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伊良部の漁師ら危機感、自衛隊配備求める声も

「第5喜翁丸」から魚を下ろす漢那船長(右)(27日、沖縄県・伊良部島で)

 「尖閣はずっと生活の一部なのに、中国は何を今さら」――。沖縄・尖閣諸島沖での漁が最も盛んな伊良部島(沖縄県宮古島市)で、中国漁船衝突事件の船長が釈放され、中国政府が「謝罪・賠償」まで求めていることに動揺と反発が広がっている。

 島民が戦後、カツオ節工場を営むなど、尖閣諸島は古くから身近な存在だった。島の危機感は強く、自衛隊配備を求める声も出ている。

 宮古島からカーフェリーで約25分。澄んだ海を進み、人口約6000人の伊良部島に着いた。尖閣諸島最大の魚釣島から約200キロ。AMラジオは日本語よりも中国語放送が入りやすい。島内を歩くと、住民の不安を肌で感じた。

 「今年の冬は漁ができるだろうか」。尖閣沖で40年近く漁を続けてきた「第5喜翁丸」(9・9トン)の漢那(かんな)一浩船長(61)が、港でため息まじりにつぶやいた。

 夏場は近海のカツオやマグロを捕るが、魚が少なくなる11月末〜2月は尖閣沖に向かう。夕方に出発し、翌日未明に到着。魚釣島沿岸部などでヤイトと呼ばれるサバ科の魚の一本釣りをして、夕方に引き返す。

 ここ数年は海上保安庁の巡視船が海域に入る船をサーチライトで照らして確認するなど、警備が厳しい。疑われないよう出漁の際は海保に自主的に連絡している。気を使う漁場だ。

魚釣島・西海岸のカツオ節工場跡の石垣(下)。上は政治団体が建てた灯台(本社機から、1990年10月26日撮影)

 「日本を甘く見た中国漁船とのトラブルが頻発すれば、もう海域に入れなくなるかもしれない」。乗組員9人に加え、生き餌を捕る漁師6人の生活もかかる。港にいた漁師や仲買人は「今のままでは尖閣がいずれ中国の領土になる」「国は守ってくれるのか」と口々にまくしたてた。

 尖閣諸島は1895年に沖縄県へ編入されて開拓団が入り、最盛期には計約250人が住んだ。戦況の悪化で無人化したが、戦後は伊良部島や石垣島などの漁師が周辺海域で操業。「街のようなにぎわい」というほど多くの漁船が詰めかけ、1950年前後にはカツオ節の処理工場が次々と開かれた。

 伊良部島に住む喜久川繁さん(75)は中学卒業と同時に尖閣諸島の南小島に渡り、数か月間手伝った。「レンガで造った島の水ためには日本人の名が刻んであった。尖閣は昔から日本のものだ」と振り返る。当時は伊良部島の男女5、6人が交代で常駐し、近海で捕れたカツオを加工していたという。

 喜久川さんは「中国は今になって自分たちの領土だと言うが、我々はずっと尖閣で漁をして生活してきた。日本政府は弱腰になっては困る」と、憤然として訴えた。

 伊良部島の漁協からは今冬も3隻が出漁する。組合長の友利(ともり)義文さん(60)は「無防備なままでは島の暮らしを守れない。こうなれば自衛隊の駐留もやむを得ない」と漏らした。隣島には民間機の訓練用飛行場もある。自衛隊駐留を求める声を、ほかにも島のあちこちで聞いた。

2010年9月29日  読売新聞)
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