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“日本のお母さん”池内淳子さん死去 (2/2ページ)

2010.10.1 05:05
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“日本のお母さん”池内淳子さん死去
デビューして以来、命尽きるまで役者魂を見せつけた池内淳子さん。多くの作品で振りまいてきたその優しい笑顔が忘れられない(1963年撮影)【フォト】

 所属事務所によると、池内さんは8月中旬、再発した肺腺がんの治療のため都内の病院に入院。亡くなる1週間ほど前から口数が減っていたが、見舞いに訪れた関係者に「早く仕事をしたいな」と笑顔で語り、復帰を望んでいたという。

 この関係者によると、今月23日に見舞った際は安らかな顔で眠っていたが、その後容体が急変。26日に2人の姉妹(池内さんは4姉妹の長女)とスタッフに看取られ息を引き取った。

 病気と無縁だった池内さんが異変に気づいたのは07年4月。胸に違和感を感じ診察を受けたところ、間質性肺炎と胸水貯留が見つかった。同年5月の舞台「怪談牡丹燈籠」を降板。その後の検査では、肺腺がんも発見された。

 がんは公表せず、抗がん剤の治療を続け、腫瘍はほぼ消失したものの、今年3月に再発。池内さんは共演者に迷惑を掛けまいと再発を隠し、4月5日に福岡・博多座で「三婆」の主演400回を達成、5月16日の名古屋・中日劇場での千秋楽まで舞台に立ち続けた。

 その後、病院に週に1泊2日入院しながら治療を続けてきたが、池内さんは弱音を吐かず「病気に向き合うわ」と明るく振る舞っていたという。

 若き日は「お嫁さんにしたい女優」、演技に円熟味を増してからは「日本のお母さん」…。家庭的な妻や母親を演じることが多かったが、実生活は対照的だった。57年に俳優、柳沢真一(現芸名、柳澤愼一=77)と結婚。一時的に芸能界から引退したが、翌58年にわずか87日で電撃離婚し女優復帰。その後、フジテレビ系昼ドラ「日日の背信」で人気を博し、人妻が夫以外の男性に惹かれる“よろめきドラマ”の欠かせない存在に。得意の味噌汁で人々を幸せにする芸者を演じたTBS系ドラマ「女と味噌汁」シリーズは毎回20%以上の視聴率を獲得し、「20%女優」と呼ばれた。

 映画では故森繁久彌さん主演の「駅前」シリーズ全24作中、7作でマドンナを演じた。

 舞台の代表作は1998年の初演から12年、主役を務めた「三婆」。400回を達成したときには「役者冥利に尽きます。こんなにいいご褒美はありません」と喜んだ。天国でも次回作に向けて、けいこを続けているに違いない。

 事務所によると、池内さんが喜寿を迎えるはずだった誕生日、11月4日にお別れ会を行う予定。

■池内 淳子(いけうち・じゅんこ)

 1933年11月4日、東京・世田谷区生まれ。高校卒業後、百貨店の三越日本橋本店(東京)に就職するが1年で退社。「サンケイグラフ」のカバーガールになり芸能界入り。54年に新東宝入社、55年に映画「皇太子の花嫁」でデビュー。久保菜穂子、三ツ矢歌子とともに新東宝の看板女優に。テレビドラマに進出し、60年の「日日の背信」でお茶の間の人気を得た。東宝移籍後は「社長」「駅前」両シリーズなどに出演。69年に初舞台を踏み、大劇場への出演も多かった。CMでは「ほんだし」(味の素KK)のキャラクターを長く務めた。和服が似合う上品な顔立ちで“お嫁さんにしたい女優”の上位に長くランクインした。2002年に紫綬褒章、08年の春の叙勲で旭日小綬章を受章。血液型O。



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デビューして以来、命尽きるまで役者魂を見せつけた池内淳子さん。多くの作品で振りまいてきたその優しい笑顔が忘れられない(1963年撮影)

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