■イザベラ・バード=イギリス人。当時の女性としては珍しい旅行家で、1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。
「日本奥地紀行」より
ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。
群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の注意を払う。
(中略)私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親たちが、子どもを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。
私は、子どもたちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。家庭教育の一つは、いろいろな遊戯の規則を覚えることである。規則は絶対であり、疑問が出たときには、口論して遊戯を中止するのではなく、年長の子の命令で問題を解決する。子どもたちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。
■エドワード・シルベスタ・モース=アメリカ人。明治10年代に計3回日本に滞在。東京大学で生物学を講じた。大森貝塚を発見。
「日本その日その日1」より
外国人は日本に数カ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことである。
衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり・・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。
こう感じるのが私一人でない証拠として、我国社交界の最上級に属する人の言葉をかりよう。我々は数ヶ日の間ある田舎の宿屋に泊まっていた。下女の一人が、我々のやった間違いを丁寧に譲り合ったのを見て、この米国人は「これ等の人々の態度と典雅とは、我国最良の社交界の人々にくらべて、よしんば優れてはいないにしても、決して劣りはしない」というのであった。
■アリス・ベーコン=アメリカ人。1881年(明治14年)来日。華族女学校(後の学習院女学校)の英語教師として活躍。
「明治日本の女たち」より
平民階級を語る上で忘れてならないのは、その多くを占める職人である。日本が芸術や造形、色彩の美しさを大切にする心がいまだにある国として欧米で知られているのは、彼等の功績である。
職人はこつこつと忍耐強く仕事をしながら、芸術家のような技術と創造力で、個性豊かな品々を作り上げる。買い手がつくから、賃金がもらえるから、という理由で、見本を真似して同じ形のものや納得できないものを作ることはけっしてない。日本人は、貧しい人が使う安物でさえも、上品で美しく仕上げてしまう。一方、アメリカの工場で労働者によって作り出されるあらゆる装飾は、例外なくうんざりするほど下品である。
(中略)もちろん、日本の高価な芸術品は職人の才能と丁寧な仕事をよく体現している。しかし、私が感心したのはそのような高級品ではなく、どこにでもある、安い日用品であった。貴族から人夫にいたるまで、誰もが自然のなかにも、人が作り出したものにも美を見出し、大切にしている。
■アルジャーノン・バートラム・フリーマン・ミットフォード=イギリス人。1866年(慶応2年)~1870年(明治2年)、英国公使館の書記官として日本に滞在。その後2度来日。
「ミットフォード日本日記」より
1906年(明治39年)にガーター勲章使節団の主席随員として33年ぶりに3度目の来日をした際の記録
錨を下ろすと同時に、駐日英国大使サー・マクドナルドが、殿下の日本滞在中、その接待の役を務める何人かの著名な日本の政府高官と一緒に乗船してきた。その中でもとくに著名な人物は黒木大将と東郷(平八郎)提督であったが、彼らの偉業は世界中に鳴り響いていたのである。我々が彼らと初めて会見した時、少なからず興奮していたことは想像できると思われる。
東郷提督は静かな口数の少ない人で、どちらかといえば物憂げな表情をしていたが、きげんの良い時には極めて優しい微笑を浮かべることがあった。彼の表情は優しく穏やかで、話しかけられていない時は、時折、瞑想に耽っているらしく、ほとんどいつもじっと地面を見つめて、頭を少し右へかしげていた。
これと反対に黒木大将は、日焼けしたがっしりした体格で、まるでオリンピック競技の選手のように鍛錬された、典型的な軍人タイプであった。彼はいつも陽気で、愛想がよくどっしりとしていて、物事の良い面を見ようとする人物であった。
この二人ほど一目見た時、対照的な人物はないだろう。しかし、二人には共通した特色があった。彼らの謙遜と自制心は、まさに人々の心をとらえるものがあった。彼らが話すのを聞いて、本当に彼らが日本の歴史の上ばかりでなく、世界の歴史に残るような立派な役割を果たした人物だとは信じられないだろう。
両者ともに、誇らしげな様子は全く見られなかった。ここに私がとくに強調しておきたいのは、私の日本滞在中にいろいろな種類の多くの日本人と話をしたが、さきの日露戦争の輝かしい勝利を自慢するかのような発言を、一度も耳にしなかったことである。
戦争に導かれた状況と戦争そのものおよびその結果について、全く自慢をせずに落ち着いて冷静に話をするのが、新しい日本の人々の目立った特徴であり、それは全世界の人々の模範となるものであった。このような謙譲の精神をもって、かかる偉大な勝利が受け入れられたことはいまだにその例を見ない。
・外国人から見た日本と日本人(1) - ぼやきくっくり(2007年10月16日)
・ここヘンJAPAN - 公式サイト
ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。
群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の注意を払う。
(中略)私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親たちが、子どもを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。
私は、子どもたちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。家庭教育の一つは、いろいろな遊戯の規則を覚えることである。規則は絶対であり、疑問が出たときには、口論して遊戯を中止するのではなく、年長の子の命令で問題を解決する。子どもたちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。
■エドワード・シルベスタ・モース=アメリカ人。明治10年代に計3回日本に滞在。東京大学で生物学を講じた。大森貝塚を発見。
「日本その日その日1」より
外国人は日本に数カ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことである。
衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり・・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。
こう感じるのが私一人でない証拠として、我国社交界の最上級に属する人の言葉をかりよう。我々は数ヶ日の間ある田舎の宿屋に泊まっていた。下女の一人が、我々のやった間違いを丁寧に譲り合ったのを見て、この米国人は「これ等の人々の態度と典雅とは、我国最良の社交界の人々にくらべて、よしんば優れてはいないにしても、決して劣りはしない」というのであった。
■アリス・ベーコン=アメリカ人。1881年(明治14年)来日。華族女学校(後の学習院女学校)の英語教師として活躍。
「明治日本の女たち」より
平民階級を語る上で忘れてならないのは、その多くを占める職人である。日本が芸術や造形、色彩の美しさを大切にする心がいまだにある国として欧米で知られているのは、彼等の功績である。
職人はこつこつと忍耐強く仕事をしながら、芸術家のような技術と創造力で、個性豊かな品々を作り上げる。買い手がつくから、賃金がもらえるから、という理由で、見本を真似して同じ形のものや納得できないものを作ることはけっしてない。日本人は、貧しい人が使う安物でさえも、上品で美しく仕上げてしまう。一方、アメリカの工場で労働者によって作り出されるあらゆる装飾は、例外なくうんざりするほど下品である。
(中略)もちろん、日本の高価な芸術品は職人の才能と丁寧な仕事をよく体現している。しかし、私が感心したのはそのような高級品ではなく、どこにでもある、安い日用品であった。貴族から人夫にいたるまで、誰もが自然のなかにも、人が作り出したものにも美を見出し、大切にしている。
■アルジャーノン・バートラム・フリーマン・ミットフォード=イギリス人。1866年(慶応2年)~1870年(明治2年)、英国公使館の書記官として日本に滞在。その後2度来日。
「ミットフォード日本日記」より
1906年(明治39年)にガーター勲章使節団の主席随員として33年ぶりに3度目の来日をした際の記録
錨を下ろすと同時に、駐日英国大使サー・マクドナルドが、殿下の日本滞在中、その接待の役を務める何人かの著名な日本の政府高官と一緒に乗船してきた。その中でもとくに著名な人物は黒木大将と東郷(平八郎)提督であったが、彼らの偉業は世界中に鳴り響いていたのである。我々が彼らと初めて会見した時、少なからず興奮していたことは想像できると思われる。
東郷提督は静かな口数の少ない人で、どちらかといえば物憂げな表情をしていたが、きげんの良い時には極めて優しい微笑を浮かべることがあった。彼の表情は優しく穏やかで、話しかけられていない時は、時折、瞑想に耽っているらしく、ほとんどいつもじっと地面を見つめて、頭を少し右へかしげていた。
これと反対に黒木大将は、日焼けしたがっしりした体格で、まるでオリンピック競技の選手のように鍛錬された、典型的な軍人タイプであった。彼はいつも陽気で、愛想がよくどっしりとしていて、物事の良い面を見ようとする人物であった。
この二人ほど一目見た時、対照的な人物はないだろう。しかし、二人には共通した特色があった。彼らの謙遜と自制心は、まさに人々の心をとらえるものがあった。彼らが話すのを聞いて、本当に彼らが日本の歴史の上ばかりでなく、世界の歴史に残るような立派な役割を果たした人物だとは信じられないだろう。
両者ともに、誇らしげな様子は全く見られなかった。ここに私がとくに強調しておきたいのは、私の日本滞在中にいろいろな種類の多くの日本人と話をしたが、さきの日露戦争の輝かしい勝利を自慢するかのような発言を、一度も耳にしなかったことである。
戦争に導かれた状況と戦争そのものおよびその結果について、全く自慢をせずに落ち着いて冷静に話をするのが、新しい日本の人々の目立った特徴であり、それは全世界の人々の模範となるものであった。このような謙譲の精神をもって、かかる偉大な勝利が受け入れられたことはいまだにその例を見ない。
・外国人から見た日本と日本人(1) - ぼやきくっくり(2007年10月16日)
・ここヘンJAPAN - 公式サイト
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