喰らう、獣、喰らうの続き






嘘だろ、と呟いた声は掠れていた。唇が小さく戦慄く。
嘘だろ。こんなことって。

平和島静雄は、厭らしい笑みを浮かべながら盤を挟んで楽しげにソファーに座っている男を呆然と見た。盤の上には、本来同じ数である白と黒の駒が並んでいた、のだが、現在盤上は黒で埋めつくされていた。え、まじでかよ。静雄のこめかみに冷たい汗が伝った。どんなに喧嘩で不利な状況下に置かれても、このような焦りは感じなかったのに。ひしひしと広がる嫌な予感と、絶望に、手にした煙草がぽとりと盤のすぐ傍に落ちた。


今決着がついたこのゲームは、国民的なボードゲームであるオセロというやつであった。
この前負けて、散々な目に遭わされた臨也がリベンジを仕掛けてきたのはついさっきのことで、当然のごとく静雄はその勝負を受けた。勿論、あの罰ゲーム―――、負けたら勝った方のいうことをきく、というルールで。
負ける気はなかった。この前勝利し、好き放題なことを強いたせいで、過信していたのかもしれない。

三十分ほどの攻防の末、盤上を黒に染め上げ勝利したのは、前回屈辱を受けに受けた臨也だった。


「さーて、シズちゃん」

臨也が相変わらず腹の立つ笑みを浮かべたまま静雄にねっとりと視線を投げた。思わず顔が強張る。今にも逃げ出したい気持ちを堪えて、静雄はなるべく低い声で、なんだ、と答えた。


「なんだじゃないよ。わかってるよね、罰ゲーム」
「………」
「負けた方は?ん?どうすんだっけー」
「………………勝った、方の、いうことをきく」
「そのとおり」


ぱっと満面の笑顔を咲かせた臨也は、勢いよく親指を立てた。いっそ清々しい。返り討ちにしてまたあの羞恥に貶めてやろうと思っていたのに、本当にリベンジを食らってしまった。

「シズちゃんには罰ゲームを受けてもらうよ。前回の俺への罰ゲーム覚えてるよねえ?」
「……………」
「忘れたとはいわせないよ。倍返ししてスク水着てご主人様って言ってもらおうかあ?」
「おま、それは、………!!」
「え?スク水じゃ足りないって?じゃーさあ、いっそ俺に掘られてもらおうか」
「ざけんな手前、そんなことだけはあって堪るかよ!!」
「堪るんだなあそれが。だって罰ゲームだもん」


不味い。この状況は、非常に不味い。止まることのない冷や汗に内心顔面蒼白になりつつ、静雄は引きつった笑みを貼り付けた。
確かにこの前臨也をああやって辱しめたのは自分だ。だがいざ自分に強いられると視覚的に不可能というか、というか着れる訳ないだろう。

逃げよう。ここ俺の家だけど。

そう思い立って腰を上げた静雄の服の裾を摘んで、臨也はこれまでにないぐらい最高の笑顔を見せた。


「罰ゲームは罰ゲームだよ、シズちゃん」


ああ、終わった。
さらば俺の男としての真っ当な人生。
まぁ、この世界一嫌いなはずだった男が恋人である時点で真っ当とはいえないが、それでも掘られることはないと思ってた。


静雄は腹を決めてぎゅっと目を瞑る。きっと奴は聡いから、自分が勝利すると見越して色々な攻め具を用意してここに乗り込んできたのだろう。これから味わうであろう地獄のような屈辱を想像するだけで、心が折れそうだった。


しかし、―――いつまで立っても臨也が動く気配はない。恐る恐る目を開けて見ると、さっきまでにやにやと余裕そうに笑っていた顔から一変、恥じらうような瞳でただ此方をじっと見つめていた。


「シズちゃん」
「―――な、んだよ」
「なんでも、言うこときいてくれるんだよ、ね?」
「………………まあ、罰ゲームだからな…」
「じゃあ、それじゃあ」


珍しく口ごもっている臨也を不審に思う。だってさっきまで俺を追い詰めて心底楽しそうに言葉を並べていたじゃないか。何故今になってそんな顔をしている。命令する本人も躊躇うようなことをされるのか?色々なことが一気に疑問となって、静雄は軽く首を傾げた。

「だから、なんだよ」
「あのね」
「とっとと言え」
「笑、わない?」
「?……ああ」

臨也は少し息を吸い込んで、じゃあ命令ね、と小さく呟いた。


「ぎゅーっ、て」

「は?」

「ぎゅーってして欲しい」







くらりと視界が揺れた気がした。
耳まで真っ赤にした臨也はぽかんとした顔の静雄を見て慌てたようにやっぱりいい、嘘だよ、と首を振った。


「冗談、冗談だから!」
「……………」
「ほんと冗談だってあはは、そんな顔しないでよー!やだなあ、」
「………ぎゅーの次は」
「え?」
「ぎゅーの次は何して欲しいんだよ」
「……………」
「言えよ。言うこときいてやるから」
「……………ちゅーがいい」




ああ、反則だ全く。
くらくらする頭を乱暴に掻いて、静雄は臨也の体をぎゅっと抱き締めた。








余す所なく愛せ

(こんな遠回しな甘え方なんて出来ないなんて、愛しすぎて堪らない)






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