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James Gosling博士が少しは真相を語り始めたことをJavaな人は御存知でしょう。その記事が"Java Creator James Gosling: Why I Quit Oracle"です。
私の読後感は、Oracleの買収劇に多くの人から危ぶむ声があり、そして誰もが予想していたことから大きく外れていないので、目新しいことは無いように思いました。それでも、個人的にはGosling博士に同情しました。これはリストラと言うよりは、企業内いじめと言った方が適切かも知れません。但し、これはあくまで博士の証言が正しいという前提のもとです。
私はOracleを一方的に批判する気持ちはありません。何故なら、同じ傲慢さをSunもやっていたからです。若い人は御存知かどうか知りませんが、他言語へのネガティブキャンペーン(しかも、Gosling博士も片棒を担ぐ論文まで発表しています)を盛んにやり、Apache等のオープンソース団体に不当な条件を強要したことは事実です。そういうことをやれば、いつか自分達に返って来ると思う謙虚さが必要でしょう。
いずれにせよ、その私訳を以下に載せておきます。なお、不本意ながら、いくつか訳注を入れています。感謝祭での風習等日本人には余り知られていないと思ったからです。
Java作者 James Gosling: 何故私はOracleを辞めたのか
2010年9月22日 Darryl K. Taft
eWEEKとの独占インタビューの中で、Java作者 James Goslingは、Oracleを去った理由も含めて、以前は明らかにしなかった一連の問題について議論している。
[サンフランシスコ発]Java言語とプラットフォームを作ったチームをJames Goslingが主導した時、Sun Microsystemsは絶好調だったし、状況を一変させる革新的技術の立場にJavaはいた。しかし、財務の現実は結局Sunを屈服させ、Oracleが救済者になりうるとして登場した。結構なことだと言われているけれども、その舞台裏では、Goslingが関する限り、すべて間違っている。
GoslingはJavaを作り、多くの人が偉業だと思う功績はいくらかの敬意を要するであろうはずが、Oracleから得たものは正反対だったとGoslingは言う。eWEEKとの独占インタビューの中で、Goslingは、彼がOracleを去った理由と、彼の創造を前進させる会社の執事とは何かを明らかにした。
辞職すると発表した春のブログ投稿では、"何故去るのか、答えるのは難しい。私が正確に正直な事を言えば、いいことよりも害を及ぼすであろう"とだけGoslingは言っていたものだった。しかし、Oracleの初めてのJavaOne(現在Oracle OpenWorldとともに開催されている)週間の間、サンフランシスコでのeWEEKとのディナーにおいて、Goslingはもう少し踏込み、主要な従業員を格下げしていることや、Sunがやっていたプロジェクトと戦略を途中で止めていることを語った。
"私がOracleを去ることに役割を果した多くの事柄がある。私の給与提示のようなこともあった。提示を受けた後、私は補償が週二日形式のようになるだろうことを理解しようとしたが、それは大きな障害だった。彼等はSunから私の基本給をコピーした"とGoslingは言った。しかし、Sunでは、副社長又はそれ以上の執行役員は会社の業績に基づき降給又はボーナスが総計されて与えられた。"並の年には、それで構わないし、良い年には、大いに喜んだ"と、この補償の観点から彼は言った。
Oracleの女性広報担当者はGoslingの主張について何もコメントしなかった。
だから、"Oracleで働く特典のためには、彼等は私に大幅給与カットを望んだ"とGoslingは言った。
それだけでは、進行を妨げるものとはならなかった。実際、その制約があっても、Goslingは彼の部下と一緒にデータベース巨人へと移った。しかし、Goslingによれば、別の腹立たしいことが起きた。Oracleは、シニアエンジニア又は少なくともSunでのGoslingの階級(Sunでは彼はフェローだった)と同等な考えを持っていなかった。"仕事提示で、彼等は私にかなりの降格をさせた"と彼は言った。
だが、それでも、会社を去るという結論へ導く最終の要因にはならなかった。おそらく、Goslingが言う最終の小さな原因は、彼を抑制しようとするOracleの動きだった。事実、Sunを所有し、従ってJavaを所有しているので、その作者と彼の知的財産を所有し、Gosling又は他の人がJavaについて言わなければならないことを決定するのはOracleの考えで決まった。
"Oracleで、何かを決めるための私の力は最小限に抑えられた"とGoslingは言った。"Oracleは極端に微細管理されている会社だ。だから、私自身とJavaでの私の同僚が何かを決めることは許されていなかった。何かを決めるための私達の権威すべてが消失した"
そのことは、感謝祭の御馳走の後に熱心な二人の姉妹の手で引っ張られる七面鳥の鎖骨[訳注:米国では、鳥の鎖骨を二人で引っ張り合い、長い方を取ると願い事がかなうというジンクスがあります。ちょっと文章だけでは想像しにくいと思います。百聞は一見にしかずというわけではないですが、感謝祭の日に米国もしくはカナダ(日にちは違いますが)へ旅行されるのもいいかと思います]のようなGoslingの決意を曲げたが、それでも壊しはしなかった。最終的に鎖骨を壊し、GoslingにMarvin-Gaye[訳注:米国の歌手。故人]風のスタイルで叫び、手を振りかざしたくさせたのは、"私の仕事が、ステージに上がり、OracleのためのJavaを公に発表することらしい。そのためには、私は悪いMyers-Briggs[訳注:ユング理論に基づく性格検査の一種]象限だ"と彼は言った。
Goslingが既に持っていた感情に加えて、Oracleは"倫理的にやかましい"という意識があり、全く充分だと彼は言って、もうそこでは働かないという決心をした。
契約のオンステージの部分が、野球殿堂入りしているWillie Maysがサンフランシスコジャイアンツのイベントや他の会場でサインしているような感じにさせるのかと聞くと、"まぁ、Willieはそういうことが好きだった。私はそうじゃなかった"とGoslingは言った。
また、後から振り返って、SunがOracleよりもIBM(Sunを買収する取引に参加し、ゲームの最後で取り止めた)に買収されることをGoslingが願ったかどうか聞くと、彼と少なくともSunのチェアマンScott McNealyが見込みを議論したとGoslingは言った。McNealyによって主導された(そのように言われているけれども)合意は、"Oracleはより残忍だろうが、IBMはより人員削減するだろう"と彼等は信じている、だった。
そして、指導者達(取引で最も利益を受ける)もSunの就業者数と買収で従業員がうまくやっていく方法について考えていた。最近のIBMの、静かだが伝説的な人員削減の連続記録を考慮すれば、当然の心配だった。更に、Oracle/Sunの完全合併の発表に先立って、多くの人員削減があったとGoslingは言った。
しかし、Gosling個人の場合、IBMでうまくやっていたかも知れない。IBMでは、技術的ノーハウは十分に報われる。例えば、IBMがRational Softwareを買収した時、RationalのチーフサイエンティストGrady Boochに価値を置いた。Grady Boochは、UML(Unified Modeling Language)の共同作者であり、IBMは彼をIBMフェローより以上にした。Boochはオンステージで熱狂させる役割をこなしている(部分的には、彼はそういうことが得意で、好きだ)けれども、IBMのソフトウェアグループとその研究組織両間の主要な連絡も努めており、彼は熱心に革新に関わっている。Goslingは同じ宿命をともにしていたかも知れない。ひょっとするとね。
そして、Goslingが感じたと言う微細管理は、IBMでは問題にならなかったかも知れない。特に、Goslingが感じたと言う、Javaに影響する決定の殆どすべてがLarry Ellisonの手中にあることについては。確かに、IBMのチェアマン且つCEOであるSam Palmisanoは、Sunのような主要なものでさえ買収に自ら手を出すことはないであろう。だが、IBMは、OracleがEllisonの創作品であるようにSamが作った会社ではない。そこには大きな違いがある。
レポータの個人的意見では、Goslingは、姉妹都市のスポーツ界の大物、オークランド・レイダースのオーナーAl"Just Win Baby"DavisのようにEllisonのイメージを描いている。Al Davisは、絶え間無くコーチを雇い、彼自身で牛耳るためだけに才能ある人を採っている。だが、Oracleと違って、Davisとレイダースは暫くの間優勝していない(2001年、我がボルティモア・レイブンズの優勝の途中で、レイブンズが彼等の望みをなぎ倒し、Tony Siragusaによる残忍な平落ちタックルの後、クオーターバックRich Gannonの肩を壊したからではない)。
Goslingは直接Ellisonを相手にしていないと言ったけれども、"彼は私をぞっとさせる種類の人だ"と言った。"Sunでの上役すべてが補償方法を騙された。彼等の仕事のタイトルは同じだったかも知れないが、何かを決める力は全く消えた"。
"ぞっとする感じ"がEllisonのみならず、Oracleの権力構造についても言えることを納得させるため、Goslingは次のように言った。彼はOracleの買収を我慢したSunに忠実な人達の意欲を改善しようという考えが閃いた。会社はカリフォルニアのサンタクララにあるGreat America遊園地を貸す決意をし、Sunの従業員が楽しむことを許可した。Scott McNealyとSun CEOのJonathan Schwartzは予算がつくよう、そのプロジェクトを正式承認し、すべてのシステムが上手く行った。そのイベントが起こる数日前でなければ、Oracleの共同社長Safra Catzはそれを嗅ぎつけ、計画を潰した。
"Safraは詳しく調べ、かんかんに怒った"とGoslingは言った。"Oracleは従業員感謝イベントをしないという言葉が下った。彼女はキャンセルを強要した。しかし、資金は使われてしまったのだから、少しの金も節約しなかった。私達は結局チャリティへチケットを寄付することになった。それは'Oracle流'でないという理由で、私達は諦めるよう強要された。他方、Oracleは帆船に約2億ドルをスポンサーしている"。
一方、McNealyが言ったOracleの"残忍さ"について言えば、AndroidモバイルOSでのJavaの使用をめぐって、Googleに対するOracleの訴訟は予想された類のことだとGoslingは言った。実際、ブログ投稿の中で、SunがJavaの特許の状況について語った時、Oracleの弁護士の目が輝いたとGoslingは言った。
しかし、法律上の論争とその結果いかんにもかかわらず、Googleの意図に悪意があったとか、Googleが"若きMicrosoftのように"ツールを使って世界を手許へ連れて行くことに熱中していたかどうかは言えないとGoslingは言った。Goslingは、Googleへ行き、おそらくAndroidの作成に関係した元Sun従業員に何ら中傷もしていない。
"私達は、Googleがしていることにかなりいらいらさせられたが、そうすることが彼等の流儀だった"と、Googleについて言った。"だが、訴訟にのめり込むのは、たんに資金の面だけでなく上役の人の面からも、著しく高くつく。U.S. vs. Microsoftの公判は私の人生の一年を著しく破壊した"。
その上、"Googleは広報活動に天地万物の隠し子のような雰囲気を持つ"。そして、天地万物の隠し子を訴えることはSunが必ずしも取りたい姿勢ではなかった、と彼は表明した。別のブログ投稿で、Goslingは、AndroidブームをSunはどのように扱ったか更に説明している。
彼の言葉によれば彼が不当に扱われる、Oracleでは仕事をしないという決意にもかかわらず、GoslingはOracleのもとでのJavaの運命について関心が無いと言った。
"Javaは実際に、それ自身の命を獲得してしまっているので、OracleでのJavaについて私は実に全く関心がない"とGoslingは言った。"Oracleのビジネスは大いにJavaに依存しているので、Oracleが出来るのはそれだけの損失だけだ。彼等のベストな利益のためには、Javaをうまく処理することだ"。
しかし、"暫くは多難だろう"と彼は言った。"Oracle側は多くの傲慢があり、そのいくつかは彼等の届かない処で早くも叩かれた。彼等は、JCP[Java Community Process]に関する問題を根絶出来ると言ったが、JCPは仲違いしたままだ"。
Mylynタスク指向フレームワークの開発者であり、Tasktop TechnologiesのCEOのMik Kerstenは、"プラットフォームとしてのJavaの将来にいくつかの関心がある。プラットフォームを構築している会社と組織にとって、Javaが単一のどんなベンダーよりも大きいという事実から安らぎが来ている"と言った。
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