両校OBは、94年に和歌山で、2004年に石川で再戦し、いずれも星稜が勝っているが、「聖地」で対戦するのは初めて。当時の球児も50歳近くになり、OB戦は今回が最後となる見通しで、「最後は甲子園で」という願いが実現した。
かつみは高校時代の3年間、補欠。31年前の試合もアルプススタンドで応援した。偶然、その試合を外野席で家族と観戦していたという妻のさゆり(41)はこの日、箕島の現役マネジャーから借りた制服姿で臨時マネジャーとなり、夫婦でベンチ入りを果たした。
試合前には、箕島の当時の監督、尾藤公さん(67)から「マネージャー、ちょっと化粧、濃い」と、さゆりがツッコミを入れられる場面が。約1億円の借金を抱えるかつみも「金もないのに〜」とイジられた。
かつみは四回表、「4番、ファースト、市田(本名)くん」として途中出場。その裏、甲子園での初打席はショートフライに終わり、「あ〜、ぼよよ〜ん」。高校時代はセンターで、ファーストを守ったことはなかったが、五回表にはファウルフライを落とすことなく捕球した。その後、一、二塁間へのフライを捕るセカンドにぶつかりそうになり、転倒。オチ(?)をつけた。
試合は17−13で星稜が勝利し、OB戦3連勝。31年前の“本番”では箕島が勝っており、お釣りを付けてリベンジを果たした格好だ。
敗れた箕島のかつみは甲子園の土をかき集めながら、「現役のとき、持って帰れなかったので、うれしいですわ〜」と大喜び。「ずっとアルプススタンドだったので、ベンチから見る甲子園は、よりいっそう大きく見えました」と話した。
一方、さゆりは幼いころ、野球部のマネジャーになるのが夢だったが、高校(兵庫・夢野台)ではサッカー部にスカウトされ、あきらめたという。それだけに「きょうは夢がかないました〜。嫁孝行してもらいました」と喜んでいた。
箕島対星稜
1979年8月16日、全国高校野球選手権の3回戦で激突。箕島が3度リードされながら3度追いつき、延長十八回、4−3でサヨナラ勝ち。勢いに乗って春夏連覇を達成した。