前スレはつぎのとおりです。
電源ケーブルで音が変わるのかそれとも変わらないのか
http://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=82173
54/
電源ケーブルで音が変わるのかそれとも変わらないのか Part 2
http://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=83367
46/
スレ主から、強制ではありませんが、表記についてのお願いがあります。
(以下に Part 2 の [8336746] と同じ内容を転記いたします。)
----- ここから転記 -----
以下、表記に関することですが、スレ主からのささやかなお願いになります。無理にとは言いませんが、私としてはこうしたほうが見やすくなるかな、と思いましたので書きました。
・派閥の表記は、できれば「変わる派」・「変わらない派」でお願いします。
ネット上では「肯定派」・「否定派」と呼ぶことも多く、そのほうがかしこまった表現であり良いのかもしれませんが、その反面、なにを肯定してなにを否定しているのかが分かりにくいので、このスレでは、できれば「変わる派」・「変わらない派」でお願いします。
・このスレのメインのテーマは、「アンプ」の「電源ケーブル」を変えたら「音が変わるか」(あるいは「音が変わることを分かる人が居るか」)です。
関連する話題として、プレーヤーについて書かれたり、スピーカーケーブルやRCAケーブルについて書かれてもいっこうに構いませんが、その際はそうであることが一目で分かるように、できるだけ明記していただけるとありがたいです。電源ケーブルも「ケーブル」ではなく「電源ケーブル」と書いていただけると、区別が付きやすくなるので助かります。
勝手なお願いですが、もしできればよろしくお願いいたします。
----- ここまで転記 -----
なお、掲示板が重くなるのを避けるため、投稿数が100を超えたあたりで、次スレに移行します。ご了承ください。
2008/10/18 23:28 [8519770]
0点
たとえば Part 2 や Part 3 のスレの冒頭など、どこかのタイミングで、いわゆる「まとめ」のようなものを書こうかと思ったこともあります。
しかし、もしも変わる派と変わらない派の両方の主張を要約しようとしても、変わらない派の私がまとめれば、偏ることが予想されます。したがって、そのようなまとめはやらないつもりです。
変わらない派の主張だけでもまとめてみようとも思うのですが、私はあまりそういうのが得意ではないので、ほったらかしになっていますが、今後、散発的に小さなテーマごとに書いていきたいなと思っています。
変わる派のかたが、これと同じようなことをされてももちろん構いません。もっとも、多数派である変わる派がわざわざそうするメリットは少ないかもしれませんが。
2008/10/19 22:17 [8524281]
0点
技術的なことではなく政治的(?)なことを書いてみます。
たとえば掲示板で、
「オーディオ初心者です。掲示板を見て、アンプの電源ケーブルで音が変わるということを知りました。どんな電源ケーブルを買えば良いですか?」
という書き込みがあったとします。
こういう投稿を見るたびに、変わらない派の私は、
「私は電源ケーブルで音が変わるとは思いません。アンプに標準で付属する電源ケーブルをそのまま使い、浮いたお金でこれから購入する機器のグレードをワンランク上げるなどに使ったほうが効果的だと思います。」
のようなことを投稿したくなります。
しかし、これがとても大変なことなのです。
こう書いた後、変わる派のかた(Aさんとします)から、
「ばうさんはそう書かれていますが、音は変わります。」
などと書かれることがあります。
私はこれならぜんぜん構いません。異なる考えを持つ者同士が、お互いの主張を述べ合っているだけですから。
私もその後に、たとえば、
「Aさんはそう書かれていますが、音は変わりません。」
と書けば良いだけです。
ただ、その後も、
Aさん「いや、私の理屈によれば変わる。」
ばう「いや、その根拠がかならずしも正しいとは言えない。」
Aさん「でも、それは極論ではないか。なぜそう変わることをかたくなに否定するのだ。」
ばう「仮説ならなんでも言えてあたりまえだ。」
うんたらかんたらけんけんがくがく・・・
議論は平行線のまま永遠に続くのかもしれません。ただ、私はオーディオに限らず世の中の議論はそういうものだと思います。私はこれもぜんぜん構いません。
(途中ですが一旦投稿します。)
2008/10/19 22:24 [8524325]
0点
しかし、掲示板でこれが延々と続くとその内に、第三者のかたからつぎのいずれかのご投稿があったりします。
「議論は永遠に終わらなさそうですね。質問者のかたが置き去りにされています。不毛ですからもうやめましょう。」
「議論が過熱して喧嘩になっています。見苦しいからやめませんか。」
これらは、第三者のかたが議長役を買って出られたようなものなのかもしれません。ただ、私が思うには、最初から議長が決まっているならば、私は議長の提案にはできるだけ従いたいと思います。
しかし、途中からいきなり登場された議長は、それは議長ではないと考えます。あくまでも議員の一人としての提案だと思います。
ただ、一人の議員のかたからとはいえ、こう書かれるとこの提案を無視することが非常に困難になります。提案を無視するということが、はた目から見ると、横暴な投稿者のように見えてしまうかもしれません。
もちろん、こういう提案をされるかたは純粋に穏便に収めたいと思われて善意で提案されているのだとは思います。このあたりをどう切り抜けるかが私としては、いつも迷うところです。
ただ、このご提案をスレ主のかたからされると、掲示板システムの規約とも絡むのですが、さらに迷うところです。スレ主さんは議長的な役割を持っているのか、というのは、明確に規定されてはいないと思いますが、暗黙の内に、そういう解釈をされているかたが多いと思います。
上述の「質問者のかたが置き去り」という理由の重みも、たいていの場合は、質問者 = スレ主、であるので、スレ主の持つ権利の解釈いかんに関わってきます。
また、つぎのようなご投稿が第三者からある場合もあります。
「Aさんが正しいに決まっています。ばうさんはもうやめてください。」
「ばうさんが正しいに決まっています。Aさんはもうやめてください。」
これはどちらかの側に味方が付いたケースと言えます。
これは第三者ではなく、Aさんの味方(あるいはばうの味方)、ということであり、結局は第三者ではないと思います。
Aさんの分身(あるいはばうの分身)が現れただけだ、ということだろうと思います。
これはまったく無視してよいケースだと考えています。
あるいは当事者のいずれかの側がつぎのように言ったりします。
「いくら言っても分かってもらえないようですね。」
これはもう定型文とも言えるような決まりきった言葉ですが、分かってもらえないという理由が、どっちにあるのかということはあいまいにしたままです。
言うほうが相手に理解できることを言っていないのか、言われたほうが理解できるはずのことを理解できないのか、があいまいです。
まあ、これは「もう終わりにしましょう。」と実質同じあり、言った側が議論をやめた、ということだと私は理解しています。
(途中ですが一旦投稿します。)
2008/10/19 22:54 [8524554]
0点
いくつかのケースを書きましたが、私がなぜこれらを書いたかといえば、私は議論が中断されることをできるだけ避けたいのです。少なくとも私は投稿する際に喧嘩言葉は使いません。他のかたから議論が喧嘩だと見られるのは、議論が白熱して双方の口調がきつくなっているからだと思っています。(もしかしたら、議論の相手が喧嘩言葉を使っているから、という場合もあるかもしれませんが、それは私の責任ではありませんので、除外します。)
なぜ、議論の中断をできるだけ避けたいかというと、議論が中断してしまうと質問者のかたから見れば、「なんか、回答者の人同士でゴチャゴチャ言い合っていたけどなんだったんだろう。でも、あの回答者のかたが推薦された電源ケーブルを買えばいいのかな。」で終わってしまうからです。これはスレを後日参照する、他の掲示板の利用者から見ても同じような感想だろうと思います。
議論が中断せずに、私が最終的に相手に「いくら言っても分かってもらえないようですね。」と言わせれば、私は「あの人は私を論破できずに去っていきました。だから私の言うことは間違いではありませんよ。」とは言えるかもしれません。ただ、こう言ったところで「ばうさんは相手を議論でねじ伏せただけですね。」という風に見られるだけかもしれませんし、質問者のかたも、変わる派が推薦された電源ケーブルを買うことに変わりはないのかもしれません。
しかし、少数派である変わらない派としては、議論が中断してしまう限り、掲示板上では永遠に少数派のままだろうと思います。「議論でねじ伏せた」と見られても、議論では間違っていないと主張できたほうが、少数派を抜け出す可能性がわずかでも生じることであり、意義はあると考えます。
ここまでで、議論の中断に関して、私の考察を終わります。
2008/10/20 00:03 [8524997]
0点
私がおととい書いたケースは、
質問者「どんな電源ケーブルを買えば良いですか?」
変わらない派(ばう)「電源ケーブルで音は変わりません。」
変わる派(Aさん)「いえ、音は変わります。ばうさんの言うことは間違いです。」
...以後、論戦が続く。。。
という投稿の順序でした。
この順序だと、たんに主義主張の異なる2人(ばうとAさん)が議論し合うということであり、「変わる」と「変わらない」は対称です。極端なたとえ話をしますが、たとえば変わらない派が多数派であり、私が少数派の変わる派であるような、パラレルワールドを考えたとしても、議論自体は同じような進行になります。
つぎに、この投稿の順序が違うケースを考えます。
質問者「どんな電源ケーブルを買えば良いですか?」
変わる派(Aさん)「そうですね。○○社の□□が良いと思いますよ。」
変わらない派(ばう)「電源ケーブルで音は変わりませんよ。付属の電源ケーブルで良いと思います。」
すなわち、質問者の投稿の後に、変わる派の賛同の投稿があり、その後になって変わらない派の否定の投稿があった場合です。
こういう投稿の順序だった場合、その後、Aさんから、「ばうさんは、私が間違っていると言うのですか?その根拠はあるのですか?」のように言われることが少なからずあります。
たとえ私が「Aさんは間違っています。」とは言わず、あくまでも「音は変わらない」という主張をしただけであったとしてもです。
ここでさらに私が「私は音は変わらないと思います。世の中の変わる派の人が変わると言うのは、それは思い込みのためだと思います。」と、自分の考えを述べると、Aさんは「ばうさんは、私が思い込みをしているとでも言うのですか?」と反論されることが多いです。そう論理的に演繹できることは明らかであり、私もそれを否定しません。
すなわち、変わらない派が自分の主張をするだけで、間接的にですが変わる派の主張を即、否定することになってしまうのです。
(途中ですが一旦投稿します。)
2008/10/21 18:22 [8532360]
0点
ここで、さきほどのたとえと同じように、変わる派と変わらない派が逆のパラレルワールドを考えてみます。
質問者「電源ケーブルで音が変わるという妙なことをたまに掲示板で見かけますが、そんなことはないですよね?」
このパラレルワールドでは変わない派(Aさん)「電源ケーブルで音は変わるなどということはありません。付属の電源ケーブルで良いと思います。」
このパラレルワールドでは変わる派(ばう)「電源ケーブルで音は変わると思います。買うとしたら○○社の□□が良いと思いますよ。」
このパラレルワールドであっても、Aさんから、「ばうさんは、私が間違っていると言うのですか?その根拠はあるのですか?」と言われることはあるかもしれません。
しかしそういうときに私(ばう)は、「私は音は変わると思います。変わらない派のAさんが変わらないと言うのは、それは音が変わることをまだ経験されていらっしゃらないからだと思います。今と違うアンプを使ったり、異なる電源環境のもとで、じっくりと聞けば、Aさんもきっといつかは音が変わることが分かるようになると思いますよ。」と言うことができるのです。これは、相手を「思い込み」だと言うのに比べてずっと口当たりが良く、気軽に言うことができます。
このように「変わる」という主張と「変わらない」という主張は非対称であり、議論で人を傷つけないという点では、変わる派が有利です。変わらない派が議論すると相手を「思い込み」であると断言してしまわざるを得ず、もしも延々と続く議論を疎まれる地合いがあると、変わらない派は決定的に不利になります。
なお、これは、私が Part 1 のスレの [8286365] から連続する3つの投稿、
http://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=82173
54/#8286365
で述べたことを掲示板のやりとりでたとえただけであり、基本的な主張自体は同じです。
2008/10/21 18:29 [8532392]
0点
さきほど書いた、掲示板における投稿の順序についてですが、私がなぜ順序を気にするのかを補足します。
> 質問者「どんな電源ケーブルを買えば良いですか?」
> 変わらない派(ばう)「電源ケーブルで音は変わりません。」
> 変わる派(Aさん)「いえ、音は変わります。ばうさんの言うことは間違いです。」
と
> 質問者「どんな電源ケーブルを買えば良いですか?」
> 変わる派(Aさん)「そうですね。○○社の□□が良いと思いますよ。」
> 変わらない派(ばう)「電源ケーブルで音は変わりませんよ。付属の電源ケーブルで良いと思います。」
のどちらであっても、私が間接的に、Aさんが「思い込み」であると言っていること自体は同じです。
ただ、前者の順序であれば、私が先に自分の主張を述べているので、Aさんは後から議論を求めて来たということになるので、私としては受け答えが気楽になります。
後者の順序だと、私が後からやってきて自分の主張だけ述べていて、Aさんの主張自体は否定しないし言及すらしていません。しかし、上述のように相手を「思い込み」であると言っていることと間接的に等価です。Aさんからは、私がAさんに議論を求めているように見えてしまうこともあるのだろうと思います。実際、私が主張することで「思い込み」と言っていることと等価ですので、議論を求めているとみなされるのも私もうなずけはします。
すなわち、私が質問のスレを見つけるのが遅れて、すでに変わる派のかたの回答がいくつか付いているスレにあとから参加すると、自分の主張を述べただけでも、その後、議論になってしまうという覚悟をしなければなりません。
ただ、私としては、間接的には「思い込み」とは言っていることになりますが、直接的には言っていないのです。議論はせずに、たんに自分の主張を書きたいだけ、ということが多いです。
私に限らず、世の中の数少ない変わらない派のかたも、これが嫌でなかなか投稿ができないのだろうと思います。
(なお、私も、相手のかたによっては、最初から議論をしようと思って、間接的にではなく直接的に「思い込み」であると言う場合もあります。)
ここまでで、変わる・変わらない、の非対称性について、私の考察を終わります。
2008/10/21 19:01 [8532504]
0点
私はさきほど [8532360]
http://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=85197
70/#8532360
で、
> この順序だと、たんに主義主張の異なる2人(ばうとAさん)が議論し合うということであり、「変わる」と「変わらない」は対称です。
と書きましたが、ちょっと間違えました。
「変わる」と「変わらない」に関する問題は、投稿の順序には依存せず、常に非対称です。
ただし、
> 質問者「どんな電源ケーブルを買えば良いですか?」
> 変わらない派(ばう)「電源ケーブルで音は変わりません。」
> 変わる派(Aさん)「いえ、音は変わります。ばうさんの言うことは間違いです。」
という投稿順序であれば、私が発言した時点では、Aさんはこのスレに登場していません。したがって、たとえ私の発言が「思い込み」だと言ったととられたとしてもそれは変わる派全体に対して言ったのだととられることでしょう。Aさんもまさか私が未来を予測してAさん個人を指して「思い込み」であると言ったとはとらないでしょう。
すなわち、この投稿順序であれば、「変わる」と「変わらない」の非対称性が目立たないだけであるということです。(非対称性自体は存在します。)
2008/10/21 19:58 [8532691]
0点
今度は軽い話を。
音が変わらないこと・違いがないこと、を表現することの難しさについて書きます。
製品○と製品□に関する評論が、二人から出されたとします。
Aさん「製品○は製品□に比べ、全体的に繊細な音がする。低域のゆったり感は製品□のほうが多少優れているが、製品○との差はそれほど大きくはない。製品□は高域の柔らさを好む人には向くだろう。」
Bさん「製品○と製品□で音は違わない。」
この評論を聞いた人は、どちらを信頼するでしょうか?
Aさんは言葉をたくさん使って「違い」をいくらでも力説できますが、Bさんは「違わなさ」を力説する手段がありません。
たとえ、BさんがAさんに対抗して、言葉をたくさん使ったとしても、つぎのように書くのが精一杯でしょう。
Bさん「製品○と製品□を比べたが、繊細さに違いはなかった。低域のゆったり感も同じだった。高域の柔らさも互角だった。」
これを読んだ人はどう思うでしょうか。「Bさんは製品○と製品□に違いがないことが分かる分解能の高い耳を持っている」と思う人がはたして居るでしょうか。「Bさんの耳はなにを聞いても一緒に聞こえるのね」と思うの人がほとんどではないでしょうか。
このように、音が変わらないこと・違いがないことを、言葉で表現することは難しいのです。
2008/10/23 12:14 [8540334]
0点
ないものをないと証明するには、全ての可能性を考えてそれを全て否定する必要があるので、一般的に難しいですね。(幽霊はこの世にいないと厳密に証明するのは不可能)
厳密な証明は無理ですが、変わるという人の意見が正しいかどうかは検証することができます。2種類のケーブルを用意し、その人に見えないところで取り替えてみて、変わったかどうかを聞き、統計的に有意な正解が出るか(まぐれあたりはいくらでもある)確かめるのです。(二重盲検法なら完璧)
私はそこまでのことをやったことがないので、「変わるかどうかわからない」というスタンスです。
2008/10/25 20:18 [8551522]
2点
ひろ_ゆきさん、コメントありがとうございます。
> ないものをないと証明するには、全ての可能性を考えてそれを全て否定する必要があるので、一般的に難しいですね。(幽霊はこの世にいないと厳密に証明するのは不可能)
これは「悪魔の証明」呼ばれるものですね。
> 厳密な証明は無理ですが、変わるという人の意見が正しいかどうかは検証することができます。2種類のケーブルを用意し、その人に見えないところで取り替えてみて、変わったかどうかを聞き、統計的に有意な正解が出るか(まぐれあたりはいくらでもある)確かめるのです。(二重盲検法なら完璧)
これは関しては、私は、提案や助言として「ブラインドテストをやってはいかがですか?」と変わる派のかたに良く言っています。
ただ「ブラインドテスト」という言葉を言うと、たまに「電源ケーブル名を分からないようにして、目をつぶって聞き比べればいいんだろ」ぐらいに捉えられているかたがいらっしゃいます。しかしそれだと家族の人に電源ケーブルを交換してもらった場合に、ごそごそやっている雰囲気などから分かってしまったり、あるいは統計的に有意な回数とは到底言えない少ない回数をやっただけで、ブラインドテストを実施した、とおっしゃるかたがいらっしゃったりします。
これを避けるためにもおっしゃるような「二重盲検法」という用語を使うほうが良いのかな、と思いました。
ただ、検証を、ブラインドテストと呼ぼうと、二重盲検法と呼ぼうと、変わらない派の私のほうから変わる派のかたに対して「検証をやってみてはどうですか?」という提案・助言はできますが、「検証をやってください」とは強制できないのです。
強制できない理由はおもに2つあります。
ひとつは、「悪魔の証明」に関わることです。
たとえば私が変わる派に対して、
「変わる派のあなたは変わるということを検証をしていませんよね?ということはあなたの言う『変わる』ということは間違いということになりますね。」
とは言えないのです。
もし私がこれを言ってしまうと、こんどは変わる派からは、
「変わらない派のあなたは変わらないということを検証をしてませんよね?ということはあなたの言う『変わらない』ということは間違いということになりますね。」
と言われてしまうのです。
こうなってしまうと「悪魔の証明」ができない変わらない派は、絶対的に不利です。
もうひとつの理由は、掲示板のやり取りの場合、みなさん、オーディオを仕事ではなく趣味でやられているということです。
たとえば、仕事でなにかオーディオシステム一式を発注した際に、見積書に「オーディオ用電源ケーブル 10万円」と書いてあれば、発注者は「なぜこんなに高いものが必要なんですか?理由を言ってください。」と言ったり、逆に受注者は「要求されるような音質を実現するためには高いものが必要なんです。安いものでいいんですか?その根拠は?私は責任を持ちませんよ。」と言たりしてて、お互い相手になんらかの説明責任を求めることができます。
趣味では基本的にこれができません。変わる派にしろ変わらない派にしろ、「私はこれで楽しんでいて、あなたに迷惑をかけているわけではないでしょ。」と自由に主張できます。
2008/10/26 15:03 [8555400]
0点
もうひとつ軽い話を。やはり掲示板というコミュニケーションの場の存在に大きく依存したことです。
つぎの2つのパターンを比較してみます。
パターンA(変わらない派が回答した場合)
質問者「オーディオ初心者です。予算は○○円ぐらいです。アンプはどんなものを買えば良いですか?」
変わらない派「□□社の△△という機種が良いと思います。」
質問者「ではアンプは△△で考えたいと思います。」
パターンB(変わる派が回答した場合)
質問者「オーディオ初心者です。予算は○○円ぐらいです。アンプはどんなものを買えば良いですか?」
変わる派「□□社の△△という機種が良いと思います。そうそう、このクラスのアンプなら、電源ケーブルも買われたほうが良いでしょう。☆☆社の◇◇という型番なんかどうでしょうか。」
質問者「ではアンプは△△、電源ケーブルは◇◇で考えたいと思います。電源ケーブルで音が変わるとは知りませんでした。」
パターンBは一種の勧誘です。もちろん、私がこのようなコミュニケーションを否定するわけではありません。掲示板という公の場である以上、人は自由に自身の考えを述べることができるでしょう。
ただ、変わる派は、日頃、熱心にこのような活動を掲示板と言うコミュニケーションの場で積極的におこなっているわけです。変わらない派がこれに対抗しないと、変わる派の勢力に押されてしまうでしょう。
したがって、変わらない派は、つぎのように活動したほうが良いのではないかと、最近私は考えるようになりました。
質問者「オーディオ初心者です。予算は○○円ぐらいです。アンプはどんなものを買えば良いですか?」
変わらない派「□□社の△△という機種が良いと思います。あ、そうそう、電源ケーブルで音は変わらないので、電源ケーブルは付属のものを使うほうが良いと思います。電源ケーブルにお金をかけなければ、その分のお金で、アンプやスピーカーを一段上のものにすることもできるかもしれません。」
質問者「ではアンプは△△か、ちょっと奮発してそのひとつ上の▽▽で考えたいと思います。今まで電源ケーブルで音が変わるのかと思っていました。」
すなわち、変わる派が「変わる」と言うことに対抗して、変わらない派はそれと同じかそれ以上の頻度で「変わらない」と声に出して言う(字に書いて書き残す)わけです。変わらないから言う必要がない、として「変わらない」ことを言わなかったら、掲示板には「変わる」という声しか残りません。
なお以下は仮説ですが、もし、掲示板という形態のコミュニケーションツールがなければ、このような勧誘はやりにくかったのではないかと私は推測します。すなわち、電源ケーブルで音が変わるという勢力が優勢になった過程には、掲示板の発展が密に関係しているのではないかと思っています。
2008/10/27 21:51 [8561481]
0点
自分自身、理屈っぽい人間だと思ってますが、ばうさんには負けます(笑)
「悪魔の証明」と言うんですか。知りませんでした。さすがですね。
私もケーブルでは変わらないんじゃないかと思ってはいるのですが、真理に忠実でありたい人間としてはあくまでもわからないとしておきましょう。
昔から議論されてることですが、結局オーディオをどう捉えるかですね。いわゆる脳内フィルターで音が変わっていた(変わっているように聞こえた)としても、本人にとってみれば変わっていることに変わりはないので。
原音再生の真理は一つですが(しかし、原音というのはあくまでも音源に含まれる信号のことであり、それが録音されたライブ演奏なりのことではない。そして音源に含まれる信号が本来どういうものなのかは誰にもわからない→結局、再生されているものが原音なのかどうかは誰にもわからない)、「いい音」の解釈は人それぞれですもんね。
そういう意味では、「電源ケーブルを変えて音が変わるか」をより厳密に言うなら、「電源ケーブルを変えて再生される信号波形は変化するか」となりますかね。ただし、精度無限大(あるいは人間の識別能力を超える)の測定機が必要ですが。
2008/10/29 20:04 [8569800]
0点
ひろ_ゆきさん、こんにちは。
> 私もケーブルでは変わらないんじゃないかと思ってはいるのですが、真理に忠実でありたい人間としてはあくまでもわからないとしておきましょう。
「カワらない派」じゃなくて「ワカらない派」ですね。人から品格ある大人と見られるためには、そのほうが良いと思います。
私も以前はそういう立場をとっていましたが、最近は過激になり、自分でははっきり「変わらない」と言うようにしました。
私が自分では音が変わらないのだと思っている以上、やっぱり自分は「変わらない派」です。ただ、こう書くと「ばうさんは自分で聞いて変わらないと感じたから変わらない派なのね。」と取られかねないのですが、そうではありません。私が音が変わらないと思うというのは、自分で聞いて音が変わったと感じないということはもちろんですが、それだけではなく、今までに掲示板や書籍やインターネット上の情報などから得られた情報と自分の知識を総合しての判断です。
しかし、変わる派のかたと話し合うときは、私は頑固に「変わらないんだから変わるはずがない」とは言いません。変わるかもしれないし変わらないかもしれない、という「どっちか分からない」という立場で話し合います。話し合った後、変わるという確証が得られなければ、再び「変わらない」という立場に戻ります。
これについては、前スレ Part 2 [8517644]
http://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=83367
46/#8517644
で少し説明させていただきました。
なお、たまに、「(一時的にせよ)分からないという立場をとるのだったら、本当は変わるかもしれないのではないか?それを変わらないと言うのはおかしい。」のような論法で話されるかたが変わる派の中にいらっしゃいますが、私はそれは変だと思います。それは悪魔の証明を持ち出すのと同じことです。分からないのだったら、それを変わると判断しようと変わらないと判断しようと、人それぞれの主義です。
2008/10/30 12:23 [8572652]
0点
掲示板というコミュニケーションツールに関連する軽い話題を、またひとつ書きます。
今までは、質問者が投稿するスレについていくつかのパターンを書きましたが、今度は質問ではなくレポートのスレだった場合を考えます。
Aさん「電源ケーブルを○○から□□に変えてみました。低音の量感が豊かになり、ボーカルの定位が増しました。これはお勧めです。」
Bさん「私も今は○○を使っているのですが、□□が良いですか。ただ、値段がちょっと張りますね。」
Aさん「では、□□と同じシリーズの△△はどうでしょうか。私は思い切って□□にしましたが、△△のほうがコストパフォーマンスは高いと思いますよ。△△は高域が鋭いという人もいますが、私はこれも聴くジャンルによっては味があって良いと思います。普段はどんな曲を聴かれますか?」
.
.
.
こんなふうに変わる派同士でわいわい盛り上がっているスレで、変わらない派の私が投稿できるでしょうか?スポーツ観戦でアウェーのスタンドにひとり乗り込むようなものです。
また、初心者のかたのように、まだ変わる派・変わらない派のどちらにも染まっていないようなかたの質問に対してなら、変わらない派の私は自分の考えを伝えたいという動機付けはあります、変わる派のベテランのかた同士の会話に対してまでそうしたいという動機付けはほとんどありません。
また、とくに重要な点としては、この会話はその場限りのチャットではなく掲示板なので、半永久的に残るし、スレがアクティブならば常時 age られた状態になっていますので、目に付きやすく、アクティブでないスレでも検索(カカクコム内の検索および Google 等の検索)にもヒットするということです。
(なお念のため書きますが、私はこのような会話を否定するわけではありません。会話が残ったり、常時 age られていたり、検索でヒットすることがあっても、ぜんぜん構いません。)
掲示板の投稿を拝見していると、初心者を名乗られるかたは少なからず「掲示板を見たら、電源ケーブルで音が変わると書いてあったので、私もそうだと思う。」のようにおっしゃいます。
しかし、では、変わらない派同士でつぎのような会話ができるでしょうか?
Pさん「私は電源ケーブルはアンプに付属のものをそのまま使っているだけです。電源ケーブルで音は変わらないですよね。」
Qさん「そうですね。電源ケーブルで音は変わらないですね。私も電源ケーブルを買ったことはないです。」
Pさん「やっぱりそうですよね。電源ケーブルで音は変わらないですね。」
.
.
.
会話が盛り上がりません…w
街角で人と出会って「今日はいい天気ですね」「今日は昨日に比べるとずいぶん暖かいですね」「今日は午後から雨が降りそうですね」のように、天候などなにか変化のあるものを題材にして話のきっかけを作って会話することは楽しいことです。
変わる派は、電源ケーブルでこれと同じことができるのですが、変わらない派はこれができません。もちろん電源ケーブルの話以外ならいくらでも会話はできるのですが。(これについては別の投稿で触れます。)
以上の話をまとめますと、掲示板というコミュニケーションツールの特性上、電源ケーブルで音が変わらないというスレはもともと存在しにくいのです。したがって、掲示板に電源ケーブルで音が変わるというスレがたくさんあっても、それだけを根拠にして電源ケーブルで音が変わると考えるのは、掲示板の特性を考慮していないと私は考えます。
2008/11/03 09:42 [8589573]
0点
>>ぱうさん
はじめまして。
一連の書き込みを拝見しましたが、どこまでも理路整然とした考察と
それを的確に相手に伝える能力の高さに感服いたしました。
私もケーブルのようなオカルトがオーディオの世界に蔓延ることを悲しく感じる
一趣味人として共感することが多々ありました。
ただ、ぱうさん自身も切に感じていることと思いますが、ぱうさんのロジカルな
説明は多くの場合相手の方には難解なようで議論がうまく成立していないのが残念です。
また、理屈ともいえない与太話をいちいち論破しても際限がなく、まるで孤独な痩せた
ソクラテスのように感じられました。
私はより多くの人が理解しやすい方法でアピールすることが大切だと考えています。
例えば、現在企画中の「piyoのこれが出来たら100万円!」というイベントもその一つです。
被験者がケーブルを聞き分けやすいと思う自由な環境で聞き分けやすいと思う自由な
ケーブルを自由に聞き比べて、試験結果に統計的に優位な差があれば賞金100万円を
プレゼントするという企画です。
http://music.geocities.jp/piyo_audio/
趣味の世界の健全化のためにここまで思い切った行動をとるのはいささか酔狂かも
しれませんが、オーディオを愛するものとして現状を迎合する事はこころよしと
できませんので、このような活動に踏み切りました。
アプローチの仕方は違いますが、初心者がオカルトグッズに騙さてしまうような
現状が是正されることを期待しています。
以上。乱文失礼いたしました。
2008/11/06 01:26 [8602409]
0点
piyo_audioさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
> 例えば、現在企画中の「piyoのこれが出来たら100万円!」というイベントもその一つです。
あのpiyoさんでしたか。
ちなみに、このスレの Part 1 の [8254564]
http://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=82173
54/#8254564
から始まるいくつかのクチコミでも、二羽の兎さんが賞金を出すブラインドテストの企画案を出されていて、私もその構想について思考レベルですが検討させていただいたことがあります。
当時、すでにpiyoさんのイベントの開催案がかなり具現化されてネット上で公開されていたと記憶しています。私が当時、piyoさんの案と二羽の兎さんの案の両方を拝見してどちらにも思ったこととしては、変わらない派がテストを主催することにはたしてメリットがあるのか、という根本的なことがあります。
上記のスレ中でも「体調」などという言葉で書いていますが、変わる派が体調や環境などを理由にして、違いが分からなかったと主張してしまえば、変わる派はなんらデメリットをこうむることなく、勝負を降りることができてしまうのです。(テスト前であろうと、テスト後であろうと。)
テストを実施する際は、この点を十分検討されたほうが良いと私は考えます。
なお、ハンドルネームの件は、他のかたからも良く間違われますので、お気になさらないでください。パソコンの画面上では区別が付きにくい字ですのでしかたがありません。
2008/11/06 22:38 [8605545]
0点
ばうさん。
こんばんは。
変わることの立証責任は変わる派にありますから、変わらない派が
試験を用意する必要性は全くありません。
ただ、残念なことに変わる派の方は立証責任があることが理解できないのか、
行動力がないのかわかりませんが、世界で唯一人としてブラインドで聞き分けに
成功した人はいません。
したがって、従来より直接または間接的に試験された結果である人間には
聞き分けられないということが現在における客観的な答えとなります。
物事を客観視して論理的に考察できる人にはすでに答えは自明なわけですね。
一方で、物事を客観視したり論理的に考察することが苦手な人の中には
自身が変わって感じた体験などから聞き分けられると考えてしまう人も
いるようです。
せっかく趣味としてオーディオをやっているのに、空耳に惑わされ、空耳を基に
構築したシステムで空耳を聞くだなんて、これでは変わる派の人があまりにも
哀れです。
そこで、私は証明の方法を示し、機会を設け、さらには賞金を用意しました。
これで聞き分けに成功したら世界初の快挙であり、人間にケーブルは
聞き分けられるということになります。
もちろん、まぐれ当たりもあるので再現性の確認は必要ですが。
それに対して、聞き分けられなかったらどうでしょう?
1人が失敗しても、耳が悪い、所有していたシステムが悪い、体調が
悪かったといって逃げられるかもしれません。
では2人が3人が、10人、100人が、誰も聞き分けられなかったらどうでしょう。
いくら論理的に物事を考えるのが苦手な人でも、聞き分けられないと
考えることが出来るかもしれません。
あるいは、自身が試験を受ければ聞き分けられないことが明らかになります。
変わらない派にとってみればとても手間がかかる割りに自己の利益には
ならない試験ですが、私はオーディオという趣味が好きなので私を楽しませて
くれるオーディオ界の発展に貢献できればと考えてこのような活動に
踏み切りました。
2008/11/07 21:36 [8609364]
1点
piyo_audioさん、こんばんは。
> そこで、私は証明の方法を示し、機会を設け、さらには賞金を用意しました。
なるほど、「機会を設ける」というのは斬新な視点ですね。
変わらない派が変わらないことを証明するため、というのではなく、変わらない派が変わる派に対して、道具を用意してインセンティブも付けるからやってみてはどう?という感じですかね。
> では2人が3人が、10人、100人が、誰も聞き分けられなかったらどうでしょう。
> いくら論理的に物事を考えるのが苦手な人でも、聞き分けられないと
> 考えることが出来るかもしれません。
> あるいは、自身が試験を受ければ聞き分けられないことが明らかになります。
こうなった場合に、私が想定する、変わる派が出すであろう主張にはつぎの2つがあります。
・私は聞き分けられなかったが、私より優れたあの人なら聞き分けられるはずだ。(人の問題)
・環境(オーディオ機材、電源環境、周りの騒音、等)が悪かった。(環境の問題)
また、これらのブレンドもあるかもしれません。たとえば「今回は環境があまり良くなかったため、私は聞き分けられなかったが、私が尊敬するあの人なら聞き分けられるはずだ。」などです。
ただ、聞き分けられない人が、2人、3人...、10人、100人と増えていくにつれ、変わる派からは、環境が悪い、という批判が増えてくるかもしれません。
こうなると、環境が悪くないということを誰が証明すべきか、という問題が出てくるかもしれません。変わる派が証明してくれるでしょうか?かといって変わらない派が証明しなければならないとなると、なんのために変わらない派が「機会を設けた」のかが分からなくならないでしょうか。
でも、もしそうだとしても、変わる派のかたが「なぜ聞き分けられないのか」を考える機会にはなったとは言えますかね。
(もちろん、もし聞き分けできるかたが登場したら、変わらない派が「なぜ変わる派が聞き分けられたのか」を考える機会になります。w)
2008/11/08 23:16 [8614852]
1点
ばうさん。
こんばんは。
これまで世界でたった一例としてもブラインドで聞き分けられた例が
ない理由を環境や被験者に問題があったからだという声を聞くことは
ありますね。
私の試験はもっと冷酷でして(笑、被験者自身に被験者が聞き分けられると
考える環境を用意させ、ブラインドでない状態で違いを感じることを
確認したうえで試験を行います。
例えば、被験者の自宅の普段から聞きなれている環境、ケーブルで
普段と同じように試聴しながら試験を行います。
これで聞き分けられなかった時、被験者は何を思うでしょう。
それでも、何がしの文句をつけることも想定されますが、聞き分けられないことの
アピールとしてある程度、有効なのではないかと考えています。
2008/11/09 00:04 [8615111]
1点
piyo_audioさん、こんばんは。
最初にいただいたコメント、
> ただ、ぱうさん自身も切に感じていることと思いますが、ぱうさんのロジカルな
> 説明は多くの場合相手の方には難解なようで議論がうまく成立していないのが残念です。
> 私はより多くの人が理解しやすい方法でアピールすることが大切だと考えています。
> 例えば、現在企画中の「piyoのこれが出来たら100万円!」というイベントもその一つです。
を拝見して思ったのですが、電源ケーブルに限らず、対立する2つの意見のどちらが正しいかという問題に決着をつけるには、大別すると、つぎの3つのやりかたがあるのだと考えます。
(a) 自分の意見が正しいことを証明する。
(b) 対立する相手側の意見が間違いであると証明する。
(c) 相手自身に相手の意見が正しいことを証明させ、相手が証明できないことをもって、相手の意見が間違いであるとする。
変わらない派の立場では、(a) は悪魔の証明になるので不可能です。(b) が私が今まで掲示板でやってきたことです。ただし、私は相手の意見を間違いだと断定することができる場合とできない場合があります。断定できない場合は、たいていは悪魔の証明であるためです。この場合は相手が言う意見では変わることの証明にはならない、と言うことまでしかできません。(c) はpiyo_audioさんがやろうとされていることだと思います。
そして (b) も (c) もですが、根本的な問題として、挑戦者が後をたたないということです。また、人の多さだけでなく、一人の人が複数の機材や理論のバリエーションを持ち出すことも可能です。すなわち、明確な終わりがないわけです。
> それに対して、聞き分けられなかったらどうでしょう?
> 1人が失敗しても、耳が悪い、所有していたシステムが悪い、体調が
> 悪かったといって逃げられるかもしれません。
> では2人が3人が、10人、100人が、誰も聞き分けられなかったらどうでしょう。
piyo_audioさんが主催される試験の場合、このように聞き分けられない人が出てくると、おおよそ10人ぐらいのところで、試験を受けない、という選択をする人がたくさん現れてくることが予想されます。結局、10人までは行っても100人までは行かないと思います(数字はあくまでも例です)。試験を受けない理由は「機器は持ち込めるものの、騒音や電源の環境が自分の思い通りにならない」だったり「本当に正しく電源ケーブルをつなぎ替えているのか?」など、いくらでも出せます。
私の場合だと「ばうさんと議論しても時間の無駄だと分かりました」や「趣味のオーディオで議論してなんになるでしょうか」のような感じで昇華されるかたが多いです。
2008/11/10 01:01 [8620396]
0点
今度は、変わる派のかたが良くおっしゃる、
「こんなに多くの電源ケーブルが売られているのだから、電源ケーブルで音が変わらないはずがない。」
という主張について考えてみます。
すべての変わる派のかたがそうだとは限らないと思いますが、実に多くのかたがこの主張をされます。この主張をされるかたは、これを言った時点で、これでもう自明のことを言ったかのように思われているのかもしれません。しかし、これが正しいことであるとは誰も言っていません。
変わらない派の私としては、これが正しいことをかならず証明してください、とまでは求めません。しかし、これが正しいことを証明できないのならば、これは主張としては根拠がありません、と私が言うことはできます。
もし、これを自明であるから証明など要らない、などとおっしゃるのでしたら、私は、反例としてつぎのことを言います。
変わる派の主張を、一般化しますとつぎのようになります。
「こんなに多くの○○が売られているのだから、○○に効果がないはずがない。」
この「○○」に、あなたが思う、世間で売れてはいるが怪しげな商品を当てはめてみてください。思いつく商品すべてで、これが常に正しいと言えますか?
もし、すべてで正しいとおっしゃるかたがいらっしゃれば、私は降参です。そのかたのお宅は、きっと怪しげなグッズで埋め尽くされていることでしょう。
もし、ひとつでも正しくないとおっしゃるのであれば、証明が必要だということが分かっていただけただろうと思います。
(つぎの投稿に続きます。)
2008/11/14 20:46 [8640171]
0点
さきほどの投稿だけでも、私は、変わる派のかたが良くおっしゃる、
「こんなに多くの電源ケーブルが売られているのだから、電源ケーブルで音が変わらないはずがない。」
という主張に根拠がないこと、そして証明が必要なこと、を十分に示したつもりです。
つぎに述べることはあくまでも余談です。
変わらない派の私は、この証明が変わる派からなされるのを待つだけで良いので、本来は、別になにも言わなくても良いはずです。しかしそれだと進展がないので、先回りしてこの証明が難しいであろうことを私なりに考えてみて、それをお知らせしているだけです。私がつぎに言うことが正しいことを、私は今の時点ではことさら主張するつもりはありません。
「多くの電源ケーブルが売られている」という主張は、一見なんとなくうなずけるようにみえますが、その一方でアンプに標準で付属するごく普通の(おそらくは安物であろう)電源ケーブルは、おそらくその何倍もの数が売られて使われています。単純に数を比較する限り「多くの電源ケーブルが売られている」という主張は正しくないわけです。なにをもって「多くの」と言えるのかを示さないと、その主張に根拠は見出せません。
もしも「音を気にする人は、音をあまり気にしない一般人に比べて人口が少なく、たくさんの一般人が安物を使っているから相対的に音を気にする人が買う電源ケーブルの数は少なく見えるのだ。」のように主張されるのならば、なぜ「音をあまり気にしない一般人」が多いのかを説明すべきでしょう。これを説明しないのに、その一方で「こんなに多くの電源ケーブルが売られているのだから」のように、多さを根拠として主張するのは、矛盾した行為でしょう。
ここまでで、変わる派の主張(「こんなに多くの電源ケーブルが売られているのだから…」)についての考察を終わります。
2008/11/14 23:31 [8641127]
0点
今度は、「音が変わる」とはどういうことか、について考えてみます。
ちょっと思いついたたとえで書いてみます。
テレビ番組を見ていると、味覚が視覚に影響されるという実験をたまに見かけます。たとえば、2年ぐらい前に探偵!ナイトスクープで、イチゴ味(色は赤)のカキ氷を、高速道路のトンネル内の照明のナトリウムランプ(橙色)のもとで見ながら食べると、色が赤色に見えずメロン味として感じる、というのがありました。この番組のほかにも、これと同じ趣旨のことを他の食品でもいくつかの番組で見たような記憶があります。
(本当にそうなのかは私は知りません。ひょっとしたら嘘なのかもしれませんが、もしそうならば例を替えれば良いだけです。このたとえの真偽を問題にするわけではありません。)
この場合は「味が変わった」ことになるのか?
イチゴ味のシロップをかけたカキ氷という食品の持つ特性は、ナトリウムランプで照らしてもなんら変わらないはずです。では、味は変わっていないのでしょうか?
でも、食べた人が感じる味は変わっています。では、味は変わったのでしょうか?
これらのことから私が考えるのは、「味が変わる(または変わらない)」という表現は、あいまいだということです。この言葉を聞いてどう解釈するかは、聞く人によってブレがあるはずです。
この場合、「ナトリウムランプで照らすことにより、カキ氷の味特性が変わった(または変わっていない)」(食品を主体にした表現)にしたり、あるいは「ナトリウムランプで照らすことにより、味が変わった(または変わっていない)と人が感じた」(人を主体とした表現)として表現すれば、そのようなブレがなくなるのかもしれません。
オーディオに話を戻すと、「電源ケーブルを変えると、音が変わる(または変わらない)」ではなく、「電源ケーブルを変えると、スピーカーから発する空気の振動特性が変わった(または変わっていない)」と表現するか、「電源ケーブルを変えると、スピーカーから発する空気の振動が変わった(または変わっていない)と人が感じた」と表現することになります。
そして後者(「〜と人が感じた」)は、前スレ Part 2 [8363323]
http://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=83367
46/#8363323
で藍君さんがおっしゃった「感じる音」に相当すると思います。
しかし、ここで大きな疑問が生じます。
カキ氷の場合、照明で味が変わったと人が感じるから、照明にこだわるべきなのか?例外もあるかもしれませんが、普通、イチゴ味のカキ氷は、メロン味ではなくイチゴ味と感じて味わって食べたいと思う人がほとんどでしょう。
では、オーディオの場合は、電源ケーブルにこだわるべきなのか?
(つぎの投稿に続きます。ただし、このスレにご投稿されたいかたは随時ご投稿されて構いません。)
2008/11/17 00:15 [8651404]
0点
(遅くなりましたが、続きです。)
> しかし、ここで大きな疑問が生じます。
> カキ氷の場合、照明で味が変わったと人が感じるから、照明にこだわるべきなのか?例外もあるかもしれませんが、普通、イチゴ味のカキ氷は、メロン味ではなくイチゴ味と感じて味わって食べたいと思う人がほとんどでしょう。
> では、オーディオの場合は、電源ケーブルにこだわるべきなのか?
私は、オーディオの場合、もしもそれ(電源ケーブルにこだわること)しか方法がないなら、こだわる"べき"だと思います。ただ、もしもほかに方法があるのならば、電源ケーブルにこだわっても"良い"と思います。(が、かならず電源ケーブルにこだわる必要はないと思います。ほかにも方法があるのですから。)
カキ氷の説明は、例としてはあまり良くなかったかもしれません。
カキ氷自体を取り上げることは、例としては悪くなかったかなと思いますが、因果関係の説明は、
「ナトリウムランプで照らすことにより、味が変わった(または変わっていない)と人が感じた。」
よりもその手前の原因から説明した、
「トンネルに入ったことにより、味が変わった(または変わっていない)と人が感じた。」
のほうが良かったかもしれません。
(テレビ番組も「なんでトンネル内で食べるとメロン味になるんだろう?」ということから始まっていました。)
カキ氷だったら、イチゴ味のカキ氷をイチゴ味と感じて食べたい人は、トンネルの中では食べない(車がトンネルをすぎるまで食べるのを我慢する)、という行動をとる"べき"だと思います。
しかし、なぜトンネルで味が変わって感じるかという原理を知っている人ならば、トンネルの中で食べるのを我慢するという行動をとっても"良い"と思いますが、それ以外に、トンネルを通過中の車内では白色の照明を点灯して食べるという行動もとれるはずです。しかし、このような代替行動をとれるのは、味が変わって感じる原理を前もって知っているからです。原理を知らなければ、代替行動をとることはできません。あるいは、トンネルの中で、たまたま車内で白色の照明を点灯してみたら、味が変わらないと感じたので、照明が関与していることを発見した、ということはあるかもしれません。
いずれにしても、原理を知識として持つかどうか、が大きく関わってきます。
(つぎの投稿に続きます。ただし、このスレにご投稿されたいかたは随時ご投稿されて構いません。)
2008/11/22 00:34 [8672877]
0点
>「電源ケーブルで音が変わるのか?」
私は「変わる派」でも「変わらない派」でもありません。
ものごと物質的なことも精神的なことも含め、
「変わるか変わらないか」と問われれば
「変わらないものはこの世に何も無い」というのが真理だと思ってます。
極論で恐縮ですが、
我々もこの世界も刻一刻と絶えず変化してますので、
「不変」という主張は根底にある時間を度外視してます。
時間は「物質の変化の量」と定義できます。
そして物質(肉体)と精神は分けて考えることはナンセンスですので、
よって厳密な「不変」は存在しえません。
その中でも人は絶対的な確信を持てるということは、
それは人がとても柔軟で流動的な存在だという事ではないでしょうか。
人は己の感覚を確固たるモノとして生きなくてはいけませんが、
その感覚と外界との繋がりはいたって間接的です。
己が感じた事がイコール世界の事象とは限らないということは、
原理的に確定できない「不可能」が存在するということです。
その状況で「変わる」とか「変わらない」とかを明確にするのは、
もはや正確性は双方欠けていると私は感じます。
真実は、人間の感覚はゆらいでいるという厳然たる事実です。
このことから考察しますと、
「電源ケーブルで音は変わりません」という主張は道理です。
違いを正確に読み取る鋭敏な感覚を人間は持ち併せていませんので。
そして「電源ケーブルで音は変わります」という主張も道理です。
人間の感覚は流動的であり曖昧ですから。
省きますが双方の主張の「間違い」も上記のパターンで簡単に説明できます。
まとめますと。
科学的に考察すれば現状での答えは「保留」が妥当と思われますが、
「電源ケーブルで音は変わらない」という主張は反証の余地が大きくあるので、
「電源ケーブルで音は変わる」に対し科学的で実質的だと思いますので私は共感できます。
最後に。
私の意見が的外れなご託でしたらご容赦下さい。
ぼうさんのご意見を読ませていただくと、
もはや次元の違う議論を展開しているように見えてしまい
私なりの恣意的な見解を勝手ながら述べさせて頂きました。
ちなみに私はオーディオのずぶの素人でビギナーですので、
電源ケーブルを変えたこともありませんし知識もありません。
そしてお金もありませんので付属ケーブルを使い続けていく予定です。
2008/11/28 01:12 [8701169]
0点
クレルさん、こんばんは。
興味深いコメントありがとうございます。
> ぼうさんのご意見を読ませていただくと、
> もはや次元の違う議論を展開しているように見えてしまい
> 私なりの恣意的な見解を勝手ながら述べさせて頂きました。
この、次元が違う議論とはどういう意味でしょうか?とくに回答を求めるわけではありませんが、ちょっと気になったので。
(念のため申し添えますが、次元が違うとはなんだ、と怒っているとかそういう意味ではありません。)
ちなみに、今現在の私が取ろうとしているスタンスは、つぎのような感じです。
まず、私は、電源ケーブルで音が変わる(あるいは変わらない)ということに対する、技術的な興味はありません。たとえば、電源ケーブル内の電子の流れがどうとか、直流抵抗・インピーダンス、インダクタンス・キャパシタンスがどうとか、どういう測定方法を使えば違いを検出できる(あるいは検出できない)のか、という技術的なことを議論したところで、この問題は到底解決しないと考えています。
今の私は、技術的な事柄よりも、変わる派のかたが、なぜ音が変わると考えているかという思考パターンとでもいうものに興味が移りつつあります。そして、今、私は、変わる派のかたの、変わるという考え方が、いくつかに分類できるのではないかと考えています。
なお、念のため書きますが、私は上述のように技術的な興味はないと書きましたが、変わる派のかたから「こういう技術的な理屈で音が変わるのですよ」と言われたのならば、それに付き合って議論することには興味はあります。
ただ、自分から技術的なことを持ち出す気力はない、というところです。そもそも、変わる派のかたの中には、たとえば、「私は電源ケーブルで音が変わる理由は知らないし別に知りたくもない。しかし現に電源ケーブルで音が変わるから、電源ケーブルを変えているだけだ。」のようにおっしゃるかたもいらっしゃいます。そういうかたに、技術を言ったところでダメなわけです。それこそ次元が違うわけで、議論にすらなりません。こういうかたにはどう対応していけば良いか、というところから考えてみたいと思っています。
クレルさんがおっしゃる「次元が違う」も、私のこのようなスタンスを指されているのかな?と思ったのですがいかがでしょうか?
2008/11/28 23:56 [8705069]
0点
あいさつ遅れました。ぼうさんこんにちは。
私もぼうさんも冷静さにまさる感情は無いと考える者ではないでしょうか。
「次元」の概念は抽象的ですが下記のように説明させて戴きます――。
『人間は、何事もわかったふうに生きれますが
しかし現実は、何もわかってないのが人間です。
なぜそのような状況でわかったふうに生きるのかと言えば
そのように本能として組み込まれているからです。
この本能を私は広義で「エゴ」として定義してます。
「次元」とはこの各々の「わかったふう」のエゴの階層です。
この階層を合わせなくては、人の話し合いはちぐはぐになり折合いがつきません』
2008/11/29 10:58 [8706751]
0点
クレルさん、こんにちは。
> この本能を私は広義で「エゴ」として定義してます。
>
> 「次元」とはこの各々の「わかったふう」のエゴの階層です。
おっしゃる「エゴ」とは、自我の意味のエゴなのか、それともエゴイズム(利己主義)の省略のエゴなのか、どちらであるのか分かりませんでした。
「わかったふう」とおっしゃることから推測すると、後者なのかなあ、と思いましたが、もっとも、言葉をご自身で定義されているとのことなので、辞典の意味は無関係なのかもしれませんが。
> この階層を合わせなくては、人の話し合いはちぐはぐになり折合いがつきません』
まず、この階層を合わせることは可能か・不可能か、のどちらなのかという疑問があります。そしてもし可能な場合は、その方法は既知なのか・未知なのか、のどちらなのかという疑問があります。
これが不可能とか未知だ、という話になると、結局は折り合いがつかないまま、ということになりますよね。
2008/11/30 16:15 [8712890]
0点
カキ氷の話はちょっと後回しにして、別のことを書きます。
電源ケーブルに限ったことではありませんが、オーディオの掲示板を見ていると、たまにつぎのようなやりとりを見かけます。
質問者「今、○○(という機器・部品・部材等)に、□□という製品を使っています。これを別の製品に変えると音は変わりますか?」
回答者「いいえ変わりません。○○になにを使っても音は変わりませんよ。」
質問者「そうですか、残念です。回答ありがとうございました。」
回答者「なぜ『残念』なのですか?」
質問者「○○を変えると音が変わると思っていたので。」
なぜ「残念」なのか?
このやりとりを傍観者が見る限り、この質問者のかたは、(○○に限って言えば)現状ですでに最適な音を出しているわけです。しかし質問者ご本人は「残念」なのです。おそらくは、現状を変えることができないことが「残念」なのでしょう。
ここでもし「○○を変えると音が変わりますよ」とだれかに言われたら、それは「残念」ではない回答でしょう。「残念」ではないということは「嬉しい」ことであると推測できます。
要は、人は、「変わりません」と言われることは「残念」であり、「変わります」と言われることは「嬉しい」のです。
2008/11/30 16:51 [8713064]
0点
ぼうさんこんばんは。
>おっしゃる「エゴ」とは、自我の意味のエゴなのか、それともエゴイズム(利己主義)の省略のエゴなのか、どちらであるのか分かりませんでした。
私が使った「エゴ」の意味は両方です。
自我あっての人間であり、絶えず行動が利己的である可能性が付きまとう人間です。
>階層を合わせることは可能か・不可能か、のどちらなのかという疑問があります。
「階層」という概念には、ピッタリと合わさなくてもよいゆとりがある、是非を二分法のように厳格に分けなくてもよい、とイメージして勝手に付けました。
私はこの世は「わり切れない」ほうが圧倒的に多く、
「わり切れる」のは独りよがりの一種だと思っています。
ですので、事が納得できればそれで良い訳で、
納得がいかなければ、辛いですがそれはしょうがないと考えます。
>要は、人は、「変わりません」と言われることは「残念」であり、「変わります」と言われることは「嬉しい」のです。
たしかにそうですよね。
なにかしらの行動は現状を変える為に、または変わる可能性があって当然で、
なのも変らないなら行動は無意味になりますからね。
無意味なことにお金などの具体的な損失が係わってくれば、
人はどうにかして意味を作り出し自己防衛に図りますよね。
私もよくやります(笑)
2008/12/05 22:11 [8739544]
0点
ちょっと思い出したことがあるので、メモついでに書きます。
(もしかしたら前もどこかで書いたかもしれませんが、忘れてしまいました。なおカキ氷はまだ中断中です。w)
数年前の中日スポーツだったかなと思うのですが、その新聞のF1レース関連のコラムに、つぎのような意味合いのことが書いてありました。(記憶があいまいですので、あくまでもこんなようなことが書いてあったと思う、という紹介です。)
「レースで優勝した車を見ると、その車体にはワックスがきれいに塗られていることが多い。一方、負けた車のワックスの塗りは雑であることが多い。しかし優勝したいからといってワックスをきれいに塗っても優勝するわけではない。レース開始までの間に余裕をもってエンジンやタイヤの整備ができたチームが、最後の仕上げにワックスがけをゆっくりと丁寧にできる時間を持てるからである。」
すなわち、ワックスをかける行為と車の性能には相関関係があるのです。しかしこれは因果関係ではないのです。
これをオーディオにたとえると、アンプの選定やスピーカーの設置を十分におこない、それに加えて電源ケーブルも吟味した人のオーディオシステムは、"優勝"することが多いのです。電源ケーブルに無頓着な人が持っているオーディオシステムは、ダメなシステムであることが多いのです。
そして、"優勝"する人は、他の人に対しても「アンプはこれを選ぶと良い」、「スピーカーはこう設置すると良い」、「電源ケーブルはこれを使うと良い」と助言し、それに従った人も"優勝"に近づくでしょう。
でも、車にワックスを塗っても速くはならないのです。
2008/12/18 01:10 [8801015]
0点
はじめまして。8月からの議論、通して拝読しました。
最初に立場を表明しておくと私は「変わらない派」です。
微妙に変わるケースもあるのかもしれないですが、それは電源ケーブルを変えたことによって「音が良くなったはず」と思い込んでいるプラシボー効果の影響の方が大きいのだと思います。
何万円もする投資を電源ケーブルにするくらいなら、ハードウェアやソフトウェアに回した方が良いと考えています。
そもそも「変わる派」の人たちは、アンプからコンセントに至るまでの電源ケーブルを交換するだけで満足できるのでしょうか?
ブレーカーを交換とかいう記事も見かけましたが「変わる派」という人は宅内のACラインはどうされているのでしょう?自宅内だけで満足なのでしょうか?発電所、変電所から数十キロ数百キロに至る送電線も交換したくなりませんか?発電機のコイル内の電線の素材は関係ないのでしょうか?変電所のトランスに使われているコイルはオヤイデ製にしなくても満足なのでしょうか?パワーラインをトータルで考えた場合に、家庭内のコンセントからアンプに至る電源ケーブルだけで音がそんなに激変するならば、電力会社の引込み線を変えたらどうなるのでしょう?生音の1000倍くらい良い音になるとは思いませんか?
2008/12/24 21:10 [8834223]
0点
かわはら@千葉さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
> 何万円もする投資を電源ケーブルにするくらいなら、ハードウェアやソフトウェアに回した方が良いと考えています。
私もそう思います。ユーザーも得をするし、アンプやスピーカーのメーカーも潤うので、オーディオの世界にとってのメリットは大きいと思います。「潤う」という表現はちょっと語弊があるかもしれませんが、ユーザーがお金を電源ケーブルに投資することでそれが技術の発展にどれだけつながるでしょうか。そのお金がアンプやスピーカーの技術開発にまわったほうが、よっぽど効果的なような気がします。
もっとも私がこう言えば、変わる派のかたは「電源ケーブルだって技術開発している」のようにおっしゃるかもしれません。ただ、もしそう主張される方がいらっしゃるとすれば、私も「では、電源ケーブルのどこにどれだけの開発費がかかっているのか?どこにどれだけの材料費がかかっているのか?」をうかがいたいところです。
> そもそも「変わる派」の人たちは、アンプからコンセントに至るまでの電源ケーブルを交換するだけで満足できるのでしょうか?
ブレーカー替えやマイ電柱ぐらいまではしている人がいらっしゃるのが、この世界のすごいところです。さすがにそれぐらいが限界のようですが、たとえそうであっても「アンプに近い末端を変えることで効果が顕著に現れる」のような理論を展開されるかたもかなりいらっしゃるようです。もっとも変わらない派の私には、これはいくらでも言える仮説のひとつにしか見えません。「こう考えれば理屈が合う」というだけの仮説であり、その仮説の裏づけを説明されたのを見たことはありません。
2008/12/25 23:18 [8839372]
0点
別の観点からになりますが、オーディオアンプのメーカーだって、自社の製品を研究開発している過程で「電源ケーブルはこれで必要十分」という判断で添付していると思います。素人が投入できる予算とは桁違いの金額、人的資源をかけて慎重に設計、検討しているはずです。ショボイ音になるような電源ケーブルを添付しているとは思えません。
それから電源ケーブルを付け替えてのテストの際は、普通はリスニングポジションから離れて操作してから、再び戻って比較ということになると思います。この場合には厳密に頭の位置を同一に保つのは難しくなると思います。1センチ単位で揃えるのもかなり難しいと思います。ミリ単位では現実的には不可能です。何もパラメーターをいじっていなくても視聴位置が数ミリずれただけでも音が変わりますので、電源ケーブル付け替えの結果音が変わったとしたら、それはもしかしたら視聴位置が数ミリずれていたことによる音の違いなのかもしれません。常に高価な電源ケーブルの音が良い場合は、その場合には気合が入っていて、ノーマルケーブルの時よりも前方向、下方向に数ミリ頭が傾いているのかもしれません。
電源ラインのアンプに近い部分を換えると効果が顕著という理論はスゴイですねぇ。感動してしまいました。電流は電子の流れでアンプ内のトランスと、変圧器内のトランス内のループ全体として一環して流れるものだと私は理解していますが、その理論の展開者にとっての電流は、コンセントから供給されてアンプの中へ流れ込むだけのものなのかもしれないですね。
電源ケーブルで音が変わるのであれば「マイ電柱」や「マイブレーカー」「マイ宅内ACライン」だけでは全然、物足りなくダメですねぇ。「マイ発電機」がこれから電源ケーブルで音が変わる派にとっての必須アイテムではないでしょうか?そうすれば発電機のメーカーが潤うから良いかもしれません。その際の発電機のコイルは、超巨大結晶の無酸素銅が良いのでしょうか?あるいは銀はどうでしょう?さらに超伝導設備も備えて抵抗ゼロを目指して欲しいですね。そこまでやれば、もしかしたら音は激変するかもしれません。(私はそれほど変わらないと思いますが・・・)また発電機を回す動力源の選択もポイントかもしれません。水力だとクールな音で、火力だと熱い音で、風力だとさわやかな音がでることでしょう。
2008/12/26 01:45 [8840058]
0点
かわはら@千葉さん、こんにちは。
> それから電源ケーブルを付け替えてのテストの際は、普通はリスニングポジションから離れて操作してから、再び戻って比較ということになると思います。この場合には厳密に頭の位置を同一に保つのは難しくなると思います。
私もこれを昔から強く思っています。
前回書いたワックスのたとえにも関連するのですが、私は、変わる派のかたは向上心を強くお持ちなのだろうと思います。こうやれば良い音になるのではないだろうか、と考えていろいろと試行錯誤されているようです。電源ケーブルはその中のひとつなのでしょう。
そしてアンプAとアンプBを比べてAが良い音だと感じた、スピーカーCとスピーカーDを比べてCが良い音だと感じた、電源ケーブルEと電源ケーブルFを比べてEが良い音だと感じた、この結果、アンプはAが良い、スピーカーはCが良い、電源ケーブルはEが良い、とおっしゃられているのだと思います。
しかし、ヒトの知覚でも、測定機器による測定でも、誤差というものは常にあります。たとえば米を買ってきて、精密なハカリに乗せて測ったら10.0001kgだったが、同じ米をもう一度乗せなおしてみると今度は10.0002kgになったとします。この場合、ハカリの誤差だろうと考えるのが普通です。
しかし、ホームセンターで買ってきた米を測ったら10.0001kgだったが、近所の米穀店で買ってきた米を測ったら10.0002kgだった場合、近所の米穀店は大目に入っていて良いのだと考えるかたがいらっしゃるのです。もちろんその可能性もありますが、ハカリの誤差の可能性もあるはずです。
変わる派のかたの話を聞いていると、なぜか「米はホームセンターよりも近所の米穀店で買うほうがたくさん入っていて良い。私がハカリで測ったのだから間違いない。」という理屈になってしまうようです。ハカリの誤差の可能性にはなぜだか触れられることはないのです。
2008/12/27 15:22 [8846242]
0点
「オーディオシステム」にとっての「電源ケーブル」は、「レースカー」においての「車体へのワックス」と比較して考えると理解しやすいというお話は解りやすいたとえだと思いました。電源ケーブルにまで気にする人は、セッティングや使いこなしを十分にしているケースが多いから、既にかなり良い音になっているということですね。
レースの世界のようにタイム、速さが全てだったら判りやすいのですが、オーディオの世界ではそういうことはないですからね。周波数特性やダイナミックレンジや過渡特性など数値で表しても「良い音」にはならないですから難しいです。
耳の位置を厳密に固定するのが難しいということに関して考えてみました。一秒間に340メートルの速度を持つ音が2万回振動すれば、その波長は約2センチですね。(340/20000=0.017M)仮にこの音が聴こえるとして、左右のスピーカーから左右の耳までの距離が厳密に等しい場合には同時に伝わってきますが、視聴位置が1センチずれたら位相は逆転して打ち消し合ってレベルは極端に落ちるということになりますよね。レーザーなどで測定して厳密にツィーターからの距離を揃えて、その位置に頭を固定して視聴できる音質評価ギブスのようなモノにハメてやれば電源ケーブル付け替えの音の違いを評価できるかもしれないですが、そこまで普通はやらないし、普段音楽を聴く時にそんな拷問のようなこともしないですよね。1センチどころか毎回数センチずれているのが普通だと思います。つまり、その都度、位相は乱れまくりで周波数特性は違っているわけです。普通のやり方で音の評価は不可能だと思います。温度でも音速は変わりますし、どの周波数で考えるかによっても違うのは言うまでもありません。こうして考えると付け替えテストなどやってもほとんど意味がないと思われます。
2008/12/28 01:09 [8848966]
0点
かわはら@千葉さん、こんにちは。
> レースの世界のようにタイム、速さが全てだったら判りやすいのですが、オーディオの世界ではそういうことはないですからね。周波数特性やダイナミックレンジや過渡特性など数値で表しても「良い音」にはならないですから難しいです。
遅くなりましたが、これについて考えてみました。「音の違い」を示す物理量がないことが、やはりこの問題の根底にあるのだろうと思います。
変わる派のかたも、人によっては「電源ケーブルを変えると低音が良く出るようになった」のようにおっしゃるかたもいらっしゃいますが、測定した物理量として示されたかたはいらっしゃらないようです。チャレンジされたかたはいらっしゃるのかもしれませんが。
> レーザーなどで測定して厳密にツィーターからの距離を揃えて、その位置に頭を固定して視聴できる音質評価ギブスのようなモノにハメてやれば電源ケーブル付け替えの音の違いを評価できるかもしれないですが、そこまで普通はやらないし、普段音楽を聴く時にそんな拷問のようなこともしないですよね。
私は、そこまではすごくはありませんが、音楽を聴きながら頭の位置を前後・左右・上下に数センチメートルぐらい変えて、良く聴こえる場所を探すようなことは良くやります。戸棚の位置とか照明の位置などを目で確認しながら、今の頭(耳)の相対位置を多少意識しながら測り、音の聞こえ具合との関係を確認しています。
疲れます。肩こりしまくりです。私は音楽を聴くときはリラックスして聴くということはなく、むしろ聴いたあとはどっと疲れます。でもそれが楽しいです。
変わらない派の私ですら、こういう聴きかたをしているのに、変わる派のかたがこのようにリスニングポジションを気にされるかたがそれほどいらっしゃらないのが不思議です。
2009/01/16 23:01 [8944837]
0点
つぎに、私があらたに考えたことを、みなさまに紹介します。
掲示板でよく目にする会話につぎのようなことがあります。
質問者「電源ケーブルを買おうと思うのですが、どうでしょうか?買おうと思っているのは5千円ぐらいするのですが、それだけの価値はあるでしょうか?」
(変わる派の)回答者「5千円なら試す価値はあるでしょう。ダメであってもたったの5千円です。試さないのはもったいないです。」
質問者「そうですよね。5千円で悩むよりもまず試してみます。」
金額は5千円でも100円でも100万円でも同じことですが、私にはなぜこういう理屈になるのかが昔から理解できません。
推測ですが、変わる派のかたは「電源ケーブルで音は変わることには間違いないが、変わる程度には大小や相性がある。だから試さないと効果があるかどうかは分からない。」というお考えなのかな、と思います。
変わる可能性がゼロではない以上、試すという行動を決断することができ、そして効果がないかもしれないリスクを受け止めることもできるのでしょう。
結局は「電源ケーブルで音は変わることには間違いない」という考えが大前提なのだろうと思います。
2009/01/16 23:14 [8944911]
0点
もうひとつ、別のトピックを書きます。
たとえば、掲示板の書き込みで、「○○は効果がある」と書く人が12人いて、「○○は効果がない」と書く人が3人いた場合を考えます。
これらを読んだ人の中には、「12人が効果があると言っていて、3人が効果がないと言っているのだから、少しは効果があることには確かだ。」と考えるような人が少なくないように感じます。要は平均をとる考えをするのです。
効果の最大が100%として、効果の最小値が0%だとした場合、このかたの考えでは、効果が100%あるかどうかは疑問だが少なくとも20%の効果はあるはずだ、のように考えるわけです。(3 ÷ (12 + 3) = 20%)
もちろん、ものごと一般の考え方として、平均、という概念は一概に否定できるものではありません。平均が有用な場面もたくさんあります。
しかし、変わる・変わらないの問題に、平均を持ち出すと、かならず「少しは変わる」という結果になってしまいます。このあたりが、この問題の難しさなのかもしれません。
2009/01/16 23:30 [8945007]
0点
すみません。さきほど計算を間違えました。
20%じゃなくて80%ですね。
すなわち、「効果が100%あるかどうかは疑問だが少なくとも80%の効果はあるはずだ」のような考えになる、ということです。
また、追記しますと、この考えをするかたは、効果がある派(例では12人)の人も効果がない派(例では3人)の人も、どちらもある程度は肯定していて、完全否定ではないということになります。どちらかの派が間違っているという否定の考えを持たないということです。しかし、平均という結果、この考えを持つかたは、効果がある派(すなわち変わる派)に属することに結果としてなります。
2009/01/16 23:39 [8945069]
0点
ばうさん初めまして
私は電線類で音は変わらない派です
スレの主旨とずれていますが以下私の体験談です
200Vを100Vに降圧した電源だと音が良くなるとの噂の真偽を確かめるべく
自宅のオーディオ電源を200V→100Vに工事しました(自分で)
ちなみに工事士は持っているから無免許工事ではないですよ
単相200Vを変圧器で100Vに降圧し、オーディオ部屋に引き込みました
タップ調整して100Vに合わせました
屋根裏這いずり回ったりして工事に一日かかりました
ここまでやったんだからさぞかしいい音がするだろう!と音出ししてみると・・
変わらないじゃ〜ん!
よく言われる低音が出るようになるとか、左右の分離が良くなるとか全くわかりません
単なる骨折り損のくたびれ儲けになりました
電源そのものを変えても変わらないのに電源の電線変えて一体何が変わると言うのか?
電線音頭に踊らされるのは個人の勝手だから私には関係ないですけど
今では200V→100V電源は気休めで使っております
スレの主旨とズレていてすみませんでした
2009/01/24 17:30 [8982892]
0点
ピーター・アーシさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
> よく言われる低音が出るようになるとか、左右の分離が良くなるとか全くわかりません
私も、掲示板などではとくに「低音が出る」は良く目にする話だと思います。
たとえばこのスレの Part 1 の最初の [8217354] (http://bbs.kakaku.com/bbs/-/
SortID=8217354/#8217354) で引用した事例も、低音が出るようになった、という話だと思います。(なお、私は今のところ、このスレでも随時、この事例は再現性がないという見解を示しています。また、他のかたからも再現できたということは寄せられていません。)
ちなみに、変わる派のかたに伺いたいところですが、これはアンプのトーンコントロールの BASS のツマミを回して調整しても得られないような効果なのでしょうか?もしも高い電源ケーブル(高くなくてもいいですが)、を使って低音を出さなくても BASS のツマミを回して低音が出せるなら、別に電源ケーブルを変えなくても良いのではないでしょうか?
電源ケーブルを変えるという労力までして得られた低音の増加というのは、やはり BASS のツマミを回して得られるものとは違うのでしょうか?
もちろん「低音が出るほかにもさまざまな音の違いがある。低音はそのひとつにすぎない。」というご意見も、もしかしたらあるのかもしれません。でも、もし低音が BASS のツマミで得られるものと同等であれば、低音以外の音の違いも示すほうが良いのではないでしょうか?
もしこの違いを示せないのならば、初心者のかたにも「電源ケーブルを変えて音が変わるのは、主に低音の出方の違いです。これはBASSツマミでも同等の効果が得られます。ほかにも少しは音は変わるようですが、低音ほどの目立った違いはないようです。そこまでして電源ケーブルを変えますか?」のように助言するほうが親切なのではないでしょうか。
もちろん、私が今書いたことは、変わる・変わらないの論争とは別の次元での話になります。変わる、という仮定での話です。
2009/01/25 11:25 [8986995]
0点
とくに電源ケーブルと直接関係するわけではありませんが、ふと見かけたので紹介します。
今晩の放送です。
朝日放送 | 近未来×予測テレビ ジキル&ハイド
1/25(日)午後7時58分放送
「聴覚の驚異!あなたの耳の潜在能力はまだ眠っているスペシャル」
私たち人間の聴覚には、計り知れない潜在能力が秘められていた!
番組独自の実験で明かされる、その驚くべき能力のヒミツとは!?
http://asahi.co.jp/kinmirai/yokoku/main.
html
2009/01/25 11:27 [8987004]
0点
> 朝日放送 | 近未来×予測テレビ ジキル&ハイド
> 1/25(日)午後7時58分放送
この番組は週ごとにまとめのページがあって、その週に放送した内容の7〜8割ぐらいは網羅しているみたいですね。ちょっと抜けもありますが。
http://asahi.co.jp/kinmirai/hoso/090125.
html
私は「ヘシュル回」というものは初めて聞きました。放送時に Google で検索したら百件ぐらいでしたが、今は千件ぐらいヒットするようです。
2009/02/06 22:00 [9051153]
0点
別のトピックを書きますが、これも掲示板に関連するものです。
掲示板を見ると、変わる派のかたから、つぎのようなご投稿がよくあります。
「私は技術のことは分かりませんが、電源ケーブルを変えるとたしかに音が変わりました。」
もし、このご投稿に対し、変わらない派の私が、
「電源ケーブルを変えても音は変わりませんよ。」
と書いたらどうなるか?
おそらく、つぎのようになるでしょう。一連の流れを書いてみます。(これをパターンAとします。)
変わる派「私は技術のことは分かりませんが、電源ケーブルを変えるとたしかに音が変わりました。」
変わらない派「電源ケーブルを変えても音は変わりませんよ。」
変わる派「でも、たしかに音は変わりました。」
変わらない派「ブラインドテストはされたのですか?」
変わる派「音楽を聴くのに、なぜそんな難しいことをしないといけないんですか?あなたは音楽を楽しんで聴いているのですか?」
類似の別パターン(パターンB)だとつぎのようになるでしょう。
変わる派「電源ケーブルを変えるとたしかに音が変わりました。これは私の感想であり、どうして変わるのかは説明はできませんが。」
変わらない派「電源ケーブルを変えても音は変わりませんよ。」
変わる派「音が変わるというのは、最初にも言いましたが私の感想です。あなたにとやかく言われたくはありません。」
AもBもほとんど同じことですが、要は、この変わる派のかたは、最初の投稿時にすでに防衛線を張られているわけです。Aは技術を論じることをしたくない。Bは技術を論じるよりもさらに一段上位(メタ)の、広い議論をすることすらしたくない。
すなわち、パターンAやパターンBのような投稿スタイルで、変わる派のかたの最初の投稿があっても、変わらない派は反論ができないわけです。しかし、その最初の投稿の文体を見る限り、一見しただけではそういうカラクリがあるとこが分からないのです。
そして、変わる派のかたの最初の投稿が掲示板に登場すると、その後、それに賛同する人は現れることはあっても、反対する人はまずあらわれません。しかし、反対する人が現れない理由が、変わる派のかたの最初の投稿に防衛線が張られているからだと気づく人はほとんどいらっしゃらないでしょう。
そして、反対する人の投稿が存在せず、賛同する人の投稿は存在するから、したがって「電源ケーブルで音は変わる」ことは正しい、と推論されるかたが現れ、そのかたも賛同する人として掲示板に投稿されることになります。こうしてどんどん変わる派に賛同する人が増えて、その一方で反対する人は出てこない。ゆえに、変わる派の人口は増加する一方なのです。
2009/02/06 22:44 [9051463]
0点
さきほど、DVDプレーヤーのカテゴリーのクチコミ、
[9109332] 「シャープ製のBDプレーヤー登場!」
http://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=91093
32/
を拝見して、BD-HP21 のニュースリリースを知りました。
そのクチコミにも投稿しましたが、このニュースリリースでシャープは、電源ケーブルを変えて音が変わるという趣旨が読み取れる発表をしています。
http://www.sharp.co.jp/corporate/news/09
0217-a.html
----- ここから引用 -----
音質面では次世代オーディオ規格※1に対応したほか、電源コードやオーディオ回路にも音響機器専用部品を採用することにより、中低域まで豊かな音場を再現。さらに本体の振動を抑制する当社独自の防振設計により、ディスクに記録されたデジタル信号の品質を向上させ、クリアで臨場感あふれるハイクオリティサウンドをお楽しみいただけます。
----- ここまで引用 -----
2009/02/17 13:09 [9109453]
0点
引き続きシャープの BD-HP21 について書きます。
さきほどのDVDプレーヤーのカテゴリーのクチコミや、あるいはネットを検索して見つかる紹介記事、たとえば、
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/art
icles/0902/17/news035.html
などを見ると、シャープが採用したという「電源コード」は、アース付きの3極タイプのもののようです。そのため、シャープの言う音質の効果が、電源コードを変えたことによるものなのか、アースを付けたことによるものなのかが、あいまいです。
なお、アースについては、私は以前の Part1 のスレッドでも言及しています。
[8217417] http://bbs.kakaku.com/bbs/-/So
rtID=8217354/#8217417
[8232980] http://bbs.kakaku.com/bbs/-/So
rtID=8217354/#8232980
2009/02/17 13:20 [9109500]
0点
ちなみにさきほどのシャープのニュースリリースのページには、次ページがありました。ページ右下にある「詳細はこちら→」というリンクが目立たなくて、私は見落としていました。
http://www.sharp.co.jp/corporate/news/09
0217-a-2.html
このページにはつぎのように書いてあります。
----- ここから引用 -----
2) アース付3極電源コードや音響機器専用部品の採用などで高音質を追求
・アース付3極電源コード
高画質・高音質の実現に重要な、電源のレギュレーション(安定性)を改善するために、アースプラグ付3極の極太電源コードを採用。入力される電源を安定させ、クリアな映像・音声を実現します。また、一般のコンセントで使用する2極の電源コード(極太タイプ・アースコード付)も付属しています。
----- ここまで引用 -----
3極の電源ケーブルと2極の電源ケーブルの2つが付属しているのですが、音質についての言及はアースが前提になっているように読めてしまいます。(アースなしの場合についての音質の言及がない。)
すなわち、私のさきほどの懸念のように、たとえば、シャープに追求しても、
「電源ケーブルの効果で音が変わるとは書いていない。アースの効果で音が変わると書いたのだ。」
と回答される可能性があります。
ちなみに、電源ケーブルが2つ付属していることは、
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20090
217/sharp.htm
にも書かれていました。
2009/02/18 00:50 [9112969]
0点
電源ケーブルとは直接の関係はありませんが、さきほどのシャープのニュースリリース、
http://www.sharp.co.jp/corporate/news/09
0217-a-2.html
から、ついでに防振についても引用します。
----- ここから引用 -----
3) 当社独自の防振設計
プレーヤー本体の内部・外部からの振動を抑制するために、当社独自の考えによる防振設計(天面キャビ防振処理)を行いました。これによりBD/DVD/CDからのデジタル信号の品質を向上させ、映像・音声を忠実に再現することができます。
----- ここまで引用 -----
「BD/DVD/CDからのデジタル信号の品質を向上」や「映像・音声を忠実に再現」ならば、この文章が示していることはあたりまえのことなので、これ自体は私としてはそれほど不適切な説明ではないと思います。ただし、単に「BD/DVD/CDからのデジタル信号」と書くと、これがHDMI端子や光/同軸デジタル端子の信号だと読んでしまう消費者が少なくないと思います。
私はこれをピックアップの読み取り信号であるという説明文で書かないのは、メーカーの発表としては不親切だと考えます。「BD/DVD/CDからの」と書くのは分かりにくいと感じます。
2009/02/18 00:54 [9112984]
0点
ぜんぜん別の話題をひとつ。
今週のテレビドラマ「ヴォイス〜命なき者の声〜」(フジテレビ)を見ていたら「光くしゃみ反射」について説明していました。
光くしゃみ反射 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E
3%81%8F%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%BF%E5%8F
%8D%E5%B0%84
遺伝によって伝えられる体質のようです。
以下は、これをネタにした仮説ですが、変わる派と変わらない派も、そういう体質の違いで分かれている可能性もあります。体質の違いとは知らなければ、太陽を見てもくしゃみをしない人にとっては、太陽を見てくしゃみをする人のことは理解できないでしょう。逆も同じです。太陽を見てくしゃみをする人は、太陽を見ればくしゃみがでるのが当然だと思っています。太陽を見てくしゃみをしない人はなにかおかしいと考えるのも自然なことでしょう。
ただし、私が言うこの仮説は、変わる派の人は変わらない派が聞き分けられない音の違いも聞き分けられる敏感な人、という意味ではありません。長年にわたって、いまだに変わる派の人がブラインドテスト等で音が変わることを客観的に実証した結果が存在しない以上、音は変わらないと考えるほうが自然です。
したがって考えられることは、聴覚以外の感覚(視覚や触覚等)から得た情報を、聴覚に反映させて感じることができるという体質を持った人がいるのではないか。そういった人が変わる派になるのではないか、ということです。
変わる派のかたに対し、たんに「思い込み」と言うよりは、「体質のためそう感じるのです」と言ったほうが優しくないですかね。
あくまでもネタですよ。私はこの仮説が正しいことをことさら主張するわけではありません。
2009/02/18 03:02 [9113329]
0点
ちなみに「光くしゃみ反射」は、NHK 解体新ショー(2009年2月13日)でも取り上げられていました。
http://www.nhk.or.jp/kaitai/archive/p_ar
chive_20090213.html
この回では、ほかに「ハンガー効果」なども取り上げられていました。
つぎに、私は、前回の体質の仮説と似ているけどちょっと違った仮説を考えてみました。
変わる派の人の話だと、音の変わりかたとしてはとくに低音が違う、というのを良く聞きます( [8986995] )。
なぜ低音なのかですが、ただたんに思い込みだとしたら、なぜことさら低音なのか、という疑問が出てきます。高音もあっても良いと思いますが、掲示板で見る話としては低音に触れられたものが多いです。
もしかしたら、その変わる派の人の中耳の鼓膜に届いている振動として音は、本当に低音が違っているのかもしれません。
その原因としては、無意識のうちに、たとえば頭を動かしてリスニングポジションをずらしている、というものだったり、耳介(耳たぶ)が動いている、ということもあるかもしれません。心理学の話では、思い出そうとしたり知らない振りをしようとすると、無意識に鼻の穴が広がったり、目玉が上を向いたりする、というようなことを聞きますが、それと似たようなことが起こっているのかもしれません。
自分で頭を動かしていればそれに気づく人もいると思いますし、耳介を動かせる人はそう多くはいないかもしれません。
しかし、たとえば耳管(中耳の圧力を調節する器官)だと、唾を飲み込むなど(一種の耳抜き)するとわりとコントロールしやすいのではないでしょうか。中耳の圧力の高低や、耳管の開放・閉塞の具合で、鼓膜が振動する周波数特性はかなり違ってくることが予想されます。この周波数は割りと低めの周波数に大きく影響してくるのではないかとも予想します。
すなわち、変わる派の人が電源ケーブルを変えて試聴しようとすると、値段が高い(あるいは良いと思っている)電源ケーブルだと知っている場合は、つい緊張して唾をゴクリと飲む。そうすると耳管が動き、上記のような中耳の周波数特性に影響して、とくに低音の違いとして感じる、ということです。
これもただの話題を振るだけの仮説ですよ。今の段階では、私はこの仮説が正しいことをことさら主張するわけではありません。
2009/02/22 14:46 [9136740]
0点
こういう本もありますね。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/l
ife/20080509/155942/
2009/02/22 19:15 [9138097]
0点
かわはら@千葉さん、こんにちは。
書籍(の書評)のご紹介ありがとうございます。この本の存在は私は知りませんでした。面白そうですね。
この書評の2ページ目
http://business.nikkeibp.co.jp/article/l
ife/20080509/155942/?P=2
から引用しますが、
----- ここから引用 -----
本書の前作である『オーディオ常識のウソ・マコト』は、オーディオ業界でまかりとおっているそんな「訳のわからない話」に対して電気工学的、物理学的に検証を加えることをこころみた草分け的な一冊だった。発売は94年だが、いまも版を重ねるベストセラーである(現在は18刷)。
たとえばケーブルについて「無酸素銅線の純度信仰」というものがある。不純物を取り除いて純度を上げれば上げるほどピュアで高音質になるというのが「常識」となっているのだが、物理学的には、純度が音質に与える影響は無視できるほどに小さく、人間が聴き分けるのはまず不可能であるという。
当然、オーディオ・ファイル(※)からは「科学では説明のつかないこともあるのだ」「いずれ科学的に証明されるときが来るかもしれないではないか」といった反論が出されたわけだが、著者はそういう態度こそが問題なのだと注意をうながす。
〈確かに、現在の科学の力で解明できない領域というものは存在するが、だからと言って、科学的に測定しても確認できないことを、やみくもに信じてしまうことは危険ではないだろうか。なぜなら、行き過ぎると、人が人を支配できることにもつながるからである〉
「ニセ科学」をめぐりなされるやりとりによく似ている。が、それはひとまずおいておこう。
----- ここまで引用 -----
は、ケーブル(スピーカーケーブル、電源ケーブル、等)に限らず、こういった、変わる・変わらないの話し合いにおける、分かりやすい主張だと思います。
以下は余談ですが、ちなみに、この書評中の例に出てくる「ケーブル」はおそらく(電源ケーブルではなく)スピーカーケーブルだと推測します。私は、このスレでは電源ケーブルでは音が変わらないという主張をしますが、スピーカーケーブルについては言及しない、という立場をとります。
2009/03/03 12:06 [9184630]
0点
ここからはしばらく、「科学」とはなにかについて考えてみたいと思います。
そして、その前に「科学」と対比して良く使われる「オカルト」という言葉について、定義をはっきりさせたいと思います。
「オカルト」とは国語辞典を引くと、「神秘的なこと。超自然的なこと。」と書かれています。(三省堂提供「大辞林 第二版」より引用。 http://dictionary.msn.co.jp/result.aspx
?j=%e5%9b%bd%e8%aa%9e&keyword=%e3%82
%aa%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%88&start
count=0&matchtype=startwith )
また「occult」を英和辞典を引くと、「神秘[秘教,超自然,魔術]的な」と書かれています。(三省堂提供「エクシード英和辞典」より引用。 http://dictionary.msn.co.jp/result.aspx
?ej=%e8%8b%b1%e5%92%8c&keyword=occul
t&startcount=0&matchtype=startwi
th )
これらの辞書を見る限り、「オカルト」とは要は「超自然的」ということだと思います。そして自然とは「自然科学」などのような言葉があることから考えて、科学のことだと考えて良いでしょう。
したがって私は、科学との関係に注目した場合、「オカルト」という言葉は、「科学を超越したもの(科学ではないもの)」を指す言葉だと考えます。
そして、「オカルト」という言葉自体には侮蔑的な意味はないと私は考えます。したがって、もし私が掲示板で「あの人の考えはオカルトだ」と言ったとしても、それに侮蔑的な意味はありません。ただたんに「あの人の考えは科学にもとづいていない」と言っているにすぎません。
ちなみに、似たようなものに「カルト(cult)」(や「カルト集団」)という言葉がありますが、これは「宗教的な崇拝」という意味であり、「オカルト」とは違うものであると思います。
2009/03/05 12:27 [9195634]
0点
つぎに、電源ケーブルで音が変わること(あるいは変わらないこと)を科学的に考察する場合、やりかたはつぎの2つに大別できます。
(a) 電源ケーブルで音が変わる(あるいは変わらない)ことを説明できる仕組みや原理を科学的に考える。
(b) 電源ケーブルで音が変わる(あるいは変わらない)ことが事実であるかどうかを科学的に考える。
すなわち、(a)は、変わる(あるいは変わらない)ことがあたりまえである・確かであるという前提がすでにある上での考察です。一方、(b)は、その前提から疑っている上での考察です。
ちなみに(a)の行動の具体例は、書籍やネットの情報で電磁気学や音響工学の理論を調べたり、仮説を立てることです。(b)の行動の具体例は、ブラインドテストや音の信号波形の比較です。
世間の変わる派のかたの行動は当然のごとく(a)だけです。(b)を考える変わる派のかたは普通はいません。なぜならば、(b)を考える動機を持つかたは変わる派ではないからです。
一方、世間の変わらない派のかたの行動は、掲示板などを見ると、なぜか(a)が少なくありません。ちなみに私は(b)には興味は大いにありますが、(a)に対する興味はさほどありません。世間の変わらない派のかたの行動に(a)が多いのは、おそらく変わる派の行動パターンが(a)なので、ついそれしかないと思ってしまいその行動パターンに引っ張られてしまい、同じ土俵に引き込まれているためだろうと私は思います。
たとえば、変わらない派が(b)の行動をしようとすると、変わる派は(a)の行動しかしませんので、変わる派から見れば変わらない派の(b)の行動が一種「卑怯」に見えるのでしょう。そして変わる派は変わらない派に対し、(a)の行動を要求するわけです。そして変わらない派がいったん(a)の土俵にのぼってしまうと、あとは、(私が以前から言っているような)悪魔の証明になったり、反証可能性のない話になったりして、変わる派の理屈を翻せなくなってしまうわけです。
なお、以上のことは私が過去に書いた、
[8705069] http://bbs.kakaku.com/bbs/-/So
rtID=8519770/#8705069
に似たようなことです。
2009/03/05 23:44 [9198695]
0点
今度は「科学的探究心は持つべきか」ということについて書きます。
変わらない派の私は、掲示板では、いつもつぎのような趣旨のことを言っています。
「電源ケーブルを変えても音は変わらない。変わらない派の私のほうが電源ケーブルを変えて試す義務はない。試したいとは思わない。なぜ試さないのかといえば、たとえ試したとしても、変わる派が反証可能性がないことを持ち出して反論するから、変わらない派が試しても無意味であるためだ。強制はしないが、変わる派のほうが音が変わることを示すべきだ。変わる派が音が変わることを示さない以上、変わるという主張は根拠がないとみなす。今までそれが示されたことはない。あったとしても再現性がない。したがって、電源ケーブルを変えても音は変わらないのだ。」
(なおここでの「音が変わることを示す」とは前回 [9198695] で言った (b) のほうです。)
すると、変わる派のかたからは、
「なぜあなたは試さないのか?その考えは科学的ではないのではないか?実験もしないでどこが科学なのか?」
や
「変わる派の私は、これほど科学的に変わる理論を考察し、実際に電源ケーブルを比較して科学的に音の違いを調べている。それに比べて変わらない派のあなたはなにもしないのか?」
などのような感じのことを言われることがあります。
私は、ものごとは科学的に考えるべきだと思っています。
また、試さない理由は、上述のように変わる派から反証可能性がないことを言われて反論されるからです。たとえ、変わらない派がAという条件で試して変わらないという結果を出しても、変わる派はそのAという条件にケチをつけるからです。では、Bという条件で試すとこんどはそれにもケチをつけられるからです。これが延々と続き、終わりがないからです。
しかし、私がこういう理屈で試さないと言っている行為を、変わる派のかたからは科学的な努力を怠っているとして非難されることがあります。逆に、変わる派の方は自分がおこなっている行為を科学的だと考えられているようです。
(つぎに続きます。)
2009/03/07 23:46 [9209285]
0点
(続きです。)
たとえば、ある民間企業が、国や財団から補助金を受けて、科学的な研究をする場合を考えます。
補助金交付の申請理由は「音質の良い電源ケーブルを開発するため」でしょうか。それは良いとして、でも普通、こういう場合、研究成果の評価を求められます。
具体的には「『音質の良い』という評価はどうやっておこなうのですか?」という質問が国や財団から出るものです。そのときどう答えますか?
申請書には「開発者が耳で聞いて、10点満点で評価します。」と書きますか?そして研究完了後の報告書には「開発者○○が聞いたところ、加工前の電源ケーブルは8.6点、加工後の電源ケーブルは9.2点であった。」と書きますか?
普通、そんな申請が通るとは思えません。もし申請が通っても、その後の報告書を見たら、「評価の点数がうそ臭い。ろくに研究もせずに補助金を騙し取っているだけなのでは。」と疑われてもしかたがないでしょう。エビデンスとしては不十分です。
(つぎに続きます。)
2009/03/09 15:18 [9217777]
0点
(続きです。と言っても、それほど話がつながっているわけでもないです。)
以下、例として SHM-CD について書きますが、私は、SHM-CD の音質自体について言及するわけではありません。SHM-CD の売り手がどう音質を評価しているか、ということだけについて触れます。
先日、BS日テレを見ていたら、「音楽のある風景」という番組(要はテレビショッピングの番組)をやっていて、その中でユニバーサルミュージックの「ビューティフルクラシック」という商品を SHM-CD だということを前面に強く押し出して売っていました。
とうとう SHM-CD もテレビショッピングで売られるほど一般的になってきたようです。
そして、SHM-CD のホームページ、
http://shm-cd.co-site.jp/about/index.htm
l
を見てみると、「SHM−CDの音質([音質評価])」というレーダーチャートのグラフがあり、そのグラフの軸の項目として、レンジ感、透明感、音量感、解像度、バランス、の5つがあります。
そのグラフ全体を指す注釈としてグラフの左上に「* UM、ビクターの社内評価」と書かれています。なおそのページからたどれる英語版のページには「* JVC internal tests」と書かれています。
(字が小さく潰れているので、多少読み間違いがあるかもしれませんが。)
私は、私が先日例として書いたような国の補助金をもらう企業については、もしいい加減な申請や報告書があれば、納税者等の立場で、国やその申請企業に対して、エビデンスが不十分であるというクレームを付けるかもしれません。
しかし、私が SHM-CD の会社(日本ビクターやユニバーサルミュージック)に、納税者としてのクレームを付けることはできないでしょう。製品を買った後ならば、購入者としてのクレームは付けられるかもしれません。また、製品を買う前でも、購入検討者としてクレームを付けられるかもしれません。しかし、購入後ならば、SHM-CD の会社はせいぜい「嫌なら返金しますので返品してください」、購入前ならば「ご納得できないのならば買わないでください」と言えばそこまでです。
(つぎに続きます。と言っても、それほど話が密に続くわけでもないので、みなさまはコメントをいつでもご投稿ください。)
2009/03/13 18:41 [9238835]
0点
では、売り手側は自分の「社内評価」のようなもので効果を謳えば自由に販売できるのか?
ご存知のかたも多いと思いますが、数か月前に、2ちゃんねるの、家電製品→ピュアAU、の板に、つぎのような趣旨の「コピペ」が大量に投稿されたことがあります。
(以下は、その「コピペ」自体の引用はしません。「コピペ」に書かれたあったことを私の言葉で紹介します。紹介の中では公正取引委員会や新聞社のページの引用はおこないます。)
それは、効果の表示が怪しい製品はどんどん、公正取引委員会の電子窓口、
http://www.jftc.go.jp/JFTC_Guide/cyuikei
hin.html
から「景品表示法違反についての報告の受付」に「不当表示」で報告しよう、という趣旨でした。
(ちなみにその「コピペ」では、上記のURLから辿れる報告フォームのURLが直接、張られていました。その URL には報告フォームのIDとして EDP0201G01 という文字列が含まれていましたので、この「コピペ」を検索するにはその文字列で検索すると見つけやすいです。)
なお、その報告ができる根拠としては、
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/0
90209/crm0902092225042-n1.htm
には、
----- ここから引用 -----
今回の排除命令で公取委が「武器」としたのが、景品表示法第4条第2項。公取委が求めた場合、15日以内に合理的な根拠を示す資料を提出しなければならない。平成15年にこの条項が新設されるまで、こうした証明は公取委がしなければいけなかった。
----- ここまで引用 -----
ということが書かれてあるから、という趣旨でした。
ちなみに、公正取引委員会のホームページ、
http://www.jftc.go.jp/keihyo/
にある「景品表示法パンフレット」のうち、「だから安心!景品表示法」というPDFの6ページ目に、
----- ここから引用 -----
合理的な根拠がない効果・性能表示は不当表示とみなされます。
公正取引委員会は優良誤認に該当するかどうかを判断するために、表示の裏づけとなる合理的な根拠を示すデータの提出を事業者に求めることができます。当該資料の提出がないときは不当表示とみなされます。
*当然、提出された資料が表示の裏づけとなる合理的なものといえない場合も不当表示となります。
----- ここまで引用 -----
と書かれています。
2009/03/13 21:15 [9239573]
0点
「科学」について書こうとしていたのですが、いつのまにか「法律」の話になってしまいました。
さきほどの公正取引委員会の話の中に「合理的な根拠」という言葉が出てきます。したがって「合理的」というのが、どんな基準で定められるのか、ということが問題になってくると思います。
ちなみに、昨日放送されたテレビドラマで、
NHKドラマ8「Q.E.D.証明終了」
最終回(第10話)「裁判員制度」
http://www.nhk.or.jp/drama8/qed/html_qed
_sp_sasa10.html
を見ていたら、ドラマの中では、刑事訴訟においては、検察が有罪を証明しない限り被告人は無罪であるが、完全に証明するのは難しいので、有罪とするには「合理的疑いを挟まぬ証明がなされればよい」、のようなことを説明していました。
(ちなみに私は法律関係の知識はほとんどありません。)
証明責任 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E
6%98%8E%E8%B2%AC%E4%BB%BB
を見ると、ドラマじゃなくても、ちゃんとそういう原則があるそうです。
もちろん、これは刑事訴訟のことなので、これをそのまま電源ケーブルの話に適用できるわけでもないでしょう。ただ、裁判のような厳格さがあることであっても、「合理的」かどうかということで結論を出している、ということはものごとを考える上でのなんらかの参考になるかもしれないと私は思い、ここに紹介した次第です。
2009/03/13 23:02 [9240269]
0点
つぎに、さきほどの「合理的」の話とは違うことを、ついでに書きます。
前述の Wikipedia の証明責任のページを読んでいると、ちょっと興味深いことが書いてありました。
被告人側が例外的に挙証責任を負わされる「例外」という項目があり、その中のひとつに「名誉毀損罪における摘示事実の真実性」という項目がありました。名誉毀損罪で訴えられたら、摘示事実が真実であるかどうかは、被告人側に挙証責任があるそうです。
私は以前、このスレ(Part 3)の [8532360] において、
> ここでさらに私が「私は音は変わらないと思います。世の中の変わる派の人が変わると言うのは、それは思い込みのためだと思います。」と、自分の考えを述べると、Aさんは「ばうさんは、私が思い込みをしているとでも言うのですか?」と反論されることが多いです。そう論理的に演繹できることは明らかであり、私もそれを否定しません。
>
> すなわち、変わらない派が自分の主張をするだけで、間接的にですが変わる派の主張を即、否定することになってしまうのです。
と書きました。
もしかしたら、この変わらない派の主張が、変わる派の主張の否定になり、変わる派を「思い込み」だと言ったことに等しい、一種の「名誉毀損」のようなものだ、と変わる派のかたに受け取られるのかもしれません。
(さらに、変わらない派が、変わる派に面と向かって直接的に「思い込み」と言ったら、即「名誉毀損」と受け取られるのかもしれません。)
そうなると、刑事訴訟でたとえると、変わらない派が名誉毀損罪で訴えられた被告人になり、変わらない派のほうが変わらないことが真実であることを示す責任があることになります。
私はなぜ法律では、名誉毀損罪がこの例外に含まれているのかは知りませんが、法律のような日常生活にこのような地合いがあるために、電源ケーブルの話でも変わらない派に証明の責任が重くかけられているのかな、ともなんとなく思いつきで考えてみました。
(そして、変わらないことの証明は、私が前から言っているように悪魔の証明や反証可能性のなさの問題により、理論的に不可能です。)
2009/03/13 23:20 [9240408]
0点
話を具体的にするために、電源ケーブルの議論で、名誉毀損で訴えられたケースを仮定してみます。
変わらない派が訴えられたケースと、変わる派が訴えられたケースが考えられます。
(a) 変わらない派が訴えられたケース
○○さん(変わらない派)が、掲示板につぎのように書き込みました。
「□□さん(変わる派)は、掲示板の△△番の書き込みで、電源ケーブルで音が変わると書き込まれました。しかし、これは□□さんの『思い込み』です。電源ケーブルで音は変わりません。」
すると、□□さん(変わる派)が○○さん(変わらない派)を名誉毀損罪で刑事告訴しました。
法廷では、変わらない派は、自分が言ったこと(掲示板に書き込んだこと)が真実であることを証明しなければなりません。
変わらない派が言ったことを整理するとつぎの3点になります。
(1) 変わる派が電源ケーブルで音が変わると書き込んだ。
(2) 変わらない派が『思い込み』である。
(3) 電源ケーブルで音は変わらない。
このうち、(1)はとうぜん真実であることは明らかですが、(2)と(3)が真実であるかどうかを証明することは困難です。なお、(2)か(3)のどちらか片方さえ証明すれば、それから導出してもう片方を自然に証明できたことにはなるでしょう。
ここで、選択肢としては(2)を証明するか、(3)を証明するか、です。
もし(2)を証明するとしたら、□□さんが『思い込み』をしたことを証明しなければなりません。これはどうやって証明できるのか?証人は居ないでしょう。□□さんに電源ケーブルの聴き比べのブラインドテストを要請することはできるのでしょうか?なお、この場合は争点が□□さんの『思い込み』かどうかなので、ブラインドテストの被験者は□□さんに限定されます。
もし(3)を証明するとしたら、やはり同様にブラインドテストをすることになるのかもしれません。ただし、この場合は、ブラインドテストの被験者は□□さんに限定されません。
被告人である変わらない派はどっちを選んだほうが得なのでしょう?(2)だと、裁判で□□さんにブラインドテストを強要できるのか?という問題があります。それよりは被験者を問わない(3)の証明を選んだほうが得なのかもしれません。
ただ、(2)だと、たとえばブラインドテスト以外に、□□さんの思考能力に疑いをかけるなどの方法もありえるかもしれません。たとえば、「□□さんは、過去に、電源ケーブル以外の分野やオーディオ以外の分野においてもいろいろと『思い込み』ととれる言動をしていた。」ということが証明できれば良いと思います。前述のように、合理的疑いを挟まない程度の証明で良いと思います。
もはや変わる派の個人の人格を攻撃するようなことになってしまいますが、変わらない派の自分自身が訴えられていて、刑事訴訟の被告人になっているのですから、そんなことを言っている余裕はありません。
ただ、これとて対象は□□さんに限定されます。過去の書き込みなどを証拠として提出することになるでしょうが、これから新しくテストなどを要請することはたぶん無理でしょう。
2009/03/14 13:14 [9243142]
0点
ちょっと寄り道して、別の簡単な話題を、忘れないうちに書いておきます。
たとえばなにか病気をしているかどうか疑問に感じていて、薬を飲もうかどうか(や病院へ行こうかどうか、や仕事を休もうかどうか、等)を迷っている人(Aさん)に対して、友人(Bさん)がなにか助言をする場合を考えます。
この助言は、つぎの、2つのパターンに大別できます。
(1) 「ひどくなったら大変だから、薬を飲んだほうがいいよ」
(2) 「それほどひどくなさそうだから、様子をみたほうがいいよ」
(1) の場合、薬を飲んだ(or 病院へ行った、仕事を休んだ, etc.)ので、その後、大事に至ることはありません。そもそももともと容態が悪くなかったのかもしれません。たとえ容態がひどくなったとしても、Bさんは薬を飲めと言っていたので、飲まなかったらもしかしたらもっとひどいことになっていたかもしれません。
(2) の場合、もしかしたら大事に至ることがあるかもしれません。あるいはもともと悪くなかったのでなんでもないかもしれません。
ただ、人情的に考えると、(2) のケースで、容態が悪くなると、後から見ると、この助言を言ったBさんは、とても悪い心証をAさんから持たれるのではないでしょうか。ただしこれは結果論です。もともと容態が悪くなかったのに薬を飲まされても、もともと容態が悪くなかったどうかが分からなければ、結果としては助言はかならずしも間違っていたとは断言できないのです。
人は助言を言うときには、こういうことを想定して、想定される期待値以上に(1)を選択する割合が多いのではないかと思います。また、(2) のケースで結果的に容態が悪くなった場合、当初想定された期待値を忘れて、結果だけでBさんを悪いと判断するのではないかと思います。
オーディオの世界で助言をする場合も同様に、無駄かもしれないけどより安全な側に傾くような助言をすることが多いと推測します。上述の例では、薬を飲むなどは副作用はありますので、一概に(1)の助言が良いともいえないこともあります。しかし、オーディオの世界では副作用のようなことは少ないと思いますので、(1)のような助言はさらに言いやすくなるでしょう。
電源ケーブルで言えば、(1)は「電源ケーブルを変えたほうがいいよ」という助言になります。
2009/03/17 12:03 [9259495]
0点
ふと思いついた別の話題を、忘れないうちにメモとして書いておきます。
変わる派同士の間で、見解の相違はあるのか?ということです。
もしもある変わる派のかた(Aさんとします)が、3種類の電源ケーブル(X, Y, Z)を聞き比べたとします。このときAさんが、つぎのような感想を持ったとします。
・「XとYは音が違う」
・「XとZは音は違う」
ここで別の変わる派のかた(Bさんとします)は、同じ聞き比べをおこなって、つぎのような感想を持ったとします。
・「XとYは音が違う」
・「XとZは音は違わない」
まず、いかに変わる派であってもこういう感想の相違ということは日常起こりうるものだと、変わらない派の私は考えるのですが、この考えはこれは正しいでしょうか?便宜的にこれを疑問Pと名付けます。
(それとも、変わる派の感想というものは変わる派の万人に渡って一致するものなのでしょうか?まさかそれはありえないと思います。)
そして、Aさんが掲示板やブログで自分の感想を公開していた場合、それを見たBさんはどう思われるのでしょうか?XとYについての感想は同じですが、XとZについての感想は自分とは違うのです。
Bさんの取りうる行動にはつぎの選択肢があります。
(1) XとZは音は違わないはずだ、という自分の意見を掲示板やブログのコメントで述べる。
(2) 本当は、XとZは音は違うんだな、と自分自身を納得させる。
(3) 感想は人それぞれである。だからAさんと自分(Bさん)の感想が違っていても、矛盾するわけではない。したがって、結局なにもしない。
このうち、(1) はAさんを否定する行動です。(2)と(3)はAさんを肯定する行動です。
ただ、私は、ネットの掲示板やブログのコメントを見ても、変わる派のかた同士で、(1)のような論争はあまり見かけないような気がします。本当にこのような論争は起きていないのか?起きていないと考えて正しいか?これを疑問Qとします。(変わる派のかた同士での論争です。変わる派 対 変わらない派の論争は日常茶飯事に起きています。)
また、もし起きていないとすればこれはなぜなんでしょう?
可能性として考えられるのは、変わる派のかたは(2)か(3)の行動しかとらないからだ、というのがひとつの仮説です。
しかし、変わらない派の私(ばう)が、掲示板などで「XとZは音は違わない」と書けば、おそらくたくさんの反論が寄せられるでしょう。一方、変わる派同士では反論は起きない。この違いはなぜなのか?
これは結局「XとYは音が違う」ということを、変わる派同士の間でコンセンサスとして持っているから、XとZで感想が違うことは誤差の範囲だと考えてその感想の違いの存在を無視しているからではないか?と変わらない派の私は考えます。これは正しいか?これを疑問Rとします。
これについては変わる派のかたはどうお考えなのかが気になるところです。
3つの疑問P, Q, R についてだけでも、変わる派のかたからご意見(どれも Yes/No だけで済むご回答です)をいただけるとありがたいですね。
2009/03/19 23:18 [9272942]
0点
またちょっと単発の話をします。掲示板がらみのことです。
世間に、電源ケーブルで音が"変わる"ことを、自分の考えとして持っている人が居るとします。その人が自分の考えを広く人に知ってほしい場合はどうすれば良いか?簡単なのは掲示板で「電源ケーブルで音が変わります。○○の電源ケーブルを使うと良い音がすると私は感じます。掲示板を読んでいるみなさんにもこれをお勧めします。」と書けば良いのです。
(これが変わる派のケース)
逆に、電源ケーブルで音が"変わらない"ことを、自分の考えとして持っている人が居るとします。その人が自分の考えを広く人に知ってほしい場合はどうすれば良いか。簡単なのは掲示板で「電源ケーブルで音は変わりません。私は電源ケーブルを変えてみても音は同じだと感じました。掲示板を読んでいるみなさんにも電源ケーブルを変えないことをお勧めします。」と書けば良いのです。
(これが変わらない派のケース)
変わる派の書き込みの中には「みなさんに○○の電源ケーブルをお勧めします」という、オススメの主張が感じられます。
一方、変わらない派の書き込みの中にも「みなさんに電源ケーブルを変えないことをお勧めします」という、オススメの主張が感じられます。しかし、これをただのオススメだと受け取る人は少ないでしょう。「変えるな!やるな!」という禁止の主張だと受け取る人が少なくないでしょう。おそらく変わる派は、これに反感を持ち「私は好きで電源ケーブルを変えているんだ。あんたに指図されたくない。」ということを言うのでしょう。
しかし、逆に、変わる派の主張のほうは、「変えろ!やれ!」という命令だと受け取る人は少ないでしょう。
この差はどうして生まれるのでしょう?私も良く分かりません。
変わらない派も、変わる派の「○○はオススメです」という書き込みに対して、「それは『変えろ!やれ!』という命令です?そんなことあなたに言われる筋合いはありません!」と反発すれば良いのではないでしょうか?
しかし、変わらない派がそんな書き込みをしても変わる派は「私はただ○○をオススメしているだけです。嫌なら無視すれば良いです。」と答えることでしょう。
ならば、変わらない派も、変わる派の「好きで電源ケーブルを変えているんだ。」に対しては、「別にあなたに言っているわけではない。好きでやっている人は好きにしていればそれで結構です。」と言えば良いのでしょうか?
たぶんそうでしょう。そしてそれよりは強くは言えないのです。好きでやっている人・趣味でやっている人に対して、やめろ、とは言えないのです。
このように、変わらない派→変わる派、という遷移は「○○をオススメ」という変わる派の行動によって起きます。しかし、変わる派→変わらない派、という遷移を変わらない派は起こせないのです。したがって、変わる派の人口は減らないのです。その理由は、上述のように好きでやっている人・趣味でやっている人を強制的にやめさせることができないからです。
2009/03/23 22:19 [9293760]
0点
では、変わらない派が掲示板に自己の主張を書きたいとき、どう書けば良いか?
さきほどの私の投稿を踏まえて考えてみます。
・「電源ケーブルで音は変わりません。」 ←これは良いでしょう。ただの見解の表明です。
・「私は電源ケーブルを変えてみても音は同じだと感じました。」 ←これも良いでしょう。ただ自己の感想を述べているだけです。
・「掲示板を読んでいるみなさんにも電源ケーブルを変えないことをお勧めします。」 ←これがマズいです。好きでやっている人・趣味でやっている人の反感を買うでしょう。
ならば、どう書けば良いか?
・「私は電源ケーブルを変えても意味がないと思います。」 ←これは「思います」なので、個人の思っていることを独り言で言っているだけです。しかし、このような表現であっても一種の主張であり、やはり、「意味がない。だから変えるな。」という強制だと受け取られかねません。
・「私は、私の今後のオーディオライフにおいても、電源ケーブルを変えないことが良いと思います。」 ←これが良いかもしれません。あくまでも自分の今後の生き方の方針を述べているだけです。禁煙宣言のようなものです。(なおこれはあくまでもたとえです。私はこの場で禁煙について議論するつもりはありません。)
したがって、変わらない派は、つぎのように掲示板に書けば良いでしょう。
「電源ケーブルで音は変わりません。私は電源ケーブルを変えてみても音は同じだと感じました。私は、私の今後のオーディオライフにおいても、電源ケーブルを変えないことが良いと思います。」
この文章の後に、自分が思うことをつらつらと書いていけば良いのです。
もしも変わる派から
「私は好きで電源ケーブルを変えているんだ。あんたに指図されたくない。」
と言われても、
「私はあなたになにも指図はしていませんよ。私は私の生き方の宣言を掲示板に書いているだけです。この私の掲示板の使い方に、あなたは指図するのですか?」
と言い返すことができます。そもそも言い返すことすら必要ではありません。なぜなら、指図と取られるような表現はいっさいしていないのですから。極端な話「『指図』とはなんですか?それは言いがかりです。」とすら主張できます。
すなわち、最初に自分の生き方の宣言だと明示しておけば、
「別にあなたに言っているわけではない。好きでやっている人は好きにしていればそれで結構です。」
のような、わざわざ変わる派に弁明するプロセスを省くことができます。
2009/03/23 23:53 [9294509]
0点
しかし、私が先日書いた「変わる・変わらない、の非対称性」は、依然として存在します。
http://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=85197
70/#8532504
> 質問者「どんな電源ケーブルを買えば良いですか?」
> 変わる派(Aさん)「そうですね。○○社の□□が良いと思いますよ。」
> 変わらない派(ばう)「電源ケーブルで音は変わりませんよ。付属の電源ケーブルで良いと思います。」
の順序ではどうすれば良いでしょうか?
つぎのようにしてみました。
質問者「どんな電源ケーブルを買えば良いですか?」
変わる派(Aさん)「そうですね。○○社の□□が良いと思いますよ。」
変わらない派(ばう)「こんにちは。電源ケーブルで話が盛り上がっているようですね。私のオーディオライフのことを話してもいいですか。過去の私のオーディオライフにおいて、電源ケーブルで音は変わらないと思いました。過去の私のオーディオライフにおいて、私は電源ケーブルを変えてみても音は同じだと感じました。私は、私の今後のオーディオライフにおいても、電源ケーブルを変えないことが良く、付属の電源ケーブルで良いと思います。以上、私のオーディオライフについて語らせていただきました。」
かったるいですね…
2009/03/24 01:12 [9294974]
0点
また別の話をひとつ。
電源ケーブルではありませんが、先日、デジタルケーブルを自作しました。
http://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=83816
26/#9293216
以下、電源ケーブルに限らず、ケーブル全般や、あるいはもっと広くオーディオアクセサリー全般に通じることを書きます。
ひさしぶりにこういう工作をしてみて、作っている最中に思ったことですが、ニッパーやカッターを手にしてモノを作ることは楽しいことです。そして、作ったものをオーディオ機器につなぐ作業もワクワクすることです。
作らなくても、買う品定めでカタログを眺めていたり、買ってきた後につなぐ作業も、同様にワクワクすることでしょう。
以下も、私の経験から書きます。私の心理状態はこうなります、という紹介です。
そして、そうやってつないでから最初に音楽を聴くときも、ワクワクします。このときに、もう、ちょっとテンション高めなのです。音楽を聴く耳(というか脳)のモードが、あら探しモードといいますか、無からですら違いを見つけようとするような、超高感度モードになっているのです。
こういった状態でケーブルやアクセサリーの違いを聞き分けようとすれば、たとえ実際には違いがなかったとしても、いくらでも違って聞こえて感じるのも当然だろうと思います。
2009/03/24 13:11 [9296480]
0点
> そして、そうやってつないでから最初に音楽を聴くときも、ワクワクします。このときに、もう、ちょっとテンション高めなのです。音楽を聴く耳(というか脳)のモードが、あら探しモードといいますか、無からですら違いを見つけようとするような、超高感度モードになっているのです。
私は、前回、上記のように書きましたが、この状態の時には、自分の関心のある音に特に注意が向くように思います。コンプレックスとでも言うのでしょうか、日頃、自分がこだわりを持っている音の特徴を、掘り起こそうとするように思います。
ちなみに、私の場合は、高域にこだわりがあり、擬音風に言うと、シャカシャカ・キラキラ・ザラザラや「サシスセソ」のような音が好きなため、なにかを比較して試聴するような場合も、これらの音に関心が向きます。
もしも、スピーカーのウーファーは15インチだ、のような人だったら、電源ケーブルを変えて試聴する際にも、低音に関心が向くのではないかと思います。
ただ、私の経験をもとにいくつか書きましたが、これらはいずれも仮説です。私はこれらが正しい説だとことさら主張するわけではありません。私は「変わる派のかたが音が変わって聞こえると感じるのは、もしかしたらこういう理由じゃないでしょうかね?」というネタを言っているだけです。
私が主張するのは、以前から言っているように
「電源ケーブルでは音は変わらない。その理由は、電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がないからだ。」
です。
2009/03/25 16:35 [9301673]
0点
ばうさん、お久しぶりです。
早速ですが、
「電源ケーブルで音は変わらない。」
その理由は、
「電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がないからだ。」
という主張には、論理的な飛躍があると考えます。
飛躍があるので、何を言いたいのか、よく分かりません。
私(ばう)は、
「電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がない。」以上、「電源ケーブルで音が変わる。」という主張を認めるわけにはいかない。
「音が変わる。」という主張をするなら、変わったという客観的な事実を示さなければ、変わることを証明したことにはならない。
→したがって、今のところ、客観的な事実が示されていないので、
「音が変わるとは言えない。」という主張をしています。
というのであれば、なんら、問題はありません。
「みなさん、気をつけましょう。」という警鐘を鳴らす、正義の人?という立場でしょうか。
しかし、
→したがって、「音は変わらない。」
と結論づけた時点で、論理の飛躍が生じるので、途端に、何を主張されているのかが分からなくなるのです。
「電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がない。」
という理由から導き出せる結論は、
「音が変わるとは言えない。」
までで、
「音は変わらない。」
と結論することは出来ない、と思います。
いかがでしょうか?
2009/03/27 19:23 [9311534]
3点
二羽のウサギさん、こんばんは。
[9194689] http://bbs.kakaku.com/bbs/-/So
rtID=9121724/#9194689
を拝見しましたが、ニックネームを、二羽の兎さん→二羽のウサギさん、に変えられたのですよね。
前回は、
[8275958] http://bbs.kakaku.com/bbs/-/So
rtID=8217354/#8275958
[8277726] http://bbs.kakaku.com/bbs/-/So
rtID=8217354/#8277726
あたりが最後のやりとりだったと記憶しております。
さて、今回は、
> 早速ですが、
>
> 「電源ケーブルで音は変わらない。」
> その理由は、
> 「電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がないからだ。」
>
> という主張には、論理的な飛躍があると考えます。
> 飛躍があるので、何を言いたいのか、よく分かりません。
というご指摘ですが、まず私が言っているのは証明ではありません。これはよろしいでしょうか?私が証明できることなら、こんなに長々と議論が続いていません。
私の主張は、たしかにさきほどの [9301673] で書いたように、
「電源ケーブルでは音は変わらない。その理由は、電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がないからだ。」
です。これは証明ではありません。ご指摘のとおり飛躍がある主張です。
一方、私が理解する限り、多くの変わる派のかたの主張は、
「電源ケーブルで音は変わる。その理由は、電源ケーブルで音が変わるという主観的な事実があるからだ。」
です。
ここで、「主観的な事実」とは「私(変わる派の人)が聞いて明らかに音が変わって聞こえると感じる」というたぐいのものです。これも証明ではありません。飛躍があります。変わる派の多くのかたは自ら「主観的」ということはおっしゃいませんが、変わらない派の私から見れば、変わらない派は、客観的なことは示さず、主観的なことしか示していません。
私の主張は、この変わる派の主張の逆を言っているだけです。
変わる派のかたが、短くさらっと言っているのに、変わらない派の私が長く難しく言う必要はありません。
2009/03/27 22:40 [9312548]
0点
おはようございます
>ここで、「主観的な事実」とは「私(変わる派の人)が聞いて明らかに音が変わって聞こえると感じる」というたぐいのものです。
>これも証明ではありません。飛躍があります。
>変わる派の多くのかたは自ら「主観的」ということはおっしゃいませんが、変わらない派の私から見れば、変わらない派は、客観的なことは示さず、主観的なことしか示していません。
ここで言う、‘変わる派’というのは、‘変わると主張している人’のことを呼称しているのだと思われますが、そういう方は、見かけることが殆どありません。(広告は除く)
少なくとも、カカクコムの掲示板では、「変わった(ように感じた)。」と体験を報告されている方ばかりだと思います。
体験を語っているだけですから、特に何かを主張をしているわけでもなく、何かを証明しようとしているわけでもないでしょう。
したがって、>証明ではありません、というのは、問題ありません。
わざわざ言う必要もないほど、自明のことです。
問題は、>飛躍があります、という強引な展開です。
体験を報告されているだけですから、どこにも飛躍はありません!
飛躍のしようがないでしょう?
ばうさんの論法には、ここにも無理が生じています。
話の展開に無理がある→飛躍がある、と分類します。
>私の主張は、たしかにさきほどの [9301673] で書いたように、
>「電源ケーブルでは音は変わらない。その理由は、電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がないからだ。」
です。
>これは証明ではありません。
>ご指摘のとおり飛躍がある主張です。
と自覚されているように、肝心なところ、ばうさんの主張のど真ん中に、論理的な飛躍が含まれていては、その後に何を永遠と語ろうとも、結局、何を仰りたいのかが、よく分からないのです。
これは、話の構造的な欠陥、と言っても良いのではないでしょうか?
欠陥というより、噛み合わない話を、論理の飛躍で結合して、無理矢理議論に持ち込もうとしている、という構図です。
こういう体験をしました。
→この主張には、問題がある。どこが問題かというと・・・。
→したがって、私は、この主張と逆のことを主張する。
→主張する内容によって、分かりやすく、A派とB派にわけさせてもらう・・・。
どこにも、ばうさんの仰る‘逆の主張’をされている方は見受けられないようです。
議論して結論が出る類の話ではないことを、皆分かっているのでしょう。
体験を語る≠体験したことを普遍化して主張する、です。
そろそろ、気づかれても良い頃かと思いますが・・・。
もうひとつ
>私の主張は、この変わる派の主張の逆を言っているだけです。
ばうさんのなかでは、‘逆’ということになるのかも知れませんが、
私の考える、‘逆’は、
「変わらなかった。」という体験を語ること
だと思います。
これだけで良いし、こちらの方が、よほど説得力があります。
飛躍がない≒論法に無理がない、ですから。
2009/03/28 08:17 [9314057]
3点
誤字の訂正です。私は前回の [9312548] で、
> 変わる派の多くのかたは自ら「主観的」ということはおっしゃいませんが、変わらない派の私から見れば、変わらない派は、客観的なことは示さず、主観的なことしか示していません。
と書きましたが、「変わらない派は、客観的なことは示さず」ではなく「変わる派は、客観的なことは示さず」でした。
2009/03/28 15:32 [9315602]
0点
二羽のウサギさん、こんにちは。
ご質問の内容が難しくて、私には二羽のウサギさんが私の主張のどの部分を批判されているのかが、今すぐには完全には把握できませんでした。
取り急ぎ、ご質問の大きな前提となっていると思われる「『変わる派』は存在するか?」という点についてお答えします。
あなたは、
> ここで言う、‘変わる派’というのは、‘変わると主張している人’のことを呼称しているのだと思われますが、そういう方は、見かけることが殆どありません。(広告は除く)
>
> 少なくとも、カカクコムの掲示板では、「変わった(ように感じた)。」と体験を報告されている方ばかりだと思います。
とおっしゃいますが、しかし、過去に私がそのような「変わった(ように感じた)」と言う人に対し、「変わるというのはあなたの思い込みです」と言うと、「いや、確かに変わった。なぜなら〜だからだ。」と反論されるかたが少なくありません。
このようなかたの行為は「変わると主張している」ことだと私は思います。したがって、変わる派というかたは少なからず存在することになると思います。
あなたが「見かけることが殆どありません」と感じられるのは、現在掲示板で多数派を占める変わる派がわざわざ変わると主張する必要がなく、「体験の報告」だけで済んでいて、それだけを目にされているからだと推測します。
これについて異論はありますか?
もし異論があれば、まずそれについて議論して片付けたいと思います。もし異論がなければ、残りのご質問を読ませていただき、ご質問が理解できたら回答をさせていただきます。
2009/03/28 15:44 [9315645]
0点
こんばんは
>ご質問の内容が難しくて、私には二羽のウサギさんが私の主張のどの部分を批判されているのかが、今すぐには完全には把握できませんでした。
急いで書きすぎて、分かりにくかったかも知れません。
概略を申しますと、私は、ばうさんの投稿を拝見していて、いつも、違和感がありました。
以前お話しした時もそうですし、他の方がばうさんと議論している時もそうです。
一言で、その違和感が何であるかを申しますと、「噛み合わない」ということです。噛み合っていないのに、議論が細かなところにいってしまい、「そもそも、何を議論していたのか、霧散してしまう」という印象です。
お話しをしていると、何故か、「話したいこととは違うことについて議論をしている。」状態になります。その細かな議論に結論がでたとしても、そもそも議論していることとは直接関係がない、いわゆる「議論のための議論」に成りがちだという印象を強く持っております。
その一つの原因として、ばうさんがお話しを進めるときに、かなりの頻度で「飛躍」、つまり、話の展開が強引と思われるところがあり、この飛躍の後に、ばうさんの得意分野のお話しが展開される、という構図に気づいたのです。
まず、この「飛躍」を指摘すること、が今回のレスの目的になります。
>「電源ケーブルでは音は変わらない。その理由は、電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がないからだ。」
これについては、理由になっていない、ことを示しました。
飛躍があることを、ご自身が自覚されていることも確認されました。
>ここで、「主観的な事実」とは「私(変わる派の人)が聞いて明らかに音が変わって聞こえると感じる」というたぐいのものです。これも証明ではありません。飛躍があります。
「飛躍があります」という部分に、飛躍があります、ということを指摘したつもりです。
今回は、
>とおっしゃいますが、しかし、過去に私がそのような「変わった(ように感じた)」と言う人に対し、「変わるというのはあなたの思い込みです」と言うと、「いや、確かに変わった。なぜなら〜だからだ。」と反論されるかたが少なくありません。
>このようなかたの行為は「変わると主張している」ことだと私は思います。
>したがって、変わる派というかたは少なからず存在することになると思います。
体験を語る。
→「あなたの思いこみです。」と警鐘を鳴らす。
→そんなことはない、確かに変わったんだ〜と反論する。
この反論を、「変わると主張している」ことだと見なす。
ことが、「飛躍」だと思います。
二つ目の>文、が問題です。
反論の内容は、自分の体験を普遍化して「音が変わる」と主張しているわけではありません。
ばうさんに、「あなたの聴覚は、思いこみという要素によって、正確な判断が出来ない状態になっている可能性があります。」的なことを言われて、
「そんなことはないと思います!」
と言っているだけです。
個人的な体験を紹介したら、「錯覚かも知れませんよ。」と言われ、
「大きなお世話です。野暮なことは良いなさんな。」と反論したら、「あなたは、音が変わる派、と見なします。あなたの発言は、「音は変わる」という主張をしているものと見なします。」
という、強引な展開です。
>これについて異論はありますか?
上述したとおり、
>このようなかたの行為は「変わると主張している」ことだと私は思います。
>したがって、変わる派というかたは少なからず存在することになると思います。
このような行為を「変わると主張している」ことだと見なすことは、ばうさんの思い込みだと思います。
強引に、「変わる派」を作り出すという「飛躍」が見られます。
飛躍の後は、>したがって、〜と続きますが、これは以降は、もう、説明する必要を感じないです。
このばうさんの二つの文を見るだけで、
ばうさんが、議論をしたいが為だけに、議論の相手を強引に作り出しているだけではないか、という感想を持てる気がしてきます。
>もし異論があれば、まずそれについて議論して片付けたいと思います。
議論がしたいだけ?
という印象がますます強くなります。
2009/03/28 19:19 [9316461]
5点
二羽のウサギさん、こんばんは。
> >これについて異論はありますか?
>
> 上述したとおり、
> >このようなかたの行為は「変わると主張している」ことだと私は思います。
> >したがって、変わる派というかたは少なからず存在することになると思います。
>
> このような行為を「変わると主張している」ことだと見なすことは、ばうさんの思い込みだと思います。
> 強引に、「変わる派」を作り出すという「飛躍」が見られます。
> 飛躍の後は、>したがって、〜と続きますが、これは以降は、もう、説明する必要を感じないです。
話が難しくなってきましたが、あなたは「変わると主張している」人は存在しない、とおっしゃるわけですよね。(「変わると主張している」人が存在する、という私の主張に飛躍がある、と指摘されているわけですよね。)
一方、私は、変わらないと主張しています。すなわち、変わらないと主張する人は存在します。私本人が言っているのですから間違いありません。
ならば、私の変わらないという主張に反対する人は居ないわけですよね?
しかし、私が掲示板で「音は変わりません」と書こうものなら、すぐにどなたかから反論が寄せられます。たとえばこの掲示板の過去のクチコミを見ても、過去にそのような変わると主張している反論がいくつか寄せられています。
これはなぜなのでしょうか?二羽のウサギさんはこれを説明できますか?
私は、これは、やはり「変わると主張している」人が存在しているからだと思います。
なお、どなたからどのような反論が寄せられたかは、今、ここでは必要がないと思い書きませんが、もし二羽のウサギさんが要求されるのであれば、私もしかたありませんがそれを示します。
以上、私は、二羽のウサギさんが示したことに対して、反例を示しました。もしもこの反例を覆すことができなければ、二羽のウサギさんの主張は正しくないと結論付けられます。
> >もし異論があれば、まずそれについて議論して片付けたいと思います。
>
> 議論がしたいだけ?
> という印象がますます強くなります。
掲示板ですから、議論して当たり前だと思います。
議論とは「それぞれの考えを述べて論じあうこと」ですよ。
「片付けたい」という表現はちょっと耳障りな表現だったかもしれませんが、ご質問が私には複雑になってきたので、私としてはひとつひとつ順番に整理したいと思い、「片付けたい」と表現しました。
2009/03/28 22:37 [9317529]
0点
二羽のウサギさん、こんばんは。
> 概略を申しますと、私は、ばうさんの投稿を拝見していて、いつも、違和感がありました。
> 以前お話しした時もそうですし、他の方がばうさんと議論している時もそうです。
>
> 一言で、その違和感が何であるかを申しますと、「噛み合わない」ということです。噛み合っていないのに、議論が細かなところにいってしまい、「そもそも、何を議論していたのか、霧散してしまう」という印象です。
>
> お話しをしていると、何故か、「話したいこととは違うことについて議論をしている。」状態になります。その細かな議論に結論がでたとしても、そもそも議論していることとは直接関係がない、いわゆる「議論のための議論」に成りがちだという印象を強く持っております。
この部分に関しては直接のご指摘・ご質問ではないので、本来、私がコメントする必要はないとは思いますが、一応、コメントさせていただきます。(なお、「飛躍」のご指摘についてはさきほど回答させていただきました。)
その中でもとくに、「話したいこととは違うことについて議論をしている。」についてですが、これは二羽のウサギさんがそういうご質問をされるからだと思います。たとえば「飛躍」のご指摘がそうだと思います。
私としても、ご質問を絞ってコンパクトに質問していただけたり、あるいは直接的な主張をしていただけると、回答がしやすいのですが、「飛躍」云々のようなひとつ高い次元でのご指摘をされますと、頭が混乱しますので、いきおい、ひとつひとつ順番に整理して回答しようとします。
その結果「議論のための議論」になってしまうのではないでしょうか。
もちろん議論において、「飛躍」云々から入って議論することも、悪くはないと思います。ただ、そういう議論の入り方をされたのですから、「議論のための議論」になってもそれは私のせいではないと思います。
また、もしも逆に私のほうから「議論のための議論」に誘導したとしても、それは議論の流れでそうなったのであり、それは議論のテクニックとして正当な手段だと思います。
もっとも、私自身は世間で言う「ディベート」は好きではないほうです。
たとえば「『議論のための議論』になっていますから議論のしかたを変えませんか」という提案をされても構いませんが、もしそうするならば双方で合意した上でそうすべきでしょう。
2009/03/28 23:24 [9317819]
0点
おはようございます
なかなか筋を伝えるのが難しいようです。
>>「電源ケーブルでは音は変わらない。その理由は、電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がないからだ。」
>これについては、理由になっていない、ことを示しました。
>飛躍があることを、ご自身が自覚されていることも確認されました。
ばうさんは、「音が変わらない」という主張をされているようですが、殆どの場合、直接、自分の経験や理論から主張することはされていないと思います。
「音が変わる派」なる人たちの「主張」を覆すことが出来れば、「音が変わる」という主張は正しくないと結論づけられる、という論法を使っていて、「音が変わる派の主張」崩しに終始されている、とお見受けします。
仮にこのばうさんの「音が変わる派の主張」崩しが成功しても、あくまで、
「音が変わるという主張」は正しくない=「音が変わるとは言えない」
ということを示すにとどまる、と言うのが、今回、私が申し上げたいことです。
ばうさんが、約半年にわたって、日記のようにつづってきたこのスレが、仮に成果を上げたとしても、「音が変わるとは言えない」という「主張」を説明するにとどまります。
決して、「音は変わらない。」という主張を説明したことにはなっていません、ということです。
このことは、とても大切なことだと思いますので、繰り返し、強調して書きます。
ばうさんは、ご自身で、「音は変わらない。」と主張されているつもりかも知れませんが、読者は、少なくとも(熟読している)私は、ばうさんの主張は、「音が変わると主張している人がいますが、それらの主張には謝ったことや曖昧なことが含まれているので、正しいとは言えません。」と繰り返しているだけで、「音は変わらない」と主張されているようには読めません。
なぜなら、そもそもの主張のど真ん中、結合部分に論理の飛躍があるので、後半の部分を幾ら説明されても、ばうさん自身が主張したいこととはつながらないのです。
閑話休題
>ならば、私の変わらないという主張に反対する人は居ないわけですよね?
私の変わらないという主張
=ばうさんの、「変わったという報告」に対する批判
ですから、たいていの人は反論、反対意見=「自分の体験は錯覚で片づけられるものではなかったと思います」をすると思います。
>私が掲示板で「音は変わりません」と書こうものなら、すぐにどなたかから反論が寄せられます。
これも、必ず(ぼぼ)、「音が変わった。」という報告を引き合いに出して、これに批判をすること(だけ)で、ご自身の主張を展開されていますので、批判されたひと、自分が批判されたと読めるひと、などから反論が寄せられるのは、当たり前です。
このスレのパート1の冒頭でも、AVアンプで電源ケーブル交換実験を行ったひと、への疑問〜批判から、始まっています。
その後の展開については、もう、書かなくとも良いでしょう。
2009/03/29 08:36 [9319206]
4点
二羽のウサギさん、こんばんは。
まず私としては引き続き、二羽のウサギさんが前提としている、「変わると主張している」人が存在しない、ということが事実かどうかを整理して話をしたいと思います。
したがって、二羽のウサギさんのご投稿の後半のほうを引用いたします。
> 閑話休題
>
> >ならば、私の変わらないという主張に反対する人は居ないわけですよね?
>
> 私の変わらないという主張
> =ばうさんの、「変わったという報告」に対する批判
>
> ですから、たいていの人は反論、反対意見=「自分の体験は錯覚で片づけられるものではなかったと思います」をすると思います。
たいていの人は反論・反対意見はするのですよね?そしてその内容は「体験は錯覚ではない」ということですよね?その「体験」とは音が変わったと感じた体験なのですよね?
反論・反対意見をする行為は、私はそれは主張だと考えます。「反論」、「意見」、「主張」という言葉を国語辞典で引いてみるとお分かりになると思います。
そして「体験は錯覚ではない」と主張する以上、その人はその体験が存在したことを前提にしているはずです。
ならば、その人は音が変わったと感じたことも当然主張していることになると私は考えます。したがって、「変わると主張している」人は存在します。
私のこの考えに矛盾がありますか?
> >私が掲示板で「音は変わりません」と書こうものなら、すぐにどなたかから反論が寄せられます。
>
> これも、必ず(ぼぼ)、「音が変わった。」という報告を引き合いに出して、これに批判をすること(だけ)で、ご自身の主張を展開されていますので、批判されたひと、自分が批判されたと読めるひと、などから反論が寄せられるのは、当たり前です。
私は [9317529] で、「変わると主張している」人が反論を寄せているのだと思う、という趣旨のことを書きました。
しかし、二羽のウサギさんがおっしゃることは、私の言ったことの否定にはなっていません。
私の言うことを否定するのならば、たとえば、反論が寄せられているということが事実ではないか、あるいは、寄せられている反論が「変わると主張している」こと以外の内容であることを言わなければならないはずです。
しかし二羽のウサギさんは、ただたんに、反論が寄せられるのは当たり前だ、と言っているだけです。その反論の内容が「変わると主張している」ことでないことを言っていません。したがって、私の趣旨の否定としては不十分です。
以上のことから、二羽のウサギさんが前提としている、「変わると主張している」人が存在しない、ということは事実ではないと結論付けられました。
なおこれらのことも結局は「議論のための議論」になってしまっているとは思います。しかし、これは私が言葉の揚げ足を取っているのではありません。二羽のウサギさんが、言葉巧みに話の前提をご自身に有利な方向に誘導されているので、私がそれに対抗せざるをえず、私がしかたなくとっている行動であると私は思っています。
2009/03/30 02:14 [9323810]
0点
おはようございます
今朝は、ばうさんのお話しにお付き合いします
>二羽のウサギさんが、言葉巧みに話の前提をご自身に有利な方向に誘導されているので、私がそれに対抗せざるをえず、私がしかたなくとっている行動であると私は思っています。
ばうさんの誘導のテクニックに、私は気づいたというお話しを一昨日だったか、させて頂いたと思いますが、ご自身は気づかれていないようなので、今から示そうと思います。
>ならば、その人は音が変わったと感じたことも当然主張していることになると私は考えます。
>したがって、「変わると主張している」人は存在します。
よいですか、
ばうさんは、ここでも、僅か1〜2文字ですが、「飛躍」させることで、自分の世界に引き入れるテクニックを使っています。
>そのひとは音がかわ(った)と感じ(た)ことも〜
が、次の文では、
>「変わ(る)と主張している」
です。
ばうさんは、個人の体験、《過去形で示されている部分》を、
《現在形にかえること》で、
私の言うところの、
《普遍化を行い》、
あたかも、体験を報告した人が、「変わると主張している」人であるかのように変化させています。
言葉の上で、変身させていると言っても良いでしょう。
こういうテクニックを「飛躍」と呼んでいます。
この仕組みに気づかずに会話に参加すると、あとは、ばうさんの世界に引きずり込まれて・・・
後半部分も、過去形と現在形が、巧み?にすり替えられる形で、ばうさんは自分の正当性を主張しようとしていますが、同じ構図です。
>「音が変わ(った)。」という報告を引き合いに出して〜
が、
ばうさんの手にかかると、
>「変わ(る)と主張している人」が反論をよせている〜
という具合です。
ばうさんご自身は、このすり替え、私の言うところの「飛躍」「普遍化」について、自覚しながら、確信的に行っているのでしょうか?
それとも、自覚無く、行っているのでしょうか?
逆に質問するような形になってしまいますが、
とても重要なところだと思いますので、ご返答をお願いします。
2009/03/30 06:44 [9324027]
4点
こんばんは
二つほど補足します。
《ひとつめ》
ばうさんは、[9323810]で、いつの間にか、
>二羽のウサギさんが前提としている、「変わると主張している」人が存在しない、ということが事実かどうかを〜
と書かれていますが、
私は、[9305147]で、
>ここで言う、‘変わる派’というのは、‘変わると主張している人’のことを呼称しているのだと思われますが、そういう方は、見かけることが殆どありません。(広告は除く)
>少なくとも、カカクコムの掲示板では、「変わった(ように感じた)。」と体験を報告されている方ばかりだと思います。
と書いていて、
→「変わると主張している人」は、見かけることが殆どない
と略すなら良いですが、勝手に、
→「変わると主張している」人が存在しない
という微妙ながら、明らかに違う概念の言葉にすり替えられるのは、困ります。
また、「」の中に、‘人’も入れて下さい。(私も、今朝、うっかりコピペして間違えていますが、今後は気をつけます。)
この辺は、ばうさんとお話しをする場合は、決して、曖昧にしてはならないところですので、強調しておきます。
存在するかしないかということであれば、
見かけることがほとんどありません→存在はしているようですが、私は、見かけることが殆どありません
という意味ですので、「存在しない」とは、全く違います!
何度も何度も使用されているうちに、あたかも、
私が、「「変わると主張している」人が存在しない。」と主張している
ことにされてしまう危険がありますので、念のためにコメントしておきます。
「変わると主張している人」が、ばうさんの仰る頻度で存在しているかどうかについては、現在、ばうさんとの間で議論を行っている最中ですので、ばうさんの回答を待って、コメントします。
《ふたつめ》
>しかし二羽のウサギさんは、ただたんに、反論が寄せられるのは当たり前だ、と言っているだけです。
>その反論の内容が「変わると主張している」ことでないことを言っていません。したがって、私の趣旨の否定としては不十分です。
ばうさんの期待されている形では、あえて、ハッキリと否定してはいません。
今朝コメントした、「体験(過去形で示された部分)」と、「普遍化されたもの(現在形でしめされた部分)」をキッチリ分けて、また、「ばうさんの主張は、殆どの場合、他人のコメントを批判すること(だけ)で、展開されている」という私の一連のコメントを、十分に汲んで読んで頂ければ分かると思いますが、
控えめに言って、“完全否定”しているつもりです。
実際は、直接、触れてもいません。
ご再考下さい。
2009/03/30 18:49 [9325971]
2点
二羽のウサギさん、こんばんは。
おっしゃる「《ひとつめ》」を拝見しました。
> 存在するかしないかということであれば、
> 見かけることがほとんどありません→存在はしているようですが、私は、見かけることが殆どありません
> という意味ですので、「存在しない」とは、全く違います!
あなたは「存在はしているようです」と主張するのですね?
あなたの投稿を読んだ限り、私の国語力ではそう解釈できました。
> 何度も何度も使用されているうちに、あたかも、
> 私が、「「変わると主張している」人が存在しない。」と主張している
> ことにされてしまう危険がありますので、念のためにコメントしておきます。
あなたは「「変わると主張している」人が存在しない。」と主張しないのですね?
あなたの投稿を読んだ限り、私の国語力ではそう解釈できました。
ちなみに私は [9323810] で、
> したがって、「変わると主張している」人は存在します。
と主張しています。
あなたは私のこの主張を認めるのですか?認めないのですか?どっちなのですか?
2009/03/30 21:19 [9326643]
0点
こんばんは
ばうさん、焦ってコメントする必要はありません。
私は、今回は3日間くらいは待たされると覚悟していますので、じっくりと読んで、じっくりと考えて、必要なことと、そうでもないこと、など、大切な順番に、ひとつひとつで構いませんので、コメントして下されば結構です。
直前の、はっきり申し上げて、雑なコメントには、あえて返事をしないでおこうと思います。
こんな質問に答えるようなレベルでの議論はしていないつもりです。
私は待ちますので、焦らずに、ばうさんらしく冷静沈着にコメントして頂けるよう、重ねてお願いしておきます。
おやすみなさい
2009/03/30 21:35 [9326733]
4点
おはようございます
現在進行中の議題に関連する記述を、メモがわりにコピぺして記します。
長いですが、もっと長い本文の中から抽出するよりは、読みやすいと思います。
(尚、《わたし》の記述の中の誤字・脱字は、適宜修正してあります。)
〜前編〜
《わたし》
>> ここで言う、‘変わる派’というのは、‘変わると主張している人’のことを呼称しているのだと思われますが、そういう方は、見かけることが殆どありません。(広告は除く)
>> 少なくとも、カカクコムの掲示板では、「変わった(ように感じた)。」と体験を報告されている方ばかりだと思います。
《ばうさん》
>過去に私がそのような「変わった(ように感じた)」と言う人に対し、「変わるというのはあなたの思い込みです」と言うと、「いや、確かに変わった。なぜなら〜だからだ。」と反論されるかたが少なくありません。
>このようなかたの行為は「変わると主張している」ことだと私は思います。したがって、変わる派というかたは少なからず存在することになると思います。
《わたし》
>体験を語る。
>→「あなたの思いこみです。」と警鐘を鳴らす。
>→そんなことはない、確かに変わったんだ〜と反論する。
>この反論を、「変わると主張している」ことだと見なす。
>ことが、「飛躍」だと思います。
>二つ目の>文、が問題です。
>反論の内容は、自分の体験を普遍化して「音が変わる」と主張しているわけではありません。
>ばうさんに、「あなたの聴覚は、思いこみという要素によって、正確な判断が出来ない状態になっている可能性があります。」的なことを言われて、
>「そんなことはないと思います!」
と言っているだけです。
>個人的な体験を紹介したら、「錯覚かも知れませんよ。」と言われ、
>「大きなお世話です。野暮なことは言いなさんな。」と反論したら、
>「あなたは、音が変わる派、と見なします。あなたの発言は、「音は変わる」という主張をしているものと見なします。」
>という、強引な展開です。
>このような行為を「変わると主張している」ことだと見なすことは、ばうさんの思い込みだと思います。
>強引に、「変わる派」を作り出すという「飛躍」が見られます。
《ばうさん》
>話が難しくなってきましたが、あなたは「変わると主張している」人は存在しない、とおっしゃるわけですよね。(「変わると主張している」人が存在する、という私の主張に飛躍がある、と指摘されているわけですよね。)
>一方、私は、変わらないと主張しています。すなわち、変わらないと主張する人は存在します。私本人が言っているのですから間違いありません。
>ならば、私の変わらないという主張に反対する人は居ないわけですよね?
>しかし、私が掲示板で「音は変わりません」と書こうものなら、すぐにどなたかから反論が寄せられます。たとえばこの掲示板の過去のクチコミを見ても、過去にそのような変わると主張している反論がいくつか寄せられています。
>これはなぜなのでしょうか?二羽のウサギさんはこれを説明できますか?
>私は、これは、やはり「変わると主張している」人が存在しているからだと思います。
《わたし》
>>ならば、私の変わらないという主張に反対する人は居ないわけですよね?
>私の変わらないという主張
>=ばうさんの、「変わったという報告」に対する批判
>ですから、たいていの人は反論、反対意見=「自分の体験は錯覚で片づけられるものではなかったと思います」をすると思います。
>>私が掲示板で「音は変わりません」と書こうものなら、すぐにどなたかから反論が寄せられます。
>これも、必ず(ぼぼ)、「音が変わった。」という報告を引き合いに出して、これに批判をすること(だけ)で、ご自身の主張を展開されていますので、批判されたひと、自分が批判されたと読めるひと、などから反論が寄せられるのは、当たり前です。
《ばうさん》
>たいていの人は反論・反対意見はするのですよね?そしてその内容は「体験は錯覚ではない」ということですよね?その「体験」とは音が変わったと感じた体験なのですよね?
>反論・反対意見をする行為は、私はそれは主張だと考えます。「反論」、「意見」、「主張」という言葉を国語辞典で引いてみるとお分かりになると思います。
>そして「体験は錯覚ではない」と主張する以上、その人はその体験が存在したことを前提にしているはずです。
>ならば、その人は音が変わったと感じたことも当然主張していることになると私は考えます。したがって、「変わると主張している」人は存在します。
>私のこの考えに矛盾がありますか?
2009/03/31 07:11 [9328580]
3点
〜後編〜
《わたし》
>よいですか、
>ばうさんは、ここでも、僅か1〜2文字ですが、「飛躍」させることで、自分の世界に引き入れるテクニックを使っています。
>>そのひとは音がかわ(った)と感じ(た)ことも〜
>が、次の文では、
>>「変わ(る)と主張している」
>です。
>ばうさんは、個人の体験、《過去形で示されている部分》を、
>《現在形にかえること》で、
>私の言うところの、
>《普遍化を行い》、
>あたかも、体験を報告した人が、「変わると主張している人」であるかのように変化させています。
>言葉の上で、変身させていると言っても良いでしょう。
>こういうテクニックを「飛躍」と呼んでいます。
>後半部分も、過去形と現在形が、巧み?にすり替えられる形で、ばうさんは自分の正当性を主張しようとしていますが、同じ構図です。
>>「音が変わ(った)。」という報告を引き合いに出して〜
が、
>ばうさんの手にかかると、
>>「変わ(る)と主張している人」が反論をよせている〜
>という具合です。
>ばうさんご自身は、このすり替え、私の言うところの「飛躍」「普遍化」について、自覚しながら、確信的に行っているのでしょうか?
>それとも、自覚無く、行っているのでしょうか?
>逆に質問するような形になってしまいますが、
>とても重要なところだと思いますので、ご返答をお願いします。
2009/03/31 07:13 [9328583]
2点
ばうさん、こんばんは
現在進行中の議題に関するお互いのコメントを読み直していて、気づいたことがあります。
うまくいくかどうか分かりませんが、整理しつつ、ひとつ提案をしてみようと思います。
さて、ばうさんと私の間では、「変わると主張している人」の扱いについて、大きな見解の相違が生じていることは確かです。
そこで、我々は、何を話し合えばよいのでしょうか?
ばうさんが提案されているように、「変わると主張している人」は、存在するのかしないのか、
でしょうか?
違うと思います。
そんな大雑把なことではないと思います。
私の解釈では、「変わると主張している人」とは、
「電源ケーブルを変えると、スピーカーから出る音が変化するのは既に知られた現象です。これは、理論的には〜と説明されています。各社揃って、より良い音のする電源ケーブルの開発に勤しんでいるところですが〜。」という具合に、
「電源ケーブルを変えると音が変わる」ということを、普遍的な現象であると主張している、または、普遍的な事実であることを前提として広く世間に話を展開している人のことです。
そこで、(広告は除く)と但し書きがついています。
したがって、私の解釈では、個人の体験を報告した人は、よほど特殊な形でこの体験を普遍的な事実として主張しない限り、「変わると主張している人」には含まれないことになります。
以下のように、分類してみます。
@「私の体験では、音が変わった。」と報告した人≠「変わると主張している人」
A「私の体験では、音が変わった。この体験は、普遍的なものであると確信している。(理論的にも説明できる。)したがって、音が変わるのは普遍的な事実である。」と広く世間に喧伝する人=「変わると主張している人」
B@のうち、変わらない派に批判をされて、反論をした人≠「変わると主張している人」
C@の人たちが集まって、「変わった体験の報告」で盛り上がるうち、いつしか、「音が変わる」ということを前提に話を展開するようになる人たち
→1)仲間内でワイワイやっている=あくまで個人の体験の集合体なので、質的には変化無し≠「変わると主張している人」たち
→2)仲間内にとどまらず、広く世間に向かって、あたかも、「音が変わること」が普遍的事実であるかのように、これを前提として話を展開する=Aたち=「変わると主張している人」たち
Dその他
という具合です。
「電源ケーブルを変えると音が変わる」ということを、普遍的事実として、広く世間に喧伝するかどうか、が私の線引きの基準になります。
この分類を使うと、今回、私は、少なくともカカクコムの掲示板では、
@、B、C→1)(≠「変わると主張している人」)が大半だと思います。
A、C→2)(=「変わると主張している人」)は、殆ど見かけません。
と言っているわけです。
ばうさんは、Bを「変わると主張している人」と見なす、と仰っていることになります。
私は、この判断に断固反対している、という構図になります。
我々が、「変わると主張している人」の扱いについて話し合うべきは、
☆どこまでを「変わると主張している人」に含めるか、
という線引きの位置を決めていくこと、ではないでしょうか?
具体的に言うと、
Bを、「変わると主張している人」に含めるか否か、
ということを話し合えば良かろう、と思うのです。
ばうさん、いかがでしょうか?
2009/03/31 18:23 [9330557]
5点
みなさま、こんばんは。
また、単発の話をひとつ思いついたので、忘れないうちに書きとめておきます。
昔の、高級な(高価な?)オーディオ機器には、サイドウッドなるものが付いていました。
今の若いかたはご存知でしょうか?文字どおり、筐体の両サイドに木の板が付いているのです。
これは標準で付いている場合と、オプションで追加できる場合とがありました。オプションの場合を考えます。
・サイドウッドのオプションをわざわざお金を出して付けていたのはなぜか?
・サイドウッドを付けると音は良くなるか?
・サイドウッドを付けると音が良くなったと感じるのか?
こういったことを考えると、いくらかのお金を電源ケーブルに使うのも分からなくはありません。サイドウッドを否定しないで、電源ケーブルは否定する、というのも無理があります。
2009/04/01 22:49 [9336276]
0点
サイドウッドをオプションで発売していたメーカーは山水だけだったと記憶しています。
確かペアで1万円と高価で、8万円前後の607に付ける人はほとんどいなかったと思います。
販売店の方に聞いた話では、上級機種(707と907)と同じデザインにしたいと言う要望に応えたようで、
音質向上の為ではなかったはずです。
音にこだわった人は少々無理をしても907を買っていたからです。
(アンプ用以外もあったと思いますがよく覚えていません。)
雑誌の企画でサイドウッドの自作はステレオ誌などでありました。
目的は機器の上に鉛を置くのと同様の筐体の鳴き止め対策としてで、これを行った人が多少はいたはずです。
そのサイドウッドが無くなったのは、欧州などで森林保護などの理由から反対する意見が多く出たからで、
音質上の理由からではなかったはずです。
同時期にサイドウッドを付けていた欧州製品も付けるのを止めています。
2009/04/02 10:02 [9337849]
1点
ミニポンコツさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
> サイドウッドをオプションで発売していたメーカーは山水だけだったと記憶しています。
> (アンプ用以外もあったと思いますがよく覚えていません。)
私も、サイドウッドを思い出して書いたものの、あまり記憶が定かではありませんでした。
そうですね、アンプはあまりなかったかもしれません。アンプは背が高く、面積が要るから?
ちなみに、(薄い)チューナーは、あったような気がします。
たとえば、
http://audio-heritage.jp/PIONEER-EXCLUSI
VE/tuner/f-120d.html
を見ると、Pioneer F-120D はオプションでサイドウッドがあったらしいです。
> そのサイドウッドが無くなったのは、欧州などで森林保護などの理由から反対する意見が多く出たからで、
> 音質上の理由からではなかったはずです。
> 同時期にサイドウッドを付けていた欧州製品も付けるのを止めています。
これは私は知りませんでした。ちょっと意外でした。そういった経緯があったのですか。
> 雑誌の企画でサイドウッドの自作はステレオ誌などでありました。
> 目的は機器の上に鉛を置くのと同様の筐体の鳴き止め対策としてで、これを行った人が多少はいたはずです。
ミニポンコツさんのコメントを拝見して、私がぼんやりと思っていたことが少しはっきりしたように感じます。なぜ自分でサイドウッドを例に出したのかが、少し分かった気がします。
サイドウッドと音質との関連についてですが、見栄えという目的のためだけに買う人もいれば、おそらくおっしゃるような音質目的で買う人(や作る人)もいらっしゃったのだろうと思います。目的がいろいろあっても、結果としてはひとつに集約し、サイドウッドを買う、という行動にまとめられます。
電源ケーブルも目的に「見栄え」ということもあるのかもしれません。しかし、結果としては電源ケーブルを買った人、にまとめられて登場することになります。電源ケーブルを買った人の目的がなんであったかは、買った人に聞かないことには判明しません。買った人も、自分がなにを目的として買ったのかを明確に意識していないかもしれません。
なお、「見栄え」以外の目的には、たとえば「所有欲の達成」ということもあるかもしれません。
2009/04/02 21:44 [9340138]
0点
二羽のウサギさん、こんにちは。
あなたは、
2009/03/30 21:35 [9326733]
で、
> 私は、今回は3日間くらいは待たされると覚悟していますので、じっくりと読んで、じっくりと考えて、必要なことと、そうでもないこと、など、大切な順番に、ひとつひとつで構いませんので、コメントして下されば結構です。
と書かれました。
3日経ちましたので、これについてコメントします。議論において一番大切なことを指摘します。(なお、議論とはそれぞれの考えを述べて論じあうことです。口喧嘩とは違います。)
私は、
2009/03/30 21:19 [9326643]
で、
> あなたは私のこの主張を認めるのですか?認めないのですか?どっちなのですか?
とお聞きしました。
これは文章としては質問の形式ですが、別にあなたになにか質問しているわけではありません。
後出しの質問ではなく、あなたの主張はなんなのかを聞いているだけです。
あなたは何を言いたいのですか?あなたの今までの言動からはこう解釈できますがそれで良いのですね?と確認しているだけです。
私は 「「変わると主張している」人は存在します。」 と主張しています。
私のその主張に対して、あなたは 「存在はしているようですが」 や 「「存在しない」とは、全く違います!」 などと言いながら、私が「飛躍」していると責めています。
しかし、あなたの投稿を解釈する限り、「存在」するかどうかについては、結局あなたは私と違う主張をしていません。
すなわちあなたは私を「飛躍」していると責めていながら、その根拠として言っていることに矛盾があります。
そのため私はあなたのその言動に矛盾があると判断し、あなたの主張を確認しようとしました。
しかし、あなたは、
> 直前の、はっきり申し上げて、雑なコメントには、あえて返事をしないでおこうと思います。
> こんな質問に答えるようなレベルでの議論はしていないつもりです。
と言うだけで、返答してくれません。
議論において、相手からこのような質問(というか確認)を受けたら、少なくとも、
(1) はい(認めます)
(2) いいえ(認めません)
(3) ノーコメント
のいずれかの返事をすべきだと私は考えます。
なおノーコメントの場合は、たとえば「訴状が届いていないのでコメントできない」などのように、理由は言うべきだと思います。
人から言われたことに対して「雑な」や「こんな質問に答えるようなレベル」を理由としてコメントしないのは、到底理由にはならないと考えます。
以上のことから、私は、今後、二羽のウサギさんがこの態度を変えないかぎり、二羽のウサギさんとはちゃんとした議論ができないと判断しました。
もし今後、このまま議論を続けても、またなにか二羽のウサギさんが矛盾したことを言っても、今回と同様に私の指摘が無視されかねず、議論にならないからです。
したがって、二羽のウサギさんから改善がないかぎり、二羽のウサギさんとは議論はしません。議論をしないと決めた以上、今まで二羽のウサギさんが言ってきたことについて私はコメントする義務もないと考えます。
なお、このような事態に陥ったのは、二羽のウサギさんのせいであり、私には責任は一切ありません。
2009/04/03 00:26 [9341127]
0点
以下は、掲示板をご覧のみなさまにお伝えすることです。
私は、前述のように議論において、特定の相手のかたを非難しました。この非難は、私の考える正当な理由を述べておこないました。
このような非難はできればしたくなかったのですが、もし私がこの非難をしないと、逆に、私が、相手から受けた質問に返答しないことを非難されかねないため、やむを得ずおこないました。
すなわち、私から相手を非難せざるを得ない状況に立たされてしまったため、私が質問の返答をしない正当な理由を持っていることを示しました。私がおこなう非難はそのために必要でした。
このような主張をするために、やむを得ずきつい表現での投稿になりましたが、少なくとも私の投稿は喧嘩ではありません。この点はぜひご理解いただきたいと思います。
もしも、私のこの考えに間違いがあると指摘されるのでしたら、そのようなご指摘はぜひお寄せください。ただ、その場合は論点をはっきりとしたご指摘でお願いします。
2009/04/03 00:34 [9341169]
0点
ばうさん、おはようございます
口喧嘩をしているつもりは全くありませんが、少し分からないところがありますので、逆に教えていただけないでしょうか?
これは、議論をするのではなく、確認をしたいだけですので、是非、お答え下さい。
>議論において、相手からこのような質問(というか確認)を受けたら、少なくとも、
(1) はい(認めます)
(2) いいえ(認めません)
(3) ノーコメント
のいずれかの返事をすべきだと私は考えます。
ということですが、
ばうさんが質問(というか確認)をされる前に、私は[93024027]で、
>ばうさんご自身は、このすり替え、私の言うところの「飛躍」「普遍化」について、自覚しながら、確信的に行っているのでしょうか?
>それとも、自覚無く、行っているのでしょうか?
という質問(というか確認)をしていますが、ばうさんからは、ばうさんの仰る上記の(1),(2),(3)のいずれのお返事も頂いておりません。
ご自身で、
>議論において一番大切なことを指摘します。(なお、議論とはそれぞれの考えを述べて論じあうことです。口喧嘩とは違います。)
と明記され、主張されているのですから、まずは、見本をお示し下さるとよろしいかと存じます。
いまのところ、質問(というか確認)に返事をしていないのは、ばうさんです。これこそ、言動不一致、ばうさんの行為こそ、「自己矛盾」と言うと私は思いますが、いかがでしょうか?
もっと前に、[9311534]で、
>「電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がない。」
>という理由から導き出せる結論は、
>「音が変わるとは言えない。」
>までで、
>「音は変わらない。」
>と結論することは出来ない、と思います。
>いかがでしょうか?
とも質問していて、まだ、返答を頂いておりません。
まあ、これについては、一つ一つ順番に検討して答えていく途中であると解釈していますが。
ばうさんが、今、一方的に議論を打ち切られると、ばうさんが質問に返事をしていない、ということになります。
2009/04/03 06:29 [9341736]
2点
もう一つコメントします。
>しかし、あなたの投稿を解釈する限り、「存在」するかどうかについては、結局あなたは私と違う主張をしていません。
>すなわちあなたは私を「飛躍」していると責めていながら、その根拠として言っていることに矛盾があります。
>そのため私はあなたのその言動に矛盾があると判断し、あなたの主張を確認しようとしました
これについては、[9330557]で、かなり正確にお答えしてるつもりです。
ばうさんが、というか、ばうさんと私の間で大きな見解の相違が生じていることを確認し、自分なりにお互いの見解を埋める方法論をご提案させて頂きました。
「変わると主張する人」は存在するのかしないのか?
という存在論でしたら、広告(宣伝)をご覧になれば、そこら中に存在しますので、「イエス」です。
カカクコムの掲示板の中に存在するのかどうか?
と範囲を指定した上での存在の確認でしたら、
「分かりません。存在しているかも知れませんが、私は、カカクコムの隅々まで確認したわけではありませんので、明確には答えられません。存在はしているようですが、お見かけすることはありません。」
「この方は「主張されている」と思われる方も散見されますが、正確にコメントを読むと、個人の体験を熱く語っている以上の内容ではないことが殆どですので、判定できないことが多いです。曖昧な返答になりますが、カカクコムの掲示板の中では、見かけることが殆どありません。」
という返事になります。
次に、私がばうさんのことを「飛躍」している、と指摘しているのは、存在しているかどうか、という次元の話ではなく、
体験を語った〜
・・・まあ、もう一度既出のコメントを良く読んで下さい。
繰り返して説明する必要を感じないほど、明確に説明しているつもりです。
ばうさん、もしかして、ちゃんと読んでないのではないでしょうか??
まあ、読んでいることを前提にしても、ご自身が、他人の話を正確に読み取ろうとせず、
「存在するかどうか?」
というある種根元的な問いを、日常的な会話の中で、唐突に創り出して質問されるのですから、ご自分の思い通りの答えが得られるはずもないのは、無理もありませんよ。
私の中には矛盾はありません。
ばうさんの中に、誤解(誤読)があるだけだと思います。
私は、ばうさんが理解されるのを待っているのです。
2009/04/03 06:38 [9341744]
1点
二羽のウサギさんの、
2009/04/03 06:29 [9341736]
の前半部分、
> ばうさんが質問(というか確認)をされる前に、私は[93024027]で、
>
> >ばうさんご自身は、このすり替え、私の言うところの「飛躍」「普遍化」について、自覚しながら、確信的に行っているのでしょうか?
> >それとも、自覚無く、行っているのでしょうか?
>
> という質問(というか確認)をしていますが、ばうさんからは、ばうさんの仰る上記の(1),(2),(3)のいずれのお返事も頂いておりません。
について反論します。
(なお、この中であなたは [93024027] と書いていますがそれは存在しません。おそらく [9324027] のことだと推測します。)
あなたは、[9324027] のつぎの投稿である、
2009/03/30 18:49 [9325971]
で、
> こんばんは
>
> 二つほど補足します。
>
> 《ひとつめ》
と書いています。この投稿で、その前の投稿を補足していると思われます。
さらに、その中では、
> また、「」の中に、‘人’も入れて下さい。(私も、今朝、うっかりコピペして間違えていますが、今後は気をつけます。)
とも書いています。これから考えても、この投稿で前の投稿を補足していることが、さらに強く推測できます。
したがって、これらのことから、私は [9324027] と [9325971] はひとまとめの主張だと受け取りました。
私が、その主張の中にある質問に回答するためには、その主張の内容を理解しなければ回答できませんが、その理解の過程において二羽のウサギさんの主張の中に矛盾があると判断し、それを確認するために [9326643] で、
> あなたは私のこの主張を認めるのですか?認めないのですか?どっちなのですか?
と確認しました。しかしあなたはこれに対して、
> 直前の、はっきり申し上げて、雑なコメントには、あえて返事をしないでおこうと思います。
> こんな質問に答えるようなレベルでの議論はしていないつもりです。
と言うだけで、返答してくれませんでした。
したがって、私はあなたの質問に回答できませんでした。私が回答できない理由は、あなたが、私の確認を無視して返答しなかったからです。
2009/04/03 21:43 [9344502]
0点
二羽のウサギさんの、
2009/04/03 06:29 [9341736]
の後半部分、
> もっと前に、[9311534]で、
>
> >「電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がない。」
> >という理由から導き出せる結論は、
> >「音が変わるとは言えない。」
> >までで、
> >「音は変わらない。」
> >と結論することは出来ない、と思います。
>
> >いかがでしょうか?
>
> とも質問していて、まだ、返答を頂いておりません。
について反論します。
その件については、私は、そのすぐ後ろの投稿である、
2009/03/27 22:40 [9312548]
で、回答済みです。
たとえば、その中で、私は、
> 私の主張は、この変わる派の主張の逆を言っているだけです。
> 変わる派のかたが、短くさらっと言っているのに、変わらない派の私が長く難しく言う必要はありません。
と言っています。私はこれを返答だと考えています。
百歩譲って、あなたが、これを「返答」とはみなさない、今から返答しろ、と、今になって主張されるのも結構ですが、だったら、私の確認の要求はそれよりずっと前に出ていますので、あなたがまずそれに返答すべきだったと思います。
2009/04/03 21:52 [9344561]
0点
二羽のウサギさんの、
2009/04/03 06:38 [9341744]
の前半部分、
> >しかし、あなたの投稿を解釈する限り、「存在」するかどうかについては、結局あなたは私と違う主張をしていません。
> >すなわちあなたは私を「飛躍」していると責めていながら、その根拠として言っていることに矛盾があります。
> >そのため私はあなたのその言動に矛盾があると判断し、あなたの主張を確認しようとしました
>
> これについては、[9330557]で、かなり正確にお答えしてるつもりです。
> ばうさんが、というか、ばうさんと私の間で大きな見解の相違が生じていることを確認し、自分なりにお互いの見解を埋める方法論をご提案させて頂きました。
について反論します。
この中であなたが言っている [9330557]は、投稿日時が、
2009/03/31 18:23 [9330557]
です。
私が、
2009/03/30 21:19 [9326643]
で言った、
> あなたは私のこの主張を認めるのですか?認めないのですか?どっちなのですか?
の確認の要求の後に、あなたは [9330557] を言っています。
私の確認の要求は、あなたに無視されました。
それなのに、私はあなたの後出しの主張を読まないといけないのですか?そんなおかしな話はありません。対等な条件ではありません。
2009/04/03 22:01 [9344601]
0点
二羽のウサギさんの、
2009/04/03 06:38 [9341744]
の後半部分について反論します。
> 次に、私がばうさんのことを「飛躍」している、と指摘しているのは、存在しているかどうか、という次元の話ではなく、
> 体験を語った〜
>
> ・・・まあ、もう一度既出のコメントを良く読んで下さい。
あなたの長ったらしい文章を私に全部読め、と言うのですか?
主張を確認しても無視する人の書いた文章を読む気力は私にはありません。
矛盾がある点を指摘しても、説明してもらえないかもしれないのに、読み続けることは私には無理です。
> 私の中には矛盾はありません。
> ばうさんの中に、誤解(誤読)があるだけだと思います。
> 私は、ばうさんが理解されるのを待っているのです。
まず、私があなたの頭の中にだけある主張をくみとって理解しなければならない義務はありません。
あなたが掲示板に文字として書いたことなら、対等な条件で議論していただけるのであれば、それを理解する努力はしてもよいでしょう。しかし、その理解の過程で「あなたの言う○○と□□は矛盾していませんか?」などと確認したら、それについて答えてくれるのですか?
2009/04/03 22:14 [9344656]
0点
おはようございます
どうも、ばうさんの中の‘議論に負けたくない’保護回路、みたいなものが働いてしまったようで、もう、支離滅裂になっているようです(ただの感想です)。
口喧嘩ではありませんので、勝ち負けに拘る、というか、そういう視点から見る必要はないと思うのですが(ただの感想です)。
初めからやり直しましょう。
わたしが、3月27日から、ばうさんに質問した内容を、簡単に、イエス、ノーで答えられるように再編集しますので、コレに答えているかどうかも含めて、ご確認下さい。
(尚、これは、本日、後出しの質問をしているのではありません。初発の日が、質問の日になります。)
〔お題目〕
ばうさんの主張
「電源ケーブルで音は変わらない。その理由は、電源ケーブルで音が変わるという客観的事実がないからだ。」
3月27日
質問1
「電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がない。」
という理由から導き出せる結論は、「音が変わるとは言えない。」までで、
「音は変わらない。」と結論することは出来ない、と思います。
「音が変わるとは言えない」と、「音は変わらない」の間に論理の飛躍があるからです。
この解釈を認めますか?
(1)イエス、認めます。
(2)ノー、認めません。
(3)ノーコメントです。理由は〜です。
ばうさんの関連する既出の返答
>これは証明ではありません。ご指摘のとおり飛躍がある主張です。
>私の主張は、変わる派の主張の逆を言っているだけです。
解説)
これは、イエスなのでしょうか?
昨日の投稿を拝見すると、既に返答している、とのことですので、ご指摘の通り=「イエス」という解釈で良いのでしょうか。
それなら、半年間、ばうさんは、何を主張してきたのでしょう???
これが、イエスなら、わたしの質問は、以上で終わりです。
返答が得られていないと判断したので、返答を得るために、一つ一つ反応しました。
結果、次々と「『議論のための議論』のための議論」のための議論、が始まっていますが、イエスなら、お終いです。
2009/04/04 07:50 [9346158]
2点
こんにちは
議論を離れて、少しコメントします。
電源ケーブルを変えると音が変わるのか?
これについて、ばうさんの考え(と私が解釈している)、
「電源ケーブルの後に、電源安定化装置(トランスと電解コンデンサー)がついているので、電源ケーブルの電気的な特性が水準以上であれば、多少の性能の違いは、トランスと電解コンデンサーのところで吸収されてしまうはずだ。だから、電源ケーブルを変えても、音は変わらないはずである。殆どの付属の電源ケーブルは一定の水準以上のものだから、これを高価なものに変えても、音が良くなることはないでしょう。」
には、一目置いています。
一方で、例えば、三菱電線工業という電線屋のホームページにあるように、
http://audio-cable.co.jp/SHOP/PC1-15M.ht
ml
以下、引用
「一般に電源ケーブルや屋内配線に流れるのは50(又は60)Hzの正弦波と言うイメージがあるようです。意外に知られていない事ですが、電圧はほぼ50Hzの正弦波を示しますが電流は機器の出力に振られて50Hzの正弦波ではなく広範囲な周波数を含む波形になります。電源が出力に振られると言うよりは、機器は電源から入ってくる電流を加工して出力する(または、動く)わけですから当たり前と言うことでしょうか。広範囲な周波数の電流を上手に電源に供給することが機器の本来の能力を引き出す事に繋がります。」引用終わり
という解説を読むと、
「電源ケーブルに流れる電流は、音楽信号に応じて広範な周波数を含む複雑な波形になる」と読めます。
この件については、半年ほど前に、私の立てたAVアンプのスレで、ばうさんやMinerva2000さん検討したことがありますが、あの時の、
「電源ケーブルから音楽信号に関連した、何らかの情報が抽出できるハズだ。」という予想
の強力な後押し情報だと思います。
電源ケーブルの電気的特性を向上させることが、音質の改善に繋がる、という強力な根拠になりうる現象だと、言って良いでしょう。
三菱電機工業では、銅の結晶構造を変えることで、電気的特性を向上させるという技術を開発して、製品を作っているようです。
実際に音が変わるかどうかは、自分の耳で聴いて見なければ分かりませんが、試してみたくなる、上手な広告(宣伝)文だと思います。
電源ケーブルと電源安定化装置を別々に考えるか、
電源ケーブルも電源安定化装置の一部と考えるか、
によって、見方が変わってくると思いますが、
電源ケーブルの電気的特性の善し悪しは、電源安定化装置の電源供給能力、音楽信号に応じて様々な周波数の電流を供給する能力の善し悪しに、少なからず影響している、と考えることに無理はないと思います。
三菱電線工業が持っている、電源ケーブルに流れる電流の波形、のような情報が手に入れば、「電源ケーブルで音が変わるか」という論争にも、一定の決着がつくにありません。
2009/04/04 12:10 [9346919]
2点
こんばんは
3連投になりますが、もう一つ、コメントします。
これは、議論に関することです。
ばうさんが、「変わると主張する人」は存在するかどうか?
という質問に拘っていて、私が一向に返事をしないこと対して、議論の基本的なルールを守れない行為だと非難されている件につき、私の考えを述べてみます。
簡単に申しますと、
@わたしが、Aとコメントする。
Aばうさんが、Aについて質問する。
Bわたしは、Aについてコメントをした以上、質問に対して何らかの返答をする責任があると考えるので、出来る範囲で返事をする。
というのは、議論のルールだと思います。
ばうさんと、同じ考えです。
今回、この「存在するかどうか?」という質問の件については、
@わたしが、Aとコメントする。
Aばうさんが、Aを改造して、Bというコメントに造りかえる。
Bばうさんは、Bについて、私に質問する。
C私は、Aについては責任があるが、Bについては責任がないので、返事をする必要はない。
という構造だと、認識しています。
だからこそ、「私のAをBと勝手に造りかえては困ります。Bは、ばうさんの作ったコメントですよ。」と、わざわざ、補足でお願いをしているのです。
2009/04/04 19:37 [9348515]
3点
二羽のウサギさんの、
2009/04/04 07:50 [9346158]
> どうも、ばうさんの中の‘議論に負けたくない’保護回路、みたいなものが働いてしまったようで、もう、支離滅裂になっているようです(ただの感想です)。
について、私の「ただの感想」を書きます。
あなたの言っている文章には主語がないので分かりにくいです。
「支離滅裂になっている」とは、誰のことを指して言っているのでしょうかね。
私の考えでは、自分以外の人を支離滅裂と非難するときに、理由すら述べないなんてことは考えにくいです(「保護回路」云々が理由とも思えません)。
理由も示さず支離滅裂と言い放つだけなら、人の言うことをぜんぜん聞かなくてもいくらでも言えます。
したがって、二羽のウサギさんが言う、支離滅裂とは、二羽のウサギさんご自身のことを指している可能性が高いと推測できます。
また、末尾に「(ただの感想です)」と書いても、掲示板に書く以上、その感想を多くの人に読んでもらうことを前提とした投稿ですよ。
でも、あなたが書くのなら私も不公平にならないように、一応末尾に書きます。
(以上は、私のただの感想です。)
2009/04/05 10:58 [9351597]
0点
二羽のウサギさんの、
2009/04/04 07:50 [9346158]
について、私の「ただの感想」を書きます。なお、感想と言っても、掲示板に書く以上、私の意見の表明です。
> 初めからやり直しましょう。
> (尚、これは、本日、後出しの質問をしているのではありません。初発の日が、質問の日になります。)
これはどういう意味でしょう?
テレビゲームのようにリセットするのですか?(あるいはセーブしてあったところまで遡るのですか?)
今までの議論の過程はいったいどうなったのでしょうか?
もしも私が、あなたの「初めからやり直しましょう」に応じたとします。そうしたら、あなたは今後も形勢が不利になったら、またいつでも「リセット」を持ち出して、やり直せることになります。
そうしたらあなたは絶対に負けませんよね?私は絶対に勝てませんよね?(議論を「勝ち負け」と言ってしまうのもどうかとは思いますが、なんらかの「勝ち負け」という概念はあると思います。)
私はいったいいつまであなたの議論に付き合わされることになるのでしょうか?
これはおかしい。私はあなたが「リセット」を提案するのならば、それとセットで、今までの議論について、なんらかの見解を示すべきだと思います。「勝ち負け」の概念で言えば「敗北宣言」です。
私はべつにあなたに「敗北宣言」をしろと強要しているわけではありません。「リセット」というどんでん返しを提案するのならば、それぐらいのことが必要なのではないか?という逆提案をしているだけです。
2009/04/05 11:17 [9351658]
0点
二羽のウサギさんの、
2009/04/04 07:50 [9346158]
に対するただの感想を書きます。
> 解説)
> これは、イエスなのでしょうか?
> 昨日の投稿を拝見すると、既に返答している、とのことですので、ご指摘の通り=「イエス」という解釈で良いのでしょうか。
二羽のウサギさんに対しては、
「(3)ノーコメントです。理由は [9341127] で述べたように羽のウサギさんとはちゃんとした議論ができないと判断したからです。」
[9341127] http://bbs.kakaku.com/bbs/-/So
rtID=8519770/#9341127
という答えになります。
参考までに、二羽のウサギさん以外の掲示板をご覧のみなさまに対しては、
「(1)イエス、認めます。」
という答えになります。
これについては、私は、最初に、
[9312548] http://bbs.kakaku.com/bbs/-/So
rtID=8519770/#9312548
[9315602] http://bbs.kakaku.com/bbs/-/So
rtID=8519770/#9315602 (誤字訂正)
において言い尽くしています。
> それなら、半年間、ばうさんは、何を主張してきたのでしょう???
なんでしょう?改めて問われると面食らいますね。
変わらない派である私の、
「電源ケーブルでは音は変わらない。その理由は、電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がないからだ。」
という主張を肯定するための主張
および
変わる派の典型的な、
「電源ケーブルで音は変わる。その理由は、電源ケーブルで音が変わるという主観的な事実があるからだ。」
という主張を否定するための主張
でしょうか。
(なお、「否定」と言っても別に相手の人格を否定するとかそういう意味ではないです。議論の相手の主張に対し、理由を述べて否定する、議論における正当な行為です。念のため。)
> これが、イエスなら、わたしの質問は、以上で終わりです。
> 返答が得られていないと判断したので、返答を得るために、一つ一つ反応しました。
> 結果、次々と「『議論のための議論』のための議論」のための議論、が始まっていますが、イエスなら、お終いです。
終わり?ということでしょうかね。
2009/04/05 11:38 [9351722]
0点
二羽のウサギさんの、
2009/04/04 12:10 [9346919]
についてコメントします。
> 議論を離れて、少しコメントします。
私は、これは、今までの議論とはまったく別の議論だという認識でコメントいたします。たまたまスレが同じだけであり、別の新しい議論をまったくまっさらな状態から開始したのだという認識でいます。たとえて言えば、今までやっていたテレビゲームAをリセットしてやり直すのではなく、別のテレビゲームBを始めたのだということです。
なお、とうぜんですが、もしも議論の途中で、今後ちゃんとした議論ができないと私が判断すれば、その正当な理由を示して、私は議論を止めます。
> 電源ケーブルを変えると音が変わるのか?
>
> これについて、ばうさんの考え(と私が解釈している)、
>
> 「電源ケーブルの後に、電源安定化装置(トランスと電解コンデンサー)がついているので、電源ケーブルの電気的な特性が水準以上であれば、多少の性能の違いは、トランスと電解コンデンサーのところで吸収されてしまうはずだ。だから、電源ケーブルを変えても、音は変わらないはずである。殆どの付属の電源ケーブルは一定の水準以上のものだから、これを高価なものに変えても、音が良くなることはないでしょう。」
>
> には、一目置いています。
これは私の文章ではなく、二羽のウサギさんの解釈の文章だと思いますが、概要としては否定はしません。私の主張はだいたいそんな感じです。(細かいところは違うかもしれませんが。)
> 一方で、例えば、三菱電線工業という電線屋のホームページにあるように、
> http://audio-cable.co.jp/SHOP/PC1-15M.h
tml
>
> 以下、引用
> 「一般に電源ケーブルや屋内配線に流れるのは50(又は60)Hzの正弦波と言うイメージがあるようです。意外に知られていない事ですが、電圧はほぼ50Hzの正弦波を示しますが電流は機器の出力に振られて50Hzの正弦波ではなく広範囲な周波数を含む波形になります。電源が出力に振られると言うよりは、機器は電源から入ってくる電流を加工して出力する(または、動く)わけですから当たり前と言うことでしょうか。広範囲な周波数の電流を上手に電源に供給することが機器の本来の能力を引き出す事に繋がります。」引用終わり
私は、三菱電線工業は古くからの上場企業であり、その点では信頼できる会社だと思います。その販売関連会社もそれに準じると思います。ホームページにあからさまな嘘を書くことはないでしょう。
しかし、変わる派のかたに多いのですが、メーカーや販売店の謳い文句の文章を読むときに、期待(主観)を交えて読まれるかたがいらっしゃいます。
> という解説を読むと、
> 「電源ケーブルに流れる電流は、音楽信号に応じて広範な周波数を含む複雑な波形になる」と読めます。
↑この解釈は間違いはないと思います。(現実がどうかは別にして、三菱電線工業のホームページの記述の解釈としては間違っていないという意味です。)
「広範な」ということは現実かどうかは分かりませんが、少なくともホームページには「広範囲な」と書いてありますので、ホームページの記述の解釈としては間違ってはいません。
> この件については、半年ほど前に、私の立てたAVアンプのスレで、ばうさんやMinerva2000さん検討したことがありますが、あの時の、
> 「電源ケーブルから音楽信号に関連した、何らかの情報が抽出できるハズだ。」という予想
> の強力な後押し情報だと思います。
↑この導出も基本的には間違いはないと思います。(これも、現実がどうかは別にして、三菱電線工業のホームページの記述の解釈からの導出としては間違っていないという意味です。)
しかし「抽出できる」ということは、測定限界などのようなことを考慮していません。これはホームページには書いてないことですから、読み手の「関連しているのだから、測定器や耳で抽出ができるほどの大きさの情報があるだろう」という推測が入っています。この推測の根拠はどこにあるのですか?
> 電源ケーブルの電気的特性を向上させることが、音質の改善に繋がる、という強力な根拠になりうる現象だと、言って良いでしょう。
↑これは私は飛躍があると思います。そのように言える導出の過程が不明です。
> 三菱電機工業では、銅の結晶構造を変えることで、電気的特性を向上させるという技術を開発して、製品を作っているようです。
↑これは、電気的特性を向上させるだけであり、音質との関連性は言っていないわけですよね。
> 実際に音が変わるかどうかは、自分の耳で聴いて見なければ分かりませんが、試してみたくなる、上手な広告(宣伝)文だと思います。
↑結局、聞かないと分からないわけですよね?宣伝文が読み手の想像力をかきたてているだけということを否定はできないわけですよね。
> 電源ケーブルの電気的特性の善し悪しは、電源安定化装置の電源供給能力、音楽信号に応じて様々な周波数の電流を供給する能力の善し悪しに、少なからず影響している、と考えることに無理はないと思います。
↑そういう仮定を考えることに無理はないでしょう。しかしその仮定が正しいとはかならずしも言えません。「根拠がなくてもその仮定が正しいと考える人が居る」ということを考えることに無理はないと思います。ただ、これは「音が変わったと感じる人が居るのだから音は変わるのだ」ということと同じことです。
> 三菱電線工業が持っている、電源ケーブルに流れる電流の波形、のような情報が手に入れば、「電源ケーブルで音が変わるか」という論争にも、一定の決着がつくにありません。
↑「手に入れば」という仮定付きです。手に入るという根拠がなければ、ただの仮説どまりです。さらには手に入っても、ではその電流の波形と音が変わるということに関係があるかということも、調べる必要があります。
2009/04/05 12:31 [9351931]
0点
ここで、二羽のウサギさんに限らず、変わる派のかたにオススメしたいことがあります。変わらない派のかたにもオススメしたいことです。結局、みなさまにオススメします。
自分がメーカーや販売店になって、なにか商品を売る際にホームページやカタログに載せる、嘘スレスレ(しかし嘘ではない)の売り文句(謳い文句)を考えてみると、分かりやすいと思います。
根拠のある事実(例:この商品はこういう製法で作りました)と、根拠のないただの可能性(例:この製法なら音が良くなると予想できる)を書きます。
読み手にはあたかも「この商品はこの製法で作っているから音が良くなるんだろうなあ。じゃあ買おう。」と思わせるわけです。
売り文句はあくまでも、事実(こうやって作ったという事実)と、可能性(こうやって作ったものなら音が良くなると社内の担当者は考えているという事実)を、並べて書いているだけです。嘘はありません。
JARO からは「嘘・大げさ・まぎらわしい」のうち、「大げさ・まぎらわしい」では指摘されるかもしれません。しかし「嘘」では指摘されないでしょう。
「大げさ・まぎらわしい」で指摘されたのならば、「ちょっと大げさでしたので訂正します。ちょっとまぎらわしかったので補足します。」などという言い分を言えます。「嘘を付いていました。ごめんなさい。」と謝る必要はありません。
2009/04/05 12:54 [9352020]
0点
二羽のウサギさんの、
2009/04/04 19:37 [9348515]
> 3連投になりますが、もう一つ、コメントします。
> これは、議論に関することです。
>
> ばうさんが、「変わると主張する人」は存在するかどうか?
> という質問に拘っていて、私が一向に返事をしないこと対して、議論の基本的なルールを守れない行為だと非難されている件につき、私の考えを述べてみます。
について私の感想を書きます。
私はこれは、私に対する質問ではなく、二羽のウサギさんの後出しの主張にすぎないと捉えています。
なぜ後出しかと言うと、私が言った反論について反論するわけではなく、新たに手を変え品を変え、言ってきていることだからです。
私がこれに付き合っていたら、キリがありません。
したがって、私はこれについてはノーコメントです。
2009/04/05 13:08 [9352071]
0点
ばうさん、こんばんは
ご丁寧に、ご返答頂きまして、有り難うございます。
ただ、なかなか伝わらないようなので、最も大切なところだけでも、取り急ぎお願いしておきます。
私は、ばうさんの、2009/04/05 11:38 [9351722]のコメントで、名指しで、大変な非難を受けています。これについては、私の名誉を著しく傷つける、卑劣な行為だと考えています。ここがカカクコムの掲示板でなかったら、早速、弁護士に相談しているところです(怒)。
言い過ぎです!
また、実社会では到底あり得ないような、誤解(ばうさんの読解力不足に伴う誤った思いこみ)を根拠にした、方言・暴言であるとも考えています。これほど、間違った読み方をしている人に、どうしてここまで言われなければならないのか・・・(悲)
議論の仕方を間違っているのは、あなたです!
私の2009/04/04 19:37 [9348515]の3連投になりますが〜のコメントは、優しく、ばうさんに誤りを自覚して頂ければ・・・との期待を込めて書きました。
後出しの主張でも何でもありません。
ばうさんが、如何に道を誤ったかを、これほど明確に示しているのに、ばうさんは、まじめに読もうともしていません。
何故でしょうか?
負けたくないからかも知れませんが、だからといって、名指しでめちゃくちゃな非難をしても良いということにはなりません。
あそこまでの誹謗中傷を行ったのですから、
私の2009/04/04 19:37 [9348515]の3連投になりますが〜のコメント
を真面目に読んで下さい。
今日のところは、これだけ、お願いしておきます。
2009/04/05 18:37 [9353223]
5点
こんばんは。
電源ケーブルで音が変わるのかそれとも変わらないのか、ということにかなり興味があります。私はオーディオはほとんどわからない初心者です。ただ真実が知りたいのです。このスレを通して読む限りでは、電源ケーブルで音は変わらない、という判断になりそうです。なぜなら、ばうさんがおっしゃっているように、その理由は、電源ケーブルで音が変わるという客観的な事実がないからだ、です。私はこの考え方を支持します。また、これに飛躍があるとも思いません。
2009/04/05 19:40 [9353486]
0点
最近の議論では、むしろ、二羽のうさぎさんのほうに飛躍があるように思います。
二羽のうさぎさんは、直前のコメントで、ばうさんから大変な非難を受けた、と書かれていますが、その 2009/04/05 11:38 [9351722] のコメントには、二羽のうさぎさんに対する非難は私には読み取れませんでした。どのあたりが非難したという表現になっているのでしょう。私が読む限りでは、ばうさんは二羽のウサギさんに対して、至極まっとうな答えをしているように思います。
2009/04/05 19:49 [9353513]
0点
ばうさん、こんばんは
私の質問1に対して、イエスとの返答を頂き、目的を達したようですので、そろそろ、お暇させて頂きたいと思います。
僅か10日間でしたが、色々と、相手をして頂きまして、有り難うございました。
ばうさん研究家の私として、今回、二つの目的を持って、このスレッドにお邪魔させて頂きました。
@ばうさんと、普通に議論が出来るかどうか、を改めて確認する。
Aばうさんが、このスレッドを立てた目的は何か、を確認する。
@については、難しいことを改めて確認しました。不可能だと言っても良いでしょう。
この難しさは、実際に、ばうさんと議論をした人だけが味わえるもので、貴重な体験が出来たと思っています。
‘カカクコムのばうさん’が、アンタッチャブルなキャラクターであることが確認(確信)できました。
Aについても、私的には満足する結論が得られました。
今後は、私の方から、ばうさんに、議論を申し込むことは無いと思います。
これからも、お体に気をつけて、益々ご活躍されることを、陰ながら見守っていきたいと思います。
幾つか無礼な言動があったかと思いますが、議論のためですので、お許し頂ければ幸いです。
最後になりましたが、「参考になりましたか?」を、こんな奥底までお付き合い頂いてクリックして頂いた方々、特に、同じ経験を共有することが出来たお二人には、改めてお礼を申し上げる次第です。
有り難うございました。
2009/04/05 22:01 [9354206]
7点
みなさま、こんにちは。
今までの投稿数が多くなったことと、最近は投稿が途切れているため、これを機会に、数日中に新スレ(Part 4)に移行させていただきますので、あらかじめ予告させていただきます。
なお、それまでの間であっても、新スレを待つことなく、今のこのスレに自由にご投稿くださって構いません。
では、よろしくお願いいたします。
2009/04/11 11:54 [9378248]
0点
スレを上げたついでに、前回の、公正取引委員会の話、
2009/03/13 21:15 [9239573] http://bbs.kakaku.com/bbs/-/So
rtID=8519770/#9239573
について追記します。
いわゆる「マイナスイオン」について、東京都および国民生活センターの報道発表資料について紹介します。
ここで取り上げた「マイナスイオン」はあくまでも一例ですが、東京都や国民生活センターといった公的な機関が、科学的な根拠の取り扱いについてどう考えているか、という参考にできると思います。
東京都 生活文化局 報道発表資料 [2006年11月掲載]
科学的根拠をうたったネット広告にご注意!
"「マイナスイオン商品」表示を科学的視点から検証しました"
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/
2006/11/20gbr500.htm
(このページの中ほどから「※資料 「マイナスイオン商品」表示を科学的視点からの検証について」 http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE
/2006/11/DATA/20gbr500.pdf を見ることができます。)
国民生活センター 報道発表資料 [2003年9月5日:公表]
マイナスイオンを謳った商品の実態
−消費者及び事業者へのアンケート、学識経験者の意見を踏まえて−
http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-200
30905_2.html
(このページの下部から報告書 http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20030905
_2.pdf を見ることができます。)
2009/04/11 13:44 [9378575]
0点
次スレへ移行します。
次スレは、
電源ケーブルで音が変わるのかそれとも変わらないのか Part 4
http://bbs.kakaku.com/bbs/-/SortID=93979
70/
です。
以後は、そちらにご投稿くださるようお願いいたします。
もしも、Part 3 のスレで言い残したいことがある、というかたがいらっしゃれば、Part 4 のスレのほうにご投稿されて、Part 3 のスレには「Part 4 に続きを書いた」という一文と、その書き込み番号などをご投稿していただければと思います。
2009/04/15 16:50 [9397980]
0点
「AVアンプ」の新着クチコミ
内容・タイトル | 返信数 | 最終投稿日時 |
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サブウーファーとの接続 | 1 | 2010/09/30 0:40:43 |
2ch(ピュアオーディオ)としての利用について | 3 | 2010/09/29 22:57:31 |
467〜767のどれかにしようと思いますが、違いがわかりません | 7 | 2010/09/29 12:12:09 |
予約しました | 1 | 2010/09/28 12:42:06 |
スピーカー選びで悩んでいます。 | 2 | 2010/09/28 16:55:45 |
安いので買ってしまいました。 | 0 | 2010/09/27 15:01:08 |
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