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かつみ、31年前の死闘再戦で夢叶った! (2/2ページ)

2010.9.24 12:33
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特集 : お笑い
かつみ、31年前の死闘再戦で夢叶った!
31年ぶりに甲子園で再戦した箕島対星稜 四回、箕島高校野球部OBでタレント「かつみさゆり」のかつみが打席に立つも、レフトフライでアウトとなる。箕島の制服を着て応援するさゆり(右)=阪神甲子園球場(撮影・志儀駒貴)【フォト】

 両校OBは、94年に和歌山で、2004年に石川で再戦し、いずれも星稜が勝っているが、「聖地」で対戦するのは初めて。当時の球児も50歳近くになり、OB戦は今回が最後となる見通しで、「最後は甲子園で」という願いが実現した。

 かつみは高校時代の3年間、補欠。31年前の試合もアルプススタンドで応援した。偶然、その試合を外野席で家族と観戦していたという妻のさゆり(41)はこの日、箕島の現役マネジャーから借りた制服姿で臨時マネジャーとなり、夫婦でベンチ入りを果たした。

 試合前には、箕島の当時の監督、尾藤公さん(67)から「マネージャー、ちょっと化粧、濃い」と、さゆりがツッコミを入れられる場面が。約1億円の借金を抱えるかつみも「金もないのに〜」とイジられた。

 かつみは四回表、「4番、ファースト、市田(本名)くん」として途中出場。その裏、甲子園での初打席はショートフライに終わり、「あ〜、ぼよよ〜ん」。高校時代はセンターで、ファーストを守ったことはなかったが、五回表にはファウルフライを落とすことなく捕球した。その後、一、二塁間へのフライを捕るセカンドにぶつかりそうになり、転倒。オチ(?)をつけた。

 試合は17−13で星稜が勝利し、OB戦3連勝。31年前の“本番”では箕島が勝っており、お釣りを付けてリベンジを果たした格好だ。

 敗れた箕島のかつみは甲子園の土をかき集めながら、「現役のとき、持って帰れなかったので、うれしいですわ〜」と大喜び。「ずっとアルプススタンドだったので、ベンチから見る甲子園は、よりいっそう大きく見えました」と話した。

 一方、さゆりは幼いころ、野球部のマネジャーになるのが夢だったが、高校(兵庫・夢野台)ではサッカー部にスカウトされ、あきらめたという。それだけに「きょうは夢がかないました〜。嫁孝行してもらいました」と喜んでいた。

箕島対星稜

1979年8月16日、全国高校野球選手権の3回戦で激突。箕島が3度リードされながら3度追いつき、延長十八回、4−3でサヨナラ勝ち。勢いに乗って春夏連覇を達成した。



この記事のフォト

31年ぶりに甲子園で再戦した箕島対星稜四回、箕島高校野球部OBでタレント「かつみさゆり」のかつみが打席に立つも、レフトフライでアウトとなる。箕島の制服を着て応援するさゆり(右)=阪神甲子園球場(撮影・志儀駒貴)
箕島ベンチから携帯電話で写真を撮るタレントの「かつみ・さゆり」のさゆり(・はハートマーク)=23日、阪神甲子園球場(撮影・志儀駒貴)
箕島ベンチから応援するタレントの「かつみ・さゆり」のさゆり(・はハートマーク)=23日、阪神甲子園球場(撮影・志儀駒貴)
ベンチから試合を見る元箕島高校野球部監督・尾藤公さん=23日、阪神甲子園球場(撮影・志儀駒貴)
甲子園球場での記念試合前のセレモニーで、花束を手に一礼する箕島元監督の尾藤公さん。左は息子の強さん=23日、兵庫県西宮市
31年ぶりに甲子園で再戦した箕島と星稜ナイン=23日、阪神甲子園球場(撮影・志儀駒貴)
甲子園球場のグラウンドに足を踏み入れ、涙ぐむ箕島元監督の尾藤公さん=23日、兵庫県西宮市
甲子園球場での記念試合で、得点に喜ぶ山下智茂現総監督ら星稜ナイン=23日、兵庫県西宮市
31年ぶりに甲子園で再戦した箕島対星稜車椅子から降りて甲子園グラウンドを歩く箕島・尾藤公監督(右)を支えるタレントの「かつみさゆり」のさゆり=23日、阪神甲子園球場(撮影・志儀駒貴)

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