September 05, 2010
Collection 218 - JK Place Capri
旅友Sが Firenze に住んでいたとき、P.zza S.M.Novella (ピアッツァ・サンタ・マリア・ノヴェッラ) に面したホテル “J.K. Place (ジェイ・ケー・プレイス)” の “The Lounge (ザ・ラウンジ / Collection 054)” にランチに連れて行ってくれたことがあった。そして、そのホテルが “J.K. Capri (ジェイ・ケー・カプリ)” として、Capri に存在していることを知ったのは2年前のこと。2007年にオープンした際に、私もCapri を訪れていたのだが、Anacapri (アナカプリ) のホテルを予約していたので、全く気付いていなかった....。
Collection 217 - Capitano Giuseppe
Ravello から Amalfi の海岸線に戻る頃には、太陽は真上に位置していて、私たちの移動の時間が迫っていた。
前日から旅友Sが船着き場の男性にいろいろと話を聞いている光景は目にしていて、Sは私にこう言った。「シーズンだと料金が €1200.00 の小さなクルーザーをオフシーズンだから €700.00 で目的地まで連れて行ってくれるって言うんだけど。」と。旅のディレクションを担当する私は「1人 €100.00 か....。」と考えた。次の目的地は、Amalfi から定期的に出ているという Capri (カプリ)行きの船に乗船し、Capri で少しだけ探索してから、再度、本土であるSorrento (ソレント) に船で渡り、そこからタクシーに乗ってホテルに宿泊することになっていた。しかし、大荷物を抱えた大人が7人.....ガラガラと石畳を引き摺るように連なり、停泊しては荷物を預け.....、想像するだけでかなりの疲労感を予測することができた。私はメンバーの女性にその話を持ちかけると、さすが第一線で働く女性ばかり.....「荷物も預けていられるんでしょ?じゃクルーザーにしましょ。」と話は早い。
Ravello に向かう朝に、旅友Sと値下げ交渉係として任命されたIさんは、先ほどSが話していた男性のところに2人で向かい、私たちは港のベンチから遠巻きにその姿を眺めていた。「オフシーズンとはいえ、交渉は難しいかな....」と話していたのだが、15分程して戻った2人は「€700.00 が €650.00 になったよ!」と笑顔を見せた。そして私たちは安心をして、Ravello に向かったのであった。
Amalfi の港に到着すると、旅友Sの指揮系統により、ホテルに荷物を取りに向かう班と、街で船上ランチ用の食物を調達する班に分かれた。私は荷物をSに任せていたので、Amalfi のDuomo の方に脚を向けた。するとIさんが「Duomo の側にパン屋さんがあったと思います!」と教えてくれたので、格式の高そうな内装のパン屋さんに入っていった。そこは "Pansa Amalfi 1830 (パンサ・アマルフィ・1830)" というパティスリーだ。私はそこで人数分のサンドイッチと水、そして密かにプロセッコを1本忍ばせることにした。カウンターでは大きなトレイに丁寧にサンドイッチを並べ、店名の入った包装紙につつんでリボンまで掛けてくれた。リボンとは、何だかスペシャルな感じがして、大人になっても嬉しいものだ。私たちは港に戻り、荷物班を待ち構えていると、タクシーからガラガラと仲間が降車してきた。そこに合流し、すでに停泊しているクルーザーに乗船するために船着き場へと続いた。
乗船する前に、交渉係の男性に全員から集金した €650.00 を支払い、全員が船に乗り込んだ。旅友Sは「操縦するのは Giuseppe (ジョゼッペ) さんだって。みんな Capitano (カピターノ) って呼んであげてね。Capitano って英語でキャプテンのことね。」と話した。Capitano Giuseppe は寡黙であったが、信頼の出来そうな大柄な男であった。船はきれいに清掃されていて、私たちは船上を裸足で歩くことにした。とにかく荷物から解放された私たちは海風を肌で感じながら、第一の目的である Capri に向かうこととなった。.....しかし、クルーザーでテンションが上がりながらも、空腹の私たちは早速、先ほど購入したサンドイッチのリボンをほどき、プロセッコで乾杯をした。私はモッツァレラチーズとトマトが入ったシンプルなものを選んだが、このパンが美味しい......イタリアでこんなにパンがおいしいと思ったことはない。海の青さが際立っているせいか、喉を通る感覚も爽やかに感じるのであった。
Capri に到着するまでは、撮影をしながら、周りの風景を記憶しようとした。そんな時、私は船の最後尾にある旗が目についた。イタリア国旗のなかに4つに分割されたマーク。ひとつは 先日から港でも見かけていた Amalfi のシンボルだ。ブルー地にホワイトの十字のようなシンプルなものだ。「この旗は....」とSに聞くと、「イタリアの海洋都市のシンボルじゃない?だってVenezia (ヴェネツィア) と Pisa (ピサ)もあるし、あとは Genova (ジェノヴァ) でしょ。」と教えてくれた。この歴史も非常に興味深く、私の知的探究心を突いてきた。今でもその旗を大切に誇りとしていることが、何だかイタリアらしい。
1時間は過ぎただろうか、口数の少ない Capitano Giuseppe が「Capri が見えてきた。」と教えてくれた。程なくして、Capri の Marina Grande (マリーナ・グランデ) 港のプライベート用の船が停泊する港に到着すると、私たちは2時間だけ街を散策することになった。Capitano Giuseppe は船で荷物を預かっていてくれる。本当にクルーザーで来て良かった.....とこの時に実感をした。観光客が多い Marina Grande 港の石畳を、人ごみをかき分けて、荷物を預けるところを探して.....恐ろしい。きっとメイクも汗ではがれ落ち、全員がボロボロになったことであろう。私たちはCapri で目的としていたホテルやショップを周り、短い時間ではあったが十分に満喫をしたのであった。このストーリーは後日改めて。
私たちは時間通りに船に戻り、この日宿泊する予定のホテルに近い小さな港に向かうスケジュールであった。ところが旅友Sは渋い顔をして、Capitano Giuseppe と話している。「Casa Malaparte (カーサ・マラパルテ) に立ち寄れるか?って聞いてみたんだけど、方向が逆だから時間的に厳しいってさ。」と。Sは、以前から私が気になっていた Capri にある建築、Casa Malaparte を見ることができるかどうかを確認していたのである。私はその気持ちが嬉しかったのだが、日も落ち始めた時間でしょうがないとあきらめるのも当然であると思った。Casa Malaparte とは、Capri のマッスーロ岬にあるイタリア人作家兼ジャーナリストのCruzio Malaparte(クルツィオ・マラパルテ) の別荘だ。彼の死後、現在に至っては別に私有され、一般公開はされていないために陸路で見ることができないのだ。私は、Jean-Luc Godard(ジャン=リュック・ゴダール)の「軽蔑」(1963年)のシーンで目にしてから、一度訪れたいと思っていた建築だ。.....が、今回の船旅を割安で引き受けくれた Capitano Giuseppe に迷惑はかけられない。すぐに次の目的地に気持ちを切り替えたのであった。しばらく、波が少し高くなった航路を堪能しながら、全員の口数が減った。程よい疲れと満足感が旅情を感じさせたからだろうか?そして、しばらくすると Capitano Giuseppe が小さな声で「......Malaparte......」と言った。私とSは驚いて、彼が指差す方向を見ると、高い崖上の木々の隙間からオレンジ色の外壁を望むことができた。口数の減っていた私たちであったが「あ〜!」と全員が声をあげた。Capitano Giuseppe は立ち寄ってくれたのだ。そしてしばらく船を停泊させて、あらゆる角度からその建築を見せてくれた。何とも言えない感動と本物を目の当たりにした私は、船の手すりに身を乗り出し、カメラに収めていった。
最後は、Faraglioni(ファラリオーニ)と呼ばれるカプリ島の離れ岩の景色を眺め、目的地である海岸の小さな桟橋に到着した。寡黙な海男、Capitano Giuseppe は全員の荷物を船内から降ろし、私たちに会釈をしてからすぐに Amalfi に戻っていった。良く磨かれた船と気の利いた行動.....彼の性格がよく表れている船旅になった。私たちはそこから手配をしていたタクシーに乗り込み、何とも言えない喜びに満ちた顔でホテルへと向かっていった。
Amalfi の港に到着すると、旅友Sの指揮系統により、ホテルに荷物を取りに向かう班と、街で船上ランチ用の食物を調達する班に分かれた。私は荷物をSに任せていたので、Amalfi のDuomo の方に脚を向けた。するとIさんが「Duomo の側にパン屋さんがあったと思います!」と教えてくれたので、格式の高そうな内装のパン屋さんに入っていった。そこは "Pansa Amalfi 1830 (パンサ・アマルフィ・1830)" というパティスリーだ。私はそこで人数分のサンドイッチと水、そして密かにプロセッコを1本忍ばせることにした。カウンターでは大きなトレイに丁寧にサンドイッチを並べ、店名の入った包装紙につつんでリボンまで掛けてくれた。リボンとは、何だかスペシャルな感じがして、大人になっても嬉しいものだ。私たちは港に戻り、荷物班を待ち構えていると、タクシーからガラガラと仲間が降車してきた。そこに合流し、すでに停泊しているクルーザーに乗船するために船着き場へと続いた。
1時間は過ぎただろうか、口数の少ない Capitano Giuseppe が「Capri が見えてきた。」と教えてくれた。程なくして、Capri の Marina Grande (マリーナ・グランデ) 港のプライベート用の船が停泊する港に到着すると、私たちは2時間だけ街を散策することになった。Capitano Giuseppe は船で荷物を預かっていてくれる。本当にクルーザーで来て良かった.....とこの時に実感をした。観光客が多い Marina Grande 港の石畳を、人ごみをかき分けて、荷物を預けるところを探して.....恐ろしい。きっとメイクも汗ではがれ落ち、全員がボロボロになったことであろう。私たちはCapri で目的としていたホテルやショップを周り、短い時間ではあったが十分に満喫をしたのであった。このストーリーは後日改めて。
September 04, 2010
Collection 216 - Ravello
Ravello は夏を向けると、音楽の街となり、映画や美術といった文化的なイベントが開催され、世界中から多くの人々が集まってくるそうだ。人々はワインを片手に、その情緒や風景を楽しむということであるが、何とも非常に贅沢な時間ではないか。Oscar Niemeyer の Auditorium は、その最高な季節を目指して工事を進めているのであろう。
最後の Amalfi の時間を満喫したのであった。
August 28, 2010
Collection 215 - Positano
Positano は、イタリアのカンパーニャ州・サレルノ県の小さなコムーネだ。その小さな街に私は深い旅情を感じていた。なぜ引きつけられるのかは自分でも不明であるが、以前から訪れたい街であった。
August 23, 2010
Collection 214 - Grand Hotel Convent di Amalfi
バルコニーからは、心地の良い風が流れ、白い壁面を青い空と海が際立たせていた。旅友Sがいろいろと話を聞いてみると、このホテルは4月1日にオープンしたばかりで、古くは12世紀に男子修道院として使われていた建物だそうだ。近年は "Hotel Cappuccini (ホテル・カプチーニ)" として、運営されていたそうだが、新しいデザインホテルとしてリノベーションされた。ヴォールトの天井やホテル脇にある小径は、修道院時代の名残を感じさせるものだ。旅友S「"Cappuccio"って、フードみたいな被り物のことを意味するから、修道院の衣装から名付けられていたんだろうね。」と付け加えた。
August 22, 2010
Collection 213 - Amalfi
「できた!」ミラノのマルペンサ空港から、Napoli (ナポリ)に向かい、Napoli からバスで Amalfi に入り、Amalfi と Positano (ポジターノ)でゆっくりとしてから → バスで Sorrento へ入り → Sorrento から船で Capri (カプリ) へ移動 → Capri から Napoli に戻り、列車でRoma (ローマ) へ移動 → Roma から東京へ帰国という航路を作成した。総勢7名の参加メンバーの憶いを詰めた、全て希望のホテルやダイニングの予約を完了した完璧な旅の計画だ。
昼頃に Napoli へ到着するための列車は、朝の6時30分発のため、別々のホテルに宿泊していた私たちは中央駅に6時に集合をし、列車に乗り込むことにした。その日のミラノ中央駅は、やはり空港閉鎖のこともあり、列車のチケットを取れない人々が床に座りこんでいる光景が見られた。私たちも7名別々の席であったが、何とか席に着くことができた。中には、席を取れていないにも関わらず、列車に乗り込む人々もいて、列車の中には苛立った空気が流れていた。
Salerno 行きの列車の時間が迫っていたので、旅友Sは早足で売店に向かい、「みんなを列車の方まで連れて行って!」と言われた私は、メンバーに Salerno 行きの列車のホームへ荷物を持って移動するように促した。7名分の荷物をガラガラと慌てて、移動する様子は何とも言えない光景だが、すぐに乗車できるドアの前で、チケットに刻印をする旅友Sを待ち、全員で列車に乗り込んだ。いつも私たちの旅はギリギリだ.....12時を過ぎていたので、「Salernoに到着をしたら、ゆっくりランチをしようか.....」と疲れた声で確認し合った。乗車して1時間程であろうか、かなり油断をしていたところ、暗いトンネルを抜けると駅には「Salerno」と.....「到着したよ!」と急いで全員に伝え、急いで降車をした。旅友Sは駅を出て、駅の並びにある旅行会社に私たちの大荷物を預ける交渉をして、私たちは大荷物の呪縛から解放されて、ゆっくりとランチを味わえることとなった。
この日の海上は風が強かったが、船の階上に上がり、南イタリアの潮風と岩肌の見える景色を目に焼き付けた。
Amalfi は、私好みの感覚がたくさんある場所だ。看板やサインのひとつひとつに土地柄が感じられて、美しい風景だ。特産品である手漉き紙や焼き物、そしてレモン.....何もかもがストーリーが感じられて非常に興味深い。そしてアマルフィコーストと呼ばれる穏やかな海岸線。薄灯りの情景深い路地。やはり南イタリア.....私は完全に堕ちている。南イタリア(.....と言っても広域ではあるが) は私の大切な場所だ。ここしばらくは行けないであろうが、南イタリアの旅はライフワークのひとつと言っても過言ではない。年を重ねても、脚を運びたい場所だ。Amalfi は時間が足りず、ゆっくりと出来なかったので、再度トライしたい地である。
July 24, 2010
Collection 212 - Trussardi Alla Scala Ristorante
休日にブレラ地区を歩いていたときのこと、Trussarudi (トラサルディ)が本社の1Fにカフェがあると聞いていたので、そこで軽くランチをすることになった。
オーダーはミラノのトラディショナルなリゾットを現代風にアレンジを加えたものと大好物のタルターレ。プレートが非常に美しく、自然光に照らされる中の心地の良いランチ。脚の疲れも少々和らぐのであった。
July 17, 2010
Collection 211 - Carl Hansen&Son
ミラノサローネで着目するべきこと....新しいデザイン、素材、プレゼンテーションとさまざまな動きを垣間みることができるのだが、果たしてそれは現在にどれだけ必要なものなのであろうか?私が素晴らしいと思ったデザインは、質実、伝統、文化背景を感じるものであり、その存在価値が美しいと素直に思うだけであった。今、デザイナーに必要な役割とは、市場に流通させるためだけのデザインではなく、さまざまな社会背景を取り込み、それをデザインに変換する作業が最も重要であると感じている。
July 10, 2010
Collection 210 - Osteria delle Tre Panche
その夜のフィレンツェ最後のディナーは、以前に旅友のSが「やばかった....」と私に伝え、ぜひ脚を運んでみたいと思っていたオステリア。旅友Sもフィレンツェから、東京に拠点を移すということもあり、私にとって大切な街であるフィレンツェには訪れる機会も減るのかな.....と少し孤愁を感じていた。
July 09, 2010
Collection 209 - Ristorante Baby di Roma
私達は、ランチであったので前菜をシェアして、プリモを頼みたいと伝えると、スタッフが快く引き受けてくれると言った。Sが丁寧にオーダーを伝え、次にワインリストを広げた。「何系のワインが飲みたい?」と聞かれたので「シャルドネがいいけど....。そうだ!私が無知なだけなんだけど、ローマってラツィオでしょ?ラツィオのワインって飲んだことないかも.....。今日はご当地ワインにしない?」とSに伝えると「じゃあソムリエにお勧めを聞いてみようか?」と言った。ソムリエにその旨を伝えると、彼はすぐにお薦めのワインを紹介した。
その後、前菜が運ばれてきた。前菜は、イカのグリルのアーティチョークソースと卵のトリュフかけ。癖のあるチーズをイカの中に詰めてアーティチョークのソースがプレートに美しく描かれた。そして、卵。シンプルなプレートではあるが、口に含んだ瞬間は驚くほど、濃厚な味わいが広がった。「これも美味しい.....」繊細でシンプル、かつ美しいビジュアルからは想像できない味が膨らんでいく。
甘いものが苦手な私を横目に、デザートのオーダーをいれていたようだが、リモンチェッロをオーダーした私は、その爽やかで透明感のあり、洗練されたグラスであった。帰り際、Sが「同じワインを買って、ホテルで飲まない?」と言い始め、ソムリエに伝えると「同じ2007年のものがなくて、2008年のものしかないんですが。」と申し訳なさそうな表情で応えた。私たちは2008年のものも試したいと伝え、手土産を手に入れた。
4月にとあるイタリアの方から、2月から方針が変わって、私の憧れている店が経営から離れた.....という話を聞いた。Sが「僕たちが行ったのは、1月末だったけど....」と言うと、「じゃ、君たちはラッキーだったね。1月であればギリギリセーフだ。」と。......食べ物の神様、ありがとう。と心の中で小さく呟いたのは言うまでもない。
インテリアと食の関係性+デザイン.....は深く果てしない。