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2008-04-26

壮年本部長がプライバシーを無視



 皆様、お世話になります。大阪在住の新米壮年部員、畑と申します。


 最近、私の悲願ともいうべき事がついに突破口を開け、歓喜の前進をしている次第です。最終的な悲願の“達成”に到達するには、これからの更なる精進が不可欠でありますが、ひとまず喜び勇んで歩んでおります。


 そんなさなか、 先日、本部長(壮年部)が地区の会合で突然「○○さんが○○をついに○○したそうです。ささ、ひと言どうぞ」。……私は呆然としました。この私が抱えていた問題は、本部長と地区部長しか知りません。 長らく自分一人の胸に抱えて戦ってまいりましたが、やはりちゃんと指導を受けて戦ってゆこうとい、このお二人にだけ打ち明け、「他言だけは決してなさらないで下さい」と伝えていたのです。


 つい先日も地区部長から早速「体験発表をして欲しい」との依頼がありましたが、「それでは私が“○○で困っていた”という“事実”が地区の皆さんに明らかになってしまう。それでは困る」とお断りしました。 そこまでして自分の生活細部を公開しなければいけないのは納得がいかないのです。


「それで誰かか元気になれば」と言うのは理解できます。できればそうしたい。しかしながら、それもケースバイケースではないでしょうか? 「“○○の件”を伏せてならいいです。題目をいくらあげた……、どれほどあきらめなかったか……、どれだけ逆境があったか……。それならば、喜んで発表させて頂きます」とも申し上げた次第です。これには今度は地区部長が色を示し、保留となっており

ます。


 そういう状況で、今回本部長が私のなどまるで考慮に入れず、多くの方の前で“発表”してしまったのです。 「他言なさらないで下さい」というは、願いがかなった今でも変わらないのに……。まったく裏切られたいです。願いがかなったとはいえ、次なる新たな目標も明確にあり、それをかなえてこそ本当の悲願達成であり、「いよいよ、これから!」とのっているさなかで、この事件。全く憤慨しております。


「体験談として“格好のネタ”が来た……」とわれたのかどうかは知りませんが、“慶事だから(発表したって)イイじゃん”的な発は、約束の「なし崩し」であり、個人情報ともいうべきものへの軽視です。ましてや、“本当のゴールへふんどしを絞め直している”私の決に水を差す愚行です。


 できれば本部長への怨嫉などしたくはありません。 しかし、取り返しのつかないことになり、 私はどう自分を納得させられるのか……。その言葉を見つけ出そうと相談をさせて頂いております。ご多忙の中、大変申しわけありませんが宜しくお願い致します。


joypops


 この本部長さん、幹部として失格です。先生は明確に指導されています。「秘密は絶対に守れ。口の軽い幹部は失格だ」と。私は、この指導を先生から直接、伺う機会があったので断言できます。これは時代が変わっても、学会の方向が変わっても絶対に守らなければいけないことではないでしょうか?


「話せるようになったときに話す。話したくないことは話さなくとも良い」先生は、こうも仰いました。今から18年前のことですが、これは年に関係のないことだといます。


 また、学会は「社会の縮図」とも言われますよね。現実社会でも、その本部長さんのされたことは明らかにルール違反です。


 直接、本部長さんにお話しにくいといます。その時は、分区(圏)の幹部・総区、総県の幹部・方面の幹部ときっちりお話されることを、お勧めします。怨嫉しないことと同時に、ご自分にとっての「落としどころ」を見つけるためにも。


小野不一


 プライバシーについては、以下の指導を参照されたい。

 まず目立つのは、畑さんの文章の長さとわかりにくさである。問題の本質を理解してない上、葛藤を抱えている様子が窺える。畑さんの怒りに乗せられてしまったのがjoypopsさんで、最悪のアドバイスになっている。否、アドバイスというよりは、婦人部同士の陰口と同じタイプのもので、畑さんの怒りを強める結果となっている。


 指導というのは、相手の話をよく聴けば、おのずから答えが見つかるものだ。


 できれば本部長への怨嫉などしたくはありません。 しかし、取り返しのつかないことになり、 私はどう自分を納得させられるのか……。その言葉を見つけ出そうと相談をさせて頂いております。


 何もせず、他人の言葉に救いを見出そうとする姿勢が弱々しい。自分にとって都合のよい答えを探しているのだろう。この中途半端さこそ、畑さんの一凶である。


 その場で本部長を糾(ただ)さなかったことが全ての敗因だ。「今頃、泣き言を言われても困る」というのが私の本音である。



 joypops様、早速のご回答ありがとうございます。「落としどころ」という表現は、私には的を射た言葉です。


 正直なところ、学会は人間社会の縮図ですから、時には憤慨することもあります。自分が作り出したにならないよう、これも訓練だとってゆこうといます。そして、ご紹介頂いた先生の指導。先生がそのようにおっしゃっていたという、その事実。それで十分です。何よりの言葉です。ありがとうございました。


 さて皆様に引き続きご相談になりますが、小野さんより以下ご指摘頂きました。


 何もせず、他人の言葉に救いを見出そうとする姿勢が弱々しい。自分にとって都合のよい答えを探しているのだろう。この中途半端さこそ、畑さんの一凶である。その場で本部長を糾(ただ)さなかったことが全ての敗因だ。「今頃、泣き言を言われても困る」というのが私の本音だ。


 真摯に受けたくいます。弱点は指摘されてこそ克服できます。ただ、「他人の言葉に救いを見出そうとする姿勢」は誤解といます。ならば、このような相談室が敷居の高いものになってしまいます。学会における「何でもまず指導を受ける」という姿勢にも影響があるかもしれません。


 また、“その場”というのは「会合のさなか」です。果たして「場を凍らせない」ゆえの忍耐は間違っていたのでしょうか? むしろ、私はこれまで何でもズケズケと見や指摘を言う格でした。自分の小さな正義観の愚かさを知り、時に人を抱擁する境涯の大きさを学会の先輩方に学んだのです。幹部に遠慮するつもりはありません。ですが、会合参加の皆さんに気持ちよく帰って頂けるための私のいは間違っているのでしょうか?


 その場で指摘して謝罪させる行為ができたとして、果たしてそれに応える(“答える”ではなく)ことができる幹部かも疑問です。正義は一つではないのも学会の現実です。“イレギュラーな出来事”は参加の皆さんも困惑するでしょう。現実の場で、学会幹部の権威主義を指摘したとて、皆さんの個人の士気に水を差すかもしれません。私が恐れるのはその現実です。


壮年部くまおー


 お疲れ様です。No.28のご見に対する私の見です


 また、“その場”というのは「会合のさなか」です。果たして「場を凍らせない」ゆえの忍耐は間違っていたのでしょうか? むしろ、私はこれまで何でもズケズケと見や指摘を言う格でした。自分の小さな正義観の愚かさを知り、時に人を抱擁する境涯の大きさを学会の先輩方に学んだのです。幹部に遠慮するつもりはありません。ですが、会合参加の皆さんに気持ちよく帰って頂けるための私のいは間違っているのでしょうか?


「『場を凍らせない』ゆえの忍耐」とは? 上位幹部の誤解や不見識に基づく発言を聞いた場合、創価学会員の私は会合中であっても間違いは糾(ただ)すのが礼儀であり、慈悲であるといます。私は、正義かどうかその場では判断できませんが、「おかしい」とったら、場がどうであれ相手が誰であれ、忍耐せずに見を言うようにしています。忍耐は、家庭指導や折伏の時のためにとっておくようにしています。


ku


 文字でのやり取りですから、細かなところは像するしかありません。小野さんが指摘されているのは、一念の姿勢というか、のありようの部分ではないでしょうか、行動は一念から起こるものだと考えると、本部長を糾(ただ)せなかった姿勢へのアドバイス=叱咤、だといます。


 また、“その場”というのは「会合のさなか」です。果たして「場を凍らせない」ゆえの忍耐は間違っていたのでしょうか? むしろ、私はこれまで何でもズケズケと見や指摘を言う格でした。自分の小さな正義観の愚かさを知り、時に人を抱擁する境涯の大きさを学会の先輩方に学んだのです。幹部に遠慮するつもりはありません。ですが、会合参加の皆さんに気持ちよく帰って頂けるための私のいは間違っているのでしょうか?


 畑さんの文は、学会を楯に自分のいを正当化しようとしているようなところがあるのでは? とじます。このような場合は終わってから、本部長に言えばいいのではないでしょうか? 言いたいことは直接話して、はっきりさせればいいのです。


 私自身の場合は、プライベートな悩みや問題・目標も全て皆の前で語ることにしています。そのような場を提供してくれているのが学会だとうし、語ったことによって腹が決まるからです。語る→腹が決まる→祈れるようになる→実践がともなう→結果が出るというじでしょうか。この過程にの入る隙はありません。これは飽くまでも私のやり方です(笑)。


 畑さんも結果を勝ち取られているのですから、些細なことに振り回されないことが大事なのではないかといます。


ume2


「その場」と言う言葉に対して飛躍的な質問になっているようにえますね。


 質問を見る限りでは、畑さんが言われている「現場」では、本部長に対して何一つアクションがなされていないようにわれます。「その場」と言うのは、畑さんが言われている「会合のさなか」から、こちらに質問をするまでの時間的流れを「その場」と言うのではないかと私はじましたが? 「その場」という言葉で、そこまで疑問をじてしまうことに違和があります。


 私でしたら、それほど話してほしくない内容(相談)でしたら、終了後便所の裏へ呼び出します。当事者が当事者と問題解決するのが一番ではないでしょうか。


 ある中学生が言っていました。「いじめは黙っていないで文句を言い返すと、それは【イジメ】ではなくなり、【ケンカ】になる」と。


 その場で指摘して謝罪させる行為ができたとして、果たしてそれに応える(“答える”ではなく)ことができる幹部かも疑問です。


 とありますが、そんな幹部によく指導を受けられましたね。


 現実の場で、学会幹部の権威主義を指摘したとて、皆さんの個人の士気に水を差すかもしれません。私が恐れるのはその現実です。


 起こってもいない現実(過去に起こした現実かもしれませんが)をご配されるより、一日も早く問題を解決し、現場で会員の皆さんの指揮を鼓舞されることを期待いたします。


joypops


 畑さんが納得されたのならば、もうこれ以上、他の方の見に反応されるのは得策ではないといます。小野さんからのご指摘ですが、一理あるとはいます。しかし、私は畑さんがとられた行動を支持します。


 私も、以前、総区部長会で、とある方面幹部の一言にぶちきれてその場を立ち去ったことがあります。あとで、「どうしたのか?」と聞かれたので、「あなたのあの一言がどれだけの人間にいやないをさせたかお分かりか?」と、問いただしたことがあります。何も言わなくとも、黙って立ち去ることで、場は充分、凍ってしまいました(笑)。その後、その幹部は私に土下座して謝りましたが、私は受け入れませんでした。それは、あの場にいた方々全員に、不適切だったと謝罪してもらいたかったからです。


 ただ、私もそのとき、先生のご指導をい出し、自分の落としどころを見つけたんです。


 現実の場で、学会幹部の権威主義を指摘したとて、皆さんの個人の士気に水を差すかもしれません。私が恐れるのはその現実です。


 これは、学会の幹部たるもの、常に肝に銘じることだと、私もいます。たまたま、私が畑さんの答えになるご指導を知っていた。それで納得された……。これでいいのだといます。


 ちなみに、ご紹介したのは神奈川文化(1990年115日)でのご指導です。これは残ながら、詳細は活字になっていません……。


小野不一


 ネガティブな者同士が奏でるハーモニー。これを怨嫉と付けよう。もう、これ以上のやり取りはムダだ。親切が仇となりかねない。死ぬまで、「場を凍らせないよう」配慮をし、問題がある度に「落としどころ」を探すがいい。子供じみた正義は極めて厄介だ。どこをどう突っつけば組織が動くのかも理解できないのだろう。今のままでは、誰に何を言ったところで解決することは不可能だと言っておこう。



 ご回答くださった皆様、ありがとうございました。まず第一に厚く御礼を申し上げます。


 さて、今回の往復は非常に考えさせられました。私の相談内容については、自分の中での気持ちの解決は着いております。joypopsさんに師匠池田先生のお言葉をご紹介して頂き、弟子としてこれ以上の納得はありません。


 そもそも、私の相談の主旨は“落しどころ”を見つけたい事なのです。組織をどうこうさせたいであるとか、この(約束を破った)幹部を糾弾したいとか、そういったものではありませんでした。


 一部の方の回答には、どちらかというと、私の悩み(しみ)の解決をはかるというより、正論でもって“正しきことを”論ずることに重きを置いておられるようにじました。「ネット相談室」の主旨が“議論”にあるなら、それでもいいといます。 議論でもって、「何故そのとき幹部に詰め寄らなかったのか」というような、私への叱責は議論上は正しいことかもしれません。ですが、それは相談者のしみに、それこそ“火に油を注ぐ結果”になりませんか?  学会同志が「慈悲」の絆であるならば、相談における往復が相談者のしみを取り除くことに重きを置くべきだと個人的にはいます。 「慈悲」はご存じの通り、「抜苦与楽」であり、その根底には「同」です。 このことを忘れていては、信の場の相談にふさわしくないといます。


 さて、更に私がその場で糾弾することによって、“場が凍ること”への配が、「起こってもいない現実」と一蹴されたことには正直、失笑しました。まるで、“信号無視しても事故にあうとは限らない”ような理屈にじました。多くの現場担当者は私と同じ配をしていますよ。悪く言えば自分を殺している。幹部に遠慮しているのじゃなく、部員さんの混乱があってはならないという一念だとう。だから“落としどころ”をみんな自分なりに探しているんです。これを「悪しき習慣」であると知っていても、自分が“改革派”などと傲慢になる人は少ない。学会自体も“環境”に過ぎないから。私が無役職時代には、それこそ何の配も、何の空気も読まず、“私の正義のまま”にその場で抗議しました。「腫れモノ」のような存在だったかもしれませんw。でも、多くの諸先輩の懐の大きさが私を育ててくれました。


 仮に「悪しき習慣」も、法の深い味においては、「学会に何故縁したか?」の理由だといます。「それからどう成長したか」を生むための。ゆえに問題解決も大事だけども、“落としどころ”も非常に大事だとうんです。それは、前進へのエンジンだから。


“敷居の高い”相談室にならないために、是非「2ちゃんねる化」(“突く”という議論モード)は一考かと。ましてや主宰者への配慮も。


 最後に、ネット上である方からも個人的に激励くださったものを抜粋してご紹介したいといます。全文では、私のしみを理解してくださった上で、「この幹部をいかに糾弾するか」の組織論に終わることなく、信の指導として書いてくださっています。今は晴れ晴れした気持ちでいます。


以下、ご紹介文

 まず、件(くだん)の地区部長・本部長の事ですが、そういう人は、信の世界とは別に、人間として大いに問題がありますから、いずれ厳しい指導を受ける時が来る事でしょう。 ですからそれは置いておきます。


 牧口先生以来、我学会は座談会を活動の原点として、拡大をしてきました。 その座談会の中は体験発表です。 代々の会長は、なぜそうして来たのでしょうか。様々な義があります。 細かくは書きませんよ、畑氏なら義だけ書けば、深い味を理解されるでしょうからね。


 一つには、「体験を語る事イコールご本尊の賛嘆」であるからです。それは即自分の功徳、家庭の繁栄に繋がります。体験発表そのものが、(輪円具足とも功徳珠とも表現する)御本尊功徳の偉大さの新たな証明の出発になるのです。一つには、座談会は地湧の菩薩の集まりですから、報告をするのは当然であるからです。体験発表は地湧の菩薩同志が互いに行う、功徳の現証の報告なのですね。最高の指導であり、最大の激励なのです。一つには、「せめてもの報の行為」です(個人的にはこれが一番重要かな)。もう、わかりましたよね。 結局、しなきゃならないのさ、やんなきゃだめなのさ。どうせ、しなきゃならないのだから、やんなきゃだめなのだから、堂々とやればいいんですよ。



 小野不一氏がこの相談室での一連のやり取りを、当事者が反論できない自身のブログ(創価王道)に無断で載せ、コメントまで載せている。前々回の私のレスで、そのブログでの氏の文章を引用し、相談室での回答諸氏への返答と併せ反論を載せた。驚いたことにその後、またまた相談室ではなくブログにおいてjoypops氏と私のやり取りを評し、辛らつなコメントを寄せている。ご紹介しておこう。


ネガティブな者同士が奏でるハーモニー。これを怨嫉と付けよう。もう、これ以上のやり取りはムダだ。親切が仇となりかねない。死ぬまで、「場を凍らせないよう」配慮をし、問題がある度に「落としどころ」を探すがいい。子供じみた正義は極めて厄介だ。どこをどう突っつけば組織が動くのかも理解できないのだろう。今のままでは、誰に何を言ったところで解決することは不可能だと言っておこう。


【1】何故、ブログなのか? 相談室の存在義に問題が生じまいか? また、相談室だから書いたのであって、ブログに転載するなら書いていない。ルール違反、モラルに反すると抗議しておきたい。ましてや、一方的な価値観による皮肉まじりのレッテル、侮辱を受ける筋合いはない。きわめて不愉快だ。


【2】何を指して「子供じみた正義」か?ご説明頂きたいところだ。


【3】「どこをどう突っつけば……(中略)……解決することは不可能」……と仰せだが、そもそも“改革者”として自負されている方とは相談の出発点が異なる。このことは前レスにて述べたので省略するが、何やら「相談室」というものを議論の場と勘違いしているのであろう。これ以上多くの提起をすることも無駄とえる。このような相談室は主宰者のブログのオカズに過ぎない無味な存在と断じておこう。


joypops


 ほう。それは知らなかったですね、ブログの件。小野さん、あなた、完全にルール違反ですよ。


 何を指して、ネガティブだというのかお聞きしたいところですよ、小野さん。方法論は、それぞれ、その組織によって違っていいんじゃないかな? それを画一的な考えで一刀両断される覚えはない。また、画一的な方法論しか唱えられない方が逆に哀れだ。


 小野さん、では伺うが、畑氏、joypops両の場合どうすればよかったお

か? あなだだって、所詮、師匠を守りきれなかった東京の人間ではないか。そのような人間にとやかく言われる筋合いもないが、とりあえずは聞いておこう。


 私は、幹部に対してだって言いたいことも言うし、行動も起こす。変に改革者ぶったりせずにですよ。


 小野さん、あなたは確かにすばらしい人かもしれない。しかし、他人を貶めるようなことを言う資格も権利もどこにもないことだけははっきり申し上げておこう。


joypops


小野不一


 まず目立つのは、畑さんの文章の長さとわかりにくさである。問題の本質を理解してない上、葛藤を抱えている様子が窺える。畑さんの怒りに乗せられてしまったのがjoypopsさんで、最悪のアドバイスになっている。否、アドバイスというよりは、婦人部同士の陰口と同じタイプのもので、畑さんの怒りを強める結果となっている。


 怒りにになんか乗っていませんよ。しかも、この発言には更なる非常識さが。師匠が一番戒めている、婦人部へ信熱がありますねぇ。しかも、人の文章を分かりにくいと断罪。あなたは何様のつもりですか、一体?


小野不一


 ネガティブな者同士が奏でるハーモニー。これを怨嫉と付けよう。もう、これ以上のやり取りはムダだ。親切が仇となりかねない。死ぬまで、「場を凍らせないよう」配慮をし、問題がある度に「落としどころ」を探すがいい。子供じみた正義は極めて厄介だ。どこをどう突っつけば組織が動くのかも理解できないのだろう。今のままでは、誰に何を言ったところで解決することは不可能だと言っておこう。


 ほう、怨嫉ね……。それをいうなら、小野さんあなたが一番怨嫉してますよ。確かに内容を拝見しました。ブログからの削除を求めます。


のり


 ルール違反は貴殿らですね。


 質問&アドバイスには、必ずハンドルネームを書いて下さい。いずれの場合も、メールマガジンに返信すれば届くようになっております。またアドバイスに関しては、「○○(ハンドル)殿御返事」というタイトルでお願いします。尚、掲載につきましては、私の一方的な判断で行いますので、怨嫉してはいけません。更に、質問もアドバイスも寄せられない場合は、発行できないまま私が不貞腐れることになります。発起衆(ほっきしゅ/質問する人)に一番功徳があることは間違いありません。


「○○(ハンドル)殿御返事」というタイトルでお願いします。


 これさえも守れない。


 尚、掲載につきましては、私の一方的な判断で行いますので、怨嫉してはいけません。


 小野さんはこのように明記されているではありませんか。しっかり読んでおりませんね。ダメだな。小野さんに、いちゃもんつけるのが目的ならば、迷惑なので書き込み遠慮願います。気に入らなければ、自分達でやればいいじゃありませんか。


 じゃあね、公爵……じゃなかった、畑殿&joypops殿。


Sky


 せっかくのネット相談室が、なんだか読んでいてしい状況になってますね。


 確かに、小野さんのコメントは、相当辛らつで断定的ですけど(笑)。そして、「学会では当たり前」になっているとらえ方を、根底からくつがえす見が多いですよね。でも、それが小気味良くて、小野さんのブログ等を読まれていたのではないかしら。


 幹部や学会員の惰弱さを切る文章を読んで「その通り!」とはっても、いざ自分を責められると、なかなか受け入れられないものかもしれません。つまり、きっとどこかで「自分は、そうじゃない」とって読んでいるんですよね。


 実は私も以前、小野さんから厳しいお返事をいただいてビックリしたことがあります。確かに今までにない衝撃でした。小野さんのブログを読んでいて、なぜか「自分のことも、きっとわかってもらえるかも……」なんてってしまっていたのもしれません。私の場合は、自分の方がおかしかったことにも気付かせていただきました。


 ただ、それを大勢の人に向けて指摘されたら、更にショックかもしれませんね。確かに、「相談室だから書いた」「ブログに載せるとは聞いていない」というのはその通りだといます。小野さんのコメントも、相談室で送信されたほうがよいようにいますが、いかがでしょうか。


「相談室」としての持ち方は検討していただくとして、内容としては、「相談」が、“相談者の求める形・気の済むように終わる”ことが望ましいのか、“皆でアドバイスし合うことで義ある形で解決する”ことが望ましいのか。決着(?)がしいですね。


 私は、これまでの皆さんのご相談やアドバイスで学ぶところも多くありましたが、「相談」をする方は、どんな回答がかえってくるかを考えると、勇気が要ることかもしれませんね。もちろん、回答を真摯に受け止めるという勇気も含めて。


S


 しばらく見させていただいておりました。何の価値も創造しない議論は2ちゃ

んねる以下です。それぞれ自分の価値観からお互いを蔑んでいる。


 題目あげてをお開きくださいませ。それぞれの立場や価値観をその広い広いという境涯で、受け止めてくださいませ。こんなところで下らない議論をするのであれば題目・家庭訪問でも行きましょうよ。


シビック


「○○(ハンドル)殿御返事」というタイトルでお願いします。


 これさえも守れない。


 こんな細かい事にいちいちつっこみを入れるのは、どうかといますよ。ブログに掲載された事に対する返事なので、どのように表現するか迷っただけではないでしょうか?


 尚、掲載につきましては、私の一方的な判断で行いますので、怨嫉してはいけません。


 この「掲載」っていうのは、ブログへの掲載のことだったんですか? 私は、ネット相談室として発行されることだとってましたが。



 小野さんに、いちゃもんつけるのが目的ならば、迷惑なので書き込み遠慮願います。


 ネットでは、決め付けの論調が多いですよね。「いちゃもんつけるのが目的」と判断するのは、早すぎるような気がします。畑さん、joypopsさんは、小野さんに対する気持ちを率直に書かれただけだといます。


 気に入らなければ、自分達でやればいいじゃありませんか。


「僧侶の言うことを聞けないなら、御本尊を下付しないから、勝手にやりなさい」という言葉と同じようにじてしまいます。



 アンカーの“仕様”が些細な事とっているのは今も変わらぬ正直ない。しかし、既定に沿うようにした。


 さて、「掲載」とは何処のことを指すのですか? ブログも含むの? はっきりさせてよ! それが認められるなら、この相談室はブログのオカズだね! と申し上げているんですよ、私は。


 傍流議論で数珠つなぎ……。「2ちゃんねる」のように、だんだんと本筋から離れるのはよくないw


 No.35(2008-05-06)が私の言いたいこと。ここに見があるならを立てますよ。



 掲示板のようになりましたが、干されている相談もないようなので一筆。掲載するかは管理者さんにお任せしますが、読んでおられることは間違いないw。「掲載」する“場所”をお間違えないように願いたいものです。


 さて、「落としどころ」を「妥協」「泣き寝入り」と捉えている方も多いのでは? 起こっている“事象”だけでは判断できないのが法。でも、人には受け入れい辛さも伴う。“納得”には長い時間が必要なことも多い。「ああ、味があったんだ……」。そんな体験は学会の“特産物”ですね。そんな辛い初期段階の痛みの“冷湿布”が「落としどころ」だといます。


 私は一部学会の悪習慣に何の反発もないわけではありません。ですが学会も個々の人間革命のための「環境」なんです。地域差もあるでしょう。ですが、そこに生まれ逢わせた全てに味がある。そして起こった事象さえも。


 ブログ「創価王道」には痛快な内容も多い。また、「創価法研鑚掲示板」はディスカッションモードだそうです。自信あふれる切り込みは管理人の得分野でしょう。でも法にふさわしい慈悲(抜苦与楽、同)あふれる「相談(室)」はそのモードだけでいいのでしょうか? ここを創設したのは管理人ご自身です。ですが法の味からすると、自覚は無いでしょうが、実は管理人こそが、“弱点”を克服する「縁」「機会」「味」を御本尊から頂いたと私はうのです。


 唐突ですが、「子育て」は簡単ではないですね。自分がそうだったからといって、我が子の代で簡単に通用するものでもない。一刀両断で済まない。学会員であること、この信に縁していること、全てがつながっているようにえてならない。だからこそ勇ましい“演説”だけでは危険ですね。


joypops


 なるほど。しかし、投稿に際し「〜殿御返事」とタイトルをつけていないことは、なぜご存じか?


 別に、いちゃもんなんかつけていないですよ。大体、あなたの文章の終わりかたは何だろうか? まじめに議論する気がない。だったらあなたこそ、間接的に小野さんにいちゃもんをつけているのでは?


 2ちゃんねる以下だと言う指摘がありましたが、2ちゃんねる以下にしているのは、小野さん自身ですから。


大勝利


 シビックさんの発言を引用させていただきます。


 この「掲載」っていうのは、ブログへの掲載のことだったんですか? 私は、ネット相談室として発行されることだとってましたが。


 このネット相談室の配信部数は現在270部ほどになっていますし……。メンバーの誰かが自分のブログで紹介することは有得ることだといますし、止められないでしょう。そもそもネット相談室のメールを受信しているメンバーでなくとも、バックナンバーのURLへアクセスすれば誰でも見れるのですから、例え最初に細かな説明がなかったとしても、「ネットでの公開」は周知の事実だったといます。


 NO-0

 http://www.emaga.com/bn/bn.cgi?sodan


 ここで、「すべて公開される」とは、当然「メール上」ではなく「ネット上」でのことを指すという事をよく理解すべきだといます。学会員だけが見ているのではありませんので、回答者の方々も公開されていることをよく識した回答をがけるように期待したいといます。


のり


 これは面白いこと仰いますね(笑)。私はね、この件での書き込みは、ちょっと迷ったんですよ。というのは小野さんにあらぬ迷惑がかかるのではないかとったからです。つまり、こうしたやりとり。


 シビック殿は私に対するレスを何の躊躇もなく書き込めましたか。


 尚、掲載につきましては、私の一方的な判断で行いますので、怨嫉してはいけません。


 この「掲載」っていうのは、ブログへの掲載のことだったんですか? 私は、ネット相談室として発行されることだとってましたが。


 私は当然プログだといましたよ。既にメール登録している者に、何でネット相談室として発行する必要がありますかね。

 小野さんに、いちゃもんつけるのが目的ならば、迷惑なので書き込み遠慮願います。


 ネットでは、決め付けの論調が多いですよね。「いちゃもんつけるのが目的」と判断するのは、早すぎるような気がします。畑さん、joypopsさんは、小野さんに対する気持ちを率直に書かれただけだといます。


 私も率直な気持ちを書いたまで。決め付けの論調と言いますが、相談を持ちかけた者が、小野さんのネット相談室を利用して小野さんに論争を挑む。これって、当相談室の趣旨から逸脱しておりませんか。論争したければどこかの掲示板でおやりになれば良い。実際に対面しての相談室ではないので限界もあろうというもの。それぞれの方のアドバイスに対して、論争を目的としてはいけませんな。


 気に入らなければ、自分達でやればいいじゃありませんか。


「僧侶の言うことを聞けないなら、御本尊を下付しないから、勝手にやりなさい」という言葉と同じようにじてしまいます。


 飛躍しすぎですね。私は相談室の主催者ではありません。権限などないのです。勘違いなさらないで下さいね。そういうのを「決め付けの論調」っていうんじゃないですか。座談会週間でもありますし、こうしたやりとりは不毛です。よってこの件に関する論議は、以後スルーします。


joypops


 またこんなの載せる……。火に油を注いでいるのはあなただ、小野さん。それを否定するなら、この文章も流してください!!!


壮年部くまおー

 お久しぶりでございます。 No.29の自分の見について少々言い訳をいたし

ます。


 一部の方の回答には、どちらかというと、私の悩み(しみ)の解決をはかるというより、正論でもって“正しきことを”論ずることに重きを置いておられるようにじました。


 私のレスNo.29に対するご見でもあると勝手に解釈しています。私の地域の創価学会では私の見は正論ではありません。畑さんがNo.26で紹介された体験は、私も詳細は違いますが経験した事があります。そして今まさに自分自身の人事を任命前に幹部に他言され、担当地域の会員さんと私は迷惑を被りました。先輩幹部でありましたが、皆の前で謝罪していただきました。別にわたし一人が正しいとか、悪い幹部は糾弾すべしとかって行動しておりません。 私の地域の創価学会池田先生の手作りの組織であると言われています。それゆえ、池田先生のご指導と違う事はしたらあかんやろ−という考えです。


 先生は明確に指導されています。「秘密は絶対に守れ。口の軽い幹部は失格だ」と。私は、この指導を先生から直接、伺う機会があったので断言できます。これは時代が変わっても、学会の方向が変わっても絶対に守らなければいけないことではないでしょうか?


 Joypopsさん勝手に引用してごめんなさい。 しかし口の軽い幹部は失格にならないし、絶対に守らなければならない事も守られていないのが、私の地域の創価学会です。だからこそ池田先生のご指導を具現化できる自分になりたいといます。


 自他共に師匠に対するええかげんな姿勢は許さん! 青年のとはこんなんでないやろか?


ご立腹


 まったくその通りだといます。ここの管理人は、自分本位的な内容しか書けないようである。今まで読んできてじたことは、常に他力本願である。良識ある会員さんであれば、なんということもない出来事ではあるが、新入会員さんが見てるとうとゾッとする内容の書き込みもある。


 あまりにも無責任極まりないサイトであることは間違いないようだ。書くのは最初で最後になりそうだが、小野不一という男には呆れた。どうか、会員全員が利用したくなるような運営をお願いします。


学生部書記長


 みなさん、初めまして学生部で書記長させていただいております_(._.)_

 いつもネット相談室を楽しみに拝見しておりましたが、最近楽しくありません。なぜかわかりますよね? 本来はネットの相談室、このメールは壮年部男子部女子部はモチロン、学生部など色んな方が拝見しているといます。最近の内容を見た人はどういますか? もっと仲良く楽しくしましょうよ! ものすごい相談しにくくなってしまってるじゃないですか! ここは「相談室」ですよね? 相談して、相手の事をって返事しましょうよ! よろしくお願いします_(._.)_


photochika


 はじめまして。学会二世の婦人部です。職は写真家です。

 もうみっともない事はやめましょうよ。読んでいて情けなく、そして嫌悪の情に鳥肌が立ちます。まったく男ってどうしようもない。黙って引っ込むことはできませんか?


 そもそも、最初のご質問自体が情けないですよ。その場で、あるいは会合終了後に直接その本部長に言えばすむ話をこんなにグダグダ引きずるなんて。


 随分気の弱い人だとっていたら、なんだか最近は威勢の良いこと。本当に同一人物なのかしら?

 

 小野さんの言葉――


 死ぬまで、「場を凍らせないよう」配慮をし、問題がある度に「落としどころ」を探すがいい。子供じみた正義は極めて厄介だ。どこをどう突っつけば組織が動くのかも理解できないのだろう。今のままでは、誰に何を言ったところで解決することは不可能だと言っておこう。


 これが全てですね。


 畑さんの言葉――


 このような相談室は主宰者のブログのオカズに過ぎない無味な存在と断じておこう。


 あなたが強い態度で向かっていかなくてはいけないのは、本部長でしょう? このくらいの勢いで現実も頑張ってくださいね。それから「オカズ」という言い方は非常に不愉快です。


関西・岡本


 この「ネット相談室」の最初のとっかかりは次のようなことでしたね。


※この度、「ネット相談室」なるメールマガジンを発行することとなりました。その理由と動機は以下の通りです――

 1.組織に相談できる先輩がいない。

 2.Web上で情報発信できる学会員が極端に少ない。

 3.まともな学会員同士の交流の場がない。

 4.私の頭が固くなってきている。

 5.私が結構暇である。

 6.自由に参加でき、尚且つ刺激的な場がない。


 私も、「そう! その通り!」とい購読申込しましたが、最近は“子供の喧嘩”状態になっていることを憂えてます。色んな見を出すのはいいといますが、見が違うことに対して、相手を指摘し合うのはどうかといます。 

 組織の中でも、その人の為とって「指摘」することはあります。面と向かって言っても本人にはうように伝わらないことも、ままあります。まして、ネットでは自分のいなんて伝わらないといます。同じ国土世間で池田先生のご指導のとおり戦っているもの同士なら解りあえるといますが、中々しいでしょうねえ。


 せっかくの機会なんですから、今後も長く続くよう、「前向き」に相談、アドバイスをしていきましょうよ。「先生ならどうされるのだろう、どう言われるのだろうと……」と。


Sky


 畑さんの当初のご相談が、皆さんのアドバイスを受け止められた上で「落としどころを見つけられて完了」という旨、確かに了解いたしました。“味”を見つけられ、が晴れたご様子、本当によかったですね。


 私自身は、ご相談内容に対しては何も見を述べられませんでしたが、皆さんのご見を拝見し、色々考えることができました。お辛いなかで、勇気のご投稿をありがとうございました。


 ただ一点だけ、「その幹部のかた、自分のしたことに気付かないままで、また他の人にも同じことを繰り返して、辛いいをさせてしまうのではないかな……」という配だけは残ってしまいました。


 さて、No.44【Sky殿ご返事+α】の、他のお書き込み部分は私宛ではないようですのでコメントはできませんが、


「実は管理人こそが、“弱点”を克服する『縁』『機会』『味』を御本尊から頂いたと私はうのです」等、小野さんへご見があるようでしたら、この「相談室」ではなく、ご本人に直接メール等でお伝えしていただければありがたいです。


 それでは、横から口をはさんですみませんでした。失礼いたします。


シビック


 私はね、この件での書き込みは、ちょっと迷ったんですよ。というのは小野さんにあらぬ迷惑がかかるのではないかとったからです。


 そうですね。書き込まない方が良かったのかも知れませんね。畑さんが「件の本部長」に対して何らかの行動を起こした方が良かったのかどうかもやってみなければわからないことかも知れません。もしかしたら、行動を起こした後に、のりさんのように後悔したかも知れませんしね。


 ただし、後悔するかどうかは別にして、味のあるものになると信じて行動するしかないのだといます。この相談室も始まったばかりですので、様々な見や要望が出て、小野さんが反映してくださったりすれば、ありがたいのかなといます。


 私は当然プログだといましたよ。既にメール登録している者に、何でネット相談室として発行する必要がありますかね。


 私が言ったのは、そういう味ではなくて、我々が「質問」や「返信」をした内容がネット相談室として採用されるかどうかという味です。現に私は、今回の相談内容以外にもメールを何件か送ってますが、採用されませんでした。小野さんが価値的なものかどうかを判断し、取捨選択して発行しているのではないでしょうか。そういう味での「掲載につきましては、私の一方的な判断で行います」なのだといます。ただ、大勝利さんの発言も、もっともかなとったりします。


 私も率直な気持ちを書いたまで。決め付けの論調と言いますが、相談を持ちかけた者が、小野さんのネット相談室を利用して小野さんに論争を挑む。これって、当相談室の趣旨から逸脱しておりませんか。論争したければどこかの掲示板でおやりになれば良い。実際に対面しての相談室ではないので限界もあろうというもの。それぞれの方のアドバイスに対して、論争を目的としてはいけませんな。


 確かにそうかも知れませんね。ただ、この相談室で疑問を呈するのが、手っ取り早かったのかなといます。


 飛躍しすぎですね。私は相談室の主催者ではありません。権限などないのです。勘違いなさらないで下さいね。そういうのを「決め付けの論調」っていうんじゃないですか。


 権限があるかどうかが問題ではなくて、小野さんの側に立って、相手を追い出すような論調の部分に日顕宗じたので、一言いわせてもらっただけです。


 座談会週間でもありますし、こうしたやりとりは不毛です。よってこの件に関する論議は、以後スルーします。


 このあたりにも「対話拒否」や「日顕宗の(秋谷会長に対する)お目通り叶わぬ身」発言と同じようなものをじてしまうのです。「以後スルー」するのであれば、No.47のご返事自体を出さない方が良かったのではないでしょうか。もっと言えば、No.39の畑さん、joypopsさんへの喧嘩を売るような発言がなければとさええてしまいます。でも、全部味があるんですかね。のりさんと話ができてよかったと私はいますから。

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