頭が、痛いんだ。

突然携帯に入ったSOSで新宿の奴の自宅へ飛んできた俺に、臨也はいつも通りの表情でそう溢した。別段具合は悪そうには見えない。ただ気だるそうに、だらりとソファーに身をもたれさせている。

この男が弱音を吐くことなんて滅多にない。ましてや俺になんか。
相当具合が悪いのか、いやしかし具合が悪いだけなら助手の矢霧波江がいるじゃないか。そんな不安を抱えながら、認めたくはないが慌てて池袋から訪ねてきたというのに。


「頭、痛い」
「手前なあ………」


そんな平然とした顔で頭痛を訴えられると、力が抜ける。調子に乗るから口が裂けても言わないけど、死ぬほど心配したのだ。普段絶対助けて欲しいなんてメールを寄越すことがない人間だから。ひょっとして俺は試されたのだろうか。つーか、どっきり?

「ざっけんな、呼び出されたからわざわざ来てやったのに」
「ほんとだよ」
「あ?」
「ほんとだよ、ほんとに、痛いんだ」
「……そんなに具合悪ぃのか?」
「具合悪いんじゃない、頭、が」
「――――――臨也?」


ソファーの上から此方を窺ってくる目はいつもの人を見下す光を宿してなくて、力無く赤をたたえていた。ゆらゆら、揺れていて、まるで不安定な天秤みたいだ。こんなに弱々しい折原臨也を見たら、他の奴らはどう思うだろうか。どうやら頭痛に苛まれているのは事実のようだ。
臨也の目が縋るように潤んでいるのに気付いて、思わず目を逸らす。
あ、弱ってやがる。
本能的に悟った。臨也が弱っている。そんなこと到底みんな信じないかもしれないが、臨也は結構精神的に脆い。余裕綽々といった笑顔をいつもいつもいつも腹が立つ程浮かべている裏では、能面に似た無表情なのだ。決して人間を愛しているということも、面白いことが好きだということも嘘ではない、とは思うのだが。



「いたいいたい、痛い」

ぐしゃりと、不意に臨也の顔が歪む。何かの弾みで均衡が崩れてしまう、そんな感じで、ぐらぐらと揺れる不安定な心が崩れていく音を聴いた気がした。頭を抱えて痛いと繰り返す臨也を慌てて抱き締める。そうしないと、ソファーから落ちてしまいそうだった。


「シ、ズちゃん、どおしよお、痛い…っ!」
「落ち着け、息してみろ。頭痛薬いるか?」
「い、いたい、っひ、痛いぃ…痛い」
「ちょっと待ってろ、今薬持ってくっから。水飲むか?おい、臨也、」

「ひ、っぃ、たい、痛い痛い痛い痛い痛いいいい!!」


突如叫んだ臨也が俺にしがみつく。痛い、痛い、痛い痛い痛いシズちゃんどこにも行かないで、痛いんだよお。ぼろぼろと涙を溢して懇願されて、俺はどうしようもなくなってソファーに座り直した。小さく丸まって嗚咽で震える背中をゆっくりと撫でる。

「臨也、なぁ、」

痛い。此方にまで移りそうなほど繰り返される言葉を吐く唇をゆっくりと塞ぐ。歪んだ表情がほんの一瞬和らいだ気がした、のはきっと俺の気休めだろう。

臨也、なぁ。
なんでそんなに弱くなってしまったんだ。
がたがたと震える体をきつく抱き締め直す。いつからそんなに人間に愛されないと生きていけない人間になった。
臨也は、時折崩れる。どんな風にと訊かれると言葉に困るが、例えば積み上げてきたジェンガが、ほんの些細な刺激でばらばらに崩れ落ちてしまうみたいに、自らをぎりぎりの状態まで追いやって、そしてふとしたことで崩れる。


「シズちゃん、」
「まだ、痛えのか」
「痛い」
「………はぁ、」

ガキみたいに涙で顔をぐしゃぐしゃにした臨也の額に唇を押し付ける。ったく、二十歳越えた大人かそれでも。俺の膝の上でいつまでもぐずぐずと頭が痛いと泣いている男の髪をそっと撫でた。


「痛い、痛い痛い、」
「少しぐらい我慢しろ」
「頭割れちゃう」
「だから頭痛薬持ってくるっつってんだろ」
「頭痛薬なんかで収まるんだったらとっくに収まってるよ」
「じゃあ精神安定剤でももらってこい」
「…………」

あ、言い過ぎた。また更に顔をぐしゃりと歪めた臨也を見て咄嗟に後悔した。
この状態の臨也は普段のあの小憎たらしい口をきく捻くれたあいつとは違って弱くて脆い人間だから、こんな俺の素っ気ない返答にいちいち反応して面倒臭い。面倒臭いけどわざわざどうしてこうやって背中を擦ってやってるかというと、癪なことに俺は仮にも臨也の恋人だからだ。

好きだから救いたい。
救いたいけど救えない。



「ひどい、ひどいひどい、痛いのに、こんなにっ…」
「あー悪ィ。悪かった。わかったから泣き止め。頭痛、収まるまでこうしててやるから」
「本当に?」
「ああ」
「収まるまでずっと?」
「―――つか、お前もう痛くねえだろ。けろっとしやがって」
「そんなこと、ないよ」
「意識するから痛くなるんだ。手前はちょっと色々と根詰めすぎなんだよ。だから壊れるんだ」
「何の、話」
「いいから聞け。臨也、…手前が自分を追い詰めんのが好きなのは知ってる。そうやって、…追い詰めて壊れて、いつか本当に後戻り出来ないぐらい壊れそうで、…怖いんだよ、俺は」
「シズ、ちゃ、痛い、頭痛い」
「ああ、わかったよ、わかったから」
「痛い痛い痛いいたい、シズちゃん助けてよぉ…」
「もう泣くな、泣かないでくれよどうしたらいいかわかんねえだろ…!なんでそんなに弱いんだ手前はっ……!!」


再び泣き始めた臨也の肩に顔を埋めて、俺も泣いた。









まったくどうしてすくえない

(愛しい、から壊れる。だから修復する。また壊れる)(何がどうしてどうやってお前を苦しめるのだ)








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