立石浦(立石夫婦石)   ( 志摩市阿児町立神 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
立神地内立石浦の泥の中に巨石が2個立っている。夫婦石(岩ではなく石である)伝説では津波で流れて来て立ったとか、他所から持って来て立てたとか色々であるが定かではない。又、神道書度会、倭姫巡行記外伝によると倭姫の天照大神の鎮座地さがしに関連がみられる。(阿児町、73、男)
               2008−7−10撮影
立石夫婦石
 立石浦のある立神地区は、リアス式海岸で有名な英虞湾の最奥部位置しています。そして、この立神の名前の由来も立石からきているそうです。

 高さ2mと1m程度の夫婦岩が海の中にあり立石大明神としてまつられています。注連縄はお正月に取替えとか。

阿児町史〔h12版〕に載っていたお話を紹介しましょう。

「立神にこられた立石
 立石浦の二つの神の石は、初め船越村の滝の浜という、今の三頭山島の北の対岸に鎮座していた。
 世の中が開けるにしたがってこの滝の浜の上に畑地が開墾され、不浄水が流れるようになった。

 このことを嫌われた石神は自らお動きになり、立神の阿鎌へお移りになった。
 しかし、この地もお気に召されず、再び浮いてお進みになり、字一膳の浦にお着きになった。それ以来ずっと、この地にお立ちになっていらっしゃるのだそうな。」

立石神社
同じく阿児町史から
「立石神社と彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
 神代の昔、彦火火出見命という神様が御座に来られた。命は、御座から和具、布施田、片田を通って船越へ着かれ、海辺へ落ちる大滝に打たれて体を清められた。

 その後登茂山から海岸伝いに一膳浦においでになり、そこで一休みされたとき、命は『なんと美しい処じゃ。二つの岩が夫婦のように並んで立っている。この浦を立石浦と名ずけよう。この石を末永く大切にせよ』と、村人に告げ、つぎの地へ去っていかれた。

 村人は命の教え通り、ここに立石明神をお祀りし、二つの石を太い注連縄でつなぎ、深く信仰して来た。

 この立石明神の神の石の下には大きな蟹がすんでいるが、この蟹は、彦火火出見命の家来の化身で、ずっと立石を守っているのだという。村人は、この付近の蟹は絶対に獲らないそうだ。」

   天王祭の御幣が残る神社 2008−7−10撮影
満潮時
満潮時には、石の一方が沈み、残念ながら見えなくなってしまいます。
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志摩市阿児町立神

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