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【芸能・社会】

池内淳子さん 肺腺ガンで死去

2010年10月1日 紙面から

2005年の「放浪記」芸術座公演千秋楽であいさつする池内淳子さん=2005年3月27日、東京・有楽町で

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 ホームドラマで芯の強い女性を演じ、幅広く親しまれた女優の池内淳子(いけうち・じゅんこ、本名中澤純子=なかざわ・すみこ)さんが9月26日午後4時21分、肺腺がんのため東京都内の病院で死去した。76歳。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。お別れの会が11月4日に開かれる予定。時間、場所は未定。

 所属事務所によると、池内さんは、2007年4月に胸の違和感を訴えて検査入院し、間質性肺炎、胸水貯留、肺腫瘍(しゅよう)の診断が下された。肺炎の治療とともに肺腫瘍を詳しく調べたところ肺腺がんと判明。抗がん剤の治療を受け、腫瘍は一度はほぼ消失したという。

 その後も通院しながら抗がん剤の治療を受けていたが、今年3月に再発していた。

 がんと闘う一方で、98年から主演を務めていた舞台「三婆」は、今年4月5日の福岡市の博多座公演で通算400回を記録。その翌月の名古屋市の中日劇場での同舞台が最後の公演となった。

 池内さんは、高校卒業後、日本橋三越勤務を経て55年の映画「皇太子の花嫁」でデビュー。お嬢さま女優として多くの作品に出演し、新東宝の看板女優となった。代表作は松本清張原作の「けものみち」(65年)。

 テレビは57年の「眠狂四郎」を皮切りに、60年の昼ドラマ「日日の背信」で主婦層の支持を獲得。“メロドラマ”ブームの火付け役となった。「女と味噌汁」シリーズも大ヒットし、視聴率「20%女優」の異名も取った。他の出演作にNHK連続テレビ小説「ひらり」「天うらら」や「白い巨塔」など。

 舞台では69年の「天と地と」以降、大劇場への出演も多く、明治座公演で長年にわたり座長を務め、「おさん」などで円熟の演技を見せた。

 02年に芸術選奨文部科学大臣賞と紫綬褒章を受け、08年には旭日小綬章を受章した。

 肺腺がん 肺がんのひとつ。肺の一番外側の胸膜など、肺の末梢(まっしょう)に発生するものが多い。がんが進行すると、せきが続き、たん、息切れなどを起こす。

 腫瘍(しゅよう)が大きくなれば、血痰(たん)が出て、胸膜から胸腔(きょうこう)にがん細胞がこぼれ出て胸水がたまったり、胸壁に浸潤したりして胸が痛む。

 肺がんの主原因は、喫煙だが、腺がんについてはたばこを吸わないのに発症する人、特に女性が増えており、女性の肺がんで最も多いのが腺がん。受動喫煙や大気汚染、環境ホルモンの影響など諸説あるが、理由は不明だ。関係者によると、池内さんは、15年ぐらい前まで喫煙していたが、最近はたばこは吸っていなかったという。

 池内さんの最後の舞台となったのが、有吉佐和子原作の中日劇場5月公演「三婆」。池内さんは本妻の松子を400回以上も演じ、この作品を抜きにしては語れないほどの当たり役になった。

 池内さんの楽屋を訪ねたことがある。三婆について聞くと「この役に巡り合えてホントによかった。本がいいもの。それに小幡欣治さんの演出もね。こんなに長く続くとは思わなかった。役者冥利(みょうり)につきるわ」。

 でも「放浪記」の森光子もそうだが、何度も同じ役を繰り返すのはどうなんだろう? 「私たちの仕事って受け身でしょう。『またお願い』と言われると、うれしくなっちゃうの。それが役者なのよ」と笑顔で話してくれた。

 生まれは東京の本所。新東宝に入社し、映画、テレビ、舞台と活動の場を広げ、スター街道を駆け上がった。メロドラマは主婦に大受け。「年を取るなら池内さんみたいに」という女性もいるそうだが、それを本人は「何ごとにもガツガツしない方がいい。自然体でいけばいいの」。

 激変の芸能界を半世紀以上も渡り歩いてきたのに、池内さんの表情は柔らかい。女としての魅力があふれていた。 (二村譲)

◆明治座で全22作品出演

 池内さんにとって、東京・日本橋浜町の明治座は、ホームグラウンドだった。1969年9月、「女と味噌汁」で初めて明治座の舞台に立ち、「おたふく物語」「乱舞」「おさん」「白足袋の女」など数多くの作品に主演。昨年3月、「三平物語」で林家三平の母・海老名歌役を演じるまで全22作品に出演した。

 明治座興業事業本部の北村純一本部長は、池内さんについて「品があってすばらしい女優さんでした。常に前向きに物事を考え、仕事に真正面からぶつかっていく方。女優の中の女優でした」と振り返る。

 その上で、「駐車場に警備員がいるんですが、舞台の千秋楽後に劇場を出るとき、わざわざ車を降りて『1カ月間お世話になりました』と警備員にあいさつをしてました」と、その人柄の良さを象徴するエピソードも明かしてくれた。

 「『三平物語』のときはお元気でしたので、まさかこのようなことになるとは…」。北村本部長はいまだに信じられない様子で視線を落としていた。

◆また日本のすてきな女優さんが1人いなくなった

 テレビプロデューサーの石井ふく子さん(84)の話 あまりにも早すぎます。「どうして?」っていう気持ちでいっぱいです。また日本のすてきな女優さんが1人いなくなってしまいました。

 1週間ほど前に入院中の池内さんから電話があり、「話があるから明後日来てね」といわれ、24日にうかがったら、痛み止めのせいで寝ていらして、それでも呼びかけたらうなずいてくれました。それが26日になって容体が急変したというので再び病院にうかがいました。大きな声で呼びかけましたが、応えてくれず、結局これがお別れになってしまいました。

 池内さんは私の新東宝の後輩で、かれこれ50年のお付き合いです。仕事もたくさんご一緒し、日曜劇場での「最多出演女優」は池内さんです。プライベートでも大事な方でした。他人に対して優しく気遣いも素晴らしい、庶民的な女性でした。でも、何かに染まるようで決して染まらない、まるで「白い花」のような方。しんの強さは誰にも負けない人だったと思います。

◆芯の通った日夏京子役 忘れることはできません

 森光子(90)の話 舞台での共演は、(2005年の)「放浪記」のみかもしれません。ご無理なスケジュールのなか、出演を快諾して下さり、芸術座ラスト公演、福岡、富山と続く2カ月の間、美しく、そして芯の通った日夏京子役を演じて下さいました。忘れることはできません。ついこの間、一緒にお食事をと誘って下さいました。お店まで決めて楽しみにして下さっていたのに…。残念で仕方ありません。

 

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