マスプロ電工の歩み
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1953年8月,創業者 “端山 孝 ” は名古屋市守山区小幡の自宅で, 「マスプロ技研工業」を創立。最初にアマチュア無線用通信機とラジオ受信機を製作しました。ちょうどこの年, 日本初のテレビ放送が開始。端山は,この新しいメディアに目をつけ,自分の進むべき道をしっかりと捉えていました。社名の「MASPRO」は から造語したもので,「生産の覇者」になるという端山の大きな志を込めています。
1953年8月 1954年12月 1955年9月 1957年10月 |
1953年8月
1957年7月 |
創立から約10年。テレビの普及は高度成長期における情報伝達のスピード向上に大きな役割をはたしました。人々の暮らしは大きく変わり,生活のゆとりから次のステップを求め始めました。そんな中,1960年に東京・大阪においてカラーテレビの本放送が開始。テレビ産業はカラーの時代に入りました。社名を“昭和電機工業”から“マスプロ電工” と変更して,新しい時代を先導していく決意を示しました。
1961年7月 1966年9月 |
1961年10月 1964年2月 |
この年,UHF放送が誕生しました。地方ではUHF放送を使った民間放送局が相次いで開局し,カラー放送のときと同じくUHF放送を受信することは,一つのステイタスシンボルとなっていきました。マスプロ電工は,新しいUHF放送を家庭で楽しむことができる,高性能製品を次々と発表していきます。
1969年9月 1973年2月 1973年5月 1976年12月 |
1969年 1973年2月 1977年1月 |
1945年イギリスの小説家アーサー・C・クラークが衛星放送を提案してから39年,日本でも人工衛星を介しての放送(BS)が開始されました。マスプロ電工は,テレビ放送の多様化に向け,多くの受信機器を開発していきます。
1986年 1989年6月 1991年12月 |
1984年3月 1988年6月 1989年10月 |
BSアナログ放送に加え,1992年通信衛星を使用した衛星放送もスタートしました。放送文化は従来の地上波テレビ放送にとどまらず,CATVや各種衛星放送へとサービスは広がっていきました。一方,GPS衛星を使って位置確認ができるサービスも普及し始めました。これに伴いマスプロ電工は従来の発想にこだわらない,柔軟な製品づくりを展開していきます。
1995年9月 |
1992年4月 1992年4月 |
アナログ放送に進化の限界を感じた郵政省(現:総務省)はデジタル化を決断。その後1996年,「多チャンネル化」と「高精細化」が可能なデジタル放送は,CS放送を皮切りに開始されました。日々進化するデジタル放送の普及に向けて,マスプロ電工の新たな取組みが始まります。
1996年10月 1997年3月
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1996年10月 1997年5月 1999年3月 1999年6月 2000年6月 2002年12月 |
2001年7月,電波法が改正施行されました。その際,地上アナログ放送の周波数を使用できる期間を施行から10年を超えないと定めたことから,2011年7月24日をもってアナログ放送を終了することが決定されました。そして,2003年12月1日,関東・近畿・中京の3大広域圏で地上デジタル放送が開始されました。マスプロ電工は,すべての家庭で円滑なデジタル受信への移行ができるよう,受信機器およびインフラ機器などの製品を開発していきます。
2005年6月
2007年6月 2009年 |
2003年1月 2004年6月 2005年4月 2005年10月 2007年6月 2008年10月 |