らららの娘が過ごした「ゲゲゲの世界」
親子二代で水木漫画に嫉妬
(SAPIO 2010年9月8日号掲載) 2010年9月23日(木)配信
手塚は大阪生まれで、幼少時代を兵庫県の宝塚市で過ごしたので、宝塚が第二の故郷でした。そこに宝塚ファミリーランド(現在は閉園)という遊園地があり、毎年夏になると鬼太郎の妖怪キャラを集めたお化け屋敷のアトラクションが人気を呼んでいたんですね。それが気に入らなかったようで、水木先生に「私の故郷の宝塚で勝手なマネをするな」と文句を言ったようです。
本当に恥ずかしい話ですが、手塚は嫉妬心やコンプレックスのかたまりで、ついこういう行動を取ってしまうのです。ただ、それが新しい作品を生み出す原動力にもなっていた。手塚は水木作品への対抗心から、自身も『どろろ』を描いた。
でも、血は争えないと言うのでしょうか。03年に私は『アトム』をイメージしたコンピレーションCDをプロデュースしたのですが、この時、デビュー当時から大ファンだった電気グルーヴの石野卓球さんにも参加をお願いしたんです。しかし、ご本人はアトムではピンとこなかったとのこと。
その後、08年にフジテレビでアニメ化された『墓場鬼太郎』では、電気グルーヴが主題歌を提供していてビックリ。後で知りましたが、卓球さんは水木作品のファンで、『ゲゲゲの鬼太郎』の歌の歌詞の「夜は墓場で運動会」というのは、まさに“アンダーグラウンド・クラブシーン”だと共感していたそうです。もう、親子二代で水木漫画に嫉妬の炎を燃え上がらせましたね(笑)。
一方の水木先生も、手塚を意識されていたようで、そのことをご家族もよくご存じだったようですね。
手塚の死後に創設された手塚治虫文化賞の第7回(03年)で、長年の功績を讚えるという理由から特別賞に水木先生が選ばれた。その内定の報せが来た時に、ご家族はみんな「本当にその賞をもらうの?」と次々に水木先生に訊ねたそうです。普段の発言からみな「まさか」と思った。
それに対して水木先生は「賞金が出るからもらう」とおっしゃったそうです。家族の生活を守って団結して生きていくんだという姿勢の水木先生らしい言葉だなと思いました。
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