2010年09月25日

排外主義で第2次日中戦争を戦え!

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尖閣事件 支那人船長釈放に見る日本の「敗北」

司法までが屈服した現状で保守派は何を軸に団結するのか!?

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写真:支那人船長が拘束されている警察署前に集う報道陣

 尖閣諸島沖での不法行為で逮捕した支那(中国)工作船の船長について、沖縄の那覇地検はこれを釈放。そのニュースが全世界を電撃的に駆け巡った。

 共産・支那政府が経済、軍事を含めたあらゆる方面からの報復を示唆して恫喝を加えてくる中、日本がどこまで法に則った処罰を粛々と進めるのかが注目された末、この圧力に屈してしまったと言えよう。

 民主党政権の官房長官・仙谷由人「検察の判断である」として司法手続きの結果として釈放が妥当との判断が下された旨を説明しているが、当の検察が「今後の日中関係に配慮して…」を云々しているのだから、日本の最高権力からして支那による外圧に屈し、外国の侵略と日本領海内における外国人の蛮行を看過したことを意味している。

 よく、「支那の軍事的脅威」とそれによる「日本侵略・支配」が話題にされるが、明らかに支那政府の意図であると断定し得る漁船を装った支那工作船の暗躍と、逮捕後における処理の杜撰さこそが軍事的脅威と日本への侵略・支配が現実のものとなったことを示していよう。

 日本は司法・立法・行政の権力構造となっているが、それらは外国からの侵略の前にはかくも無力で脆くも腰砕けになることを見事なまでに露呈したのだ。
 日本は紛れもなく「第2次日中戦争」の緒戦に敗れたのである。

 かつて日本が戦った大東亜戦争もアメリカ・イギリスなど連合国による対日経済封鎖が発端となって引き起こされたが、その意味でやれ何を対日輸出禁止するだの人的交流を取りやめるといった支那による様々な圧力が示唆された段階から戦争は始まっていた。
 誰が言ったのか、「賢明な者は戦わずして敗れない(不戦不敗の)道を選ぶ」といった言葉があるが、現在の日本は戦わずして敗れてしまったのである。

 釈放の報道がなされる前、訪米中の首相・菅直人はオバマ米大統領と「尖閣問題について共同で対処する」旨の合意を得ていたが、同盟国との協調関係もこれではまったく意味をなさないものとなってしまった。

 何よりも憂慮されるのは幼女誘拐事件の冤罪をはじめ、厚生労働省幹部が起訴されたものの後に無罪・復職となった件で検察の不手際がこれでもかこれでもかと徹底糾弾されている中にあって、今回の尖閣事件でも「検察は日中関係を阻害してでも中国人船長を起訴し事件化しようとした」などと歪曲した情報が流布されかねないということだ。

 必然、それは政治資金規正法違反など「政治とカネ」問題で近く検察審査会で起訴・不起訴の議決が待たれる民主党元幹事長・小沢一郎の扱いにも何らかの影響を与えかねない。
 
 つまり、民主党政権はこの尖閣事件の機に検察という司法・官僚を徹底してバッシングすることで、同時に支那・中共におもねった路線を「決定的」に選択したのではないかということである。     

 勿論、これを煽動・主導したのは今や司法・立法・行政を差し置いて「第一権力」とも称されるマスコミであり、そのマスコミの大声援の下、民主党政権はいよいよ以って日本人の国民意識・国民生活から著しく乖離した、支那の軍門に自ら下る道を邁進し始めたのかも知れない。

 絶体絶命的な危機をチャンスに転換し得るかと思いきや、土壇場で元の路線に戻る何という不甲斐なさ。

 こうした現状を目の当たりに、私は現在の保守派・右派運動の在り方にも大いなる疑義を呈さざるを得ない。
 
 私が在特会(在日特権を許さない市民の会)からの退会表明をしたエントリーでも寄せられた意見だが、とかく「保守の団結」「大同団結」を提唱する向きは強い。
 「とにかく1+1が2にも3にもなるように」との思いから様々な折衝に奔走している同志は数多くいる。しかし、ではそれらは何を目的として団結しようとしているのか?

 決まって返って来る言葉は「日本を存亡の危機から救うため」とか「売国政権を葬るため」「内外の反日勢力を撃退するため」といったものだが、大団結を謳う割にはセンチメンタル過ぎやしないか?

 そもそも何を以って売国的・反日的とするのかの尺度も明確なようで、実に曖昧である。

 例えば東京都知事の石原慎太郎は今回の尖閣事件に際して、支那の出方を「ヤクザのやり方である」としてバッサリ切り捨て、保守派はじめ世間の賞賛を浴びているが、この石原慎太郎にしたところで無秩序的な移民受け入れ構想を肯定・推進する立場にあるわけで、その意味では売国的・反日的とも言える。

 民主党政権がダメならやはり元の自民党に政権を託すしかないというのが現在の消去法的な選択であると思うが、その自民党の復活運動のために団結しようとする向きが保守派・保守層の中に根強くあることは否めないし、それこそが目的であるなら私はなおさら団結構想には同意出来ない。

 と言うよりも私の目には団結してから目的を定める、あるいは団結すること自体が目的化してしまっている感が否めない。

 だから私はそうしたムードに嫌気が差して早くから「脱保守」を表明していたし、そうした流れが過日の在特会からの退会表明に至った一因でもある。
※それでもなお私のブログを応援するという在特会員とその他の方々に感謝しきりです。

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 今回の尖閣事件でも明らかになったこと。

 それは支那という軍事独裁の全体主義国家から仕掛けられた戦争には、自由主義・民主主義を金科玉条のものとする旧態依然とした保守思想では戦えないということである。
 ましてアメリカ合衆国のように民主主義を守るどころか他国・他民族にまでそれを押し付けるために軍隊を世界各地に急派するほどの団結力は日本には生まれないのではないか。

 つまるところ日本が支那に猛然と牙を剥かれた現在の危機的な状況を脱するためには、それこそ支那と同様に極右軍事政権の独裁体制を目指す以外になく、保守派・右派はそのために団結するしかないだろう。
 それには極左過激派に倣って、一つの強烈な理念の下、それに反する者らは次々に粛清していく以外にないわけで、到底保守派には真似出来そうにない。

 同じ左翼に倣うなら、普段はいくつものセクトに分かれていて利権をめぐる争奪戦を繰り広げていようとも、いざ、反日行動で日本を貶めるためには団結するパターンとは逆で、日本のためになる(日本を強くする)行動では団結して翼賛的な体制を目指していくほうがまだ日本的とは言えまいか。

 しかし、それとて上手くいくとも思えない。
 ある意味では戦後左翼が理想とした国・社会は今日に至って半ば実現したと言えるが、保守派・右派陣営が辿り着くべき理想が国家ビジョンとして描かれていないからだ。
(ゆえに私は一笑に付されると分かっていながら敢えて「武家政治」の復権を提唱しているが)

 むしろ、支那のほうが尖閣諸島や沖縄は言うに及ばず日本そのものを押さえて太平洋へと進出を目論むなど、今世紀間にわたるビジョンを描き切れているだろう。

 今回の尖閣事件で逮捕・拘留の後、釈放された支那人船長は帰国すれば国を挙げた大喝采を浴び、抗日の「英雄」として大いに讃えられることは間違いない。
 悔しいが、これが上り坂にある国の団結力なのだ! それが良い悪いの問題ではない。

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写真:釈放を聞いて支那人船長の母親はひたすら支那共産党政権と指導層に対する感謝の言葉を述べる


 翻って日本には何があるのか?

 これは既に日本国内・社会に日常生活からして深く浸透してしまった支那人を排撃していく以外にない!

 支那人船長の釈放を受けて、沖縄の漁師らの「せっかく毅然とした対応を続けていたのに、甘い姿勢を見せた以上、すぐに中国の漁船がドサッと来るようになるはず。どうせ政治判断なのだろうが、政府にはがっかりだ」とする意見がインターネット・ニュースでも流れた。
 既に政治レベルで支那人の受け入れをどうするこうするの段階ではなく、生活圏から在日支那人を叩き出す方向へ持っていく。

 今回の釈放騒動での収穫は上層部の政治的判断に、海上保安庁や警察の最前線が強い反発を示したことだろう。

 そのボンクラな上層部さえいなくなれば真っ当になるのである。

 日常生活から支那人を排斥する排外思想の実践、その浸透によって日本という国・社会をそれに沿った形(強硬姿勢)に持っていく、それしかない!

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Posted by samuraiari at 01:16│Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

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