08042301尖閣諸島で捕まえた公務執行班犯をすぐに放免するのは奇異でもなんでもない。本来、本件に指揮をとるべき菅、前原は海外に逃亡しており責任を逃れ、事実上の最高権力者仙谷官房長官は予想通りの判断を下したということである。これを当然の帰結と見るべきだ。

外国人が日本国内で犯罪を犯しても初犯であれば放免されるという「りっぱな判例」を、一面、法律の専門家でもある仙谷由人弁護士が分っていてそうしたのだから、今日から日本国は治外法権であると認め、内外に宣言したことになる。

いうまでもなく日本は議会制民主主義である。ゆえにこういう官房長官や総理大臣および内閣への支持率が半分以上であるのだから、国民はみずから治外法権を許し領土を手放す政府を選択しているということである。だから、当然の帰結として国民はこの決定を感受しなければならないのである。

いまさら怒ってもへのツッパリにもならない。これを後の祭りとも腹水盆に帰らずともいう。負け犬の遠吠えがネットでも聞こえるが、では尖閣に居を移し生活するという人は誰一人としていないのである。かばかりか自分が選んだ選挙で成立した内閣が、地方検察の判断に名を借りて決定したのだから、最終的には己の卑屈さこそが原因なのだ。

口ではいくら勇ましいことを言っても、結局は給与で糊口をしのいでおり、レアアースがなくなるとハイテク産業は立ち行かないし、中国国内で商売すれば何時人質になるかわからないことなどをすべて容認した上での「社畜」なのだから、結局、明日の利益に結びつかない国家の矜持を捨てて、明日の安全と明日の利益だけの「クリーンな」政権を支持するしかないのである。だから中国人船長釈放は結果、国民の総意であり、アメリカのみならず中華人民共和国にも今後は隷属しますという決意表明なのである。

私利私欲だけでメタボに長生きするためには矜持さえ捨てればいいのだ。これが「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」の実態である。でも65年後の日本は今日も見せかけの平和と享楽に耽溺している。

喜ばしきかな楽天主義、今日さえ楽であれば明日はしらない日本民族の堕落した精神に祝福あれ!嗚呼よきかな、某国より賜った「民主主義」。

ジャイアンだけに頼ってきたすねおくんが、どらえもんにも阿ねなければならなくなったということだ。右顧左眄する蝙蝠の当然の報いである。