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[21792] 狼の娘・滅日の銃
Name: なじらね◆6317f7b0 ID:361fd354
Date: 2010/09/09 22:41

あの娘が怖い。
それに気付いたのは、忘れもしない、あの眼を見た、あの日。

■プロローグ■EL-RAY

熱い。燃えるような熱さだ。耐え切れず男は眼を開ける。
燃えていた。町が火に包まれ燃えていた。
あの娘と暮らしたあの町が、五年間の楽園が、業火に包まれ燃えている。
その光景を、視界の半分を朱に染めながら、男はただ見つめていた。
もう、動けない。老いぼれたもんだ、自分の手と同じくらい握ってきたこいつがこんなにも重いなんて。
ごとり、と男の手から銃が落ちる。
瓦礫に背を預け、もう使い物にならないであろう足を伸ばし、ざまあない、と男は笑う。
燃え盛る火の中で、ゆらゆらと揺れる黒い影。シルエットは少女。
しかし目と口を糸で縫われ、全身に鋭い刺を生やす黒い殻を纏うその人形は、
男の突き刺した腹の小刀さえ意に介さず、血すら流さず、悠然と彼を見下ろす。やがてそれは平然と小刀を抜き投げ捨てた。
そして背中を向ける。もう男など興味を無くしたかのように肩口から黒い翼のようなものを生やし、悠然と飛び立つ──しかし、その時。

「おまえはそこで、まっていろ」

どさり、と黒が地に落ちる。立ち上がろうと腰を上げるも足の震えがそれを許さない。
かつてまだ一匹の獣であったころ、山野を駆け巡り原色の恐怖を次から次へと喰らっていた。
やがて捕縛、精製され調教を受けて後、恐怖ではなく恐怖を放つもの、それを喰らう者として変貌させられた。
その筈だった。しかし今、まるで己の喰らった恐怖という毒にやられたかのように動けずに身を固め、震えている。
そして想う──我は、こんなものを喰っていたのかと。

「繭……子?」

その声に男が顔を上げれば、黒い髪の童女が能面を被ったかのような無表情でそこに居る。
炎の中でさえ涼しげに着物を着こなすその姿は美しく、なによりも恐ろしい。
やがて彼女、常世繭子は袖から何かを取り出し、それを男の足元に放り投げた。
どさり、と舞い上がる埃が高温にさらされ火花と化す。
男が視線を向けると錆付いた鉄の塊、一挺の銃。

「取りなさい、藤原信也」

眉ひとつ動かさず、能面のまま童女は告げる。

「もう眠りてえんだ、繭子」

男の眼に映るのは童女、そして己の千切れかけた腕と足。もういいだろう、と男は笑う。

「それでいいのですか藤原。お前の愛しいあの子を守りたくはないのですか?」
「守りてえよ、だがな。もうそんな重い奴ぁ、握れねえ」
「ならば触れなさい藤原。それだけで良い。お前がふさわしいなら。それは認める」
「認めたら、どうなるんだ?」
「お前は、エル・レイになります」
「何だよ、それ」
「弾丸(アモ)です」
「弾丸(タマ)か」
「エル・レイはこの銃、メキシカンの弾丸です。お前はエル・レイとなり籠められます」
「で?どうなる?」
「〈あれ〉を倒せます。命と引き換えに」
「ふん、なるほどな」

そして男は力を込める。
引き裂かれた傷口から吹き出す血潮、骨とかろうじて残る肉と腱に最期の力を注ぎこむ。
やがて動き出す指。

「上等だぁ」

じりじりと動く指が、血を滴らせ地を這う。
あと少し、あと少しで銃身──これで。

「お前ならそうすると思っておりましたよ、藤原」

繭子の爪先がそれを蹴る。
くるりと回り向きを変え男の手に収まる朽ちたグリップ。

「お前は本当に、くそったれだよ、繭子」
「誉めるでない藤原、恥ずかしい」

そして男は、滅日の銃を握る。

「あの子を守れるならば」

あの子より逃げられるならば。

「この命、惜しくない」

この命、その駄賃にくれてやる。

「さあ、立ちなさい藤原信也」

熱い、燃えるような熱さだ。
燃えている。この身体が燃えている。
銃から放たれた熱が腕を伝い血管を焼きながら心臓に注がれる。
傷口という傷口から吹き出す火。おいぼれたこの体が燃え盛る。
青い火、完全燃焼の炎。再構成される身体。
あの頃に、今一度一匹の獣だったあの頃に。不死鳥は炎の中で蘇る。その時が、来た。

「おはよう藤原、否──」

常世繭子の能面が一瞬解ける。口の端を小さく吊り上げ、微笑む。

「ひとでなしのエル・レイ」

掻き消えた炎から若々しい男の姿、手にしたものは鉛色の光沢を放つ生まれたての銃。
バレルに刻まれるは喰らい合う毒蛇と毒蛙──テルシオペロとデンドロバテスの紋章。

「さぁ、喰うぜ」

そして男は、眼前の化物へと火を放つ。



狼の娘・滅日の銃
第一話 - お父さんと娘は軽トラに乗って -



「私、あなたの娘、らしいです」

その視線には明らかな敵意が見えた。

「つまりあなたには私を養う義務があります」

しかし憎悪が見えぬのはこの年で、それを抑える術を身に付けのか。

「ですが、頭を下げるつもりなんかありません」

聞けば年は十二。憎悪を抑え、けれど眼光から漏れる殺意。

「これは私が有する当然の権利だからです」

あの女に似た顔立ち。かつて自分が捨てた娘。

「もう一度言います。誰がお前を父などと呼んでやるものか」

何かを抑え、けれど意志を滾らせた眼で少女は男に吐き捨てる。

「この糞虫が」

上等だ、と男は笑った。



なのに、ああそれなのに。

「おとーさん!ほら見て!」

深い山あいを抜けるとそこは町だった──。
いやそうじゃなくて、そうじゃないんだ、とハンドルを握る男は悩む。

「いや真澄……ちゃん?」

軽トラックの窓から見える景色に胸踊らす娘を見て、男の心は和らぎ──。
違う違う、そうじゃ、そうじゃないんだ、違うだろう、君キャラ違うだろう。

「小さくてすてきな町だね!おとーさん!」

嬉しそうな娘の顔を見て、この赴任は間違ってなかったな、と男は──。
いやだから違うだろう!お前キャラ違うだろう!一ヶ月前お前初対面で何つった!

「キミね、ひと月前に俺の事、その、クソ虫と」
「あ、路面電車!おーい!」
「聞けよぉ!聞いてくれよぉ!」

騙された、まんまと騙された、と男は心底あきらめハンドルを切る。
父娘を乗せた軽トラは橋を渡り川を越え、やがて町の目抜き通りに差し掛かる。
突然視界いっぱいに現れたオレンジとグリーン。ツートンカラーの路面電車と並走する小さな車。

「こんにちわー!これからよろしくー!」
「やめッ!止めなさい真澄!こっ恥ずかしいッ!」

小さな荷台に一杯の荷物を満載し並走する軽トラ。
隣を走る路面電車の窓、娘の声に気付いた幾人かが微笑みながら手を振る。みんなが笑ってる、娘も笑ってる。

「るーる、るるっ、とぅー」
「歌うなぁぁぁ!」

やがて電車は右に逸れ郊外へと向かい、フロントガラスの向こう側に古びたレンガ造りの駅が見えた。
駅前通りを過ぎると、駅の真向かいに石造りやや大きめの建物が見える。
屋上から〈祝かなめ市政百周年〉の懸垂幕。どうやら市庁舎らしい。

「あれお父さんの職場?」
「ん?ああ。部屋間借りするだけなんだけどな」

へぇー、すごいねぇさすが国家公務員、などと笑う娘の顔に、もういいや、どうとでもなれ、と半ば諦めながらも男もつられ微笑む。
やがて市庁舎前を通り過ぎると。

「あ、あれなんだろう、四角い箱みたい、おかしいね!」

灰色の大きな真四角のコンクリート製建物が目に入る。
〈改装中・市立郷土資料館近日開館〉と書かれた看板を見て、やけに古臭え建物改装すんだな、と男は一人つぶやいた。

「へえ郷土資料館だって、こんど行こう!ね?おとーさん!」
「はいはい」
「はい、は一回でいいの!」
「へいへいへい」
「もうっ!」

ぷくう、と頬膨らます娘を見て、その頬を軽くつねる。小さな唇からぽひゅう、と漏れる息。
んんー!と頬染めながら男の手をぺちぺち叩く娘を見て、やべえ、やっぱ俺の子カワイイ!むっちゃ可愛いぞこいつ!
と早くも親馬鹿前線が絶賛北上中で開花寸前な新米お父さん。
ほどなく車は小さな町の中心部を抜け、古びた住宅地へと入り、そろそろと進み、何度か迷い、娘のナビゲートの末、
ようやく一軒の小振りな平屋建て家屋の前に軽トラを止めた。

「案外ちっちぇえなあ」
「そう?これくらいが丁度いいんじゃない?」

どうせ二人きりの家族なんだし、と娘が返した時、男の眼に、じわり、と涙。

「お父さん、ひょっとして泣いた?」
「あ、あああ、あくびだ、アクビ!」
「へえー」

そういう事にしときましょう──と少し意地悪な笑みを返す娘、藤原真澄を見て、こりゃやばい、と父、藤原信也は動揺をひた隠す。
やべえ、こいつ既に俺の殺しどころしっかり抑えてやがる、しまった、先が思いやられるぜ、ったく──などと目尻に溜まる涙をそっと拭った。



声が聞こえる。

「パパ」

あれは娘の声だ。

「パパ、パパ、ねぇ、なんでないてるの?」

その声が遠くなる。

「パパ、やだ、いっちゃやだ、パパぁ!」

一度きりの家族。
手に入れた宝物はまるで砂糖菓子のように甘く、脆く、手の体温で崩れ落ち、残った物はひとかけらの砂糖粒。
その粒を口に含めば甘い、けれど舌の上で直ぐに溶け瞬く間に消えて無くなり、残るのは甘さという記憶だけ。
男はその甘さを知ってしまった。
生まれて初めて手に入れた家族。甘い砂糖菓子のように蕩けさせる感覚。これを知り今までの日々が色褪せる。
あれほど自分が愉悦に浸っていた黄金色の日々は瞬く間に色褪せ、モノクロームで殺伐とした血の味しかしない日常へ。
潮時だ、足を洗おう、と男は決意した。しかし。

「あんたの足枷にはならない」

あの女の声が虚しく響く。雌の狼、その声が男の足を引き止める。

「きっとあんたは今に不抜け、不貞腐れ、あの日々をもう一度、と願う」

獣のような女だった、そして男も獣だった。

「あたしには解る。だってあんたは生粋の雄だから」

雄と雌の獣は、お互いを噛み殺さんばかりの情熱と熱狂を経て、やがて雌は子を授かる。

「あたしは母になれた。でもあんたは父にはなれない。だから今はバイバイ」

可愛い娘だった。そして雌の獣は母へと変わり、雄も父になろうとした。

「みんなが枯れ果てた時、また一緒に暮らそう」

しかし女は、男を深く知り過ぎていた。

「パパ、いっちゃやだ、パパぁ!」

母となった女の腕から手を伸ばし自分を呼ぶ娘、泣き叫ぶ娘。初めて男は泣いた。

「パパ!パパぁ!」

けれど、足が動かなかった。男は泣きながら、娘の叫びを聞いていた。
何故なら女の言った事は、まさにその通りだったからだ。



実際のところ。
軽トラ一台で済む荷物なので、搬入にはそう時間が掛かる訳で無し。

「というわけで大家さんに挨拶いくから」
「いってらっさいー」
「お父さんも行くの!」

荷解きもあらかた終え、ひと段落ついた頃、用意していた菓子折りを手に娘が父の襟首を掴む。
もちろん菓子折りは事前に娘が用意していたものだ。この男にそんな甲斐性などありはしない。
娘というか若干嫁気取りなのが藤原には小憎らしい。もちろんかわいいという意味で。

「いや一応官舎扱いの借り上げだから、いんじゃねえの?」
「ダメ!大家と言えば親も同然って、ものの例えにいうじゃない?」
「親の親ねえ、つったら爺さん婆さんかよ、耳遠いんじゃねえの?」
「あーもう、ダラダラ歩かない!さっさと背筋伸ばす!」
「へいへいへい」
「へいは一回!」
「ヘイアッッ!」
「うるさいッ!」

デアッ!と藤原が光の国からやってきた巨人のようなポーズを取り、隣家の門前に立つも即座に娘から菓子折りの角で小突かれる。
しかし親子コントの軽い喧騒ですら家人からの反応は無く、人の気配がまるで感じられない。こんなにいい家なのに、と真澄は首を傾げる。 
見ればその古びた数寄屋造りの家は、それでも良く手入れがなされ、新築では出せないであろう味わいと風格が見て取れた。
玄関へと続く前庭も、彩る植木は丁寧に剪定され、この家に対する主人の思い入れが伺える。なのに、彼女には人の気配が感じられなかった。
常世。玄関先で頭を上げればその表札が見える。

「ツネヨ?」
「トコヨって読むんだろ」

興味無い素振りで答えながらも、藤原は娘に気付かれぬよう拳を硬く握り、開き、緊張を解きほぐす。
局長、俺ぁ聞いてねえぞ。トコヨったらモロじゃねえか、よりにもよってその隣に官舎?しかも大家?ふざけんな!
これじゃ化物に首根っこ掴まれたも同然じゃねえか!──心の内で狸面の上司に愚痴る藤原。

「留守みてえだな、よし出直そう」

一刻も早くここから立ち去らねばならない。
まずは隣の仮住まいへと引き返し、何かの間違いだった事にして大至急荷物を今一度まとめ、
軽トラに積みこの恐ろしい化物の口から離れなくてはならない。旅館かホテルを見つけ仮の宿としよう。
これは一体どういう手違いか上司である局長へ連絡をつけ問いたださねば──と藤原が踵を返そうとしたその時。

「こんにちわー、失礼しまーす」

真澄が引き戸に手を掛けると、カラカラと軽い音を立てながら玄関が開く。

「ほら、お父さん鍵締めてないじゃない。だから留守じゃないよ」

ちょ、おまっ、何やっちゃってんのよォ!この子ッ──と心の中で大慌てしながら、
ソウダネマスミ、ハハハと引きつった笑みを浮かべつつ平静を装い、背中から大汗を吹き出す藤原。

「こんにちわー、誰かいませんかー?」

真澄の先には薄闇が広がっていた。
玄関から一直線に延びる長い廊下の果ては、午後の陽光すら届かぬような漆黒。
まるで深海のように何も窺い知る事が出来なかった。
やっぱり留守?と首を傾げる真澄の隣に立ち、警戒する藤原。

「ちょ、ちょっと近所まで買物でも行ってんじゃねえか?だから出直して」
「おりまする」

藤原の胸元から抑揚の無い声が響く。
動ぜず男は瞬時に娘の肩を抱き、そのまま一歩引かせ、同時に自身は一歩進み、真澄に気取られぬよう背中に庇い、声の主と対峙する。

「お前が藤原ですか、なるほど」

胸元に視線を降ろせば長く艶やかな黒髪。
自分を見上げるその眼はガラス玉のよう。端正な顔立ちは人形のよう。
眉一つ動かさぬ能面と抑揚の無い声。着物を纏った童女がそこにいた。

「お前の事は室戸より聞いておりまする」

しかしその声は臓腑の奥まで染み渡る。その眼は何もかもを貫き見通す。
気配が無かったのではない、気配がいきなり現れた。フィルムにカットインするかのように。なんという化物。
この期に及び今更ながら藤原は後悔する。事を構えるつもりなどは毛頭無い。
しかし得物すら持たぬこの状況では自分はいいとして、この子を護り切る自信が無い。
ならばせめて逃がすか。眼はどうだ。駄目だ。突いた瞬間腕ごと持って行かれる。ならば踵で足を。しまったサンダルだ。
しかも駄目だ折れるのはこっちの方だ。ぬかった、気を抜きすぎていたと男は歯を食いしばる。
ここは静かで平穏な町だ、ある一点を除けば。それが今、目の前に居るとは。

「そんなに構えるでない藤原信也」

ぎしり、と何かを掴むかの如く半握りの手、そこに小さな手が添えられる。
その瞬間、力がすうと抜けていく。違う、と男は察する。吸い取られているのだと。

「この町につなぎを置くつもりなら強きものを、楔打つつもりならより強きものを、と室戸には申し渡しましたが。
 なるほど、お前が藤原ですか。銃剣使いですか、なるほど」

局長が?俺を?くそったれ!
どうりですんなり申請が通ると思ったぜ、やられた。
この赴任は俺の希望だ。しかし向こうにすれば渡りに舟って訳か。
くそっ、そうならそうであの狸、一言言ってくれてもいいじゃねえか──藤原の脳裏に口元を歪ませ笑う上司の顔が浮かぶ。その時。

「ちょっとお父さん、見えない──あれ?何この子、かわいい!」

不意に父の腕をすり抜け前へと踊り出る真澄。
直後、自分と年も変わらぬであろう日本人形のようなちんまい童女を認め、
頬緩めたかと思ったら、んー!か・わ・い・い!とか叫びながら、ぎゅう、と童女を抱きしめる。

「なに?なに!あなたたここの子?はじめまして!わたし真澄!隣に越してきたの!」
「そうですか。それはいいのですが、頬擦り付けるのはやめなさい、暑い」
「かわいっ!可愛いッ!カ、ワ、イ、イー!きゃー!嘘ナニこれチョー可愛いんですけど!
 ね、あなたここの子?お父さんは?お母さんは?ね?ね?仲良くしてね!んー!カワイィぃぃ!」

おーまーえーなーにーやってーんだーこーらー、と口をパクパクさせる藤原。
一見すればツンデレ娘とクーデレロリの抱擁にも見えるその光景を、男はただもう唖然と見つめていた。

「わたしが、あるじです」
「嘘ッ!」
「本当」
「え?それじゃ、何?お父さんお母さんは?」
「わたしはこう見えて、お前よりずっと年上なのですよ」
「ごめんなさい!」

ばっ、と体を離し腰を直角に曲げ、童女の前に菓子折りを突き出す真澄。

「隣に越して来ました藤原ですっ!こ、これ、つまらなくはないものですがッ!」
「確かにつまらなくはないものです」

娘が差し出した芋羊羹の包みをし手に取り、しげしげと見た後。

「ふむ。上野名物ですか。これは良いものです。お前の娘も良いですね藤原」

気に入ったらしい。今度こそ藤原の全身から力が抜ける。

「あの。大家さんですか? 私、藤原真澄と言います」
「わたくしは常世──常世繭子と申します」

ああ、そうだろうよと藤原は心の中で吐き捨てる。こんな化物、お前だけで十分だと。
以前、この町の事情を機密文書の字面程度でしか知らない頃、常世とは血族、もしくは組織の名称ではないのか、と密かに思っていた程だ。
この町も常世という組織の支配する町だと。
この町──かなめ市。
面積、約160平方キロメートル。人口、3万人弱。立地、四方を山に囲まれた内陸山間地。
名立たる観光名所も無く、突出した主産業も無い。
行政的には決して潤沢な予算は持たないが特定の産業を振興している節も見えない。
なのに驚くほど人口流出が少ない。しかし流入も限られている。確かに住み良い環境ではある。
景観が牧歌的、のどかで精神衛生上よろしい。また街中に市電が走るおかげでバスなど流通車輌の歯止めに一役買っている。
そして市政開始当時からの建物が一世紀を経てもなお現役で活躍し、これが古風な町の景観を形作りノスタルジックな雰囲気を醸し出している。
あと飯が結構旨いらしい、これは大変よろしい。などなど、ここまではどこにでもある地方一都市に過ぎないのだが。

「トコヨマユコさん?キレイな名前!」

常世繭子。かなめ市が要たる理由。それは全てこの女に収束する。
どこにでもある地方都市はその理由で、どこにも無い世界唯一の場所に変貌する。

魔道──ラインと称される力の湧き出る源流。

地球の磁力線が南と北の二極を結ぶように、この力の循環は東と西を結ぶ一つの線(ライン)を形成する。
ライン沸き出でる所、東のカナメ。ライン落つる所、西のヴォクスホール。
この二極点は古来より絶大なラインの力を欲する者達によって常に狙われ続けた。
しかし西のヴォクスホールはラインの降り注ぐ場所として、その力を活用した魔道技術が振興され、
また自国の有する強大無比な魔道師団に護られ、蹂躙を許さぬどころか、逆にその力を以って世界の魔道を統べる魔道帝国となり、
未だその隆盛を誇っている。

「お前の名も良い名ですよ、真澄」

告げるその言葉はやはり抑揚が無く、相変わらずの無表情。
だれが信じるだろうか。この人形のような童女が、ラインの源流をただ一人で護っているなどと。
否、信じるしかねえだろう、と藤原は骨身に染みる。
女?童女?ただ一人?とんでもない!この地を狙う者達を一気に醒めさせ、魔道帝国すら牽制しつづける唯一のもの。
こいつで十分、いや十二分過ぎると彼は実感する。これは存在だ。人の形をした力という存在だ。力そのものだ。
それが意志らしきものを有している。これほど恐ろしいものはない。

「誉めるでない藤原、恥ずかしい」

ちらりと彼を流し見て繭子は告げる。
警戒し閉じていた筈の心、その奥底を鍵無しで覗き見るこの存在はやはり心底恐ろしい。
仕事柄いずれ会わねばならなかった存在。しかし心の準備無しに出会ってしまった。
局長、あんた人が悪すぎる、と藤原は心のうちで苦笑する。

「なるほど。やはりお前からは良い匂いがいたします」

繭子は視線を再び目の前の娘に移し、小さな鼻先をひくひくと動かしながら真澄に告げる。

「え?そうですか?なんだろ、シャンプーかな」
「いいえ。お前の芯から発せられる芳香ですよ。ふむ。良い匂いです」
「鼻がいいんですね、大家さんって」

ええ、鼻は利く方です、と意味深な言葉を告げながらも、それ以上特に何かする様子は無く、藤原は僅かだが安堵する。
気に入られたか?それはそれで問題だが少なくとも真澄に害意は無いらしい。
ならばそろそろ退散しよう。こんな所に長居は無用だ。その心を読んだかのように繭子は親子に告げる。

「良いものを有難う。わたくしはこれを食さねばならぬので、失礼いたします」
「いえこちらこそ!これからも宜しくお願いしますね、大家さん」
「繭子で良い」
「あ、はい!」

そして彼女へ一礼する真澄。
ほらお父さんも!と促されしぶしぶ頭を下げる藤原。

「それじゃまたね!マユコさん」

菓子折りを片手に抱え、もう片手を半分上げ機械的に右へ左へ振る繭子。
あれはバイバイの合図なのだろうか、と相変わらずな大家の見送りを受け、親子二人が踵を返したその時。

「良い娘を持ちましたね、藤原」

不意に耳元で囁かれた声。

「あれは、獣の匂いです」

急ぎ振り返る藤原。

「ん?どうしたの、お父さん」
「いや、なんでもねえ」

玄関は、閉じられていた。



薄暗い廊下の中間、漆黒の闇を背に着物姿の童女がひとり佇む。
光漏れる格子戸の向こう、立ち去る親娘の影が揺れ、やがて消えた。
能面のような白い顔、その口元にじわり、と浮かぶ微笑み。

「そうですか、そうですか」

不意に繭子の袖の中、ガギッ、と錆付いた音が響く。

「そうですか。お前が欲するのは、あの者ですか」

袖に手を入れ、それを取り出す。
小さな手に握られたのは一挺の赤茶色に錆びたリボルバー。

「焦らずともよい。お前が選ぶのなら」

ガギギッ、と錆付いた音を立て意志を持つかの如く上がる撃鉄と、回る空のシリンダー。

「それは叶うでしょう」

諭すようにつぶやき、再び錆びた鉄塊を袖に入れる繭子。
重い筈のそれを入れたにも関わらず、絹の袖は揺れる素振りすら見せず。
しかし袖の中でガチン、と撃鉄の落ちる音が響いた。




■狼の娘・滅日の銃
■第一話/お父さんと娘は軽トラに乗って■了

■次回■第二話「マスミ・ツンデレ・ステレオタイプ」



[21792] 第二話/マスミ・ツンデレ・ステレオタイプ
Name: なじらね◆6317f7b0 ID:4f1e67cc
Date: 2010/09/10 22:02


「私、あなたの娘、らしいです」

殺意に似た視線、感情を抑えた声で自分に告げる顔。
小学生高学年ほどのその娘を前にして、ああ、そうか、これが罰って奴なのか、と男は思った。

「つまりあなたには私を養う義務があります」

お国の為などと御託ふりまわして荒事専門で殺りまくる。
一発一刀ごとに駆け巡る絶頂、これを知ったらもう戻れねえ、とさえ思った。
構うこっちゃねえ相手だってそのつもりだ、殺るか殺られるか、いいねぇとことんやっちまえ、
好きなことやって金もらって恩給だって付く、最高!これぞ天職──だとあの頃は思っていた。

「ですが、頭を下げるつもりなんかありません」

だからこれは罰なのだ。自分に子など持つ資格などなかったのだ。
血と硝煙が織り成す黄金色の中で、いつか誰かに放った弾丸が巡り巡ってこの胸を貫き、自分は塵に帰るのだ。それが願いだった。
なのに自分はただ一度、女に狂った。こいつになら殺られてもいいと思った。こいつでなければ、とさえ思った。
しかし女が放ったものは子供だった。家族だった。甘い甘い砂糖菓子で出来た弾丸だった。
けれどそれは、男を狂わすには十分過ぎる毒だった。

「これは私が有する当然の権利だからです」

その娘が目の前にいる。母は亡くなったという。
遺品の中から男の存在を探し当て、今日ここに来たという。
あの女の子供、遠い日ついに抱きしめてやる事の出来なかった愛しい娘。
今度こそ潮時だ、と男は思った。
幸い現在教導中の新人は馬鹿で泣き虫だが見込みはあった。
少々時間は掛かりそうだが素質は十分過ぎた。こいつなら後釜にすえられそうだとも思った。
なによりもかつてあの女の言ったこと──みんなが枯れ果てた時、また一緒に暮らそう。最近これを良く思い出す。
もう自分も若くない。いまがその時だろう、と。

「あなたを父などと呼ぶつもりは毛頭ありません」

娘のその一言に苦笑いしながらも男は思う。
まったく立派に育ちやがって。あの狼みたいな女にそっくりだ。
これが罰?神様甘いぜ、最高じゃねえか。こんな楽しいやつぁ他にいねえ。
いいともよ、俺の背中お前に空けといてやらあ、いつでも刺すがいいさ。

「もう一度言います。誰が呼んでやるものか、糞虫」

さすが俺の娘、なかなかのもんだ、と男は笑った。




狼の娘・滅日の銃


第二話 - マスミ・ツンデレ・ステレオタイプ -



なのに、ああ、それなのに。

「わ、わわわ、わたしっ!あなたの事、お、おおお父さんと呼んであげてもっ、いいわっ!」

一週間目でこれは、いったいどういう事なのかしら奥さま。

「お父さん!ほら早く洗濯物出して!私のと一緒に洗うから!ち、違うわよ!節約よ節約!」

二週間目でこれは、まったくこまったものですわねマダム。

「──なによ?」

やられた。まんまと騙された、なにこのツンデレステレオタイプ。

「真澄ちゃん」
「ちゃんは余計」
「真澄」
「なに?」
「ナニをしてるのかね君は」
「添い寝」

ほうほう、そう来ましたか。そうですか、そう来ましたか。なるほど。
藤原は我が子のツンデレ三段活用に感心したかのように寝ながら腕を組み、深くうなずく。
背中から真澄の声がする。自分の胸に真澄の腕が巻きついている。ほうほう、なるほど。

では検証してみよう。

あの恐ろしい大家との接見を済ませ、家に引き返した後、真澄は細かい荷解きの続きを、
そして藤原は縁側でこっそり、上司である室戸局長に連絡。

──やーい、シンヤ、おめえ、だまされてやんのー。

即座に通話を切り携帯をへし折ろうとした所を娘に止められる。
なんかもうどうでも良くなって来たお父さん、勢いよく風呂を掃除する、台所を磨く、玄関から軒先まで徹底的に掃く、
前庭とちっちゃな裏庭の雑草を引っこ抜くゴミカレンダーを確認するゴミを分別する廊下を雑巾でビッカビカに磨クソッ何やってんだ俺はァ!

──ごはんできたよー。

娘の声で我に返り一緒に少し遅めの夕食を取る、おいしい。お父さん涙こぼれそう。
んで娘の後にゆっくりと風呂につかり局長の顔を思い出しムカムカしたので浴室の壁を殴るも娘に怒られる。
本格的にどうでも良くなって来たお父さん、湯上りに缶ビール開け娘のジュースと乾杯。
だらだらとテレビ見る。そろそろ寝よう。布団敷く。寝る──はいストップここだ。
何故気付かなかった布団並べて敷いてある。ここだよココ!今日の最大の問題点はいココ!

「真澄、そこに座りなさい」

即座に起き上がり布団の上で正座しながら、んんッ!と咳払いをする藤原。

「はい、座りましたお父さん」
「膝の上から降りなさい」

ぶーぶー言いながら彼の膝から降り、渋々といった表情で父に習い正座する真澄。

「男女十四にして同衾せず、という言葉を君は知っているかね、娘」
「はいお父様、私は十二ですが何か」

外堀から攻めようとするも外堀自体無かった事に気付くお父さん。

「お父さん、それホントは七歳──なんでもない」

娘の言葉で実は外堀は存在したが自分で埋めてしまった事に気付くお父さん。

「よし、いまのナシ!ノーカン!」

再びンンッ!と某御大漫画のような語尾で軽く咳払いの後、次は正攻法でいこうと決心。

「さて問題です。ここに布団が並べて敷いてありますね真澄。何故でしょう」
「寝るためです」
「うんそうだね真澄、偉いぞ。そうだ寝るためだ」
「うん問題ないねお父さん、それじゃ寝ましょう」
「うんそうだね寝ようか、って違うんだ起きるんだ抱きつくな座りなさい」
「もう!なんなのよお父さん、おかしいよ!」
「そうだお父さんはおかしい。けどここに布団敷いてある事がもっとおかしい」

え?なんでぇー、と少々わざとらしく首を曲げイノセンスな表情を送る真澄。

「おまえ部屋あるだろう」
「うん、あるよー」
「よぉし一歩進んだぞぉ。いいぞぉ次のステージへ進もう、では年頃の娘がだ」
「お父さん」
「なんだい?」
「何で自分の部屋で寝なきゃならないの?真澄わかんない」

よぉしッ!腹を割って話そう!と膝を叩き、藤原グッドダディモード終了。

「つまり来年中学上がろうって娘ッ子がお父さん添い寝とかねえってんだ!」
「わけわかんないわよ!甘えたい年頃なのよ甘えさせなさい!」
「言うか?フツーてめえで言うか?なあ言うかそれ!」

もはや伝統芸とも言えるツンからデレ変化に藤原少々押され気味。
真澄はといえば布団へ仰向けに寝転がり、中腰浮かせた藤原へ、ばん!ばんばん!と隣の開いた布団を叩き、
いいから早く寝れこの野郎!と無言で催促を送る始末。

「だいたいおめは一ヶ月前俺になんつった!父とは呼ばねえだクソ虫だ啖呵切りやがって」
「いつ言ったぁー?何時何分何秒前ぇー?地球が何回まわるときぃー?」
「きぃぃーくやしいッ!この子ったらきぃぃぃぃー!」
「っていうかねお父さん」
「おう」
「成長期の娘にそんな事いったって通じない」
「性徴期の娘だからこそ言わなくちゃなんね」
「さてはお父様、娘のないすばでぃに欲情されてますね」
「あ、俺な、胸とかケツとか二次元の奴ぁ興味ねえから」

さて皆様、カポエイラという武術をご存知であろうか。
南米とかどっかの奴隷が領主とかに隠れて武技を磨くため踊りの中に蹴り技とか取り入れて密かに牙を研いでぐるんぐるんというアレである。
もうちっと易しく言えばブレイクダンスとかで頭のてっぺん軸にしてぐるんぐるん回る奴。
大サービスで言えばストなんちゃらで腕にトゲトゲつけたチャイナ娘がぐるんぐるん回って蹴ったりする奴の浮いてないバージョン。
さて、何故いきなり突如三人称から二人称に変えてまで説明に行を費やしたかと言いますと。

「ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!」
「痛ッ!やめっ!痛いッ!いたいたいたーい!」

真澄、ちょうどいまそんな感じ。

「ちょ!なにこの子!なんでこんな技もってんの!」
「小学校のッ!保健体育でッ!習うの!よッ!」
「嘘だッ!」
「お前ら、五月蝿い」

突如第三者の抑揚の無いその声でぴたりと静止する二人。
声のした方へそろりと振り向けば裏庭に続く窓を半分開け、浴衣姿の黒髪童女が暗闇にぼう、と浮かんでいた。

「夜は静かに。次やったら、引き千切りますゆえに」

直後スパン!と勢い良く閉じられた窓。
えっとカギ閉めたよね?うん閉めた、と一瞬何が起こったのか解らず、というか何も無かった事にする藤原親子。

「とりあえず、寝て」
「お、おう」

あれ?どさくさに紛れて言いくるめられてね?と思いつつ真澄の横に寝そべろうとするも。

「その前に電気」
「お、おおう」

えっと豆球も?うん消して──そんなやり取りを経て、結局は元に戻ってしまった二人。

「今日、だけだからな」

再び背中に貼りついた娘へ、観念したかのように藤原はつぶやく、しかし。

「駄目、許さない」
「おめえ」
「聞いて」

ぎゅ、と背中から胸を抱く小さな手が締まる。

「私はまだ、許していない」

そっか。藤原は小さく頷く。

「あなたは私を捨てた。許す訳ないでしょう?」

だよな。藤原は安堵する。

「あなたをお父さんと呼ぶのは私の妥協。あなたへの復讐のために」

なるほど。藤原は観念する。

「お父さんを殺してやる。甘い甘い砂糖の山に埋めて殺してやる」

彼の胸を締め付ける小さな腕に力が篭る。

「だから私は甘える。甘えて甘えて甘え尽くしてやる。逃がすものか」

彼の背にじわりと滲んでいく、涙。

「お父さんには一生掛けて償いをさせてやる。虫歯だらけになったって構わない。砂糖が固まって眼が開かなくなっても構わない。
 耳に詰まって何も聞こえなくなっても構うもんか。鼻にも口にも嫌というほど砂糖を詰め込んでこの甘さで殺し尽くしてやる」

オゥケイ、殺してくれ。
ぽんぽん、と自分の胸を締め付ける小さな掌を軽く叩く。一瞬抜ける真澄の力。
そして藤原は振り返る。振り返り娘の頭を胸に抱く。小さな嗚咽が聞こえる。聞かない振りをする。顔を埋めしがみつく真澄。胸元に染みていく涙。
そして藤原は思う。オウケィ、殺してくれ。俺の残る一生を台無しにさせてくれ。思う存分殺してくれ。
だらしなく涎垂らし腑抜けた末期なんざ最高の逝き様だ。そして娘の頭を今一度抱きしめる。甘い匂いがした。

「なんだ、いい匂いじゃねえか」

何が獣だ、あの化物。昼間確かに聞こえた繭子の言葉を笑い飛ばす藤原。
こんな甘い匂いさせた愛しい愛しい俺の砂糖菓子を言うに事欠いて獣だぁ?俺と同じ匂いするだぁ?
馬鹿じゃねえの?あのバケモン、ずいぶんヤキが回ったもんだぜ、と一人苦笑する。

「ずっと、甘えてやるん、だから」

嗚咽と共に途切れ途切れに言葉を放ち、やがて真澄の目蓋が落ちる。
眠りに落ちる数瞬、彼女は自分に言い聞かせる。大丈夫だ。私はまだ大丈夫だ。
この男は自分を捨てたのだ。敵だ憎き仇だ。思い込めそう思い込め。その支えがあれば私はまだ、大丈夫。
彼女は、そう思うことにした。そう思うことで均衡を取ろうとした。
自分が、溢れてしまわぬように。



朝が来た。新しい朝だ。希望の朝らしい。
喜びのあまり腕ぶん回して大空目掛け飛んでいけ、そんな歌がラジオから流れている。

「──おはよ」
「──おう」

洗面所で短い挨拶を交わした後、無言で二人歯ブラシを手にシャコシャコと歯磨き開始。
無言。ひたすら無言。ひたすらシャコシャコ。お互い顔を合わせようともしない。
理由は簡単。洗面所の鏡台に並ぶ親子の顔はなんというかまあ、目がぷっくりと腫れていた。

「がらがらがらがら──」
「がらがらがら──ぺっ」

綺麗なユニゾンで口をゆすぎ、流しっぱなしの蛇口で交互に顔を洗いタオルで顔を拭く姿は、
さながら二個の水飲み鳥が交互にコップにくちばしをつける仕草に酷似していた。

「では、改めて」
「おう」
「おはようございます」
「おはやうごぜえやす」

昨日の夕飯は娘が用意してくれたので今朝はお父さん頑張っちゃった、とばかりに食卓に並ぶ品の数々。
定番のメニューではあるが食欲をそそる匂いが朝の食卓に漂う。

「いただけます」
「いただきます」

味噌汁をずずう、ご飯もぐもぐ、そしてメインディッシュの玉子焼きに手をつける。
しかし口に含んだ途端、真澄の顔色が変わる。

「甘い──あまい!」

んんー、と眼を閉じぷるぷると肩を震わす娘。
ありゃ、しくじったか、とお父さん軽く狼狽。

「あ、えっと甘いの駄目か」
「あまい!うまい!おいしい!」

叫んだ後、ほわぁん、とだらしなく口元を緩めるも、
にやにやと自分を見ている父の視線に気付き、急いで顔を元に戻し、すくっと立ち上がり娘がひとこと。

「シェフを呼べ!」
「はっ。お嬢さま、おそばに」
「あなたを今日から藤原家の玉子焼き大臣に任命します」
「光栄の極み」

そんなやりとりの後、寝起きのぎこちなさはどこへやら、すっかり通常運転に戻った二人。

「って言うかフツー親同伴で挨拶行くだろ!」

ネクタイ締め終えた藤原が叫ぶも。

「いいの!転入届の書類揃ってるから私一人で出来るもん!」

いってきます!と駆けて行く娘。路地の向こうへ消えるまで小さな後姿を見送る父。

「ま、しゃーねえか」

ふぅと溜息付いた後、藤原も予定を変更し、最寄の停留所へ向け歩き出す。
朝は本数が多いのか電車は直ぐにやってきた。
終点の市役所前駅へ進む二両編成の小さな箱は役所職員やら学生やらで中々の混みっぷり。
つり革に掴まり、やがて動き出す町の景色を眺めながら藤原は思う。
本当に静かな町だ。朝だというのに、眠るような静けさだと。
未だ目覚めず、二度寝を果てなく続ける町、かなめ市。唯一無比の化物に護られて。
ばけものを取り込んだのか、ばけものに取り込まれたのか、それは解らぬが。



あいにくと市長は不在の為、ひとまず助役に挨拶を済ませる。
その後、案内された一室は日当たりの良い角部屋だった。
長い間使われていなかったにも関わらず客人の為にと綺麗に整えられた室内。
小さなソファーと応接セットの隣、ロッカーを空け上着を掛け、窓際のデスク備え付けの少々大振りな椅子に腰掛ける。
机上には事前に設置されたであろう端末のモニター。電源を入れると瞬時に立ち上がる認証画面。パスワードを入力。
モニター内臓カメラに右目を寄せる。網膜認証完了。専用ブラウザが立ち上がる。内務省統合情報管理局の文字。

「要事案部、駐在調整官、藤原信也、着任報告──局長へ」

端末付属マイクに告げるとブラウザに窓が開き、制服姿のオペレーターが現れる。
お待ちくださいと返答。画面暗転。しばし待つ間に藤原はどのような悪口雑言を吐こうかと思案する。
やがて画面に現れた局長付秘書官の顔。冷静沈着クール気取りの女。しかし様子がおかしい。

「藤原さん。申し訳ございまクッ、失礼。申し訳ブッ!室戸局長は現在会議ブフッ!」
「てめナニ笑ってんだよオイ!いろんだろ?そこにいるんだろオイ!」

モニターを掴み怒鳴りつけながらも、そんな彼女ちょっと可愛いと思ってしまう藤原。

「失礼しました藤原さん。言伝がございましたら承ります」

なんとか平静を取り戻し、口元を引くつかせながら藤原に告げる秘書官。

「了解。てめえん家のドアノブにうんこつけてやる、とお伝え下さい」
「承りました。他にはございますか?」
「ではもうひとつ──おっちゃん何で夜も昼もグラサンかけてるん?馬鹿なん?カッコいい思とるん?そういう世代なん?
 おっちゃんそれ似合わへん。信楽焼のタヌキにグラサン掛けてみ?おかしいやろ?おっちゃんな、そんな感じやん。ばーか──とお伝えください」
「クッ──だそうです、局長」
「いるんじゃねえか!」

着任報告終了。
一息つけるため一旦端末を落とし一階下のベンディング自販機でコーヒーを淹れ部屋に戻る。
一口啜る。旨い。結構美味い。これで百円安くね?再び端末を入れ各種情報を仕入れる。
メール新着の表示。LFSD田中真美の文字。見たくないが開ける。以下内容。

 『はきゅーん!マミたんだにょ(絵文字省略)どうすかぁー師匠、そっち慣れましたかぁ?
  やーいやーい島流しバーカバーカ(絵文字省略)キャハ!(絵文字省略)いっけなあいマミたんたら馬鹿にバカだなんてオイ、オイ(絵文字省略)
  というわけで来月そっち顔出します、そういう約束ですから守って下さい、稽古つけてください、もう泣きません。
  つうか今度はアタシがあんた泣かせてやんよ、首洗って待ってろやコラァ(絵文字省略)
  というわけでアナタのラブリーエンジェル(絵文字省略)マミたんだったのダー(絵文字省略)バイビー(絵文字省略)』

ころす。
以上三文字を入力の後、返信する。コーヒーを啜る。旨い。
携帯が鳴る。表示見ればベソ美の文字。無視する。携帯止む。コーヒー啜る。旨い。
コーヒー呑み干す。もう一杯買って来よう。端末切る一階降りる百円入れるコーヒー手に戻る端末入れるコーヒー啜る、旨い。
再びメール新着の表示。送信者LFSD田中真美。題名〈すいませんさっきのあれはおとうとがかってに〉削除する。あいつは姉しかいない。
コーヒー啜る。旨い。以下軽くエンドレス。
以上、要市駐在調整官、藤原信也の着任初日午前中の模様をダイジェストでお送りしました。



実際のところ藤原の仕事はそう多忙では無い。というより暇である。
もうむっちゃヒマ。ヒマキングってくらいヒマ。ある特別な権限を持つ事を除けば随分と御気楽なものである。

「はい申請、申請っと。おお、通ってやんの。何考えてんだあのタヌキ」

まあ暇と言っても初日である。最低限揃っているとは言えまだまだ足りない備品もいくつか。
しかも昨日、町のヌシにうっかり出会ってしまったものだから、それも考慮して携帯型備品の発注にも余念の無い藤原。
携帯型とはつまり、彼の〈得物〉である。

「ありゃゴー・ナナの新型も、あれれフクロナガサ新調?うお、タマ数上乗せされてね?」

気持ち悪いほどの大盤振る舞いに餞別かな?とも思ったが、あれこれって少しやばくね?とも感じ始めた藤原。
そういやあのバケモン、昨日言ってやがったなと繭子の言葉を思い出す。

──つなぎを置くつもりなら強きものを、楔打つつもりならより強きものを。

これってひょっとしたら随分やばくね?と少々不安になってきた藤原。

「いやおっさん、俺ぁ権限行使するつもりなんざねえから」

などと端末のマイクに向かって独り言を言うも当然何も返らず。
しかしぽんぽんと申請だけが通って行く。かなりスムーズに。いとも簡単に。こわいくらいに。

「気楽にやらせてくれよぉ、頼むよぉ──メシいこ」

気が付けば申請以上にこれでもかと追加され返信された発注リストを、渋々ではあるが認証した後、
端末を落とし、少し遅めの昼食を取ろうと部屋を後にする藤原。

「弁当つくりゃ良かったかなあ」

食堂の前で本日の日替わり終了、と書かれた掛札を見てがっくりと肩を落す藤原。
聞くところによればココの日替わり定食は安い割にボリューム満点で美味いとの事で、職員のみならず外来からも人気らしい。
次こそは、と決意を新たにし近場の食堂を探そうと市庁舎を出る。

「おっちゃん精出るね、ありがと」
「いやいや、仕事だからねえ」

庁舎の前庭で、麦わら帽子でタオル首に巻き草刈りに励む用務員っぽい老人に声を掛け、
ついでに近場でお勧めの美味い店を聞こうと藤原は立ち止まる。

「あ、おっちゃん、この辺で美味いトコどっか知らない?」
「そうだねえ、うーん。何ならご一緒しますか、藤原さん」
「あれ?おっちゃん俺の事、知ってんの?」
「ああ、さっき助役さんから聞いてね」

そのまま立ち上がり麦わら帽子を取り、軽く会釈する痩躯の好々爺。
その顔を見て、あれ?このおっちゃんどっかで見てね?と首を傾げる藤原。すると背後から助役の声。

「市長ぉー、あんたまた草刈りなんかしてー、早く公務戻ってくださいよォー」
「助役さんごめんねぇ、ちょいとこの藤原さんと閑休庵行ってくっから、頼むわぁ」

うん、そうか。わかった藤原わかりました。この町あれだ、なんでもアリだ。

「あ、どもども。朝はすいませんでしたね。市長の粟川です」

はは、ははは、と藤原の乾いた笑いが午後の陽光に溶けて行く。



閑休庵。
どんな店かと思ったら市役所前駅の立ち食い蕎麦屋でした。

「これ、ウマイですね」
「でしょう」

昨日といい今日といい色々あり過ぎてかなり開き直って来た藤原、駅そばカウンターで舌鼓を打つの巻。
とは言いつつ美味いもんは旨い。客の表情を満足げに眺めた後、カウンターの中で椅子に座り新聞を広げる店主。
その横を見れば布に覆われた木箱の中、残り少ない蕎麦玉が粉を打ち置かれている。
その脇で空になり立てかけられた木箱が三つ。そりゃそうだ、と藤原は得心する。
主流のフリーズドライでも袋麺でもなくきっと手打ち。どうりでコシあるわけだ。出汁もいいじゃない。あらら天麩羅ここで揚げてんのか。
そりゃ昼は混雑するわ。木箱三つも空になるわけだ、と夢中で味わいながらも掻き込む。それが立ち食いの作法だとばかりに。

「ごっつぉさん、いくら?」
「はい天そば三百五十円ね」
「安ッ!」

プラス百円でも安いくらいだ、と小銭入れを取り出す藤原。

「あ、いやいや藤原さん、ここはわたしが」
「いえいえ、そんな訳には」
「いえいえ、いえいえいえ」
「いえいえいえいえいえい」

お決まりのやりとりの後、少々大げさな謝辞を述べた後、つり銭を受け取る藤原。

「なるほど、馴れ合いはお嫌ですか」

一言つぶやき、ツユを呑む市長。その口元は椀に隠れ見えない。

「いえ、そういうつもりではございませんよ市長」

お互い税金で食わせてもらってる身分ですからね、と藤原は笑う。
律儀なお方ですねえ、と椀を置き粟川も笑う。
お互い支払いを済ませた後、ここじゃなんですから、と待合所のベンチに腰掛ける二人。
築百年と言われる駅舎は、それでも当時かなりハイカラだったのだろう。
待合所のある角部屋に角は無く、ぐるりと楕円のカーブを描き、それに併せて木造りのベンチも壁のカーブに沿うように作られている。
高い天井に天窓、ドームを思わせる造りは中々どうして凝ったものだ。
この駅舎ひとつ見ても市政開始百年前、この町を作った者たちの意気込みが伝わって来る。

「良い部屋をご手配いただき、有難う御座いました」
「狭かったですかねえ」
「いえいえ、一人ですから広いくらいで」

実際いい部屋だった。
丁度良い広さ、日当たり良好、しかし窓は中庭に面している為、外の雑踏は届かずいたって静か。
本来やっかいものであろう自分にここまでの配慮は、ともすれば上手く取り込もうとしている風にも見えた。
この町の気質か、はたまた市長の差し金か。
粟川礼次郎、六十歳、現かなめ市長、三期目。
元考古学者にして民俗学者から異例の転進。しかし辣腕家であるとも権謀術式に長けた人物であるとも聞かない。
痩躯の好々爺。若い頃はさぞかし色男だったのだろう、と藤原は想う。

「なんか本局のごり押しでこうなりまして、ご迷惑お掛けします」
「いえいえ。お上の頼みとあらば、喜んで御引き受けいたします」

お上──その言葉を出した粟川からは嫌味も揶揄を感じることが出来ない。
藤原にはそれが不気味だった。そして想う。彼の言うお上とは、果たしてどちらを指すのだろうかと。

「あ、いやいや。行政的な意味で、という事ですよ藤原さん」

藤原の想いを察したのか、その通りの意味でですよ、と付け加える粟川。

「むしろ安心しておるんですわ。今までのようにほっとかれるのも少々居心地が悪いもので」
「あ、なるほど。そういう事ですか」

確かに、と藤原は想う。
かなめ市は行政区分上、当然県の管轄下にあり国の一部だ。
どこの地方自治体も同じであるようにそれは一切変わらない。しかしそれは、あくまでも、かなめ市としての話である。
魔道──ライン源流地カナメ。この件について国は一切不可侵なのだ。
つまりかなめ市は国に属するがカナメは属さない。故に手出しはせず、変わりに何が起ころうと原則として関知しない。
これが国とカナメ間に締結された合意である。

「まあ、市長というわたしの立場はアナタと同じようなものです」
「ですね。市長がカナメ側、私が国側、という点を除けば」

藤原が現在属する要事案部とは内務省統合情報管理局のカナメ監視ユニットである。
このたび新設された駐在調整官とは、かなめ市とカナメの中間に立ち折衝、調整、そして監視を行う大使に似た立場に当たる。
似てはいるが異なる立場。これは調整官の持つある権限に起因する。

「わたし腹芸は苦手なもので。率直にお聞きしますね」

どうぞ、と動ぜず藤原は市長を促す。

「特務権限──行使なさるおつもりはございますか?」

唯一、調整官だけが有する特務権限、それは干渉権を意味する。

「率直にお答えします。それが使われない事を願っております」

ぶっちゃけますと私、ここに住みに来たもんで、と藤原は笑う。

「なるほど、だから娘さんを連れてこられたと」
「私の事も既にお調べになっておられるんですね」
「あなたがわたしの事を調べられている程度には」
「市長、いえ粟川さん。それについては思い違いされぬよう申し上げますが」

シャツのボタンを一つ開け、ネクタイを緩めながら藤原は囁く。

「──あいつに手ェ出したら誰であろうとブチ殺す」

顔を直し再びネクタイを締め、穏やかに笑う藤原。

「まあ、その為に権限行使するつもりは毛頭ございません」
「なるほど。娘さんを守る為にこの町へ来られたのですね」

藤原の真意を悟り微笑む粟川。
その意味ではこの町ほどうってつけの場所は他に無いだろう。

「そんな仰々しいものではありませんよ。静かに暮らせればいいな、と」

なるほど、と粟川はうなずく。
藤原信也。省内では荒事専門で通して来た男。彼のシンパは部内外でも多い。
それはつまり敵も多いという事。それも直接的な意味で。娘ともなれば彼の致命傷になりかねない。
だから彼は決断した。娘を守り共に暮らす為この町を選択した。誰もが恐れ遠回しに傍観せざるを得ないこの町に。
化物の懐に敢えて飛び込んだのだ。そして彼はその意味を良く理解している。
調整官とは言わば守り刀。化物の懐に飛び込み、されど喰われないよう一歩引き、恭順ではなく対峙の意志を示しつつも均衡を保つ。
なるほど、鉄火場を好む彼らしい。この男は、娘を守る為に己の命をベットしたのだ。
つまりは、そういうことなのだろうと粟川は理解する。

「ま、好き勝手おやりなさい、藤原さん」

それが常世の君の望みでもありますから──続くその言葉を粟川は敢えて言わない。

「はい、ご迷惑お掛けしない程度にダラダラさせて頂きます」

それがいいでしょう、と市長は微笑みの影で想う。
ですがね、藤原さん。あなた常世さんに気に入られてしまいましたよ。もちろんあなたの娘さんもね。
ご愁傷さまです。かつてわたしがそうだったように、あなたもそうなるでしょう。
良かったですね藤原さん、あなた達の平穏は約束されました。望む望まざるに関わらずその願いは叶うでしょう。
残念ながらあなた見誤りました。わたしと同じ間違いを犯してしまいましたね。
それはあの方を絶大な力を振るうただの化物だと思ってしまった事です。
より強きものであったばかりにそう思ってしまったのですね。
残念でしたね藤原さん。その程度で済むなら──いやこれで止めときましょう。もう視ておられますからね。

「さて、そろそろ戻りましょうか藤原さん」
「そうですね。あ、そういえば市長、あのコーヒー」
「二階のアレですね。旨いでしょう?」
「ええ、そりゃもう」

粟川礼次郎は微笑む。しかし心の内でこう告げる。
お教え出来ないのが残念です。何故ならわたし、そこまでお人良しでは御座いません。



しまった、やりすぎた、と真澄は思う。

「残りはタッパーに──無理。何個必要か考えるのも面倒」

そもそも朝の感動的とも言えたあの玉子焼に対抗しようと思ったのが間違いだったのだ。
などと眼前の寸胴鍋一杯に煮込まれた肉じゃがを見ながら真澄は腕を組む。

「いったい何がいけなかったんだろう」

以下真澄回想。
転校初日、緊張はしたが拍子抜けするほど簡単にクラスへ溶け込めた。その中で仲良くなった数人と同じ悩みを分かち合う。
今日夕飯当番なの何しようかな──などと放課後、議論に白熱する最中に別の子から、今日フード・シミズの特売だよ、との情報を得て議論を中断。
くだんのスーパーに乗り込む小学生女子買出し軍団。
うわ玉ねぎ安いうわジャガイモ安すぎホラ見て牛肉百グラム五十円これ外国産?違う国産みたい外国産はもっと安いうわうわどうしよう私ったら──
──結局全て買いました。少し調子乗りました。冷蔵庫頑張れ。
さて、何にしよう。カレー?否。甘いカレーなど言語道断。ならばアレだ。アレしかない。
最初は普通の雪平鍋だった。さっと一品のつもりだった。甘さが足りないと思った。
砂糖どばどば。甘すぎた。具材追加。溢れる雪平鍋。両手鍋に移住完了。煮込む。
しょっぱいかな。砂糖どばどば。かなり甘すぎた。具材大量投入。溢れる両手鍋。最終兵器寸胴鍋出撃。
ぐつぐつ。よしイイ感じ。でももう少し甘──

「うん。私ったら、おばかさぁん!」

てへへ、とポーズ決めても家には一人。
虚しくなったのであのキュートな大家さんに少々過酷なノルマを課そうと思いつく。
家で一番大きなタッパーにそれをこんもり放り込み。

「これは何ですか、真澄」

ですよねー、と娘は苦笑する。

「これは何ですかと聞いております真澄」

だよねー、と繭子がいま両腕に抱える幅五十センチ程の巨大タッパーを見て、
流石にやりすぎたか、と今更ながら激しく後悔する真澄。

「えっとあの、肉じゃが、鍋一杯に作りすぎちゃって」
「なるほど、ならば鍋を持ってくるのです真澄」
「はい?」
「足りぬ、と申しておるのですよ真澄」
「はーいー?」

なるほどなるほど真澄わかっちゃった。このマユコさん、胃下垂なんだ。

「でなければお前を食べねばならぬ」

なるほどなるほど真澄わかっちゃった。このひとすこしおかしい。

「でもカワイイからジャスティス!」
「これ真澄やめなさい頬すりつけるの止めなさい暑いです真澄」

信頼のマキタ製グラインダーと同程度の真澄ちゃんほっぺグラインド攻撃を受けてもタッパーを手にする繭子は揺ぎ無い。
どうやらよほど気に入ったと見える。はたと気付き、少し名残り惜しそうにそのぷにぷにの頬より顔を離し娘が言うには。

「あ、それならさ、マユコさん」

真澄、提案する。

「そうですか。ならば良しです真澄」

繭子、受諾する。

「それじゃ、行こっか!」

藤原、あやうし。



「お前、何やってんだ」
「げえむですよ、藤原」
「あ、お父さんお帰り。見てみて繭子さんすっごく上手いの!」
「訂正。お前ら何やってんだ」

見れば一目瞭然なのだが敢えて藤原は聞いてみた。
真澄と繭子は現在、テレビに向かい白熱のカートレースに興じている。
お互いのカートが曲がる度、つられてその身を曲げる二人。カートが右カーブで二人右にきゅーん、左カーブできゅーん、
と背丈の変わらぬ二人がぺたりと尻を床につきながら上半身だけきゅんきゅん右往左往する姿に藤原の胸もキュン。
なにこれこいつらかわいい。
しばし我を忘れるも、ちゃぶ台中央に堂々と置かれた寸胴鍋を見て、藤原別の意味で我を忘れる。
なんだこれは儀式か?何かの儀式か?おい俺これと似たヤツ前に見たぞあれは確か。

「あ、そうそうお父さん今日のおかず肉ジャガ作ったんだ!」

そうか良かったよ真澄、お父さん別の想像する前に肉ジャガって固定してくれて助かった。
そうだともこれは肉ジャガだ。以前某カルト組織のアジト強襲した時に押収したドラム缶の中身とかお父さん思い出す所だったよ。
そうかこれは肉ジャガだもんな肉ジャガと思い込め!

「お、おいしそうじゃねえか、やるな真澄」
「はい、とても美味でしたよ藤原」

ぶおん、と藤原が振り返る。
気になっていた居間のとなり台所のシンクに置かれた巨大タッパー、それが空になっている事実に気付きしばし茫然。
なるほどおすそ分け?だよね?と納得。

「そっかー、真澄ごちそうしてあげたのかー、えらいぞー」
「えへへー」
「さあ、それでは皆でいただきましょう。真澄、わたしの椀を」
「はい、マユコさん。ほらお父さんも座って座って」
「待てコラ」

あんだけ食ってまだ──違う違うそれはいい、むしろコレを減らしてくれた事に感謝すべきだろう。しかし問題はその次だ。
オメエいまなんつったコラ皆でいただくだコラわたしの椀だコラ何こらタココラおめえ何様だコラ、と額に青筋を浮かべる藤原。
しかしお父さんまだ頑張る。

「よし、いいでしょう常世さん。一応聞きますがあなた大家ですよね?大家と言えば」
「大家と言えば親も同然と言います藤原。いいから早く食わせなさい」

よしッ!お父さん限界!藤原切れます。

「ひとン家上がりこんでメシ喰らう大家がどこにいるんだよ!」
「ここに居りまする」
「ここにいるじゃない」
「うんそうだね。食べようか」

何か大切なものすらどうでも良くなって来たお父さん。
娘から渡された炊き立ての銀シャリがこんもり盛られた自分のお茶碗を手に、お父さん少し涙ぐむ。
目の前に可愛らしい愛娘が小振りの御茶碗を前に手を合わせ、いーたーだーきーますっ!する姿を見て少し泣く。
ああ家族っていいなあ。その隣でドンブリにどっかり盛られた御飯の山を今にも掻き込もうとする童女の姿が待て。
待て、少し待て流されるなココで流されたら終わりだハイここが今日の分水嶺!
タン!とちゃぶ台の上に箸を置きパンッ!と膝を叩く藤原がひと言。

「よしッ!おめえら、腹割って話そ」
「そのままの意味で割りますよ藤原」
「あしたモツ煮がいい?お父さん?」

二日目でこれか。よしッ!お父さん覚悟完了しちゃうゾ。
甘いはずの肉ジャガが、少ししょっぱく感じる吉宗、いや藤原であった。



「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
「完食ッ !? 」

二日目、これにて終了。






■狼の娘・滅日の銃
■第二話/マスミ・ツンデレ・ステレオタイプ■了

■次回■第三話「馬鹿が舞い降りた」



[21792] 第三話/馬鹿が舞い降りた
Name: なじらね◆6317f7b0 ID:d0758d98
Date: 2010/09/11 22:10
その機影は名の通り、翼を広げた猛禽の鳥にも見えた。

「定期便ミサゴ一号、これより某所上空、通信終わり」

某所──対象エリアに入った事を告げ通信を切る機長。
そして翼の両脇で回る巨大なプロペラが緩やかに可動し機首を下げる。
やがて薄い雲を抜けたティルトローター機はその眼下に町を見る。四方を山に囲まれた、否、山間地に突如現れた平地、かなめ市。
相変わらず視ているな、と機長は思う。視線を感じるのだ。誰のではない。町だ。これは町の視線だ。町が視ている。
さながら一個の巨大な眼球の如くに小さき我らを凝視する。

「──失礼致します、荷を降ろし次第、直ちに帰ります」
「──何卒、何卒宜しくお願い申し上げます」

機長に合わせ、隣の副長も計器類より目を離し、町の全貌を視界に映し言葉を続ける。
一拍置き不意に消える視線。ふぅと二人が溜息をつく。この通過儀礼だけはやはり慣れない。

「おい姉ちゃん、そろそろ起きろ」
「うあ?」

副長が振り返り本日の荷物、二つの内の片方、ナマモノの方に声を掛ける。
あー着いたッスか、と口元の涎をぬぐい、自分の背丈を超える大きなコンテナを背負い準備を始める女──おんな?
いや、確かに発育は良さそうだがどうみても女子高生くらいの娘だ。
なんでこんな小娘を本局は便乗させたのか、と副長は今更ながら首を傾げる。

「──っておい!姉ちゃんお前それ背負っていくのかよ!」
「へ?そっちのほうがいいじゃないスか。だって後から取り行くの面倒ッスもん」

お前バカだろ!と叫ぶも、横の機長が、あれはアレでいいんだよと笑う。

「まああの子アレだ、特別でな。なんたって藤原さんの秘蔵っ子だから」
「嘘ッ!こんな小娘が鬼包丁のアレですか!いやそんなまさか」
「あースンマセン、どちらでもいいんで、この書類ハンコ押して出しといてクダサイ」

アレな小娘から不意に差し出された一枚の書類を取り、しばし眺める副長。

「えーと、なんだこれ」

その書類は──降下訓練終了証明書、と書かれていた。

「お前バカだろ!物資投下とエアボーン訓練兼用すんなよ!ド素人じゃねえか!」
「そんじゃペイロードベイオープン」
「何やってんすか機長!あの子、あのコ!」
「おおういい風ッスねえーんじゃいってきまーす!」

ランドアホーイ!イヤーッハァ!と嬌声を上げながら、でっかいコンテナ背負った娘がケタケタ笑いながら落ちていく。
その様子をもうどうにでもなれ、と副長が茫然と眺める。
おやパラ開くの早くね?ほら風に流された。あら町中行っちゃったよ。知るかバカ。



狼の娘・滅日の銃
第三話 - 馬鹿が舞い降りた -



「やっぱうめえな、これ」

紙コップから口を離し藤原がつぶやく。
着任初日から二週間を経たが、日々日課のように二階と往復しながら売上に貢献している自分。
しかし旨いもんは旨いんだからしょうがない。

「いい天気だねえ」

窓に目を向ければ相変わらずの青空。洗いざらしのブルー。
静かで誰にも邪魔されず、たいした仕事もなく、日がな一日こうやって安くて旨いコーヒーを啜り、
端末から吐き出される情勢と情報を流し読みする毎日。
昼は食堂の日替わりか弁当か閑休庵の黄金ルーチン。家に帰れば可愛い娘が美味しいご飯作って待っている。
余計なのもたまに居るがもう慣れた。夜は相変わらずの添い寝だが最近お父さんそれちょっと嬉しい。
これひょっとしたら至福って奴かも。

──みんなが枯れ果てた時、また一緒に暮らそう。

けれどお前だけがいない。藤原はあの女の声を思い出す。
本当にいい女だった。あれほどの女はもう居ない。そう、お前だけがいない。お前だけが。

「ばかやろう──先、逝っちまいやがって」

じわり、と視界が滲む。慌てて目頭を拭う藤原。
いけねえ、ここ最近いろいろあり過ぎて涙腺緩くなっちまったみてえだ。年だな。
俺も四十過ぎちまった。老いぼれたもんだ。

「そういや、あいつ」

指についた水滴を見つめながら、藤原はふと真澄の事を思い出す。
あの子は俺と出会った時以来、一度も母親の事を口にしてないな、と。

「まだ無理してんかな、あいつ」

だろうよ、と藤原は思う。しっかりしていると言ってもまだ十二歳。いいさ、時間はたっぷりある。
お互いゆっくりほぐして行こう。いつか本当の事を話せる日が来るだろうか。
それはいつだろう、と男は思う。まあいい、焦る事は無い、全ては時間が解決するさ。

「でもまあ本当に、いい天気だよなぁ」

再び紙コップを口に運びコーヒーを啜る。うん、旨い。
窓の外は相変わらずのブルー。こうやって自分は年老いていくのだろう。
窓の外、青空を眺めながら甘い日々にだらしなく口元を緩め、砂糖菓子の時間に埋もれ、そして枯れ果てていくのだろう。
それでいいじゃねえか。最高だ。それにしても今日はいい天気──

「ぬおおおおわあああああああああああああああああああああああああッー」

何か空から聞き覚えのある叫び声が聞こえたような気がしたが空耳だろう。

「ちょ!早いッ!早いって!なにこれこわいっ!いやぁあああああああああ!」

何かが窓の外ほぼ垂直に落ちていったような気がしたがそんな事はなかったぜ。

「オウフッ!」

何かが中庭の茂みの中に突き刺さったような気がしたが、まあいいや。
こんないい天気の日だ、空から城とか王族の末裔とかロボット兵とかヒトがゴミのように降って来てもおかしくはねえさ。
うん、何も問題なし。

「やっぱうめえな、これ」

そして藤原はコーヒーを飲み干し、ふぅとタメ息をついた後、やがて椅子から身を起こす。
さて、あのバカ殴りに行くか。



「ほんっとうに、もうしわけっ、ございませんっ!」

藤原、市長執務室で漢の土下座の巻。

「ごわ、ごわがったぁ、風がっ、びゅうって、カラダっびゅーんって、ごわがっだぁ」

馬鹿、市長執務室で土下座する藤原の横でベソかきまくるの巻。

「まあまあまあ藤原さん顔上げて。ええと田中さん?でしたっけ、ほら涙拭いて」

市長から渡されたハンカチで涙を拭き鼻をかむ、空から落ちてきた小娘、田中真美。
あのあと。
藤原中庭の茂みに突き刺さる馬鹿発見。藤原引っこ抜く。馬鹿突如泣き始める。職員さんわらわら沸いてくる。
藤原殴ろうにも殴れず愛想笑い。市長登場。藤原すいませんこいつウチの備品です何卒ご勘弁をと懇願。
市長笑いながら職員に後片付け指示。藤原頭下げまくるも市長の額に青筋発見。藤原ますます平身低頭。
コンテナを庶務課の皆様総出で藤原の部屋に搬入。これなんですかすんごい重いですねと職員問う。
ああすいません注文していた冷蔵庫ですわハハハと誤魔化す藤原。
搬入完了。藤原お礼にと庶務課全員に食堂の定食クーポン配布。いやいやまあまあと両者しばし押したり引いたり。
そうですかあそれじゃと職員笑顔で受け取り退室。なるほどアレここの基本通貨みたいなもんだなと藤原得心。
振り返ると馬鹿ヘラヘラ笑ってる。藤原詰め寄ると馬鹿泣き出す。ウソ泣きと判断。一発頭突き。
馬鹿本気で泣く。藤原泣き喚く馬鹿にヘッドロック掛けたまま市長執務室へ詫び入れ。
市長笑顔で迎え入れるも未だ青筋引かず。藤原土下座。馬鹿泣いたまま。いまココ。

「何事も無くてよかったよかった。ね?藤原さん、田中さん」
「暖かい御言葉をいただきこの藤原感激の極み!」
「じじょぉう、ごのおじいぢゃぁぁん、やざじぃいー」
「ご温情返す言葉もございません!こいつ本当に馬鹿で馬鹿でもひとつおまけに馬鹿でウチの備品扱いな馬鹿でございますが、
 馬鹿な子ほど馬鹿と申します、せめて人さまにご迷惑かけぬようタコ殴りしておきますので、何卒!なにとぞ!平にお許しのほどをっ!」
「藤原さん殴るだなんて女の子じゃないですか──せめて顔は止めときましょう」
「ボディ?」
「イエス、ボディボディ」

にやりと笑う中年と老人。
その後、いやあだああおながはやめでえぇもれちゃうんでぃすのおお!と少々誤解されそうな叫び声を発するツナギ姿の真美。
その首根っこを掴み執務室を後にした藤原。そのまま泣き叫ぶ馬鹿を引きずりながら長い廊下を進み角を曲がる。すると。

「あんなんで良かったスかね?」
「おめえにしちゃ上出来だ」

へへへぇ、と得意げな笑顔で調子ずく真美を見て、藤原の額に青筋が浮かぶ。

「おーうベソ美ぃ」
「なんスかぁ師匠」

むかついたので頭突き。



七桁の暗証番号入力の後、プシュッと圧縮空気が抜ける音と共にコンテナが開く。

「うわコレやばくね?」
「うわこんなん背負ってたんだアタシ」

冷蔵庫程度の大きさだった筈のコンテナが開いた途端、
両扉が左右にスライドし中扉が次々とせり上がり三倍程の大きさに展開、その中身を露出する。
ずらりと並ぶ銃火器類と刃物類を目にし軽く頭を抱える藤原──局長、マジじゃねえか。

「なあベソ美ぃ、このゴー・ナナよぉ、カタログ載ってねえよなあ」
「あー、なんかエフエヌさん気合入れて作ってくれた特注らしいッスよ」

ゴー・ナナ──FN社製ファイブセブン・ピストル。

「なあベソ美ぃ、俺フクロナガサ四寸五分と七寸ふたつだけ頼んだよなあ」
「あー、なんかニシさん気合入れて全寸打ち込んでくれたらしいッスよ」

フクロナガサ──別名叉鬼山刀とも熊殺しとも言われるマタギ愛用の山刀。

「なあみんなバカなん?お前含めてみんなバカばっかなん?」
「あ、キューピーめっけ!しかもふたつ!いいなぁ」
「聞けよぉ!」

人の話を聞かないバカが手にするのはFN社製P90。
彼のゴー・ナナ、つまり同じ5.7×28mm弾頭を併用する小銃である。
こんな不人気も押し付けやがって、と藤原がぶつくさ言いながら下段のスライディングドアを引き出す。
はーよっこいしょういち、と身を屈め内訳を確認。

「多くね?」
「よりどりみどりッスね」

ずらりと敷き詰められた弾薬類と予備弾装の数々。

「内訳は?」

コンテナ備え付けのPADを手に藤原にのしかかるように身を屈め真美が告げる。

「メインはズッドンとスケベイスとですね、あ、バッバンもあるッス」

FMJとホローポイントそして炸裂弾頭、これらに加え。

「まさかペトペトは──ああ、やっぱあるわ」

HESH──粘着榴弾のような特殊弾頭も。
正直なところファイブセブンは小口径の利点を活かしボディアーマーすら抜く貫通性が大きな売り、
なのにも関わらずあれもこれも本当に使うかどうかも疑わしい用途不明なブツまで大量に送りつけてきた局長のいやらしさに、藤原はしばし閉口する。
てめえ今更逃げんじゃねえぞという暗黙の恫喝。まあそれはいいとして。
藤原にとって目下の課題は、いま自分の頭にのしかかっているブツだ。

「ところでオメエ何してんだ?」
「いや胸が重くて」

ああんマミたんボインで困っちゃぅ、と胸の脂肪をこれでもかと藤原に押し付ける真美。

「ほほう、いっちょまえにサカってんのか」
「わかりますぅ?」

藤原に向き直り、ジィィとツナギのジッパーを縦一直線に降ろす真美。
だぶだぶのツナギはそのままぱさり、と足元に落ち、露わになる肢体。

「ね?いいでしょ師匠。アタシ溜まってるんです」
「ほほーう」

ほのかに上気し薄く朱に染まる真美の頬。唇からちろり、と赤い舌が這う。
露わになった彼女の裸体──ではなく、上は豊かな胸に貼りつく黒いノースリーブシャツ、下は身体のラインをこれでもかと見せつける黒いスパッツ。
両肘と両膝にはサポーターすら巻かれ、あらこの娘ったらやるきまんまん。準備万端な小娘の姿を見て男もネクタイを緩める。
そんじゃ屋上行くべ。爽やかに藤原は笑った。



ここんとこいい天気続くよなぁ、と藤原は空を見て思う。

「よッ!はっ!とぉう!」

空など見向きもせず、目の前の男に一矢報いようと俊敏に動く真美。

「なあベソ美ぃ、向こうも天気いいんか?」
「なに、余裕、かましてん、スかッ!」

青空の下、小娘が繰り出す手刀と蹴りの連撃を、だるそうに避ける中年男。
蝶のように舞い蜂のように刺そうと藤原の周囲を激しく回り死角から攻めるも、真美の攻撃は全て紙一重で避けられる。
気付けば藤原、自分の立ち位置直径五十センチの円内より一歩も出てはいない。動く真美と回る藤原。
その姿はさながら小娘にダンスを教える老練な教師にも見える。

「いやこう天気いいとさ、どっか行かなきゃもったいねえじゃん」

こんどの休みは真澄連れて町回るかなあ、とお父さん休日プラン練るの巻。

「その前にっ!アンタを極楽にっ!送って!やんよッ!」
「はい隙アリー」

ゾーン内に入り込み過ぎた真美の首筋をつう、と横一文字になぞる藤原の左指先。
ハイいきましたー、お前頚動脈いったよー、の合図。

「んもぅ!」

その場にうずくまり屋上の床をばんばん叩く真美。
これでもう五回目だ。さっきからこのオヤジは自分の首筋はもとより、
その指先は両手首、脇腹、大腿部の付け根、蹴り出した足の腱など急所という急所に触れている。
しかも未だ遊び──くやしい、と真美は唇を噛む。

「ほーらベソ美ぃ、そんなトコで寝てるとぉ」

彼女の頭に触れる男の右手、伸ばした人差し指と中指。そして藤原は笑う。

「ばーん」

しかし指の銃が架空の弾を出す瞬間、真美の身体が掻き消える。ふわりと風。

「おおー」

風の向きを辿り顔を上げれば藤原の前、五メートルほど離れゆるりと立ち上がる真美の姿。
その顔からは既に表情が消え、無機質な瞳に男の姿を映している。

「ウォーミングアップ終了。ここからは本気で行きます」

感情の消えた静かな声で彼女は告げる。

「あらら、まだ本気出してなかったの?」
「師匠、前に言いましたよね」
「ん?何かいったけか」
「感情を殺すな、制し武器にしろ──って」
「ああ言った、言った」
「いま私、どんな気持ちか解ります?」

藤原が溜息をひとつ吐き、笑う。

「楽しくてしょうがねえだろ」

真美が口の端を吊り上げて、笑う。

「その通りッ!」

言葉と共に男の視界から彼女の姿が掻き消える。しかし藤原さして動ずる事もなくその場に佇む。
そして思う。いま真下だな、地を這うようにハイここでジャンプ──その時、風が舞い上がり鼻先をかすめ彼の前髪を揺らす。
ハイいま俺の頭飛び越えた、ハイいま俺のバック、ハイ振り返ったハイ近付き過ぎハイ惜しいハイここです──突き出される男の肘。

「ぶっ!」

藤原の肘が真美の鼻先を直撃。
自身の反動と相まって激しく強打され、彼女は鼻血を撒き散らしながらもんどり打って倒れこむ。

「お前、解り易すぎ」

即座に飛び起きる真美。

「最っ高ッ!」

噴出し滴り落ちていく血を気にも止めず彼女は笑う。
心底楽しそうに愉悦に浸り田中真美が笑う、笑う、笑う。
その瞳に愛しい男を映し笑う。滴り落ちる血が鼻先から唇へ伝わり、彼女の舌がそれを舐める。
おいしい、この男にやられた血、とても美味しい、このままいつまでも味わっていたい、けれど。
少し名残惜しそうに血を手で拭う真美、そして。

「師匠。そのシャツ白くて糊利いてますね、娘さんですか?」
「おう、いいだろ。おかげでクリーニング代浮いて助かるわ」
「知ってます?血って結構落すのやっかいなんですよ」
「──お?」

言うが早いか拭った血を藤原目掛け払い飛ばす。

「てめ何すん──」

その一瞬で真美の姿をロストする藤原。
あーしまった、ちとわかんねえや。さっきより早くなってね?さすが俺様の一番弟子。
素質だけはバッチリなんだよなあ。ハイでも多分ココ。

「ぐふっ!」

何気なく藤原が突き出した右膝が突如現れた真美の腹を突き上げる。

「今のはいい。すげー惜しかった」

膝に押された反動でコの字に折れ曲がる真美。
彼女の背中に、とん、と藤原が左手の手刀、その先端で軽く押す。位置は彼女の心臓、その裏側。

「まだまだぁッ!」

しかし真美、藤原の膝を軸に前のめりにくるりと回り、タンッとブリッジの姿勢で着地、そのまま跳ね起きようとするも。

「まだ?」

藤原の一言で身体が凍りつく。
跳ね上がろうと力を溜めていた筈の筋肉が鉄のように固着し脳からの指令を拒む。
最初は身体、次に意志。自分の吐いた言葉の意味を遂に彼女は理解する。

「そんなもん、ねえんだよ」

見上げる彼女の瞳に映る真っ青な空。逆行で見えぬ男の顔。
しかしその右手、突き出された二本の指、その銃口は冷たく真美の額を捕らえていた。

「ふえ、ふええ」

無表情の面が剥がれじわりと真美の眼に滲む涙。

「まぁだぁまげだぁぁ、こんなオヤジにぃ、まぁだぁまげえだぁぁ」
「ああもう泣くな!うぜえ超ウゼエ!おめえやっぱ真美じゃねえベソ美だ」

 苦笑しながら手を差し出す藤原。彼女は泣きながらその手を掴み、抱きつこうとするも。

「その手は食わねえ」

ぱっと手を離しお父さんのシャツセーフ。
そのまま顔面から倒れこみ、屋上とファーストキスしちゃったベソ美。

「しどい!乙女心もてあそんで!鬼ッス!アンタ鬼ッス!」
「ばかやろう!おめえ今、シャツの腹で鼻血拭こうとしただろ!」
「抱いてよ!アタシを抱きしめてよ!シャツとアタシどっちが!」
「シャツに決まってんだろうが!」
「ですよねー」
「だろー?」

あはははは、わはははは──午後の屋上に響く馬鹿と師匠の笑い声。なんだかんだ言ってこの二人、仲は良いのだ。
それもその筈、彼女こそ局内外で鬼包丁と恐れられる藤原の弟子で、目に入れてもやっぱ痛い程度には可愛い秘蔵っ子なのだ。
何よりもこいつは馬鹿だが素質だけは抜群だ、馬鹿だけど。と藤原は、あれだけ動いた後でも息一つ切れてない真美を見て目を細める。
動け動けと彼は言う。それしか能が無いならそれを武器にしろと彼女に言う。
獣の如き身体能力をもつこの小娘はそのいいつけを頑ななまでに守っている。
順調に仕上がってるじゃねえかと藤原は思う。ただそれを口にしたらこの馬鹿は直ぐ調子に乗るから言わないだけだ。
動け動け、動き俺の予測すら超えてみろ、その時が楽しみでしょうがない。局長が何故この小娘を自分に押し付けたのか、それが今なら良く解る。
たしかにもったいない。あの無機質で機械的な人形のままでは全て台無しだ。ただのキルマシーンで終わらせるにはもったいない。
泣いて笑ってまた泣いて相変わらずの馬鹿のまま溢れる情動を制御出来た時、はじめてお前は俺の跡を継ぐ。
剣銃武技──ガンソードアーツ。
俺の持つ全てを叩き込んでやる。覚悟しとけ馬鹿。



とはいったものの。

「もう一回!もう一回!」

今泣いたカラスが何とやらで、性懲りも無くもう一本とせがむ馬鹿を前に藤原少々持て余す。

「いや、俺まだ昼飯食ってねえし」
「ならアタシを食べればいいじゃない」
「日替わりとっくに終わったよなあ」
「ああぁん、マミったら汗で胸の谷間、べ・と・べ・と」
「弁当ねえし、しゃーねえ二日連続閑休庵かあ」
「ヘナチン」

ヒュッと藤原の鋭い蹴りが飛ぶもその爪先が空を切る。くるりと空を舞う真美の体。
おお、すげえ、助走無しでここまで跳べるたあ流石馬鹿、と藤原師匠いたく関心。

「よーしマミたん、次は最初から本気出しちゃうゾ」

着地の後、再び間合いを開け藤原より七メートル程度離れた真美が笑う。

「あら?このコったら本気じゃなかったのかしら」
「たりめーッス!さっきのは最初ウォーミングアップで途中から本気ッス!」
「あー、だからおめえ、駄目なんだ」
「へ?」
「なんでおめえハナから本気で来ねえんだ?馬鹿にしてんの?俺バカに馬鹿にされたの?」

俺とヤル時ぁ殺る気で殺れって言ってんじゃん。頭を掻きながら藤原がつぶやく。

「し、師匠だって、ほ、本気出して」
「あ?見たいの?本気」

めんどくせえなあぁ、腹減ってんだよこっちはぁ、とやる気なさそうな師匠へ馬鹿が一言。

「そんなコトいってえ、もうトシだからぁ本気なんかとうに出せないじゃ無いスかぁ?」

そうですかそうですか。あらやだこのコったらフラグ立てましてよ奥様。
などと藤原さして動ずる事も無く、しかし左右の指先が微妙に変化する。

「まぁ俺ぁトシだからよ、一回だけな──小便ちびんじゃねえぞ、餓鬼」

来た。
高鳴る胸を抑える真美。今度こそは裏切るなこの体、目を凝らせ、この男の一挙手一投足を刻み込め。
脳が全神経に指令を下す。一年前、あの時はそれが出来なかった。
たかが一年、されど一年。あの屈辱と快楽をひと時たりとも忘れた事など有りはしない。
動け動け私の身体。今こそこの男の想いに報いるのだ。血流が入れ替わる。獣の血がこの全身を駆け回る。
来た、来た。
眼前の男が一歩踏み出す。その緩慢な動作に錯覚するも騙されるなと何かが囁く。
二歩、三歩。男は歩く。目測六メートル。右か左か、否、ゆっくりと前を突き進む。ブラフか?違うまだ進む。
四歩五歩、目測五メートル。よし間合いだ跳ぶぞ。いや待て奴の腕を見ろ。

「見たな?」

告げる男の右手は既に銃の形を模していなかった。銃を握る形になっていた。
その右腕は上げられ、人差し指に掛かるトリガーが見えた。彼が握る艶消し黒のゴー・ナナが見えた。
小口径の銃口がこちらを狙う。照準器の向こうで鋼の如き男の眼光。
そして左手もまた既に手刀の形では無かった。小刀の柄を握る形になっていた。
握られた柄の先、四尺五寸の山刀、鈍く光るフクロナガサが見えた。
力無く垂れ下がったままの左腕、しかし男の歩が進もうとも決して揺れぬ刃先。

「どうした?本気なんだろ?」

六歩七歩、目測四メートル。限界だ飛べ。駄目だ奴は見ている。この体を全て見ている。自分が見ている以上に自分を見ている。
駄目だ全て見抜かれる。上に下に右に左に飛ぼうにもその一瞬先にゴー・ナナの弾が急所を打ち抜く。
引くは言語道断ならば前だそのまま直線に跳び奴の懐へ。
駄目だ落ちた瞬間フクロナガサが脇腹深く抉り取る。
八歩九歩、目測三メートル。こうなったら待つしかない。相打ち覚悟で奴の喉笛を噛み切るのみ。
十歩十一歩、目測ニメートル。さあ来い──来ない?

「おめえ、考えすぎだ」

二メートル先で男は止まる。しかしその刹那、消えた。

「馬鹿なんだからよ、考えるな」

そして、現れる。彼女の鼻先三センチ。こつん、と額を合わせ優しく囁く男──しかし。

「ぐッ!」

彼の片腕、半握り左手の平が彼女の下腹部に触れている。ただそれだけの筈だ。
しかし真美は感じる。自身の下腹部に突き刺さる重厚な刃の感触を。

「かっ、はッ」

腿から足元に伝う熱い血と漏れた尿の感覚、その左手が緩やかにしかし確実に上へ上へと進んでいく。
這い進む手の感触は下腹部を過ぎ腹部そして胸の谷間へ。
しかし真美は今、この身体が血を噴きながら下から上へ縦一文字に裂かれていると実感する。
やがて見えぬ刃はその切先で喉元まで引き裂き、顎の骨に当たる寸前、身体より抜け──

「ほい、アンコウの出来上がり」

そこで真美の意識は途切れた。



「そおいっ!」
「ぬふうっ!」

背中から両腕を引っ張られた定番の気付けで真美が目を醒ます。

「え?あ、腹!もつがでろーんって!あれれ?」
「よく見ろバカ」

綺麗な身体だった。引き裂かれた筈の傷も、噴き出た血も、飛び出したはらわたも、そんな物ある筈が無かった。
唯一残るのはその感触──凄かった、それしか真美には言えなかった。

「まだまだッスねえ、アタシ」
「たりめーだバカ」

気ぃ失いやがって、と和やかに笑う男に微笑み返す。
しかし真美は思う。あれはショックで意識を無くしたのではないと。絶頂で意識が飛んだのだ。あの快楽、この狂気。
再びこれを味わう為なら何度でもこの男に挑んでやる。
そしてもし、この男を引き裂く事が出来るのなら絶頂のあまり今度こそ果てきってしまうだろう。
私の同胞──姉は、それを感じたのだろうか。だからこの男に惹かれたのか。
彼女亡き今、それはもう解らない。しかしそれを思うと体の芯から濡れてくる。濡れて──

「──濡れて、る?」
「よかったじゃねえか、おもらし属性ついてよ」

これで大きなお友達のハートキャッチだな。なあベソ美、いや改めモレ美。
藤原の追い討ちに真美の意識が違う意味で再び飛びかける。
しかし、鼻先に未だ残る鉄錆の匂いに気付き、にやぁりと笑う。

「──師匠」
「ん?どうした黄金水モレ美」

やけに優しい彼の声、軽く叩かれた肩、視界を覆う白いシャツ──チャンスですモレ美さん。

「しぃしょおおおおおお!」
「あ!くそてめっコラぁ!」

愛しい男の胸に飛び込む恋する乙女。
というより藤原の白いシャツに未だ鼻先に残る鼻血を涙と鼻水でブレンドしてこれでもかとぐりぐり顔を押し付ける真美。
彼女は怒っていた。気を失っていたにも関わらず手を出さぬ男へ無性に腹が立っていたのだ。

「ししよおおおおおおおおおおーーーう」
「離せっ!はなせコラッ!ハ・ナ・セ!」

藤原の脳裏で微笑む真澄は、そのまま父にカカト落しを喰らわせた。











■狼の娘・滅日の銃
■第三話/馬鹿が舞い降りた■了

■次回■第三話「馬鹿がおうちにやって来た」



[21792] 第四話/馬鹿がおうちにやって来た
Name: なじらね◆6317f7b0 ID:d0758d98
Date: 2010/09/12 22:01


一年前。

「信也ぁ、おめえこの前そろそろ引きてえ、とか抜かしてやがったよな」
「局長ぉ。俺ぁ来年四十です。若くねえし今までみたく無茶できません」
「で、逃げた女房と娘の後追っかけるってか?」
「うるせえよ。あんたにゃ関係ねえだろうが」
「大有りだ、今てめえに抜けられたらパワーバランス崩れちまう」
「ヒトに頼んじゃねえよこのグラサンタヌキ」
「おめえがバカやりすぎたせいだろうがチンピラ」

実際、専従班の練度は決して低くはない、と局長である室戸は常々思っている。
つまりこの男が突出し過ぎているだけなのだ。
しかし国内外でも鬼包丁、もしくはヘルマシェーテと仇名される藤原の存在は大きく、これが一つの抑止力ともなっていた。
頼るつもりなど毛頭無い、引くというならそれでもいい。しかし室戸は思う。
お前の名は利用させてもらう。引くのは一線だけだ。ガラは離さない。所属しているという事実さえあればいい。

「ワンマンアーミーなんて時代遅れなんスよ」
「おめえが言うんじゃねえよオメエが」

藤原は自分が変わったのはあの女と娘のせいだと思っているらしい。だが違うと室戸は思う。
この男の本質は享楽的なペシミストなのだ。狂乱と血と酒と薔薇の日々をいくら渡り歩こうと、頭の隅でどこかが必ず醒めている。
だからこそ今まで生き残り、どこからでも帰って来れたのだ。醒めている、というより熱を寄せ付けないと言った方が正しい。
熱気と熱狂に彩られた男の芯は冬の鋼よりも冷たい。彼が引き時と考えるのは冷たい芯がそう囁くからだ。

「ま、直ぐにとは言いませんが、そろそろ、ってね」
「まあそれについちゃ、プランがねえ事はねえんだが」

それにはちと準備がな、と局長はにたりと笑う。

「ま、煮るなり焼くなりッスかね。ここに下駄脱いだ時から俺ぁ覚悟出来てますんで」
「その為にもおめえ、今から後釜作っとく気ねえか?」
「後釜?そんなんゲンタとかカネトモとか幾らでもいるでしょうが」
「違う違う、おめえ自身の後釜って奴さ」

ラストダイナソー──最後の恐竜で終わらすにはもったいねえってんだ、と室戸は笑う。

「養成所から引っ張ってくるとか気の長い事言わねえで下さいよ」
「ダァホ、そんな手間も時間もかけられるか」

そのまま室戸は机のインカムを押し──寄越してくれ、ゆっくりでいい──と指示を出す。

「ま、計ったみてえに、うってつけの奴が見つかってよ」

へえー、と半開きの眼で返す藤原。嘘だ、絶対このタヌキ仕込んでやがった。お互い長い付き合いだから解る。
そもそも今日、特別用も無いのに何故、局長室に自分を呼び出したのか。室戸の意図が読めてきた藤原。しかし。

「羽田トランク──覚えているよな、信也」

意外な室戸の一言に一瞬目を剥く藤原。
一体自分の後釜の話とどう繋がる──いや、だからかと藤原は気付く。
自分が引く事を考えた理由、その全ての発端はあの事件に起因するのだ。目の前の上司は恐らく──気付いている。

「忘れようがねえですよ、局長」
「二十年前か」
「十九年前です」

俺がハタチん時ですからね、と笑う藤原。

「そうだな、おめえアレで童貞捨てたんだもんな」
「そうッスね。バケモンで童貞捨てるなんざ最悪ですがね」
「一匹──逃がしたんだっけか」
「──ええ」

藤原の脳裏に響く少女の声。

──みつけた、みつけたあ、わたしのおとこ。

忘れる事など出来るものか。

「あれは──まあいい。今更言わねえ。てめえへのご褒美って事にしといてやる」
「──ありがとうございます」

やはり気付いていた。たった一度の過ちを室戸は気付いていたのだ、と藤原は確信する。
目こぼしされていたのか、それとも今日この日の為、その切札に取っておいたのか。それは解らない。
けれど、ほんの少しだけ肩の荷が軽くなったような気がする。当然その代わりに何かを背負わされるのは間違いないのだが。

「関わりがあるんスか?」
「まあな。おめえあの時何があったか、全部覚えてんよな」
「ええ、まあ」

十九年前。ある空港で給油の為立ち寄った一機の貨物機が着陸に失敗、炎上大破するという事件が起きた。
それだけならば単なる事故で管轄が違う。しかし問題はその荷だった。
空港は一時封鎖され、厳重な警戒と報道管制が敷かれた。
後の公式発表では、機の積荷の中に特定伝染病の培養体があり、危険度は極めて少ないながらも法令に則り封鎖措置を施したとある。
しかし消化活動の最中に突然下された退避命令。入れ替わりに現れた内務省管轄の即応部隊。
完全武装の彼らが見た物は炎に包まれる機体と、滑走路に散乱する破片と荷物。
その中で不自然なほど綺麗に並べられたトランクのような物。
まるで彼らを待ち構えていたかのように横一列に並べられた六個のトランクを前に、隊員達に緊張が走る、その時。

蓋が開いた。六個の蓋が一斉に口を開けた。

銃を構える隊員達の中に養成所上がりの新人、藤原も居た。
そして彼は目にする。口の開いたトランクから立ち上がる何かの姿を。
最初は半透明なゼリーのようだった。その中に骨格が生まれ併せて徐々にヒトの形を模していく。
頭部らしき部位に脳らしきものが生まれる。脳から全身に張り巡らされる神経。胸に心臓。心臓から全身に行き渡る血管。
循環する血流と共に内臓が生まれ肉と腱が覆いやがてそれは皮膚で包まれる。
その間僅か十秒足らず。ガスマスクの向こう側で繰り広げられる光景に一瞬見とれる隊員達。
しかし若き藤原は直感する。これはやばい、何かは解らぬが確実にやばいと。
見れば既に目の前のそれは人の形を作り終えていた。柔らかなラインと胸の膨らみから女と思われた。それも発育途中の少女に見える。ただし。

顔が無かった。目も口も鼻も、何も無かった。なのに、こちらを見たような気がした。

その時、左脇の隊員が倒れた。右脇の隊員も倒れた。のっぺらぼうのヒトガタが二つ消えていた。
本能的に身を引く藤原。その瞬間彼の居た場所に突き刺さる第三のヒトガタ、のっぺらぼうの腕の先が滑走路を貫く。
身を翻し見れば空のトランク六個。突如始まる狂宴。閃光、銃声、絶叫、次々とヒトガタに屠られていく隊員達。
藤原はガスマスクを投げ捨てる。クリアになる視界と鼻腔に広がる血の匂い。トリガーを引く、小銃から閃光、しかし全て避けられる。
その間にも次々と息絶える仲間達──気が付けば一人。

炎に包まれ燃え落ちる残骸を背に立ち上がる六つのヒトガタを前に、藤原は覚悟を決める。

重い装備を外しボディーアーマーすら脱ぎ捨て、右手にハンドガン左手にナイフを持ち構える藤原。
これでいい、これしかないと判断する。跳ね上がる鼓動が血流を循環させる。体中に血が巡る。けれど頭は醒めていく。
その時群れの中から彼に飛び掛る一体のヒトガタ。体に触れる刹那身を交わせば姿勢を崩し地に伏せる。
その瞬間、心臓の裏側に突き立てられた刃先。崩れ落ちるヒトガタ。
刃先を抜く隙を突き第二のヒトガタが飛び掛るも一体目の骸を膝で蹴り上げ投げつける。
あおり受けて姿勢を崩す二体目の額に右手の銃口、そして銃声。二体目沈黙。

やはりな、と藤原が笑う。口の端々を獣のように吊り上げて。

俺は見た。奴らには脳が、心臓が、内臓が、肉があった。何の事は無い。こいつらは急所を持った只の化物、ヒトモドキだ。
ならば構うものか。殺って殺って殺りまくれ。

──残り四つ。さあどうした来いよ糞虫ども。殺り合おうぜ!

藤原が叫ぶと一体を残し三体が一斉に飛び掛る。しかし同時に藤原も地を蹴り飛び込む。
養成所で習得した技能など糞の役にも立ちゃしねえ、ならば本能の赴くままに屠るのみ。
突き出された手刀を紙一重で避けその手首を噛み千切る。噴出す赤、やはり血。
引こうとする手を咥え離さず引き寄せてその喉元をナイフで裂く、まずは一体。
背中の気配に肘鉄一閃、姿勢を崩す二体目に肘を伸ばし銃口を胸の膨らみに押し当て横に滑らせながら5.7mmを三発撃ち込む。二体目沈黙。
そのまま右腕を頭上に掲げ二発発射。のっぺらぼうの額に二つの穴を開けた亡骸がどさり、と男の足元に落ちた。三体目沈黙。
残弾十四、刃こぼれ無し。

──てめえ、ずっと見てやがったな。

炎を背に佇む最後のヒトガタを見て藤原は気付く。
こいつはずっと見ていた。他の五体は恐らく、俺を計る為の犠牲、否、残る一体の為に生贄にされたのだと。

──へえ、やる気マンマンじゃねえか。

藤原は気付く。少女の曲線を持つそのヒトガタの手に握られたものを。
彼が戦っている最中、倒れた隊員から抜き取ったであろうもの。左手に銃,、右手にナイフ。

──邪魔入る前にとっととヤろうぜ、ネエちゃん。

のっぺらぼうが笑った、ように見えた。

「トランクはあの時いくつあったかな、信也」

局長の言葉が藤原を過去から引き戻す。

「六個ですね、それが何か」

結局あれは何だったのか。公式には記されていない。
犠牲となった隊員達は救助活動中の殉職と処理された。しかし後に藤原は事件の黒幕を知る──ヴォクスホール、その存在を。

「もう一個、あったんだ」

どくん、と藤原の心臓が大きく脈打つ。

「今何つった、室戸さん」
「全部で七個だったんだよ、藤原」

その時、局長室のドアを叩く音。そのまま待て、と室戸は告げる。

「ぶっちゃけた話、七つでワンセットだったらしいんだわ、シンヤ」

あんた何を今更、と藤原は言おうとするも、ドアの外の気配に気が逸れ言葉が出ない。

「あれは事故だった、というのがヴォクスホール側の見解でな」

ふざけんな、喉元まで出掛かる藤原の言葉を室戸が手で制す。まあ聞け、と。

「そりゃそうだ。あいつら〈他の地は侵さず〉が原則だからな。それがカナメに鎮座まします常世の君との盟約だ。
 だからあいつらの持つ魔道師団は、防衛にのみ絶大な力を行使する事が許された。
 だから魔道〈旅団〉の存在は間違っても公には出来ねえのさ」

そんな訳で残骸から見つかった最後の一個が宙に浮いちまったんだ、と室戸は言う。

「突っ返そうにもそんなん知らね、が奴らのスタンスでな」

だからウチで秘密裏に保管していたのさ、と室戸は続ける。
バラしても良かったんだが少々やっかいな封印施されているみてえで下手に開けたらちとヤバイ事なりそうでよ。
そんならこのまま丁重に御預かりしてだ、何かの時のカードに使おうってな、と笑う局長。

「アンタ相変わらず、食えねえな」
「誉めんなよ」
「で、それがドアの後ろで行儀良く待ってる、何もねえ奴と関わりあんのか?」
「さすが鬼包丁、気付いたか」

そう、藤原は気付いていた。ドアの外の存在に。
正確に言えばドアの外に居るにも関わらず、何も感じさせぬ得体の知れないものに。

「そんじゃご対面といくか──いいぞ、入れ」

そして、ドアが開く。



狼の娘・滅日の銃
第四話 - 馬鹿がおうちにやって来た -



「あ、お帰りお父さん──なに、それ」
「うん、話せば長くなるんだが。簡単に言えば馬鹿連れてきた」
「こんばんは真澄ちゃん!バカでーす!」

ちょいちょい、と真澄が笑いながらこっちゃ来いのポーズ。
ン!と弟子の手前お父さんカラ威張りで娘と共にキッチンの奥へと消えました。すると。

「なんで今日マミさん来るって事前に言わないのよバカー!」
「痛いッ!痛いッ!しゃーねえだろあの馬鹿いきなり降って来たんだからよ痛いッ」

バシッバシッと肉を叩く音と共に、親子の叫び声がキッチンの奥から聞こえてくる。

「ご飯あらかたマユコさん食べちゃったわよ!もうお父さんの分しかないわよ!」
「痛いッ!おめえ腿裏蹴るな!っていうか何で奴いつもウチで飯喰ってんだ痛いッ!」
「知らないわよ大家と言えば親も同然なんでしょセイッ!」
「痛いッ!痛いッ!痛いッ!痛いッ!痛いッ!痛アッー!」

五分後、太ももをさすりながら藤原再び登場。
後ろの真澄、いくぶんすっきりした顔つき。

「あーなんだ、娘にも良く言って聞かせたから今日は泊まってけ、けどオメエの飯ねえから」
「ごめんねマミさん、後で何か買ってくるね。大家さんいるけど今日はゆっくりしていってね!
 あ、ところで──お父さん、そのシャツどうしたの?」

にっこりと笑う真澄。来たか、と藤原覚悟完了。

「チッうっせーな──汚しました、すいません」

お父さん最近素直に謝る術を身につけました。
ここまでは良かったのです。ここまでは。

「ごめん真澄ちゃん!それアタシの血なの!ごめん!」

この馬鹿が余計なコト言うまでは良かったのです。

「マミさんの──血?」

そうですかそうですか。真澄ちゃんキミね、きっと誤解してるよ、と固まるお父さん。
けれどやはり馬鹿の二つ名は伊達じゃない。きっちりやらかしてくれました。

「アタシのぉ、はじめてぇを、師匠にぃ、あげちゃった!キャハ!」
「お父さんちょっとこっち来て」

くいくいっ、とアゴでいいからこっち来んかいのポーズを取る娘を見て、お父さんがっくりと肩を落とし、そのまま二人キッチンの奥へ。

「ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!」
「痛いッ!痛いッ!痛いッ!痛いッ!」

五分後、蝉の抜け殻のような顔で現れたお父さん。
なんとか誤解を解き、この馬鹿を明日タコ殴りにする事を決意して再び玄関へ戻ると。

「藤原、藤原」

いつのまにか現れた着物童女が藤原の袖をくいくいとつかみ。

「あ、なんだおめえまだ居たのか」

相変わらずの無表情で、ちょっとコレ見てみ?と藤原を促す繭子。

「この子狐ですが藤原」
「あ」

しまった、と藤原師匠、うっかりハチベエ並にうっかりしてましたの巻。
魂とかルフランとかすっかり抜けたように、玄関で茫然と立ち尽くす馬鹿を見ながら、そういや言ってなかったよなあ、と藤原ふたたび肩を落す。
良く見れば馬鹿、気を失っております。失禁もしてます。おもらし属性また開花。だよねー、と横目で繭子を見ながら溜息をつく。

「わたくし少々悲しくなりましたよ藤原」
「おめえ少しは手加減してやれよ」
「わたしは何もしておりませぬ」
「そっか、悪かったな」

そうだよな、と藤原は苦笑する。二週間前、初めてこいつと出会った時も俺ヤバかったもんな、と今更ながら思い知る。
局長こいつに──言うわけねえわなあ。通過儀礼みたいなもんだなコレは。
しかしまあ、こいつも馬鹿なりにちゃんと気付けたってのは収穫だな、と目を細める藤原。漏らしたけど。
これ掃除俺やんだろうなあ、困った困った。

「悲しいゆえに今宵は帰りまする。真澄、明日の馳走を期待しておりまする」
「マユコさんおやすみー」

はいはい明日もウチでメシ食うのね、はいはい。とすっかり慣れたものですお父さん。

「ところでお父さん、これ」
「うん。とりあえず風呂に放り込んでおくか」

さて掃除掃除、と腕まくりする藤原でした。



のっぺらぼうが笑った、ように見えた。
違う、見間違いじゃねえと若き藤原は凝視する
何も無い筈の顔に、にじみ出るかの如く唇が現れたのだ。その口元は笑っている。

「おう、楽しそうだな」

鏡かも知れない。不意にその考えが脳裏を過ぎる。何故ならそれは自分と同じだからだ。

「俺も楽しいぜネエちゃんよおッ!」

同時に飛ぶ二つの影。交差する刃と刃、散る火花、笑う口と口。
ゴリッと重なり軋みあう二対の強化樹脂、内包される小口径の銃口がお互いの額を捕らえる、そして銃声。

「ハッハァ!」

鼻先をかすめる音速の銃弾、焼ける前髪、のけぞる頭。
しかし振り子の如くに反動をつけ突き出された額、向こうも同じ、ゴッと鈍い音を立てぶつかり合う額と額、その時。
目が開く。
触れ合う程の距離で藤原は見る。彼女の瞳──そう、遂にヒトガタは少女となった。
はぁっ、と開いた口から熱い吐息が漏れる。鼻もあった。鼻の頭を擦り付けて彼女が笑う。
ちろり、と赤い舌が藤原の唇を舐める。ギリギリと拮抗する刃と刃、銃口と銃口。
はらり、と彼女の前髪が藤原の頬を撫でる。前髪?そう前髪だ。
現れた目鼻と共に既に少女は肩まで伸びた髪を生やしている──限界だ。藤原は腿を蹴り上げる。

「てめッ!」

腿が触れる瞬間、男から飛び退く少女。即座に構える藤原。
そして彼女の全身を目に映す。既に胸の膨らみは乳房と化していた。腹部にへそ、その下に薄い茂みすら湛えている。

「──真来」

不意にその名が口から漏れる。自分と同じ構えを取る裸体の少女に、その名を告げてしまう。
マキ──その名。藤原の眼前で笑いながら牙を研ぐ少女の顔は、遠い昔、亡くした筈の妹、その面影を色濃く映していた。
一瞬の混乱、その隙を突き少女が跳ぶ。

「くそったれえ!」

その刃先が藤原の頬を裂く。彼の銃口が少女の前髪を焼く。倒れ組む男、馬乗りに組み伏せる少女。
華奢な腕とは思えぬその力、刃と銃口、再びの拮抗、しかし。

「──そう、わたし、マキって言うのね」

開いた少女の口から囁かれた言葉で遂に藤原は理解する。
こいつは俺の技を取り込んだ。俺の心さえ吸い取った。吸い取り取り込み消化した。
やがて、妹の面影を宿すその少女が惚けたように笑う。

「みつけた、みつけたあ、わたしのおとこ」

声が出なかった。何故なら塞がれたからだ。その唇で。
重ねられた唇を割り熱い少女の舌が男の口腔に侵入する。
くそったれ、心の内で吐き捨てながら藤原は抗うも、蛇のような舌が彼の舌に巻きつき離さない。
噛み切れ──微かに残った理性が警告する。しかし本能がそれを拒否する。
徐々に彼女を受け入れていく藤原の口と舌。くそったれ、くそったれと何度も脳裏で叫ぼうと抗い切れぬその感覚。
蕩けていく。このまま全部こいつに、妹に似たこいつに吸わちまうのか、くそったれ。
蕩けていくその感覚でさえも消えようとしたその時──突如少女が身を引く。

「──てめッ!」

我に返り藤原が飛び起きる。その瞬間頭上から眩い光、そして突風。
轟音と共にヘリのローター音が、二人の逢瀬を切り裂かんばかりに滑走路に降り注ぐ。
増援──それに気付き再び銃とナイフを構える藤原。しかし少女は。

「てめえ──何してやがる」

突風に髪をなびかせて裸体の少女が微笑む。片手に空のトランクを掴み、藤原にこう告げる。

「また会いましょう──ダーリン」

そして、風と共に光届かぬ闇の奥へと消えた。

「くそったれ」

藤原は追わなかった。その気力すら沸かず、どさり、とその場に座り込む。

「くそったれえッ!」

炎と亡骸と風の中で、彼の絶叫だけが虚しく響いた。



「──くそったれ」

その少女を見て藤原は、開口一番、十九年前叫んだ言葉を再び吐き捨てる。

「シンヤ、紹介しておく。本日付けでウチの預かりとなった備品だ」
「備品?」
「おう、備品だ」

その少女は人形のようだった。感情を浮かべず、しかし言語を介し相応の知識も有していた。
室戸は言う。一ヶ月前、何の前触れも無しに最後のトランクが開いたと。そして中からこの少女が現れたと。
しかし別段抵抗する事もせず、それどころか恭順の意すら示したと。

「局長、なんでこいつに──顔があんだよ」

藤原の脳裏にあの一夜が鮮明に蘇る。のっぺらぼうのヒトガタ。
倒した五体には顔がなかった。そして最後の一体は彼の記憶からあの顔を引きずり出し、己のものとした。

「しらねえよ、このまんま出てきたんだ」

おめえの言っていた手順を踏まずにな、と室戸は告げる。
あの半透明なゼリーでもなく、このままの姿で七個目のトランクから出てきたんだ、と。

「──ふん」

あの時の自分ならば、即座に喉笛をかっ切っていただろうと藤原は思う。
けれど悲しいかな十九年で身に付いた分別とやらが邪魔をする。

「ご大層なツラしやがって」

その言葉に何の反応も示さない少女を見て藤原は思い出す。
振り返ればあの時、あいつが妹の顔を模したのは、その時自身の身を守る為にそうしたのだと確信している。
だから隙が出来た。あいつはそれを見逃さなかった。本来はそういう物だったのだろう、しかし。

「似ておりますか?」

少女の第一声、抑揚の無い機械的なその声を聞き、藤原は拳を固く握る。

「私の本体──アルファに」

風を切り藤原の裏拳が少女の鼻先で静止する。

「どういう意味だ」

拳圧を受けても瞬きすらしないこの少女は、確かにあいつに似ていた。

「私はオメガ。六体の姉、アルファ達のバックアップ、予備素体ですので」

しかし似すぎてはいなかった。姉妹といえば姉妹、別人といえば別人と言えた。
中々どうして狡猾だな、と藤原は思う。別人になり切らず面影を残す。つまりはアピールだ。
あの女に似ている私をお前はどうする、と試しているのだ。やはりターゲットは俺か。反吐が出る。

「何故今頃になって目覚めた」
「解りません」

嘘だな、と直感する。
解らぬ訳ないだろうと。お前が目覚めたのには明確な理由がある。それはきっと。

──あんたの足枷にはならない。

あの女の別れ際の一言が今になって効いてくる。今更ながら思い知る。馬鹿野郎、と藤原はつぶやく。
気高き獣は最期の姿を誰にも見せぬという。バックアップが目覚めた理由、それは本体の終焉を意味する。
馬鹿野郎、何故気付かなかった。あの意地っ張りめ。なら何故あの子を連れて行った。
馬鹿野郎。てめえはやっぱ狼、それもタチの悪いことに寂しがり屋の一匹狼。
馬鹿野郎、てめえって奴はやっぱり──俺と同じだ。

「──ばかやろう」
「私が馬鹿という意味ですか」
「ああ、そうだ、そうだともよ馬鹿」

拳を下ろし、藤原は力なく首を振る。

「一応言っとくがなシンヤ。ちなみにこいつ、どう調べても人間だったわ」

室戸の言葉に溜息で返し、そうだろうよ、そうだともよ、と藤原は頷く。

「驚ろかねえな、おめえ」
「ええ、いろいろ知ってますんで。こいつらの事は」

こいつは化物だが只の女にも雌にもなれる。そして──母にも。

「そっか。んじゃ話早えなシンヤ。こいつ、おめえに預けるから」
「なん、ですと」

まさかそう来るとは。今度こそ驚く藤原。

「一年やる。こいつ後釜に仕立てろや」
「いやいやいや、あんた何言ってんスか!だってこいつ、ヴォクスホールの!」
「ヴォクスホールのパテントは解除されております。私はフリーです。ちなみに処女です」
「おめえも何言ってんのバカー!」
「いやシンヤこいつお買い得だぜ?人間っぽいけど身体能力はすげえぞ?おめえも解るだろ?
 こいつなら煮るなり焼くなり犯すなり犯されるなりしても文句言わねえし、あと生娘だし」
「あんたも何言ってんだバカー!」
「宜しくお願い致します、マスター」

ぺこりと頭を下げる少女の頭をはったおそうかと思うも、ぐっと堪える藤原。そして気付く。

「──マスター?」
「はい、マスター」
「なしてそう呼びはるの?」
「私はあなたの所有物です。ですので煮るなり焼くなり殺すなり殺されるなり
 犯すなり私に犯されるなりご自由にして下さいという意味でそう呼びました。ちなみに処女です」

何でこいつ自分の処女性を強調すんだろう。誘ってんのかオイ、まあそれはおいといて。
どのみちこのタヌキ全てお膳立て整えやがったな、ジタバタすんだけ無駄か。ならばと藤原は局長に向き直り改めて告げる。

「こいつのガラ預けんなら、俺以外、誰も手出し無用でいいな?」
「たりめーだ。誰が鬼包丁のブツに手ェ出せっか。あと戸籍作るぞ、名前どうする?」
「いやどうするってアンタ」
「固有識別名称を、マスター」
「解った、まずマスター止めろ」

喫茶店じゃねえんだからよ、と藤原。せめて師匠にしろと少女に告げる。

「了解しましたフジワラ師匠」
「何か漫才師みてえだな、マスターよりかずっとマシだが」
「固有識別名称を、師匠」
「──真美」

藤原のつぶやいた一言で少女が言葉を止める。そして。

「マミ──良い名を有難うございます、師匠」

一瞬、口元が緩むのを藤原は見逃さなかった。なるほど、そのツラも嘘か、と。
いいだろうと男は思う。楽しみだと彼は思う。無表情の仮面を引き剥がしこれでもかと泣かせてやる。
俺を試した事を心底後悔させてやる。とことん泣かせて笑わせてやる。
今この瞬間が一年後恥ずかしいと思えるまでとことんてめえの感情を引きずり出してやる。
この人形気取りの馬鹿野郎、てめえは甘い。いいだろう楽しませてもらうぜ、と藤原が笑う。

「ではフジワラマミという事で」
「ちょっと待てやコラ」

さらりと既成事実を作ろうとした馬鹿を制し、急ぎ局長に告げるフジワラ師匠。

「苗字はそっちに任せるんで適当につけてください局長。ただしフジワラ以外でな!」
「マミ、マミねえ、ふーん」

そんな二人のやり取りを見ながら少々卑屈に口元を歪める局長。

「あんだよ、何か文句あんのか」
「いんや別に。真美か。ふぅん、いい名じゃねえか」

嫁さんと一文字違いか、そりゃいい、と室戸は笑った。


 
ぼそぼそとお父さんが娘に耳打ち。ふむふむと娘うなずきニヤリと笑う。

「あれ真澄ちゃんどしたの?おねーさんと一緒に入るぅ?」

小便臭い馬鹿、真美が脱衣所でツナギを脱いでいるとカラカラと引き戸が少し開き、真澄が扉から顔半分出し、じいっと真美を見つめる。
わざとらしい程の無表情。どうやったのか解らぬがご丁寧に目のハイライトとかも消している。そして、抑揚の無い声でぼそりと一言。

「こゆうしきべつめいしょうを、ますたー」

ぶふう、と噴出す真美。風呂場の脱衣所に座り込み、頭を抱え、足をジタバタやかましい。

「やめっ!やめてッ!恥ずかしいッ!」

突然の不意打ちに為す術も無く狭い脱衣所で、カゴとかひっくり返しながら頭抱えゴロゴロ転がるお年頃の小娘一人。
しかしここでやめる程この親子、甘くはない。

「ヨロシクオネガイシマス、マスター」

真澄に続き、抑揚の無い図太い声が扉の向こうから聞こえて来る。

「あんたら鬼ッス!やめて何その恥ずかしい黒歴史ッ!」
「われは、しっこくのきし。このひだりてにふういんされしものを、めざめさせるな」
「スピチュアル、ガシッ、ボカッ、ディープラヴ、スイーツ、アイアムラヴマシーン」
「言ってねえよ!そこまで言ってねえよッ!オニー!」

適当にアミダで決められた苗字を持つ小娘、田中真美が鬼親子の仕打ちに叫び転び泣き喚く。
有言実行。一年前の決意を無事成し遂げてフジワラ師匠、いたくご満悦の一幕でした。


 
この平屋、小さいながらも風呂は広い。
どれくらい広いかというと、小学生の娘と女子高生くらいの馬鹿が肩並べて湯船に浸かれるくらいには広い。
つまり現在、そんな状態。

「もうマミさん、機嫌直してよぉ。お茶目なお遊びじゃない」
「お茶目な遊びでアタシの心エグるなんて真澄ちゃんおそろしい子!」

あれから、洗濯機に頭突っ込んでスイッチを押そうとする所まで追い詰められた馬鹿を、何とかなだめすかし、
小便臭い衣服を洗い、ほらマミさん一緒に入ろ?ね?と、ほんの少し反省した真澄に促され、共に風呂に入る事にした真美。
背格好の割にお見事なおバスト様を湯船にぷかぷかと浮かべ、ぶくぶくと口で湯花を作る。

「マミさんて胸おっきいよねー、いいなー」
「へっへーん。オトナのオンナの魅力ってやつぅ?」

誉められると直ぐ調子に乗る馬鹿の横で、その豊満な胸をジト見する真澄。
ペタペタと自分の胸に手を当て、はあっ、と深い溜息をつきひと言。

「ねえ、潰していい?」
「真澄おそろしい子!」

なんか本気で潰しちゃいそうな恐ろしい小学生女子に、
まあまあ真澄ちゃんも直に大きくなるから、と当り障りの無いフォローを入れる真美。

「ほらオトナになったらもう、むちむちばいんばいんって」
「大人かぁ──なりたくないな」
「なして?」
「抑えられなくなっちゃうから」

何を──それを真美は聞けなかった。この子はもう気付いている。自分の本性に。
以前、父親に面会を求め庁舎を訪れたこの娘を案内したのは私だ。ひと目見て解った。この子は抑えていると。
自分の欲望を。それが痛々しかった。その気持ちはもう私だけにしか解らない。
しかしそれをこの娘に、決して悟られてはならないと真美は思った。
もし気付かれたら、この娘はその瞬間より私を敵とみなし──そして。

「ねえマミさん」
「ん?」
「マミさんてなんか、お母さんに似てるんだよね」
「へ?マジで?」
「うん、なんとなく」

そっかー、と気の抜けた返事を返す真美。
その時、すっと真澄が彼女の胸に手を添える。
湯船の中で豊満な胸に触れる小さな手──来たか、と真美は心を研ぎ澄ます。

「あんっ、そこらめぇ──ってこの、いたずらッ子め」
「ふふっごめんごめん」

この娘は怖い。いつも私を試しにくる、と真美は思う。

──あ、お帰りお父さん。

玄関で嬉しそうにあの男を出迎えたこの子は、次の瞬間、私の姿を認め。

──なに、それ。

その時、一瞬過ぎった眼光を忘れる事が出来ない。

「んもう!おマセさんめ!」
「あはは、ごめんごめん」
「いきなり触るもんだからお姉さんドキドキしたったゾ!」
「嘘ね」

感情の篭らぬ声で真澄は告げる。

「鼓動、全然早くないよ」

しまった、と己の失策に気付く真美。

「ばれたか。まぁつまり、小学生のテクじゃ感じない程度にはアタクシ大人ッスから」
「ふふっ、まぁそういうことにしておきましょう」
「ナマイキだぞー」
「なまいきなのー」

あの男に近付く雌をこの娘は決して許さない。呆けた笑い顔の下で真美はそう思う。
唯一の例外はあの化物、常世繭子。視られる前に意識を切断せねば今頃自分はどうなっていただろうか。
しかしこの子にとってはそれすらも些細な事なのだ。
真澄は判断した。あの存在は敵ではない、彼女は雌ではないと。それだけで十分なのだ、この子にとっては。

「マミさん、これみよがしに胸押し付けるのやめてくれない?」
「いーじゃなぁい、すきんしっぷー!」
「むー」
「へへへぇ」

この娘は怖い。けれど愛しい。我が姉が命を賭して生み出した奇跡。
姉の想いは、深い眠りの最中も常に私に注がれた。姉は──アルファは雌になり女になり、そして母になった。
私はどうなのだろうか、と真美は想う。雌でも無く未だ女ですらない、宙ぶらりんの馬鹿。
ひとでなしの化物として生を受け、本来の使命すら消された廃棄物。
けれど蓋が開く瞬間、この姿を選択したのはまぎれもなく自身の意志。
あの女になりたい。それだけが今の私を支えている。

「ねえマミさん。お父さんのこと、好き?」
「正直に言うとね、だいっきらい」
「あはは、ほんとかなー?」

これは嘘。好きで好きでたまらない。狂おしいほどあの男が欲しい。

「とか言っても何だかんだ言って師匠だからねえ、その点だけは最高かな」
「それじゃ、私の事は?」
「正直に言うとね、だいっすき!」
「あはは、うそつきー」

これは本当。この子が愛しい。自分と同じ想いを持つ最後の同胞が愛しくてたまらない。

「うそじゃないもーん」

しかし近い将来自分は決断を迫られる、と真美は感じる。
けれどそれまでは、嘘と真実の危うい綱渡りを演じていたい、灰色の線で反復横跳びをしながら能天気に笑っていたい、と切に願う。
こんな事を考える自分は、随分ヒトになったのだなあ、と彼女は思うのだ。

「つか、てめえら。早く出ろこのヤロウ!」

ガラリと脱衣所の戸が開き、曇りガラスの向こうからあの男の怒鳴り声。

「お父さんのエッチー!」
「師匠のドスケベェー!」
「俺だって早く風呂入りてぇんだよ!」
「じゃあお父さんも一緒に入るぅ?」
「あらぁん師匠ぉん、お背中お流ししますわぁん」
「出来るかバカー!」
「お前ら五月蝿い」

ガラッと浴室の窓が開き、大家さん登場。

「次やったら、引っこ抜きますゆえに」

スパンッ、と窓閉じました。

「あ、お父さーん、マミさん沈んでるー」
「あーそっかー。取りあえず髪の毛掴んで引きずり出しとけー」
「わかったー」

フジワラ親子、この立地にも随分と馴染みました。


 
日で三回の失神はここ最近では珍しい。
あーひどいめにあった、とバスタオルを頭に巻いた馬鹿が、真澄の作ってくれたさっと一品を箸でつつきながら頭を振る。

「でもまあ、これはこれで」

だらしなく口元を緩ませて、自分が着ているだぶだぶパジャマの袖口に鼻近づけて、くんかくんかする真美。
ああん師匠の匂いがするう、とかやっておりますと。

「おめえ何やっとんの?まあいいや、布団敷いたから早よ寝ろ」
「あーすいませんねえ、おや、師匠とザコ寝っスか、いいスねえ」

キッチンから居間を覗くと敷かれた二組の布団を見て、胸躍らすオトメモドキ。

「何言ってんだ。おめえは真澄の部屋に決まってんだろうが」

チッ、と藤原に見えぬよう舌打ちする真美。
せっかくあの子公認で添い寝出来るチャンスかと思った自分が甘かった。
寝相のせいにして抱きついたり馬乗りになってロデオみたく腰振ってやろうと密かに企んでいたアタシったらぁお馬鹿さぁん。
あ、ハイハイ、早く寝やがれですね、ハイハイ。

「んじゃ早く寝ろよー」
「はいはいー」
「マミさんおやすみー」
「へいへいー」
「じゃこっちも寝よっかお父さん」
「そうすっか」
「待てコラ」

家政婦、では無く馬鹿は見た。
藤原が布団に寝転がった瞬間、ぴょーんと父親の背中に抱きつく娘の姿を。
馬鹿は一瞬考えた。いやこれが仲良し親子というものだろうか。しかし待って欲しい。
それにしては娘少し大きくね?来年中学とか上がらね?胸とか密着させてね?
良く見りゃ足とかガッチリに絡ませてね?おかしくね?コレおかしくね?

「つかオカシイだろあんたらぁ!」
「マミさんうるさい」
「おかしくねえぞ、これがフジワラスタイルなんだよ」
「あんた何馴染んでんでスか鬼包丁!いつからロリ包丁になったんスかぁ!」
「お前ら、五月蝿い」

大家みたび登場。馬鹿本日四度目の卒倒。
窓パシンと閉まる。藤原親子慣れた手つきで馬鹿を運び出し真澄の部屋に放り込む。
電気消す、お父さん寝る、娘抱きつく。そして就寝。
そのまま朝を迎える、と思われた。しかしそうは問屋が──馬鹿が卸さなかった。


 
狸寝入り、というスキルをご存知であろうか。

「──さて」

いくら馬鹿でもパターンくらいは読める。つまり四度目の卒倒は嘘でした。

「──やるか」

ここ最近、随分消してなかったなあ、と真美は目を閉じ呼吸を整える。以前は意識せずともこれが出来た。
つまりこのスキルは予め彼女に備わっていた。一年前、藤原と対面したあの時、彼がドアの向こうに何も無いと感じたのはまさにこれだった。
しかし真美の場合、消すのは気配だけではない。その程度なら藤原も軽くこなせる。彼女が消すのは己の存在感そのものだ。
昼間、藤原が一瞬だけ真美をロストしたのは彼女が有するこのスキルに起因する。
あれは、鬼包丁藤原だから避けられたのだ。獣の如き勘と、彼の持つ経験ゆえに。

「あらら、だらしなく口元緩ませちゃってまぁ」

にぃ、と口の両端を吊り上げて真美が笑う。枕元に立ち、寄り添う親子の姿を無機質な瞳にただ映している。
彼女の囁きも二人には届かない。声の存在すら消せるからだ。

「本当に、隙だらけに見えるなあ」

真美はその場にしゃがみこみ顔を男に近づける。
背中から娘に抱きつかれたまま、すうすうと安らかな寝息を立てるこの男、藤原信也。

「でも、隙ないのよねえ、困ったもんだ」

もし今、彼女が藤原の息の根を止めるべく、意志と殺意を以ってその喉元に刃を添えたらどうなるのか。
結果は明白。自動的に藤原の目蓋が開き、意識無きままで男の手刀は彼女の喉元を裂くだろう。故に鬼包丁なのだ。
しかし今──彼女にその意志は無い。

触れたい、と真美は思う。

その瞬間に力は解かれてしまうだろう。それがルールだからだ。そして彼に気付かれてしまうだろう。
構わない、寝ぼけた事にすればいい。またいつもの馬鹿に戻るのだ。この愛しい男を師匠と呼んで泣いたり笑ったりするのだ。それだけだ。

けれど真美は、触れない。

それがあの女との約束だから。それがあの女が最期に願った事だから。
だから今日、私はここに来た。男が娘と暮らし始めたこの家に。
いま男の背中越しで寝息を立てている、この恐ろしい娘の待つこの家に、この瞬間の為だけに今日ここに来た。私は、託されたのだ。

「──そいじゃ、ちょっと失礼」

そのまま藤原の横にごろん、と横になる真美。
本当は真澄を挟んで川の字が理想だが残念、そちらは空間が足りず触れてしまう。だから良しとしよう。こうして三人で寝れたのだから。

「願いは叶った?アルファ──」

雌と雄ではなく、もう一度だけ親子水入らずで添い寝がしたい。それだけがあの女の夢だった。
しかしそれは遂に叶わなかった。否、許されなかったのだ。

「──姉さん、これで満足?」

トランク──あの箱を通じて注がれ続けた想いを、ようやく叶えてやる事が出来た。今はこれで十分だと真美は想う。
わがままが許されるならば、こうして夜が明けるまでこの男と娘の寝息を聞いていたかった。
そして一緒に目を閉じたかった。じわり、と視界が歪む。

「いけない、アタシったら、もう」

目尻を拭う真美。これでいい、と身を起こした瞬間。

「──ッ」

息を呑む。
男の肩越しから視線。見れば彼の背中、真澄の目蓋が開いている。

「──ッ──ッ」

口に手を当て叫びそうになる自分を抑える。そして真美は自身に命ずる。
目を逸らすな、動揺するな。何も無い。私は何も無い、と暗示にも似た視線を娘に送る真美。
やがて、真澄の目蓋は静かに閉じた。

「──っはぁッ、はぁッ、はぁっ」

部屋に戻り、未だ収まらぬ動悸を鎮めようと、小さく呼吸を繰り返す真美。

「あの子が──怖い」

真美のつぶやきが部屋の闇に溶けて行く。
あの子が怖い、あの眼が怖い。あれは一ヶ月前に私へ向けた眼。あれは数時間前に一瞬過ぎった眼。
あれは獣だ。獲物を見る獣の眼だ。獲物を噛み殺す狼の眼だ。
そして真美は肩を抱く。抱きながら子供のように身を丸める。
あの子が怖い。あの子は許さなかったのだ。例え母でもあの子にとっては雌だったのだ。
狼の雌は女となり、やがて母となった。
しかしあの子は未だ──狼の娘。











■狼の娘・滅日の銃
■第四話/馬鹿がおうちにやって来た■了

■次回■第五話「かなめ!ふしぎ!」



[21792] 第五話/かなめ!ふしぎ!
Name: なじらね◆6317f7b0 ID:d0758d98
Date: 2010/09/15 22:05


 
天気晴朗。空は相変わらずの青。洗いざらしのブルー。
今日も良い天気です一日頑張りましょう、という時間には少々遅いお昼前。庁舎の屋上に人だかり。
何かをぐるりと取り囲んだその輪の真ん中に、プッシューと携帯ボンベからガスを送り大きな風船を膨らませる小娘と、
その隣でなんでこんな事に、と冷や汗だらだら流す男の姿。

「何か面白い見世物があると助役さんから聞いてきたんですが」

人だかりの中にひょっこり市長さんまで現れて、藤原もはや逃げ場なし。

「いやあ昨日ご迷惑かけたんで、お詫びッスよお詫び」

などとケタケタ笑う馬鹿を見ながら師匠は、
こいつ殴りてえ人目さえなければ今すぐマウント取ってこいつタコ殴りにしてえ、と苦笑しながら拳を握る。
そうこうしている内にパンパンに膨らんだ風船がふわりと大空に舞い上がる。おおー、と職員の皆様から歓声。
風船につけられたロープが引かれ、するすると空高く昇っていく。
そして真美は足元からリュックを拾い上げ腕を通し背負った後、カチリとベルトを固定した。
やがて空高くまで伸びたロープがぴんと張られ、見れば背中のリュックに繋がれていた。

「さあさあ皆様、マミたんのビックリイリュージョン、はっじまるよー!」

女子高生っぽい小娘の掛け声で、おおーと盛り上がる職員の皆様。市長さんパチパチと拍手までする始末。
その様子を見ながら藤原は、いやみなさんコレただのスカイフックですから、
騙されちゃいけません良く見りゃコイツただの風船背負った馬鹿ですよ?と言おうとするも。

「あ、師匠ぉ!」

自分目掛け、たったかたったか寄ってくるこの馬鹿ともしばらく会えねえんだなあ、と想うとフジワラ師匠、ほんの少しだけしんみり。
何せこの馬鹿、あの子と暮らすまでは四六時中、ずっと俺の視界が届く範疇で目障りなくらいチャカチャカ動いてたからなあ。
そう考えると少し寂しくなっちゃった師匠、つい油断してしまうのも無理は無い。

「おう、次来ん時ぁマトモに来いよ」
「あい」
「次は気ぃ失うんじゃねえぞ」
「あい」

だからつい油断して、寂しそうな顔をする馬鹿の頭を撫でてしまった師匠。

「じじょおおおおおおおおぉぉぉ」
「ああもう泣くなコラ恥ずかしい」

油断した、こいつすぐ泣きやがんの、ばーか。と真美をつい抱き寄せてしまったのも無理は無い、
無理はないのだ、と無理矢理自分に言い聞かせる藤原。
周りからはヒューヒューとはやし立てる声と、何を勘違いしたのかテントウ虫のなんちゃらという歌のサビの部分を何度も繰り返す集団がいるあたり、
意外とココの皆さんノリがいい。ちなみに市長も歌ってました。
そんなこんなで耳を澄ませば遠くからブーンというプロペラ音。
やがて山の向こうからタカというかトンビというかそんな格好したティルトローターが飛んで来る。
その機影を認め真美は目尻を拭い、顔を上げ藤原にこう告げた。

「師匠、アタシ決めたッス」
「なんだよいきなり」
「恋は戦争なんスね」
「ああ?何言ってんのおめえ」

姉の想いは果たした。この先は言い訳出来ない。ならば好きにやらせてもらう、と真美は決意する。
この先はもう戦争なのだと。自分はもう決めたのだと。
今朝、おはようと笑った真澄は昨夜の事を覚えていないようだった。あの恐ろしい狼の娘は朝の光と共に消えてしまったようだった。
けれど違うと真美は思う。寝ているだけだ。しかもその眠りはとても浅い。いつまた眼を醒ますかわからない。
だから向き合う、そして戦う。例え血みどろになろうとも戦って戦い抜いて手に入れる。愛しい男と愛しい娘を手に入れる。
覚悟しろ。私は案外欲深い──そして真美は。

「えいっ」

愛しい男に唇を重ねた。

「てっ、てめえ!」

不意をつかれ狼狽する藤原。次の瞬間、びゅーんと真美の身体が宙に舞う。
風船をフックに引っ掛けたミサゴ一号が、ロープの先の彼女を空へ空へと引き上げる。

「あたしゃ負けねええぞおおおおおお!」

まんまと一矢報いた真美が捨て台詞を吐きながら大空高く舞い上がる。

「てめコラ覚えてやがれコラァ!」

師匠の怒声に送られて、空の彼方へと馬鹿は消えた。





狼の娘・滅日の銃
第五話 - かなめ!ふしぎ! -




かなめ市。
面積約百六十平方キロメートル。人口三万人弱。四方を山に囲まれた内陸山間地。
突出した産業も無く際立った観光地も無いごくごく平凡な地方小都市。ただし町並みは良い。
市政が始まった一世紀前から現存する建物の数々と、当時から敷かれていた市電と併せ計画的に整備されたであろう道路は、
機能性と相まって景観作りの一翼を担っている。
まるで箱庭のようだ。藤原は眼下に広がる町を眺めそう思う。

「お父さん、おにぎりは?」
「おう、そんじゃもういっこ。真澄、玉子焼きは?」
「おう、そんじゃもういっこ」
「マネすんじゃありません」

自分の口調を真似る真澄を見て、せめて娘の前では口を改めようと決意する藤原。
けれど美味しそうに小さな口一杯玉子焼きをほおばる娘を見て、早起きして玉子焼き作ってよかったなあとお父さんご満悦。
ちなみに他のおかずとおにぎりは娘が作りました。

「お父さん、はいお茶」
「ありがとう、真澄」
「お父さん、無理しないで」
「何を言っているんだい?お父さんはいつも」
「ていうかその口調気持ち悪い」

僅か一分弱で一大決心が粉々にされかっぐり肩を落すお父さん。ぽんぽんとその肩を叩く娘。
二人はいま、町を見下ろす小高い山の頂上に軽トラを止め、荷台にゴザを敷きお弁当を食べている。
せっかくの晴天、こんな日は家でゴロゴロもったいない、と休みを使ってピクニックに来た二人。
ずずう、とお茶を啜りながら仲良く町を展望する。

「いい天気だよねー」
「んだなー」

ぼーっと自分たちが暮らし始めた町、かなめ市を見下ろす二人。
その景色を眺めながらふと藤原は気付く。町並みも道路も線路も、全てが町の中心より同心円状に広がっていると。
ではその中心にあるものは。それは市庁舎でも駅でも無い、あの真四角な建物。
確か以前目を通した資料にはこの建物、旧商工会議所だったらしい。
なんでも市庁舎と市役所前駅が建てられた一世紀前より現存するらしく、かなめ市三大古臭い建物と呼ばれているとかいないとか。
そういや一ヶ月前、この町に来たとき改装してたよな、と藤原は思い出す。郷土資料館になるんだっけか。今度寄ってみるか。

「ごちそうさまでした」
「ゴチでございました」

手と手をあわせてしあわせ、ってな感じで仲良く向かい合って一礼。
その後お茶をずずずうとすするフジワラ親子。ぽかぽかと日差しが心地いい。
不意にごろん、と大の字に寝転がる娘。空は相変わらずのブルー。さわさわと風が真澄の前髪を揺らす。

「飯食ってすぐ寝ると牛になるぞ」
「んー、胸だけならいいのー」

そっか。お父さん触れない事にする。触れてはいけない気がする。
目を細めながら微笑み、再び眼下の町に視線を移す。そして藤原は思う。やはりおかしいと。
一ヶ月前、今いる場所に車を止めてしばし町の全景を眺めた。これは藤原の身についた習慣でもあった。
見知らぬ土地を訪れる時、彼はこの作業を欠かさない。自分が活動する場所の空間把握を行う為だ。
何処に何が有りどう動くべきか。それを脳裏に焼き付ける。
故に藤原は迷わない。行動を起こし遂行し戻るべく培われて来た習慣。しかし。

この町に来た初日、藤原は迷ってしまった。

町に入った時、微かな違和感。中心部を抜け、古びた住宅地へと入った途端、藤原の感覚が大きく狂う。
脳裏に焼き付けた筈のイメージにずれが生じたのだ。今までこの様な事は一度たりとも無かった。
ひと月を経た今でこそ慣れはしたが、あの感覚は忘れない。

「なるほどねえ、やっぱそうか」

そして現在。再び町を見下ろし、あの感覚の正体に気付く藤原。
一ヶ月前、脳裏に刻んだ町と今の町を重ねてみる。
そして彼は確信する。思い違いではなかったと。
感覚がずれたのではない。町がずれているのだ。

「おっかねえ町だわ、こりゃ」

藤原は夢想する。型枠の中で身をよじる巨大な獣。その姿が脈動する町に重なる。
しかし一箇所だけ動かぬ場所がある。基点だ、と藤原は直感する。あの真四角な灰色の箱。何かある。

「んー」

くいくいと袖を引かれ藤原は思索を止める。
振り向けばゴザの上で寝そべる娘が彼のシャツを引っ張っている。
寝ろ。お前もこっちゃ来て寝ろ、の合図。

「へいへい」

苦笑しながら真澄の横に寝そべるお父さん。体を冷やさぬように娘を胸元に抱き寄せる。
柔らかな日差し、青い空。胸元で寝息を立てる愛しい娘。そして藤原は目を閉じる。
その姿はまるで、身を寄せ眠る、獣の親子のようだった。


 
傾き始めた日差し。山の稜線に伸びる影。
夕暮れ間近の山道を下り終え、軽トラが西日を背にとことこ進む。

「あ、お父さん見て!大きな家!」

真澄が指差す先に小さな森。目を凝らせば大きな洋館の屋根が見える。

「おー、でっけえなあ」

驚く素振りを見せながら藤原は思う。ああ、柊のお屋敷かと。
彼の仕事、駐在調整官とは、基本的にただ居ればいいだけの役職である。
何も無ければそれで結構。だが、もし何か事が起き、それが国に脅威を与えると判断した際、調整官の持つ特務権限、
つまり干渉権を行使しカナメへと介入せねばならない。
そのような事態が起こらぬ様、常に目を光らせ調整を行う必要があると彼は考えていた。
もっとも彼の上司は別の意図を持つようではあるが、まあそれはいいとして。
有事を考慮し事前に全世帯の概要に目を通す、それが内務省・統合情報管理局・要事案部・駐在調整官、藤原信也が
着任してより一ヶ月の間に取り組んでいた事だった。
総世帯数六千弱。誰が誰と繋がりどのように作用するのか。
長い間禁忌とされてきたカナメにおける有機的ヒューマンネットワークの解明は始まったばかりだ。
地道で気の長い作業ではある。本局の机上では当然計る事など出来はしない。
当然フィールドワークは必須。彼に課せられた任務の一つでもある。
まあ気楽にやるべさ、と呑気に構えている藤原ではあるが、いくつか気になる点が浮上する。その中の一つに柊の名があった。

「誰が住んでいるのかな?お嬢さまとか居たりして」
「あー、なんか空き家らしいぜ」

えー、もったいなーい、と窓の外、通り過ぎていく大きな門を見ながら真澄は言う。
だが事実なのだ。あの屋敷は空き家なのだ。しかも藤原が調べた限りでは過去二十年を遡っても居住者の記録が存在しない。
しかし納税記録は存在する。柊の名で途絶える事無く払われ続ける固定資産税。
本局調査部でさえ納入者が掴めぬという事実は、柊の名と屋敷が、かなめ市の空白地帯である事を示していた。
誰も居らぬ筈の屋敷、固く閉ざされた鉄の門は年を経たにも関わらず錆び一つ浮かべず、その先への侵入を拒んでいた。
何かがある、と藤原は感じる。

というか何かがあり過ぎて困るのだこの町は。

道に迷うわ隣の大家は化物だわ市長相変わらず草刈りに精出すわ化物大家が毎日夕飯たかりに来るわ
馬鹿が空から降って来るわピクニック来たらなんか町動いてるわエトセトラエトセトラ。
まあいいや、ゆっくりやるべ、とすっかり馴染んで来たお父さん。何故かと言いますと。

「でもやっぱ、おうちが一番だよね、お父さん」

なんて事を愛しい娘に言われようものならたまりません。

「片寄せ合うくらいが丁度いいもんね、わたしたち」

だよねー、とフジワラ口元緩みっぱなしでございます。

「だからお父さん、車のカタログ捨てといたから」
「なんですと」

いきなりの急展開にお父さんびっくり。

「いやおめえ、いつまでもコレじゃ」
「だーめ!コレがいいの!」

この軽トラ、実は引越し用のもらい物。
本当はレンタカーで済まそうと思っていたのだが、同僚の一人がコレ使って下さいよ藤原さん、と譲ってくれたものなのだ。
使い終わったら適当なとこで売っぱらって下さいと気の良いその同僚は笑った。
あ、大丈夫ですこの型もう二台あるんで。これ布教用ですから──彼は極度の軽トラマニアだった。

「いやだってコレせめえだろ、座席も倒せねえし」
「おうちも車も、これくらいが丁度いいの」
「第一よぉ、コレ二人乗りだぜ?」
「いいじゃない二人乗りで、二人っきりの家族なんだから」

フジワラ殺すにゃ刃物は要らぬ。娘のひとことあればいい。
お父さん限界です。泣きそうです。というか泣きました。



今日の晩御飯はカレーでした。

「ごちそうさまでした」

寸胴鍋がいい仕事してくれました。

「ごっつおうさんです」

というかここの所フル稼働です。何故かといいますと。

「今日も美味しかったですよ真澄」

こいつがいるからです。

「お前の胃、どうなってんだよオイ」
「お前一人くらいは入りますよ藤原」

マジでか!とお父さんびっくり。底なし胃袋の大家さんにもすっかり馴染みました。

「真澄、片付け俺やっから、さき風呂入ってこいや」
「え?いいの?ありがとー!」

お父さんの気が変わらぬうちにたったかたったか風呂場へ駆けて行く娘。
その後ろ姿を見送った後、ちょいちょいと指で繭子を誘い、お茶の入った湯呑み片手にそのまま二人は庭先へ。
縁側に腰掛け、ずずう、ずずずう、と、しばし無言で茶をすする二人。そして。

「色々と調べておるようですね、藤原」
「仕事だからな」

再びずずう、と茶をすする二人。

「この町、一体全体なんなんだ」
「知りたいですか?」
「やっぱいいわ」
「それが良い」

三たびずずう、と茶をすする二人。

「帰り道、柊のお屋敷の前通ったんだわ」

湯飲みから口を離し藤原が呟く。

「あれ、おめえの持ちもんだよな、繭子」

導き出した結論をカナメの主に問う藤原。
とどのつまり、町の謎は全てこの存在に集約されると藤原は踏んでいた。
所有者不明物件、誰のものでもない屋敷。それはつまり、この童女の姿を模した化物のものなのだと。

「この家みたいなモンなんだろ?違うか?」

調査の過程で藤原は気付いた。現在この町には空き家が一軒しかない事に。
一ヶ月前は二軒あった。柊の屋敷ともう一軒。しかしそこは埋まった。自分達が居住したからだ。

「おめえ、この町の大家か」

藤原の言葉を受け、繭子の口が湯呑みから離れる。

「大家と言えば親も同然。そうでしょう?藤原」

相変わらずの無表情。抑揚の無い声で告げる繭子。

「ふん」

そしてまた、ずずずう、と二人が茶をすする。
軒先を見上げれば、欠けた月が夜空を照らす。青白い光に照らされる大家の顔は相変わらずの白。
町の主、常世繭子の横顔を見ながら藤原は思う。きっとこいつは町が生まれた一世紀前も、こうして佇んでいたのだろうかと。
果たしてこの存在は何を考えているのだろうかと。いや、何も考えていないのか。
それとも彼女の考えなど人間では到底窺い知る事など出来ぬのか。
だが、まあいい。と藤原は思う。
こいつは、今のところ自分たちに害為すつもりは無いらしい。少なくとも真澄に対してはその気が無いらしい。
ならば良し。それで十分。それだけで充分。それ以上は望まない。あの子もこいつに懐いている。
あの子の笑顔を構成する一片にこいつがいる限り、事を起こすつもりなど毛頭無い。
与えられた仕事はこなす。だが局長の意図など知るか。お国の事情もカナメもヴォクスホールも知るか。
あの子と二人この町で、笑っていられるならそれでいい。
それだけでいい、と藤原は思う。

「そうですか。それもまた良しですよ藤原」
「勝手に視るんじゃねえよ、このヤロウ」

ずずう。最後の一口をすする二人。

「あー、いいお風呂でしたー」

振り向けはほかほかと湯気立てるパジャマ姿の真澄の姿。

「あ、お父さんまだ片付けやってないじゃん!」
「おおう、すまんすまん」

ぷくう、と頬膨らます娘を見て藤原が微笑む。

「さて。馳走になりました。わたくしはそろそろ帰りますよ真澄、藤原」
「おう、帰れ帰れ」
「マユコさんおやすみー、またあしたー」

湯飲みを縁側に起き、すくっと立ち上がる着物童女。

「ところでお前たち。来週の土曜は空けておくように」

くるりと夜風に長い黒髪をなびかせて、しれっとのたまう童女。

「え?なにかあるのマユコさん」

繭子の小さな手にいつのまにか現れた、二通の招待状。

「なんじゃこりゃ」

藤原が目を凝らせば〈かなめ市郷土資料館プレオープンセレモニー御案内〉の文字。
ご丁寧にも自分のは藤原信也様、娘のは藤原真澄様、とそれぞれ宛名がふってある。

「馳走の礼をせねばなりませぬ。わかりましたねお前たち」

その時、藤原信也は信じられないものを見た。
人形顔の無表情、常世繭子が一瞬、微笑んだのだ。








■狼の娘・滅日の銃
■第五話/かなめ!ふしぎ!■了

■次回■第六話「時には昔の話をしようか」



[21792] 第六話/時には昔の話をしようか
Name: なじらね◆6317f7b0 ID:d0758d98
Date: 2010/09/18 22:10



むかしむかし。
このあたりはたくさんの山々に囲まれ、
猫のひたいほどの山あいに小さな村々が、ひっそりと身を寄せ合って、つつましやかに暮らしていました。
そんなある日、満月の晩のこと。静かな山あいにとつぜん、どーん、と大きな音がしました。
おどろいた村人たちが音のした場所にかけつけるとびっくり。
なんとそこにあったはずの山が三つも消え、かわりに大きな穴が開いていたのです。
天狗さまのしわざだ、と村人たちはおそれおののき急いで村に逃げ帰りました。
その夜からしばらく大雨の日が続き、ようやく雨の上がった七日目。
猟師のひとりがあの場所を見に行くと、なんと大穴が消えているではありませんか。
どうやら大雨のせいで山くずれが起き、流れ込んだ泥や土で埋められてしまったようです。
大穴で山が三つ消え、山くずれでまた三つ消え、それはそれは大きな平野になっていました。
これを聞いた回りの村むらから次つぎと人がうつり住み、やがて大きな町になりました。
これが、かなめの始まりと言われています。

「──らしいよ、お父さん」

受付で渡された小冊子を読みながら、真澄がくいくいと藤原の裾を引く。
開いたページに書かれた題字──かなめ民話集・かなめの大穴の話。

「そっかー、真澄えらいぞー、よくよめました」
「お父さん、バカにしてる?」
「そんな事はございませんよお嬢さま」

ぽんっ、と真澄の顔が赤くなる。

「んもうっ!んもー!もー!」

ぽかぽかと娘がお父さんを叩く。

「はははお嬢さまはしたない」

おめかしした娘が顔真っ赤にして照れ隠しの様に父を叩く姿に、周囲が微笑む。

「お嬢さまいうなー!お嬢さまいうなー!」
「はははお嬢さま痛い痛い、痛いッ!痛ッ!」

ビシッバシッと鞭のような鋭い蹴りが父の腿裏に連打される様を見て周囲ドン引き。

「おちつけ、クールだ、クールにいこう、な?真澄、なッ!」

フーッフーッと肩で息するおめかし娘をなんとか抑えお父さん冷や汗でまくり。
今日は土曜日。いま二人がどこに居るかといいますと、正式開館を明日に控えたかなめ市郷土資料館、そのプレオープンに来ております。
先週この町のヌシから渡された招待券を手に、お父さん休みにも関わらずスーツ姿、娘さんフリフリワンピでおめかしなんかしちゃって気合入ってます。
そのくせお嬢さまなどとからかいでもしましたら、照れ隠しがヒートアップしてマジ蹴り食らわせるもんですからお父さんたまりません。
なんとかなだめすかし真澄可愛いよ可愛いよ真澄とご機嫌を取りつつ、気を取り直して再び館内巡りを始めるフジワラ親子でした。

「結構人いるもんだなあ」
「そうだね、夕方なのに」
「つうか開始六時ってどうなってんだ」
「カッコいいじゃない、ナイトミュージアムっぽくて」

まあ確かに、と藤原は思い直す。こういうのもおつなもんだと。
それに中々凝った造りじゃねえか、と改めて館内を見渡す。
外観は重厚なコンクリートに覆われ、やけに窓の少ない灰色の真四角な箱、なのだが中身はどうして凝ったものだ。
それもその筈、元々この建物は商工会議所であると同時に、迎賓館的な役割も果たしていたらしい。
当時ここに案内された来賓達は外観の素っ気無さと中身のギャップにさぞや驚いた事だろう。
少々意地悪な意匠の姿を想像するも、待てよ、と藤原はそこに篭められた意図を想う。
まるでこの町のようではないかと。

「おや藤原さん。今日はお休みの所ありがとう御座いますね」

にこにこと笑みを湛え現れた痩躯の好々爺に、こちらこそお招き頂き有難うございます、と一礼する藤原。
父に併せぺこり、と頭を下げる真澄。頭を上げちらり胸元を見れば市長の記章。

「あなたが真澄さんですね?粟川と申します」
「は、はじめましてっ!藤原真澄ですっ!」

すごい!お父さん市長さんと知り合いなんだすごい!と娘から羨望の眼差しを受けお父さんちょっと鼻高々。
そうだとも娘、お父さんはこう見えて結構凄いんだ。
ヒマなんで時たま市長さんと一緒に市庁舎周辺の草むしりしたり、閑休庵の蕎麦食い仲間だったりするのは内緒だけどな!

「どうですか藤原さん、せっかくなのでご案内しますよ」

市長直々の有り難い御言葉を断れる筈も無く、一緒に館内を廻る事になった一行。
さて、何を見せてくれるのか。藤原は猛る胸を押し殺す。




狼の娘・滅日の銃
第六話 - 時には昔の話をしようか -




地上三階地下一階の建物は、敷地面積だけでも市庁舎と並ぶほどの規模があり結構広い。
明日正式に開館するかなめ市郷土資料館は、その名の通り町の歴史やゆかりのある品々を一同に集め展示する目的で設立された。
しかしそれだけに留まらず、この地に伝承される民話の数々や映像記録も保管し、それらを公開するアーカイブ的要素も併せ持つようだ。
また謎の多い地形に関する考察や現在までの研究成果の公開といったマニアックなものから、
子供も楽しめるように趣向を凝らした常設展示など、どちらかと言えば博物館的な趣が強い。

「そういえば粟川さん。確か以前は学者さんで」
「はい。考古学と民俗学を少々かじっておりました」

なるほど、と藤原は思う。ならばこの充実ぶりも頷ける。しかし少々どころではないだろう。
粟川礼次郎といえば、当時その名を轟かした新進気鋭にして異端の考古学者だ。
特にまつろわぬ民と各地の伝承、そして神話を結びつけた独自の解釈は、各地の怪しげな風習や魑魅魍魎の類にまで手を伸ばし、
時の学会でも問題視され、一部からは妖怪ハンターなどと揶揄されていたらしい。
そんな彼がカナメに目を付けたのも当然の流れと言える。

「まあ市長なんて二の次でして、こっちがライフワークみたいなものですかねえ」

ここはいわゆる民俗学最後の秘境ですからね、と粟川は笑う。

「秘境ですか」
「ええ。宝庫といっても良いですねえ」

粟川は元々民俗学専攻だった。そして民話にも周圏論が適用されると考えていた。
これは民俗学の祖と言われる柳田國男が唱えた、有名な方言周圏論に民話を当てはめたものだ。
方言周圏論とは、中央から生まれた言葉が同心円状に地方へ伝播するという説である。
水面に石を落した時に広がる波紋のように、中央から広がるものは活発な人の往来により、その円は大きなものとなりうる。
各地に点在する方言に類似性が見られるのは、その時に広まった、いにしえ言葉の名残であると。
しかし地方の民話は人の交流も限られる為、その円は小さなものとなる。
中央からの伝播が大きな石だとするならば、地方の民話は細かい砂利だ。
水面に落ちる雨のように細かい波紋は輪を広げきる前に互いにぶつかり干渉し合い、様々な形に変化する。
しかも言葉ではなく物語。伝播の途中で様々な脚色がなされ、バリエーションも増えていく。
だが核となる部分が必ずある。河童しかり巨人伝承しかり天変地異しかり。
粟川は考えた。各地に残る類似性のある伝承を結べばその起点が解るのではないかと。
実際その通りだった。近隣は当然として、離れていても交流の盛んな土地同士ならば類似性を見る事が出来た。そこには必ず人と人との交流がある。
例え別の場所で起きた出来事だとしても、あたかもその場所で起きたかのような既成事実が作られている事例もあった。しかし。

「どういう訳かこの地に伝わる話というのは、他と全く類似性が見られんのですわ」

困ったような素振りを見せながら、どこか嬉しそうに笑う粟川。
ここは石を落しても波紋が起きぬようだと。かなめで生まれた伝承は何処にも伝わらず、ここにだけに留まったのだと。
それはまるで、石は水面には落ちず、穴の中に消えたようだと。

「さきほど真澄さんが読まれていた、かなめの大穴の話がまさにそれでして」

失礼、可愛い声が聞こえたのでつい聞き耳を立ててしまいまして、と好々爺が笑う。

「謎を解こうと意気込んでいるうちに、なんか解らんうちにこうなりまして」

実際この地は、特異なフォークロワの宝庫だった。しかもそれは、他と類似性が一切見られなかった。
伝承の起点には必ず事実が存在すると考えた粟川でさえ、当初はこれら話の真贋を疑ったものだ。
それだけこの地方に残る伝承の数々は特異と言えた。
曰く、天高く昇る金色の虹の話。
曰く、空から降りてきた黒い童の話。
曰く、一夜にして消えた軍勢の話。
曰く──かなめの大穴の話。

「しかし結局、良く解らなかったというのが顛末でして」

案内する粟川の足が不意に止まる。
見ればそこには数年前行われた地質調査の模様を記録した写真とジオラマ。壁掛けのモニターには再現CGがエンドレスで流れている。

「色々と諸説はあるのですけどね」

地震による崩壊説、森林伐採による山崩れ説、そして隕石説。それら諸説を仮想したシミュレーションCG。
だがそれらは、かなめ市という場所のある広い平地を作り出す事は無かった。

「以前、比較的大規模な地質調査が行われたんですがね」

私も立ち会ったのですが、と粟川は当時を思い出しながら言う。
その際判明したのが、この町の地層は自然堆積で出来たものではなく、明らかに崩落の痕跡が認められた事。
しかし時期は不思議な事に測定不明、あと極少量ではあるがこの地域ではまず見られない種類の鉱物類が含まれていた事。
但しこれは隕鉄では無い事──

「──つまり、謎は余計深まってしまったという事ですわ」

話し終えた粟川の片手には、先ほど真澄が読んだものと同じ小冊子。
細い指で開かれたページには子供向けのイラストと共に〈かなめの、ふしぎ!〉と書かれた章題と、今まさに彼が述べた説明文がそのまま載っていた。

「ふしぎだね、お父さん」
「んだなぁ」

真澄の頭を撫でながら藤原は思う。人の叡智なんざ所詮この程度なのだと。
禁忌の地であるカナメの調査が許されたのは、何も解らぬと端から解っていたからだろうと。
所詮ヒトは獣だ。その獣が二本の足で立ち上がり、二本の腕で火を灯し、地の上を我が物顔で闊歩する。
支配者を自称し何もかもが怖くなくなった振りをしても、その本性は変わらない。
だがヒトには他の獣と違い一つだけ大きな武器がある。想像力という名の武器が。
いま目の前で笑うこの老人は、恐らく何かに気付いてしまったのだろう、と藤原は確信する。
ゆえに選ばれてしまったのだ。だから取り込まれてしまったのだ──この町に。

「そうそう、不思議と言えばね真澄さん」

ここにはもっと不思議なものがあるんですよ、と優しく微笑む好々爺。

「え?なになに?なんですか市長さん」

どうぞこちらへ。彼が二人を手招く。
一階へと降り、導かれるまま進む先に閉じられた扉。関係者立ち入り禁止と書かれた札をめくり、鍵を挿し扉を開ける市長。
その先に地下へと降りる階段があった。どうぞ、さあどうぞ。粟川礼次郎が藤原親子を招く。

「常世さんから頼まれましてね。今回は特別という事で」
「え?市長さん、マユコさん知ってるんですか?」
「ええ、良く存じておりますよ」

笑う老人の顔は、冥府の門番のようでもあった。



パチン、パチンとスイッチが入る。
暗い部屋に次々と灯されて行くスポットライトは、その下に存在するであろう何かを照らし出し、その全容を浮かび上がらせた。

「すご、い」

真澄が絶句する。

「こりゃ、すげえ」

藤原も思わず声を出す。

「これが、要市縮尺模型図といわれるものです」

かなめ市が始まった一世紀前に作られたものですよ、と粟川が微笑む。

「どう思います?」
「すごく」
「おおきいです」

それは名の通り模型だった。しかし一般で言われる模型とは規模が違った。
広大な地下一階のフロア、その一面を使い切り敷き詰められた、巨大な町のミニチュアだった。

「作りこみが半端じゃ無いですね、これは」

藤原が驚くのも無理は無い。
今から一世紀前に作られたというこの模型は、その大きさとは対照的にとても精緻に作られており、
現存する市庁舎、市役所前駅、そして当時は商工会議所だった現在の郷土資料館すらほぼ完璧に再現されている。
元々古い町並みのせいだろうか、百年を経た今見ても、かなめ市に住む者ならば、
ここは自分の町だ、と一目見ただけで解かるほど微に入り細に入り作りこまれており、
しかも大変保存状態が良く、これだけの年月を経た今も劣化を感じさせない。

「あの、触ってみてもいいですか?」
「どうぞ」

模型を壊さぬように、そっと模型図の端に触れる真澄。
すぐに彼女の指に伝わるのは硬さ、やがて、ほのかに上気した肌の熱さえ奪うような冷たさ。

「うそ、これ──石?」
「そうですよ。これが一世紀を経ても劣化しない大きな理由です」

凄い、と感嘆する真澄。
この巨大かつ精密な模型の材質は石。その上から顔料で彩色が施されているらしい。しかも、と粟川は続ける。

「これ、削り出しなんですよ」

彼は言う、これはたった一つの石を削り作られたものだと。

「粟川さん。そのような事が果たして」
「可能なんでしょうねえ。こうして現物が眼の前にある以上」
「誰が作ったんですか?市長さん」
「製作者は解かっていません、ただ、これが出来た経緯は伝わっておりますがね」

市長が語る経緯とはこうだ。
百年前、商工会議所が作られる際のこと。当時としては珍しく地下一階に貯蔵倉庫を組み入れた設計ではあったが、
基礎工事中大きな問題に突き当たる。事前調査不測の為か、突如硬い岩盤に当たってしまったのだ。
今でこそ地盤調査が確立されてはいるが、この頃はまだ緩く、生じた問題に対し、工期を延ばしてでも何とかしてこの岩盤を削るか、
工事を取りやめて移転するか、もしくは設計を見直し地階を無くすか、これら三つのの瀬戸際に立たされた。
ここまではまあ、良くある話なのではあるが。

「この後の展開が面白いんですよ」

選択を迫られる最中、或る人物がその岩盤を見させて欲しい、と建設現場を訪れる。
その人物曰く、この問題を解決する手段が自分ならば見つけられるかも知れないとの事。
工事の無い夜、一晩きりならばと立ち入りを許し、翌日作業員が現場を訪れたところ──

「嘘みたいな話でしょう?そこにコレがあったそうです」

件の人物が一体何者であったのか、そして何処へ消えたのかは定かではない。
しかしあまりにも見事な出来栄えに、関係者はこれを残す事に決め、
以来この建物の地下に存在する奇跡の模型図は訪れる人々を驚嘆させ続けているという。

「確かに、にわかには信じ難い話ですね」
「誰が何の為にこんなもの作ったのか解かりませんがね。
 まあつまり掘削でも移転でも設計変更でもない第四の選択が取られたと言う訳です。
 ただ出自があまりにも怪しすぎて、あまりコレおおっぴらに出来ないんですよ。惜しいですがね」

賢明ですね、と藤原は頷く。
確かにこれ程の物ならば良い観光資源になるのだろうが、一方で騒ぎの種となるのは必至。
大きなものを得たとしても、それ以上に失うものが多いだろう。

「それでも、もったいないですね」

再び足元に拡がる模型図へと視線を落し、藤原がその細部を凝視する。確かにこれは凄い。
素晴らしい、というよりもまさしく凄いという表現が的確だろう。
その精密さ、例えば建物の窓枠、商店の軒先にならぶ品々の数々、町の中心を走る市電の細部に至るまでほぼ完璧に作りこまれている。
機械技術の発達した今ならば可能──無理だ、と藤原は思う。
ここまで精緻に、しかもたった一つの岩から削り出して作ることなど、ましてや一晩でなど。

「しかし本当に、凄いものです」

藤原はそれに触れる、が、言葉とは裏腹に少々拍子抜けした感が否めない。
確かにこれは凄い物だ、だがそれだけだ。これはただの石だ。何の変哲も無いただの石だ。
脈動する町の基点、言うなれば心臓とも言える場所、にも関わらずこれだけかと──しかし。

「粟川さん、あの窓は一体?」

藤原はふと、ある一点に気付き模型から目を離し、ホールの天井を注視する。
ライトの明かりで最初は気付かなかったのだが、目を凝らせば天井の中央に、鎧戸で閉じられた大きな天窓が見えたからだ。

「ああ、あれですか。月見窓ですね」
「ツキミマド?風流ですね。何故そのようなものが」

説明するよりご覧いただくほうが早いですね、と壁際に寄る粟川。
ライトのスイッチが並ぶ横、小さな扉を開き中からハンドルを引き出し、ぐるぐると回す。

「今宵は中潮、つまり満月の一日前なので大丈夫かと思いますが」

ハンドルの回転と連動しながら、きいきいと軽い金属音を立て開かれて行く鎧戸。

「お二人とも、良く眼を凝らしてご覧くださいね」

やがて金属音が止まり、一拍置いてパチン、パチンとスイッチが降ろされる。
消えて行くスポットライト、やがてホールが暗闇に包まれる──と思われたが。

「この建物は地上三階地下一階。ですが中心部に風通し用に穴が開いてまして、その穴は地下まで通じあの天窓に行き当たります。
 何故こんな無駄な作りをしているかと言いますと」

たぶん、これのせいなのでしょうね、と粟川が囁く。
露出した円形の天窓から注ぎ込まれる月の光。おそらく丸く分厚いガラスはレンズの役目を果たしているのだろう。
拡散する青白い光は、隅から隅まで満遍なく模型図を照らし出す。

「すご、い」

今度こそ心の底から感嘆の声を上げる藤原。真澄は声を上げる事すら忘れその光景にただ魅入る。
二人の視界に映るもの、月明かりに照らされた箱庭の町、建物の窓という窓から漏れる光──夜の町が、そこにあった。

「反射、しているのですね」

眼を凝らし光の一つ一つを注視すると、その光は、建物の窓や道筋の所々、
顔料が塗られていない石の地肌剥き出しの個所から発しているのが見て取れる。

「陽光やライトにではなく、月の光だけに反応するらしいのです」

どうぞこちらへ。手招く粟川に誘われて、彼の隣に身を寄せる真澄と藤原。
そして二人は見る。自分の今まで立っていた位置からは見えなかったものが、ここからは見える。

「お父さん、これ──なんて読むの?」

くいくいと父の袖を引き娘が尋ねる。父は心ここにあらずといった風でぼそり、と呟く。

「noli ・me ・tangere」

藤原の口から漏れた言葉。一際強く輝く個所が重なり合い、光の文字が読み取れた。

「はい。どうやらこの文字はラテン語で、確か意味は」
「ノリ・メ・タンゲレ──我に触れるな、ですね」
「流石です藤原さん。まぁこれが一般には出せない大きな理由です、これはもう、あまりにも」

そう、これはあまりにも妖し過ぎる。一体これは何なのだと藤原は思う。
馳走の礼、と繭子は言った。言葉足らずの化物はこれを見せたかったのか。
恐らくこれがあいつなりに自分に対し示した一つの答えなのだろう。何を意味するのかは解らぬが。

「──きれいだね、お父さん」
「──ああ、そうだな」

傍らの真澄は今にも蕩け出しそうな顔で、その文字と光溢れる夜の町を見つめている。
藤原がそっと娘の肩を抱く。彼の手をきゅっと握る小さな手。目元を緩ませ藤原も握り返す。そして思う。
まあいいさ。そこにどんな意図が篭められていようが、今だけは仕事を忘れ、この綺麗で不思議な光景を楽しもう。この子と一緒に。それでいいさ。

「さて、そろそろ戻りませんと」

そして月見窓が閉じられる。
夜の灯が消え、再びスポットライトが照らされる。

「粟川さん、お忙しいところ有難うございました──真澄。ほら」
「あ、はい。市長さん、ありがとうございました」

ぺこりと頭を下げる娘に目を細め、どういたしましてと粟川が微笑む。

「そういえば、先ほど満月の一日前なので大丈夫、と仰られましたよね?」
「ええ、その夜だけは窓を開けないほうが良いと伝え聞いておるもので」

良くは解からぬのですが、と前置きした上で粟川は答える。

「たぶん、これ以上のものを見てしまうからじゃないですかねえ。当てられてしまうというか」

ほら、月の光は色々と狂わせてしまうそうですから──かなめ市長、粟川礼次郎が笑う。

「あれ?これ漢字だ」

ホールの隅、置かれた立て看板を見て真澄が気付く。
記された文字──要市縮尺模型図。

「町の名前、昔はひらがなじゃなかったんですね、市長さん」
「いえ、昔からかなめ市は平仮名表記ですが、はてさて」

曖昧な笑みを浮かべる粟川。そ知らぬフリをしているが、その意味を解らぬ筈ないだろうと藤原は苦笑する。
そして今一度、模型図の全景を脳裏に刻む。おおまかな道筋は現在とあまり変らぬようだ。ならば、と藤原は三つのイメージを重ねる。
最初見た町の全景、一週間前見た町の全景、そして模型図。アウトラインは綺麗に一致。それはこの模型図の正確さを物語る。
しかし中身はどうか。確かにずれている。しかしひと月前は右、先週は左。この模型図は丁度中間に位置していた。基準値だと藤原は察する。
そして基点は──基点?待てこれは。

「──お父さん?」

真澄の声で我に返る藤原。

「では戻りましょうか」

粟川に促され地下ホールを後にする二人。
しかし藤原は気付いた。市長が言う通りの伝承ならば、それが本当に正しいのならば。
あの模型図──ありえないものがある。



煌々と中潮の月が夜の町を照らす。
路地に伸びていく二人の影。手を繋ぐ父と娘。さあ、おうちへかえろう。

「すごかったね」
「ああ、スゴかったなあ」

えらいもん見せられてお父さんと娘、少し顔が上気しております。
郷土資料館自体もかなり良かったのですが、その後見せられたとんでもないブツのおかげでそれ以外ぶっとんでしまった二人。
娘さんがどこか夢見ごこちなのはそのせいです。

「満月だと何が見れるのかな?」
「さあな。エレクトリカルパレードとか始まんじゃねえの?」

甲高い声で人語を発する直立歩行型ドブネズミとか恋人のビッチマウスとか水兵のコスプレしたダミ声アヒルとか
毒殺されても蘇るスノーホワイトソンビクイーンと従僕のセブンミュータントとか。
そんな奴等が発光しながらイネガア、ワルイゴハイネガアと口から唾を吐き叫びつつ目抜き通りを狂ったように疾走する。
まさに子供達を恐怖のズンドコに叩き落すフリークスランド。お得なフリーパスのお値段はオマエノ命ダ。

「──という感じじゃねえかな」
「なにそれこわい」

ぶるぶると首を振り満月の夜だけはあの建物に近付かないようにしよう、と固く誓う真澄。
その様子を見て安心する藤原。あれは不思議のままにしておいた方が良いのだろうと彼は思う。

──ほら、月の光は色々と狂わせてしまうそうですから。

その言葉を発した好々爺の瞳に宿るものは、狂気の光などではなく、達観のともしびだった。
彼が何を見たのか、何を知ってしまったのか、そして何を理解したのか。藤原には窺い知る事が出来ない。
知ろうとも思わない。なぜなら彼の達観とは、あきらめとも言えるからだ。

──藤原さん。わたくし隠すつもりなど御座いませんから。

帰り際、藤原の耳元で囁かれた市長の言葉を思い出す。
隠すつもりなど御座いません。常世の君があなた方に見せろと言われるのならば従うまで。
見なさい藤原さん。思う存分御覧なさい。この町の秘密を。この町に眠るもう一つの要市を。魔道の源流カナメの全てを。
止める事など出来ましょうか。どうぞお好きなように。この町に住むという事は、そういう事なのですからね。

「なあ、真澄」
「なに?お父さん」
「この町、好きか?」
「好きだよ。お父さんと暮らす町だもん」

頬を染めて真澄が笑う。そっか、と藤原も笑う。
ならばもう迷わない。全てを見る、全てを知る。この子と笑って暮らす為に。この子を守り抜く為に。
この子が一人で歩くその日まで、笑い守り生き残る。その為ならばなんだってやってやる。
覚悟しろ──今の俺は無敵だぜ。




むかしむかし。
まだこの土地が深い山々に囲まれ、うっそうと繁る木々に囲まれた森だった時代のこと。
そこは魔女達が暮らす隠れ里でもありました。
魔女、と言いましても空を飛ぶわけでも人を鼠に変える訳でもありません。
多少勘が良くて明日の天気が解かったり、占いが良く当たるくらいのもので、つつましくも穏やかに暮らしておりました。
しかしある日、正真正銘本物の魔女が里に舞い降りました。
その髪は黒く、その姿は童女のようでしたが里のだれよりも長生きで、空を飛び火を吐き雷を落とし、人を鼠に、鼠を人に変える事すら出来ました。
つまりこの黒髪の魔女に出来ない事などなかったのです。
最初は誰も彼女のことを恐れていましたが、彼女が持つとてつもない力に、やがて多くの人々がひかれて行きました。
ああ、自分達もあんな力があったらなあ、とうらやましがりました。
そんなある日、月の消えた新月の夜の事でした。黒髪の魔女は人々を集め、こう聞きました。

おまえたちも、わたしのようになりたいかい?──なりたい!と人々は言いました。
かわりに、なにかをなくすかもしれないよ?──よろこんで!と皆は答えました。

ならば、はこをあけるよ。
黒髪の魔女が言うが早いかどーん、と大きな音がして地面がゆらゆらと揺れ、
彼女の足元から大きな、それはたいそう大きな岩が地を割り浮き上がります。

──あけたよ、はこをあけたよ、このふたはもらっていくよ。

その岩こそこの地に眠る要岩(キー・ストーン)と呼ばれるもので、地獄へと続く大穴を塞ぐふただったのです。
岩が消え現れた大穴からたくさんの黒い手がわき出し、あぜんとする人々を捕まえ次々と穴の中へとひきずりこんで行きます。
助けて、助けてと泣き叫ぶ声がひびき渡ります。けれど逃げるのに精一杯で助ける事などできません、
みんなその黒い手から逃げようとわれ先に逃げ出しますが一人また一人と捕まり次から次へと穴の中へと呑み込まれて行くではありませんか。
その光景はまるで、地獄が現れたかのようでした。
どれくらいたったことでしょう。
夜が明け、あたりが白くなった頃、かろうじて生きのびた人たちが見たものは、すっかり荒れ果てた森と、
えぐられあとかたもなく消えてしまった山々と、そして、あの大穴をふさぐように積み重ねられた、しかばねの山でした。
やがて生き残った人たちは気づきます。自分たちに、黒い髪の魔女のような大きな力が宿ったことに。
けれどもう誰も、それを喜ぶものはいません。

あの魔女が言ったとおりでした。

彼らは大きな力を手に入れる代わりに家族を、友人を、仲間たちを亡くし、
そしてかつての、つつましくも穏やかな生活さえ失くしてしまったのです。  
そして彼らは誓いました。
この力はもう二度とこんな事が起きないように、あの要岩が消えてしまった大穴、地獄の入り口をふさぎ、守り続けるためだけに使おうと。
もう誰ひとり逃げるものはいません。いつかあの岩を取り返し、この大きな穴をふさぐその日まで、みんなでこの土地を守り続けようと固く誓ったのです。
あの岩と、黒い魔女がどこへ消えたのかは定かではありません。
はるか東の方角へ飛んでいったとも言われています。
それから後、この場所は、箱を開けて生まれた大穴という意味をこめてボックス・ホールと呼ばれ──

「──やがてその名は、ヴォクスホールになったと言われています」

おしまい、と彼女は微笑む。子供に寝物語を読み聞かせる母親のように、優しく。
果てさえ見えぬ暗闇の中、パタン、と本を閉じる音が響いた。










■狼の娘・滅日の銃
■第六話/時には昔の話をしようか■了

■次回■第七話「ハー・マジェスティ」



[21792] 第七話/ハー・マジェスティ
Name: なじらね◆6317f7b0 ID:d0758d98
Date: 2010/09/21 22:01


ヴォクスホール王国。
正式名称ハー・マジェスティ・オブ・ヴォクスホール・キングダム。
その名の通りハー・マジェスティ、つまり女王が統治する国家である。
一般にはあまり知名度の無いヨーロッパの小国ではある。
しかし王位を女系が継いだ場合、王朝が刷新されるという考えが一般的な為に無視されがちだが、
血脈の古さという点ではヨーロッパに於いて最源流に近い王家であるとも言える。
主産業は観光と農業。立憲君主制国家ではあるが統治者が君主大権を保持しているという点ではリヒテンシュタインに近い。
だが一般に知名度は低いと言っても、かなめ市では別だ。
何故ならこのヴォクスホールとかなめ市は姉妹都市協定を結んでおり、比較的交流が盛んであるからだ。
しかし小国とは言え相手は国家、かなめ市は地方の一自治区に過ぎない。果たしてこれは成立しうるのか。
などと言っても実際成立しているのだからしょうがない。
実際かなめ市とは共通項が多い。一つ面積、共にほぼ160平方キロメートル。一つ人口、共に3万人弱。
一つ立地、山に囲まれたかなめ市と山間地に位置する内陸国ヴォクスホールは共に海に面していない。
他には景観が牧歌的でどことなく似ていたり、街中に市電が走ってたり、飯が結構旨かったり、
財政的にそんなに恵まれてないにも関わらず意外となんとかなってたり、
などなど、これではお互いにシンパシーを感じてしまっても仕方ない、のかもしれない。

「こちらでしたか」

彼女が探す主(あるじ)はテラスで一人、陽光の下、ひと時のティータイムに興じていた。

「探しましたよ、女王」

言いながらも彼女は主の横顔にしばし見蕩れる。
きめ細やかな白い肌。皺一つ見えぬ目尻。午後の日差しが柔らかなその髪に注がれる。
透き通るようなプラチナブロンド。しかし主は彼女の言葉に答える素振りすら見せず遠方の山々をただ眺める。
再び問い掛けようとするも、ふとテーブルの上に視線が移る。その机上に置かれたもの。
ティーカップ。ポット。砂糖入れ。チェス盤と駒、そして一際目に付いたのが便箋。

封切られ置かれたカードの文字──かなめ市郷土資料館・開館五周年記念式典ご案内。

なるほど、東か。彼女は納得する。
敬愛する偉大なる主が今眺めているであろう東の山々。きっと主はその向こう、遥か彼方の地を見ているのだろうと。
やがて彼女の主──女王、アメリア・ヴォクスホールは言葉を漏らす。

「おうどんたべたい」
「──母様!? 」

その素っ頓狂な言葉につい素に戻ってしまった彼女──エレン・ヴォクスホール第一姫。

「あらエレン?ごめんなさいね、わたしったら」

オウドンって何?って何!? と心の中湧き上がる疑問を押し止め、なんとか取り繕うエレン。

「おうどんと言うのはね、ニホンのパスタみたいなもので」
「お願いですから心の内を読まないで下さいませ母様」

ほわほわと笑うアメリアをエレンは母と呼ぶ。
しかし、端から見れば姉にしか見えぬその姿。女王はエレンが生まれた時より何も変わらない。
それ以前に老いという概念さえ寄せ付けぬその美貌。
エレンの母にして女王、アメリア・ヴォクスホールはこうも呼ばれる──常若の君と。

「行かれるのですか?カナメに」
「行きたいのは山々だけれども」

無理ね。と残念そうに溜息をつくアメリア。

「それが常世の君──コクーンとの盟約だもの」

他の地は侵さず──そうでしょ?女王の言葉に頷くエレン。
古来より侵略そして紛争が絶えないこの地、にも関わらず数多の大国に蹂躙されず併合すら許さず
頑なに独立とその血脈を守り抜いてきた奇跡の小国、ヴォクスホール。しかし。

蹂躙?併合?とんでもない!

誰が好んで自国よりも遥かに強大な力を持つ国家に手など出すものか。
その気になれば周辺の国々など一夜で灰燼に帰す事も可能、それだけの力をこの国は持っている。
小国などはで無い、大国なのだ。世界中の魔を統べる魔道大国、それがヴォクスホールの真なる姿。
忌々しくも強大無比な魔道師団を有する絶対君主国家。
ハー・マジェスティ・オブ・ヴォクスホール・キングダム、それは、こうも呼ばれている。
マジェスティック・インペリアル・オブ・ヴォクスホール──魔道帝国ヴォクスホール、と。

「それで?わたしを探していたようだけど」
「恐れながら、実施要綱に御目通し願えればと」

エレンの差し出した冊子。その表紙に書かれた文字──Re-Build of " Ex - Inferis "

「あらあら、もうこんな所まで。仕事が速いわね、エレン」

女王は凛と佇む我が娘を見て目を細める。

「ラインの正常化は王国の悲願でございますから」

しかし、細めた瞳から漏れる眼光は、冷たい鋼のようだった。





狼の娘・滅日の銃
第七話 - ハー・マジェスティ -




魔道──それは魔法とは異なる。
本来、人の御せぬ巨大な力、これを魔と定義する。
それは流れであり巨大なシステムの如く循環する。
磁力線が南と北の二極を結ぶように、この力の循環は西と東を結ぶ一つのラインを形成する。
西のヴォクスホール東のカナメ。魔道とはこのラインを示す言葉である。
元々このラインは西から発し東へ落ちるという流れであった。
故にヴォクスホールは魔道の源流地としてこの力を取り入れ利用する魔道技術が隆盛を極め、魔道帝国として世界を席巻する。
歴史の宵闇から薄明を渡り君臨する夜の帝国として。

その中枢はライン制御の要石(キー・ストーン)、魔道の心臓──エクス・インフェリス。

心臓の名が示す通りエクス・インフェリスとは、ラインが絶え間なく流れるべく設置された制御器である。
何故このような物が必要なのか、それはラインの特性に起因している。
魔道、つまりラインに流れる力の流量は本来一定ではない。時にたおやかに、時に絶え、そして時に激流の如く押し流す。
そのままでは人が御する事が難しい暴れ川なのだ。
そこでラインの源泉であるホールと呼ばれる場所にエクス・インフェリスを設置し、
流量を制御する事で力を効率的かつ安定して供給する事が初めて可能となる。
ポンプにして循環器にして制御器であるエクス・インフェリスは文字通りヴォクスホールの心臓であった。
一方、ラインの落つる地カナメは力が呑まれ消え行く場所として禁忌の地とされ、長きに渡り人が寄る事を許さず、歴史からも抹殺され続けた。

「全てはあの日から、ですものね」
「はい。女王」

それがある日を境に反転する。
東から西へ、カナメからヴォクスホールへ。後にリバーサル・シフトと名付けられた逆転現象。
主たる原因はエクス・インフェリスの消失、それにより制御を失ったラインが暴走を起こし氾濫、結果、逆転現象を引き起こす。
これによる被害は甚大で王国臣民の半数がホールに呑み込まれ犠牲に──と王国公式文書には記されている。
消失の原因は不明。だが時を同じくして王国より消えた者がいた。
名をコクーン。誰よりも魔道を熟知し黒髪の魔女と恐れられ、当時王国でエクス・インフェリスの制御を取り仕切っていた審神者。

審神者──サニワとは祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者を指す。

遠くカナメの地より来訪し魔道の存在をこの地に伝え、その扱い方を王国に教授したとされる伝説の客人。
コクーンの名は彼女がカナメで用いた名、繭(コクーン)に由来する。彼女が王国にもたらした恩恵は計り知れない。
しかし公式文書とは別に存在する帝国機密調査文書にはこうも記されている。

曰く、魔道の心臓は、コクーンにより奪われた可能性が強い──と。

しかし、皮肉にもこのリバーサル・シフトは損害を補って余りある恩恵を王国に与える事となる。
原因は不明だがリバーサル・シフト以降、エクス・インフェリスを失ったにも関わらずラインは突如その性質を変え、
制御を行う以前よりも遥かに安定化を遂げ、以来今日に至るまでその力をヴォクスホールに注ぎ込んでいる。

「何故コクーンはあのような事を致したのでしょうか」
「警告──なのかもしれないわね」

魔道の帝国よ、借り物の力で驕(おご)る事なかれ。
黒髪の魔女コクーンは、この言葉を伝える為に魔道の心臓をヴォクスホールより奪い、遠きかなめの地に隠し、
故意にリバーサル・シフトを引き起こしたのではないか。アメリアはそう言っているのろう、とエレンは理解する。
遥か昔、ヴォクスホールはどこにでもある一小国に過ぎなかった。
常に周辺よりの脅威に晒され続け、強国からは子羊のねぐらと揶揄され、いつ地図より消え去ったとしてもおかしくは無かった。
そこに現れたのがコクーンだ。童女の姿を纏い艶やかな長い黒髪をなびかせて王国に舞い降りた御使いの如きその姿。
自分を旅人だと言い、また審神者であるとも告げた彼女を王国は暖かく迎え入れ交流を結ぶ。
だが或る日、突如隣国が国境を越え侵攻を始める。為す術も無く王都を包囲されヴォクスホールは落日を迎えると思われた。
しかしその時、取り囲む大軍の前に黒髪の魔女が現れ、彼女は告げる。

──この地を侵すなかれ、この地に触れる無かれ、これは御言葉である。

ノリ・メ・タンゲレ──汝触れるなかれ。
この言葉を放った瞬間、突如大軍の足元に地獄へと続くかのような大穴が現れ、一瞬でその全てを飲み込む。
そして彼女はまるで何事も無かったかのように振り返り、にこやかに微笑み、その童女のような愛らしい口で、唖然とする王国の民にこう告げた。

──わたしはおなかがすきました。今日のごはんは何ですか?

それが或る日に起きた出来事であり、王国の終わりにして、魔道帝国の始まりとなる。
以来子羊のねぐらは狼の巣へと変貌し、誰もこの地を侵す事は無くなった。
コクーンの手により生み出された大穴──ホールに据えられた魔道の心臓、エクス・インフェリスを中枢として発展する数々の魔道技術。
だがそれを用い。かつて隣国が行ったように他の地を侵す事は決して無かった。それが黒き魔女との盟約だったからだ。
しかし他の地を侵さぬ代わりに、その勢力は近隣のみならず遠方に至るまで及ぶ事となる。
やがてその力を恐れ、また渇望する大国の度重なる侵攻を受けるも、強力無比なる魔道師団によって都度駆逐され、
完膚無きまでに打ちのめし、屈服させるその姿勢は世界の隅々まで浸透する。
地は侵さず、しかして君臨する。君臨すれど統治せず、されど魔道を支配する。その姿は今日に至るまで揺ぎ無い、しかし。

「驕り──確かに」

所詮それは借り物の力。ラインの威をかさに着た傲慢な行為に過ぎない。
故に彼女は警告する。お前達の心臓は我が手にある。夢々忘れるなかれ、驕るなかれ、と。

「でもね、エレン」

薄く朱に染まる唇を微かに歪ませ、アメリアは娘に告げる。

「あの存在の御言葉はね、全てを鵜呑みにしてはいけないの。解る?エレン」

その口ぶりはどこか楽しそうでもあった。



このままで果たしてよいのでしょうか。

かつてエレンは母にして女王であるアメリア・ヴォクスホールにそう問い掛けた。
未だ帝国は仮初とは言え繁栄を謳歌している。
リバーサル・シフト以降、確かにラインは驚くべき安定を遂げた。故に誰もがあの一件を無き事にしようとしていた。
しかし見過ごせない点が二つあった。それはつまり、ラインがいつ何時かつてのような姿に戻るとも知れない、という事実。
それにも増して危惧されるのはラインの源流がカナメに移ってしまった事だ。
もし帝国に仇名す者によってこの地が抑えられたとしたら。それは魔道帝国の崩壊を意味する。

捨て置きなさい、とアメリアは答える。

幸いにしてあの消失が当事者以外に漏れた形跡は無い。
故に今までのようにコクーンの気に触れぬよう、したたかにやり過ごすのがこの繁栄を止めぬ最良の手段。
しかし、魔道の心臓奪還の為、魔道師団総力をもってカナメに攻め込み、コクーンに挑むとしたらどうなるのか。
負けはせぬだろう、だが到底勝てはしないだろう。良くて相打ち。
例え膨大な犠牲を払い取り返せたとしても、疲弊し切った我らに対し、
勝機とばかり未だ覇権を狙う者達より攻勢を受ければ、あえなく帝国は落ちる。
それは帝国のみならずラインの絶大な力を得るために数多くの血が流れる切っ掛けに為りかねない。
王国と帝国と世界の安寧の為には、あの黒髪の魔女が沈黙を守る限りこのままが良いのです、きっとコクーンも同じ想いでしょう、と。
エレンもその想いは良く理解していた。故に彼女は母に一つの進言を行う。
女王、いまひとつ手段がございます、それは──エクス・インフェリスのリビルド(再生)。

「もう準備起動まで行けそうなのね」

冊子に目を通しながら、対面に座る娘に問うアメリア。

「当時と違い制御プログラムも組み込んでおりますので、近日中に稼動は出来るかと」

そう、それは良かったわね、と女王は微笑む。

「魔道と科学の融合、楽しみねエレン」
「私は指揮を執り行ったに過ぎません。寝食を忘れ取り組んでくれた者達のおかげです」

ヴォクスホール王国継承権第一位、エレナ・ヴォクスホールの脳裏に浮かぶ者達の顔。彼らは皆、エレンを慕っていた。
王国と帝国、何よりも臣民を愛する姫君だからこそ、老若男女を問わず彼女に尽き従う忠実な臣下だった。
だからこそ彼女は、そのような彼らを心底愛していた。

「そうね。成功の暁には労をねぎらい、存分に礼を与えねば」

愛しそうにアメリアが娘の頬を撫でる。柔らかい母の手に、心地良さそうに目を細めるエレン。
しかしその光景は、二人を知らぬ者達から見れば仲の良い姉妹にしか見えない。

「ねえエレン。あなたはいくつになったのかしら」
「十七でございます、母様」
「そう。ならばそろそろ考えてくれないかしら?」

王位を継ぐ事を。母の言葉に笑みを消し身を固める娘。

「──お戯れが過ぎます。女王」

継承権とは形式だけのものですから、と女王に告げるエレン。

「私は女王の執務代行者として作られたのですから」

その言葉を受け、寂しげな素振りを見せる母にエレンの胸が痛む。
しかしこればかりは仕方がないのだと思い直す。取り違えてはいけないと。
自分は女王になる為に生まれたのではない。女王の仕事を行う為に作られたのだ。ハー・マジェスティの為に。何故ならば。

ヴォクスホール王国の長き歴史に刻まれた女王の名はただ一つ──アメリア。

その名は受け継がれたものでは無い。唯一の名だ。
目の前で悠然と佇む女性こそが唯一の女王なのだ。
未だ老いを知らぬ常若の君。魔の中枢に座す唯一の存在。The One。
魔道帝国ヴォクスホール首魁アメリア・ヴォクスホールとは、そういうものなのだ。

「ならばエレン。わたくしの愛しい娘。貴女は──何を望むの?」
「この身朽ち果て消えるまで、女王のお傍に」
「わたしくしに忠実な人形など必要無くってよ?エレン」

その言葉を聞き、エレンは苦笑する。この愛しくも恐ろしいお方は何でもお見通しなのだと。

「もしたった一つだけ我が侭が許されるのならば」

旅がしとう御座います、と娘は微笑む。

「なぁんだ、わたしと同じじゃない。やっぱり娘ね」

ふふっ、と楽しげに笑う母の姿を見てエレンの顔も再びほころぶ。
ヴォクスホール女王はこの地より動く事が出来ない。それがライン管理者として彼女に課せられた使命なのだから。
もし女王が動けば世界は落ちる。血と混乱と殺戮と破滅、その只中に。
だから動かぬのだ、とエレンは信じている。否、そうであって欲しいと彼女は願う。

「いいわエレン。起動成功の暁には貴女の労もねぎらいましょう」
「いいえ女王。叶わぬ望みです。お聞き流し下さいませ」
「いいのよ。わたくしの代わりに世界を見てきて。ね?」

母は微笑む。

「はい。母様の代わりに」

娘も微笑む。

「成功するといいわね」
「ええ。全てはそれからです」

テラスに柔らかな風が吹く。
遠く山の向こうから丘を越え谷を抜け麦畑の稲穂を揺らし、王宮に辿り付いたその風は二人の金髪を揺らす。
午後の静かなテラスで微笑む母と娘。

「ところで母様、気になってはいたのですが」

不意にエレンは、机上に置かれたままの手付かずのチェス盤に目を向けた。

「ああ、これ?ちょっとしたお遊びよ」

盤上の駒は定石に並べられてはいない。中央に黒のクィーン、その周りを白黒問わず取り囲む全ての駒。
これは一体何を意味するのかとしばしエレンは熟考する。しかし。

「ねえエレン。貴女ならどう攻める?」

アメリアの問いにエレンは気付く。
黒のクィーンは──黒髪の魔女、コクーン。
ならば周りを取り囲む駒は──魔道師団。
そして盤は──カナメ。
一見すれば駒に取り囲まれた黒のクィーンは絶体絶命。
どう進めようとも勝ち目などありえない。故にそれは至極簡単な例題にも思えた。
しかし、にこにこと笑うアメリアの表情に含みを感じ、改めて全体を見る。そして。

「母様、これでは攻められません」

言うが早いか盤の両端を掴み、勢い良く折りたたむ。

「こうなっては御仕舞いです、女王」

机上にちらばり倒れ伏す駒達を見て笑うアメリア。

「よくできました」

この答えに辿り付いた者は未だかつて誰も居なかった。それを一目見て解くとは。
この子は今まで創り上げてきた数多くの娘達の中でも抜きん出ている。極上だ。最高かも知れない。
満面の笑みで嬉しそうに頷く女王。その顔の下で彼女は思う──これならば、と。

「それでは失礼致します、女王」

席を立ち一礼し、テラスを去る娘の後ろ姿を微笑み絶やさぬまま見送るアメリア。

「本当に良く出来た子。母は嬉しいですよ」

さわさわと午後の風がテラスを抜ける。窓際のカーテンがゆらゆらと揺れて波打つ。

「あとは、仕上げを残すのみ」

そして再び、娘が持参した冊子を手に取り無機質な瞳で題字を見つめる。

「エクス・インフェリスのリビルド。成功するといいわね、エレン」

その瞬間、女王の手の中で業と燃え上がる冊子。

「まあ、無理なのだけど」

燃え尽きた灰が天空高く舞い上がる。熱風がテラスに渦を巻きカーテンを巻き上げ。

「おまえもそう思うでしょう?──〈C・E〉」

その刹那、カーテンが炎に包まれ燃え落ちる。そして現れる影ひとつ。
シルエットは少女。しかし目と口を糸で縫われ、全身に鋭い刺を生やす黒い殻を纏う人形。

「あの子は出来は良いのだけれど」

人形は何も言わない。縫い合わされた口元は微動すらしない。

「大切な事を忘れているのよね」

黒い手、と女王は囁く。
その言葉に人形の口端が微かに歪む。
──岩が消え現れた大穴からたくさんの黒い手がわき出し、あぜんとする人々を捕まえ次々と穴の中へとひきずりこんで行きます。
──助けて、助けてと泣き叫ぶ声がひびき渡ります。けれど逃げるのに精一杯で助ける事などできません。
──みんなその黒い手から逃げようとわれ先に逃げ出しますが一人また一人と捕まり次から次へと穴の中へと呑み込まれて行くではありませんか。
──その光景はまるで、地獄が現れたかのようでした。

「エレン、身を以って体に刻みなさい。その恐怖を」

それがあの子の仕上げ、と女王は微笑む。
お前が愛する者を失って後、初めてお前は完成するのだ。
お前の願いは叶えよう。旅に出るがいい。片道切符を手にカナメへと送ってやろう。
聞け、我が最高傑作エレン・ヴォクスホール。その答えを出したのならばお前は我と同じだ。
我と等しいお前がコクーンの懐で何を見るのか。我はその時が楽しみでしょうがない。嗚呼待ち遠しいぞ愛しき我。

「──とは言っても安心なさい。あなたが先だから」

こくり、と黒き人形は頷く。それが約束だと言わんばかりに。

「あなたなら満足させられるかしら?コクーンを」

縫い合わされた口元が大きく歪む。吊り上がる口の端々はまるで、三日月のように見えた。

「〈C・E〉──EATERの名に恥じぬ働きを期待しておりますよ」

その為に今まで調教して来たのですからね、と笑う女王。
そして豊満な胸元から一枚の写真を取り出し、そこに映る二人を無機質な瞳に映す。

「この斥候、良い働きをしますね。〈青〉へと引き抜いた甲斐があったというもの」

魔道第五機動師団〈青〉。通称、機動団〈青〉。秘匿名──魔道旅団。
ひと月前、〈青〉に属する手練を一人、かの地に送り込んだ。女王の密名を受けた彼は、与えられた仕事を今の所ほぼ完璧に遂行している。
そうでなくては、と女王は思う。彼もあの者と同じドリフター。相性は良い筈だ。あの者には到底敵わぬだろうが、それは構わぬ。
何故ならその目的は、対峙などでは無いのだから。

「この者の顔を良く頭に刻んでおきなさい」

女王は、その写真を黒き人形に向ける。添えられた細い指が示すのは一人の男。

「シンヤ・フジワラ」

ラインよりはぐれし者ドリフター。
恐らくその中で最強の〈より強きもの〉ですよ、とアメリアは言葉を添える。
かねてよりヴォクスホールが狙い、遂に取り込めなかった者だと。

「コクーンを喰らう前に、まずこの者をお前は喰らわねばなりません。そして」

アメリアの指が静かに動き、止まる。

「〈C・E〉──この娘はね」

彼女が示すもの。男の横にいるもう一人の娘。

「お前の直系ですよ」

女王の指先で、父親と腕を組む十七歳の娘が笑っていた。











■狼の娘・滅日の銃
■第七話/ハー・マジェスティ■了

■次回■第八話「マスミ・セブンティーン」


※おまけェ…
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/86/18a259982f626a35128dc2160a2b964b.jpg



[21792] 第八話/マスミ・セブンティーン
Name: なじらね◆6317f7b0 ID:d0758d98
Date: 2010/09/24 22:05




一年目は瞬く間に過ぎて。

「どうかなお父さん、似合う?」
「お、おう。そんなもんじゃね?」
「なに顔赤くしてるの?ははぁさてはお父様、娘の制服姿に欲情してますね?」
「あのな真澄。何度も言うようだが父は胸が平面ガエルにはぴくりとも動か」
「ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!」
「痛いッ!痛いッ!痛いッ!痛いッ!」

二年目は気が付いたら過ぎていて。

「藤原。お前はやってはいけぬ事をやってしまいましたね」
「え?何でおめえ怒ってんだよ、おかず一品もらっただけじゃ」
「謝って!お父さん早くマユコさんに謝って!早く!」
「藤原お前が泣いても殴るのを止めぬ藤原お前が泣いても殴るのを止めぬ藤原お前が泣いても殴るのを止めぬ藤原お前が泣」
「マウントッ!やめっ!拳ッ!離せなッ!ノブッ!鼻ッ!血ッ!ふりっ!くりっ!かゆっ!うまっ!」
「にげてー!おとうさん!にげてー!」

三年目もなんだかんだで過ぎたりして。

「まあだあまげえだあああ!ごんなオヤジにい!まだあまげえだああ!」
「ああウゼエ!泣くなベソ美!うわ抱きつくな鼻水拭うな噛むな舐めるなてめえッ!」
「で?お父さん解ってる?私ね今年受験なの。その辺よく解ってる?」
「こんばんはマスミちゃんバカでーす!しばらくよろしくねっ!」
「しばらく?──お父さん、ちょっとこっち来て」
「うん真澄、静かにさせるから少し落ち着い痛ッ痛ッ痛ッ!」

四年目なんてあっという間ですよ。

「さてお父様いかがですか?お嬢さま学校の制服ですわよ?ほらほら」
「ま、まあまあじゃ、ねえか──くっ」
「な、なによっ、泣くなんて、そんな──もうっ」
「おめでとう真澄。今日は祝いですね藤原。祝いと言えばちらし寿司。早く作れ」
「いやあ師匠良かったッスねえ!めでたいついでにアタシの処女膜もえいっと」
「よしッ解った!てめえら今日こそは腹割って話そうッ!」

そして、五年が経ちました。




狼の娘・滅日の銃
第八話 - マスミ・セブンティーン -




「──なによ?」
「いや、あん時ぁまんまと騙されちまったなあ、ってさ」
「そ、そんな昔の事なんて覚えてないわよ!」

五年前、再会した十二の娘は彼を睨みつけていた。
そして今、美しく成長した十七の彼女は頬を染め、父と仲良く手を繋ぐ。

「早く忘れなさい!いいわね!」
「はいはい」
「ハイは一回ッ!」
「ヘイアッ!」
「うるさい!」

娘、藤原真澄は一喝するも、繋ぐその手は離さない。
父、藤原信也は楽しげに笑う。だらしなく頬を緩めこれ以上ないくらい笑う。
相変わらずの日々ではある。
駐在調整官という大層な肩書きを背負いながらもだらだらと職務をこなし、町にも随分溶け込んだ。
地道なフィールドワークの甲斐もありヒューマンネットワークの全容もおぼろげながら掴めて来た。
しかしまだまだ時間は掛かる。当分本局からお呼びが掛かる事はないだろう。特務権限行使を考慮する事態など起きようも無い。
局長は少々肩透かしを食っているようだがそんなん知るか。まさに狙い通りと藤原はほくそえむ。
あと馬鹿な弟子も相変わらず馬鹿ではあるがもう泣かなくなった。技巧だけで言えば既に自分を超えただろう。馬鹿だが。
そして休日は娘と二人、こうやって買物にも行ける素晴らしき毎日。

「──やべえ、俺超泣きそう」
「ていうか泣いてるし」

つまり男は、娘と共に暮らした五年を経て、立派な親馬鹿と成り果てた──のではあるが。

「お父さん?どうしたの?」

だらしない頬の緩みが不意に消える。藤原の視線が一瞬、商店街の雑踏を凝視する。

「ん?なんでもねえよ」

しかし直ぐに顔が崩れ、再びだらけきった笑みになる藤原。

「なんだかなあ、最近変だよ?」

そっかあ?などと真澄に返事を返しながら横目でもう一度雑踏を流し見る。消えたな、と藤原は感じた。
ここ最近受ける妙な視線。敵意も無く意志も無く、ただ見つめる無味乾燥とした視線。
近くも無く遠くも無く害意さえ受けず、一定の距離を保ち自分を見る観察者の視点。
動かぬ自分に業を煮やした局長か?否。あの狸ならばもう少々ねちっこい。
繭子か?否。そんな事しなくともあいつは毎日飯をたかりにやって来る。
ベソ美か?否。あいつは馬鹿だ。
ならば対象は限られる。この地に入り込める第三者など、もう奴等しかありえない。

「さぁて今日夕飯ナニするよ?」
「玉子焼き!お父さんの玉子焼き!」
「おう、久々に作るか。んじゃおめえ肉ジャガ作れや」
「りょーかい!」

買物袋をぶら下げて、手を繋ぐ二人が踵を返す。
家路へ。狭いながらも楽しい我が家へ。帰ればきっと腹すかせた大家が待っているのだろう。
ともすれば馬鹿な弟子が適当に理由つけて押しかけて来るかもしれない。
なんだかんだで賑やかな夕餉、それが終われば風呂入ってまったりして寝る。そんな日々。素晴らしいじゃねえかと男は笑う。

世界は素晴らしい、戦うだけの価値がある──かつて酒と薔薇の日々に溺れた文豪の言葉を藤原は思い出す。

同感だクソ野郎。この日々を、この子を守る為ならなんだってやるさ。
視線を感じた方角に一瞥し宣戦布告とばかりに男は笑う。口の端から覗く犬歯を隠そうともせず。
やがて二人が去った頃、地上十二メートルの中空から囁く声。

「怖いですネェ。流石ヘルマシェーテ」

電信柱の上に立つ影ひとつ。あからさまに怪しいカタコトでつぶやく謎のガイジン。

「老いても狼と言った所でスカ」

ママーあのおじさん変だよー。しっ!見るんじゃありません!
おい変態だぞ警察呼べ!おい物干し竿持って来い!突付け!突付け!

「オウッ!止めなサイッ!決して怪しいモノではアリマセーン!」

商店街の皆様から投げつけられる小石とか空き缶とかイワシの頭とかを、怪しい語尾で制しながらも軽やかに避ける電柱の怪人。
しかし投げ付けられたブツの中に卵を発見。しっかりキャッチするちゃっかりさん。

「オウ!イッツァ、タメイゴゥ!これは貴重なタンパク源でス!」

グッドプロティン!センキュー!と笑いながら電柱の上から上を軽やかに伝い逃げていく謎のガイジン。
残された商店街の皆様はただもう唖然。しかしその中の一人がぽつりと呟く。
いやお前、卵はエッグだろう。



おかあさん。震える声で娘が呼ぶ。
十一歳の夜。風呂の中、じわりと滲む赤は、やかて浴槽の中を朱に染めた。
浴室の戸を開けた母は、一目見て全てを理解し、一瞬寂しそうな顔を浮かべ、そして微笑む。

──そっか。あんたも女になったんだね。

浴槽の脇に腰を降ろし、娘の頭を撫でる母。
そして彼女は風呂の中に手を入れ、ちゃぷちゃぷと朱に染まった水を波立たせる。
娘の小さな肩に寄せては返す赤い波。おめでとう。娘の耳元で囁き、濡れるのも構わず娘を胸に抱き寄せる。

──あいつが恋しいかい?

母の胸に抱かれ、こくりと頷く娘。そっか、そうだよね。
優しく耳元で囁く声が娘の脳裏に染みていく。豊かな母の胸、その感触に身を委ねる。
目を閉じれば、温かな赤い水はまるで、子宮の中にいたあの頃の様に心地良く、鼻腔に広がる鉄錆に似た匂いさえ懐かしく。

──あいつに会いたいかい?

うん、と娘が小さく返す。そっか、そうだともね。
ぎゅっと抱き締める母の腕。胸から伝わる彼女の鼓動。
とくん、とくん、と脈打つリズムが娘の耳に木霊する。

──アタシを、殺したいかい?

どくん、と娘の鼓動が跳ね上がる。

「──ッ!」

目を空ければいつもの天井。
浴槽の中、一回り大きくなった肩を抱く真澄。

「なんで──今頃」

忘れていたのに。十七歳の娘が首を振る。
小さく波打つ青い湯船。ラベンダー、お気に入りの入浴剤。理由は色、ただそれだけ。赤くなければなんでもいい。
緑でも黄色でも何でもいい。紅くなければそれでいい。そして胸に手を添える。
あの胸に比べ自分の胸はなんと薄いのだろう。やがて指先に伝わる振動。とくとくとくんと早い鼓動。
落ち着け、落ち着けと言い聞かせる。抑えろ、抑えろと己を制する。小さな胸は未だ自分が子供の証。大丈夫だ、まだ大丈夫だ。
だから落ち着け自分の鼓動。あの男は自分を捨てた憎き父。そう思え思い込め。大丈夫だ、まだ大丈夫だ。だから抑えろ自分の本能。

「何やってるんだろ、私」

肩を落し、口元を湯船に沈め、下唇を噛み締める。
微かに鉄錆の味がした。



ずう、ずずう、と縁側に座り茶を啜る影二つ。

「玉子焼き、大変美味でありましたよ、藤原」
「おう、なんたって俺ぁ藤原家玉子焼担当大臣だからよ」

ずずう、ずずずう、と再び茶を啜る音が重なる。

「町に面白いものが来ておりますね、藤原」
「やっぱ気付いてたか。ありゃ何だ?」
「かの地よりの者でしょう。ですがお前に似た匂いも致します」
「ふーん。ま、いいけどよ」
「真澄の事は心配せずとも良い」
「なんだおめえ、随分とお優しいじゃねえか」
「あの娘に何かありましたら夕餉が困ります故に」
「ふん。なら勝手にやらせてもらうぜ」

ずずずう、ずずずずう。茶を啜る音がユニゾンを奏でる。

「そういや来月だっけか?郷土資料館の五周年記念式典」
「早いものですね。お前達と出会ってはや五年でありますか」
「ふん。てめえにゃ瞬きにすりゃならねえだろうが」
「人並みに歳月は感じておりますよ、藤原」

たん、たん。と縁側に置かれた二つの湯呑み。

「さて藤原。答え合わせを致しますか」

相変わらずの無表情、抑揚の無い声で繭子が告げる。その顔を見て、やけに楽しそうじゃねえかと藤原は笑う。
最近この人形顔にも慣れてきた。なんとなくではあるが読めるのだ。

「要市縮尺模型図、あれおめえが作ったんだろ?繭子」
「ほう。何故そう思われますか」
「おめえくれえなモンだ、あんなん作れんのは。それにな」

ありえねえモンがあんだよ、と藤原は言う。
五年前あれを始めて見た際に粟川が話した経緯。
建設予定地で見つかった予想外の岩盤、中断する工事、一夜にして現れた模型図、仕様変更を受け完成した当時の商工会議所。

「なんで模型図にあの建物があるんだ?」

藤原は気付いた。模型図に存在するかなめ市三大古臭い建物。
市庁舎、市役所前駅、そして当時の商工会議所にして現かなめ市立郷土資料館。
建設前に現れた模型図にも関わらず何故それが存在するのか。
そして彼は町のヌシに問う──すべて後付けの話なんだろ?と。

「あの建物は、模型図を内包するために作られた箱。違うか?」
「ならばお前はあれを何と思いますか、藤原」
「町のアーキテクト。模型図じゃねえ、原型図だ」

五年を経て確信する。あれはそういう物なのだと。
市庁舎も駅も、そればかりか真澄の通う私立青陵女子高校も、市政開始時に建造された全ての建物は歴史を辿れば全て百年。
一世紀前にこの町は忽然と現れた。山々に囲まれた何も無い平地に。その時何があったのかは知らない。しかし藤原は確信する。
要市縮尺模型図とは町を模して作られたものではない。町があれを模して作られたのだと。

「お前にしてはまあまあですね藤原」
「おめえ一体何モンなんだ、繭子」
「大家です」
「いやまあ、そうだろうけどよ」

五年の付き合いで藤原は気付いた。彼女は決して嘘は言わないと。
だがその言葉の何を取るかによって答えが変わる事も理解出来た。
彼女の曖昧な言葉は、受け手によってはまったく逆の意味になりかねないのだ。
敢えてそうしているのか、底意地が悪いのか。否、と藤原は思う。彼女の真意を理解するには、ヒトは未だ小さすぎるのだ。
深淵を覗く者は深淵に覗かれるという言葉があるが、繭子はまさにそれだ。
ヒトは気付けないだけだ。自分の除いた大穴、深淵だと信じていたそれは、実は巨大な眼球の一部だという事に。
果たして彼女の視るヒトとは一体、どのように映るのだろうか。一度聞いてみたいものだと藤原は思う。

「ヒトはヒトです。それ以外ありませぬ」
「勝手に心読むんじゃねえよてめえ」

まあそれはいい、だがよ、と彼は敢えて問う。

「あの下に、何があるんだ?」

いや、違うな、と藤原は言い直す。

「あれ自体が何かの一部じゃねえのか?氷山みたくよ」

繭子は答えない。沈黙、それは肯定の証か。

「ま、別にいいけどよ」

そこで藤原は言葉を止める。それ以上は問うまいと。
全てを知った時、この楽園の日々は終わる。彼にはそう思えてならないからだ。
ならばそれは聞くまい。このままやり過ごせるならばそれでいい。それでいいのだ。

「かつて、お前と同じ答えに辿りついた者がおりまする」
「市長──粟川さんか」
「一度聞いて見るが良い。わたくしの言葉では伝えられぬものも、あの者を介すなら」
「いや、いいわ。興味ねえし」
「お前は本当に面白い男ですね」

しかし、と常世繭子は彼に告げる。

「見ないふりも過ぎれば、取り返しのつかぬ事となり得る。心に刻みなさい、藤原」

その言葉は、藤原の芯に染みた。




夜もふけて、家の灯が落ちる。

「真澄おめえよお、いくつになったっけ?」
「十七だよお父さん。なんなのよいきなり」
「そうだよな、そうだよなあ」

ガバっと立ち上がるお父さん。居間の電気点灯。

「もういきなりなんなのよ!眩しいよ!」
「真澄、そこに座りなさい」

藤原が見下ろす足元で、のそのと起き上がる娘。

「さて真澄。久々に質問です。何をしているのかね君は」
「添い寝だよ。フジワラスタイルじゃない」
「うんそうだね真澄。しかしフジワラスタイルシーズンワンは君の中学入学と共に」
「御好評を博しましたのでセカンドシーズンに突入します」
「そっかあ四年を経て復活かあ。だがね娘良く聞きなさい。二期は大概失敗と相場が」
「ますみこどもだからよくわかんない」
「よしッ!腹割って話そうッ!夜通し話そうッ!」

藤原、久々のグッドダディモード三分で終了。

「小学生ですら危ういのに高校二年生にもなって添い寝とかねえってんだッ!」
「人恋しい年頃なのよ甘えさせなさいッ!」

その瞬間、ばっと同時に窓を見る二人。大丈夫だヤツは来ない。学習したフジワラ親子。

「いったいどうしたんだよお前、今日に限ってよぉ」
「どうもしないわよ。ははぁさてはお父様、たわわに実った甘い果実に辛抱たまりませんのかしら?」
「たわわ?ほほう、たわわねぇ。娘よたわわとはざわわとは違うのだよ。もう少し立体的にオウトツってもんが」

ヒュンと娘の鋭い蹴りが跳ぶも紙一重で避けるお父さん。
最近本気出さないと危なくなってきました。娘の蹴りはマジで痛いのです。明日に響きます。

「避けましたわねお父様」
「当たり前だとも娘。お前の蹴りは骨まで響く」
「まあいいわ。とりあえず電気消して」
「いや待て話はまだ」
「消して」
「はい」

今日の娘は妙な迫力が御座います。
目が座っているというか、目がスリナムジンドウイカっぽいというか。要約しますとお父さんこわい。

「あのな真澄、お前はもう大人」
「子供だもん」

ぎゅっ、と藤原の背中から回される細い腕。

「今日だけは──お願い」

怖い夢、見ちゃったから。小さく呟くその言葉が藤原の力を抜く。

「今日、だけだぞ」
「──うん」

なんだかんだ言って俺も甘いよなあ、と藤原は苦笑する。
背中から回された娘の腕は五年前に比べ随分と長くなった。背丈も自分の胸元まで伸びた。
背中に当たっているであろう胸の感触についてはノーコメント。怖いから。
つまりはまあ、これくらいのガギは直ぐに大きくなりやがる。けれど子供はやっぱり子供なのだ。そう思うことにする。
最近とみに綺麗になったとか、やけにあの女の面影が重なるとか。それでも真澄は真澄、可愛い可愛い砂糖菓子に違いない。
こうやって懐いてくれる内が華だ。なに今に俺なんざ歯牙にもかけなくなるさ。
いい男が出来て色気づいてある日お父さん紹介したい人がいるのとか言われた日にゃきっと泣く。んで男ブン殴る。
そうやって離れていくのさ。寂しいけどそんなもんだ。これが普通さ。けれど。

──見ないふりも過ぎれば、取り返しのつかぬ事となり得る。

くそったれ。この胸騒ぎは何だ。



結局お父さん、一睡も出来ませんでした。

「いってきまーす!」
「いってらっさーい」

娘はぐっすり眠れたようでお父さん安心。目の下にクマなど出来ておりますが。

「眠いなあ、オイ」

などと言っても部屋には一人。なんだかんだで御気楽な部署。
すっかり定番となった二階のコーヒーを啜りながら、肩をぐりぐり回す藤原。寝返り出来なかったツケが今頃来たらしい。
駅で別れた真澄は昨夜の事など微塵も感じさせず、いつも通り元気な娘だった。
あの年頃の娘というのは何かと不安定なのだろう。きっとそうだ。そう思う事にする。
気を取り直して端末に目を向ける。
各種新着情報を流し読みする藤原であったが、本局調査部からの定例報告の中に少々見逃せない項目を発見。

「──ふん、なるほどね」

そういう事か、と専用ブラウザを開き調査部のカネトモを呼び出す。
モニターの向こうで開口一番、藤原さんお久しぶりですどうっすか初号機の調子は?
と彼が譲ってくれた軽トラの話題を軽く流しつつ本題を切り出す藤原。
そこで取り交わされた会話を要約すると。

曰く、ヴォクスホールに妙な動きがある。
曰く、英国経由で同国籍の男が一ヶ月前入国したと入管リストに記載。
曰く、照会したところ元SASらしい。
曰く、現在の所属は不明だが恐らく〈青〉──魔道第五師団絡みなのは間違いない。

「──解った。たぶんそいつ、こっち来てるわ」

経過報告を約束しブラウザを閉じる。時計を見れば一時過ぎ。この時間帯はもう食堂の定食終わってる。
仕方ねえ閑休庵か、と上着を羽織り、念のため腰溜めに得物を仕込み、やや遅い昼食へと出向く藤原。
市庁舎前の駅に入ればつんと鼻先をくすぐる出汁の匂い──しかし。

「オヤジサン、葱は抜いてクダサイ。具なんぞ女の厚化粧に過ぎまセン。
 麺と蕎麦のソリッドなハーモニーがいいのでス。あ、でもタメイゴゥは入れてクダサイ。それグッドプロティン!」

なんかいました。












■狼の娘・滅日の銃
■第八話/マスミ・セブンティーン■了

■次回■第九話「敵か!? 味方か? 月見のベア」


※おまけェ…2
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[21792] 第九話/敵か!? 味方か? 月見のベア
Name: なじらね◆6317f7b0 ID:d0758d98
Date: 2010/09/29 22:02



ずぞっずぞぞぞぞっと一気呵成に蕎麦を啜る妙なガイジン。
啜る。そう、啜っているのだ。見事なまでに音を立て灰色の麺が喉奥深く消えて行く。
基本こいつらは、この啜るという行為が苦手な筈だ。相当修練したんだろうな、と呆気に取られつつ藤原は店主に目配せ。
おやっさん何こいつ?それに応え、さあ?と肩をすくめる年配の店主。
やがてずずずずずずうと汁を一滴残さず飲み干し、謎のガイジンがひと言。

「オヤジサン、これ旨すぎマス。蕎麦としてはエクセレンツ!ですが立喰蕎麦としてはイタダケマセン!
 これ手打ちでスネ?いけません袋麺でなけレバ。あのチープさが──」

と、なにやら薀蓄を語り始めるガイジン。

「──つまりあのモッサモサ感がキモなのでス。あと出汁もパーフェクト過ぎ」
「おやっさん、天蕎麦。ネギ多めで」

藤原の言葉にはいよー、いつものねー、と応え、カウンターの奥で蕎麦玉を湯に放る店主。
しかし横では謎のガイジンが信じられないような物を見る目つきで藤原を見る。

「あんだよ?文句あんのかよ」
「具など中年女の厚化粧でス。ワタシ、カケは具無しで喰いまス。それが立喰いの心意気でス」

ほほう言うねぇ、と天麩羅を揚げながら、こいつ解ってるじゃねえか、と深くうなずく店主。

「なら玉子入れんなよ」

そりゃそうだ、と手を叩く店主。

「オウ、ノォウ!タメイゴゥ!それはワタシのオンリープロティン」
「なら他の食えよ」
「これが貴重なタンパク源でス!」
「だったら天蕎麦とかコロッケ食えよ!」
「あなた何にも解ってマセン!」
「おめえの何もかもが解んねえよ!」

はいよーお待ちー、と出汁の香る天蕎麦が藤原の前に置かれる。
相変わらず旨そうだなあと小銭を渡し、おっちゃん天ぷら揚げたてあんがとねー、と礼を述べた後、ガイジンに負けじと一気呵成に麺を啜りこむ。
その仕草を見たガイジン、半眼となり斜に構え、店主にひと言。

「オヤジサンおかわり。つきみ──そばで」

何か意味ありげな台詞だが藤原さくっと無視。半分ほど食べ終えたころ月見も完成。
そのまま一気呵成に電工石火の勢いでずぞずぞ啜るガイジン。五月蝿い程の爆音が駅の中響き出す。

「ごっそうさん」
「ごちグフッそうブフォさまでゲホゥアッ」

ゲフッ──嗚呼、良い月ダ。
昼間にも関わらずトンチンカンな台詞吐きつつ、無理してかっこんだせいでむせた挙句、
鼻から蕎麦を垂らすガイジンが親指を立てるも藤原やっぱ無視。

「ハジメマシテ、ワタシSEMネームを月見のベアと申しマス」

暑苦しいほどの笑顔。しかたなくフジワラ返します。

「何だよエス・イー・エムって」
「オウ!SEMご存知ないのでスカ!嘆かわしい限りでス!
 SEMと言えばスタンディング・イート・マスターの略でス!つまりタチグイシ!立喰いのプロを指すワードでス!」
「知るかバカー!」
「オウ本当にご存知ないのですカ!ならばアナタに教えて差し上げまショウ!立喰師とハ──あの決定的な敗戦から数十年。占領統治下の混迷からようやく抜け出し国際社会への復帰のために強行された経済政策は失業者と凶悪犯罪の増加そしてセクトと呼ばれる過激派集団の形成を促し本来それらに対応するはずの自治体警察の能力を超えた武装闘争が深刻な社会問題と化す中で生まれた影の存在それが立喰師。食文化の闇に炎でその名を刻んだ異端の英雄たち。しかし歴史は彼らに重要かつ最終的な役割を与える事となった──の事でス!」
「長えよ!オシイってんじゃねえよ!途中から語尾まともになってんじゃねえよ!」

あーもういいわ。だるそうに首を振る藤原が眼前のガイジンをひと睨み。

「オウそんな怖い顔しないでクダサイ──フジワラさン」

自分の名を呼ぶその男にさして驚く素振りも見せず、藤原は指をくいくいと動かし待合室へと彼を誘う。
楕円のカーブを描くベンチに腰を降ろし、しばし沈黙する二人。そして。

「で?何しに来たんだおめえ。チャカチャカとひとの周り嗅ぎ回りやがって」

なあ?元SASさんよお、と眼前の男を睨む藤原。

「観光でス」
「ふざけんな」
「実は偵察でス」
「えらく素直だなオイ」

実はどっちも兼ねてなんでスけどネ、と大げさに肩をすくめるガイジン。

「ハジメマシテ。ベア・グリーズと申しまス。月見のベアと」
「うるせえよ、魔道旅団」

藤原の言葉を聞き、ベアの眉がくいっと上がった。





狼の娘・滅日の銃
第九話 - 敵か!? 味方か? 月見のベア -





「なるほど。ご存知でしたカ」

魔道旅団。それは公式には存在しない。
ヴォクスホール魔道第五機動師団、通称機動団〈青〉の中に在ると噂される非公式の対外工作機関である。
主目的は国外での諜報活動及び謀殺。国内よりの志願は一切受け付けず、もっぱら国外からスカウトされた人材で構成される組織らしい。
使い捨ての外人部隊と揶揄する者もいるが、機密性の高さから忠誠度は高いと推察される。
王国の裏が魔道師団ならば、旅団は影と言うべきか。

「流石稀有なル、より強きものですネ」

そうでしょうドリフター?とベアが囁く。ワタシにとってアナタは眩し過ぎマスと。

「ドリフだか全員集合だが知らねえが、そんなん勝手におめえらが呼ぶだけだ」

ドリフター。漂泊者。はぐれもの。それは魔道──ラインよりはぐれたという意味を持つ。

「いえいえ、アナタは別格でスよ」
「阿呆か。ただヤルしか能の無ェ奴捕まえて何言ってんだか」

ラインとはネペンテスだと誰かが言う。蜜を出し獲物を誘い蓋をして溶かし食い尽くす肉食植物のようだと。
ラインの力を享受せし者は、やがてライン無しでは生きられぬという業を背負う。
破壊に治癒に転送。絶大なるこの力を知れば離れる事など出来はしない。蜜にして劇薬。ラインとは力の源泉であると同時に罠でもあるのだ。
獲物たちは罠に嵌った事を気付いても、誰もが逃げ出す意志を示さない。クラインの壷に似た袋の中で誰も彼もが溶けていく。
抗う事など出来はしない。ラインに恭順し共生を選ぶか、もしくは、決して近寄らず傍観に徹するか。
しかし中には鋭利な爪を葉脈に突き立て、その牙で袋ごと食い千切ろうとするものも居る。

ドリフター。ラインの力を得ずとも力を持つ者達。

発現する個体数は絶対的に少ないが、一騎当千の魔道師団を以ってしても駆逐出来ぬ存在。
ヴォクスホールがラインを享受する者達の象徴であるならば、ドリフターとは、それと対峙出来得る者達の総称でもある。

「女王がご執心されるのも解りまス」
「はあ?おめえ何言ってんだ。知らねえよそんなビッチ」
「とぼけてはイケマセン。二十年前アナタに贈られたギフトこそ女王直々に」
「黙れ」

あいつをギフトと呼ぶな。鋼の如き藤原の眼光がベアを射抜く。

「失礼しまシタ。ですがその件でハー・マジェスティの言葉を預かっております。
 それをアナタにお渡しせねばなりませン。ワタシは勅使、メッセンジャーでもありまスから」

フジワラサン、アナタへの言伝ですよ、とベアは微笑む。

「──言ってみろ」
「アナタをヴォクスホールにお招きしたいと女王は申しておりまス」
「お断りだ。んなおっかねえトコ行けるかよ。帰ってこれねえじゃねえか」

いいえ。微笑むベアが首を振る。

「あなたにVの号を授けたいと申しておりまス」

予想だにしなかったその言葉に藤原が目を剥く。
V──それは魔道師団軍団長の証にして女王執行権すら併せ持つ。
つまり女王アメリア・ヴォクスホールと同等の地位を与えるという事だ。しかしそれは──ありえない。

「──聞いてもいいか?」
「──何でスカ?」
「──おめえんトコの女王な、馬鹿だろう」
「──正直反論出来ないのが悔しいでス」

本来それは、唯一の女王アメリア・ヴォクスホールが王国と帝国という二重国家を統べるべく創設したものだ。
しかしその号は女王が勅命を下す際、一時的に自身の名をアメリア・V・ヴォクスホールに改め魔道師団を動かす時に用いたもの。
それを別けるなどありえない。ましてや敵対者である筈のドリフターに渡すなど言語道断。十中八九、嘘。十二分にして、罠。
自分はそこまで見くびられているのだろうかと藤原は思うが、もう一つの可能性を思い付く。
自分がもしそれを受ければどうなるのか。女王は何を得るのか。

ベアの言葉を思い出す──〈ギフト〉〈その件で〉

ギフトがトランクより生まれし者を指すのなら狙いは真美だろう。
だが違うと藤原は思う。今更回収しても何の役にも立ちはしない。
それが目的なら当の昔にやっている。例えベソ美がそうだとしても勝手に消えればいい事だ。
馬鹿だからそれに気付かないだけかもしれない馬鹿だし。それはいいとして。
しかし、それよりも奴等にとって更に稀有なるものがある。
ドリフターとギフトのハイブリッド。奇跡の存在、それは即ち。

「おまえ達の狙いは──真澄か」

ぎりっと藤原の奥歯が軋む。
自分が動けばあの娘も付いて来る。女王は、あの娘を狙っているのだ。

「そうでもアリ、そうでもナイ、としか言い様がありまセン」

あのお方の御考えは、我らが思う以上に深く暗く、底さえ見えぬのでス、とベアは言う。

「どっちだっていい。お断りだ。くそくらえ、とでも返しとけ」

ですよネエ、とベアは肩をすくめて力無く笑う。その答えは最初から解っていたとでもいう素振りで。
彼の姿を見て藤原が感じるのは皮肉でも嘲笑でもない。忠誠を誓うはずの女王に対してもどこか一歩引いたようなベアの態度。
だから怒りが沸かないのかも知れない。敵対者であるにも関わらず妙なシンパシーまで感じてしまう。
まるで同僚同士、仕事をサボって愚痴でも言い合っているかのような親近感すら覚える。妙な奴だな、と藤原は思う。

「確かに伝えましたヨ。これでワークは二割終わりました。残りの三割は秘密でス」
「足しても五割じゃねえか。あと半分は何だ?監視か?」
「あなた馬鹿でスカ!」

お前は何を言ってるんだ、とばかりにベアが叫ぶ。

「立喰道を極める事に決まってるではないでスカ!」
「仕事じゃねえだろ!」
「人生の仕事でス!」
「おまえやっぱバカだバーカ!」
「馬鹿で結構!私は一向に構わんッ!連隊を引退したのもこれこそが生涯を捧げるにふさわしい人生の仕事だと確信したからだ!嗚呼素晴らしき立喰美学!薀蓄、説教、話術、奇行など様々な手段を用いて店員を圧倒し金銭を払わず風の如く消える爽快感!容赦なきゴトで店主を叩き伏せる快感!この美学、否、哲学!だが連隊を辞め私は愕然とした。無いのだ。故郷には立喰蕎麦店が無かったのだ!フィッシュアンドチップスやハギスはアレでアレだから!しかし途方にくれていた私に女王は手を差し伸べて下さった。かの地に必ずや立喰蕎麦店を作ると!ああ素晴らしきハー・マジェスティ!その為ならば私は馬鹿になるッ!」
「お前最初から馬鹿だよ!つか何でその話になると語尾変わんだよ!」
「あやまりなサイ!タチグイの神様にあやまりなサイッ!」
「いねえよそんな奴!」

あ、おかーさん、きのうのカイジンがいるよ!
しっ!係わり合いになるんじゃありません!
見ろよおいアイツ昨日の変態だぞ!よし逃がすな今度こそ生け捕りにしろ!ざわざわ──と急に騒然となる駅の中。

「オウいけませン!フジワラさん今日の所はこの辺でアディオス!」

風のように駅構内を駆けて行くベア。
追え!地の果てまでも奴を追うんだ!と彼を追いかける駅員や警官その他の皆様。彼らの後姿を見ながら藤原は思う。
なんというすがすがしいバカなのだろうかと。



目を閉じれば浮かぶ、あいつの顔。

──ねえダーリン、アタシを殺したい?

五年ぶりに再会した時、少女は一匹の雌になっていた。

──ねえダーリン、アンタ殺していい?

雌が笑う、雄も笑う。
そして二匹は殺し合う。
獣同士の共食いが始まる──しかし。

「──あれ?お父さん!どうしたの?」

その声で我に返る藤原。目の前には可愛い娘。

「いやなに、通りがかってよ。いやあ偶然だなあ偶然」
「ふーん」

ま、そういう事にしておきましょう。
ニヤニヤと含み笑いを浮かべながら、真澄は父の腕に絡みつく。
ちょおまっ何やってんの校門前で、などと藤原慌てるも、別にいいじゃない親子なんだし、などと何処吹く風で笑う真澄。
いや普通逆じゃねコレ?と藤原冷や汗かきながらも実はお父さんちょっと嬉しい。そのまま帰路につく二人。

「通りがかりですかお父様。郊外の山中にある学校の前を偶然ですかお父様」

真澄の通う私立青陵女子高校は、かなめ市郊外の山、その中腹にある。
ちなみに学校までの道は一本道。校門前で行き止まり。つまり通りがかりなどという言い訳は通用しない。

「うるせえなあキャトられたんだよ、リトルなグレイっぽい奴に、気が付いたら校門で」
「はいはい。でも嬉しい。とっても嬉しい。迎えに来てくれるなんて」

ふふっと笑う真澄の笑顔に藤原の顔もほころぶ。だが。
なだらかな下り坂、森の中を歩きながら藤原の空いた手が腰溜め、上着の下の得物に触れる。
娘に悟られぬよう警戒を怠らず、周囲へと気を配る。観察者──あの視線は感じない。
ベア・グリーズ。彼は清々しい程の馬鹿だが異常なほど存在感が希薄だった。あの感覚は真美の持つスキルに近い。
流石は魔道旅団の斥候、一筋縄ではいかねえな、と藤原は気を引き締める。

──真澄の事は心配せずとも良い。

あれは繭子の真意なのだろう。常世の君が直々に発した言葉。ならば真澄に害が及ぶ事はない。
しかし頼る事は出来ない、否、気を許してはいけない。
最近つい忘れがちになりそうだが、あれはヴォクスホールより恐ろしい存在なのだ。それを忘れてはいけない。
とどのつまり、この子を守るのは自分なのだ。笑顔の下で決意を新たにする藤原。その時。

「ねえ、お父さん。聞いていい?」

ふと立ち止まり、真澄が絡めた腕を離す。

「なんで私を捨てたの?」

不意に放たれた言葉。五年間一度も聞かれなかった問い。
いつかは聞かれると思っていた。けれどそのいつかとは、いつも唐突にやって来る。そういうものだ。
娘の問いかけに藤原は顔を伏す。それは骨身に染みて解っていた筈だ。うろたえるな、そして偽るなと自分に言い聞かす。
意を決して顔を向ければ真澄の顔には怒りも悲しみも見えず、ただ透明な瞳が目の前の自分を映していた。
混じり気の無いその瞳に顔を背けそうになる。しかし堪える。やがて。

「俺は馬鹿だった。今以上に馬鹿だった。それだけだ」

彼女は何も言わない。
さわさわと夕暮れの風が木々を揺らし葉を落し、やがて真澄の髪を巻き上げる。
シャンプーの香りが藤原の鼻先をかすめる。その中に微かに混じるおんなの匂い。
それは、あいつの匂いに似ていた。

「訳は言わない。だから言い訳はしない。事実だからな」
「後悔してる?」
「──ああ」

そして娘は、再び父の腕に自分の腕を絡める。

「ふーん。まあいいわ。と、いう事はね」

ぎゅっ。絡めた腕に力がこもる。

「フジワラスタイル継続という事です」
「待てコラ何言ってんだコラそれとこれとは話が」
「私の復讐はまだまだ続きますわよ?お父様」

だって甘さが足りないみたいなんだもん、と真澄が嬉しそうに笑う。
やられた、と藤原は思った。




女心と秋の空とは良く言いますが。

「なあ真美よお、女ゴコロって奴ぁ」

難しいモンだよなぁ、と屋上で寝転がるというか寝転がした真美に向けて声を掛ける藤原。
見上げれば高い高い青空。本当に秋の空は高い。ぽっかり浮かんだ雲に向けて手を伸ばす。けれど高すぎて到底届きそうに無い。
あたりまえか、と藤原が足元に目を向ければ、ゼイゼイ、ハァンハァンとうめきともあえぎともつかぬ吐息で虫の息な馬鹿ひとり。

「師匠ォ──最近手加減ないッス!」

息を何とか整えながら抗議する真美。

「知るか。こっちも余裕ねえんだよバカ」

実際今日もやばかった。
この馬鹿は相変わらずの馬鹿ではあるが、この五年で更に磨きがかかった。
何も考えず縦横無尽に飛び掛り、一気呵成に間を詰め、次から次に連撃を繰り出す。
未だ姉ほどには至ってはいないとはいえ、既に本局では、専従班に組み込まれ第一線に投入され頭角を現しているとかいないとか。
弟子の成長につい頬が緩みがちではあるが、おかげで手加減など出来なくなった。しかし、むしろ有り難いと藤原は思っている。
そうでなくてはと。これは弟子への稽古であると共に自身の鍛錬になる。
最盛期とは行かぬが、未だ実戦レベルを保っていられるのも真美のおかげかも知れないと。
でもそんな事は言えない。なぜならば。

「え!師匠余裕無いんスか!え?なになにマミたんたらそんなに」
「うっせえバカ」

ほらこれだ。こいつ馬鹿だから直ぐ調子に乗りやがる。まだまだだと思わせなければ。
ここで止まる訳にはいかないのだ。こいつの為に、何よりも自分の為に。それは即ち、あの娘を守り抜く為に。
最期の瞬間まで現役でいなければならないのだ。

「っていうかぁ、女ゴコロとかナニ艶っぽい話してんスか師匠」
「いや、あのな、一週間前からよお」
「ふむふむ」
「フジワラスタイルが再発してセカンドシーズン突入」
「なん、でスと」

オニ!鬼畜!ロリ包丁!と叫ぶ真美。気がつけば当に息切れも消えている。
相変わらずこいつ回復早ぇよなあ、やっぱ馬鹿すげえ!とフジワラ師匠いたく感服。

「いやまあ、ちょっとしたトラップに引っかかっちまってよぉ」

などと師匠、弟子に人生相談。一週間前、娘を迎えに言った時の出来事をかいつまんで話す。

「なんで真澄ちゃんと離れたんスか?」
「いろいろあったんだよ、いろいろ」
「あの子守る為に身を引いたんスね」
「おめえな、変なドラマの見過ぎ」
「あの子の盾になるために離れるしかなかったんスね」
「そんなんじゃねえよ、意気地無しのクソ野郎だっただけだ」

噛み締めるように藤原は言う。
あいつの言った通りだ。あの子が可愛い、それは昔も今も変わらない。だがあの頃の俺はどこかに未練があったのだろう。
置き去りにされたような寂しさを感じてはいなかったか。未だ獣でいたいとどこかで願ってはいなかったか。
あの女はそれに気付いたのだ。だから俺が、そうなる前に身を引いたのだ。あいつ──真来は。

「おめえ。いいか、真澄に絶対ェ余計な事言うなよ」
「あい」

しかし馬鹿はやはり馬鹿。これっぽっちも聞いてはいなかった。



「ねえお父様聞いて良いですか?」
「なんだね娘、何でも聞きたまえ」
「何故毎回毎回予告無しにこの女を連れてくるのですか?」
「予告無しにズバッと参上!リリカルバカ!マミたんだったのダー!」

台所からビシッビシッと鞭の如き音が聞こえて来る。
五年前に比べ格段に進歩したマスミパエリヤット的蹴りが藤原の腿裏やっちゃってるっぽい。
うわすんげえ痛そう、と他人事な真美。

「お前も懲りませぬね」
「ひいッ!」

突如隣に現れた黒髪の童女に叫ぶ真美。

「今日も美味しかったですよ真澄。それではおやすみ良い夜を」

相変わらずガチガチに身を固める馬鹿。いい加減慣れろよと師匠から良く言われるがこればかりは無理。
しかし五年前に比べ進歩したのは繭子を前にしても気絶しなくなった所か。
そうこうしている内に幾分すっきりした娘と、脱皮し損ねたセミのような顔をしたお父さんが戻ってきた。

「仕方ないから泊めてあげるわ。けどアンタの飯無いから!あ、マユコさんおやすみー」

やれやれ随分と嫌われたもんだわ、と苦笑する真美。

──ごめんねマスミちゃん。アタシ、師匠やっぱ好きだわ。

一年前、真澄の入学式の日。彼女の耳元で囁いた言葉。
けれどたいして動ずる事も無く真澄はただひと言──そう、やっぱりね──と返すだけだった。
その時に何があった訳でもない。あの狼の目で睨まれた訳でもない。
けれどあの日以来、彼女は真美の事をマミさんとは呼ばなくなった。
あの女、この女、アンタ。女心の解らぬにぶちん師匠には、他人行儀が消えた身近な姉妹のように映ったのかもしれない。
けれど違うと真美は思う。この子はもう自分を許さない。敵と認識したのだ。
上等、と真美は笑う。戦争開始だ愛しい娘。あの男を取り合う血みどろの闘いを始めよう。
だが私は欲深い。アタシはあんた達を手に入れる。愛しい家族を。

「──お父さん?どうしたの?」

真澄の声に我に返れば、繭子の去った玄関先、ドアの向こうを睨む藤原。
彼の目線に視線を合わせ、次の瞬間その意味に気付く真美。

「──師匠」
「──おう」

何もない。否、何も無い何かが来ている、と真美は感じる。
自分と同じ、存在を消しきるスキルを持つ何かが。

「真澄、ちと用事思い出したんでコンビニ行って来る。ついでに買ってくるもんあるか?」
「え?いや別にないけど──すぐ戻ってきてね」

おう、と娘の頭を撫で真美に目で合図する。真澄を頼む──了解、と彼女はうなずく。

「あ、師匠!ならノリ弁とアイス頼んまス!はいコレ。アタシの財布ッス」

藤原に渡した財布、その下に隠されたゴー・ナナの予備弾装。
やがてドアは閉じられ男が消えた。玄関に残されたのは娘と女。

「さて、真澄ちゃん。せっかくなんで」

腹割って話そうか、と真美は微笑んだ。



街灯の光届かぬ電信柱の上、ぼうと立つ影ひとつ。
十六夜の月光が彼の横顔を照らす。

「──嗚呼、良い月ダ」
「何やってんだおめえ」

その声に足元を見れば、電信柱の下で自分を見上げる藤原の姿が。

「いえ、レジェンドオブSEMと呼ばれるツキミノギンジの口上をデスネ」
「あーめんどくせえ。いいから早く降りて来い」

やれやれと肩をすくめ、ふわりと月夜に舞い上がるベアの姿。

「ちなみにこの口上の前に──つきみ、そばで。これでパーフェクツ!」
「うるせえよ!」

音も無く藤原の眼前に着地したベアは相変わらずこんな調子で。

「一週間ぶりのごぶさたでしタ」
「ご無沙汰も何も、二度とてめえには会いたくなかったがな」
「オウ、つれませんねェ」
「で?何の用だ?変な呼び出し方しやがって」
「実はでスネ。もっとゆっくりしたかったのでスガ、少々仕事を早めねばならなくなりまシテ」

だらり、とベアの両手が垂れ下がる。

「へえ、そうかよ」

彼の仕草に呼応するかのように、両脇からゴー・ナナとフクロナガサを引き抜く藤原。

「フジワラサン。試させていただきマス」

ベアが纏う黒いコート、左右の袖口から姿を現す二対の〈得物〉。
それは銃剣の如き姿をしていた。握り部分の柄と、柄の先を迂回しL字形に伸びる艶消しの黒き刃先。
ベアの手が柄を握り締めた瞬間、先端に空けられた穴に光が灯る。

「アナタのガンソード・アーツ、ワタシのバイヨネット・バレル、どちらが上か」

にいぃ、と彼の口元が吊上がる。同時に柄の光が眩い光芒となって溢れ出す。

「魔道第五機動師団、コード・ブルー、副団長ベア・グリーズ──推シテ参ル」

刃と刃、光芒と火薬が交差する。









■狼の娘・滅日の銃
■第九話/敵か!? 味方か? 月見のベア■了

■次回■第十話「ギフト」


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