天児 慧(あまこ・さとし) 早稲田大教授(現代中国論)、早大現代中国研究所長
2010年09月22日中国漁船の拿捕、船長の身柄拘束をめぐって、日中領土領海問題が再び噴出している。中国当局は強硬な抗議の姿勢を緩めない。船長の拘束が続き、中国側の反日行動は民衆レベルでも一段とエスカレートしてきた。
しかし、直ちに船長を釈放すれば、日本政府が屈服したことになり、国内での反中国感情、反政府感情の高まりは必至である。この間に築いてきた「日中戦略的互恵」路線は吹っ飛び、相互不信・対立の亀裂は深刻さを増すだろう。中国の拡張主義・覇権主義の表れだと非難すれば話は簡単だが、ことは悪化するばかりである。中国さらには台湾にも言い分がある。だから長年ことあるごとに激高してきたわけだ。日中双方の指導者、識者はお互いに知恵を出さねばならぬ時である。
問題の本質は、やはり国家主権をどう考えるかであろう。私はこれを「不変不可侵の固有の概念」ではなく、可変的な「歴史的概念」として考える。
これまで国際システムで最も長く生き続けている表現は、1648年に欧州で確立されたウェストファリア体制で、すなわち国際社会における最高意思の主体を国家と見なし、国家間の約束事によって国際秩序を形成しようとする国民国家体制である。しかし、これとて今日の欧州連合(EU)を見れば絶対不変なものではない。あるいは国家主権の不可侵性を激しく強調する中国でさえ、その主張の歴史は決して長くはない。清朝末期までの中国の世界観は「天下=華夷秩序」論であって「国民国家」論ではなかった。
今日、グローバリゼーションの大波は全体として様々な領域で越境性・相互依存性を深め、国家主権・意識を弱め、国益観を多様化し、脱国家現象を強めている。もちろん国家主権論も依然として根強い。国家と脱国家の価値・役割・機能が併存し影響し合う状況が続くのが21世紀の国際社会であろう。
尖閣諸島問題を「国家vs国家」で戦わせるなら解決はパワーが優先し、日中双方とも大きな傷を負う。もし国家・脱国家の枠組みで考えるなら新しい発想が求められる。以前から考えていたことだが、領土領海の係争地域に限定した「共同主権論」もアイデアだろう。政治的な主権論以外の領域での協力・依存関係を軽視してはならない。脱国家の論理と実践を、国家の論理と実践に一方的に従属させてはならない。
では当面どうすべきか。冷却期間は必要だが、放置すると事態はさらに悪化する。早急に日中首脳会談を実現し、「領土領海問題」としての尖閣諸島問題の凍結を宣言し、船長釈放を含め事態の沈静化に努める。できれば当地域を「政治特別区」にし、民間レベルの自由往来を制限する。また、当地域をめぐる諸問題を議論し解決するための専門委員会を設置することだ。「尖閣諸島は日本の領土だから議論すること自体が無意味で、誤っている」という従来の日本政府主張では何も問題は解決しない。同時に中国側にも大局に立った冷静な対応を望む。