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[9990] 等身大の戦場
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/09/29 20:25
マブラヴオルタネイティヴの世界観で、物語を考えるのが好きです。
しかしこちらに優れたものの多々ある、長期連載はどうも私には難しい。

2,3の独立した短編を、「等身大の戦場」というテーマで掲載させて頂きます。
それが私の現状の精一杯です。

なお、こちらには以前、Muv Luv ~behind the propaganda~ という作品を
アップロードしました。本作を読んで他も読みたいと思った奇特な方は
そちらもどうぞ。
http://mai-net.ath.cx/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=muv-luv&all=4024&n=0&count=1


平成21年
7月2日「ある大陸派遣軍少佐の記憶」掲載
7月2日「ある大陸派遣軍少佐の記憶」誤字修正
7月7日「3600万人の夏(1)」掲載
7月7日「3600万人の夏(1)」誤字修正
7月13日「3600万人の夏(2)」掲載
7月13日「3600万人の夏(1)」誤りを訂正。鉄源ハイヴ→重慶ハイヴ、誤字修正。
7月17日「3600万人の夏(3)」掲載
7月17日「3600万人の夏(3)」誤字修正
7月18日「3600万人の夏(4)」掲載
7月20日「3600万人の夏(5)」掲載
7月20日「3600万人の夏(2)」誤りを訂正。強化装備の色:青紫→緑
  同   「3600万人の夏(5)」誤字修正
7月22日「3600万人の夏(6)」掲載
7月22日「3600万人の夏(5)」誤りを訂正。銃把→銃床
7月26日「3600万人の夏(1)~(6)」誤りを訂正。8月→7月
  同   「3600万人の夏(4)」誤りを訂正。増加装甲→追加装甲
7月26日「3600万人の夏(7)」掲載
7月26日「3600万人の夏(6)」誤りを訂正。7月9日 0050時→7月10日 0050時
10月2日「アフリカに抱かれた斯衛(上)」掲載
10月2日「アフリカに抱かれた斯衛(上)」誤りを訂正。親衛隊員→警護隊員
  同   「アフリカに抱かれた斯衛(上)」誤字修正
10月3日「アフリカに抱かれた斯衛(下)」掲載
平成22年
1月2日「俺は預言者に会ったか(上)」掲載
1月5日「俺は預言者に会ったか(中)」掲載
  同  「俺は預言者に会ったか(中)」誤りを訂正。午後17時→午後5時
1月8日「俺は預言者に会ったか(下)」掲載
1月21日「アンバールへの道(1)」掲載
  同   「アンバールへの道(1)」誤字修正
1月25日「アンバールへの道(2)」掲載
1月29日「アンバールへの道(3)」掲載
2月11日「アンバールへの道(4)」掲載
2月15日「アンバールへの道(4)」誤字修正、誤りを訂正。50マイル、40マイル、30マイル……→30キロ、25キロ、20キロ……
2月21日「アンバールへの道(5)」掲載
4月10日「アンバールへの道(6)」掲載
5月6日「アンバールへの道(7)」掲載
9月29日「アンバールへの道(8)」掲載



[9990] ある大陸派遣軍少佐の記憶
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2009/07/02 20:38
1998年2月
大韓民国全羅北道群山市

ふー、ふー、と嫌な息づかいが空電ノイズと共に定期的に無線から流されてくる。これにたまに押し殺した呻きと咳が入る。
だが、これが聞こえている間はまだ、最後の戦術機が動くということも意味していた。
畜生、左太腿が痛くてたまらない。大腿骨骨折と衛生兵は言っていた。あんなぶっといのが折れるのか、信じられん。
こうも寒いと本当に始終痛くて困る。
半壊した偵察車のキューポラから頭を出すと、一面の休耕田につもる深い雪。バアさんの実家がある岩見沢もこんな感じだったか。
群山は亜寒帯。2月ともなるとかなりの雪が降る。BETAがユーラシアを押さえてから世界気温は急速に低下していた。
「次は、無理だな……」

横たわるBETAの死骸。見渡す限りに広がっている。人間死んだつもりになればなんとかなる、それを初めて実感した。
これまで断続的にBETAの襲撃を受けてきたが、払暁にまとまって大隊規模で襲ってきたときはもう駄目だと思った。
小銃、機関銃、戦車砲、ロケット砲、高射機関砲、そして戦術機のライフル。ありとあらゆる銃砲、
それらが頭を出し始めた太陽を背に押し寄せてくるBETA共に叩き込んでなんとか撃退。

もう中隊も、大隊も何もなかった。国連軍と大東亜連合軍の連携が乱れたとか、なんとか言っているうちに司令部との通信は途絶。
その直後にBETAの奇襲を受けて組織的戦闘能力を喪失。あとは西へ西へその辺の部隊を雪だるまのように纏めながら必死に逃げた。
「……少佐、群山といえばかつての白村江が近い、ですな……」
「お前はもう黙ってろ。それに、俺が日本史なんてわかると思うか」
そうでした、と失礼にも笑うのは俺の部下、西野のなれの果てだ。燃える戦術機から引きずり出したが、皮膚を焼かれすぎた。もう助からない。
昨日までは痒い、痛いと言っていたが、もうそんな元気もなくなったみたいで今朝から静かにしている。
動ける奴総出でBETAの迎撃に出ていたときも、妙に冷静だったそうだ。死期を悟るということなのだろうか。
途中で拾った韓国軍の中尉が口を挟む。この寄せ集め部隊がここまで生き残ったのも比較的装備が良好な彼の中隊があってこそだった。
「ハクソンコウは、7世紀に日本が百済を助けに来て、高句麗に撃退された戦いですよ」
「んじゃ何か、俺たちもBETAから撃退されるってか」
実際、されかかっているみたいですが。と、酷い冗談が返された。

――うーっ!うぅーっ、うっ、ふー、ふー!
一際高い呻き声を聞いて、車内に体を戻す。脚が折れているとこんな作業でもえらい苦労をさせられる。
通信ウィンドウに映る撃震のコックピット。相変わらず、救いようのない顔をしてる。
「どうした、インディゴ1。何を言ってるかわからんぞ」
当然だ。今の彼女は口をきくことが出来ない。顔面の右半分をガーゼと包帯を幾重にも巻き付けてなお赤く血がにじみでている。
輪郭がそもそもおかしい。ガーゼと包帯の上からでも顎の一部が欠けていることがわかる。あれで脳が無事というのは、奇跡だ。
状態を一言で言うなら、まだ死んでいない。これがしっくりくるだろうか。
「せめて、身振りか何かせんとわからん。インディゴ1、インディゴ1!」
包帯に隠れていない左目も光が失せかけている。そのまま魂も抜けそうだ。くそ、もう一本打つか。
彼女にショックを与えるように注射を副官に指示する。
「し、しかし、渡山少佐!もうとっくに許容量を超えております!これ以上は危険です!」
「死んだら許容量も何もない、早くしろ」
「しかし、少尉は斯衛の……」
「斯衛だろうがなんだろうが、少尉には少佐が命令する。それが軍隊だ」
副官は随分渋ったが、結局心臓マッサージの信号を送った。死にかけて動かなかった体が撥ねる。
咳と共に口からさらに血と涎が溢れてくる。よーし、これであと30分はいける。
うぐぐ、うぐぐと呻いている間はまだ戦術機は操縦できるのだから。


俺の撃震は要撃級のフックを受けて沈み、コックピット部に甚大な損害を受けた。乗っていた衛士、渡山、つまり俺の事だが……も、まとめてぶっ壊れた。
それでなんとか他の撃破された撃震のコックピット部をねじ込んで、そこに乗せたのが斯衛の少尉だった。
名前は名乗らなかった。やんごとない斯衛衛士も乗機を失ってこの"部隊もどき"に身を寄せていたのだ。
とっくに本隊とはぐれて、いつ死ぬかわからないのに、「大丈夫だ」「きっとなんとかなるから」と楽天的に励ましていた。
言葉遣いは他の斯衛連中と同じだが鼻にかけた感じがないのがいい。ああいうのは嫌いじゃない。
だが、その人が一番の地獄を味わっているとは皮肉だ。昨晩、主立ったのを集めて地図を囲んで退却経路を確認中に、
迷い込んだ闘士級が彼女の顔半分を持っていったのだ。
直ちに発砲した韓国軍中尉の腕はよかった。とっさの射撃で12発中実に10発も闘士級に命中させた。
あれは凄い早撃ちだった。外した1発が少尉の腹に当たったことを差し引いても。
重傷者であったが、戦術機を動かせるのは彼女しかいなかった。戦車だけではBETA群の撃退は不可能。
というわけで今も撃震の中に収まって呻いている。だが流石に早朝のBETA迎撃時に力を使い果たしたみたいだ。西野とどっちが先に死ぬのやら。


「少佐!!パッシヴ・ソナーに感!パターン一致!BETAです!」
副官が叫ぶ。一々元気がいい。ソナー画面を呼び出す。偵察車搭載のぼろいソナーだ、正確なことはわからない。
よくよく調べてみての結論は、少なくないBETAがこっちに来ている可能性がある、というものだった。
「各班、BETA接近の報有り。戦闘配置へ!Attention! All units attack station! BETA approaching!」
国連軍兵も確かいたはずだ。それに俺は韓国語が話せない。つたない英語で警戒を促す。
警備以外にぶったおれていた連中がライフルを手に配置に動く。ばらばらと雪原に伏せて配置についてゆく。
戦車のキューポラから車長が頭を出して双眼鏡で視察している。
BETAがくるとされる西方に再度、全ての銃口が向けられる。だが、弾薬はもう寂しい状態だ。
機関銃も数はあるが、予備の弾薬箱はもうほとんど無い。
あまり良好とは言えない駆動音を響かせて、立て膝だった撃震が立ち上がり、36mm砲を構え直す。まだ、生きていたみたいだ。
しかし、戦闘機動はもうとれないだろう。今朝の戦いも、新兵以下の動きしかとれていなかった。
BETAにむけて引き金が引けるだけでもよしとしなくてはならない、か。終わりだなぁ……。


重苦しい時間が過ぎてゆく。展開した歩兵は負傷兵ばかりだ。銃を構えているだけでも、伏せているだけでも苦しい者も多い。
双眼鏡を覗けば、たしかに向こうの方に砂埃は上がっている。俺たちをおいて逃げた本隊にいっちまえ。こっちにくんな。
――少佐、救援は、本当に来てくれるんでしょうか?
韓国軍中尉だ。名前は忘れた。発音しにくかったことは憶えている。
「ウチきっての聖将、彩峰中将は今頃避難民の救助に大忙しだろうよ」
なんとも曖昧な笑いが返ってきた。その気持はよく分かる。特に韓国人たる中尉だ。思うところもあるだろう。

まぁ、BETAと最後に矢尽き、刀折れるまで戦って死ぬ。典型的な最期じゃないか、それも悪くは無い。そう思い始めたときだった。
――きゅ、救難信号に応答あり!!救難信号に応答あり!
部隊に唯一残った長距離無線を持った通信兵の叫びが全隊に広がる。そんな、馬鹿な。
やることもないから、駄目もとで発進し続けろといっていたが、こんな所で実を結ぶとは。何が起こるか分からないものだ。
「本当か。ったく、ぎりぎりまで焦らしやがって……」
――USS-Athabascaと名乗っています!重傷者のみ収容、その他兵員はUSS-Vincennesの到着を待て、と!
「負傷者から移動を開始するぞ。向こうが指定してくるポイントを絶えず流し続けろ!」
――了解!
アメリカ海軍。持っている船が多いと、ボランティアする余裕があるのだろう。
チンケな造船能力しかなく、壊れては修理してなんとか回している帝国とは大違いだ。
頬に手を当てると笑っている。助かると分かると現金なものだ。

しかしアサバスカなど聞いたことがない。米海軍の新型艦艇だろうか。データバンクを呼び出す。
米国軍艦アサバスカ…………
………
……


米海軍太平洋艦隊所属、潜水戦術機母艦『アサバスカ』艦載機A-6×2

潜水母艦。凄いものが助けにきたものだ。そう思いながら無線に従い、部隊を直ちにまとめて砂浜へ移動する。
急を要する重傷者のみ救助して、他は巡洋艦到着まで待て、ということらしい。ヴィンセンスも最大船速で向かってきている。
さっきまでは絶望一色だったそれぞれの顔にも生気が戻る。半死人の操縦する撃震も指示通りになんとか後退を開始した。

波間から大きな水しぶきを上げて、A-6イントルーダー2機がその亀のような姿を現す。撤退支援に戦術機まで出すか。
続けて一際大きな飛沫が沖合に上がる。米海軍の保有する最大の潜水艦が浮上した。甲板要員が現れゴムボートを用意してゆく。
水陸両用戦術機から通信が入る。翻訳機を通していると思えない日本語だ。
――こちらシェリフ01、援護はしっかりしてやる。それと重傷者だけだ。いいな?
「了解した。米海軍の勇敢な行動に、部隊を代表して感謝する」
――アメリカに足を向けて寝ない、ってか。急げよ!
イントルーダー2機は姿勢を低くして警戒する。まだこちらにくるBETAはいない。やがてゴムボートが砂浜到着し
乗っていた水兵が引き揚げた。こちらの兵士も手伝って負傷者を乗せる。ボートには衛生兵もいて手当をしてくれた。
西野は、死んでいた。あとは。


多分、彼女は一歩も歩けないはずだ。米軍に回収を頼む。さっきから撃震はぴくりとも動いていない。
降りてこいとの命令にもほとんど反応がない。例の歪な呼吸音だけが続くのみだった。
イントルーダーが解放して、彼女を連れ出す。そっと地面に降ろされたマニピュレーターに米軍の衛生兵が駆け寄る。
無骨な手のひらには自らの血で真っ赤に染まった衛士が横たわっていた。徴兵適齢ぎりぎり、といった年齢だろうか。
まだ机を前にノートをとっていてもおかしくないようにも見える。
肩まで伸ばした髪も所々血で固まっていた。不衛生きわまりない包帯とガーゼが外されると、手当てしていた兵が思わず呻く。
くそとか、畜生とか言ったんだろう。それほど酷かった。
何らかの薬品を浸した布を当てる。消毒だろうか。傷口、というより傷面に触れるたびに体が痙攣している。
「ジャップの間ではロングヘアが流行ってるのか」
向こうの水兵がそう尋ねる。確かに戦地にあるとき長髪は邪魔でしかない。一理ある。だが、
「すべらかしは俺んなかでは流行だな」
「は?スベラ……?まぁいい。あんたの部下、もう駄目かもわからん。死んでも恨むなよ」
「俺の部下じゃない。彼女はロイヤルガードだ。まぁ、負担にならない程度に治療を頼む」
斯衛と聞いて驚いていた。壮年のいかつい丈夫でも想像していたのだろう。確かに陸軍から選抜される斯衛衛士は
そういう人物も多い。彼女はどうもベテランとは違う。武家なのだろう。
応急処置が済んで、担架ごとボートに乗せられる。喉を詰めないように回復体位で。また体温を下げないように毛布にくるまれていた。
もろもろの手続を済ませるとボートが潜水艦に向けて出発する。俺は軽傷者なのでヴィンセンスまで待った。
イントルーダーが引き続き残ったが、BETAの攻撃はなく、大陸派遣軍の残りカスは皆平穏無事、米軍に回収されることとなった。



舞鶴港に入港して、日本に帰ってきた。傷が癒えるまもなくBETAの本土上陸。大混乱になったのはこの後すぐのことだ。
師団が夜逃げみたいに退却する事は何度か経験があるが、西日本の夜逃げはそうそう見られるものじゃない。
丹後街道を24時間切れ目のない車列が東へ、東へと進んでゆく様を見た。日本の全部のトラックとバスを集めたかと思うほどだ。
それとは反対に東日本各地からぞくぞくと送られてゆく兵員、物資も見た。上陸から一週間しないうちに
舞鶴も危なくなって東京の病院に移送される時に反対車線を陽炎を搭載したキャリアーの車列ともすれ違った。
最終的にBETAは関東まで到達した訳だから、あの時にすれ違った部隊は全部壊滅した、ということだろうか。


彩峰将軍が自分の首と引き替えに逃がした難民の多くは下関と佐世保で降ろされたと聞く。
様々な憶測が飛び交ったが、政府は「大多数の避難は成功した」と繰り返すばかり。
彼ら難民を助けるために犠牲になった将兵のためにも、その公式見解通りであってもらいたいものだ。



[9990] 3600万人の夏(1)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2009/07/26 00:10
1998年7月5日
高知県 市立小学校

「よし、今日の短学活は終わりだ。もう一度言うが、明日は衛士さんへの作文を忘れるんじゃないぞ」
「「はい!」」
ワイシャツにネクタイを締め、ジャージを着た先生が最後の確認事項を子供達を見渡しながら伝えた。
6時間授業であるが、子供達に疲れた様子は見えない。その様子に40台後半の教員も満足そうだ。
昨年までは教室に空調が無く、午後の授業はどうしようもなくだれた雰囲気が漂っていたが、今年からは涼しく勉学に励むことが出来るようになった。
「よろしい、それでは、さようなら!」
「「さようなら!」」
学童達の元気いっぱいの挨拶が教室にこだまする。緑の掲示板には習字の授業で書いた、個性的な筆跡の「勝利」の文字が列んでいた。
放課後になって、教室から散ってゆく子供達。生まれた時から続いていたBETAとの戦争は、まだ彼らにとっては新聞の中の出来事だった。
佐渡島から離れた、四国という地理的特性も関係していることだろう。


青々と稲穂をつける水田のあぜ道を二人の子供が駆けてゆく。30度を超える気温をものともせずに家まで競争していた。
坊主の少年が一歩も二歩もリードして、それをスポーツ刈りを伸ばしたもう一人が絶えず後ろに付くという展開だ。
「かっちゃん、おっそいぞ!僕ぁーの勝ちー!やっぱ東京っ子は駄目だな!」
そのまま自宅に着いた坊主頭が、そんな言葉を投げかける。
「はあ、はぁ……んなこたぁない!カズが元気すぎなの、じゃ、また明日ねー」
「おう!」
別れの挨拶をした後、かっちゃんと呼ばれた少年は、40戸ぐらいの小さな町のはずれにある一軒家に入っていった。

「おじさん、ただいまー!」
玄関の奥に居間があり、克輔(かつすけ)はそこに向かって大声で叫んだ。居間のテレビは、光州作戦を指導した将軍の
行動について国防大臣が議会で答弁をしている様子が中継されていた。奥から老人の声が聞こえてくる。
「克輔帰ったか、おじさんな、今から連合町会の役員会があるからな、しっかり宿題せぇよ」
「はいはい、わっかりました」
そういう返事には慣れているのだろう、まったく、という表情で克輔のおじさんは、会合に出掛けていった。
勉強する気がさらさらない克輔はランドセルを自室に放り投げるとそのまま家を飛び出した。
昨年の誕生日に買ってもらった自転車に跨り一気にスピードをつける。一心不乱に目を輝かせて走ってゆく。
目指す先には戦術機、撃震が整然と屹立する高知港の埠頭だ。


たっぷり30分はかけて克輔は目的地に到着。そこには30機を超える撃震が駐機していた。真夏の太陽はコンクリートの埠頭を容赦なく照りつけ、
遠くには逃げ水がよく見える。戦術機母艦2隻と大型RORO船、輸送艦が停泊し、87式自走整備支援担架や、軍用トラックも数多く下船していた。かなり大規模な部隊である。
本土防衛軍の整備兵が戦術機のチェックをしたり、弾薬を運び出している姿を彼はわくわくしながら見ていた。
その中でも彼が一際注目したのが、撃震だ。学校の見学で軍の四国方面の司令部のある善通寺まで行った時に見せてもらって以来で、感激もひとしおである。
「やっぱり戦術機はかっこいいなぁ!」
無骨なショルダーアーマーが特徴の、重量級の第一世代戦術機をおー、はぁー、などとため息をつきながらつぶさに観察している。
作業している兵士達も、微笑ましげにその様子を見守っていた。

「おちびさん、そんなに撃震がめずらしい?」
強化服を身にまとった、若い女性衛士が克輔の後ろから声をかける。相当暑いようで、左手に持った書類をうちわ代わりにしていた。
戦術機に釘付けになっていた克輔はびっくりして振り向き、声の主が子供達の"ヒーロー"であるとわかって歓声をあげた。
「お姉さんもしかしてコレに乗ってるの!?衛士なの!?」
「そ、そうだよ、北陸からこっちに来たところ、おっと」
あまりのはしゃぎ様に衛士はもてあまし気味だ。水筒に口を付けようとしたら強引に右手をとられ握手を求められる。
彼女はそれに少し照れながら応じた。


「へー、やっぱり今時の子供もやるんだ。私が小学生の時も男子はやってたかな。好きな奴は中学行ってもやってたよ」
「お姉さんの時もそうだったんだ!それでね、不知火は一番人気でね、なかなかやらせてもらえないんだ……。5、6年生のお兄さんがやっちゃうから」
近くの空き箱に二人は腰を下ろして雑談に花を咲かせていた。衛士は自機の点検も終わり、暇をもてあましていたようで、
克輔が熱く語る今時の"戦術機ごっこ"事情に興味深そうに耳を傾けていた。
「え?みんなが不知火をやればいいじゃない。BETA役はしょうがないけど……」
少年の説明に浮かんだ率直な疑問を尋ねる女性衛士。それを聞いた克輔はこれ見よがしに大きなため息をついて、大げさに肩をすくませた。
「な、何よ……感じ悪い」
「日本は全部の戦術機を不知火に出来るほど、お金持ちじゃないでしょー。最近はリアリティも大事でね、"旧式"の撃震役も大事なの!」
「旧式機の衛士で悪かったわね!この!」
捕まえようとする女性衛士と、それをすばしっこく逃げ回る少年。股の下をくぐったり、高くジャンプしたりで彼女は
完全に翻弄されて、ついには足元がもつれて尻餅をついてしまった。
「いったぁ!やった、な……?」
お返しとばかりに克輔に飛びかかろうとした女性衛士であったが、少年の様子が先ほどと違うことに気が付いた。視線の先には
戦術機母艦に便乗するのを待っている傷病兵の姿が。五体満足なところを見ると、精神を患った兵士のようだ。
「ど、どうしたの?」
「僕あの人たち嫌い。パパもママも兵隊ですごくすごく忙しくて、全然会いに来てくれない。
 それなのにあの人達は臆病すぎるってだけで、病院でずる休みしてる……」
衛士は何か言おうとしたが、結局何も口にしなかった。気まずくなった克輔は一礼すると自転車に跨って後ろを振り返らず走り去った。
「臆病、か……」
彼女は手のひらを見下ろしながらそう呟いていた。



*   *   *


7月6日

「よーし、全員作文は持ってきたみたいだな。それじゃあ何人かあてるから音読するように!」
翌日の国語の授業。教師がそう言うと、えーーっという声があがる。子供達は不満そうだが教師は意に介さない。
「先生や、仲間にも聞かせられないものを、衛士さんに送っちゃいかんだろ。では……国見克輔!読め!」
自分にあたらなくて済んだと周りがほっとする中、克輔だけびくっとなってあわてて机の中から作文用紙を取り出す。
すぐには見つからず焦っていると、先生がせかしてくる。なんとか見つけ出して、立って手を前に真っ直ぐ伸ばして
読み始めた。

 衛士さんへ

                4年1組 国見 克輔
 
 衛士さん、お元気ですか。僕たちは高知に住んでいますが、衛士さんたちのおかげで元気です。
衛士さんは僕たちの中であこがれです。ヒーローです。僕もいっぱい勉強して、体育もがんばって
戦術機に乗ってお兄さん、お姉さんたちといっしょに日本を守りたいです。
 この前のニュースで知ったのですが、BETAが攻めてくると衛士さんは、時には二日間も三日間も
寝ないでずーーっとそうじゅう席で待機していなくてはいけないこともあるとやっていました。
 僕は宿題をやるのがいやで、ほっておいて夜から始めて遅くまでかかってしまったことがあります。
次の日は体育とかがとても大変で、先生にも怒られました。それを二日間も続けられるなんて
凄いと思います。でも、体は大事にして下さい。東京の友だちのお父さんは戦車兵でしたが
戦死をされました。友だちはすごく悲しくていっぱい泣いていました。
 殿下の日本は大好きです。でも衛士さんも大好きです。どちらかしか選べないのはいやです。

宿題を先延ばしにした下りでは教室のそこここから笑いが上がったが、その後の内容は少年少女には
やや重い内容だった。読み終わった克輔はまっすぐに先生の方を向いて立っている。
先生は、克輔が宿題をあまりしっかりやってこないことを知っていて、叱るためにあてたが思いの外
よくまとまった文章で驚いていた。彼の手元には軍事保護院の通達、つまり軍当局からの慰問状についての指導を記した書類があるが、
彼の作文はその指導を非常によく反映した内容だった。すなわち可憐で無邪気であること、粉飾少なく、ありのままの
ものを送るように要請がきていたのだが、それによく適うものだった。
「うん、いい文章だ。座ってよろしい。他のみんなも自分が体験したことと結びつけて書くと
 より人の気持ちに届く文章が書けるぞ。よし、次は……」
そこまで言ったところで、校内放送用のスピーカーが音を立て始める。特に避難訓練などの予定は無く、教師も怪訝そうにスピーカーを見ていた。



――私は内閣総理大臣の榊是親です。このテレビ、ラジオを聞いている国民の皆さん、声を御掛け合いになって
  一人でも多くの方がこの放送を聴けるようにご協力下さい。
緊急放送である。ぶら下がり取材などで聞き慣れた、榊首相の太く、低い声が流れてきた。公共機関の全防災無線を使って流しているようで、
外でもスピーカーから同じ内容が流されていた。今頃全国のテレビにはカメラの前で厳しい表情の榊首相が映っていることだろう。
先生のただならぬ雰囲気を察して生徒達も静かにしている。
――まず、絶対に恐慌状態にならないようにしてください。パニックは何も生みません。絶対に、重ねて申し上げますが絶対に冷静に行動し、
  軍、行政、警察の指導に従うようにして下さい。
前置きが何度も言葉を変えて繰り返されている。教室にも緊張が走る。
――たった今、海軍の報告で重慶ハイヴより、大規模BETA群が九州へ向かっているとの報告が入りました。これを受け、政府は憲法14条の規定に基づき非常事態宣言を発令します。
  繰り返します、政府は非常事態宣言を発令します。九州の防備は、海軍、陸の西部方面軍を始め、万全の体制で水際での迎撃を行いますが、万が一に備え一部疎開を
  実施するものです。BETAによる侵攻は当初より想定されていたことです。指定地域の皆様は避難袋を持ち、演習通りに指定の避難場所に集合し……



生徒達にざわめきが広がる。それを教師が一喝した。また教室はラジオの音声と、セミの鳴き声だけの空間に戻る。
榊首相の非常事態宣言は全土に布かれ、特に九州は軍に広汎な権限が与えられたこと、フェリーなどの内航連絡船に、疎開者の移送を
指導する可能性があることなどが示された。そして、これからも政府の情報に注意すること、再度パニックにならないようにとの指示が出て緊急放送は終わった。
「よし、聞いての通りだ。級長、先生は職員室に戻るから、算数の自習をやっているように。いいね?」
級長の少女が頷く。それを確認すると教師は足早に職員室へと向かっていった。
結局算数の自習は30分で終わった。高知県知事が、県内の全ての学校を休校とすることを決定したからだ。



[9990] 3600万人の夏(2)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2009/07/26 00:11
授業が突然終わってしまってすることがない。克輔は一旦帰宅したが叔父は「ラジオのことで町会の人と話し合いをしてきます」
と書き置きを残して留守だった。家にいても仕方がないので、親友の坊主頭、岡添和範(おかぞえかずのり)を誘って夏の海岸をほっつきあるいていた。
話題は当然、緊急放送についてだった。新聞や、ニュースで「大陸ではBETAが町を襲撃している
明日は我が身、日本も準備を整えなくてはならない」という話は耳にたこができるほど聞かされていたが、二人はそれ程深刻に受けとめていなかった。
「いやーでも、大丈夫じゃろ、BETAは九州で撃退されっしょ?」
「そうかなぁ……。あっ、あれ!」
克輔が指を差す先には、国道56号中村街道をゆく車列だ。濃緑色の軍用トラック、ジープ、そして装甲兵員輸送車、さらに
戦車までもが西へ向かって移動している。一部のトラックには機械化歩兵装甲を積載している。
これだけの部隊の移動を目にするのは二人は初めてだった。お互いに、何か釈然としない物が残る。
「あれ、どのくらいの部隊かな」
「どうだろ、連隊とか、もっと?」
海岸沿いを歩いていると、先に撃震が稼働しているのが見えた。なんとはなしに二人はそちらへ歩いてゆく。会話はいつの間にか途切れていた。
視線を町に向けると、曇り空の下、慌ただしく防衛の準備が進められている。警察官が、トラックに車止めを載せている。
向こうでは機動隊員が小銃射撃の訓練をしていた。
市の広報車がスピーカーで、自家用車での移動を差し控えるようにと繰り返し言っている。
町のおばさんや、おじいさんが鞄や籠一杯に保存食を買って自転車に載せて走っていた。
大きな音が響いて、二人が空を仰ぎ見ると、CH-47輸送ヘリコプターが5機編隊で九州を目指して飛行していた。ローター音が地上に反射して、大きく轟いている。
なんだか、克輔は自分がいる所が、やっとなじんできた町ではないような、そんな気持がした。


大きなRORO船が霧笛を鳴らし、南西に向かって航行している。さらに遠くにはどうもカーフェリーの様な船も数隻見える。
非常事態宣言を受け、疎開を命令されたのが、福岡、佐賀、長崎、大分、熊本の5県。
福岡の490万を筆頭に5県の人口の合計はおよそ1000万人。これを順次疎開させるのは、日本始まって以来の大事業であろう。
陸上は軍用物資の輸送が優先されるため、国民の避難は主にフェリーなどの船舶があてられる事になり、
西日本の内航海運船舶は根こそぎ政府の命令で、福岡や、佐世保目指して運航していた。
そして目を引くのが、巨大な砲塔をいくつも備え、高い艦橋のそびえる戦艦だ。4隻が1列縦隊でこれまた鹿児島の方に向けて波を切っていた。
「あっちのは油槽船じゃない、戦術機母艦だよ!」
「ホントだ。土佐湾にこんなに船がいるの、初めてじゃない?」
「やっぱり結構、九州、危ないのかも……」
「そーんな、おっこうな。ラジオでも"万全の体制"って言ってたじゃん」
「だといいけど」
楽天的な和範と比べて、克輔はなんだか胸騒ぎのような物を感じていた。これまで日本は本土に攻撃を受けたことはなく、
帝国軍は無傷と言っていいと、この前学校に講演に来ていた将校が言っていた事を思い出した。
その時に光州作戦のについて一言も触れなかった時に感じたのと似ている、そう克輔は振り返る。

やってきた埠頭は、遊びに来た克輔を受け入れてくれた昨日とうって変わって、とげとげしい厳しさに包まれていた。
停泊していた戦術機母艦や、輸送船はもう出航してしまったようだ。
慌ただしく仮設されたテントに出入りする、強化装備の衛士や兵士。工事現場の様な笛の音。戦術機の歩行音。
「オーライ!オーライ!オーライ!オラーイ!ストープ!」
整然と立っていた撃震は、一機ずつ、地上の整備兵の誘導を受けながらトレーラーに横たわっていった。
克輔は昨日、撃震ばかりに気をとられていて気が付いていなかったが、多数のトラックと相当数のテントがある所を見る限りでは
戦術機部隊の他に、連隊規模の歩兵部隊も野営しているようだ。資材も多く保有する予備隊のようである。
いつでも移動できるように兵士達がテントをたたんでトラックに納めていた。

その様子を、二人で眺めていて、どれくらい経っただろうか。それまで土佐の地を強く照らしていた太陽が隠れ、
ねずみ色の雨雲が空を覆いだしていた。
「「あ」」
そろそろ帰ろうかと思っていた克輔と、件の女性衛士の目があった。丁度彼女は自分の機体をトレーラーに横たえさせ、
操縦席から出てきたところだった。
「え、知り合い?」
和範が二人の顔を交互に見ながら不思議そうにしている。
「ほらほら、ラジオは聞いてるでしょ、こんな所で遊んでちゃ駄目だよ」
まったく、と怒ろうとした衛士の頭を水滴がぽつりと叩いた。まわりにぽつぽつと雨粒が落ち始める。
作業していた整備員たちが「降り出したか」「くそ」っと悪態をつく。
「残っている弾薬箱を早くトラックに入れろ!急げ!」
後ろで下士官がどなって、荷物の搭載を急かしている。兵士達が露天のトラックにシートをかけたりと慌ただしく
防水対策の仕上げをしていた。
すぐに本降りになった雨の中で3人は少しの間立ちすくんで、
「傘は持ってない、みたいだね」
「あ、うん」
「仕方がないなぁ……。私の部隊に移動命令が出るまではトレーラーの中で雨宿りしていっていいよ」
突然の提案に驚く二人。そんな彼らの背中を押して、彼女は一番近くのトレーラーまで運んでいってしまう。
「え、でも非常事態宣言で軍隊は今、大忙しなんでしょ。悪い」
「こんな中歩いて帰ったら風邪ひいちゃうでしょ、ほらほら」
そのまま、梯子を登ってトレーラーの扉を開けて中に二人は入れられてしまった。トラックの運転席みたいなものを想像していたら
相当広い。運転席は2列有り、後ろは大人一人横になるのには十分なシートがそこにあった。
克輔がパワーウィンドーを空けて、外を見下ろすと雨の中で彼女は部隊長らしき人と何か話をしていた。
「斯波(しば)中尉、うちの部隊が待機中だからってなぁ。まぁ、西部方面予備だから、すぐに移動は無いだろうがね……」
「でしょう?それに我々が余裕の無い所を市民に見せるのは、あまりうまいやり方じゃないですよ」
「本当に上陸したら休めなくなるからな、今はお前の好きにしろ。あと、中四国の地形は頭に叩き込んでおけよ」
「了解!」
そこで話を切り上げると、斯波と呼ばれた衛士もトレーラーの中に入ってきて、うー濡れた濡れたとタオルで髪を拭いていた。
髪は頬にかかるか、かからないかであまり揃えずにカットされている。克輔がまじまじと見ていると、彼女も気が付いて
顔に何かついてる?と手で拭ったりしていた。ぷいと顔を背ける克輔。それをニヤニヤしながら和範は見守っていた。
「強化装備考えた奴ってさ、絶対、スケベだよな」
「!」
急に和範にそう耳元でささやかれた克輔は、生唾を飲み込んだ。黒いプロテクターに覆われているとはいえ、しなやかな肢体。
そして和範の意見に同意せざるをえない、胸とへそを強調する緑の柔軟素材。髪をぬぐう姿も艶やかに見えてしまう。
「ぼ、僕の衛士への思いはそんなんじゃないもん!」
「え、なに?」
「何でもない!」
口走ってしまった言葉を真っ赤になって否定する克輔。和範がにんまり笑っていたのは記すまでもない。


「ええ、克輔君を今こちらで預かっておりますので……ええ……いえ、そんなことは……」
車内の電話で斯波中尉は克輔から番号をきいて、彼のおじさんに預かっている旨の連絡をしていた。雨は一向に止む気配がなく
運転席の天井をバタバタと叩き続けていた。フロントウィンドウにも雨が流れ続けている。
「その事についてはお答えできかねます。その、軍機という訳ではなくてですね、ですから……」
ちょっとの間預かるというだけにしては随分な長電話だ。話の内容から、本土侵攻について訪ねられているようだ。
彼女は頭をかきながら言葉を選んで返事をしていた。

「ふぅ、終わった」
「随分、長電話だったね。えっと、斯波中尉?おじさん、色々聞いたの?」
「斯波中尉なんて、軍人じゃないんだから、弥凪子(みなこ)さん、でいいよ」
「え、あの……」
まぁなんでもいいけどさ、と言いながら大きなパネルを取り出して、四国の三次元地図を表示させて、地形の確認をする弥凪子。
「その、本土侵攻って、大丈夫なのかなって……」
克輔の頭にぽん、と手が置かれる。彼女は笑顔だった。
「大丈夫だって、克輔君。昨日、ここにいっぱい撃震が列んでいるのを見たでしょ。今はトレーラーに載っけちゃってるけど」
頷く克輔。和範はシートの上で居眠りをしていた。弥凪子がタオルを彼にかけてやりながら話を続ける。
「九州にはあの10倍以上、もっともっと戦術機が海を見張っていて、こんな"旧式"機ばっかりじゃなくて陽炎とか不知火を
 持っている部隊もたくさんある。米軍もいる。あと海辺を歩いてきたなら見えたんじゃないかな、戦艦紀伊。あの51cm砲はどんなBETAもこっぱみじんだよ」
だから大丈夫、とにこりと笑った。"旧式"にアクセントが置かれたときは、克輔は少し居心地が悪そうだったが、素直な微笑みを向けられて
安心したようだった。

それから1時間くらいしただろうか、そろそろ夕方という時刻にさしかかっているものの、雨は止む気配がない。
「止まないね」
「気象台の話だと、明日いっぱいまでは確実に降り続けるみたい。台風とか言ってたかな。
 高知は結構降るんだね。年間2500mm……。流石にジープで送るわけにはいかないし」
「じゃあ、戦術機で」
「いや、それはもっと無理だから」
3人でそんな話をしていると、彼女と同じ隊らしい衛士が駆けよってきて報告した。
「中隊長、文民の国見さんという方が、お見えですが」
「あ、それ僕のおじさん」
会合が一区切り着いて、克輔のおじさんが野営地までやってきたのだ。和範は名残惜しいようだった。87式自走整備支援担架に
一般人が乗れる機会などそうそうない。降りようとしたところで和範がなにか見つけてごそごそとやっている。
「おじさんを待たせちゃいけないよ、うん?ポラロイドカメラ?」
和範が取り出したのはポラロイドカメラだ。軍のマークが入った、装備品である。撮ってほしいと
顔が訴えていた。弥凪子が克輔の方を向くと目が同じ輝きをしていた。それを見て弥凪子は少し逡巡したが、すぐに視線に押し切られてしまった。
「う~ん、左高(さたか)少尉、その、ちょっと頼まれてくれますか」
「は?」
そう言ってポラロイドを渡すと衛士も理解した。少年二人の間に弥凪子が入って肩を組む形。彼女は仕方ないな、という感じながらもくったくのない笑顔、
和範はピースをして、克輔は照れくさそうに敬礼をしていた。なにより、胸が彼の背中におしあたっていたのだ。穏やかではない。
「はい、撮りますよ。はい、チーズ!」
フラッシュが焚かれ、カメラの下から一枚、写真が出てくる。もう一枚撮って一枚ずつ貰った。感づかれないようにそっと離れる克輔。
まだ画面は真っ黒であるにもかかわらず、和範は覗き込んで大はしゃぎしていた。
どんな感じに写ったかしらと和範の写真を弥凪子が覗き込んでいる間、克輔は左高と呼ばれた衛士に話しかけていた。
「お兄さんって弥凪子さんの中隊の衛士なんでしょ。弥凪子さんって部隊ではどんな感じなの?」
「みなちゃ、じゃない、斯波中尉は温厚で、人望も厚い方だよ。若くして中隊長で苦労もあるだろうに、愚痴言ってるの、見たことがないな。
 まぁでも、部隊でも基本、あんな感じだよ」
そういって左高少尉は苦笑しながら和範からポラロイドカメラを取り返そうとして騒いでいる弥凪子を指さした。
「あー、影では"みなちゃん"って呼んでるんだ」
「あっはぁっはっはっはぁ……」
なんとも怪しげな笑い声が年若い衛士の口から漏れ、そしてそれは克輔に伝染した。そうこうしているうちにカメラを回収した弥凪子がやってくる。
「はぁ……はぁ……。もぅ、これは大サービスなんだよ。あんまり撮ると怒られるんだから。ほらほら、おじさん待ってるよ」
「今度は戦術機に乗せてね!」
「あ、僕も僕も!」
「部隊に入ったらいくらでも乗せてあげるよ。はい、じゃあね!」
そう別れの挨拶をして、二人はおじさんの所へ駆けていった。中頃まで行ってまた弥凪子の方に振り返って大きく手を振っている。
彼女は左高といっしょに手を振ってこたえた。雨脚は、さらに強くなっていた。


*   *   *


7月7日

しとしとと雨が降り続ける昼下がり、克輔は家の自分の部屋で寝込んでいた。おじさんは、
朝に「雨に打たれたからだ、学校もないし、しっかり寝ていなさい」と残して、レインコートを着て出ていった。
警察から市民が軍への奉仕活動をするにあたっての注意があると話していた。
昨日は少し雨の中にいたとはいえ、ほとんどの時間をトレーラー内で過ごしていた。それが理由ではないと克輔は思う。
むしろ、日本にBETAが上陸する、その不安が頭に居座り続けた結果、熱が出てしまったと自分では感じていた。
「それにしても静かだな……」
昼まで聞いていたラジオも切ってしまった。ラジオではBETAの水際阻止は失敗し、帝国軍は大きな損害を出しながらも
福岡、佐賀、長崎の三県で一進一退の迎撃戦を行っているとの話を繰り返すのみだ。九州は疎開地域が広がったり
進入禁止地域が読み上げられたりするが、日本地理があまり得意でない克輔の関心をあまり引かなかった。

四国は九州、中国地方にBETAが侵攻した場合に巨大な橋頭堡となることが期待され、今も続々と本土から淡路島を通って
部隊が集結中の筈である。しかし、高知はいたって平穏であった。軍の主力はよく整備された高松自動車道から松山自動車道を
主に使用して四国西部各地に展開しているようである。唯一、彼に関係があったのは高知県内を走る土讃線が
戦時ダイヤに変更され、民間人の使用には、許可が必要であるとの放送だった。

何か、運動会が雨で中止になったとか、そういった様な休み。陰鬱で、ちっとも時間が過ぎてゆかない感触が似ている。
「早く非常事態宣言、解除されないかな」
そう呟いて、克輔はまた浅い眠りに落ちていった。


*   *   *

7月7日18時 高知港

――総員、乗車完了しました!
――本部了解。偵察小隊を先頭に、出発せよ。目標、松山市、繰り返す、目標、松山市。長い雨だ、土砂崩れ等には十分注意しろ。
  それとまさかと思うが、BETAの浸透もありうるからな。そっちも警戒を怠るなよ。
――了解!
撃震のコックピットに収まる弥凪子の網膜には、次々と部隊移動についての連絡や地図、指示などが映し出され、
矢継ぎ早に無線連絡が耳に入ってくる。昨日まで笑顔だった彼女に、今は感情を外から読み取ることは出来ない。
各部隊の移動状況や、移動先の気象条件、他の部隊の展開状況などを確認しつつも、片時も目を離せないのが広域戦略地図だ。
西日本がすっぽり収まった地図にBETAの勢力圏を示す赤のエリアが広がっていた。
九州はBETA上陸からほとんど日が経っていないにもかかわらず、福岡、佐賀、長崎、熊本が完全に赤く塗りつぶされていた。
そして侵略者の大群は、帝国軍の想定を遙かに上回る速度で中国地方に進撃、山口県に幾重にも築かれていたはずの防衛線を突破し、
先鋒は広島市に到達していた。流石に海軍の根拠地、呉を抱えるだけあり、猛烈な対地支援砲撃を戦艦が降らせているのだろう、
現時点ではそこでなんとか戦線を保持しているようだ。

弥凪子の愛機を乗せた自走支援担架も動き出したようで、震動をコックピットに伝えてくる。台風が接近しているようで、外の雨脚は
さらに強くなっていた。一通りの情報を確認し終えると、弥凪子は目を閉じ、静かに息を吐いた。
――斯波中尉、この、事態は……
小隊間通信で左高機から無線が入る。通信ウィンドウの左高は少し狼狽した様子だ。
ゆっくり弥凪子は目を開いてそれに答える。最初は落ち着いて、最後は少し茶化すように。
「少尉、大丈夫。どうも第一セットはBETAの完勝みたいだけど、試合はこれからよ。本土と、四国の両面、それに瀬戸内の海軍部隊が連携攻撃をしかければ、
どれだけBETAが数を揃えたって問題じゃない。それに今まで見てきたけど、左高少尉は撃震の能力を十二分に引き出しているよ。自信を持って!」
――そう、でしょうか。私の操縦技術はそこまで秀でているように自分では感じられないのですが。
「射撃、格闘戦闘はまぁ、うん、普通だけど、殊、回避機動の腕は部隊一じゃないの?ちょっと前の新潟で凄い避け方してたじゃない。
 斯衛隊員にも引けをとらないよ」
あそこまで避けられると芸術的だよねと加えて、笑顔で伝える。言われた直後は何か反論しようとしていた左高だったが、
喉から出かかっている物を引っ込めた。顔を両手の平で叩いて気合いを入れる仕草をする。顔つきは精悍な少尉に戻っていた。
「本土侵攻という事態に少し、浮き足立っていたようです」
「あ、いい顔に戻った。左高君もいつもそうなら申し分ないんだけどな、あははは」
――か、からかわないで下さい!
「はいはい」
そこで弥凪子から通信を終えた。話し終わるとコックピットの狭さがより強く意識されるようになる。
西部方面司令部からは自走支援担架で戦術機を輸送する場合、衛士は必ず搭乗している事、
との命令が出されたのはつい先頃だ。トレーラーに載せられた戦術機に乗っている弥凪子は雨の中、仰向けに寝ているような気持だった。
防水の分厚いシートで機体が完全に覆われているため、外の様子は分からず、濃緑色の繊維が視界一杯に広がるだけだ。
正直、網膜投影はこういう状態が一番目が疲れる。目にべったりとシートが張り付いているような感覚を覚えるからだ。
目を揉んで、少しでもその感触を紛らわそうと工夫する弥凪子だった。


*   *   *


時計が午後7時を指す頃、克輔は薄暗い自宅で一人で合成食品を食べていた。いつもはおじさんと家事を分担する為、料理もそれなりに
出来るが、一日中寝ていて体がだるかったのでそんな元気が無かったのだ。お椀に乾麺を入れてお湯をかけていると
電話が鳴る。おじさんからは今日は市庁舎に泊まりがけと既に連絡があった。何か変わったことがあったのだろうか。
「はい、もしもし国見です」
――あ、かっちゃん?俺、和範じゃけど、電話連絡網があったんだ。明日登校だって。7時半に学校の校庭に集合って言われた。
「明日登校?県の偉い人がずっとお休みって指示を出したんじゃなかったっけ?」
――愛媛とかから避難してくる人がいるらしくて、学校を仮の宿屋さんにすっから4,5,6年生はそのお手伝いだって。
  掃除したり、机出したりするみたいだよ。
「ギリギリ僕らも入っちゃったか……」
その後、雨合羽、軍手やタオルが必要といった細々とした話をして電話は終わった。連絡網が最後までまわったことを学校に伝えた後、
克輔が即席麺に手をつけたら、生ぬるくのびていた。それを無言ですする。雨音の中で、7時を告げる柱時計が、ぼーん、ぼーんと
低いベルを鳴らした。



[9990] 3600万人の夏(3)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2009/07/26 00:12
7月8日 夕刻

最上階の階段の踊り場で体を伸ばしたり、腕を回したりして筋肉をほぐす少年が二人。
「あぁぁぁぁーーーっ、疲れたぁぁぁ……」
「やってらんねーー!」
朝から昼時を除いて、ずっと働いていた克輔と和範は、自分の担当が大体終わったところで逃げ出していた。
これ以上働いていたら明日立てなくなりそうになるくらいだった。朝、体育館に4~6年生が集められると、愛媛からの避難民の方々が
こちらに向かっている、この小学校は船が来るまでの間は避難所となることになった、もうバスはすぐそこまで来ている、などなど
校長先生が訓辞を述べた後、二人は雨の中テントを建てたり、体育館で人が寝泊まり出来るようにモップがけをしたり、
毛布の運び込みもやったりした。体育館だけでは足りないから教室も使って貰うことになって、
机を積み上げて廊下に出すなど、学期末の大掃除をまとめてやったような忙しさだった。
そしてなんとか受け入れの準備が終わると今度は炊き出しである。

愛媛県以外にも、広島県や山口県そして九州からはるばる逃げてきた人もおり、学校で給食を食べたり、休みに来たりする人の
流れが絶えることがなかった。避難民はほぼ例外なくバスや列車にすし詰めにされたようで、疲れ切っていた。
中には天井のないトラックに乗せられた人もいるらしくて服のまま川に飛び込んで上がってきたみたいな人もかなりいた。
大けがをした人は、市立病院に運び込まれたが、軽傷の人は手当だけで学校で食事をしていた。

そういった中で克輔の料理のスキルがアダとなった。彼は炊き出し班の担当になり、
ドラム缶みたいな鍋で豚汁を作ったり、山のような食材を備蓄倉庫に取りに行かされたり、これも負けず劣らず重労働をやらされたのだ。
最初の内こそガタガタ震えている避難民の人たちが暖かい豚汁を食べて生気を取り戻している姿にやりがいを見たが、
それをやり続けているとかき混ぜる手は痛くなる、コンロの前に居続けるために暑いで、どうしようもなかった。
「それに僕は飯作りが終わると、すれ違うたびに他の仕事を押しつけて。もう、やってらんないよ」
「俺もせっかく建てたテントをやっぱり強風だからって潰すのやったよ。だったら最初から組み立てなきゃいいのにな」
克輔は鍋などの調理器具、食器を洗い終わると、今度はびしょ濡れで校内を避難民が歩き回るため、廊下のぞうきんがけをやらされた。
彼が耐えられなかったのはトイレ清掃である。特に個室は形容しがたい状態で、その掃除が終わったところで逃げ出してきたのだ。
二人は今、階段の最上部、屋上に出る扉のある踊り場にしゃがみ込んでくたくたになった体を休めていた。
「ふぅ、ぁーー眠……」
「明日もやらされんの?」
「さぁ……、知らん」
ひとしきり不満をぶちまけると、二人に強烈な疲労と睡魔が襲ってくる。一日立ちん坊で働き続けたのだ、無理はない。
彼らが眠りに落ちるまではすぐであった。



*   *   *



7月8日 市立小学校 深夜


台風の音だけでない、喧騒で克輔は目を覚ました。和範はまだ壁にもたれ掛かって涎を垂らしていびきをかいている。
下の方が随分うるさい。罵声や、悲鳴、拡声器の声が入り交じっている。克輔は、ニュースで見た某国のデモ隊と警察の衝突を思い出した。
ちょうど雰囲気はそんな感じである。なんか人が押し合いへし合いをしているみたいだし……?
階段は吹き抜けになっており、二人が潜んでいた4階からは1階まで見下ろすことが出来る。何が起きているのかと下を覗いたらそこは
「こっちにも入ってきたぞ!!闘士級だぁぁ!」「向こうでもBETAを見たって話だ!」「なんでなんの警報もないのよ!?」
克輔の理解を超えた事態が広がっていた。闘士級?BETAを"見た"?そんな馬鹿な事が有るわけがないと、彼の脳が理解することを拒否する。だが。

「うわっ!」
フラッシュを焚いたような激しい閃光と、連続した銃声。下で警察官二人が自動小銃を発砲しながら後ずさりしている。
警察官と言っても、白いヘルメットに、防弾衣をまとい、弾盒を腰に巻いたほとんど軍人と変わらない姿だ。
その警察官の脇をたくさんの人が走り抜けてゆく。みんな必死の形相で、隣の人を突き飛ばして逃げる人もいた。
「か、かっちゃん……まっこと?何?俺……」
和範も銃声で目を覚まして、恐る恐る下を覗き見ている。彼も何か夢の出来事のようにとらえているようだ。
「畜生、当たらないぞ!?」
警察官の悲鳴が上がる。現れた。激しく銃撃する警察官に飛びかかる白い影。それが警察官と交差した瞬間、
警官の首が無くなり、大量の血が廊下にぶちまけられる。廊下の向こうからあがる悲鳴。
さらに後ろから兵士級のBETAが数体追いかけてゆくのが見えた。散発的な銃声。窓ガラスの割れる音、BETAのくぐもった雄叫びが混ざり合う。
二人は凍り付いてその地獄を最上階から見続けていた。兵士級や闘士級の対人認識能力は高く、気づかれなかったのは幸運である。
それは上階に行かずとも、BETAが走れば大量の避難民と遭遇し、手当たり次第に殺害できたから、行く必要がなかったからであった。

「こ、ここはすぐ見つかっちゃう!屋上に出よう!」
「かっちゃん!?」
克輔はそういって、和範の手を引いて屋上への扉の鍵を開ける。子供が勝手に出られないようにプラスチックのカバーがかけてあったが、
それを壊して解錠し、雨の叩きつける屋上に逃げ出した。二人が出てから扉を閉じる。一目散に校庭が見える側のフェンスに駆け寄ると。
「うわ……ぁ……」
二人とも、声が出なかった。県営交通のバスが何台も横倒しにされたり、潰されたりして雨の中でも炎上し、深夜の高知市を明るくさせている。
その"焚き火"に照らし出されるのは、屠殺の風景だった。兵士級BETAが避難民の足にかじりつきながら、その腕で子供の胴体を引きちぎっている。
かじりつかれた難民はまだ生きていて、なんとか外そうとするが儚い努力であった。すぐに頭から囓られて、内蔵をぶちまけて死んだ。
校庭は死屍累々をそのまま現していた。今、下に降りれば絶対に死ぬだろう。30や40ではきかない死体をBETAが弄んでいるのだ。
校舎脇の体育館。二人は今朝から敷物を敷いたり、柔道用の畳を敷いて簡易の宿泊所にした。
今の時間だと疲れ切った500人を超える難民達が泥のように眠っている筈だ。
その体育館の扉という扉に兵士級BETAが殺到している。次々と中に入り込んでゆく。一体の戦車級BETAが壁をぶちやぶって侵入していた。
「あ、あれ、よ、要塞、級」
和範が指さす先には、市街地を我が物顔で闊歩する要塞級の影があった。深夜でも70m近い要塞級のシルエットは見間違えるはずがない。
衝角が次々と民家の間に落ちてゆく。数度衝角を叩きつけると爆発が上がった。自動車か何かを刺したのだろうか。
炎の中にクリーム色をしたグロテスクな物体が浮かび上がる。その目が克輔とあったような気がした。
「なんで、こんな、お姉さんは、大丈夫だって言ってたのに、どうして」
校舎に大きな震動が伝わる。隣にあったベンチが大きく跳ね上がり、鉢植えが砕けた。二人はフェンスに掴まってなんとか転倒を避けた。
要撃級が校舎を突き抜けて行ったのだ。所々であがる散発的な銃声と爆発。
遠くの悲鳴は台風の激しい雨音が掻き消していたが、学校の周りだけでも幼児の大泣きする声、
雄叫び、悲鳴、嗚咽がまじりあって奇妙な世界となって克輔と和範を囲み、心を蝕んでいった。


*   *   *


高知警察署 同時刻 

「撃て!撃て!撃てぇ!BETAをこれ以上寄らせるなぁ!」
五階建ての変哲もない警察署の全ての窓が銃眼となって自動小銃の雨をBETAに浴びせかけていた。署の正面にある駐車場は
BETAと警官と市民の死体で埋め尽くされている。所どころにひっくり返ったパトカーや、踏みつぶされた乗用車が炎を上げていた。
「階段で一人やられた!俺が応援に行くぞ!」
「了解!畜生ぉ!全然数がへらねぇ!」
一人の警察官が、窓を離れて署内の階段へ走って向かう。ぎこちない手つきで64式小銃の再装填を行いコッキングをする。
リノリウム製の階段では5人の警察官がBETAが中3階の踊り場に顔を出した瞬間、弾幕射撃を浴びせて侵入を必死で食い止めていた。
中には拳銃で速射をしている者もいる。小銃が不足してきているのだ。

「野郎、これでも喰らえ!」
手榴弾のピンを抜き、レバーを外して階段下に投げ込む。2階の廊下で炸裂音、くぐもったBETAの呻き。闘士級の"鼻"の一部が
踊り場の壁に飛ばされ、いやな音をたててへばりついた。そうこうする内にも数体の兵士級が上がってくる。
6人の小銃の放つ弾幕で肉塊に変えられるが、BETAにはまったくひるんだ様子は無く、次々に新手を繰り出してきた。
それぞれが弾切れのタイミングがずれるように、呼吸を合わせながら弾を浴びせ続ける。
「う、ぅお!?ゆ、床が!?」
警官が陣を張っていた床が崩れ落ちた。数名の警官が為す術もなく下の階に転落する。穴からは戦車級の赤い指が顔を出していた。
下では咀嚼する音と、一瞬前まで隣で共に銃を撃っていた同僚の絶叫が。ぼりぼりという音と共に大量の血液が階段にまき散らされる。
「ひぃっ、やめろ、いや、ぎゃぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!!!」
あらん限りの声で発せられた悲鳴が、署内全体に広がる。窓からBETA相手に射撃していた職員にも届いた。
「階段での阻止失敗!上がってくるぞ!阻止失敗!」
その大声の報告と同時に、7、8名の警察官が窓際からデスクの各所に散らばり小銃を構える。階段からは時間をおかずに
兵士級、闘士級が飛び込んできた。一体は、その"鼻"で生首を掴んでいた。戦車級は体がつかえてまだ出てこられない。
もとは机がならび、多くの書類と資料が積み上がったありふれた職場であったところが、香港映画さながらの銃撃戦が生起していた。
デスクの陰に隠れながら移動して発砲する職員、警官と、どう猛に机を足場に飛び込んでくる闘士級。
時折手榴弾が投げ込まれ、その度に兵士級や、闘士級のBETAが破壊され、のたうち回ったりするが、その増援は留まるところを知らない。


高知港 同時刻

高知港は台風に備えて陸に固定してあった漁船を、なんとか降ろしてこの大時化の中で出航しようと格闘する漁師と避難民で溢れていた。
救命胴衣をまいている暇など全くない。とにかく必死で固定してあるロープを切断し、船を押し出す。
後ろからは十数体の戦車級と兵士級が迫ってくる。
「よぉし、いってまぇ!!」
船はなんとか港内に滑り出た。そこに飛び込む漁師、避難民も数人飛び込む。ぶらんこのような状態の船内でなんとか舵輪までたどりついたが
そこまでだった。戦車級BETAもためらいなく飛びついてきたのである。10t近くの重量がある戦車級に乗り込まれて漁船は転覆、
乗り込んだ者達も激しい波に呑まれて見えなくなった。
船から放り出された漁師はなんとか息を吸おうと藻掻くが、濁流に揉まれてすぐに見えなくなった。

波間には彼ら以外にも無謀にも海に出ようとした漁船の舳先や、漁具などが波が打ち付けるたびに頭を出したり沈んだりを繰り返していた。
その間を埋めるように、海に飛び込むしかなかった人たちの骸も波間に見え隠れし、
現在もBETAが新たに人間を追いつめ、海に追い落としていた。


「もう嫌だぁ!!」「ここまで、福岡から逃げてきてここで終わりかよ!」「海軍は!?海軍はどこ!?」
本州行きのフェリーにいち早く乗れる筈だった人々が、流通倉庫に逃げ込んでゆく。待っていたときは2000人を超えていたが、
BETAの襲撃でちりぢりになり、流通倉庫に逃げ込んでコンテナの影やキャットウォークに伏せて身を潜めている人物は数えるほどしかいない。
真っ暗な倉庫の中に、ひたひたと闘士級の足音が響き渡る。一体や二体ではない。多数が入り込んで落ち武者狩りの如き執念で
人間を殺害にきたのだ。まだ就学するかしないかの娘をぎゅっと抱きしめて目をつぶる母親。子供もしっかり目を閉じて
コンテナの影に隠れていた。気配を消すように、息を殺して。

「あ……ぁ……」
母親が何かの気配に目を開いた瞬間、兵士級の人間の数倍もある腕力から放たれた拳が母親の肩から上をぺしゃんこにしてしまう。
赤いコンテナがさらに朱に染まる。子供は、母が死んだことを理解するまもなく、兵士級の口が頭を砕いて事切れた。
対角線上の方からも悲鳴が上がる、コンテナが倒される、天井近くにあるクレーンが大きく揺れる。
北側の薄い鉄板製の壁に大穴があいて、戦車級も人間狩りに加わった。コンテナや棚を蹴散らしながら人間を捜し回っている。
まだBETAの手にかかっていない人も、BETAが発する破壊音や足音、いななきに、最早運命にはあらがえない事を悟るのだった。
最早、流通倉庫から、いや、ここから生きては出られないと。



*   *   *



「偵察隊斯波中尉、左高少尉両名、ただ今、戻りました!」
参謀本部の命令を受けて、急遽引き返し、高知市外縁に到達した西部方面軍予備の第18独立旅団は、到着が一足遅かった事を知った。
高知市中心部から西10kmの地点である仁淀川を越えたところで本隊は停止、現在状況を探っている。
今でも周辺を先発隊の戦術機や装甲車、歩兵部隊が展開してBETAと散発的に交戦している。
しかし、大方のBETAは高知市内で暴れ回っていると観測された。停車したトラックから次々と降車する歩兵。
トラックからは米国製ハーディマンの改良型である改73式機械化歩兵装甲に身を包んだ部隊が現れる。
搭載の重機関銃や、アームの最終点検を実施していた。豪雨という悪条件、中国地方を正面に展開する背後
をBETAに攻撃された危機的状況であるにも関わらず、動揺はあまり見られない。占領地奪還の闘志に燃える部隊が次々と展開してゆく。

偵察に出た戦術機部隊の報告を待つまでもなく、暗視装置を覗けば市内の随所から雨に消されぬ火の手が上がり、
要塞級BETAが5~6体、闊歩する様子は確認できる。侵略者共が破壊の限りを尽くしていることは明白だ。
既に予備隊は何度かBETAと遭遇、それらを退けながらここまで到達したのだ。
雨の中、本部となる82式指揮通信車の狭い車内で、旅団長、戦術機甲大隊長、機装化中隊(機械化歩兵装甲部隊)長が集まって
壁に設置された小さなモニタを見ながら偵察に出た衛士の報告を受ける。長距離無線機は、高知市を囲むように
展開を開始した部隊の状況を逐次伝えていた。おおむね準備は完了しつつある。
「この地図で言う、高知商業前駅、旭駅付近まで進出し、情報を収集しました。BETA戦力は少なくとも旅団規模に相当、
 ただし構成は兵士級、闘士級を中心とし要撃級、戦車級は一般的な編成の割合と比べるとかなり少なめの感触を得ました。
 光線級は……」
よどみなく弥凪子が各部隊のトップを相手に報告をし、質問に的確に回答してゆく。それを左高は非常に頼もしく感じた。
「で、最大の懸案だが、市民はどうなっている?BETAの展開状況についてはよーく分かった。次の問題はそこだ」
「市民については、その、避難命令等の勧告が出された様子もなく、まったくBETAと入り交じって混乱、統制を
 失っている状態です。まだ相当数の市民は存命で我々の一刻も早い救助を祈っている所だと考えます。
 偵察に出たときも、搭乗機を見て危険を顧みず縋り付いてくる市民もいた、程です」
それを引きはがしてここまで後退してきたのだろう。弥凪子の顔に陰りが見える。それを聞いた旅団長の大佐が
うーんと唸る。強襲を仕掛けた場合、市民とBETAを区別して攻撃するのは無理な相談だからだ。
「悩んでいる場合ではないでしょう。報告によれば小型種中心。直ちに戦術機を三方から投入、次いで歩兵隊を浸透させ
 高知市中央部を奪回する。参謀本部、西部方面司令部が我々に下した命令は、高知市民の救助ではない。
 四国後方地域の安定の確保であることをお忘れ無く」
強化装備の戦術機甲大隊長の意見に一同、顔が曇る。どう転んでも市民に甚大な損害が出るのは確実だからだ。
特に手持ちの小火器で戦う歩兵部隊は懸念の色が濃い。
――こちら第3混成隊、重倉、重倉の障害を排除しました。いつでも市内に突入できます!損害、戦術機中破1、機装兵全損2、戦死4、負傷9……
高知市のほぼ真北にある重倉に進出していた部隊が占領完了の報告を送ってくる。あとは本部の命令で高知市中心部に北、西、南の三方から
戦術機がまず突入してBETAを攪乱、機を逸せず装甲車等に分乗した歩兵隊が突入して市内からBETAを全力で駆逐することになる。
「高知自動車道を南下している15連隊は?」
「15連隊はBETA群の先頭が中国地方に睨みをきかせている西部方面主力の背後を襲う姿勢を見せたため、
 南下を中止、展開して迎撃準備にあたっていると」
「我々だけでやるしか、ない、か」
指揮官達の腹づもりは決まったようである。部隊内で最も階級の高い旅団長が結論を出す。
「予定通り、0030を持って高知市に強襲を仕掛け、BETA群を駆逐する。目標は高知市中央部の奪回と、高知港を占領下に置くことの2点だ」
異論は出されなかった。




*   *   *



7月9日 0052時

深夜の住宅街に砲声と銃声。多数の火線が引かれる。民家を一軒一軒確保しながら進む歩兵隊の上には全高17mの巨人が援護射撃を行う。
高知市内全域で苛烈な市街戦が行われていた。直接支援を行う81mm迫撃砲弾がBETAの集団に雨と共に降り注ぎ、
その合間を縫うように歩兵が前進していた。
「正面の目抜き通りに避難民の集団、およそ数400!小型種BETAに捕捉され統制を失っている模様!」
小さな町工場の影で、小隊長に曹長が報告する。その後ろを装輪装甲車が通過し、戦術機が打ち漏らしたBETAに機関銃射撃を浴びせていた。
下士官が怒鳴り声を上げて、部下を配置につけ射撃を下令、迫ってくる闘士級や、戦車級の接近を阻止していた。
「機関銃を使ってBETAを一掃しろ!避難民に一部あててもかまわん!」
「りょ、了解!分隊機関銃前へ!分隊機関銃前へ!商店街に展開するBETAを一掃しろ!」
片側2車線の商店街で逃げまどう市民とそれを襲うBETA。そこに4挺の機関銃が向けられる。
さらに高機動車の車載重機関銃も加わり、照準があわせられ、
「撃て!」
5条の曳光弾が作り出す光の線が、次々とBETAを打ち倒してゆく。3点発射で市民に馬乗りになる兵士級が次々と肉塊へと変わる。
避難民は同じ日本人から銃撃を受け、混乱は極限に達し、十数名が流れ弾に当たって、叫び声を上げていた。
あらかたBETAを撃破したところで重機関銃を搭載した96式装輪装甲車を先頭に歩兵部隊が市の中心を目指して、腰を落としながら走ってゆく。
水たまりを蹴る多数の軍靴の音が、荒廃した市のシャッターが降りた商店街に響く。
避難民は急いで装甲車に轢かれないように、道路脇へ逃げる。そこを無言で通り過ぎてゆく歩兵小隊。
それを焦点の合わない目で眺める避難民達だった。



――こちらオレンジ00、戦術機が後ろに居てどうする!装甲車の前に出て要撃級や、戦車級を早く始末しろ!
「サーベラス02了解。サーベラス14、予定通り国道56号沿いに前進せよ」
――サーベラス14了解!国道56号沿いに前進します!
斯波機の操縦席には次々と足元に展開して市内に食い込んでゆく各歩兵小隊から支援要請や、指示が次々と飛び込んでくる。
彼女の直接支援する旅団の第三大隊の砲撃要請に応えつつ、僚機のサーベラス14に街道から進撃させるよう伝えた。
やや後ろからライフルを発砲していた撃震が、ジャンプユニットに火を入れ、小刻みに跳躍することで前進を開始。
「こちらオレンジ12、中隊規模の戦車級、国道56号上ポイントSを我が方に向かい移動中、繰り返す……」
無線連絡と同時に、彼女の視界の隅に撮影されたデジタル画像が表示される。中隊規模であるならば歩兵隊の手持ち装備
だけでは対応できない。直ちにサーベラス14に転送、阻止を命令する。
一際大きいジャンプを行い、歩兵部隊を飛び越したその瞬間であった。
辺りを明るくさせる二筋のレーザーが前進する撃震の腰部を貫く。一瞬おいて推進剤に引火、大爆発を起こした。
――きゃあぁぁ!!火が、火が!!あぁぁぁあぁ――!!
「14!!14!!」
――戦車級接近!戦車級接近!後退!後退!
サーベラス14から悲鳴が上がるのと、弥凪子が叫んだのは同時だった。直ちに行動に移る。
彼女は僚機の損害をカバーするべく、水平跳躍で建物を影に国道まで滑り出て、後退する小隊を援護する、が間に合わない。
装甲車などはなんとか彼女の機体の足元を銃撃しながらすり抜けてゆくが、徒歩歩兵は既に何人か食われ、悲痛な叫びが彼女の
耳に入ってくる。機体をしゃがませ、巨大な娯楽施設を楯にしながら右腕だけを出して戦車級に砲撃を浴びせる。
踏みつぶした乗用車が爆発を上げるが彼女に気にしている余裕はない。
「くうぅっ!こちらサーベラス02、ここからは光線級が確認できない!」
――オレンジ08にやらせる、その位置で阻止射撃を継続せよ
「お願いだから、早く!」
――急がせる
まだバイタルを確認すると彼女の僚機の女性衛士は火災で体を焼かれながらも生きていることが分かる。
弥凪子は何とか擱座したサーベラス14に戦車級を接近させぬ様、懸命に36mm砲で射撃する。支援の迫撃砲弾も落下するが
しかし数が足りない、既に数体が機体を取り巻いて、コックピットブロックに取り付こうとしていた。
――助けて下さい中尉!戦車級が!目の前に、ひいっ、いやぁっ!
彼女は味方による光線級撃破の報を待ち続けるしかない。



衛士からの悲痛な無線が入る中、近くの小高い山の上に築かれた石本神社境内に展開していた分隊狙撃班のオレンジ08に光線級撃破の命令が下る。
緑の覆い茂る丘にあって、木々が途切れ、市内がよく見渡せる点にM82型対物ライフルを伏せて構える射手が狙撃眼鏡を覗き込んでいた。
射手を中心に暗視装置を持った観測員、護衛の小銃兵、通信兵が伏せたり、立て膝で周りを警戒する。
――こちらオレンジ00、照明弾発射5秒前、4、3……
カウントが終わると同時に目標地域に照明弾が打ち上げられる。雨は小降りに近づいていた。
「光線級発見、数1、目標"4"と目標"8"の間だ、距離およそ800m。見えるか」
観測員が昼間のように明るい照明弾の中で光線級を発見、あらかじめ割り振った建物の番号を用いて射手に位置を伝える。
雨は小降りになりつつあるものの、視界は悪い。
「よし、見えた……」
射手の緊張が最高点に高まる。外せば撃破された撃震の衛士の命は無い。引き金にかかった人差し指が次第に握り込まれる。

鋭い発砲音と同時に射手がやや押し戻される。マズルブレーキから噴煙が吹き出され、
雨で重くなった落ち葉をも巻き上げられ、一拍遅れて薬莢が地面に落ちた。
観測員が発射された徹甲焼夷弾の行方を追う。観測員の高倍率双眼鏡の中で、水色の化け物の側面に命中、
汚い体液を吹き出しながら二、三歩よろめいて倒れ込んだ。
「目標に命中!撃破!」
通信兵が直ちに本部に命中を報告、そこからほとんど間をおかずに
施設の陰に隠れていた撃震が長刀を抜きはなって水平跳躍をし、戦車級の波に斬り込んでゆく。
援護に81mm迫撃砲弾が次々と戦車級の集団に落着する。観測員の双眼鏡には一度後退した歩兵部隊が
次々と小銃擲弾や40mm擲弾を放つ姿も映された。



*   *   *



7月9日 0214時

校舎屋上に隠れた二人にも戦闘の様子はよく見えた。戦術機が跳躍ユニットから青白い炎を引いて縦横無尽にBETAを狩っている。
恐怖のどん底にあった中で、二人はその活躍を縋るように見つめていた。というより、そうして周りのことを忘れていないと
どうにかなってしまいそうだったのだ。校舎の周りは完全に人が死に絶えたものの、BETAの姿は依然多い。
「やっぱり、衛士って凄いんだな……」
「うん、ほら!またあそこで要塞級を!やった!凄い凄い!」
克輔の目に要塞級が足を何本も叩き斬られ、体勢を崩して解体される姿が入ってくる。
その戦術機は要塞級の背中に乗ると、首をたたき落として、返り血を浴びる。その姿は剣豪そのものであった。
軍の頼もしさ、戦術機の勇壮さに二人が心を奪われいた瞬間、更に一機の撃震が学校に向けて正対、野球の野手の様に何かを投げ上げた。
克輔には暗くて何が飛んだかは見えなかったが、目で追っているとそれは上空で炸裂、もうもうと上がる黒煙と共に炎が傘のように広がった。
「うわっ!」
目の前が真っ赤になる。校庭や、民家が文字通り火の海に包まれ、屋上にも着弾。激しい熱風が彼らの脇を通り過ぎる。
下ではありとあらゆるものが轟々と燃えていた。コンクリートも、土の表面でさえも盛んに炎をあげていたのだ。ナパーム弾であった。
「な、なんだこれ!熱い!すっげぇ熱い!」
近くで燃える炎にたまらず逃げ出す和範。克輔もよろよろと金網から離れ、伏せる。そこへ風を切る音が響き出す。
克輔が星も見えない夜空を見上げるが何も見えない、ただ、なんの音であるかは知っていた。
今の今まで幾度と無く聞いていた砲弾が落ちてくる音。
「ちょ、ちょっと和範!落ちてくる!砲弾が――」
克輔のその動揺した声と、そう広くない学校の屋上で砲弾が炸裂したのはほぼ同じタイミングだった。
コンクリートの破片がばらばらと克輔の周りに落ちてくる。さらに学校一帯、いや市内一帯に砲弾が落着し始めた。
校舎の側面にも数発が命中、伏せている克輔が少し浮くほどの震動を与える、フェンスがひしゃけて倒れ始めた。
第18独立旅団に自走砲の増援が加わったのだ。それまで手控えられていた市一帯への砲撃である。
軍に余裕が無くなったのだ。次々と民家や倉庫に着弾、ビニールハウスがバラバラになり、町中に噴煙が昇る。
市の他の地区でも二人の近くで炸裂したのと同じ、ナパーム弾の燃え盛る傘がいくつも開いていた。
つばを吐きながら、なんとか周りの様子を調べる克輔。親友が背中を丸めて呻いていた。
「和範!ちょっと、大丈夫!?」
「ぐぐぐぐ……背中、背中が痛い!」
体を震わせる和範の背中を見ると、手の平大のコンクリート片が深々と突き刺さっていた。
一気に克輔の顔が青くなる。すぐにこれは取り除いてはいけないと頭が反応する。出血を早めるだけだ。
早く誰かに連絡しなくては、でも方法が分からない。叫べばいいのか?何か目印になる物は?とにかく励まし続けなければ!
頭の中で次々とこれらの事が去来し、必死に落ち着こうとする克輔。
「せ、背中はそう酷くない。少し、切れてるだけ」
「嘘だ、めちゃくちゃ痛い、たまらねぇ」
「動転してるんだよ、これ食べて落ち着いて、もうすぐ、もうすぐ軍隊が来て助けてくれるから、絶対きてくれるから!」
そう言ってポケットからキャラメルの箱を取り出して和範の口に一つ入れてやる。
「クソ、なんでBETAじゃなくて、軍隊の弾で、死ななくちゃ、いけないんだ。あいつら、高知をガレキの山にする気……」
「死なないよ!絶対大丈夫!だから今は静かにしていて!」
そう和範が怨嗟の言葉を呟く間にも砲弾は次々と落着する。克輔は不安そうに真っ暗な夜空を見上げる。さっき屋上で砲弾が炸裂したのだから
完全に砲撃されるエリアに入っている。自分たちの他にもBETAから逃れた人たちはまだ居るはずだ。
そこへ戦術機が一帯を焼き払う手投げ弾を使って、砲弾が次々と落ちてくる。砲弾が炸裂する轟音は1~2秒に一発という早いペースで
BETA、市民の財産を分けることなく破壊してゆく。軍隊は自分たちを守ってくれるのではないのか。
克輔は何がなんだかよくわからなくなっていた。とにかく和範の肩を抱きかかえ大丈夫、もう助けが来ると励まし続ける。
その姿はむしろ自分に言い聞かせているようでもあった。



[9990] 3600万人の夏(4)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2009/07/26 00:14
7月9日 0438時

――レッド00よりHQ、レッド00よりHQ。こちら浦戸大橋を確保、繰り返す浦戸大橋を確保。戦闘による損傷有り。工兵隊を要請する。
――HQ了解。高知新港確保は戦術機部隊の応援を待って行う。大橋の確保を継続せよ。
――後詰めの三矢支隊、土讃線沿いに枝川を通過。南嶺の南側、旧春野町へ向け進行中。到着予定時刻……
――グリーン01、新国分川橋に戦車級10を確認!戦術機の支援を要請する!
――HQ了解。ホーク02にあたらせる。

長かった雨もあがり、海の向こうがほのかに明るくなりだす頃、大勢は決しつつあった。独立18旅団は市街戦による甚大な損害を被りながらも、
高知市内の要所を次々と確保、残敵掃討に移りつつある。上空には先ほどから攻撃ヘリもホバリングし、上空からハゲタカのごとく獲物を漁っていた。
ワイン色と言えば愛酒家が怒るだろうか、BETAの体液を全身に浴びた弥凪子の駆る撃震も、HQの指示を受けながら残る戦車級、要撃級に砲弾を叩き込んでゆく。
戦術機が一歩街道を歩くたびに電線が切れ、下では車が潰れる。コンクリート舗装の道路が陥没する。塀が倒れる。まったくもって
市街戦に向かない兵器であった。縦横無尽に暴れ回れるならまだ戦術機の特性が生かせるという物だが、歩兵支援は機動力を殺す、最も不向きな任務だ。
「それはBETAも同じ、か」
弥凪子の視線の先には百貨店に突っ込んだ所を背後から120mm砲弾を何発も喰らって息絶えた突撃級があった。
ため息をつきながら彼女は中隊の状態を表すアイコンを呼び出す。目の前で光線級にやられ、大やけどを負った衛士の他にも、市のそれぞれの地域で
歩兵科の援護に当たっていた部隊員は2名が戦死、3名が負傷で戦列を離れていた。左高は無事であるが中隊の戦力はほぼ半減であった。

「ん?」
レーダーがBETAを探知し、警告音を鳴らす。機体を旋回させてロックオン表示のある辺りをズームすると
校舎の壁面を戦車級が器用に昇っていた。納屋でたまに見かけるアシダカグモの様である。展開する歩兵に警告してから
トリガーに指をかけ発砲する。停止した戦術機から放たれたタングステン鋼砲弾はほぼ全て命中、赤い侵略者はバラバラになりながら校庭に落下してゆく。
「でも、なんであんな所にBETAが?」
不思議に思った彼女は機首を校舎へ向ける。荒廃した市立小学校。155mm榴弾を何発も受けてガラスは全てはじけ飛び、壁面はかなり崩れていた。
残った壁面もかなりが焼夷剤に焼かれ黒ずんでいる。慎重に前進してゆくと、そこには――
「……」
弥凪子に言葉は無かった。殆ど形を留めない車の破片や、がれきの間に真っ黒焦げになった人間の一部や、BETAであっただろうものが、多数見える。
天井が焼け落ちた体育館は特に酷かった。中は見るに堪えない。小学校は避難所であったと彼女は推察した。それだけに人も多く、
飛び込んできたBETAも多かったのだ。これらはBETAがやったものであると同時に、戦術機が投げた焼夷擲弾によるものでもある。
もしこの中に、BETAの難を奇跡的に逃れた人間がいたとしても体中が発火して死んだのだ。


眉をひそめる彼女の目に、動く物がある。校舎の屋上だ。人が手を振っている。
「生存者!」
急いで拡大すると金網の裏で子供が懸命に脱いだTシャツを振って注意をひいている。それは彼女もよく見知った少年だった。
「か、克輔君!?……こちらサーベラス02、"目標……35"付近の小学校で生存者を発見。児童1、いや違う、2名の模様」
――HQ了解。徹底的に砲爆撃したわりには生きているものだな。すぐ近くの小隊を向かわせる。
彼女の視界の左上にあらわれたHQとの交信が終わり、再度克輔達に視線を向けるとシャツを先ほどよりも大げさに振っている。
左から右に、フルスイングで顔も切迫した表情だ。
「左?」
彼女から見てTシャツを振られた方向に顔を向けた瞬間だった。メデュームの前腕が彼女の目を覆い尽くす。
訓練と実戦で鍛えられた反射で、ペダルを踏み込みバックステップをかけるが、20年前の設計の愛機では反応しきれず
前腕の一撃を大腿部に思い切り喰らった。操縦室の中で跳ねとばされる弥凪子。脳をゆらされて彼女の思考は大きく阻害される。
「ぁが………かはっ!ごほッ………そ、……」
したたかに背中をうった弥凪子は大きく咳き込み、激痛にあえぐ。内臓を強く圧迫され目の前がレッドアウトする。
後退跳躍中に打撃を受けた撃震は半壊した民家に投げ出されるように突っ込む。突撃砲はひしゃげて破損、焼けこげた地面に砲身から突き刺さった。
必死に追加装甲を掲げて防ごうとするが、明らかに正常でない駆動音を響かせ、撃震は彼女の操作に応えない。
四脚で猛然と距離を詰めてくる要撃級。グレーの塗料が付着した前腕が再度振り上げられる。
「ひっ」
思わず手で顔を庇う彼女の直前で、そのサソリのような体が爆散した。恐る恐る手を下ろすと煙の中からAH-1コブラが現れる。
――バカヤロー!音紋に注意してなかったのか!
ヘリの操縦士からの罵声が彼女の耳に入ってくる。弥凪子はなんとか返答しようとするが、息が詰まって声が出なかった。
さらに先ほど救助要請に応じた歩兵隊が到着し、校内に警戒しながら踏み込んでゆく。
その後の大隊長の彼女への苛烈な説教は、十数分後に左高の機体に助け起こされるまで続いた。



*   *   *



7月9日 1005時

奪還した高知港では、急ピッチで船を受け入れる用意が進められていた。
旅団の指揮官は兵達に高知は四国防衛の要、BETAに対する反撃の起点となると説明したが、一向に輸送船が来る気配はない。
それでも仮の桟橋を造るために戦術機が動員され、貴重な撃震が腰まで海に浸かって資材を工兵と共同して連結する作業にあたっている。
市内も主要な地域は掃討が終わり、市民や避難民もやっと顔を出し始めていた。
克輔が校舎上から見下ろしていた時は、本当に高知市がゴーストタウンになったんじゃないか、というくらい人の姿は
絶えていたが、なんとか命ながらえた人も多かったようである。
しかしその中でも無傷で済んだ人は非常に幸運で、多くの負傷者がまだ形を留めていた市立病院や軍の救護所に
詰めかけていた。克輔もまた、軍の救護テントの隣に露天で寝かされている和範につきそっていた。
和範の背中に刺さったコンクリート片は、内臓近くまで達していて危険な状態だったが、治療が早かったお陰で大事無いようだ。
何より軍の部隊によって担ぎ込まれた為、早めに診て貰えたのだ。

克輔が周りを見渡すと酷い物だった。軍が用意したテントは全く足りず、多くの人が露天に転がされている。
マットレスが敷いてあるのはまだ良い方で、コンクリートに直に横たわっている負傷者も多かった。
BETAによって腕を失った人、足を失った人、砲弾の破片を全身に受け、包帯を体中にまかれている人。
怪我人は、叫んだり、怒り出したり、さめざめと泣いたり、十人十色の受け止め方をしている。
「玲香……ッ!」
その中で、左高少尉も名前を呼ぶだけで他に声を出すことも出来ず、横たわった女性衛士の手を
両手で握ってぼろぼろと涙をこぼしていた。レーザーの直撃を受けた機体の女性衛士だ。全身に大火傷を負っている。
レーザー種が仕留められた後、弥凪子が単機で戦車級を蹴散らし、
すぐに救助されたものの、間に合ったとはとても言えない状態であった。
髪の大半は焼かれ、顔じゅうに包帯が巻かれている。水を飲ませられるように口は開けられていたが
唇は焼けこげたベーコンのような、醜い有機物になりはてていた。
それを眉を寄せて、俯きながら厳しい表情で見つめる弥凪子の姿もそこにある。
「あ……」
克輔は声をかけようとしたが、とても出来るような様子ではなかった。あの、一昨日笑顔で写真撮影に応じてくれた
気さくなお姉さんとは、まるで別人の彼女がそこにあったのだ。そっと弥凪子が左高の肩に手をのせる。
彼女もかける言葉が見あたらない。元はといえば彼女の拙速な側面もあった前進命令にも原因があるのだから。


「おい!そこの衛士!」
重苦しい二人の衛士の悲しみを、粗野な声が破る。左高は周りが見えなくなっているようで手を握ったまま微動だにしない。
弥凪子が振り返ると所々焦げた跡の残る水色の夏期制服を着た警察官が立っていて、
「うぐぅぅっ!」
全く手加減のない上段正拳突きが、彼女の小さな顔に叩き込まれた。大柄な警察官の鍛え上げられた一撃は
軽い弥凪子を2~3mは突き飛ばし、彼女はそのまま舗装の上に倒れ込む。強化装備だった為、一際大きな音をたてた。
威力は抜群で倒れ込んだ彼女は、すぐには起きあがれず顔を押さえて呻いていた。
「な……っ、ふ、ふざけているのか!」
上官をいきなり殴られた左高は驚いて跳ね起き、警察官に正対する。負傷した女性衛士の手が落ちた。
左高の目は怒りに染まって、今にも二人で殴り合いが起きそうだ。そこへ、なんとか立ち上がった弥凪子の制止の声が割って入る。
「や、めて……、左、高少尉」
「しかし!」
「やめなさい!」
他の負傷者といっしょに遠巻きにその様子を眺めていた克輔にも、彼女の大声の制止は届いた。今まで彼の聞いた事のない声色だった。
徒手格闘の姿勢を解いて、後じさる左高。おぼつかない足取りで前に出てくる弥凪子の鼻からは鼻血が細長い線を引いていた。
押さえても止まる様子がない。
「あんたらが、何個も使った焼夷擲弾で、こんなに、ナパームで体を焼かれた人がいるってのに、部下一人ぐらいでめそめそ
 泣きやがって!ふざけているのはどっちの方だ!」
拳を強く握りしめる警察官の目にも涙が浮かんでいた。その男と弥凪子は目を合わせることが出来ず、視線を落とす。
左高は警察官の剣幕に気圧されていた。警察官の言うように、BETAに四肢を奪われたり、殺されかけた人と同じくらい
酷い火傷をおった負傷者も多い。肺への火傷は特に悲惨で、ヒュー、ヒューという苦しげな呼吸音をさせ、生き地獄を味わっていた。
軍の攻撃で負傷した人たちは、憤る警察官と同じ視線を衛士達に向けていた。
「そりゃあ、BETAが集まっている地域に使うと効果的に奴らを殺せるのかもしれないがな、BETAが溜まっている
 ってことは、そこに市民が多数いるって事に想像が及ばなかったってのか!こっちが必死で誘導して……それを……それを……」
見れば彼も腕に包帯を巻き、制服も焼けている。BETAが跋扈する中、榴弾の雨をかいくぐってなんとか市民を避難させようと
懸命に活動していたことがそこからだけでも読み取れた。衛士二人を糾弾する言葉はそこで嗚咽が取って代わる。

高知県警は軍がほとんど不在の中、行政の最前線として八面六臂の活動を繰り広げていたのだ。
郷土防衛隊員の指揮から、消防と連携しての消火、救助、そしてBETAの濁流の中での避難場所の確保に全力を挙げていた。
BETAの本土侵攻が現実の脅威と認識されてから、警察にも自動小銃や手榴弾が配布され、機動隊も準軍隊として
市民を守れる様に訓練は進められていたが、あくまで軍の補助的な役割としか考えられていなかった。
全方位、市内の全域が破壊にさらされる中、3000人にちょっとの人員で全ての事象への対応を迫られた。
そんな彼らが多くの同僚を失いながらも、なんとか確保していた幾つかの避難所に軍の砲弾やナパームが襲ったのだ。
警察無線は軍からの警告を全く受信していない。なんとか自分の見える範囲の人だけでも助けようともがいた末に
同じ日本人から放った炎が人々を焼き、引き裂いた。

「人がたくさんいることは、承知の上、でした」
「んだとぉ……!」
弥凪子のぽつりと絞り出した言葉に、再度こみ上げる怒りと共に右手を引く警察官、そこに数人の別の警官が飛び込んできて
今にももう一撃喰らわせようとしていた所を取り押さえる。警察官だけあって手際はよい。
「巡査部長、やめて下さい!軍に楯突くなど……!おい、押さえろ!ですから落ち着いて下さい!」
「やめろ、俺は絶対に、絶対に許さないからな!『本土防衛軍』は何が守りたいんだ!?誰の為の組織なんだ!?
 放せ、こらぁっ!」
三人の警察官に拘束されて連れて行かれる巡査部長の投げかけた言葉の一つ一つが、立ちすくむ衛士二人を貫いてゆく。
左高は下を向き、弥凪子は握った拳を震わせながら全てを受けとめていた。
相変わらず弥凪子の鼻からは鮮血が溢れ、強化装備に朱の細い川を作っている。彼女は緩慢な動きで眉間の少し下を
押さえるがまったく意味を成さない。あまり気にとめた様子もなく、克輔達に背を向けて彼女は歩き出した。
「み、水……水……」
「あ、ま、待ってろ、すぐ冷たいのを持ってくるから」
左高は玲香と呼ばれた衛士の求めに応じて水を取りに行く。同じように弥凪子のことも気になったが彼の体はあいにく一つだ。
後ろ髪を引かれつつも、水道の方に向かって行ってしまう。彼の代わりに克輔が、今にも倒れそうな弥凪子の後を追った。



*   *   *



廃墟となった三階建ての商業ビルの裏に隠れた弥凪子はそこで膝をついて、咳き込みながら戻していた。
とは言っても胃にろくなものが入っていなかった彼女の口から溢れるのは、唾液混じりの胃液のみ。そこに鼻血が点々と落ちる。
吐ける"物"が無いのに、吐き気だけは有るのが最も辛い。彼女は苦しそうに、何度も胸を押さえながら声を押し殺して
吐き気と格闘する。その様子を影から覗く克輔。ここ24時間の出来事は子供の心には負担が大きすぎた。
和範も砲弾で負傷した。おじさんとは連絡も付かない。そして自分の希望、日本は大丈夫と言ってくれた弥凪子があんなことになっている。
誰かに何かを話さないと、自分が保てそうになかった。早く、弥凪子さんと話がしたい。


彼女がビニール袋を取り出し、数錠のカプセルを口に放り込んだ。吐き気はなんとか収まったようで、吐瀉物からは
距離をとってシャッターを背に座り込む。相当参っていることが、克輔にも見て取れた。
頭もシャッターに預けて、手は顔を覆っていた。自分にこの前のように笑ってくれるだろうか。
克輔は、一つの思いつきを実行する。彼は足音をたてないように、そっと弥凪子が体をもたれかけるシャッターに近づいて
「わっ!」
「うわぁぁあぁああぁあぁあぁ!!」
大きな声で脅かしたら、脅かした本人が驚くくらいの悲鳴をあげて飛び起き、振り向いてきた。右手がホルスターにかかっている。
驚きのあまり、息も上がり、目も大きく見開かれた弥凪子が声の主にやっと気がついて警戒を解く。
「あぁぁ、ぁ……か、克輔、君。いつから、そこに?」
「驚きすぎ……。えっと、お姉さんが、お巡りさんに殴られたところから全部」
「あ、あ、あはははは……、学校前に続いて、みっともないところばかりだなぁ」
「学校で助けてくれたのは、お姉さんだったの!?あ、でも、あの時僕らのせいで、あと少しでBETAに……」
「そうか、言わなきゃ分かんなかったか……。あと、それは気に病むことはない。逆にお礼を言わないと。
 克輔君が注意してくれなければ、今頃ぺしゃんこだったんだから」

少年の姿を認め、笑顔を作る弥凪子。ただ、疲労の色が非常に濃い。克輔はとりあえずちり紙を彼女に差し出す。
彼女はそれを礼を言って受け取ると、こより状にして鼻に押し込んだ。
人類の剣であり、楯である衛士の鼻にティッシュが収まっている。奇妙な光景だった。
彼女の隣に克輔も腰を下ろす。体育座りで顔を足にうずめる。少しの間、二人に言葉は無かった。


「お巡りさんも言ってたけど……、なんでカズは軍隊の砲弾であんな大けがをしなくちゃいけないの?
 戦術機は僕たちをBETAから守ってくれるんじゃなかったの?なんでなの?」
「……」
弥凪子は時折咳き込みながら、少年のまっすぐな質問の答えを探す。その表情は無念さ、情けなさ、重苦しさといった
ネガティヴな感情がにじみ出ていた。
「それは、それはね、私たちのがんばりが足りなかったから。本当に、本当にごめんなさい」
「がんばり、って?」
「もっともっと訓練に一生懸命取り組んで、町の中での戦い方の勉強をしていれば、あんな焼夷擲弾とか、
 集中射撃を町に落とすことはなかったの。軍は町中でBETAとぶつかって、たくさん怪我人が出て
 戦術機が何機も倒されてね、どうしようもなくなったの。本当に、ごめんね。和範君も危うく死にかけたのに……」
絞り出すように謝罪の言葉を混ぜながら克輔の質問に丁寧に答える弥凪子。克輔が顔を覗き込むと
彼女は目を僅かに細めて破壊された床を見つめていた。
「なんで、避難訓練みたいにBETAが来る前に何も放送とかなかったの?」
「BETAがみんなが考えていたのを遙かに超える速度で襲ってきて、多分、余裕が無かったんだと思う」
「もっとたくさんで取り返しに来たら?」
「そう、だよね……。でも、増強一個旅団だったんだけどなぁ」

もっともっと聞きたいことがあるはずだが、克輔の思考はまとめることが出来ない。
今、衛士はとても忙しいはずで、質問が途切れたらすぐどこかへ行ってしまう。必死に質問を考える。
「さっき飲んでたお薬って、何?」
「あ、あれ?あれは、……痛み止めだよ。目の前でBETAに私の撃震がぶっ飛ばされたでしょう?
 撃震は後で調べたら、たいしたこと無かったみたいなんだけど、私はね、ちょっと」
「ちょっとって、お姉さん怪我したの!?」
「まぁ、ほら、ちゃんと克輔君とお話しできるんだからたいしたことじゃ無いって!」
そこまで言うと弥凪子は立ち上がった。もう、克輔のよく知る笑顔に戻っている。戻している、というのが正しいのかもしれない。
「私、そろそろ行かなくちゃいけない。本当に、和範君にはごめんなさい、って伝えておいてくれるかな」
「うん。あ、あと何かこれから相談したことがあったら、また聞きに行っていい?」
走り出そうとした弥凪子にそう声が投げかけられる。彼女は一枚の紙片を取り出した。そこにペンで
器用に書き込みをする。即席の地図がそこにあった。
「今、私の大隊の本部はここにあるから、ここ、ここに来れば会えると思う。
 哨戒任務とかあるから、いつでもって訳にはいかないけど……。じゃあ本当に行かないと」
「うん、……じゃあ、気をつけてね」
「そうだね、本当に気をつけないと、ね。それじゃあ、また!」
「またね!」
そう言って駆けてゆく弥凪子を見送る克輔は、泣きそうだった。




[9990] 3600万人の夏(5)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2009/07/26 00:17
7月9日 1140時

市内に設置されたスピーカーで高知県の児童、生徒は指定の学校に集合するように、との連絡があって
克輔も学校へ向かっていた。和範ら友達と学校帰りに寄り道したアーケードのある商店街。今は瓦礫の山と化している。
彼は眼前に広がる風景が、自分の慣れ親しんだ町とは別の場所と思いこみたかった。
しかし、随所で見知った看板や、ランドマークを目にする度に、そこが"高知市"であるということを
突き付けられ、気がつけば駆けだしていた。そうしていれば、とりあえず道路を空けるためだけに
ドーザーでどかされたBETAの死骸や、人体をキャンプファイヤーの炎に放り込む光景を直視せずに済むからだ。
死体には早くも蠅が飛び交いはじめていた。

爆音が彼の耳に飛び込む。もう聞き慣れてしまった戦術機が噴射跳躍をする時に発する推進音。
武装した撃震が次々と浦戸湾に面した、元材木置き場、現戦術機部隊の臨時拠点から飛び立ってゆく。
小刻みなジャンプを繰り返しながら、西進していた。軽快な動きである。
飛翔する撃震は、2~3機ではなく、20機近くあった。高知市の防衛の為の最低限を残し、旅団保有の戦術機全部を投入して
間髪を入れずにBETAに三分の二を攻め取られた高知の西部地域に進出、高知の安全をより確実にする任を帯びていた。
BETA本土上陸から四日目。四国のうち愛媛県の大部分はまだBETAの攻撃に耐えている。
そこを高知県が高知市まで食い込まれると、その側面を完全に危険さらすことになる。高知市奪回で疲弊した
戦術機部隊といえど、直ちに返す刀でBETAの集団と激突することが求められていたのだった。


弥凪子さんは攻撃部隊のメンバーだろうか、それとも留守番だろうか。そんな事をあれこれ考えながら克輔は学校に到着する。
毎朝くぐった校門の鉄格子の門はひしゃげて壊されている。学校名が書かれた金属製のプレートも落下していて無い。
校舎はもはや、映画のセットの様に非現実的だった。大東亜戦争の記録ビデオにあったな、と克輔は考えていた。
学校の校庭からは"グロテスクなもの"は一応撤去されていたが、克輔と和範が屋上から見下ろした光景はそうそう忘れられるものではない。
「あ、克輔、おはよう」
「おはよ」
いるだけで彼は気分が悪くなる。級友達に表面上の挨拶をしながら、アルミ製の朝礼台に向けて整列を始める。
正直、挨拶くらいしかできない。隣の友達が、もしかしたら親が死んでいるのかもしれないし、兄弟を失ったのかもしれない。
前へならえをすると、いつもの半分にも満たない長さになってしまったが、誰も何も言うことはない。
教頭の号令で全校生徒が座る。校門や要所には武装した警察官や、兵士が生き残りのBETAが子供を襲わないように警戒していた。
彼の隣を出席簿を持った担任の先生がチェックをつけながら一人一人確認してゆく。
人数が繰り返し正確に調べ上げられていた。それらが終わると正午にあわせて一分間の黙祷がある。
克輔は一旦目を閉じたが、すぐに瞼の裏に昨日の虐殺がリアルに浮かんできたため、下を向いて地面を見つめ1分間が終わるのを待った。
「みんなは、誰も彼も同じように大事な人をなくしてしまいました。しかし、苦しいのは自分だけではない、とにかく思っていること
 辛いと感じること、なんでもいいからまわりの先生、お父さん、お母さん、誰でもいいから話して下さい。一人で黙っていては絶対にいけません――」
校長の言葉は優しく、慎重に言葉を選んでいたが、それでも話が進むにつれて子供達の列からは嗚咽や、すすり泣く声が聞こえてくる。
先生達はその間をせわしなく回って一人一人に声をかけたり、頭を撫でたり、抱きしめたりしていた。

「校長先生のお話」が終わると、今度は軍人が朝礼台に昇り、拡声器をとった。眼鏡をかけた芯の細い将校だ。
「小学生の君たちは、お船がここに着いたときに一番最初にお父さん、お母さん達と乗れることになっています。
 その為にお船に乗る切符をこれから配ります。しかし切符だと、なくしてしまうといけませんので、ちょっと変わったことをします」
そう言って先生と数人の兵士が手分けして、値段シールを商品に張り付けるハンドラベラーを一回り大きくしたような
機械を持って子供達の左上腕に押しつけてゆく。少しの痛みがあるようで児童は小さく呻くが、次々と"刻印"がなされてゆく。
克輔にも回ってきて、左腕を差し出すとちくっとした痛みと共に、大きな丸の中に「優先乗船:文8-2-10005789号」
と黒く印字された。そっと触っても色がとれることも、のびることもない。
「これは、船着き場で船に乗るとき、これを見せるだけでお船に乗ることが出来ます。
 水でぬらしても消えません。軍隊か役所にある特殊な液でだけ消せます。ただし、ケガをして番号が読めなくなる事がないように
 してください。一番最後の番号の下6ケタをなるべく覚えるようにして下さい」
そう将校が拡声器で繰り返し説明している。克輔は前に座る友人の背中を叩いて話しかけた。
「ねぇ、のっちさ」
「ん?なによ、かっちゃん」
「なんでこんなもん押すのかな」
「あれだろ、お船が足りないから、子供が一番最初ってことだろ。ほら、学校に映画が来たとき見たじゃん、『タイタニック』だっけ
 『女と子供が先ですー!』って。あれじゃないの?」
「じゃあ僕ら、一番最初に安全な所にいけるんだ」
「船がくればね」
「日本はかいうんこくだから、一杯船はあるよ」
「だといいんだけどなぁ……」
そんな話をしながら、もし高知から自分がなんの連絡もしないで疎開したら、お父さんとお母さんに会えなくなるかもしれない、そんなことを
考えていると、今度は前の級友から克輔は声をかけられる。落ち着いた口ぶりだ。
「かっちゃん、おまえさ、家族、誰かやられた?」
「えっ、ぼ、僕はおじさんと二人暮らしだから。おじさんはどっかいっちゃった。昨日から会ってない。のっち、は?」
「ばあちゃんが、砲弾で死んだ」
「!……え、あの」
さらりと衝撃的なことを言われて克輔は二の句が継げない。だがそれを語った少年は自分の祖母の死に動揺しているようには見えなかった。
それを不思議に思いながら克輔は確認するように訪ねる。
「悲しい、よね……?」
「どうなんだろ、もう、俺、よくわかんねーんだわ」
「どういう意味?」
「うち、4人兄弟でさ。親父と兄貴と姉貴が軍隊入って、まず親父が死んだ。あんときはすっごく泣いたし、学校も休んだし
 かうんせ……なんとかの先生にも会った」
「う、うん」
そこまで語る少年はどこか達観していた。子供のする目ではない。
「兄貴が死んだときも泣いたよ。めっちゃ泣いた。でもさ、最後に姉貴が死んだときは、もう、悲しいとかそういうの慣れちゃったみたいでさ」
「……」
「んで、ばーちゃん死んでも、あ、そう。って感じなんだ。テレビの中の事みたいにさ。俺っておかしくなっちゃったのかな?」
「どうなん、だろ。後からじわじわと感じることもあるって……」
「そうなんかな。おれ、ばーちゃん大好きでさ、ねだれば何でも買ってくれて本当に大好きだったのに、なんで涙でないんだろ、わけわかんねーよ……」
そこまで話すと、悪い、不幸自慢だったといって前を向いてしまった。彼の前に座るのっちとは、和範も入れてよく戦術機ごっこなど
して遊んだ親友に入る友達だ。悲しいときに泣いたり、叫んだりしたい気持がわいてくる。そんな当たり前のいとなみも
BETAとの延々と続く戦争は彼ら少年少女から奪っていっていた。自分も、おじさんも、和範も、弥凪子さんも、左高少尉も。
気がつかないところで、知らぬ間に心のどこかが欠けたり、変質したりしているのだろうか。
克輔はそんな考えに行き着く。止めようとしてもそんな思索が働いてしまう。
とにかく戦争とか、人死に、怪我、BETAといった内容の思考から、彼は解放されたかった。克輔は「優先乗船」の判を見つめながら、一刻も早く
死とBETAの香りばかりする高知を逃げ出したかった。



*   *   *



7月9日 1622時

高知平野の西端部までBETAを討伐した第18独立旅団麾下の戦術機甲大隊主力は円壱型陣形を組んで部隊を停止させている。
南北を緑の山に囲まれた水田地帯。所々にまだ破壊されていないビニールハウスの棟がならんでいる。
大隊長機、B中隊長機以外、全機同心円上に配置され、抜かりなく全方位を警戒していた。
弥凪子は撃震から降りて、大破した陽炎の前で大隊長と顔を合わせている。さっきから二人の間に会話がない。
というのもその四国正面から逃げてきた衛士がもたらした情報が、重大すぎたからである。
「つまり、彼がもたらした情報を総合すると、どうなるんだ、中尉……」
「端的には、中国地方戦線の瓦解、です」
言っている弥凪子も半ば信じがたいようだった。普段は気さくで、取り乱したりしない大隊長も、今回ばかりは
黙りこくっている。視線の先には今し方、息絶えた陽炎の衛士の墓があった。弥凪子は顔面蒼白だった。いつもの明るさの欠片もない。
大隊長の口におさまった煙草の煙だけが、太陽の傾き始めた土佐の空に拡散してゆく。
大隊の、戦術機が作戦の要となる現代では、旅団そのものの脳とも言える二人の衛士の思考は、その時完全に停止していた。

大隊は順調に高知平野の掃討を進め、さしたる損害もなく、光線級が高知港を直接射程に収められない30kmの地点を
確保した。高知平野は四国山地という天然の防壁に囲まれており、高知市を奇襲されたものの、
侵入したBETAの数自体は、決して多くはなかったのである。高知港から半径30kmの安全が確保されれば
輸送艦もスムーズに入出港が可能であるし、限定的ではあるにせよ、ヘリコプター等を荷下ろしに使うことも出来る。
だが、その努力もすべて水泡に帰したのが、陽炎の情報だった。
「西部方面軍の、旅団への命令は、どうなっているのでしょう」
「さっき旅団司令部に問い合わせたが、高知港を確保し、四国後方地域を安定化せよ、から変わってないそうだ」
「むこう6時間、いえ、3時間とたたずにその命令は維持できなくなります。正直、私、泣きそうです」
「俺もだ」

BETA本土上陸から4日。帝国本土防衛軍、陸海軍、在日米軍そして国連軍の総力をあげても広島は7月8日深夜から
9日未明にかけて陥落。続いて参謀本部は、本州四国連絡橋の尾道・今治(おのみち・いまばり)ルートを死守する為、
近畿、中部日本から続々と送られてきた大半の戦力を、東広島市付近の黒瀬川流域に投入、壮絶な消耗戦が展開されていた。
順次四国に展開していた予備隊も尾道死守の為、BETAの右翼を猛攻、なんとか戦線が東広島~江津(島根県中部)間に
形成され、一大反攻作戦の時間的猶予が確保できるかと、参謀本部も判断しかけたところの出来事だった。
「島根、鳥取の複数の海岸に大規模BETA群、着上陸。浸透。寸断された帝国軍兵站線、連絡線は数知れず。
 背後を突かれた西部方面軍主力は激甚な損害を受け、作戦能力をまたたく間に喪失した」
そう呟く大隊長。煙草を吐き捨てる。弥凪子はさらに第18独立旅団にとって致命的な事実を付け加える。
「西瀬戸自動車道、健在。現在、BETA勢力下にあり。対地ミサイル飽和攻撃による破壊失敗」
本州四国連絡橋の尾道・今治ルートは無傷のまま、BETAの手に落ちたというのだ。今頃橋を通過しているのは
四国から本州へ支援に向かう戦車隊ではなく、本州から四国へ向かう戦車級の群れである。

「よし……一にも二にも高知港の死守だ、な。市民を避難させる船を入れるにしても、反撃部隊を本州から運ぶにしても
 高知港の確保は必須だ。斯波中尉、何か意見は?」
そう大隊長が結論づけ、ナンバー2の弥凪子に確認する。彼女は自嘲的な笑みを浮かべて、問うた。
「……陸続と連絡橋を渡って押し寄せるBETA群の阻止は、戦術機部隊でしか成し得ません。四国山地も、もはや気休めにしかならないでしょう。
 その任にあたるには、1個戦術機甲連隊は必須です。その連隊はどこに?」
「我々が『連隊』だ!中尉に自虐的な笑みは似合わん。この状況も笑い飛ばしてくれよ」
「は、はははは……、そんな……」
弥凪子の笑いは乾ききっていた。大隊長はきびすを返し、自機へ戻ってゆく。管制ユニットに乗り込む間際に、
「絶望的なのは百も承知だ。だが、お前は中隊長だ。そこを決して忘れるな」
「了解です。ここっきりに致します」
弥凪子はほとんど反射的にそう答えていた。いつもの笑顔をはりつけて。それを満足げに見届けると
大隊長機の撃震の管制ユニットが胸部に収まる。弥凪子も"中隊長"に戻って自分の機体へ走り出していた。



*   *   *



7月9日 2013時 高知港

克輔は地図に描かれた戦術機部隊の拠点に顔を出す。高知港内にあるおよそ1km四方の埋め立て地の一つである。
旅団の突破力の要であるだけに警備が厳しい。コンテナを積み上げて即席の見張り台にして、探照灯が設置され、周囲を照らして警戒していた。
拠点入口には臨時のゲートがおかれ、どうみても民間人が立ち入れる雰囲気ではなかった。
「なんで自分の船を出航させちゃいけないんだ!」
「あんたらに儂らを止める権利があんのか、え!?」
漁師であろうか、筋骨逞しい男達が門番の兵士にくってかかっている。
埋め立て地には漁港もおかれ、何艘も漁船が停泊していたが、その出航が禁止されているのだ。
兵士は許可がおりないから待て、と繰り返すのみだった。克輔も諦めて救護所に戻ることにした。
そもそも拠点には撃震が一機しか駐機していなかったのである。
市内の循環バスなど公共交通機関は全部止まったままの為、移動は自転車だ。
通り過ぎたスーパーは破壊され、商品は根こそぎ無くなっていた。

「また、光り出してる……」
西の方が雷が落ちるような音と共に、夜空を何度も明るくさせている。夜の喧騒といったものは今の高知市には無く、
遠くの砲声がよく届いた。四国に浸透してきたBETAの中心は香川、徳島の人口密集地へ来襲。
住民の避難は未だ完了せず、帝国軍の残余がしんがりとなって必死の遅滞戦闘を続けている。
徳島は今、東洋のダンケルクと化していた。対岸の和歌山に向けて、ありとあらゆる船を動員して避難を行っているのだ。
BETAの主攻撃は瀬戸内海に面した地方に行われたものの、それでも一個大隊の戦術機を相手にするには
まったくもって過分な勢力が高知になだれ込んできている。
完全に軍隊不信になった和範に会うのが克輔はつらく、自転車のスピードは自然に遅くなっていた。



*   *   *



7月9日 2114時 越知町

夕闇に沈む山間の町、越知町(おちちょう)。電力も絶えた同町を戦術機の武装が発する砲炎が、焼夷剤によって燃え続ける畑が、
戦場を照らし出していた。攻め立てるBETAの大群を相手に、集合、散開を繰り返しながら邀撃にあたる戦術機部隊。
住宅地は戦術機の機動と、BETAの地ならしによって完全に廃墟となっていた。
撃震の36mm砲が3点射を行い、接近する戦車級に器用に6発ずつ命中させ、足を止めさせる。
そのまま左脚を軸に全周囲から襲いかかるBETAの波に点射を行う。彼我の距離は50mを切ることもざらで、
危うい所で要撃級のフックや、取り付いてくる戦車級をかわし続ける。120mm砲は先ほどから沈黙したままだった。
「はぁぁぁぁ!」
その脇を気勢をあげて、最大推力でBETAに突入する斯波機。長刀を右腕で大きく振りかぶって、BETAのただ中へ突進、
思いきり振り降ろして要撃級を真っ二つにする。直ちに刀を返して左敵を一突き、長刀は赤色の化け物に深々と突き刺さる。
あふれ出す血しぶき、跳躍ユニットの推力を活用して後退と同時に刀を引き抜く。背後に迫る新たな要撃級。
「後敵ぃっ!」
長刀が右脚前まで払われ、左手が長刀に添えられる。切っ先が地面に一瞬付いた後、右脚が畑をえぐりながら
機体は反時計回りに捻れる。そのまま振り上げられた長刀は要撃級を寄せ付けず、これも唐竹割りにした。
だがその屍を乗り越えて、次々と襲いかかる侵略者の大群。もはや大隊に前衛と中衛の区別はなく、
それぞれ長刀を振り回して攻め寄せるBETAと斬り結んでいた。


斯波機の後ろで支援突撃砲を用いて、山地をそこここから越えてくる光線級を狙撃する打撃支援の撃震。
休む暇などない。山越えしてくる光線級が僚機を焼く前に仕留めなくてはならないのだ。
衛士は瞬きする暇も惜しんで、BETAの大海に漂う小舟のような光線級や重光線級を精密射撃する。
夜間のため、補正をかけても明るさが不足し、発見は至難を極めた。
だが、彼らは狙撃だけに専心出来る状況では全く無い。
――02より11!戦車級が2体抜けたっ!
その叫びともつかない無線を受けるやいなや、視界の拡大倍率を等倍に戻す。目の前には大きく開かれた口腔が大写しにされる。
「この野郎!」
短刀に切り替えている時間はない。撃震は自らも踏み込みつつ支援突撃砲を逆手にし、銃床を首にあたる部分に叩きつける。
もんどりをうって倒れる戦車級。素早く構え直して、ほぼゼロ距離から36mm砲弾を叩き込む。
一拍遅れて飛びかかってきた奴の口内にも2発が撃ち込まれる。
歯と歯の間から体液を吹き出して停止する異形の六脚。ざっと機体の周囲を確認して、BETAがとりあえずいないことを
確認すると光線級狩りを再開する。
「よし、次は――」
衛士が光学照準機の倍率を上げたとき、その撃震は光に包まれた。

――11大破、衛士は即死!続いて旅団より連絡、高知市真北より南下する大隊規模のBETA群を確認。サーベラス09、
  14、繰り返すサーベラス09、14を向かわせろ。
「こちら02、派遣は不可能!03隊は何をしてるの!?」
――高知自動車道を南下するBETA群の阻止に出撃、現在交戦中だ。南下中のBETAはあと20分で市外縁に到達する!
――サーベラス隊の展開する越知町を南より迂回し、土佐市に小型種を中心とするBETA侵入。
  オレンジ23歩兵中隊が接敵!

弥凪子は1個連隊は必須といった。それを三分の一に満たない消耗した一個大隊で阻止しようという企ては、
既にあちこちでほころび始めていた。大隊は一旦土佐市まで後退し、部隊の分散はさせず、散発的に南下して来るであろう
BETAに一つずつ対処することを方針としたが、一つ目の集団で既につまずいていた。
彼らが一番苦しんだのは、補給コンテナが戦域に無いことである。独立第18旅団付の戦術機甲大隊は
ハイヴ攻略部隊ではなく、歩兵連隊の直接支援が主要な任務であるため、コンテナを展開する能力がないのだ。
イナゴのごとく攻め寄せるBETAに対し、全機砲弾を最大限節約するようにとの指示が何度も出されたが、突撃前衛、
強襲前衛に割り当てられた機体はほとんど砲弾は尽き、長刀を振り回して何とか戦っている状態だった。
やや欠けはじめた月の照らす下で、長刀が閃き、血しぶきが上がる。

「ぐぅっ!」
強度限界を訴えるアラームが鳴り続ける中、長刀で戦っていた斯波機だったが、遂に要撃級を斬りつけたところで
刀身が曲がってしまった。周囲を確認すれば、戦車級、要撃級、そして多数の兵士級などがにじり寄ってくる。
「これで、最後!」
長刀は放棄、腰のラックより最後の焼夷擲弾を取り出し、放り投げる。
10数体の戦車級が焼かれるが、もともと対闘士級や対兵士級に開発された兵器だ、表層を焼かれたぐらいで
息の根を止めるには至らない個体もある。一体が体を焼かれながらも突破。
それに第一世代機特有の重量を活かした重い蹴りを加える。
「っ!?」
しかし戦車級はそれでは吹っ飛ばず、足にしがみついてきた。直ちに短刀を引き抜き、背中に突き刺す。
残弾表示は全て真っ赤。いずれも4つ列んだ0を表示していた。
――01より02!一度補給に後退しろ!それ以上体術を使うと機体が保たん!カバーに40秒後に戻る04をあてる!
「02了解、補給に後退します!」

まだ、何とか退路は確保されている。弥凪子は僚機に通告した後、大きく後退跳躍を実施。次いで反転、最大速力で戦域を後にする。
前線のたった10km後方でしかない、伊野まで進出した旅団の補給部隊と合流した。
機体を着陸させると直ちに燃料車がジャンプユニットに推進剤の注入を開始。トレーラーを用いて、
可動兵装担架システムに突撃砲と長刀を再搭載する。整備員が取り付き各部の簡易点検を始めた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
極度の緊張から一時的に解放され、呼吸を整えながら、まず彼女は服薬した。ビニールに入った錠剤はもう数も少なくなってきていた。
網膜に投影される各ステータスが赤から青に次々と変わってゆく。完全にシステム化された補給はごく短時間で完了する。
しかし機体の損傷までは野戦補給部隊では修理できない。各部に不安が残る。
特に今回は格闘戦が非常に多い。長刀で要塞級や、要撃級を斬り倒す度に機体には大きな負荷がかかっていた。
――推進剤補給完了
――87式突撃砲、近接戦闘長刀の搭載完了。手持ちは何に致しますか?
「……」
――斯波中尉?
「え、ああ。……右手は長刀、左手は突撃砲に」
――了解、今送った表示のものを使って下さい
彼女の網膜に、大型トレーラーの上に置いてある多数の長刀、突撃砲のうち一組が青く明滅する。
それを両手に掴む。リンクが繋がり、選択中の武装として認識した。
――それでは中尉、御武運を!
「ありがと、曹長。じゃ、行ってくる」

跳躍ユニットから青白い炎をたなびかせて、匍匐飛行に入ろうとした直前、大隊長より無線が入った。
――こちらサーベラス01、大隊各機に告ぐ。心強い助太刀の到着だ。バルカン小隊が海上の母艦より発進、
  援護に入る。バルカン小隊の支援下で戦線を縮小、一旦高知市まで後退する。追撃の大半はS-11でふっ飛ばす。
  それで多少は時間が稼げるはずだ。
「バルカン小隊……"JERG 10fli"……斯衛小隊が!?」
洋上に目を移し望遠にすると、確かに4機の瑞鶴がこちらに向かってきている。先頭は純白。武家の衛士の搭乗だ。
――01より02へ。02はその場で補給部隊の後退を援護、03は――
大隊長が矢継ぎ早に指示を出してゆく。目の前では補給部隊が物資をトラックやトレーラーに載せ始めていた。
弥凪子は撃震をやや前進させて、補給部隊を護衛する装甲車や高機動車と共に小型種の迎撃にかかる。
次々と死地を越えて引き揚げてくるサーベラス大隊の各機。どの機体も満身創痍であった。
――こちらバルカン小隊、貴隊の後退を援護する
ウィンドウに表示された白い強化装備に身を包んだ斯衛の衛士は、大隊の衛士達にとって頼もしいことこの上なかった。
弥凪子は大隊と共に後退を開始する。大隊全機が通過する頃に大きな爆発。複数発のS-11がBETAを葬り去る。



[9990] 3600万人の夏(6)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2009/07/26 06:49
7月9日 2235時 高知港埋立地内駐機場

広大な駐機場は大型照明の下で明るく照らし出されている。そこでサーベラス大隊の戦術機が、大急ぎの整備を受けていた。
整備兵の飛び交う指示、移動する小型車輌、燃料車、交換部品。
大隊の損耗はあまりに大きく、整備兵に与えられた資材と時間はあまりに少なく、短い。
第18独立旅団は現在補給を受けられない状況にある。徳島からも、高知港からも何も入ってこないのだ。
備蓄と撃破された機体からの部品とりを経て、気休めにも似た修理が完了した戦術機から休む間の無く出撃してゆく。
現在食い止めている部隊の主力は斯衛といえど、たった4機である。悠長にオーバーホールをしている暇は無い。

「これは、国民と殿下に対する裏切りだ!こんな、ふざけた、人道に反する……!」
その中を抑えることの出来ない怒りをぶちまけながら歩く、強化装備の左高の姿がある。
それを共だって歩きながら、なだめる弥凪子は途方に暮れ、その気迫に圧倒されながらも何とか説得しようとしていた。
「左高少尉、それは……考えすぎ、だと思う。いくらBETAの侵攻遅滞を、優先するからといって、参謀本部は流石にそこまで」
「まだおっしゃいますか斯波中尉!我々と、あまつさえ高知市民を"誘蛾灯"に使う腹づもりなのは、明々白々ですよ!」
「少尉、とにかく落ち着いて」
「これが落ち着いていられますか!」
彼が怒り狂っているのは、直前に大隊の主立った衛士を集めて、旅団長が行った説明についてであった。
第18独立旅団は最高司令官、煌武院悠陽の名で発令された死守命令を受領。
それは現在向かっている救援船団に市民をのせ、安全に送り出した後も最後の一兵まで戦い抜くようにとの内容だった。
そこは良い。だが、左高が問題にしたのは、救援船団の規模と付則についてであった。
「"高知港内の漁船による難民の送り出しは、救援船団が入る明日朝まで彼らの安全のため不許可を継続する"
 更に救援船団は暗にこれが最後とほのめかし、小型船によるネズミ輸送すらもやらないんですよ!?
 参謀本部の肩を持つなら、それを合理的に説明してください!」
「だから……でも、私たちが光線級をおさえている間以外に、土佐湾に出るのは、漁船であっても危険なのは本当でしょう?」
「うちの旅団司令部が出すならまだ分かります。しかし現地情勢に暗いはずの参謀本部が命令しているから、おかしいんですよ!
 それに我々が今日の日中、掃討作戦を行っていた時は安全でした!だが出航禁止は解除されていなかった!
 今日一日でも中央が本気で船を集めて、避難をさせていれば、かなりの人は逃がせた筈なんですよ、なのにしていない!
 それはどう説明されますか!どうみたってBETAを惹き付けるために高知に"エサ"を残しておきたかったんですよ!」
「う、そ、それは……」
左高に反論することが出来ず、悔しそうにうつむき、足が止まってしまう弥凪子。左高はそんな様子の彼女に
怒りと共に憐憫の眼差しを向けていた。心底救えない、そう目が物語っている。

参謀本部は、高知市民を助けるために出せる船は、老朽戦術機母艦1隻と、フェリー1隻のみと通告。あとは漁船
1艘も出せないと旅団を突き放した。船の不足と、漁業従事者を危険にさらせないという理由で。左高はこれを、いけにえとする
高知市民をなるべく市内に留め置くための方便と受け取った。全く船がこないと分かれば、市民、難民は何をするか分からないが、
とりあえず船がくると知れば、とにかく留まっているだろうと参謀本部は計算していると彼は語る。
参謀本部は、BETAの進撃がなるべく多方向に分散する事を望み、そのBETAが各所で市民を殺害する。
それで稼げた時間を首都と本土防衛の準備に充てている、そう理解したのだ。
弥凪子は、援護に2隻の戦艦が派遣されることをあげて反論したが、
これも左高は"誘蛾灯"の保ちをよくさせる為だけだ、と取り合うことはない。

「この様な命令をご自身の御名で発し、署名せざるをえなかった殿下のご心中はいかばかりか……」
そう呟く左高。弥凪子はうつむいたままだ。前髪が彼女の目にかかって、表情を隠している。
「私は、救援船団を守るために戦う、その機会を与えてくれたと、思いたい」
そう、掠れた声で訴える彼女に、左高は鼻で笑い、言い捨てる。
「旅団長が、中尉に市民への説明を任せた理由がわかりましたよ。こんな、欺瞞に満ちた作戦を、あなたは信じようとしているんですからね」
「左、高君」
「絶対、絶対こんな作戦で死ぬものか!玲香の為にも、俺は絶対に生き延びて告発しますよ!中尉はせいぜい、お情けで守れるわずかな市民を
 送り出した達成感を抱いて死ねばいいんです!」
左高の最愛の人であった玲香は、彼が戦闘から戻ると息を引き取っていた。その彼女の名を出し、言い切ったところで流石に言い過ぎたと気づく。
はっとして弥凪子に目を向けると、彼女は説明に使う資料をぎゅっと握りしめ、唇をかみしめて、もう泣き出す一歩手前であった。
「中尉……申し訳ありません、言い過ぎました。斯波中尉はいつでも優しくて、部下思いで……尊敬しているんです。それは本当です。
 ですが、今回の一件ばかりは中尉は、中尉は……間違っています」
それだけ告げると、左高はきびすを返して整備中の自分の撃震へ駆けてゆく。
弥凪子はなんとか涙を我慢すると、彼女を待つジープの方へ、とぼとぼと歩いていった。左高は、変わってしまったのだ。



*   *   *



7月9日 2314時

市の体育館は人で溢れかえっている。市役所の部長、課長級の公務員、学校関係者、幹部警察官、漁労長などが
その群衆の前の方に陣取り、黒板の前で時折つまりながら話す、強化装備の弥凪子の説明を真剣に聞いていた。
避難に関する説明会は市民にも開放され、その中には克輔も紛れ込んでいた。
大人に囲まれて、時折ジャンプしながら黒板を見ようとしている。
左高との口論で準備する時間があまりなかった弥凪子の説明は、かなりたどたどしいものだった。
「明日の6時頃に到着する救援船団は現在、この地点を航行しており、えっと……」
カンペと資料を読みながら、四国を大きく描いた黒板に船団を示す矢印を書き込んでゆく。


「――船団の安全確保の為に、軍は全力を挙げます。海軍や斯衛の戦術機部隊も本撤退作戦に参加しているのです。
 以上です。……何か、ご質問は?」
一通り説明し終わり、質問を募ると一斉に手が上がった。びくっとしたが、一人ずつ彼女はあててゆく。まずは漁労長だ。
「それでは、漁船はその救援船団が入っている時に出航すればいいってことかい?そう、組合員に連絡すればいいか」
「はい、その時に出航なさるのが一番安全かと思います」
そう答えながらも、やるせなさをにじませる弥凪子。質問者は多く、漁労長が質問してる間も、
次々と手が上がった。次にマイクを握った高知県の防災部長は船が少なすぎると訴えたが、彼女は、現在BETAに包囲された
日本中の港町の市民全員が貴職と同じ気持ちである、と答える他なかった。

彼女が旅団長から説明され、今、市民に発表している内容の概略は以下のようなものだった。
現在、政府派遣の救援船団が、高知港に接近しつつある。ただし、
山がちな陸とは違い、海からの接近は海岸に展開する光線級が脅威となる。その阻止のために戦術機部隊は全力をあげて
光線級の進出を阻止し、高知港半径20~30kmをなんとか死守、船団に損害が出ないようにする。
戦艦戦隊の援護は間接的に行われると彼女は説明した。帝国海軍の戦艦、2隻の援護は一応あるのだが、
こちらから射撃地点を指定することは出来ず、戦隊側が独自の判断で砲撃することになっていた。

「『安全確保に全力をあげる』とは、どういうことか。聞くところによれば、ここに展開している部隊も
 相当損害を受けているそうじゃないか。もう少し『安全確保』について具体的に説明して貰いたい」
そう問うたのは市会議員である。弥凪子は少し言葉を考えてからそれに答えた。
「現在は戦術機部隊を4つに分けて1つを休ませ、3つがBETA侵出の阻止にあたっています。市にBETAを入れない
 ので手一杯の状態です。それを入港時には全部隊をもって攻勢に転じ、一時的にレーザーの射程の
 目安となる高知県半径30kmから光線級を排除するというものです」
「『一時的に』とは、どういうことだ」
さらに突っ込まれて、少し狼狽える弥凪子。なれた軍隊式の報告とは違う発表を、大勢の前でするのはあまり得意ではないようだ。
そして、話す内容もそれに影響していた。言ってしまって良いのか、悩んでいたが急かされるとそれを口にした。
「『一時的に』とは、そうすると我が軍の戦術機部隊は壊滅するからです。そして、戦術機を失えば
 旅団も同じ道をたどるでしょう」
体育館がざわつく。弥凪子もそれを言うか迷ったが、細かいことを聞いてくる市会議員を前には
嘘は逆効果になると判断し、素直に理由を話した。
「君は衛士だな。我々に砲弾と炎の雨を降らせた君たちが、本当に壊滅するまで戦ってくれるのか?」
「高知市民の皆さんに、多大な苦痛を与えた事は弁解の余地がありません。しかし汚名返上を確約致します。
 帝国軍人たるもの、『山ゆかば草むす屍』は、もとより覚悟の上です」
年も若い彼女の口からそんな覚悟の言葉が出ると、市議も黙ってしまった。

その後の質問にも彼女は粉飾することなく、丁寧に応える。克輔は『山ゆかば草むす屍』の下りで、
体が震えだし、考えるよりも先に群衆をかき分けて飛び出し、弥凪子が出てくるであろう裏口まで
走っていた。そこにはジープが止まり、彼女が出てくるのを待っている。
「全滅……!?草むす屍……!?弥凪子さんが、死んじゃう!?」
笑顔で彼を受け入れ、底抜けに優しかった彼女と「死」という事実が克輔の中で結びつかず、ただただ
夏の夜であるにもかかわらず、凄まじい寒気と恐怖にも似た感情が彼を支配していた。



10分だろうか、20分だろうか、とにかく克輔には長く感じた。
じっと見つめる裏口が開いて、弥凪子が現れたのを確認すると、彼は今まで一番のスピードで走り込んでいた。
「お姉さぁぁぁぁん!!」
「うわっ!」
そのまま彼女に抱きついて泣きじゃくる克輔。運転兵も対応に困っている。
彼女はもっと困っていたが、とりあえず自分から離れない克輔と共に、ジープに乗り込んで戦術機が駐機する元材木置き場へ
出発した。車内でもずっと克輔はすすり泣いていて、取り付く島がなかった。


「中尉、着きましたが」
「あ、うん。克輔くん、その、明日のことだけど……」
――中尉、戻ったようだな。申し訳ないが中尉は自機で休みを取るようにしてくれ。
  不測の事態には、すぐにでも防衛に加わってもらうことになるからな。
説明を始めようとした彼女を遮るように大隊長から無線が入る。発砲音が混じっている辺り、
BETAと交戦中のようだ。了解、とだけ返すと、克輔を見下ろす。彼女にひっついたままとれない。
色々考えて、出てきた答えが
「伍長、私の機体まで車、出して貰えますか?」
「ですが、この少年は?」
「乗せたままで。撃震の所で克輔君に説明する。命の恩人だから、そう無碍には出来ないの」
「……わかりました。門では身をかがめてもらって下さい」

寒々とした材木置き場を接収した駐機場には撃震数機と瑞鶴が起立している。
ジープは二人を彼女の撃震の前で降ろすと行ってしまった。
弥凪子は昇降車を使って撃震の管制ユニットに乗り込み、克輔を補助席に座らせた。
やっと克輔は泣きやんだようで、鼻をすすって、目を盛んに擦っていた。弥凪子はシートにもたれ掛かって
その様子を見ながら、彼から話しかけるのを静かに待っていた。



*   *   *



7月9日 深夜 高知港埋立地内駐機場

「……ごめんなさい、今、お姉さん、休み時間なのに、」
「気にしなくていいよ。私、一人になると色々嫌なこと思い出すからむしろ、克輔君がいてくれて嬉しいくらい」
そう言って微笑みながら克輔の頭を撫でる。克輔は泣きはらした目で弥凪子を真っ直ぐ見つめていた。
戦術機のコックピットは夜風を入れるためにハッチは開かれており、野戦砲の砲声など、市外縁では今も戦っていることが分かる。
彼女の無線は"受信のみ"にされ、戦闘の推移はだいたい伝わってきていた。戦況はやや、落ち着いてきた様子だ。
「なんで、弥凪子さんはそんなに優しいの?僕、今まで一回も怒ってるのを、見たことがない」
「うーん、克輔君がいうのなら、そうなのかな?」
「でも、みんなに優しい人は、自分に優しくないんだって」
「えっ?」
克輔が突然そんなことを言った。弥凪子は"自分に、優しくない"とその言葉を反芻している。
「だってそうでしょ!左高少尉も愚痴言ってるの見たことがないって言ってたし!
 お巡りさんに、弥凪子さん、あんなにがんばってるのに、殴られても言い返さなかったし!
 最後は屍になっちゃってもいいなんて、おかしいよ!弥凪子さんは普通の人だもん、僕たちみたいに怒ったり
 駄々こねたりする筈だもん!絶対変だよ、無理しているよ!」
戸惑う彼女に対して、克輔は溢れるようにそうまくし立てた。自分が彼女に対して思っていた事、
感じていたことを今、言わないともう一生伝えられない、そう直感して全てをぶつけていた。
「か、克輔君、私は、私はね、今、中隊を預かる斯波中尉で、そんな自分のことは……」
「斯波中尉じゃなくて、弥凪子さん、でいいんでしょ!?」
「いや、それは単に、呼び方……あ、あれ……」
答える彼女の目尻から涙がぽろぽろと零れだしていた。そのことに驚く弥凪子。ぬぐってもぬぐっても涙は溢れてくる。
それを唖然と見つめる克輔。弥凪子はなんとか笑顔を作ろうとしたが、上手くいかない。
「か、克輔君が、女の子を、泣かした……い、いけないんだ……」
そう茶化して言うが、溢れる涙は留まることを知らない。そのまま弥凪子は話すことも出来ず、
子供のように目を押さえてさめざめと泣いていた。



「そりゃ、私だって、臆病だよ……もう、疲れたよ……」
長い間泣いていた彼女がそう、ぽつりともらした。克輔は弥凪子が無理しているとは感じていたが、
ここまでしおらしくなるとは思っていなかった。今は、逆に彼女を元気づける格好になってしまっている。
「で、でも、今まで戦ってこれたし、弥凪子さんは臆病なんかじゃ」
そう励ましの言葉をかける克輔に、弥凪子はビニール袋を取り出した。中には錠剤がまだ数錠残っている。
「それは、痛み止め」
「違うの。これは、これは臆病を一時的に隠すお薬。私、佐渡方面の戦いでたくさん仲間を亡くして、すっかり臆病風に吹かれて
 今では薬を飲んでないと、おかしくなっちゃう」
北陸で大きな損害を出した所属大隊は前線から離れた四国の予備隊に配置換えになった、それなのに、と彼女は話した。
彼女にとっては保養の意味も兼ねた配置換え。しかし完全に裏目に出てしまった。
弥凪子は泣き顔を見られるのが恥ずかしいのか、右手で顔を覆っている。膝に置かれた左手は震えていた。いや、体中が震えている。
ビニール袋の中にある、白と黒の錠剤を見ながら克輔は恐る恐る聞く。
「おかしく、なるって」
「克輔君は、夜お手洗いに行くときに、お化けが出てきそうで怖い思いしたこと無い?」
頷く克輔。弥凪子は泣きながら笑う。疲労だけではない自分を蔑んだ、彼が今まで見たことがない笑い方だった。
「あれのもっと、もっと、もーっと酷いやつ。全部の曲がり角の先に光線級がいるように思えてきて
 歩けなくなる。あの時、『わっ!』て脅かしたでしょ。あれ、本当に心臓が止まるかと思ったよ……。
 あとは夜寝付く度に、BETAに食われる夢を見たり、操縦席に座ると頭が締め付けられて体が動かなくなったり」
あとはあとは、と次々と彼女の心の悲鳴からくる症状が、弥凪子の口から紡がれる。
その、どれもが克輔には、信じがたい、痛ましいものばかりだった。
「……もう、私、駄目なの。狂っちゃって戦術機から降ろされた友だちみたいに、今日、自分もなるか
 明日、自分もなるかって……」
「降りちゃ、駄目なの?」
「降りたい……」
弥凪子の押さえた手から涙がまた流れ落ちる。克輔もまた、泣いていた。



*   *   *



「でも、やっぱり、降りられない。もう、しょうがないことなの、どうしようもないの……」
「どうして!」
そう、小さな声で諦めの言葉を口にする弥凪子に、克輔はくってかかった。とにかく、弥凪子に死んでほしくなかったのだ。
だが彼女は、小さく首を横に振った。
「そんなの認めたら、みんな戦術機から降りてしまう。誰が克輔君を、みんなを守るの?それに、私が無理です!って訴えても、うちの隊長
 なら、ピストル突き付けて『ここで死ぬか、乗って死ぬか選べ』って言う人だよ」
「じゃあ!なんで、なんであの、臆病者達は、病院でずる休みできて!なのに弥凪子さんが駄目なのさ!!不公平だよ!!
 全員鉄砲つきつけて、前線に送ればいいじゃない!!おかしいよ!ずるだよ!」
完全に向きになる克輔に、弥凪子はふと笑みを浮かべた。口だけつりあがって、目は全く笑っていない、残酷な笑みを。
克輔はその、彼女のそれまでの人柄から考えられない表情に困惑する。
「私もあの人達と同じなのよ」
「え?」
「私、佐渡で怖い目に遇って、臆病になったから、こっちに"ずる休み"に来たの。ばちがあたったんだ……。あの時、佐渡で頑張ってる仲間を置いて、
 大隊長に配置換えをしましょうって言ったのも私。『部隊が疲れているから休ませないと駄目ですよ』って、
 優等生らしいことを言ってね、本当に笑っちゃう……全部、自分の為なのに」
あはははは、ははははは。弥凪子は手で目を覆ったまま、髪をかきむしりながら笑った。時折、息を詰まらせながら、それでも笑い続けた。
泣きながら愚かで、救いようがない自分をあざ笑い続けた。克輔はそんな彼女を、呆然と眺めることしかできなかった。




「……私も、『みんなに優しい弥凪子さん』が好きだから、戻りたいよ……。
 あぁ、でも、くそ、怖いなぁ……死にたくないなぁ……」
彼女の笑いが止んでからどれだけ経っただろうか。彼女がぽつりともらした。克輔は気が付けばびっしょり冷や汗をかいていた。
弥凪子はなんとか泣きやんだものの、完全に生気を失っていた。弥凪子が最後まで張っていた虚勢を、克輔の言葉が
完全に打ち砕いてしまったのだ。

克輔はBETAと最前線で戦い続ける衛士の飾らない気持ち、生々しすぎる本心に触れ、自分が衛士に抱いていた淡い憧れがいかに甘く、
考え無しに「戦術機に乗って」などと書いていたことを思い知る。
「衛士はヒーローだと思って、僕、格好いいと思ってた。でも、こんな、こんなだったって知らなくて」
「衛士がみんな、こうって訳じゃないよ、私が格別クズってだけだから」
そう話して自分を貶める弥凪子。それまで押し殺していた感情は、一度あふれ出すと留まることを知らない。
克輔はそんな彼女の豹変に、大声を出して否定していた。
「赤いのが校舎をはい上がってくる音がして、ここまで生き残ったのにもう駄目だって思った時に
 助けてくれた、あの時の撃震は絶対、絶対、ヒーローだったもん!それは本当だよ!」
「でも、中身はこんなんだよ?克輔君が、大嫌いな、臆病者なんだよ?」


短い沈黙。克輔は思い出したようにポケットに手を入れ、小さな箱を手渡す。弥凪子が鼻をすすりながら見ると
キャラメルの箱だった。目を拭いながら彼女は、
「これは?」
「勇気が出る薬。これで、弥凪子さんが、助けに来てくれるまで、僕も、カズもがんばっていられた、証明付き。
 あと二つしかないけど……。これで僕の、僕だけのヒーローに戻ってよ……」
弥凪子は克輔の手から箱を受け取った後、その差し出されていた手を両手で、すがるように強く握ってきた。
強化装備のグローブを通しても、震えが彼の手に伝わってくる。
慌てる克輔。手をひっこめようとしたが、しっかり握られていた。彼の顔がだんだん赤くなってゆく。
なんだか、彼は弥凪子が妹のようにすら感じられた。弥凪子の目尻にまた涙が浮かぶ。
「え、と、あの」
「ありがと、ごめん……少し、このままでいさせて……」
克輔は無言で、ぎこちなく頷いた。機内には弥凪子のすすり泣く声と、戦術機の駆動音がこだましていた。



*   *   *



7月9日 深夜 高知市外縁

白色の瑞鶴が、動きを止める。周りには突撃砲で蜂の巣にしたBETAの残骸が転がる。
休耕田のあちこちに火の手が上がり、激しかった戦闘を物語っていた。
斯衛衛士は指向索敵を一回行い、BETAが付近にいないことを確認した。
今回の波はかなり数が多く、辛い戦いであった。
「ふぅ……」
そうため息をついたのは、バルカン01、派遣された第10独立斯衛小隊の大尉である。
彼女と、彼女の部隊は斯衛の名に恥じぬ活躍をしていた。
そろそろ定時連絡の時間である。現在待機している班の隊長機のサーベラス02を呼び出す。
「こちらバルカン01、サーベラス02、応答せよ」
少ししても返答がない。聞き漏らしたのだろうかと思い、再度呼びかけながら、
左上に表示されたサーベラス02のウィンドウを確認すると、弥凪子が首をかしげて寝込んでいる姿が
映し出されていた。そこに少年の顔が入る。
――こちら、さーべらす02、疲れて居眠り中
子供の声が返ってきた。彼女はかなり驚いたが、なんとか表情に出さないのは、流石斯衛と言ったところか。
状況をあらかた把握して、口元をゆるめてこう言った。
「の、ようだな。翌1時10分前になったらつついて斯波中尉を起こしてやってくれ」
――さーべらす02了解。翌1時10分前につついて中尉をおこす
復唱までしっかりやってるな、と彼女は感心した。
「あぁ、それと、……我々だけ光線級狩りに参加できないことを許してくれ、と伝えておいてくれないか」
――?さーべらす02、了解。そう伝える
「すまないな」
そこで通信を終わる。すると、その交信をいぶかしんだCPが割り込んできた。彼女はそれを一蹴する。
――こちらCP、今の無線は何だ?確認を要請……
「バルカン01よりCP、無粋だぞ。目をつぶれ」
CPが黙ったことを確認し、シートに深く座り込んで、作戦のタイムテーブルを呼び出す大尉。
彼女の部隊は救援船団出航後まもなく撤退し、母艦へ帰投する事が書かれている。そして
絶対に損害を出してはならないことが、赤字で最優先事項として一番上に書かれていた。



*   *   *



7月10日 0050時 高知港埋立地内駐機場

克輔は自分の腕時計の秒針がかちっと12を指したところで、弥凪子のほっぺたをつつく。
「うぅ……」
もう一度つつくと、彼女はかっと目を開いた。慌てて時間を確認する。
居眠りしてしまった事に相当慌てている。顔が真っ赤だ。すぐにバルカン01を呼び出す。
涙の跡も、ぼさぼさの髪もそのままで。
「こちら、さ、サーベラス02、バルカン01応答せ、してください」
――定刻通りだな。こちらバルカン01、どうした?
「も、申し訳ないです。15分程前の、定時連絡の時に返答を……」
――その時の定時連絡は貴機から返答を受けている。そのことについて何か?
「えっ?」
弥凪子が、斯衛の、しかも上官の衛士に対して相当くだけた返事をしてしまう。
彼女の網膜にうつる斯衛大尉は無表情の中にも笑いを堪えているようでもあった。
弥凪子の視線が克輔に行く。克輔は明後日の方向を向いて、口笛を吹いていた。
「克輔、君?きみ……」
「一度、本物やってみたかったから、その、」
「なにやってんのよーー!!」

その後、克輔は撃震の機内でたっぷり締め上げられた。



*   *   *



「『我々だけ光線級狩りに参加できないことを許してくれ』って大尉さん言ってたけど、これ、どういう意味?」
もう、克輔は全てを理解し、最後は平生であろうとしていた。弥凪子も今は落ち着きを取り戻している。
交代の時間は刻一刻と迫っていた。
「それはね、多分だけどあの斯衛部隊は、煌武院殿下が軍隊に無理を言って出してもらったんだと思う」
「どういう事?殿下が?」
「殿下は国民の生命が一番大事って考えていらっしゃるから、出来れば斯衛隊をみんなを助けるために使いたい。
 でも、でも軍隊はそれは二の次で、まずはBETAをやっつけることが先だって言って、お互いに相談した結果、
 派遣はしてもいいけど、絶対に瑞鶴を壊しても、まして死んでもいけないって厳しく命令されて
 いるんだと思う。わかった?」
「BETAを倒すのと、みんなを守る……。同じ事を目指しているみたいで、上手くいかない……
 弥凪子さんは、軍隊と殿下のどっちに賛成?」
曖昧な笑みを浮かべる弥凪子。左高とのやりとりが彼女の脳裏に蘇る。うーんと少しの間考え込むが、
答えに行き着いた彼女は穏やかな表情だった。
「わからない。でも、私は君のヒーローだから、克輔君を守る為に戦う。私にはそれで十分だよ」
「そっか……」
「うん。……じゃぁ、そろそろ時間だ」
左手首を叩く仕草をする弥凪子。克輔は一瞬顔を曇らせたが、目を強くつぶって涙をを堪える。

「僕のヒーローは、もう、元気になった?」
「君のヒーローは、もう大丈夫」
そのやりとりに、どちらともなく微笑む二人。震える声で克輔は最後に想いを伝えた。
「弥凪子さん、大大、大好き」
「私も、大好き」
そう言って弥凪子は彼を抱き寄せ、頬に唇をつけた。


克輔は何も言わずに昇降車にうつる。彼女は遠隔操作で作業台を地面まで降ろすと、管制ユニットのハッチを閉じる。
出撃2分前であった。駐機場には手が空いている整備兵や警備兵が整列している。その列の一番最後に克輔も加わった。
「第三班、出撃用意は良いか」
彼女の声に衛士達の思い思いの返答が返ってくる。外では整備兵が帽子を振っている。克輔も大きく大きく手を振っていた。
撃震の推力をあげる。跳躍ユニットがうなりを上げ始める。彼女は出撃を告げると共に、もらったキャラメルを口にした。
――第三班、出撃!
撃震が土佐の夜空に発進してゆく。出撃していった西の空を克輔は、いつまでも、いつまでも眺めていた。



[9990] 3600万人の夏(7)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2009/07/26 02:34
7月10日 0610時 高知港 旧造船所

高知市内にもBETAの先頭が侵入しつつある。8日深夜と違い、要塞級の姿も多数見られる。
克輔達が乗船しようとしている高知港からでも、ビルの合間から巨大な10脚の
肉塊を垣間見ることが出来た。
「順番を守って下さい!順番を守って下さい!抜け駆けは射殺します!順番を守って下さい!」
機動隊員が強化プラスチック製の楯を並べて、港に殺到している難民を追い返していた。
警官が時折、空に向かって威嚇射撃をすると、難民は驚いてしゃがみ込む。
そんな喧騒を路上で聞きながら、克輔ら高知市内の小中学生は埠頭に学校毎に整列する。
どの船が沈められても子供達が全滅しないように、3隻に生徒児童は均等に割り振られることになった。

克輔達の乗る船は特殊で、船員が乗船時の注意事項を説明している。
「いいですか、これから配るベルトを、緩むことの無いように止めて下さい。
 油槽船の甲板に上がったらこんな感じでたくさんのワイヤーがあり、1mに一ヶ所ずつ鉄製の輪があります。
 そこに自分のベルトのフックを付け、最後にネジをまわして止めて下さい!」
戦術機部隊の駐機場があった埋め立て地の旧木材置き場の2ブロック南にある旧造船所に
光菱汽船のパナマックス級油槽船、「愛宕丸(あたごまる)」60,000tが横付けされていた。
愛宕丸は政府派遣の救援船団の正式な船ではない。高知県知事がそのコネと、袖の下を存分に駆使して
なんとか呼び込んだ賜物だった。

克輔たちは二人一組で、救命胴衣と落下傘兵が装備するような8の字のベルトを付ける。腰の辺りから
フックが出ていて、それがタンカーの甲板に何本もひかれたワイヤーにひっかけてシートベルトとする。
避難に使う旅客船は全く不足しており、油槽船の甲板に人員を乗せて避難することになったのだ。
「それでは乗船して下さい!『お、か、し』を守って、速やかに階段を昇って下さい!」
「お、おじさん!」
「克輔か!おじさんも後からこいつに乗るからな、じっとしとれよ!あ、そこっ、走っちゃあかん!」
学校の先生にまじって子供達を誘導していたのは、他でもない克輔のおじさんだった。
腕に腕章をまいて拡声器を握って、次々と子供達を乗船させていた。あの地獄を生き延びたのだった。
油槽船は油を全く積んでいないため、喫水は非常に浅く、真っ黒に塗装された船体の下、
本来は水線下に沈むべき真っ赤な防汚ポリマー剤の塗装部分も、克輔らの目に入る。
船体に急設された階段を昇って船上へ。克輔は海岸から油槽船は、何度か眺めたことがあったが、
甲板上は広大であった。東京タワーの高さに匹敵する、300mを超す全長の甲板に説明通り何本もワイヤーが
通されている。克輔は左舷の艦橋に近い部分のワイヤーの所で自分のフックを引っかけて座る。
所々に仮設トイレが設置してあった。克輔が後ろを見れば、子供達が後に続いて
続々と座ってゆく。BETAに殺されたとは言っても、相当の人数であった。



子供の乗船後、一般人が続いて乗り込む。それらは極めてスムーズに行われ、
あっという間に抜錨、出航となる。タグボートの補助を受けながら高知港内を悠々航行する愛宕丸。
その前には救助船団を構成する大型フェリーが行く。
別の埠頭からも戦術機母艦「金華(きんか)」に、難民をまさに搭載している姿を克輔は見ることが出来た。
油槽船の脇を次々と人を満載した漁船が通り過ぎてゆく。
克輔は一瞬、岸壁を見る。まだ少なくない人が取り残されていた。
「君たちは、多くの人の犠牲の上に脱出させてもらう。そのことをよくよく心に刻んで、
 立派な人になりなさい。それが君たちに出来る一番のお返しです」
高知に残ることにした、校長が最後に克輔達に語った言葉だ。「犠牲」という言葉を
校長が口にしたとき、克輔の頭を通り過ぎた笑顔の女性。気を強く持っていないと
克輔はすぐに泣いてしまいそうだった。
「泣かない……。泣かない……。今、弥凪子さんは僕たちの為に、怖いのを堪えてがんばっているんだ……」



愛宕丸が浦戸大橋をくぐり、外洋に出る。ここからおよそ1時間、同船は16ノットに達する最大船速
で一気に光線級の射程外へ逃れるべく疾走する。船の揺れも、かなり激しい。
ワイヤーの命綱がなければ転げ落ちてしまいそうなくらい、甲板上は揺れ、かなりの子供達が
船酔いに絶えきれず、嘔吐していた。全員が固唾を飲んでだんだん離れてゆく陸を見る中、
一つの光が見え、それが船を包んだ。
「うわぁぁっ!」
爆発音と共に、大きな震動が伝わる。細い鉄索が千切れるのではないかとばかりに跳ねる。子供達の悲鳴と泣き声。
克輔も大きく跳ね上げられて、受け身をとれずに叩きつけられる。足を捻った。
レーザーは右舷の中央部の船体上部に命中、被弾箇所は黒煙をたなびかせている。

しかし、船は全く減速した様子は見えず、それまでと変わらぬ速力で航行していた。
「さすが新鋭、愛宕丸だ。なんともないな。消防班、消火を急がせろ!
 原油は積んでいなくとも、本船は火気厳禁である!急げ!」
艦橋から、ダメージコントロールの指示を出す船長。作業着に救命胴衣、ヘルメットという出で立ちで、
各部の損害を確認していた。航行に全く支障はない。機関室に命中すれば別だが、
空荷のタンカーを沈めるには魚雷を2~3本あてなくてはならない。
新鋭の愛宕丸は極めて堅牢な二重殻構造。さらに石油流出を防ぐための多数の隔壁
をもった頑丈な船であった。今回の任務のため、さらに耐レーザー用蒸散塗料を塗布し、
戦術機母艦を超える防御力を達成していた。
「児童の落下4名、怪我人14名。14名は順次船内に収容して手当をしております」
そう船内電話で伝わってくる。落下が出たことに心を痛める船長だが、とにかく
船を光線級の射程から出すことが最優先である。怪我人のことは頭の片隅に、
機関室と連携を密にして、0.1ノットでも速力が上がるように最大限の努力を傾ける作業に戻った。



*   *    *



7月10日 0732時 高知市郊外

動かなくなった突撃級を楯に、稜線を超えてくる光線級に砲弾を浴びせかける撃震。砂浜に足を沈ませながらも、
極めて精密に光線級だけを狙って射撃をしていた。
――サーベラス01、大破、サーベラス01大破、大隊長、戦死!
「!?そんな……ッ、く、サーベラス02がこれより指揮を執る!」
指揮をとるといっても、ほとんど弥凪子にすることはない。それぞれ担当する地区の光線級を一掃すること。
それが唯一にして絶対の命令だった。斯衛小隊は危険にさらせないため、高知市の防衛と後方支援しか担えない。
ウィンドウに表示される斯衛大尉の表情は、常に苦渋に満ちていた。
「あとから、あとからっ!」
悲鳴にも近い声を上げ、突進する戦車級に砲弾を浴びせるが、数が違いすぎる。50体は斯波機に向かってきていた。
戦術機が飛び道具を持つという優位がBETAに対してあるとは言え、それは連携攻撃などの戦技を活かしてこそである。
大隊の撃震は高知市周辺に広く薄く展開され、エレメントを組んでの連携は望むべくもない。
弥凪子の担当地区はもはや彼女1機。僚機は既に戦車級に食われている。
砂浜で立ち往生した突撃級のまわりには左右から要撃級が迫る。それにまで貴重な弾薬を割くことは出来ない。
「レーザー照射警報……、よし」
弥凪子の担当地区は、今の今はレーザー警報が解除され、短距離噴射跳躍なら可能であると判断された。
操縦桿に力を入れて、跳躍をしようとする彼女の脳裏に、飛び出した瞬間、光線級が山を越える様が詳細に描き出される。
一瞬止まる腕。だが、その逡巡は僅かな時間でしかなく、彼女の機体は跳躍、その直後に要撃級が旧位置にフックを大きく
空振りしていた。ほとんど数秒の滞空時間でも光線級を現す光点はレーダー上の、そこここに現れる。

次の目標は戦車級に囲まれた、十数体の光線級の集団。横浪三里に乗り込んできている。
「サーベラス02よりオルガン、B-12-76に要請射撃、全力!B-12-76に要請射撃、全力!」
旅団砲兵群に要請を送りつつ、自機を水しぶきが上がるほど低く、水上を匍匐飛行させる。
撃震は土佐湾に突き出る横浪半島を楯に、ぎりぎりまで光線級に接近する。
――オルガン00よりサーベラス02、現在、他エリアへの砲撃も実施中。オルガン02とオルガン06がB-12-76
  への砲撃を行う。弾着まで……
光線級に対して砲弾が足りない。だが彼女に待つという選択肢は無い。旅団砲兵群本部には支援砲撃要請が
各所からひっきりなしに届いている。瑞鶴は4機とも制圧支援装備で、砲兵代わりとして戦っていたが
それでも全く足りなかった。高知市はBETAの濁流のただ中にある孤島だったのだ。
戦艦2隻の艦砲射撃は光線級を潰すというより、光線級が掃討された地域のBETAを叩くという形をとった。
戦術機部隊の援護ではなく、高知市の延命に主眼を置いている。


とにかく弾を落としてくれるだけでもよしとし、彼女はさらに撃震を増速させる。
弥凪子は砲弾の落下予測と迎撃が行われるタイミングを瞬時に計算して、速力の微調整。
6条の光線が高知の空に打ち上げられ、155mmM107榴弾は全て爆散、それと同時に
機体は横浪半島を越えた。彼女のFCSからレーザーを発射した光線級は対象からはずれる。36mm砲弾は
未発射の光線級だけを撃ち抜いてゆく。周りを取り巻く戦車級との距離はあっという間に詰まる。
光線発射インターバルを示すカウンターが限りなく0に近づく中、彼女の撃震は最後の一体に突撃砲を向ける。
しかし砲身が捉えたのは戦車級で、
「邪魔だぁぁぁ!」
そのまま追加装甲を掲げて体当たりを仕掛ける。戦車級と光線級を下敷きに何十メートルも土砂を巻き上げながら
突進する撃震。その正真正銘のゼロ距離で36mm砲を速射、戦車級は腕や頭部をバラバラとわだちに落としてゆく。
さらに貫通した砲弾は確実に光線級を貫き、ロックオンが外れる。
「次っ」
泥まみれになった撃震が、再度立ち上がり、強く力士のように大地を踏みならす。
弥凪子の視野の片隅には30分を丁度切った、タイムリミットが表示されていた。



*   *   *



7月10日 0735時 高知市内、皿ヶ峰

高知県庁から鏡川をまたいで南に2キロ。そこに小高くある皿ヶ峰は、高知市防衛の最後のより所となっていた。
その山を突破されれば、最後まで避難民を収容し、送り出し続けている高知港は丸裸となる。
人類の手にあったほんの一夜のうちに木々が取り払われ、野戦築城が施され、砲列が市街地に押し寄せるBETA群に執拗に砲撃を降らせていた。
銃身も焼けよとばかりに12.7mm弾をはき出し続ける重機関銃の列。迫撃砲が手持ちの砲弾を全て使い切る心づもりで猛攻を加える。
「目標――要塞級!短延期信管!直接照準――!各個に撃てぇ!」
土嚢の組まれた掩体に並べられた105mm榴弾砲が、轟音と共に砲撃を開始。まさに体内から兵士級を降着させていた要塞級に次々と命中してゆく。
その山頂には日章旗と、栗色地に白で染め抜いた高知県旗がはためいていた。

迫撃砲弾が次々と皿ヶ峰西方に広がる元住宅地に殺到するBETA群に落ち、炸裂。さらに直協援護に応じた瑞鶴が、
36mm砲弾をフルオートで叩き込んでゆく。数で勝るBETAも、これ以上にないと言わんばかりの濃密な火線に、勢いを鈍らせる。
それを敏感に感じ取った歩兵中隊長は右腕を高々と上げ、振り下ろし、逆襲を命令した。
「追い出せ!」「逆落としだ!」「ぶっ殺せ!」
小銃兵、二人一組の機関銃班、そして40mm自動擲弾銃を装備する、改73式機械化歩兵装甲B型が立ち上がり、攻め寄せるBETAに反撃を仕掛ける。
はげた山肌に地響きをともなって前進する機装兵の脇を、着剣した精兵がときの声を上げながら駆け下りてゆく。
小銃を立射する者、立て膝で小銃擲弾を戦車級に叩き込む者、手榴弾を投げ込む者。
その上を瑞鶴が飛び越し、数え切れない要撃級、戦車級を片っ端から撃ち殺していた。
歩兵中隊を直接支援する105mm榴弾砲が、逆襲部隊が住宅地に進出するのにあわせて弾着を延伸させる。
ライフル一挺で突入する兵士の目の前で闘士級や兵士級が砕け散り、はじけ飛ぶ様は大きく志気を高めた。
撤退も叶わぬ今となって、第18独立旅団の将兵は自分たちが1秒でも長く抵抗を続けることが
本州防衛準備につながると信じて、決死の戦闘を続ける。



皿ヶ峰の高知港側の斜面に構築された連隊本部に白色の瑞鶴が飛来、着陸すると同時に柳髪をなびかせて衛士が飛び降りてきた。
歩兵連隊長の中佐が敬礼をしながら堡塁から現れる。斯衛衛士もそれに応える。彼女の手には打刀を携えていた。
2キロに満たない山の反対側ではBETAとの激烈な戦闘が続き、榴弾砲の砲声が至近で鳴り響く中でも連隊長は穏やかだった。
「そろそろ出立の時間ですかな、大尉」
「誠に申し訳ないが、これ以上は参謀本部の厳命に背くこととなる。本当にすまない……」
「いえ、バルカン小隊の獅子奮迅の活躍は、地上で戦う我々に大きな勇気を与えてくれました」
眉を歪め、無念の情を露わにしながら頭を下げる女性衛士。既に彼女の小隊には沖の母艦から後退命令が二度、出されていた。
「殿下には、我が第71連隊をはじめ、旅団が敢闘した事をお伝え願いたい」
「必ず」
そう応えて彼女は打刀を連隊長に差し出す。質実な中にも美しく装飾された一振りである。
その刀の由来を知る中佐は、困惑して固辞したが受け取らされてしまう。
「これは、恩賜の、それも武家のみが佩用する……、とても受け取れません!」
「敵に背を向けて逃げ出す輩など、武家に入らぬ」
そう残すと彼女は敬礼し、瑞鶴に戻り機首を翻してあっという間に海上に出た。各所に散らばっていた僚機3機も集合する。
その見事な編隊飛行に中佐は短く敬礼した。

旅団の組織的抵抗は終焉に向かいつつあった。



*   *   *



「マグヌス・ルクスが北東より、じゅ、18!?そんな、馬鹿な!」
――馬鹿もクソもない、スチルをまわす!
高知県西部より侵入し続ける光線級を、必死で食い止めていた弥凪子。殿艦の戦術機母艦も、あともう少しで送り出せる
という所で、CPより絶望的な情報が入る。高知県東部にある鉢伏山に設置された無人偵察カメラは、
望遠で不鮮明ながらも、膨れあがった桃色の肉塊の集団の静止画像を、彼女の網膜に送りつけてきた。
高知市東側は複雑な地形の西側と違い、平坦な土地に田畑が広がっている。かなり内陸からでもBETAは狙撃が出来るのだ。
――東部地区のサーベラス03、09が、現在方向転換中の皿ヶ峰の砲兵隊の要請射撃の直後に包囲攻撃を仕掛けるが、
  どう見ても戦力が足りない。バルカン小隊も、もう引き揚げた。02も攻撃に加わってほしい。
攻め寄せる要撃級を切り伏せながら、距離を詰めてくる戦車級に対して、間合いをとりながら思考する弥凪子。
彼女の頭が、重光線級と船の位置関係から導き出した答えは、しんがりの戦術機母艦だけでなく、愛宕丸も
射程に収まる可能性のある事実。
「しかし、私が担当地区を放棄すれば、西部地区はがら空きになります」
彼女が東部へ増援へまわると西側に展開する戦術機は0になる。他は全て撃破されてしまった。
――西部地区へは海軍さんの援護がある。02は市内を突っ切って03、09と合流。重光線級を阻止しろ!
  旧春野を通過すれば比較的楽に抜けられるはずだ。
「了解」


撃震が旋回して機体を高知市に向けると一気に増速、超低空で高知市内目がけて高速飛行する。
眼下に現れる旧春野町の田畑は、何百台ものブルドーザーが通った後のように無数の大地をえぐる跡が残され、
バラバラに砕けた要撃級や、戦車級、闘士級の死骸、そして兵士、市民の遺体が転がっていた。
「くっ……」
彼女の大隊は、光線級だけを狙って攻撃しており、他のBETAはほとんど素通りだったのだ。
縦横無尽に高知市を飛び回り、旅団を援護した斯衛小隊も今はいない。そして浦戸湾の西岸に着くと
最後の抵抗の跡があった。塹壕や、機関銃堡塁、それらがすべてめちゃくちゃに破壊され、
BETAに食い殺された直後の兵士が、そして市民が散らかっていた。
沸き上がる吐き気を抑えて、無線に向かって叫ぶ弥凪子。
「02より、03、09へ!残り115秒で、攻撃開始位置に到達」
撃震はタンカーと戦術機母艦を送り出した浦戸湾をフライパス。彼女の視界の片隅に駐機場も目に入った。
あっという間に高知市西部地区に進入。レーザーの狙撃を受けぬよう山間をぬって飛行し、攻撃開始位置に達する。
――03より、02。東部地区隊長としてこの作戦が最良と考える。
「ッ!、作戦計画を送れ」
03は左高の声だった。直ちにデータリンクを介して、左高が考案した作戦が彼女の機体に転送される。
「こ、これは、また……」

彼が送ってきた計画を見て、弥凪子は苦笑いしてしまう。
広大な農地の広がる南国市の東端と北西部にそれぞれ陣取る03と09。
自走砲の砲撃開始と時同じくして、その2機が重光線級の集団に牽制射撃を仕掛ける。
足並みが乱れた所に、斯波機である02が南側より砲撃しつつ突進。最後の最後には長刀による攻撃をしてでも
重光線級を殲滅するというもの。確かに3機の砲弾の残量や、位置関係、BETAの展開状況から
妥当な作戦である。妥当ではあるが、彼女は今まで目にかけてきた部下が提出する作戦ではない、とは思った。
「……気に入った。上手くいったら、私は凄い"達成感を抱"ける。本作戦を採用する」
――中尉……
左高が何か言いたそうだったが、おしゃべりしている時間はない。弥凪子は直ちに砲兵隊に作戦開始を告げる。
「サーベラス02よりオルガン00、作戦に従い、I-18-82、I-18-82に集中射撃を要請する」
――オルガン00了解、第一斉射、砲撃開始。以後、5分間の集中射撃を行う。
旅団の自走砲が全てこの攻撃に集中する。表示される、弾着までの時間。
ふと弥凪子は作戦全体のタイムリミットを見る。あと10分を切っていた。もう、克輔の乗る船は射程範囲から抜けただろうか。

――09、牽制射撃、開始ッ!
――03、牽制射撃、開始!
その叫びと共に03と09は、同時にそれぞれの山陰から飛び出し、もう弾数の少ない120mm砲を速射。
落下してくる155mm砲弾の迎撃に上空を向いていた、重光線級の側面にタングステン鋼徹甲榴弾を次々と叩き込む。
命中から0.05秒おいて体内で炸裂する砲弾。紫と緑の臓物を畑にぶちまけながら倒れ伏す最高の脅威。
それまで高知市に向かっていた集団と、救援船団を狙っていた集団の足並みが乱れ、そのまま移動するもの、
砲撃を受けた先へ旋回するもの、上空迎撃を続行するもの、混乱が生まれた。弥凪子はその隙を逃さない。
青空に向かって強力な出力のレーザーが打ち上げられ、砲弾を上空で爆散させるが、全て撃墜するにはいたらず
何発かは落着、損害を与える。そこを見計らって弥凪子は撃震を突っ込ませる。
「02突入!02突入!」
彼女は匍匐飛行で一気に間合いを詰めにかかる。突撃砲を構え、地面に擦りそうな高さで高速で接近。
目標集団に到達するまで、戦車級や、要撃級が多数ひしめく南国市。速度を落とさず、
回避運動も最低限に一気に接近しなくてはならない。36mm砲の残弾はもう100発を切っている。
120mmに至ってはたった3発しかない。確実に飛行の邪魔となるBETAにのみ、銃撃で排除してゆく。
光線級との戦いは、一瞬で決まる。越知町で撃破された打撃支援の撃震も、
高知市内に進出中だった玲香の撃震も、一瞬の遅れで倒されたのだ。彼女のトリガーにかかる指にも自然と力が入る。
弥凪子の撃震の対レーザー自律回避システムは手動で解除されていた。
「!」
匍匐飛行を続ける撃震の120mm砲から唸りを上げて徹甲榴弾が発射され、BETAとBETAの間に出来た
トンネルのような空間をぬって重光線級に着弾。これを打ち倒す。
155mm榴弾砲の集中射撃が、レーザーに撃墜されながらも辺りで次々と炸裂。
よい陽動となっている。重光線級の照射間隔が36秒であるのに対し、旅団の自走砲の発砲間隔はたった10秒でしかない。
重光線級の行動を大きく制限させる。牽制射撃をする僚機も的確である。なんとか斯波機に注意が行かないように
惹き付け、余裕が有れば彼女の進行方向を塞ぐ機体にも攻撃の手を伸ばしていた。
またもや弥凪子の視界にピンクの肉団子が見えた瞬間、2発発砲。
しかし戦車級が割って入り、砲弾はそれを破壊したに留まる。体中央に大穴をあけつつも彼女を通すまいとする戦車級に対し、
斯波機は追加装甲を大きく右肩の上まで振り上げ、すれ違いざまに殴り倒して強引に進路を切り開く。
もう120mm砲のない突撃砲は投棄してしまった彼女の撃震は、長刀に手を伸ばし
「あっ……」
――斯波中尉!!
正面の、重光線級と目があった。放熱翼は大きく左右に開かれ、弥凪子がその強力な光にたまらず目を手で覆った時には
レーザーは発射されていた。



死んだかと思った弥凪子だったが、レーザーは彼女の機体の左脇をかすっていっただけだ。損害はない。
「逸れ、た……っ!」
一気に詰まる距離、右腕に握られた長刀が重光線級の胴を叩き斬るべく大きく背中まで振りかぶられ、
「やぁぁぁぁ!」
長刀は過たず光線級の"瞳"の真下に深々と刀身を埋める。吹き出す体液。
彼女の視線は既に斬りつけた奴ではなく、次の目標へ。懐に入り込んだ蠅をたたき落とそうと旋回した個体は
その背後を左高らによって射抜かれ、次々と倒される。
長刀を引き抜いた撃震に狙いをあわせ、砲撃体勢に入る別の重光線級。弥凪子の網膜には
正対したその個体が今、まさにインターバルを終わろうとしていることが表示される。直近には戦車級の姿。

彼女の判断は一瞬だった。
斯波機は今にも飛びかかろうとした戦車級を、長刀で思いきり薙ぎ払った。
弥凪子の腕はこのとき、完璧であった。無様に腹をさらして飛ばされる戦車級は、まっすぐ
重光線級に向かってゆき、その射線を覆う。発射を躊躇する重光線級。
斬撃の痕が残った戦車級が重光線級と衝突。それが足元に落ちた時には、完全に弥凪子の間合いであった。
振り上げられた長刀によって袈裟懸けにされる。
弥凪子が3体目の獲物に目を付ける。これも次の照射まで時間がないが、鋭い踏み込みと
迅速な一撃をしかければ間に合う。そう判断して操縦桿を押し込む弥凪子。
――戦術機母艦「金華」、重光線級の照射を受け大破、沈没しつつあり
「えっ?」
その通信に、衆敵に囲まれてなお、余裕を失わなかった彼女の目に動揺の色がさした。
先ほど彼女の至近を逸れたレーザー照射は、彼女の撃震を狙ったものではなかったのだ。
既に機体は次の重光線級目がけて突進している。しかしその踏み込みは、それまでよりわずかに甘い。



*   *   *



7月10日 土佐沖

克輔は腕時計を食い入るように見ている。さっき後ろに続く戦術機母艦が、レーザー照射を受けて沈んだ。
軍艦であるのに、たった一発で沈んだのだ。燃え上がる船体からこぼれ落ちる人たち。
船尾からだんだんと沈んでゆく様子。彼は恐怖に抱き込まれそうになると、昨夜の事を思い出して
なんとか自分を保つ。絶対大丈夫。大丈夫だと、彼女から直接聞いたのだから。
秒針は本当にのろのろとしか時を刻まない。彼はもう陸地を見るのはやめにしていた。
また光っても、船の上ではどうしようもないからだ。



克輔にとって、人生で一番進むのが遅く感じられた1時間。だが、それにも終わる時が来る。



――たった今、本船は光線級の射程外に抜けることが出来ました。繰り返します、本船は……
ブリッジに設置された大型拡声器から、遅れることなく船長の声が聞こえる。
「たす、かったんだ……」
叫んで喜ぶ気力も、気持もわかなかった。周りでも気勢を上げてはしゃぐ者は子供であってもほとんどおらず、
ただただ、ほっとしている様子だ。ひとまず安全になったことで、克輔にはそれまでの記憶が蘇ってくる。

楽しかったこと、怖かったこと、自分をおさえられなかったこと。
埠頭に撃震を見に行った時から、今まで長くて、一瞬だった5日間。
その日々を振り返って、初めて思い出した物。鞄から取り出したのは、一葉の写真だ。
自分と、親友と、そして真ん中で満面の笑みを浮かべる女性。
フラッシュバックのように、トレーラーでの表情、廃ビルで会った時の表情、コックピットでの表情が
克輔の脳裏に現れては消える。そして写真をもう一度、彼は見つめ直す。
その笑顔が、今の彼には弥凪子の素の表情には見えない。
もとからそうなのだ。本土上陸されて不安に感じないはずがない。誰だって同じである。
そんな当たり前のことに克輔は今まで気が付かなかった。無邪気でありすぎた。
笑顔の裏にどれだけのものを彼女が抱えていたのか。今の彼は少しだけ理解していた。
それが最後まで我慢していた涙腺をこじ開けた。

克輔は大きく揺れる愛宕丸の船上でワイヤーにしがみつき、声を殺して泣いた。



*   *   *



7月10日 0806時 高知市郊外

高知平野の水田に横たわる大破した撃震。右腕は完全に欠落している。
まだ辛うじて原形を留める左腕は、よく熱を発する炭のように、まだ一部では橙の炎を発していた。
左手は握り手だけになった追加装甲を掴んでいる。
胴体は激しく焼けこげ、融解しているところを見ると、重光線級のレーザーを真正面から浴びたようだった。
絶えうる温度を遙かに超えて加熱された為、今も断続的に各所で爆発が起こっている。
いかに重装甲の撃震といえど、レーザー照射を、しかも至近距離から浴びせられれば破壊されるのは必定であった。
そのすぐ前方には、刺し貫かれ、ひび割れた瞳を空に向け、仰向けに転がる重光線級。一撃を加えた筈の刀は跡形もない。



大きくひしゃげ、随所から黒煙のあがる管制ユニット内。弥凪子の網膜に投影されるタイムリミットを示す数字が、00:00を示している。
こんな時でも予備センサーは生きており、不鮮明ながら外の様子を彼女の網膜に投影していた。
「あ……ぁ……」
管制ユニット内で大きな爆発があり、彼女は手榴弾の爆発を近くで受けたような傷を負っていた。
体中に大小様々な破片が突き刺さっている。もっとも大きな鉄片は、彼女の右上腕を貫き、完全に座席に縫いつけていた。
そして破片の一つは彼女の首をえぐり、管制ユニット内を鮮血で満たしていた。
満身創痍の衛士の網膜には、まさに消えようとしている生命でさえも、つみ取ろうとにじり寄ってくるBETAの波が映る。

もう1、2分しないうちに取り付かれるだろう。彼女は左手で、手探りで腰のホルスターから拳銃を抜く。
それを口にくわえるが、どうしても引き金が引けない。力が入らないのだ。人差し指はトリガーに触れると
大きく震えてしまい、引き絞るどころではなかった。意識にかかる靄も次第に深いものになってくる。
その弥凪子の意識は、船団を、少年を守れなかった悔悟の念が占める。
彼女は沈んだ戦術機母艦「金華」に克輔が乗り込んだと思いこんでいた。
この期に及んで彼が他の船に乗っていた事にするのは、彼女には出来ないことだったし、
「金華」にも克輔と同じような少年少女が大勢乗り込んでいたことは、確かなのである。

溢れる涙が首まで伝い、そこで鮮血と混ざり合う。彼女の心には、自分を信じて昇降車に乗り移った時の克輔が立っていた。
「くそぉ……くそぉっ…………何が、『君の、ヒーロー』だ……」
自分を責める弥凪子に、克輔はうつむいたまま言葉を発しない。
確実に近づいてくる戦車級。その数は次第に増えてゆく。
弥凪子は拳銃を膝の上に置くと、強化装備の小物入れからキャラメルの箱を取り出す。それに託されたもの。
箱を握ると彼女の前に立つ克輔が口を開く。弥凪子には分かっていた。

心優しい克輔は絶対に彼女を責めない。がんばった、しかたがない、弥凪子さんは悪くない、
そう心地よい言葉をかけてくれるだろう。しくじった弥凪子を温かく許してくれるだろう。
そんな言葉は聞きたくなかった。そんな言葉を自分に言わせたくなかった。

「ッ!」
意を決して拳銃を握り直し、勢いを付けて口に突っ込んだ弥凪子は、今度はそのまま引き金を引いた。



fin.



[9990] アフリカに抱かれた斯衛(上)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2009/10/02 20:36
1999年7月19日

日本からの直行便でだいたい16時間。エチオピア帝国、ボレ国際空港。
かつてのヨーロッパの玄関口といわれたフランス、パリはBETAの手中に落ちて久しい。
今ではリヨンにフェイズ5のハイヴを抱え、奪還の目処は未だついていない。
ヨーロッパ各国の亡命政権、飛び地の様にアフリカの大地に転々と存在するヨーロッパ各国の租借地への
入口の一つとなるのがエチオピア首都、アジス・アベバに位置する国際空港であった。
同空港からアフリカ各所に向けてさらに国際線が運航しており、エチオピア航空の他、
欧州航空各社のマークを尾翼に描いたジャンボジェット機がせわしなく発着を繰り返していた。

空港構内はアフリカの玄関口に相応しく、白色とガラス張りを基調にし、天井を細い鉄筋が幾本も
通って支える現代的な造りだ。その中をスーツケースと大きな旅行かばんをハンドカートに載せて
回廊を歩く日本人の斯衛正規軍装の女性も、興味深そうに、あるいは感心した風に辺りを見まわしていた。
売店、免税店が並び、到着ロビーの大型モニタでは、ニュースを流している。
シエラレオネに新たに作られた、英国資本の自動車工場の落成式の様子を映していた。

顔には出していないが、驚きを隠せないのはその行き交う人の量である。
都下の通勤ラッシュ時とまではいかないが、それに近い世界中の人々が
ベルトコンベアから荷物が出てくるのを待っていたり、喫茶店で時間を潰していたりする。
ハイヴを国内に持つ国と、もたない国はこれほどまでに違うのか。全てのものが統制され、
完全な戦時体制国家の彼女の母国では海外旅行はおろか、国内旅行も人々の手から遠く離れた
存在となってしまった。庶民とは立ち位置の違う彼女も軍に入隊してからというもの、
私事の旅行をした記憶がない。アジス・アベバ入りも無論公用であった。

「失礼。日本帝国斯衛軍、一色晏実(いっしきやすみ)大尉ですかな?」
背後から流ちょうな英語で話しかけられ、彼女が振り向くとストライプの入ったグレーのスーツを
きっちり着こなした40台前後の黒人が立っていた。友好的な笑みを浮かべているが
瞳の奥深くにやどる鋭い闘志を見て取った彼女、一色晏実はすぐに彼が軍人であることを看破した。
脇に立つ二人のサングラス姿のボディーガードの身長はゆうに180cmを越えている。
「はい、貴国政府の招待に応じ、軍事顧問として本日着到しました、一色晏実です。
 わざわざのお出迎え感謝致します。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「これは申し訳ない。武家の方にお目にかかるのは初めてでね、気がはやってしまった。
 エチオピア帝国軍戦術機甲総監、ゲレトゥだ、お会いできて嬉しい」
「戦術機甲総監……軍の戦術機運用を統べるお方が、一介の大尉の迎えに。ありがとうございます」
握手するゲレトゥの右手は晏実の手を覆い尽くすほど大きかった。
社交辞令をかわしながら、用意された車へ向かう。軍高官の公用車はアフリカの地でも
やはり黒塗りであった。それを挟んで二台の軍用トラックが停車し、降車した
歩兵があたりを警戒している。彼女の荷物はゲレトゥの護衛が軽々と抱えてしまっていた。
「っ」
晏実が道路へ降りる段差でつまずく。それを兵士が手を掴んで支える。
AK突撃銃が揺れ、赤色のベレー帽が乾燥した大地に落ちる。兵士の手をかりて立ち上がった彼女は
「アマセグナロ……」
と、現地語で感謝の言葉を伝え、落ちたベレー帽の砂を払って手渡し、車に乗り込んだ。
警戒していた歩兵もトラックに分乗し、車列は郊外へ向けて走り出した。


「それにしても、ロイヤルガードは軍人らしからぬ制服ですな。スカーレットの神秘的な
 外套に、ロングスカートとは。私が着るようお願いしたことだが……動きにくそうだ。
 袖の意匠的なV字は階級かなにかか?」
「この軍装で走るのには苦労します。袖の模様は武家の格式を現しています。五色の区分の
 下に細かな序列がまだあるのです」
ハンカチで汗を拭う彼女に、ゲレトゥは先ほどから晏実を質問攻めにしていた。
その内容は、軍の訓練のカリキュラムから食事のおかずの品にまで多岐にわたり、
時折わずかに困りながらも彼女はよどみなく答えていた。その一字一句を逃すまいと
手元のメモ帳に文字を書き込んでゆく大男のエチオピア人。

「ですが、本当に日本のことについてお詳しい。遠く離れているにもかかわらず
 母国の事について関心を持って頂き、嬉しく思います」
「日本の公使とは懇意にしている。ハイヴを国内に抱えながらもこれに果敢に抵抗し、
 誇りを失わない。興味を持つなと言う方が無理な相談というものだ」
そう答えるゲレトゥは人なつっこい、子供のような笑顔をしていた。晏実は、ソ連製と
米国製でほとんど戦術機を固められたエチオピア軍に、わざわざ日本に軍事顧問を求めたのは
この人だ、と理解した。斯衛軍の卓抜した戦闘技能に興味を示す軍人や政治家は内外問わず
多いが、ゲレトゥは日本や武家を純粋に愛し、そして煌武院悠陽のファンなのだな、と感じていた。

「それで、タイプ00、タケミカヅチはどんな機体なのか。私が総監の立場にある理由の
 8割は、我が軍の皇帝警護隊に輸出型タケミカヅチを導入する為なのだが」
そう興奮気味に話すゲレトゥに晏実は顔を曇らせる。どうした?という風に顔をのぞきこむゲレトゥ。
「まだ自軍にも配備が始まっていない機体ですので。そもそも輸出するのかも不透明です。
 私はシミュレータでの訓練も受けておりませんから、どんな、と言われましても」
「ん?"赤"の出身の大尉にもまわらない程の少数生産なのか?確か一般選抜の"黒"にも
 配備予定と聞いているが。あぁ、そうか、一色大尉は京都で確か……」
「はい、お恥ずかしい限りのことです」
「何を言う大尉。我が軍でも、それに欧州列国の軍でも負傷が名誉というのは今や常識だ。
 それだけ自分を省みずに戦ったのだからな。私も最初にもらったまともな勲章は負傷章だったよ」
そう言って笑いながら励ますゲレトゥに、顔を上げて「恐れ入ります」、と答える晏実は
その顔に一滴だけ悲しみの色を落としていた。



*   *   *


1999年7月20日 1427時

灼熱の大地に爆音が響き渡る。エチオピア帝国首都、アジス・アベハからおよそ550km北東に位置するアクスム市。
赤茶けた耕地に忽然と位置する広大な軍都である。紀元前からローマやインドとの貿易で栄えた同市も、
現在では対BETA戦争の後方基地として、エリトリアに駐屯する国連-アフリカ連合の合同軍を支える主要都市となっている。
その郊外の演習場では巨大な砂埃をあげ、1個中隊12機のF-5フリーダムファイターが戦闘機動訓練を繰り広げていた。
エチオピア軍最強の皇帝警護隊所属だ。
デザートイエローの単色塗装に、エチオピア軍の徽章を左肩につけたF-5が左翼からBETA集団が現れた、
との想定で瞬時に傘型陣形から斜陣に変更、WS-16Cや、A-97などの各種突撃砲の
火力を集中、跳ね上がった標的を瞬時に粉砕してゆく。
「歩兵供給大陸」などと10年前まで、まともに取り合われなかったアフリカ連合軍であったが
機敏な機動と、連携で標的を破壊してゆくF-5編隊は先進国の戦術機部隊とも引けを取らない技量である。

軍高官、政府要人らが査閲する司令部幕舎内。黒人の軍人達が資料を確認し、双眼鏡で戦術機を追う中、
晏実もゲレトゥ総監の説明を受けていた。
恰幅の良いゲレトゥは、今日は20はくだらない数の勲章をつけた軍服という出で立ちである。
「一色大尉、右手を、あの先だ。第5、第7中隊のミグがF-5が切り開いた突破口をさらに拡張する」
赤の斯衛制服を隙なく身に包んだ彼女が、無言で双眼鏡を向けると、鋭いシルエットが印象深いMiG-23が間をおかずに到着、
散開して突破口を確保する。中隊長機とおぼしき白線二本を肩に走らせた機体がハンドサインも活用、
部隊を迅速に展開した。槍の穂先となるF-5中隊はさらに前進を続け、光線級を策敵掃討してゆく。
「あれも故障が多くて稼働率を高めるのに苦労する。やはり『安かろう悪かろう』だ。まぁ、ミグを安くしてくれた
 おかげで頭数は揃ったんだがね。それで、率直な感想をききたいが、どうかな、練度は?」
「各個の連携は非常に高い水準で、驚いています。第一線の日本軍、国連軍の衛士とも
 肩を並べる機動です。私の仕事があるかどうか」
「日本軍と肩を並べるとは過分だ。まだまだマニュアル通りにしか動けない連中だよ。
 とはいってもアンバールハイヴ間引き作戦を担当する国連軍の主力はアフリカ連合だ。
 我々も、実戦経験を詰みつつある」
晏実の返事と、十分な力をつけつつある国軍の戦術機部隊の完成度にゲレトゥは満足しているようだ。

演習を終了し、テントの前を速度を落として匍匐飛行する部隊に、ゲレトゥは立ち上がって敬礼する。
そのうちの一機が脚を地面に触れさせ、バランスを崩した。幕舎内に緊張が走るが、
すぐにそのF-5は体勢を立て直して編隊に追従する。ゲレトゥは、まだまだこんな程度だ、と晏実に
苦笑いを見せた。そこへスーツ姿の初老の男が声をかける。顔に深いしわが刻み込まれた
サングラス姿の巨漢である。彼へゲレトゥは敬礼し、彼女も続いた。
「国防相のヌヌだ。お国で反攻作戦をやっているこの時期に我が軍を鍛えに来てくれたそうで、感謝の言葉もない。
 知っての通りだが、なんでも白人に相談しなければならぬ状況は早く脱却したい。それでこその独立国家だ。
 その点、米国にも意見する貴国は大いに尊敬している。よろしく頼むよ」
「はい、全力を尽くします」
敬礼する晏実に軽く手をあげて答えると、外で待たせていた車にヌヌは乗り込んだ。

現在のアフリカ諸国は欧米経済が各所に浸透しており、長らく独立を維持するエチオピアにあっても
エチオピア人による政治が布かれているとは、手放しで言えない状況である。
ヨーロッパ人資本家と、政府高官の癒着はアフリカでは公然の秘密であった。
軍政面で欧州連合はベルファストに本部を置き、その麾下に72年創設のEU軍を独自に保有するため
アフリカ諸国の軍隊への関与は、政治のそれと比べて低いものである。アフリカ独自色の強い軍隊に国防相が国の威信
を期待するのも自然な流れであった。エチオピア軍も欧米の手取り足取りの指導でやっと形になった段階で、
一色晏実も欧米ではなく、しがらみのない日本の軍人、という点も考慮されてエチオピア軍、軍事顧問への招聘であった。
それ以上にゲレトゥが猛烈な親日家であることも影響していたのだが。
外国資本はアフリカの近代化を一気に促進したが、同時に当然のように租借地に居座る白人への不満も燻っている。

大臣の乗る車を見送っていた晏実に、師団長らと挨拶を終えたゲレトゥが歩み寄る。
「それでは17時から警護第二中隊長と今後の予定について話し合ってもらう。
 見ての通り、銃撃はいっぱしの腕前だが、特に格闘戦については、まだまだなのだ」
「フリーダムファイターが我が軍と同じ長刀を装備しているのを見たときは、何かの
 見間違いかと思いました。閣下が総監に就任されてから格闘戦にも力を入れだしたそうですね」
「そう言うことだ。大尉を呼んだのもその仕上げの為でね。ふふっ……警護隊が、日本の斯衛隊と並び称される
 日が今から楽しみだ。では失礼、折を見て、様子を見に来るようにはする」
敬礼を交わして別れる二人。無邪気にエチオピアの精鋭部隊を斯衛に重ねるゲレトゥに
晏実は曖昧な笑顔を返した。



*   *   *


1999年7月20日 1909時

演習より4時間後。晏実の姿は、アクスム基地の戦術機シミュレータ室にあった。
強化装備の彼女の周りには先ほど機動訓練を行っていた衛士とその予備隊員併せて15名が、
彼女の指導を輪になって一言も洩らすまいと聞き入っている。
ある者はメモを取りながら、ある者は彼女の身振り手振りを網膜に焼き付けながら、彼女の技をものにしようとしていた。
「……というのが刀による攻撃の基礎です。あなた方は特に残心を軽視する傾向にある。相手を切り伏せた後の
 伸びがあってこそ、次に繋がるといえます」
説明の為に用意した木刀を上段から右斜め下へゆっくり斬り降ろして、最後の伸びまでしっかりこなすことの
重要性を説く晏実。それぞれが頷いて理解したところで、再度シミュレータを用いての訓練となった。

晏実は警護第二中隊を3グループに分けて4人ずつ稽古している。
それぞれBETA相手に帝国軍と同じ77式近接長刀を用いて要撃級や、戦車級のただ中に飛び込んで
振り回すが、すぐに取り付かれたり、背後からの一撃を受けて行動不能になってしまう。
その様子を大画面モニタで待機している他のグループがあれこれ品評したり、批判しながら待っていた。
アイツは足さばきが悪い、刀に力がのるとはどういうことか、などなど。
その喧騒も「それでは私がもう一度手本を見せます」との言葉で静まりかえった。晏実が
搭乗するF-5がおもむろに長刀をブレードマウントから引き抜くと、要撃級、戦車級、そして
数体の光線級が混じる群れにひるむことなく単機で飛び込んでゆく。
「どうなってやがるんだ……」
そう呟いた警護隊員の言葉が、居合わせた全員の気持ちを代弁していた。
同じフリーダムファイターを用いて、同じOSを使っているが、この違いはどこから出てくるのか。
四方を囲まれても動揺することなく、長刀は流れるように飛びかかるBETAを次々と切り伏せる。
徒歩移動で適切な間合いを取り、次の戦車級が分断される。要撃級の腕がはじけ飛ぶ、
光線級が背後から刺し貫かれる。その全てに、始まりが無く、終わりがない。
動作が完全に繋がっているのだ。あっという間に死骸の山が築かれて中隊規模のBETAが全滅した。
彼女の機体に、BETAは指一本触れていなかった。


「1グループの方々も最初に比べれば」
そう言いながらシミュレータのタラップを降りてくる彼女が踏み外してよろめく。
すぐに近くにいた隊員、メスフィンがとっさに飛び出て彼女を支えた。
メスフィンの目にはまたやってしまった、という晏実の表情が映った。
「お加減が悪いのですか?」
「失礼、そういう訳ではないのです」
彼女が体を起こすと、抱きすくめたメスフィンから離れる。顔をあげた晏実は、
不満と嫉妬の入り交じった表情の警護隊員達の姿を見る。そして誰からともなく発せられた
「中隊の面汚しの癖に」
という声。晏実は即座にその方へ向いて、誰が言ったか、と声を荒げる。
それまで階級が下の者にも柔らかな物腰をしていた晏実の豹変に一同が驚く。
誰もがその剣幕に気圧される中、警護中隊の副隊長が一歩前に出た。
「メスフィン少尉は栄誉ある皇帝警護隊に求められる水準に達しておりません。
 先ほどの展示訓練でも地上接触のミスをやらかしたのは彼です。一色大尉の指導して下さる
 訓練の飲み込みも、人一倍遅い」
晏実が、メスフィンの顔を横目に見ると、短く刈り上げた精悍な顔つきがある。
特に気にした様子もないが、彼女は厳しい口調で諫めた。
「そういった発言は非常に不愉快です。以後慎むように。……それで、機動についてなにか質問は?」
彼女が咳払いの後、そう言って下まで降りてくると、ほぼ全員が手を上げて質問を投げかける。
質問することで、濁った空気を払拭しようとするかのようだった。

「あんな、オーケストラ指揮者の棒みたいな刀の動き、考えてやっているので?」
まず質問を許可されたのは、モニタをみて感嘆していた隊員だ。
まわりの連中もうんうんと、そろえて賛同する。それほど彼女の動きは洗練されていた。
その問いに、彼女は、
「伏せろ!」
と大声で指示していた。全員が、0.5秒かからず反射的に匍匐姿勢にうつる。
軍人になってから最初に叩き込まれる所作。伏せてから彼らは何の関係があるのかといぶかしんでいた。
「結構です、立って下さい。あなた方は号令から伏せの姿勢に移る時、
 右膝、左手、それから体、と考えながら伏せていますか?」
それぞれ立ち上がりながら首を横に振る。条件反射であり、そこに思考を挟む余地がないのは自明だ。
「私の刀の動きも同じです。物心ついたときから、武家の娘として剣に触れてきたから反射で
 あのように動く。あなた方も基礎をしっかり続けていれば、目がBETAを捉えただけで腕が、
 戦術機の刀が自然に動くようになります。
『この真剣の斬合というものは、敵がこう斬り込んできたら、それをこう払っておいて、そのすきに
 こう斬り込んでいく……などということはできるものではなく、夢中になって斬り合うのです』
 ……今から140年前に日本に実在した凄腕剣士の言葉です」
警護隊員が注視する中、彼女が木刀で相手の刀を払い落とす仕草を交えながら解説する。
以後、このような指導はシミュレータ室では、ありふれた光景となってゆく。
熱心な隊員に囲まれ、晏実も時間を超えて訓練に立ち会い、自室に戻る時間も
遅くなる日が続くことになった。



[9990] アフリカに抱かれた斯衛(下)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2009/10/03 23:20
目を覚ますと"見慣れた"個室。背後を振り返れば、木製パネルに埋め込まれた読書灯。
壁掛け型テレビが設置され、床はじゅうたん張り。一見すればホテルのようだ。
だが枕元にあるナースコールが、そこが病室であることを強く主張していた。
「……」
そして壁に立てかけてあるアルミ製の松葉杖。持ち手にまかれた包帯は擦り切れている。
薄い掛け布団には足のシルエットが浮かび上がる。足が、もうある、ということは。
引き戸がノックと共に開かれる音がする。
最も思い出したくない、一刻も早く忘れたい記憶。
それなのに人間、こういう時に上手くない。一番眠りたいときに眠れぬように、絶対覚えなくてはならないものが
頭に入らぬように。
「月、詠……」
彼女の、背骨をわしづかみにする鋭い視線が、見下ろしていた。この視線、存在感。
同じ五接家に近しい有力武家の出。受けた教育もそう変わらないだろうに、何が違うのか。

空調は完全に効いているにもかかわらず、汗が体中から吹き出る。
「いつ、一色は原隊に復帰するのだ?」
月詠は見舞いなどという理由で来るはずはない事は分かっていた。
「ぎ、疑似生体のなじみが悪く、リハビリも、その」
正直、BETAと正対しているときよりも恐ろしく、緊張していた。
真っ直ぐ心を貫く視線が、ますます鋭利なものになってゆく。それに比例して口をついて出てくる言葉も
とりとめなく、言い訳がましいものとなり。その時を迎える。
「もういい。貴様のような女が、一色の家を継いでいることが不幸だ。この――」


「ッ……はぁ……はぁ……はぁ……」
それ以上聞きたくない、その晏実の心の叫びが、彼女の浅い眠りを破る。
今彼女が寝ているのはアクスム基地に宛われた士官用の個室である。決して病室ではない。
同地に着任してから既に数日が経過し、やっと部屋にも慣れてきたところだった。
晏実は夢中同様、汗をびっしょりかいていた。毛布から抜け出て、足をスリッパに入れる。
足はしっかりと動く。晏実はもう一つ大きなため息をつくと、掛け時計に目を移した。
午前三時過ぎ。夜中も夜中である。酷く喉が渇いた彼女は、
寝巻のまま基地内をうろつくわけにもいかず、斯衛制服に着替え始める。
黒のアンダースーツを身にまとい、裃(かみしも)に袖を通す。
体が赤く染まってゆく過程で、彼女の心は一色家の武人へと切り替えられてゆく。
「水を買いに行くだけに、何を気張る必要があるのだか……」
そう口にしても、それだけの重みが真紅の制服から彼女にのし掛かっていた。

談話室にある自販機に向かう細い通路。砂っぽく、電灯も幾つか切れている。
すれ違う人もないが、寝起きに見られないように目に少し力を入れながら歩いていると、
ジムから光が漏れていた。中に冷水器があった事を思い出した晏実は、
重い鉄扉を開けて中を覗くことにした。
ランニングマシーンや、サンドバック、ベンチプレスなどが置かれた区画の明かりは
落ちており、ライトがついているのはやや天井の高い、体操スペース。
晏実の視線の先には、木刀を一心に振るうメスフィンの姿があった。
迷彩ズボンに、白のTシャツを着た彼は、晏実の入室も気づかずに素振りに打ち込んでいる。
その様子を少し眺めた後、彼女から声をかけた。
「少尉、諸手で刀を握るときは左手がメインです。右手は力みすぎないように」
「!?」
驚いて木刀を下ろし、敬礼するメスフィン。晏実は答礼してから彼の打突や、
足捌きについて簡単な助言をした。

「大尉、質問してもよろしいでしょうか」
「なんですか?」
近くの革張りが破れ、中のスポンジが見える、かなり傷んだソファに晏実とメスフィンは座って
休んでいた。二人は彼女が買ってきた水を手にしている。
「なぜ、大尉は初日の訓練の時に私を庇って下さるようなことを、おっしゃったのですか?
 皇帝警護隊は陛下をお守りする最強の部隊です。厳しい指導は当然です。兵隊は厳しい訓練で
 強くなります。失敗ばかりな、私が言うのも変でありますが。日本の斯衛隊も同じなのでしょう?」
英語は相当くだけているが、伝わらないことはない。まだ滴る汗を首にかけたタオルで
拭きながらメスフィンはそう問うた。
「この国では、貴族は力を持っていないそうですね?」
「は?……ハッ、84年の国民統一師団派遣で宥和するまでは、貴族は公職にも就けませんでした。
 日本の武士と違って、民から巻き上げる事しか考えがない連中でしたから」
エチオピアは一時期、共和制になりかけたことがある。その動きがBETA地球侵略と重なり、
帝政廃止までは至らなかったが、それまで中央で権力を握っていた貴族は、軒並み排除の憂き目にあっていた。

「正直、エチオピアが羨ましいです。っと、質問に答えていませんでした。そう……ですね、
 少尉に同情したんだと思います。ただ、それは失礼な間違いだったようです」
「意味が分かりません」
「もう戻ります。少尉も朝から訓練があるのでしょう、寝不足は他の隊員に迷惑をかけますよ」
飲み干したペットボトルをくずかごに入れながら、晏実は来た通路を戻っていった。
メスフィンは、軍の規模においても、経済力においてもはるかにエチオピアを凌駕する
日本の彼女が、エチオピアが羨ましいと言った真意に思いを巡らせながら、しばらくソファに
腰を下ろしたままでいた。



*   *   *



1999年8月5日 2205時

「よし、そこまで!」
アクスム郊外演習場で、実機訓練にあたっていた警護隊が夜に入って訓練を切り上げる。
二組に分かれて模擬戦を行っていたF-5がトレーラーに載せられてゆく。
晏実も今回得られたデータを中隊長と付き合わせて、隊員の完成度の確認をしていた。
それも大体済んだところに、4WD車がテント近くで停車した。
「総監!今日はこちらにはいらっしゃらない予定では」
後部座席から降りてきたのは、スーツ姿のゲレトゥであった。
「何、たまには見にこんとな。で、明日は訓練が無いだろう。今日は私が持つから一色大尉を
 歓迎してやってくれ。私も基地に寄ってから行く。いつもの所だ」
「流石閣下、ありがとうございます!部下も喜ぶでしょう」

中隊長とゲレトゥは思いきり現地語で話していたため、晏実にはさっぱり理解できず、
自分には関係ないだろうと資料をまとめていると、強化装備から野戦服に着替えた
警護隊衛士達がやってきて、そのまま無蓋のトラックに彼女をつまみ上げてしまった。
「ちょ、ちょっと。このトラックは今からどこへ?」
困惑する晏実を残してトラック内は既に一杯気分だ。
「飲みに行くんすよ!まだ一色大尉は基地食堂しか行ってないんでしょ?
 あれじゃエチオピアに来たうちに入らないってもんです。色々上手い酒もメシがもありますよ!」
「い、いや、私は、そのお酒は……」
「馬鹿言っちゃいけませんよ!あれだけ戦上手の大尉が飲めないなんて嘘、誰も信じやしませんって!」
それから晏実はまだ何か訴えたようだが、荷台では軍歌の合唱が始まり、それに完全に掻き消されてしまった。



1999年8月5日 2315時

場末の酒場というのは大体万国共通の様相である。晏実が連れていかれた所は
元々将校クラブであるため、全木製のカウンターに、ビール樽をテーブルにして、雰囲気だけは
欧米のバーに似せ、高級感を出そうとした工夫の跡が見られるが、
客がそんなことはお構いなしにビールを浴びるように飲み、食事をつまんでいた。
エチオピア軍人の大半は酒と食事がうまければ何でもよかったようだ。
「大尉も楽しんでますか!?」
「はい、このターメイヤ、というのですか?これが国のコロッケと食感が似ていて美味しいですね」
「それは全部野菜ですからね。ヘルシーこの上ないですよ!これは……、ぺっ、なんだ、甘いな。ジュースじゃないっすか!」
ジンジャーエールを注文して、隅でやり過ごしていた晏実にも隊員が次から次へと絡んでくる。
階級がどうこう言っている場合ではなかった。本当の意味で無礼講である。

「だから私は飲めないのであって」
「このナイジェリアで作ってるプレミアムビールはなかなかイケますよ、日本のと比べてみて下さい!」
どんとおかれたグラスに、緑の瓶からなみなみとビールが注がれてゆく。
そろそろ意図的に無視されているのではと、晏実は感じるようになってきた。
「さぁどうぞ!」
「う……」
いい加減断り続けるのも悪いと思ったのか、晏実はついにビールに口を付け、
グラスの2割くらいを苦労して飲んだ。なんだ飲めるじゃないか、さすがサムライ、と
周りからヤジが飛ぶ。
「どうですか、味は!」
そう笑顔で聞いてきたのは、メスフィンだ。個人の猛訓練の甲斐もあってか
訓練によくついてこれてきている。その上機嫌が酒に乗ってよくあらわれていた。
「え、えぇ、美味しい、んじゃないでしょうか」
「ですよね!こいつは本当にイケますよ!まだまだ、今回は総監が全部持ってくれるんですから!」
さらにグラスにビールが注がれる。注ぎすぎて、外に零れてしまった。
不味い、と言っておけば良かったと、彼女は今さら後悔したが既に時は遅い。
ガッと掴んで一気に煽った。おぉー、という歓声と同時に晏実の気管に盛大にビールが流れ込む。
「ごほっ!ごほっ!……げほっ!、水、水……!」
すぐにコップを渡され、それを飲み干す晏実。だが、それこそ警護隊員達の思うつぼであった。
「ぐっ!?これ、水じゃ……」
カァッ、と喉が熱くなり、顔が真っ赤になるのが、彼女にはわかった。
すぐに咳き込み出すがもう遅い。
「どうですか、アフリカのサトウキビ酒の味は」
「ぁ、あー………」

晏実が飲んだアフリカの地ウィスキーは、本来日本酒と似たような風味であるが、そんな事を認識する間もなく
コップを握ったまま椅子から滑り落ちて昏倒してしまった。
残っていた酒が制服にかかり、しみをつくる。流石にまずそうだと思った、その時にゲレトゥが入店してきた。
彼女を招いた張本人のゲレトゥは日本についてさらに聞くつもりで来たが、床でぶっ倒れている晏実に驚き、
次の瞬間大声で怒鳴っていた。
「誰だ!一色大尉にこれだけ飲ませた奴は!」
騒がしかった酒場が一気に静まりかえる。その中で仲間につつかれながら仕方なしにメスフィンが手を上げる。
流石にやりすぎたと思ったらしい。どんな叱責を受けるのかと顔面蒼白である。だが
「よし……メスフィン少尉、貴様は特務遂行章2級に推薦してやる」
そう冗談を飛ばしながら、ジャケットからカメラを取り出して、だらしなく倒れている彼女の写真を撮り始めた。
「あの、総監、何を?」
メスフィンがそう訪ねると、ゲレトゥは撮影が一段落したところで答えた。
「日本の高級武家が酒飲んで潰れる、なんて写真はな、一枚も見たことがない。全く出回ってないんだよ!
 だいたい、きりりとした出で立ちなんだ。こんなの二度と拝めない姿だぞ……。まぁ、それはいい。
 おい、少尉、一色大尉を外に連れ出して介抱しろ。急性アルコール中毒で武家を殺したら外交問題だぞ」
「は、はっ」
うー、きもちわるい、と呻く彼女をかついでメスフィンが外に連れ出してゆく。
それくらいから、また酒場内にいつもの空気が戻ってきた。



1999年8月6日 0148時

まだ、夜は始まったばかりであり、翌4時まで開けている将校クラブも活気に溢れている。
店内に設置されたテレビでは、晏実の本国、日本での明星作戦が有利に進められているとのニュースを流していた。
「それで彼女はなぜ、日本の存亡をかけた戦いをやっている時に、はるばる我々の指導にきているんですか?」
馬鹿騒ぎはややなりを潜め、ウィスキーを飲んでいるメスフィンのもとに警護隊員が集まっていた。
現在日本は、国の存亡に直結する人類が未だ達成したことのない、ハイヴ攻略に挑んでいる。
米軍の新兵器や、国連軍の援護があるとはいえ、これまでのハイヴ攻略作戦はことごとく失敗してきたことを考えると
エチオピアくんだりで教官をしている暇はないはずだ、というのが隊員達の疑問であった。

「それはだな、一色大尉が赤色武家初めての"被撃墜者"なんだよ。日本の本土防衛戦で戦功を
 焦ったと聞いている。救助時に両足切断、だそうだ」
「切断……うっへぇ。しかし大尉が戦功を焦って、しかも撃墜されるとは、信じがたいですね」
「そうかな?おまえらみたいなドングリの背比べならまだ、アイツを抜いてやろう、なにくそ、といくかもしれんがね、
 今の斯衛には、月詠、篁、藤原と世界屈指のエースが揃ってるんだ。特に同じ赤色ってことで月詠と
 比べられていたらしいな。月詠の活躍なら衛士なら誰でも知ってるだろ?」
京都防衛作戦での月詠真耶の活躍は遠くアフリカの地にも届いていた。彼女の戦果は今や一つの生ける
伝説となっている。大方が彼女も焦るだろうと納得したところでゲレトゥが続ける。
「それでその斯衛の一番大事な首都防衛戦の間を病院のベッドで過ごしたって訳だ。リハビリが終わって
 後から合流してもお互い気まずい。それに隊内で何かあったらしい。そんな時に私が斯衛隊員がほしいって
 駄目もとで要請したら、向こうも渡りに船ってことでこっちに投げてよこしたって寸法だよ」
そう彼女の来歴を話すとゲレトゥは、大尉の様子を見てくると席を立った。まわりにいた警護隊員は、
あの月詠と比べられたらな、とか、若いのに随分苦労している、と口々に話していた。
店の扉を出るところでゲレトゥは副官から耳打ちを受ける。それにわかったと答えてから外に出た。



それまで介抱していたメスフィンに、ご苦労とチップを払って店内に戻すと、改めてベンチに座る晏実を眺める。
髪は乱れ、丁寧に拭き取られていたが、神官のような斯衛制服には酒の跡がのこる。クリーニングは必須とみえた。
ゲレトゥは彼女の隣に座って、彼女の肩に手を回しながら尋ねた。
「大尉、気分は良くなったかね?」
「いえ、頭が、がんがんします。肝臓を痛めてからは医者にとめられていたのに」
「しこたま飲ませやがって……。しかし、随分と日本では苦労したようだったな」
「まぁ、私は望んで斯衛に入隊した訳ではないので……。あいたた、家族や、親族、まわりが熱烈に推薦するものですから。
 こんなこというと、警護隊の皆さんには悪いと思うのですが」
「そんなこと言ってしまって良いのかい?」
「すいません、大使館に告げ口はやめてください……」
「んなことはせんよ」
そういってからからと笑う、ゲレトゥ。晏実も顔が青白いなりに、微笑んだ。
彼は深く呼吸する晏実を見つめる。先ほど副官が、国連軍と日本軍による横浜ハイヴ攻略の報を伝えていた。

世界中の人々が歓喜でこの日を記憶するだろう。だが、彼女はどうだろうか。この一番大切な日に
地球の裏側でアフリカ兵の訓練指導にあたっている。いずれニュースで奪還を知るだろう。
その時、晏実はどんな顔をするだろうか。

「生まれってのは、大変なもんだ……」
胸のシガレットケースから、葉巻を取り出しながら、ゲレトゥはそう呟いていた。


fin.



[9990] 俺は預言者に会ったか(上)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/01/02 03:39
1999年7月15日 夜間 京都市内 富嶽記念病院

酷く体が重い。金縛りに遇ったかのようだ。いや、体は動かそうと思えば動かせる。
ただ心が擦り切れて、腕や足を動かす指令を与える力がなくなっていたのだ。
ヘリコプターで病院に飛んでからずっとこんな調子だ。

明るい富嶽記念病院の待合室。もう午後7時をまわっているが、受診しているのは軍人ばかり。
京都市民は順次バスやら琵琶湖フェリーやらで大疎開を始めている。
たしか省庁も逃げ出しつつあるはずだ。我ら斯衛の元締めの城代省も、中枢は東京に疎開した。
ご一家が首府に在留するとのご決断を下したにも関わらず身軽なことだ。

薬剤部から薬をもらうために待っている人の列も、みな迷彩服の連中だ。
重傷の負傷者も多く、野戦病院のようである。
それでも斯衛の衛士は珍しいらしく、時折遠慮がちな視線がこちらに向けられる。
武家の一員であれば、物珍しさでこちらに目を向けることもあるだろう。
あるいは市民社会にとけ込んだ、公安の密偵かもしれないが。
「一色(いっしき)なら、武笠(むかさ)中尉、しっかりしなさいと叱るだろうか……」
そんな独り言が口をついて出てくる。とりあえず回りから落ち込んでいるようには
見えないように背筋を正して腰掛け直す。

口に出すことでまた思い出してしまう。彼女の顔、声、優しさ、そして――

駄目だ、剛史(つよし)。こんな所にいては周りを動揺させる。彼女も医者の手に委ねられた。
俺がここでうめこうが、祈ろうが、叫ぼうが結果が変わるわけではない。
心配性な一色の父君には、くれぐれも晏実を頼むと言われたが、果たせなかった。
そんな陰鬱な気持ちで自動ドアを通って外に出る。すぐに初夏のねっとりとした不快な風がまとわりついてきた。

100万都市であった京都も、防衛にあたる軍隊と、支援する人員を除いて退避が完了しつつある。
街路灯も消えている。ミサイルや野砲、戦術機部隊の駐機場などの要所を投光器が照らすのみ。
たった数日で、ネズミの引っ越しかなにかのようにゴーストタウンになってしまった。

「はぁ……」
人っ子一人いない京都。それだけで胸の奥底から敗北感が沸き上がってくる。
無論、軍が市民に気を取られることなく迎撃するための措置だ。だが、
「なんか、BETAに明け渡す準備万端、って感じだな」
そんな柄にも無い言葉が口をついて出てきてしまう。それほどまでに、鮮烈で、ショッキングだった。
泣きじゃくりながら暴れる一色晏実(いっしきやすみ)をとりおさえる中、彼女の足を切断する作業は。

「うっ」
思い出しただけで吐き気がこみ上げてくる。向こう当分、肉(といってもどうせ合成だが)を食べる気がしない。
筋肉を引き裂いて、大腿骨をゴリゴリと削ってゆく瞬間。時間が無く、麻酔が効ききる前だったから
死ぬほど痛かっただろう。

気分が最低になる回想を脳からなんとか押し出して、歩き出す。
京都滞在の間、宛われているボロホテルまで、タクシーならものの10分15分だが、みんな逃げだした後だ。
本数を減らして軍事輸送を行っている地下鉄を使うしかないのだが、これが見つからない。
見慣れた街であっても、まったく様子が違うと感覚がつかめない。標識も暗くて読めないのも困りものだ。
方向音痴も斯衛に入ってから大分改善したが、やはり根っこにしっかり残っているらしい。
「お困りですか、お武家さん?」
「あぁ、失礼。烏丸線の五条駅は――」

そう言いかけて言葉を失った。いろんな意味でおかしかった。

少女が、無邪気な笑みをうかべて立っている。

この、排ガスと埃の舞う、前線と化した京都と、全く不釣り合いな存在。
電灯の落ちて暗く沈む首府に、白いワンピースが少女を浮き彫りにしていた。
「五条駅ならすぐそこですけど。でも、私にはお武家さんは、もっともっと大事なことで
困っているように見えましたよ」
「な……」
そう話しながら、変わらぬ笑顔で、全てを包み込むと言っては大げさだろうか、背格好に似合わず
大人びた印象に圧倒される。何時もいっぱいいっぱいの一色より、落ち着いているかもしれない。
「……もっと大事なこととは?」
「うーん。なんで、こんな事になっちゃったんだろう? そんな感じの事です。もしかして、お武家さん、
大切な方が亡くなりましたか?」
「死んだ訳じゃない!」
そう言って、はっとする。少女の方は、やっぱりそうなんですね。と、優しい笑顔のまま小首をかしげていた。
一つ一つの動作が、いちいち、浮世離れしているというか……。
「死んだわけではない、でもとても辛い目に遭っている。そういうことですね」
「だとしたら、なんだというんだ?」
「お武家さんや、あなたの大切な人が、そんな気持ちから、抜け出せる方法を、私は知っています」
「抜け出せる、方法? 馬鹿な。そんなものが簡単に見つけられるとは思えない。あとお武家さん、はやめろ。
武笠剛史という名前がある」

何を言い出すかと思えば。拍子抜けしたと同時に、怒りがこみ上げてくる。
BETAをこの地球から撃退するまで、少なくとも日本から追い落とすまで「そんな気持ち」
から抜け出せる日などくるはずがない。BETAがいなくならない限り、対BETA戦争で、同僚や、まわりの人が
死ぬ事は亡くならない。いつ、人間が滅亡するかもしれない、自分がBETAに食い殺されるかもしれない
という恐怖から、解放されることはない。

子供相手に何を向きになっているのかと、冷静な部分の自分が囁くが、彼女のあんな姿を見た後では
抑えられなかった。斯衛として、常に落ち着いて精強であることを示す、そんな基本的なことも
頭から飛んでいた。
「じゃあ武笠さん。私たちって、神話の時代を生きていると思いません?」
「そんな問答がしたい訳じゃない。その、ふざけた『抜け出せる方法』とやらを俺は聞きたいんだ」
「せっかちはいけません。必ずそのお話はします。でも、ちょっとした発想の転換をしないと、
その方法はあなたに降りてこないんです」
世の中、武家であるだけで誰もが後じさり、道を譲る中、彼女は物怖じした様子を見せずに話を続ける。
やはり、どこか違う。

「ふん。神話か。どうだかな」
「だってそうでしょう? いまから五十年前にタイムスリップして『20世紀末には宇宙人が突然地球に攻めてきて、
人類は滅亡の危機に瀕しています』って話したら、頭がおかしい人だと言われませんか?」
「……まぁ、そうかもしれん」
それはそうだ。宇宙人の侵略なんて人類の歴史以前に、地球が誕生して以来の事だろう。
1967年より前と、その後で年表に書かれている記事が一変する。
「月での悲劇の後から人類は神話の時代、それまでの常識が通じない時代に踏み込んでしまったんです」
少女はもう、笑っていなかった。

「じゃあ、宿題を出しますね」
BETAが居ることが当たり前だった。俺が中学の時に、BETAの地球侵攻が始まった。
そういう見方も出来るか、と思索にふけっていたときに、そんなことを言われる。
「宿題?」
「BETAに襲われるような悪いことを私たちがしたかな、という事を考えておいて下さい。
深く考えると、答えは出ないので思いつくままでいいです。それじゃぁ、また会いましょう、武笠さん」

楽しそうに、対戦車障害で封鎖された道路の隙間に少女は消えてしまう。
あっという間だった。本当なら、親はどこか、とか、どこの学校だ、と聞いて警察にでも連れて行く
べきだったのに、ふっと我に返ると彼女の話に引き込まれていた。
「なんだったんだ……一体」
物の本で、第一次世界大戦下のイギリスでは、心霊現象が新聞に取り上げられるほど様々な場所で
発生して、あやしげな除霊士がのさばった、という話を読んだことがあった。
日本は当時のイギリスより酷い状況下にある。俺も、それに捕らわれたのだろうか?



*   *   *



1999年7月17日 午前 京都市内 旧帝都城内 大将軍執務室


心が痛い。申し訳ない。この場に立っているのが辛い。しかし、御下問頂いた内容に
包み隠さず答えなくてはならない。大将軍閣下が病床に臥せって以降、国事の大権は、目の前の
少女、すなわち煌武院悠陽殿下のお手元にあるのだから。

「その件につきましては、何人、というのは、皆目見当もつかないというのが現状です」
「精一杯少なく見積もって、で結構です。これだけは把握しておかなくてはなりません」
「少なくとも……、一千万人から、一千五百万人が命を落としたかと、小官は考えます」
「一千……五百……万……」
指紋一つ無く磨かれた漆黒の執務机に、殿下の驚きと苦渋の表情が映し出される。
努めて平静を装うとしているお姿が、(失礼ながら)余計に健気に見えて、申し訳ない。
突き付けられた天文学的な数字を、なんとか消化しようと、苦しむ殿下。
こんなお顔を見たくて、俺は斯衛衛士になったのではない。


あの少女と会ってから24時間の猶予があった。首都防衛司令部におもむいて奏上の準備。
集められるだけ資料を集めて、一晩寝た後、旧帝都城に登城。煌武院悠陽殿下に
戦況のご説明にあたっている。まだ元服するかしないかの、若齢の殿下に参謀や
侍従武官は何も説明していなかったようだ。それを疑問に思われての、他の者を介さない
奏聞の場に、俺はいた。


俺が見積もった犠牲者の数に、絶句する殿下。一週間で失った人数としては、我が国開闢以来の
数値だろう。BETAの勢いと、カカシほどの役にも立たない四軍を見れば、これ以降も増え続けるに違いない。

ぽき、という音がする。メモをとっていた殿下の鉛筆の芯が、折れていた。

「その、バインダーには、何が収められているのですか」
殿下が、震える声でそう、質問なさる。
「ご指示通り、お預かりしている瑞鶴に記録されている、中国地方各地の現状の画像を
抜粋して印刷してまいりました。しかし、内容が、内容ですので……」
「見ます。それを、こちらに」
決然とした言葉で、右手を差し出される殿下。そうされてはお渡しするほかない。
殿下がバインダーを受け取り、とじ込まれた写真をご覧になる。時間がなかったため、どうしても
崩し字とならざるをえなかったキャプションもあわせながら。

現状の東日本の状況をよく現した写真、情報、報告を殿下はご所望された。今から考えれば、もう少し
選べば良かったかもしれない。一度奴らの手に落ちた後、ほんの数時間奪還に成功した
大都市の光景など、れっきとした斯衛衛士である一色が、堪えきれずに吐瀉した。
俺は、卑怯にも、目を背けた。軍のしでかした結果を、俺は直視できなかったのだ。
「っ……」
それを、お若い殿下は全て、ご自分の事として受けとめようとしている。
1ページ、1ページ、全ての光景を網膜に焼き付けるように、じっくりと眺めている。
バラバラに引き裂かれた亡骸の山を、瓦礫と化した国民の財産を、薙ぎ倒され、蹂躙された自然を。



「武笠」
「はっ」
もう、拝謁の時間は終わろうとしている。内容を察して、侍従がなるべく時間を削ろうとしたのだ。
お手元から顔を上げた殿下が、一層悲痛なお顔で俺を正面から見据える。
「私を、許していただきたいのです」
「……失礼ですが、それは、どういった意味でございましょうか」
殿下が静かに席を立たれ、俺の手を取った。不敬にも見下ろす格好となってしまう。

「で、殿下」
「今、私は、私の父に最も尽くしてくれているそなたを、責めたいと思う気持ちを抱いてしまいました」
そのお言葉に、息を呑む。
「何故、斯衛は……軍は、このような、惨たらしい災厄から、人びとを守って下さらなかったのか、と。
そなた達は、国民のために最前線で戦っているのに、私は……」
そう、消え入りそうなお声で一言一言を口にされる。お顔は真っ白だった。

「失礼ながら、殿下。そのお気持ちは全く正当なものであります。我々斯衛隊、軍がふがいないばかりに
国民の生命を失い、国土を焼き、財産を侵略者のほしいままにされているのです。私は、殿下や大将軍閣下、
そして国民に顔向けできません。畏れ多くも殿下にお許しを頂くなど、以ての外であります」
俺の答えに殿下はお言葉を発しない。
ぎゅっと、一際強く私の手を握った後、身を翻される。直後に背後の扉が挨拶と共に開かれ、侍従が入室する。
もう、時間だった。
「そなたのような誠の士を持って、父も幸せでしょう。下がって結構です」
「失礼します」



下城しながら、殿下のことを思う。なぜ、あのような現実を突き付けられなければならないのか。
殿下は生来より志高く、『煌武院家始まって以来の不世出の人物』と称する者もいる。
「違う」
そうじゃない。この状況が、殿下をそうさせたのだ。この一週間の出来事が殿下の父君を
変えてしまったように、望まれるように振る舞うしかないのではなかったのか。
世が世であれば、ご家族と静かなお暮らしをお送りすることが出来ただろうに。



[9990] 俺は預言者に会ったか(中)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/01/05 17:01
※本作には、四肢の欠損描写があります。ご注意下さい。


1999年7月17日 午後 京都市内 富嶽記念病院 253号病室

帝都城を去ったその足で、一色の入院する富嶽記念病院に足を向けた。
VIPが入院する立派な個室だ。こういう時に彼女や、ひいては自分が武家であることを自覚する。
病院の廊下にまで溢れて寝かされている兵士達もいる中での特別扱い。

医者に無理を言って、面会させてもらった。この休暇が終われば、前線に出撃し、二度と会えなくなる
かもしれなかったから。一色と顔を合わせられるのも最後となるかもしれないから。
「具合は、どうか?」
良いわけがないが、どう声をかけたらいいんだ、それしか思いつかなかった。
ベッドの上で横たわる一色には、左腕に点滴針がさされている。開かれたうつろな瞳は、
天井を焦点の定まらない目で見つめていた。
だらりとベッドの上に投げ出された手を握る。血の通った手のひらだが、生気というものが感じられない。
「あの時のこと、恨んでいるか?」
「……」
一色は答えない。そして手を握ると目がどうしても足へ行ってしまう。夏場の薄いブランケットは、
彼女の太腿半分くらいの所でストンと落ちてしまっている。膝から下の部分に、何もない。

それから、少し殿下のことや、京都の事を話した。口はきかなくても、伝わっていると信じて。
そして、俺の話が彼女の父の事に差し掛かったとき、それまでぴくりとも動かなかった唇から、ついに言葉がもれた。
「お父……さま……」
彼女が首を少し起こして、自分の「足」に視線を落とす。みるみる内に、その目に涙が溜まって、こぼれ落ちはじめた。
彼女の初めて聞く、さめざめとした嗚咽。いつも自分を出すことが少なく、理想の武家たろうと
颯爽と振る舞っていた一色晏実。その彼女が、同じ大隊の隊長同士とはいえ、人前で泣いている。
正確には足を切ったときも見ていたはずだが、あの時とは状況も雰囲気も違う。

「お父さま……お母さま……ごめんな、さい……ごめんなさ、……い……私は……、晏、実は……」
時折息を詰まらせながら、両親への謝罪の言葉を口にする一色。
「一色、あの時は仕方がなかったんだ。お前も十分よくやった」
仕方がなかった、その言葉に彼女は敏感に反応し、重傷者とは思えない動きで私の胸ぐらを掴んできた。
見たこともない形相をして。
「仕方がなかった!? どういうことですか、それは!? 私が両親から頂いた、大切な体を、
仕方がなかったですませるんですか、武笠中尉!? 答えて下さい!!」
ひっぱられた点滴のスタンドが倒れ、大きな音を立てる。それ以上に、穏和で、声を荒げて怒ることが
全くと言っていいほど無かった彼女が、我を忘れて俺を泣きながら糾弾している事に驚いた。

「私は切らないでって言いましたよね!? 泣きながら、切るのだけはやめてって、あの時、あなたにお願いした!
何度も、何度も! それを、羽交い締めにして、あなたは無視してのこぎりで……ッ」
「落ち着くんだ一色!」
「お母様と、お父様から頂いた……大切な、私の、両足を……返して下さい、武笠中尉! 返して、返して、返して!」
そのまま身を乗り出した一色がバランスを崩してベッドから転げ落ちる。
半ズボンから見える、切断面に巻かれた包帯。そんな姿で俺の足にしがみついて、手を伸ばしてはい上がろうとする。
「……ッ!」
「私、あなたに……何をしたっていうんですか……ただ、返して欲しい」
「いい加減にしろ、中尉!」
反射的に俺はその手を払って叫んでいた。彼女は信じられない物を見たような表情で凍っている。
「負傷したくらいでなんという体たらくだ! 女々しく泣き叫んで、斯衛の矜持を忘れたのか!?」
「む、かさ中、尉……な、何を。何で、そんな事を、言うんですか? 私の、足を切った張本人のあなたが、何を」
「月詠中尉がおまえと同じ立場に置かれたら、今みたいに泣き叫ぶと思うか? お前は衆庶とは立場が違うんだ。
閣下の第一の臣が、そんな事でこの国はどうなる!」
凍り付いた彼女の顔に、怒りが戻ってくる。
「また月詠の話をするっ、父も、みんなも、あなたも……! 私だって、好きでこんな地位に――」

ぱぁん、という乾いた音が病室に響く。俺はゴルフのショットのように、床にはいつくばってだだをこねる
一色の頬を張っていた。



「武笠も、結局、お父さまの側だったんだ……。私の理解者のようなふりをして、騙して」
さっきナースコールを押したから、直に、医者が来るだろう。
ベッドに抱き起こす。異常な軽さ。赤子を抱くようで、上半身は成人という強烈な違和感。

率直に――

「裏切り者っ、大っ嫌いです……ッ! もう、顔も見たくない、BETAに食われて死ねばいいんです!
あなたも、私を追いつめたみんなも!」
「そう、か。じゃあ、これで今生の別れだな! 俺が死んだら、葬式に祝電でもなんでも送ればいいさ!」
扉の前で首だけで彼女を見やる。そこで、何でそんな悲しそうな顔をするんだ、すがるような目をするんだ。
人に死ねって言っておいて、それか! 俺の気持ちも知らないで!
叩きつけるように病室の扉を閉める。駆けつける医師と看護婦の集団とすれ違った。
その時、恨みがましい視線を向けられた気もするが、知ったことではなかった。



*   *   *


1999年7月17日 午後 京都市内

「是非、お教え願えないものですかね? 記者会見だけでは記事が書けんのですよ」
「何も申し上げられないと言っているだろう! 報道発表が全てだ。そんな斯衛隊員がどうこうということより、
もっと報じるべき事があるはずではないか!?」
「私の情報が事実とすれば、『あの』一色中尉が負傷するほどの厳しい戦いである。
『彼女の敵討ちを増産で!』みたいな戦意高揚の記事をですね」
病院を出てからこれであった。基地正門まで、こんなうっとうしい、気分の悪い取材を受け続けなくては
ならないのか?西日本がBETAの破壊に曝される中、彼女の負傷を取り上げる意味は薄い。
「戦意高揚」など嘘に決まっている。気高い高級武家が功を焦って負傷したというスキャンダルを暴き立てたいだけだ。

「ふーむ、口の堅い事ですな。まぁ、お疲れの所失礼しました。また、どこかで」
「そのバカ面、二度と見たくないな」
「それで徴兵に落ちた口ですよ。ははは、では」
悪い予想は外れて、地下鉄駅でクソ記者は俺を解放してくれた。何度殴り倒そうかと思ったが、
それこそ奴の思うつぼである。"斯衛隊員、記者を殴る"という三面記事のできあがりだ。
疲れ切った足でプラットホームに辿り着き、ベンチに腰を下ろす。だだっ広い構内には誰もいない。

「はぁ……」
目の前は低速で貨車に俯いた兵員や、機関銃、迫撃砲を満載した列車が通過してゆく。
ここでは停車はしないため、飛び乗る必要があるが、俺は疲れ果ててベンチに座り込んだまま動けなかった。
殿下の蒼白なお顔、我を忘れた一色の涙――。この状況下で戦いに出ずに、休暇を貰えるというのは
破格も破格の取り計らいなのだろう。だが、正直こんな事になるならまだBETA相手に命の取り合いを
している方がマシだった。



「宿題の答え、考えてきましたか?」
澄んだ声が俺に投げかけられる。顔を上げるとベンチにもたれ掛かっていた俺を、あの少女が見下ろしていた。
「"BETAに襲われるような悪いことを私たちがしたか"という事を考えておいて下さいっていったでしょう?
もしかして忘れていたんですか?」
ちょっと顔を膨らませて、怒ったような仕草をする。なんというか、元気だな、と思ってしまった。
今の日本にはこんな表情を出来る子どもどれだけいるだろうか。
「あ、あぁ、いや、そんなことはない。BETAに襲われるような悪いことは……」
「悪いことは?」
そう言って俺の顔を覗き込んでくる。肩にかかった長い髪がさらさらと前に流れた。

私たち。人類なんて大上段に俺は考えられない。日本人、周りの人……。
今日お会いした殿下、家族、同僚、友人、そして一色晏実。彼らが、こんな目に遭うほどの悪いことを?
一色が、あそこまで追いつめられて、ボロボロになるほどの悪いことを?
泣きながら俺にしがみつく一色の顔が脳裏を支配した。その時には、口から勝手に答えが出ていた。
「――してない、んじゃないか。少なくとも、俺の周りを見る限りでは、そう、思う。
そもそも神様とやらがいるなら、なんでこんな風にしたんだか、聞いてみたい。なんで、いとおしいとさえ
思った彼女を見舞って、足のない姿に『気持ち悪い』と感じなきゃならないんだ……」
彼女の負傷は、部隊の壊滅は厳重にふせられていたが、なぜかその少女には言ってしまっても
良いように感じた。というより、言ってから伏せれていたことを思い出した有様だった。
あれだけ記者にきかれても、黙っていたのに。

「私も、そう思います。大好きだったパパやママも、お兄さんも、みんないい人でした。
悪い事なんて、一っつもしない……」

そう悲しそうに彼女も自分の家族の話をし始めた。なんのことはない。この世界ではありふれた話だった。
両親共に国連軍の士官で、アジアでの戦いで命を落とした。残った家族の兄も
九-六作戦で戦死したという。軍人がありふれた職業である現在、衛士がどれだけ訓練詰んでも
8分でバタバタ死んでゆく現在、こうした話なんて、そこら中に転がっていた。
ニュースにもなりゃしない物語。

「……泣かないんだな」
「涙は、もう、出し切っちゃいましたから」
そう言って、影のある笑顔で微笑む少女。今は俺の隣にちょこんと座っている。
5年前とはいえ、家族を皆失ったにもかかわらず明るさを失っていない。何が彼女を支えているのだろう?
今も、お武家さんでも疲れてへたれちゃう事があるんですね、なんて言いながらころころ笑っている。
「なぁ、一つ、聞いていいか」
「なんですか、武笠さん?」
「大人でも、家族をみんな亡くしたら立ち直れなくなってしまう人もいる。なんで、君は、見たところ
元気にしているんだ? それは率直、凄いことだと思うんだが」
彼女の顔から笑顔が消える。質問した俺の目をじっと見つめてきた。

「今から私の話すこと、誰にも言わないと約束してくれますか?」
「な、なんだ、いきなり」
「約束してくれるんですか、くれないんですか?」
そう、厳しく詰め寄られる。それに押し切られる形で、「武士の名誉にかけて」なんてこっ恥ずかしい
形容つきで約束させられてしまった。その約束を確認すると、そのことを話し始めた。
「教えてくれたひとがいるんです。パパも、ママも、お兄さんも、死んだんじゃないって」
「死んだんじゃ、ない? だが、さっき君は……」
「ええ、悲しみに暮れて、もう死んじゃおうと思っていた私を、ある神父様が止めて教えてくれたんです。
ご家族は天使に連れられて、天国に行ったんだよって」
「そうか、そうだよな……」

「えぇ、『BETAという天使様』が、苦しみも、悲しみもない世界に、連れて行って下さったんです」

「は?」
今、彼女はなんと言った? BETAが、天使? あの不気味な出っ歯共が、天使? それが、天国に連れて行く?
あまりに突拍子もない事に、頭が混乱する。少女は、にこやかに、優しく続けた。
「私も、武笠さんの気持ち、分かります。あんな気持ち悪いのが天使だなんて、BETAに食べられるのが
救済だなんて、嘘だって、最初は思っていました」
何も口を挟むことが出来ない。
「神父様はおっしゃったんです。BETAという、一見人類の敵に見える存在に、全てをなげうって戦って、
食われた人が、神様に選ばれるんだって。生きながら苦しみも、悲しみもなくしてくれるんだって」
「神様に、選ばれる……」
「はい。イザヤ書に『見よ、主は地を裸にして、荒廃させ地の面をゆがめて住民を散らされる』
とあります。『地は乾き、衰え世界は枯れ、衰える』ともあります。これがBETAの地ならしを
意味するんですって。なんだかこじつけのように思えるかもしれませんが……
聖書に書いてあることなんです。そして最後の日に、審判が下される。
『わたしのしかばねが立ちあが』る。BETAに地球が完全に支配されたとき、審判が下される……」
そこまで一気に言って、彼女は黙って顔を上げた。そこにはコンクリートむき出しの天井があるが、
なんとなく彼女はそれを超えて、空を見ているようだった。

「これは、軍人さんの方が詳しいと思うんですけど。BETAって、逃げたり、思い悩んだりしないんですよね。
仲違いせず、お互いを殺したりしないって聞いたんですけど、本当なんですか?」
「……」
確かに奴らは見たところそうではある。だがそれを認めたら、「BETAという天使様」という事まで
認めてしまった事になりそうで俺は返事をすることができなかった。
「私だってBETAに食べられるのは怖いし、痛いのは嫌いです。でも、『もう死ぬしかない、人類は終わりだ』
って思い続けるより、食べられたら食べられたでなんとかなるかも、って思う方が、気が楽……
なんです。戦うすべのない私たちにとっては……」
それだけ言うと、彼女は腰を上げて、また基地の外に出たときにお会いしましょう、と言葉を残して
去ってしまった。

生まれてこの方BETAを憎み、倒さなくてはならないという教育を受け続けてきた。
彼女の考え方も、広い意味で『恭順主義』ってのに入るのだろう。奴らは頭がおかしい連中
と思ってきた。だが。

「……それは受け入れられない。軍や人類のやっていることを全否定することだ」
そう口に出して、彼女の考えを拒絶する。でも、そんな馬鹿な独り言をすればするほど、
心の奥底では彼女を否定しきれない事を認めているのではないかと、思ってしまう。



そんな、出口のない考えをやめて、基地に戻ったのは一時間後の午後5時。殿下と一色の一件
で疲れていた俺は、正直、休暇前よりも重い疲労を感じていた。



[9990] 俺は預言者に会ったか(下)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/01/08 17:57
1999年7月22日 夜間 京都市内 二条首府防衛司令部

「何故我々が迎撃に参加できない!? 事ここに至って戦力を温存するとは何事だ!」
「そういきり立つな、武笠。いくら京都が無事でも宇陀や名張あたりを迂回されちゃ意味がない」
司令部内大会議室での全体ブリーフィングが終わってから、それぞれの隊舎に戻る廊下で、
俺は怒りをぶちまけていた。
大阪が落ちたとか、落ちないとかいうこの時に笑いながらそんなことを言うのは、同期の串本だ。
京都目前にBETAが迫っているにもかかわらず、我々の所属する斯衛第一二大隊の出撃が見合わせられたのだ。
閣下をお守りする独警隊が出ないのは分かるが、他は有象無象共を首府に近づけないように
全力をあげるべきではないのか。
「何、我々が『応仁作戦』の主役だ。主役は出番まで舞台袖で待っているものさ」
「……その呼び方は禁止されている筈だろう」
「なんだ、『クラウゼヴィッツ作戦』と呼べってか。お前も好きだな」
「おい!」
「はっはっはっは、冗談の通じない奴だ」
応仁作戦。言うまでもなく1467年の大乱を引いての、来る首府を戦場にした防衛作戦の俗称である。
上はどう見積もっても京都が落ちると計算している(らしい)参謀連中から、下はBETAの勢いを全く
押し止められない兵卒に至るまで誰ともなく付けられた忌々しいあだ名だ。

基地司令棟から、隊舎までの渡り廊下で、思い出したように俺は口を開いた。
「串本、お前、兵士級が人間から作られたんじゃないかって噂、聞いたことがあるか?」
「ん? あぁ、あれか。知り合いの陸さんから聞いたな。殺した兵士級の指を調べてみると、
結婚指輪をはめていたとか、そういう類の奴だろ」
雑誌か何かの論文で、95年より現れた兵士級は、その形から人間を再利用して
作られたのでは、というのは読んだことがあった。
「んなこと学者センセーにおまかせしてりゃいいんだ。ぶち殺す相手の生い立ちなんて
どうでもいいだろ?」
「そう、だが……」

隊舎の談話室に着いてそれまでへらへらしていた串本が、笑うのを止める。
「まぁ、とにかく、この綺麗な京都もお終いって事だ。景観条例だの、環境条例だので
必死に守ろうとした景色も、もう写真集でしか見られなくなる」
串本も厳しい選抜をくぐり抜けた強い意志を持つ斯衛衛士。やはり思うところがあるのだろう。
やや長めに伸ばした髪を、掻き上げながら少しの悲しみを交えてそう呟いた。
「お前、一時間待機だろう。目に焼き付けてこいよ。失われる直前の悲しい都の姿を。語り継げるのは
俺たちだけだ」
そう言って俺を隊舎から押し出してしまう。戦友や、はらからが戦っているのに京都見物なんて出来ない。
何時、BETAが防衛線を食い破ってなだれ込んでくるかもしれないのに。

結局追い出されて司令部前に駐機する瑞鶴を見上げる。向こうでは水蒸気をもくもくと上げながら
跳躍ユニットに火を入れて点検する機体もあった。辺りに響く、そのかん高い推進音が無性に寂しかった。



*   *   *



いくら一時間待機とはいえ、基地の外にある官舎に戻ってくつろぐ気にもなれない。
そもそも電力が通っているのかわからん。なじみの酒屋が営業しているわけでもない。
それでも外に出たのは、あの少女とまた会えないかと、期待していたんだと思う。
この異様な、異世界の京都に紛れ込んだような気持ち……。
「よく、俺の居場所がわかるよな。まった、く!?」

ぼやく俺の耳に連続した銃声が飛び込む。かなり近い。首府防衛司令部の間近だぞ!

ホルスターから拳銃を抜いて音がした方へ急ぐ。幾重にも張られた警戒線を突破してBETAが侵入することなど
あり得ないが、BETAはその人間のあり得ないという心理を逆手にとってここまで来たのだ。
「うおッ!」
角を曲がろうとしたところでブロック塀に三発、銃弾が当たって弾ける。塀に背中を預けて急停止。
向こうは人間のようだ。まさか、反乱か?
「誰だ、名を名乗れ!」
そう、塀の向こうから大声で呼びかけられる。それに俺は答えて、
「斯衛軍、武笠中尉だ! 何事であるか!」
「斯衛軍!? 身分証明書を投げてよこせ!」
くそ、仕方がない。胸ポケットより証明書を取り出し、塀の向こう側へ放り投げた。
数名の慎重な足音が聞こえ、そっと何事か話ながら確認する声が聞こえる。
「確認しました! 失礼しました!」
その声と共に、そっと角を曲がる。子どものいない夜の校庭。そこに5、6人のスーツ姿の男と、
そいつらに取り押さえられた少女の姿があった。
「申し訳ありません。最近、斯衛の名を悪用して治安機関員を殺傷する事件が起きている物でして」
その中のリーダー格らしい眼鏡の男が近づいてきて、敬礼。俺に証明書を返してきた。
ぎらりとした、鋭い目つき。
「理解はする。そちらも名乗ったらどうか」
「失礼、近畿管区警察局、高等課の平戸です。司令部近くでの発砲はためらわれたのですが、被疑者が逃走の
そぶりを見せた物ですから、やむなく」
「高等、警察……」
国家体制の維持を目的とし、反政府破壊活動、危険分子の弾圧を行う警察機構。
経済警察と列んで、BETA並に、いや、BETAの脅威を普通は感じない庶民からは、それ以上に恐れられた存在であった。
「そこの少女を、どうするつもりだ?」
地面に叩きつけられ、あの白のワンピースを土に汚された少女。涙ぐんだ目を俺に向けている。
それに平戸が、いらだたしげに答えた。
「貴官の知る必要のないことです」
「彼女が何をしたって言うんだ!」
自分でも驚くほど、大きな声が口をついて出る。俺は、完全に激高していた。
「はぁ……、彼女、清宮(きよみや)は筋金入りの恭順主義者ですよ。補導歴もある。施設にぶち込んでも、面従腹背、処置無しという奴です」
彼女が、補導? あの、両親を失っても、なんとか生きようとしていたこの少女が?
別段積極的に改宗を進めるでもない、ただ、現実に疲れてしまった彼女を逮捕して――

「何の、おつもりですか」
俺は平戸に銃を突き付けていた。奴の部下が一斉に突撃銃や拳銃をこちらに向ける。
一触即発。周りを素早く確認する。計6丁の銃口がぴたりとこちらに完全にあわせられている。
連中なら、斯衛隊員ですら闇に葬ることも簡単に出来るだろう。

「馬鹿な真似は止めた方がいい。あなた方の敵はBETAであって、我々ではない」
「彼女は……彼女は、疲れているだけだ。我々が不甲斐ないばかりに、現実に疲れているだけだ」
「何を言い出すかと思えば。あなたは清宮の何を知っているんですか? 彼女が何をしてきたのかを」
そういいながら、ゆっくりと俺の拳銃を握って逸らそうとする。俺は慌てて拳銃を突き付け直すと、
やれやれとおっくうそうに両手を挙げ戻した。
「その、何をしてきたのかを、きちんと認定する審判なり、裁判を彼女は受けられるんだろうな?」
「……当然です。日本は法治国家ですから」
嘘だ。司法省以下、近畿の裁判所、検察関係の役所はみんな逃げ出してしまっている。
彼女がまともな扱いを受けられるとは到底思えない。連中はBETAの西日本侵攻を好機とばかりに、
面倒な奴らの一掃を狙っている。そうとしか思えない。

「彼女を、放せ」
俺が、低い声でそう促す。平戸はこれ見よがしにため息をついてみせ、そして、俺が考えもしなかった人の名を口にした。
「聞く耳を持たなそうですな。……おい! 富嶽記念病院253号病室、一色晏実中尉を検束しろ」
そう平戸が車の前で待たせていた一人に呼びかけた。どっと体から汗が噴き出す。
なぜ、どうして、一色の名前がここで出る!
「やめろ、彼女は関係ないだろう!? それに今、一色は取り調べを受けられるような状況にない!」
「知ったことではない。武笠中尉が、『よもや』恭順主義派のシンパだ、という事は私としても考えたくないのですが
その恐れがある以上、確認する必要がありますからね」
平戸は、俺との議論を楽しんでいるかのようだった。
「赤色武家を検束するとは、正気なのか?」
「何、斯衛憲兵司令部から要請があれば、引き渡さなくてはなりませんが……。2日もあれば皆さん、『非常に協力的になって』
くれますのでね、要請が来るまでに全部終わりますよ」
「脅迫、する気か」
「はっはっはっは、銃を突き付けているお方のお言葉とは、思えませんな」
そう俺に銃を突き付けられてなお、不気味な笑みを浮かべる平戸。高等警察に連れて行かれたらどうなるかくらいは
容易に想像される。今の一色なら、どんな供述だってとれるだろう。今、彼女に必要なのは休養なのだ。
それを……。どうしたら……。



「あーあ、こんな人の良いお武家さんなら、簡単にいくと思ったんだけどな~」
緊張したにらみ合いに場違いな、あっけらかんとした声が響く。少女、清宮の声だった。
今は腕を後ろ手に縛り上げられて、私服警察官にこめかみに拳銃を突き付けられている。
それでいてなお、そんな明るい声を失わない。平戸がそちらに目をむける。
「やっぱり、日本のお巡りさんは優秀でした。うん、しょうがない」
「黙れ!」
抑えつける警察官の声が響くが、意に介した様子はない。
「お前……」
「そ、私はBETAに無抵抗を掲げる、あなた達からすれば『恭順主義派』の末端分子ですよ」
「黙らないか!」
銃把で後頭部を殴られて、小さな悲鳴と共に地面に叩きつけられた少女。
それを見ていた平戸が鼻で笑った。
「と、言うわけです。連中も巧妙だ。貴官のように心優しい、慈愛に溢れる方々の心に浸透して、反人類的活動を行う。
その為には、彼女のような少女を使うことも厭わない。まったく、クソみたいな連中としかいいようがない。……連れて行け!」

力が抜けて、俺は銃を降ろしていた。何が、なんだかよく分からなかった。
あの、彼女の家族の話も俺を恭順主義に引き込むための嘘だったのか。その為の、手順通りの内容だったのか。



覆面パトカーの後席に押し込められる直前、清宮が俺の方を向いて、首を軽く横に振った。
私のことはいいんです、と、そう言わんばかりに。

そのまま小突かれて乗り込む。他の警官も別の車輌に乗り込んで引き揚げ始める。
平戸が俺に何か言ったが、なんと言ったのか、俺の頭は理解しなかった。

車が去った後、そこに何もない。彼女の痕跡も。何も。




清宮と呼ばれた少女は何だったのだろう?




狂信的な恭順主義者だったのか? それとも……



おわり



[9990] アンバールへの道(1)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/01/21 16:37
1999年 10月30日 夜間
エチオピア帝国 アクスム郊外

冷涼たる夜のエチオピア荒野を進む4機のF-5フリーダムファイター。
黄土色に緑の筋が入る砂漠迷彩に、獅子のエンブレム。皇帝警護隊所属だ。
各機がそれぞれの死角をカバーしながら、1エレメント毎に超越躍進で前進していた。
1班が周囲を警戒する中を、2班が前進し、適当なところで停止して周囲をスキャン。
安全が確保されると1班が前進するという、慎重を期した移動。

――シバ01より、シバ04。襲撃の気配はないね、来ていいよ。
――シバ04了解、前進。
センサーというセンサーに目を走らせながら、息の詰まる行軍。
それもそのはず、シバ04には「皇帝」が乗り込んでいた。搭乗機を除けば護衛はたったの3機。
緊張は否が応でも高まる。「敵の襲撃を受ける可能性が非常に高い」と聞かされている。

何度目になるかの周囲警戒。皇帝警護隊所属機とはいえ、一般部隊と違うのは塗装くらいのものである。
トーネードやミラージュⅢでは強化されている電子兵装だが、シバ小隊機は一世代古いものだ。
アフリカ諸国では戦術機個々の性能よりも、未だ数を揃える方が優先されている。
アフリカ連合本部をかかえるエチオピア帝国軍とて、その例外ではなかった。

たよりないレーダーよりも視覚情報を第一とし、赤外線センサーも併用しつつ、周囲をくまなく見渡す。
意識しないと瞬きを忘れてしまいそう。そんな薄氷を履むような進軍だ。
小隊長機が静かに前進、次はシバ03、メスフィン少尉が前進する番である。跳躍ユニットの出力を上げて、

――て、敵襲!な、8時の方向!ファントム3機!

シバ02の悲鳴にも似た報告と、敵機探知の警報はほぼ同時だった。
段々になった丘陵の影より突如現れた3つのずんぐりとした影。敵強襲掃討機が主腕と補助腕に保持した
3門の突撃砲を撃ちまくる。ぱっと砲炎で明るくなる周囲。引かれる曳光弾の火線。
その濃密な火力の援護を受け、近接長刀を抜きはなった2機が猛然と襲いかかる。直ちに迎撃戦闘に移行。
前進警戒中の2機がすかさず飛んで牽制射撃の一掃射、相手は怯まない。

――01、02でやるよッ! 03は、04は後退――
メスフィン少尉が小隊長の言葉を聞き取れたのはそこまでだった。少尉は直ちに行動。04に促して襲撃部隊と
反対の方向へ迷わず噴射跳躍。F-4相手なら振り切る自信が彼にはあった。
「04、距離を稼げ! この距離なら逃げ切れる!」
「おうっ、あんなデブッチョに負けるものかよ!」
そう余裕のない様子ながら軽口を叩くシバ04。これなら抜ける、そう二人は確信していた。
推力をあげて一気増速する。砲撃戦の続く遭遇地点がぐんぐん遠ざかってゆく。

「警報ッ!?」
メスフィンの網膜に戦術機を現す熱源を感知したとの表示。直近にいきなり現れる光点。
次の瞬間には発砲炎と共にシバ04が真っ黄色に染まる。ペイント弾だった。
その刹那の出来事にメスフィンも、シバ04も全く対応出来なかった。

――状況終了、「陛下」搭乗機被弾。護衛目標喪失による任務失敗。シバ隊、バンデット隊は帰投して下さい。

そうCPオフィサーのやや呆れた声がメスフィンの耳に入る。
本日の皇帝警護隊の演習、4機による警護目標の二点間の護衛ミッションをし損じた瞬間だった。
実直なメスフィンは直前の行動を思い出し、デブリーフィングで指摘されるだろう点を想像する。
少し考えただけで問題点がいくらでも挙げられる。頭で理解するのと実際にやるので違うことはわかっていたが、
ここまで出来ないとは思わなかった。
「はぁ……」
自然、ため息も多くなる。まだまだゲレトゥ総監の掲げる「日本斯衛軍」並の戦闘技能というゴールは遙か彼方
のように感じられた。



*   *   *



1999年 10月31日 未明
エチオピア帝国 アクスム基地 小会議室

「……という訳です。護衛機が多い場合はいざ知らず、今回のように少ない場合は、陛下のご搭乗される想定の
機体が敵機の排除に参加する事も考慮しなくてはなりません」
うなだれる隊員を前に、真紅の衛士強化装備を着た一色晏実(いっしきやすみ)大尉が、黒板に今回の護衛演習の
各機の行動を書き込みながら問題点を指摘する。ここ最近でやっと軍事顧問が板に付いてきた様子である。
皇帝搭乗機が逃げる方向を予め予測、単機で待ちかまえて狙撃したのは晏実のF-4であった。
今回敵役となって晏実と共に「皇帝を討ち取った」別の警護隊員は、デブリーフィングを後ろの方で
ニヤニヤしながら聞いている。3個ある皇帝警護中隊はそれぞれがライバルと認識しあって技量の向上に努めていた。

「それでは、メスフィン少尉。今回の演習では他にどの点が良くなかったでしょうか?」
「は……、シバ01が撃破された時点で、各個が独自の判断で行動し、小隊としての統制がとれていませんでした」
晏実の質問に演習から帰り、自分の機体をハンガーに収めて会議室にくるまでずっと考えていた事を口にする。
それを聞いた晏実は頷いて続けた。
「その通りです。今回シバ01は比較的早期に撃破、行動不能となりました。この場合、直ちに02が部隊指揮を代行する
必要がありましたが、ゲブレ先任少尉は敵機の迎撃に気を取られてしまって、それどころではありませんでした」
「……」
ゲブレとよばれた小柄な少尉は、押し黙って俯いたままだ。その背中をたたいて荒々しく慰めるのは
シバ01のキディスト中尉。最前線国家と違って人材に余裕があるアフリカにしては珍しい、婦人士官だった。
「まぁしょうがなかったよ! アタシがすぐにおっ死んだのがいけなかったんだ」
綺麗に編み込まれた無数の三つ編みを掻き上げながら朗らかに話すキディスト中尉は、警護隊の中でも人気が高い。
本来は任務に失敗、これが実戦であったなら皇帝を失っていたと言うことになるが、晏実も苦笑いで黙認している。
それがキディストのスタンスであり、彼女もそれをよく理解していた。

晏実の一連の講義が終わった後、襲撃側の他の隊員からのアドバイスがあり、さらに全体で簡単な討議をして
深夜に及んだ訓練はお開きとなった。それぞれが眠そうに隊舎に戻って行く。
「ふぅ」
晏実はデブリーフィングに使った資料をファイルに収め、黒板を消して会議室を後にする。
警護隊はエリートの中のエリート。そう言うだけあって、一般部隊よりも士気が高く、
訓練への取り組み方や、晏実から技術を盗もうとする意欲も高い。最初を考えればよくやっている。
(でも、なんか日本の訓練兵と違うのよね)

漠然とした、違い。国民性といったら身もフタもないが、なんとなくある温度差。
(まぁ、いいか。問題が有るわけでもないし)
事実、それは非常に些末なことだった。それよりも課題は山積している。特に異機種間の作戦行動、
協同運用は彼女も経験が少なく難しい。そして、その上に来るのがアフリカ連合軍としての
統合運用の問題であった。近く予定される大規模演習までに基礎を叩き込んでおかないといけない。



*   *   *



小会議室から宿舎棟に続く暗い廊下を歩く二人。一人はエチオピア軍大尉の野戦服に着替えた晏実と、
スーツ姿のゲレトゥ戦術機甲総監である。ゲレトゥは今回の演習を指揮所(CP)から見学していたのだ。
なお彼が最初、晏実が同軍の野戦服を着る事に難色を示したのは言うまでもない。
「全く。警護隊が陛下をお守りできないとは、冗談ではないな。一色大尉、もっと厳しく指導して、連中を
一人前にしてやってくれたまえ」
「はい。ですが、私としては対人訓練よりも対BETA訓練により力を入れたいのです。それはご理解下さい」
「一般部隊はそれでいいかもしれないが、警護隊はそうもいかん。ここは一つ、頼むよ」
「はぁ……」
ゲレトゥはなかなか警護任務を達成できない警護隊に苛立ちを隠さず彼女に次々と注文をつけてゆく。
晏実はそれを一つ一つ几帳面にメモをとりながらも、心の内では不満もあった。
(戦術機はBETAと戦う為のものなのに……)

勿論、赤色武家たる晏実は訓練校、部隊で対BETA戦と同じくらいの厳しさ、頻度で対人戦闘の訓練をつんでいる。
同機種間、異機種間のシミュレータ訓練を何度もこなし、各戦術機の特性を肌に刷り込んだ。
戦術らしい戦術をとらないBETAとの戦いと違い、対人戦は腹のさぐり合いだ。殴り合い中心のBETAとの
戦いと、戦術機同士の戦闘は似てもにつかないものである。どちらもおろそかに出来ないことは彼女も十分理解している。

「ですが有限の訓練時間の中で、なるべく彼らの実戦での生存率を上げるためにも、対BETA戦闘訓練の
比重を増やしたいのです。彼らには言えませんが陛下の護衛が3機なんて事態、普通はありえませんよ」
「確かにそうではあるがね、しかし――」
晏実はその事を特に痛感している。斯衛隊員が人間離れした苛烈な訓練に身を置いているとはいえ、1日24時間は
かわらない。その訓練時間のほとんどを対BETA訓練にあけくれる本土防衛軍戦術機部隊の訓練度と、
対人にも相当時間を割く斯衛部隊の訓練度では、単純に考えても差が出るのは当然であった。
晏実の周りには(彼女が敵視する)月詠真那のように対人、対BETA戦ともに抜群の成績をおさめる怪物もいるにはいる。
しかし、だいたいは晏実本人含めて対BETA訓練の成績は本防軍衛士と同等くらいを維持するのがやっと、
他の任務が続くとそれも困難になるという隊員も実際には多かった。

「その、私も、そういった経緯もあって……ですから……」
彼女が俯いて足を止め、そう言葉を濁しながらも自分の「足」についてほのめかす。彼女の腿から下は日本本土防衛戦で失われ、
疑似生体が取って代わっている。彼女にとって、それは非常につらい経験だった。
「いや、大尉を批判するつもりはない。――話は変わるが、それにしても、今回の一色大尉は素晴らしかった!
アンブッシュ状態から皇帝機を挙動から推測して一気に狙撃。それも単機で。斯衛の面目躍如だった。うむ、それは実に!」
彼女の「足」に話題が及んで暗くなりかけた雰囲気を吹き飛ばすべく、ゲレトゥはやや大げさに
今日の彼女を誉めた。誉められて気分を良くしない者は少ない。晏実も素直にその言葉を受け取って顔をほころばせる。
「斯衛は凄いぞ、という所を彼らに見せられたでしょうか」
「わはははは、酒場での汚名返上にもなっただろうよ」
一ヶ月前の全く飲めない酒を飲まされて昏睡した出来事を持ち出されて、一色の顔がみるみる赤くなる。
それを見て吹き出すゲレトゥ。
「その話題はやめてください総監。あれは、本当に恥ずかしかったんですから」
「あの時のイメージも大分薄れてきただろう。気にしすぎだよ」
「そうでしょうか……」

そして話題は他愛もない内容にうつってゆく。そんなエチオピア軍アクスム基地では見慣れた光景。

だが、時折笑顔をみせながらゲレトゥと話す晏実の内側では、ある深刻な変化が水面下で進行していたのだった。



[9990] アンバールへの道(2)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/01/25 13:45
1999年 10月31日 午前
エチオピア帝国 アクスム基地 宿舎棟

「ふっ……ぐぐっ……うぅーっ……」
佐官級の将校に宛われる個室が列ぶ兵舎に、荒い息と殺しきれない呻きが響く。
廊下の壁に手をつきながら、猫背になって一歩一歩踏みしめるように歩いているのは、昨日まで颯爽と
エチオピアの巨漢を相手に指導助言をしていた晏実である。
その面影は消し飛んで、いつもは規則通りに着用している野戦服も、髪の毛も乱れたままだ。
「はぁ……はぁ……」
腹に銃弾を喰らったのではというほど、悲壮な顔。一休みしてからまた歩き出す。
時折つまずきそうになりながらも、かたつむりのようなペースで歩く。
いつもはまったく気にしなかった距離が、今日は絶望的に長く感じた。
高い目標を掲げられた警護隊員の気持ちってこうなのか、と変なことまで考えてしまう。

「あ。そ、総監」
一番会いたくない人に会ってしまった、というのが彼女の顔に如実に表れてしまった。
ゲレトゥはそれを知ってか知らずか彼女に笑いながら声をかける。
「今日で6回目か? 随分と重いな」
「な、な、何を数えているんですか!?」
青白かった顔が羞恥の色に染まる。すぐに「きゅーごろごろ」と周りに聞こえるほどの音が彼女のお腹から響いた。
「拭くときはそっとやるんだぞ。衛士で痔になると悲惨だからな、うははははっ。ではお大事に」
「デリカシーというものが、ないん、いたたっ……」
「あぁ、そうだった。今この階のトイレは清掃中だ。下は男子しかないから二階降りた所のを使ってくれ」
「……嘘、ですよね」
今にも泣きそうな顔をする晏実。足はぷるぷると震えていた。
「君が不浄が清潔でないのは我慢ならないと言うから、わざわざ掃除の回数を増やしたんだ。
なんなら私が負ぶってやっていってもいいんだぞぉー?」
その時、色々晏実の中で壊れた音がした。


一色晏実の波乱の一日は、こうして幕を開けたのだった。



エチオピア勤務も早3ヶ月。怒濤のように過ぎた日々の後、土地にも慣れ始めた矢先の出来事。
こういうものは緊張が緩んできた時に襲うこともあるらしい。水当たりか、食あたりか、不衛生か、
ストレスか、あるいはそれら全部か。とにかく晏実は高熱と、酷い下痢の挟み打ちを受け
完全にダウンしてしまったのだ。

もともと胃腸が強い方ではなかった彼女。一度体調を崩すと病状は底抜けに悪化する。
「うぐぐ」と自室で呻いているか、トイレで息を殺しているかの二者択一が昼過ぎまで続いた。
軍医の処方が効いて、比較的落ち着いてきたのは14時をまわった頃の事である。



「はぁ……はぁ……体調管理には、気を付けていたと思うんですが……」
そう自室で病床に伏せる晏実。彼女のそばには軍属の日本人秘書官、飯野が濡れタオルを絞って
彼女の額にのせていた。さっき体温をはかった時は38.9℃、かなりの熱だ。
「こういうものは、来るときは来ますからね。療養して早く治すことです」
「そうですね。飯野さん、ありがとうございます」
中年の秘書官は、とんでもないといいながら部屋を出て行こうとする。
その時に振り返って思い出したようにその事を伝えた。
「あー、そうでした。ゲレトゥさんが看病イベントKT……K、R……? とか何とか言って
体に差し障りないようならお見舞いに行きたいとおっしゃっていましたが」
「はい、KTKR? なんですか、それは?」
「なんかの符丁でしょうか。ゲレトゥさんは、たまに日本語が変ですからね」
「たしかにそうですね、あの人は」
晏実がやつれているなりに笑顔を見せたことで、飯野秘書官は少し安心する。
かけ布団をかけ直してあげながら秘書官は部屋を見渡した。本棚には所狭しと列ぶバインダー。
ハンガーにかかる紅の斯衛制服。そして神棚の前に置かれた恩賜の打刀。
女性らしいものはないな、と苦笑いしてしまった。

「で、返答はどうしましょう?」
「見舞いは口実で、きっと質問攻めにされるでしょうから、今は病が重いと伝えておいて下さい」
わかりました、と飯野が退出する。ゲレトゥの日本好きで根掘り葉掘り聞いててくることは
決して彼女は不快ではなかったが、今日ばかりは遠慮したい気分だった。

なんの事はないちょっとした嘘。それが後の俗に言う「一色大尉事件」の引き金になったことを、
この時の彼女は知るよしもない。



*   *   *



事件を最初に彼女が知ったのは、扉をぶちやぶらんばかりに入ってきた乱入者によってだった。
その時彼女は軍医の診察を受けていた。

「一色大尉!! い、い、命に別状はありませんか!? 危篤だと一報が大使館に入って!!」
背広を着た初老の男性の乱入に、驚いた晏実は飲んでいた水薬を気管に流し込んで盛大に咳き込んだ。
吹いた水薬が医者の顔にかかる。
「ごほっ、ごほっ、ごほっ!!……だ、誰が……危、と……」
「肺を、肺をやらたのですか! 今すぐ、仙台行きの便が! 本国に緊急電は入れてありますから、」
診察していた軍医を蹴散らして彼女を連れ出そうとする初老の男。
それを遅れて入ってきたゲレトゥががっしりと押さえつけた。
ゲレトゥがその時目配せしたのを軍医はしっかり把握する。

「笹原大使、落ち着いて下さい。まだ死ぬと決まった訳じゃない。ほら、君。説明しなさい」
唖然とする晏実本人と、混乱の極みに達している笹原駐エチオピア日本大使を前に
一旦押しのけられた軍医が顔を拭きながら"ぐだぐだと"と、いうのがぴったりな説明を始める。
「ええーー、彼女は、安静にしておいた方が良い、と、いうのが私の所見であります。そのー航空機のように、
設備がないところにィー、長時間おかれますと、そのー、容態が急変したときに『致命的』なことになる。
彼女が付けているゥー、疑似生体への、ウィルス浸透の可能性が否定できず、それに関する臨床例の多い、
我が国の国立大学病院で……(中略)……つまる所、エチオピア最高の医療をお約束しますので、
貴国にはそう続報を伝えるのが、良いかと愚考する次第であります」


たっぷり5分くらい医学用語と難解な言葉を織り交ぜて演説をした医師がそう話し終える。
ゲレトゥも(絶対内容は理解していないと見えるが)要所で大きく頷いて、相づちを打って
医師を援護射撃する。「ウィルスの浸透」「患部の切断」「全身マヒ」という過激な言葉が飛ぶたびに
日本人二人は冷や汗を吹き出し、口がきけなくなっていった。


「大尉に万が一の事があったら、大使召還じゃすまないですからね! くれぐれも、くれぐれも頼みますよ!」
「まかせておきたまえ、笹原大使。万事我々に任せておけば問題ない」
晏実が蚊帳の外に置かれたまま口車に乗せられた大使は退出してしまう。彼女の耳に残ったのは
医師が説明したときに入ってきた、物騒な言葉の数々だった。一挙に不安が押し寄せてくる。

単なる食あたりではない、十分死に至る可能性のある、恐ろしい病気の予兆――!

「せ、先生! 私、私、そんな恐ろしい病気なんですか!? だって、朝の診察の時はそんな事は一言も」
不安に駆られた晏実がベッドから身を乗り出して軍医の胸ぐらを掴んで問いただす。
「病に冒されたくらいで武家の矜持はどうした、一色大尉!」
ここぞとばかりにゲレトゥがしかりつける。彼としてはいつもやっている、武家である彼女を
茶化すように叱責したつもりだったが、晏実は大いに衝撃を受け俯いて黙り込んでしまった。
「い、一色大尉? いつものように『茶化さないで下さい!』って怒らないのか? 心配になるのだが」
「いえ、ゲレトゥ総監のおっしゃった事は正しいです……晏実はどうせ駄目な子です……」
「大尉! 気を確かに!」

ゲレトゥはいじけてしまった晏実の機嫌をあの手この手でなんとか元に戻した後、先ほどの医師の説明は、
彼女を帰国させないようにするための狂言だったとという事を納得させるまで、かなり時間がかかってしまった。
それから状況の説明が始まる。最早エチオピア国内に留まらなくなった状況が説明されてゆく。



「す、すいません、もう一度言ってください。意味がよく、わかりません」
「つまり、笹原大使はアクスムに来る前に、本国に電話でこの事態を伝えた。で、それは既に天聴に達したと
アジス・アベハから連絡があった。今、大尉の病が良くなるようにという祈りを捧げているとかなんとか」
「……」
事態の認識を晏実の脳は一時拒否していた。いつの間にか自分は日本から遠く離れた異境で客死しそうに
なっている「設定」で、それを殿下の知るところとなって、あまつさえ彼女の為に分刻みのスケジュールの合間を
ぬって快癒するように祈りを捧げて貰っているなどという異常事態を。

「ど、どうしましょう……なんと畏れ多い、それにこんな事して、わ、私の出世が……」
やっと小さな声で彼女がとりとめもなく口にしたのは、そんなとんちんかんな言葉だった。
「こんな地球の裏側に飛ばされておいて、出世コースにいるわけがないだろう」
そうあっけらかんと言うゲレトゥに、悲しむような、微妙に怒るような視線を向ける晏実。
ゲレトゥは彼女の肩に手を置いて優しく続ける。
「それに、さっきも言っただろう。『万事我々に任せておけば問題ない』と。どこでどうなったかは知らんが、
大方伝言ゲームのどこかで間違ったんだろう。一色大尉が病人なのは動かし難い事実だ。まぁ、泥船の乗ったつもりで
休んでいたまえ。では、失礼する」
おい、情報局のイシガト局長と駐日大使に繋げ、と外で待機していたボディガードに連絡しながら
ゲレトゥは事態の収拾に動き出すべく退出した。軍医も休んでいればすぐによくなるといって消える。
慌ただしかった彼女の部屋が一気に静かになった。
「本当、どうしよう……」
不安がる彼女を尻目に、お腹はまたごろごろという不穏な音をたててはじめていた。



*   *   *



ゲレトゥらが去ってからも彼女の部屋には見舞客が絶えなかった。どこから聞きつけたのか
日系商工会議所会頭、邦人連絡会代表、日本語学校校長……。外で列でも作っているのかと言うほど
代わる代わる彼女の部屋に入ってくる。わざわざ遠くからアクスムへやってきた人も多く、門前払いするわけにもいかない。
彼女は仕方なく全員に会って、見舞いの言葉と見舞いの品を受け取って、感謝し続けた。
一人喪服に線香を携えてやってきた人もいたが、その人にも会った。

見舞客を捌ききったのは夕陽も沈みかけた午後5時になってからである。
殺風景だった部屋は、花束やら寄せ書きやらが所狭しと置かれてしまっている。
果物などの食品も見舞いの品にもらったが、それは飯野に運ばせた為ここには無い。

「あぁ……、大変だった」
見舞客が居るところで不浄に立つのがはばかられ、それの我慢も大変だった。
今から考えると彼らは晏実が一度訪問したことのある施設の関係者。日本大使館の書記官に引っ張られて
休みがある毎にエチオピアを東奔西走して、現地で努力する日本人に会いに行ったものだが、
どこで会って、何を話したか忘れかけている人も多い。そんな時に、
あの時の事を覚えていらっしゃいますか? と、目を輝かせながら問われると
ちょっと記憶にない、とは言えない晏実であった。熱のある頭で必死に情景を思い出し
話を合わせた。相手に悪気や下心がない分、接待より苦労するシロモノだった。

(総監はうまく事態を収拾してくれたのでしょうか)
そんな事を考えていると、扉がノックされる。お入り下さいと言うと、立っていたのはメスフィンだった。
大きな袋を抱えている。
「お加減は大丈夫ですか、大尉。部隊のみんなも、整備も警備も皆大尉の事を心配しております。
もしかしたら命を落とすかもしれないと……!」
感極まったメスフィンは、そのまま彼女に抱きついて男泣きを始めた。
どちらかと言えば沸々と闘志を湧かせるタイプだと思っていた晏実にとって、彼が大泣きすることに
かなり驚いた。
「め、メスフィン少尉、私は大丈夫ですから。もう峠は越しましたから……」
2メートル近い大男をあやすようにそう言うと、本当ですか、本当ですかと繰り返し問う。
それに、繰り返し本当です、と彼女は答え続けた。

「その袋はなんですか? 中はなんだか軽いもののようですけど」
「忘れていました。どうぞ、飯野サンからお伺いして基地の者で手分けして作りました」
がさがさと袋から出されたのは千羽鶴であった。その数に思わず息を呑む晏実。
折り紙自体やったこともなかった基地職員も多かったことだろう。不格好な鶴から、
何かの裏紙で作られた鶴まで多種多様であった。確実に千は超えている。
「これを、基地の皆さんで?」
「はい、手分けして作りました。皆、とても協力的でした」
「……みなさんのお陰で元気になれそう、と伝えておいてください」
目もとをタオルで拭いながら、涙を堪えながら彼女はそうメスフィンに伝えた。
もう、あと少しで部下を前に泣き出してしまいそうだった。
「こ、この一番上の和紙で作られているの、上手ですね。これはどなたが?」
「それはゲレトゥ総監の作です。非常に上手でした」
糸を通され束になった千羽鶴の一番頂点に大きめの、鮮やかな和紙で作られた立派な鶴がある。
しっぽもピンと張っており、手慣れたものであったが、ゲレトゥが作ったのなら彼女も納得であった。
「あんなにいかつい人が、こんな細々としたものを……想像すると笑ってしまいます」
「総監は日本のことは何でも知っています。千羽鶴は基本中の基本だと話していました」
「総監らしい……。でも、本当に、私のためにありがとうございます」
「では、お体に障りますので、私は失礼します。また大尉の指導を受けられる日を楽しみにしています」
「ええ、わかりました」

千羽鶴を吊すと彼は去った。一人になると堪えていた涙が溢れてくる。
涙と言えば悔しくて、辛くて、悲しくて、痛くて流すことばかりだった。それが――



*   *   *



「とすると、そちらも見舞客の相手が大変だったみたいだな。言ってくれればシャットアウトしたんだが。
それだけ来たら休む暇もなかっただろう?」
「私を案じて来てくださったのですから、そういう訳にもいきません」
この時期のエチオピアの夜の気温は20度を下回る。晏実はお腹を冷やさないように
掛け布団を手で押さえながら体を起こして事の顛末を報告に来たゲレトゥと話していた。
「それで……その、収拾はついたのでしょうか?」
「あぁ、そうだった。そのことを伝えに来たんだった。どれから話したかな……」

ゲレトゥによれば、あのあと直ちに駐日エチオピア大使館経由で日本外務省と内務省に猛烈な抗議と圧力を
かけ、彼女が病床に臥したことが報道発表になるところを直前で食い止めたという。
正規のルートでないとはいえ、アフリカの一国家が安保理常任理国でもある日本を相手に抗議とは
普通は考えられないことらしい。
見舞に訪れた人の家には警察官が派遣され、口外無用の念書を集めて回っているそうだ。
真実も笹原大使経由で伝えられ、大山鳴動したこの事件も終わりつつあることが伝えられた。

「一色大尉が病の縁で死にそうだというのは、根も葉もないことであり、我が国の名誉を著しく傷つけるものだ、
として厳重に抗議したんだ。そうしたらすっと行ってね。貴国は良い報道統制を布いていると思うよ」
「それは、誉め言葉、として受け取っていいのでしょうか……」
言論統制を誉められて複雑な顔をする晏実。細かいことはいいではないかと応じるゲレトゥ。
「ああ、そうだ、これを渡さないといけない。大使館からの転送だ」
彼は二通の封筒を彼女に手渡した。彼女が中から簡単に印刷されたその手紙に目を通す。



"あまり私を脅かさないで下さい。ですが、生死の縁をさまよったという事が事実でないそうで、ほっとしています。

                                                煌武院悠陽"

「で、殿下……」
「わざわざ、どこまでもお優しいお方だな」
晏実の目にまた涙が浮かんでくる。目をぎゅっとつぶって、手で拭って零れてこないように我慢する。
ゲレトゥはそんな子どもみたいな"抵抗"をする彼女が可愛くて仕方がない。
「泣いて」
「泣いてません」
彼を遮ってそう言う晏実。ああそうか、笑いをかみ殺しながら答えるゲレトゥ。続いて彼女はもう一通に目を落とした。
それにはA4の印刷用紙にたった一行、こう印字されていた。


"一色は畳の上で死す事無し。

        一色保隆"

「お父……様……」
もう限界だった。ぼろぼろと涙が零れ、掛け布団に落ちてゆく。とめどなく頬を伝って流れる涙。
もう、隠すことも出来なかった。ゲレトゥは吊された千羽鶴を少し揺らす。
「君が本当に愛されている、必要とされているという事じゃないか。地位や打算だけでこれだけ人は動かない。
私が倒れたってこうはならないさ」
「そう、かん……ぐすっ、こんな、こんな私、でも……みんな、心配……うぇぇ……っ……」
赤色武家、斯衛という分厚い仮面の下は、本当は内気で、気の弱い、一人の女性としての一色晏実があった。
彼は静かに泣く晏実に慈しみと、ちょっとしたいたずら心をこめた視線を向ける。
こんな本当は戦争にはまったく向かないか細い女性を、鉄の武人になることを要求する斯衛。
ゲレトゥを含めた周囲が期待をすればするほど、それに応えざるをえない人たち。

「これでも泣いてないと?」
「な、ぐすっ、泣いてない、です」
苦しい言い訳をする晏実の前髪をすっと持ちあげて顔を覗き込むゲレトゥ。
彼女はそれを拒まない。泣いていないというその顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
「それでは布団におちている水滴は何だ?」
「よ、涎です」
それはそれでどうかと思うぞ、と大声で笑い出すゲレトゥ。
それにつられて彼女も笑っていた。心から、笑っていた。






その後彼女が方々に詫び状を書かされて腕がつった事、笹原大使に呼び出されて延々と厳重注意を受けた事、
ゲレトゥの私物のコンピュータ内の丸秘フォルダ、「Yasumi I.」の容量が増えた事を綴って、
以上が日本とエチオピアを騒がせた外交上の珍事、「一色大尉事件」の全容である。



[9990] アンバールへの道(3)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/01/29 16:48
1999年 11月24日 夜間
ジブチ共和国 首都ジブチ市

晏実が任務に復帰しておよそ一ヶ月。アクスムで練成に励む皇帝警護2個中隊にジブチへの移動命令が下った。
たっぷり3日かけて大型トレーラーを使い陸路でジブチ共和国入り。さらに首都ジブチ市に入ったのは
夜も更けてからのことである。

彼岸にBETA勢力圏であるアラビア半島があるとは思えない、高度に発展した港湾都市ジブチ。
道路は完全な交通規制下におかれ、車道にいつもの騒然とした様子はなく、軍の車列が粛々と走るのみ。
オレンジの街路灯に照らされながら綺麗に区画整理された低層住宅地をぬけると、大きな倉庫や、
数百数千あるコンテナ集積所の列ぶ港湾ブロックに入る。


そこには整然と列ぶ国連軍やエチオピアを中心とするアフリカ諸部隊の戦術機が並び、ガントリークレーンが
強力な照明が闇夜を照らす中、F-4や、国連塗装のF-15Cなどを一機ずつ戦術機揚陸艦に収めてゆく。
数日後に迫った国連インド洋方面総軍が主導する上陸作戦演習に参加する部隊である。
夜は静かにたたずむ港湾ブロックも、今は作業員がかけまわり、フォークリフトが砲弾を運び、
衛士や兵士が随所に集まって打ち合わせをしており、お祭り騒ぎのようであった。

その中で仮設されたプレハブ小屋に晏実や、ゲレトゥらの姿があった。
国連軍やアフリカ連合軍の将官も同席。彼女も今回ばかりは斯衛制服を着ている。

「エリトリア海軍輸送部隊は諸事情により到着が遅れている。エチオピア軍の戦術機搭載は明0730頃より
開始される予定だ。ジブチ海軍が輸送する部隊の積み込みも急がせる」
「頼みます」
ゲレトゥと晏実は一歩下がって打ち合わせの様子を見守っていた。エチオピアには海が無いため海軍が無い。
上陸作戦演習ではアデン湾を輸送部隊が抜け、ソマリア沖で訓練を行うことになっている。
エチオピア軍を演習に参加させるには、ジブチやエリトリア海軍に運賃払って部隊を運んでもらう必要があった。

輸送の段取りが終わると、演習作戦の展開の最終確認に議題は移った。
国連軍の参謀が大きなテーブル一杯に広げた地図の上に駒を置いて、演習の推移を説明してゆく。
晏実もそれを覗き込んでいる。教官として同席しているものの、周りは大佐、将軍ばかりだ。
許可をうけなければ発言も出来ない。
「……以上が上陸作戦演習の概要です。まとめますと国連第3、4軍の各戦術機部隊が先行して上陸、橋頭堡を確保、
続いてアフリカ連合軍諸部隊がその戦果拡張を支援する、となります。詳しくは手元の資料で。何か、ご意見は?」
参謀がそう話し終えると、エチオピア軍バライ少将がゲレトゥと何か言葉を交わしてから発言する。
「国連軍の指導に従えと、政府より命令をうけていますので異論も何も。そうですね、総監?」
「うむバライ少将、異論はない。……一色大尉、何か言いたげだな。言いたいことがあれば言ってかまわんが?」

地図を見下ろしながら難しい顔をしていた彼女に、めざとく気づいたゲレトゥが彼女に声をかける。
晏実は、異論というか、なんというか感想ですが、と前置きをしながら発言した。
「その、これは、国連欧米部隊がアフリカ諸隊を護送するような、そんな印象を受けたものですから」
そう歯切れ悪く話す彼女に、参謀の後ろから推移を見守っていた国連軍大将がずいと前に出て言い放った。
「アフリカ連合軍の訓練度は低い。枢要な部分は我々国連軍が行う。それだけの事だ」
「は、はい……失礼しました」
晏実は小さくなってテーブルからそーっと遠ざかる。訓練度が低いと言い放たれたアフリカの将軍達は
特に表情を変えることはない。国連軍の参謀だけが、僅かに口元を歪めて笑ったように彼女は見えた。



会議"小屋"に居づらくなった晏実は、ゲレトゥに一言伝えてからエリトリア海軍が到着せず、待ちぼうけを食っている
皇帝警護隊がたむろする場所に足を向けていた。彼女としては、船に乗り込むのが少しでも遅くなるのは歓迎するところだったが。
四つ辻毎に立てられた簡易の案内標識を見ながら、手元の粗末な地図とあわせて警護隊の戦術機が列ぶ場所を探す。
(このあたりのはずなんだけど)
会議"小屋"にゲレトゥに連れられて行くときは、戦術機を目印にすればいいと思っていたが、他のアフリカ諸国軍と
塗装が似通っているため、なかなか見つけられない。標識も殴り書きの筆記体で酷く読みづらかった。


「何だって!? もう一度言ってみな!!」
無線を使ってピックアップを頼もうか、と彼女が考えている時にキディストの怒声か彼女の耳に飛び込む。
その憎悪に満ちた彼女の声色を晏実は初めて耳にした。現場は彼女が探していた警護隊に宛われたスペース。
そこに強化装備のキディストやメスフィンらの他に、2人の黒と紫で配色された国連軍強化装備姿の人影がある。
国連衛士は皆、白人だ。
「アフリカ人が強化装備着て衛士面しているのが不愉快だと、そう言ったの」
「黒ちゃんは、野戦服で走り回ってりゃいいんだよ、家畜が」
そうドイツ訛りの英語も聞こえてくる。喧嘩のようだ。今にもキディストが手をぎゅっと握りしめ、
白人衛士男女に殴りかかろうとしている。男の方も指で手招きしながら、かかってこいよ、と言わんばかりの状況。
「なんならここで腕前みせたらどうだ! そのちっちぇ脳みそで、どこまで動けるかってな!」
「いいじゃない、受けて立つよ。その高い鼻、へし折ってやるさ!」
白人衛士が殴りかからんと引いた腕が掴まれる。晏実がしっかりと男の右腕を抑えていた。
「何事ですか! 私闘は軍紀に」
珍しく厳しい顔をみせて双方を仲裁しようとした晏実が思いきり顔から倒される。
とられた腕を逆手にとって鋭い足払いを晏実にかけたのだ。顔面をコンクリート製の地面に叩きつけられた晏実。
「お、ぉぉぉ……」
「一色大尉!?」
「ここは日本じゃねぇぞ、大尉サン?」
鼻を強く押さえて呻く晏実にキディストが駆け寄って助け起こす。晏実の鼻からは血が垂れていた。
抱き起こすと晏実は彼女の腕をぎゅっと握って体を預ける。引き倒した男は指を鳴らして鼻で笑って下がる中、
キディストと晏実は女性国連衛士に見下ろされる格好となった。
まとめられた豊かな長髪が胸元にまでかかっている。それにまだ若い。

「祖国を蹂躙されていない人に、本気が出せるわけがない。あなた達と私たちは根本において違う。
はっきりと言わせてもらうけど、あなた達は永遠に私たちの水準に達することはないでしょう」
そう、澄んだ声で居並ぶアフリカ衛士に言い放った。二回りは年上のアフリカの丈夫相手に
女らしからぬ剣幕。メスフィンもゲブレもぐっと何かを堪えて黙っている。
「か、彼らはよく訓練に励んでいます」
アフリカ側を弁護すべくよろよろと立ち上がった晏実。血の溢れる鼻を押さえたままで、これまた
白人衛士より年上の筈だが、こっちは剣幕のカケラもなかった。
「斯衛大尉さん、無駄は止めた方がいいわ。だって彼らは生得的、精神的に我々に対して劣位なんですもの。
体力的に優れるが、知能で劣る……。行きましょう、エーリッヒ」
「せいぜい、足を引っ張らないように努力するんだな」
そう残すと国連衛士2人は去っていった。



彼らが見えなくなったところで、警護隊員が集まってくる。メスフィンが晏実の鼻をごしごしとタオルで拭いた。
「やっぱり装いを変えても中身はナチって事はよくわかったね! 人種優性主義者が……」
晏実の制服の汚れを払ったキディストが、吐き捨てるように呟く。
それを皮切りに白豚どもめ、アフリカは植民地じゃねぇ、と口々と不満が溢れる。

「キディスト中尉、申し訳ないです。私の足が悪いばっかりに連中をぶっ飛ばすタイミングを損ねてしまって」
その中で鼻をもみながら、血が止まったことを確かめながら、晏実がキディストに謝罪した。
侮辱受けたにもかかわらず、その表情は晴れやかだ。
「大尉、アンタ……」
はっとした顔をみせるキディストに微笑みかけながら、晏実は周りに諭すように続ける。
「ただ、皆さんも罵倒慣れしないと駄目ですよ。あのくらい上品な方です」

そこまで言うとエチオピア軍の将校がやってくる。夜が明けるまで宛われたホテルに移動するバスを手配したそうだ。
戦術機の警備は歩兵隊に任せてやれやれとバスに乗り込む警護隊員達。晏実も乗るときにゲレトゥと目があった。
「一色大尉、鼻はどうした」
「転びました」
あからさまに呆れた顔をするゲレトゥ。
「大尉も小学生じゃないんだからな、足のことがあるとはいえ、その美しいかんばせを大切にしてくれよ」
「……すいません」
詮索されると面倒になると思う一方で、転んで鼻血を出したと言っても信じてくれる自分。
それはそれで何か嫌だな、と思った。バスの座席で明日以降の事を考える。エチオピア人の間では
バスの窓はなぜか開放厳禁であるため息苦しくて臭い。さっそく晏実は気分が悪くなりはじめる。
(あぁ……船かぁ……嫌だなぁ……)

そんな事を考えながら、晏実はバスに揺られていた。揺られながら、早速酔い始めていた。



*   *   *



1999年 11月27日 ソマリア沖 早朝

――上陸演習作戦、『241号』の開始を宣言する! 繰り返す上陸演習作戦、『241号』の開始を宣言する!
上陸支援艦の艦橋で、CICで、揚陸艦の艦内放送で、管制ユニット内で、各々がその宣言を耳にした。

上陸第一陣を運ぶ戦術機揚陸艦が速力を上げて沿岸に近づく。ソマリア首都モガディシュから北東におよそ600kmの海岸。
彼女の網膜には支援砲撃の弾着までの時間が表示される。しかし実際には晴れ渡った上空を飛ぶミサイル、砲弾は一つもない。
演習とはいえ、拍子抜けする。模擬弾でも、映画に使うような爆発でも正面で焚いてやれば気の抜けたアフリカ人達も
少しは緊張するだろうに。

――重金属雲展張、重金属雲展張。各機、データリンクに異常はないか
彼女は素早くデータリンク、音声通信のステータス・チェックを行い、全て正常であることを確認。
「キルシェ02、異常なし」
それに遅れず、彼女の小隊員達も同様の返答をする。
データリンクに、重金属雲が展開されたという"設定"で、通信範囲や通信容量にコンピュータ制御で制限がかかる。
JIVES(統合仮想情報演習システム)で常日頃訓練している身としては、呆れる程のローテクだ。

――なんだ、リリ、緊張しているのか? 顔が固いぞ。
キルシェ01、エーリッヒが口元を緩ませながらそんなことを聞いてくる。
「私がこういう顔立ちなのは知っているでしょ。……心から笑えるのは、欧州の、ドイツの"掃除"がおわった時からよ」
――じゃあ、あのかーわいー寝顔は、夢の中では"掃除"完了してるって事か。
「オープンで言う事じゃないでしょっ、それ!」
いつもの人を小馬鹿にした笑いが帰ってくる。笑った他の小隊員をすかさず睨み付けてやった。
訓練前でも、実戦前でも変わらない、いつものやりとり。
彼女は自分の頬に手を当ててみた。確かに必要以上に締まっていたかもしれない。軽く深呼吸をして頬を、体をほぐす。
(でも、ありがと)
癪だから、声には出さない。

――キルシェ隊、発進3分前! 昇降機、上昇!
オレンジの回転灯が光り、警報ブザーと共に目の前の壁面が下に流れてゆき、視線が高くなってゆく。
風を切る音が耳に心地よい。隣にはエーリッヒ、エーリッヒ・シュミット中尉の駆るブルーのF-15Cもせり上がってくる。
――よし。キルシェ01より、キルシェ各機、黒ちゃんのままごとだからってバカにするなよ。文明国の戦い方を教えてやれ!
重なる了解! の心地よい唱和。大丈夫、彼となら、彼らとなら戦える。その時まで、戦い続けられる。

――キルシェ隊、発進! キルシェ隊、発進!
その命令と共に、ペダルを踏み込み、操縦桿を一気に倒し、ソマリアの大地へ向け一気に匍匐飛行へ移る。
目の前には演習機材があるだけの荒れ地。だがキルシェ02、リリ・ヴェントリンスキー中尉の胸中は、BETAを殺しに行く時と
寸分変わらぬ心持ちだった。



[9990] アンバールへの道(4)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/02/15 01:37
1999年11月27日 ソマリア沖 朝

どこまでも続く赤茶色の砂浜の上を、地面とスレスレの高度で"青鷲"が次々とフライパス、砂塵を巻き上げる。
各個に編隊を解いて散開しつつ上陸、それぞれを支援しながら橋頭堡を確保してゆく。
さらに海上よりアフリカ各国の戦術機部隊が追従するを見ると、それぞれ小隊毎に内陸部に浸透を開始。
演習であるため砲撃は無いものの、水際だった連携が側から見ても分かる。
"アフリカの守護者"を自認する国連第3軍のF-15C部隊は、士気も技能も抜群に高い。

――シバ-エンペレスより、シバ各機、国連部隊に絶対遅れるな! 迅速に展開し戦線を押し上げるんだ!
「了解!」
シミュレータで訓練した時よりよほど近く感じる海面に圧倒されるメスフィン。
視界の端には各種レーダー情報、作戦の進行状況が小さく表示される。
皇帝陛下警護任務などとは比べ物にならない規模の上陸作戦演習。
陸地がぐんぐん身に迫る感覚。実戦では、そこには埋め尽くすBETAが居ることになる、陸地。

――シバ-エンペレスより、シバ各機、表示の地点をそれぞれ確保せよ
メスフィンの目の前に戦域図が表示され、海岸線上に△Sheba01、△Sheba02……と着地地点が示される。
そこからは進行ルートを現す矢印が伸びる。


めまぐるしく変わる計器表示を大体把握しつつ、晏実に耳にタコが出来るほど何度も繰り返し言われた
"低く、さらに低く、もっと低く"を実践。もちろんただ低く飛ぶだけではなく、
――教練レーザー、くるよ! シバ各機、散開! 各個に上陸地点を目指せ! GO!
ギディストの叫ぶような号令と共にぱっと散るF-5の列。立ち上がるレーザー照射警報。

海岸に十数基の教練レーザー照射装置が設置されている。戦術機を自動追尾するターレットの上に、
大きなサーチライトがついていると考えればよい。それの発する特殊なレーザー照射を受けると、戦術機に搭載されている
センサーが光線級のレーザー照射を受けたのと同じように、乱数回避をとる、という訓練機材である。
付近に置かれた的を撃ち抜くと照射を停止される仕組みだ。
訓練用である為、照射を受けても破壊されることはないが、操作を誤れば命を落とす危険があるのは言うまでもない。
――シバ-エンペレスより各機。第一陣の国連戦術機部隊は、全機健在、全ての標的を無力化しているぞ、後れを取るな!

(国連部隊は化け物か!?)
「!?」
爆雷が炸裂するかのような音共に、視界の端に大きな水柱が上がる。降りしきる水飛沫。
何事かと思い、背部を一瞬覗き見る。F-4らしき戦術機が頭からに海につっこんで、沈み出すところであった。
――ミルコリン08、レーザー照射を受け着水! 水没を始めます!
ミルコリン隊は自国の雅称「千の丘」を冠する、ルワンダ派遣戦術機部隊だ。
操縦ミスで着水、多分待機しているサルベージ船が引き揚げる事になるが、全演習参加部隊にその汚名を曝してしまった。
名前が大仰なだけに、恥ずかしさも倍増する。
(考えてみれば自分たちも同じだ)
警護隊のコールサインの"シバ"は言い伝え上のエチオピア皇室の始祖、女帝シバに由来する。
負けず劣らず立派なコールサインで凡ミスして戦術機を失ったら"ミルコリン"隊と五十歩百歩だ。全く笑えない。

「それに……」
あの白人共を見返してやりたい。先日因縁をつけてきた衛士達だけでなく、アフリカの諸国で口先だけは、
アフリカ自治、人種平等を唱えながら結局は「やっぱり俺たちがやらないと駄目だ」と自分たちを見下している連中を。
そして、今頃心配そうな顔をしながら推移を司令部で見守っているだろう、人の良い教官の為にも!

>>[レーザー照射警報:乱数回避]<<
「ぐおぉぉぉぉ!!」
機体がメスフィンの制御を離れて回避を始める。海上故、身を隠す物はない。撃墜判定を受けないようにする方法はただ一つ。
「ロック、シバ06、フォックス3!」
かかる強烈なGにあらがいながらも、目標を捕捉、36mmチェーンガンをすかさず撃ち返す。
ロックがはずれ、回避モードが解除される。命中したようだ。
「よし、やれるぞ!」

30キロ、25キロ、20キロ……
教練レーザー照射装置は、あっという間に無力化された。何機か撃墜判定を受けて落伍した機体もあるが、
皇帝警護隊からは出ていない。訓練前はどうなることかと案じていたメスフィンだったが、取り越し苦労だったようだ。
(しかし、実戦ではこうはいかない)
上陸作戦の場合多数の戦術機が、それも新型のイーグルや、トムキャットでさえ、陸地にたどり着く前に撃墜されてしまうという。
第1世代戦術機でこう簡単にいくわけがない。まだまだ、満足にはほど遠い。

砂浜はもう目の前に。先鋒のイーグル隊はその先に。

大きく砂埃を上げ跳躍ユニットで逆噴射をかけながら、急制動、割り振られた上陸地点を確保。
「シバ06、ポイントD06確保! 繰り返すシバ06、ポイントD06を確保!」
――シバ-エンペレス了解。別名あるまで、味方上陸部隊に近接支援を提供せよ。
「了解!」
指定された地点に数メートルと違わぬ地点に降りたことだろう。実戦では絶えず臨機応変に
上陸位置等を変更することになるが、まずは正確に到着できてこその応用だ。そのまま周囲の警戒に移行する褐色のF-5。
招聘教官の指導を受け、名実共に"武辺者"の部隊となったエチオピア陸軍皇帝警護隊。
背部の兵装担架システムに収まるCIWS-2A近接長刀が、陽光にきらめいていた。



アフリカ連合軍の戦術機が砂浜に巨大な足を沈め、国連F-15C部隊から上陸地点の確保を引き継いでゆく。
展開する戦術機は見渡すだけでもF-4、F-5、F-16、殲撃8型、MiG-21、MiG-23、ミラージュⅢ……
と、戦術機博覧会の様相を呈していた。それぞれが洋上の司令部からの命令を受け、規定通りに展開、順次内陸部への侵攻を
開始して行く。その合間を縫って上陸用舟艇が砂浜に次々と乗り上げて渡し板を砂浜に落とす。
「上陸、上陸、上陸!」
舟艇から続々と姿をあらわすのは、戦術機の数がまだまだ不足するアフリカ連合軍の機甲兵力を補う戦車、対空戦車部隊である。
ディーゼルエンジン音と、キャタピラの駆動音を響かせて、砂浜を邁進するT-72戦車部隊。それに装甲車に分乗して随伴する機動歩兵。
工兵が上陸し、機械化歩兵装甲の大型マニピュレータで補給物資の積み卸しも開始される。

ソマリアの海岸に戦術機と車輌、そして兵員の波が打ち寄せ続ける。

ファントムが徒歩移動する脇を、カール・グスタフ無反動砲を抱えた屈強なアフリカ兵の一団が駆け抜ける。
AK-47を装備した、軍服もバラバラの歩兵小隊も。マスクを装備した顔に汗が噴き出し砂がこびり付くが、まったく意に介さない。
通信兵が何事か受話器に向けて大声で叫ぶその前を、対空戦車の車列が砂塵を巻き上げて前進する……。

ある兵士が空を仰ぎ見た。36mmガトリング砲2門を肩に抱えた巨人がそびえ立つ。ソマリア陸軍のA-10サンダーボルトだ。
一際大きな地響きを立てて、悠然と前進を始める。こんな巨鬼が、自分と共に戦っている。そこに寸分も敗北を感じさせる要素はない。


合計約40,000名の兵員を投入したこの演習作戦は、アフリカの底力と、しかしそれと同時にその限界を浮き彫りにしていた。



*   *   *



1999年11月27日 ソマリア沖 米海軍 空母「ジョン・C・ステニス」 戦闘指揮所

上陸演習作戦『241号』の旗艦を努めるのは、現在国連に提供されている米海軍の空母(戦術機母艦)
「ジョン・C・ステニス」である。その戦闘指揮所ではソマリアに上陸、侵攻演習する部隊の全情報が集まり、
部隊への指揮命令と部隊間の調整が行われているのだが。
「ディフェンダー隊、依然としてデータリンク障害、回復せず」
「どうなっている……フランス製だからか? 音声通話で指示しろ。180秒の遅れが出ている、急げ!」
「そんな馬鹿な、統一規格ですよ!」
保有する戦術機の種類から、電子機器を初めとする近代化改修の度合いもバラバラで、統一運用は困難を極めていた。
現在はスーダン派出のF-5部隊、"ディフェンダー"隊がデータリンクにアクセス出来ず、
司令部ではその対処に追われている。事前の綿密な打ち合わせにもかかわらず様々な問題が吹き出していた。


――ピープルズ01、聞き取れない、繰り返せ
――こちらトピード・マム、『ウ ィ ン グ ス リ ー』だ! 鶴翼参陣! 一発で聞き取れ、ボケが!
――了解、ピープルズ各機、陣形変更、鶴翼参陣! 繰り返す、鶴翼参陣!
――たっく!
前線の戦術機中隊間のせっぱ詰まった通信が、戦闘指揮所でも聞こえる。
アフリカのかなりの言語が未だ同時自動翻訳に対応していないことによる問題。欧州出身の衛士のなめらか(過ぎる)発音の英語は
アフリカ軍衛士には聞き取れず、かたやアフリカ兵の凄まじい訛りの英語が欧州出身者には聞き取れない。
陣形変更なども、文字や図を送信することで音声通話を補助できるが、データリンクシステムに接続出来ない機体には
無線で指示をするしかない。


――こちらキルシェ01! 推進剤がもうない! 補給部隊はどこほっつき歩いてるんだ!
「こちらHQ、兵站部隊は現在、急ぎ進出中である。その場で待機せよ」
――BETAは待ってくれないんだぞ、クソが!
「急がせる」
その数ある問題の中でも最大の物は補給であった。補給コンテナの投下は行われない想定で
従来型の燃料車などの車輌を中心とする部隊で兵站線を支えるため、高機動力の戦術機部隊について行けないのだ。
この『241号』演習も、兵站線の迅速な構築と、その問題点の洗い出しが一番の目的であった。

「国連も今度の作戦に、補給コンテナの投下ぐらいしてくれてもいいだろうに……。この分だとドロップタンクを
用意する数も計算し直す必要があるな」
兵站線の確保に苦労する訓練参加部隊の様子をモニタで見ながら苦々しく呟くバライ少将。
ゲレトゥは何も言葉を発しないが、表情は硬い。教練レーザー下での上陸訓練の成績も影響していた。
警護隊まではよい成績を収めたのだが、警護隊と共に参加しているエチオピア第1003戦術機甲連隊の成績は
お世辞にも良くない。"水没"も何機か出している。

「ゲレトゥ総監、やはり、早過ぎたのではないでしょうか。まだ1003連隊には、厳しかったように思います」
同じく戦闘指揮所内で顛末を見守っていた晏実が厳しい感想を伝える。
「大尉が慎重なのはわかるが、そんな事ではいつまで経っても実戦に連中を投入できんよ。12月中旬
までには、なんとしても形にしなきゃならん」
残余の機体で上陸作戦の次のシークエンスに移った1003連隊各機の光点を見つめるゲレトゥ。
国連部隊がアッという間に障害を排除しつつ内陸に侵攻してゆくのと比べて、アフリカ連合軍部隊の
訓練度の低さは誰が見ても明らかだった。
(その作戦も、延期できれば……)
晏実も防諜上の観点からその作戦についてはまだ詳しく知らされていないものの、この演習の結果を見ていると不安であった。

――オガデン01より、HQ。目標地点確保、目標地点確保!
「HQ了解、その場で待機せよ」
ソマリアのある部隊の通信に、ゲレトゥとバライが内緒話を始めた。晏実からは何を話しているかは分からなかったが、
2人の笑顔は歪んでいる。こみいった難しい話をしていると思われた。

「総監、イシガト局長からです」
「輸送機の件か」
「はい」
ゲレトゥの副官が戦闘指揮所に入室、紙片を渡して何事か伝えている。
彼は戦術機甲総監であり、立場上では戦術機部隊の編成、新型機選定、訓練方針などにしか権限が無いはずであるが、
多くの軍人がゲレトゥの下にやってきて相談したり、報告したりしている。『241号』作戦のエチオピア軍指揮官の
バライ少将も、よく彼と相談する姿を晏実は見かけていた。



「うっぷ……」
思わず口に手を当てる晏実。
「もう限界か。戦術機が大丈夫で、船が駄目とはどういう体をしているんだ?」
「め、面目ないです……。こう、空気がよどんでいると、気持ち悪くなるペースが速くて」
青白い顔でそんなことをもらす晏実。彼女は空母に乗船してから船酔いに悩まされ続けていた。ゲレトゥ総監のジト目が痛い。
辛くなって晏実は視線を逸らした。が、気持ち悪さは高まるばかりだ。エチケット袋を握る左手に力がこもる。
「よくそんなんで衛士適性をクリアしたな」
ぼそっと酷いことを言うゲレトゥ総監。晏実の愛想笑いも引きつっている。
「あ、あははは……。ほら、私、一色家じゃないですか。"赤い"じゃないですか。ですから、適性試験も、こう」
「そういうことか。まったく、大尉が譜代武家だと認識するところは、そういう所ばかりだね」
機嫌が悪いゲレトゥは、彼女への追及もとげとげしい物になる。晏実も余裕がない。
「す、すいません。ちょっと中座してもよろしいですか。私、以降の兵站任務については専門外ですし、
外の空気を吸わないと、かなり、危ないので」
「わかった。まぁ、いい。13時半までには食事済ませて戻ってこい。"タマネギの皮"戦法の評価があるからな」
「ありがとうございます。食欲は全くありませんが……」
晏実がふらふらと戦闘指揮所から退出する。ゲレトゥは彼女が下の配線か何かにけっつまづいて転倒しないか
出て行くまで心配そうに見守っていた。



*   *   *



ちょっと迷った後、晏実は水兵の案内を聞きながら飛行甲板に上がる。背中を艦橋に預けて大きく深呼吸すると、
吐き気もちょっと収まったような気がする。だだっ広い甲板には、赤や、黄、緑のジャケットを着た甲板要員が談笑しているのが見える。
ガムを噛みながら、時折どつきあいながらリラックスしている様に見えた。それの様子を晏実は遠目にぼーっと眺める。
カタパルトには一機のトムキャットが駐機しており、インド洋の潮風を浴びていた。



「コンニチハ。お嬢さん、乗物は苦手かい?」
「は?」
背後から突然なまった挨拶をかけられて、振り向く晏実。目の前にはコーン付のアイスクリームが差し出されている。
米軍の強化装備を着て、短く金髪を刈り上げた衛士が笑顔でそこに立っていた。
「昨夜とか士官食堂で遠目に見てたんだけど、皿に全然飯をのせてなかったからさ。酔ったときにはコイツが一番だよ」
「あ、ありがとう」
礼を言ってバニラアイスを受け取り、かぶりつく晏実。温かい食事はほとんど受け付けなかったが、冷たいものは
すっと喉を通る。彼女にとってそのアイスは今まで食べた中で一甘く、美味しく感じた。

晏実がすっかりコーンまで食べ終わるまでの間、その米軍衛士は空母での苦労話や、面白い話をしゃべり続けた。
気さくな青年はロイ・ウィリアムズといい、海軍少尉であるそうだ。晏実が思いの外英語が上手で、話も弾む。
「へえ、同じ海軍でもそこまで違うもんなんだねぇ。そういやアナポリスから江田島に交換で行った奴がエラい目にあった
って聞いたな!」
「あそこは斯衛並にしつけが厳しいらしいですから。知り合いの人は桜の季節でしょうか、あらかじめ木をけっ飛ばしてから
掃除をするとか言ってましたよ」
そこまでするのかと、想像して笑うロイ。晏実もしばし船酔いを忘れることができた。

そんな他愛もない話をしてお互いがうち解けたところを見計らい、ロイはすこし改まった様子で本題を切り出す。
それまで"ヤスミさん"と、親しく(やや親しすぎるくらいに)呼んでいたが、今度は違った。
「その、一色大尉は、京都防衛戦に参加したのかな? それが聞きたくてね」
「京都、防衛戦……」
それまでの明るい表情が一転し、晏実は口をつぐんでしまう。彼女はロイから駐機するトムキャットに視線を移した。
その弱さをはらんだ表情を、見せまいとするかのように。
「な、なんか聞いちゃいけないこと、きいたかな? そうだとしたら、謝るよ」
「いえ、いいんです。ごく序盤には、参加していた事になると思います。そこに立つF-14に助けられたこともありますよ」
「ホントかい!? その話が聞きたかったんだよ! 任官して初めての任務がこの航海でさ、実戦がまだなんだ。
京都防衛戦ではトムキャットが大活躍したって先輩はみんな言うからさ! で、どう戦ってたんだい? どういう風に!?」
「いいですよ、どこから話しましょうか――」

それから彼女は、自分の記憶の糸をたぐり1年前の7月の出来事をロイに話聞かせ始めた。
旧式化の著しい瑞鶴での迎撃が困難を極めたこと。神戸や大阪といった100万、200万都市が市民を避難させる暇もなく
陥落したこと。そして話は彼の聞きたかったトムキャットのことにうつった。
「本当に、天使のようでした。こちらが地べたにはいつくばって必死に迎撃をしていると、夜空に10機くらいのトムキャットが
飛来したんです。フェニックス-ミサイルというんでしたっけ、それをさーっと発射する。あの光景は今でも目に焼き付いています。
あのたなびく炎の筋は流星群のように美しかった」

懐かしむように、穏やかな口調でその時の感動をロイに伝える。その言葉遣いは、即興の叙情詩を語っているかのようだった。
この時ばかりは口数の多い彼も時折頷きながら息を呑んで話す彼女に注視する。
「だいたい、あの時のブラックナイツ隊もそうですが、米軍の衛士さんは颯爽としていて、気の利いた冗談を残していくんですよ。
時にはこっちが赤面するくらいの、きわどい事も言われたりしました。……話がそれましたが、私がF-14戦術機を見たのは
あれが最初で最後でしたね。その後……負傷して前線を離れましたから」

こんな話で良かったですか、とロイにゆっくり振り返ると、彼は子どものように目を輝かせながら彼女の手を取り、
固く握手をしていた。
「こんなアフリカくんだりで、あの伝説の京都防衛戦に参戦した英雄に話を聞けるとは思ってもみなかったよ! ヤスミさん、
本当にありがとう! 俺もそういう活躍がしたくて海軍戦術機部隊に入隊したんだ。あー、でも、BETAの大群にフェニックスを
一斉発射したら、さぞ爽快なんだろうなぁ!」
「わ、私が、英雄、ですか?」
その言葉に違和感と戸惑いを見せる晏実に、感激を全身で表現しながら話すロイ。
「俺にとっちゃ英雄も英雄だよ、伝説のブラックナイツ隊の話はトムキャットクルーの間で知らない奴はいないさ!
それを直接見てきたんだろう!? あの地獄を戦って、生き残ったってだけでも大大先輩の大英雄だね!」
「そ、そういうものでしょうか、わ、ととと」
あまりにもぶんぶんと握手するため、晏実はバランスを崩して転びそうになってしまった。
そこまでやって初めてロイは、自分が二階級上の上官にはしゃぎまくっていた事にやっと気づいた。
「し、失礼しました、大尉。ちょっと興奮しすぎてしまいました」
「いいんですよ、少尉。アイスもいただいたことですから」
急にしおらしくなったロイがおかしくて、「少尉」を強調して笑いかける。ゲレトゥに毎日のようにやられて、
彼女も人をいじる、という事を学習したようであった。



「いやぁ、でも、日本の軍人がこんなに米兵の俺に友好的に接してくれるとは思わなかったよ。……その、やっぱり日本人は、
一色大尉は、安保の事とか、怒っているのかな。これも是非、聞いておきたくて、ね」
歯切れ悪く、ばつが悪そうにその事を聞いてきた。1年前に突然破棄した、日米安全保障条約について。
腕を組んでうーんと、悩む仕草をする晏実。大分悩んだところでそれに答える。
「私はあの時は、自分の怪我のことで頭がいっぱいでした。だからそれを聞いて怒るとか悲しむとか、そういう状態になかった、と思います。
同僚にはアメリカには厳しい事を言う人が多いですね。逃げたとか、見殺しにしたとか。どうしても斯衛は国粋的な人が集まってますし……」
逃げた、見殺しにした、というあたりでロイはぐっと歯を食いしばる。自然に彼は固く拳を握りしめていた。
「それで、大尉は、今はどう思っているんだい? 俺も、やっぱりそういう奴らの一味って感じで、仕方なく、話につきあってるとか」
「そうなる、でしょうか」
「ッ!」
自分が英雄だ英雄だと、にわかに友達になったと思っていた晏実にそう告げられて、ロイはショックを隠せない。
晏実はしかし、続けて彼の手を優しく取ってこう付け加えた。
「もう死ぬしかないって時に、颯爽と現れて助けてくれたかと思うと、キザなセリフを残して去ってしまう、そういう奴らの一味って感じです」
彼の口調を真似て、いたずらっぽく言う晏実。
「え、じゃぁ、それって」
「私はそろそろこれで。よい気分転換になりました」
そこまで話すと、彼女から先に敬礼する。それにロイは踵をあわせてそれにあわてて答礼した。
それを確認すると、彼女は艦橋の扉から艦内に入っていった。それを最後まで見送った後、拳を突き上げて喜ぶ若きウィリアムズ少尉であった。



午後の遅滞戦闘を中心とした演習も、「大きな問題」は無く終了はした。しかし翻って言えば、小さな問題は数限りなく。
それらの課題を改善する間もなく、アフリカ連合が画策する重大作戦の開始日は刻一刻と迫っているのだった。



[9990] アンバールへの道(5)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/02/21 19:49
1999年12月2日 エチオピア東部 オガデン地方 昼

からっとした冬のエチオピアの青空の下、無蓋のトラックから20歳に達するくらいの若い衛士達が降車、小隊毎に集まる。
手にはそれぞれ軍用地図を持って、指導する警護隊員達の説明に一心に耳を傾けていた。
聞こえるのは赤茶けた砂を踏みしめる強化装備特有の足音以外は、吹き抜ける風の音くらい。

「いいか、衛星写真やデータリンクで送られてくる三次元情報では、読み取れない事がどうしても出てくる。
写真では平坦なように見えて、実は存在する起伏などが典型だ。地図上では僅かでも、光線級の見通し距離には
大きく影響することもある。例えばあの丘は……」
メスフィンが道路より北方に広がるなだらかな丘を指さして解説を続ける。
そのまわりに集まった訓練兵が小さな手帳に要点をメモしてゆく。どちらも真剣な眼差しだ。

「はい! 地図上になく、現場で把握できる情報として天候があげられます!」
「そうだね。特に雨期に行動する場合、視界やセンサに影響が出る。そう言ったことも事前の偵察、
地形把握で頭に入れとくんだ。あとは……」

それまで晏実に教えられてきた警護隊員が、若い衛士達に事前の地形把握についての指導を行っている。
エチオピア軍の戦術機甲科は教導部隊が貧弱であるため、訓練校の新米を実地で指導する仕事も
同軍で最も練成度の高い皇帝警護隊にまわってくることがよくあるのだ。
エチオピアでは戦術機甲部隊の増強が急ピッチで行われている。衛士も不足気味であった。
普段は笑顔を絶やさないキディストも、顔を引き締めて訓練兵の見落とした地形の特徴を挙げている。

そしてその教官ぶりを評価するのが晏実だ。指導者としての改善点を探しながら時折メモをとってゆく。
お互い酷い英語でやりとりしているので、話の7~8割しか分からない。
アムハラ語で指導をされては彼女はお手上げであったが、一応エチオピア軍の方針として
衛士の後期教育は国際公用語の英語をなるべく使う方針であるので、何とかなっていた。

(なんでも先に答えを言ってしまうより、時折あてた方が緊張感があるか……)
自分の経験や、それぞれの警護隊員の指導のクセや違いを比較しながら気づいた点に考えを巡らせる。
優しく教えるか、厳しく教えるかでも一長一短でなかなかどちらがいいかなど、手探りだ。
彼女は性格上あまり厳しく教える事が出来ないので、間違った者をどやしつけている
キディストの指導を見ながら、どう彼女を評価したら良いか悩ましいところであった。



「っと、時間か。悪いゲブレ、うちの子達も預かって指導してくれない? "特務"の指揮があるからさ」
「分かった」
と、キディストが受け持ちの訓練兵をゲブレに預けて晏実の所へかけてくる。
「大尉、さぁ乗った乗った」
「は、はい?」
そのまま停めてあった指揮官用のジープに晏実を乗せて、運転手に「出して」と指示した。
ジープは指導の行われる演習場から国道にほど近く展開した野営地へと砂埃をあげて走る。
「"特務"? そんな事、今回の新編大隊の指導スケジュールにありませんが」
「スケジュールにないから特務なのさ。総監が大尉にお見せしろっていうからね」
「要領を得ません」
「だろうねぇ」
予定にない行動に訝しがる晏実。何があるのかをしきりに問うが、キディストは笑って核心を答えない。
ジープは演習部隊と一緒に付いてきた大型トラックに追いつくと、速度を落として併走に入る。
積み荷は大量の食料であることは晏実も知っていた。

野外演習に行くには多すぎる量の食品、しかもエチオピアの主食であるすっぱいクレープ、
インジェラの原材料であるテフを山ほど輸送している。
小麦粉のようなテフは、水に溶いて醗酵させて焼かないと食べられない。
大規模な炊事部隊が同行するならいざ知らず、レーションとしての手軽さは全くない。
その輸送部隊を随行させていることが、彼女は演習当初から不思議であった。



十数分程走ると40戸くらいの小さな村に車列は入り、停車した。中世、暗黒の時代から発展していないかのような風景だ。
生け垣に囲まれた低い土蔵のような建物が散在するエチオピア東部の小さな寒村。
まわりには既にかなり人だかりが出来ていた。村外からやってきた人も多数いるようだ。
「それでは、配布を始めます」
「ん。サクっと終わらせな」
「了解。全員、作業開始! 繰り返す、作業開始!」
キディストに下士官が報告した後、大型トラックから降りた兵士達が群衆に列を作らる。そして麻袋に入ったテフや、飲料水を
手際よくその人だかりに配布してゆく。住民達は口々に兵士や、監督するキディストに感謝の言葉をかけて頭の上に
麻袋をのせて去ってゆく。それに愛想良く手を振りながら応じるキディスト。
たまに同じ軍人ということで晏実にも「ありがとう」と伝える住民もいた。
軽トラックに袋を載せて帰る人もいる一方で、多くは徒歩で集まってきているようだ。

「これは、飢饉対策か何かですか?」
日本で難民支援の為に炊き出しを行う部隊と似ている、と思いながら晏実が問う。
軍が困っている人たちに救いの手をさしのべる。プロパガンダ的であると言ってしまえばそれまでだが、
やはり「人々と共にある軍」という構図は心温まるものがあった。自然と彼女の顔がほころぶ。
「まぁ、そうだね。……多分日本と違うのは議会を通して『ない』ってことかな」
「議会を通していないって。それでは、横流し、になるのでは?」
「うん、そう。横流ししてるの」
「そうなんですか。うん? うん……」
あまりにもさも当然そうに返されて、自分の感性が間違っているのかと頭をひねる晏実。
その間にも兵士達がテフの袋をトラックから降ろして配り、20リットルジェリカンに入った水を
持参した彼らの容器に分配してゆく。

「やはり議会は通さなくてはいけませんよ。食材だって立派な国の財産です。その……犯罪、ではないですか」
横流しはやはり犯罪という当然の帰結に、やや時間がかかって辿り着いた晏実。
それに、あっちの婆さんにも分けてやりなよ、と指示を出しつつキディストが答えた。
「それが一番なんだろうけどねぇ。議会はまず通らないんだよ」
「国民を救済する法案が、通らないと?」
「国民というか、ダロッド族に、だね。彼らはソマリアでは主流でも、エチオピアじゃ傍流だ。
穀物まわす先は、オロモとか、アムハラとかの主流民族が先だろって話になってこっちまでまわらないのさ」
それからキディストは80以上ある多民族国家の苦労話を晏実に聞かせ始めた。

エチオピア、というよりアフリカの多くの民族は国家という意識が希薄で、仲間意識が出身民族までしか及ばないこと。
飢饉が直撃するたびに少ない備蓄の放出先をめぐって暗闘があること。ゲレトゥ総監の指示で、特に国境周辺の
民族には手厚い援助が行われていること。ゲリラ活動を行われないようにするための予防策である。
「今はBETAと戦争しているから内紛している場合じゃないって、息を潜めているけどね。人類側が優勢になったら
分かったもんじゃないさ」
「宇宙人相手なら大同団結するかと思っていましたが、そういう訳にはいかないんですよね」
「そうはいかないらしいねぇ」
どちらとも無くため息が漏れた。お互い、戦場に立って人類が滅亡の淵に立たされている事を強く実感している。
にもかかわらず陰に陽に対立している人類への失望もまた、強いものだった。



「あとは、こいつらもそうだけど、農村部の人たちってさ、国と民族って基本、対立関係にあるんだよね」
「対立?」
キディストが、重い大きなペットボトルを落としそうになった少年の所へ駆け寄って支えてやった。
まだ6~7歳くらいの子供だが、母に連れられて水運びの手伝いをしている。
「学校通うだけで国家の手先になって民族の伝統をないがしろにする奴だ、と言われて引き戻される。
民族の外の事には興味ないから、国外の出来事も知らんぷり。軍人なんてヤクザと同じじゃないか! って普通は猛反対さ」
キディストが、勉強するくらいなら家を手伝えって事だよ、と支えてあげた少年を指さす。
エチオピアでは都市部での就学率は向上しているものの、農村部では頭打ちで教育省も頭を抱えている。
それは晏実も地元新聞を読んで知っていた。
「BETAと戦う軍人になる事は日本では名誉なので、なんというか……、他の国でもそうだと思っていました」
「戦術機なんてあんな高そうな物なんで買うんだって意見は、議会でもとりあげられるしね。
給料ドロボーって思われてるのさ。人々に感謝されるのはこういう場面くらいなもんだよ。本当に――」
忌々しそうにそう吐き捨てたキディスト。そんな複雑な国情に、晏実はかける言葉が見つからなかった。



キディストはジープの風防に肘をついて頭を支え、不機嫌そうに人々を眺めている。
晏実は周りを見まわした。トラックは4台。この作業に従事している兵士は一個小隊はある。手際もよい。
彼女はゲレトゥの影響力の大きさを改めて思いしっていた。
「ゲレトゥ総監って、何者なんですか? どう考えても一介の将官とは思えませんよ」
「あれ、知らなかった? 77年のエチオピア危機を収拾したCCRの副議長だよ。
議長はお飾りのじいさん参謀長だったから、実権はゲレトゥ・ハイレ・アベバウ中佐ががっちり握ってたのさ」
「CCRの副議長……」
CCR、という言葉に反応する晏実。出国前に詰め込んだエチオピア現代史に登場した組織。

エチオピアは失政の続く帝政への怒りが爆発。1977年には内戦一歩手前の事態にまで発展した。
国連の調停官が派遣され、「内戦を起こしたら、さら地にして信託統治にする」と、恫喝じみた説得が行われたと言われている。
その中で極右、極左勢力を粛清、穏健な立憲帝政としての再出発に主導的な地位を果たしたのが、軍部を中心とした
CCR(立憲革命評議会)であった。議長は日本でも知られていたが、影で手腕を発揮したゲレトゥの名を晏実は知らなかった。

「かつての大幹部なら、穀物の横流しくらい、たしかに……」
「皇帝の地位でさえもCCRの気分次第、といわれた時期もあった。つまり、そういうことさ」
今になってとんでもない人に招聘されたと気づいて、冷たいものが背筋を流れる。
晏実が思い出して脳裏に浮かぶゲレトゥは、磊落に笑いながら自分のことをおちょくったり、日本文化に憧れる
中年の大男である。それが共産主義者や急進的共和主義者を急襲して殺害した"血のCCR"の事実上のトップとは
なかなか結びつかなかった。腕を組んで晏実は黙ってしまう。


そうこうしているうちに配布は完了。"横流し"部隊は撤収を始める。その間1時間とかからなかった。
ジープは再び晏実とキディストを乗せて元の場所へ運ぶ。
何事もなかったように、いずれ新編成第1004連隊を構成する事となる訓練生がメスフィンらから指導を受けていた。
晏実も指導の補佐に戻る。

だが、その日一日彼女はどこか心ここにあらず、といった様子であった。



*   *   *



夜。テントの中、裸電球の下で晏実は明日以降の演習計画について警護隊員達と確認をとっていた。
テーブルには訓練生の成績や、シミュレータで行った時のタイムラインなどが印刷されて乱雑に置かれている。
侵攻してくるBETA集団を、タマネギの皮を一枚ずつ剥くように漸減させる「タマネギの皮戦法」
の訓練方法についてが焦点であった。

旅団規模のBETAの進出に対する、効果的な遅滞戦闘の訓練。大隊に相当する戦術機部隊が
代わる代わるBETAと接触して、それぞればらばらな方向へ引きつけて最終的に大集団を四分五裂させる。
机上では立派な作戦も、いざやれと言われると統制の難しさが露呈していた。限られた期間で、
ある程度のレベルになるようにするにはどうしたらよいか。討議も煮詰まり気味だ。
議論は進まず、灰皿に突っ込まれるタバコの吸い殻だけが増えてゆく。

「とにかく、先ほどのメスフィン少尉の案で行きましょう。第三フェーズ以降は訓練兵の進捗による、と」
無制限に討議が続きそうなので、適当な落としどころを提示して晏実が切り上げた。
それに眠そうに警護隊員たちが同意して解散。のそのそとテントから出て行く。


「大尉、お疲れさまです。コーヒーです」
「気が利きますね。ありがとう」
肩をまわしている晏実に、メスフィンがカップに入ったコーヒーを渡す。塩を少量入れるエチオピア風の飲み方にも
もう慣れた。美味しそうにすする晏実。本場の豆をひいて作った最高級のコーヒー。
代用コーヒーでないだけでご馳走だった日本では考えられない芳醇な味わい。彼女はもう日本で代用コーヒーは
飲めないな、と常々感じていた。

「美味しい……。そういえばキディスト中尉とたくさん話機会を得たんですが、なんだか苦労している方なんでしょうか?」
「大尉にもわかりますか?」
「ため息が、私と似ていたんですよ」
「あぁ、なるほど」
テーブルに寄っかかってコーヒーを味わう晏実が声をかけた。キディストは愚痴などほとんど言わない、活発を絵に描いたような
女性だが、今日の彼女は少し違って見えたのだ。

「全然表に出しませんけど彼女は苦労してます。14で結婚して1年経たずに離婚。いわゆるバツイチです」
「14歳で結婚!?」
「アムハラ州では普通ですが、何か」
「そ、そう言えばそうでしたね……」
キディストの出身民族であるアムハラ族では十代半ばで女性は結婚する。日本人が「子どもは学校に行かなければならない」
というのと同じくらいの感覚で、その真の意味も理解しないまま持参金を持ってアムハラの女は嫁いでゆくのだ。
当然離婚率も高く、全国水準のおよそ倍の20%である。その離婚統計の中にキディストも含まれていたという事だ。

「夫が相当酷かったそうで。実家に泣いて帰って、それでも向こうに戻れと説教する両親に愛想尽かして家出。そのまま入隊、
だったか、間に何かあったかな? とにかく今は家族とは絶縁状態ですよ」
「朗らかな方なのに、実は苦労されていたんですね……」
キディストの意外な過去を知らされ、ショックを隠せない晏実。メスフィンは「彼女は強い人です」と単純に尊敬の念をあらわしていた。
「エチオピアでは結構多いです。いろんな理由で自分のクランに居られなくなって、仕方なく兵営の門を叩く人は」
「軍人はあまり人気がない仕事なんでしょうか」
「わざわざ自分の命を危険にさらす職業ですから。志願する人は変わった人ですよ」

それに黙ってコーヒーを飲み干す晏実。明日も早いが、カフェインが効いている間くらいは明日のスケジュールの再確認くらい
しようと資料を手に取る。赤ペンなどで多数の書き込みがあって、紛糾した討議を反映している。
それを目を揉みながら眺めなおす。そこへ通信兵がやってきた。敬礼して彼女に報告する。
「一色大尉、アクスムのゲレトゥ総監から秘匿回線で入電です! 緊急との事です!」
「緊急? わかりました、行きましょう」
「はっ!」



カモフラージュ用のネットで覆いをされた通信アンテナのそばに駐車する通信車。そこで待機していた軍曹に受話器を手渡される。
「一色大尉です。ゲレトゥ総監、何事ですか?」
「大尉か。いいか、一度しか言わないぞ。貴官らが展開する野営地から南南東70キロの地点で、軍用の輸送機が不時着した。
重要戦略物資を輸送していたとの情報がある。また、別の基地からヘリボン1個中隊の出動を急がせている。
以上の状況に対し、一色大尉に命ずる。一色大尉は皇帝警護一個小隊と訓練一個中隊を武装させ、輸送機の不時着地点を確保しろ」
「わ、私が指揮するのですか!? それに『軍用の輸送機』って、そもそもどこの国の飛行機かも」
突然出動命令を与えられて驚く晏実。与えられた情報は本当に最低限だ。それに彼女は教官であり、実戦でエチオピア軍を
指揮するとは考えていなかった。
「Need to know.というやつだな、それには答えられん。今、野営している部隊で大尉は君しかいないだろう。最上級が指揮をするのが
軍隊の基本だ。では、直ちに出発しろ!」
「総監!」
もう通信は切れていた。仕方なく受話器を置き、その手で緊急警報のスイッチを押した。
野営地が一気に騒がしくなる。彼女は野戦整備中隊を呼び出し、各種火器に実弾を装填するように指示。
おきまりの「これは訓練ではない」のとのフレーズがやけに耳に残る。
戦術機部隊の指揮は、戦術機からしか出来ない。その他の細々とした指示を通信兵に残してから自分のテントへ駆けだしていた。



*   *   *



「シバ00よりバンブー各機、まもなく指定地点です。繰り返しますが、ソマリアとの国境も近い地帯です。
許可のない発砲を絶対にしないように」
――了解!
緊張がよく伝わる、少しうわずった返答が晏実の耳に入る。彼女としても実戦は久方ぶりであり、非常に緊張しているが
それを表に出すことは出来ない。身を引き締めなくては。警護と訓練部隊あわせて4個小隊は夜のアフリカを滑走する。
起伏が少なく、海上を飛行しているような気分で飛ばせる。彼女に貸し与えられたF-5も堅牢な設計でよく操作に応えてくれていた。
(難しいことなんてない。ただ輸送機を発見して円壱型をとらせて警戒するだけのこと。……それなのに心臓はばくばく言っている。
よっぽど小心者なんだな、私)
仏頂面の下でそんな事を考えながら訓練中隊のバンブー隊(彼女がとりあえず付けた)の飛び方を確認する。
規定通りの高度で、しっかりとした傘型陣形を維持して飛行している。訓練校で叩き込まれたようだ。

――あれか。シバ02よりシバ00、輸送機発見、輸送機発見!
ゲブレ少尉が煙を上げて胴体着陸した輸送機を発見、晏実へ通報する。彼女も望遠にして確認、
破損した機首をみとめた。
「確認しました。バンブー04から12、バンブー04から12、地図上のポイントXを中心に円壱型、円壱型陣形で展開せよ!」
了解、の唱和と共にWS-16C突撃砲で武装したF-5部隊が一旦陣形を解いて針路をかえ、護衛目標を中心に円陣を組む。
陣形変更も流れるように行えた。優秀である。
「シバ01は輸送機に寄せた後に機体から降りて、輸送機の状況を調べて報告。バンブー01から03は直接私が指揮を執ります」
――あいよ!
――りょ、了解!

シバ00である晏実機と、バンブー01~03は輸送機の周りに展開するバンブー本隊を横目に5km先に着陸。
散開して前方警戒に入る。ゲレトゥは何も言っていなかったが、ヘリボン隊だけでなく戦術機部隊を動かしたからには
それ相応の脅威を想定しているということである。シバ隊は交戦状態になった時には各個適切にバンブー隊を援護する任務を
与えていた。あくまで部隊の主力は訓練未了のバンブー隊である。それをフォローしなくては全体の全力を発揮できない。

全部隊が所定の配置について一息つくまもなくレーダーに反応。反射波から戦術機と認識している。
――っ!
部隊に緊張が走る。速力からも戦術機が匍匐飛行しているものと思われる。
「各機、別命あるまで発砲を禁ずる。繰り返す、別命あるまで発砲を禁ずる!」
今まで晏実が相手をしてきたのはBETAだ。BETA相手に遠慮はいらない。見つけたら殺す、それだけだった。
だが今回は違う。自分の命令如何によっては国際紛争の引き金を引くことになるのだ。
緊張から呼吸や、瞬きも早くなる。不明機はぐんぐん接近する。もうすぐで自律誘導弾の射程に入る!

――……ら、……リカ連合軍所属、511戦術機…中隊である。応答せよ、応答せよ――
酷いノイズのあとに、聞き取りにくい英語で部隊名を名乗ってきた。どうもAU(アフリカ連合)軍所属機のようだ。
テロリストの類ではないとわかり、安堵のため息をもらす晏実。訓練兵と一握りのベテランだけでは心細かったが、
もう一個中隊も加われば、心やすいというものだ。
「こちらエチオピア皇帝警護第一中隊です。墜落機の護衛支援、感謝します」


だがその挨拶への返事は、誘導弾の一斉射撃だった。


「なっ!?」
次の瞬間、目の前に太陽が現れたかのような猛烈な光を直視した晏実ら前方警戒部隊。
強力な閃光を発する対人弾頭がばらまかれたのだ。
戦術機側が異常な光量を検知して、直ちにフィルターを通した予備カメラの映像へ切り替わるが、もう遅い。
網膜にそのまま焼けるような光が投影され、晏実の視界は完全に奪われた。目を守ろうと涙が溢れてくる。
「うぅぅ……っ、うぁ、ぁぁ、ぁ……!」
――ぐぁあぁぁぁ!!
――大尉! 発砲、発砲許可を! これは、明らかに――
訓練を積み、実戦もくぐり抜けた斯衛衛士とはいえ、目を奪われては手も足もでない。
ミサイルを欺瞞するフレア展張の指示すらも出せなかった。
目を押さえて焼け付きにもだえ苦しむ晏実の耳に、悲鳴とミサイルの炸裂音が飛び込む。目くらましに混じって発射された
実弾が次々とF-5を捉えて大きな爆発を起こさせる。腕や脚部に命中して、無惨にもバラバラにされるF-5。
要塞級をも吹き飛ばせる炸薬量は、戦術機を爆砕するくらい、わけないことであった。
あっという間にバンブー01から03は爆散。


「ぅぅ……」
やっと回復した視界の先にはぴたりと砲口をこちらに向けるF-16。
ミサイル爆撃に唯一生き残った晏実のF-5に、36mm劣化ウラン弾の雨が叩き込まれた。
一斉射で穴だらけになったF-5はゆっくり倒れて動かなくなる。無力化が確認されると4機の破壊されたF-5の間を
一個小隊ずつF-16がすり抜け輸送機へ迫ってゆく。

炎上した機体の推進剤に引火して大爆発がおこり、F-5の首が高く舞った。
その足元をジープに乗って移動する兵員の影が、F-16部隊に続く。全員目出し帽を被った特殊部隊であった――



[9990] アンバールへの道(6)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/04/10 16:51
――レーダーから先行した別働隊の反応が消えました!
――迎撃態勢だ、急げ! これは訓練ではないぞ!
オープン回線に飛び込んでくる切迫したエチオピア部隊の無線通話。英語で話すと決められた規定は忘れられ、飛び交うアムハラ語。
その中で、細く小さく聞こえてくる、異質の言語があった。
――いたッ……い、痛い……ち、血が……
酷いノイズの中でも聞こえる晏実の呻き。何を言っているのか、キディストはヘッドセットの音量を最大にするが、降着したヘリの音に掻き消された。

軽装備のヘリボン兵が墜落した輸送機の周りを固め始める。タンデム・ローターの大型ヘリからは重機関銃を搭載したジープも降ろされ、
軽快なエンジン音をさせて展開に向かった。
「バンブー隊は、シバ隊の援護に回れ! このスピード、一世代機じゃないよ、巴戦に持ち込まれないようにしな!」
そうキディストが叫んだのと、彼女の愛機が爆散したのは同時だった。衛士の乗っていない棒立ちの戦術機など、的でしかない。
120mm砲弾の直撃を受けて黒煙をあげながら崩れ落ちるF-5。自分が乗り込んでいたらと思うと、冷たいものが背筋を走る。
しかし我を忘れたのは一瞬。
「ゲブレ、見ての通りだ。あんたが指揮を執りな! 私は大尉の救出に向かう!」
――りょ、了解!
彼女は拳銃をホルスターから抜くと、ヘリボン部隊長の所に駆け出していた。

――これより指揮は、シバ02がとる! 全機、ウェポンズ・フリー、有効射程内で各個射撃!
ゲブレがキディスト機の消失を受けて、直ちに指揮を継承して指示を飛ばす。
展開していたF-5部隊が一斉に迎撃の火ぶたを切る。オーバーワードしたガンマウントから、両手に持った突撃砲から、
幾条もの曳光弾が高速で接近するF-16に吸い込まれていく。20は軽く超える弾幕射撃の支援を受けて、強襲前衛装備のシバ隊が突入。
その猛烈な砲撃音にたまらず耳を両手で塞ぐキディスト。その視線の先でF-16が36mmの雨を浴びて墜落、炎上した。
(ヒヨッコ達もやるじゃない!)
そう、キディストは心の中でガッツポーズしたが、10年の開きがある性能差は、如何ともしがたい。

皇帝警護隊4機の突入を大推力で軽くやり過ごすと、陣形を維持し足を止めて射撃に集中する訓練兵部隊にハゲタカのごとくF-16が襲いかかった。
――うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
悲鳴とも、雄叫びともつかぬ声をあげる訓練兵。2機が交錯した瞬間、管制ブロックが潰れる嫌な音があたりに響く。
特徴的に鋭く突き出たニー・アーマーを生かしての強力な膝蹴り。
重装甲を誇るフリーダムファイターといえど、ひとたまりもない。支えを失った頭部が渇いた砂漠に落ちる頃には
そいつを殺った機体はすり抜けて、エチオピア部隊の視界から消えていた。



敵に中央から切り裂かれた円壱型陣形は既に破綻しかけていた。懐に入られて、近接短刀によって腰部を貫かれた機体。
ゼロ距離から120mm砲弾を喰らって吹っ飛んだ機体。
――全機、陣形を解いて機動戦に移行! エレメントを維持しろ!
ゲブレが命令を下す間にもさらに1機食われた。晏実達の別働隊が倒されたから3分と経たずにさらに4機のF-5が撃墜、撃破される。
(何故だ!? 全く照準に捉えられない……!)
ゲブレはメスフィンを僚機に自由に飛んで戦える筈なのに、36mm砲の照準がF-16を捉える時間はほとんど無い。
レティクルにF-16が入るのは一瞬。トリガーにかかった親指がピクっと反応する頃にはロックオンを外されている。

推力、運動性、機動性、どれをとっても段違いだった。ゲブレの目の前で、F-16を追撃していた
バンブー小隊機が、F-16の急制動に対応しきれず、つんのめって敵機の前に出てしまう。
そのF-5を撃破しようと機体を停止させたF-16。F-16の発砲直前の硬直を、完璧のタイミングでゲブレ機が銃撃をかける。
だが、命中はしても致命傷を与えることは出来ない。そしてゲブレの目の前で旋回中のF-5が36mmの一掃射を浴びて、動かなくなった。
「こ、これでは全滅してしまうッ、増援はどうなっているんだ!」
もはや皇帝警護隊の矜持などという問題ではない。厳然とした事実として戦力に開きがありすぎる。
訓練度や連携で覆せる状況ではない。

2対3、2対4という極めて不利な状況下でもなんとかジグザグ飛行と、主脚を地面につけての急制動、
遮蔽物の利用、高度をとった跳躍を組み合わせて、なんとか敵弾を回避しようとするが、次々と被弾。機体のステータスは警告を意味する
黄色の部分があっという間に広がってゆく。これで跳躍ユニットを破壊されたら、池に浮かんだアヒルのように殺される。

その凄まじいGに顔を歪め、髪を振り乱しながらも避けて、避けて、避けまくり、隙をついてはね回る敵機の頭を押さえるべく、一斉射をくわえるが、
まったく敵を捉えない。あっという間に減ってゆく残弾。主機出力が限界を訴えるブザー、ロックオン警告が機内に鳴りっぱなしだ。
ゲブレや、メスフィンの脳裏には「全滅」という言葉が重くのしかかり始めていた。

「シバ03、04、バンブー隊を狙っている奴を背後から叩くぞ!」
――!? 訓練中隊を囮に使うのか、ゲブレ!
「この際一機落とせればどんな手でも使ってやるさ! よし……バンデット05だ、奴がバンブー07への攻撃と同時に斬り込む。遅れるな!」
――それしか手はないか!
シバ小隊内通信で苦肉の策に出る。まだまだ直線的な動きしか出来ない訓練未了のバンブー隊が優先して狙われている。
なら、その攻撃に集中している敵機を討つ。
――こちらバンブー07! 敵の追撃を振り切れません、助けて下さい!
悲痛な叫びを聞きながらも、表向き関与しない機動で飛行する。敵機であるバンデット05に気取られないようにするためだ。
――外れろ、外れろぉぉッ――!!
ロックオン警報のあの、無機質な電子音に錯乱している様子がステータスモニタに映し出される。
F-16が必中のタイミングで発砲を開始。突撃砲の発砲炎を見た瞬間、ゲブレは一気に機体を回頭。スロットルを押し込み、
フルブースト。ロケットエンジンに火が灯り、500km/hを超える速力でF-16へ肉薄する。

――シバ03、フォックス3、フォックス3!
シバ03、メスフィンがゲブレとは反対の方角から牽制射撃をかける。F-16はその射撃を無視。冷酷に照準をあわせてバンブー07への砲撃を続行。
その一発がバンブー07の跳躍ユニットに命中、爆発と同時に大きくバランスを崩して砂中へ突っ込み人形のように転げ回る。
「もらったぁぁぁぁ!」
近接長刀をマウントから引き抜いて、雄叫びと共に大きく振りかぶる。接近に気づいたF-16。だが、もう遅い。
迎撃の36mm徹甲弾が飛来、数発着弾するが、勢いは更に増していた。

シバ02の放った紫電一閃は、F-16を腰の部分から真っ二つにしていた。

レーダーからバンデット05の光点が消える。遅れて、バンブー07のも。
(我々にもっと技量と、もっとよい戦術機があったら!!)
そう思ったのも束の間、次の目標へと脳を切り替える。機体ステータスをチェック、まだ行ける!



頭上をジェット炎を引いて縦横無尽に戦う戦術機達の下でも、苛烈な銃撃戦が行われていた。
接近してきたゲリラ-コマンド部隊とエチオピア軍による銃撃戦。双方の突撃銃や、機関銃が断続的に放たれる。
戦術機が作った砲撃痕づたいに接近するゲリコマ兵と、それを時折あがる照明弾や、戦術機の発砲炎を頼りに
阻止するヘリボン兵。あがる罵声と、命令。混線する無線。

兵士達はもはや考える余地はない。誰もが愚痴や、悪態をやめ、指揮官の命令をとにかく忠実に遂行し、「敵」、BETAではなく「敵」を倒して
生き残る。そのために体に刷り込まれた体勢で銃撃し、それらの接近を阻止する。それに全力を注ぐ。
敵が訓練されたゲリラ-コマンド部隊である以上、油断は死を意味した。

それに対してヘリボン部隊を指揮する長身の中佐は、心臓を鷲づかみにされた恐怖に捕らわれていた。
決して敗北に対してではない。味方の戦術機部隊は不利ながらもまだ抵抗を続けている。
事態に対応して、付近の基地からも増援が進出中のはずだ。時間の経過はエチオピア側に味方する。

(この戦闘は、パンドラの箱を空けることになるかもしれない……)
そう、エチオピア・ソマリア間の積もりに積もった国境、領土、人種問題の爆発。
お互いに全面戦争の戦端を切るのに十分な口実を、この戦闘は与えてくれるだろう。
アフリカは対BETA戦争における後方地域である。サハラ以南は特にそう考えられている。
その事実を盲信した指導者が、誤った判断をしたなら。

「弾薬は節約しろッ! おまえらが腰に巻いてる分しかないんだからな!」
そう小隊長の檄に、中佐は我に返る。そうだ、そんな先のことを心配しても仕方がない。
まずは、輸送機に群がる敵の排除、自分もそれに専心する。そうすることで、恐怖を押し込むことにし、通信兵から
受話器を奪い取った。
「F-16戦術機3から4個小隊、ゲリラ1~2個中隊の強襲を受けている! こっちはもう戦術機戦力の半数を失った!
一刻も早く戦術機と歩兵をまわさないと、輸送機ん中のブツを持って行かれっ」
無線電話に向かって叫ぶ中佐の側で小銃擲弾が炸裂した。被った赤色のベレー帽が吹っ飛ぶ。
砂の雨が降り注ぎ、口の中がじゃりじゃりになる。
2,3度唾を吐いて当たりを見まわす。一瞬前までG-3突撃銃を撃っていたヘリボン兵が、腕を押さえて大声で叫んでいる。
すぐに仲間が引きずった後、仮包帯を始める。

中佐が放心する中、皇帝警護隊機が猛スピードで大地に叩きつけられて、大きな砂埃を上げて止まる。
そこにだめ押しとばかりにF-16の放った突撃機関砲が浴びせられ、生きた動物のように不自然に機体を揺すった後、完全に沈黙した。
周りでは必死の抵抗が繰り広げられている。
そんな中をふらふらと中佐は、墜落機の中へ入っていった。僅かなヘリボン兵と、戦術機部隊だけでなく、国境付近に展開された
戦車連隊や、歩兵連隊がそろってから向かえば、こんな苦労はせずに済んだのだ。何を守るために、
こんなに制限だらけの武器で戦わなくてはならないのか。

ひしゃげて大きな穴の空いた所から機内に乗り込む。胴体に流れ弾が当たって弾かれる音が響く。
不思議とその士官は、自分がそれに当たる気がしなかった。機内の明かりは勿論落ちていたが、次の照明弾が上がったときに、
穿たれた穴から光が差し込んだ。白いビニールカバーの上から何本ものワイヤーでしっかりと固定されている細長い物体。
見たところ陸上発射の巡航ミサイルのようであった。
「こんな、一発のミサイルの為に、あんだけの人数が命を張っているのか……!」
「中佐、こちらでしたかっ、友軍の第16戦車大隊と繋がりましたっ! 中佐と話がしたいと」
背後からそう呼びかけられ、目の色がかわる。戦車大隊が辿り着くと言うことは、随伴の機動歩兵部隊や、機械化歩兵部隊も
もう到着する。俄然、守りきる自信が湧いてきた。
「すぐ行く! 兵達にはもう一踏ん張りだと励ませ!」
「はっ!」



「これが……世代の、壁なのか……!」
なんとかゲブレ機をカバーするメスフィンが、絞り出すように呟いた。
異機種間戦闘訓練は嫌と言うほど積んだつもりだった。性能差も、訓練と技量で覆せると思っていた。
それが、このざまである。奇襲を受けたというのも、言い訳にならない。
戦術機同士の戦いを短期に終わらせるには奇襲が不可欠だ。強襲は下策である以上、
お互い敵の虚を突き合う。奇襲を受けた不利な状況での戦闘というのは、十分に想定される事態だった。

F-16がエレメントを組んで、こちらに銃撃を浴びせてくる。戦術機は戦闘機と違い、背後をとって追撃しても
ガンマウントから撃ってくるから始末が悪かった。こちらも勿論撃てるのだが、F-5の場合、背後をとられたら打ち返す前に
撃ち落とされてしまう。


その戦場にそれまでのジェット推進音と、戦術機の駆動音とは「異質の爆音」が飛び込む。
F-5に対して、突撃砲を構えたF-16。しかし必中のタイミングを捨て大きく跳躍して回避に入った。
その旧位置には連続した爆発と共に、大きな砂塵が巻上がる。多連装のロケット弾が打ち込まれたのだ。
F-5の上を250km/hの快速で通り過ぎたのは、エアロスパシオル製の攻撃ヘリコプター、ガゼルであった。
4機編隊がF-16に向けてお腹に抱えたロケットポッドの砲弾を撃ち尽くした後、旋回を始める。
「支援航空中隊か!! 遅いぞ!」
――やったか!?
もうもうと上がった砂塵の中から放たれた突撃機関砲弾がガゼルを捉え、尾部を真っ二つに叩き折った。
テールローターを失った機体はたちまちコントロールを失って墜落、爆発した。
回避運動中の他の機も、蜘蛛の子を散らしたように別々の方向へ機首をひるがえす。
次第に晴れる土煙の中から姿を現したファイティング・ファルコン。随所を破壊されながらも、黄色の頭部センサーを妖しく光らせ、
不意打ちをしかけたヘリコプターへ猛然と反撃を始める。

その足を止めたF-16へ皇帝警護隊機が近接長刀を抜きはなって突入してゆく。



*   *   *



4台のジープに分乗したエチオピア兵が輸送機をめぐる争奪戦の主戦場を大きく迂回して、晏実ら別働隊が倒された地点へと急行する。
秘密裏に移動するため、ヘッドライトは灯さない。隠せない駆動音に比べたら微々たる物だが、それでも兵士達は息を潜めた。
右手には激しく動く回る複数の戦術機。遠目にはどちらがエチオピア軍機か判別は付かないが、命の取り合いをしていることはわかる。

「大丈夫だ。さっき味方のヘリコプターも飛来したんだ。もう戦車隊も着く頃さ」
迷彩服に身を包んだ兵士達の中でキディストだけが、衛士強化装備に拳銃を握りしめ異彩を放っていた。
ジープが降着した地点から直線距離では10分と経たずに着けるが、接敵を嫌って大きく迂回している為、思いの外時間がかかる。
(大丈夫。一色大尉はキョウトの戦いでも死ななかったんだ……)
そう自分に言い聞かせるキディスト。急ぎのため、ろくに前方警戒も出来ない。影に隠れたゲリラコマンドが罠を張っていれば
一網打尽で死んでしまうだろう。そんな緊張が支配するドライブ。
ジープが大きくハンドルを切る。踏ん張って体を支えると正面に見えてきた。鼻をつく、推進剤の焼ける臭い。
大きく倒れ伏したF-5が正面に現れてきて――

「降車――ッ!!」
斥候を兼ねて先行していた車輌から大音声でそう声がかかる。急停車して転げ降りる乗員。そこへ降り注ぐ銃弾。
F-5のコックピット部にゲリラコマンドが取り付いていたのだ。一拍遅れて降車したエチオピア兵も猛然と反撃を開始する。
戦術機の胴体部には身を隠せる物はない。次々とゲリラが撃ち落とされ地面に叩きつけられて息絶える。
特にジープ車載の重機関銃が凶悪な威力を発揮した。一気に戦術機の周りを片づけ、エチオピア兵が一帯を確保。
「機体番号35! 教官機に間違いありません! 衛生兵、かかれッ!」
「急いで救助しな! 絶対に殺すんじゃないよ、ゲレトゥ総監のお気に入りだからねぇ!」

36mm砲弾の弾痕が痛々しく穿たれたF-5に兵員がとりつき、緊急開放コンソールを調べる。
開放するためのコンソールには銃弾が打ち込まれ、滅茶苦茶に破壊されていた。それを見て舌打ちするエチオピア兵。
「くそ、拳銃で壊したって開きゃしないのに……! キディスト中尉、コンソールが破壊されています!」
「管制ユニットを緊急排出するよ、全員下がって!」
キディストが手元の弁当箱大の大きさの通信機から緊急射出信号を送信、胴体から管制ユニットが射出され、地表に落下した。
あっ、と兵士達が叫ぶ間もなかった。エアクッションの展開は不十分で、地面に激しく衝突した管制ユニット。
最後のだめ押しにならないかキディストは心底心配した。晏実を助けられなければ、エチオピアと日本の間の外交問題になることは確実だ。
そもそも訓練教官であるはずの彼女が実戦に立たされたこと自体、日本側が知れば大変なことになる。
とにかく、戦死だけはさけなければならないと、ゲレトゥから直々に秘匿回線で指示を受けていたのだ。

「一色大尉!!」
エアクッションをかき分けてキディストが真っ先に飛び込むと、そこには晏実が横たわっていた。
すぐに衛生兵が彼女を抱え起こして外へ連れ出し、ジープへ乗せる。ゲリラコマンドが接近してきたら、走らせながらの治療に移行することになる。
「うぅっ……の、喉が痛い、痛いッ……あ、ぁ、ぁぁ……」
晏実はそう日本語で呻く。36mm砲弾がコックピットに命中したとき、破片が彼女を襲ったのだ。とっさに顔を庇ったが鋭い破片が彼女の額を深く切って
顔は血まみれ状態。庇った両手は硬質のプロテクターで守られていたが、手の平サイズの破片が胸元に大きく突き刺さっていた。
頭にガーゼがあてられ包帯が巻かれてゆくと、白い包帯に血のシミが広がってゆく。
「胸元の患部を調べるぞ。……失礼します、大尉」
衛生兵がレスキューパッチを強く押し込み、分解液を注入。胸元だけを手で引き裂いて破片がどれだけ刺さったか確認する。
砲弾を受けた際に保護被膜が硬化し、深々と刺さることを防いだようで、命に別状はないようだ。
衛生兵がそっと引き抜く。鉄片が動くと苦しそうに声を上げた。呼吸も非常に早い。

「小さな破片が残っていないか調べろ……無いな?」
衛生兵が手際よく感染症や壊疽の処置を行い、生体用の接着剤を塗布。戦地で出来ることは全て済ませた。
後は安静に彼女を設備の整った病院へ連れて行くだけだが。
「キディスト中尉、16戦車大隊到着、対空自走砲で戦術機部隊の駆逐にかかっているようです。機動歩兵部隊も到着、
ゲリコマ部隊も撤退しつつりとの事です!」
対空自走砲、ZSU-23-4シルカを保有する部隊だ。23mm砲搭載で対戦術機戦闘に不安はあるが、もう連中も潮時と判断するだろう。
「まだ友軍と合流するまでは何があるかわからないよ! 全周囲警戒、後退してきたゴギブリと鉢合わせたらたたきつぶしてやりな!」
「了解!」

キディストは毛布にくるまれ、震える晏実を見下ろす。ジープの後席に寝かされた彼女はうっすらと目を開けて涙を流していた。
晏実はなんとか堪えようとしているが、溢れる物を押しとどめることは出来なかった。
「うっ……うぅ……」
キディストにはかける言葉がない。晏実はこの戦闘全体への責任を感じている。
接近するF-16を信じてしまった責任。発砲を禁じてしまった事への責任。そしてそれらの失策から受けた甚大な損害への責任。
「中尉、アクスムの総監から電話です。保護に成功したのか、と」
無線を背負った通信兵が彼女に敬礼して確認する。

排気ガスを吹き出し、トラックが到着。正真正銘のエチオピア軍の増援だ。光の差し始めた赤い大地の向こうにはT-62戦車の車列も見える。
「……。胸元を負傷するも命に別状無し、意識もある。そう伝えな」
「了解」
東の空が明るくなる。太陽が昇り始めていた。



*   *   *



1999年12月3日 明け方 アクスム基地 司令部

「わかった。……もう一度確認するが、弾頭からその……グレイなんとかという物質は出なかったんだな。……あぁ……ご苦労だった。
別命あるまでそこに待機しろ」
アクスム基地司令や幕僚が置かれた大地図の周りでせわしなく状況確認に追われている。
それを見渡しながら、心底いらだたしげにゲレトゥは受話器を置いた。
電話機の脇には、彼の折ったエンピツが転がっていた。
「総監。一色大尉他、戦術機部隊の生存者はゲラヂ飛行場までヘリで運んだ後、アクスムまで至急空輸させます」
「あぁ」
その声は、低く沈んでいた。それまで聞いたことのない声色に参謀はどきりとさせられる。
「おい、逮捕したF-16の衛士の拷問の結果は入ったか」
「はっ、最初黙秘、次いでケニヤ陸軍と答えました。えー……さらに拷問を加えた結果、ソマリア陸軍と白状しました」
参謀が緊張混じりにそう答える。そうか、とだけつぶやき、ゲレトゥは再度黙り込んだ。

「首相官邸、出ました。内線まわします」
オペレーターがそういうと、無言でゲレトゥが受話器を取る。
それぞれが、それぞれの仕事に従事していたが、全員が彼の言葉に聞き耳を立てていた。何が始まるのか、と。
「あぁ……だいたいそんな感じだ……」
そう、簡単な報告のやりとり。参謀の一人がほっとため息をつく。

「よし。全軍に非常呼集だ。予備役は呼び出さなくていい。それと、この一件と呼集については報道管制を引け」

非常呼集という言葉に司令部が凍り付いた。予備役は戦力化に時間がかかることを考えると、実動戦力全てに待機命令が出たことになる。
電話を切ったゲレトゥが主席参謀に声をかける。
「1003戦術機甲連隊と、ナズレトの1001戦術機甲連隊に、オガデン方面に進出しろと伝えろ」
「総監。それでは、残るのは1002連隊のみとなりますが?」
「かまわん、やれ」
「し、しかし」
「二度は言わないぞ、大佐」
ぎらりとゲレトゥの目が光る。一度は拒んだ主席参謀の大佐もそれで彼の意気込みを知った。
全軍で皇帝警護隊を除けば、4個しかない戦術機甲連隊のうち3つがソマリアとの国境部、オガデンへの移動を開始した。
それを皮切りにゲレトゥは矢継ぎ早に指示を飛ばす。歩兵師団、戦車連隊、攻撃へリ部隊への移動命令が出されてゆく。
それらはゲレトゥの名ではなく、アジス・アベハの参謀長の名で出されていた。
「主席参謀」
「は」
「いい加減、隠忍自重はおしまい、という話だ。連中には返せないほどの借りがあるからな」

ゲレトゥの背後の大型モニタには、次々と準備の出来た部隊の光点が新たに表示されはじめていた。



[9990] アンバールへの道(7)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/05/06 22:55
1999年12月3日 正午 ソマリア オガデン地方 エチオピア国境付近

地平線まで続くの荒れ地に、低木が所々に纏まっている。それ以上背を伸ばすと、突風でへし折られるのを恐れるかのように
弱々しく見えた。実際は、この過酷な環境に適応した結果なのだろうが、それさえもリリを立腹させる材料となる。
アフリカ人が嫌いになると、大地まで嫌いになってしまうものなのか。

――安全保障理事会の議長声明はエチオピアとソマリア間の紛争に対し、深刻な懸念と改めて平和的な解決を強く求めることを……

ラジオのニュースでは、エチオピアが急遽起こした大規模部隊の移動についてで持ちきりだった。
エチオピアは"武力衝突"の原因が判明するまでの必要な措置と説明している。だが米国が安全保障理事会に提出した衛星写真では、どうみても
それを超える兵力の移動が見受けられた。ソマリア側も「万一に備える」との理由で、オガデン方面に部隊を集結させている。

――「ソマリアの非協力的な態度に、深い疑念を抱いている」とエチオピア政府報道局は記者会見にてソマリアを名指しで批判……
リリはラジオを切った。同じニュースをぐるぐると垂れ流すだけ。イライラが溜まるだけなら聞かない方がましと判断した。
「……」
愛機、F-15Cの光学ズームを望遠にすると、国境線に展開する対空自走砲が見える。データリンクの情報で、
エチオピア陸軍第16戦車大隊と判明している。少なくとも8両がこちらに4連装の23mm機関砲を向け、威嚇している。さらにT-62戦車や、丘陵には
歩兵らしき人影も見える。上級司令部からの情報では、戦術機部隊も車載で国境地区に急行しているようだ。

――リリ、いつも言っているが、あんまり張りつめるなよ。
「張りつめる? まさか。イライラしているだけよ」
――同じじゃないか
「違うわよ! こんな、こんな黒人の縄張り根性のとばっちりを受けて、最高に気が立っているの! あぁもう……!」
――ったく……
エーリッヒが呆れたように通信を切る。ちょっと子供っぽかったか、ともリリは思ったが、この気持ちは抑えられそうにない。

(別のことを考えないと、あのボロっちい対空戦車を撃破してしまいそう)
そう思って現在アフリカをクローズアップしている地図を最遠景、世界地図に切り替える。
真っ赤に染まっている母国、ドイツのあった場所。彼女はコンソールを操作して、旧国境を表示させた。
ヨーロッパの中心にある、ドイツ。全く不本意な任務の為に押し込められているソマリアから、6000km離れた遠い、遠い祖国。

「バカじゃないの、本当に……。私たちの気持ちもしらないで、戦争をしようとするなんて」
そのリリの声色には、いつものトゲがない。焦りや、悲しみ、そういったやり場のない感情が溢れたような、寂しさを含んだ声。
ぎゅっと操縦桿を強く握り直す。背後にはソマリアの部隊も順次展開しつつある。

国連インド洋方面第四軍司令部の電光石火の判断で、エチオピアとソマリアの兵力引き離しのために空輸されたリリらの国連戦術機部隊だが、
肝心の対処方針が決まっていない。エチオピアとソマリア両国に深くパイプのあるイギリスやフランス、アフリカとの連携を強める
中国が態度を安保理の場で明確にせず、展開したはいいが、何も出来ない状態なのだ。

今両軍の間で戦端が開かれたら、窮極の判断を迫られる。BETAと対峙するのとは違う、間接的で、それが故に気分の悪い圧迫感が
キルシェ隊を包み込んでいた。



――あぁ、もうっ、もうっ、もうっ!
ついに堪えきれなくなったリリは、握った拳を管制ユニットのコンソールに叩きつけ始める。
その姿が映し出されるウィンドウを、無表情で眺めるだけのエーリッヒ。

――止めないんですか、大尉?
「……」
傍観するエーリッヒに、僚機から秘匿回線が入った。アジア系の浅黒い顔をした、実直な衛士だ。
暴れるリリを横目に苦笑しながら続ける。
――ああやって、シュミット大尉にかまってもらいたいんですよ。ちゃんと飼い主がしつけないと。

リリが人に辛くあたったり、居丈高な態度をとるわりには、無視や仲間はずれを極度に嫌うことを皆知っている。
特にエーリッヒに素っ気なく扱われると、落ち着きが無くなるから、分かりやすいものだった。
「これが戦時でなけりゃいいんだがな。何とも手間のかかる仔猫ちゃんだよ」
猫じゃらしで鼻をくすぐる仕草をするエーリッヒ。
「何時までも同じ部隊ってわけにもいかない。あいつも小隊長で終わる腕じゃないしな。今から"親離れ"の練習って所だ」
――熟年カップルが発展して……さしずめ"親子カップル"ですか。見ていて飽きませんよ。
「うるせぇよ」
――はは、失礼しました
通信が終わる。リリはいつの間にか八つ当たりを止めて、居心地悪そうに狭いシートで表向き静かにしている。

――正面にエチオピア軍戦術機の展開を確認。数……10。データリンク……、1004戦術機甲連隊、第一大隊のMiG-21部隊です。
「きたか……」
CP士官の報告をシュミット自身も確認する。黄土色に、緑の筋を入れた砂漠戦迷彩。左肩のラウンデルはまさしくエチオピア軍
所属をあらわす。一般的にアフリカ諸国の戦術機部隊はおしなべて整備が悪く、部隊の腕も悪い。
だがエチオピアとソマリアは違う。細い紅海を挟んでBETA占領下のアラビア半島と対峙する彼らの危機意識は高い。
両国とも政情を安定させ、輸入型ながら戦術機部隊の増強を急いでいる。
突破力、衝撃力の主役を今や戦術機が戦車から奪い取った。戦闘が開始されたら一番に戦うことになる部隊。
「さぁて、本当に撃ち合いになったらどーするかな」
エーリッヒはそう無線に流さずに、呟く。
――旧式の21型なら楽なもんでしょ。あんな張り子の虎、私の小隊だけで十分だわ。
「侮るなよ、リリ。それは向こうも分かっていることだ。戦車、対空戦車、歩兵を含めた総合力が発揮されれば侮れない相手になる」
――それこそ分かっている事よ
「ならいいがな」
そう強がるリリも、緊張を隠せていない。

(しかし、どういうつもりなんだか)
1004連隊はエチオピア-ソマリア国境に配備されている唯一の戦術機甲連隊である。奇襲ならまだしも、強襲の選択肢しかとれぬ今、
エチオピア側の損害も甚大なものになるだろう。
そんな作戦をなぜとるのか。シュミットはエチオピア軍の判断を読めずにいた。



*   *   *



1999年12月3日 夕刻  アクスム基地 司令部屋上

夕陽がリカノス山に沈む。碁盤の目のように整備された、夕焼けに染まるアクスム市は息を呑む美しさだ。
砂埃で遠くがぼやけ、街がけむる様子も日本にはない大陸国家ならではの光景である。
そんな光景を8階建ての司令部屋上から眺める晏実の姿があった。
最近は式典以外では袖を通さなくなった斯衛制服に身を包むその姿は儚げだ。
「……」
ゆらゆらと少しずつ姿を隠してゆく夕陽。"ユウヒ"という音は、遥か遠くの主君の事を思い出さずにはいられない。
抑える胸元。制服の下には何針も縫った治療の痕がある。自分が負った傷以上に、失われた隊員の命の方が重くのし掛かっていた。
左遷じみた異動に対し、「アフリカなら命のやりとりをすることもない」と無理矢理納得してきた。それなのに……。

打刀を剣帯から外し、目の前でゆっくりと鞘から抜く。美しい刃文が陽光を反射して煌めいた。
それを静かにまた鞘に納める。武家の象徴であるその刃。鈍く輝くその刀身は、彼女に何も答えてくれない。
ただ自分の情けない顔を一瞬映しただけだった。

あまりにも無様だった。ここがエチオピアだったから良かったものの、本土だったらどんな処分が下っていたか分からない。
そう思ったとき、「ここが日本でなくて良かった」と心に浮かんでしまう自分がたまらなく嫌だった。
左手に握る刀が重い。どうして一色家はこんな自分に刀を託したのだろうか。養子でもとって
その子に家督を継がせれば良かったのに。それを羨む私ではないことくらい、分からなかったのだろうか。

帰りたいような、帰りたくないような、そんな思索が頭を行き交う。それを背後の扉が開く音が打ち消した。
「メスフィン少尉」
「こちらにいらっしゃったのですか! 病院にも、私室にもいないからどうしたのかと……今すぐ、来て下さい!」
「い、今すぐって……何が、どうしたのですか?」
「大尉は今何が起こっているのか、ご存じないのですか!?」
「病院で手術の後に目が覚めて、基地に戻ってすぐここに来ましたから。基地が慌ただしいようでしたけど」
「あぁ……もぅ……!」
メスフィンは彼の知っていることを全て話した。ゲレトゥが怒り心頭に発し、エチオピア軍の戦術機甲兵力のほぼ全てを投入して
ソマリアに報復攻撃を企てていること。それがもし行われればエチオピアは孤立するばかりでなく、アフリカ東部の防衛線全体に
計り知れない影響が出るのは確実であること。そして――

「それを止められるのは、私だけ……って、それは、どういう、意味ですか」
突然そんな事を言われて、戸惑いを隠せない。何故、エチオピアでは外様も外様の自分がこんな話に関係してくるのか。
「その通りの意味です。ゲレトゥ総監はエチオピア一の実力者なのはご存じでしょう?」
「え、ええ」
「政府も、参謀長も、もっと言えば皇帝も表だって反論出来ません。彼の命令一つでどんな要人も逮捕できてしまいます。ですが、
一色大尉だけは別なんです!」
「どうして!」
「総監は日本のことを尊敬している。特に貴国の将軍やその配下の斯衛には崇拝といっていいほどの憧れを抱いています。
その貴方なら止められるかもしれない! そういうことなんです!」
まくし立てるように主張するメスフィンに気圧される晏実。
「人、人に頼る前にする事が有るのではないですか!? 少尉達はどうなんです!」
「わ、私たちは……」
メスフィンが口ごもってしまう。そんな彼に追い打ちの言葉を浴びせようとした晏実も、言葉を飲み込む。

(そうだ、メスフィン少尉達、エチオピア軍人には故郷を捨て軍隊に入った人もいるんだ)
横流しの現場で、キディストから教えてもらったこの国の事情。軍から追い出されたら、
それもゲレトゥに楯突いて追い出されたことが周りに知れたらどうなることか。
「……それでも、それでもお願いします、大尉! 時間がないんです! もう、戦術機部隊の展開も終わる頃です、
大尉はBETAの目の前で人間同士が戦争するのはおかしいと思わないんですか!?」
「それは、絶対……おかしいと思います、で、ですが」
「おかしいと思うなら、お願いします!」
彼女が言い終わる前に強引に手を引いて走り出したメスフィン。彼女が抗議の声をあげるが彼には届かない。
彼女には思考をまとめる時間も与えられず、この紛争の台風の目の中へ投げ込まれるのだった。



*   *   *



1999年12月3日 夕刻  アクスム基地 戦術機甲総監執務室

「重大作戦の直前ではないですか! 今回の、この行動がそれらの作戦、ひいては人類に与える影響、総監には十分
お分かりのはずです!」
「それを見越して、ソマリアは仕掛けてきたんだ! その誤った考えを正さなくては、連中はエスカレートするばかりだ!」
「エスカレートすると決まったわけではないでしょう! それにソマリアと決まったわけでは」
「ソマリア領内から戦術機と歩兵が湧いてきて、まだそんな事を言うのか、大尉は!」
広々とした総監執務室で、晏実とゲレトゥが激論を闘わせていた。ゲレトゥの後ろには巨漢のボディーガードが
二人控えているが、今は静かにしている。
晏実はこれまでになく語気を荒げて、必死にゲレトゥを説得しようとしていた。
彼女の知りうる全ての事象、人物の名前をあげてなんとか思いとどまるように説明し続ける。

「総監、考えてもみてください。今回、エチオピアは被害者なんです。む、無能であった私の指揮があった事を
入れても、仕掛けてきたのはソマリアではないですか」
「それは、その通りだ、だからこそ」
「ですが、このような行動をとってしまえばエチオピアが、国連で"平和の破壊"者に仕立て上げられる恐れすらあるのですよ!
それでもいいんですか!?」
「安保理には我が国に友好的な国も多い。そう簡単に軍事的措置に至るとは思えない」
「軽率な行動は積み上げた信頼を一気に崩してしまいます。ゲレトゥ総監、どうか冷静になって下さい」
「私は冷静だ!」
「人が、軍人だけでなく、大勢の無関係の市民もが犠牲になるんです。BETAに西日本が蹂躙された時、私は体を八つ裂きにされるかのような
痛みと苦しみを味わい、今もその尾を引きずっています。それを、人が人を殺すとは、絶対にあってはならないことです!」
「……大尉の方こそ、もう少し冷静になったらどうなのか」
「これが冷静でいられますか! エチオピアとソマリアの歴史については調べましたし、隊員との交流で
その根の深さについては、理解しているつもりです、その上で、懲罰戦争というのは、そのような戦争で人命を磨り潰すというのは
大変失礼ですが……BETA戦における犠牲者への、冒涜に他ならない!」

一国の行動に、「冒涜」という踏み込んだ言葉すらも織り込んだ。単なる教官の発言としては不相応と分かって尚、彼女は続ける。
大きな身振りを交えて、胸元の傷の事も忘れて、一心にゲレトゥの考える懲罰戦争がいかに不毛であるかを話し続ける。


何時までも続くように思われた説得。だが、終わりは突然だった。
「いつもの総監なら、こんな命令は――」
「黙れッ! ……一色大尉、話は平行線のようだ」
大声を張り上げて彼女を遮った後、ゲレトゥが立ち上がる。
「エチオピア暮らしも半年近くなる大尉なら、わかって貰えると思ったが、とても残念だ」
「総監!」
ゲレトゥが合図をすると、これまで全く存在感無くたたずんでいた二人が彼女を部屋からつまみ出そうと動き出す。


「寄るなッ!」

2mを超える大男の接近に、彼女は気づけば握った刀を抜いていた。そっと左手を添え、中段の構えでボディーガードを牽制する。
足を止めたボディーガード達は懐から拳銃を取り出し、晏実にその銃口をぴたりと向けた。
「一色大尉……」
「お願いです総監。どうか、どうか、考え直してください……」
「私を斬ってでも止める、というのか?」

ゲレトゥも机の引出から飾りのついたリボルヴァー型拳銃を取り出し、撃鉄を起こした。
都合3丁の拳銃が彼女に照準を合わせている。
そんな中、青ざめ、小刻みに震えながらも晏実の声は不思議と通った。
「私には、総監は、斬れません……、自暴自棄になりかけていた、私を救ってくださったのは総監です。
日本にいたら、私は、多分、破滅していました。総監は、恩人です、それは、本当です。だから、だから
その恩返しをしなくてはならないんです。でも、私には、何の力もない……」

そこまで言うと彼女はすっと刀を首にあてがった。その思いも寄らぬ行動に、さしものゲレトゥ達にも動揺が走る。

「ソマリア懲罰に、こ、抗議し、自刎します」

そう、彼女なりの決意を、半泣きで絞り出すように、声に出した。



「本気か?」
「主君を諫めるのは、武士の、使命です」
「主君は政威大将軍ではないのか?」
「いえ、今はゲレトゥ総監のお預かりです。総監に死ねといわれれば、死にます」

「そう、か」

ゲレトゥが銃を起き、椅子に座り込む。護衛もどうしたら良いか判じかねている。ふっと吹き込む乾いた風。
晏実はカタカタ刀の音をさせ、体の震えを隠そうともせず、しかしまっすぐにゲレトゥを見据える。
「お、お願いです、撤回を……」
最後の最後に、彼女は懇願する。それにゲレトゥは、ゆっくりと答えた。

「わかった」
「総監……!」
晏実の涙で半開きになった瞳が、大きく開かれ、顔全体で喜びを表した。人は分かり合える、そう確信した表情。その瞬間だった。

「なら、死んでその本気を見せてみろ。私が耳を傾けるのは真のモノノフの言葉だ。
私とて「目には目を、歯には歯を」アフリカ軍閥のはしくれだ。口先だけの臆病者の意見などきかん」

そう、彼の峻厳な言葉が晏実に突き刺さる。

彼女はその言葉を理解するまでに随分時間がかかった。冬のエチオピアにもかかわらず、
汗が床にぽたぽたと次々と垂れてゆく。

「はは……」
彼女が、不自然な笑みを浮かべた。それは続かず、唇は閉じられ、最後に、ゲレトゥも見たことのない表情を彼女が見せた。
涙が首筋を伝う。鼻水も伝っている。だが、そんなものは全く問題としない。

息を呑むゲレトゥ。大きく息を吸う晏実。
そして、



「総監――、ありがとう、ございました……」



ぐっと、打刀に力が入り、すっと、引かれた――



[9990] アンバールへの道(8)
Name: grenadier◆18a4288f ID:55d4f8b5
Date: 2010/09/29 20:25
砂埃を切って、編隊を組んで地形追従飛行をする8機のトムキャット。


愛機の両肩に装填されているのは、その勇名をキョウトで轟かしたAIM-54ではなく、TRRS-2が6発。
コンテナも、弾頭も素人目にはほとんど変わらないが、中身は大きく異なる。
電波誘導と自律誘導の両方を採用したハイテク兵器がAIM-54であるなら、TRRS-2はそのいずれも積んでいない。
供給が打ち切られたフェニックスの代わりに選定されたのが、無誘導のロケット弾TRRS-2であった。
トムキャット払い下げ後を見越しての開発であったが、前倒しされて米軍でも運用されている。

「――はっ、未開人相手ならこいつで充分って事か」
「――旧式相手なら、それもいらねぇよ」

前方を行く僚機の軽口をオープン回線で聞くロイ。給油を繰り返して侵入したエチオピア領内。
安保理の制裁決議に明確な反発を見せたエチオピアに対して、アメリカの行動は迅速だった。

――爆音でバカ共の目を覚まさせてやれ

直ちに、ジョン・C・ステニスより発艦した16機のトムキャットは国連基地での給油を繰り返し、
一路、アジス・アベハへ肉薄する。
(これが、戦場の、空気……!)


「――レーダーに感! F-5タイプ2機! 」
先頭をゆく指揮官機の通報を反芻する間に、ロケット弾の適性射程に入る。
相手は殺しても殺しても飽き足りないBETAではなく、人間。
そんなことを考える間もなく、ロックオンを知らせる長い電子音に合わせて、
ロイの指はトリガーを引いていた。
「プラトー7、フォックス3! プラトー7、フォックス3!」
僚機も発射、白煙の尾を引いて地上スレスレを滑空する12発のロケット弾。

今さらこちらに気づいて突撃砲で対空防御に入ろうとするF-5。遅い。遅すぎる。
その照準が捉える前に、ロケット弾が周辺に着弾。巨大な砂埃を巻き上げた。
両機とも、少なくとも2発の直撃弾があった。

「――目標撃破を確認! BETAを殺るのより簡単だぜ!」
歓喜の声も、どこか乾いて聞こえる。
「――プラトー1より、各機。 アジス・アベハはもぬけの殻に近いとはいえ
首都は首都だ。警戒を厳にしろ。損失0で当たり前の作戦だ、いいな?」
「「了解!」」

破壊したF-5の上空を通過する。砂煙が晴れ爆心が露わになってくる。
腕が千切れ、完全に擱座している2機のF-5。胴体部分の破壊も激しい。
衛士はよくて重傷、悪くて……。ロイのそんな思考を知ってか、中隊長が声をかける。
「――お前は今日が初陣だったな。気の進まん任務なのは分かる。だが、第五計画が実行に移されて
BETAが地球からたたき出された暁には、こういう任務が主体になる。覚えておけ」
「……了解です」

これが戦争なのだ。BETAなどという宇宙人と戦っているのが異常であり、元来戦争とは
人と人との殺し合い。これが軍人の姿だ。何もおかしいことはない。
だが、心に重くのし掛かり、頭を締め付ける不快な疲労はロイを捉えて放さなかった。



*   *   *



刀身に血がすーっと流れる。
それが鍔をこえ、強く柄を握りしめる指を伝い、そこから床へ一滴ずつ零れてゆく。
震える指。鍔がカタカタと小刻みに震えた。


「~~~~~っ!」
声にならない悲鳴をあげる晏実。それは従容とはかけ離れていた。
痛かった。当たり前だが、非常に痛かった。

彼女にとってそれは、足を切り落とされたときよりも苦痛だった。あの時は、どこか諦観があったのだ。
どれだけ藻掻いても、結局は"他人の手で"切り落とされる。ただ痛い、止めてと思う存分暴れていれば良かった。
「……ッ……っ……!」
だが、今は違う。自分が止めれば、こんな痛みからは解放される。そう思うと、腕は石膏になったように
ぴくりとも動かなくなった。切り口はそれ自体が心臓のように脈打って、痛みを訴える。
ほんの少し。トマトの皮を切ったくらいなのに、もう動かない。
「うっ……う、ぅぅぅっ……」
嗚咽が口から溢れてくる。痛みを考えないようにするかのように、思考が彼女の頭の中を跳ね回った。
中世の武士とて、自害は一生に一度。それなのになぜ皆成功させているのか?
こんなに辛いことを、敗れた武人は皆出来ていたのか――


一色家の歴史はよく学んだ。武道よりも勉強の方がよほど性に合っていた彼女としては、
一向に父の求めるレベルに達しない武道の失点を補うため、随分歴史や作法に力を入れたものだった。

戦に敗れ、苗字の同じ祖先が廃寺で家臣と共に自害して果てる。そんな逸話もあった。
飾れた言葉で描かれていたように彼女は記憶する。辞世の句を詠んだ後、いとも簡単に喉に脇差しを当てて
敗戦の責任をとる姿。人はこうも簡単に命を捨てられるのかと、幼少の晏実は怖かったものだ。


だが、そうではなかった。命を捨てるのは、簡単ではない。

痛みというより、情けなさから涙が溢れてくる。これまで「お前は武家の器ではない」と言われてきた。
表ではそうかもしれないと、認めていたが、心の奥底では何かが燻っていた。
諦める一方で、反発の火があったのだ。
(でも……これで……)

その、最後の残り火のような火種さえも、消えたような気がした。やっぱり、駄目だったんだ。
自分に武家らしい所は、どれだけ探しても一片たりとも無かった。
力が抜けて、倒れ込む。これなら総監に斬りかかって、射殺された方が楽だったかも知れない。

だが、もうそれも終わり。全ての力を抜いて、意識を自ら手放すように。
先のことを考えるのが苦痛だった。


「……?」


いつまで経っても床にあたらない。その代わり、服の上からでもわかる男臭い、無骨な腕に支えられていることに気づく。
うつ伏せに倒れようとしていた晏実は、ゲレトゥに支えられていた。

息を呑む晏実。すっと、刀が彼女の手から離れる。
「むぐっ」
涙でぐしゃぐしゃになった彼女の顔がハンカチで拭かれた。
そして、首に何かを刷り込まれる。生体接着剤であろう。その上から包帯を手際よく巻かれた。
大きな腕に似合わず、とても優しい手つきであった。

そのまま、ソファに寝かされる。何事もなかったかのように。
「お前らは行っていい」
そう、ボディーガードを退出させた後、低いテーブルを挟んだ向かいに腰掛けるゲレトゥ。
そこらの適当な報告書で、血糊のついた刀の血を拭い、そのまま鞘におさめて彼女の前に戻す。

息苦しさのない、静かな沈黙。

沈黙を破って、ゲレトゥが穏やかに話す。
「これで本当に首を斬っていたら、これは影武者で、本物の大尉がどこかにいるはずだとエチオピア中を探させただろう」
「あ……あははは……」
また彼女の瞳より涙が溢れてくる。完全に見通されていた。ゲレトゥは自分よりも、私のことをよく知っていた。
両手で顔を覆って、さめざめと泣く晏実。もう二度目。憚ることはなかった。



*    *     *



「ぐずっ……」
こんな泣き虫が斯衛軍でも数えるほどしかいない赤色武家であり、栄えある尉官の最高位であることが
非現実的であった。ゲレトゥは彼女の経歴は知っていたが、よくここまでこれたと、逆に感心する。

普通なら精神を病んでしまうと思って、彼女の経歴書にない事実、受け入れ前の打ち合わせの時、
城代省担当者からの口頭の説明が思い出された。
遠回しだったが、復帰直後は精神科への通院があったことをほのめかしていた。

よくエチオピアくんだりに斯衛士官が貸し出せると不思議だったゲレトゥが、
どうも「訳あり物件」だと知った時である。


泣き疲れて眠ってしまった晏実。眠っているときだけは、それまでの悩みも消え、穏やかであった。



「で。君はここで寝ている一色大尉が本当に自害したと思って、全部CIAにしゃべった訳か」
執務室の入口、両脇をMPに固められて立たされているのは飯野秘書官だった。
眼鏡にはヒビが入り、顔にも痣がある。しかし脂汗をかきながらも、決然とした表情であった。
「も、もう遅いですよ、総監。CIAは米国政府と安保理に報告。エチオピアにはソマリアを叩く能力も、計画も
全くなかったことは知れている。今の停戦案を飲まないと貴国の立場は悪くなるばかりだ」
「ふん……」
飯野は、彼女の「死」を無駄にするまいと、命をはって「米大使館職員」と接触。
エチオピアにソマリアへの攻撃能力無し、という事実をつぶさに語ったのだ。
この国では、軍施設の写真を撮ろうとした者を、射殺する権限すら軍には与えられている。
そんな国の戦術機戦力その他を全部全部語ったのだ。最高死罪、最低死罪を覚悟してのことだった。

「覚悟は……できている」
そう絞り出すように、うわずった声で話す飯野に不気味な笑いを返すゲレトゥ。
突然の乾いた笑いに部屋が凍り付いた。
「外交特権で守られたあなたが覚悟も何も」
外交官は国際法によって非常に手厚い保護がある。殺人をやろうが、外患を誘致しようが
接受国が出来るのは、出て行ってもらうことだけだ。
「この場でぶち殺して豚のエサにしたいのも山々だが、そんなことではいつまで経っても寄生虫共から
すら三等国家扱いされ続ける。それは我慢ならん」

息を呑む飯野。

「それに、な。あなたを処刑したら、ここで眠っているお姫様は、自分の責任だと痛感して、それこそどうなることか」
それまでは、臆病なりの決心が崩れたのが見て取れた。飯野の顔色が一変したのだ。
ゲレトゥは、可笑しそうに歯を見せて笑い、大げさに肩をすくめて見せた。
「彼へは私が命令した、彼女ならそういうかな?」
晏実の髪をそっと撫でながら、不敵な笑みを浮かべる。

「一色大尉は自らの首を刎ねると見せかけ、注意を惹く。そのすきにあなたが我が国の内情を暴露。
エチオピアは国連軍の圧力の下、国際調査団の捜査という仲裁案を渋々受け入れる――。
エチオピアのバカ共はそれにまんまとはめられた……そういう筋書きか」
ため息をつくゲレトゥ。飯野はやっとの事で声をあげる。身を乗り出して全身で訴えた。
「大尉は、関係ない!」
「あなたがそう言い張っても、誰も信じないさ」
「お、総監! 私は、ただっ」
飯野が尚も叫ぶが、憲兵に両脇をかかえられて連れ出されてしまう。

部屋が再度静かになったところで、ソファで眠る晏実を見下ろすゲレトゥ。エチオピア将兵は
トラックに積み上げられた死体のように、生者らしからぬ体勢で眠るが、こういう所に育ちが現れるようであった。
スカートをはだけぬよう、足を揃えて眠っている。

軍人でもない秘書官に、あそこまでさせる、人柄。
「それなりに"カリスマ"もそなえているじゃないか」

寝息を立てる晏実をおいて部屋を去るゲレトゥ。

人の意志で動かせる範囲とは恐ろしく小さい物だ。ゲレトゥはそのことを少し失念していたと自嘲する。
衝動ほど厄介で、始末の悪い物はない。
彼女も首を斬るつもりなど、説得に来た当初は毛頭無かったのだろう。

ゲレトゥも、今となってはソマリアへの侵攻命令を下した自分が、自分とは思えなかった。
こうなるのは見えていたはずなのだ。短慮はロクな結果を生まない。

「まぁ、任期の最後は楽しい思いをさせてもらったよ」
彼女を部屋に残して退室するゲレトゥ。そして、彼がその部屋、戦術機甲総監執務室に戻ることは無かった。


今回の騒動を受けて、エチオピアの政治を操った巨人は政治の表舞台を去ったのだ。


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