労災連のページ
労災連15年のあゆみ
古川 和 
<前・協同組合日本俳優連合事務局長>
「瀬川・佐谷労災事件の記録」より

はじめに:
 2002(平成14)年7月11日、東京高裁(石垣君雄裁判長)が映画カメラマンだった故瀬川浩氏に対し「労働者災害補償保険の受給資格に相当する労働者性がある」旨の判決を下したことは、芸能界に働く者にとってまさに画期的な出来事でした。企業との専属雇用契約を持たない、いわゆる「フリー」が大半を占める俳優、歌手、映画監督、カメラマン、美術監督、照明・録音技師、スクリプターなどは、従来、その労働実態の如何を問わず労働基準監督署のようなお役所によって、労働基準法第9条の条文にある「事業又は事務所に使用される者」「賃金を支払われる者」とは認められずに労災保険の適用外に置かれてきたのです。
 「これは、はっきり言って、働く者の差別ではないか」「専属雇用を拒否し、臨時雇いの形式を常態化したのは企業側の都合で、働く者が好んでフリーでいるわけではない」「仕事をするときは雇用労働者より厳しくこき使っておきながら、労賃は安く、事故に遭えば泣き寝入り。こんなことが何時まで続くのか」 こうした不安と不満が故瀬川氏の遺族とそれを支援する人々を突き動かし、裁判闘争へと進んだのでした。支援する人々の中核となり、勝訴への運動のエネルギーの源泉となったのが「芸能関連労災問題連絡会」略して労災連です。社団法人日本芸能実演家団体協議会(略称・芸団協)内に事務局を置き、邦楽演奏家の常磐津東蔵氏を代表とする労災連は、今回の勝訴により故瀬川氏への労災保険(遺族補償)を勝ち取って、結成来の一つの大きな使命を成就するとともに、芸能界に働く者へ勇気をもたらしました。
 ここに「瀬川・佐谷労災事件の記録」を発刊するに当たり、まずは序章として、労災連の成り立ちを紹介するところから始めたいと思います。
労災連の生い立ち
■福祉政策からの隔離
 1965(昭和40)年12月、「芸能実演家の活動条件の改善と地位の向上」を大きな目標に掲げて設立された芸団協にとって、福祉厚生事業を進めるための二大柱は「芸能人年金事業」と「労災補償」でした。高度経済成長が進むにつれて産業界では企業労働者に対する定年退職後の企業年金制度や健康保険制度、国の労災補償保険制度が整備されていきました。しかし、その一方で、政府や企業から放置されたままの芸能界の福祉厚生対策を如何に進めるかは芸能に携わる者にとっての重大問題でした。それが如何に大きい問題かは、1987(昭和62)年3月発行の芸団協20年史『芸団協春秋二十年』の記述を見れば分かります。289頁から290頁にかけてこんな記述があるのです。
 「現今のわが国では、特別な劇場用映画の主演級とか、テレビ局の看板番組の長期レギュラー以外に、出演についての契約を文書で交わす慣習がないが、その稀有な場合でも労災事項が盛られている例を聞いたことがない。唯一、公共放送であるNHKと協同組合日本俳優連合(日俳連)との間に出演に関する団体協約が結ばれていて、その中に事故に対する補償条項が盛り込まれているが、事故を生じた場合にはその事由の如何により補償などの措置につき協議するとなっている程度である」 そしてこの状況は、この二十年史が発行されて以来15年を過ぎた今日現在に至っても何も変わっていないと言っていいでしょう。
 芸団協は、設立から14年を経た1979(昭和54)年10月、内部組織として労災問題研究委員会を設置し、その2年後、日本女子大学の佐藤進教授(当時)を中心として「芸能家の福祉を考えるシンポジウム」を開催しました。内への啓蒙、外への訴えを積極的に進めようという企画です。また、その日、芸団協の専務理事であった故久松保夫氏は、芸団協内に「労災110番」を設けてケースワークに対応する体制を整え、同年11月から翌80年2月にかけては、726社の芸能関係企業、団体に労災対策に関するアンケートを実施しました。そして、得た結論は「芸能者災害補償保険法」と言うべき新しい法律の制定を求める運動でした。
 芸能人の安全保障に関しては世間からの蔑視とも思える無法な対応が横行していました。その一例が、1977(昭和52)年1月26日、NET(現テレビ朝日)の番組収録中に生じた「ライオン事件」と呼ばれる過ちです。「いたずらカメラだ! 大成功」(同年2月6日放送)というこの番組では、芸能人が自分の知らない設定の中に置かれ、蓋を開けてびっくりする場面をおもしろおかしく放送するという趣向でした。
 で、問題の1月26日の収録、上方落語協会会員の桂小軽氏は袋に詰められたままライオンの檻に入れられます。何も知らずに袋をこじ開け、出て来てライオンに出くわし、驚くばかりか襲われて怪我をするという事件になったのです。芸能人が猛獣の檻に入った姿を見せ物にされるという屈辱を味わわされた上、現実に傷害を負わされるという事態が生じたのでした。 芸団協の専務であった故久松氏は激怒し、人権の無視、現場災害への無策、番組内容の低劣性を訴えて記者会見すると同時に、日本民間放送連盟(略称・民放連)に厳重抗議を申し込みました。だが、これに類似したテレビの番組製作は、この事件発生からすでに20年以上を過ぎた最近になっても存続しています。猛獣と人間とを直接対面させることはなくとも、危険きわまりない舞台設定の中で視聴者参加番組を撮影したり、芸能人同士を競わせたりという趣向は一向に変わろうとしないのです。
 芸能人は何のために出演するのでしょうか。
 芸能を演ずる芸能人は、「自らの生活の糧を得るべく出演する」ケースが大半を占めますが、必ずしも「生活の糧を得るためではない出演」もあります。芸能の裾野を広げるための役割、次世代を育てるための教育としての出演も極めて大きな役割なのです。芸団協としては、このように目的の違っている出演を全て包含し、被雇用者の立場での出演、自営業者としての出演に区別を加えることなく、一様に災害発生時には補償が担保される「芸能者災害補償保険法」の制定こそが必要と考えたのです。
 しかし、説明するまでもなく、このような法律の制定はなりませんでした。すでに産業界で施行されている労災補償保険の適用ですら、芸能界においては製作者側の抵抗が激しいのに、新しく芸能界にターゲットを絞った法律の制定など現実のものとはならなかったのです。やはり、現行法の適用に向けて既成の概念や芸能界への偏見を是正していくための運動こそが必要だったのでした。労災連の生い立ちは、このような背景が基になって形成されていくのです。
■大きなきっかけ
 労災連結成の直接のきっかけになったのは「軽井沢シンドローム事件」と呼ばれるテレビドラマのためのロケーション撮影中に発生した大事故でした。事故を振り返って見ますと次のようになります。
 惨事が起きたのは1988(昭和63)年7月30日午後0時30分頃のことでした。長野県南佐久郡軽井沢町の通称三笠通りと呼ばれる道路上での交通事故です。テレビ朝日系列のドラマ「軽井沢シンドローム」の撮影中、主演の堤大二郎氏が運転する四輪駆動車が道路中央の分離帯に植わっている立木に激突して、堤氏自身をはじめ助手席にいた落語家や後部座席の女優、荷台にいたスタッフを含めた6人が重軽傷。スタッフのうち音声係の中山文男氏(当時47歳)は脳挫傷と全身打撲で死亡するという大事故になりました。重傷を負った堤氏は鼻骨骨折、肋骨3本骨折、7本の歯の脱骨、顎の裂傷、口唇破傷で20針も縫うありさまとなり、全治6ヶ月。助手席
にいた落語家の林家こぶ平氏は右半身強打、右足の靱帯切断、右まぶたと右こめかみの肉がえぐり取られ、60針も縫うという悲惨な大怪我でした。ドラマのディレクター、東裕二氏は頭蓋骨骨折で重体となりました。どうしてこんな大事故が起きたのか。そこには最初から無理を承知での運転と演技をさせるという演出上の人為的なミスがあったのです。
 まず、事故を起こした四輪駆動車は改造車でした。ドラマの中では乗用車であるように見せるために後部座席はありますが、スタッフが同乗出来るようにと、トラック仕様にしてありました。撮影効果を上げるためにボンネット上にはライトを2基設置し、運転手(堤大二郎氏)を照らすようにしていました。視界が悪くなって運転に差し支えることは説明を要しないでしょう。助手席の外側には40センチの台をを取り付け、その上にカメラを設置していました。助手席の窓の外側から運転席と後部座席を撮影するためでした。これによって、主演の堤氏が車を運転しながら、助手席の林家こぶ平氏とともに後部座席にいる女優を口説いている(ナンパしている)というシーンを撮影するというわけでしたが、カメラは高価なもので、その安全には人間以上に気を遣っていたと言われています。
 四輪駆動車が改造車で、道交法に違反していたばかりでなく、そもそも5人乗りの車に7人が乗り込んでいたというのも違法でした。そのうえ、さらに驚くのは公道を使用して撮影しているのに、警察に道路使用許可の申請をしていなかったというのですから、何をかいわんやです。
 撮影中に自動車の運転手が演ずる演技に焦点を当てる場合、通常なら、牽引車が引っ張り、その荷台から撮影するのが普通のやり方と言われています。運転は真似をするだけで良く、演技に専念できるからです。ところが、堤氏は本当に運転した上にライトの光をまとも浴びせられ、さらには制限速度30キロの道路で40キロ出していました。事故は起きるべくして起きたと言っても過言ではありません。
■事故が明らかにした問題点
 軽井沢警察署が堤氏を業務上過失致死で事情聴取することが決まったところで、日俳連が行動を開始しました。1988(昭和63)年8月下旬のことで、中心となったのは江見俊太郎氏、小笠原弘氏、玉川伊佐男氏ら日俳連の常務理事でした。行動の足がかりは、次のような問題意識に基づく事態への善処でした。
@俳優、堤大二郎は事故当事者とは言え、無理な設定で運転と演技をさせられた被害者ではないのか。堤氏に加害者責任や賠償責任があるのか。
A事故の基本的な責任は改造自動車を使い道交法違反を承知で演技をさせたテレビ朝日にあるのではないか。
B死亡した音声係の中山氏は、テレビ朝日社員であるが故に「労災補償」の申請がなされたが、同じ現場で仕事をしていた他の人々は何故申請が出来ないのか。
C今後の事故再発防止のためには何をしなければならないのか。
 同年9月7日、軽井沢警察署で行われた堤氏の事情聴取には、許可を得て、江見、玉川両常務が同行、俳優の就労時における一般的状況を詳しく説明しました。一般の人、部外者にはなかなか理解してもらえない撮影現場の実態、俳優の置かれた立場を説明したのです。
 また、この事情聴取では、重傷の不自由な身体にもかかわらず、真摯に聴取に応じ、現場検証にも立ち会った堤氏の態度が警察にいい心証を与えたと伝えられています。現場検証を行った交通課の巡査部長が「(堤氏は)重傷を気遣うわれわれに『大丈夫です。責任は私にあります。行きます。口が駄目で聞きづらいでしょうが許してください』と言って現場検証を済ませました。責任感が強く、検証中も変わらぬ真摯な態度に心を打たれました。近頃の青年にない、さわやかさを感じました」と語ったその言葉に全てが集約されているのでした。
 日俳連の起こした行動の第1は、テレビ朝日の親会社とも言うべき全国朝日放送株式会社の田代喜久雄社長(当時)への申入書発送でした。森繁久彌理事長名で同年9月12日に出した申入書では、前段で頻発するドラマ収録時の事故例を列記した後、箇条書きにて4項目に対する善処を訴えました。
 第1は「放送主体として、番組製作時の安全衛生の管理責任を明確にして頂きたい。特に、外注番組の製作に当たっては、下請け会社に対し法及び法令等に違反しないよう指導するとともに違反の恐れあるときは是正のため必要な指示を行って頂きたい」。
 第2は「放送主体として被災した実演家の補償に万全を期して頂きたい。民事上賠償責任を負うことは当然でありますが、それと別個に、今後は労働者災害補償保険法の適用を受けられるよう配慮されたい」。
 第3は「堤君は、製作担当者の指示の基に、運転中の演技の中で被災したのでありますから、堤君のみの責任が問われることのないよう、放送製作現場の特殊性について、十分理解が得られるよう事情説明等に努力して頂きたい」。
 そして、第4は「実演家が安心して出演できるようなルールを確立するための協議を早急に開いて頂きたい」でした。
 全国朝日放送からは田代社長名で、次のような回答が寄せられました。 第1点については「番組制作時の安全管理責任について不明確な点は、今後とも改善していきたいと思います。特に、外注番組を契約するに当たって、安全配慮及びそのための保険等の整備につきましては十分留意し、契約条項に明記するようにしていきたいと思います」。
 第2点については「労災は、現行法では第三者(専属雇用者ではない者)には適用されませんので、所属プロダクションが法人として加入するか、他の保険で補う方法が考えられます」。
 第3点については「警察の調査がどういう結果になるか予測できませんが、当社としては、発注者としての責任は承知しており、お申し越しの趣旨について鋭意努力して参ります」。
 そして、第4点については「今後研究して参ります」でした。
■未だに拒まれる「労災保険」
 このやりとりで明らかなように、放送局や製作会社と実演家との間での安全対策で大きなネックになるのが、「労働者災害補償保険」の適用です。「出演する者に適用されるよう手続きをしてくれ」と要求する実演家に対し、「実演家は当社の社員ではない。つまり第三者なのだから、労災保険の適用はできない」とする製作者側。この言い分の食い違いは、もう20年以上も続いていて、一向に間を縮めることができずに平行線を辿っています。
 芸能実演家や芸能界で働く技術者、スタッフが「労働者」に当たるのかどうか。それはまさに、このレポートの主題である「瀬川労災訴訟」の中核でした。本訴訟では、原告である故瀬川氏の遺族は勝訴し、「スタッフは労働者に当たる」旨の判決が確定しました。しかし、だからといって、芸能界に働く者全てに同じ考え方が適用される体制が確立したのかというと、まだそこまでには至っていません。
 労働者災害補償保険は、確かに、いささかややこしい保険です。1947(昭和22)年4月に制定された労災保険法には、その第1条に「…業務上の事由または通勤による労働者の負傷・疾病・障害または死亡に対して迅速かつ公正な保護をするため、必要な保険給付を行い、あわせて業務上の事由または通勤により負傷しまたは疾病にかかった労働者の社会復帰の促進、当該労働者およびその遺族の援護、適正な労働条件の確保等を図り、もって、労働者の福祉の増進に寄与することを目的とする」と定め、労働者の保護、福祉に強く配慮しています。しかし、問題はこの「労働者」とは何たるかであり、芸能実演家が「労働者に当たる」か否か、で長い間の論争が展開されてきたのです。
 労働者災害補償保険には、「継続事業」として扱うものと「有期事業」として扱うものとがあります。継続事業は、一般の製造業などのように、一度事業を始めてしまえば特別の事情(例えば、破産による企業閉鎖など)がない限り、半永久的に継続されていく事業です。一方、有期事業は土木建設や山林の断木・搬出のように事業の期間があらかじめ予定され、その期間に一定の事業を終えてしまうというものです。
 映画の撮影、舞台の上演などもあらかじめ撮影期間や上演期間は予定され、一定の期間中に事業を終えるものですから、有期事業に入るでしょう。そこで、日俳連では、NHKや民放テレビのキー局との間で団体協約を締結するに当たり、この「有期事業の扱い」で労災保険を適用できるようにしてほしいと要求し続けてきました。しかし、この問題での放送局、製作者側のガードは固く、「民間保険会社の包括保険による補償」から一歩も抜け出そうとはしないのでした。そして、この姿勢は今になっても全く変わることがありません。
■国会で取り上げられた俳優の人権問題
 「軽井沢シンドローム事件」が提起した問題点は大きく、1988(昭和63)年11月9日には参議院の決算委員会で取り上げられることになりました。及川一夫議員(社会党=現社会民主党)が警察庁、労働省(現厚生労働省)、郵政省(現総務省)にそれぞれ見解を質したもので、俳優の置かれている立場を政府の諸官庁がどう認識しているか、俳優の人権をどう考えているか、を知るうえで非常に貴重な機会となりました。
 当時の議事録を紐解いてみますと及川議員が事故の責任に関して「違反、欠陥だらけの状況で演技した俳優に一人責任を負わすのは如何か。常識的に見れば(運転と演技を)要求している人(つまりディレクター側)の責任は絶対に免れないのではないか」と質したのに対し、警察庁の交通局長は「共同過失があったという点などを念頭に置いて捜査を進めています」と答えています。この答弁からは、改造四輪駆動車を運転させたことの誤りを認識しているとの印象を受けます。
 ところが、重傷を負った堤氏への労災保険適用について質した及川議員への労働省大臣官房審議官の答弁は「俳優の方あるいはフリーの方、こういう方はやはり労災保険の適用対象にはならないという制度でございます」とし、鼻から問題にしないとの態度でした。
 そこで、また日俳連は一つの行動を示しました。同委員会に参考人として出席した江見俊太郎常務理事が、1984(昭和59)年度の芸団協の災害実態調査を基に、芸能実演家の就労中の傷害経験者数をはじめ、負傷しても治療費だけで済まされたケースや治療費さえ出なかったケース、後遺症に悩まされているケースを統計を示して数量的に説明したのです。
 この実態を踏まえて及川議員は、さらに「危険な状況下で働いている芸能人が労災保険の適用外で、万一の場合路頭に迷うのを放置しているとしたら、それは法の盲点ではないか」と労働省を追及しました。
 答弁に立った中村太郎労相(当時)は「俳優やスタッフの身分がフリーなのか、事業家なのか、あるいは雇用者なのか、この関係をまず明確にすることが大事」としながらも「この事案を慎重に、精密に調査し、必要とあらば助言もいたしたい、指導もいたしたい」と前向きな姿勢を見せたのでした。
 この答弁は、翌年になって実ります。
■政府の対応
 年が明けて1989(平成元)年3月13日、労働省は労働基準局長名で「テレビ番組等の制作の作業に於ける労働災害の防止について」と題する通達を行いました。宛先は日本民間放送連盟(民放連)、NHK、日本テレビ番組製作社連盟(ATP)、日本テレビコマーシャル制作社連盟(JAC)と全国の都道府県労働基準局でした。
 「制作の作業においては、ディレクター(監督)、プロデューサー、撮影係、照明係、録音係、美術係、俳優等事業の所属を異にするものが、ディレクター若しくは映画監督またはプロデューサーの指揮の下に協力して作業を進めている場合が多く、制作の作業における災害を防止するためには、使用する機械器具、現場における作業の方法等について制作の作業全体を統括して安全衛生管理を進めることが肝要であります」を趣旨としたこの通達では、大きく3項目(細部6項目)にわたって指示を出したものでした。
 各項目の内容は
1.計画段階に於ける安全性の検討
 制作の作業の計画段階において、あらかじめ撮影場所、撮影資材、制作の作業の方法等についての安全性を検討すること。
2.現場に於ける災害防止措置
(1)資材による危険の防止
 車輌、電気設備、大道具、小道具、危険物、撮影機材等の資材についての安全性を点検するとともに、撮影、録音等技術受託した関係事業者等が現場に持ち込んだ資材についても、点検結果を報告させる等現場における資材による危険を防止すること。
(2)演技、撮影、照明等の作業における危険の防止
 演技、撮影、照明等の作業の方法については、防護設備または保護具の必要性、演技者撮影者等の技能レベルに応じた演技速度の調整、訓練または練習の必要性等を検討し、安全な方法により作業を実施すること。
3.安全衛生に関する責任体制の確立等
(1)安全衛生に関する責任体制の確立
 現場における安全衛生責任者を選任する等、業務の遂行体制に応じた安全衛生に関する責任体制を確立すること。
(2)安全衛生基準の策定等
 安全衛生に関する責任体制、資材の管理、作業の方法等について現場における具体的安全衛生基準を策定し、関係者に周知すること。
(3)専門家による安全性の検討
 特撮用機材、擬闘等安全性を検討するうえで専門的知識を必要とする作業については、専門家に検討を依頼する等その実効を期すること。
(4)安全衛生教育の実施
 制作の作業の関係従事者に対し、作業前打ち合わせ等の機会に、資材作業方法等に係る危険性、災害防止措置等について安全衛生教育を行うこと。

となっており、安全衛生管理責任者の選定、安全マニュアルの策定には特に励行するよう求めていました。
■労災連発足へ
 軽井沢シンドローム事件をきっかけにして芸能界での安全問題への取り組みは急速な盛り上がりを見せました。1988(昭和63)年12月23日に、まず第一段として東京・平河町の都道府県会館で、芸団協による「堤大二郎事件と芸能人の社会保障問題を考える」報告集会を開き、1989(平成元)年6月23日には、シンポジウム「芸能の現場から災害をなくすために」を開催しました。主催は芸団協をはじめ日俳連、日本音楽家ユニオン、劇場芸術国際組織日本センター、日本映像職能連合(映職連)の5団体。協賛がNHK、民放連、日本映画製作者連盟(映連)、電通。それに全日本テレビ番組製作者連盟(ATP)と日本テレビコマーシャル制作者連盟(JAC)の後援を得るという盛大なものになり、梅雨時の雨の降りしきる中にもかかわらず、東京・隼町の国立能楽堂大講義室への参加者は160人を超えて会場を埋め尽くすほど熱気のみなぎるものとなりました。
 このシンポジウムでは、いろいろな団体の代表が発言をしましたが、注目されたのは中央労働災害防止協会の常任理事・安全部長の長谷川正氏と日本女子大学教授で労働法を専攻されている佐藤進氏の意見表明でした。
 長谷川氏の指摘の要点は「製作に当たって、慣習として、現場の責任者が必ずしも明確になっていないこと」と「機械設備の欠陥」が事故を悲惨にする原因ではないか、という点にありました。「自分がどんなに注意をしていても防げない事故というものは必ずある。しかし、原因がどこにあったのか、責任は誰が取るべきなのかが事前に明確になっていれば事故は最少限におさえられる」との意見です。
 佐藤氏の指摘は「実演家の皆さんが『私は職人だ。労働者じゃないよ』と言っていたのでは何を言っても出発点が駄目だ」でした。芸能界で発生する事故の報告を聞いていると、タレントの命は安く、軽視されていると思える。この状況を打破するためには、芸能実演家自身がタレントなのか、労働者なのか自ら考えることから始めなければならない。労働災害や職業病は、製作者側が、労働安全衛生のコストを節約すればするほど発生することを肝に銘じておくべきである。これが佐藤氏の厳しい指摘でした。
 労災連結成の気運は、このシンポジウムの成功を期に大きく前進を見せます。芸団協、日俳連、日本音楽家ユニオン、(社)現代舞踊協会、映職連、全日本舞台・テレビ技術関連団体連絡協議会(全技連)、映画演劇関連産業労組共闘会議(映演共闘)の7団体が発起人となり、1989(平成元)年12月に発足します。初代の代表には日本音楽家ユニオン出身の芸団協常任理事、吉原敏章氏が就任しました。
労災連、最初の取り組み:
■「労働者」をどう判断するか
 芸能実演家に「労働者災害補償保険」が適用されるには、災害を受けた本人が国(労働基準監督署)によって「労働者である」との認定を受けなければなりません。では、その判断基準は何なのか。
 実は、1985(昭和60)年12月19日、労働省(現・厚生労働省)から昭和60年労働基準法研究会報告「労働基準法の『労働者』の判断基準について」というものが提示されていました。これは、1985年時点で、かねてからの判例や行政解釈を整理し、出来るだけ具体的な形で判断のための基準を提示しようとしたものでした。その内容については、第4章「『労働者性』判断の見直しを求めて」で詳述しますが、そこに記された要点をみますと、
1.「使用従属性」に関する判断基準
(1)「指揮監督下の労働」に関する判断基準
@仕事の依頼、業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無……契約内容等も勘案
A業務遂行上の指揮監督の有無……具体的な指揮命令になじまない業務(楽団員等)については、それらの者が当該事業の遂行上不可欠なものとして事業組織に組み入れられているか否か。 ……命令、依頼等に基づく予定外の業務への従事があるか(指揮監督判断の補強要素)
B拘束性の有無……勤務時間・場所の拘束が業務の性質上必要となる場合は除外。
C代替性の有無……代替性の承認は、指揮監督関係を否定する要素の一つ。
(2)報酬の労務対償性に関する判断基準
 一定の場合(計算基礎としての時間給、欠勤に対する控除、残業手当の支給等)に使用従属性判断の補強材料となる。
2.「労働者性」判断を補強する要素
(1)事業者性の有無
@本人が所有する機械、器具が著しく高価な場合
A報酬の額が他の正規従業員に比して著しく高価な場合
B業務遂行上の損害に対する責任の負担や独自の商号使用の承認が事業者性の判断を左右する。
(2)専属性の程度
 他社の業務従事が制度上制約されていたり、時間的余裕がなく事実上困難である場合など専属性が高いことは、「労働者性」補強要素の一つになる。
(3)その他の補強要素
@正規従業員の選考過程との類同性
A給与所得としての源泉徴収の実施
B労働保険、服務基準、退職金・福利厚生制度の適用

となっています。
 実は、これは後に1996(平成8)年3月に改めて出される「芸能関係者の労働者性について(新判断基準)」=労働省・労働基準法研究会労働者性検討専門部会報告=のベースになったもので、新判断基準を策定する学者の人々の考え方を強く拘束するものでした。ところが、この旧基準に関しては、芸能界で働く者の中ではあまり知られてなかったといいます。新判断基準作りに当たって専門部会から関係者に向けてのヒアリングが始まって、初めて、旧基準があることに気付いた人もいたといい、新判断基準に向けての「改訂要求」が必ずしも十分でなかったという点は、労災連にとって一つの反省になりました。
■労働大臣への陳情
 一方にそんな状況を抱えながらも、発足したばかりの労災連にとっての最大の仕事は、芸能実演家、技術者、スタッフへの「労働者災害補償保険」の適用でした。発足から2年半を経過した1992(平成4)年6月19日、参議院議員、西野康雄氏(旭堂小南陵現芸団協理事)の斡旋により、近藤鉄雄労働大臣への直接陳情が実現しました。「文化の時代に相応しい労働行政を」との要請をベースにした陳情書の内容は次のようなものとなりました。

                     陳 情 書
     芸能の製作現場における安全管理の充実と労災補償の確立について
                                   芸能関連労災問題連絡会
労働大臣 近藤鉄雄殿
                                       平成4年6月19日
 経済優先に次ぐ文化の時代に相応しい労働行政の発展を熱望いたします。
 高度成長による経済社会の発展に伴うわが国労働行政の充実は、識者の指摘するところであります。今やわが国は、経済の伸長に見合う文化重視の新時代への発展が期待されているところであります。しかるに、文化、特に芸能の制作現場におきましては、ご指導、ご努力にもかかわらず、労働災害が続発し、また充分な災害補償も行われないなど、労働基準法、労働安全衛生法、労働者災害補償保険法等関係法規の恩恵が、必ずしも行き渡っていない実情にあるのであります。
 文化、芸能に関わる労働を重視するご指導をお願いするゆえんであり、下記につきましてご勘案くださいますようお願いいたします。
(1)芸能関連事業所に関わる労働者災害補償保険法の適用促進のために、特段の措置を賜るようお願いいたします。
1.芸能の事業所関係者に労基法の普及、労災法の適用促進をお願いいたします。
2.関係の皆さまに、職業や契約の形式によって労働の実態を見誤らないよう芸能界労働の実態の把握、周知徹底をお願いいたします。
(2)保険関係の一括をご検討ください。
 映画、舞台等の制作の事業所等は、数次にわたる請負関係も多く、所属を異にする、しかも多数の職種の者が相関連して指揮命令の下で作業する有期の職場であり、建設現場と相似していることは識者の指摘しているところであります。従って、事務処理の簡素化を図るため番組単位、作品単位あるいは撮影所、劇場単位での保険関係の一括を是非実現して頂きたいと存じます。
(3)芸能界独自の保険制度についてご検討ください。
 映画、テレビ、舞台等芸能の製作に関わる事業は、賃金や勤務、就労等の条件、作業態様が他の産業と異なる特殊なものが多く、現行の仕組みの範囲では前2項によっても必ずしも適合しないことも考えられます。芸能製作に関わる災害等に関しては、国が運営し、芸能を扱う企業が現行法に等しい負担で補償を行う、芸能産業独自の制度を設け、一元的に保険を行うのが相応しいと考えます。今後の課題としてご検討して頂きたいと存じます。
                                                  以上

 
 こうしてみると、労災連の考え方が発足時点から、一貫して、他の産業に働く者との間の差別なく「労働者災害補償保険」を適用するよう求めていたことがよく分かります。
■芸能界における「労働者」の判断基準
 一方、労災保険適用のための条件作りはどうすれば良いのか、について論じたのが次の文書です。1996(平成8)年2月15日付けで、映画演劇関連産業労組共闘会議(略称・映演共闘)の小林義明議長と芸団協の吉原敏章常任理事(故人)の連名で、労働基準法研究会・労働契約等法制部会労働者性検討専門部会の奥山明良座長(成城大学教授)宛に提出されたその文書は、先に述べた芸能界で働く者の「労働者性」に関する新判断基準のヒアリング段階で明らかになってきた関係者の誤解を解くための懸命の訴えでした。「芸能関係者の『労働者』判断基準について」と題したその文書の要旨を披露しておきましょう。
1.「使用従属性」についての判断上の問題点
 昭和60(1985)年の「判断基準」は、「基準法上の労働者であるかどうか」を判断する最重要ポイントとして「雇用契約、請負契約といった形式的な契約形式のいかんにかかわらず、『実質的な使用従属性』による」とし、続いて「『指揮監督下の労働』であるか、『賃金支払』が行われているかの明確性を欠く限界的事例については『専属度』『収入額』等の諸要素を考慮して総合判断することで『労働者性』の有無を判断せざるを得ない」としている。ところが、現場の審査官は、フリーのメインスタッフ等事情を理解しにくい「限界的事例」に遭遇すると、踏み込んだ検討をすることなく、「9時から5時まで、定年まで働く労働者」という一般的労働者の「諸要素」(物差し)に当てはめて安易かつ形式的な判断に流れる結果となっている。
 フリーの俳優等芸能実演家及びメインスタッフの就労形態は、通常断続的かつ、短・中期的であり、不定期である。これは世界的にも共通するものであり、いわば就職と退職を繰り返す状態と言える。しかしながら、就職後は、演技上・作業上の指揮監督を受けて業務を遂行し、その労務の対償として賃金を支払われるという「労働者性」の本質は明らかに有している。従って、「労働者性」の判断に当たっては、「実質的な使用従属性」の判断が慎重かつ柔軟に示されるよう、判断基準をきめ細かく実態に即して設定すべきである。
2.「諾否の事由」についての判断基準の問題点 「判断基準」(昭和60年)では、「具体的な仕事の依頼」と業務従事の指示等」について諾否の自由を有していれば、指示監督否定する重要な要素としている。しかしながら、この基準をそのままフリーの俳優やメインスタッフに適用することは、俳優やメインスタッフに要求されている芸術的、創造的裁量性の点から、「諾否に自由あり」と誤解されることが多く、指揮監督関係について誤った判断を招く要因となっている。
 俳優あるいはメインスタッフに対して、芸術性、創造性はあらかじめ職能上求められているものである。重要なのは、それが「指示」の範囲でなされることであり、しかも芸術性、創造性の結果の採用は最終的には使用者に委ねられているので、俳優・メインスタッフの決定するものではないということである。
3.「拘束性の有無」についての判断基準の問題点
 「判断基準」では、「拘束性の有無」について「業務の性質上(例えば演奏)から必然的に勤務場所及び勤務時間が指定されている場合」を「業務の遂行を指揮命令する必要によるもの」と区別している。このため、審査官は「映画制作の業務の特殊性から必然的に撮影現場等場所的に拘束されるのは当然であるが、それは一般の労働者が受ける場所的拘束とは異なるものである」との理由で「拘束性なし」と判断している。 しかし、ロケーションの場所が業務の性質上だけで自然に決まるということは断じてなく、予算等を含めて、業務の遂行を指揮命令する者の必要から恣意的に決めるものである。
4.「報酬」に関する判断基準の問題点
 「判断基準」は、「賃金とは、使用者が労働者に支払うもので、労働の対価であれば名称の如何を問わず『賃金』である」とし、「報酬が『賃金』であるか否かで逆に『使用従属性』を判断することはできない」としながら、他方で時間給を基礎として計算される報酬を「使用従属性」を補強するものとしている。ここに大きな矛盾がある。

 この鋭い指摘が、労働基準法研究会に、強いインパクトを与えたことは間違いありません。なぜなら、同研究会はそれからというもの作業を急ぎ、ほぼ1年後に「新判断基準」をまとめ、公表することになったからです。
 ただ、同研究会は仕事は急いだものの、新たな判断基準を提示するに際してほとんど考え方を変えることはありませんでした。それは、1996(平成8)年3月25日に発表された「芸能関係者に関する労働基準法の『労働者性』の判断基準について」(新判断基準)の内容をみれば一目瞭然です。
 新判断基準は、芸能界に働く者の「労働者性」を判断する基準として、次のような視点を明らかにしました。それは
1.使用従属性に関する判断基準
(1)指揮監督下の労働
イ、仕事の依頼、業務に従事すべき旨の指示等に対する諾否の自由の有無
ロ、業務遂行上の指揮監督の有無
ハ、拘束性の有無
ニ、代替性の有無
(2)報酬の労務対償性に関する判断基準
2.労働者性の判断を補強する要素
(1)事業者性の有無
イ、機械、器具、衣類等の負担関係
ロ、報酬の額
(2)専属性の程度

の各項目について、各人がどの程度の条件下で働いているかによるものというものでした。
 例えば、上記の各項に照らして言いますと、「日時を指定したロケ撮影参加の依頼に対し、諾否の自由を有していない者は「労働者性あり」だが、諾否の自由がある者には「労働者性はない」。また、俳優・スタッフが演技・作業の細部まで指示を受け、監督の命令、依頼等によって他のパートの業務に従事することを拒否できない者は「労働者性あり」で、「使用者」の了解を得ずに自らの判断によって他の者に労務を提供させることができる者は「労働者性」なし。
 さらには、拘束時間、日数が当初の予定より延びた場合、報酬がそれに応じて増える者または余所の業務に従事することが契約上制約されていたり、事実上困難な者は「労働者性あり」で、俳優が演技の際に使用する著しく高価な衣装を自ら負担したり、一緒に働く同種の従業者よりも報酬の額が著しく高い者は「労働者性なし」。 という具合でした。
 また、こんな例も持ち出されました。「あるドラマのシーンで、ほとんど科白をしゃべることもなく、喫茶店のウェイトレスとしてコーヒーを運んでくるような役柄を与えられた者。そして出演の拘束日数が2日間で、出演料の手取りが5万円程度の者は労働者性あり」だが、「映画に主役として出演し、出演料2000万円を受け取る者は労働者性なし」だというのでした。
 誰が考えても、こんな例は極端に過ぎ、不適当です。映画1本の出演料が2000万円を超えるような大スターとわずか2日間の拘束で5万円を稼ぐ脇役の俳優。大多数の俳優はその中間のあちこちに位置づけられているわけですから、こんな例を「労働者性」判断基準におかれては適わないのです。
■労災連の反論
 上記の「新判断基準」に対して、労災連はすぐに反論を展開しました。その要点を「芸能労災連NEWS」第2号(1996年9月10日発行)から抜粋しますと
 「労働省(現厚生労働省)はこの報告書を、労働者性の判断に当たって参考にするとしているが、各労働基準監督機関は、この報告書を唯一の判断基準として使用すると思われる。このことを踏まえ、被災した場合、俳優、スタッフはこの判断基準を有効に利用し、労災給付申請を行っていく必要がある。その一方で、事業主側に理解を求めることも労災連を中心に進めて行きたい。しかし、この判断基準は芸能の就労・労働実態、活動実態、あるいは芸能そのものの成り立ち具合や芸能の担い手たちの現状を十分理解しているとは言い難く、当事者からは厳しい批判が上がっている。
 1992(平成4)年、ジュネーブのILO(国際労働機関)で開催された「実演家のための雇用と労働条件に関する3部会」では、以下の結論が採択された。
 「実演家はとの労働者と同じように、法的な裏付けのある社会保障の保護が適用されるべきである。一般的な原則を実演家に適用するに当たっては、契約上の地位や、とぎれとぎれで、期間の短い活動、一定しない収入など、その職業の特性に十分配慮する必要がある。社会補償制度の面からは、結果的に実演に不利な点がないか…適用に当たって調整をすべきである。契約上の地位が問題となって、実演家が適切な水準の社会保障を受けられないようなことがあってはならない。このため政府は、実演家を被雇用者とみなす可能性も考慮すべきである。
 労災連としては、引き続き根本的な対応策の確立を求めていく。実態に即した法律を制定するために立法への働きかけもこういった方向で行う必要があると考える。と記されています。
■盛り上がった映像三団体の行動
 労災連が新たな活動を開始するのに呼応するように積極的な動きを見せたのが「映像三団体連絡会」でした。三団体とは日本俳優連合、映画演劇関連産業労組共闘会議(映演共闘)、日本映像職能連合(日本映画監督協会、日本映画撮影監督協会、日本映画照明技術者協会、日本映画録音協会、日本映画美術監督協会、日本映画編集協会、日本映画スクリプター協会の7団体で結成。略称・映職連)によるもので、軽井沢シンドローム事件の後は、熱心に討議を繰り返した後、1991(平成3)年マスコミを通じて次のような提言を発表するとともに、労働省、NHK、民放連、ATP等に提出しました。
  提 言
「映像製作現場の労働災害を防止するために」
(前段部分略) 最近の事故の原因をさぐると、その背景に低い製作予算による苛酷なスケジュールや無理な作業、深夜に及ぶ長時間労働など、劣悪な製作条件という問題点が浮かび上がってきます。さらにこれと関連して下請け、孫請け構造によるスタッフの質的低下の問題があり、安全についての責任の曖昧さの問題があります。また、事故にあったスタッフや俳優に対する補償責任が明確でないうえ、国の労災保険が適用されないケースが多いということも大きな問題です。 映像製作現場は創造の現場でもあります。それ故、安易に事故防止を叫んで創造性がないがしろにされることがあってはなりません。大きな事故の後、テレビ局や製作プロダクションから「画面効果より安全第一」との指示が出されたことがあると伝えられますが、これは責任感を欠いた態度といわざるを得ません。
 私たちは映像現場の事故をなくす基本的な条件は、まず何よりも製作者(テレビ局や映画会社、製作プロダクション)が現状の製作条件や労働条件を改善し、業界全体の努力で優秀な人材を育て、現場の技術はもちろんのこと、総合的な能力を高めることだと考えます。私たちは映像製作現場の災害防止のために次のことを提案します。
 製作会社は、映像現場の安全衛生管理の総括的な責任を有することを明確にするとともに、最低基準として当面以下の点を全面的に実施する必要があります。
@製作費の予算の中に安全対策費を別枠で(上積みして)計上する。
A安全対策に必要な器具機材を調達し、人員を配置する。
B撮影・照明などの機材の安全性を点検、確認する。また、特殊撮影機材使用の際は専門職を確保する。
Cスケジュール作成に当たっては8時間労働を原則とし、最低週1回の完全休日を守る。
D撮影(収録)作業は15時間以内にし、撮影(収録)終了後、最低10時間の休止時間をおく。とくに深夜及び徹夜の後には危険な撮影(収録)は行わない。
E危険を伴う撮影(収録)作業に俳優が出演する場合、製作会社と俳優プロダクションは、当該俳優の当日掛け持ち出演がないよう、また前日の仕事が10時間前に終了するよう調整する。
F作品ごとに、現場における安全基準を監督及びスタッフ、俳優の間で確認する。
 さらに、事故が発生した場合には、当事者に必要な補償がなされるべきだと考えます。そのためにはフリーの監督やメインスタッフ、俳優、さらには大部分のフリーのスタッフが労災保険適用対象から実質上排除されている現状を改めるとともに、民間損害保険を活用することにより万全な災害補償制度を確立することが必要です。
                                                             以上
 この提言で明らかなように、労災連は発足とともに他団体との協力の下、手探りながらも積極的に動き出したのでした。
 その労災連の主張と行動が、発足来10余年の歳月を経て、ようやく実を結び始めたというのが瀬川裁判での東京高裁判決です。高裁判決が画期的であったのは、「労働者」に当たるか否かを判断するに当たって「雇用、請負等の法形式にかかわらず、その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するに相応しいものであるかどうかによって判断すべきもの」との明確な基準を明示した点にあります。これまで縷々説明してきたように、労働基準法研究会などが打ち出せなかった「芸能界の労働者」の位置づけを司法の判断で明快に表示したのでした。
 これについて、広島修道大学の矢部恒夫氏は2003年5月発行の「日本労働法学会誌101号」で次のように論じています。
 
高裁判決は、労働者性判断の前提として、その一般的枠組みを示した。すなわち、労災保険法の保険給付の対象となる労働者の意義について、同法が労基法に定める使用者の労災補償義務を補填する制度として制定されたことから、労基法上の労働者と同一のものであると解し、労基法9条から、労働者を「使用者との使用従属関係の下に労務を提供し、その対価として使用者から賃金の支払いを受ける者」と解する。そして「労働者」に当たるか否かは「雇用、請負等の法形式にかかわらず、その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしい者であるかどうかによって判断すべきもの」であるとした上で「実際の使用従属関係の有無については、業務遂行上の指揮監督関係の存否・内容、支払われる報酬の性格・額、使用者とされる者と労働者とされる者との間における具体的な仕事の依頼、業務指示等に対する諾否の自由の有無、時間的及び場所的拘束性の有無・程度、労務提供の代替性の有無、業務用機材等機械・器具の負担関係、専属性の程度、使用者の服務規律の適用の有無、公租などの公的負担関係、その他諸般の事情を総合的に考慮して判断するのが相当」とする。
 従って A氏(故瀬川浩氏)の映画撮影業務については、A氏のBプロ(青銅プロダクション)への専属性は低く、Bプロの就業規則等の服務規律が適用されてないこと、A氏の報酬が所得申告上事業所得として申告され、Bプロも事業報酬である芸能人報酬として源泉徴収を行っていること等使用従属関係を疑わせる事情もあるが、他方、映画製作は監督の指揮監督の下に行われるものであり、撮影技師は監督の指示に従う義務があること、本件映画の製作においても同様であり、高度な技術と芸術性を評価されていたA氏といえどもその例外ではなかったこと、また、報酬も労務提供期間を基準にして算定して支払われていること、個々の仕事についての諾否の自由が制約されていること、時間的・場所的拘束性が高いこと、労務提供の代替性がないこと、撮影機材はほとんどがBプロのものであること、BプロがA氏の本件報酬を労災保険料の算定基礎としていること等を総合して考えれば、A氏は、使用者との使用従属関係の下に労務を提供していたと認めるのが相当であり、したがって、労基法9条にいう「労働者」に当たり、労災保険法の「労働者」に当たる。

 この矢部氏の論旨が映像三団体連絡会ならびに労災連を勇気づけたことはいうまでもありません。そこで、両団体は高裁判決の内容を更に検討した結果として、2003年6月、芸能労災連代表・常磐津東蔵の名において坂口力厚生労働大臣宛に「平成8年労働基準法研究会専門部会報告〈芸能関係従事者の「労働者」判断基準〉の改正についてのお願い」なる文書を提出しました。その要旨を転載しますと 
「専門部会報告(新判断基準)は大きな事実誤認をしていることを申し述べます。それは、映画撮影の現場においては、プロデューサーを除けば監督の指揮監督の下で俳優および撮影、照明、美術のスタッフ全員が作業しているのであり、このことは日本の映画界はもちろん世界の映画製作ににおいても自明のことです。それにもかかわらず、専門部会報告(新判断基準)は、監督と俳優、スタッフとを指揮監督関係の上で同列におくという認識の上での大きな誤りを犯していることです。これが専門部会報告(新判断基準)後段の誤った事例をあげる結果となり、また、フリーが有し得ない条件(「専属性」や「給与所得としての源泉徴収」など)を判断基準に採用していることなど実態にそぐわないものとなる結果につながっていると考えられます」 「私たちは専門部会報告(新判断基準)が示した誤った判断基準に対し、以前より危惧を抱いていましたが、その危惧が現実のものとなったのが、平成8(1996)年以降に出た二つの労働者性をめぐる事例、すなわち『故瀬川浩映画カメラマンに対する東京地裁判決』と『故佐谷晃能・映画美術監督に対する労働保険審査会採決』です」 「瀬川労災控訴審判決は、事実認識の誤りを指摘し、明らかにしました。しかし、平成8年に出された専門部会報告(新判断基準)をこのままにすれば、今後も芸能関係者の労働者性に関する判断は、誤った判断基準を物差しとしてなされる恐れがあります。誤った判断がなされた場合、それを正すには裁判という多大の人的、時間的エネルギーを必要とし、芸能、芸術の世界に働く者の救済はおぼつかなくなります」となっています。労災連を中核とするこの運動は、今後、多くの芸能実演家団体、芸団協、日本芸能マネージメント事業者協会(マネ協)とも歩調を合わせ、大きなうねりになっていくことでしょう。
 私たちが「画期的」と位置づけた東京高裁の判決に対して異論を唱える向きもあります。例えば、学習院大学法学部助教授の橋本陽子氏は、「注釈労働基準法 上巻」(東京大学労働法研究会編・有斐閣コンメンタール)の154頁で、
「瀬川労災控訴審判決」にふれ、「(東京高裁判決は)1996年専門部会報告の基準に沿って、指揮命令拘束性の判断を厳格に行い労働者性を否定した一審判決を覆し、『映画撮影業務の性質上当然に認められる拘束』と労働者性を基礎づける指揮命令拘束性とを区別せず、本件カメラマンは監督の指揮監督に服していたと述べて、労働者性を肯定した。本件カメラマンは過去に映画祭で表彰されるなど、その技能が高く評価されたフリーのカメラマンであり、従来の裁判例の傾向や前掲1996年専門部会報告書に従えば、労働者性は認められないものと思われる」と論じています。
 橋本氏は、また、瀬川労災裁判の一審、控訴審での判断の違いをとらえて
「芸能関係者の労働者性の判断の微妙さ・難しさを示す事例といえよう」との述べておられますが、そうであってみれば、芸能界に働く私たちとしては、より主体的に自らのおかれた立場を明らかにし、生命を守る運動に一層の力を注がねばならないでしょう。
 瀬川裁判に勝利したといっても、それだけで芸能界に働く者の安全管理が充実するというものではありません。法整備に関わる問題、制度の整備に関わる問題、芸能界で働く者の実態に対する認識の問題等々、これから片付けなければならない問題は山積しています。
 ただ、瀬川裁判に勝利したことが労災連の運動に大きな弾みを付け、働く者に勇気と希望を与えたとしたなら、こんな喜ばしいことはないでしょう。ここに、瀬川裁判の全記録を忠実に書きとどめ、芸能実演家、技術者、スタッフが安心して働ける21世紀の礎になるよう祈念したいと思います。
                                                おわり