沖縄県・尖閣諸島沖で中国漁船が日本の海上保安庁巡視船に衝突した事件は、中国政府の「謝罪と賠償」要求に対し、日本政府が全面拒否し、両国にらみ合いの「持久戦」の様相を見せ始めた。中国ではインターネットを中心に反日世論が強まり、相次ぐ日本絡みのイベントの延期や中止は、日本が中国人船長を釈放した25日以降も続き、民間の交流事業への長期的な影響も懸念されている。こうした中、中国国民からは戸惑いの声も漏れ聞こえてくる。【上海・鈴木玲子、北京・成沢健一、浦松丈二、外信部・工藤哲】
「次回公演があっても行くかどうか分からない」。25日朝、日本の人気グループ「SMAP」の上海公演延期によるチケットの払い戻しが始まり、女性ファンの李香艶さん(26)がため息をついた。
10月9、10の2日間に8万人の動員が予測された。男性ファンの米剣華さん(42)は「楽しみにしていたのに。船長は帰国したんだろう? 本当に間が悪いな」と悔しがる。
「SMAPが来たら捕まえてしまえ」。延期決定を前にネットではそんな過激な意見も相次いだ。政治に敏感な国民性を反映し、多くのファンは延期を「理解できる」と語る。
だが、SMAPについては上海万博で予定された6月のイベントが、「ファン殺到」を懸念した当局により安全上の配慮を理由に中止になっており、中国人ファンの失望は強いようだ。
チケット販売代理店の社員は「最も高い1680元(約2万円)のチケットから売れていただけに残念だ。熱烈なファンは電話越しに泣いていたよ」と打ち明けた。
この他、日本の大学生ら1000人の上海訪問(21日~)も、上海・復旦大学日本研究センター20周年記念式典(26日)も延期になった。
上海恒例の花火大会は日本の花火師が参加する30日だけが中止になった。
こうした中、北京の大学関係者は「ここまで関係が悪化すると日本絡みのイベント開催を大学に申請しにくい。早く元の状態に戻ってほしい」と漏らす。
一方、上海万博の人気パビリオンの一つ、日本館は相変わらず盛況だ。中国各地で反日抗議行動が起きた18日、上海市は日本館の警備を強化、市トップの兪正声・市党委員会書記が視察した。
日本館関係者は「(会場で)心配した抗議行動がなかったのでほっとした」と語った。
中国の強硬姿勢の背景には、この国の政治が敏感な時期に入っていることも影響しているようだ。
10月には年1回の共産党中央委員会総会が開かれ、中国軍ナンバー2を決める人事案が話し合われるとの観測が流れている。対日外交での「弱腰」は指導部への激しい批判を招きかねない。
香港メディアによると、指導部は事件発生直後、対日強硬姿勢に出るかどうか「迷い」があったとの見方が出ている。発生翌日の今月8日付の党機関紙・人民日報は黙殺。9日になって「日本に厳正な申し入れをした」と小さく報じた。
胡錦濤国家主席と温家宝首相は06年以降、日本との関係改善を主導してきた。この延長線上で東シナ海ガス田について日本と共同開発に合意したが、これに対する批判は国内で今もくすぶる。胡主席や温首相が師事した故・胡耀邦(こようほう)元総書記が87年に失脚した際、親日的な姿勢が非難を浴びたことも、共産党・政府の対日担当者たちには「深い傷」として記憶されている。
過去の経緯と教訓からか、中国政府は今回の事件発生4日目に楊潔〓(ようけつち)外相、6日目には戴秉国(たいへいこく)国務委員と一気にランクを上げて日本側に抗議し、相次いで対抗措置を打ち出してきた。
神田外語大の興梠(こうろぎ)一郎教授(現代中国論)はこう分析する。
「一般の中国人は『(尖閣は)自国領土なのに(今回の事件では)日本の国内法で対処された』と受け止めている人が多いのではないか。だが中国国内では大学生の就職難や住宅価格の高騰など、政府への不満が広がっている。05年の時のように反日デモを黙認していたら、(その矛先が)中国政府に向かう可能性が高まるので、今回は中国政府が直接日本政府に激しく主張したとみられる」
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9月 7日夜 沖縄県・尖閣諸島の久場島北西の日本領海内で、中国籍の漁船が停船命令を無視して逃走、海保の巡視船に衝突
8日未明 漁船船長を公務執行妨害容疑で逮捕
10日 那覇地裁石垣支部が船長の10日間の拘置を認める
11日 中国外務省が9月中旬に予定していた日中両政府の東シナ海ガス田開発に関する条約締結交渉の延期を発表
12日未明 中国の戴秉国国務委員(副首相級)が丹羽宇一郎駐中国大使を緊急に呼び出し、漁船と乗員の引き渡しを要求
18日 抗日記念日に合わせ北京などで反日デモ発生
19日 船長の10日間の拘置延長決定。中国が日中間の閣僚級交流停止を発表
21日 温家宝首相がニューヨークでの在留中国人との懇談で、船長の無条件即時釈放を要求し、日本が応じない場合の新たな対抗措置を予告
同日 人気グループ「SMAP」の上海公演延期発表
23日 中国が、河北省で「軍事目標」をビデオ撮影したとして「フジタ」の日本人社員4人の居住監視を日本に通告
24日 那覇地検が船長を処分保留のまま釈放すると発表
25日 船長が中国帰国。中国側が日本に謝罪と賠償を求める声明発表。日本側は拒否する外務省報道官談話を発表
26日 菅直人首相、謝罪と賠償を拒否と明言
毎日新聞 2010年9月28日 東京朝刊