しくじった。油断していた、こんなにも簡単に引っ掛かるとは自分でも思ってはいなかったのだ。この男が、まさか――――こんなに単純な手を使ってくるとは。言い訳するとしたらそうとしか言えない。

「き、さまッ…!」

目の前がぐらぐらと揺れた。理性を保つのもやっとで、すぐに何を投薬されたのか理解出来る。俺は薬にはあまり詳しくないが、よく怪しげなショップやらで売っているいかにもといったピンク色の小瓶を、傍に座った男が手中で転がしているのを見れば一目瞭然だった。――――所謂、媚薬とでもいうのだろうか。即効性とでかでかと書かれた小瓶をガラス張りのテーブルに置き、男は厭らしく笑った。


「ドリンクの中に薬を盛る。これは、お前の得意な手口だったよねえ?折原」
「、ふざけんな!」


体の奥が甘く鈍く疼いた。仰々しい煽り文句よりは大分効果は薄いようでよく漫画や小説にあるみたいな、急激に熱を帯びてきたりはしないが意識を朦朧とさせるには充分らしい。結果俺は安っぽいソファーに体を預けて男を睨むことしか出来なかった。

俺を見下し、唇だけを捲ってずる賢そうな笑みを浮かべるのは、九十九屋真一と名乗る正体不明の男。
よくチャットなどで情報交換をしているのだが、決してお互い顔を見せることは無かった。しかしとうとう九十九屋の方から切り出したのだ、会って情報交換をしてみないか、と。

完全に、慢心していた。
自分が九十九屋という男に嵌められる筈がない。その根拠のない自信は、九十九屋のどこにでもいそうな、印象が薄くも無ければ濃くもない、つまりすれ違っても五秒程立てば忘れてしまいそうな顔立ちを見たとき確信に変わっていた。目は獲物を狙うハゲタカのように鋭い光を宿していたが、それ以外は至って普通。全くもって平凡。街に溶け込みきった、池袋を歩いていれば必ず一人ぐらい見掛けるようなただの男だった。

ゆっくり話がしたいと言った九十九屋を、俺は前もって予約しておいたカラオケボックスに誘った。
それが、間違いだったのだ。九十九屋はひょっとしたら俺がカラオケに誘うとわかっていてこの薬を鞄に忍ばせておいたのかもしれない。どっちにしろ、この男を舐めていたことには変わり無かった。まんまと俺は九十九屋が持ってきたドリンクバーの媚薬入りドリンクを飲んでしまったということだ。
いつだったか、自分が他人に使った手口がそのまま返されるとは。悔しさのあまりギリリと奥歯を噛み締める。この俺が嵌められてしまうだなんて、いや、自業自得であるといわれればそうなんだけど。


「…っ…どうするつもりだ」

薄暗いカラオケボックスの明かりの下で笑う九十九屋は、最初に感じた平凡な雰囲気など完全に取り払っていた。くそ、中々策士だったということだ。第一印象をコントロールすることなんて並な人間には出来ないだろう。

「嫌だなあ折原。媚薬といったらもう、やることは決まってるだろ?」
「ハッ、悪趣味だな」
「褒め言葉として受け取っとくよ」


九十九屋の手が伸びてきて、俺は呆気なくソファーの上に押し倒される。馬乗りになった男は赤い舌でぺろりと唇を湿らすと、満足気に目を細めた。
「………うん、やっぱいいなァ折原は。綺麗な顔してるから、マジでヤれそう」
「褒め言葉として、受け取っとくッ…」

藻掻こうにも九十九屋の力は案外強くて、媚薬を飲まされた俺の腕じゃどうすることも出来ない。あっという間に着ていたコートを脱がされ、ついでのように上着の間から指を這わされた。冷たい指が肌に触れてぞわりと皮膚が粟立つ。気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い。これは本当にまずいんじゃないか。

「強姦、ってやつ?」
「今更気付いたのか」
「ハハッ、九十九屋ってホモだったのか」
「違う」

此方のペースを取り戻そうと緊張でかさかさに乾いた唇を必死に動かす。にべもなく否定した九十九屋は、それでも俺の腹筋に指を這わすと、そして段々と上へ、胸に触れた。思わず肩が跳ねる。意地の悪そうな表情でそれを見逃さなかった九十九屋がもう一度舌舐めずりして、胸の突起を摘まんだ。

「っ、」
「おーいい反応だなあ。さすが平和島静雄に調教されてるだけある」
「…え………?!」

なんで、知っている。
そのまま疑問を顔に出してしまった俺を盛大に笑ったあと、突起を摘まんだり押し潰したり、遊ぶように弄りながら九十九屋は口を開いた。思わず喘ぎそうになって慌てて手の甲に歯を立てる。

「俺は割りと情報通なんだ。って、知ってるか。まあいいよ、別にお前と平和島が付き合ってようが乳繰りあってようが俺には関係ない。関係ないけどさあ、面白いじゃん?………普段お高くとまってる折原臨也がどんな風に喘ぐのか、煽るのか、…ねだるのか」

そんなこと心底どうでもいい。そう言って返してやりたいけどこの口は上手く動いてはくれなくて、浅ましい呼吸を隠すためにひたすら手の甲と荒々しいキスをし続けるしかなかった。
何だこいつ、慣れてやがる。
ピン、と完璧に硬くなった乳首を爪先で弾かれて押し込まれた快感が駆け巡る。どうしよう、どうしよう助けて。こんな場所でこんな男に犯されるなんて全力で遠慮したい。笑い話にしか、ならないじゃないか。

「おや、勃ってるじゃないか」

抗えない快感にびくびくと肩が跳ねる。九十九屋の声に思わず目を見開くと、既に男の手は器用にズボンの中に侵入していた。

「ン…、…っ……!!」

半勃ちのそれを優しく握られて腰がぶるりと震えた。もしかしたらあの媚薬が多少効いているのかもしれない、もう先走りが下着を濡らしていくのを感じながらぼんやりとそんなことを考える。
とんだ酔狂な人間だ。自分のその少し異常な興味の為に危険を冒してまで俺に会いに来たって?笑える。今なら笑ってやるからとっとと失せてくれないかなあ。不愉快極まりない。

「もうびしょびしょなんだけど。こりゃ予想以上だなあ」
「…ひ…ぁ…は、放せ…!」

上下に緩く扱かれ、下着と勃ち上がったそれが擦れてもどかしい。俺の精液で濡れた指を舐めながら、九十九屋はニィ、と唇をつり上げた。
その笑顔に思わず硬直する。知らない。こんな綺麗に、完璧に唇だけで笑う人間なんて、初めて見た。背中に戦慄が走る。嫌だ、絶対に嫌だ、助けてよシズちゃん。


「んー、慣らさなくてもいっか。めんどいし」

気だるげな声と共にズボンのベルトに手を掛けられる。それだけは阻止したい、のに。制止に入った俺の力が入らない手なんか簡単には払われてしまって、あっという間にズボンと下着を下ろされてしまった。
外気に晒された下半身を舐めるように凝視され、隠すことさえ許されず足首をがっちり掴まれる。羞恥心云々の前に、ただ怖くて、情けないが目の端に涙が浮かんだ。

「……ぁ、…ぅ!」


つぷりと何の合図も無しに秘部をつついてきた指を躊躇いなく呑み込んでしまう。慣れきった体は特に抵抗もなく自分の精液を潤滑油に指を締め付ける。

「ぁ、ああっ」
「ようやくまともに声出したな」

満足そうな表情に見下ろされ無性に腹が立ってまた手の甲に噛み付いたが、どうしたって人間は自分の身に傷をつけることを恐れるようで、結局皮膚に歯を立てられず隙間から声が洩れていく。ぐりっと中を引っ掻くように掻き回されどうしようもない快感が生まれる。
「ん、……っうっ…!」
「ほら、意地張んなよ。気持ちいいって言え。指くわえこんでイっちゃうぐらい気持ちいいって」
九十九屋の低めの声が耳元で囁いた。誰がイくって?ふざけんな、調子に乗るのも大概にしろよ。そう怒鳴ってやりたかったが、事実俺の中途半端に弄られた性器は勃ち上がり、中から与えられる快感にひたすら震えて精液を溢していた。

「――――しねっ…」
「うーん、…強情だな」

絶対に声だけは出してやるもんか。唇を噛み締めてくぐもった喘ぎだけ聴かせる俺に苛立ったのか、九十九屋は脱ぎ捨てられた俺のコートに手を伸ばした。何をするのかと頭の中で咄嗟に警報が鳴ったが、体は浅ましくひくつくだけで行動してくれない。
九十九屋の長い指が一度俺の中から引き抜かれ、コートのポケットから携帯を取り出した。奪い返そうと起き上がる俺の上半身をまたソファーに押さえつけ、何の遠慮もなく操作し始める。

それで写真とかムービーとか、撮られたら後々面倒臭いことになる。ハッとして体を強張らせたが、九十九屋はそんなことをする素振りを見せず、誰かに電話をかけ出した。

――――まさか。


「あ、もしもし?初めまして、まあ名乗らなくてもいいよね?………平和島静雄くん」



俺に跨がる男が出した名前に、視界が弾ける程の絶望が広がった。嫌だ。シズちゃんにだけは、他の人間に体を暴かれているところなんて知られたくない。

「まあまあ落ち着いてよ。ちょっと折原臨也くんの携帯借りて君に電話してるんだけどね、え?臨也くん?うん、今俺の下であんあん喘いでる」
「うそだっ、シズちゃん!!!」


精一杯体を捻って、携帯の向こうに聞こえるように叫ぶ。九十九屋は面倒臭そうに舌打ちして、俺の体をひっくり返しうつぶせにさせた。煙草の匂いがするソファーに顔を押し付けられる。携帯から、シズちゃんの怒鳴り声が聴こえた気がした。

「あーうん、無事だってー。何なら、声聴く?」
「ふっ……ぅん…!!」

突如九十九屋の指がまた後孔へと伸ばされ、卑猥な音を立てながら俺の中へと侵入してくる。衝撃に耐えきれずだらしなく口を開けたまま矯声を上げた。
ぐち、ぐち。中で蹂躙する指は肉壁を掠り、前立腺へと伸ばされる。堪らず締め付けると九十九屋が乾いた笑い声を洩らした。

「ほら、お話タイム。助けてとでも言えば?」

口端から零れる唾液でソファーを汚す俺の目の前に携帯を置かれる。通話中と表示された画面には、はっきりシズちゃん、と文字が浮かんでいた。

ぐり、とまた抉られる。更に強くなった指の力は俺の良い所を引っ掻いて吐精を促した。携帯に伸ばそうとした腕は九十九屋によって後ろに捻られて、俺はソファーの上でうつ伏せになりながら腰だけ突き上げている滑稽な姿を晒していた。

「シ、ズちゃ、ああぁっ、ん、!」
『……臨也?』

目の前に置かれた携帯からシズちゃんの声がする。だけど助けを求めようと口を開けば九十九屋が狙ったように肉壁を抉り、矯声しか溢れ出ない。ぼたぼたとだらしなく性器から垂れる精液がソファーを濡らしていた。

「あ、ぁ、あ゛」
『臨也、おまえっ…!!』
「シズちゃん、助け、ぇあ、ひぁあっ…たすけて、!」
『助けに…助けに行くから早く居場所言え、今行ってやるから!』
「ふ、ぅあ、駅っ、駅、の近くの、」





「はいはい、愛は素晴らしいねえ」


そこで九十九屋の手が伸びて、無情にも携帯は閉じられた。言い様のない絶望がまた込み上げる。
携帯をテーブルの上に放り投げた九十九屋は綺麗な唇だけの笑みを浮かべて、俺の前髪を掴む。耳元で、この世の終わりのような声が告げる。


「残念だったね。彼氏が助けてくれるとでも思った?だけどね、居場所を言われちゃ俺の命が危ないからねえ?」


お前に特に恨みは無いけどさあ、俺の暇潰しにでも付き合ってよ。

お前の暇潰しは強姦なのか。憎しみの籠った目で見上げれば、奴は降参とでも言うように両手を大袈裟に上げて肩をすくめた。


「まあこれからが本番だよ、楽しもうぜ折原。平和島がここを探り当てるか、俺が完全にお前を犯すか―――まぁどうせ後者だろうけど」











すべてを呑み込む悪夢でありますように

(そしてまた彼は笑うのだ、無慈悲な現実を突きつけて)










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