7. 栄光を再び

苦境乗り越え新時代を 埼玉の誇り胸に世界へ

〔写真〕チーム、サポーター、クラブが一丸となって浦和は日本のクラブで初めてアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を制覇した=2007年11月14日、埼玉スタジアム

 地元の熱い声援に支えられ、アジア、世界で戦えるチームこそ理想のクラブ。それを実現できる可能性を秘めたJリーグのチームは今、浦和しかない。

 史上初の3連覇を達成した鹿島は、浦和の観客動員数にははるかに及ばない。新潟は観客数こそ多いが、リーグ制覇やアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)優勝のような輝かしい成績を残してきたわけでもない。

 チームの実力と地元密着度はクラブ運営の両輪だ。橋本代表も「チームパフォーマンスと地元からの信認」という二つのキーワードを何度も強調した。

 Jリーグ発足当時、浦和は弱小チームだった。でもサポーターは見捨てなかった。逆に弱いからこそ、「おらが街のチーム」を熱烈に応援した。クラブも懸命だった。Jリーグ発足と同時に浦和にやって来たレッズと、地元の関係はゼロ。サポーターを増やすために、レッズの存在意義を認めてもらおうと奔走した。

 街はレッズで充満するようになった。クラブと地元の深い“相思相愛”関係は、ほかに類を見ない。

 ただアジアの頂点に上り詰め、浦和は一つの栄華を極めた。長くは続かないのが世の常。08年に6年ぶりに無冠に終わり、浦和は転換期を迎えることになった。

 09年にフィンケ監督を招へいし、「人もボールも動く夢のあるサッカー」を目指すが、結果が思うように出ない。一度栄光を味わった人たちが、いら立ちを募らせるのは当然だ。観客動員数も減り、クラブは苦しい時期を迎えている。

 ただ、ここを乗り越えなければ、浦和の新時代は到来しない。ホームタウン推進本部の畑中本部長は言った。「今までやってきた理念は変わらない。もう一度原点に立ち返り、一緒にクラブを育ててくれる仲間を増やしたい。この苦しい時期をもう一度重ねることで、レッズはより強固なクラブになれる」

 浦和は埼玉の誇りでなければならない。今まで培ってきた地元との絆をより深く、そして強靭(きょうじん)なチームへ。心から浦和を支えてくれる仲間とともに、世界へつながる扉を開こう。

 =おわり=

2010年9月23日付本紙