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中国で大論争
温家宝「政治改革発言」の真意

2010年09月22日(Wed) 城山英巳

 1931年の満州事変の発端となった柳条湖事件から79年を迎えた9月18日、尖閣諸島(中国名・釣魚島)沖で発生した衝突事件をめぐり日本政府が中国人船長を釈放しないことに抗議し、北京の日本大使館周辺で起こった100人規模の反日デモ行進。「釣魚島から出て行け」という反日プラカードを持つ若い活動家に交じり、50センチ四方の紙に「深圳・腐敗」と書いた紙を掲げた40代男性が目を引いた。この男性を含めて、陳情者とみられる地方の農民ら10人程度が、反日デモ行進に紛れ込んでいたのだ。

反日デモに紛れ込んでいた共産党体制への不満分子

 「日本軍に侵略された屈辱の歴史を忘れるな」と訴える中国共産党は、暴力化しない限りにおいて反日デモを黙認する。そのため普段は公安当局から抑圧され、腐敗や立ち退きなど自らの不満を世間にアピールできない陳情者ら社会不満分子にとって、反日デモは訴えを示せる数少ないチャンスとも言える。実は胡錦濤指導部は、こうした不満分子が「日本」を隠れ蓑に、共産党体制批判を展開し、社会の不安定が増大してしまうことを何より恐れており、公安当局も「便乗犯」の動向に目を光らせていた。

 民衆の不満や憤りの背景にあるのは、政治権力やそれと結託した国有企業ばかりが興隆し、権力と無縁の庶民はいつまで経ってもはい上がれない「国進民退」(国は栄え、民は滅びる)現象の蔓延だ。こうした中、何より社会の厳しい現実を熟知し、改革深化の必要性を痛感する温家宝首相は8月20日夜、経済特区30周年を迎えた広東省深圳を訪れた際、政治改革についてこう発言した。

 「経済体制改革を推進するだけでなく、政治体制改革も推し進めなければならない。政治体制改革の保障がなければ、経済体制改革の成果は台無しになり、現代化建設の目標も実現できない」。中国ではこの発言の真意や背景をめぐって国内の知識人や大手メディアを巻き込んだ大論争に発展している。

限界に達している「深圳式」経済優先改革

 北京の反日デモで現れた深圳の不満を見るまでもなく、中国の高度成長をけん引した「深圳式」の経済優先改革はもはや限界に来ている。9月8日、共産党機関紙・人民日報ネット版『人民網』は、庶民が自らの意見を直接最高指導者に伝えられるネット伝言版「直通中南海」を設置。報道によると、胡錦濤国家主席への伝言はわずか約1週間で4万件に達したが、多くは不動産価格高騰、幹部の腐敗、汚染、権利侵害などの個人的不満だったという。

 中国政府幹部は「若者のうち、腐敗にまみれた役人を親に持つ者以外、自分の家を買うことはできない」とこぼすが、政治体制改革により民意を政治に取り込まなければ、社会の不満は拡大し続けるというのが温の認識だ、と受け止められた。

温家宝がエリツィンになる?

 「温発言」の直後、北京郊外に知識人が集結し、政治体制改革はどこに向かうのか話し合う討論会が開催された。出席した知識人の一人は筆者に「激論になったが、出席者の7割は『温発言』に肯定的だった」と明かす。

 別の知識人も「最近、温首相のほかに『政治体制改革』に言及する政治局常務委員はいない。言わないより言う方がましだ」と語る。

 「温支持」を掲げる北京電影学院の崔衛平教授は、自らのブログに9月11日発表した「政治言説」と題する文章で深圳での温家宝発言に関して3つの注目点を挙げる。

① 温発言中の「制度上、権力が過度に集中したり、権力を制約できなかったりする問題を解決する必要がある」は、「中国に存在する各種各様の問題の本質をずばり指摘したもの」であり、「例えば三権分立、多党制、選挙制、世論監督はすべて『権力制限』という政治目標を保証する道である」
② 温発言中の「人類社会一切の文明成果を大胆に学習し、手本にしなければならない」のうちの「人類社会一切の成果」は、「『普遍的価値』を言い換えた文言」である。温首相は2007年に「科学、民主、法制、自由、人権は資本主義だけが持っているものではなく、人類の長い歴史の過程で追求されてきた価値観」と表明したが、「(民主、人権など普遍的価値観を重視する考えは)温先生の一貫したものだった」
③ 温発言は、「(中国指導者が通常、「民主」に触れる際に枕詞となっている)『社会主義』を付けていない」

 つまり温の発言は、社会主義の枠内にとどまらない「民主」を想起させるというわけだ。特に、権力の私物化が深刻化する中国において「権力制約」に関連して「権力は誰のものか」というのは政治改革の核心的テーマである。

 別の知識人も、発表した文章で「政治改革があってこそ、温家宝は一躍中国民主の父となり、(ロシアの)エリツィン式の人物になることができる」と期待感を込めた。

政治改革の「姓社姓資」論争に

 深圳での温発言の反響の大きさが、民間の知識人にとどまらず、共産党内にも広がっていることを示したのが、9月10日付『学習時報』に掲載された「政治体制改革推進は民意の向かうところ」と題する論評だった。「民主化は世界的な潮流だ」と、政治体制改革の深化を求め、温発言を明らかに支持した。

 学習時報は共産党幹部養成学校「中央党校」機関紙。「開明的な論調を出し、議論を促す役目を担う」(共産党関係者)とされるが、党内における政治改革議論の方向性をうかがわせるものと言えよう。

 さらに広東省党委員会機関紙『南方日報』は「特区は政治体制改革の先行者にならなければならない」と伝えたほか、国営新華社通信発行の時事問題誌『瞭望』も、週のネット話題を取り上げる「一周網談」で、「網民」(ネットユーザー)に代弁させる形で、「温発言」に対する政府内の雰囲気を伝えた。

 「網民が言うところでは、腐敗、炭鉱事故、食品安全、環境汚染、暴力団組織勢力の氾濫、貧富格差拡大の勢い、どれも抑制できず、社会安定に影響を及ぼしている。このため政治体制改革推進は民心の向かうところだ」

 ここで注目すべきは、「民意」と「民心」と違いはあるものの、政府系メディアがそろって「温発言」を受け、「政治体制改革推進」という方向性を打ち出したことだ。

 これに対し、社会主義民主と資本主義民主という「2種類の異なった民主を混同してはならない」と、論争にけん制球を投げたのが有力紙『光明日報』(9月4日付)。「『誰が統治するのか』という問題でも違った答えになる」。1990年代初めにも盛り上がった「姓社姓資」(社会主義か資本主義か)論争と同様の事態に発展している。

胡錦濤発言との温度差

 しかし温家宝に否定的な知識人の存在を忘れてはなるまい。その代表が著名作家の余傑だ。2006年に当時のブッシュ米大統領と会見した余は、8月中旬に温を痛烈に批判した『中国影帝温家宝(中国一の名優・温家宝)』を香港で出版した。その余に聞いてみた。

 「胡錦濤と温家宝の関係は、毛沢東主席と周恩来首相の関係と一緒。毛は嫌いだが、周は好きという者が多く、温も(胡に比べて)好感を持たれている。しかし胡と温はお互いに一つの方向に向かって連携しており、(彼らが権力基盤を強めた)04年以降、『国進民退』はひどくなり、報道の自由もより厳しくなった。温が改革の希望というのは間違った考えだ」 

 余傑は7月5日、公安当局に連行され、4時間半にわたり拘束された。「出版したら逮捕する」と脅された、と余は明かす。江沢民時代、余の著書は中国国内でも出版されたが、今は香港で出版しようとしても強い圧力が掛かり、事態は確かに後退している。

 「越来越緊」(どんどん引き締めが強くなっている)。開明派の共産党関係者も、人権活動家・弁護士やジャーナリストに対する中国政府の対応をこう表現した。

 一方、「温発言」から18日経った9月7日、今度は胡錦濤国家主席が深圳を訪れた。「深圳経済特区30周年祝賀大会」に出席、重要講話を行い、こう強調した。

 「全面的に経済体制、政治体制、文化体制、社会体制の改革を推進し、重要な領域やカギとなる段階の改革において突破するよう努力しなければならない」。胡は「民主」や「法治国家」の枕詞として「社会主義」というキーワードを付け、従来の共産党の見解から踏み出したものではなく、先の知識人たちに失望感が広がったのは言うまでもない。

持論曲げなかった温家宝

 筆者は6月30日の本コラム「中国の指導者に必要な『胡耀邦のDNA』とは?」で今年4月15日付の『人民日報』2面に掲載された温家宝の「再回興義憶耀邦」(興義を再訪し耀邦をしのぶ)という見出しの署名入り回想文をめぐる胡と温の関係について紹介したが、今回の温発言もこれと同様に、裏に潜む中南海内部の論争の実態は見えにくい。「温発言」の背後に果たして胡の意向があるかどうか。役割分担をしているだけなのか。あるいは温の単独行動なのか。

 ある知識人は、発表した文章の中でこう指摘した。「温家宝の講話はその開放性や開明性において他の共産党指導者を超越している。共産党上層部には比較的重大な食い違いが確実に存在している。温家宝の声は優勢を占めていないが、彼の講話は一定の効果や反応を引き起こすだろう」

 それでも温は持論を曲げなかった。8月27日の「全国依法行政工作会議」。「政治体制改革がなければ、経済体制やその他の領域の改革ないし現代化建設も成功しない」「手続き面の民主がなければ、実質的な民主はない」と踏み込んだ。「胡発言」後の9月11日になって講話全文が公表され、温の一貫した主張が浮き彫りになった形だ。

「おいしい果実も腐っていく」
危機感に満ちた党指導部

 共産党幹部はこう言う。「毛沢東や鄧小平の時代は終わり、今の中国は集団指導体制です。絶対的権力を持たせる状況は制度上なくさなければならない。指導者はお互いに譲歩し合ったり、折り合いをつけたりして国を守っていくのです」

 行き過ぎた経済改革の結果、社会には様々な矛盾やひずみが広がる。「共産党政権」という資本官僚体制の下、権力の枠内にいる者だけがおいしい果実にありつける歪んだ現実を是正し、「民」が政策決定に関与できる政治体制改革を推進しなければ、温家宝の言う通り、おいしい果実も腐っていくという危機感は指導部の共通認識であることは間違いない。

◆本連載について
めまぐるしい変貌を遂げる中国。日々さまざまなニュースが飛び込んできますが、そのニュースをどう捉え、どう見ておくべきかを、新進気鋭のジャーナリスト や研究者がリアルタイムで提示します。政治・経済・軍事・社会問題・文化などあらゆる視点から、リレー形式で展開する中国時評です。
◆執筆者
富坂聰氏、石平氏、有本香氏(以上3名はジャーナリスト)
城山英巳氏(時事通信社外信部記者)、平野聡氏(東京大学准教授)
◆更新 : 毎週水曜

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