院内での対策に手を取られていることもあり、9-11日の3連チャン後もなかなかです。
9.16は口腔外科にてミニレクチャー。
症例コンサルトの時に感染症・抗菌薬に興味をもってくれた若手医師の先生のおかげで実現しました。以前も書いた気がしますが感染症は簡単でも難しくもありません。簡単と思い込んでいる人にとって突如として難しい顔を見せる病気です。難しい症例はありますが、これらに正しく対処できるかどうかは、よくある感染症を普通に診断し、普通に治療する、このような基本問題とでもいうべき症例の経験をいかに積み重ねられているかで決まってきます。抗菌薬の使いやすさやCRP頼りの治療はこれをとばしてしまう作用、感染症を簡単なものと誤解させる作用があり、それが感染症診療レベルの向上の足かせになってしまっているというところはあるでしょうね。ともあれ、このような企画はこちらが開催して呼びかけても思うほど人が集まらないものでして、日常診療もこんな出張レクチャの機会が増えるように意識しながらやっていきたいです。
9.21は院内感染対策講習会。呼吸器内科の先生に主役で話してもらい、私は脇役で結核の院内感染対策について最後に5分だけ話しました。今年度の講習会は2つの講堂(一つはビデオ中継)で開催していますが、毎回立ち見のでるほどの聴衆に恵まれており、とてもうれしく思っています。いろいろな感染症について院内感染対策の話をすることがあるわけですが、スライド作ったり話したりしていると病原体の種類は違っても対策の本質は見事に一致しているなと感じ、こんなふうな普遍性を感じると感染症への視界がまた少し開けたような気がしてきます。こうした形で理解が深まると感染症はまた楽しく(というと語弊ありますが)なるので他のICTメンバーにもどんどん講習会の講師をやってもらいたいと言っているのですけどね。頼むとたいがい嫌がられてしまうのどうしたらいいんでしょうね。
来週9.28は看護師レベルアップ講習会です。毎年同じタイトルで「抗菌薬の適応と種類」。抗癌剤の適応なんていうタイトルの講義なんてないでしょうし、抗癌剤は種類がいろいろあってわからないという質問も聞かないですな。だからここでも抗菌薬がどうこうと言いつつ実はやっぱり診断!という話です。
この日はこれが終わったら新幹線飛び乗って東京へ。多剤耐性アシネトバクターの某大学病院でのアウトブレイクを受けた厚労省主催の大学病院の感染対策担当者に緊急招集のかかった会議です。眠たい話じゃなかったらいいですけど。
10月は7日に県立尼崎病院で講演会、14日に金沢医大にて感染症学の講義、16-17日は東京で医真菌学会(セミナー2つとICD講習会)、月末28-29日は千葉にて国立大学病院感染対策協議会。11月、12月は学会が2つずつ。シーズン到来って感じで、ひとつひとつ書いていく余裕もなさそうです。
2010/09/25
2010/09/03
2010.8月のあれこれ、9月のあれこれ。
夏休み期間だったからというわけではないですが、しばらくぶりの更新です。
2010.8.21には第9回レジ感(メルパルク京都にて)。めずらしい症例だったという感想もあるでしょうが、というよりもこの症例の中にいくつかあったよくある部分でそのようなときにいかに堅実に診療していくかということを伝えたい症例でした。例によって楽しく司会できました。
8.26は大学での「熱病」講演会。一昨年は自分が当日に高熱を出してしまって、まさに熱病講演会やなと自嘲しながらなんとか話したんでした。自分が研修医の時にはこんなテーマの講演はなかったよな、と思いつつ、しかしそんな中でこの領域に入ってこのようなテーマの大切さに自分で気づくことができて、どっちがよかったのかわからないなと思いました。聴きに来てくれた皆さんが「感染症の診療ってそういうもんか」と思ってくれたらそれはそれで嬉しいですが、その上で自分で苦労しながら診療にあたっていくうちに「あっ!そういうことだったのか」と改めて感じてもらえたならもっと嬉しいなと秘かに願ってます。一枚大事な内容にミスがあり、終わった後に指摘してもらって気づきました。出席の全員にお詫びと訂正を配布してもらうことにしました。一回こういうことがあるとこれまでホントに大丈夫だったんだろうかと心配になりますね。ギリで準備してしまう習慣をなんとかして、今後こんなことの無いように気をつけたいです。
8.28は臨床微生物学会の教育セミナーの講師をやりました。うちの教授が担当理事してる関係で昨年に引き続きの開催でした。
まずはトップバッターで「感染症適正治療のためのコツ」というタイトルで講義。このタイトルは実は自分でつけたものではないのですが、結果的にはコツなどない、というありがちなオチの講演内容でした。いつものとおり、診断に対する貪欲さが治療を決めるということ、そのことが治療成功だけでなく「予防」の効果をももたらしてくれるということがポイントでした。
午後は症例検討グループディスカッションの司会・進行役をやりました。3時間の長丁場、2症例呈示して、症例毎に設定しておいた細菌検査と診断についての設問にグループで議論して発表してもらうという形式です。ディスカッションが十分にできるように昨年より症例数を減らしたのがよかったかなと思いました。こちらの想定していない意見や考えがでてきて、私も大いに勉強になりました。途中である参加者の意見に対し「それは全く考えてなかったです」と言ったらなぜかウケてしまって、発言した方に若干気まずそうな表情をされてしまいました(フォローはしたつもりですが)。でも、そういう意見が出てくることが出席者全員参加型の一番いいところだと思いますし、ホストの立場としてもそれが一番エキサイティングで楽しいところなんですよね。
終了後の懇親会では質問をたくさんいただきまして、正直言うと気が抜けつつあったところだったのですが、とても嬉しかったです。
8.29は東京国際フォーラムで化学療法学会の抗菌薬適正使用生涯教育セミナーの1コマの座長をしました。演者として話すのと違った独特の緊張感で、しかもずっとステージ上で聞いていたので恥ずかしかったです。時間が少しだけ残ったからということで私から演者の先生に振った質問はちょっと意図がわかりにくかったかもしれなかったかも、というのが反省点でした。

こんな感じで後半がギュっと詰まった8月でした。
9月はと言いますと、、、
9.4は大学時代のクラブの先輩が主催する「関西みみはな治療研究会」で大阪へ耳鼻咽喉科領域での感染症について、9.9は草津へ「滋賀呼吸器感染症研究会」に真菌感染症の話をしに行きます。その週は臨床検査医学会(東京)もありました。VREに関する一般演題発表(9.10)と座長(9.11)が各一つ。その間には大学で医工連携のセミナー(これは感染症とはあまり関係ありませんが)が入っており、金土で東京2往復。なんかあほらしけどしょうがないです。
ってな感じで9月は前半がギュっと詰まってますな。
2010.8.21には第9回レジ感(メルパルク京都にて)。めずらしい症例だったという感想もあるでしょうが、というよりもこの症例の中にいくつかあったよくある部分でそのようなときにいかに堅実に診療していくかということを伝えたい症例でした。例によって楽しく司会できました。
8.26は大学での「熱病」講演会。一昨年は自分が当日に高熱を出してしまって、まさに熱病講演会やなと自嘲しながらなんとか話したんでした。自分が研修医の時にはこんなテーマの講演はなかったよな、と思いつつ、しかしそんな中でこの領域に入ってこのようなテーマの大切さに自分で気づくことができて、どっちがよかったのかわからないなと思いました。聴きに来てくれた皆さんが「感染症の診療ってそういうもんか」と思ってくれたらそれはそれで嬉しいですが、その上で自分で苦労しながら診療にあたっていくうちに「あっ!そういうことだったのか」と改めて感じてもらえたならもっと嬉しいなと秘かに願ってます。一枚大事な内容にミスがあり、終わった後に指摘してもらって気づきました。出席の全員にお詫びと訂正を配布してもらうことにしました。一回こういうことがあるとこれまでホントに大丈夫だったんだろうかと心配になりますね。ギリで準備してしまう習慣をなんとかして、今後こんなことの無いように気をつけたいです。
8.28は臨床微生物学会の教育セミナーの講師をやりました。うちの教授が担当理事してる関係で昨年に引き続きの開催でした。
まずはトップバッターで「感染症適正治療のためのコツ」というタイトルで講義。このタイトルは実は自分でつけたものではないのですが、結果的にはコツなどない、というありがちなオチの講演内容でした。いつものとおり、診断に対する貪欲さが治療を決めるということ、そのことが治療成功だけでなく「予防」の効果をももたらしてくれるということがポイントでした。
午後は症例検討グループディスカッションの司会・進行役をやりました。3時間の長丁場、2症例呈示して、症例毎に設定しておいた細菌検査と診断についての設問にグループで議論して発表してもらうという形式です。ディスカッションが十分にできるように昨年より症例数を減らしたのがよかったかなと思いました。こちらの想定していない意見や考えがでてきて、私も大いに勉強になりました。途中である参加者の意見に対し「それは全く考えてなかったです」と言ったらなぜかウケてしまって、発言した方に若干気まずそうな表情をされてしまいました(フォローはしたつもりですが)。でも、そういう意見が出てくることが出席者全員参加型の一番いいところだと思いますし、ホストの立場としてもそれが一番エキサイティングで楽しいところなんですよね。
8.29は東京国際フォーラムで化学療法学会の抗菌薬適正使用生涯教育セミナーの1コマの座長をしました。演者として話すのと違った独特の緊張感で、しかもずっとステージ上で聞いていたので恥ずかしかったです。時間が少しだけ残ったからということで私から演者の先生に振った質問はちょっと意図がわかりにくかったかもしれなかったかも、というのが反省点でした。
こんな感じで後半がギュっと詰まった8月でした。
9月はと言いますと、、、
9.4は大学時代のクラブの先輩が主催する「関西みみはな治療研究会」で大阪へ耳鼻咽喉科領域での感染症について、9.9は草津へ「滋賀呼吸器感染症研究会」に真菌感染症の話をしに行きます。その週は臨床検査医学会(東京)もありました。VREに関する一般演題発表(9.10)と座長(9.11)が各一つ。その間には大学で医工連携のセミナー(これは感染症とはあまり関係ありませんが)が入っており、金土で東京2往復。なんかあほらしけどしょうがないです。
ってな感じで9月は前半がギュっと詰まってますな。
2010/08/06
2010.7.31 院内感染対策講習会 (大阪、済生会野江病院) で話してきました。
タイトルは「感染予防策と抗菌薬適正使用の結びつき」でいろいろなところで何度も話した内容です。
出席してたのは看護師の方が多かったです。看護師こそ患者の変化に一番に気づく存在ですし、血液培養をとるのも看護師の役であることが(市中病院では)多いでしょうから、敗血症をみのがすまい、めんどくさがらずに血培を採ろう、という動機づけに少しでもなってくれたらと願うばかりです。
この病院には4月から週1回(同僚の医師と隔週交替で)非常勤感染症科医として勤務しています。
ここのICTには兼任ながら熱心に感染制御に取り組んでいる看護師がいてそれを数名の医師と看護師のメンバーが支えるような形です。
常勤の兼任メンバーに週1非常勤ながら専従の医師とが組み合わさるとことで有機的な変化が起こらないかな、などと考えながら仕事しています。ICTとして一緒に院内感染対策ラウンドをしながら血培陽性例を中心に感染症診療への介入を行っていますが、なにしろ週1回のみとなると、一例一例を綿密にフォローできませんし、感染対策についても大まかな助言以外はできません。総論は常勤兼任者がすすめていき、各論や"穴"の部分を非常勤専従者で埋める、というスタイルが一つの形になることを期待を持ちながら想像しています。
今のところまだコンサルトが少ないのが悩みのタネです。困ったときにそこにいない非常勤なのでコンサルトしようという気になりにくいだろなとも思いますが、それまで自力でなんとかしていた(なんとかなってると思っていた)わけですし、コンサルトして良かったという体験もないでしょうからやむを得ないと思います。血培を促進して網にかかる症例が増えること、血培陽性例への介入を通して、こりゃコンサルトした方がいいなと感じる機会が増えるようになることを狙っています。裏を返せば改善の余地がたくさん残っているということでもありますし、そこは私が感染症の業界に身を置こうと思ったきっかけでもあります。大学病院では逆にやりにくいようなことに取り組んで行けたら、そしてその成功体験を病院のメンバーと共有できたらと思っています。
出席してたのは看護師の方が多かったです。看護師こそ患者の変化に一番に気づく存在ですし、血液培養をとるのも看護師の役であることが(市中病院では)多いでしょうから、敗血症をみのがすまい、めんどくさがらずに血培を採ろう、という動機づけに少しでもなってくれたらと願うばかりです。
この病院には4月から週1回(同僚の医師と隔週交替で)非常勤感染症科医として勤務しています。
ここのICTには兼任ながら熱心に感染制御に取り組んでいる看護師がいてそれを数名の医師と看護師のメンバーが支えるような形です。
常勤の兼任メンバーに週1非常勤ながら専従の医師とが組み合わさるとことで有機的な変化が起こらないかな、などと考えながら仕事しています。ICTとして一緒に院内感染対策ラウンドをしながら血培陽性例を中心に感染症診療への介入を行っていますが、なにしろ週1回のみとなると、一例一例を綿密にフォローできませんし、感染対策についても大まかな助言以外はできません。総論は常勤兼任者がすすめていき、各論や"穴"の部分を非常勤専従者で埋める、というスタイルが一つの形になることを期待を持ちながら想像しています。
今のところまだコンサルトが少ないのが悩みのタネです。困ったときにそこにいない非常勤なのでコンサルトしようという気になりにくいだろなとも思いますが、それまで自力でなんとかしていた(なんとかなってると思っていた)わけですし、コンサルトして良かったという体験もないでしょうからやむを得ないと思います。血培を促進して網にかかる症例が増えること、血培陽性例への介入を通して、こりゃコンサルトした方がいいなと感じる機会が増えるようになることを狙っています。裏を返せば改善の余地がたくさん残っているということでもありますし、そこは私が感染症の業界に身を置こうと思ったきっかけでもあります。大学病院では逆にやりにくいようなことに取り組んで行けたら、そしてその成功体験を病院のメンバーと共有できたらと思っています。
2010/07/22
2010.8.26 大学でサンフォードガイドの講演会をやります。
先日のセミナーで話せなかったところを交えながら、先月末の横浜での講演と同様、Sanford guideの使い方というより、使えるような診療の仕方、といった話をしたいと思います。
2010.7.18-19 第8回感染症の診断と治療セミナーを開催しました。
(案内)
多くの参加者に恵まれてとてもうれしかったです。
私としては今年からはかなりダイレクトに企画に関わりました。とはいえ、前回までと比べて、1コマの時間を少し短めにして、テーマを少し増やして、少しですが間に休憩をとって、というだけで、どれも少しずつなので全体的には変わり映えもなにもなかったかもしれませんけど。
しかし、やっぱり一日目に7つの講義を詰めこむ形はちょっとしんどいですね。私の出番は最初の方に終わったのであとは気楽に、と思っていたのですが、やはりいろいろ気になる点がでてきて落ち着きませんでした。
2日めは最後のケーススタディの司会。
長崎での学会のセミナーの時にも思いましたが、こういうのは司会をすることそのものというか、司会を担当することによって何とか聴衆にメッセージを残したいと強く願い、どういうふうに話すとそれできるのかと自問する、そんな機会をもつことが様々な意味でよい訓練になります。実際うまくできているのかはわからないですけど、少なくともそんな気持ちにはなれます。だから他のメンバーにやってもらいたい気持ちもありつつ、任せるのは心配な気持ちもあり、複雑な心境です。当の司会ではいつも思っていること、言っているようなことを、ここぞとばかりにぼんぼん口に出してアピールしました。説教臭かったかなとも思いましたけど。多くの聴衆の前で言えるのが心地よかった反面、後になってなんだかちょっと照れました。というようなことを終了直後に知り合いの先生に話したら「いつもどおりでしたよ」と返されますますはずかしなってしまいました。
来年も同じ3連休にやることになる予定です。休みがつぶれるのは構わないですし、自分の出番そのものは限られているのですが、今年もいろいろな意味で精神的にはけっこうぐったりきました。来年は気分的にもうちょっと余裕もって臨みたいなとは思います。って、いつも始まる前まではそのつもりなんですけどね。
多くの参加者に恵まれてとてもうれしかったです。
私としては今年からはかなりダイレクトに企画に関わりました。とはいえ、前回までと比べて、1コマの時間を少し短めにして、テーマを少し増やして、少しですが間に休憩をとって、というだけで、どれも少しずつなので全体的には変わり映えもなにもなかったかもしれませんけど。
しかし、やっぱり一日目に7つの講義を詰めこむ形はちょっとしんどいですね。私の出番は最初の方に終わったのであとは気楽に、と思っていたのですが、やはりいろいろ気になる点がでてきて落ち着きませんでした。
2日めは最後のケーススタディの司会。
長崎での学会のセミナーの時にも思いましたが、こういうのは司会をすることそのものというか、司会を担当することによって何とか聴衆にメッセージを残したいと強く願い、どういうふうに話すとそれできるのかと自問する、そんな機会をもつことが様々な意味でよい訓練になります。実際うまくできているのかはわからないですけど、少なくともそんな気持ちにはなれます。だから他のメンバーにやってもらいたい気持ちもありつつ、任せるのは心配な気持ちもあり、複雑な心境です。当の司会ではいつも思っていること、言っているようなことを、ここぞとばかりにぼんぼん口に出してアピールしました。説教臭かったかなとも思いましたけど。多くの聴衆の前で言えるのが心地よかった反面、後になってなんだかちょっと照れました。というようなことを終了直後に知り合いの先生に話したら「いつもどおりでしたよ」と返されますますはずかしなってしまいました。
来年も同じ3連休にやることになる予定です。休みがつぶれるのは構わないですし、自分の出番そのものは限られているのですが、今年もいろいろな意味で精神的にはけっこうぐったりきました。来年は気分的にもうちょっと余裕もって臨みたいなとは思います。って、いつも始まる前まではそのつもりなんですけどね。
2010/07/05
2010.7.1 院内感染対策の講演会(長浜赤十字病院)でお話ししてきました。
講演タイトルは「感染症診療の基本的アプローチから見た抗菌薬の適正使用法」でした。
先の投稿で適正使用という言葉には…などと書いたわりにもろタイトルに入れてしまってますね。これは言い訳をするとそれをリクエストされるからです。なので、または、なのに、講演の中では「適正使用」という言葉自体はほとんど出てきません。
今月18-19日の感染症の診断と治療セミナーの内容とかぶる部分が多いですが、いつもの感染制御メインの話から感染症診療にウエイトを大いに移動させて、診断の大切さについて話をしたという感じです。診断に対する細心の注意、最大限の努力こそが決め手であるという、いつもの主張に全く代わりはありません。言われ尽くしてるような今更のようなこと、やってるつもりで実はあまりやってないようなのことの大切さを認識してもらうことをとくに強調した、というかほぼそれだけの話でした。まあしかし、どんな聞き飽きたようなことでもそれは大切だから、そしてその割に実践が不十分なので聞き飽きる程言い古されているわけですから、そのことを改めて違う文脈や展開の中で説明できてるとしたらそれでよかったのかなとも思います。私はいわゆる診療科の医師とは少し違った角度から感染症を捉えて仕事をしていますのでこのような役回りにちょうどいいのかもしれないとはよく思います。まあ、外部の人に指摘されるのが刺激になって良いという以上の理由は無いのかもしれませんが。
前日の横浜のと2日連続だったからかなんだか疲れちゃいました。体力的にどうこういう程のハードスケジュールでもなかったのですが、移動ってそれなりに疲れちゃうものなんでしょうね。私は幸いにも電車通勤の経験がほとんどないので余計にそうなのかもしれません。それに、毎回始まる前はそこそこ緊張もしますし、講演後は爽快さもありますがやっぱりぐったりくるような脱力感も感じますから。
いつのまにか7月、今年も後半に突入ですね。
こちらの病院は実は以前に2回もお邪魔しており、今回3回目です。これまでに感染対策と抗菌薬の結びつき、カンジダ症の診療についてお話ししましたので、今回はもう少し感染症診療の具体的なところに踏み込んだ話を、と求められました。以前に聴いていただいた人・病院から再度依頼を受けるというのは初めてのところに行くのとまた違った嬉しさがあります。
今月18-19日の感染症の診断と治療セミナーの内容とかぶる部分が多いですが、いつもの感染制御メインの話から感染症診療にウエイトを大いに移動させて、診断の大切さについて話をしたという感じです。診断に対する細心の注意、最大限の努力こそが決め手であるという、いつもの主張に全く代わりはありません。言われ尽くしてるような今更のようなこと、やってるつもりで実はあまりやってないようなのことの大切さを認識してもらうことをとくに強調した、というかほぼそれだけの話でした。まあしかし、どんな聞き飽きたようなことでもそれは大切だから、そしてその割に実践が不十分なので聞き飽きる程言い古されているわけですから、そのことを改めて違う文脈や展開の中で説明できてるとしたらそれでよかったのかなとも思います。私はいわゆる診療科の医師とは少し違った角度から感染症を捉えて仕事をしていますのでこのような役回りにちょうどいいのかもしれないとはよく思います。まあ、外部の人に指摘されるのが刺激になって良いという以上の理由は無いのかもしれませんが。
前日の横浜のと2日連続だったからかなんだか疲れちゃいました。体力的にどうこういう程のハードスケジュールでもなかったのですが、移動ってそれなりに疲れちゃうものなんでしょうね。私は幸いにも電車通勤の経験がほとんどないので余計にそうなのかもしれません。それに、毎回始まる前はそこそこ緊張もしますし、講演後は爽快さもありますがやっぱりぐったりくるような脱力感も感じますから。
いつのまにか7月、今年も後半に突入ですね。
2010/06/29
2010.6.24 感染管理ブロック別研修会 (三重) で話してきました。
梅雨の合間の天気のいい日。津まで行ってきました。
国立大学病院感染対策協議会の近畿・北陸・東海ブロックの研修会。抗菌薬適正使用に向けた取り組み、というテーマで、医師の立場からということでご依頼いただきましたので。
正直言うと抗菌薬適正使用という言葉にはいつも違和感がつきまといます。適正診療といったキャッチフレーズはないですし(当たり前すぎて)、すべて医療に患者を救う以外の目的があるかと思うからです。確かに感染症・抗菌薬にはやや特殊な事情がありますが、結局は患者を救うということ全てを研ぎ澄まして追求すること、それだけです。
目の前の患者を全力で救うのが医師の役目だ、そのために少しでもいいと思えることなら、根拠があろうがなかろうが可能性がわずかでもあるのならそうしよう、それが目の前の患者に最善を尽くすということだ、という主張にはそれなりの道理があります。聞こえのよいわかりやすい主張ではあるのですが、そこにはそれなりの道理しかなく、自らのおかれた現状の客観的な把握、患者を救うことへの本当の追求、医療を担うプロフェッショナルな意識はごく表面的にしか感じられません。感染症を専門としない人なら理解もできますが、専門家を名乗る人がこのような主張にカタルシスを得ているのを目にするのは少々暗い気持ちになります。専門家と云われている自分の話していることがどのような影響を及ぼすのかという点へのイマジネーションがいまひとつなことがさらに気持ちを暗くします。
ま、実際は、私が今の部門に入ってからこの感染制御部がどのように歩んできたかということを振り返ってみて、そして今後もこの方向で進んでいくのがいいだろうということを再認識した、適正使用はその結果ついてくるものじゃないか、というようなことを元気よく(?)主張して話を終えました。
そのセッションが終わって感じたことは、このような話は今まさに始動してあれこれ工夫している、というような実践報告の方が多くの大学の担当者を(演者自身をも)奮起させるんじゃないか、ということでした。私自身、人前で話しをするようになってモチベーションは随分変わってきたと思いますから。これってちょっとエラそうな感想なんでしょうか。
帰りの新幹線はなんと痛恨の乗り過ごし。新大阪止まりでほんとよかったです。きびだんご食べ損ないましたけど。
国立大学病院感染対策協議会の近畿・北陸・東海ブロックの研修会。抗菌薬適正使用に向けた取り組み、というテーマで、医師の立場からということでご依頼いただきましたので。
正直言うと抗菌薬適正使用という言葉にはいつも違和感がつきまといます。適正診療といったキャッチフレーズはないですし(当たり前すぎて)、すべて医療に患者を救う以外の目的があるかと思うからです。確かに感染症・抗菌薬にはやや特殊な事情がありますが、結局は患者を救うということ全てを研ぎ澄まして追求すること、それだけです。
目の前の患者を全力で救うのが医師の役目だ、そのために少しでもいいと思えることなら、根拠があろうがなかろうが可能性がわずかでもあるのならそうしよう、それが目の前の患者に最善を尽くすということだ、という主張にはそれなりの道理があります。聞こえのよいわかりやすい主張ではあるのですが、そこにはそれなりの道理しかなく、自らのおかれた現状の客観的な把握、患者を救うことへの本当の追求、医療を担うプロフェッショナルな意識はごく表面的にしか感じられません。感染症を専門としない人なら理解もできますが、専門家を名乗る人がこのような主張にカタルシスを得ているのを目にするのは少々暗い気持ちになります。専門家と云われている自分の話していることがどのような影響を及ぼすのかという点へのイマジネーションがいまひとつなことがさらに気持ちを暗くします。
ま、実際は、私が今の部門に入ってからこの感染制御部がどのように歩んできたかということを振り返ってみて、そして今後もこの方向で進んでいくのがいいだろうということを再認識した、適正使用はその結果ついてくるものじゃないか、というようなことを元気よく(?)主張して話を終えました。
そのセッションが終わって感じたことは、このような話は今まさに始動してあれこれ工夫している、というような実践報告の方が多くの大学の担当者を(演者自身をも)奮起させるんじゃないか、ということでした。私自身、人前で話しをするようになってモチベーションは随分変わってきたと思いますから。これってちょっとエラそうな感想なんでしょうか。
帰りの新幹線はなんと痛恨の乗り過ごし。新大阪止まりでほんとよかったです。きびだんご食べ損ないましたけど。
2010/06/22
2010.6.12 内科学会近畿地方会で座長を、6.19細菌タイピング研究会で発表をしました。
6.12は大学で内科学会近畿地方会の感染症2のセッションの座長をしてきました。このセッションは興味深い症例報告が続きました。
MSMの人のSTDの例はとても興味深い症例で、自分達の部署で昼のセミナーで輪読しているNew England Journal of MedicineのMGH case conferenceにて最近取り上げられていた症例と偶然にも全く同じ診断でした。鑑別診断にこれが挙がるかどうかは何よりイマジネーションが必要なんだろうなと思う反面、当然の知識としてもっておくことこそが必要ということかとも思いました。イマジネーションのない人だと知識が身につきにくいといったところがオチとして妥当なラインかもしれませんね。
前のセッション(感染症1)から聞いていたのですが、仕事柄からか抗菌薬の使い方がとても気になり、口を挟まざるを得ない気持ちになって質問として指摘してしまったような演題もありました。でも演者の方はよく判っていない表情で、正しい診断を意識せずに治療しているために良くなったケースでも何がどうよかったから改善したのかを理解できていないようでした。言ってよかったのか焼け石に水だったのか結局わからず、もやもやが残ってしまいました。
私の座長は35分くらい遅れて始まりました。係の人に「30分以上遅れていますので御配慮の程お願いします」とのメモ紙をもらい座長席に付きましたが、まったくもって何を配慮したらいいのやらって感じです。口演6分、質疑応答2分で7演題。1題あたり1分短く終わっても7分しか早く終わりません。口演を5分30秒より早く終わる演者はまずいません(むしろ半数以上が6分を越える)し、1分短縮も現実的にはムリ。結局巻きながら予定時間通りに終わるのが精一杯でした。係の人のメモも「これ以上遅らせないでください」という意味なんでしょうね。そりゃわかってるけど。でもこれくらい遅れるのは必然ですわな。プログラムは1題6+2の8分で終わり、演題間はもちろんセッション間にも1分の時間もとってないんだから。乗り換え時間ない旅程立ててるようなものです。今はPCでのプレゼンばかりになり、枚数制限がありません。それも口演時間がいたずらに長くなりやすくなる傾向に拍車をかけているのかもしれません。
もし私がプログラムを立てられる立場になったなら、.
1. 症例報告的な演題のセッションは最短3分/題まで短縮する.
2. その一方、質疑応答は最低3分はとる.
3. 質問者はあらかじめマイクの前に出てくるように促す.
4. セッション間に5分程度は余裕をつくる.
という形にしたいと思います。なんか政権公約みたいですけど。
もしかしたら1が抵抗をもたれるところかもしれませんが、私は症例カンファにしろ口演にしろ、伝えたいことを伝えるという目的を達成するために、30分と言われたら30分、5分なら5分、1分なら1分で話せるように優先順位やポイントを整理しておこう、と人にも言いますし自分でもそう思っています。自分の講演はどうやねんと指摘されると冷や汗ですが、少なくとも次が控えているときは最低限のノルマと思って、そこはなんとか守っています。
6.19は大阪で第2回細菌タイピング研究会。前日の東京出張から新幹線で直接会場ホテルへ向かいました。
私は京都のVREについて話しました。結核病学会の感想でも書きましたが、最近、タイピングの真の意義はどこにあるのかという根源的な点が考えれば考えるほど解らなくなります。接触感染、院内感染予防策の不十分さによって拡がるという20年は前から証明されていることをあの手この手で再証明しているだけではないかと思うからです。想定外の感染経路が発覚するかもしれない、その時にその証明手段になりうるというのはわかります。でもそのような経路を仮定するのはタイピングからか?と思いますし、そのようなおそらく稀なときのために常時からタイピングをすべきなのかも疑問に思います。我々は感染経路も対策手段ももうすでに知っているからです。タイピングの結果を見てやっぱり院内伝播だったか、接触感染だったか、器材消毒不徹底だったか、といった想定内の現象を目の当たりにし、あたかも"腑に落ちる"こと自体が目的になっていないかと不思議に感じます。必要なことは如何にすればその対策のレベルが向上するかであり、そこにタイピングが不可欠であるという真の理由がどこにあるのかわからずにあれこれ考えを巡らせています。知っている対策手段を厳重にとってみてもなお感染伝播が収まらない時に想定外の経路を仮定しなければならない、そのような場合にそれを検証するための手段にタイピングがある、しかしそれ以上にはないのではないかということが今の私の考えです。仮定そのものがタイピング結果から生まれる期待はゼロではないにせよ極めて低いでしょうし。
というようなことを講演をしていた会社のプロマネの方につたない英語で議論をふっかけたまではよかったのですが、真意を十分に伝えられずに大いに苦労してしまいました。先方はタイピングが有用であった事例を2,3挙げて説得しようとしてきましたが、ひとつでもあるから有用というのはロジカルではありませんね。しかし米国では科学的とは思えないほどの合理主義に基づいた方針でタイピングが必要な状況になっているようではあります。オランダでは国家としての対策強化を追求した探索研究として実施しているようでもあります。これらは私の疑問に思っていることの答えではありませんが、しかし、米国でよく行われるように、手をこまねいて進まないよりは思い切って割り切って突き進んでみて問題点を改めて探すというやり方も確かにありかもしれないなと、プロカルシトニンの時に感じたようなことをふと思いました。また、"腑に落ちる"こと自体が実は対策にとってとても大きなことかもしれないという気もすることはします。そこまで割り切れればまた話は別です。しかし、目的がそこにあるなら本当にそれが効果的であるかをやはり科学的に検証するのが真っ当な方向性だろうと思っています。
MSMの人のSTDの例はとても興味深い症例で、自分達の部署で昼のセミナーで輪読しているNew England Journal of MedicineのMGH case conferenceにて最近取り上げられていた症例と偶然にも全く同じ診断でした。鑑別診断にこれが挙がるかどうかは何よりイマジネーションが必要なんだろうなと思う反面、当然の知識としてもっておくことこそが必要ということかとも思いました。イマジネーションのない人だと知識が身につきにくいといったところがオチとして妥当なラインかもしれませんね。
前のセッション(感染症1)から聞いていたのですが、仕事柄からか抗菌薬の使い方がとても気になり、口を挟まざるを得ない気持ちになって質問として指摘してしまったような演題もありました。でも演者の方はよく判っていない表情で、正しい診断を意識せずに治療しているために良くなったケースでも何がどうよかったから改善したのかを理解できていないようでした。言ってよかったのか焼け石に水だったのか結局わからず、もやもやが残ってしまいました。
私の座長は35分くらい遅れて始まりました。係の人に「30分以上遅れていますので御配慮の程お願いします」とのメモ紙をもらい座長席に付きましたが、まったくもって何を配慮したらいいのやらって感じです。口演6分、質疑応答2分で7演題。1題あたり1分短く終わっても7分しか早く終わりません。口演を5分30秒より早く終わる演者はまずいません(むしろ半数以上が6分を越える)し、1分短縮も現実的にはムリ。結局巻きながら予定時間通りに終わるのが精一杯でした。係の人のメモも「これ以上遅らせないでください」という意味なんでしょうね。そりゃわかってるけど。でもこれくらい遅れるのは必然ですわな。プログラムは1題6+2の8分で終わり、演題間はもちろんセッション間にも1分の時間もとってないんだから。乗り換え時間ない旅程立ててるようなものです。今はPCでのプレゼンばかりになり、枚数制限がありません。それも口演時間がいたずらに長くなりやすくなる傾向に拍車をかけているのかもしれません。
もし私がプログラムを立てられる立場になったなら、.
1. 症例報告的な演題のセッションは最短3分/題まで短縮する.
2. その一方、質疑応答は最低3分はとる.
3. 質問者はあらかじめマイクの前に出てくるように促す.
4. セッション間に5分程度は余裕をつくる.
という形にしたいと思います。なんか政権公約みたいですけど。
もしかしたら1が抵抗をもたれるところかもしれませんが、私は症例カンファにしろ口演にしろ、伝えたいことを伝えるという目的を達成するために、30分と言われたら30分、5分なら5分、1分なら1分で話せるように優先順位やポイントを整理しておこう、と人にも言いますし自分でもそう思っています。自分の講演はどうやねんと指摘されると冷や汗ですが、少なくとも次が控えているときは最低限のノルマと思って、そこはなんとか守っています。
6.19は大阪で第2回細菌タイピング研究会。前日の東京出張から新幹線で直接会場ホテルへ向かいました。
私は京都のVREについて話しました。結核病学会の感想でも書きましたが、最近、タイピングの真の意義はどこにあるのかという根源的な点が考えれば考えるほど解らなくなります。接触感染、院内感染予防策の不十分さによって拡がるという20年は前から証明されていることをあの手この手で再証明しているだけではないかと思うからです。想定外の感染経路が発覚するかもしれない、その時にその証明手段になりうるというのはわかります。でもそのような経路を仮定するのはタイピングからか?と思いますし、そのようなおそらく稀なときのために常時からタイピングをすべきなのかも疑問に思います。我々は感染経路も対策手段ももうすでに知っているからです。タイピングの結果を見てやっぱり院内伝播だったか、接触感染だったか、器材消毒不徹底だったか、といった想定内の現象を目の当たりにし、あたかも"腑に落ちる"こと自体が目的になっていないかと不思議に感じます。必要なことは如何にすればその対策のレベルが向上するかであり、そこにタイピングが不可欠であるという真の理由がどこにあるのかわからずにあれこれ考えを巡らせています。知っている対策手段を厳重にとってみてもなお感染伝播が収まらない時に想定外の経路を仮定しなければならない、そのような場合にそれを検証するための手段にタイピングがある、しかしそれ以上にはないのではないかということが今の私の考えです。仮定そのものがタイピング結果から生まれる期待はゼロではないにせよ極めて低いでしょうし。
というようなことを講演をしていた会社のプロマネの方につたない英語で議論をふっかけたまではよかったのですが、真意を十分に伝えられずに大いに苦労してしまいました。先方はタイピングが有用であった事例を2,3挙げて説得しようとしてきましたが、ひとつでもあるから有用というのはロジカルではありませんね。しかし米国では科学的とは思えないほどの合理主義に基づいた方針でタイピングが必要な状況になっているようではあります。オランダでは国家としての対策強化を追求した探索研究として実施しているようでもあります。これらは私の疑問に思っていることの答えではありませんが、しかし、米国でよく行われるように、手をこまねいて進まないよりは思い切って割り切って突き進んでみて問題点を改めて探すというやり方も確かにありかもしれないなと、プロカルシトニンの時に感じたようなことをふと思いました。また、"腑に落ちる"こと自体が実は対策にとってとても大きなことかもしれないという気もすることはします。そこまで割り切れればまた話は別です。しかし、目的がそこにあるなら本当にそれが効果的であるかをやはり科学的に検証するのが真っ当な方向性だろうと思っています。
2010/06/13
2010.6.10 君津木更津地区 感染症セミナーで話してきました。
タイトル、内容ともに先月の釧路での講演とほぼ同じものにしました。このような時は話し方が少しなめらかになっているような気がします。
私の講演は概ね、診断、治療、予防の間の密接な結びつき合い(これが感染症ならではだと思います)を理解してもらうように意識した展開で講演をつくっています。そして、それらを改善、向上させるには自らの今の状況を把握しなければならない、それが数値化する意義、サーベイランスの目的であるということをバックグラウンドに流しているようなつもりで話をしています。
現場にはいろいろな問題が潜んでいますが、どのような種類の問題であっても、これらをいい方に向けるにはまず、可能な限りその問題の本質を掘り下げて考え、漠然とした問題をより具体的かつ特異的な問題に置き換えていく作業が必要です。これが具体的な行動目標の設定につながります。診療上その根源は診断の不足にあると感じるところが大きく、そのため講演の中で血液培養の重要性を結果として強調することになっています。血培をとるようにすることだけで解決できる問題は大きくはないのですが、そのことが診断への追求度の指標になることは間違いないと思うからです。
そしてどの病院に行ってもいろいろな問題に取り組むICT担当の方の使命感はひしひしと感じることができます。その力をひとつでもふたつでも小さなものでもいい、何か具体的な指標がいい方向に「変わる」という実感にもっていってもらいたい、その変化が現場の意識までをも変えていく原動力になるのだろうと思います。そして次にお会いしたときにそのようなお話を伺うことができればといつも願っています。
講演終了後は海ほたるを渡って品川のホテルに泊まりました。始発で出なければならなかったので早起きすると、窓からの東京の朝焼けはきれいですがすがしく、ほんのちょっとだけですがまだ人気のないホテルの周囲を歩きました。大都会でも人の少ない時と場所の雰囲気は好きなんですよね。
私の講演は概ね、診断、治療、予防の間の密接な結びつき合い(これが感染症ならではだと思います)を理解してもらうように意識した展開で講演をつくっています。そして、それらを改善、向上させるには自らの今の状況を把握しなければならない、それが数値化する意義、サーベイランスの目的であるということをバックグラウンドに流しているようなつもりで話をしています。
現場にはいろいろな問題が潜んでいますが、どのような種類の問題であっても、これらをいい方に向けるにはまず、可能な限りその問題の本質を掘り下げて考え、漠然とした問題をより具体的かつ特異的な問題に置き換えていく作業が必要です。これが具体的な行動目標の設定につながります。診療上その根源は診断の不足にあると感じるところが大きく、そのため講演の中で血液培養の重要性を結果として強調することになっています。血培をとるようにすることだけで解決できる問題は大きくはないのですが、そのことが診断への追求度の指標になることは間違いないと思うからです。
そしてどの病院に行ってもいろいろな問題に取り組むICT担当の方の使命感はひしひしと感じることができます。その力をひとつでもふたつでも小さなものでもいい、何か具体的な指標がいい方向に「変わる」という実感にもっていってもらいたい、その変化が現場の意識までをも変えていく原動力になるのだろうと思います。そして次にお会いしたときにそのようなお話を伺うことができればといつも願っています。
講演終了後は海ほたるを渡って品川のホテルに泊まりました。始発で出なければならなかったので早起きすると、窓からの東京の朝焼けはきれいですがすがしく、ほんのちょっとだけですがまだ人気のないホテルの周囲を歩きました。大都会でも人の少ない時と場所の雰囲気は好きなんですよね。
2010/06/08
第58回日本化学療法学会総会(長崎)でセミナーとシンポジウムをやってきました。
6.2は抗菌薬適正使用生涯教育セミナーのケーススタディのコメンテータをしました。ウイルス感染症がテーマというこのセミナーシリーズでは初の試みで、講師の先生方はどのレベルに合わせて話をしたものか、かなり苦慮された様子で、自分も聴きながら確かに難しいところだなと思いました。自分自身のケーススタディのコメントも含め、苦慮したものの結果として虻蜂取らずになってしまっていたような気がしました。企画会議のとき、各回のセミナーのレベルをBASICとADVANCEDに分けようということになり、今回はADVANCEDの設定でしたので、最初から開き直っておもいきりADVANCEDな内容にしてしまってもよかったのかもしれません。このあたりは難しいところなんだと感じてもらうのも生涯教育という大きな意味では大切なことだと思いますし。参加者は立場、職場が異なるわけですから誰もが同じレベルに到達することはそもそも無理な話です(例えば私でいえば、お恥ずかしながらHIVの細かいことはよくわかりませんし)。こういうケースがある、その時は自分のとこではここまでにしておいて、このような施設の医師に相談ないし紹介するべきなのだというようなことを知るのも大切だと思います。来月会議がありますので議論になるでしょうが、恐る恐るながら楽しみでもあります。
しかし、レジ感でもそうですけど、このような会で司会やコメンテータをするのは自分にとってすごくいい勉強になります。ポイントはどこにあるかを立場上前のめりで聴きながら考えていると、ケースの背景から感じられる普遍的な教訓が目の前に現れてくる、そんな感覚にとてもエキサイトする、というようなことがあるからです。実はこのセミナーのケーススタディは3回目なのですが、なんだか自分ばっかしやってていいのかなと少し申し訳ない気分にもなったりしてます。
6.4は「抗MRSA薬のTDMの標準化に向けて」というシンポジウムで、バンコマイシンのTDM標準化について話しました。気持ちとしては同薬にかぎったことではなく、ある薬にとって最も効果的な使用法は何か、そしてそれを標準法とすることがいかに大切かという普遍的な命題に対して、バンコマイシンを例にとって話したという感じです。標準があって応用(個別化)がある訳なので、まず土台と1階をしっかり建てよう、そうでないといつまでも2階はできないだろう、というところです。同薬はもっともデータの蓄積のある薬剤なのですが、それでもまだ各論的にはよくわからないところがたくさんあるものだと思いました。使用経験もTDM実績も豊富な薬なんですから、後ろ向き症例調査をやろうとすれば大きなNの研究ができるはずです。そう発言もしましたが、是非とも進めていきたいと思います。
また、感染症に限らず、診断と治療は密接な関係にあります。治療が先行することの多い感染症では、治療から診断へと向かう状況もたくさんあるわけで、そこで治療に不備があると診断がさらに遅れる危険が高まります。バンコマイシンでいうと、血中濃度を意識せずに治療が有効・無効と考えてもミスにつながりますし、目標濃度に到達したにもかかわらず効果がないということの意味に気づけなければ次の一手をミスったり遅れたりする危険性がでてきます。というようなことも話の中で触れることができてよかったです。このような認識はβラクタムを1日2回投与でどこが悪いの?と本気で考えている人ばかりだと理解されにくかったでしょうね。いろいろなことは互いにリンクしながら動いていくものだなと、そしてそのような動きのある時期にこの領域に関わることができて幸運だなと思っています。
今回、中日に時間があったのでほんのすこしだけですが観光しました。天気がよかったのもあって新緑と青い空と海がまばゆく、気持ちよいひとときを過ごすことができました。平日の昼間の人の少ない時にそういうところに行けるってのは実に贅沢ですな。
しかし、レジ感でもそうですけど、このような会で司会やコメンテータをするのは自分にとってすごくいい勉強になります。ポイントはどこにあるかを立場上前のめりで聴きながら考えていると、ケースの背景から感じられる普遍的な教訓が目の前に現れてくる、そんな感覚にとてもエキサイトする、というようなことがあるからです。実はこのセミナーのケーススタディは3回目なのですが、なんだか自分ばっかしやってていいのかなと少し申し訳ない気分にもなったりしてます。
6.4は「抗MRSA薬のTDMの標準化に向けて」というシンポジウムで、バンコマイシンのTDM標準化について話しました。気持ちとしては同薬にかぎったことではなく、ある薬にとって最も効果的な使用法は何か、そしてそれを標準法とすることがいかに大切かという普遍的な命題に対して、バンコマイシンを例にとって話したという感じです。標準があって応用(個別化)がある訳なので、まず土台と1階をしっかり建てよう、そうでないといつまでも2階はできないだろう、というところです。同薬はもっともデータの蓄積のある薬剤なのですが、それでもまだ各論的にはよくわからないところがたくさんあるものだと思いました。使用経験もTDM実績も豊富な薬なんですから、後ろ向き症例調査をやろうとすれば大きなNの研究ができるはずです。そう発言もしましたが、是非とも進めていきたいと思います。
また、感染症に限らず、診断と治療は密接な関係にあります。治療が先行することの多い感染症では、治療から診断へと向かう状況もたくさんあるわけで、そこで治療に不備があると診断がさらに遅れる危険が高まります。バンコマイシンでいうと、血中濃度を意識せずに治療が有効・無効と考えてもミスにつながりますし、目標濃度に到達したにもかかわらず効果がないということの意味に気づけなければ次の一手をミスったり遅れたりする危険性がでてきます。というようなことも話の中で触れることができてよかったです。このような認識はβラクタムを1日2回投与でどこが悪いの?と本気で考えている人ばかりだと理解されにくかったでしょうね。いろいろなことは互いにリンクしながら動いていくものだなと、そしてそのような動きのある時期にこの領域に関わることができて幸運だなと思っています。
今回、中日に時間があったのでほんのすこしだけですが観光しました。天気がよかったのもあって新緑と青い空と海がまばゆく、気持ちよいひとときを過ごすことができました。平日の昼間の人の少ない時にそういうところに行けるってのは実に贅沢ですな。
2010/05/30
2010.5.26 外勤先の病院で行った研修医向けのセミナー、そして、2010.6.30 の横浜の"熱病"講演会の案内、他。
4月から隔週で非常勤感染症科医として働いている大阪の病院で、研修医向けのセミナーの第1回を行いました。「感染症診療の基本」というタイトルで、感染症の患者に対してなにをどう考え、チェックしていけば適切に診療をすすめられるのかという内容を簡潔にまとめて話してみました。
2010.6.30は横浜へSanford guideの活用法について講演に行ってきます。昨年も7月にお邪魔した勉強会です。先日案内が届きました(一部を切り取り)。
私もSanford guideは研修医の頃持っていましたが、ほぼ開かないままでした。なぜそうなったか、今ではよくわかります。それを振り返って、Sanford guideを使うため、使えるためにはどういったことが必要か、という話です。
抗菌薬は感染症科医でないと使えないような怖い薬ではありませんが、そのことと、感染症診療が難しいか簡単かは全く別の問題です。感染症診療は特別難しくはありませんが、特別簡単でもありません。他の診療科とおなじくらいだと思います。感染症は簡単なはず、だから簡単に治療の選べるSanford guideがあるとめっちゃ便利なはず!と思っていたら大間違い、というわけです。くりかえしますが、感染症は簡単ではありません。が、特別難しくもありません。だから、他の診療ができている医師にとって、感染症だけはわからんということは、感染症をよほど軽くみていないかぎり、ないはずだと思います。
この大阪の病院でのセミナー後「重症度が大事だというのはよくわかりました。じゃ、先生はsevere sepsisの時はどの抗菌薬を投与しますか?」と質問され、さすがにちょっとあっけにとられてしまいました。これって「癌だとしたらどの抗癌剤を投与しますか?」っていう質問とおなじなので。このこととSanford guideを持っていても使えないことの背景はぴったりおなじものだと思います。そのへんを意識しながらお話しできたら、と考えています。
優秀な医師ってどういうことだろうかと考えることがあります。子供のようにひたむきに、何とかの一つ覚えのように丁寧に、いつでも問診、診察、検査のひとつひとつを、要領よく省略しようと思わずにこなしていく、そのことの大切さを理解してそうありつづけることのできる、そんな医師がそうなれるのだろうと思います。
同じ内容のSanford guide "熱病"の講演会は昨年に引き続き、大学でも夏に行う予定です。めだった変更点は今年の版にはないようです。でもそれは特殊な抗菌薬や標準治療を変えるほどの研究成果が毎年でるわけではないですから当たり前ですね。とにかくせっかく持っているSanford guideをもっと使ってほしい、というか、使えるような診療ができるようになってほしいと思っています。売ってるの買うと結構いい値しますしね。
2010.6.30は横浜へSanford guideの活用法について講演に行ってきます。昨年も7月にお邪魔した勉強会です。先日案内が届きました(一部を切り取り)。
私もSanford guideは研修医の頃持っていましたが、ほぼ開かないままでした。なぜそうなったか、今ではよくわかります。それを振り返って、Sanford guideを使うため、使えるためにはどういったことが必要か、という話です。
抗菌薬は感染症科医でないと使えないような怖い薬ではありませんが、そのことと、感染症診療が難しいか簡単かは全く別の問題です。感染症診療は特別難しくはありませんが、特別簡単でもありません。他の診療科とおなじくらいだと思います。感染症は簡単なはず、だから簡単に治療の選べるSanford guideがあるとめっちゃ便利なはず!と思っていたら大間違い、というわけです。くりかえしますが、感染症は簡単ではありません。が、特別難しくもありません。だから、他の診療ができている医師にとって、感染症だけはわからんということは、感染症をよほど軽くみていないかぎり、ないはずだと思います。
この大阪の病院でのセミナー後「重症度が大事だというのはよくわかりました。じゃ、先生はsevere sepsisの時はどの抗菌薬を投与しますか?」と質問され、さすがにちょっとあっけにとられてしまいました。これって「癌だとしたらどの抗癌剤を投与しますか?」っていう質問とおなじなので。このこととSanford guideを持っていても使えないことの背景はぴったりおなじものだと思います。そのへんを意識しながらお話しできたら、と考えています。
優秀な医師ってどういうことだろうかと考えることがあります。子供のようにひたむきに、何とかの一つ覚えのように丁寧に、いつでも問診、診察、検査のひとつひとつを、要領よく省略しようと思わずにこなしていく、そのことの大切さを理解してそうありつづけることのできる、そんな医師がそうなれるのだろうと思います。
同じ内容のSanford guide "熱病"の講演会は昨年に引き続き、大学でも夏に行う予定です。めだった変更点は今年の版にはないようです。でもそれは特殊な抗菌薬や標準治療を変えるほどの研究成果が毎年でるわけではないですから当たり前ですね。とにかくせっかく持っているSanford guideをもっと使ってほしい、というか、使えるような診療ができるようになってほしいと思っています。売ってるの買うと結構いい値しますしね。
2010/05/25
2010.5.21 結核病学会(京都)に参加してきました。
結核の分子疫学の口演セッションの座長をしてきました。学会では時間が押してしまうことが多いですが、それなりに質疑も出たわりに時間もぴったりで終了でき、ほっとしました。
内容はというと、遺伝子タイピングの演題が4題続くセッションでした。結核はヒト=ヒト感染しか起こらないこと、感染しても発症するのは1割程度に過ぎないこと、発症までの潜伏期間は数ヶ月~数十年と幅が大きいこと、がわかっています。タイピングからは、どのような研究でも限られた数の株しか検討できないことから受ける制限のもとに、これらから想定される事象が実際に起こっているということが確認された、という以上の知見はどこにもないというのが正直な印象です。
多数株を含むないし他地域にまたがるクラスターの存在はもともと当然想定されることです。たとえると、インフルエンザで学級閉鎖が相次ぐほど多数がやられた学校が京都にあったことと家族が複数やられた家庭が京都と東京にあったことが発見された、と言っているのと同じことだからです。それが細菌学的要因によるものか社会的要因によるものかはわからないが菌の特性を示している可能性があるから今後も続けていきたい、という結びもよく考えると理解しがたいところです。学級閉鎖多発にいたったインフルエンザ株は変異によって感染性が高くなった株だと言えるのでしょうか?可能性はあるでしょうが、普通の感覚ではそうとは言えない、あるいは株のタイピングからはそれはわからないでしょうね。解析株数が増えていくことで結果がどう質的に変わると予測しているのか、人の行き交う現代社会で社会的要因はどこまで掘り下げることができて、どこまですることにその労に見合うだけの効果があるか、という本質的な議論を少しでもしたかったのですが、それができなかったのは少し残念でした。会場外で演者のお一人と突っ込んだ議論ができたのはよかったですが。
結核に限らず様々な病原体で遺伝子タイピングがなされています。タイピングで今までは推定だけで見えなかったことが具体的に見えるようになるということは知的にエキサイティングではあるでしょうが、我々医療者はタイピングの結果でどのようにその感染症への対峙の仕方が変わるのか、そう変えることがその感染症への医療を本当によくするものなのかをもっと追求し、その上でタイピングの意義がどこにあるのかを問い直していかねばならないのだと思います。
2010/05/17
2010.5.14 釧路ICTセミナーで話してきました。あと、2010.6月の予定など。
(案内)
今回いつもより強調した点は、数値化することの意義、です。自分の講演を振り返って、特徴の一つは自分たちの集計した値を重視し、それを根拠にして(もちろんすべてではありませんが)話を作っているということだと思ったことがいくつかある理由のひとつです。値そのものもそうですが、自分たちの値が欧米や国内の他の病院と比べてどうなのか、有意差があるのかないのかなどということはポイントでも何でもなく、すべての実践を自分たちの現状を自ら把握するところからスタートさせる、という点こそが普遍的に重要なポイントだと思います。
今回いつもより強調した点は、数値化することの意義、です。自分の講演を振り返って、特徴の一つは自分たちの集計した値を重視し、それを根拠にして(もちろんすべてではありませんが)話を作っているということだと思ったことがいくつかある理由のひとつです。値そのものもそうですが、自分たちの値が欧米や国内の他の病院と比べてどうなのか、有意差があるのかないのかなどということはポイントでも何でもなく、すべての実践を自分たちの現状を自ら把握するところからスタートさせる、という点こそが普遍的に重要なポイントだと思います。
何をどうやって集計するのか?という質問を受けましたが、私が話しているもの(話に使えると思うもの)はすべて日常の実践のなかで必要に感じて集計をとったものばかりです。自分が思うような方向に何か物事を改善させたい時、必要なのは改善させたいという熱意だけではありません。変えようとしているものが自分自身ではないからです。なぜ変えなければならないのか、どこがどう変えなければならないような現状なのかを、変わってもらいたい人に納得してもらえなければしかたありません。さらに、自分のやってることがうまく伝わって変わっていっているのか、それともやってることはムダなのかを自分で知らなければなりません。思ったように変わったことを単に喜びたいという気持ちも正直ありますが、でも主な目的はあと二つあって、その一つは、このやり方がうまくいくようだと同じ問題をかかえる人に伝えられるかどうかを確かめたいということ。もう一つは、もしうまくいっていなければやり方を変えるかその問題を一時放っておくかしなければならないということです。やりたいこと、やらなければならないことはいつでもできることよりたくさんあります。一方、限られた貴重な時間をつぎ込む労力の割に成果のなさそうなことに少なくとも同じやり方のまま費やすことはできません。医療に関わっている以上、ほとんどの実践は時間も含めて常に自分自身のためのものではないからです。
そんなことを最後に補足的に説明できたことで、全体としてのメッセージという「画像」を「自動レベル調整」できたようなすっきりした気分を感じました。
そんなことを最後に補足的に説明できたことで、全体としてのメッセージという「画像」を「自動レベル調整」できたようなすっきりした気分を感じました。
釧路は最高気温10℃!と聞いてビビってましたが、2日間とも比較的穏やかで気持ちよかったです。帰りにほんの少しですが時間が空いたので、こちらのICTの方に教えていただいた空港そばの丹頂鶴自然公園に立ち寄りました。生まれたばかりの雛鳥のケージに群がるエゴイズム丸出しのカメラマン達と、人少ない他のケージにいた鶴の面白い動きをじっくりと観察することができました。まあ、どちらかと言うと、こちらの人にとってはなんてことないらしい道東の遅い春の光景、とくに独特な山や木々の色合いがとっても新鮮で印象深く残ってます。
5月はまだ半分ですが、あと講演等の予定は外勤先での研修医向け講習がひとつとレジ感のコメンテータを残すのみになりました。6月は、学会関係のセミナー二つとシンポジウム一つがあって長崎と札幌へ、他には、細菌遺伝子タイピングの研究会(大阪)と国立大学病院感染対策協議会のブロック研修(津)での口演が各一つ、個人の講演としては10日に千葉県は木更津へ。あと、保健学科の講義もどっかに入ってましたな。あと、横浜にサンフォードガイドの話をしに行くかも。こう列挙すると今から疲れた気分になっちゃいますが、まあ、このようないろいろな機会をいただけるのはありがたいことです。
5月はまだ半分ですが、あと講演等の予定は外勤先での研修医向け講習がひとつとレジ感のコメンテータを残すのみになりました。6月は、学会関係のセミナー二つとシンポジウム一つがあって長崎と札幌へ、他には、細菌遺伝子タイピングの研究会(大阪)と国立大学病院感染対策協議会のブロック研修(津)での口演が各一つ、個人の講演としては10日に千葉県は木更津へ。あと、保健学科の講義もどっかに入ってましたな。あと、横浜にサンフォードガイドの話をしに行くかも。こう列挙すると今から疲れた気分になっちゃいますが、まあ、このようないろいろな機会をいただけるのはありがたいことです。
2010/05/12
2010.5.11 院内感染対策講習会でちょいと話しました。
今年度初回の院内感染対策講習会でした。
ボスがたくさん話したあとの付録みたいなかたちで、テーマは「当院における感染制御部の感染症診療への介入について」でした。新規入職者や新たに担当になった方もいるだろうから、半分は顔見せの意味ということで。
以前のスイッチのスライドを今回はチーズのに変えました。
どっちがわかりやすいんでしょうね。自分では判りません。些細なことの積み重ねが大きな効果を生むというポジディブな意味はこっちのスライドの方が感じやすいかもしれない気がしますが、単に使って話す自分が勝手にそんなノリになってるだけかもしれないです。
会場は立ち見がでるほどの盛況でうれしい限りでした。ありがたいことです。案内に私が話すことまで載っていたらもっと大喜びだったでしょうけど。
ボスがたくさん話したあとの付録みたいなかたちで、テーマは「当院における感染制御部の感染症診療への介入について」でした。新規入職者や新たに担当になった方もいるだろうから、半分は顔見せの意味ということで。
以前のスイッチのスライドを今回はチーズのに変えました。
どっちがわかりやすいんでしょうね。自分では判りません。些細なことの積み重ねが大きな効果を生むというポジディブな意味はこっちのスライドの方が感じやすいかもしれない気がしますが、単に使って話す自分が勝手にそんなノリになってるだけかもしれないです。
会場は立ち見がでるほどの盛況でうれしい限りでした。ありがたいことです。案内に私が話すことまで載っていたらもっと大喜びだったでしょうけど。
2010/04/26
2010.5.14 釧路ICTセミナーの案内が届きました。
地理といえばシラス台地とか関東ローム層とか扇状地とかいろいろありましたね。
2010.4月は大学関連の講義をいくつかこなしました。
2010.4.15は大学の検査医学の講義でした。目的を意識して検査を行い、疾患・病態をイメージしてそれに沿って解釈すること、が強調したいポイントでした。診断ということを突き詰めると診察・検査という小窓からその奥に潜む病態を覗き込むことであり、イマジネーションが足りないと部分(単なる一現象)にしか気づけません。そのイマジネーションの源はそれまで基礎医学系の講義でさんざん学んできた解剖学、生化学、生理学、病理学等々にあり、それらをイマジネーション能力に形作り直すということが、臨床医学のイントロダクションとして必要なことなんでしょう。そんなことが講義をする立場になってわかってくるというのも悲しい現実かなと思いますが。
21日には京都府内の医療系の大学へ。医療安全管理学の講義シリーズの中で職業感染予防対策についての講義をしてきました。
21日には京都府内の医療系の大学へ。医療安全管理学の講義シリーズの中で職業感染予防対策についての講義をしてきました。
内容は、針刺し事故等の血液曝露による感染の防止についてが中心でした。HBワクチンの存在は大きいものですが、安全装置、針の廃棄、教育、報告、集計、24時間検査体制、などの対策のひとつひとつはおそらくわずかな差しか生じないものと思います。しかし、スライドの準備をしながら、そして当日実際に話しながら、ここらもやはりスイスチーズだとしみじみ思いました。これまでほとんど話したことのない内容でしたのでスムーズに話せるか少し心配だったのですが、病院のシステムとして感染症から守るというコンセプトが普段の感染症診療に関するスタンスと一致していたからだと思いますが、自分としてはかなり気持ちが入っていくのを感じながら話をすることができ、意外な満足感を感じながら終えることができました。
私はかつて自分で作った「誰が押したかわからないスイッチ」というスライドを使って、現場には些細な原因がたくさん転がっていて誰もがそれをついつい押してしまっている、そのどれかが黒ひげ危機一髪のように、耐性菌感染をONしてしまうものだ、と話していました。
これはこれで幾人かから好評ももらい気に入ってもいるスライドなのですが、ちょっと違うとらえ方が必要かもと思うようになってきました。これだと、どれかわからないけどトドメのひとつの存在が仮定としてあることになります。軽重が多少あるかもしれない、その軽重は誰にもわからない、けれども全てが原因だと考えることができなければチーズの穴を小さくしていくための真の意識づけができないんじゃないか、と思い直しているからです。
翌22日は院内のある診療科のモーニングセミナーで感染症診療の基本アプローチについて話をしました。
どの診療科の感染症であっても診療科を問わない感染症と考え方はもちろん一緒で、診断を追求すること、これが治療を必要十分に行うこと、そして耐性菌感染症の予防にもなること、それが診断を追求しつつ開始する経験的治療の成功率を高く保つこととイコールであること。これまでも特定の診療科の医師を主な対象とする講演を何度となく行ってきましたが、感染症において診療科の特異性って一体何なんでしょう。もちろん探せばたくさんありますが、大事なポイントに、補わなければならない現状の不足点に、診療科の区別はやはりないと思います。
その夕方にはドイツから呼吸器学会に合わせて来日しているDr. Meisnerによるプロカルシトニンの講演会があり、私は幸運にも会の前に小一時間直接話をする機会に恵まれました。私は救急・集中医学系の領域での活用にとくに興味があり、彼自身集中治療領域の敗血症の研究者だったというDr. Meisnerも同意見でした。バイオマーカーにはいろいろな限界があるが、それを咀嚼して理解した上で、それでもそれをガイドとして抗菌薬の投与や中止判断を下していく、そのようなプラクティスが必要な領域だということだろうと思います。それだけの覚悟が現場にあるかな、という心配はぬぐいきれませんが、プロカルシトニンを用いて何かをいい方向に変えていく、そんな目的を共有することがまず第一で、それは自分自身の課題でもあるかと思いました。
学会から始まった4月。そのころ満開だった桜の木がすっかり新緑にかわり、街には花水木が開きつつあります。まだ終わっていませんが、身辺の変化もあって駆け足で過ぎて行く日々に追いつこうと必死になってるような感覚です。
どの診療科の感染症であっても診療科を問わない感染症と考え方はもちろん一緒で、診断を追求すること、これが治療を必要十分に行うこと、そして耐性菌感染症の予防にもなること、それが診断を追求しつつ開始する経験的治療の成功率を高く保つこととイコールであること。これまでも特定の診療科の医師を主な対象とする講演を何度となく行ってきましたが、感染症において診療科の特異性って一体何なんでしょう。もちろん探せばたくさんありますが、大事なポイントに、補わなければならない現状の不足点に、診療科の区別はやはりないと思います。
その夕方にはドイツから呼吸器学会に合わせて来日しているDr. Meisnerによるプロカルシトニンの講演会があり、私は幸運にも会の前に小一時間直接話をする機会に恵まれました。私は救急・集中医学系の領域での活用にとくに興味があり、彼自身集中治療領域の敗血症の研究者だったというDr. Meisnerも同意見でした。バイオマーカーにはいろいろな限界があるが、それを咀嚼して理解した上で、それでもそれをガイドとして抗菌薬の投与や中止判断を下していく、そのようなプラクティスが必要な領域だということだろうと思います。それだけの覚悟が現場にあるかな、という心配はぬぐいきれませんが、プロカルシトニンを用いて何かをいい方向に変えていく、そんな目的を共有することがまず第一で、それは自分自身の課題でもあるかと思いました。
学会から始まった4月。そのころ満開だった桜の木がすっかり新緑にかわり、街には花水木が開きつつあります。まだ終わっていませんが、身辺の変化もあって駆け足で過ぎて行く日々に追いつこうと必死になってるような感覚です。
2010/04/14
2010.5月は14日に釧路に行きます。29日には第8回レジ感があります。
5月14日は釧路ICTセミナーに行きます。
タイトルは「感染制御部の介入による感染症診療の適正化〜抗菌薬適正使用と院内感染予防策の結びつき〜」です。長すぎですかね。
5月29日は第8回レジデントのための感染症症例検討カンファランス(京都駅前のメルパルク京都)です。今回はコメンテータのみです。
どの地でもどんな立場でも感染症に真剣に対峙している方との出会いをいつも楽しみにしています。
タイトルは「感染制御部の介入による感染症診療の適正化〜抗菌薬適正使用と院内感染予防策の結びつき〜」です。長すぎですかね。
5月29日は第8回レジデントのための感染症症例検討カンファランス(京都駅前のメルパルク京都)です。今回はコメンテータのみです。
どの地でもどんな立場でも感染症に真剣に対峙している方との出会いをいつも楽しみにしています。
2010/04/10
2010.4.7 病院のカンファレンスで感染制御部について話ししました。
感染症は診療科を問わずに発症するため、病院全体の診療レベル向上を図る必要があります。耐性菌アウトブレイクの話の中でスイスチーズモデルを引き合いに出しましたが、院内感染、医療関連感染も同じモデルで捉えることが可能だと思います。血液培養を端折ってしまった、抗菌薬の投与量が微妙に少なかった、ガーゼ交換を素手でやっちゃった、カテーテル抜去が1日遅れた、緑膿菌感染が否定的なのに抗緑膿菌薬を続けてしまった、呼吸回数が増えてたのにSpO2だけみて重症を見逃した、、、これらが一枚一枚のチーズの穴にあたります。このような、単独でのインパクトが認識されにくい不足のひとつひとつをどうやって埋めていくのかというのが難しい課題です。教育・啓蒙だけでなく、病院のシステムとしてこれらの穴を一枚一枚塞いでいく、そのシステムが感染制御部であろうと考えています。
主な対象が必ずしも感染症に関係していない検査部の技師さんたちだったので言葉を費やしながら話していたら時間が足らなくなり最後の方でダッシュしてしまいました。申し訳ないです。院外では何度もしゃべった内容なのですが、逆に院内ではここまでじっくり話したことはかったかもしれません。今年は院内の講習会を充実させていく予定なので全体講習会の場で少しずつでも話すことができればと思っています。
2010/04/07
2010.4.5-6 第84回日本感染症学会総会(京都)に行ってきました。
行っただけか?と言われると恐縮です。
今回は同僚の発表するワークショップに出席したのと、当たっていたポスターセッションの座長をやりました。あとは学会関係の会議もありましたので。
ESBL産生菌感染症に対する抗菌薬治療については座長の先生からも是非とも臨床研究を、という声が上がりとてもうれしく感じました。これについてはいくつかの病院の先生方と何らかの形で多施設共同研究をやろうという考えで一致しており、(その場で発言もしましたが)まさに立案中です。
新薬治験以外で多施設臨床研究のほとんどなされない感染症領域ですが、いきなり背伸びもできませんし、またしなくてもいいから、自分達の施設に眠っているほんの数例の症例情報であれ、多くの施設で集めようと。集まればなんらかモノが言える報告になるはず。私は大学院生時代にそのような体験をすることができ、とても知的に興奮しながら研究をすすめることができました。あのときの快感を私自身、または新たな仲間に感じさせられればと思っています。研究の学術的なクオリティに問題がのこるとの声が上がるかもしれませんが、研究の価値って第一にはテーマの独特さですよね。それにこのような後ろ向き症例収集型の研究すらできなかったらそれ以上のどんな多施設研究もできないんじゃないかと思いますし。
このような話題で会場で会ったいろんな人達と意見を交換し、共感しあうことができました。これも、無形ではありますが学会に参加した大きな成果だったなと思いました。
会場は職場から近いので車で行き来しました。近くでの学会ってのは便利は便利ですがあっけなくて、寂しいっちゃ寂しかったです。まあ、あの辺りは好きなエリアではあるのですが。
今回は同僚の発表するワークショップに出席したのと、当たっていたポスターセッションの座長をやりました。あとは学会関係の会議もありましたので。
ESBL産生菌感染症に対する抗菌薬治療については座長の先生からも是非とも臨床研究を、という声が上がりとてもうれしく感じました。これについてはいくつかの病院の先生方と何らかの形で多施設共同研究をやろうという考えで一致しており、(その場で発言もしましたが)まさに立案中です。
新薬治験以外で多施設臨床研究のほとんどなされない感染症領域ですが、いきなり背伸びもできませんし、またしなくてもいいから、自分達の施設に眠っているほんの数例の症例情報であれ、多くの施設で集めようと。集まればなんらかモノが言える報告になるはず。私は大学院生時代にそのような体験をすることができ、とても知的に興奮しながら研究をすすめることができました。あのときの快感を私自身、または新たな仲間に感じさせられればと思っています。研究の学術的なクオリティに問題がのこるとの声が上がるかもしれませんが、研究の価値って第一にはテーマの独特さですよね。それにこのような後ろ向き症例収集型の研究すらできなかったらそれ以上のどんな多施設研究もできないんじゃないかと思いますし。
このような話題で会場で会ったいろんな人達と意見を交換し、共感しあうことができました。これも、無形ではありますが学会に参加した大きな成果だったなと思いました。
会場は職場から近いので車で行き来しました。近くでの学会ってのは便利は便利ですがあっけなくて、寂しいっちゃ寂しかったです。まあ、あの辺りは好きなエリアではあるのですが。
2010/04/02
2010.7月の連休に「感染症の診断と治療セミナー」をやります。
毎年夏に行っている、研修医、若手医師を対象とした感染症のセミナーで、今年で第8回目を迎えます。1.5日間の、コンパクトなレクチャーシリーズ+最後のケーススタディ。おかげさまで好評をいただいており、手前味噌ながら感染症入門として集中的に知識を整理するのにとってもいい機会だと思います。
私は最初に感染症診療の基本的な考え方、アプローチの仕方についてのレクチャーと、最後のケーススタディの司会をします。
是非とも研修医仲間で誘い合って参加してほしいなと心から願ってます。
私は最初に感染症診療の基本的な考え方、アプローチの仕方についてのレクチャーと、最後のケーススタディの司会をします。
是非とも研修医仲間で誘い合って参加してほしいなと心から願ってます。
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