた的、あるいは射た矢? 張った網、獲た漁? (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).

17:36

「的外れ」とまで揶揄しておきながら、今日になったら

2010-09-29 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
    • (揶揄にあたるのかどうか、、 まあ、そうお感じになっられたってことですね、、)

「的外れ」としたのは、google:F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250) -raycy

  • 記事の著者表示 F. E. McGurrin:であり、評判を立てる側の人の言ではないことと
  • 年号 (December 1888)

だけで判断してみていたが、

それでは弱いので、

的へのあたり具合を見てみるか、、ってか、本文を読んでみるか、、まだ読んでないので、、


あと、The Truth of QWERTYへの当初 August 08, 2006 記事http://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.htmlとは別に、今次のコメントで追加提示された論拠、

2010/09/28 22:28

1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんです

2010-09-28 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

安岡孝一氏が設定した網のcoverageの中での、ほぼ しらみつぶしってな気分ぐらいに 調べたけれども、なかったっておっしゃってるわけですよね。"never"ってぐらいだし。


その前に、的というか 網の設定の問題もあったかな。

どうも、私が狭くいえば、彼のその網も狭まり、私が広く言えば、その網には文句をつけるわけね、、

いったい貴殿(安岡孝一先生)は、存在しないとおっしゃる、その探されるべき記事なり記録;日記なりを、どのような範囲のものとお考えか。どこの何を探して 無かった と おっしゃってらっしゃるのか。

私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。

2010-09-29 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

「存在しない記事を参照する方法」ってのは、「悪魔の証明」に陥る話っぽいので 付き合うきになれません。ってか、それ以前に、自己矛盾的命題設定かな?

小渕恵三首相時 似た場面で、こうおっしゃった、

平成12年03月17日 小渕恵三「 御存じのように、ないと信じておりますから、ないものをないということを証明することは悪魔の証明であることでなかなか難しゅうございますから、あるとすればどういう点であるかということをお話しいただきたいと思います。」

「悪魔の証明」質問答弁文例集 - 霊犀社2

疑念箇所が存在する可能性のある点を挙げさせ、それをつぶすという方法で、疑念をひとつひとつつぶす方法を ご提案なされたような、、


私は、存在可能性のある部分を まずは挙げようとしているわけだったのでしょう、。探すべきもの と 探すべき箇所、。

  • これ、その範囲にご同意いただけないってこともあるでしょう、でも、それはそれ、
先駆者たちが うそつきのそしりをうけた時期があるとすれば、 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
  1. そしりを受けた対象google:"Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys" -raycy
    1. 「鍵盤を見る必要のない打鍵法を説く先駆者たち」あるいは
    2. 「鍵盤を見る必要のない打鍵法」そのもの。
  2. その時期は、
    1. 1920年ごろまで、そしりが存在した可能性がある。

ってな具合に、網を設定したい。ご同意いただけないかも知れませんが、、

KoichiYasuokaKoichiYasuoka2010/09/29 15:57昨日のエントリで、私(安岡孝一)のhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html にたいして

>安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。

と「的外れ」とまで揶揄しておきながら、今日になったら

>「そしり」を見つけられる可能性のある範囲としては、遅ければ1920年まで 早くとも1900年ごろまでには、あるかもしれない と、思っています。

とか言い出す。何なんですか、それ。しかも私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。私は「的外れ」なんでしょう? だったら貴殿がちゃんと的に当てて下さいよ。

2010-09-28

Stickney特許(1904年申請)のタイプバスケットに頻度順着色

| 17:51

1904年ごろのアンダーウッドのタイプバスケット配列(スティックニー特許による)

Q A 2 Z W S 3 X E D 4 C R F 5 V T G 6 B Y H 7 N U J 8 M I K 9 , O L - . P ;

Stickney特許のタイプバスケット並びに対応させてキーを再配置したならば、どうなるであろうか。 - QWERTYの史的とぐろ?raycy - qwerty-history-jpグループ
安岡孝一氏が提起したことは、「ちょっとまってくださいよ、フロントストライクじゃなかったんですよ、アップストライク式だったんですよ、QWERTY-1882に至る時期は。」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

これを、スティックニー特許のタイプバスケット配列

に変えて着色しなおす。

1904年当時のアンダーウッド

Q A 2 Z W S 3 X E D 4 C R F 5 V T G 6 B Y H 7 N U J 8 M I K 9 , O L - . P ;

1904年Stickney特許

Q A 2 W Z S 3 E X D C 4 R 5 F V T G B 6 Y 7 H N J U 8 M K I 9 , O - L . P ;

HN あるいは NHは、低頻度なgoogle:BIGRAMであろう。

タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram

18:22

タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram出現頻度

きめ台詞としての「隣接タイプバーの連続動作機会の低減」

これに、確率的とかBiGramとかのキーワードも入ってたほうが、それっぽいかな、。

安岡孝一ら「今で言うところのタッチタイピスト」;山田尚勇「今日でいうタッチ・タイプ法とは」

18:36

安岡孝一ら「今で言うところのタッチタイピスト

『キーボード配列 QWERTYの謎』

1886年 Traub )

キーボードを全て空白にした『カリグラフ№2』で、エキシビションをおこなったりもした。トローブは、今で言うところのタッチタイピスト――もちろん当時そんな用語はないが――だったわけである。(87ページ)

安岡孝一氏が主張する2005年来の「Traubのタッチタイプ」の内実は、2008年3月になってようやく『キーボード配列 QWERTYの謎』で示された。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
ブラインド‐タッチ‐タイピスト っていう言葉が、必要ですかね、それだと、、 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

山田尚勇「今日でいうタッチ・タイプ法とは」

山田尚勇

# タッチ・タイプ法の出現

 今日でいうタッチ・タイプ法とはタイプライタ操作の際、

(1)10本の指全部を使う(実際は9本の人が多い)

(2)打鍵する際に文字盤を見ない。その理由は;

    a より速く打つためと

    b 疲労度を軽減するため

ということである。

タイプライタ入力法の発展

安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。

19:44

安岡孝一氏は

Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys was jeered as a faker. -- Hisao Yamada: "A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels", Journal of Information Processing, Vol.2, No.4 (February 1980), pp.175-202.

He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).

The Truth of QWERTY

と書いた。

山田尚勇原文の訳文らしき該当箇所をみると、

 ソルト・レーク市のF・E・マッガリン( Frank E.McGurrin )は連邦裁判所の公式速記者を勤めていた人であるが、この人こそロングリー夫人とは独立に、真のタッチ・タイプ法を開発した人であった。つまり彼は10指全部を使ってタイプし、しかも鍵盤に目をやらなかったのである。しかし、タイピストは文字鍵盤を見る必要がないと提唱した先駆者たちは、皆いかさま師だといわれ嘲笑された。

 シンシナティ市出身のルイス・トーブ( Louis Taub )といわれる人物は、タイプライタ両手の合計4本の指で操作すれば必要充分であると信じていた。

 そして両者はタイプライタの業界の醵出した賞金を目指して、1888年7月25日にシンシナティ市で歴史的な対決をすることになったのである(図6参照)。

  • 連邦裁判所の公式速記者を勤めていた人
    • 安岡孝一氏によれば、McGurrinはUtahのThird direct courtだかで働いたことがあるとのこと。
  • 10指全部を使ってタイプ
    • McGurrinは、左手の親指はnever use 決して使わないといっている。「I never use the thumb of the left hand, for the simple reason that there is no use to which it can be put.」九指タイピングであった。
  • 両手の合計4本の指で操作
    • 安岡孝一氏によれば、八指タイピングとのことである、。(大文字小文字、、小文字に対しては、、
  • タイプライタの業界の醵出した賞金
    • McGurrinとTraubの自腹を出し合っての賭け試合だった。

山田尚勇が述べる歴史の順序は、

  1. マッガリンはじめ先覚者が 鍵盤を見ないで打つ打鍵を説いた。
  2. 人々はタッチタイピングの先覚者たちの「鍵盤を見ないで打つべき」ってな言を信じなかった。
  3. そして1888年の、マッガリンとTraub(山田尚勇にはTaubとある。)の一揆うちがあり、ここで一応の決着をみる。

ってな流れでは。たぶん。

つまり、うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いに ひどかった時期であり、それを過ぎてからは、事実の前に、説き伏せるための引用可能な根拠ができ、信じる人も徐々に増えていったってことだろう。


安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。

  1. McGurrinの言ではなく、他者―McGurrinら鍵盤を見ない打鍵法を主張するものを批評する―による証言によるべきである。
  2. 1888年7月25日以前の、鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言をもって 立証すべきである。

原文の該当箇所は


CiNii 論文 -  A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels

KoichiYasuokaKoichiYasuoka2010/09/28 22:28>うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いにひどかった時期であり

と主張するのなら、1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど

>文献の選択として、的外れではなかろうか。

とまで書いて、私を「うそつき」よばわりした以上、存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。それが出来ない限り、この件について私は引き下がる気はありませんので、そのおつもりで。

raycyraycy2010/09/29 05:15……というようなことになるので、(名誉毀損とか 法的措置とか、?) もし、「そしり」が世間にあったとしても、
「そしり」要素は、普通はなかなか記事とはならず、 記事中には 存在しないってなことになるのではないでしょうか、
もしそのような「そしり」のうわさがあったとしても、 日記やら、(あるいは 小さな集まりでのクローズ性がある程度確保できる集団内での) 非パブリックな分野での文献でないと、存在確認は難しいのかもしれません。

ところで、
私の書いたのは、cfの文献選択が適性的に どうなのか といっているわけです。
私には、安岡孝一先生が 広く 当時の流言を当たっての 自信をもっての御主張とは思い至らずに書いた面もあった。
安岡孝一先生は 記事を当たって、 そんな記事は 見つからない。とおっしゃっている。

(私としては、記事という形態を当たるだけでは、なかなか探し当たるのは難しい性質の 主張 であろうということを このコメントで付言しました。)

KoichiYasuokaKoichiYasuoka2010/09/29 07:45ですから「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げているのです。あなたは私(安岡孝一)のhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html
に対して

>文献の選択として、的外れではなかろうか。

とまで書いたのでしょう? それを示していただくまでは、私としては一歩も引く気はありません。ここで引いたら、私にこの論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生にも、申し訳が立ちませんからね。

2010-09-27前史:タッチタイピングの発見;アーム式タイプライター概念の誕生

「カテゴリー、範疇アーム式タイプライターの誕生」の受容、、

00:57

目次

『キーボード配列 QWERTYの謎』の読者の中には、「アーム式タイプライター」の誕生が「『Daugherty Visible』(1893年発売)」以降、といった具合に理解なさっている方が、少なくとも三名はいらっしゃる。

拝啓 オーストラリアPowerhouse Museum 学芸員殿(?) - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

鍵盤を見ることなく打鍵している者がいる、。 マッガリンは伝え聞いた、、Longley夫人は息子経由で知ってていたかも、、

02:49

鍵盤を見ることなくタイピングしている者がいる、、そんなことができるのか。できる。現に報告があった。

思い、

  1. 鍵盤を見る必要なく打てるか、
  2. それができれば、打鍵は速まろう。現に、速いとの報告もある、、
  3. どうやっているのかな あるいは どうすれば実現できるのか
    • 多くの指、8本の普通の指と2本の両の手の親指を、打鍵活動に参加させる、(英語では親指は別格のため、くどいが日本語でも こう表現)。全員全指参加、、(ピアノオルガンを見よ、)
    • 打鍵する文字により使う指の担当を決める。
    • 打鍵中に 手指を鍵盤上に残せる、
      • これにより、多くの指が わずかな移動動作距離で打鍵できる、、
      • スペースキーは いつでもすぐに押せる

マッガリンの証言によれば、鍵盤を見ることなく打鍵している者がいると 伝え聞いたのがきっかけ とのことらしい。ちょっとアヤシイ眉唾ものだが。

Frank Edward McGurrinがタッチタイピングを始めたのは、『The History of Touch Typewriting』(Wyckoff Seamans & Benedict, 1900)で本人が語ったところによれば、以下のようないきさつである。

Mr. Welch was dictating from his notes to a girl who was running the typewriter while looking out of the window. All this while she was writing from dictation at a very rapid rate. … I made up my mind that whatever a girl could do I could do, so I set to work to learn to operate without looking at the keyboard.

要は、1878年Grand Rapidsにいた頃、Daniel E. Corbittに騙されて、いもしない少女タイピストに打ち勝つべく、タッチタイピングに手を染めたということらしい。ただ、この『The History of Touch Typewriting』には微妙にアヤシイ記述が散見されるので、鵜呑みにするのは危険だろう。

Utah州成立とFrank Edward McGurrin - yasuoka の日記

「何かの催しで、鍵盤を見ないで打つ人のいることの報告があった。Longley夫人の息子は世話人であり、彼は情報を得られる立場にあった。それを息子を経由してLongley夫人が伝え知った可能性は、あろう。(勝手に印象記)」

1881年9月1~2日にシカゴで開催されたInternational Convention of Shorthand Writers of the United States and Canadaの議事録に、Theodore Cuyler Roseの以下の発言を見つけた(pp.38-39)。

He didn't look at the machine, at all, but kept his eye on the copy.

ビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。しかも、翌年の1882年8月31日~9月1日にシンシナティで開催されたInternational Congress of Shorthand Writersの議事録には、Elizabeth Margaret Vater Longleyのこんな講演があった(p.15)。

; and who would expect to attain any great degree of success as a pianist or organist unless all the fingers and the thumbs were brought into use?


But by utilizing all the fingers and thumbs, there need be almost no loss of time. If the hands are held over the key-board, the fingers will reach to the extreme right and left, and each be in position to do duty, and the thumb will be in readiness to strike the space-bar.

http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#Longley

ダブルビンゴ。「全指タイピングのススメ」…。つまりElizabeth Margaret Vater Longleyは、Frank Edward McGurrinのタッチタイピングの噂を(たぶんMcGurrinという名すら知らずに)聞きつけてから、全指タイピングを編み出した、ということになる。

ただ問題は、1881年シカゴ会議の出席者の中に、Elizabeth Margaret Vater Longleyの名前がないことだ。息子のLeonel Anzuletta Longleyは、両方でずっとExecutive Committeeをやってるので、息子を経由してっていうパターンだろうか?

国際速記者会議とタッチタイピング - yasuoka の日記
  • Longleyのthumbs thumb どっちだ?
  • 鍵盤上に手指が常に残っていることによる、打鍵動作速度への有利さ、、
    • Longley夫人には、動作分析的発言が多いな、。
      • 1882年の教本でも、スペースバー操作がらみでキー打鍵操作に関して、カリグラフ2と比較してみせていた、、)

ってか、議事録って、2007年でも閲覧可能なものなんですか。

タイプライターに関わる先行研究やら同時期研究、さらには、速記の大会でもある、、

息子を介せずとも

サーベイしていた可能性は あろうに、、

山田尚勇「タッチタイプというものが「発見」される」

これによって、鍵盤を見ることなく打鍵するメソッドの存在が、一般にむけて、ある程度知られるきっかけとなった。

  • この時期あたりをもって、山田尚勇は「タッチタイピングの発見」と呼んでいるようであり、それを発売時期から約15年後と、している。
    • この「発見」の語義は、コロンブスの発見とも似ており、それより以前から存在はしていたかもしれないが、広く知られることが無かった、、
  • タイピングスクールの全てが、タッチタイプを支持するようになるのは、山田尚勇によれば、発売時期から約40年後と、している。1913年から1915年ごろか、。

山田尚勇 「しかし、タッチタイプというものが「発見」されるまでにはアメリカでもタイプライタ発売後約15年はかかっており、タイピスト学校の全てがそれを受容するのには発売後約40年もかかったのである 1)。」http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100301#bookmark-19672093


1)Yamada, H.: A Historical study of type-writers and typing methods: from the position of planning Japanese parallels: Qournal of Information Processing, Vol. 2, 175-202(1980)〔小笹和彦訳, bit, Vol.13(1981), 6回連載〕

CiNii 論文 -  タイプライタの歴史と日本文入力 (<特集>日本文入力法)
タッチタイプと?頭の動き、?視線の動き、?手の動き - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ

| 07:30

タッチタイピングの発見」前史、、「アーム式タイプライター概念の誕生」前史、、

タッチタイピングの発見」前史、、「アーム式タイプライター概念の

前史:タッチタイピングの発見;アーム式タイプライター概念の誕生

トラックバック - http://kygaku.g.hatena.ne.jp/raycy/20100927