2010年09月29日

「西村修平」と共に歩んだ3年間を総括する

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尖閣・東シナ海の権益守るには米国の参入以外にない!

 いつかやった失敗をまた繰り返す。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるとは日本人の習性であるように言われるが、やはりそうだったのかと思わざるを得ない。

 尖閣諸島沖での支那(中国)工作船船長の逮捕・拘束(その後、釈放)を機に日中間の首脳会談はお流れになってしまい、先ごろ外相・前原誠司は海上保安庁巡視船への衝突を「故意のもの」と断定し、「日中間の首脳会談セットは難しい」との見解を示したが、こんな国と会談している必要はない。

 自国の防衛さえ他国に依存して、仮に尖閣諸島に自衛隊を駐留させたところで戦える(発砲・攻撃する)見込みのないものを据え置いたところで防衛省の利権を肥やすのみである。

 つまるところ日本が尖閣諸島および東シナ海で支那による一方的な掘削・開発が進行する油田という権益を守るためには、この収益をアメリカ合衆国と二分すること、加えて沖縄本島に米軍艦隊が円滑に入出港することが可能な軍港を開くこと。
 この二点を履行するだけでアメリカは本気で尖閣諸島・東シナ海を守り、支那・中共の脅威を完全に排除することが出来るだろう。

 何も日本のために米軍将兵が血を流すのではない。アメリカはアメリカの国益を守るために血を流させるのだ。
 日本が綿密に首脳会談すべき相手は支那ではなく、アメリカに他ならない。

・・・ ・・・ ・・・
 かつて第2次世界大戦前、日本は支那の北東部に「満州国」という理想国を建設しようと目論んだが、日本の支那への進出を快く思わないアメリカは日本に突き付けたハル・ノートによって「日本は中国大陸から撤退せよ」としたが、それは同大陸の北東部にあった満州国は含まない。
 日本側はそれを誤読して「満州国を含む中国大陸から撤退せよ」という意味に誤読して日米間の交渉は決裂し、大戦争へと突入した。

 この時、日本が満州国の権益にアメリカ・イギリスを引き込むことで、その上に位置する共産国・ソ連(現ロシア)を牽制する状況をつくっておけば、その後の日本およびアジアの行く末は大きく違っていただろう。

 私どもは今般の尖閣事件を大東亜戦争に至る日中戦争の引き金となった盧溝橋(ろこうきょう)事件に擬えて第2次日中戦争の発端となる「第2の盧溝橋事件」と位置づけているが、満州国のパターンと同じく日本は単独での権益確保に固執しているがゆえ、同じ過ちを繰り返そうとしているのではないか。

 こと対支那戦争では、日本を含む「世界各国VS支那・中共」の戦いへ持っていかなければならないのである。

西村修平なかりせば! 

 ことほど左様に、人それぞれ国を想う気持ちは多様で、その方法論や理想もまた然りである。
 つまるところ私たちが何を言おうとそれを履行するには相応の権限が必要なわけだが、それがない以上、「道理」を以って眼前にある国を危ぶませ、貶める一方の現状に怒りの拳を突き上げる以外にない。

 よく保守運動に見られる傾向だが、こと支那の問題に関してもお金をかけてご大層な会場をセッティングし、著名な先生方が執筆した書籍を販売してそれで国が救われるはずがない(知識の普及・共有という意味では良いかも知れないが)。

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 日本という国に対する周辺国からの侮りに対して、日本人の中に激しい怒りが込み上げているということを街頭において示そう、そのことによって全国に散在する同志を糾合していこうとの趣旨で私どもは平成19年夏より主権回復を目指す会西村修平代表)や『在日特権を許さない市民の会』(桜井誠会長)らを中心とする「行動する保守」(以下、行動勢力)なる運動体に参画し、約3年にわたるデモ・抗議闘争を展開してきたものである。

 呼びかけの主体はせと弘幸BLOG「日本よ何処へ」がそれを担ってきたが、実際の最前線での指揮・統率された闘争という意味において西村修平氏こそは日本屈指のアジテーターであった。
 『外国人参政権に反対する会・東京』代表の村田春樹氏はじめ各地域で主導的な役割を担う保守運動家・弁士・講師の少なからぬ方々が西村氏の薫陶を受けて今日のご活躍に至っているとされる。

 言わば最近になって東京ほか各地で盛況さを見せる保守派・右派系の街頭行動における「パイオニア」とも言うべき存在が西村氏であり、勿論、それは1年365日絶えず行動を共にしてきたカメラマン・細川勝一郎氏やマネージャー的存在・紫藤益男氏ら主権回復を目指す会の中で側近であった人々の演出と奔走があったればこそだろう。

 その主権回復を目指す会では様々な内部問題がインターネット動画を通じて表面化してもいるが、それでも西村氏らが辿った足跡・軌跡というのは着実に残された。
 『チャンネル桜』などは保守・右派という立場に立脚すれば、本来的には西村氏らを全面的にバックアップすべきであったが、良きにせよ悪きにせよ西村氏らの行動が認知され出してからデモや街頭集会などの行動におよびはじめた彼らの活動は「後追い」との指摘を免れまい。

 今後はどうなるのか分からないが、特に東京都内では同日同時刻に複数の箇所で街頭行動が展開されるまでになるほど、今日における行動というものを定着させてきたのが西村氏が残した色褪せることのない功績である。

 何やら他人事のような書き方になってしまったが、同じく行動勢力の一翼を担ってきた者として思うことは、あっと言う間の3年間だった。

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 この間の行動を通じて思ったことは、街頭行動に参加しながら一度たりとも弁士としてマイクを手にすることもなく、夏の暑い日も冬の寒い日もプラカードや横断幕を手にシュプレヒコールを唱えていた人々によって支えられてきたということである。
 一人や二人の街頭行動では単なるピエロでもそれが常時20〜30人あるいは50〜60人、多い時で3桁の人を集めれば一定の勢力だ。

 先般、参加者の一人であった方から「行動外」での話をうかがう機会があったのだが、町中で不法滞在と思しき客引きの外国人をとっつかまえ、その者の自宅まで案内させて「在留ビザはあるのか!」「パスポートを見せろ!」で警察まで駆けつける一騒動になったそうだ。
 その他、町中で不逞な外国人と喧嘩沙汰になったという参加者の話は枚挙に暇がないが、これらは端的なケースであるとしても、ある意味では「行動勢力」で弁士・幹部と称される者以上に強い情念やナショナリズムを内包する方々が街頭演説以外でそれを発揮する機会はないものかと考えるに至ったのである。

 いや、むしろそうした方々だからこそ主体的になれる行動とは何かを。

 前述のように既存の保守運動を脱却した「行動勢力」は演説やデモ行進など街頭行動を定着化させた。しかし、それのみで世の中が動くほど甘くはないのも事実である。

 先に述べた主権回復を目指す会は過日「解散会議・決議」を開催、既に元側近となった細川・紫藤両氏は、僅か60万人程度で日本を巧妙に支配・コントロールするに至った在日朝鮮人のチカラを方法論として称賛し、今や圧倒的大多数の日本人のほうが「弱者」であるとして、「外国人の増殖を脅威に思うなら外国人以上に通常の社会生活に励むべき」旨を説いていたが、単に学業や仕事に励んでいればそれで良いわけではないと思う。

 弱者は弱者らしく肩をすぼめて生きていれば良いというわけでもなく、弱者らしく権利を求めていくことが肝要で、前記したように参加者が町中に氾濫する不逞外国人の取り締まりを厳に求めて騒動を起こし、時に衝突するのも弱者としての権利要求である。

 そのように、街頭行動という「何か特別な人々がやっている」という印象を与えがちなことを通常の社会生活の中で、通常の社会生活に近い状態で示していくことが有効なのではないか。従来の行動・運動という概念からさらに脱却して。

 むしろ、そうでなければ西村修平・瀬戸弘幸・桜井誠・村田春樹という「四天王」とも称された各氏がこれまで牽引してきた行動は意味を成さない。

 それによって私は新たな潮流を生み出したく思うものだが、ただ、それを普及させるとか広めるといった陳腐な言葉で飾りたくはない。

 これは私どもNPO法人 外国人犯罪追放運動のメンバーにも伝えたいことであるが、後に自身の生涯を振り返った時、富や名声を得られずとも日本人として、人として自身が納得のいく「生き方」を追求してもらいたいのである。

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Posted by samuraiari at 01:24│Comments(6)TrackBack(0)この記事をクリップ!

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この記事へのコメント
我々一参加者にとっても、また理事長のように中枢で参画してきた方々にとっても、
「最強の四天王」
が在りし日の思い出となってしまったのでしょうね。

あの四人が一堂に会した時の威力は本当に凄いものがありました

たった2年3年でこのような状況となるとは思ってもみませんでした。
Posted by 尖閣群島絶対防衛 at 2010年09月29日 01:51
もはや排外主義を掲げて「外人は出て行け!」と言えば日本人が排外されるのが日本という国の現状、この国は国家として終わっているのです。
終わった国の中で奴隷として生き長らえているのが日本人なのです。
Posted by たカメ at 2010年09月29日 03:09
朝鮮人やそれに準ずる或いは連なる人々、長きに渡り積み重なってきた
大蛇の系譜を継ぐ者たちには行動する保守に漲りはじめていたリンクが
邪魔だった。

かれらの言動は様々であるが目的とするところはただひとつ“リンクの分断”。
Posted by 天晴れ at 2010年09月29日 07:04
(・ω・)/おは
>それを普及させるとか広めるといった陳腐な言葉で飾りたくはない。

この思いは建設的なのである。
ある種、織田信長的な気骨となっているのである。

普及させるなんてことは後からくるものが勝手にやる事実である。

イギリスの産業革命はイギリスが普及させたわけでないのである。
後からくるものが負けじと模したからの結果なのである。

先にゆく者で重要な事はその他に負けじとさせる何かしらの魅力である。


ちなみに、みたいな実は毎日、ご飯イパーイ食べてて回復が早いので来週の水曜日に骨移植手術が決まったのだょ。
今は体力の回復の為のリハビーリ(筋トレ)を朝から晩までやっているのだょ。
手術したら、当分寝たきり(麻酔の後遺症により)が続くと思うから、今のうちに体を動かしとくのであるょ。
Posted by みたいな実 at 2010年09月29日 07:15
でも最後の動画で細川氏らの「勝てっこない!」「朝鮮人は素晴らしい!」は参ったね・・・
見下すのはダメって言いながら、「居酒屋保守」って言って完全に在特会らを見下してたし。
Posted by 千葉県民 at 2010年09月29日 09:06
有門氏は修平氏と袂を分かつという事ですね
側近の演出と奔走があったればこそとありますが、あなたはやはりわかっていたのですね

主権回復は実質あの2人によって運営されていた。

あの2人のいない主権など主権であって主権じゃない。

主権回復を目指す会はもうこの世には存在しない。

Posted by 名無し at 2010年09月29日 10:09

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