沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件は、中国の執拗かつ理不尽な恫喝を受け、日本が完全屈服するという屈辱的結果となった。しかし、中国は「謝罪と賠償」を要求するなど強硬姿勢を崩していない。「屈辱外交」を主導した菅直人首相(63)は27日、「謝罪や賠償」には応じない考えを強調したが、仙谷由人官房長官(64)が仕切る官邸には手詰まり感だけが漂っている。こうした中、中国の恫喝外交が、事件翌日の9月8日、北京で緊急招集された「対日工作会議」で決まっていたことが分かった。別名「対日制裁会議」と呼ばれた会議の全貌に、大宅賞ジャーナリストの加藤昭氏が迫った。
日本政府は25日未明、中国人船長を事実上の「超法規的措置」で釈放したが、中国外務省は直後に「日本側は船長らを違法に拘束し、中国の領土と主権を侵害した。強烈に抗議する」と非難し、「正式謝罪と賠償」まで要求してきた。
それ以前も、深夜に丹羽宇一郎駐中国大使を呼び出したり、ハイテク製品に不可欠な「レアアース」(希土類)の輸出停止、日本のゼネコン「フジタ」の社員4人を「スパイ容疑」で身柄拘束するなど、中国側の傍若無人ぶりは尋常ではない。一体、胡錦濤政権内で何が起きているのか、私(加藤昭)は旧知の中国政府関係者を緊急直撃した。
−−対日報復を次々と仕掛ける理由は何か。日中の戦略的互恵関係はどうなったのか
「わが国指導部は最初から、日本との戦略的互恵関係など期待していないし、必要とも考えていない。単なる外交上のリップサービスに過ぎない」
−−今後も報復を続けるのか
「温家宝首相は『領土問題で一切譲歩しない』『船長の釈放ですべてが終わったわけではない』と警告している。当然のことだ。すでに政権内では『武力行使も排除すべきではない』との声も出ている」
中国政府内で「武力行使」が検討されているとすれば、驚くべきことだ。私はさらに聞いた。
−−武力行使の話はいつ、誰がどんな場でしたのか
「船長が逮捕された翌日、9月8日午前8時に緊急招集された『対日工作会議』の席だ。会議には、外交部や国防部をはじめ、公安部、中国科学技術院、社会科学院など、政府機関の代表約30人が出席した。長時間にわたり日本への報復手段が検討された。さながら『対日制裁会議』の雰囲気だった」
「武力行使は出席した国防部の将軍が『日本は新たに釣魚島(尖閣諸島の中国名)海域に1万5000人規模の兵士を増派すると聞く。釣魚島を防衛するため、わが国もそれを上回る兵力を派遣する必要がある。今後、軍事衝突は避けられないだろう』と発言したことがきっかけになった」
以前から、定期的に「対日工作会議」が開かれていたことは知っていたが、事件発生から24時間もたたないうちに開催されていたとは驚きだ。
−−レアアースの禁輸や、フジタ社員の身柄拘束も、工作会議で決定されたのか
「その通りだ。レアアースの件は中国科学技術院から、スパイ容疑での日本人逮捕は国防部と公安部からの提案で、実行に移された。これ以外に、社会科学院の研究員は『日本への最も有効な報復措置は、わが国が大量の円買いを行い、さらに円高に誘導することだ』と発言した。これも近く、実行されるだろう」
全体主義国家の恐ろしさを、まざまざと感じさせる。しかし、国務院(政府)傘下の工作会議で、対日報復のすべてが決定されるのか疑問が残る。そこで、こう聞いた。
−−胡国家主席はこれを是認しているのか
「当然だ。これまでもそうだが、対日工作会議での提案は討議後、ほぼすべて中国の最高意思決定機関である中国共産党政治局常務委員会に上げられている。今回も胡国家主席をはじめ、党指導部は報復案を支持し、政策として容認している。だからこそ、軍事や経済、外交面から観光政策にいたるまで、次々に報復措置が取られた」
つまり、中国は、党と政府、軍、民間などが一体となって、民主党政権になって弱体化が顕著となった日本に襲いかかっているのだ。
一方、中国側の強硬姿勢の背景に、「胡錦濤政権内の複雑な権力闘争の存在」(米国務省筋)を指摘する向きもある。来年、胡主席が退任することもあり、「領土問題で日本に譲歩する姿勢を見せれば、党や政府内だけでなく、国民からも『弱腰』とののしられ、国家運営に支障が出かねない」(同)という。
いずれにせよ、菅政権は中国首脳とまともなパイプもなく、核心的情報すら入手できず、恫喝に脅えて中国人船長を屈辱的に釈放した。菅首相や仙谷官房長官は「釈放は那覇地検の総合的判断」などと、自分に火の粉がかからないよう必死に弁明しているが、世界のメディアは、「屈辱的退却」(ニューヨーク・タイムズ)、「弱腰」(英BBC)、「白旗投降」(韓国YTNテレビ)などと、あざ笑った。
民主党政権が口先ばかりで、自国の領土や国民の生命財産すら守れず、日本人の威信をズタズタにするだけなら、一刻も早く、政権の座から下りるべきである。
【かとう・あきら】1944年、静岡県生まれ。大宅マスコミ塾で学び、「瀬島龍三・シベリアの真実」「『中川一郎怪死事件』18年目の真実」などのスクープを連発。モスクワで発見した手紙を元に執筆した「闇の男野坂参三の百年」(小林俊一氏との共著)で94年、第25回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。