でら!名古屋 


「 あ い ど る 」



ナナちゃん
  

  名駅・名鉄セブンの前に、まるでドリフのひげダンスのようなポーズで立っている。季節や話題に合わせて衣装をかえる、おしゃれな「ナナちゃん」は、待ち合わせ場所として中高校生にも人気の場所。写真は「グランパスエイト」のユニフォーム姿。背番号も「77」ナナちゃんだよ。


盲導犬サーブ
   

  盲導犬サーブは、目の見えない飼い主を助けるために、暴走してくる自動車にはねられ、左前足を失った……という話は知ってるかな?岐阜県美並村(高山市方面)の話しなんだけど、名古屋駅前・松坂屋の前のあたりに、この「サーブ」の功績を称える銅像があって、待ち合わせ場所として人気があった。
  2003年2月12日、栄の
中日ビル前・久屋大通り公園に引越し。栄の交通安全を願ってくれていることでしょう。


チカちゃん
  

  「♪もぐらのチカちゃんいったとさ、なんなん名古屋の地下八丁〜」楠トシエさんが歌っていたこの歌を歌える人は、かなりの「通」!ですな。
  昭和40(1965)年、
日本で初めてのショッピング地下街・サンロードが誕生した。そのサンロードのキャラクターが、この「もぐらのチカちゃん」です。昔は「名古屋人は地下に住んでる」なんて、よくいわれたものだけど、今でも名古屋の地下街面積比は、日本一なんだって。


東山動植物園
  

  ここで、名古屋の動物園の歴史です。
明治後半(1900年前後)、中区前津町で動物商を営んでいた今泉七五郎氏が、大須門前町で、動物の見せ物小屋「波越教育動物園」をやっていました。ところがこれがなんたって人の多い町中なので、悪臭の苦情が盛り上がってきたのよ。
  そこで、動物たちを名古屋市に寄付することになり、大正7(1918)年鶴舞公園内に移動させることになったのです。動物園のある鶴舞公園は昭和3年の名古屋博覧会、昭和8年の世界動物探検博など、2ヶ月間の開催で150万人を記録する、大変な賑わいをみせていました。
 やがて動物も増えて手狭となった動物園は、名古屋市の東部森林開発の一環として、まだまだ山だった場所に「東山動植物園」を計画し、昭和12(1937)年3月開園、現在に至る…のであります。
  現在は、単に動物園というだけでなく、メダカやカエルなどの小生物の研究や、一万歩コースといった散策路など、充実した内容の「動植物園」です。東山のアイドルは、やっぱり「
コアラ」かな。

  2001年4月15日には、
カバの「重吉」(オス)が死亡した。重吉はアフリカのケニアの首都、ナイロビ郊外で捕獲されてやってきた野生のカバ。なんと日本最高齢記録の53歳!まで生きていたんだよ。4年前に死亡した「福子」との間には、19頭もの子ができ、国内26の動物園に、現在も、合計53頭の子・孫・ひ孫・玄孫(やしゃご)がいる。
  そんな超アイドル「重吉」「福子」の2代目カップルが、2002年に誕生した!大須観音での結納や、「嫁入り家具」のパレードも大須〜東山動物園までやったよね。またまた末永〜く、愛されていくことでしょう。


名古屋港水族館
  

  名古屋港の一角に水族館がある。目玉はなんといってもペンギン海ガメ。2001年秋には世界最大級の海水プールにスタジアムがオープン。白イルカのショーが見られるのかな?やっと2003年11月に「シャチのクーちゃんが来てくれました〜!
  2000年2月20〜23日、シャチが堀川に迷い込んできたことがあったのよね。3キロほど上流の白鳥橋付近まで入ってしまって、そりゃぁもう大騒ぎ。これはそのころ伊勢湾に入り込んできていた12〜3頭の群れの1匹と思われていますが・・・いやぁ〜この時捕獲しておけば・・・。
  近辺には遊園地「
シートレイン」に、レストラン・ショッピング街の「ジェティ」、「ガーデンふ頭臨港緑園」には南極観測船「富士」があって、「タロとジロ」の銅像がある。
 
夏の花火、冬のイルミネーションも盛り上がってる。



藤前干潟
   

  東海地方で初めて2002年11月18日、正式名称を「特に水鳥の生息地として重要な湿地に関する条約」という「ラムサール条約に登録」された。
 
藤前干潟とは名古屋港に流入する庄内川・新川・日光川の河口干潟を中心とする区域で、伊勢湾奥部に残された唯一の大規模な干潟。北半球の繁殖地と南半球の越冬地を往復するシギ・チドリ類の中継地として重要で、渡来数11,000羽を記録している。
  名古屋港内に残るこの約89ヘクタールの干潟には、名古屋市などが焼却灰や不燃ゴミなどを埋め立てる計画があったんだけど、各環境団体が運動を起こし、見事に行政をひっくり返したというものです。
  上の写真は
ハマシギ。その他ウミウ、ユリカモメなど、多くの渡り鳥が見られる。
  こんな野鳥の楽園を名古屋市内に残すことには大きな意義があり、これこそ濃尾平野のもともとの姿ではないかと、私は思っています。



アイちゃん
   

  犬山市には「日本モンキーセンター」があって、ゴリラやオラウータン、チンパンジー、ニホンザルなどの研究をしていて、あの天才チンパンジー「アイちゃん」もここにいる。(写真はアイちゃんじゃないよ)……残念ながらアイちゃんには会えそうにないけど、めずらしいサルたちにあえる「モンキーパーク」は、世界で唯一のサルだけの動物園です。


文鳥と金魚
   

  文鳥の歴史は140年くらい。江戸後期の元冶元(1865)年頃、尾張藩の武家屋敷に女中奉公をしていた「八重女」という女性が、奉公先から桜文鳥(写真上)を土産にもらい弥富町に嫁入りしたのが、海部郡弥富町(あまぐんやとみちょう)の又八地区の文鳥飼育の始まりとか。文鳥の生まれ故郷はマレー半島やインドネシアで、中国を通して日本の武家に伝わったようだ。
  明治初年になって突然変異で「白文鳥」(写真右)が誕生。これを飼育改良の結果、現在の
日本唯一の白文鳥の特産地・発祥地として発展。
  残念ながら今では文鳥の需要もへり、生産者も激減。このままでは無くなってしまうかも?!日本で愛され、生まれた「ブンちゃん」、一度は飼った経験あるでしょ?


  弥富町にはさらに有名な金魚もある。文鳥よりちょっと前、文久元(1861)年に奈良・郡山の金魚商人が東海道・宮の宿(名古屋市熱田)への道中、前ヶ須(弥富町)の宿場町で金魚を休ませる池を作って放していた。その愛らしい姿に魅せられた地元の寺子屋が金魚を買い受けた。それが養殖の基となり、明治に入って採卵・ふ化に成功、本格的な養殖が始まったとか。
  現在では、日本にいる金魚の全品種・約25種のすべてが揃う
日本一の生産地として、弥富町周辺に金魚池?が広がっている。
  平成6年にスペースシャトルに乗って宇宙に飛んだ
宇宙金魚も弥富町出身なんだよ。写真の金魚は「タンチョウ」。