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1904年ごろのアンダーウッドのタイプバスケット配列(スティックニー特許による)
安岡孝一氏が提起したことは、「ちょっとまってくださいよ、フロントストライクじゃなかったんですよ、アップストライク式だったんですよ、QWERTY-1882に至る時期は。」 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループStickney特許のタイプバスケット並びに対応させてキーを再配置したならば、どうなるであろうか。 - QWERTYの史的とぐろ?raycy - qwerty-history-jpグループ
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に変えて着色しなおす。
1904年当時のアンダーウッド |
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1904年Stickney特許 |
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HN あるいは NHは、低頻度なgoogle:BIGRAMであろう。
タイプバスケット上の隣接タイプバーの連続動作機会の確率的低減と英語におけるbigram出現頻度
きめ台詞としての「隣接タイプバーの連続動作機会の低減」
これに、確率的とかBiGramとかのキーワードも入ってたほうが、それっぽいかな、。
ブラインド‐タッチ‐タイピスト っていう言葉が、必要ですかね、それだと、、 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ安岡孝一氏が主張する2005年来の「Traubのタッチタイプ」の内実は、2008年3月になってようやく『キーボード配列 QWERTYの謎』で示された。 - 一般KY論入門:raycy - 一般「安岡孝一」学グループ(1886年 Traub )
キーボードを全て空白にした『カリグラフ№2』で、エキシビションをおこなったりもした。トローブは、今で言うところのタッチタイピスト――もちろん当時そんな用語はないが――だったわけである。(87ページ)
山田尚勇
# タッチ・タイプ法の出現
今日でいうタッチ・タイプ法とはタイプライタ操作の際、
(1)10本の指全部を使う(実際は9本の人が多い)
(2)打鍵する際に文字盤を見ない。その理由は;
a より速く打つためと
b 疲労度を軽減するため
ということである。
タイプライタ入力法の発展
安岡孝一氏は
Any pioneer who suggested that typists need not look at the keys was jeered as a faker. -- Hisao Yamada: "A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels", Journal of Information Processing, Vol.2, No.4 (February 1980), pp.175-202.
He was never jeered as a faker, but gained respect and admiration for his skill (cf. F. E. McGurrin: "Typewriting without Looking at the Keyboard", The Cosmopolitan Shorthander, Vol.9, Nos.11&12 (December 1888), pp.249-250).
The Truth of QWERTY
と書いた。
山田尚勇原文の訳文らしき該当箇所をみると、
ソルト・レーク市のF・E・マッガリン( Frank E.McGurrin )は連邦裁判所の公式速記者を勤めていた人であるが、この人こそロングリー夫人とは独立に、真のタッチ・タイプ法を開発した人であった。つまり彼は10指全部を使ってタイプし、しかも鍵盤に目をやらなかったのである。しかし、タイピストは文字鍵盤を見る必要がないと提唱した先駆者たちは、皆いかさま師だといわれ嘲笑された。
シンシナティ市出身のルイス・トーブ( Louis Taub )といわれる人物は、タイプライタは両手の合計4本の指で操作すれば必要充分であると信じていた。
そして両者はタイプライタの業界の醵出した賞金を目指して、1888年7月25日にシンシナティ市で歴史的な対決をすることになったのである(図6参照)。
山田尚勇が述べる歴史の順序は、
ってな流れでは。たぶん。
つまり、うそつきのそしりを受けたのは、1888年7月25日ごろまでが、大いに ひどかった時期であり、それを過ぎてからは、事実の前に、説き伏せるための引用可能な根拠ができ、信じる人も徐々に増えていったってことだろう。
安岡孝一氏は1888年7月25日より後の、December 1888 だかの文献を持ち出して、何らかの批評をしようとしているようであるが、文献の選択として、的外れではなかろうか。
原文の該当箇所は
CiNii 論文 - A Historical Study of Typewriters and Typing Methods: from the Position of Planning Japanese Parallels
と主張するのなら、1888年7月25日以前にFrank Edward McGurrinが「faker」だと謗られた証拠を示す必要があります。私(安岡孝一)が知る限りそんな記事は存在しないので、「He was never jeered as a faker」と書いたんですけど
>文献の選択として、的外れではなかろうか。
とまで書いて、私を「うそつき」よばわりした以上、存在しない記事を参照する方法を是非ちゃんと示して下さいね。それが出来ない限り、この件について私は引き下がる気はありませんので、そのおつもりで。