プロレス記者の独り言

取材歴25年の大ベテラン・川野辺記者のブログです。豊富な知識・経験をもとにプロレスの醍醐味を書き尽くします。

馬場は賭けにも強かった

スポーツ2010年09月19日 12:34 | フォルダ : 

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 1982年(昭和57年)2月20日(日本時間21日)、米国フロリダ州セントピータースバーグ市ベイフロントセンターで“世界の大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントと“東洋の巨人”ジャイアント馬場が2リングのバトルロイヤルで凄絶な火花を散らした。 同じその日に日本マット、いや世界マット史に残ることが起きていた。あの“人間キングコング”ブルザー・ブロディと“浮沈艦”スタン・ハンセンが“超獣コンビ”を結成。日本を代表するジャンボ鶴田、天龍源一郎組と激突したのだ。
 この“超獣コンビ”をブッキングしたのは誰あろう馬場。フロリダ地区の興行に捻じ込み鶴田、天龍組と対戦させ、日本テレビが録画放映というスタイルを採ったのだ。ハンセンは昨年末、新日本プロから全日本プロへターゲットを変えたばかり。
 実はハンセン、ブロディは新人時代の8年前の1974年にオクラホマ地区でコンビを結成。同地区のUSタッグ王座を獲得して無敵の快進撃を演じ、二人はその名を全米に轟かせ世に出て行くことになる。8年が立ち、ブロディは全米のメーンイベンターに、そしてハンセンは主戦場を日本に固定。アントニオ猪木と数々の名勝負を演じ、いま全日本プロのマットに上がろうとし、その勢いは誰も止めることは出来ない。
 馬場の荒業ともいうべき“超獣コンビ”の結成に米国マットの関係者は誰もが「?」を思い描いた。「人を人とも思わず我儘し放題、言いたい放題のブロディが日本マットではハンセンの下に立つことができるだろうのか?」。そして同地区のプロモーターのエディ・グラハムを初め、その片腕のデューク・ケオムカ氏、元NWA世界王者ジャック・ブリスコらが「ブロディは来ない。姿を見せない。ドタキャンだよ」と言い出した。その時、馬場は頑として「ブロディは来る」と言い張った。
 遂には「ブロディが来るか、来ないかで賭けよう」ということになってしまった。賭け金は1$だったが、「来る」は馬場一人。敵はいつのまにか十数人に膨れ上がっていたのである。
 米国の試合開始は午後8時。大概のレスラーは3〜4時間前に会場に姿を見せトレーニングを始める。が、その日のブロディは2時間前になっても、1時間前になっても姿を見せない。30分前になってもだ。
 プロモーターのグラハムが馬場の所にやってきてカードの代替案を打診してきたが、馬場は「ブロディはやって来る」の一言。当のハンセンも心配のあまり、馬場の控室を覗きに来る始末。
 第一試合開始のゴングが鳴った時にブロディがおっとり刀で会場にやって来た。
 賭けはジャイアント馬場の圧勝。馬場は賭けにも強かった。

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川野辺修のプロフィル 1973年入社。プロレス・格闘技取材歴25年以上。5000大会、5万試合以上を取材。テレビ朝日「ワー
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