【脳研究 – issues&ニセ科学問題】
- 脳について意外と知られていない15の豆知識 – GIGAZINE
- 15 Things You Didn’t Know about the Brain – Online Nursing Program
何かはてブでブクマが伸びてる記事があるなぁと思ったらこの記事ですよ。 まぁ世の中懲りずによくやるわと思いますね・・・取り上げる方も取り上げる方だと思いますが。もっとも翻訳しただけのGIGAZINEには何の責任もないはずですので、あくまでもその記事内容の方を色々論ってみようと思います。
基本的に、15項目挙げられたもののうち専門家の視点で見ると2, 6, 9, 13, 14に問題があります。中には「どう見ても神経神話(neuromyth)」と断言できるものもあれば、グレーゾーンかなぁ・・・というものもあります。ただいずれにせよ、科学的結論の出ない代物をあたかも確定した科学的真実であるかのように喧伝するのは倫理的な意味でも社会的利益という観点からも良くないわけで、その点を踏まえてチェックしていこうと思います。
なお、この15項目のうち脳神経科学とは関係のないただのトリビアが7, 8, 11, 12, 単なる神経科学の教科書的知識の紹介が1, 4, 5, 10, 15となっていて、わざわざ「10%しか使ってない神話」の紹介に3を費やしているので、結局残りの5項目が全ていわゆる「脳科学的言説」である上に全て怪しげだというわけです・・・どうしようもないですね。
では、一つずつ見ていきましょう。
2. 分析的な思考をつかさどる左脳とクリエイティヴな思考をつかさどる右脳の2つの半球に分けることもできます。
これは「右脳・左脳」論であり、典型的な神経神話なので論を待たないと思いますが、基本的には「結論の出せない代物」です。実際、相反する結果を報告する研究なら山ほどありますのでとても結論を確定させる状況にはないと言って良いでしょう。
ちなみに、この件については今年発表された面白いメタアナリシスを見つけました。そのメタアナリシス(Mihov KM, Denzler M, Förster J, Brain Cogn, 2010)によると、「若干ではあるが創造的思考には右半球がより強く関与している」が「右半球における脳賦活はいわゆる『右脳・左脳』とで賦活差があるとされる課題同士で比べても差が出なかった」そうで、矛盾する結果になった模様。依然として「右脳・左脳」論に確定的結論を与えるのは時期尚早のようです。
6. 母国語以外の言語を5歳までに身につけると、その後の脳の発達に影響し、ほかの人と比べ密度の高い灰白質が形成されます。
PubMedで探してみましたが、そんな研究は見当たりませんでした(入れたキーワードで1件だけヒットする研究はそんな内容ではない)。もしあったとしても、周辺研究が少ない以上結論を出すのは時期尚早と言わざるを得ないでしょう。
(追記)
tinubushiさんから情報提供いただきました。当該論文は
Neurolinguistics: structural plasticity in the bilingual brain (Mechelli A, Crinion JT, Noppeney U, O’Doherty J, Ashburner J, Frackowiak RS, Price CJ, Nature. 2004 Oct 14;431(7010):757) / PDF
Humans have a unique ability to learn more than one language–a skill that is thought to be mediated by functional (rather than structural) plastic changes in the brain. Here we show that learning a second language increases the density of grey matter in the left inferior parietal cortex and that the degree of structural reorganization in this region is modulated by the proficiency attained and the age at acquisition. This relation between grey-matter density and performance may represent a general principle of brain organization.
とのことです。ただし、アブストおよび本文をお読みいただければおわかりの通り、脳全体のgray matter density(灰白質密度)が増大するわけではなく、left inferior parietal lobule(左下頭頂小葉)に限定して増大するということで、元の文章よりも少し印象が弱くなります。このような部位ごとの変化はいわゆるneural plasticity(神経可塑性)として言語獲得に限らず多くの認知機能の獲得プロセスに伴って広く観測されるもので、ごくごくありふれたものです。ここで言われているような、あたかも「小さいうちから第2言語を教え込むと脳に良い」かのような文脈とは全く異なる報告であることに注意が必要です。
その次はちょっと毛色が違う話。
9. 食事は脳に影響します。ニューヨークの学生(生徒)100万人を対象とした調査では、保存料や合成着色料を含まない昼食をとる学生は昼食で保存料や合成着色料を摂取する学生と比べIQテストのスコアが14%高かったそうです。また、別の研究では週に1度以上シーフードを食べる人々はその他の人々と比べ認知症の発症率が30%低いことも示されています。
これは研究がどうこうというより、相関関係と因果関係とをごちゃ混ぜにしている危険性があります。IQの高い人々とその親は「そもそも文化的・教育的背景に基づいて」保存料や合成着色料を含む食材を避ける傾向があるかもしれないわけで、そうなると「保存料や合成着色料を避けた結果としてIQが高くなる」のかそれとも「IQが高いから保存料や合成着色料を避ける」のかの切り分けが困難になります。
一方、dementia(「認知症」と日本では呼称される加齢性認知機能障害)の発症率が低下するという件に関してはシーフードかどうかは別として、食事による影響があることは以前から知られています。有名な例だとカレーに含まれるターメリック(クルクミン)がアルツハイマー病を予防する可能性を報告した研究がPNASに載ったことがありますね。
13.男性は主として脳の左側で情報を処理し、女性は両側を同時に使う傾向があります。
典型的な「神経神話」です。この件に関しては、当blog過去エントリ『「似非脳科学」が娯楽に留まらず、政策決定にまで波及したらどうなるのか?』で詳細に論じましたので、そちらをご覧下さい。端的にいえば、そういう男女差があるとする議論はもう30年近く続いているにもかかわらずまだ結論が出ていない状況です。
14. 「男性は論理的で女性は感情的」などとよく言われますが、これは根拠のない決めつけとも言い切れません。女性の脳では男性の脳と比べ感情をつかさどる辺縁系が大きく、男性の脳では数学的能力をつかさどる下頭頂小葉が大きいことがわかっています。
前半と後半に分けましょう。まず前半ですが、辺縁系(limbic system)の語を使った理由がよくわかりませんが、これがもし脳梁(corpus callosum)のことを指しているのだとすれば上記の過去エントリで論じた通り「単なる神経神話」に過ぎません。なお、さらに調べたところ前交連の前方・側脳室の内側にある分界条床核(bed nucleus of the stria terminalis)のgray matter volumeに男女差があり、これはむしろ男性の方が大きいそうです。何やら混乱している感があります。
一方、後半の下頭頂小葉(inferior parietal lobule: IPL)についてですが、その根拠にしたと思われる解剖学的性差に関する研究を見つけました。それがこちら。神経解剖学分野では世界的に著名なZillesとAmuntsが名前を連ねています。
で、本文を読んだら男女間の性差があったのはIPLに7個ある下位区分(細胞構築学的に決められたもの)のうち、たったの1箇所だけでした。IPLがそこまで細かい機能的区分(解剖的区分ではない)を持っているかどうかは現在の認知神経科学ではまだわかっておりませんので、7つの下位区分のうち1つに性差があったぐらいでは、男女間で極端な機能差が生じるとは考えにくいと思います。
さらにもう一つ書いておくとIPLの主機能は数学的能力というよりむしろ受動的注意や多感覚統合だと思うわけなんですが、もはや意味がない話なので置いときます。
* * *
・・・というわけで、ザッと読んだ範囲でしかも各論だけ取り上げて論ってみましたが、15項目中5項目は「神経神話」ないし「グレーゾーン(未確定の学説)」だというわけです。これでは15の脳の豆知識もへったくれもなくて「似非脳科学」もしくはそれに類するものを流布させるだけの、困った代物でしかありません。勘弁してもらいたいものです。
ところで、Twitter上でこの記事に関してやり取りしていて知ったことがあるのですが。実は、「10%説」は部位によっては本当にそうなっているところがあるんだそうです。今年のHippocampus誌に載った研究によれば、海馬の歯状回(dentate gyrus)の顆粒細胞(granule cell)の実に90-95%は「リタイア状態」にあるのだとか。
学術的研究が進むにつれて知識が細かくなっていってしまうのは致し方ないことなのですが、それを嫌って十把一絡げに「脳を」「わかりやすく」理解しようとすると、こういったきちんとした科学的根拠のない「神話」に引っ掛かりやすくなるということなのでしょう。そういう「早合点が神経神話の蔓延につながる」ような事態は、現場の研究者としてはできる限り防ぎたいものです。
お、GIGAZINEの記事にも、こちらの記事がリンクされましたね。
6 は多分 Cathy Price のグループがやったこの論文だと思います。
Nature. 2004 Oct 14;431(7010):757.
Neurolinguistics: structural plasticity in the bilingual brain.
金井さんが最近出した新書でも紹介されているnature論文です。
>tinubushiさん
情報ありがとうございます。この論文をチェックした上で加筆修正いたします。
素晴らしい。
メディアに露見する腐った自称専門家や専門家の面を被ったクソの害に対して警鐘をならしていただけるとは、有り難い事この上ありません。
これからも、良質な文章を心待ちにさせて頂きます。
>abcさん
専門家でなければ書けないことを書く、ということを今後も肝に銘じて続けていこうと思っております。コメントありがとうございました。
労作をありがとうございます。元記事を読んでいなかったのですが、今読んできました。将来はためしてガッテンのかわりに「はてぶで読んだんですけど、MRIしてください」とか患者さんが言う時代が来るのかなあ、この記事も読んでおかないとまずいかなあと思っていたのでまとめてくださって助かります。(ためしてガッテンも医者向けにアブストラクトを公開すべきと思います。時々トンデモだから)
ところで先生、素人さんはきっと「ここが面白いよ!」っていうところも取り上げてくださるともっと読んでくれるかなあと思いました。例えば血管が16万キロって面白いと思いうんです。小腸を全部引き伸ばすと東京ドーム一個分というのは、消化器内科の私はよく使う例えです。例えば神経細胞は1000億って書いてありますね、普通1億個の細胞は1gですから、脳は1400gで肝臓と同じ大きさだとすると、間質も考えるとだいたいそんなもんかな、って。ところが容量は4Tだって。細胞の数の4000倍ですか?本当なら超面白いですよね。年取ったアインスタインの脳の重さと比べて勝ち誇るのもどうかと思いますが、おもしろがる視点もあるともっとすばらしいと思いました。長々と失礼いたしました。
個人的には今バブルにあるfMRIやレビー小体発見のあれこれは面白いと思っていて、すでに先生が言及されているかもしれないと感じましたのでこれから先生の記事を良く読ませていただきたいと思います。
>TONARIさん
「先生」はおやめいただけますか?「先生」などと呼ばれるのが恥ずかしい若造ですので・・・。
ところでまさにTONARIさんの仰る通りで、「ここが面白いよ!」を取り上げるのも大変大事だと僕も考えております。色々例を挙げていただきましたが、「似非」ではないごくごく真っ当な学識で、なおかつ一般の方でも興味を持っていただけるような神経科学の知識というのはまだまだたくさんあると思います。これまではおかしなものの指摘に割合専念してきましたが、お勧めに従って今後はできる限り「面白いものの紹介」にも貢献できればと考えております。
ご丁寧なコメント、ありがとうございました。