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uumin3の日記 RSSフィード

2005-08-26

[][] 昨日のついでに(朝鮮語と日本語)  昨日のついでに(朝鮮語と日本語) - uumin3の日記 を含むブックマーク

 昭和三十年、フロイトの先駆的な紹介者である医学博士安田徳太郎氏の万葉集の謎』、光文社、が世に出ます。ここで語られたのは「日本語レプチャ語起源説」で、ヒマラヤの谷底に住むレプチャ人の語る言葉が日本語につながり、『万葉集』の歌のほとんどがレプチャ語で解読できる、とするものでした。

 これに対して国語学者の金田一春彦氏は「万葉集の謎は英語でも解ける」という批判文を書き、言語学の立場からいかに安田氏の方法がおかしいかを指摘します。

 あの方法でやれば日本語は地球上の何語とでも結びつく。

 このへんで『万葉集』に入るが、まずこのmanyoshuという名が、レプチャ語であるさきに、英語である。最初のmanyの部分は言わずと知れた『多くの』の意味、次のoは英語のodeの略で、『頌歌』のこと、shuはshewで、これは今のshow…ファッションショーのショーの古語だ。とコンサイス英和にも載っている。つまり『たくさんの頌歌の陳列』の意で、巻一あたりに、柿本人麻呂等の宮廷頌歌を集めてあるところから、この名が出たとすることができる。

 この調子で本文を読めば、『万葉集』二十巻は至るところ英語の氾濫だ。

(『文藝春秋』昭和31年7月号)

 この批判の眼目は、二つの言語を比較して「発音(形)が似ていれば関係がある」と未証明の前提で勝手に判断し、片方の語(この場合はレプチャ語)でもうひとつの語(たとえば『万葉集』)を解読するという点にあります。

 ある言語が他の言語によって説明できるという言語学的手続きによる証明がまずなされていなければ、強引な解釈によっていくらでも説明だけなら出来てしまいますから、その行為は無意味になります。ただし一般の読者は、たとえば古代日本語がどんどん他の言語で説明される(ように見える)ことに感激しおもしろがるだけですので、いくら批判されても同じような語源俗解(Volksetymologie)による本が出てきて、ブームが繰り返される…と、昨日紹介いたしました安本氏は嘆かれます。

 同氏の著書から、氏が金田一先生のひそみにならった「こじつけ解釈」(皮肉)をいくつか挙げますと

万葉集は「死者の書」 「manyoshu」の「many」は、「多くの」の意味。「os」は、ラテン語からきた英語で、「骨」のこと。「hu」は「who」で、「だれ?」の意味。すなわち『万葉集』は、「累々たる骨はだれのものか?」という意味で、日本の「死者の書」だ。


万葉集は「古代航海についての本」 「man yo shu」の「man」は「人間、男」の意味。「yo」は「yore」で、これが「昔」のことを意味する古語であることは、研究社の『新英和大辞典』にも載っている。さらに「shu」であるが、「集」の字は、むかしは日本語で「シフ」と発音されていた。ところで、日本語の「ハ行子音」が、むかしは「p音」であったことは、東京帝国大学教授であった上田万年が、論文「P音考」を明治末に発表して以来、国語学界の、ほぼ定説になっている。したがって、「シフ」は、むかしは「シプ」であった。これはもちろん英語の「ship」で、船のことである。『万葉集』とは「男たちの昔の船」のことで、古代航海についての本である。つまり、我々の祖先は、むかし、ヨーロッパからはるばる大航海を行って、この日本の地へやってきたのだ。『万葉集』には、この日本人の出自と建国の謎が記されている。『万葉集』の暗号を英語で解くことによって、文学史と日本古代史を根底から覆す衝撃の事実が明らかにされる。

(安本美典『朝鮮語で「万葉集」は解読できない』JICC出版局、1990)


 安本氏がこの本を書かれたのは、ちょうどその頃「朝鮮語で万葉集は解読できる」とかいう類の語源俗解本がある種のブームになっておりまして、「真摯な学者の本がちっとも売れないのに、思いつきのごろあわせ本が売れるのはおかしい」と義憤(笑)に駆られたからです(もちろん氏は真面目に怒ってなどおられませんが…)。


 そして昨日も挙げたデータですが、真面目に計量言語学で上古日本語と現代朝鮮語、中期朝鮮語(ハングルの発明された十五世紀中頃のもの。資料が残っておらずこれ以上遡れない)を比較してみると、


(偏差値)

 27.165 (フランス語とスペイン語)

 24.698 (上古日本語と首里方言)

 17.385 (英語とドイツ語)


 …

 6.807 (英語とスペイン語)

 5.179 (英語とフランス語)

 5.692 (ドイツ語とスペイン語)

 4.765 (ドイツ語とフランス語)

 3.526 (上古日本語とアイヌ語幌別方言)

 3.471 (英語とネパール語)

 3.128 (英語とベンガル語)

 2.997 (上古日本語と台湾アヤタル語)

 2.663 (フランス語とネパール語)

 2.433 (上古日本語とカンボジア語)

 2.152 (上古日本語と中国語北京方言)

 1.780 (ドイツ語とベンガル語)

 1.765 (上古日本語と現代朝鮮語)

 1.002 (上古日本語と中期朝鮮語)


 このような結果になっております。もし朝鮮語で上古日本語が説明できるならば、それより明快に北京語でもカンボジア語でも説明できるはずなのです。ですから、朝鮮語で万葉集が読める〜などという書籍は、それが何冊出版されていても全く無意味なものだったと言わざるを得ません。

 安本氏は次のようにおっしゃいます…

 読者の中には「それにしても…」と、いう人がいるであろう。朝鮮半島は、日本列島のすぐ隣である。古代の多くの文物は、朝鮮半島から渡ってきた。

 朝鮮語は、日本語と「姉妹語」であること、あるいはそれが日本語の「祖語」に近いことは、もうすでに、言語学者によって証明されているのではないか。はなはだしくは、日本語と朝鮮語とでは、奈良時代には、通訳なしでも話が通じたのではないかと思っている人さえいるようである。

 このような考えは、まったくの誤りである。

 言語学者たちが日本語との比較の対象として、朝鮮語をとりあげないはずがない。そして明治以後、百年にわたる言語学の成果は、朝鮮語が、日本語と意外に遠いことを示している。

朝鮮語と日本語とは『姉妹語』とはいえない。まして朝鮮語は、日本語の『祖語』に近い言語であるとはいえない。奈良時代に通訳なしでも話が通じたようなことはありえない

 最近の言語学の諸成果は、かなりはっきりとこのような結論を下しているのである


サムトの婆が帰つて来さうな日 サムトの婆が帰つて来さうな日 - uumin3の日記 を含むブックマーク

黄昏に女や子供の家の外に出てゐる者はよく神隠しにあふことは他の国々と同じ。松崎村の寒戸といふ所の民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎおきたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、ある日親類知音の人々その家に集まりてありし処へ、きはめて老いさらぼひてその女帰り来たれり。いかにして帰つて来たかと問へば、人々に逢ひたかりしゆゑ帰りしなり。さらばまた行かんとて、ふたたび跡を留めず行き失せたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、けふはサムトの婆が帰つて来さうな日なりといふ。

 (柳田國男『遠野物語』より)


 ようやく台風が抜けてくれたみたいです。朝の4時過ぎに目を覚ましたのですがさほど強い雨風はなく、6時ごろにはほとんど雨は霧状のものだけで風だけが少し強く吹く状態に。そして8時になって気がつけば、風も治まりがちにそしてぬるく吹くだけになっていました。目を凝らせば雨滴が細かく舞っているのが見えますし、木々が時折怪しげに震えますが、すでに通り過ぎた台風の吹き返しが名残をとどめているだけでしょう。


 今度の台風は規模が大きかっただけに、被害もかなり抑えられたのが肩透かしに思えるくらいです。おそらく私のところを含めた多くのところで、台風の進路が初期の予想よりかなり東寄りに進んでくれたせいでこのぐらいで済んだのではないでしょうか。ある時間の台風の目の予想位置はほとんど私の住むところの上を通過しているように見えましたが、メディアで告げられる地名は東にほぼ隣接する新しい合併市のものでしたから、そのわずかなところで相当風雨が緩和されていたのかもしれません。


 風が治まる頃から犬の動きが少し活発になってきたようです。雨が止みもう少し日が差してきたら、今日はいつもの散歩コースを少し歩かせてみましょう。


 風が強い日には冒頭の昔語りの一節が頭をよぎります。何気ない書き方が、いっそう不思議な怖さを秘めているように思われます。

madrigallmadrigall 2005/08/26 16:47 その本、復刊ドットコムでリクエストがかかっていました。しかしリクエストそのものが2003年、これで100票集めて交渉してもらえるには何年かかることやら。そもそも復刊ドットコムというのは、部数が出にくくて絶版になりやすい本の救済で始まったんだそうですが、今はコミックのリクエストの分量が増えすぎていますね。
『朝鮮語で「万葉集」は解読できない』
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=17657

uumin3uumin3 2005/08/26 17:12 madrigallさま、そうなんですか。きょうび絶版本が多くて何かと苦労しますね。以前、予備校の教材にも使ったことがあるんです。まあこうやって紹介できたのも、それなりに意味があったということなんですね。お教えいただきありがとうございました。ちょっと気分が良くなりました(笑

capriccio0217capriccio0217 2005/08/26 23:17 こんにちは。先ほどはコメントありがとうございます。同じ安本美典さんの本を僕も念頭に書いているところでした。同じ日にほんと奇遇ですね。僕自身、日本語と韓国語、さらにはウラル・アルタイ語族(最近はもうこういう言い方はしないみたいですね)、南方系語族の関係は非常に興味があって、類似を指摘する新しい研究成果が出ればそれは非常に興味深いのですが、学問以前の余計なイデオロギーに左右される議論が多いのは困りますね。

uumin3uumin3 2005/08/26 23:27 早速おいでいただいたのですか。ありがとうございます。私はたまたま昨日の「沖縄ことば≠やまとことば」への反証として読み返した次第でした。そしてそれは民主党の沖縄ビジョンのおかげ?で、さらにもとをたどれば解散総選挙のおかげ…(笑 まったく偶然というか世の中は面白いものです。
日本ではまだ学者馬鹿(良い意味で)の方が多いと思いますが、半島の学者さんがそういう風になってくれたら、いろいろ面白い研究もでてくるだろうに…とは思っております。

capriccio0217capriccio0217 2005/08/28 02:10 民主党の沖縄に関するマニフェスト、「あまり深く考えていなかった」、というのは僕もそうなのだろうと思います。でも、こういう国際情勢の中でのそういったナイーブさはちょっとどうしようもないですね。

uumin3uumin3 2005/08/28 05:02 capriccioさん、そうなんですよ。人物で見てくれ、とか人柄で、とかいう政治じゃなくなるってことは、こういうディテールで破綻しないようにする(そしてメンバー全員にできるだけ周知徹底する)ことが大事になってくることだと思うんです。自民党がこれを出来ているというわけではないですが、自民党と取ってかわろうとするなら、その上をいくくらいでなければ…
ところで私も夏になると367を(軽自動車で 笑)よく走ったものです。夏も終わりですが、今年も海にいかなかった…と若干悔やまれています。

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