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池内淳子さん死去 がん隠し5月まで舞台

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10年4月5日 舞台「三婆」主演400回で祝福される池内さん(中央)
10年4月5日 舞台「三婆」主演400回で祝福される池内さん(中央)

 ドラマ「女と味噌汁」をはじめとするホームドラマや映画、舞台で幅広く活躍した女優の池内淳子(いけうち・じゅんこ)さん(本名・中沢純子=なかざわ・すみこ)が9月26日午後4時21分、肺腺がんのため都内の病院で亡くなっていたことが9月30日、分かった。76歳だった。07年に肺腺がんと診断され、抗がん剤治療を続けていた。今年3月に再発したが、がんを隠して4、5月に舞台「三婆」(原作・有吉佐和子)に主演し、通算400回を達成した。葬儀・告別式は近親者のみで済ませ、11月4日にお別れの会を開く予定。喪主は妹中沢修子(のぶこ)さん。

 不屈の女優としての心意気で、最後まで舞台に執念を燃やした。池内さんは07年4月、胸部CTと血液所見から間質性肺炎、胸水貯留で3カ月の安静加療が必要と診断され、翌5月から予定した舞台「怪談牡丹灯籠」全国公演を降板した。実はその時に右上葉に肺腫瘍(しゅよう)が見つかり、間質性肺炎の治療とともに肺腫瘍の確定診断をしたところ、肺腺がんと判明。池内さんにも告知され、抗がん剤治療を始めた。治療で腫瘍もほぼ消失し、6月に退院。8月にドラマで復帰したが、がんは公表しなかった。

 その後も月2回通院し抗がん剤治療を続けたが、今年3月に再発していることが分かった。翌4月からライフワークとしていた主演舞台「三婆(さんばば)」の博多座、中日劇場公演が控えており、池内さんは「最後まで仕事をやり遂げたい」と舞台を優先することを決意した。いがみ合う本妻、小じゅうと、愛人の3人が同じ家で暮らし、心を通わせる作品で、本妻役で98年から主演していた。

 食欲は落ちていたが、共演した多岐川裕美、野川由美子ら周囲にはがんを隠し、気力で舞台に立ち続けた。関係者は「病気であることをまったく感じさせず、座長としても周囲に気配りしていました」という。4月5日の博多座で「三婆」主演通算400回を達成し「こんなにいいご褒美はありません」と笑顔で話した。5月16日に中日劇場で441回目の千秋楽を迎えた時もカーテンコールで共演者が「また池内さんに雇ってもらって、やりたいですね」とラブコールすると、池内は「ぜひやりたいわね」と500回へ意欲も見せていた。しかし、直後に治療を再開し、8月中旬に再入院。9月中旬には容体が悪化し、26日夕、妹ら家族にみとられて息を引き取った。

 私生活では共演をきっかけに知り合ったジャズ歌手柳沢真一と57年11月に結婚し、芸能界を引退したが、翌58年1月に別居。同6月に協議離婚が成立し、復帰した。若いころは「お嫁さんにしたい女優」、その後は「お母さん女優」として人気のあった池内さんだが、離婚後は独身を通した。同じ敷地に妹夫婦と住み、仕事一筋だった。葬儀・告別式は3人の妹ら近親者のみで行い、77回目の誕生日となる予定だった11月4日にお別れの会を開く予定。

 [2010年10月1日9時6分 紙面から]


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池内淳子

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