後継者問題:金英徹氏が浮上、呉克烈氏は失脚か

軍出身者以外では崔竜海氏の出世に注目

呉克烈氏
 「呉克烈(オ・グクリョル)氏はどこへ」

 44年ぶりに招集された第3回朝鮮労働党代表者会で決定した人事が29日に発表されたが、その内容について、韓国政府の安全保障関連部処(省庁)の担当者は、呉克烈国防委員会副委員長(大将)=79=の名前がなかったことに注目した。対南工作の責任者である呉克烈氏は、1989年に朝鮮労働党作戦部長に就任し、その後は韓国に対するあらゆる挑発行為を指揮しながら、金正日(キム・ジョンイル)総書記から厚い信頼を得てきた。金総書記の生母である金正淑(キム・ジョンスク)氏にも気に入られ、金総書記とは兄弟のように過ごしてきた。

 ところが今回の党代表者会で呉克烈氏は、124人が選出された党中央委員会に名前を連ねただけで、政治局、秘書局、党中央軍事委員会といった朝鮮労働党の重要ポストのどこにも属していない。韓国政府の当局者は、「健康が悪化したのでなければ、張成沢(チャン・ソンテク)国防委副委員長との権力争いで敗れた可能性もある」とコメントした。

 一方、呉克烈の部下とされる金英徹(キム・ヨンチョル)偵察総局長(上将)=64=は、党中央軍事委員会に名を連ねた。治安政策研究所のユ・ドンリョル研究官は、「北朝鮮による対南工作担当者も世代交代が進んでいるようだ」と指摘した。ちなみに韓国の情報当局は金英徹氏を、哨戒艦「天安」への攻撃を企画、主導した人物と見なしている。統一部の関係者は、「金英徹氏が今後も重要な地位を維持し続けるならば、今後の韓国に対する軍事挑発でどのような形で現れるか、注目に値する」と述べた。

 朝鮮人民軍内で実力者とされる金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長(次帥)=74=も、後輩の李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長(次帥)=68=に地位を奪われた。李英鎬氏は朝鮮労働党内で力のある政治局常務委員会に名を連ねたが、金永春氏は政治局委員にとどまった。統一部の関係者は「金永春氏が1990年代に総参謀長だった当時、李英鎬氏はその下で作戦局副局長として経験を積んだ人物だ」と説明した。李英鎬は党中央軍事委員会においてもキム・ジョンウン氏と共に副委員長に就任した。東国大学のキム・ヨンヒョン教授は、「軍隊の経験がないジョンウン氏が軍を掌握するに当たり、李英鎬氏は、一種の後見人としての役割を任されたのではないか」と語る。

 軍関係以外で最も出世したのは崔竜海(チェ・リョンヘ)氏(60)だ。これまで咸鏡北道の党責任秘書(道知事に相当)を務め、28日に朝鮮人民軍大将に任命された。さらに29日には政治局員候補、書記局書記、党中央軍事委員会委員に就任したことも明らかになった。崔竜海氏は抗日パルチザンで金日成(キム・イルソン)主席の仲間だったチェ・ヒョン元人民武力部長(1982年死亡)の息子で、金総書記とも近い人物だ。

 北朝鮮の内部事情に詳しい消息筋によると、崔竜海氏は朝鮮労働党の青年前衛組織である朝鮮社会主義労働青年同盟(社労青)で経験を積んできた。また、1989年にはイム・スギョン氏が韓国の大学生代表として第13回平壌世界青年学生祝典に出席したが、この行事の準備委員長を務めたのが崔竜海氏だった。だが一方では、金総書記のために結成された「喜び組」に所属する女性に手を出し、さらには公金を横領するなど私生活に問題があることでも有名だ。元北朝鮮政府関係者だった脱北者のチェ氏は、「南朝鮮(韓国)の情報機関による工作にのせられ、一時は済州島にいたといううわさもある」と語る。1998年には一時失脚したが、出身成分が良いため、2003年に復権した。

 朝鮮労働党機械工業部長に就任した朱奎昌(チュ・ギュチャン)国防委員(82)は、北朝鮮の長距離ミサイルなど軍事産業を担当する人物とされる。韓国政府筋は、「従来の軍需工業部から機械工業部に名称が変わったようだ。前任の全秉浩(チョン・ビョンホ)氏(84)が持病で活動が困難になったため、第1副部長だった朱奎昌氏が昇進したとみられる」とコメントした。

 一方、金日成(キム・イルソン)主席の弟で、1970年代に金総書記との権力争いに敗れた金英柱(キム・ヨンジュ)元副主席(90)は、党代表者会までは政治局委員としての地位にあったが、今回の人事で朝鮮労働党から完全に姿を消した。

李竜洙(イ・ヨンス)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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