至近距離で白鵬を追っていた嘉風、豪風がともに負け、優勝圏外に出たので自動的に白鵬の連続優勝が決まった。この二人は平幕にあって後半戦の土俵を締める役割を果たしてくれたので、一種の殊勲者なのだが、もうひとつ秋場所の中央に登場してくることができなかった。
嘉風の整った四つ身、豪風の闘志あふれる土俵態度、ともに十一枚目、十二枚目の力士にはできすぎたところもあって、見る者に意外な拾いものをしたような感じを抱かせてくれたのだが、二人とも白鵬とじかに闘うチャンスは持てなかった。
だから、あと四日あと三日というところに土俵が煮つまってきても、大相撲とは違う番付の力士が、二人間違ってまぎれこんでいるのではないかと、妙にさめた感触が二人について回ったような気がする。しかし、挙げた成績からすると、来場所はもっと中央に躍進してくるだろうから、その期待にこたえるような活躍をしてほしい。
この場所が始まった時に、私はこんなことを書いた。言ってみれば乱世のような場所では、意外な力士が予想外の活躍をすることがある、といったことなのだが、それがこの二人だとすると、なに分にも少々寂しい。しかし、この二人はそれぞれに個性派の味を持っていて、幕内の彩りともいえるものを備えている。だから、この場所の、最後まで白鵬に食い下がった実績が、二人に意外な目ざめをもたらすこともあり得る。それを楽しみにしよう。
魁皇のこん身の力を振りしぼった戦いには、胸のつまる思いにさせられた。感動的でもあった。なによりも、ああこれで良かったのだと思ったのは、軍配が魁皇に上がって、息が上がっているなどということではなく、立っているのがやっとというこの名大関の姿を見た時である。
最近はまったく見なくなったが、水入り、水の後に二番後取り直しなどという熱戦があったころを思い出してみても、十四日目の魁皇のように、身も世もないほどに疲れきった姿を土俵上に見せられることは少ない。
こんなことを書いてはいけないのだろうが、十四日目の一番で、最悪の場合でも、二場所は魁皇の相撲が見られることになった。このうれしさは、なににたとえたら良いだろうか。さきほど書いた乱世の拾いもののような出世の話はこの一番に見せた魁皇のことなのだから、それで我慢しろといわれても、私は欣然と承諾のうなずきを返すだろう。
十三日目から今日の土俵にかけて、魁皇が見せつけた仕切りの闘志のほどには、並々ならぬものがあった。実のところ、魁皇には勝った負けたという生臭さを超越してしまったようなものがある。言ってみれば、枯淡の境に入りかけているような味わいなのだ。
現役の力士にこんなことは許せないとも思うが、いま大相撲で一番負けっぷりが良い力士は誰かといえば、抜群の支持を集めるのはこの大関だろう。多分、同感だと言ってくれる人は多いと思う。魁皇は十四日目の一番でそんなファンを大勢ふやしたと思う。 (作家)
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