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続・Sさんとの対話  

2010年 09月 29日

  ◇大事なことは会うこと、語り合うこと。

私は、Sさんと2時間近く話をした。
私は、多くを語らず、Sさんの話を聞くことに終始した。
Sさんは、幼少のころから苦労が絶えなかった。幼少の頃の想い出はいくもある。離ればなれになって40年も経過しているが、会えばその距離は感じなかった。
幸せになってもらいたいと心から思っている。会って、その思いがさらに強くなった。
結論からいえば、本当の幸福は、この信仰の中にしかない。
けれど、それを掴むためには、この信仰を本気で実践する必要がある。宿業と正面から向き合い、その宿業を転換する以外に解決の道はない。
私は、この対話で、1つの決意を持つことになった。
それは、Sさんのご本尊を押入れから出してお祭りし、本人がしっかりと信心ができるように運ぶということである。加えて、獄中の息子に会いに行き、母であるSさんの悲しみを伝えることである。この2つは、私の最低限の仕事である。
対話の最後、私は次のように話した。
「何度も刑務所に入っている息子。これは、反社会的適応障害という精神的な病気だそうです。これは、ちょっとやそっとでは治らない。長男が、真面目に生きていくことに喜びを見出せないなら、再び犯罪を犯すだろう。息子の心根が変わらない限り、問題は続く。言葉で言うのは簡単だけれど、これを得るということは大変なことです。でも、何としても、悪い過去の人間たちとの縁を断ち切らせ、心を改善させないといけないよね」 Sさんは、黙って聞いていた。
「また、来る。僕も、何か手伝えると思うから」
Sさんは、玄関を出て道の曲がり角まで見送ってくれた。
別れ際、握手をした。小さな手だった。
私はSさんと別れ、創価大学に向かった。池田先生が作られた創価大学を見たかった。
創価大学に行くのは23年ぶりであった。
大学は、大きく変貌を遂げていた。私はキャンパスを探索した。夕方近くに周桜を見た。池田先生と周恩来との一期一会の会談を記念して植樹された桜である。深まりゆく秋に、すっかり葉を落としていた。植樹されて35年近くなるというのに、細い幹をしていた。
私には、晩年の周恩来の姿に見えた。民衆のために一切をなげうって戦った池田先生と周恩来。その両雄の人生を思い起こした。1人1人に会って話し合うことの重要性を感じた。
Sさんに限らない。できる限り、多くの人と会い語り合おうと思った。
私は、薄暗くなる文学の池から正門に向かい、バスで八王子駅に出発した。
池田先生と周恩来の会見の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2010-09-29 06:06 | 仏法対話 | Trackback | Comments(0)

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