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【プロ野球】

秋山 舞った 残り6試合で3・5差大逆転V

2010年9月27日 紙面から

楽天−ソフトバンク リーグ優勝を決め、ナインから胴上げされるソフトバンクの秋山監督=Kスタ宮城で

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◇楽天8−3ソフトバンク

 鷹の将が高々と宙を舞った。優勝へのマジックナンバーを「1」としていたソフトバンクが26日、ダイエー時代の03年以来、7年ぶり14度目のリーグ初制覇を果たした。西武がデーゲームで3−4と日本ハムに敗れ、ナイター楽天戦の最中に吉報が届いた。秋山幸二監督は就任2年目で歓喜の舞い。残り6試合で3・5ゲーム差を逆転した球史に残るミラクルV。10月14日から日本シリーズ出場権をかけ、本拠地ヤフードームでクライマックスシリーズファイナルステージを戦う。

 ベンチからゆっくりと、大地を踏みしめるように歩いた。熱いものがこぼれ落ちないように。たどり着いたナインの輪。潤んだ瞳に主将の小久保が映った。松中もいた。もう我慢できない。崩れるように抱きついた。

 試合前に西武が負けて、優勝は決まっていた。しかし、そんなことは関係なかった。1回、2回…6回。背番号「81」が、無数の手で宙に押し上げられた。身を削り、臀部(でんぶ)と太もも部分を2センチ絞ったユニホーム姿。みちのくの夜空に舞った。混戦を勝ち抜いた熊本出身の将が、九州の地にソフトバンク初のチャンピオンフラッグをもたらした。

 「長い144試合だった。3月の第1戦から積み上げてきた一勝一勝が、最後にここにつながったんじゃないか。選手全員が力を振り絞ってくれたおかげ。それにしても、疲れた」

 2008年10月。当時の王監督(現・会長)から再建を託された。「選手には伸び伸びさせたいと思っている。ベンチの顔色を常に気遣いながら、野球をしてほしくない」。固定メンバーで圧倒したかつての戦いはできない。王野球からの「脱却」は控え選手の潜在能力に新たな光を与えることでもあった。「最近思うようになった。生きる道というより、プロは『生き残る道』なんだよな」。生存競争を勝ち抜くための手段を自覚させようと明確な方向性を定め、モチベーションを与えた。グラウンドだけに集中させたかった。

 全員で戦うからこそ、実績ではなく、実力主義の用兵を貫いた。球宴明け。左手首を痛めて調子が上がらない松中を「感情は要らない」とのひと言で先発から外した。同郷の後輩でも信念は曲げなかった。だが、優勝争いが佳境に入った9月。2軍で再調整中の松中に、直接電話をかけた。「頼むぞ」。これも初めてだった。「信彦には、自分で『よしやるぞ』という強い気持ちがある。勝負の世界だから、気持ちの強い人が最後は結果を出す。おれたちは戦う集団、戦う気持ちを持っている人に、チームも元気づけられる」。2軍戦の映像を自らの目ですべて確認した。眼力は、西武を3タテした最後の直接対決で証明された。

 選手で10度のリーグ優勝、7度の日本一を経験した。勝つ味は知り尽くした、はずだった。それでも、口のまわりには発疹(ほっしん)ができた。食欲の落ちた夏場は「元気が出るように」と、ホルモンを胃に詰め込んだ。9月には、運気を高めるとされる針水晶の数珠も左手首に巻いた。

 自宅の庭には、実家から株分けされた杏子(あんず)の木が植えられている。2軍監督の立場で再びホークスのユニホームを着た5年前。「日本一の実をつけてほしい」との願いを込めて、母のミスエさんから贈られた。3年ほど前から実がつきだし、今では杏子酒として愛飲する。「育つのは早いんだよ」。今秋は成長を遂げた選手からも“大きな果実”がもたらされた。

 リーグ最下位から、わずか2年での覇権奪回は常勝復活を予感させる。「おれは、触れ合ったすべての人に幸せになってほしいんだ」。秋山幸二、48歳。監督就任718日目の大願成就。名のごとく生き、さらなる頂を目指す男の祈りにも近い信念でもある。(西口憲一)

 

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