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らせんの真実−冤罪・足利事件− <第9章・警告>
<12>「取材」 疑問検証し真実追う 調査報道が記者の使命(6月24日 05:00)きっかけは、1996年に群馬県太田市のパチンコ店で発生した当時4歳の横山ゆかりちゃん誘拐事件だった。 「店内でゆかりちゃんと一緒にいる男の防犯カメラの映像が公開されているのに、犯人が捕まらない。不可解な事件だなとずっと気になっていた」 社会やメディアが足利事件に関心を示さなかった2007年夏、日本テレビ報道局社会部の清水潔記者(52)はチームを編成し本格取材に着手。すると、90年5月に足利市の保育園松田真実ちゃん(4)が殺害された足利事件を含め、同市と群馬県太田市の県境20キロ圏内で79年から96年に計5件の女児誘拐・殺人事件が起きていたことを知る。 「真実ちゃんやゆかりちゃんら女児3人はパチンコ店から失踪、2人の遺体発見現場は渡良瀬川河川敷。あまりに共通点が多い」 清水記者は84年から96年まで全国のパチンコ店で同様の事件があったのか調べると、関西の1件しかない。 「5件は偶然の一致じゃない。子供を狙う犯人がそう何人もいるわけない。同一犯による連続事件だろう…」 が、目の前に大きな「障害」があった。足利事件で無期懲役刑が確定し、獄中から無実を訴え再審請求していた菅家利和さん(63)さんだった。 ■ ■ 「最初から菅家さんの冤罪を信じて取材を始めたわけではない。5事件は同一犯だと仮定するなら、足利事件を徹底検証する必要があった」 足利事件で菅家さんが逮捕されたのは91年12月。菅家さんが真犯人でないなら、96年に発生したゆかりちゃん事件も納得がいく。 清水記者は足利事件の裁判記録を精読。事件現場の渡良瀬川河川敷で菅家さんの「自白」通りに自転車を使い犯行前後の足取りを再現すると、犯行時間が極めて少なくなるなど不自然な点がいくつも浮き彫りになった。 さらに唯一の物証とされた捜査段階のDNA型鑑定。複数の専門家に当時の鑑定精度を確認すると、「捜査に使えるレベルではない」との証言も得た。 清水記者らは08年1月、「北関東連続幼女誘拐・殺人事件」としてキャンペーン報道を開始。弁護団が訴え続ける菅家さんの冤罪の可能性やDNA型再鑑定の必要性を特集番組やニュース番組で後押しした。 「警察サイドに話を聞くと『120%犯人。どっちの味方だ』と怒鳴られる。社内からは『勝算はない』という声も上がった」 が、清水記者らは信念を持って報道を続ける。 「再鑑定すれば真犯人と菅家さんのDNA型は不一致になるはずだと思っていた。報道は必ず社会のためになると確信していた」 ■ ■ 清水記者らの一連の報道に先立ち、菅家さんの冤罪を訴えたジャーナリストがいる。 フリーライターの小林篤さん(55)は足利事件を控訴審段階から精力的に取材し、01年出版の「幼稚園バス運転手は幼女を殺したか」や月刊誌でひと足早く警鐘を鳴らしていた。 「小林さんが引いてくれたレールがあった」と明言する清水記者。2人の共通項は、ともに捜査当局の「記者クラブ」に在籍した経験がないことだ。 「情報はもらうものじゃない。現場に何度も足を運び、手間暇かけて自分で調べてつかみ取るもの。調査報道こそ記者の使命であり、その先に社会に伝えるべき真実がある」 清水記者の足利事件取材も続く。「真犯人が明らかになるまで、取材は終わらない」 (第9章「警告」終わり) [写真説明]写真週刊誌記者時代、年間50件近くの事件を取材した清水潔記者。東京都出身。1999年の「桶川ストーカー殺人事件」で警察より先に犯人を特定、警察内部の不祥事も明らかにしJCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞を受賞。2001年より現職。 一覧
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