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【人界観望楼】外交評論家・岡本行夫 意図せぬ中国の貢献
那覇地検の次席検事は、なかなか骨のある人のようだ。尖閣事件の中国人船長を釈放するのは「わが国国民への影響と今後の日中関係を考慮」した結果だと発表した。つまり、威嚇手段を持つ中国の国民の犯罪については日本人やほかの国籍の国民の場合とは異なり穏便に処理する、と言ったわけだ。
法と正義だけの検察として自殺行為の発言であることは誰にでもわかる。それをあえて言ったのは政治にこう言わされているのだという精いっぱいの抵抗だったのではないか。
今回の釈放は、どう見ても状況対応型の決定だ。従来であれば逮捕直後に内閣官房副長官(事務)のところに関係各省が集められて、緊急会議だ。落とし所をどこに求めるか、どのような選択肢があるのか。逮捕の後、速やかに国外に強制退去させるか(2004年の例)、それとも司法手続きに委ね略式起訴までもっていくか。二つに一つ。
「事務」副長官は、官僚組織のトップだ。彼のもとで関係省の局長たちが専門家集団としての案を練って、官房長官、総理大臣に上げていく。しかし「政治主導」の民主党官邸ではこのようなプロセスはみられない。「政務」ではない事務副長官の出番は、めっきり減った。
この事件を通じての居丈高な中国にはあきれてものも言えぬが、問題の構図は、尖閣だけを見ても分からない。中国の狙いは、南シナ海、東シナ海、さらには日本の正面の太平洋での海洋権益の確保にある。
中国は1992年に「領海法」を制定し、尖閣諸島を中国領土に編入した。深刻なことは、尖閣が台湾や南シナ海諸島とともに、同じ法律の同じ条項で中国領土に編入されたことだ。当時、日本政府はこれに対してごく形式的に抗議しただけだ。中国は最初から日本の足元を見ている。仮にも中国が(歴史的に中国人が上陸したこともない)尖閣を取れば、単に無人島が中国の手に渡るだけではない。そこを基点に、12カイリの領海と200カイリの排他的経済水域が設定される。日本の安全保障と経済活動に甚大な影響が出る。
今回、中国がここまで強硬だった背景には、日米関係の弱体化をかぎとっていたせいもあろう。かつてアーミテージ元国務副長官は、こう述べた。「米国が中国とエンゲージしていくためには、まず日本との関係を強化することが必要だ。そこが強くないと中国は米国と日本の分断に力を注いで、米国とまともに向き合ってこない。逆に米日関係が強固であれば、中国はあきらめて、初めて正面から米国と向き合ってくる」。日米同盟関係がきしんでいる今、中国はアーミテージの第一シナリオの対応をとってきた可能性がある。
しかし中国にとっては誤算となった。クリントン国務長官とゲイツ国防長官が共に、「尖閣は日米安保条約の適用対象」と言明したからだ。中国にとってはヤブをつついて蛇を出したに等しい。中国が最も困るのは、米国との関係の悪化だ。尖閣を巡る日中の緊張のなかで、米国は明確な形で日米同盟の立場にたった。
いちばん重要なのは、日米関係の立て直しだ。尖閣で中国はそのことを教えてくれ、日本国民の安全保障意識も高めてくれた。この意図せざる中国の貢献には感謝と言うべきか。(おかもと ゆきお)