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2005.03.05

尾崎翠 第九感界彷徨

夢が夢であるための条件、少女が少女であるための。小さな胸の第七官界は遥けき恒星の営みをも掬いとる。今夜すべての苔は恋をする、今月号は尾崎翠。

 先月号が中原中也だったので、今回は誰にしようか何にしようか、ちょっと迷っていましたが、尾崎翠。尾崎翠のこと、っていうか「第七官界彷徨」についても、ちょっと。
 尾崎翠は1896年に生まれて1971年に亡くなりました。鳥取県生まれで、後に上京して文学活動を始めました。
 それまでの、いわゆる自然主義と呼ばれる、ありのままをありのままに表現したり書き写したりする文学の傾向に「つまらな〜い」と感じたのかどうかは定かじゃないけれど、まあ自分の感覚に忠実に、記憶、体験、実感、映画や音楽や演劇や色彩など、もうとにかく自分の感覚が反応するところ、それらを見事に織り上げ、夢見る夢子でどこが悪いのよと言わんばかりに、幻想的で、ユーモアたっぷりの彼女独特の世界を作り上げていきました。
 そしてばりばり小説を書いていくんですけれども、まだ若い時分に頭痛薬の飲みすぎで中毒になってしまって苦しんで苦しんで恋人と別れて鳥取へ帰ります。
 そこからはもう書かなかった。書けなかったのか。
 その後の生活は戦後を逞しく生きたという説もあれば、やはり病でぼろぼろになり、独り寂しく雑巾を縫っては売り歩いて寂しい晩年を送ったという説もありますが、後者がよく伝えられるところではあります。
 兎にも角にも、彼女にとって、波乱万丈な人生であったことは確かなようです。

 わたしが初めて尾崎翠の作品に出会ったのは、二十歳の頃で、本を読んでると何処にでも行けるし何にでもなれるし生きてる人と話すのとは違う潔さがあるしで、音楽よりも何よりも本当に本をよく読んでいました。
 活字を追っている間だけは自分から離れてられるし、頁を開けばいつでもそこに、その大好きな世界がわたしを待っていてくれるわけで、夢中になって病み付きになるのは当然のことで。
 そんな中、十代もやれやれ終わって、毎日毎日なんじゃあ、てな時に、本屋で尾崎翠の「第七官界彷徨」に出会ったわけです。
 
 まずこのタイトルですよ。どうですか。これは唸った。初めて目にした人も唸るところです。
 「第七官界彷徨」。このタイトルの吸引力については色々なところで色々な人が体験談や素晴らしさを語っていますが、多聞に漏れず、わたしもタイトルにやられたクチです。
 何よ、何処よ、第七官界って、ってな感じで。どきどきですよ。ちくま文庫で出てる集成がお手ごろで他のも併せて読めて鞄にそっと忍ばせておけるし、尾崎翠世界的にナイスです。
 
 わたしは、小説「第七官界彷徨」が手放しで大好きなのです。町子ちゃんという詩人を夢見る女の子が主人公で、従兄弟たちとのめくるめく共同生活の日々の物語です。
 ストーリーのニュアンスや登場人物の面白みは実際読んでもらわないとなかなか伝えきれんけど、何がわたしにとって大きな魅力かっていうと、町子は無論のこと従兄弟たちも筋金入りの感覚少女で、そして永遠の少女なわけ。たまらん。
 従兄弟たちは苔を栽培したりコミック・オペラを作曲したり町子は自分の縮れ毛に思案したり。そんな彼らの会話や論争がたまらなく面白いの。
 ときどき間が抜けてて、ときどきはっとする。「恋愛」もこの小説の大切なテーマなんだけど、人間は片思いや失恋ばっかで結局ここで「恋愛」に成功するのは苔だけ、という、これだけでもなんかそわそわするでしょ?
 尾崎翠の小説が、少女趣味的世界であって同時に何故一流なのかというと、単純に文章が上手い。それも極上に上手いのと、戦前から映画に親しんできたせいか、視点が抜群に面白い。
 カメラワークっていうの?情景を喚起させる能力がズバ抜けてる。漫画と詩と映画と小説と写真を同時に観る感じがいつもする。
 町子が云う台詞、
 
「私はひとつ、人間の第七官にひびくやうな詩を書いてやりませう」

この台詞はほんとに長くわたしの頭の中に残っていて、このわたしの連載とタイトルは、この作品へのオマージュでもあります。
 「第七官界」が結局薬局何かというのは、読んだ後にきっと自分だけの感覚で感じるはず。他の短編も是非に!
 
 さて今回のわたしの絵と詩は、人生で自分で選んだり決定したり出来ることっていうのは、実は絶望的にほんとに少ないということで。絵は、勝手に騒ぐ、ヘモグロビン。


この文章は、ドレミ楽譜出版社『月刊Songs』に連載中の「第九感界彷徨」からバックナンバーを加筆修正したものです。
月刊ソングスには未映子の詩と絵も併せて掲載されていますので、ぜひご覧ください。
※月刊ソングスの連載は終了しました。

投稿:by 未映子 09:59 PM [書籍・雑誌, 第九感界彷徨] | 固定リンク

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