KoichiYasuoka 2010/09/28 22:28
>うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いにひどかった時期であり
と主張するのなら、1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。
2010-09-28 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
私が書いた部分を見ていただければ、
山田尚勇が述べる歴史の順序は、
- マッガリンはじめ先覚者が 鍵盤を見ないで打つ打鍵を説いた。
- 人々はタッチタイピングの先覚者たちの「鍵盤を見ないで打つべき」ってな言を信じなかった。
- そして1888年の、マッガリンとTraub(山田尚勇にはTaubとある。)の一揆うちがあり、ここで一応の決着をみる。
ってな流れでは。たぶん。
つまり、うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いに ひどかった時期であり、それを過ぎてからは、事実の前に、説き伏せるための引用可能な根拠ができ、信じる人も徐々に増えていったってことだろう。
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
ということで、山田尚勇の 私による勝手に代弁部分であり、私の主張ってわけでも 必ずしもない、。また、断定のつもりはありませんでした。断定しているように読めますでしょうか?
あと山田尚勇原文には、そしりを受けた可能性のある「被そしり受信者なり論難こうむり者」は、
The Truth of QWERTYAny pioneer who suggested that typists need not look at the keys (
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループgoogle:タイピストは文字鍵盤を見る必要がないと提唱した先駆者たち -raycy
タイプライタ入力法の発展)
CiNii 論文 - A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels
とあり、「He」
タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループHe was never jeered as a faker,
The Truth of QWERTY
彼McGurrinひとりに限定されてはいない。
私としては、「そしり」流言があったとすれば その埋蔵場所時期候補としては、山田尚勇に、
1900年までの間にようやく全指を用いるタイプ法が抬頭してきたが、それでも約半数のタイピスト学校では依然として鍵盤を見ながら打鍵する方法を教えていた。やっと1920年になってエサリッジ( Etheridge 1920, p.242)が次のような論評を書いている。
タイプライタ入力法の発展
とあるので、
なので、鍵盤を見ないタッチタイプへの「そしり」なり「批判」的なものが、半数のタイピスト学校の教師やらによってもたれていたとも考えられ、
「そしり」を見つけられる可能性のある範囲としては、遅ければ1920年まで 早くとも1900年ごろまでには、あるかもしれない と、思っています。
これは、1888年7月25日以前の証言とは 相反するようですが、そうではなくて、
1888年7月25日以前のほうが、「大いに ひどかった時期であり、」、漠然と根拠なくではあろうが 「そしり」には強いものがあったであろう、、
その「そしり」やら「批判」は徐々に減衰していくが、1900年あるいは1920年ごろにまで、根深く 隠然とあったであろうってな仮説をとってみています。
(でも、その「そしり」の性質は、1888年7月25日ごろ以前と以後では、その性質が、変わってくるでしょうかね、。)
Simple Touch-Typing「「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ:そういったコツが知れ渡るまでは、一般人には無理だとか、、そういう理解が多かったとか、、
このような仮説設定をしてから、広めの構えをもって網を張って、傍証なり反証なりの調査収集に 当たるべきでしょう、、ってな気持ちです。
FとJ |
ベイツ・トリー(Bates Torrey)のタイピング法
ベイツ・トリー(Bates Torrery) は、1889年に「Practical Typewriting: All-Finger Method」と云う両手の8本の指と親指を使う教則本を 発表しています。このタイピング法は、「Guide-Key」(アンカーキー)を取り入れた最初の方法で、左手の小指を「A」、右手の小指を「P」に置き、指の分担に従って打鍵することを基本としています 。目的の文字(キー)への指の移動が「Guide Key」から相対的に移動すると云う「相対操作方法」の始まりと云うべき画期的な操作方法でした。
タッチタイピングの本質
とある。
AとP
FとJだっけ、またAと;
(1915年8月3日成立)は、キーボードのAとセミコロンに嵌め込む「キャップ」の特許である。
キーボードのFとJの目印 - yasuoka の日記
でもなかった、、
The Atlantic: 第 193 巻
Cairns Collection of American Women Writers - 1954 - スニペット表示
Mrs. Longley might have lost the argument if another rebel, Frank E. McGurrin of Salt Lake City, had not appeared on the typewriting scene. McGurrin was the official stenographer for the Federal Court in Salt Lake City, ...
McGurrin was the official stenographer for the Federal Court in Salt Lake City - Google 検索
とあり、また、同誌には
Bruce Bliven,Jr., The Wonderful Writing Machine
The Atlantic - Google Books
ブルース ブリーヴェン Jr.だかも引いてあるようだから、あるいは そっちから引いてきているのか。
「jeered as a faker」とかってのは、あるいは、どっかから引いてきたのか、、どこにあるかわからぬが、、
存在しない記事を参照する方法
2010-09-28 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
「悪魔の証明」、そしり表現はないとして、できることといったら
「鍵盤を見ないで打つ打鍵法に対する評判の証言」を枚挙するの法ってことぐらいになりますかね。
だが、鍵盤を見ないで打つ打鍵法ってこと自体の知名度が低かっただろうから、
評価を立てるには、鍵盤を見ないで打つ打鍵法ってアイディアが広まってから、、
それは、1888年7月25日以後ってことかなあ、、うむ。
でも、McGurrinによれば、勤務先オフィスが1878年のレミントンNo.1調達したころから?、タッチタイプ法が試みられテストされはじめ、
http://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Edward_McGurrin#The_First_Touch_OperatorHe ( D. E. Corbitt? ) bought a second-hand No. 1 (Remington) Typewriter,
Utah州成立とFrank Edward McGurrin - yasuoka の日記I made up my mind that whatever a girl could do I could do, so I set to work to learn to operate without looking at the keyboard. I discarded my former method of two or three fingers and determined to use all of my fingers. Before the end of the year 1878 I could write upwards of 90 words a minute in new matter without looking at the keyboard.
1881年には、第三者によって観察されていたようであり、、
スラッシュドット・ジャパン日記検索: ビンゴビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。
国際速記者会議とタッチタイピング - yasuoka の日記
1886年ごろには、速記の雑誌などに載りはじめ?
1887年には確実に載っている
「"Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.
Men who can transcribe down their shorthand notes on the typewriter without looking at the keys and as rapidly as an expert pianist can meander his fingers over the cadenzas in one of S. R. Mills's capricios, don't grow on every bush」
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#McGurrin
1888年にいたるまでの、潜伏期間は あった、、
着色を、ピンク(疑義)からグレー(真偽不明)に、まあ格下げしとくべきでしょうかね、
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループTuesday, August 08, 2006
He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).
http://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html
疑義、疑念、反論、反証、真偽or適不適の判別が微妙なもの、成立していると見做しているもの
色分け凡例 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
真偽不明レベルへ。
論法としては、先の記事だけでは納得できませんが、。
貴殿による2010/09/28 22:28の付加コメントも加味してなら、
2010/09/28 22:28
Frank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いた
2010-09-28 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
まあ、充分な反証を探し当てるのは、なかなか困難でしょうね。
google:They are called upstrike typewriters and their typebars never jam. -raycyThe Truth of QWERTY:Tuesday, August 29, 2006)
ところで、
2010/09/29 07:45
この論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生
2010-09-28 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
には、この文言「jeered as a faker」の訂正も 託されたうちに入っているのですか?
山田尚勇氏が「jeered as a faker」を書いた典拠あるいは経緯は、把握済みなのでしょうか。
あと、「タッチタイピスト」なんかについても、安岡孝一先生の最新研究の成果を、反映なさるおつもりでしょうか。
安岡孝一ら「今で言うところのタッチタイピスト」;山田尚勇「今日でいうタッチ・タイプ法とは」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
鷗外全集: 著作篇 - Google ブックス
- 鷗外全集: 著作篇
- 此詞を餘り正直に閡いて、源氏物語の文章を謗られたのだと解す
”謗られた” - Google 検索大国聖日蓮上人 - Google ブックス
- 大国聖日蓮上人 tanaka chigaku - 608 ページ -
- ... の信やる宗法佛神を謗られたものと誤解して起す所の怨嫉である。
ここは ぜひとも、筋だてとしては、そしりを受けていてほしいものだが、
「was jeered as a faker」
"Personals", The Salt Lake Daily Tribune, Vol.XXXIII, No.45 (June 7, 1887), p.4, l.5.
Men who can transcribe down their shorthand notes on the typewriter without looking at the keys and as rapidly as an expert pianist can meander his fingers over the cadenzas in one of S. R. Mills's capricios, don't grow on every bush.
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#McGurrin
そしりがあったとすれば、
「without looking at the keys」ってな打鍵法が、それだけ衝撃的であり、にわかには信じがたいものであったってことでしょう。それを真に受けて1878年ごろから試したMcGurrin?
と、散々鍵盤を見ずに打鍵する法について論じてきているが、、
そんなことは、タッチタイピングの本質とは関係なくて、ってな説も、ありうるのかな、、
FとJ |
キーボード ランドマークの歴史
1882年のLongleyの講演では、スペースキーをすぐに打てるとあるから、(右手?)親指をスペースキーに載せとくようなことはあったのかな、、
トーリーの教本1889年には、左手小指はAに 右手小指はPにタッチってなふうに、書いてあるとか、、
打ち下ろしたときに右手小指がA 左手小指が;だかPだかってのは、1891年ごろの教本で見たかな
その後、
全キーマーカーやら
小指マーカーやら
親指マーカーやら、
人差し指マーカーやら
やがて
私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど
>文献の選択として、的外れではなかろうか。
安岡孝一氏による山田尚勇の読み方。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループとまで書いて、私を「うそつき」よばわりした以上、存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。
2010-09-28 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
そんな、、
こんなことで言い争うつもりもありませんが、
先に論証して見せてらっしゃるのは、貴殿の
「 私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いた 」っていう部分じゃないでしょうか。貴殿御自身の知を神化なさっていらっしゃるのか。
「悪魔の証明」質問答弁文例集 - 霊犀社2
未検討 |
作業中 |
1904年ごろのアンダーウッドのタイプバスケット配列(スティックニー特許による)
安岡孝一氏が提起したことは、「ちょっとまってくださいよ、フロントストライクじゃなかったんですよ、アップストライク式だったんですよ、QWERTY-1882に至る時期は。」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループStickney特許のタイプバスケット並びに対応させてキーを再配置したならば、どうなるであろうか。 - QWERTYの史的とぐろ?raycy - qwerty-history-jpグループ
Q A 2 Z W S 3 X E D 4 C R F 5 V T G 6 B Y H 7 N U J 8 M I K 9 , O L - . P ;
に変えて着色しなおす。
1904年当時のアンダーウッド |
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1904年Stickney特許 |
|
HN あるいは NHは、低頻度なgoogle:BIGRAMであろう。
タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram出現頻度
きめ台詞としての「隣接タイプバーの連続動作機会の低減」
これに、確率的とかBiGramとかのキーワードも入ってたほうが、それっぽいかな、。
ブラインド‐タッチ‐タイピスト っていう言葉が、必要ですかね、それだと、、 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ安岡孝一氏が主張する2005年来の「Traubのタッチタイプ」の内実は、2008年3月になってようやく『キーボード配列 QWERTYの謎』で示された。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ(1886年 Traub )
キーボードを全て空白にした『カリグラフ№2』で、エキシビションをおこなったりもした。トローブは、今で言うところのタッチタイピスト――もちろん当時そんな用語はないが――だったわけである。(87ページ)
山田尚勇
# タッチ・タイプ法の出現
今日でいうタッチ・タイプ法とはタイプライタ操作の際、
(1)10本の指全部を使う(実際は9本の人が多い)
(2)打鍵する際に文字盤を見ない。その理由は;
a より速く打つためと
b 疲労度を軽減するため
ということである。
タイプライタ入力法の発展
安岡孝一氏は
Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys was jeered as a faker. -- Hisao Yamada: "A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels", Journal of Information Processing, Vol.2, No.4 (February 1980), pp.175-202.
He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).
The Truth of QWERTY
と書いた。
山田尚勇原文の訳文らしき該当箇所をみると、
ソルト・レーク市のF・E・マッガリン( Frank E.McGurrin )は連邦裁判所の公式速記者を勤めていた人であるが、この人こそロングリー夫人とは独立に、真のタッチ・タイプ法を開発した人であった。つまり彼は10指全部を使ってタイプし、しかも鍵盤に目をやらなかったのである。しかし、タイピストは文字鍵盤を見る必要がないと提唱した先駆者たちは、皆いかさま師だといわれ嘲笑された。
シンシナティ市出身のルイス・トーブ( Louis Taub )といわれる人物は、タイプライタは両手の合計4本の指で操作すれば必要充分であると信じていた。
そして両者はタイプライタの業界の醵出した賞金を目指して、1888年7月25日にシンシナティ市で歴史的な対決をすることになったのである(図6参照)。
山田尚勇が述べる歴史の順序は、
ってな流れでは。たぶん。
つまり、うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いに ひどかった時期であり、それを過ぎてからは、事実の前に、説き伏せるための引用可能な根拠ができ、信じる人も徐々に増えていったってことだろう。
安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。
原文の該当箇所は
CiNii 論文 - A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels
KoichiYasuoka>うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いにひどかった時期であり
と主張するのなら、1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど
>文献の選択として、的外れではなかろうか。
とまで書いて、私を「うそつき」よばわりした以上、存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。それが出来ない限り、この件について私は引き下がる気はありませんので、そのおつもりで。
raycy……というようなことになるので、(名誉毀損とか 法的措置とか、?) もし、「そしり」が世間にあったとしても、
「そしり」要素は、普通はなかなか記事とはならず、 記事中には 存在しないってなことになるのではないでしょうか、
もしそのような「そしり」のうわさがあったとしても、 日記やら、(あるいは 小さな集まりでのクローズ性がある程度確保できる集団内での) 非パブリックな分野での文献でないと、存在確認は難しいのかもしれません。
ところで、
私の書いたのは、cfの文献選択が適性的に どうなのか といっているわけです。
私には、安岡孝一先生が 広く 当時の流言を当たっての 自信をもっての御主張とは思い至らずに書いた面もあった。
安岡孝一先生は 記事を当たって、 そんな記事は 見つからない。とおっしゃっている。
(私としては、記事という形態を当たるだけでは、なかなか探し当たるのは難しい性質の 主張 であろうということを このコメントで付言しました。)
KoichiYasuokaですから「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げているのです。あなたは私(安岡孝一)のhttp://yasuoka.blogspot.com/2006/08/frank-e.html
に対して
>文献の選択として、的外れではなかろうか。
とまで書いたのでしょう? それを示していただくまでは、私としては一歩も引く気はありません。ここで引いたら、私にこの論文の訂正を託して下さった山田尚勇先生にも、申し訳が立ちませんからね。
『キーボード配列 QWERTYの謎』の読者の中には、「アーム式タイプライター」の誕生が「『Daugherty Visible』(1893年発売)」以降、といった具合に理解なさっている方が、少なくとも三名はいらっしゃる。
拝啓 オーストラリアPowerhouse Museum 学芸員殿(?) - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
- 「アーム式タイプライター」http://quolaid.blog13.fc2.com/blog-entry-827.html#comment
- 「アーム式のタイプライター」http://baseviews.com/media/typewriter-and-19th-century-media.html
- 「タイプライターでアームがジャムらないようになんてうそ!この配列になった時は、まだアーム式じゃありませんでしたー」http://twitter.com/errie/status/15311892327
思い、
Frank Edward McGurrinがタッチタイピングを始めたのは、『The History of Touch Typewriting』(Wyckoff Seamans & Benedict, 1900)で本人が語ったところによれば、以下のようないきさつである。
Mr. Welch was dictating from his notes to a girl who was running the typewriter while looking out of the window. All this while she was writing from dictation at a very rapid rate. … I made up my mind that whatever a girl could do I could do, so I set to work to learn to operate without looking at the keyboard.
要は、1878年Grand Rapidsにいた頃、Daniel E. Corbittに騙されて、いもしない少女タイピストに打ち勝つべく、タッチタイピングに手を染めたということらしい。ただ、この『The History of Touch Typewriting』には微妙にアヤシイ記述が散見されるので、鵜呑みにするのは危険だろう。
Utah州成立とFrank Edward McGurrin - yasuoka の日記
1881年9月1~2日にシカゴで開催されたInternational Convention of Shorthand Writers of the United States and Canadaの議事録に、Theodore Cuyler Roseの以下の発言を見つけた(pp.38-39)。
He didn't look at the machine, at all, but kept his eye on the copy.
ビンゴ。1881年にグランド・ラピッズの法律事務所に働いてて、しかも毎分97ワードでタッチタイピングできた若者なんて、どう考えてもFrank Edward McGurrinしかいないじゃん。しかも、翌年の1882年8月31日~9月1日にシンシナティで開催されたInternational Congress of Shorthand Writersの議事録には、Elizabeth Margaret Vater Longleyのこんな講演があった(p.15)。
; and who would expect to attain any great degree of success as a pianist or organist unless all the fingers and the thumbs were brought into use?
But by utilizing all the fingers and thumbs, there need be almost no loss of time. If the hands are held over the key-board, the fingers will reach to the extreme right and left, and each be in position to do duty, and the thumb will be in readiness to strike the space-bar.
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#Longleyダブルビンゴ。「全指タイピングのススメ」…。つまりElizabeth Margaret Vater Longleyは、Frank Edward McGurrinのタッチタイピングの噂を(たぶんMcGurrinという名すら知らずに)聞きつけてから、全指タイピングを編み出した、ということになる。
ただ問題は、1881年シカゴ会議の出席者の中に、Elizabeth Margaret Vater Longleyの名前がないことだ。息子のLeonel Anzuletta Longleyは、両方でずっとExecutive Committeeをやってるので、息子を経由してっていうパターンだろうか?
国際速記者会議とタッチタイピング - yasuoka の日記
ってか、議事録って、2007年でも閲覧可能なものなんですか。
タイプライターに関わる先行研究やら同時期研究、さらには、速記の大会でもある、、
息子を介せずとも
サーベイしていた可能性は あろうに、、
これによって、鍵盤を見ることなく打鍵するメソッドの存在が、一般にむけて、ある程度知られるきっかけとなった。
- この時期あたりをもって、山田尚勇は「タッチタイピングの発見」と呼んでいるようであり、それを発売時期から約15年後と、している。
- この「発見」の語義は、コロンブスの発見とも似ており、それより以前から存在はしていたかもしれないが、広く知られることが無かった、、
- タイピングスクールの全てが、タッチタイプを支持するようになるのは、山田尚勇によれば、発売時期から約40年後と、している。1913年から1915年ごろか、。
タッチタイプと?頭の動き、?視線の動き、?手の動き - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ山田尚勇 「しかし、タッチタイプというものが「発見」されるまでにはアメリカでもタイプライタ発売後約15年はかかっており、タイピスト学校の全てがそれを受容するのには発売後約40年もかかったのである 1)。」http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100301#bookmark-19672093
1)Yamada, H.: A Historical study of type-writers and typing methods: from the position of planning Japanese parallels: Qournal of Information Processing, Vol. 2, 175-202(1980)〔小笹和彦訳, bit, Vol.13(1981), 6回連載〕
CiNii 論文 - タイプライタの歴史と日本文入力 (<特集>日本文入力法)
初期のRemingtonタイプライター(44キー大文字のみ)には、大きく分けて3種類が知られている。
- 1874年4月発売のオリジナルモデル(マシンの向かって右側に「行送りハンドル」があるが「キャリジ戻しレバー」はない)、
- 1876年頃発売の改良版モデル(右側に「行送りハンドル」も「キャリジ戻しレバー」もない)、および
- 1878年以降発売の装飾品モデル(右側に「行送りハンドル」と「キャリジ戻しレバー」がある)
である。
「Type-Writer」か「Type Writer」か - yasuoka の日記
とあったが、
中国新聞の考えるタイプライター - yasuoka の日記
1875年12月16日付けの『The Nation』には、タイプライターの一面広告が掲載されているのだが、見ればわかるとおり
LOCKE, YOST & BATES の タイプライター(社?) 住所ブロードウェー707
Sholes & Gliddenとは、書いてない? はっきり読み取れないが、どこかに書いてあるのかな、、
レバーが本体の右横テーブル上に 外して置いてあるみたいだ。このレバーは どのレバーかな、「キャリッジ戻しレバー」かな。もしそうなら、先の安岡孝一氏の分類基準では、
1878年以降発売の装飾品モデル(右側に「行送りハンドル」と「キャリジ戻しレバー」がある)
「Type-Writer」か「Type Writer」か - yasuoka の日記
ってことになるのかな、。
すると、
1875年12月16日付けの『The Nation』には、タイプライターの一面広告が掲載されている
中国新聞の考えるタイプライター - yasuoka の日記
とで時間の順序が、年号が、、 あれ?なんかよくわからなくなってきた、、どういうことかな、、
2010 年 05 月 30 日yasuokaの日記「初期のRemingtonタイプライター(44キー大文字のみ)は、大きく分けて3種類」について、検討するかも。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
当時の商標に関する考察は、このページ
Re: TYPEWRITERとPROPERTY - yasuoka の日記に記しておいた
中国新聞の考えるタイプライター - yasuoka の日記
を見たのをきっかけに、ちょっと当たりなおしてみている、、
"TYPE WRITER" - Google 検索
Google Books で 1873年から1875年で指定して、"TYPE WRITER"の検索結果をみてみている。
"TYPE WRITER""Type Writer"もしくは"type writer"で、注意をひいたものをいくつか挙げとく、
期間を指定 1867-1875 日付順
"TYPE WRITER" - Google 検索
気になる箇所をリスト
安岡孝一氏は、Chicago製造銘のThe Type Writerは、リセール品、ウエスタンの自家使用品の再販品であるとの説を唱えていた。
物証のうち、その現況が留めている様相は、当てにならない説。ジョーカーかエースか… 切り札?とどのつまり、 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループThursday, June 10, 2010
This is an early S&G (serial number 225), designed to be used with a foot treadle for the carriage return.
The machines were used to receive and write down Morse telegraphs in the Union Telegraph stations, and then, in between 1878 and 1881, they were replaced by new machines "Remington No.2". Some of them were possibly resold by the Western Electric Manufacturing Company.
posted by Koichi Yasuoka at 10:36 AM
(About Me Name: Koichi Yasuoka Location: Kyoto, Japan # 業種: 教育 # 職業: Associate Professor)
The Truth of QWERTY
この氏の説について、すこし疑問に感じた。
ひとつには、ステイガーらに対する1872年から1873年の売込みと採用検討の様子の記事(1888年のデンスモア投稿)、によれば、電信の音声直接聞き取り受電用途には、タイプライターは結局採用されなかった、と、読めたからである。
They failed at that time, to get other telegraphers to learn to use the typewriter, and, as otherwise the typewriter enterprise was somewhat incompatible with their electric manufacturing business, they were induced to release their contract and agency, and thereby they separated themselves from the business.
Thus is was not Mr. Butler, nor the Elmira man, nor any one else but Mr. Porter, who first demonstrated the entire feasibility and unqualified success of using the typewriter for receiving telegraph dispatches. And the day will soon come when operating telegraphers will of necessity be required to use the typewriter for that purpose.
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/QWERTY/#Porter
もっとも、安岡孝一氏が代替したとしているのだから、何かの裏づけがあるのだろうか。デンスモアは、しょせん電信会社の外部の人間ではあるし、、。
あっそうか、電信受信用に使ったのではなくて、清書用に使ったのかな?ならば、清書用に自家用としてたっていうのならば、清書用の使用とその置き換えってのは、それだけだけでも結構な量 あろう。
それにしても、もし、置き換えによってリセールしたというのなら、その時期は氏によれば、
In my opinion the stencil and decoration were wrote at the time of reselling around 1880 or after.
The Truth of QWERTY
次にのべる 代理店契約の開始時期の点で、どうかなってのがある。
安岡孝一らの『キーボード配列 QWERTYの謎』には、たしか、レミントンのイリオンの工場から、デンスモアらのところへと、ほぼ同時にステイガーらのところへも、発送された、とかあった。
ウェスタンかんたらは、秤の会社に権利を譲渡するまでは、西部シカゴあたりのタイプライター販売代理店であった。
ウエスタン 電器製造だかが、タイプライターの販売代理店活動を、その初期から行っていたとすれば、
販売ルートがウェスタンエレキ系のは、The Type Writerだった可能性がでてこよう。
また、販売における、銘は、代理店にて 勝手に銘づけしていた可能性も あろう。
ウエスタンエレキテレ製造がいつごろから、外販していたか、、
タイプライターのブランド名のハイフンについてまで、デンスモアらのコントロールは及んでいなかったのではないか。
Type-WriterもTYPE-WRITERもType WriterもTYPE WRITERもtype writerもあったのでは、、
広告印刷物とか、銘とか、、
ロゴ コントロール、、
当時のセールスマンは、ハイフンの入ったこの「The "Type-Writer."」という広告と共に、タイプライターを売っていたわけだ。
中国新聞の考えるタイプライター - yasuoka の日記
果たしてそう言い切れようか。
そもそもフロントパネルに何も書いていなかったからこそ起こってしまったのだが、
「Type-Writer」か「Type Writer」か - yasuoka の日記
もしそうならば、各販売代理店が独自に打った広告に見られるロゴなども、その販売代理店のセールスマンの実演時に顧客によって比較参照される文字列の候補となろう。
ならば、代理店ごとに、いくらか異なったブランドロゴが出現していたってなことも、考えられよう。いくつかの商標表示が並存していたってな、、
たとえば
ブランドであったかどうかは、さておき、うかつだったが、typewriterで検索していなかった。
検索語:typewriter 指定期間:1866-1875 日付順
"TYPEWRITER" - Google 検索
なさそうかな、、
日記側の記録としては、"type writer"は 見たことがある。
刊行物としてではない、非メーカー販売系の 独立個人の記録では、
"type writer"は見た。一箇所だけ。
April 15 (maybe 1875)
raycy @ wiki - Reports of the President and TreasurerMr. Martin then exhibited in operation, and described a "type writer," a machine to supersede the pen in manuscript writing.
Reports of the President and Treasurer
他に有るかな、、
Hall's journal of health, 第 20 巻
【途中】"TYPE WRITER","Type Writer"もしくは"type writer" - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
ただ使い勝手が 書いてあるのかな。毎分60ワードってどっかにあったっけかな、、
The Truth of QWERTYの、ハイフンなし"Sholes & Glidden Type Writer" - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ
私やDickersonが、この「typewriter」ネタをジョークだと思うのは、当時のタイプライターの印字機構にあるんですよ。1870~1880年代のタイプライターは、upstrike式といわれるもので、印字面がプラテンの下側にあるために、文字を打ってる最中には何を打ってるのか見えなくて、紙を取り出さないとわからないんです。で、そういう環境において、効果的にデモンストレーションするには、どうするか。私やDickersonなら、ある程度長い文を打ってみせて、そして紙を取り出してみせて「ほら一字の間違いもないでしょ」とやってみせるのが、絶対に効果的。皆んなが「何を打ったんだろう」と期待してる中で、単に「typewriter」とだけ打ってあって、しかもフロントパネルにデカデカと書いてある「Remington Type-Writer」とは綴りが違ってる(しかも当時の「Type-Writer」は固有名詞で、他社は「Writing Machine」とか呼んでたから、「typewriter」という単語そのものが全然ポピュラーじゃない)、となれば、そりゃ売れないんじゃないですか、ってのが正直なところです。
Posted by 安岡孝一 at 2005/11/02 (Wed) 02:05:53
まきこみ計画 :: ミスタイプに潜む意外と大きなリスク
通常のTYPEWRITERネタといわれるものは、デモに使えるようにQWERYT段に TYPEWRITERと打てる文字を集めたという 文字を移動して文字キー上段に集めた事由をいっている。
すると、その時期は、
までの間のどこかで、意図をもってわざとTYPEWRITERと打てるように文字を集め揃えたってことだろう。その時期は、②1872年3月と③1873年9月の間ぐらいのはずか。
最初の被験者かどうか、、ショールズ自身やポーターもいる、、ポーターならアメリカン・タイプ・ライター1868年ごろ以来の付き合いですよね。リリアンはマシン撮影時のモデルではあっただろうが、、そもそもQWERTY配列の最初の被験者であるLillian Sholes (Christopher Latham Sholesの末娘)は、右手だけを使って「Type-Writer」を打っていたようです。http://www.library.wisc.edu/etext/WIReader/Images/WER0773.htmlにある写真Image of Lillian Sholesがそうですが、左手はプラテンを押さえています。1872年当時の「Type-Writer」は、プラテンの下から活字を打ち上げる構造になっているので、左手でプラテンを押さえていないと、イマイチ印字が安定しないのです。
安岡孝一 2005/04/03 15:25「毎パソ大会:全国で子供たちの熱いたたかい」(毎日新聞) (自称)アクティブ系プログラマの日々/ウェブリブログ
ポーターなら、1872年秋ごろから、電報会社で電信をタイプライター受電してて、で、もちろん両手打ちもできるのだが、ポーターの受電能力に比して 電信の送信速度は遅いことが多いので 暇なときには 片手で深椅子だかに寝そべるようにして 打鍵してたっけかな。
左手はプラテンを起こし持ち上げて、印字状態を確認しているポーズをとっているところじゃないでしょうか?あるいは、タイプバーが印字点に持ち上がっている様子を見せているのか、、Re:安岡孝一「1872年当時の「Type-Writer」は、左手でプラテンを押さえていないと、イマイチ印字が安定しないのです。」? - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ:
1875年12月16日付けの『The Nation』には、タイプライターの一面広告が掲載されているのだが、見ればわかるとおり「The "Type-Writer."」とデカデカと書かれている。当時のセールスマンは、ハイフンの入ったこの「The "Type-Writer."」という広告と共に、タイプライターを売っていたわけだ。したがって
タイプライターのセールスマンが、お客さんの前でカッコよく「typewriter」って入力して見せるための工夫
ちゅーピーくらぶというのは、1875年時点では全く事実に反している。当時の広告が「Type-Writer」である以上、セールスマンとしては、ハイフンをQWERTYUIOPと同じ「行」に並べておかなければ、話のツジツマが合わない。
中国新聞の考えるタイプライター - yasuoka の日記
>安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。
と「的外れ」とまで揶揄しておきながら、今日になったら
>「そしり」を見つけられる可能性のある範囲としては、遅ければ1920年まで 早くとも1900年ごろまでには、あるかもしれない と、思っています。
とか言い出す。何なんですか、それ。しかも私は、昨日もコメントした通り、「存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さい」と申し上げてるのであって、可能性とか何とかそういう点を指摘してるわけじゃありません。私は「的外れ」なんでしょう? だったら貴殿がちゃんと的に当てて下さいよ。