きょうの社説 2010年9月29日

◎旧町名復活 11町会に続く動き後押しを
 金沢市で旧町名が復活した11町会による初の意見交換会で、「上石伐町(かみいしき りまち)」「東馬場町(ひがしばばまち)」の復活を目指す取り組みが地元から報告された。1999年に「主計町」が復活して以来、10年が過ぎたが、今も新たな動きが途切れず、住民が旧町名に価値を見いだし、実現の可能性を探っているのは心強い。

 しかも、二つの旧町名は都心部から犀川、浅野川を超えた地域にあり、両河川の間にと どまっていた復活機運の広がりを感じさせる。地元からは合意形成に苦心する声が聞かれたが、せっかく具体化した住民の思いを無にしたくない。旧町名復活の陰で、議論が進みながら立ち消えになった地域はいくつもある。市には、そうした苦い教訓を生かし、これまで以上の手厚い支援策を求めたい。

 「上石伐町」は犀川高台の寺町3、5丁目にあり、戸室山から石を切り出す藩の石工2 0人の居住地があったことに由来する。大工町や鍛冶町などと同じく、職人町を示す城下町らしい町名である。

 一方、「東馬場町」は東山3丁目に存在し、藩士の馬場があったことによる。浅野川界 隈では主計町、並木町に続き、泉鏡花ゆかりの下新町も復活し、金沢の風情が色濃い一帯で好循環が生まれていることをうかがわせる。

 旧町名が復活した町会では、町内の花植えや情報誌の配布、ホタルを育てる構想など独 自の取り組みが始まっている。意見交換会では、防犯や災害時協力などコミュニティー強化につながっていることも報告された。地域づくりを活発化させれば、後に続く町会の大きな励みにもなろう。

 旧町名復活の道のりは決して順調でなく、むしろ試行錯誤を重ね、一つ一つの地域でさ まざまな困難を乗り越えてきた印象が強い。そうした合意形成のプロセスもまた運動の財産である。今回のような意見交換会は蓄積した経験を共有し、復活運動をさらに前進させるうえで貴重な場となる。

 11町会に続く動きを広げるためにも、市の支援策は一層重要である。助成の拡充を含 め、住民の意欲に火をつける、より積極的な対応を期待したい。

◎北朝鮮後継者問題 権力世襲へ前途は多難
 北朝鮮で44年ぶりに招集された朝鮮労働党代表者会の注目点は、後継者と目される金 正日総書記の三男ジョンウン氏の処遇である。ジョンウン氏は既に北朝鮮人民軍の「大将」の称号を受け、後継者の地位を確実にした。代表者会で党の要職にも登用され、3代の「世襲」に向けた布石が打たれる見通しである。

 北朝鮮経済は今、災害被害などもあって極度に疲弊しており、かつて盤石を誇った金総 書記の権力統制力には衰えがみられる。今回、党代表者会の開催が予定していた今月上旬より大幅に遅れた理由について、人事を巡る不協和音や金総書記の健康悪化説などが飛び交っていた。体制のタガが緩むなか、権力の掌握に乗り出すジョンウン氏の前途は多難だろう。

 日本にとっては、暗礁に乗り上げた格好の拉致問題の先行きが気になる。北朝鮮が「改 革・開放」へと路線変更に踏み切る兆しが見られるなら、期待が持てる。中断したままの6カ国協議の再開とともに、菅政権は辛抱強く北朝鮮にシグナルを送り続けてほしい。

 金総書記がジョンウン氏に大将の称号を与えたのは、軍がすべてに優先する「先軍政治 」のもと、軍への影響力を固める狙いがあるとみられる。大将にはジョンウン氏のほか、金総書記の妹を起用した。軍隊経験のない女性としては異例の人事であり、一族を挙げてジョンウン氏を支える意思表示をしたのだろうが、身内を総動員して支えなくてはならないほど、金総書記の影響力が落ちているとの見方もできる。

 金総書記は、書記時代に大韓航空機爆破事件を主導したとされる。権力掌握へ向け、実 績づくりをする狙いだったのだろう。ジョンウン氏は軍や党の掌握に向けて何を考え、どんな手を打つのか、それによって北朝鮮および東アジアの未来は大きく変わるだろう。

 ジョンウン氏は、1996〜2000年まで、スイスの首都・ベルンにある公立の小中 学校に在籍していたという。幼少期に欧州で自由な空気を吸った経験が性格形成に良い影響を及ぼしていることを望みたい。