7月10日 0610時 高知港 旧造船所
高知市内にもBETAの先頭が侵入しつつある。8日深夜と違い、要塞級の姿も多数見られる。
克輔達が乗船しようとしている高知港からでも、ビルの合間から巨大な10脚の
肉塊を垣間見ることが出来た。
「順番を守って下さい!順番を守って下さい!抜け駆けは射殺します!順番を守って下さい!」
機動隊員が強化プラスチック製の楯を並べて、港に殺到している難民を追い返していた。
警官が時折、空に向かって威嚇射撃をすると、難民は驚いてしゃがみ込む。
そんな喧騒を路上で聞きながら、克輔ら高知市内の小中学生は埠頭に学校毎に整列する。
どの船が沈められても子供達が全滅しないように、3隻に生徒児童は均等に割り振られることになった。
克輔達の乗る船は特殊で、船員が乗船時の注意事項を説明している。
「いいですか、これから配るベルトを、緩むことの無いように止めて下さい。
油槽船の甲板に上がったらこんな感じでたくさんのワイヤーがあり、1mに一ヶ所ずつ鉄製の輪があります。
そこに自分のベルトのフックを付け、最後にネジをまわして止めて下さい!」
戦術機部隊の駐機場があった埋め立て地の旧木材置き場の2ブロック南にある旧造船所に
光菱汽船のパナマックス級油槽船、「愛宕丸(あたごまる)」60,000tが横付けされていた。
愛宕丸は政府派遣の救援船団の正式な船ではない。高知県知事がそのコネと、袖の下を存分に駆使して
なんとか呼び込んだ賜物だった。
克輔たちは二人一組で、救命胴衣と落下傘兵が装備するような8の字のベルトを付ける。腰の辺りから
フックが出ていて、それがタンカーの甲板に何本もひかれたワイヤーにひっかけてシートベルトとする。
避難に使う旅客船は全く不足しており、油槽船の甲板に人員を乗せて避難することになったのだ。
「それでは乗船して下さい!『お、か、し』を守って、速やかに階段を昇って下さい!」
「お、おじさん!」
「克輔か!おじさんも後からこいつに乗るからな、じっとしとれよ!あ、そこっ、走っちゃあかん!」
学校の先生にまじって子供達を誘導していたのは、他でもない克輔のおじさんだった。
腕に腕章をまいて拡声器を握って、次々と子供達を乗船させていた。あの地獄を生き延びたのだった。
油槽船は油を全く積んでいないため、喫水は非常に浅く、真っ黒に塗装された船体の下、
本来は水線下に沈むべき真っ赤な防汚ポリマー剤の塗装部分も、克輔らの目に入る。
船体に急設された階段を昇って船上へ。克輔は海岸から油槽船は、何度か眺めたことがあったが、
甲板上は広大であった。東京タワーの高さに匹敵する、300mを超す全長の甲板に説明通り何本もワイヤーが
通されている。克輔は左舷の艦橋に近い部分のワイヤーの所で自分のフックを引っかけて座る。
所々に仮設トイレが設置してあった。克輔が後ろを見れば、子供達が後に続いて
続々と座ってゆく。BETAに殺されたとは言っても、相当の人数であった。
子供の乗船後、一般人が続いて乗り込む。それらは極めてスムーズに行われ、
あっという間に抜錨、出航となる。タグボートの補助を受けながら高知港内を悠々航行する愛宕丸。
その前には救助船団を構成する大型フェリーが行く。
別の埠頭からも戦術機母艦「金華(きんか)」に、難民をまさに搭載している姿を克輔は見ることが出来た。
油槽船の脇を次々と人を満載した漁船が通り過ぎてゆく。
克輔は一瞬、岸壁を見る。まだ少なくない人が取り残されていた。
「君たちは、多くの人の犠牲の上に脱出させてもらう。そのことをよくよく心に刻んで、
立派な人になりなさい。それが君たちに出来る一番のお返しです」
高知に残ることにした、校長が最後に克輔達に語った言葉だ。「犠牲」という言葉を
校長が口にしたとき、克輔の頭を通り過ぎた笑顔の女性。気を強く持っていないと
克輔はすぐに泣いてしまいそうだった。
「泣かない……。泣かない……。今、弥凪子さんは僕たちの為に、怖いのを堪えてがんばっているんだ……」
愛宕丸が浦戸大橋をくぐり、外洋に出る。ここからおよそ1時間、同船は16ノットに達する最大船速
で一気に光線級の射程外へ逃れるべく疾走する。船の揺れも、かなり激しい。
ワイヤーの命綱がなければ転げ落ちてしまいそうなくらい、甲板上は揺れ、かなりの子供達が
船酔いに絶えきれず、嘔吐していた。全員が固唾を飲んでだんだん離れてゆく陸を見る中、
一つの光が見え、それが船を包んだ。
「うわぁぁっ!」
爆発音と共に、大きな震動が伝わる。細い鉄索が千切れるのではないかとばかりに跳ねる。子供達の悲鳴と泣き声。
克輔も大きく跳ね上げられて、受け身をとれずに叩きつけられる。足を捻った。
レーザーは右舷の中央部の船体上部に命中、被弾箇所は黒煙をたなびかせている。
しかし、船は全く減速した様子は見えず、それまでと変わらぬ速力で航行していた。
「さすが新鋭、愛宕丸だ。なんともないな。消防班、消火を急がせろ!
原油は積んでいなくとも、本船は火気厳禁である!急げ!」
艦橋から、ダメージコントロールの指示を出す船長。作業着に救命胴衣、ヘルメットという出で立ちで、
各部の損害を確認していた。航行に全く支障はない。機関室に命中すれば別だが、
空荷のタンカーを沈めるには魚雷を2~3本あてなくてはならない。
新鋭の愛宕丸は極めて堅牢な二重殻構造。さらに石油流出を防ぐための多数の隔壁
をもった頑丈な船であった。今回の任務のため、さらに耐レーザー用蒸散塗料を塗布し、
戦術機母艦を超える防御力を達成していた。
「児童の落下4名、怪我人14名。14名は順次船内に収容して手当をしております」
そう船内電話で伝わってくる。落下が出たことに心を痛める船長だが、とにかく
船を光線級の射程から出すことが最優先である。怪我人のことは頭の片隅に、
機関室と連携を密にして、0.1ノットでも速力が上がるように最大限の努力を傾ける作業に戻った。
* * *
7月10日 0732時 高知市郊外
動かなくなった突撃級を楯に、稜線を超えてくる光線級に砲弾を浴びせかける撃震。砂浜に足を沈ませながらも、
極めて精密に光線級だけを狙って射撃をしていた。
――サーベラス01、大破、サーベラス01大破、大隊長、戦死!
「!?そんな……ッ、く、サーベラス02がこれより指揮を執る!」
指揮をとるといっても、ほとんど弥凪子にすることはない。それぞれ担当する地区の光線級を一掃すること。
それが唯一にして絶対の命令だった。斯衛小隊は危険にさらせないため、高知市の防衛と後方支援しか担えない。
ウィンドウに表示される斯衛大尉の表情は、常に苦渋に満ちていた。
「あとから、あとからっ!」
悲鳴にも近い声を上げ、突進する戦車級に砲弾を浴びせるが、数が違いすぎる。50体は斯波機に向かってきていた。
戦術機が飛び道具を持つという優位がBETAに対してあるとは言え、それは連携攻撃などの戦技を活かしてこそである。
大隊の撃震は高知市周辺に広く薄く展開され、エレメントを組んでの連携は望むべくもない。
弥凪子の担当地区はもはや彼女1機。僚機は既に戦車級に食われている。
砂浜で立ち往生した突撃級のまわりには左右から要撃級が迫る。それにまで貴重な弾薬を割くことは出来ない。
「レーザー照射警報……、よし」
弥凪子の担当地区は、今の今はレーザー警報が解除され、短距離噴射跳躍なら可能であると判断された。
操縦桿に力を入れて、跳躍をしようとする彼女の脳裏に、飛び出した瞬間、光線級が山を越える様が詳細に描き出される。
一瞬止まる腕。だが、その逡巡は僅かな時間でしかなく、彼女の機体は跳躍、その直後に要撃級が旧位置にフックを大きく
空振りしていた。ほとんど数秒の滞空時間でも光線級を現す光点はレーダー上の、そこここに現れる。
次の目標は戦車級に囲まれた、十数体の光線級の集団。横浪三里に乗り込んできている。
「サーベラス02よりオルガン、B-12-76に要請射撃、全力!B-12-76に要請射撃、全力!」
旅団砲兵群に要請を送りつつ、自機を水しぶきが上がるほど低く、水上を匍匐飛行させる。
撃震は土佐湾に突き出る横浪半島を楯に、ぎりぎりまで光線級に接近する。
――オルガン00よりサーベラス02、現在、他エリアへの砲撃も実施中。オルガン02とオルガン06がB-12-76
への砲撃を行う。弾着まで……
光線級に対して砲弾が足りない。だが彼女に待つという選択肢は無い。旅団砲兵群本部には支援砲撃要請が
各所からひっきりなしに届いている。瑞鶴は4機とも制圧支援装備で、砲兵代わりとして戦っていたが
それでも全く足りなかった。高知市はBETAの濁流のただ中にある孤島だったのだ。
戦艦2隻の艦砲射撃は光線級を潰すというより、光線級が掃討された地域のBETAを叩くという形をとった。
戦術機部隊の援護ではなく、高知市の延命に主眼を置いている。
とにかく弾を落としてくれるだけでもよしとし、彼女はさらに撃震を増速させる。
弥凪子は砲弾の落下予測と迎撃が行われるタイミングを瞬時に計算して、速力の微調整。
6条の光線が高知の空に打ち上げられ、155mmM107榴弾は全て爆散、それと同時に
機体は横浪半島を越えた。彼女のFCSからレーザーを発射した光線級は対象からはずれる。36mm砲弾は
未発射の光線級だけを撃ち抜いてゆく。周りを取り巻く戦車級との距離はあっという間に詰まる。
光線発射インターバルを示すカウンターが限りなく0に近づく中、彼女の撃震は最後の一体に突撃砲を向ける。
しかし砲身が捉えたのは戦車級で、
「邪魔だぁぁぁ!」
そのまま追加装甲を掲げて体当たりを仕掛ける。戦車級と光線級を下敷きに何十メートルも土砂を巻き上げながら
突進する撃震。その正真正銘のゼロ距離で36mm砲を速射、戦車級は腕や頭部をバラバラとわだちに落としてゆく。
さらに貫通した砲弾は確実に光線級を貫き、ロックオンが外れる。
「次っ」
泥まみれになった撃震が、再度立ち上がり、強く力士のように大地を踏みならす。
弥凪子の視野の片隅には30分を丁度切った、タイムリミットが表示されていた。
* * *
7月10日 0735時 高知市内、皿ヶ峰
高知県庁から鏡川をまたいで南に2キロ。そこに小高くある皿ヶ峰は、高知市防衛の最後のより所となっていた。
その山を突破されれば、最後まで避難民を収容し、送り出し続けている高知港は丸裸となる。
人類の手にあったほんの一夜のうちに木々が取り払われ、野戦築城が施され、砲列が市街地に押し寄せるBETA群に執拗に砲撃を降らせていた。
銃身も焼けよとばかりに12.7mm弾をはき出し続ける重機関銃の列。迫撃砲が手持ちの砲弾を全て使い切る心づもりで猛攻を加える。
「目標――要塞級!短延期信管!直接照準――!各個に撃てぇ!」
土嚢の組まれた掩体に並べられた105mm榴弾砲が、轟音と共に砲撃を開始。まさに体内から兵士級を降着させていた要塞級に次々と命中してゆく。
その山頂には日章旗と、栗色地に白で染め抜いた高知県旗がはためいていた。
迫撃砲弾が次々と皿ヶ峰西方に広がる元住宅地に殺到するBETA群に落ち、炸裂。さらに直協援護に応じた瑞鶴が、
36mm砲弾をフルオートで叩き込んでゆく。数で勝るBETAも、これ以上にないと言わんばかりの濃密な火線に、勢いを鈍らせる。
それを敏感に感じ取った歩兵中隊長は右腕を高々と上げ、振り下ろし、逆襲を命令した。
「追い出せ!」「逆落としだ!」「ぶっ殺せ!」
小銃兵、二人一組の機関銃班、そして40mm自動擲弾銃を装備する、改73式機械化歩兵装甲B型が立ち上がり、攻め寄せるBETAに反撃を仕掛ける。
はげた山肌に地響きをともなって前進する機装兵の脇を、着剣した精兵がときの声を上げながら駆け下りてゆく。
小銃を立射する者、立て膝で小銃擲弾を戦車級に叩き込む者、手榴弾を投げ込む者。
その上を瑞鶴が飛び越し、数え切れない要撃級、戦車級を片っ端から撃ち殺していた。
歩兵中隊を直接支援する105mm榴弾砲が、逆襲部隊が住宅地に進出するのにあわせて弾着を延伸させる。
ライフル一挺で突入する兵士の目の前で闘士級や兵士級が砕け散り、はじけ飛ぶ様は大きく志気を高めた。
撤退も叶わぬ今となって、第18独立旅団の将兵は自分たちが1秒でも長く抵抗を続けることが
本州防衛準備につながると信じて、決死の戦闘を続ける。
皿ヶ峰の高知港側の斜面に構築された連隊本部に白色の瑞鶴が飛来、着陸すると同時に柳髪をなびかせて衛士が飛び降りてきた。
歩兵連隊長の中佐が敬礼をしながら堡塁から現れる。斯衛衛士もそれに応える。彼女の手には打刀を携えていた。
2キロに満たない山の反対側ではBETAとの激烈な戦闘が続き、榴弾砲の砲声が至近で鳴り響く中でも連隊長は穏やかだった。
「そろそろ出立の時間ですかな、大尉」
「誠に申し訳ないが、これ以上は参謀本部の厳命に背くこととなる。本当にすまない……」
「いえ、バルカン小隊の獅子奮迅の活躍は、地上で戦う我々に大きな勇気を与えてくれました」
眉を歪め、無念の情を露わにしながら頭を下げる女性衛士。既に彼女の小隊には沖の母艦から後退命令が二度、出されていた。
「殿下には、我が第71連隊をはじめ、旅団が敢闘した事をお伝え願いたい」
「必ず」
そう応えて彼女は打刀を連隊長に差し出す。質実な中にも美しく装飾された一振りである。
その刀の由来を知る中佐は、困惑して固辞したが受け取らされてしまう。
「これは、恩賜の、それも武家のみが佩用する……、とても受け取れません!」
「敵に背を向けて逃げ出す輩など、武家に入らぬ」
そう残すと彼女は敬礼し、瑞鶴に戻り機首を翻してあっという間に海上に出た。各所に散らばっていた僚機3機も集合する。
その見事な編隊飛行に中佐は短く敬礼した。
旅団の組織的抵抗は終焉に向かいつつあった。
* * *
「マグヌス・ルクスが北東より、じゅ、18!?そんな、馬鹿な!」
――馬鹿もクソもない、スチルをまわす!
高知県西部より侵入し続ける光線級を、必死で食い止めていた弥凪子。殿艦の戦術機母艦も、あともう少しで送り出せる
という所で、CPより絶望的な情報が入る。高知県東部にある鉢伏山に設置された無人偵察カメラは、
望遠で不鮮明ながらも、膨れあがった桃色の肉塊の集団の静止画像を、彼女の網膜に送りつけてきた。
高知市東側は複雑な地形の西側と違い、平坦な土地に田畑が広がっている。かなり内陸からでもBETAは狙撃が出来るのだ。
――東部地区のサーベラス03、09が、現在方向転換中の皿ヶ峰の砲兵隊の要請射撃の直後に包囲攻撃を仕掛けるが、
どう見ても戦力が足りない。バルカン小隊も、もう引き揚げた。02も攻撃に加わってほしい。
攻め寄せる要撃級を切り伏せながら、距離を詰めてくる戦車級に対して、間合いをとりながら思考する弥凪子。
彼女の頭が、重光線級と船の位置関係から導き出した答えは、しんがりの戦術機母艦だけでなく、愛宕丸も
射程に収まる可能性のある事実。
「しかし、私が担当地区を放棄すれば、西部地区はがら空きになります」
彼女が東部へ増援へまわると西側に展開する戦術機は0になる。他は全て撃破されてしまった。
――西部地区へは海軍さんの援護がある。02は市内を突っ切って03、09と合流。重光線級を阻止しろ!
旧春野を通過すれば比較的楽に抜けられるはずだ。
「了解」
撃震が旋回して機体を高知市に向けると一気に増速、超低空で高知市内目がけて高速飛行する。
眼下に現れる旧春野町の田畑は、何百台ものブルドーザーが通った後のように無数の大地をえぐる跡が残され、
バラバラに砕けた要撃級や、戦車級、闘士級の死骸、そして兵士、市民の遺体が転がっていた。
「くっ……」
彼女の大隊は、光線級だけを狙って攻撃しており、他のBETAはほとんど素通りだったのだ。
縦横無尽に高知市を飛び回り、旅団を援護した斯衛小隊も今はいない。そして浦戸湾の西岸に着くと
最後の抵抗の跡があった。塹壕や、機関銃堡塁、それらがすべてめちゃくちゃに破壊され、
BETAに食い殺された直後の兵士が、そして市民が散らかっていた。
沸き上がる吐き気を抑えて、無線に向かって叫ぶ弥凪子。
「02より、03、09へ!残り115秒で、攻撃開始位置に到達」
撃震はタンカーと戦術機母艦を送り出した浦戸湾をフライパス。彼女の視界の片隅に駐機場も目に入った。
あっという間に高知市西部地区に進入。レーザーの狙撃を受けぬよう山間をぬって飛行し、攻撃開始位置に達する。
――03より、02。東部地区隊長としてこの作戦が最良と考える。
「ッ!、作戦計画を送れ」
03は左高の声だった。直ちにデータリンクを介して、左高が考案した作戦が彼女の機体に転送される。
「こ、これは、また……」
彼が送ってきた計画を見て、弥凪子は苦笑いしてしまう。
広大な農地の広がる南国市の東端と北西部にそれぞれ陣取る03と09。
自走砲の砲撃開始と時同じくして、その2機が重光線級の集団に牽制射撃を仕掛ける。
足並みが乱れた所に、斯波機である02が南側より砲撃しつつ突進。最後の最後には長刀による攻撃をしてでも
重光線級を殲滅するというもの。確かに3機の砲弾の残量や、位置関係、BETAの展開状況から
妥当な作戦である。妥当ではあるが、彼女は今まで目にかけてきた部下が提出する作戦ではない、とは思った。
「……気に入った。上手くいったら、私は凄い"達成感を抱"ける。本作戦を採用する」
――中尉……
左高が何か言いたそうだったが、おしゃべりしている時間はない。弥凪子は直ちに砲兵隊に作戦開始を告げる。
「サーベラス02よりオルガン00、作戦に従い、I-18-82、I-18-82に集中射撃を要請する」
――オルガン00了解、第一斉射、砲撃開始。以後、5分間の集中射撃を行う。
旅団の自走砲が全てこの攻撃に集中する。表示される、弾着までの時間。
ふと弥凪子は作戦全体のタイムリミットを見る。あと10分を切っていた。もう、克輔の乗る船は射程範囲から抜けただろうか。
――09、牽制射撃、開始ッ!
――03、牽制射撃、開始!
その叫びと共に03と09は、同時にそれぞれの山陰から飛び出し、もう弾数の少ない120mm砲を速射。
落下してくる155mm砲弾の迎撃に上空を向いていた、重光線級の側面にタングステン鋼徹甲榴弾を次々と叩き込む。
命中から0.05秒おいて体内で炸裂する砲弾。紫と緑の臓物を畑にぶちまけながら倒れ伏す最高の脅威。
それまで高知市に向かっていた集団と、救援船団を狙っていた集団の足並みが乱れ、そのまま移動するもの、
砲撃を受けた先へ旋回するもの、上空迎撃を続行するもの、混乱が生まれた。弥凪子はその隙を逃さない。
青空に向かって強力な出力のレーザーが打ち上げられ、砲弾を上空で爆散させるが、全て撃墜するにはいたらず
何発かは落着、損害を与える。そこを見計らって弥凪子は撃震を突っ込ませる。
「02突入!02突入!」
彼女は匍匐飛行で一気に間合いを詰めにかかる。突撃砲を構え、地面に擦りそうな高さで高速で接近。
目標集団に到達するまで、戦車級や、要撃級が多数ひしめく南国市。速度を落とさず、
回避運動も最低限に一気に接近しなくてはならない。36mm砲の残弾はもう100発を切っている。
120mmに至ってはたった3発しかない。確実に飛行の邪魔となるBETAにのみ、銃撃で排除してゆく。
光線級との戦いは、一瞬で決まる。越知町で撃破された打撃支援の撃震も、
高知市内に進出中だった玲香の撃震も、一瞬の遅れで倒されたのだ。彼女のトリガーにかかる指にも自然と力が入る。
弥凪子の撃震の対レーザー自律回避システムは手動で解除されていた。
「!」
匍匐飛行を続ける撃震の120mm砲から唸りを上げて徹甲榴弾が発射され、BETAとBETAの間に出来た
トンネルのような空間をぬって重光線級に着弾。これを打ち倒す。
155mm榴弾砲の集中射撃が、レーザーに撃墜されながらも辺りで次々と炸裂。
よい陽動となっている。重光線級の照射間隔が36秒であるのに対し、旅団の自走砲の発砲間隔はたった10秒でしかない。
重光線級の行動を大きく制限させる。牽制射撃をする僚機も的確である。なんとか斯波機に注意が行かないように
惹き付け、余裕が有れば彼女の進行方向を塞ぐ機体にも攻撃の手を伸ばしていた。
またもや弥凪子の視界にピンクの肉団子が見えた瞬間、2発発砲。
しかし戦車級が割って入り、砲弾はそれを破壊したに留まる。体中央に大穴をあけつつも彼女を通すまいとする戦車級に対し、
斯波機は追加装甲を大きく右肩の上まで振り上げ、すれ違いざまに殴り倒して強引に進路を切り開く。
もう120mm砲のない突撃砲は投棄してしまった彼女の撃震は、長刀に手を伸ばし
「あっ……」
――斯波中尉!!
正面の、重光線級と目があった。放熱翼は大きく左右に開かれ、弥凪子がその強力な光にたまらず目を手で覆った時には
レーザーは発射されていた。
死んだかと思った弥凪子だったが、レーザーは彼女の機体の左脇をかすっていっただけだ。損害はない。
「逸れ、た……っ!」
一気に詰まる距離、右腕に握られた長刀が重光線級の胴を叩き斬るべく大きく背中まで振りかぶられ、
「やぁぁぁぁ!」
長刀は過たず光線級の"瞳"の真下に深々と刀身を埋める。吹き出す体液。
彼女の視線は既に斬りつけた奴ではなく、次の目標へ。懐に入り込んだ蠅をたたき落とそうと旋回した個体は
その背後を左高らによって射抜かれ、次々と倒される。
長刀を引き抜いた撃震に狙いをあわせ、砲撃体勢に入る別の重光線級。弥凪子の網膜には
正対したその個体が今、まさにインターバルを終わろうとしていることが表示される。直近には戦車級の姿。
彼女の判断は一瞬だった。
斯波機は今にも飛びかかろうとした戦車級を、長刀で思いきり薙ぎ払った。
弥凪子の腕はこのとき、完璧であった。無様に腹をさらして飛ばされる戦車級は、まっすぐ
重光線級に向かってゆき、その射線を覆う。発射を躊躇する重光線級。
斬撃の痕が残った戦車級が重光線級と衝突。それが足元に落ちた時には、完全に弥凪子の間合いであった。
振り上げられた長刀によって袈裟懸けにされる。
弥凪子が3体目の獲物に目を付ける。これも次の照射まで時間がないが、鋭い踏み込みと
迅速な一撃をしかければ間に合う。そう判断して操縦桿を押し込む弥凪子。
――戦術機母艦「金華」、重光線級の照射を受け大破、沈没しつつあり
「えっ?」
その通信に、衆敵に囲まれてなお、余裕を失わなかった彼女の目に動揺の色がさした。
先ほど彼女の至近を逸れたレーザー照射は、彼女の撃震を狙ったものではなかったのだ。
既に機体は次の重光線級目がけて突進している。しかしその踏み込みは、それまでよりわずかに甘い。
* * *
7月10日 土佐沖
克輔は腕時計を食い入るように見ている。さっき後ろに続く戦術機母艦が、レーザー照射を受けて沈んだ。
軍艦であるのに、たった一発で沈んだのだ。燃え上がる船体からこぼれ落ちる人たち。
船尾からだんだんと沈んでゆく様子。彼は恐怖に抱き込まれそうになると、昨夜の事を思い出して
なんとか自分を保つ。絶対大丈夫。大丈夫だと、彼女から直接聞いたのだから。
秒針は本当にのろのろとしか時を刻まない。彼はもう陸地を見るのはやめにしていた。
また光っても、船の上ではどうしようもないからだ。
克輔にとって、人生で一番進むのが遅く感じられた1時間。だが、それにも終わる時が来る。
――たった今、本船は光線級の射程外に抜けることが出来ました。繰り返します、本船は……
ブリッジに設置された大型拡声器から、遅れることなく船長の声が聞こえる。
「たす、かったんだ……」
叫んで喜ぶ気力も、気持もわかなかった。周りでも気勢を上げてはしゃぐ者は子供であってもほとんどおらず、
ただただ、ほっとしている様子だ。ひとまず安全になったことで、克輔にはそれまでの記憶が蘇ってくる。
楽しかったこと、怖かったこと、自分をおさえられなかったこと。
埠頭に撃震を見に行った時から、今まで長くて、一瞬だった5日間。
その日々を振り返って、初めて思い出した物。鞄から取り出したのは、一葉の写真だ。
自分と、親友と、そして真ん中で満面の笑みを浮かべる女性。
フラッシュバックのように、トレーラーでの表情、廃ビルで会った時の表情、コックピットでの表情が
克輔の脳裏に現れては消える。そして写真をもう一度、彼は見つめ直す。
その笑顔が、今の彼には弥凪子の素の表情には見えない。
もとからそうなのだ。本土上陸されて不安に感じないはずがない。誰だって同じである。
そんな当たり前のことに克輔は今まで気が付かなかった。無邪気でありすぎた。
笑顔の裏にどれだけのものを彼女が抱えていたのか。今の彼は少しだけ理解していた。
それが最後まで我慢していた涙腺をこじ開けた。
克輔は大きく揺れる愛宕丸の船上でワイヤーにしがみつき、声を殺して泣いた。
* * *
7月10日 0806時 高知市郊外
高知平野の水田に横たわる大破した撃震。右腕は完全に欠落している。
まだ辛うじて原形を留める左腕は、よく熱を発する炭のように、まだ一部では橙の炎を発していた。
左手は握り手だけになった追加装甲を掴んでいる。
胴体は激しく焼けこげ、融解しているところを見ると、重光線級のレーザーを真正面から浴びたようだった。
絶えうる温度を遙かに超えて加熱された為、今も断続的に各所で爆発が起こっている。
いかに重装甲の撃震といえど、レーザー照射を、しかも至近距離から浴びせられれば破壊されるのは必定であった。
そのすぐ前方には、刺し貫かれ、ひび割れた瞳を空に向け、仰向けに転がる重光線級。一撃を加えた筈の刀は跡形もない。
大きくひしゃげ、随所から黒煙のあがる管制ユニット内。弥凪子の網膜に投影されるタイムリミットを示す数字が、00:00を示している。
こんな時でも予備センサーは生きており、不鮮明ながら外の様子を彼女の網膜に投影していた。
「あ……ぁ……」
管制ユニット内で大きな爆発があり、彼女は手榴弾の爆発を近くで受けたような傷を負っていた。
体中に大小様々な破片が突き刺さっている。もっとも大きな鉄片は、彼女の右上腕を貫き、完全に座席に縫いつけていた。
そして破片の一つは彼女の首をえぐり、管制ユニット内を鮮血で満たしていた。
満身創痍の衛士の網膜には、まさに消えようとしている生命でさえも、つみ取ろうとにじり寄ってくるBETAの波が映る。
もう1、2分しないうちに取り付かれるだろう。彼女は左手で、手探りで腰のホルスターから拳銃を抜く。
それを口にくわえるが、どうしても引き金が引けない。力が入らないのだ。人差し指はトリガーに触れると
大きく震えてしまい、引き絞るどころではなかった。意識にかかる靄も次第に深いものになってくる。
その弥凪子の意識は、船団を、少年を守れなかった悔悟の念が占める。
彼女は沈んだ戦術機母艦「金華」に克輔が乗り込んだと思いこんでいた。
この期に及んで彼が他の船に乗っていた事にするのは、彼女には出来ないことだったし、
「金華」にも克輔と同じような少年少女が大勢乗り込んでいたことは、確かなのである。
溢れる涙が首まで伝い、そこで鮮血と混ざり合う。彼女の心には、自分を信じて昇降車に乗り移った時の克輔が立っていた。
「くそぉ……くそぉっ…………何が、『君の、ヒーロー』だ……」
自分を責める弥凪子に、克輔はうつむいたまま言葉を発しない。
確実に近づいてくる戦車級。その数は次第に増えてゆく。
弥凪子は拳銃を膝の上に置くと、強化装備の小物入れからキャラメルの箱を取り出す。それに託されたもの。
箱を握ると彼女の前に立つ克輔が口を開く。弥凪子には分かっていた。
心優しい克輔は絶対に彼女を責めない。がんばった、しかたがない、弥凪子さんは悪くない、
そう心地よい言葉をかけてくれるだろう。しくじった弥凪子を温かく許してくれるだろう。
そんな言葉は聞きたくなかった。そんな言葉を自分に言わせたくなかった。
「ッ!」
意を決して拳銃を握り直し、勢いを付けて口に突っ込んだ弥凪子は、今度はそのまま引き金を引いた。
fin.