*グリ/グ/リメ/ガネと月光/蟲パロ
*昭和 ぐらい/誰か×臨也前提









お元気ですか。俺は何一つ変わらず、毎日を過ごしてます。貴方がいないと詰まりません。寂しいです。いつもいつも俺の隣にいた貴方を思い出す度に、胸の奥がよく乾いた雑巾を悴んだ掌でギュッと絞ったように、鋭く痺れるように痛みます。そのくせ雑巾は乾いているのだから、涙は出ません。貴方がいなくなってから、俺は、




云々。
きつく握りしめた万年筆を置き、紙の上で文字の形を形成している真っ黒のインクを見詰める。堅苦しい手紙は嫌いだと笑ったあの人が脳裏を掠めて消えた。
折原、お前の手紙は少し堅過ぎるよ。俺はおつむが悪いもんでさ、そんな難しい言葉を熟と並べられてもさっぱりだ。いいんだよ、拝啓とか、そんな下らないもの。お前が書いた手紙でいい。言葉なんて飾らなくていい。

そう、あれは、蒸し暑い夏の夜だったか。パタパタと団扇を忙しなく揺らしながら、丁度、この窓辺で、あの人は唇を吊り上げてそう言っていた。普段は全くもって可愛げの欠片もない餓鬼のくせして、手紙ばっかり畏まるんだからナァ、お前は。机に向かって書き物をしている俺の額をちょんとつついて、嗚呼、それから、どうだっけ。もう一年以上も昔のことだ、俺の記憶は大分薄れ褪せてきていた。
忘れたくないって思っても、こうやって、人間は、過ぎていく時間の中を泳ぐ。そうして記憶を置き去りにしていく、大切に抱えていた筈なのに。


礼儀を捨てた俺の文章を、あの人は嬉しそうに下手くそだとからかった。お前からの手紙は、全部保管してあるよ。うん、やっぱり折原は御座いますとか似合わないねえ。こういう、下手くそな文章が、一番嬉しいよ、俺は。 褒めているのか貶しているのかよく分からないことを言いながら一人でうんうんと頷いていた。何となく背中がむず痒くて、その時は五月蝿いなとでも返したのだろう、俺は。

(どうして、素直に、なれなかったんだろうねえ)

今になってから後悔する。いなくなってから気付く。とんだ大馬鹿者だ。
あの人は、もういない。暇さえあれば俺の家にやって来ては、こうして机に向かって書き物をしている俺の傍で、窓辺に座りながら夜を凪いでいたあの人は、もう、


会いたいです。今、貴方は何処にいるのですか。会いたい。会いたい、
アンタ俺を置いて何処に行ったんだよ、俺も
俺も連れてってよ



もう何が何だか分からなくなって、其処まで書いておきながら俺は紙を掴んでぐしゃぐしゃに握り潰した。駄目だ、また俺は届きもしない手紙を書いている。そしてまたぐしゃぐしゃに握り潰している。

すっくと立ち上がって、夜を切り取ったような闇を覗かせる窓を開け放つ。裸足のままベランダに足を踏み入れると、幽かにミシリと音を立てた。このままベランダが抜け落ちて、俺を引き摺り込んで下に叩きつけてくれたなら。あの人のもとへ、逝けるのだろう。
それでも、まだ生きたいと思うのは俺が未だ人間を愛しているからだろうか。こんなに、簡単にいなくなってしまう人間を、未だ。


生温い夜の風が頬を撫でた。掌で大人しく丸まっている上質の紙を、その夜闇に投げ捨てた。下へ、下へ。届くことは有りません。ただ俺のこの拙い浅ましい手紙は、あの人の目に掛かることもなく、哀れに落下して逝きます。あーあ。

「俺は、今年、二十三になった」

ご近所の灯りがぽつ、ぽつと目に映る。それでもベランダで戯れ言を宣う俺になんか、誰も気づかないだろう。今は夕飯の時間か。真っ正面の家から味噌の香りがして、鼻の奥がツンとした。

「アンタは、…これ以上、歳を取らないんだな」

永遠になったから。
永遠、という響きがあまりに気障ったらしくて、でも気障ったらしいあの人にはぴったりじゃないか、そう思ったら、自然と笑いが零れた。俺は、段々とアンタを失ったまま更に歳を取っていつの間にかアンタを追い越すんだな。
そんなの、嫌だと、思うこころと、ならば死ねばいいと結論付ける思考。其れも嫌だ嫌だと拒む意志。ばらばら。

消えた人は、もう戻ってはこない。そんなの子供だって理解出来る。難しいのは其れを認めて、それからひとりで生きていく覚悟をすることだろう。


(俺は、―――もう死んだっていいのかな)


味噌の香りと、夏を滲ませ始めた夜の風の匂いをゆっくりと吸い込む。星は見えない。ただほの暗い灯りが閑静な夜闇を照らして、この中でひっそりと死ねたらどれだけ幸せか。
そうだ、死んでしまえ。
ミシリと、再びベランダが鳴いた。ミシリ、ミシリ。手すりだって、少し力を入れたら簡単に木が腐ったところから崩れて落ちるだろう。この高さなら、恐らく、死ねる。痛いのは一瞬。
俺は死後の世界やら輪廻やらは一切合切信じてはいないし、死んで楽になろうなんざ欠片も思わない。だけどあの人が俺の中から消えて、それから。それから何もなくなってしまったのだ。胸の中にぽっかりと穴が開いてしまった。どんな言葉でも埋められない。何も。

だから。
死んで。
しまう。

このまま惨めに手紙を書き続けては捨てる日々なんて真っ平御免だ。
悲鳴を上げるベランダの手すりに上半身を寄りかからせる。ちょっとずつ体重を掛けていくとあっさりと軋み始めた。この家も、もう古いもんなぁ。さぁもう少しだ。あとちょっと、体重を、掛ければ、



「おい、手前!!」



凛とした声が突如静寂を切り裂いた。思わずハッとなって、背筋を伸ばしてしまう。崩れかけたベランダの手すりは、それでも落下することも出来ず中途半端のまま一度軋んで黙り込んだ。
下の方から聴こえたその声の主を探そうと、身を乗り出して見下げる。


「おい、聞いてんのか!」


再び怒号が鼓膜を揺らす。もう、五月蝿い人だなあ。近所迷惑とか考えられない訳?

ようやく夜目がきいてきた俺の視界が、此方を睨み上げている一人の男を捉えた。丁度家の前、ベランダの真下にしゃんと立っている。真っ先に飛び込んできたのは日本男児のくせに全く黒さを見せない金の髪だった。嫌だ、なんだあいつ。そうしてばちりと目が合った。


「……やぁ、こんばんは。何か用?」


ばちりと目が合ったもののお互い全く身動きしない為に気まずさに耐え兼ね、口元にぎこちない笑みを貼り付けながら声を掛けてみる。俺を見上げる男とは随分と距離があったが、何せしんと静まった夜道だ、俺の声はそれなりに大きく響いて男のもとへとすとんと、落ちた。じっと深い湖のような目で見詰められて、息が詰まりそうだ。

背が高い。其れに、綺麗な顔をしている。眉間に深く刻まれた皺の所為でどうしたって目付きの悪い愛想の無さそうな印象を受けるが、普通にしていれば女性が好みそうな整った顔立ちで、アァ、と思わず溜め息が洩れた。どうしてか分からないが、大きく息を吐きたくなったのだ。感嘆でも落胆でもない、ただ、俺の特に理由も無い溜め息はぴくりと男の眉を動かした。


「手前の、手紙だろ。これ」

険しい表情を繕うこともせずに、男が右手をひらりと上げる。その長くて男らしい指には先程俺が此処から投げ捨てたぐしゃぐしゃの手紙が挟まれていた。

「いつも此処の道通ると、落ちてんだよ。手前の、書きかけの手紙が」

男は笑いもせずに、淡々と告げる。毎晩毎晩、俺が投げ捨てている手紙を、こいつはわざわざ拾っているというのか?書きかけだということに気付いているということはその手紙を読んだのだろう。カッ、と頬に血が上るのを感じた。
その、女々しい、あまりに女々しい俺の文章に目を通して、この男はどう思ったのか。俺はどうせ、会えないひとにひたすら届かない愛を送り続ける哀れな同性愛者でしかないのだ。
気味悪がられたって構わない、あの人が、踏みにじられないのなら。

きゅっと唇を結ぶ。言葉を喉の辺りで選んで絞って、ずっと俺のことを見上げている(首が疲れはしないのか)男にくたびれた笑顔を向けてみせた。


「そうだよ。だってその手紙、何処に出したらいいのか分かんないんだもん。送り先のひとは、もう、いないから」


口に出してみると一層虚しさが胸に沁みた。俺は一体何をしているんだろう。あの人がいないと分かっていて、分かっておきながら、どうして毎晩万年筆をきつく握りしめて不細工な文章を書き続けているのだろう。
届くとでも、思っているのか。笑ってしまう。滑稽な話じゃあないか、俺も中々いじらしい人間だということだ。


「…………俺」

男は俺の言葉を聞いて数秒思案したように目を伏せると、薄い唇を開いた。

「俺が、届けるよ」

祈るような声音だ。別に、君がそんな辛そうに言うことじゃないだろうに。
そういえば、この男は肩から大きな鞄を提げていて、如何にも郵便屋ですといった格好であった。だからといって、切手も貼っていなければ宛先も書かれていないそんな手紙をどうするというのだろうか。面白い人間だ。

「君、俺の話聞いてた?もう、いないって、言ってるじゃないか」

そう、世界中の何処を捜したってもういないんだ。俺が毎日こうやって手紙を書いたって、伝える術もないんだよ。
不覚にも瞼が震えた。左様ならなんて認めたくはなかった、から、目を逸らすしかなかった。せめて、この心の中にだけでも、留めていようと思って。

男はもう一度ひらりと手紙を持った手を振ると、酷く不器用な笑みを此方に向けた。


「俺が伝える。だから、手前はもう泣くな」
「………はあ?意味、分かんないし。泣いてなんかないよ」

その笑顔は、俺が遥か遠くに置いてきたような優しいものだった。俺の引き攣ったような笑い方でもなければ、あの人のほろ苦い笑い方でもない。

嗚呼、泣くものか。
泣いてやるものか。
アンタが居なくなった此処で、もう泣いたりするものか。


「……頼むよ。郵便屋さん」


どうか、伝えてみせて。




心を一房、噛み千切って

(俺は、今年、二十三になりました。アンタは、ずっと、そのまんまです)
(俺は、不器用に笑う男に出逢いました。………アンタが、段々、霞んでいきます)









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