チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[21114] 千雨の世界(千雨魔改造・ネギま・多重クロス・チート・百合成分)
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2010/09/23 11:47
はじめまして、弁蛇眠と申します。
数々の素晴らしい千雨改造ものに触発され、妄想のおもむくまま書き連ねました。
初投稿なので、至らない点があったら申し訳ありません。

この作品には

・主人公チート、最強?
・多重クロス。設定改変。
・厨二展開
・百合要素……もあるかも
・アンチ……かもしれない
・原作沿いではない

などの地雷要素があります。嫌いな方はお気をつけください。
それでは、よろしくお願いします。

■一応
クロス先に関しては、最低限の情報を載せるようにします。
原作を知らなくても、それなりに読めるように心持配慮しています。



●かんたんなあらすじ
ちょっとビビリな千雨が、マスコット的なネズミと一緒に麻帆良にやってきて、女の子達とキャッキャッウフフ。
百合百合な学園ラブコメディ。そんな話です。




更新履歴
2010/08/14 プロローグ、1話投稿。
2010/08/15 2話投稿。誤字修正。
2010/08/20 3話投稿。2話にサブタイトル追加。
2010/08/22 4話投稿。色々修正。赤松板に移動。
2010/08/27 5話投稿。全体的に微修正。
2010/08/28 6話投稿。誤字など修正。
2010/08/30 7話投稿。微修正。
2010/09/04 8話投稿。やっぱり微修正。
2010/09/06 9話投稿。
2010/09/11 10話投稿。
2010/09/14 11話投稿。
2010/09/18 12話投稿。
2010/09/23 13話投稿。



[21114] プロローグ
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2010/08/28 03:49
 教室中からの好奇の視線で顔が引きつるのを堪えつつ、千雨は転校の挨拶をした。

「えーと、長谷川千雨と言います。よろしくお願いします」

 適当すぎる挨拶に棒読み極まりない口調だが、その内容に関係なく、そこかしこからハイテンションな歓迎の野次が飛んだ。

「おぉ! やっぱり長谷川じゃん!」
「千雨ちゃんだー、おかえりー!」

 初等部時代に何度か同じクラスになった明石裕奈や佐々木まき絵の言葉に、我慢していた千雨の顔の筋肉が崩壊した。

(うぜぇ……)

 千雨は顔を隠すように俯きつつ、伊達メガネのブリッジをくいっと上げ、感情の落ち着きを取り戻そうとした。
 横から苦笑いをしていた担任の高畑も、その機微を察したのか、助け舟とばかりにホームルームを進行させた。

「あぁ~、みんなとりあえず落ち着いて。長谷川君は以前はここの初等部に在籍してたが、この度ご家庭の事情でこの学園に戻ってきたとの事だ、みんな仲良くしてあげるように」

 は~~い、とクラス中から上がる元気な返事がまた千雨のモチベーションを下げていた。

「それじゃ長谷川君、廊下側から三番目列の一番後ろが君の席だ。これから授業だから長谷川君への質問は休み時間にやるように」

 高畑は言うだけ言って教室を後にした。
 担任の声を半分聞き流しつつ、千雨はトボトボと自分の席へ歩き出した。相変わらず好奇の視線は衰えることを知らない。

(わたし、やっていけるだろうか)

 千雨にとってこの麻帆良の地にいい印象は無い。この場所に戻ってきたのだって、己の意思では無かった。この土地に来ると、昔感じた何とも言えない孤独感を思い出す。だが、昔はなかったが、今はあるものはある。

<大丈夫だ千雨。私がついている>

 千雨は左腕に巻いた腕時計を見た。アナログの文字盤には金色のネズミが描かれている。そのネズミがウィンクをしたのを見て千雨は思わず顔が綻んだ。
 席に着くなり、右隣の裕奈が挨拶をしてきたので、千雨は適当に流した。丁度一時間目の予鈴が鳴り、担当の教師が入ってきた。
 千雨は大慌てでカバンを漁り、筆記用具とノートを出した。

「あっ」

 転校が急だった事もあり、まだ教科書を貰っていなかった。確か昼休みに取りに来てくれと言われたのを思い出した。

(まぁいいか)

 千雨にとって手元に教科書が有るか無いかなどは関係なかった。視界を広げるように……
 ごつん、と机と机がぶつかった。
 左隣の生徒が席を寄せてきた。

「長谷川さん、まだ教科書がないのデスね。とりあえず授業中は私のを一緒に見ましょう」
「あぁ、ありがとう。今日の昼には貰う予定なんだけどな。えーと……」
「綾瀬です。綾瀬夕映と言います」
「そ、そうか。綾瀬、ありがと」
「いえいえ~」

 表情をピクリとも動かさず、ひょうひょうと少女――綾瀬夕映――はのたまった。
 教師が黒板に板書をし始めた。真横に夕映がいる状況ではノートを取らないわけにもいかず、千雨は真新しいキャンパスノートに細々と書き写し始めた。
 漏れそうなため息を飲み込み、突きそうな頬杖を我慢しながら、千雨の三年ぶりの麻帆良学園での生活が始まった。






 千雨の世界 プロローグ





「ふぅー」

 昼休み、千雨は人影の少ない屋上の片隅で菓子パンをかじっていた。
 休み時間の度に教室中の生徒に囲まれ、トイレにすら自由に行けず、千雨は辟易としていた。
 特に朝倉和美とかいう女の執拗な質問攻めにはまいったとしか言い様がなく、意趣返しの一つでもしてやろうか、というのが千雨の本心である。
 昼休みには逃げるように教室を後にし、売店まで直行し飲み物とパンを調達したのだ。初めての場所だろうと、今の千雨にとって”売店への道筋”など造作も無いことだった。
 コロッケパンをもぐもぐとリスのように頬張りつつ、頭の中にうずまくグチが口からこぼれた。

「なぁ、今回の――」

 軋むような音と共に、屋上のドアが開かれ、二つの人影が視界を横切った。

「ん、ゲホゲホ、ング、ング」

 ごまかす様に咳き込みつつ、千雨は牛乳を喉に流し込んだ。

(クソ、気付かなかった。調子狂うぜ)

 この半年間の慣れきった”感覚”を切っているせいで、二人が近づくのを見過ごしていた。
 千雨は二人を視線で追いかけた。金髪の見るからに幼い少女と、その後ろを一歩引いて歩く緑髪の長身の少女。

「あ、お前らは確か……」
「こんにちわ、長谷川千雨さん。私は同じクラスの絡繰茶々丸と申します」

 長身の少女が答え、一礼した。幼女の方はは千雨を一瞥するも、興味ないと言った風だ。

「茶々丸、早くしろ」
「了解です、マスター」

 千雨の前で、茶々丸は淡々を昼食の準備をした。シートを引き、重箱を並べ始めた。
 幼女はシートの中央にドカッと座り込み、昼食の準備が整うのを待った。

「準備ができました」
「うむ、では頂くぞ」

 日本人らしからぬ容姿の幼女が、箸を上手に使い、和食をどんどん消化していく様をぼーっと見つつ、千雨はふと茶々丸に質問を投げかけた。

「なぁ、絡繰さん……だっけ。その、絡繰さんはロボットなのか? 」
「はい。正確にはガイノイドと言います。この麻帆良学園で作られ、中等部に編入しました」
(やっぱりコスプレじゃないのか)

 ジト目になりつつ千雨は呆れていた。茶々丸の容姿はパッと見人間と変わらないが、耳にはメカメカしいアンテナが立ってるし、脚は球体関節がむき出しだった。これでは疑うなという方が難しい。

「相変わらず、非常識な所だぜ」

 千雨の呟きに、幼女の箸が止まった。先ほど千雨の存在を素通りした視線が、再び千雨に向いた。

「おい、貴様。名前は何と言う」
「はぁっ? いや、いきなり初対面でどんな口調だよ。大体教室で自己紹介したし、さっきだって隣の絡繰さんが言ってただろ。それに名前を聞くならそれなりの――」
「いいから答えろ」

 年齢不相応の威圧感のある瞳に見つめられ、千雨は言葉が詰まった。この半年ほど、何度か味わった感覚を思い出す。そう、明確な死の予感だ。

「ぐっ……」

 ジトリと首筋に冷や汗が流れる。幼女は視線をそらさず、千雨を射すくめている。幼女の口に愉悦が浮かんだ。

「は、長谷川だ。長谷川千雨だ」
「ふむ、千雨か」
(いきなり呼び捨てかよ!)

 搾り出すように名前を言ったら、先ほどまでの威圧感は霧散した。

「ところで千雨、お前何者だ?」
「は?」
「千雨は何者だと聞いている。おかしいのだよ。いいか、茶々丸がロボットだと初見で気付く。千雨はこれが普通だと思っているのだろう。それがおかしいのだ」
「マスター、私はガイノイドです」
「ええい! うるさいぞポンコツ! 横槍を入れるな」

 なんだかなー、と目の前の光景を眺めつつ、千雨は並列思考で自分の言動を洗っていた。

(何かおかしいところあったか?)
<いや、ないはずだ。少なくとも私には確認できない>

 目の前では幼女がグリグリと茶々丸の頭をイジっていた。一段落し、落ち着いたのか幼女は言葉を続けた。

「はぁはぁ……で、だ。長谷川千雨。お前の言動や疑問は一般的には正しい。極めて正しい。場所がこの”麻帆良”で無ければな」

 千雨の脳内に衝撃が走った。

(え? いや、そうか。なんとなく判った。それで、――そうなのか。ここでは”疑問を持つ事”が異質なのか)

 幼い頃の情景が頭をよぎる。何を言っても取り合ってもらえず、友達も離れ孤立していった自分。
 ここに戻ってくる時に貰った情報のピースがカチリと頭に入る。
 ギチリと歯が軋んだ。

<落ち着け千雨。まだ初日だぞ>

 千雨の一瞬硬くなった態度に、目の前の幼女は得心がいった様に微笑んだ。

「は、はぁ? だからどういう事なんだ。わたしにはさっぱ」
「白々しい演技はいいぞ。興がそがれる。まぁ、どういった目的であろうと構わん。千雨は面白そうなので老婆心ながら忠告をしただけだ」

 千雨はカァーと顔が赤くなるのを感じた。それを見て幼女はクックと笑いをかみ殺した。
 千雨がコチラ側に来て半年、目の前の”怪物”相手に腹芸は無理か……と時計盤のネズミが目を瞑った。

「クククッ。なかなか正直な奴のようだな千雨。気に入ったぞ。お前にも茶々丸の作った食事を分けてやろう。あと茶々丸、茶のお代わりをよこせ」

 幼女は自分の隣をぽんぽんと叩きつつ、ニヤニヤと笑っている。
 千雨はなにか無性に腹が立ち、おもむろに立ち上がり二人に背を向け、無言で出口に向かった。

「悪いな! わたしはこれから職員室まで教科書をとりにいかにゃならん」
「なんだ食わんのか、めったに無いことだぞ」
「どうぞマスター、お茶です」
「うむ。あ、そうだ千雨。一つ忘れていたな」

 その言葉に千雨は足を止め、顔だけ振り向いた。

「私の名だ。私はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ。特別だ、エヴァと呼んで良いぞ」
「そうか」

 千雨は小さく呟き、ついでエヴァに対して言葉を発した。


「エヴァ、私は長谷川千雨。たんなる! ただの! 一女子中学生だっっ!」


 その瞬間、茶々丸のセンサーが一斉にエラーを起こし、視界が真っ白に染まる。
 エヴァは口を浸けた緑茶からビリリとしびれが発したのを感じ、口を離した。

「なっ!」

 熱ではない”何か”により、エヴァの舌先は火傷をしていた。

「え……」

 また、茶々丸の視界も正常に戻っていた。この間一秒にも満たず。
 一人と一体が気付いた時には、屋上に千雨の姿は無かった。




[21114] 第1話「感覚-feel-」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2010/09/07 01:50
 学園長室にて、麻帆良学園の学園長を務める近衛近右衛門は革張りのイスの背もたれを揺らしていた。

「ふぅむ、長谷川千雨君のぉ」

 机の上には千雨の経歴が書かれた書類が数枚並べられている。その出自から始まり、親族、学歴、趣味や嗜好、さらには半年ほど前に起きたアノ事件に至るまで。
 その経歴には、なんら隠すことも無い、と言った体で堂々とある文字が書かれていた。

「『学園都市』からとは、いやはや露骨すぎじゃあないかの」

 半年前のアノ事件で大怪我を負った千雨は、東京の三分の一を占める学園都市に運び込まれ”治療”された、と書類にはおおまかに記載されていた。
 日本国内では間違いなく断トツ、世界的にも類を見ないほどの科学力を持つ『学園都市』。特に人間開発なる分野の研究成果は世界中から注目を集めていた。フィクションの中だけだと思われた超能力を科学の面から発現させてしまったのだ。そんな学園都市で施された”治療”とやらを真っ当に信じる程、近右衛門の脳はもうろくしていない。
 千雨は治療後、学園都市内の常盤台に転校し、さらにそこから麻帆良へ戻ってきたという学歴になっている。刺客としては間抜けだが、相手方の警戒感をあおるには十分である。

「アレイスターめ。まぁ目と鼻の先じゃ、お互い鞘当も必要かの」

 東京の三分の一を占める『学園都市』と、埼玉の一都市をそのまま学園にした『麻帆良学園都市』。お互い対立する理由はないが、だからといって手を取り合うには隔たりが大きすぎる。

「長谷川君も難儀じゃのう……」

 その呟きには、茶番劇の主役にも等しい立場に追い込まれた少女への同情がこもっていた。





 第1話「感覚-feel-」






 屋上を飛び出した千雨は階段で身悶えをしていた。

(あぁ~~~、恥ずかしいっ!)

 エヴァに会って数分で見透かされた自分の薄っぺらさであったり、その後の言動であったり、秘匿すべき力を意趣返しに使ってしまった幼稚さであったり、様々な至らなさに千雨の脳内は後悔のリフレインをしていた。

(部屋に帰ってベッドに潜りたい。帰ってネットがしたい)
 千雨の心の呟きは、皮膚の上をピリピリと通し、周囲に微かに伝播している。

<千雨! 落ち着け! 出てるぞ>
「うぇっ! 」

 脳内に響く声に驚き、思わず素っ頓狂な声が出た。通りがかった生徒達も、唐突に奇声を上げた千雨をジロジロと見ている。

(あう~、く、クソ。なんなんだよ、もう)

 千雨は深呼吸を二度し、心を落ち着かせた。半年前に千雨が得た力は、その心の機微に非常に敏感だった。千雨にとっては瞬きなどの肉体の反射に等しい行動なのだ、意識を常にしておかないとすぐにこうなる。
 思考の分割をし、マルチタスクを行い、力の制御の意識を常駐させた。最大二千以上もの思考分割が出来る千雨にとっては造作もない事だが、いくら分割しても千雨自身の精神が成長するわけではない。
 羞恥や後悔により、分割された思考はそれ一色に染まってしまっていたのだ。

(……ふぅ。すまない先生。これからは気をつけるよ)
<気にするな、それが私の役目だ>

 出会って半年。相変わらずの物言いに千雨の口の端が上がる。視線を変えないまま、左手首の腕時計をトントンと二回小突く。
 千雨は職員室へ向かい歩き始めた。





 自室のベッドにうつ伏せのまま、千雨は今日の出来事を思い出していた。
 元来人付き合いの苦手な千雨にとって、無駄に注目を浴びる転校生としての立ち位置は辛さが先走っていた。
 昼休みに教科書を職員室で貰った後、午後の授業はスムーズに進んだものの、放課後のチャイムが鳴るや、裕奈やまき絵さらに大河内アキラや和泉亜子といった面子に引きずられ、部活見学なるものへ連れて行かれた。
 終始テンションが高いメンバーながら、アキラだけは千雨の心情を察し、色々フォローしてくれたのが不幸中の幸いだった。
 気付けば夕方。やっと開放されると思い、自室で私服に着替えたのもつかの間、激しくノックされるドアを開けた途端、また引きずられ、寮内での歓迎会の主賓として参加させられた。
 寮内の規則ギリギリの時間までドンチャン騒ぎが続き、ついさっき本当に開放され、ベッドへダイブした所だった。
 そんなこんなで、受身のままズルズルとアッチコッチへ引っ張られた千雨は肉体的にも精神的にも疲労でいっぱいだった。

「づがれ゛だ~~」

 ふと、千雨の左腕に巻かれた腕時計がクルリと反転(ターン)し、黄金色のネズミが現れる。ネズミは千雨の顔近くまで移動し口を開いた。

「だが、いい子達じゃないか。あの子達は千雨を心から歓迎していると思うぞ」

 ネズミとは思えない、バリトンの聞いた低い声だ。

「まぁ、それはそうかもな」

 表情を悟られないよう、枕に顔をうずめたまま千雨は答える。
 そのまま言葉を交わし続けることなく十分、二十分と時間は過ぎていく。今部屋には千雨とネズミしかいない。引越しの荷物は大半がダンボールの中のままで、テレビやパソコンといったものは音をならすものはまったく無く、静寂が支配していた。
 ときおり聞こえるのは隣室のオーディオ音楽やら、テレビの微かな音。千雨も目を瞑ったまま、何かしらを考えていた。
 その静寂を破ったのは黄金色のネズミ――ウフコック――の声だった。

「千雨」
「あぁ。わかってるよ、先生」

 千雨はベッドからガバッと立ち上がると、バスルームに向けて歩きながら衣服を脱ぎ始めた。全裸になるや、頭からシャワーを浴びた。千雨の肌は滑らかな曲線を描き、染み一つ無い美しさを持っている。
 ”その体には傷跡の一つも無かった”。
 千雨は体を拭くこともせず、シャワー室を出たが、足元には水溜りの一つも出来ない。髪もキューティクルを輝かせながらも、余分な水気は消えている。

「先生、たのむ」

 ウフコックを両の手のひらで大事そうにすくうように持ち上げる。

<まかせろ>

 低いバリトンの声が、直接千雨の脳内に響く。
 黄金色の毛の塊が反転(ターン)すると、千雨の体はは真っ黒い、肌に張り付くようなボディスーツに覆われていた。
 手のひらを合わせていたため、両手を覆う生地が手のひらを境にしてくっ付いてるのをペリペリと剥がす。剥がした手のひらの上にはまたウフコックが載っている。

<もう一度だ>

 ウフコックが再び反転(ターン)すると、今度はボディスーツの上にダブダブのコートが羽織られた。五月という季節を考えると厚着だが、コートの中はひんやりと涼しかった。
 フードをかぶり口元まであるコートのボタンをはめれば顔が見えず、さらに左右に張った肩幅のあるコートのデザインが性別や体型を悟られないようになっていた。

<千雨、感度はどうだ。阻害されていないか>
(問題ない。むしろボディスーツのおかげで好調だ。さすが先生)

 ひとまず千雨は感覚を広げた。たった一日とはいえ、離れていた感覚が戻るのは気持ちが良かった。だが、ここでトチるわけにはいかない。範囲は最小限、とりあえず自室までにした。
 ピリリと肌の上にあったホコリのツブが焼けた。千雨の知覚が鮮明になり、自室全てに広がる。いまや百四十にまで膨れ上がった千雨のマルチタスクが、集められる情報を緻密に精査し、脳内にはワイヤーフレームにも似た線で構成された部屋の見取り図が浮かび上がる。
 ダンボール内に入ったデスクトップパソコンのCPUプロセッサの回路の本数の一本一本だって数えられる。

「部屋の中はどうだ?」
「とりあえずは問題なさそうだ、先生。監視や盗聴といったものは見つけられない。だが相手が相手だからな、さすがに未知のものに対しては万全とは言えないけどな」
「それはしょうがあるまい。どっちにしろ見られてるとしたらもうこの時点でお終いだ。せいぜいオフダとやらの効果に期待しよう」

 お札とは千雨が麻帆良に来る際に支給された物品の一つである。オカルトに対しての阻害効果があるとかナントカ。千雨は眉唾モノだと思ってるが、すがるしか無いのだからしょうがないと、部屋の四隅にしっかり貼っておいた。
 相手側から見ても元から警戒すべき人間なのだ、今更この程度で状況はたいして変わらないだろう。疑いが確信に変わったところで、それは元から想定の範囲内、むしろ力の秘匿こそが優先すべき課題だ。

「じゃあさらに広げるぞ」

 部屋の中から外へ繋がる、ありとあらゆるものがバイパスとなり、千雨の知覚を広げていった。電子干渉を旨とする千雨の能力は、絶縁体以外のものを通して感覚を広げていく。

「おぉ、ここのセキュリティすごいぞ。どうなってやがる、本当にただの女子寮なのか? 」

 千雨の知覚はあっという間に寮内を覆い、残るは警備システムの掌握だけだった。だがそのシステムのセキュリティの強固さに驚いていた。学園都市でも滅多にお目にかかれない……いやむしろそれ以上かもしれない技術力により警備システムは守られていた。

 だが千雨としてさるもの。彼女の演算能力は現在、間違いなく世界最高である。彼女は電子干渉により空気中に自らを補助する演算装置を作り、さらにその余剰の演算能力で演算装置を作る、という芋づる式とでも言うような事ができるのだ。足りなくなったエネルギーにしろ、そこら中の電源からかっぱらってくる荒業を容易になす。
 そんな彼女の演算能力は、後に学園都市内で産まれた一万五千余の並列演算から作られる有機ネットワーク「シスターズ」を単身で追い抜き、その身一つで世界中のシステムに干渉できる数値を叩き出した。
 もちろんそれは数値上のものであり、実際は不可能であるし、千雨自身にもリミッターが掛けられていた。必要以上の知覚の広がりは、千雨と他者……いやこの場合”内”と”外”の境界を無くし、千雨自身を廃人としてしまう。
 千雨自身とてそれは嫌だし、学園都市側としても自分達では制御できない輩を野放しにしたくなく、お互いの了解の下リミッターは付けられた。
 だがそのリミッターとて完全ではなく、強固な錠をつけたところで、その付けられた本人が超一流の開錠師なのだ。当てになるはずがなく、そこでさらに付けられたのがウフコックなのだ。
 千雨はウフコックを信頼している。そこには愛情もある。またウフコック自身もそれに似た感情らしきものがあった。二十年前の大戦のおりに壊滅した『楽園』の遺産であるウフコックは、自らが友愛を感じているのかを自分では判別できない。だが『ナニか』はあるのだ。
 つまり、ウフコックは千雨にとっての師であり、親であり、相棒であり、そして首輪なのだ。千雨自身の力の濫用はウフコックを傷つけるようになっている。
 それは千雨にとって何よりも重い枷になっていた。

 そしてリミッターがあろうと、元が能力過剰な千雨なのだ、どんなにセキュリティが強固だろうと、造作なく破ることができる。千雨にとって既存のセキュリティなど薄紙程度のものであり、この半年の経験と修練で、その薄紙を破るばかりでなく、切れ目をそっと入れ、継ぎ目無く修復もするという事もできるようになった。
 この寮のセキュリティだって、千雨から見れば薄紙三枚重ね程度のものなのだ。開錠も修復も容易い。
 瞬き一つで警備システムを掌握した千雨は、堂々と自室のドアを開け廊下に出た。先ほどまで裸足だった足元にはいつの間にか靴が履かれていた。また、一歩一歩踏み出す度に靴の形が変わった。またサイズや靴裏の形や向きまでランダムに変わっていた。淡々とまっすぐ歩いているのに、そこに残るかすかな足跡はおおよそ一貫性が無いように残る。

(ここまでやる必要あるのかよ)
<一応の保険だ。用心するにこした事はない>

 これを人の少ない場所ででもやったら異質だが、雑多な人間が住む寮内ではさして違和感なく足跡はまぎれた。
 顔をフードとマスクで隠した不審者極まりない姿ながら、それに気付くものがないまま千雨は寮を堂々と出て行った。





(さて、と。どうしたものかな)

 こちらはあくまで調査で来ている。某所からの依頼により、魔法というオカルト染みたものの詳細なデータを求められていた。現在の千雨は”治療”と言う名の人体改造により、とんでもない負債を抱えている。それは一命を取り留めるための最新医療の費用であったり、二十年前を境に違法とされた『楽園』の技術であったりと様々だ。
 正直、勝手に改造しておいて負債もクソもないだろ、というのが千雨の本音だが、権力もコネもない千雨はとりあえずしぶしぶ従って返済を着実にこなしていた。
 何よりウフコックの存在が千雨を後押しした。自分が壊れかけたあの時を救ってくれたかけがいのない存在。依存している自覚もあるが、だからと言って自立するには千雨の精神は若すぎる。
 ウフコック自身も負債に囚われているらしく、千雨の当面の目標は自分とウフコックの負債の返済だった。そのためには多少のトラウマなんかへっちゃらだ! と麻帆良にやってきたのだ。
 そんなわけで千雨にとって交戦は望むべきものではなく、魔法を使っている所のひっそりとした観察を望んでいた。
 その気になればありとあらゆる電子情報を掌握し、根こそぎ調べることも出来るのだが、リミッターの手前出来るはずもなく、また手近なネットワークではほとんど魔法に関する情報が無かったのだ。
 どうしたもんだと首を傾げていた千雨の元に、麻帆良への転入手続きをした旨が書かれたメールが送られたのが二日前。制服が届いたのが昨日なのである。
 そんな千雨が事前に仕入れられた魔法の情報は少ない。
 どうやら魔法は秘匿すべきものであるらしく、人目に触れる事がとても少ない。
 魔法というと万能性を持ったものを想像しがちだが、実際は戦闘技術の延長としての進化が著しいこと。
 そしてこの麻帆良学園こそが、アジアでも有数の魔法使いの本拠地であること。
 そんな場所だから麻帆良への侵入者が後を絶たないらしく、夜になると熾烈な戦いがあるとの事だ。
 千雨自身も侵入者なわけだが、侵入者が侵入者が撃退される図を観察しようとしているのだ。

(まぁボチボチ適当に行きますかね)

 どうせ相手はわけのわからない技術を使っているのだ。多少姿を見られるのは想定しつつ、千雨は夜の闇にそっと消えた。






「刹那、気を付けろ! 何かがおかしい!」

 龍宮真名は焦っていた。長い戦場経験を持ちながらも、こんな状況は初めてだった。
 先ほどまでは学園への侵入者とおぼしき式神の群れを、桜咲刹那と共に撃退していた。だが途中から違った。残り数匹。今日の仕事も終了か……と思った時、周囲一帯をナニかが覆ったのだ。どうやら刹那は感じないらしいが、真名はその異質さをしっかりと感じていた。魔眼持ちである真名に見えないナニかが、意思のあるようにうねっている。多くの意思有るものを魔眼で見通してきた真名だからこそ感じた違和感である。
 魔眼では見えない。だが、かわりにソレの流れは感じられる。大元となる方向には微かにだが人影が見える。森の中という事もあり、木々が邪魔をするのだが、魔眼持ちの真名には関係のない事である。

(アレか)

 真名としては牽制のつもりでライフルの引き金を引いた。同じくして式神を始末し終えた刹那は、真名が放った銃弾の方向へ全力で走り始めている。
 体中で練った気が爆発的に身体能力を増加させ、常人には消えたと錯覚させる程のスピードで走った。
 真名も撃ちつくした弾倉を取り替えつつ、遮蔽物を利用しながら高速で近づく。

(異質すぎる。学園都市の超能力者とやらでも来たのか?)

 超能力者の名前は聞くが、真名自身はその手の輩と戦ったことは無い。世界中にいる魔法使いの数が約七千万人に対し、超能力者は二百万にも満たず、またそのほとんどは戦闘に耐えられる代物ではないらしい。それを考えれば戦闘経験が無いのは仕方の無いことだ。
 この麻帆良では感じなれた魔法。それとは違う異質なナニかが周囲にある。真名の推論は未知の超能力の可能性を考えていた。

「刹那! 奴は超能力者かもしれん、注意してくれ」
「判った! 」

 刹那の判断も速かった。その言葉を聞くなり人間相手への手加減の一切をやめ、自らが込められる最大の一撃を放とうと大きく振りかぶった。
 走りながら見た人影は黒いコートを着た人間。口元まで覆うコートと頭を隠すフードで顔は見えないが、おそらく肩幅から察すれば男だろう……と見える。

「何者だ、答えろ! さもないと……斬る!」

 刹那の誰何には無言。コート男は右足を引き、迎撃の態勢をとる。

「御免!」

 心にも無いことをコート男に叫びつつ、刀に気を込める。刀身に紫電が走る。

「神鳴流奥義、雷――」

 ガァン、という一つの銃声の後、握っていたはずの刀の感触が消える。
 いつ手にしたのか、コート男は拳銃を持っている。
 刹那の視界の端には宙を舞う刀が見える、また刀の柄尻にはくぼみがいくつかあった。

(まさか、今の一瞬で)

 神鳴流に飛び道具は効かない、という言葉がある。それはまったくの間違いではなく、飛び道具を使う際の体の動きを見て、かわすなり、飛び道具を切るなりしてるからだ。
 だが、今の攻撃には起点が一切なく、刹那はコート男のモーションがさっぱりわからなかった。
 刀を失いはしても、相手とは指呼の間。無手であろうと神鳴流は扱える、と切り替え、刹那は体を低くしつつ敵の懐に入ろうとした。
 そんな刹那の目先には縦長の缶が浮いていた。

「なっ! まさか」

 その正体に気付いた刹那は急いで目をつぶり、耳を手で覆った。それは閃光弾。
 爆音とともに周囲に閃光が指した。マグネシウムの放つ光が三秒程、こうこうと森を照らした。
 刹那は至近距離での衝撃を緩和させるため、地に伏せ、頭を地面にこすりつけ、口を開けた状態で衝撃に耐えた。
 遠くから見ていた真名も対処はしたものの、魔眼を切り替えそこない、すくなからず目を焼かれた。
 先ほどのコート男が手をかざした途端、手の中に拳銃が現れ反動も何も無いかの用に連射をしたのだ。銃身には射撃後の跳ね上りが一切なかった。単発式のはずのリボルバーを、銃声が一回しか聞こえない速度で引き金を引くという、自分でも出来ない芸当を目に呆けてしまったのだ。
 二人が戦闘へ復帰できるまでにかかった時間はおよそ数秒。だがその時には周囲に人影があらず、さらに真名の魔眼が回復した時にはその痕跡すら終えなくなっていた。





(な、な、な、何なんだよ、あれは!!)

 ドクンドクンと脈打つ鼓動が耳に響きながらも、千雨は走るのをやめなかった。できるだけ暗闇を走りながら、周囲を無造作に電子攪拌(スナーク)し、自分の痕跡をできるだけ消していく。

(魔法ってのはあんなにスゴイのか? 超人万博でも始める気かよ)



 寮を出た千雨は、自分の痕跡を消しつつ、できるだけ慎重に学園内を探索していった。自分の持つ電子干渉を知られるわけにはいかないし、もしかしたら相手はそれを探知できるかもしれないと思い、慎重に事を進めたのだった。
 ウフコックに暗視スコープに反転(ターン)してもらい、学園都市で見せられたスニーキングのビデオの動きを自分にシュミレートさせながら進む。
 今のウフコックは感情の匂いを嗅ぎわける事はできないが、硝煙程度の匂いを追うのはたやすい。
 そんな折に真名と刹那を見つけたのだ。
 最初は鬼の形をした式神にビックリしていた。

(すげぇな。倒すと紙に戻るとか漫画みてぇだ)
<おおよそ不可解極まりものだな>

 スコープの倍率を上げて見える映像には、バッサバッサと切られる鬼の姿が映る。
 しかも、切っている刀の方からは、何やら光やらビームやらが出ており、そのド派手な殺陣シーンに千雨は関心していた。

(それにしても、まさかクラスメイトが魔法使いとはなぁ)

 真名と刹那の名前までは思い出せなかったが、見覚えのある容姿に驚く千雨だった。
 その後、鬼達の数が少なくなると、このままでは魔法の情報が集まらない、と業を煮やした千雨が知覚領域を限定的に伸ばした所で相手に気付かれたのだ。
 一キロも離れた場所から見ていたはずなのに、伸ばした領域をあっという間に見破られただけではなく、胴元である自分までもあっさり見つけ、追撃の体制に入ったのだ。
 その時の千雨はパニックの連続だった。顔がスッポリと隠れ、その姿が見えないだけはるかにマシだったが、コートの中では奇声を上げる千雨と、その千雨の奇声の振動を吸収しつつも落ち着かせようとするウフコックの戦いが早くもはじまっていた。
 空を飛ぶような速さで走りよってくる刹那の姿は、千雨にとって恐怖の対象にしかならず、ときおり聞こえる銃声もパニックを助長させていた。
 この数ヶ月血なまぐさい思いもしたし、自らの手も汚した千雨だが、ロジカルな性質なせいか想定外の斜め上をいく状況に容易く混乱したのだ。
 頭に直接流れるウフコックの指示に従い、万能兵器たる彼自身を電子干渉し、すばやく反転(ターン)させる。
 潤む肉眼の視界を切り捨て、広げた知覚領域の中で相手の位置を確認した。頭に響くウフコックの指示を正確にこなし続けた。
 涙を流しつつも追撃を退けられたのは奇跡に近かった。ほとんどがウフコックのお手柄だったりするのだが……。


(もう嫌だ。帰りたい。帰って風呂入って寝たい)

 滲む涙をコートの裾で拭いつつ、千雨は走り続ける。
 千雨にとっての魔法使いのイメージは、学園都市にいた超能力者達が基準だった。
 だが、蓋を開いたらどうだろう。刀からビームは出るわ、すごい速さで走るわ、学園都市内でも一部の能力者しか感知できなかった自分の知覚領域を感知するわ。転校初日の疲労と、カルチャーショックが交じり合い、千雨の心はほぼ折れていた。
 涙を流しつつ、鼻水ダラダラの千雨にかける言葉が見つからず、ウフコックは黙って千雨のグチを効き続けるのだった。

 こうして長谷川千雨の麻帆良学園の転校初日は過ぎていった。



 つづく。





あとがき

ここまで読んでいただきありがとうございます。
わからない人のために補足すると、千雨の魔改造クロス元は「マルドゥック・スクランブル」という作品です。
他にも「とある魔術の禁書目録」も今のところクロスしています。
後者に関しては、千雨魔改造の有名サイトにて掲載されてるんで、なんとか差別化できたら……とビクビクしています。
ご感想、お待ちしています。

追記 8/14
いくつかの誤字や、不自然なシーンを修正。



[21114] 第2話「切欠」 第一章<AKIRA編>
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2010/09/18 00:14
 いつの頃だったろう。
 幼い千雨は泣いていた。
 あれは何? どうしてこうなるの? なぜ?
 子供が物事に疑問を持つことは必然で、千雨も決して例外では無い。
 それに両親は真摯に答え続けた。だが大人とてその疑問全てに解が持てるわけではない。

「どうして空は青いの?」「青いからだよ」

 何気ない受け答え。あるがままをあるがままにしておく事に、幼い千雨は我慢ができない。

「おかしいよね?」

 千雨の一言に同い年の子供達は首を横に振る。

「おかしいのは千雨ちゃんだよ」

 そうなのか……おかしいのは自分なのか……。千雨の心に小さなトゲが刺さった瞬間だった。
 目の前にある異常に対し、驚くことが変だと言われた。
 子供は残酷だ。思ったことを素直に口に出す。
 千雨の疑問は他者にとっての必然であり、千雨の常識は他者にとっては異質であった。
 麻帆良においてそれは顕著であった。
 千雨が泣いていても、何故泣いているのか周りは判らないのだ。
 世界樹は少女に対し呪いを振りまいていた。
 涙が視界を滲ませ、頬を伝う雫は一緒に色をも失わせる。
 千雨にとって麻帆良は灰色で、孤独で、寂しい場所だった。
 モノクロの世界が千雨を待っていた。


 そんな千雨に少女が手がさし伸ばす。

「何で泣いてるのか、私にはわからないよ」
「う……うあぁぁ、うぁぁぁぁ」

 少女の言葉に千雨の嗚咽は一層酷くなる。

「だから、一緒に考えてあげる。わたしがんばるよ、ね」
「え……」

 首をかしげながらニコリと笑う少女。差し出された手はまだ千雨の目の前にあった。

「ほら、立ってちーちゃん。そのままじゃ汚れちゃうよ」

 少女は千雨の手を強引に握る。

「う、うん。――ちゃん」

 少女の顔は逆光でおぼろげにしか見えない。短い黒髪に、柔らかな瞳。
 グイ、と腕を引っ張られ千雨は立ち上がる。
 気付いた時、千雨は木漏れ日の中に立っていた。鮮やかな緑が視界を覆う。

「ちーちゃん、早く、早く!」
「ちょっと待ってよ――ちゃんっ!」

 少女は走り出す。繋がれた手はそのまま。色が流れる。赤い花、黄色い花、ピンクの花。土と草の匂い。息を弾ませ千雨は走る。色の奔流が網膜を貫いた。
 雲ひとつ無い快晴。
 空はどこまでも青く、それは千雨にとっての救いだった。







   千雨の世界 第一章<AKIRA編> 第2話「切欠」







 千雨が転校して五日が経った。
 熱しやすく冷めやすい……そんなクラスかと思っていたが、どうやらそれは千雨の勘違いなようだ。
 『熱しやすい』のではなく元々『熱かった』。ただそれだけだった。
 クラスの中での外様状態はなんとか脱しつつあるが、気を使ってるのか使ってないのか、放課後になる度に千雨は様々なクラスメイトに引きずられていった。

「いい加減にしてくれ! 」

 と言うのが千雨の本来のリアクションなのだが、いかんせん初日の事を引きずり、言うがまま為すがまま状態でホイホイと付いて行ってしまう。
 そのおかげで、三年前には縁の無かった女子中等部の施設やら地理やらを実地で知ることができたのは僥倖だった。
 なぜなら、千雨は初日以降いまだ能力を使っていなかったからだ。本来であれば校舎内に落ちているシャーペン芯の数すら平然と数えられる千雨だったが、能力無しとなるとマンモス校舎内では容易に迷子になる事ができた。
 ビビリにビビった千雨は、「学園をさぐるため」という自分を納得させるための取って付けた理由で能力を封印している。
 現実逃避をしながらも、内心は焦燥にかられていた。
 千雨の当初のスケジュールとしては、今回の依頼をさっさとこなし、一週間程度で麻帆良を去るつもりだった。自分の力と、先生ことウフコックの力があれば楽勝……という算段はあながち間違いではなかったが、なまじ凄すぎる知覚能力と、対象の情報の少なさが当初の最適解を見失わせた。一番の原因は千雨のビビリ加減だったりするのだが……。




 そんなこんなで、金曜の最後の授業。転校後、最初の一週間をなんとかこなした千雨だった。
 今週最後の授業が終わり、このまま土日の休日が待つだけとなった二年A組のクラスはいつも以上の活気に溢れている。

(いい加減、覚悟を決めないとな)

 初日の状況から物事を判断するのは早計すぎる。これは千雨自身が繰り返し考えた結果だった。
 本当に魔法使いは自分の知覚領域を察知できるのか。魔法使いはあのような超人達ばかりなのか。
 少ない情報から得られる結果は不安要素が多すぎた。
 それとて判りながらも、実行に移せないのが千雨である。
 夜になる度、『明日やろう』『明日こそ』と呟きつつ、トラックボールを転がしネットの海を遊覧し続けた五日間。ウフコックとて慰めたり、叱咤したりと様々な行動を起こすものの、千雨の心底怯えた瞳を見ると矛を収めてしまう。
 荒事に向かない千雨を引っ張り込んだのは自分とドクターだ、という負い目がウフコックの切れ味を鈍くさせていた。





 高畑がホームルームを終えて教室を出た途端、室内の喧騒は一気に爆発する。
 ワイワイガヤガヤと土日の予定を話し合ったり、部活の予定を確認したりしている。
 そんな中、千雨は無言でそそくさと帰宅の準備をしていた。カバンを持ってさぁ行くぞ、という時に制服の裾が引っ張られた。
 振り向けば、隣の席の綾瀬夕映がじっと千雨を見ている。手には『すき焼きプリン』なる常軌を逸した飲料が握られていた。小さな体躯に反し、床につこうかと言う長い髪。さらにはチョコチョコと動く独特の仕草が、小動物を思い出させる少女だ。

「長谷川さん、これから予定はありますか?」

 またか……、とここ数日のお決まり展開をかみ締めつつ、千雨は正直に首を横に振る。

「そうですか、それは良かったデス」

 微妙な語尾のイントネーションを残しつつ、ニタリと笑う夕映に、千雨はちょっと怯える。二人の話を聞いていたのか、千雨の前の席の近衛木乃香も話に加わってくる。

「ゆえ~、長谷川さんも誘うの?」
「えぇ、そのつもりデス。長谷川さんは以前麻帆良に住んでいたんデスよね? 図書館島はご存知デスか」
「あぁ。あのバカでかい図書館だろ。昔は本に興味なかったからな、行った事ないけど覚えてるぜ」

 図書館島。フランスのモン・サン・ミッシェルを彷彿とさせる巨大な建築物で、島がまるごと図書館になっているトンデモ施設だ。国会図書館をも越え、世界一の蔵書量を誇る……という名目にも関わらず、それ目当ての観光客がほとんど来ない所でもあったりする。最近になりやっとその意味が理解できた千雨としては、あまり関わりたくない場所だ。

「私達は今日、そこへ探検に行こうと思うです。ぜひ長谷川さんにも参加してほしいのですが、どうでしょうか?」
「は? 図書館で探検?」
「そうです。ぜひ」

 千雨としては今日はさっさと家に帰り、夜の調査行動のため、心身ともにコンディションを整えたかった。(もちろん調査に中止はありえる。)
 そんな逃げの論理は、後ろにいる天然にはお構いなしである。

「それはえぇなぁ~。なぁ、長谷川さん一緒に行こう、行こう~」
「ちょ、あ、おい!」

 問いかけつつも、有無を聞かずに千雨の腕を抱え引っ張り始める木乃香。おっとりとした関西弁に、日本人形のような艶やかな長髪を持つ木乃香に、千雨は大和撫子という言葉を思い出す。
 木乃香にズルズルと引っ張られる際、首の後ろがチリチリした。

(先生、なんかおかしくないか)
<ん……、これは……怒りの臭い? 嫉妬か? すまん、以前のようにはいかないようだ>
(あぁ、いいって別に。そこまで気にしてるわけじゃないし)

 木乃香に引きずられる千雨。その後ろからトコトコと付いて来る夕映、さらには同じ部活であるらしい宮崎のどかと早乙女ハルナを加え、千雨一行は図書館島に向かった。








「刹那落ち着け」
「なんだ真名。私は落ちついてるぞ」
「……そうか」

 刹那のその答えに、真名は内心ため息を突いた。
 千雨と木乃香がピッタリとくっ付く様を見た刹那は、持っていたカバンの取っ手を粉々に潰していた。
 殺気と羨望……と殺気と殺気と殺気が混ざった目線で千雨を見つめる刹那。近衛木乃香の幼馴染であり、本来その警護をも受け持つ刹那は、なぜか木乃香と距離を置いていた。その上、他人が木乃香と仲良くする度にこの状態になるのだから困る。
 その上先日の侵入者の件もある。コート男を取り逃がしてから、刹那の機嫌が治る兆しは無い。奴の行方は未だに判らず、潜伏しているのか、逃げ出したのかも判然としないらしい。だが、真名自身としては厄介そうなヤツから生き延びた上で、報酬も貰えて文句無しだ。妙な好奇心が命を擦り減らすのは戦場で幾度も学んだ。

(それにしても、さっさと正直になればいいのだがな)

 直接話して貰ったことはないが、魔眼持ちである真名には刹那の悩みを正確に見抜いていた。個人的には「この程度の問題」という気持ちだが、本人自身にしてみれば大きい問題なんだろう。わざわざそこを抉ってけし掛ける程、お人好しでも幼稚でもない。
 とりあえず友人として、刹那の再起動に手を貸すべく、少し強めに刹那の背中を叩いた。

「ほら刹那。今日は部活に顔を出すのだろう、こんな所で呆けてて良いのか?」
「あ、あぁ。そうだった。すまない真名」

 取っての壊れたカバンを小脇に抱え、竹刀袋を背負った刹那は部活に向かう。

「さっさと解決してもらいたいものだな」

 ルームメイトとしても、仕事仲間としても、また友人としても切実な問題だと思う真名だった。







 部活先へ向かう際、大河内アキラは背後の喧騒に振り返った。長いポニーテールが揺らぐ。。

(千雨ちゃん。に木乃香と夕映達か。珍しい組み合わせだな)

 先ほど自分が出てきた教室の出入り口でギャーギャー騒いでる集団の中に、最近かなり見知った相手を見つけた。
 アキラはここ数日、千雨を引っ張りまわす裕奈達と放課後は行動をともにしていた。
 大きなメガネに地味な風貌。そして他者を寄せ付けまいと言わんばかりのぶっきら棒な千雨の態度に、当初アキラは一線を引いていた。名前を呼ぶときも「長谷川さん」と呼んでいた。
 だが、一歩引いて見ていたら意外な事を知ったのだ。千雨はぶつぶつと文句を言いつつも、裕奈やまき絵のフォローをしていた。転びそうなら腕を引き、落としたりぶつけた物はそっと元の場所に置く。何気ないながらも、さも当たり前のようにこなすのだ。

 アキラに明石裕奈や佐々木まき絵、和泉亜子と言った面子に共通点が多い。全員が運動部に所属し、なおかつルームメイトである。アキラは裕奈と、まき絵は亜子と寮では同室だ。そのせいもあり四人はいつの間にやら一緒に遊ぶ事が増えていった。
 その際になんとなく友人内の役割が出来上がっていた。みんなをグイグイ引っ張る元気な裕奈、場を盛り上げるまき絵に、ブレーキ役の亜子。そんな中、アキラはみんなと楽しみつつも、そっとフォローをする事が多い。性分なのか、その手の事に苦痛を感じる事はほとんど無かった。またアキラ以外の三人も、アキラの優しさや気遣いには感謝をしており、四人の仲を一層深めていたりする。
 なので千雨にアキラは親近感を持っていた。そして、何度か千雨と行動を共にするうち、いつしか裕奈やまき絵の気さくな呼びかけに便乗し、アキラは千雨を「千雨ちゃん」と呼ぶようにもなっている。

 木乃香やハルナに押されて階段へ消えた千雨を見つつ、アキラはあっと思い出す。カバンを開け、新品のハンカチを出した。
「渡しそびれちゃったな……」




 それは昨日。普段なら寄りつきもしない、学園内の展示室や資料館などを千雨に案内していた時だった。アキラはともかく、裕奈やまき絵といった面子的にも元来縁の無い場所なのだが、仲間内で変なテンションを維持したまま、その勢いで来てしまったのだ。

「うおおお、なんだこれ! はにわか、はにわなのか! まき絵見てごらんよ!」
「キャハハハ! 面白ーい! 絶対これ笑い顔だよ!」

 裕奈とまき絵は『お静かに』の表示に目もくれず、ガラスケースを縫うように走り、その度に笑い転げている。後ろでは監視員が厳しい目を向けていた。さすがに放っておけず、おろおろとしながらアキラは口を開く。

「みんな、もうちょっと――」
「おい、お前ら。もう少し静かにしないと怒られるぞ」

 アキラのつぶやく様な言葉ににかぶさり、千雨の稟とした声が耳朶を打つ。

「「うぅ、ごめーん」」

 へこむまき絵と裕奈。後ろでは亜子が苦笑いをしている。
 アキラはそっと千雨に近づいた。

「その、ありがと」
「はぁ? 何言ってるんだ」

 顔を赤くしつつプイとそっぽを向く千雨に、アキラはちょっと嬉しくなった。
 そんな折、アキラの視界に何か光るものが見えたのだ。声のトーンを落としつつも、キャイキャイ騒ぐ友人達からそっと抜け出し、”ソレ”に近づく。
 室内の中央に置かれた小休憩用のベンチ。背もたれも何もない革張りのイスの中央に、照明を反射し、ときおりチラチラと光る物体があった。

(なんだろ、これ)

 手のひらに丁度乗るようなサイズの三角形の石。つた模様の装飾も施されている。

(さっき似たようなものを見たような)

 先ほど通りがかりに見たガラスケースの中身を思い出す。

(そうだ、これは鏃(やじり)だ)

 鏃をそっと持ち上げ、マジマジと見るアキラ。なんかの手違いでここに置かれたのだろうか。係員に渡そう、と思った時アキラに丁度声がかかった。

「おーい、アキラどったの?」
「あ、裕奈。今そこにこれが落ちてて……痛っ!」

 かけれた声に振り向き、鏃を見せようとした所で手のひらに熱が走った。痛みのあまり鏃を落としてしまう。
 見れば手のひらがざっくり切れて、血がしたたり落ちていた。

「にゃにゃにゃっっ!」
「あわわわ、たたたた大変だ~~~!」
「ちょっとどけ!」

 慌てる裕奈とまき絵を押しのけ、千雨はアキラの腕を握った。

「うわ、こいつは深いな。とりあえずコレでも巻いておけ」

 血で汚れるのも構わず、千雨はハンカチを取り出すとアキラの手のひらをそれで縛った。そのままアキラを引っ張り、係員に聞いた水場まで連れて行かれる。

「とりあえず軽く洗い落としたら保健室まで行こう」
「う、うん。ありがとう」

 千雨の迅速な対応に呆けながらもなんとか返事は返した。ハンカチを取り、ジャブジャブと水で洗い流すと不思議な事が起きる。

「あれ?」
「どうなってやがるんだ」

 傷口が無かった。水場まで滴った血の跡はあるし、千雨に巻いてもらったハンカチにもベッタリと血がついている。なのに傷が見つからないのだ。

「もう止まっちまったのか。まぁとりあえず一通り洗ったら保健室にいこうぜ」
「うん……」

 後ろからは追いかけてきた三人の心配する声が聞こえる。
 その後、アキラ達は保健室に行き治療を受けた。保険医も傷がないのを不思議に思ったが、巻かれたハンカチを見て、とりあえず消毒だけでも……ときれいに消毒をし包帯を巻いた。
 アキラの右手に包帯が巻き終わるのを見て、血だらけになったハンカチを無造作にポケットに突っ込もうとする千雨に声がかかる。

「あ、待って」
「あん、どうした」
「そ、そのハンカチ。洗って返すよ」
「いや別にいいよ。安物だし」
「ううん! 洗う! 洗いたい!」

 アキラの剣幕に、千雨は一歩引く。その隙にハンカチを強奪するアキラ。

「いや~、なんかラブコメみたいだねぇ」
「女同士じゃなきゃ完全に少女漫画だよねーーっ」
「アキラ、大胆……」

 裕奈やまき絵、亜子の野次にアキラの顔が沸騰する。

「あ、いや、その……あぁぁぁぁぁ~~~~~」

 アキラの悲鳴が保健室に木霊した。






 自室に帰ったアキラはハンカチを洗うも、血はなかなか落ちず、いくらやっても綺麗にはならなかった。

「ど、どうしよ~~」

 時間は七時半。頑張ればまだ閉店まで間に合う。
 麻帆良は巨大な学園都市のため、様々な店舗があるが、学生中心のため閉店は早かった。
 寮監に見つからないよう、同室の裕奈に協力してもらいつつ、夜の街を走り、閉店準備中の店に滑り込みハンカチを買いに行った。
 同じ寮内なら今渡せばいいじゃない。との裕奈の声もあったのだが、なんだか夜にわざわざハンカチを渡しに行くのも迷惑な気がしてやめたのだった。
 明日学校で渡せばいいや、と思ったものの、気付いたら放課後。裕奈達に付き合いすぎて今週は部活に顔出せずにいたので、さすがに追いかけるわけにもいかない。

「寮に帰ってから渡せばいいか」

 ハンカチをカバンに仕舞いなおし、アキラは部活へと向かった。






「うげ、マジかよ」

 『探検』なんておおげさな……なんて言葉はあわくも崩れ去った。
 図書館探検部なる四人に連れられ、千雨は図書館島に来ている。
 小さい頃から遠めに建物を見ていたが、興味も少なく面倒で、麻帆良に住んでた時は来る機会が無かったのだ。実際どれだけの蔵書量を誇ろうと、初等部の校舎内の図書室はかなりのラインナップを誇ってたし、家の近場に書店も多かった。ついぞ千雨には無縁の場所だったのだ。
 図書館島へ続く長い橋を渡り終え、巨大すぎる正面ゲートを進んで見た光景は、まさにファンタジーそのものである。
 書架、書架、書架。空中を縦横無尽に走る手すりの付いた回廊には本棚が並び、壁一面に本が並んでるような錯覚を思わせる。本の森の中には木々が立ち並び、室内にも関わらず、木漏れ日が淡いコントラストを作っていた。天井はマンションの十階分ぐらいに達しようとしている。巨大なガラス窓からの光が周囲を照らし出す光景は、教会のような壮言さを感じさせている。
 千雨の耳に、図書館には似つかわしくない水音が聞こえた。。
 目の前にある広場の隅から手すり越しに下を見てみると、これまた深い。本棚が立体的に配置され、その隙間を水が流れていた。ふと千雨の脳内に某天空の城なアニメ映画が浮かぶ。

「つか、本に水気は厳禁だろ!」

 千雨の突っ込みに合いの手を入れる者は居らず、図書館四人組は笑いながら千雨をさらに奥へ奥へと引っ張っていった。

(先生、どう思う?)
<言わずもがな、だな。真っ当な技術力と感性じゃ作れない施設だろう>

 奥へと進みつつ、その幻想的の光景の数々に千雨は目を白黒させる。それを図書館四人組はニヤニヤしなが見続けた。

「良いリアクションデスね。誘ったかいがありましたデス」
「いや~~、長谷川さん、いや親愛を込めて千雨ちゃんと呼ばせて貰おう。千雨ちゃんがこんなに面白い……ゲフゲフ、かわいい子だとは思わなかったよ」
「パル、本音が出てますよ」

 パルこと早乙女ハルナは溢れんばかりの笑みを維持し、千雨のリアクションを堪能している。
 だが、千雨の耳にはそんなハルナの言葉は届かない。目の前の光景に見惚れているのだ。
 光と自然の美しい風景の隙間から、縫うように人工物が突き出ている、それが千雨の感想だった。
 欧風の装飾は行った事もないヨーロッパのフィレンツェを思い出す。テーマパークで使われるスカスカとしたハリボテと違い、そこには重みがあった。
 だが、ふと慣れてしまうと、別のものも見えてくる。その”異常さ”。ここに来てさんざん再認識した事が思い出される。千雨にかけられた呪いは心を重く縛った。
 千雨はあえて異常さを指摘せず、ただ疑問を投げかけた。

「なぁ、さっきから水がそこらかしこに見えるんだが、本の状態は大丈夫なのか」
「はわ! えーとですね、大丈夫なんですっ」

 目元を前髪で隠した宮崎のどかは、しどろもどろながらもハッキリと言い切る。

「丁度良かったです。この通路を抜けると良いものが見えますよ」

 先頭をいく夕映の声に、千雨はアーチがかかった通路の先を見る。
 涼しい風が顔にかかる。ふと伊達メガネに雫が付いた。

「これが図書館島の人気スポット! 北端大絶壁デスぅ!」

 どどどどど、と激しい水音が耳朶を打つ。綺麗に一列にならんだ書架の山。その上から大量の水が落ち、壮言な大瀑布を作り出していた。

「うわぁ」

 思わず吐息が漏れる。

「でわでわ、長谷川さんの疑問にお答えしましょうか」
「え!?」

 自分から質問しておきながら、美しすぎる光景のおかげですっかり忘れてた千雨だった。
 夕映はトコトコと滝に近づく。書架の壁に沿うように作られた回廊だが、一部はそこに近づけるように出来ていた。手すりにしっかりと掴まりながら、夕映は手を伸ばし、水しぶきを浴び続ける本棚から一冊の本を取り出した。

「見てください、長谷川さん」

 そっと差し出されたハードカバーの本はズブ濡れだ。だが夕映が軽く本を振ると、綺麗に水が飛び、ピカピカの本が現れる。

「はぁぁぁぁぁ????」

 出来の良い手品のようだが、そんな素振りは一切無かった。

「中も良く見てみるといいデスよ」

 渡された本をペラペラとめくるが、そこに水の染みは一切無い。肌触りを見る限り、普通の本とも一切変わりが無かった。

<千雨!>
(あぁ、判ってる)

 ビビリの千雨と言えど、これを見せられてはそのまま帰れない。五日ぶりに能力を発動させた。知覚領域を手元の本のみに移し、解析を行う。
 熱や成分、ありとあらゆる数値が正常をあらわした。ただ電磁波に多少のゆらぎが合った。それ以外はなんら代わりの無い、ただの本だ。

(おそらくビンゴだぜ先生っ! これが『魔法』だ!)
<そうだろうな。むしろ魔法じゃ無ければ、無理がありすぎる>

 目を見開く千雨。そのあまりの驚きように、夕映の目はキュピーンと輝いていた。

「そりゃ驚くよね~。だって普通の本にしか見えないもんね」
「ウチも最初見たときはビックリしたもんな~」
「はうはう。ただこの本の加工技術に関しては秘匿されてて、施設側も明かしてくれないんですよ」

 千雨の驚きように満足しつつ、図書館組は補足した。

「うちの部活では麻帆良工大が開発した新技術って説が一番有力かな。ほら、あそこって何でもありだし」
「これだけの水量を誇りながらも、図書館内ではコケすら生えないのがいい例デスね。定期的に清掃するにしろ時間がかかりすぎデス。おそらく何かしらの新技術が使われてるのでしょう」

 ハルナと夕映が推論を語るも、千雨は耳から耳へきれいにスルーだ。

「長谷川さん、聞いているデスか?」
「ん、あぁ。聞いてるぜ、聞いてる」
「ふっふっふ。大丈夫デス。そんな驚く長谷川さんに朗報があります。見て貰った通り、この図書館は謎につつまれているのデス。ですが! ですがっ!」

 トークに熱くなり、夕映は飲み終えたであろう紙パックを握りつぶした。ちなみに飲み物の名前は「あんみつ餃子」だ。

「その未知! 未解明! の謎を解くのが我ら『図書館探検部』なのデス! 長谷川さんに案内したのは表層の表層。この程度の場所で借りれるのはそこらへんの品揃えのいい本屋で売っています。」
「え? え?」

 夕映は千雨にズズイと顔を近づき語り続ける。

「私達は長谷川さんを面白い逸材であると思っているデス。ぜひに図書館探検部に入部をっ!」
「おっと、まだ返事はしなくていいよ~。探検はこれからだからねぇ」

 ハルナの声に、千雨は答えた。

「いや入部するもしないも、わたしは……」
「いいフォローですハルナ」

 ズビシッ!とサムズアップで返す夕映とハルナ。

「まだ長谷川さんはここの魅力に取り付かれてないようデスね。安心してください。明日は学校がお休みです。今夜は思う存分図書館島の魅力をお見せしましょう」
「こ、今夜?」
「えぇ、そうです。夕食後にお迎えに行くので準備をしていてくださいね。あ、準備と言っても装備はこちらで用意しておきますからご安心を!」
「そ、装備?」

 相変わらずのテンションの高さについていけない千雨。そんな千雨に関係なく、話はどんどん進んでいく。

「夕映、部屋に戻ったら大忙しだね!」
「ゴールデンウィークは帰省してたし、久しぶりやな~」
「むふふー、こんなこともあろうかと、この前新品のライト、買っておいたんだよね~」

 目の前の喧騒に辟易する。

(こっちに戻ってきてからこんなんばっかだ)
<だが、悪くは無いだろ。少しくらいはかまわんじゃないか>
(少しくらいは……か)

 相棒の言葉を反すうする。千雨にはやらねばならない事がある。だがそれに反して千雨の口元が僅かに上がる。
 少し、楽しみになってきた。







































 麻帆良大学前駅に一人の男が降り立った。
 五月も半ばとなり、強い日差しもあいまって、半そでの者もちらほらと見える。
 なのに男はビッシリと厚着を着込んでいる。学ランにも見える裾長襟詰めのコートに、アクセサリーをジャラジャラと付け、古き学帽にも似た円筒形の帽子を目深にかぶっている。そんなナリをしながらも、服の色は頭から下まで真っ白だ。
 百九十を越すであろう長身。筋肉質な体をしているのに、その実スリムな体型だ。

「人が多すぎる都市だ」

 活気に満ち溢れ、そこらかしこから喧騒が聞こえる。まるで祭りを見ている気分だが、ここではそれが日常なのだな、と資料を思い出しながら結論づけた。
 彫りの深い顔立ち、そこにあるのは強い意志を潜める瞳だ。その瞳が周囲を一望した後、伏せられる。

「ジジイめ、やっかいなものを持ち込んでくれたもんだ」

 帽子のつばで顔を隠しつつ、片手にぶら下がっていたトランクを地面に下ろす。
 懐を探り、取り出したのは幾枚かの書類や地図、そして写真だった。
 今は懐かしいポラロイド写真。そこにはおぼろげな輪郭を持つある物体と、大樹が写っていた。
 男は顔を再び上げ、視線を遠くに放った。
 遠くにそびえながらも、その巨大さが視界を覆う。
 通称『世界樹」。正式名称を「神木・蟠桃」と言う。写真に写っていた大樹に違いなかった。
 男は空を仰ぎ、ため息を吐いた。

「やれやれだぜ」

 片手に持った写真。その中の世界樹と一緒に写っているものは、矢に見えなくも無かった……。


TO BE CONTINUED...








あとがき

 というわけで続きを投稿して見ました。
 なんか冒頭がポエミーですが……。

 実は小説をしっかりと書くのが初めてで、色々間違った書式なんかもあると思いますが、やんわり指摘してくれたらありがたいです。
 一応他作品様を参考にして、投稿前にセリフ周りに一行スペースを開ける様に修正してるんですが、見辛かったりしたらご報告お願いします。

 そしてタイトルの方ですが、色々考えたのですが、従来どおり「千雨の世界」でいこうかと思います。
 第2話と銘打ってますが、ここからが実質のスタート。本当に終わらせられるかなぁ……。
 一応個人的な縛りとして、ネギまの原作沿い展開はしない、というのを目標に掲げています。そのため、おそらくですがネギは登場しません。ネギが出ない事こそがネギアンチじゃないかと思ったり。
 そんなわけで前書きのほうにも幾つか注意書きを書き足しました。


 あと、ラストの方はそっと流すと吉かもしれません。(ビクビク……
 多重クロスって書いたよね?

 ストック無しのまったり進行。頑張って続き書くので、できれば応援お願いします。

●追記2010/08/18
三点リーダーが多すぎたので削ったり、千雨の呼び方が統一されてなかったりと、色々ミスが多いので修正です。修正ばっかりで進まないー。
一応、かなり先までプロットできたので、なんとか進められそうです。



[21114] 第3話「図書館島」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2010/09/18 00:13
 千雨とウフコックは自室で夕食を取っていた。とは言ったところで、典型的な現代っ子の千雨が料理ができるはずもなく、簡素なカロリーブロックをもそもそと口に放り込み、牛乳で押し流している。
 ウフコックもネズミの姿に戻り、自分用に調整された食事をカリカリと摂取していた。
 ちなみに千雨の食べているカロリーブロック。実は学園都市謹製の最新技術により作られた一級品で、一般流通してなかったりする。そのため市場ではプレミアにより価格が高騰していた。ネットオークションに流せば一箱ウン万円というアホみたいな価格で、千雨が胃に流し込んだ分だけでも、近場の焼肉屋で『メニューの高いものから三つ』が平気でできてたりする。
 千雨達が丁度食事を取り終えた時、コツコツと控えめなノックが聞こえる。指先に付いた残りかすをぺろりと舐めつつ、千雨は玄関のドアを開けた。
「長谷川さん、準備はよろしいですか?」
 動きやすそうな私服にバックパップにヘッドライト。さらに足には編み上げのサバイバルブーツと完全装備な夕映が立っている。時間と周囲の人影を気にして、声を潜めながらの訪問だった。

「あぁ、丁度夕飯も食べ終えたところだよ」
「? ずいぶん遅い食事デスね」
「ちょ、ちょっとな、色々あって」
「太りますよ?」

 千雨の頬がヒクヒクと引きつった。




 第3話「図書館島」




 今日の放課後、図書館島を案内された千雨だったが、なんだかんだ言いつつも五時ごろには帰宅していた。今は九時を回ったくらいである。じゃあその間何やってたのか、と言うと例の本の分析だった。
 図書館島で魔法が掛けられているだろう本を数冊、千雨の能力で出来る限りの情報をサンプリングし、記憶野に保存しておいたのだ。自室に戻った後、部屋のパソコンに電子干渉(スナーク)をし、モニタにデータを出力。自らの電子干渉ネットワークを形成し、幾つかのサブノートをも並列演算させながら、ウフコックとあーだこーだと検討していたのだ。
 千雨自身、演算能力には秀でていても、物事を調べ、検討し、判断するといった事は人並みなのだ。なのでウフコックにもお知恵拝借とばかりに検討に付き合ってもらっていた。
 そして気付いたらこんな時間、と相成ったのである。

 千雨は夕映の後に付いて、寮の廊下を歩いていた。まだ九時過ぎと言うのに人影はほとんどない。
 だが、それも仕方の無いことだった。『寮』とは言うものの、それぞれの部屋にはキッチンにシャワールームが付き、部屋の出入りの際に靴を履き替えるため、廊下は土足。実質アパ-トメントに近い作りをしており、自室だけでほとんどの事が住むのだ。
 また、寮内にも簡単な小規模店舗がいくつかあり、生活品程度には困らない仕様になっていたりする。
 寮の管理人が厳しいというのもあり、夜の寮の廊下はひっそりと静まり返っていた。
 千雨自身も管理人の話を噂を聞いたが、そんなに厳しそうには見えなかった。いつも正面玄関の窓口に座っている女性である。美人なのだが未亡人だという話だ。いつも付けてるヒヨコエプロンが嫌に印象的である。
 思索にふけっていたら、いつの間にか目的の場所に着いたらしい。寮二階のサロンのバルコニーである。

「ここは女子寮に代々伝わる秘蔵の脱出スポットなのデスよ」

 バルコニーの柵、その右から三番目の柱の根元をクイと回す。そうすると柱がスポリと床から抜け、柵がドアのように開き、手すりとしての意味を無くした。
 夕映は千雨を手招きし、柵の無くなったバルコニーから下を覗かせた。

「ほら、見てください長谷川さん。実はこの下は壁の模様に隠れて見づらいのデスか、一階まで降りれるようなはしごになっているのデスよ。」
「うわ、本当だ……」

 降りる先には、先行した木乃香達三人が手を振っていた。

「さぁ、行きましょう、長谷川さん!」
「お、おう」

 ちなみに夕映達は完全な脱出劇をした、と思ってるが実際は甘い。千雨ですら驚く技術で作られた警備システム。それが見逃すはずがない。
 管理人室に置かれたモニターには、はしごをえっちらおっちらと降りる二人の姿は鮮明に映っていた。
 あらあら、と言った風情で見守る管理人さん。時折あるこの手の違反も、麻帆良の技術を持ってすれば完全に防げるのだが、それはそれ。自分の目の前でやったり、よほどの非行に走らない限り、管理人は大体見逃しているのだ。
 それに、金曜の夜に図書館探検部が抜け出すのは例年の事である。それに、あちらには”彼”が居る。からかわれる心配はあれど、命の心配はまったく無いであろう。
 千雨達の姿はモニターにはもう映っていなかった。





 女子寮を無事脱出した(?)千雨達は、図書館島の内部へと進むべく、島の裏手にある出入り口の前に立っていた。

「ここが我ら、図書館探検部秘蔵の第七秘密入り口デス!」
「第七?」

 夕映の言葉に、千雨は首を傾げた。

「あんな~、図書館島内部への入り口はけっこうたくさんあるんよ。図書館探検部が発見できただけでも十五も見つかっとるんやで」
「だけどね、そのうちの八つは泥棒対策のダミーで、五つは表層のみへの連絡通路。実際に地下に繋がってるのは三つなんだけど、私達的にはここが一番オススメってこと!」
「あ、でもですね、歴代の部の活動記録を見ると、どうやら周期的に通路は塞がれたり開通したりしてるみたいなんですよ。なのでこの通路も実質『今のオススメ』って事になるんです……」

 三人の補足に感心する千雨。

「へ~~……って地下っ!? 地下に何しに行くんだよっ!」

 聞いてないぞ、と言わんばかりの剣幕だ、まぁ実際に聞いてないんだが。

「ふっふっふ、今更そんな事を言うデスか」
「愚問だね千雨ちゃん」
「そんなん決まってるやないか~」
「そ、それはもちろん――」



「「「「探検ですっ! 」」」」



 四人の声が重なる。

「ア、ソウデスカ」

 つまり具体的な目的は無い、と千雨は認識した。
 探検部の四人はキビキビと装備を確認し始める。ブーツの靴紐を締め直し、ヘルメットを装着し、ヘッドライトの調整を行う。ザックから取り出すはロープ。のどかは缶詰や水の数を確認している。ハルナの手元には最新型の端末がある。

「あ、あれ?」

 タッチパネル型の端末を弄っていたハルナが声を上げた。

「どうしたデスか」
「夕映~、どうしよう。なんかマップデータが開けないよ」
「またデスか」

 図書館島の地下は、ゲームのダンジョンのような場所であり、命に関わらないものの数々のトラップが行く手を塞いでいる。迷路状になった通路も、探索や冒険の大きな障害となっていた。
 そのため探索した際に得た、トラップなどのマップデータを探検部内で共有しているのだ。麻帆良工大の大学生――やっぱり探検部OB。現在は麻帆良工大図書館冒険部に所属――により作られたシステムが、それらを担っている。
 もっとも、図書館島の地下は、目の前の入り口と同じく、頻繁に中の構造が変わる。そのため毎回のデータ更新が必須なのだ。利便性が良く好評なんだが、いかんせん学生の作ったものであり、時折この様なトラブルが起こっている。
 そして、ハルナは高校生の男子部員達が三日ほど前に潜ったデータを受信したのだ。手元のディスプレイにはその内容がバグり閲覧できなくなっているのが映っている。

「どれ見せてみろよ」

 何気なく近づいた千雨は、ハルナの端末を受け取る。

(エンコードでもミスったのか。読み込む際にファイルを破損しているな)

 周囲に気付かれぬ様、千雨は電子干渉(スナーク)を発動させた。端末の記憶媒体に直接接続し、中身のプログラムそのものを精査する。思考を四百まで分割し、一気に分析する。

(プログラムの製作者は大学生か? 学生の割には良く出来てるが、こいつは端末側に負担をかけすぎだろ)

 ソースに残った断片的な残滓、そこから製作環境や製作年度を割り出し、簡易的なプロファイルを行う。以前、麻帆良工大謹製のソフトウェアに含まれていた共有ライブラリデータが幾つか見つかったのだ。

(マップデータそのものは簡単に修復可能だ。ちょっとクライアントの方をいじるか)

 そんな事を考えつつ、千雨は端末をポチポチと押す仕草をした。心配そうに見守る四人に対して口を開く。

「この程度、簡単に直せるぞ。それにちょっとソフトイジっていいか? バグらないようにしてやるよ」
「え、本当に? それにそんな事も出きるの?」
「まぁな、時間はかけないよ」

 なにせ、千雨は無線状態で精密機器を直接ジャックできるのだ。端末の記憶媒体とパネルに接続し、演算を全て自分経由にした。この程度の事なら、手も触れずに一秒もかからず処理できる千雨だが、それは不審すぎるだろうと思い、ダミー情報をパネル表示させた。自らに干渉し、高速でデータ改ざんをしているように演技させる。
 片手でタッチパネルを弄る千雨。高速で動かす指の先では、見るからに『デジタル』といったわざとらしい画面が、上から下へとアルファベットの羅列を流した。

「おぉ! 」
「よくわからないデスがすごいです」
「長谷川さんはパソコン得意なんか~」
「め、目が回りそうだね」

 ソースコードのように見えて、実際は暗号アルゴリズムで変換した千雨自作のポエムなのは内緒だ。バックグラウンドではとっくにマップファイルの修復と、クライアントソフトの改良が終わっている。
 変な罪悪感に苛まれながらも、一、二分ほどこの状況に耐えた。指が疲れ、演技が面倒くさくなったあたりでやめ、ハルナに端末を返す。

「ほらよ」
「ありがとう、千雨ちゃん! おぉ、直ってるし! しかも、ソフトも使いやすくなってるー!」

 ペタペタとタッチパネルを弄りながら、興奮するハルナ。

(おおげさだなぁ)
<いや、一般人から見たら驚くべき所業だろう。最近ズレてきたな千雨>

 辛辣極まりないウフコックのツッコミに、思わずORZフォームを取りそうになる千雨だった。







 地上にある図書館島の一般階層を見たときも驚いた千雨だったが、地下も負けず劣らずのトンデモぶりだった。
 本棚だらけの開けた空間。時折街頭のような物が設置され、窓が一切無いにもかかわらず、それなりに明るい。水が流れる隙間を縫い、地面から生えるように立つ巨大な書架。そのの上を千雨は歩いている。
 歩きつつ、千雨は内心で呟く。

(ど、どんだけ広いんだよぉ!)

 ポツポツと周囲を照らす光が、見れば目線の先にどこまでも広がっている。東京ドーム○個分なんて例えがあるが、見える範囲だけでも二、三個は入りそうな感じだ。
 さらに天井もとんでもない事になっている。『秘蔵の第七秘密入り口』とやらを入った後、十数分ほど続いたのはひたすらに階段を降りる事だった。降りに降りに降りて、たどり着いたのがこの図書館島、地下”一階”だそうだ。
 地下一階を銘打ちつつも、天井は高すぎて見えないのだ。ヘッドライト程度では見えない高さらしい。

「長谷川さん、私達からはぐれないように気をつけてくださいね」
「お、おう」

 端末でマップデータを確認しつつ、細心の注意を持って先行する夕映とハルナ。その背中を追い、千雨はおっかなびっくりに歩を進める。そんな千雨のさらに後ろには木乃香とのどかが付いていた。図書館島初心者の千雨のために、後ろから見守っているのだ。
 本棚の天板を通路として歩きつつ進むのは、物を大事にしてないようで罪悪感を感じる千雨だが、実際のところ周囲にはそこ以外に進めるような場所がないとのこと。一見安全そうな書架の間の通路も、トラップが盛りだくさんらしい。

「いやー、千雨ちゃんのイジったこのソフト、調子いいね。それに先輩達のデータも今のところ大丈夫みたい。変更されたトラップも通路もないみたいだしね」
「油断は禁物デス。ありえない事が起こるのが図書館島デスから」

 夕映がハルナを諌めた。

「ともかく、今日はこのまま進んで、地下三階の第二百八十二図書室を目指します。個人的にもあそこは珍しい自販機もあり、好きデス」
「あ、あそこは探検部でも行き着けの場所で、快適なスペースになってるんですっ」
「へぇ~」

 のどかの補足に頷きつつ、『第二百八十二』という桁数はスルーする。ツッコむのが面倒なのだ。
 千雨は周囲を見渡す。図書館島の地下は人の気配が無く、しんとしていた。にもかかわらず、施設としての設備はしっかりとしており、整備も行き届いているのだ。本や本棚をオモチャのように並べつつ、そこらかしこにトラップを仕掛ける。なのに荒廃していないあたりが凄すぎる。
 視認できない巨大さを考えると、費用はとんでもないものだろう。

(本当にどれくらいでかいんだか。先生、ちょっと調べてみるわ)
<気を付けろよ、千雨>

 腕時計の文字盤に写る黄色いネズミが尻尾を振った。
 それに首肯で返しつつ、千雨は知覚領域を拡大させる。周囲二十メートルに綺麗な立方体を作った後、それを下へ下へと伸ばしていった。四角柱はグングンと伸び、概算で地下十階を越えた。

(深いなぁ)

 やはりまったくの無人という訳ではないらしく、時折図書館島関係者だと思われる人を数人を確認する。だが、それと混じって、ありえないような動物の影も領域をかすっている。鱗で覆われた翼だ。そうファンタジーで見るドラゴンのような――

(まさかな)

 歩きながら首を振る千雨に、木乃香は首を傾げる。

(お、なんだこれは)

 部屋である。千雨の知覚領域が到達した先には一人の男が優雅に紅茶を飲んでいた。ぶかぶかのコートをきた美青年。だがどこか胡散臭さのようなものも滲んでいる。
 それを領域越しにマジマジと観察していた所、男は口元に近づけようとした紅茶を止めた。周囲を睥睨した後、天井を見上げ、千雨のいる方向をじっと見つめる。
 ゾクリ、と千雨に悪寒が走る。地下数百メートル先にいる男と目が合ったような気がする。男は千雨を見つめたまま、口元に笑みを作った。そして、口をパクパクと開く。





『コ・ウ・チャ・ハ・オ・ス・キ・デ・ス・カ?』







「ひぃいいいいいいい!!!??? 」

 パニックになった千雨は知覚を切る。
 突如奇声をあげた千雨に、夕映たちは驚いた。

「は、長谷川さん!」
「どったの千雨ちゃん?」
「あわわわわ、このかさぁぁん」
「だ、だいじょうぶやで。のどか」

 夕映とハルナは千雨を心配し、のどかを腰を抜かして木乃香の腕に抱きついていた。

「だだだだだだだ、大丈夫だ。ぜぜぜぜぜ全然なんともないぜ。と、とてもクールなコンディション極まりないぜ、私はなァァ!」

 涙目をしつつガクガクと震える千雨の言葉に、信憑性は皆無だ。
 夕映は、千雨が何かを幽霊などと勘違いし怯えてる、と推測した、ハルナに目線で問うと、苦笑いしつつも同じ意見のようだ。薄暗く、人気の少ない図書館島を探検する際、この手のパニックになる人はたくさんいるのだ。言うなれば非常口の無いお化け屋敷みたいなものである。この状況で出来る事は少ない。
 夕映は千雨に近づくと、震える手を取り、ギュっと掴む。

「安心してください、長谷川さん。大丈夫です。私達がいます。何も怖くないのデスよ」

 頭一つ分小さい夕映が、千雨を見上げながら言う。

「だだだ、だからへへへへ平気だと、いいい言ってるだろ」
<千雨……>

 あまりの体裁に、文字盤のネズミは肩をすくめた。

「無理しなくていいんデスよ」

 掴まれた手のひらが、さらに強く握られる。夕映の熱が千雨に伝わってきた。震えが体中からスーッと消え、潤んだ視界が明瞭に戻り始める。
 冷静さが戻り、現状を認識すると、千雨の顔が一気に紅潮する。

「あう、ああああうううう」

 千雨は目をグルグルと回し、頭から湯気を昇らせる。今度は別の意味でパニックになっていた。
 そんな千雨を、ハルナは嫌らしい視線で、木乃香とのどかは安堵したように見つめる。

「震えはどうやら止まったようデスね」
「あ、う、うん」

 手を繋いだまま問いかける夕映に、顔を頷かせて隠したまま千雨は答えた。
 夕映はハルナに先頭を頼み、千雨を引っ張る。

(こうやって手を引っ張られるなんて、いつ以来だろうな)





『ちーちゃん、早く、早く!』
『ちょっと待ってよ――ちゃんっ!』





 脳裏によぎる過去の映像。おぼろげな少女の姿が夕映と重なった。

「どうしました、長谷川さん」
「い、いやなんでもねぇ」

 千雨の視線に振り向く夕映。
 ふと、二人の足元が消えた。


「「え?」」


 真下には穴。円柱状の穴が千雨と夕映を大口を開けて飲み込む。

「「キャァァァァァーーー!!」」

 二人が落ちると、穴は綺麗に消えた。残るは悲鳴の残響のみ。
 ハルナと木乃香とのどかは突然の事態に呆然とし、口をあんぐりと開け固まった。

「「「た、大変だぁーーーーー!」」」

 ハルナ達は焦り、走り回ったり、地面を叩いたり、二人を大声で呼んだりするも結果は何も変わらず。最終手段として図書館探検部レスキュー隊への緊急コールボタンを連打するのだった。








 アキラは千雨の部屋にまで来ていた。片手にはラッピングされた新品のハンカチを持ち、ドアをノックする。深夜とは言えないまでも、寮内での部屋の出入りが推奨される時間帯ではないので、インターフォンは控えたのだが――。

(反応が無い。いないのかな)

 少し強めに叩いても、なんの物音も返ってこない。
 しょうがない、と思いつつインターフォンを押すも、やはり同じだった。

(もしかしてシャワー? 大浴場かな?)

 ドアにそっと耳を近づけるも、水音一つ聞こえず、廊下側に設置されている換気口からは、部屋の電気は一切見えない。

(こんな時間にどうしたんだろ)

 ふと、放課後に千雨が夕映達図書館部と一緒に思い出した。
 そして、夕映達が時折深夜に寮を抜け出し、図書館島に潜っているのはクラスメイトには周知の事実である。さらには明日は土曜で休み。

(そうか、付いていったんだ。残念)

 アキラはあきらめ、踵を返した。
 アキラは今日の放課後、部活に顔を出すも寝不足がたたり、寮に戻ってきたところでダウンしてしまったのだ。目を覚ましたのはついさっきである。
 ハンカチをそっと抱き、自室へと戻るアキラ。蛍光灯が時折揺れ、ピシャリと光を放った。だが、それを見たものはいなかった。








 落とし穴の中をすごい速度で落ちつつ、千雨の頭は冷静さを保っていた。死の予感と夕映の手のぬくもりが、芯のようなものを千雨の脊髄に流し込む。

「あわわわわわ」

 口から一定の声が漏れつつ、カチコチに固まった夕映を、無造作に抱き寄せる。知覚領域を広げ、現状を把握した。

<千雨っ!>
(了解だ先生っ!)

 自らの肉体を電子干渉(スナーク)し、マルチタスクが考え出す、最良の動きを空間上でトレースさせる。
 頭から落ちているため、クルリと一回転し体勢を整え、ウフコックに干渉。改良された軽合金製のフックと、それに繋がれたワイヤーを複数だし、ばら撒いた。
 だが落とし穴の壁は、つるつると光沢を持つ金属面であり、そのどれもが引っかからない。

「くそっ!」

 パラシュートでも出すか、とも思うが、穴の深さを考えると効果は期待できないだろう。思考の高速化により、ゆっくりと流れる視界を感じつつも、焦りが手詰まりをおこさせた。
 『楽園』の技術にによって死の淵から戻った千雨と、そこで産まれた万能兵器たるウフコック。そんな二人がたかが落とし穴に敗北を喫していた。

「まだだ! こんなところで死んでたまるかよォ!!」

 半年前の情景を思い出す。思い出の中の二つの影が、千雨を奮い立たせた。
 しかし、そんな千雨の思考をあざ笑うように、落とし穴の中に、落とし穴が産まれる。

「へ?」

 空間を切り取ったように、空中に開いた穴は、再び千雨達を飲み込んだ。

「うおぉぉぉぉぉいいい!!」
「あわわわわわわ」

 千雨達が入った後、穴はキュポンという音と共に消えた。





 落とし穴の中で、さらに変な穴落ちた次の瞬間、千雨は椅子に座っていた。なんのタイムラグも感じていない。手の温もりも消えておらず、目線を横に向ければ夕映も隣の席に座っている。
 視界を正面に戻せば、目の前のテーブルで紅茶が湯気を上げていた。

「は?」

 湯気の向こうには、先ほど知覚領域で感知した、胡散臭い男が笑顔で座っていた。両手を机の上で組み、その上にあごを乗せている。観察するような視線が不愉快だった。

「て、てめぇは!!」
<落ち着け千雨>
「う、うぐ」

 ガタンと立ち上がる千雨を、ウフコックが諌める。
 ふと、握っていたはずの夕映の手が消える。横を見れば人形然とした夕映が、両手を掲げ、自らの両頬にバチンと平手をくらわした。

「いいっ!」

 狂ったか? と失礼な考えを持つ千雨。

「夢……では無いようデスね。落とし穴に落ちたと思ったら、こんな場所に。途中の記憶が判然としませんが、図書館島の奥底にあるこの一室。考えられるのはあそこしかない」

 ぶつぶつとつぶやく夕映。

「こ、ここが伝説の! 図書館島の司書室なのデスねっ!!」

 夕映は椅子をなぎ倒しながら立ち上がる。瞳がスパークを帯びる様にキラキラと光り、鼻息はタイフーンのようだ。
 ついで、ビシッ! という擬音を響かせつつ、夕映は胡散臭い男を指差す。

「あなたがその伝説の司書さんなんデスねっ!!!」

 千雨は夕映の後ろがドドンと爆発する幻影を見た。

「はっはっは。いやはやご名答。僕がこの図書館島の司書をやっているクウネル・サンダースです。相変わらず面白い子ですね、綾瀬夕映君」
「えぇ!? わ、私の名前をご存知なんですか」
「僕は図書館島から出れない体質でしてね。君達のことをいつも楽しく見させて頂いてるんです。綾瀬夕映君の活躍もいつも拝見していますよ」

 詐欺師っぽいアルカイックスマイルが夕映に降り注がれる。夕映は、あわわわと叫びつつ、恐縮です、と答えた。

「そ、それで司書さんにお願いがあるデス!」
「はい。なんですか?」
「サインをもらえますか!」
「はは、それくらいお安い御用ですよ」

 夕映はヘルメット帽とサインペンをクウネルに差し出す。クウネルはそれを受け取ると、キュッキュと帽子に『くうねる・さんだーす』とひらがなで書いた。

「はい、どうぞ。おっと忘れるところでした」

 クウネルは夕映に渡した帽子を片手でさっと撫ぜ、指をパチンと弾く。そうするとクウネルのサインがポーッと薄く輝き、すぐに収まる。

「僕のサインは悪用されると困るので、少し細工をしました」
「は、はぁ」

 なんの事かわからず、夕映は首を傾げるが、千雨はおおよその現状を察した。

<千雨、おそらくバレてるぞ>
(だろうなぁ。今のだってアレだろ――)

 夕映が伝説とまで語る司書が、顔を出す理由はやはり自分だろう。自分の知覚領域を感知したりする輩ともなれば、その存在は限られる。
 クウネルは大はしゃぎをする夕映を一瞥し、正面に向きなおった。

「まず、こんな形でご招待したのを詫びねばなりませんね。申し訳ありません」

 クウネルは二人に頭を下げる。

「ですが、こちらにも要件があったのです。それは長谷川千雨さん、あなたにです」
(ついに来たか)

 千雨の背がひやりとする。

「わたしにだって? はっ、一介の小市民であるわたしにどんな用があるんだ。伝説の司書さんとやらはよ」
「有体に言ってしまえば”取引”ですよ」
「”取引”?」

 クウネルの言葉に、千雨は考え込む。ちなみに夕映は隣でじっと二人の会話を聞いていた。

「えぇ、”取引”です。あなたにとって、損は無いはずないですよ」

 クウネルはそう言いつつ、笑顔を深めた。

<気をつけろよ千雨。この手の輩は嘘を吐きつつ揺らぎが無い。惑わされるな>
(はいよ、先生)

 千雨はメガネのブリッジを上げつつ、椅子にふんぞり返った。

「損もなにも、私には欲しいものなんてないぞ」
「そうですか」

 嫌に簡単に矛を収めるクウネルに千雨はいぶかしんだ。すると、クウネルの手元から何かが投げられる。それはテーブルの上を回転しながら滑り、千雨の目の前で止まった。
 本だった。四六判の革張りで出来た一冊の本。タイトルが何やら英語とは違うアルファベットの組み合わせで表記されている。

「こ、これは!」
「なんですかこの本は。英語――いや、ラテン語でしょうか?」

 夕映が横から覗きこむ。千雨は瞬時にネットワークを介し、言語データを習得したため、その言葉が読めていた。『初級魔法概論Ⅰ』それが本のタイトルだ。

「どうです? よろしければその本、お貸ししますよ」

 クウネルの言葉に歯軋りしそうになりながらも、千雨は耐え、疑問を投げた。

「何が目的なんだ」
「目的? そうですね、面白そうだからでしょうか」

 クウネルの言葉にカチンとくる千雨。脳内で「こちとら遊びじゃねーんだよ!」と叫んでいる。心の声はしっかりとウフコックまで飛び、文字盤のネズミがビクリと震えた。
 千雨の拳がギチギチと固められ、テーブルを強く圧迫する。

「あ、あの~、すみませんデス。状況がさっぱり読めないのデスが――」

 緊迫した空気に、夕映の声が混じる。

「ははは。僕はね、長谷川千雨君に興味があるだけなんですよ。この麻帆良の地を去ったはずの君が、学園都市に行き、再びここの地に戻ってきた。君が何を経て、何を知ったのか。そしてこれから何を選択するのか、をね」
「が、学園都市! は、長谷川さんは学園都市から来たのデスか? もしかして超能力者なのデスか?」
「あ、あぁ、えーと、それはだな――」

 嘘がばれたような気まずさがあり、千雨は目をそらす。
 三年前、麻帆良から引越した際、千雨は学園都市近郊のある街で暮らしていたのだ。だが、半年前のアノ事件で重傷を負い、学園都市に運び込まれた。その際、学籍だけは移したものの、実際はほとんど学園都市内の学校に通わず、麻帆良へと転校したのだった。
 そのため、どこの学校から来たの? いう質問に、学園都市近郊の学校名を出していた。

「おっと、これは失礼しました。どうやら綾瀬夕映さんはご存知なかったようですね」
「てめぇ……白々しいぞ」
<千雨、挑発だ>

 ウフコックの声に、なんとか爆発しないですむ千雨。

「いやはや、なんて事でしょう。まさか長谷川千雨さんの秘密をばらしてしまうなんて。では、フェアに僕の秘密も明かしましょうか」

 そう言ってクウネルは人差し指を一本、上にかざした。

「私は”魔法使い”です」

 ゴウ、と指先に炎が灯る。熱風がチリチリと二人の肌を掠めた。だが、すぐに炎は消え、シャボン玉に変わる。周囲にシャボン玉が幾つも浮かび、周囲のものをおぼろげに反射する。ついでシャボン玉がはじけたと思うと、今度は中から花びらが飛び散った。赤、青、黄色。極彩色の色の渦と、花の香りが奇妙なお茶会を覆いつくす。

「ぐっ!」
「おぉぉぉぉぉ!」

 千雨は目を見開き、目の前の不可解な現象を知覚しようと努めた。対して夕映は、ただただ目の前の出来事に感嘆している。
 二人の耳に、パチンと指をはじく音が聞こえると、花びらの渦は霧散した。

「どうです? 信じてもらえたでしょうか」

 柔和そうな表情を向けるクウネルだが、実のところドヤ顔である。

「す・す・凄すぎるデスうううううう!!」

 夕映大興奮。壊れた人形の様に手をグルグル回しながら、抑えられない高揚感を身も持って現している。
 何事かを叫び続ける夕映を放置し、千雨はクウネルに問いかける。

「おい、これっていいのかよ?」
「これ? もしかして魔法の秘匿の事ですか。いやー、駄目に決まってるじゃないですか。一般人に魔法がばれて、その秘匿処理を怠った場合、オコジョ刑にされますよ」
「おいおい……」(オコジョ刑?)

 クウネルの適当すぎる答えに呆れる千雨である。
 ちなみに、オコジョ刑とは魔法がばれた場合、その責任者が負う刑罰であり、姿をオコジョに変えられ収監されるとか。後に千雨は知る。

「どうして、自分の正体を明かしたんだ? メリットなんてないだろう」
「ありますよ。あなたが”取引”のテーブルに付きやすくなる。そのためならこれくらいのリスクは当たり前です。どうです、話を聞きませんか」

 クウネルの言葉に無言。後ろでは夕映が未だに絶賛オーバーヒート中で締まらないが。

(どう思う?)
<情報が少ないな。秘匿を旨とするのはわかるが、それがリスクに直結してるのかは判断できない。おそらく、”嘘をついていない”が”本当のことも言っていない”と言ったところだろう。だが、この手の輩は律儀な所もある、聞くだけ聞いたほうがいいだろう>
(なるほどな)

 二人が結論を出したとき、クウネルに声をかけられた。

「”ご相談”は終わりましたか?」
「――ッ。あぁ、取引とやらを聞こうか」

 動揺を悟られまい、と必死に取り繕う。それを見て楽しむクウネル。千雨のイライラは増していった。

「では、来たれ(アデアット)」

 クウネルは一枚のカードを取り出し、そう呟く。気付いた時には、クウネルの周囲にたくさんの本が浮かんでいた。本が意志を持ったように一列に並び、クウネルを縛るかの様にらせん状に取り巻く。
 プカプカと浮かぶ本の一冊を無造作に取り、千雨たちに見せた。

「これは私のアーティファクト『イノチノシヘン』です。人の半生を記憶する魔法のアイテムだと思ってください。この一冊一冊が人が生きた証です」

 そう言われ、千雨はクウネルの周囲の本を見る。

「ここまで言えば判るでしょう? 私は長谷川千雨さん、あなたの半生を記録したいのです。その代わりにあなたが今必要なものを上げましょう」
「必要なもの?」
「えぇ、単純にして明快です。麻帆良にいる間の私の援助ですよ」
「……は? 一つ言っておくが、わたしは自分の体を売るつもりなんてないぜ」
「いえいえ、そういう意味ではないですよ」

 クウネルはイノチノシヘンを消した。指を弾くと、千雨の目の前に先ほど置かれたラテン語の本が浮かび上がる。クウネルは片手で本を掴み、コツコツと表紙を叩いた。

「何時まで居るのかは知りませんが、魔法について、あなたは知りたい。いや、知らなければいけない。違いますか?」

 ニコリと微笑むクウネル。

「ふぅ、条件がある。腹を割って話してくれないか? 正直あんたと話していると疲れる」
「おやおや、腹を割るも何も、僕は先ほどから正直に話していますよ。あなたの事は興味深いし、面白そうだ。ぜひともその生き様を私のコレクションに並べたいと思っています」
(先生、こいつは本当に享楽者のようだぜ。腹は立つが、受けるべきじゃないだろうか)
<いざとなればやり様がある>

 両者の見解は一致した。
 千雨は腕をドンと叩きつける。

「それじゃあ、取引とやらの条件を詰めようじゃないか」

 千雨とクウネル、二人の口元が三日月を描く。夕映はそれを見守るばかりである。








 千雨とクウネルの間に交わされた取引は単純である。
 千雨はクウネルに対し、その半生をアーティファクトに記録させる。ただし、その時期は一年後以降、三年以内とされた。理由としては、クウネルが取引の持ち逃げをしないかという千雨側の理由と、記録した時点での人生しか反映されないアーティファクトのため、数年後の方が面白そうだというクウネル側の理由が合致した結果だった。
 ついで、クウネルが千雨に対し行うべき事。まずは千雨自身の情報の秘匿である。千雨がクウネルと接触している事をはじめ、魔法に関する知識を有することなど、クウネルが知る千雨についての事柄を一切学園に報告しないという事である。そして、千雨が知り得たい情報の提供である。もちろんそこには然るべき程度があり、それも交渉しだいとなった。
 さらに、千雨の要求内容には夕映の身柄についても追記された。魔法の事を知りつつも、それを学園側に報告せず、また身柄も拘束しない旨を約束させた。クウネルも面白がってる節があったが、一応は自らの過失なので素直に従う。
 それらの条件を書面に記し、お互いサインをする。法的根拠も強制力も何も無いが、片方がやぶった場合、お互いが使い道のある誓約書である。しかるべき場所にばら撒けば、火種になる物品だ。

「さて、と色々聞きたい事があるんだが――」

 そう千雨は切り出しつつ、知覚領域を広げた。部屋の中を満たし切り、言葉を続ける。

「あんた、いや魔法使いは”コレ”を認識できるのか?」

 先ほどから夕映はほとんど言葉を発せず、二人のやり取りを聞き、断片をつぎはぎしながら情報を整理している。だが、今の千雨の言葉がさっぱり判らず、首を傾げた。

「ほう、やはりこの違和感はあなたでしたか。私が感じたのは”見られている”という感覚だけで、具体的には何かはわかりません。ただ二十年前には戦場で何度か感じましたね。おそらくそれに類する能力か技術といったところでしょうか? ちなみに心配する必要は無いと思いますよ。よほど鋭敏でない限り、魔法使いとて”ソレ”は感じられません。おそらく麻帆良の中でも片手に納まるでしょうね」

「か、片手?」

 本当かどうかは判らないが、千雨はその言葉に愕然とした。まさか、初日にその片手とやらに当たったのではないだろうか。そう思うと運の無さも、自分の怯え具合も悲しくなってくる。

「あぁ、ありがとよ。参考にする」

 肩を落とす千雨。

「では、早速ですが、魔法について簡単なレクチャーでも行いましょうか」
「簡潔にたのむ。忘れてたが、こちとら遭難してるんだった。さっさと帰らないと、上がやばそうな気がする。だから、今回は要点だけでいいし、あとできればさっきの本みたいな情報媒体も欲しい」
「連れないですねぇ。まぁいいでしょう」

 千雨の物言いに苦笑いを浮かべるクウネル。

「では、簡単に言います。魔法とは、魔力を用いて現象を引き起こす技術体系です」
「魔力ねぇ」

 フィクションでよく聞く単語だが、いかんせん千雨にはそれが信じられなかった。なんせ知覚領域なんてものを使える千雨だ、そんな不思議パワーがあれば気付くだろう、というのが千雨の考えだった。

「魔力とは、人間の中にもあり、大気中にもある力の総称です。せっかくですので見せてあげましょう」

 クウネルは空気を掴む様に手を握り、そして開く。肉眼で見る限りは何も見えない。

「これが魔力です。ちょこっとばかし凝縮してみました」
「コ、コイツが! コイツが魔力だって言うのか! 」

 千雨の知覚は鋭敏にソレを感じ取る。今まで当たり前のように感じていたどこにでも存在していた”流れ”。空気のように当たり前に扱っていた、判然としない空間を満たすもやがクウネルの手のひらに集まる様は衝撃的だった。千雨の脳内ではマルチタスクがフル回転し、人工皮膚(ライタイト)を通じて集まる大量の情報を処理している。その情報から、千雨の中での魔力が定義づけされていった。

「一般人でも魔力は多かれ少なかれ持っているんですが、これを見たり感じられる人はほとんどいないんですよ。やっぱり面白いですね、長谷川千雨さん」

 その瞬間、後ろでは聞き捨てなら無い言葉が発せられる。

「あ、あのー。その丸いポワポワした物体。普通は見えないんでしょうか?」
「「へ?」」

 千雨とクウネルは珍しく同じ言葉を発したのだった。







「ではお二人にはこれをお渡ししますね」

 千雨と夕映がこの部屋に来てから一時間が経っていた。その間色々あったが、とりあえず戻ることになり、地下一階への直送エレベーターとやらまで見送られたのだ。
 そしてクウネルに渡されたのは二枚のカードだった。金属のプレートには細かな装飾と、優美な筆記体が彫られている。

「夕映さん。あなた達で言う、第二秘密入り口をご存知ですか?」
「あ、はい」

 ふと夕映は胸元に手を伸ばす。

「……確かダミーの入り口デスよね。通路の先にドアが一つだけあり、そのドアを開けても壁しか無いという――」
「実はあの入り口、ここへの直通ルートなんですよ。ただし魔法がかかっててましてね、このカードはその解除用のカードキー、と言ったところです」
「おぉぉぉ! そうなんデスか」
「ふーん」

 千雨は興味なさ気な返事をしつつ、カードをじろじろと見た。先ほど定義した魔力情報をフィルティングしつつ知覚してみれば、確かにプレート状には微量な魔力が感じられる。
 何冊か借りた本が、紙袋の中でガサリと音を立てる。
 帰るにあたりクウネルに魔法関連の本を幾つか見繕って貰っていた。また、周囲の人間を誤魔化すために、ギリシャ語やラテン語といったものだけを選別している。正直、千雨ならば本の中身を電子干渉(スナーク)し、インクパターンを記憶野に保存する事など容易なのだが、能力の秘匿故にに自重した。

「でわ、長谷川さんに夕映さん、ぜひまた遊びに来てくださいね」
「内心遠慮したいぜ」
「ぜ、ぜひ来るデス!」

 夕映の魔力が見える発言の後、クウネルは一層夕映を気に入り意気投合。いつの間にか名前で呼び合う間柄となっていた。

「そ、その時にはぜひ、魔法を教えてほしいデス!」
「ふふふ、夕映さんのような方に魔法を教えれるなんて、面白そうですね」

 ハハハ、と笑うクウネルを遮る様にエレベーターのドアが閉まる。ウィーンというモーター音が聞こえると、エレベーターが上昇をはじめた。

「やはり、私の勘に間違いはありませんでした。千雨さん、あなたはやっぱり面白い人デス。一緒に居ればもっと楽しい事が起きるような気がします。たった一日一緒にいただけで、私の世界は広がりました」

 興奮冷めやらぬと言った夕映はキラキラと目を輝かせている。千雨はいじわるをしたくなった。

「綾瀬。お前判ってるのか? 知ることで失う事もある。平穏や日常、家族に友人、信頼や愛情。不変だったものが崩れていくかもしれないんだぞ。お前は今、片足を突っ込んでるんだ。引き返すなら今だと思うぜ」
「――そうかもしれませんね。でも、不変なものなんてきっと無いと思うデスよ」

 夕映は一息吐いて、言葉を続ける。

「家族だって友人だって死にます。私達はきっといつも流れの中にいるんデス。だから私は色々なものを知り、聞いて、話したい。そこに悔いを残したくないのデス」
「だけどよ、今日見たことや聞いたことを他人に話したとしても、信じて貰えないだろう。綾瀬がどれだけ真実を語ろうと、人の目には映らない事だってある。言った事、感じた事を一切聞いてもらえず、自分自身に嘘つきのレッテルだけが重ね貼りされていく。そんな時お前はどうする?」

 静かなる慟哭だった。

「どうするんでしょうね。その場に立たなきゃ判らないと思うデス。でも、どうすればいいかは判ります。信じてもらうようにする、もしくは”信じてくれる人を探す”。私ならきっとそうするでしょう」

 夕映は制服の下のネックレスを、布越しにギュッっと掴んだ。

「いやに直球だな」
「シンプルさに真理があるのは多くの偉人が多種多様な語彙を持って語っています。それに尊敬する祖父の教えでもあるデス」
「おじいさん?」
「えぇ祖父――デス。祖父は色々な事を知ってる素敵な人だったデス。私にとって祖父は世界そのものでした。ですが、祖父は生前言ってたんデス。『この世には面白く不思議な事がもっとたくさんある』って。今はその言葉がよくわかるデス。長谷川さん、私は今うれしいんデス。あなたと出会えて、『わたしの世界』がもっと広がりました」

 夕映の言葉をかみ締める。

「――世界が広がる?」
「えぇ、そうデス。のどかも、ハルナも、木乃香も、クラスのみんなも、探検部のみんなも、全てが広げてくれた『わたしの世界』デス。だけど長谷川さん、今日あなたのおかげで、もっと広げることができました」

 夕映は千雨の手をギュっと握る。

「わたしはみんなと、もっともっと楽しく、不思議なものを見てみたいデス。長谷川さんとも一緒に見たいんデス」

 チン、と一階に着く音が聞こえ、エレベーターのドアが開いた。

「さぁ、行きましょう。みんなが心配してるデスよ、”千雨さん”」

 それは何かの合図のようだった。

「わかったよ、”夕映”」





 ちなみに二人が地上に戻ると、おおげさなテントが張られ、捜索本部なるものが立ち上げられていた。ヘルメットにマスクにゴーグルといった、一昔前の学生運動のようないでたちをした男達並ぶ。どうやら彼らが探検部レスキュー隊らしく、千雨達を捜索していたとの事。
 探検部のみんなに泣かれたりなんだったりで、全員が部屋に戻れたのは日が昇る直前だったとか……。












「ふふ、君の大事なお姫様は健やかに育っているようですよ」

 クウネルは司書室の片隅にある一枚の写真を見ていた。クウネルと男性が、テーブル越しに談笑している姿が写っている。

「因果なものですね。平穏を望む君が死に、魔法使いである私はピンピンしている」

 クウネルにとって、男は友人であった。図書館島から出れないクウネルだが、時折図書館の地上階に現れる事がある。その時に知り合った男性であった。”真っ黒な髪”の温和な男性。彼の独特な波長とウマが合い、頃合を見ては遊びあう友だったのだ。

「これ以上、友が死ぬのは忍びない。ぐうたらな私ですが、見守ることぐらいはしましょう。まぁ見てるだけでしょうが」

 言葉を返す友人は、もういない。

「……それに、あの娘も――」





















「臭うな」

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、いつもと違う道を警邏と称して歩いていた。結界と繋がっているエヴァは、不審者がいればわざわざ出歩かなくても感知できる。
 そのため、警備員としての職務の警邏は、毎回適当に麻帆良を徘徊して帰るだけであった。
 侵入者が通るとは思えない麻帆良の片隅で、エヴァは違和感を感じた。平和ボケしたここ数年感じなかった、あの凄惨な臭いだ。

「面倒くさそうだな。おい、茶々丸、録画をしっかりしておけ」
「了解しました、マスター」

 ガイノイドにして従者たる茶々丸に指示を出す。
 人通りの少ない石畳の通路、そこから外れて数メートル先に小さい倉庫がある。長らく使われていないのか、所々塗装がはげ、錆が浮いている。
 濃密に薫るソレに、ペロリと舌が唇を舐めた。それと共に、異様なこげ臭さがある。
 倉庫の入り口には鍵がかかってないらしく、隙間が開いていた。隙間からは黒い染みが覗ける。
 エヴァは無造作に両開きの引き戸をあける。ギギギ、と不快な金属の擦れる音が響く。先ほど感じた香りは吹き飛び、異臭が吹き出た。

「おや、まぁ」

 エヴァは呆れたように呟いた。
 中は体育倉庫のようだった。汚れた体操マットが積み重なり、古い跳び箱が散乱している。
 だが、そこには異質なものがある。
 血。血。血。血。血。
 地面も壁も天井も、倉庫の中にあるありとあらゆるものが血に染まり、ドス黒い色をしているのだ。
 そして中央には黒く積み重なる影が見える。
 人だった。大口を開け、苦悶の表情をしている男子学生が五人ほど積み重なっている。見える範囲では外傷が無く、周囲の血の量と相まってエヴァに不審を抱かせる。

「茶々丸、周囲は?」
「問題ありません。センサーの範囲内に人影なしです」
「フン」

 エヴァは男達に近づく。腐ったような臭いツンとした。血よりも濃厚な腐敗臭がエヴァの顔を歪めさせる。一番手短な男の口に指を突っ込む。

「茶々丸、ライト」
「了解」

 照らし出された男子学生の口内を見た。

「やはり死んでるな。死後一週間ってところか。それにしても――」

 外傷が無いのに舌が焦げていた。

「まぁ、どうでもいいがな。帰るぞ茶々丸、臭くてたまらん。ジジイの所に報告したら、さっさと風呂に入り寝たい」
「わかりました」

 翌々日、『男子学生変死事件』として発表された。
 それは、これから麻帆良で起こる事件の最初の1ページ……。



 つづく。







あとがき

 なんとか続きが書きあがりました。
 相変わらず捏造設定が大量です。
 ついでに百合分も多め。ただ百合分に関してはこれからもバンバン入れていくつもりです。

 一応、物語の第一章たる部分のプロットが出来上がり、それに合わせて書いていく所存です。なので、更新ペースが落ちる可能性はあれど、そこまでは止まる事がないと思います。

 ついでに第一章部分にサブタイトルを付けてみました。<AKIRA編>と、まぁそのまんまな名前ですw単にメインとなるキャラの名前を付けただけですが、同時に好きな漫画の名前でもあったりします。

 とにかく、ここまで読んでいただきありがとうございます。
 よろしかったら感想などを頂けたら励みになります。誤字脱字報告などもありがたいです。
 前話、前々話となれないせいか、けっこうとんでもない間違いがたくさんあり、びっくりしましたw
 なんとか少なくしたいんですが難しいですねぇ。





[21114] 第4話「接触」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2010/09/15 23:32
 学園都市の片隅にその施設はある。
 半地下にある入り口をくぐると、中は蟻の巣の様に広がっている。幾何学的なデザインが先進性と冷たさを感じさせた。
 元は『死体安置所(モルグ)』と呼ばれていたが、その実は学園都市内によくある人体実験場だった場所である。
 今、その施設には一人しか人間はいない。電子眼鏡(テク・グラス)を掛け、髪はまだら色、継ぎはぎの白衣を着た痩せ型の男だ。
 薄暗い研究室の中で、彼がキーボードを叩く音だけが響く。
 ポーン、とメールの着信音が響いた。彼の目の前にある端末からではない。研究室の中央にある小型サーバーからである。
 そのサーバーは奇妙だった。外部のネットワークへ一切繋がっていないスタンドアロン。なのにそのセキュリティは厳重で五重六重に守られている。されとて重要なデータは入ってないのだ。男が知る限り、このサーバーにメールを送れる人間は一人しかいない――。
 男は嬉々としてサーバーを弄り、メールを開く。

「ありゃあ、本当に宣言通りにこなしちゃうのか」

 男は苦笑いをしつつ、腕を組む。メールに添付されたファイルを開けば、魔法に関するレポートが表示される。魔法の基本的な情報から、その技術理論。検証例は少ないものの魔力に関する観測結果などがつらつらと書かれている。

「ははは、さすがだね。僕の用意してたものとほとんど同じじゃないか」

 男は自らが”作っておいたレポート”を取り出す。形式や細部は違えど、ほぼ同じものだ。裁判の物証としてはお互い使えるだろう。
 一週間前の事を思い出す。

『いいか! 一週間だ! わたしと先生であればこんな依頼あっという間にこなしてやる。メシとかちゃんと食えよ、ほっとくと何も食わねんだからな』

 そんな事を言いながら出て行った彼女だったが、その優秀さには困ったものである。

「――せっかくの計画が台無しだよ」

 男は、ここ学園都市から彼女を引き離したかったのだ。そのために”楽園経由で”千雨に対して法外な治療費を請求し、学園都市の取り込みを退けていた。学園都市側も、男自身はともかくとして、楽園と通ずるのは対外的に危険なのである。
 二十年前の大戦の時、楽園で開発された技術は”人”の多くを超越した。魔法使いも超能力者も、なにもかもをだ。もちろん例外はある。だが一人当たり三十万ドルという格安の値段で改造された兵士達は、眠ることもせず、食べることもせず、おおよそ人の生理現象から開放された存在として猛威を振るった。
 その大戦を、地球の表面に住む多くの人々は知らない。しかし、大戦を知るものは楽園の解体を望んだ。何回かの協議の末、楽園は本当の意味で”楽園”になった。衛星軌道上に浮かぶ巨大プラントは、完全に閉ざされた世界だ。そこでは昔も今も変わらず、知恵の実を食べるものがいないまま、そこに在り続ける。科学の結晶『楽園』として。
 男は無造作に電話を取り出し、かける。何度もコール音を聞かずに繋がったようだ。

「ドクターか、どうしたんだい?」
「クライアント、吉報だよ。うちの子猫ちゃんは早速仕事をこなしたようだ」
「ほう、さすがだね長谷川君は」
「えぇ、困ったもんだよ。御剣検事、悪いけど以前渡した資料をこれから送るのと交換しておいてくれ。内容はさして変わってない。ただ作成者の欄が違うだけでね」
「了解した。報酬の方は――」
「こちらが頼んだことなんだ、気にしないでいいよ検事。むしろ法務局(ブロイラーハウス)に世話になったら便宜をはかってほしいね」
「善処しよう」

 そういうと男は電話を切った。
 ブロイラーハウスと呼ばれる場所がある。一般公開されぬ司法の場であり、人の命が日本でもっとも安い場所だ。その場所を人々は揶揄を込めてブロイラーハウス(鶏小屋)と呼んでいる。
 先ほどの電話の男は御剣怜侍。新進気鋭の若手検事だが、まだ駆け出しのため、裏のこととなると資料請求の権利が満たされないのだ。
 今回の事件は企業側による魔法によっての要人の殺害。そのため秘匿されている魔法の資料開示を御剣は法務局(ブロイラーハウス)側に要求したものの、それは御剣の立場の低さ故に開示拒否されたのだ。そうなると御剣自身が資料を見つけねばならず、男の元へと依頼がやってきたのだ。
 実は男自身、魔法に関する資料は持っていたのだが、依頼にかこつけて、学園都市を欺くように仕向けた。
 学園都市側も丁度いい麻帆良への牽制だと思い、彼女の麻帆良への転校はスムーズに成功した。
 男はこの時期を使い、彼女を縛る鎖を断ち切ろうとしていたのだ。だが、それも彼女自身の拙速な行動によりご破算である。

「僕は、何をすべきかはわかるけど、どうしたら良いかはわからない……」

 そう呟きつつ、彼女――長谷川千雨の笑顔を思い出す。ふと十数年前に別れた妻と娘を思い出した。
 この半年の生活は本当に楽しかった。だが、それは傷の舐めあい、家族ごっこだったのだろうか。

「――らしくないね。そんな事を考えるのはメロドラマのライターだけで十分だ」

 男は自嘲めいた笑顔を作る。楽しさにわざわざ罪悪感のスパイスを加えるなんて、両面焼き(ターンオーバー)のカリカリの目玉焼きにシロップをかけるようなものだ。つまりは冒涜だ。
 男の名はドクター・イースター。地上に残った楽園の落とし子であり、千雨の治療医であり、そして保護者である。
 ドクターの電子眼鏡(テク・グラス)に明りが灯り、数々の数値やグラフがその表面を彩る。
 キーボードを叩く音だけが死体安置場(モルグ)に響いた。










 かすかな鳴き声が聞こえる。
 水泳部の部活帰り、少し湿った髪をなびかせながら、アキラは寮への帰り道を歩いていた。どんよりした雲、一雨来そうな雰囲気に足も早くなる。そんな折に声が聞こえたのだ。
 麻帆良には自然が多い。数々の欧風建築の合間には、必ずといっていいほど緑が配置されている。視界の中には常に木々なり林なりが飛び込んでくるのだ。
 そんな木の一本、根元に小さな影が横たわっている。小鳥だ。
 アキラは近づき、そっと手で救い上げる。

「かわいそうに……」

 見上げれば頭上に巣がある。小鳥がそこから落ちたのは容易に想像できた。
 落ちてから長いのだろう、アキラの手の中で小鳥は震えるばかり、かすかな鳴き声しか発せられないようだ。

「お医者さんに連れて行かなきゃ」

 すっくと立ち上がり、走ろうとする。だが――

「ピギィィ!」
「えぇっ?!」

 虫の息だった小鳥が奇声を発する。見れば小鳥の足先に黒いもやがかっていた。そのもやは小鳥を飲み込むように、少しづつ覆っていく。じわりじわりと黒い染みが羽に広がり、その度に小鳥は奇声を発しながら悶えた。

「あぁ……あぁ、あぁぁぁぁ――」

 目の前の出来事にアキラは声が出なかった。命が削られていく。
 やがて小鳥はガクガクと痙攣した後、泡を吹きながら動かなくなった。アキラは怖くなり目を瞑った。目の前の死も怖かったが、得体のしれないもやがアキラをすくませる。
 アキラは目を瞑ってて気付かなかったが、人影がすぅっとアキラの後ろに立っていた。
 二メートルもの長身をしており、頭があり、手足がある。シルエットだけ見れば背が高い人間と言った風だが、細部は違った。背中からは尻尾のようなものが五本ゆらゆらと動いている。毛はなく、硬質そうな表面を持ち、一本一本が成人男性の腕を越える太さだ。体は女性のようなラインを持ちつつ、服を着ていない。何か異質な材質で出来たパーツが部分部分に張り付いている。そして顔。まるで狐を模した被り物をしてるようだった。目じりが鋭くつり上がり、眼光が異彩を放つ。
 守護霊のようにピタリとアキラに貼りつくも、本人は気付かない。やがて、その姿は霞に消えた。
 アキラは恐る恐る目を開ける。やはり小鳥は死んでいた。だが、先ほどまであった黒いもやや染みは綺麗に消えている。小鳥の死に悲しみつつ、内心安堵もしていた。
 木の根元に腰を下ろし、素手で穴を掘り、小鳥の死体を埋めた。
 近くの水道で手を洗い、アキラは家路を急いだ。
 アキラの足跡に、微かな火花が散る。歓喜の火花であった。









 第4話「接触」








 さかのぼる事、三日前。
 頭から足先まで白一色に身を包んだ長身の男、空条承太郎は学園長室にて、この部屋の主と対面していた。
 後頭部が突き出るように伸びた老人、麻帆良学園学園長の近衛近右衛門だ。

「――ふむ、『弓と矢』のぉ」

 近右衛門は手元にあった写真と書類の束を机に置く。

「はい。この場所にある”確証”は無いですが、”可能性”は高いと思われます」

 承太郎が丁寧に答える。彼をよく知る仲間達が見れば、彼のらしくない態度に笑い転げていただろう。

「”可能性”とは、この写真のことかの」
「はい、そうです」

 近右衛門が持つ写真には、麻帆良の中央にそびえる世界樹と、おぼろげで焦点が合わない矢のようなものが写っている。

「それは祖父、ジョセフ・ジョースターが『スタンド』で念写したものです」
「ほう、『スタンド』とはそんなこともできるのか」

 近右衛門は多少おおげさに驚いている。
 それもまた仕方ない事だった。魔法使いに対し、超能力者は少ない。だがそれにも増してスタンド使いは少ないのだ。
 スタンド使いとは、人が持つ精神、それを具現化したものである。学園都市が研究する『超能力』の原型だ。
 学園都市を良く知るものだったら、その誕生過程にスタンドの名を見ることができる。元々はスタンドを模倣するために学園都市は作られたのだ。
 スタンド使いになる方法は二つしか発見されていない。生まれつきスタンド使いであることか、もしくは――。
 そのため近右衛門はスタンドの名を聞いたことはあれど、能力の程度や方向性、その力の大きさすらも詳しくは知らなかった。

「矢がここにある限り、スタンド使いが生まれ続ける。そしてこのままでは街に危険がおよぶ。ましてや魔法使いがいるこの場所だったらなおの事です。早急に手を打つべきでしょう」
「だがのぉ」

 承太郎には確信があった。それはこの街に来た時の空気である。いつか誰かに聞いた言葉を思い出す。

『スタンド使いは惹かれあう』

 おそらく放っておいてもあちらからやってくるだろう。だが、それでは遅いのだ。

「こちらとしては、ぜひ空条君には調査をお願いしたい。またできる限りの報酬も便宜も計ろう。支援も行う。だが――」
「だが?」
「だが、魔法使いは、こちらの人員は貸せない。いや動かせない」

 現在、麻帆良と学園都市の間には静かな対立があった。お互いの頭にその気は無くとも、下にはそのような風潮があるのだ。
 そこへ来てこのスタンド事件だ。安易に魔法使い達を動かせば、いらぬ火種になる事は明白である。
 スタンドには秘匿義務がない。なのに一般的な認知は皆無であり、裏の者も知る人は少ない。そして知らないという事が問題なのだ。多くのものが学園都市の攻撃や陰謀を疑う。そこに学園長の説明が入ろうと、種はくすぶり続ける。

「本当にすまない」

 ゴツリと近右衛門の頭が机を叩いた。

「いや、構いません。スタンド使いにはスタンド使いでしか対応は出来ないでしょう」
「――そうなのか?」

 顔を上げつつ、長い眉に隠れた目が、剣呑な輝きを放つ。

「あなたには『コレ』が見えますか?」

 ユラリ、と承太郎の後ろに精神の具現化たるスタンドが立ち上がる。だが、それは不可視。本来、スタンド使い同士でしか見えない代物だ。

「いや、何も見えぬの。だが、確かに”何か”は感じおる」
「――さすがは『魔法使い』と言った所か」

 承太郎は聞こえないように呟いた。

「スタンドはスタンド使いでなければ見えません。またそれぞれが特殊な能力を有している。例えば――」

 承太郎は手に写真を持っている。

「このように」
「なっ!!」

 今しがたまで、確かに近右衛門が握っていた写真が、瞬きもしない間に承太郎の手元に移っていた。近右衛門は魔力も一切感じない、異常な現象に驚く。
 学園長としての席を持ち長いが、元々は第一線で活躍した戦士だ。今でも魔法使いとして一流である。その近右衛門が一切認識できず、警鐘すら感じなかった出来事に驚きを隠せなかった。

「い、今のはなんじゃ?」
「もうしわけ無いがそれは言えません。ただ、スタンドは容易に物理法則をねじ曲げます。聞くところによれば、魔法は魔力というものを用いて、様々な現象を引き起こすとか。おそらくそこには何かしらの技術限界があるでしょう。ですが、スタンドは意思の強さ次第で限界すらもたやすく――ブチ破ります」

 承太郎は十年前を思い出す。母を救うためのエジプトへの旅。その間に会った数々のスタンドの姿を。

「人員に関しては、我がスピードワゴン財団から呼ぶ事の許可をお願いします。また、この敷地内での調査に伴う権利、私自身の怪しまれない身分も頂きたい」
「う、うむ。許可しよう。セキュリティパスも発行する。空条君は確か海洋生物学の博士号を持っていたね。麻帆良大の非常勤講師の枠を作ろう。なに、週に一、二度講義をするだけでかまわん。これでどうだね?」
「助かります」

 承太郎は机に近づき、先ほどの写真とともに、一枚の紙を置いた。

「携帯の番号と連絡先です。近場にホテルを取っています」

 その後、幾つかの打ち合わせをし、承太郎は部屋を去った。

「厄年かのぉ」







 承太郎は麻帆良市内のホテルを拠点として、『矢』の捜索を行っていた。
 学園長との会談から三日が経ったが、いまだに何も掴めないでいる。しかし、それは仕方の無い事である。麻帆良は巨大であった。そこを一人で歩き続けて得られるものはたがが知れている。
 財団への報告を行い、調査員の派遣を要求するも、まだ人員は到着していない。彼個人としても数年前に知り合ったスタンド使いを呼んだ。彼のスタンドは必要になるだろう、と思い連絡をとり、承諾を貰ったものの、相手は多忙な漫画家だ。速筆とは言え、いつ来れるかは知れなかった。

「やれやれだぜ」

 今日は日曜という事もあり、麻帆良学園の喧騒は幾分和らいでいる。数々の本格的欧風建築が日本にいる事を忘れさせていた。
 十年前に写された『弓と矢』の写真を取り出し、見つめる。この小さな『矢』一本を、巨大な街から探し出す事を考えると、心が重くなる。
 考え事をしながら歩いていたせいか、承太郎は人とぶつかってしまう。

「おっと、すまねえ」
「い、いえ。こちらこそ」

 相手は女子中学生だった。制服を着ていて辛うじて判断できたが、高校生と言っても十分通用する体躯である。承太郎の風貌を見て、少し驚いているようだ、
 ふと、承太郎は手元にあった写真が無くなっている事に気付く。

「あ、写真落としましたよ」

 少女は長身を屈め、写真を拾う。長い”ポニーテール”が揺れた。

「あれ、これって――」

 少女は写真を見て、少し考えている。

「すまないが、知っているのか?」
「え、あ……はい。たぶん」
「――ッ! 教えてくれ、どこで見た!」

 承太郎の態度に、少女は口を詰まらせた。

「えぇっと、学園の歴史資料室に落ちていました……」
「歴史資料室だな。ありがとう、恩に着る」

 会話を打ち切り、承太郎は急ぎ足で資料室に向かった。三日経ってのやっとの糸口に、承太郎はある言葉を忘れていた。


『スタンド使いは惹かれあう』


 少女は多少いぶかしんだものの、女子寮へと足を向ける。邂逅は刹那だった。








「あぁ、あの鏃(やじり)ですか。裏の事務室に保管してありますよ」

 学園をさ迷い、やっと見つけた関係者に聞き、承太郎は歴史資料室にたどり着いた。そこで厳つい風貌の警備員に『矢』の写真を見せたのだ。
 男は関係者以外禁止のドアをくぐり、その先の通路へ承太郎を呼び寄せる。

「二、三日前ここに来ていた学生が拾ったんですよ。最初はここの展示物だと思ったんですが、リストにも無く、困っていたんです。リストに無いものを保管室に置いたら怒られるのはコッチですからね。だからと言ってぞんざいにあつかうような品にも見えないし……って事で事務所に保管しておきました」
「それは助かる。貴重なものでね、うちの財団も盗難にあってから随分探したんだ」
「はは、それにしたって持ち主が出てきて良かった」

 厳ついながらも温和な表情で男は答えた。やがて部屋が見えてくる

「ここです。中は少し汚いですが、ご勘弁ください」

 男が先導して部屋に入る。承太郎に悪寒が走った。
 ドアを開けた先には事務室が広がっている。多少荒れていた。

「うわ、誰だよ。汚いなー、片して置かないと怒られるのは俺なんだぞ~」

 警備員の男はブツブツ言いながら、部屋をかきわけて入る。承太郎は入り口で固まったまま、部屋を観察していた。

「おっかしいな~、この箱に入れたはずなのに。すいませんね、今ちょっと探しますんで」

 空き箱を机の上に置き、ガサゴソと棚を漁り始める。

「近藤のやつもいないし、どうなってやがるんだ……うん?」

 男の頬になにか当たる。ふと雨漏りを連想したが、ここは三階建ての二階。漏るとしたら水道管だ、などと思いつつ、男は頬に拭った。
 拭った手は赤かった。
 血。

「ひぃぃ」

 男は叫び声を上げ、天井を見上げた。
 天井から血が滴っていた。肉片がへばりついている。

「おい、離れろ!」

 承太郎は部屋に飛び込み、男を通路まで引きずり出した。
 スタンド――スター・プラチナ――を出し、周囲を警戒する。だが、スタンドにある独特の気配は遠く消えている。
 スタンドを消し、事務室の天井を見つめた。
 人の体であろうものが、天井に貼り付いていた。そこで不思議な事に気付く。人にしては体の”パーツ”が少ないのだ。顔や内臓と言ったものがごっそり無くなり、まるで魚の開きのような状態である。
(なんだ、こいつは)
 張り付いた肉片の影に、警備員の服が見える。
 服を着たまま、体を開き、内臓を抉り出し、わざわざ天井に貼り付けたのか。いや違う、これは――

(まるで、”内側から爆発した”ように――)

 そう考えた瞬間、再び承太郎の背筋に警鐘が走る。間髪いれずにスタンドを出し、その方向に拳を振るった。

「オラァ!」

 事務所の壁に穴が穿たれ、バチバチと火花が散った。どうやら電圧ケーブルを傷つけたようである。

(チッ、気のせいか?)
「ひぃぃぃぃぃ!!」

 後ろでは男が悲鳴をあげている。同僚の死体を見つけた後、今度は急に壁が崩れたのだ。情けない格好をしながら念仏を唱え始めている。

「――やれやれだぜ」

 麻帆良に来て何度目かの呟きをしつつ、承太郎は学園長へと連絡を取った。
 その後の調査で判った事は少ない。死んだ人間はここの警備員である近藤某、二十五歳の一般男性である。また、部屋から『矢』が消えた以外、盗難の一切が見つからなかった。








「うぐぐぐぐ」

 千雨はくぐもったうめき声が発した。目の前には自習用のプリントが置いてある。
 月曜の一時間目は、急遽職員会議があるとの事で自習となっていた。
 先生が不在という事で、そこかしこで話し声が聞こえる。だがそれはいつもの明るい話題では無い。
 昨日発表された『男子学生変死事件』の噂で持ちきりであった。テレビのニュースなどでも報道されたが、メディア上では事件規模に対しての扱いは小さめであった。もちろんそこには麻帆良独特の理由があったりするが、それは割愛。
 とは言え、学生達にとって見ればすぐ近くで起きた事件である。当面の部活動禁止も言い渡され、事件をより身近に感じた。
 だがそこにあるのは恐怖などと言ったものではなく、興味や関心といったものだった。いくら身近で起きようと、そこに自分達が直接関わるとは微塵も思っていないのである。
 こわいよねー、死因は何なの、誰が死んだの、大会が近いのにー、などと言った言葉が教室内を往復していた。そんな中、報道部の朝倉和美は大活躍だった。水を得た魚と言わんばかりに、現在判っている情報を語っている。
 そんな教室内を聞き流しながら、千雨は目の前のプリントと戦っていた。一次関数の問題である。
 麻帆良は基本的には中高一貫のエスカレーターなので、学業進度が他よりも速い。一般的な公立校が二学期でやる一次関数の単元も、麻帆良学園中等部では一学期の五月には入っていた。
 千雨にとっては「たかが一次関数」といった程度の問題である。だが、何を思ったのか千雨は、視覚情報を暗号アルゴリズムで変換したり戻したりを三往復させてから、脳の思考野に持ってくるというくだらない事をし、さも一次関数が出来ないかのように振舞っていた。その実情を知っていたら、他人からは嫌味としか見えないだろう。
 本来なら一本の直線であるはずのそれが、今の千雨には複雑怪奇なパズルに見えるのだ。うんうんと唸りながら、遅々の速度で解いていく。

「あ、千雨さん、そこはこうじゃないデスか」
「お、そうだな。すまねえ夕映」

 横から夕映の手が伸び、千雨のミスを指摘する。夕映はクラスの中でも成績は悪い方から数えて五位以内に入っており、「バカレンジャー」の異名を持っていた。だが、元来は頭の回転が良く、多少真面目に取り組めば、今の千雨よりもはるかにマシな頭脳を持っている。
 クラスメイト達が談笑をし、ろくにプリントに手をつけない中、千雨と夕映は三十分程でプリントを解いた。

「お、終わったー」
「お疲れ様デス」

 手を伸ばし、ベタリと机にへばり付いた千雨に、夕映のねぎらいの声がかけられた。

「あー、一昨日と言い、昨日といい、わたしはもうバテバテだよ」
「一昨日はともかく、昨日、デスか?」

 一昨日は千雨と夕映が図書館島から帰宅した日である。

「まぁね、色々とあるんだよ」
「色々……そうデスね」

 夕映は魔法や超能力の事だと当たりをつける。夕映は千雨がどうやら超能力者だと思っているようだが、千雨はそれを肯定する気も否定する気も無かった。
 千雨も、”一応”は学園都市で超能力者として登録されている。ちなみにレベル3の強能力者だ。関係者から見れば、もっとまともな嘘をつけ、と言われるだろう内容である。
 ちなみに千雨は土曜の朝に図書館島から帰宅してから、丸一日以上かけて魔法の分析を行い、突貫でレポートを作成したのだ。気付けば日曜の午前、そのまま死んだように眠り、さらに気付いたら教室に座っていたというのが実状である。

「ん?」

 夕映の方を向いたとき、その奥の空席が目に入った。アキラの席だ。

(大河内、休みなのか)

 朝のホームルーム時に裕奈が言っていたのを思い出す。あの時は眠すぎて、完全に意識から遠ざかっていた。なんだか風邪とか何とか言っていたと思う。
 千雨にとってアキラは落ち着く存在だった。先週転校してから様々なクラスメイトに絡まれているが、そのほとんどが振り切れんばかりのテンションなのだ。
 そんな中、そっと近づき、落ち着いて物事を考えて、話す。そういうアキラを千雨は好ましく思っているのだ。
 ふと、『信じてくれる人を探す』という夕映の先日の言葉が思い出される。

(そういやケガもしていたな)

 資料室を裕奈達と行った時、指にケガをしていたはずだ。その上、風邪を引いているらしい。

(世話になっているからな見舞いにでも行くかー)

 そんな事を考えていると、教室のドアが開き、高畑がやってくる。

「みんな、遅れてすまないね。ちょっと会議が長引いちゃったよ」

 いつもの苦笑いをしつつ入ってくるものの、どこか表情は硬い。

「それでみんなに連絡だ。とりあえず今日の授業はここまでで、臨時休校となる」

 やったー、という歓声が教室中から沸き、それを委員長である雪広あやかの怒声が戒める。

「こらこら、遊びじゃないんだぞ。それに続き今週の学校は全て休校となった。だが、もちろん課題はたくさん出してあるぞ。来週にはしっかりと提出して貰うから覚悟しておくように」

 今度は逆に、えー、という悲鳴が響き渡る。
 高畑はゴホンとせきを一つし、表情を引き締めた。

「みんなももう聞いているだろうが、昨日我が学園の生徒の変死体が見つかった。集団自殺だろうという警察の見解だが、いくつかの不審点があるそうで、まだ言い切れる段階ではないらしい。僕らは君達を親御さん達から預かってる身だからね。用心をして越した事はない。なので、とりあえず速やかに寮に戻る事、もちろん部活も禁止だ。またできるだけ外出をしないように、するにしても二人以上で昼間だけだ。夜の外出は原則禁止。いいね? 守らなかったら課題を三倍にするからね」

 はーい、という声が一斉に上がる。

「うん、それじゃ以上。号令」

 日直の帰りの挨拶が済むと、高畑は急ぎ足で教室を出て行く。

<何かあるな>
(だろうなぁ……とは言ってもこちとらお役御免だろ)

 レポートを送った後、ドクターからの返事は『現状維持』のままだった。おそらく手続きか何かに手間取っているのだと、千雨は思っている。
 ウフコックは千雨の考えも、ドクターの真意も分かっていたが何も言わないでおく事にした。

<そういえば千雨、お見舞いにいくのだろう? 何か買っていくのか>
(そうだなー。あんまり遠くに行くわけにはいかないだろ。とりあえず寮内の売店見て、果物でも持ってくかな)

 千雨はカバンを持ちつつ、席を立つ。

「あ、千雨さん。一緒に帰りませんか?」

 夕映が千雨に声をかける。傍らには夕映のルームメイトであるのどかとハルナの姿がある。

「あー、悪いな。ちょっと、その、な……」

 本来、このまま寮へと直帰せねばならないはずである。一緒に帰れない理由をとっさにでっち上げる事ができず、千雨は言葉を濁した。

「そ、そうアレだ。アレ」

 わけのわからない事言いつつ、手首をプラプラさせ、教室を出る千雨。

「じゃあな夕映、宮崎、早乙女」

 一斉に帰宅する女生徒の波に紛れ、千雨は消えた。

「あーらら、フラレちゃったわね夕映」
「べ、別にそんなんじゃないデスよ」

 そんな事を言いながら頬をプーッと膨らます夕映。制服の下のネックレスがジャラリと鳴る。

(ゆえゆえ、可愛い)

 のどかはその可愛さに内心悶えた。






 教室を出た千雨は、女子寮への最短ルートを外れ、少し遠回りをしつつ向かっていた。木や建造物を見る度にそれに触る。

(先生)
<了解だ>

 亜空間にある材料を使い、使用者のイメージに合わせて物質を構成する。ウフコックが万能兵器と呼ばれる由縁だった。
 ウフコックと共に、麻帆良の各所に兵器なりトラップなりを仕掛けているのだ。

(まったく面倒だよな)

 土日にかけて、魔法についての情報を分析して、千雨は愕然としたのだ。書面上どれほど正しいのか分からないが、魔法の戦闘面の汎用性の高さにびっくりしたのだ。
 障壁魔法なるバリアーがあり、物質的衝撃やら魔法やらを無効化するなぞ、一体どこの漫画だ、と千雨はグチりまくったいたのだ。もちろんそれらにも限界があるらしいし、魔法の属性などによっても容易く破れると書いてはあったものの、千雨にはその属性とやらが無いのだ。
 残すはドクターが待つ死体安置場(モルグ)に帰宅するだけなのだが、用心深い――ビビリとも言う――千雨は保険をかけておくために、こうやっていそいそと、兵器を麻帆良に散布していた。
 空が落ちてきそうだった。曇天は薄暗く、まだ晴れ間は見えない。



 つづく。







あとがき

 読んでいただきありがとうございます。
 そんなわけで、千雨の出番が大分減り、物語が進みました。
 ついで、今回の更新にあたり、赤松板へも移動しました。
 初投稿だったのですが、色々いじってたらなんとか使えるようになってきましたので。

 今回も捏造設定多めですが、ご容赦を。
 あと、今回の展開で色々読める方もいると思いますが、それに関してはもうちょっとお待ちいただければ幸いです。
 ネタバレ怖いw

 昨日、今日の更新なので、昨日よりは分量少な目です。
 未だにどれくらいの量がいいのか計りかねてたりします。うーむ。

 ともかく、次回も続けて書かせていただきます。
 感想や誤字報告もお待ちしています。



[21114] 第5話「失踪」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2010/09/15 23:33
 月曜。本来なら学校がある時間に、アキラは自室のベッドの上で震えていた。
 木から落ちた小鳥を埋めた日から、アキラの周囲では不思議な事が起きていた。部屋の中の物がふと移動する事をはじめ、ふいの物音や気配、そして――

「あっ、あぁぁぁ」

 脳裏に昨晩の出来事が蘇る。




 昨日、アキラは大浴場で体を洗っていた。ここ数日の苛まれる不安感も、集団に混じれば和らぐ。アキラ自身も、賑やかな喧騒の中で確かにそれを実感していたのだ。
 洗面台の前で椅子に座り、手足を擦る。泡立つタオルで満遍なく体を洗っていた。ふと顔をあげ、目の前の鏡を見た。
 目。細い、薄い刃のような目が、ギラギラと自分を見つめていた。

「ひっ!」

 悲鳴が漏れ出て、背後を伺う。確かに、そこには人の姿をした”ナニか”が居た。女性の体躯をし、尻尾のような物が数本揺れている。狐の面がアキラを見下ろしていた。
 恐怖が体を襲い、椅子からずり落ちる。タイルから臀部へと冷たさが直に伝わる。

「ア、アキラ。どうしたの?」

 隣で体を洗っていた椎名桜子が、不思議そうにアキラに問いかけた。

「こ、これ。変なのが、た、助けて……」

 しどろもどろな言葉に首をかしげつつ、桜子はアキラの視線を追う。

「うーん、どこらへんの事言ってるの?」
「――え?」

 アキラは愕然とした。すぐそこ、それこそ目と鼻の先に立つ人影があるではないか! 言葉にならない叫びは誰にも届かなかった。

「どったのー?」
「あぁ裕奈、アキラがねぇ」
「アキラ変な格好でなにしとるん?」

 クラスメイトの喧騒が、アキラを囲う。だが、誰一人とて自分を見つめる人影に注意を向けない。

(み、見えてないの?)

 もしかして幻覚かもしれない。アキラは甘い逃避に入りそうになる。だが、アキラが見える限り、目の前の人影は本物だった。周囲の水しぶきが人影に降り注ぎ、その表面に雫を作っている。足元には人影の体を伝った水溜りが出来ていた。
 見れば見るほど本物なのに、周りはそれを見てくれない。
 いつかの出来事を思い出す――誰かが泣いていた――誰が――そう、あれは――。

「ちょっとあなたたち、何かあったの!」

 アキラを囲った小さな人垣が割れた。奥からは自分達より年上の上級生が歩いてくる。

「あなたどうしたの、床に座って。湯当たり? それとも体調でも悪くなった?」

 心配そうに聞いてくる上級生。アキラに近づき、顔を寄せる。上級生の背後にはやはり人影が見下ろしている。

「い、いえ――」

 アキラの言葉は途中で止まった。
 目の前の人影が、尻尾をユラリと動かし、上級生の足首へと巻きついたのだ。尻尾から黒いもやが発生する。
 染みがうっすらと広がる。目の前の上級生が、眩暈を起こし、アキラに倒れ掛かってきた。

「ひっ!」

 アキラはこの前の小鳥を思い出し、目を瞑る。

「あら、どうしちゃったのかしら。ごめんなさいね」

 上級生は、頭を振りながらアキラから離れ、立ち上がる。
 その言葉に気付き、アキラは目を開ける。周囲を見渡すが、先ほどの人影は無い。あるのはアキラを心配そうに見つめるクラスメイトの視線だけだった。

「あ、その。だ、大丈夫です。ご心配ありがとうございました。」

 ペタリと座りっぱなしで深くお辞儀する。その何ともいえないシュールな光景に、周囲から笑いが起きた。
 だが、その喧騒はもう、アキラの心を和ませる事は無かった。






 第5話「失踪」







 風が千雨の栗色の髪をなびかせた。首元で色気も無く束ね、ただ利便性を重視してその髪型にいていた。
 今の千雨には、髪型を気にする気持ちがわかない。半年前の事件で、その髪のほとんどを失った。頭皮すら焼き尽くされ、枯野のような頭だったらしい。今の髪は全てが楽園で作られた人工毛である。本来ある細胞と癒着し、本物と同じように髪が伸びるのだ。

「ふぅ~」

 近くの自販機で買った甘ったるい缶コーヒーをチビチビ飲みながら、欄干越しに風景を眺めた。
 千雨の居る場所は、麻帆良にある幾つかの公園の一つである。傾斜地に作られた公園は、麻帆良を睥睨するように作られている。園内には物見台のような物まであった。所々に木々が生えており、それはその公園の下も同じである。まるで円形の小さな公園そのものを木々が持ち上げているようだった。気分はツリーハウスと言った所だ。
 放課後、女子寮への帰り道上を反れまくりつつ、ウフコックの協力の元、着々と兵器を街中に仕込んでいた。もちろんそれらには物理的、電子的なロックをかけ、千雨の干渉により動かせる様に加工してある。
 そんな物騒な一仕事を終え、千雨は公園で一休みをしていたのだ。
 麻帆良は学生の街である。そしてその学生らに外出規制のお達しが出ているため、いつもと違い人気がほとんど無くなっていた。閑散とした風景を眺めつつ、さらにコーヒーをすする。

「そこの君」

 一人の男が公園の入り口に立っていた。白い服の長身の男――空条承太郎――だった。人気の無い公園に、一人でいる千雨を不審に思い声をかけた承太郎だった。承太郎の只ならぬ気配に、ウフコックの鋭敏な感覚に引っかかる。

<千雨、気を付けろ>
(うげ、マジかよ)

 ウフコックの声に従い、千雨は公園を覆うように知覚領域を広げる。
 そして、承太郎もまた、千雨の違和感に気付く。

(何者だ?)

 承太郎は帽子のつばを押さえつつ、千雨と一定の距離を保ち、対峙した。ふと、麻帆良に来る時に読んだ資料を思い出す。

「――君は、もしかして長谷川君か?」
「へ? なんで名前を?」

 反射的とは言え正直に答える千雨に、ウフコックは頭を抱えるのだった。








 学校が休校になり、裕奈はドッサリと渡された二人分の課題を持って、一直線に寮へと戻ってきていた。

(アキラの奴、大丈夫かな)

 昨日、それとも一昨日だろうか、ここ数日アキラの様子が少しおかしいのに気付いたのは。一緒に部屋にいても、急に何か怯えるように視線をさ迷わせたりする時があるのだ。
 どうせ映画やテレビで恐いものでも見たのだろう、と思ったのだが、昨日の大浴場での出来事が、裕奈に何かを確信させる。
 今日の朝、アキラが体調不良を訴え、裕奈に欠席届を渡した時の事を思い出す。
 ベッドに半身を横たえたまま、青い顔で苦笑いをしている様は、まさに病人といった感じだったが、瞳の奥にある恐怖は本物だった。そう、まるで何かを失う事が恐いかのように――。
 女子寮の玄関を越え、自室へと向かう。ポケットからのカードキーを使い、部屋に入った。

「戻ったぞー。アキラは元気にしてるかー」
「だ、だめだ裕奈! 出てって! 逃げて!」

 尋常じゃないアキラの声に、裕奈は靴を脱ぐのも忘れ、部屋へと飛び込んだ。
 しかし、そこにあるのはベッドの隅で震えるアキラだけである。部屋の中をグルリと見渡すが、何も見つからない。
 寝ぼけたのかな? などと思い、緊張を解いた裕奈だったが――

「う、後ろ! 逃げて!」
「え……」

 裕奈は腹部に圧迫感を覚えた。まるで、”何か”に締め付けられてるような。
 視線を下げる。そこには太い一本の腕のようなものが腹に絡みついていた。そしてその表面からは黒いもやが染み出てきている。もやが触れた部分は染みとなり、服を滲ませていく。

「かはっ。あ、あ、あぁ」

 体を襲う脱力感。体に急な寒気が走る。まるで、高熱で倒れたような感覚に、眩暈まで起こった。
 裕奈は腕のようなモノの元を見ようと後ろを振り返る。そこには人影があった。狭い部屋の中にいながら、なぜいままで気付かなかったんだという様な長身の女性。体は奇妙な服で覆われ、頭には仮面をかぶっている。かぶっているはずだ。
 だが狐のような仮面にある細い溝、そこからギョロリと目玉が動くのが見える。偽者の”はず”の耳もピクリと動く。

「あ、う……が」

 口をパクパクとさせながら、体が崩れ落ちた。頬にフローリングの冷たさが感じられる。
 気だるさと気持ち悪さが交じり合う。吐き気を堪えつつ、視線で女を追いかけた。裕奈には一瞥をくれることなく、アキラの方をじっと見ている。

(アキラ、逃げて――)

 目蓋が重く、裕奈の意識は遠のいていく。






「ハッ、ハッ、ハッ!」

 アキラの呼吸は浅く、速かった。目の前の光景が恐怖と悔恨を催す。
 最近、自分の周囲で見るようになった人影が、今日はハッキリと自室に立っていた。その風貌や剣呑に感じる気配に、アキラは恐怖していた。しかし、アキラは目の前のものがなんなのか、おぼろげにだが分かり始めている。
 何故か早めに帰宅した裕奈だったが、彼女は人影に気付くことなく、その尾に絡みとられ、黒いもやに侵されてしまった。
 床に倒れつくす裕奈を、潤む視界で捕らえつつ、アキラは動けないでいた。先日の小鳥といい、この前の大浴場での出来事、そして目の前の裕奈。それらはまるで自分のせいではないか。アキラの推論はそこに帰結するも、心がそれを拒否する。
 だが――。

<オ前ノセイダ! オ前ノセイダ!>

 自分を染めるような声が、耳に響く。バチバチと周囲に火花が散った。

<オ前ガイッショニイルト、周リノ人ガ傷ツイテイクゾ。全部オ前ノセイダ>

 頭に木霊するその言葉が、アキラを絶望の淵へと追いやる。

「アァァアァ」

 視線が泳ぎ、口の端からは泡が落ちた。爪でガシガシと髪を掻き毟る。アキラの瞳は恐怖に染まっていた。

「行かなくちゃ、行かなくちゃ」

 ブツブツと喋り続けるアキラは、もう室内にいる人影は見えていない。いや、人影はいつの間にか消えていた。
 朦朧としたアキラは玄関へ向かう。パジャマのまま、乱れた髪はそのままに。裸足で廊下へ出て、そのまま寮の玄関へと向かう。不思議と誰とも会わなかった。監視カメラに紫電が走り、各部屋の電子ロックがカチリと音を鳴らす。空からポツポツと雨が降り始めた。
 その日、アキラは行方を眩ませた。






「スピードワゴン財団……ですか」
「あぁ、そうだ」

 公園のベンチに千雨と承太郎は並んで座っている。
 千雨達はその後、お互いの立場を確認しあった。千雨は学園都市からの転校生として、承太郎はスピードワゴン財団からの支援を受けた調査員として、だ。
 承太郎は麻帆良に来る前の事前調査で、千雨の資料に目を通していたのだ。承太郎が麻帆良に赴くほんの数日前の転校ながら、財団はしっかりと調べ上げ、顔写真とともに承太郎の元へ送られていたのだ。
 なにせ学園都市から麻帆良への転校は非常に珍しい。だが無いわけでは無いのだ。しかし財団や承太郎が注目したのは、千雨の保護者欄にある名前『イースター』である。以前世話になった事件屋の名前だった。
 それらの事を承太郎は大雑把に千雨に語り、千雨はその事をウフコックに聞いた。

<スピードワゴンと空条姓には聞き覚えがある。直接の面識は無いがな>

 ウフコックの言葉に、千雨は警戒を二段階ほど下げ、承太郎との会談に移ったのだ。

「君は学園都市出身者だったね。それでは『スタンド』について知っているか?」
「ス、『スタンド』て、あの『スタンド』か? 生粋の超能力とか何とかの」
「人によってはそう言うらしいな。とりあえずはその『スタンド』だ」

 承太郎はそう言い、コートの中から数枚の資料を出した。

「先ほどの気配から、君が只者でない事くらいはわかる。超能力者なのか、それともこの麻帆良の――なのかね。」
「あんた、本当に何者だ?」

 超能力者はまだしも、麻帆良の事情にまで精通してるらしい。

「しがない調査員だよ。とは言っても、本職は海洋冒険家だがな」
「ぼ、冒険家」

 うさんくせぇ、と口には出さず、顔に出す千雨だった。
 渡された資料をペラリと捲る。

「うえぇ」

 吐き気を催す写真が何枚か添付されている。汚いものを触るように写真の淵を持ち、裏返した。

「何ですか、これ?」
「君も知っているだろう。今回の変死事件、その詳細だよ」
「これが?」

 ふーん、といった感じで、千雨は写真は見ずに、資料を斜め読みしていく。現場に残された不可解な程の大量の血。外傷の無い男子学生。しかし、体内に残る焦げ跡。ゴミを重ねる様に放置された遺体。

「これ、変死事件じゃあないですよね」
「あぁ、間違いなく”殺人”事件だ」
「――”殺人”事件にできない事件って事ですか?」
「さすがに聡明だな」

 承太郎の行動に、千雨は違和感を覚える。

「なんで、私に教える……んですか?」
「今、この街は危機に陥っている。いやこれからも根本が解決されなければ、このような事件が起こり続ける。だから味方であれ、敵であれ、君のような存在に多少なりとも現状を知って欲しかったのだ」
「多少?」
「あぁ多少だ。できるならこの様な状況になる前に”回収”したかった。それに、君なら丁度いいと思ってね」

 承太郎は立ち上がり、千雨の方を向く。

「君は『超能力者』だろ。これが見えるか?」

 奇妙な感覚が千雨を襲う。ズズズズズ、と承太郎の背後から”何か”が立ち上がるように感じられる。透明な空気に揺らぎが起こる様な。薄っすらとした輪郭が千雨の瞳に写った。

(魔力? いや魔力に確かに近いが違う。この前得たフィルティング情報のおかげで微かに感じられる)
<千雨も感じるか。この臭いはおそらく『スタンド』だ>
「――これが『スタンド』?」

 思わず口からこぼれた。

「!? 『超能力者』ってやつも見えるのか。本来『スタンド』は『スタンド使い』にしか見えないんだがな」
「あ、いや違うんだ。その私の『超能力』? みたいなやつがそういうのを感知しやすくて、薄っすらと輪郭が見えるっつーか、何っつーか」

 わたわたと手を振りながら、余計な事までいう千雨だった。

「そうなのか。まぁ丁度いい、だったら気をつけてくれ。今、この『麻帆良』を騒がしてるのは間違いなくスタンド使いだ」
「この変死事件とかがスタンド使いだってのか」
「十中八九そうだな」

 承太郎はスタンドを消しつつ、再びベンチに座る。

「『ある事情』により、本来稀有なスタンド使いが、この麻帆良で増えている可能性がある」
(『ある事情』ねぇ)
「実際、先ほどの変死事件だって、氷山の一角だ。今回の事件を調べる際に発見された事だが、この麻帆良ではここ数ヶ月で十数人の行方不明者が出ている」
「へ、そんな事聞いたことないぞ」
「それはそうだろう。最近になって分かったことだ。『電子データ』が改ざんされていた。紙媒体の資料との齟齬が発見され、やっと気付けたのだ。何者かが悪意を持ってやっている事は確かだろう」

 承太郎は立ち上がり、千雨に背を向ける。

「お、おい」
「気に止めて置いてくれ。おそらく君にとっても、俺にとってもの『敵』だ」

 そう言いつつ、承太郎は公園を出て行った。

「言うだけ言って、勝手な奴だ」
「だが、おかげで得られたものは多い」

 ウフコックがいつの間にかネズミの姿で千雨の肩にのっている。

「って言ってもねぇ――」

 グッと伸びをしつつ、空を仰ぎ見る。どちらにしろ関係ないことだ、そう千雨は思っていた。







 承太郎との会談を終え、寮に帰宅した千雨が見たものは、いつにもましての喧騒だった。
 廊下に人だかりが出来ている。千雨はその人垣を掻き分けつつ、自室へと向かった。
 どうやらこの人の集まりは自分達、つまり中学生のフロアを中心に起きているのが分かった。
 なんとか自室のドアに辿り着き、部屋へ入ろうとする千雨に声がかかる。

「あーー! 千雨ちゃんだ。大変なんだよぉ!」

 佐々木まき絵の声だ。大きな声はいつも通りだが、どこか声音には不安が読み取れる。新体操で使うだろうリボンを駆使し、廊下の人の群れをアクロバテイックなジャンプでかわし、千雨の前に降り立った。

「今ね、ゆーなとアキラが大変なんだよ!」
「は? 大変ってなんだよ」
「えーと、かんせんしょう? とかで病院に運ばれたんだって」
「はぁぁぁぁ」

 まき絵の話を聞き、千雨は人込みを裂くようにアキラの部屋まで向かった。

「なんかねー、先生が言うには『感染力が低いから大丈夫ですよ』とか言ってたんだけど、さっきまで寮の前に救急車が来て大騒ぎだったんだから」
「二人は無事なのかよ?」

 千雨は歩きながら、切羽詰ったようにまき絵に問い詰める。

「う、うん。”二人とも”大丈夫って聞いたよ。ただ姿は見れなかったんだけど」
「そうか、良かった」

 最悪の事態は免れたようだ、と千雨はほっと胸を撫で下ろした。
 そうこうしてる内に、アキラ達の部屋まで来ていた。
 ドアの周りに黄色いテープで囲いが出来ており、廊下には消毒液の臭いが充満している。「下がってー」「戻ってー」、という先生方と思われる声が聞こえるが、やじ馬は一向に減らないようだ。

(おかしい……)

 千雨は知覚領域を薄っすらと発動させ、周囲を探知した。部屋の中にいる人間のほとんどが魔力持ちだった。ドアの隙間から見えるのはガンドルフィーニとかいう黒人の教師だったろうか。なぜ魔法使いがこんなに――。

(考えるまでもないか)

 『スタンド』なのか? だが、どっちにしろ栓の無い事である。千雨にはスタンドであろうと、感染症であろうとたいした事ができるわけではないのだ。幸いな事に二人は無事なようである。
 麻帆良を離れる前に一度お見舞いに行けばいいだろう、と千雨は思っている。
 だが、千雨はまだ『スタンド』の真の恐怖を知らなかった。
 窓の外ではいつの間にか雨が降っている。













 夕映はトイレの中で便座カバーの上に座っていた。ポケットをがさごそと探し、何粒かの錠剤を手のひらの上に乗せる。指が多少震えている。
 水も飲まずに、それらを一気に煽り、飲み込む。
 喉につまりそうになるのを堪え、一息。

「ふぅ」

 そして、またポケットを漁り、今度は小さなプラスチックケースを出す。
 中にはミニチュアのような銃が入っていた。銃身の変わりに、小さなガラスのビンが付いており、ビンの中には液体が満たされていた。
 夕映は銃口の位置にある針を、器用に新しいのと交換する。キュッキュと回転させ、固定。
 その銃を持ち上げ、首筋に当て、引き金を引く。
 プシュ、っという空気が抜ける音がし、夕映の体内に注射針と液体が流し込まれる。数秒間、それに耐え、夕映はゆっくりと針を抜き、道具を再び箱の中にしまった。
 気付けば体の震えは止まっていた。だが、虫食いのようなぼやけた感覚が残る。夕映は無意識にペンダントを握った。

「いつまで――」

 ぼやくような呟きに、自嘲の笑みを浮かべる。今更の事だ。
 夕映にはルームメイトが二人おり、なかなか一人になる事ができなかった。二人の前で錠剤はごまかす事ができるが、注射となるとごまかしが効かない。
 そのため、しばしばこの様にトイレに篭っているのだ。
 夕映はトイレの水を流し、そこから出る。
 部屋ではのどかとハルナが明るい声で何かを話していた。

「何を話しているのデスか」
「あ、ゆえゆえ、あのね――」
「もう聞いてよ~、のどかったらさ」

 夕映はニコリと笑い、談笑に加わる。その一時を噛み締めるように。
 『祖父』と呼ばねばならなかった最愛の人の顔はもうおぼろげで――。

(ジョ……さん)

 ただ、ペンダントの感触のみが、夕映の繋がりだった。



 つづく。







あとがき

 読んでいただきありがとうございます。
 少し更新期間が空いてしまいました。その上今回は分量も減です。
 もう少し早く書きたいんですが、なんとも。
 内容も我慢の時。
 チートを活かしてパパラパ~、と解決したいのは山々ですが、そこそこじっくりと行こうと思います。
 あと百合がない。
 もう少し経てば百合でアハーンな展開が書ける! はず!
 プロットもそこそこ先に進み、そのせいで全話ほんのすこーし微修正をしました。
 とりあえず土日に一気に書き溜めしたいと思います。

 感想や誤字報告お待ちしています。




[21114] 第6話「拡大」+現時点でのまとめ
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2010/09/15 23:34
「裕奈……」

 病室に男性の声が響く。
 まだ若々しく、長身で、黒縁の眼鏡をかけた温和そうな顔の男である。だが、その表情は不安に揺られている。
 娘の手を両手で包み、心配そうにベッドに寄り添っている。
 男は明石裕奈の父親だった。麻帆良大学の教授を務めているが、娘には隠して魔法先生としても麻帆良では知られている。
 娘が倒れた、との一報を聞き急いで病院へ駆けつけたのだ。
 娘である裕奈は、多少荒い呼吸をしつつも、ベッドで眠っている。そう思い、多少安心した。
 病室にノックの音が響き、ドアが開かれる。

「が、学園長」
「やぁ、明石教授」

 麻帆良学園の長、近衛近右衛門だった。和服の出で立ちで、好々爺といった雰囲気を持つ老人である。だが常日頃纏っている、その気質が無くなっている事に教授は気付いた。

「すまんのぉ、教授。これはわしの失態だ」
「――どういう事でしょうか」

 近右衛門は手をかざし、遮音結界を病室に張る。無詠唱でこの展開速度、極東においては数人しか出来ない洗練された技術であった。
 近右衛門は裕奈の寝るベッドに近づきつつ、教授に話しかける。

「さすがにわしが触れるわけにもいかんじゃろ。すまんが裕奈君のふとんの中をそっと覗いて見てくれんかのぉ」
「――ジジイィ、うちの裕奈に何させる気だぁ」

 温和な表情が一変。教授は鬼の表情をし、学園長を睨み殺そうとする。

「ち、ちがうのじゃ! ホレ、とりあえず覗いて見てくれ」

 いぶかしみつつ、教授は裕奈のふとんを持ち上げ、固まった。
 そこには腹を中心に、黒いもやが裕奈を縛るようにうねっている。

「こ、これは呪い? 回呪の魔法は行ったんですか!」
「一応行ったが、まったくの無反応じゃった。それにそれは『魔法』では無い」
「『魔法』じゃない?」
「そうじゃ。おそらくそれが『スタンド』なのじゃろう。本来はスタンド使いにしかスタンドは見えないらしいがの。特別に見えるのもあるとの事じゃ」
「『スタンド』ですか。いや、なんであのスタンドが、この麻帆良で! 裕奈はどうなるんですか!」

 本来、紳士然とした態度の教授が取り乱し、近右衛門に問い詰める。

「すまぬ。わしとした事が甘く見ておった。麻帆良でスタンド使いが”発生”するとの連絡があったのだが、その調査や報告を最小限にしておったのじゃ。明石君ならまだしも、今の若い者のほとんどは『スタンド』の名前を知らん。学園都市とのいらぬ摩擦を避けたかったんじゃ」

 そんな事で裕奈を……、という言葉を教授は飲み込む。おそらく自分が責任者であっても、『スタンド』を麻帆良にいる魔法使い達に告知するなどという事はしなかっただろう。只でさえ侵入者が後を絶たない麻帆良の地では、ただいらぬ猜疑心をあおるばかりである。

「――何が起きているんですか」
「正直言ってわからぬ。ただ、麻帆良の地にスタンド使いを産み出す道具が持ち込まれ、それが悪用されている事くらいじゃ。なにせこちらは『スタンド』に関してほとんど知らぬからのぉ」

 だが、それは教授が欲した答えでは無かった。拳を握り締め、絞るような声を出す。

「それで、裕奈は。裕奈はどうなんですか?」
「――。とりあえず”今のところ”は命に別状は無い。だが改善もされておらぬ。その黒いもやはどうやら”ウィルスのようなもの”らしいのぉ。らしい、というのも実際はわからん。裕奈君の体には一気に感染が広がるものの、二次感染などは起きておらぬ。むしろ他者にまとわりついたもやは綺麗に消えてしまう。魔法と同じく不可解な症状じゃ」
「”今のところ”はとはどういう事でしょう」
「無理じゃろうが、気を悪くせんでおくれ。先ほども言ったが、改善されておらぬのじゃ。”ウィルスのようなもの”は徐々に裕奈君の体力を奪っておる。このままじゃいずれ体力が無くなり、最悪の事態になるじゃろう。現状、点滴などでどうにか凌いでおるがの。どの程度持つか、それすらも予想出来ん」

 教授は近右衛門の言葉に愕然とする。カクン、と体から力が抜け、椅子に沈み込む。そうですか、と蚊の鳴くような声でかろうじて返事をした。
 数年前に妻を亡くした時、娘とはお互いが支えとなり立ち直った。だが、今度はその娘が亡くなろうとしている。妻はすぐには手の届かない、遥か遠くの魔法界で死んだ。しかし、裕奈はすぐそこに居るのだ。裕奈の温もりはまだ手のひらにある。


 モウ、コボサナイ。


 漆黒とも言える執念が、教授の瞳に灯る。
 狂気にも似た目線を、教授は学園長にぶつける。

「学園長、お願いします。現状で判っていることを教えてください」
「う、うむ」

 近右衛門は語る。『矢』の事を伏せつつ、承太郎が来訪し、告げた事実を。また、ここ数日話題になっている変死事件が、スタンドによる殺人の可能性が高い事。数ヶ月に渡り学生の失踪があり、それらが巧みに隠蔽されていた事。そして――

「大河内アキラ、ですか」
「うむ。裕奈君のルームメイトじゃ。面識はあるかの?」
「えぇ、裕奈が何度か一緒に連れて来てくれましたよ」

 教授は長いポニーテールに長身と、目立つ容姿をしながら、酷くおとなしい女の子の姿を思い出す。

「そうか……。それでじゃが、その大河内君なのだが、行方不明なのじゃ。あの日、大河内君は体調不良を理由に寮に残っていたらしい。寮の警備システムにも、大河内君が外へ出た記録は無かった」
「はい」
「臨時休校となり、早々に帰宅した裕奈君が部屋に入る所も記録されておるのじゃ。その後、部屋を訪れたクラスメイトに倒れた裕奈君が発見された。じゃが、その時点で大河内君は部屋に居らず、警備システムにも、監視カメラにも姿が写っておらんのじゃ。裕奈君の異常な状態を寮長が察し、いち早くわしの所に連絡が来た。おかげで、どうにかパニックは収める事ができたんだがの。とりあえず”二人”は入院という事に”しておいた”のじゃ」

 言外に匂わす意味を、教授は履き違えない。

「アキラ君については?」
「さっぱりじゃ。ただ、色々と調査を進めると、どうやらここ数日、行動が変だったようじゃ。まるで何かに怯えるように。幾つか理由が考えられるがの、スタンド使いにさらわれたのか、もしくは自らが――」
「大河内アキラ」

 それが裕奈を救う『鍵』の名前だ。脳裏に刻み込む。今必要なのは友愛の精神ではない。

「大河内君を探すこと、それが解決の糸口となるじゃろう。こちらも専門家に調査をして貰ってる。どうにか耐えてくれ」

 近右衛門の言葉は、教授の耳に届かない。消えていたはずの笑みが浮かぶ。だが、それは常日頃浮かべるものとは別種のものだった。
 近右衛門は意識の戻らない裕奈を見つつ、思う。

(不謹慎じゃが、このまま裕奈君以外に広がらねば良いのぉ)

 しかし、近右衛門の不安は的中する。アキラの失踪から三日後、麻帆良内でのスタンド・ウィルス感染者は四人までになっていた。









 第6話「拡大」









 千雨はモシャモシャと焼き魚を頬張った。自炊能力が低めの千雨は、どうしても食事が偏る。特に麻帆良では洋食や中華が多く、シンプルな和食は食欲をそそった。
 ズズズ、とあさりの味噌汁を飲みつつ、きんぴらごぼうにも箸を伸ばす。

「食欲旺盛デスね」
「悪かったな」
「いえいえ、褒めてるんデスよ」

 夕映の言葉に若干顔をしかめつつも、箸は止まらない。
 千雨は夕映達三人の部屋に、夕食のお呼ばれにやってきていた。本来であるならルームメイト必須の女子寮では、なぜか千雨は個室なのだ。転校生、というだけじゃない理由があったりするのは勿論だ。
 変死事件の報道によりがっこうは臨時休校。さらに寮では感染症が起こり二名が入院となって、二日が経った。
 寮生達は、ほぼ寮内に監禁状態で過ごしている。夜の外出は完全に禁止。さらに昼の外出も申請書を出した上での許可制になり、よほどの事が無いと許可が降りなかった。
 とは言っても、寮内には食堂も店舗もある。大抵の日常雑貨はそろうし、もう一つある寮塔には幾つかの店舗にATMまでがあった。スーパーより多少割高ながら、生鮮食品も揃っていて、自炊も出来る。
 ほぼ生活には困らないのである。
 千雨自身は寮からの外出は容易だが、わざわざ事件に首をつっこむのも面倒だった。
 すっかり慣れ親しんだハルナやのどかとも会話を交えつつ、食事は進む。ここ数日、ほとんどの生徒が変わり映えのない部屋に篭り、課題をやらされていたため、ストレスが溜まっていた。必然会話は弾む。
 サボろうと画策する者も多かったが、毎日寮の上級生による監査が入る。課題の進行具合によっては、後々ノシを付けられて課題が戻ってくるとの事で、みんな必死だった。

「そういやさ、大河内と明石の入院先って知らないか? 見舞いぐらいだったら申請降りるだろ。ちょこっと行ってきたいんだがな」
「う~ん。それがね、判らないんだよ。症状は軽い、って事らしんだけどね、なんでか先生達が入院先教えてくれないんだってさ。やっぱり感染症とか、その辺の事が関係してるのかもね」
「そっか」

 ハルナの言葉に納得しつつ、どうせ自分の力で調べればいいや、と楽観する千雨だった。

「只でさえ、今の麻帆良は大変なんデス。さらにウチのクラスに場所を教えれば、大挙して押しかけるのが目に見えるデス。好判断でしょう」

 小動物がカリカリと木の実を食べるイメージそのままな、夕映の食事風景だった。

「おい、夕映付いてるぞ」
「ふぇ?」

 夕映の頬に付いた米粒を、千雨はひょいと掴み、自分の口に放り込んだ。
 顔がカァーッと熱くなるのを夕映は自覚する。

「ん、どうかしたか」
「い、いえ。ナンデモナイデス」

 何も気にしてない千雨に対し、夕映はしどろもどろだ。

「「ニヤニヤ」」

 それを見守る視線が二対。
 夕映はハッと気付き、二人を睨みつける。

「んまー、ラブ臭がするわねぇぇぇぇ」
「ゆえゆえ、かわいい」
「ウガーーーーー!」

 ブンブン腕を振り回す夕映に対し、二人は冷静だ。
 何やってるんだか、と我関せず千雨はみそ汁をすする。









 千雨は部屋に戻り、パソコンの電源を付けた。ブーンとハードディクの回転音が部屋に響く。

「さて、と」

 パソコンに電子攪拌(スナーク)をし、ネットワークへと繋がる。とりあえず麻帆良内にある病院を片っ端からアクセスし、アキラと裕奈の入院先を洗おうとする。

(――ん? ありゃ?)
「どうした千雨」

 ウフコックは机の上で丸まっていたが、千雨の表情に気付き、顔を上げた。

「んー、なんて説明したらいいんだろうな。違和感つーか、そういうものが麻帆良内のネットワークにあるんだ。ピッカピカの滑らかな床が、何かを引きずって傷つけられてる、みたいな感じだ」
「ふむ」
「まぁ、気にするほどじゃないだろ」

 千雨は気にせず、方々への電子的不正侵入を再開する。
 だが、ウフコックは先日の承太郎の言葉を思い出しつつ、考え込んだ。

<麻帆良内でのデータの不正改竄。それに千雨がやっと気付けるほどのネットワークの違和感。もしや私達以外にも『楽園』の怪物がいるのか?>

 じっと固まったウフコックはそのままに、千雨は次々と病院のセキュリティを破り、患者名簿を洗っていく。

「うーん、ここも駄目。一体どこにいやがるんだ。お? あったぞ」

 二人が入院している病院を見つけた。だが、その情報に千雨は違和感を覚える。

「なんか情報が少ないな」

 裕奈には最小限のカルテ情報はあるが、治療経過などがほとんど無い。

(やはりなんらかの特殊な状況にあるのか)

 そう思い、今度はアキラのカルテ情報を開いた。

「なっ!」

 白紙。
 名前と性別、学籍などはあるものの、それ以外は白紙。病状も、治療方針も何も無かった。

「どうなってやがるんだコイツは……」

 千雨は幾つかのネットワークを介して、本来外部へ繋がっていない病院内の警備システムへアクセスした。
 幸い二人が入院しているのは『特別治療室』なる監視カメラ付きの病室だった。
 カメラの映像に介入し、病室を見た。
 裕奈の病室では、寝ている裕奈に一人の成人男性が付き添っていた。家族だろうか。
 今度はアキラの病室に切り替えてみる。そこに映ったのはがらんどうな病室だ。ベッドはシーツが綺麗に張られ、使用した様子もない。室内の電灯も最小限にしか付けられてない。そう、これは空室だ。
 千雨は椅子を倒しながら立ち上がる。

「なんなんだよ、コレは!」
「千雨、どうした?」
「どうしたもこうしたもねぇ、先生見てくれ!」

 激昂した様子で千雨はウフコックに見える様にモニターを動かす。
 名前だけのカルテ、空室の病室。他にも、書類だけのアキラの存在証明が表示されている。
「なるほどな。千雨、大河内嬢はいま大変危険な状況にいるようだ」
「そりゃ、わかってる!」
「いや、判ってない。落ち着け、千雨。現状をしっかり把握しろ。なぜ大河内嬢がいないのか、なぜ学園側が隠蔽するか」

 千雨はウフコックの言葉に、深呼吸を一つし考える。

「大河内が病院から抜け出した、いや違う。病院とは違う施設に連れて行かれたのか?」
「可能性はあるな。だがもう一押しだ。我々はもっと致命的な”見落とし”をしている」
「”見落とし”――」

 あの日、裕奈達が入院した日を思い出す。ふと、まき絵の言葉が思い出される。その後も、何人かのクラスメイト達との会話から、ある共通点が見出された。

「そうか! 誰も大河内が寮内から運ばれるところを”見ていない”のか」
「そうだ。誰も見ていない。つまり、第三者が現場に行った時にはもう大河内嬢はいなかったのだろう。明石嬢をあのような状態にした者に連れ去られたのか、もしくは他の理由があり自発的にいないのか、現状では判断できん」

 千雨はあごに手を添え、うんうん唸りながら考える。

「学園側が何かしらの隠ぺい工作をして、この事件を明るみに出すのを避けているのか。さらにさっきの病室から判断すれば、まだ事件は解決に至っていない。」
「空条殿の情報を照らし合わされば、おぼろげながら輪郭が見えてくる」
「そこで『スタンド』か。変死事件に失踪者。データ改竄に加え、大河内の誘拐? までと。動機がさっぱり判らないが、悪意だけは感じる。むかつく野郎だ」
「千雨、どうする。やはり傍観するか? 我々が首を突っ込んでも得るものはないぞ」
「うっ」

 千雨は調査のために麻帆良に来たにすぎない。荒事などできれば御免だ。なまじ力を持ってしまい、巻き込まれざるを得ない状況に陥ってるが、できれば平穏に暮らしたいのだ。だが――。

「も、もっと現状を知る人に聞き、それから考える!」
「そうか」

 ウフコックが笑った気がした。顔をそらし、千雨は携帯電話を手に取る。先日貰った名刺を出し、ポチポチと番号を押した。
 名刺には『空条承太郎』と書かれていた。









 大河内アキラが目覚めたとき、自分がどこにいるか判らなかった。
 光の奔流。管のような所を滑り落ちながら、前から後ろへと膨大な光の矢が飛び去っていく。

「ここ、どこ……」

 目は虚ろ、思考も正常に程遠いが、なんとか現状を把握しようと周囲に目をかざす。
 そこはやはりどこを見ても光だけだ。ただ、独特の浮遊感だけが体を覆っている。
 自分の体を見る。服を着ているのか、裸なのかすら判らない。ただ、光が体のような輪郭を取っているだけだった。

「なに、これ……」

 漏れ出る言葉に、恐怖が走る。さらに思い出していくのは絶望的な光景。
 友人が倒れていく姿が目蓋に蘇る。

「いや、いやぁぁぁぁ」

<オ前ノセイダ>

「なんでこんな事に!」

<全部オ前ノセイダ>

「助けて!」

<誰モ助ケニコナイ>

「お願い、誰か!」

<ミンナオ前ヲ殺シニクルヨ>

 アキラの一言一言に”誰か”の言葉が被さる。その度にアキラの心は絶望に染まった。
 気付いた時、アキラはレンガ敷きの道の上に座っていた。
「あれ? さっきのは夢?」
 光の中にいたはずなのに、今周りに見えるのはうっそうと茂る緑と、夜の闇だった。近くの街灯がアキラ周囲を微かに照らすばかりだ。

「暗い。暗いよぉ」

 大雨がアキラの体を濡らす。ズブ濡れになりながらも、アキラはそこから立ち上がる事ができない。
 ただ絶望と不安だけが、心に広がり続けた。
 そこへ――

「大河内君」

 一人の男性の声がかかった。









 千雨は承太郎に連絡し、以前出会った公園での約束を取り付けた。能力を駆使し、女子寮を抜け出し、大雨の中を急いだ。
 傘に当たる雨粒の音が、一層激しくなっている。
 程なくして公園が見えてくる。中央にある東屋に人影があり、千雨は近づいた。

「夜分、呼び出してすいません」
「いや、いい。手短にいこう」

 千雨は傘を折りたたみ、承太郎の向かい側に座った。

「それじゃお聞きします。大河内アキラをご存知ですか?」
「あぁ、名前だけなら。いや違うな、写真を見てビックリしたよ。一度だけなら会っていた」
「会って? ともかく、それじゃあやっぱり大河内はこの事件の当事者なんですね」
「そうだな。俺達も追っているが、未だに尻尾すら掴めない。だが、確証は無いが恐らく大河内アキラは『スタンド使い』だろう」
「はぁ? なんで急にそうなるんだよ!」

 承太郎の言葉に、千雨は思わず素で返す。

「俺の勘だ。『スタンド使いは惹かれあう』という言葉がある。放っておけばスタンド使いは会ってしまうんだ、自分と同属にな」
「だからって大河内がスタンド使いって事にはならないだろ!」
「あぁ、ならない。だから君に聞きにきたんだ。この写真を見てくれ」
「写真?」

 一瞬、以前見せられたグロ写真かとも思ったが違った。老婆が弓矢を持っている写真である。

「この写真に写る『弓と矢』を見てくれ。見覚えないか?」
「『弓と矢』――」

 アキラ達と学園内の資料室に行った事を思い出す。確かあの時、アキラは何かを持ってケガをしたはずだ。アキラは何を持っていたんだ。金属のそう――。

「『鏃』だ。アキラは先週、資料室で『鏃』で怪我をしたんだ。確かこの写真のと似てる気が――」
「やはりそうか。これで確定だ」
「ど、どういう事だよ」
「そのままの意味だ。大河内アキラはその時、『スタンド使い』になったんだ。現状から察すればおそらく暴走してるんだろう。いいか、さっきの『弓と矢』で怪我をすれば死ぬ。もしくは『スタンド使い』になるかの二択なんだ」
「え……、は……。ちょっと待て、じゃあ、あの時――」

 承太郎からの情報が千雨を混乱させる。”理解”はしている。だが信じたくは無いのだ。
 下唇を強く噛み、立ち上がる。

「わたし、確かめてくる!」

 濡れるのをいとわず、千雨は雨の中、女子寮へ向けて走り出した。

「おい、待て!」

 承太郎の呼びかけにも、一顧だにしない。

「クソ、これだから女は……うん」

 承太郎の胸元から携帯の着信音が鳴り響いた。










 高畑・T・タカミチの目の前に、アキラはいた。
 大雨の中、地面に座り、遠目からも判るほど震えている。
 三日前、学園長から魔法先生達に現状が告示された。高畑は渦中にいる自らの生徒達を救うため、一睡もせずに麻帆良内を駆け回っていたのだ。
 そして、やっとの事でアキラを見つけたのだ。
 アキラの姿は酷いものだった。着の身着のままだったのだろう。パジャマのまま大雨に晒されている。このまま放置すれば風邪になる事は明白だ。

「大河内君」

 相手を脅かさないように、できるだけ優しい声音で話しかけた。

「良かった、大河内君。探したんだよ、みんなが心配しているよ」

 アキラに声をかけつつ、高畑は歩を進めた。
 顔を振り向き、アキラは高畑を見る。

「たか、はた、先生」

 酷い顔だった。グッショリと濡れた髪が顔中に張り付いている。雨のせいで泣いているのかは判らないが、目は真っ赤だった。瞳が光を返すことは無く、そこに黒い穴を穿つのみだ。
 戦場で何度か見た子供を思い出す。

「ずぶ濡れじゃないか、さぁ急いで帰ろう」
「先生ぇ……」

 できるだけ明るい声音でアキラに話しかける。アキラはクシャリと顔を歪め、搾り出すような声を出した。
 だが、ふとアキラの耳音に火花が散る。小さな光だ。最初は雨粒が光を反射したのかとも思ったが、違うらしい。パリパリと小刻みに火花が散る音が聞こえる。

「あぁぁぁぁ、いや、誰か、助けて」

 火花が散るたびに、アキラの顔色がどんどん悪くなり、絶望が広がっていく。高畑の背筋に悪寒が走った。だが――

「大河内君!」

 このままではいけない。戦士としての警鐘を、教師としての本能が上回った。アキラに走りより、肩を掴む。瞳を覗きこみ、声をかけた。

「大丈夫だ、大河内君。心配ない。もう安心していいんだ」
「もう、大丈夫……なの?」
「あぁ、そうだ。後は全部僕にまかせておけばいい」
「本当に? 本当に?」
「あぁ――」





<ソンナワケナイダロ、バーカ>


 そんな声が聞こえたような気がした。周囲に火花が散る。冷え切った高畑の体に、熱が走る。

「え……」

 高畑の胸から腕が生えていた。バチバチと火花を散らしながら、光る腕が後ろから高畑を貫いている。

「が、ゴボ、ガハ」

 呼吸をしようとするも、口から溢れる血が邪魔をする。血泡が口の周りに付いた。

「いや、いや、いやぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 アキラは目が見開き、口から絶叫を上げる。

「お、おぉこ、ガボッ、う……」

 なんとか安心させようと声をかけるも、溢れ出る血が邪魔をする。それに、高畑の体は動かなかった。気付けば、アキラの背後に長身の女性の人影が立っている。そこから伸びる尻尾のようなものが、高畑の傷口から黒いもやをまとわり付かせた。
(そうか、これが大河内君の『スタンド』。それじゃあさっきのは――)
 倒れた体が雨粒を弾く。冷たい地面が高畑の体温を奪っていった。地面に血の花が咲く。

「あぁぁあああああああ――」

 アキラの慟哭は唐突に遮られる。アキラに雷が落ちたと思うと、もうそこにアキラの姿は無かった。
 ただ、倒れ伏した高畑の姿が残るばかり。








「ちょっと、あなた。何時の間に外出したの!」

 ずぶ濡れになり女子寮まで辿り着いた千雨は、玄関口の部屋にいた寮監に見つかり、声をかけられた。
 だが、千雨はそれを気にせず、階段を一気に上る。

「待ちなさい!」

 後ろから怒声が聞こえた。
 体中から滴る水を気にせず、ズンズンと進む。

「あ、千雨さん――ど、どうしたんデスか、その格好」
「気にしないでくれ」

 夕映の呼びかけにも目もくれず、廊下を進む。
 千雨の異様な出で立ちと雰囲気に、すれ違う生徒達は道を譲っていった。
 やがて目当ての部屋まで辿り着く。ドアの周りに立ち入り禁止のロープが張られているが、気にせず乗り越える。
 ドアには厳重にテープが張られているが、それも剥がした。テープの下から『明石、大河内』の表札が見える。

<千雨、落ち着け>
(わたしは落ち着いてるぜ、先生)

 電子ロックを触れただけで解除し、部屋の中へ入った。
 小奇麗な部屋だった。それがアキラと裕奈の気質なのだろう。装飾過多なものはほとんどなく、シンプルなインテリアだった。
 千雨は部屋全体に知覚領域を広げ、その中を精査する。幾つかの魔力が感知された。それはあの日、ここを調べていた魔法使いものだろう。感知できる魔力を除外し、更に調べていく。承太郎との会談でみた、『スタンド』の感触を思い出す。
 千雨の瞳に薄っすらと、人の姿をした輪郭の残滓が見えた。その感触は承太郎の時に感じたものと変わりが無い。

「く、くぅぅぅぅぅぅ」

 その事実に、千雨は歯を食いしばる。悔しさが口の中に広がった。

「ちくしょぉぉぉぉぉ!!」

 壁を拳で叩く。その衝撃で、タンスの上にあった写真立てが床に落ちた。
 千雨は壁を背に、ズルズルと滑らせ、床に力なく座った。
 いつの間にか、千雨の肩には金色のネズミが乗っていた。

「千雨……」

 ウフコックはかける言葉が見つからなかった。以前だったら容易に、論理的に話しかける事ができただろう。だが、今は恐いのだ。自分の言葉が千雨を壊しそうで、千雨の言葉が自分を――。
 カタリ、と落ちた写真立てが千雨の手に当たる。何の気も無しに、それを手に取り見た。
 写真の中では少女二人が手を繋いで遊んでいた。アキラの幼い頃の写真なんだろう。目元や顔立ちが似ている。だが、今と違って髪が短い。
 逆に、もう一人の少女の髪は長かった。幼いながら、ロングの髪をポニーテールにしている。赤味がかった栗色の髪。

「こ、れ、は……」

 千雨の目線は写真から離れない。鼓動が早くなる。視界が狭まり、写真しか見えなくなった。
「あぁ、そうか。そうなのか。ちくしょうぅ」

 目から涙がポロポロとあふれ出し、メガネの内側のレンズを濡らした。再び口を強くかみ締め、嗚咽を堪える。
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちく……」
 千雨は泣いた。







 つづく。









あとがき

 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 なんとか連日更新が出来ました。
 やっとフラストレーションの溜まる展開も書き終わりました。これからが色々とチートの本領発揮! といきたい所です。
 多重クロスの上に、ぼやかした説明ばっかりしてるので、原作知らない人などのために簡単なまとめを作ってみました。

 感想や誤字報告など、お待ちしています。


●現時点(第6話)でのまとめ
・長谷川千雨
両親を殺される事件に合い、「楽園」と呼ばれるある科学研究所の技術で治療を受ける。
その際、ウフコックやドクターと出会う。
さらに楽園の技術により、電子への干渉や、周囲への超感覚を持つ。
以前麻帆良に住んでいた事がトラウマになっている。
対外的には「超能力者」のフリをしている。
魔改造済み。
元ネタは「魔法先生ネギま!」「マルドゥック・スクランブル」。

・ウフコック
多次元に貯蔵した大量の素材を使い、使い手の思考に合わせて様々なものへ変身できるネズミ。
楽園で産み出された万能兵器である。
ドクターとともに楽園を出て、千雨と出会う。
本来は感情などの臭いを嗅ぎわけるのだが、千雨との出会いにより自らの感情が発露。
現在はその力はかなり減衰してる。
やっぱり魔改造済み。
元ネタは「マルドゥック・スクランブル」。

・ドクター・イースター
千雨を治療した科学者。事件屋も営んでいる。
元々「楽園」出身であり、現在は学園都市に滞在している。
現在両親のいない千雨の保護者。
元ネタは「マルドゥック・スクランブル」。

・空条承太郎
ジョジョ第三部の主人公。
時系列的には第四部登場時と同じ。
時を止める最強スタンド「スター・プラチナ」を持つ。
ほぼ原作と同じ。
スタンドを発現する「弓と矢」を追い、麻帆良にやってくる。
元ネタは「ジョジョの奇妙な冒険」。

・大河内アキラ
スタンドを発現する矢に傷つけられ、スタンド能力を得る。
しかし絶賛暴走中。
魔改造中。
元ネタは「魔法先生ネギま!」「ジョジョの奇妙な冒険」。

・綾瀬夕映
よくわからない過去持ち。
不思議な事が好き。
少し語尾のイントネーションがおかしい。
絶賛魔改造中。
元ネタは「魔法先生ネギま!」「?」。

・麻帆良学園
街一つが魔法使いの土地になっている。
「弓と矢」が流れ着き、悪用されている。
元ネタは「魔法先生ネギま!」。

・スタンド能力
人間の精神力を具現化した能力。
先天的に持っているか、「弓と矢」で傷つけられるかでしか発現しない。
ちなみに「矢」には未知のウイルスが付着しており、感染すると普通は死ぬ。
スタンド能力を発現したものだけが生き残れる。
元ネタは「ジョジョの奇妙な冒険」。

・学園都市
超能力者を開発している都市。
東京の三分の一を占める。
麻帆良とは電車で五十分程の距離にある。
スタンド能力を人工的に模倣した果てに産まれたのが超能力、という設定改変がされている。
元ネタは「とある魔術の禁書目録」。





[21114] 第7話「double hero」+時系列まとめ
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2010/09/15 23:34
 高畑の回収と治療は速やかに行われた。
 彼自身が意識を失う寸前に放った念話は、即座に近右衛門へと送られ、近右衛門は魔法先生を現場へと急行させた。
 おおよその位置しか特定できず、一刻を争うという事もあり、動ける魔法先生の全員が高畑の捜索へと飛び出す。
 発見された高畑の容体は酷いものだった。急所をギリギリで通り抜けているものの、少しズレていれば間違いなく即死である。内臓も削られ、真っ当な表の世界では緩慢な死しか選べないだろう。
 だがここは麻帆良、魔法使いの土地である。近右衛門を筆頭に、治癒魔法が使える者による一大治療が行われた。削られた内臓を再構築し、失った血を補給させ、体の各部に起きた異常を調整する。魔法による治療としては長い、一時間以上もの時間がかかり、高畑の傷はほぼ完治した。だが――。

「やはり取り除けぬか」

 高畑の傷跡を中心に広がる黒い染み。今、関係者間では『スタンド・ウィルス』と呼んでいるものである。魔法での治療中も、この染みが消えることは無かった。明らかに魔法とは別種の力だと、改めて近右衛門に確信させる。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 高畑の息は荒い。魔法での治療は酷く患者の体力を奪う。それが故の治癒能力の高さなのだ。しかし、今はそれが仇となっている。魔法による治癒をしなければ死んでいただろうが、その治癒により、高畑の『スタンド・ウィルス』の抵抗力が衰えているのだ。
 このままでは高畑の死が近い。明石裕奈にしろ、調査中に感染した魔法使いにしろ、体力のある状態で感染し、しっかりとした施療がなされているからこそ未だに持っていた。

「むぅ……」

 近右衛門が唸り声を上げた時、病室のドアがすごい勢いで開かれる。

「――ハァハァハァ、おいジジイ! タカミチが死に掛けてるというのは本当か!」

 金髪の幼女が肩を上下させている。走ってきたのだろう、息も荒ければ歩き方もぎこちない。エヴァはそのまま近右衛門に問い詰めた。

「ジジイ!!」
「わ、わかったから落ち着くのじゃ。とりあえず高畑君は一命は取り留めた。だが――」

 エヴァはキッっとベッドに眠る高畑を見る。視線が傷跡で止まった。

「『スタンド・ウィルス』か。どいつがやった、今度こそ判ったのだろう」
「う、うむ……」

 高畑の治療中、彼の記憶を読み取る魔法を使い、当時の状況がかなり克明に判っていた。今までも感染者に対し、同様の事を行ったのだが、『スタンド』のせいなのか、おぼろげな記憶しか覗けず、犯人の確信に至らなかったのだ。
 口ごもる近右衛門に業を煮やしたエヴァが口を開く。

「大河内アキラ、で間違いないのだな」
「う、うむ。そうじゃ」
「それだけ判れば十分だ」

 エヴァは踵を返し、病室を出て行こうとする。

「エヴァ! どうする気じゃ」
「――ジジイの渡してきた『スタンド』の資料にあったじゃないか。例外はあるらしいがスタンド能力の解除は大別すると二つ。本人の意思による解除、もしくは――能力者本人の死亡」
「まさか、お主」
「おいおい、ここまで来て日和見か。もうろくしたなジジイ。いいか、私はな――」

 エヴァは足先から腕先まで綺麗に気を流し、勁を混ぜ合わせた裏拳を病室の壁に叩き込む。壁一面にヒビが入り、中央には穴が穿たれた。華奢な体に似合わぬ破壊力である。

「我がままなんだよ! これ以上酒を飲みあう友が居なくなるなるのは気に入らん!」

 怒りに満ちた瞳だった。

「うぐ、だが、しかし――」
「学園長」

 そこへ声をかけたのは明石裕奈の父、明石教授である。彼の後ろには数名の魔法先生が付き従っている。

「わたしもエヴァンジェリンに賛成です。この状況になってまでこまねいていたら、全て取り返しが付かなくなってしまう」

 後ろに居る魔法先生も、神妙な面持ちで同意の首肯をする。

「うぐぐ……」

 近右衛門の額に脂汗が溜まる。殺伐とした世界に在りながら、ここ数年のぬるま湯のような期間が、近右衛門を苦悩させた。悔恨と責任がせめぎ合い、一つの結論を出す。
 数分後、麻帆良内の魔法先生のみに通達された念話の内容は『大河内アキラの抹殺』だった。
 事態は一刻を争う。








 第7話「double hero」









「うぐ、ううううぅぅぅぅぅぅ」

 堪えきれない涙が溢れている。嗚咽も止まらず、ただ歯を食いしばり、写真を抱え込んだ。雨によって濡れた千雨の体から、落ちる雫がフローリングに水溜りを作る。ポタポタと落ちる雫はなにも水ばかりでは無い。
 膝の間に顔を埋めつつ、千雨は思い出していた。いつかの昔、自分が幼い頃に救われた日々を。

「……」

 肩に乗るウフコックは、じっと千雨を見つめたまま動かない。ふと、鼻をひくつかせ、千雨の手首に巻きつき、いつも通りの腕時計に反転(ターン)する。
 いつの間にか、部屋の入り口には夕映が立っていた。

「千雨、さん」

 ビショビショに濡れ、うずくまり泣く千雨に近づく。まるで赤子のようだ。夕映は千雨を抱きしめたくなる、だがそれを寸前で止めた。
 以前、図書館島の地下に行ったときから、千雨が何かしらを抱えている事を知っている。それが日常の中に無いことも。
 彼女がどれ程の世界に身を置き、どれほどの苦悩を抱えているのか、夕映は判らない。しかしとて、このまま千雨を放っておく選択も出来ない。出来るわけが無かった。
 夕映は千雨の肩を強く掴み、顔を上げさせた。

「う、えぐっ、えぐっ」

 酷い顔だった。目は真っ赤に腫れ、髪は濡れて貼りつき、鼻水はダラダラ、口も必死にくの字の形を保っている。
 ポケットからハンカチを取り出し、顔を拭いてあげた。
 涙は拭いた傍から溢れ出し、髪は大量の水気で、とてもハンカチ一枚では足りない。部屋にあったティッシュで、チーンと鼻をかませる。
 少し落ち着いたのを見計らい、夕映は声をかけた。

「私には何故千雨さんが泣いてるか判りません。何故女子寮を抜け出したのか。何故明石さん達の部屋に来たのか。何故写真を抱えているのか」

 その言葉に、千雨は写真を一層強く抱きしめる。

「ですが、一つだけ判ります」

 夕映は両手を大きく開き、千雨の両頬に同時に平手をした。パチーンと小気味良い音がする。そのままおでことおでこをぶつけ、至近距離で千雨を見つめた。

「このままじゃ駄目デス。私に出来ることは少ない。でも千雨さんは違うでしょう? 私、図書館島で落とし穴に落ちた時、パニックになりながらも千雨さんを見ていたんデス」

 ほんの数秒の落下だった。だが慌てて固まるばかりの自分と違い、必死で助かろうともがく千雨がいた。その姿ははるか昔、虫食いのような記憶にある『祖父』に重なる。それはまさに――。

「麻帆良が今おかしいのは、さすがの私でも判ります。そして、きっとそれが千雨さんを悲しませているという事も。だから、このままじゃ駄目デス。あなたは立ち上がれる」

 夕映の言葉が耳に広がる。昔、麻帆良にいた時のやるせなさ。半年前、死にゆく両親を前に何も出来なかった無力感。まだ、わたしに出来る事があるのだろうか。
 零れ落ちた水を戻す事ができない、などと誰が言ったのか。今の千雨にはそれが出来る。ウフコックがいて、ドクターがいる。
 千雨の瞳に火が灯る。

「――りがとう」
「えっ?」

 千雨が急に立ち上がり、その勢いで夕映はコロンと仰向けに倒れた。千雨は顔を服の袖でグシグシと擦る。
 そこから現れた表情は、先ほどまでのとは一変している。

(先生、すまない)
<腹は決まったようだな>
(あぁ!)

 夕映に背を向け、部屋の玄関に向かう。

「夕映、ちょっと出てくる。取り戻してくる、全部っ!!」
「は、はい!」

 アキラ達の部屋の周りに、数人の人垣が出来ていた。それはそうだろう。寮を抜け出し、帰ってきたらびしょ濡れで廊下を疾走。さらに封鎖されている部屋をブチ破ったのだ。
 寮長や上級生の姿も遠くに見え始めた。

「や、やべ」

 千雨は人垣を掻き分け、玄関へ向けて走り始める。
 後ろから怒声や静止を催す言葉が聞こえるが、無視をする。
 だが、千雨の体力は並だった。徐々に追いつかれる。

「ぜぇぜぇ、く、くそぉ!」
「待ちなさい! 寮則を破った挙句、立ち入り禁止の部屋にまで入るなんて何考えてるの!」

 追跡者の手が、千雨の肩に触れそうになる。

「任せてくださいデス」

 その間に小柄な影が割って入った。
 上級生の伸びた手を掴み、綺麗に背負い投げを決める。

「え?」

 気付いたら天井を見ていた。そんな状況に上級生は間抜けな声を上げる。

「あれ?」

 投げた本人、夕映自身も不思議そうに自分の手を見ていた。

「ゆえゆえすご~い!」
「さすが探検部のリーサルウェポンね、私の見込みどおりよ!」

 いつの間にか周りに探検部のメンバーが並走している。

「なんだか判らないけど、千雨ちゃん急いでるんでしょ。『ここは任せて先に行け』ってね! 言ってみたかったんだ~」

 そう言うなり、ハルナやのどかは寮長や上級生達にダイブした。足や腰に抱きつき、足止めをしてくれていた。少し遠くを見れば二年A組のクラスメイト達も妨害をしてくれている。

「み、みんなっ!」

 後ろを振り返りつつ、千雨の足は止まらない。

「千雨さん、頑張ってください!」

 その声はしっかりと千雨の耳に届いた。








 走り去る千雨を見つつ、夕映は床に投げ倒した上級生を起き上がらせ、謝罪した。

「申し訳ありませんデス」

 言い訳はせず、ただ頭を下げる。千雨が抜け出た事で、周囲の熱も下がり、そこらかしこでクラスメイトの謝罪が飛び交った。
 寮長と上級生達も、そのあまりの変わり身の早さに呆然とするが、すぐさま事態を再確認し、改めて怒声を発する。
 夕映はその声を聞き流しつつ、千雨の姿を思い出していた。幼い頃見た『祖父』の姿と重なる、それは――。

(そう。私はあなたに、昔見た『ヒーロー』を重ねたんですよ)

 小さく囁いた。











 高畑が血の海に倒れる光景が目蓋に焼き付いている。
 アキラは絶叫を上げたはずだった。だが、声は伝播せず、空気を振動させない。いや空気そのものが無かった。
 また光の中を落ちていた。輝きがうねり、自らを絞っていく。

(なんで、どうして)

 口を開く気力も無く、身をそのまま委ねた。
 血を見た事でふと、数日前の事を思い出す。千雨にハンカチを借りた事を。新しいハンカチを買ったのに、とうとう渡す機会が無かったのだ。

(もう渡せないかな)

 切なさが込み上げる。それが、辛うじてアキラを繋ぎとめていた。
 気付けば時間の感覚が無くなり、何も出来ない絶望感が感情を塗りつぶす。
 また光の渦が消え、雨に濡れた地面に座っていた。

「木……、世界樹?」

 うっそうと茂る巨大な姿は、夜の闇の中でも確認できた。世界樹広場と呼ばれる場所の中央に、アキラは居た。
 周囲を見渡す。街の光がたくさんあった。だが、少しづつ、その光が消えていく。ポツポツ、ポツポツと。
 アキラの周囲に黒いもやがあふれ出した。いや、もうもやではなく煙である。勢い良く噴出し、広場を覆っていく。紫電が周囲に走る。バチバチと、雨粒を弾く電気の音。
 これから自分が引き起こすだろう事に、罪悪感が溢れた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 もう、顔を伝う雫が、何なのか判らなかった。
 ”闇”の中に”黒”が染みる。

<<アハハハハ>>

 歓喜は二つ。巨大な樹の下と、はるか遠くの地下からだった。













 寮を出た千雨は、土砂降りの中を走り続ける。
 麻帆良中にある監視カメラのシステムにアクセスし、状況を把握しようと努めた。雨のため視界が悪いカメラ映像を、並列思考で精査していく。千雨の頭には麻帆良内の地図と、把握できる限りの人物の現在地が表示される。
 監視カメラの酷い映像からは確証は無いが、麻帆良中央にある世界樹広場、そこにいる人影がアキラだろうと当たりをつける。顔は見えないが、パジャマらしき服装と、長髪は確認できた。
 しかし、脳内に広がる人物の配置に違和感を感じる。数人の教師が、常人とは思えないスピードで、アキラの居る世界樹に向かって動いているのだ。千雨の方が世界樹に近いのでアドバンテージはある。だが、それすらもあっという間に覆されそうだった。

「ちくしょう、どうなってやがる!」
「おそらく、大河内嬢の保護、もしくは――」
「あれ? 先生、わたし達の進路上にも人影が」

 教師陣の異常さに見とれていた千雨だが、自分達の向かう先の人影を見落としていた。

「空条さんか」

 長身の男性が雨の中、電灯の下に仁王立ちしている。

「やっと来たか。それでどうだった?」
「あぁ、あんたの言ったとおりだったよ。急いでるんだ、どいてくれ」
「待て、話を聞け」
「だからそんな暇――」

 承太郎の威圧する目線に言葉を飲み込む。

「長谷川君が公園を飛び出した後、学園長から連絡が来た。君の担任の教師が大河内アキラを発見し、負傷したと」
「えぇ!」
「幸い、魔法とやらで治癒したらしい。怪我はな。だが、感染したとの事だ」
「感染、って何にだよ」

 苛立たしげに千雨は聞く。

「麻帆良では今こう呼ばれている『スタンド・ウィルス』と。黒いもやに触れると感染し、感染者からの二次感染は確認されていない。徐々に体力を奪い、死に至らせられるだろう、と目されている。遅効性の毒みたいなもんだ」
「『スタンド・ウィルス』って、まさか」

 承太郎は帽子のつばを上げ、愕然とする千雨を真っ直ぐ見定め、答えた。

「そうだ。大河内アキラのスタンド能力だ。明石と呼ばれるルームメイトも感染してるらしい、他にも麻帆良内で数名。いずれも存命だが、いつまで持つかわからんとの事だ」
「っ――」
「俺はスタンドの解除方法を聞かれたんだがな。そんなもの二つしか知らない。本人が解除するか、本人が死ぬかだ」
「は……?」
<――やはりな>

 予想していた、というようなウフコックの声が脳内に響く。

「そしてついさっき、学園長から再度連絡が来た。『大河内アキラの抹殺を決定した、協力して欲しい』とな」
「なぁっ!」

 脳内にある麻帆良のマップデータが千雨をさらに焦らせる。この教師陣はアキラを殺すために動いてるのだ、と気付くと、寒気が一気に駆け巡った。零れ落ちたモノをすくいなおす。そのはずなのに。

「な、なんであんたはわたしにそんな事まで話すんだよ」
「――さて。なんでだかな」

 一瞬思案し、承太郎は答えた。
 千雨は脳内のマップデータを再確認する。麻帆良の中央にはアキラが、そこに一番近い位置に千雨と承太郎がいる。だが後方には十数人の人間がすごい勢いで世界樹へ向けて動いていた。
 迷ってられなかった。千雨は地面にこすり付けんばかりに頭を下げる。

「あんた、じゃなかった空条さん。たのむ、私に力を貸してくれ!」
「力をだと? 君はどうするつもりなんだ」

 顔を上げ、承太郎の目に直接語りかける。

「もう、零したく無いんだ! 大河内は大切な奴なんだ! 私は全部をどうにかする! したい!」

 千雨は力の限り叫ぶ。支離滅裂な言葉の羅列。しかし、そこには千雨の思いがあった。

「……仮に、俺の力を借りたとして何が出来る。スタンドを暴走させた大河内アキラに、魔法使いの追っ手。君一人に何が出来るんだ」
「出来る! 私にはそのための力があるし、それに……先生だっている!」
「先生?」

 シュルリと千雨の腕時計が姿を変え、金色のネズミが千雨の肩に乗る。

「お初にお目にかかる、空条殿。事件屋のウフコック・ペンティーノと言う。書類上ではお互い顔見知りだな」
「あんたが、ウフコックだと」

 喋るネズミに、少しばり承太郎は驚く。

「いや、失礼した。それでウフコックとやらがいてどうなる」
「空条殿、私が『楽園』出身だと言えば判りますか?」
「『楽園』!? なるほど、それであんたらは……。いいだろう、ただ一つ条件がある」

 千雨の返答も待たず、ゆらりと承太郎は一歩を踏み出す。
 承太郎の背後がぶれる。千雨はとっさに領域を拡大し、自らの演算能力を酷使した。
 大砲。
 承太郎のスタンド『スター・プラチナ』の拳はそう形容するしか無いようなものである。たった一発の拳打が、地面に大きな溝を作った。
 轟音の後、砂煙が舞う。だが、雨のおかげで、砂煙はすぐに晴れた。

「ほう」

 承太郎の感嘆する声が出た。
 千雨はスター・プラチナの一撃を、ギリギリの所で避けていた。一般人と変わらない身体能力の千雨にとっては、本当に紙一重である。身近に立つ”死”が、千雨を怯えさせる。だが――。

「てめぇ、いきなり何しやがる!」

 決して瞳を逸らさない。

「”承太郎”だ」
「は?」

 いきなり殴ったと思ったら、変な事を言い出す承太郎に、千雨は首を傾げる。

「俺の名だ。そう呼べ”千雨”」
「な、いきなり何呼び捨てにしてるんだ!」

 承太郎の目線も揺るがない。

「かつて、俺と仲間達はエジプトへの旅をした事がある。その旅の戦いの中、俺達が正義の中に見たものがある」

 千雨の言葉を一切聞かず、承太郎は話し続ける。

「黄金の輝き。『黄金の精神』だ。千雨、君の瞳には怯えと恐怖がある。だが、俺の拳を受けてなお、その中には”輝き”があった」
「なっ……?」
「そして君には『力』がある。『黄金の精神』と『力』を持つ同じ志の人間を、俺は『仲間』と呼んでいる」

 承太郎はそっと拳を出した。

「胸糞悪ぃ申し出より、遥かに価値のある行動だ。魔法使いどもは受け持とう。思う存分にやれ、千雨」
「あっ」

 千雨は承太郎の拳に、そっと自分の拳を合わせた。

「お、お願いします」
「違う。そこは『頼む』だ」
「た、頼みます! ”承太郎さん”」

 ゴツンと承太郎の拳が当たる。ジーンと痺れる拳を押さえつつ、千雨はその力強さがありがたかった。

「――まかせろ。さっさと行け」
「は、はい」

 承太郎の横をすり抜け、千雨は世界樹の元へ一目散に走る。
 それを見送りつつ、承太郎は千雨と逆の方向を見た。自らのスタンド、スター・プラチナの視力を使い、遠くを見る。何人もの人影が近づいてくるのが見えた。

「やれやれだぜ」

 帽子を深く被りなおす。
 人影の方向を向き、足を広げて立つ。両手をポケットに入れ、胸を仰け反らせた。
 その姿は壁に似ている。
 誰も通さない、無言の気迫が立ち上っていた。






 つづく。








あとがき

 読んでいただきありがとうございます。
 ストック無しですが、なんとか連日更新できました。
 書きたい、続きが書きたい、と思いつつ、やっぱり文章量が少なめに。
 次回はもう少し大目になると思います。


 サブタイトルは悩みました。最初「ダセェ」とか思ったんですが、逆にコレしかないだろう、と決断しました。
 さらに英語かカタカナか、はたまた小文字か大文字か、と悩み結局普通な感じに。


 さて、と言うわけで、第一章もやっとこさクライマックスに近づきました。
 エヴァ+魔法使い一同 VS 大河内アキラwithスタンド。という構図に、千雨と承太郎コンビが介入です。
 ほぼ四面楚歌の中、二人はどうするのか、とか言いつつも、やる事は一つしかないんですがw
 思えばチートと言いつつ、まともなバトルが無かったこのSS、どうにかバトルシーンが出せそうです。

 それと前回に続き、今回もオマケというか、作者も混乱してきたので、時系列のまとめをあとがきの後に付けました。判り辛さは作者の不徳の致す所ですが、少しばかりの補完材料です。


 それでは、感想、誤字脱字報告などお待ちしています。今後ともよろしくお願いします。


●第7話時点、時系列まとめ。

■20××年 五月 (ネギま原作開始の九ヶ月くらい前の設定)

■第二週
●月曜
・千雨、麻帆良に転校。
・麻帆良にて初陣。
●火曜
●水曜
・承太郎麻帆良へ到着。
●木曜
・資料室にてアキラが怪我を負う
●金曜
・千雨、図書館島に行く。
・クウネルとも出会う。
・エヴァが男子学生の変死体を見つける。
●土曜
・アキラ、スタンド能力が目覚め始める。
・承太郎、資料室でスタンドの矢とニアミス。警備員が殺される。
・千雨、魔法に関するレポート提出。

■第三週
●日曜
・変死事件が公表。
・千雨、爆睡。
・アキラ、不可解な現象に悩む。
●月曜
・アキラ欠席、臨時休校決定。
・アキラ失踪。裕奈ウィルス感染。
・千雨、承太郎と出会う。
●火曜
●水曜
▲夕方~夜
・千雨、夕食にお呼ばれ。
・高畑瀕死。
▲夜
・アキラの抹殺決定。
・千雨、承太郎共闘。



[21114] 第8話「千雨の世界ver1.0」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2010/09/15 23:35
 千雨の息は荒い。
 只でさえ体力が人並みの千雨が、麻帆良中をずっと走り続けているのだから当たり前である。降りしきる雨も、千雨の体力を徐々に奪っていく。

「くそ、見えねぇ」

 雨水に濡れたメガネを擦る。

「おわっ」

 足元が水で滑りかけるが、なんとか持ちこたえる。一度立ち止まると、足がガクガクと痙攣しているのが分かった。だが、止まるわけにはいかない。
 座り込みたくなるのを堪え、再び走り始める。
 喉がナイフで刺されたようだった。手足に鉛を付けられているようだった。一歩足を踏み出すのが遠く感じられる。だが、止まらない。
 千雨の背中を数多くの手が押してくれた。かつて裏切られ、救われたこの地で、再び救われたのだ。そして、今度は千雨が救いたい。
 ”輝き”が千雨の体を駆け巡る。
 しかし、千雨の知覚領域に意外な人影が入った。承太郎が足止めを受け持った場所とは違う方向から、二つの人影が向かってきている。先ほどの魔法使い達とは比較にならないスピードだ。
 幸いな事に、千雨とはかち合うコースであった。
 だが、電子干渉(スナーク)をし、いくつかの監視カメラから姿を把握しようとするものの、あまりのスピードに影しか把握できないのだ。

「チッ! こんな時にかよ」

 千雨はウフコックに干渉し、拳銃に反転(ターン)させる。銃口を相手の来る方向に向けた。風の様な速さで、地を駆ける二つの人影が、千雨を前にして止まった。

「お前は」
「貴様は」

 千雨と相手の声が重なった。











 第8話「千雨の世界ver1.0」











 明石教授は魔法先生達十四人の先頭を走っていた。即座に集められた魔法先生達の人数である。何れも麻帆良内の警備を担当しており、戦闘経験を持っていた。今回、魔法使いの学生、通称『魔法生徒』には連絡もしていない。まだ彼らには、これから行われる凄惨で生臭いものを見せたくない、という思いからだった。もっとも、それらがどれほど彼らを思っているかは定かではない。
 それぞれの先生達が、体に魔力や気を纏い、身体能力を底上げしつつ走る。常人の範疇を越えながらも、息を切らせる者は皆無だった。
 走りつつ、学園長が頼んだ助っ人との合流ポイントへ近づく。

「あそこか」

 街頭の下、一人の長身の男性が立っていた。
 空条承太郎。今回、麻帆良へスタンド使いが現れる情報を掴み、調査を申し出た男との話だ。あのスピードワゴン財団からの全面バックアップもあり、本人もスタンド使いという一角の人物らしい。海洋生物に関する論文も幾つか発表してるらしく、プライベートなら気が合うかもしれない、と密かに教授は思った。
 承太郎の前に魔法先生達は立ち止まる。代表するように教授が一歩前に出る。

「空条さんですね。麻帆良大で教授をしている明石です。今回の事件での協力をして頂けると、学園長から聞いております」
「あぁ、そういう話『だったな』。すまない」

 そう言うと、承太郎は帽子のつばを掴み、目礼をする。

「あの、どういう事でしょうか?」
「要点だけ言おう、魔法使い殿」

 教授は空気が変わるのを感じた。承太郎への目線が離せない。
 ドサリ、と後ろで音がして振り返る。

「な、何だ!」

 一人の魔法先生が気を失っていた。あご先にアザがある。
 今、ここにいる者達は大なり小なり、魔法障壁を張っていた。障壁は物理的、もしくは魔法などの衝撃を緩和する。その障壁を抜けて攻撃されていた。

「みなさん! 警戒してください! 周囲に何者かがいます!」
「その必要は無いぜ」

 教授の耳に承太郎の声が重く響く。地鳴りのような音が聞こえた気がする。

「『俺』が『あんたら』の敵だ、ついさっきからな。悪いがここを通すわけにはいかない」

 承太郎の不敵な言動には、先ほどの攻撃が彼によるものだと確信させる何かがあった。自分達『魔法使い』が感知できない攻撃、『スタンド』、そして目の前にいる『スタンド使い』。次々と連想される単語が、等しく目の前の男へと収束される。
 高畑が死に掛け、他にも魔法使いの仲間の命も削られている。なにより、娘たる裕奈も命の危機なのだ。その焦燥感に、教授は歯をギチリと軋ませながら、承太郎に問いかける。

「なぜっ! なぜ邪魔をするんですか! 今、ここで彼女を殺さなければ、我々の友人達が死んでしまう! む、娘も死に掛けてるんだ!」

 教授の必死の説得。いや、説得にすら至らない、心情の吐露だ。背後に控える同僚達も、その心情に共感する。無言のまま、憤怒の視線を承太郎にぶつけた。

「『輝き』だ」

 承太郎の一言に、一瞬怒気が薄れる。

「俺は先ほど一人の少女の『輝き』を見た。大河内アキラを殺す。組織として正しく、なにより効率的だ。だがな、俺は気に入らない。敵のスタンドの根暗さに、この麻帆良とやらは毒されてるらしい、そしてその暗さを吹っ飛ばすのは『輝き』だ」

 承太郎はポケットから手を出し、魔法使い達に向け、ピシリと指をさした。

「俺は『輝き』、正義の中にある『黄金の精神』にかけただけだ。御託はもういいだろう、さぁおっぱじめようぜ。俺に背を向けて逃げられると思うな」

 承太郎の背後にスタンドが立つ。『立ち向かうもの』の異名を持つ、人の精神の具現。今、この場で承太郎のスタンド『スター・プラチナ』を見えるものは本人しかいない、またその能力を知る者も。
 承太郎の得体の知れなさに、教師達は一斉に距離を置いた。障壁に魔力を注ぎ、より強固にする。

「おいおい、いいのかそんなに離れて。そこは『俺の距離』だぜ」

 承太郎の言葉を聞いた次の瞬間、衝撃が教授を襲った。障壁をハンマーで殴られた様な感覚である。外傷は無いが、肌がピリピリと痺れた。

「な、なんだ一体!」

 周囲を見れば、同じ様な目にあっただろう数人が首肯している。今の一瞬で五、六人に対し、同時攻撃を行ったらしい。

「くぅ、みなさん、死なない程度に無力化させます!」

 教授を始め、複数の人間が魔法を詠唱した。資料によれば、スタンド使いは障壁を張るなどといった事はもちろん出来ず、身体的な強度は一般人と変わらないらしい。

「魔法の射手、光の3矢!」

 あの体躯だ、この程度は大丈夫だろう。教授はそう思いつつ、杖を承太郎に向け、魔法を放った。光弾が尾を引き、承太郎に向かって飛ぶ。
 後に続くように、他の先生達による『魔法の射手』と呼ばれる、魔力による矢が幾本か放たれる。
 承太郎の周囲には数十本の矢。だが、微動だにしない。ポケットに手を突っ込みながらの仁王立ちだった。
 矢が当たり、地面を抉った。砂煙が舞う。

「おい、大丈夫なのか」
「加減はしたはずだ」

 何人かの話し声が耳に入る。しかし、教授は妙な胸騒ぎがしていた。
「忠告したはずだぜ、そこは『俺の距離』だってな」
 砂煙が晴れれば、そこには仁王立ちのままの承太郎がいた。服が少し破れているが、無傷のようだった。

「な、なんで無傷――」

 言葉を最後までいう事ができない。また衝撃が教授を襲う。

「ぐぅ!」

 見れば魔法障壁に金属の小さい玉がぶつかっていた。障壁にめり込むように、数個の玉が浮かんでいる。一切知覚出来なかった。

「パチンコの玉、いやベアリングか」

 教授は麻帆良工大の友人の研究室を思い出した。そこで見た円形ベアリングに使われる玉とそっくりなのだ。
 思考を走らす間にも、障壁にめり込むベアリングは増えている。飛んでくる軌道も何も感じられない。ただ気付いたら『目の前にある』のだ。

「くっ、みなさん動いてください! 相手は『転移』らしき”何か”を多用しています」

 教授は、学園長が承太郎の能力を語っていた事を思い出していた。
 『わしでも感知できなかった。おそらくは空間に何かしらの干渉をする能力だろう』、その言はあながち間違いではない。
 体に魔力をまとわせ、一方的な的にならぬ様、空間を飛び回った。だが、それを追いかけるようにベアリングは目の前に現れ続ける。

「なんて正確な!」

 周囲を見渡せば二、三人の教師はベアリングの雨に打たれ、障壁を破壊されて撃墜されたようだ。その教師達を、戦線から運び出した仲間からの念話が入る。全員生きているらしい。それどころか余程上手い所に当てたらしく、最小限の怪我しかしていないとか。

(なんとも歯がゆい相手だ)

 教授は心中で呟きつつ、詠唱を再び開始する。このまま手をこまねいていたら負ける。それは他の教師陣も同じようだ。もはや相手を格下だと見ることは出来ない。

「魔法の射手、光の37矢!」

 先ほどの十倍以上の矢が承太郎に撃ち放たれる。やはり承太郎は動かない。回避の必要が無いとでも言うように。
 そしてそれは現実となる。三十本以上の矢が『反れた』のだ。まるで不可視の曲面の上を滑るように、承太郎だけを回避し、その背後に直撃する。
 攻防は続く。
 魔法使いの魔法が次々と打ち砕かれた。炎が霧散し、氷が砕かれる。その隙間を縫うように、いつの間にかベアリングが魔法使いを襲っていた。教師陣はどんどん削られていく。
 されとて、承太郎とて無傷では無くなっていた。コートはボロボロになり、血が幾つもの場所から噴出している。

「くそ! 頼む引いてくれ!」

 焦りが口から溢れ出る。戦闘時間は未だ五分にも経っていない。
 承太郎を迂回し、先へ進むのは容易だろう。
 だが、彼ら自身が持つ、自覚無き後ろめたさがそれを許さなかった。『教え子たる子供を殺す』その事実に真っ向から立ち向かう目の前の男は、彼らが壊さねばならない壁だった。そして、目の前の男ですら倒せないなら、大河内アキラも殺せないだろう、という思いが逃げ道になる。『スタンド』の実力を正確に把握できていない彼らは、薄っぺらな願望にしがみついた。
 また、承太郎の『能力』の事もある。果たして彼に背を向けて、無事に逃げられるのか……。
 痺れを切らした葛葉刀子が、周囲に叫ぶ。

「このままでは相手の思う壺です! 一気に畳み掛けます!」

 妖怪をほふる事を生業としている京都神鳴流。その剣術を納める淑女の言葉に、皆が彼女の行動を理解した。
 長刀を振り上げ、気を充実させる。紫電の走った刃を腰溜めにし、承太郎までの距離を一気に駆け抜けた。
 彼女に同意するように、追随する教師が四名。『転移』を能力とする相手と、距離を置くのは愚行。それが彼らの一致する意見だった。
 一撃必殺の刃に、魔法の剣、数々の攻撃が承太郎の体に降り注ごうとしている。だが――。

「やれやれやっとか。やっと『俺の距離』に来てくれたか」

 気付けばもう遅い。










 高畑の病室を出たエヴァは、麻帆良工大に寄り、茶々丸と合流をした。本来はメンテナンスの予定があったのだが、切り上げさせたのである。そしてこの行動が幸か不幸か、他の魔法使い達と別のルートを辿り世界樹へ向かう事となり、承太郎の妨害を受ける事が無かった。
 建物の間を飛ぶように走りつつ、エヴァは自らの力の充実を感じていた。

(力が戻ってきている?)

 本来の力の十分の一にも満たない。だが、一般の魔法使いの数倍の魔力が溢れ始めているのだ。
 エヴァンジェリンは真祖の吸血鬼と呼ばれる怪物だった。齢六百歳にして、不老不死。魔法使いの間で『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』と呼ばれる凄腕の魔法使いであり、元賞金首だ。
 それがある事件によりこの麻帆良の地に縛られ、中学生を十年以上も続けている。さらには魔力のほとんども呪いにより封じらていた。
 そのはずが、今封じられているはずの力が戻り始めているのだ。
 エヴァは周囲を見る。雨のせいで視界は良いとは言えないが、普段はもっと明るいはずの麻帆良が、ありのままの夜の闇に沈んでいる。光は少なく、数えるほどにしか見えない。

(まるで大停電だな)

 麻帆良では半年に一回、麻帆良を覆う結界の電力メンテナンスのために、停電を行う事があるのだ。エヴァは先月の大停電を思い出す。
 その際、エヴァの魔力に揺らぎがある事を茶々丸が観測していたのだ。それをある知り合いに伝えた所、ある仮説が立てられた。

『エヴァの魔力は電力による結界により封じられているのでは』

 と言うようなものである。エヴァも一つの意見として保留したものの、今の自分を見れば納得である。だが、この十数年の間、なぜ気付かなかったのか、と腑に落ちない一面もあった。
 実際、エヴァの魔力への封印は、電力による結界によって行われていた。大停電の時なども、エヴァの封印だけは、予備電力のほとんどを使い維持し続けられたのである。しかし、万全では無い。その万全では無い揺らぎが、先月の大停電の折に、茶々丸に感づかれたのだ。

「茶々丸、麻帆良で停電の予定はあったか? もしくは停電の情報は?」
「いえ、どちらもありません。停電があれば、真っ先にネットワーク上に通知が来るシステムが麻帆良にはあります。この停電はおそらくイレギュラーです」
「ふむ、やはりスタンドとやらの行動と考えるべきか」

 病院を出た時点では、近右衛門も停電については何も言ってなかった。周囲を見れば、停電は世界樹を中心に広がっている事が分かる。今も広がり続けているようだ。

「おい、茶々丸。私の魔力と停電の関連性は?」
「現在のマスターの魔力は、本来のマスターの魔力、その想定値の八%に達しています。依然上昇中です。また、麻帆良内のネットワークが寸断されデータは不足していますが、その電力の不足具合の概算の域から算出する数値は、マスターの魔力増加量との関連性が見出せます」
「ええい、要点だけ言え!」
「確証はありませんが、先日の仮説はほぼ間違いないかと」
「……そうか」

 エヴァの口角が釣り上がる。久々に感じる力の奔流が、自らの本能を刺激した。高畑の命が消えかけている、その事実がスパイスとなり、焦燥が加速し、迷いが消える。

「大河内アキラめ、馬鹿な事を」

 スタンドの暴走をし、あまつさえ殺される相手に塩を送るとは、愚の骨頂だろう。
 エヴァはさらに足に魔力を込める。余剰魔力をドール契約している茶々丸へと、ラインを通して与えた。茶々丸も追いついてきたようだ。
 世界樹へあと一歩、という所でエヴァは意外な人影と出くわす。

「貴様は」
「お前は」

 体中が雨と泥で汚れていたが、大きなメガネはいつも通りだった。
 長谷川千雨である。
 拳銃をエヴァに向け、立っていた。ここまで走ってきたのだろう、肩で息をしているのが分かった。

「フン、千雨か。そこを退け、今貴様には用は無い」

 エヴァなりの気遣いであった。

「おい、エヴァ。お前も大河内に用があるのか?」
「ほう、知っているか」

 少し感嘆する。やはり、只の一般人と言うわけでは無さそうである。

「なら話は早い。そこを退け、今の状況を知っているのだろう」
「……大河内を、殺すのか?」

 千雨の目は怯えていた。エヴァはその目が酷く気に入らなかった。卑屈さ、不安、猜疑心。人が持つ負の感情を容易に想像させる。

(所詮、人間か)
「あぁ、そうだ。だから退け、貴様も死にたくなければな!」

 周囲に魔力の奔流が走り、殺気も放たれる。重圧は周囲を覆い、その空間だけ雨が散った。

「ぐぅぅ」

 あまりの力の激しさに、腕で顔を覆いつつ、千雨は言葉が漏れ出るのを抑えられない。
 後ずさる足が止まらない、鼓動は早くなる。だが、千雨の目は死んでいない。承太郎の認めた微かな輝きは、その程度では消し飛ばない。

「や、やなこった! そっちこそ退け! わたしは救うぞ! 大河内を!」

 千雨の言葉に、エヴァは頭に血が昇った。エヴァにとって千雨の言葉は青臭く、また軽すぎた。子供の世迷言で、自らの行いを貶されたようだった。

「ほざけ小娘!」
「お前に言われくないぞクソガキ!」

 幼稚な言葉の応酬。しかし、その言葉はしっかりとエヴァの懐に抉りこんでいた。

「私は不老不死たる真祖の吸血鬼だぞ! 貴様の十倍以上の時を生きとるわ!」
「きゅ、吸血鬼!? くそ、またファンタジーか。だったらもっとまともな格好しろ!」

 また痛いところを突かれ、地団駄を踏むエヴァ。ふと、状況を思い出し、態度を一変させる。

「まぁ、貴様程度どうでもいい。茶々丸、後はまかせた。殺しても構わん、そこの”ゴミ”をさっさと始末して、私を追いかけて来い」
「なっ! ゴ、ゴミ」
「了解です、マスター」

 瞳を氷のようにして、憤然と言い放つエヴァ。茶々丸もそれに淡々と従った。
 絶対的強者の優越。自らを縛る鎖が解けて行く、その感覚は万能感に等しかった。
 エヴァにとって千雨は、道端の小石であり、障害物としても写っていない。時間に追われる身として、雑事に構う余裕など無いのだ。
 信頼すべき従者に処理を任せ、改めて世界樹へ向かおうとする。
 千雨はその一連のエヴァの行動を瞬時に察した。

(わたしが写っていない!)

 瞳の灯火が炎となる。
 千雨の感覚が、エヴァの魔力の異常さを捕らえていた。他の魔法使いよりも多く、なおかつロスが少ない。圧倒的密度を保てるのは技術だろう。鋭敏な感覚が、先ほどのエヴァの言葉を裏づけしていた。少なくとも、見かけの歳相応の力では無い。つまり――。

『このまま行かせれば大河内が殺される』

 千雨の体を風が通り抜けた。決意の風。弱者が圧倒的強者に立ち向かう、その愚行を貫き通す”決意”。

「申し訳ありません、長谷川さん」

 もう一人の強者、絡繰茶々丸が尋常ではないスピードで千雨との間合いを詰めている。その謝罪の言葉が耳に届いた。優しいヒトなのだろう。故に――。

「こっちこそすまないな」

 千雨も相手に謝罪をした。これからする行いに対しての謝罪。
 瞳は熱く、熱く燃えていた。
 周囲に展開した知覚領域、そこから得られる茶々丸の攻撃の軌道を紙一重で避ける。しかし、その速さに完全に避ける事ができず、服が破れ、皮膚が引き裂かれる。鮮血が滲む。

「なっ」

 茶々丸の顔が驚愕に染まる。
 すれ違い様、千雨は茶々丸の額にポンと触れた。
 電子攪拌(スナーク)。
 茶々丸の電子領域を修復可能程度に混ぜ合わせた。少なくとも数時間は目覚めぬように。
 意識を失った茶々丸は、言葉の通り、糸の切れた人形として地面に崩れ落ちる。
 視界の端に写る、ありえない光景に、エヴァは振り向く。

「貴様ぁ! 茶々丸に何をした!」

 憤怒。自らの行動を阻害し、従者をほふった者への正当な怒りだった。
 千雨は倒れた茶々丸を足蹴にし、仰向けに転がし、その額に銃口を押し付けた。

「あんたを行かせる訳にはいかない。安心しろ、絡繰は無事だよ。ただ数時間は目覚めないだろうがな」

 口角を吊り上げ、千雨はエヴァを見据える。

「行くなら絡繰を”殺す”。言葉の意味が分かるか? 修復可能だとか思うな、存在自体を消去する、という意味でだ。アンタだってわたしが『学園都市』出身だと知っているんだろ、わたしの”力”はそういうものなんだよ。なぁに安心しろ、アンタがここにいる限り、絡繰には手を出さない」

 悪役染みた、というより悪役そのものの発言に、千雨は内心焦っている。だが、こうでもしなければエヴァは止まらない。

「貴様の言葉が守られる保障は無いが、どちらにしろ私がここにいる限り茶々丸には手を出させんよ。小娘、懺悔の時間すらやるのは惜しい。命乞いの暇も無く肉塊に変えてやる!」

 激情が周囲を震えさせる。人間の上位種としての圧倒的な力がエヴァから溢れる。千雨は茶々丸から銃口をどけ、右手に持つ銃の感触を確かめた。指がカタカタと震えていた。

(やっぱりわたしだな)

 千雨にとっての自嘲の笑み、だがエヴァには余裕に取れたらしい。

「ほう、余裕だな千雨」
「あぁ、もう勝負は見えてる」

 決意がハリボテの笑みを作る。

「わたしの勝ちだぜエヴァンジェリン。相棒(バディ)を失ったアンタが、相棒(バディ)のいるわたしにかなうわけないだろ」
<わかってるじゃないか千雨>

 普段から紳士然としているウフコックが、珍しく獰猛な笑みを浮かべた……気がした。

「ほざくな小娘ェェェエ!!!!」

 エヴァの咆哮と共に、魔法の矢が千雨に殺到する。
 千雨の戦いが始まる。











「オラオラオラオラオラオラオラ!!!」

 承太郎の口から発せられた咆哮。不可視の拳が教師陣を襲った。拳という名の大砲の連打が、教師陣の持つ強固な壁を破壊しつくした。
 苦悶の声が教師達から放たれ、その体は吹き飛んだ。

「やっぱり硬いな」

 拳に伝わる障壁の感触に、思わず呟いた。
 刀子を始め、今向かってきた教師達は全員、承太郎の周辺に倒れている。微かに動くことからやはり死んでいない事も分かった。
 だが、承太郎も今の攻撃を無傷では退けられない。刀子の刀は承太郎をかすり、その電撃は肉体を焼いていた。魔力による攻撃も、右足を貫き、歩くのが困難な程だ。
 だが、承太郎は倒れない。まだ相手は四人も残っている。

「チッ、まだいやがるか」

 ポケットにあるベアリングの数は心許なくなっている。麻帆良に来る際に用意していた、間に合わせの秘密兵器だった。
 元々、この戦いは圧倒的に承太郎に不利なのだ。
 承太郎のスタンド『スター・プラチナ』の能力は『時を止める能力』だ。しかし、それとて無限に止められるはずもなく、せいぜい四、五秒。今の承太郎だと三秒が限度である。さらにリーチの短さもある。スター・プラチナが真価を発揮するのは、承太郎の周囲二メートルが限度だ。
 対し、魔法使いは空を飛び、鉄壁を誇り、遠距離から魔法を放つ。
 そんな輩を相手に、承太郎が勝っているのはこの『能力』と『相手が能力を知らない』という二点であった。
 承太郎はこの二点を有効に使い、教師陣が誤解をするように誘導し続けた。あたかも距離を取られる事が有利なように。
 時を止め、スター・プラチナのパワーと正確さを使い、ベアリングを的確に飛ばし続けた。できるだけ一点に集まるようにコントロールして撃ち、障壁に穴を開ける。
 また、相手にはベアリングを撃つ所を一切見せないようにも注意した。
 そして、苛立った相手が『本当の自分の距離』に来るまで待ち続ける。
 数分間の激闘は、全てこのチャンスのための忍耐だった。
 だが、それでも取りこぼしはある。

「来な、魔法使い。俺はまだ生きてるぜ」

 雨の中、足元に血溜まりを作りながら、平然と言い放つ承太郎。ボロボロでありながら、その瞳は平然と輝きを放っている。自らの信念を燃やしていた。
 教授はそんな承太郎に言い知れぬ恐怖を抱いていた。娘を助ける。その一念のために選んだはずの選択が間違っていたのではないか。不安が恐怖となり、さらに疑念へと変わる。
 その思考を振り払い、目の前の戦いに集中しようとする。

(駄目だ、迷うな!)

 教授は自らに言い聞かせる。もう戦力は半分以下に減っている。されとて、諦めるわけにはいかない。
 承太郎が歩き出した。この戦いが始まって以降、承太郎はその場を一歩も動いていなかったのだ。それが平然と、教師陣へと向かい歩く。血が尾を引く。
 しかし、そこにあるのは強者の風格だった。絶対的な意志の強さが歩みに現れている。
 戦闘者としての卓越した歩法でも無い。ただ、強さのみを体現する歩み。承太郎の『黄金』が周囲を覆った。

「どうした怖気づいたか」
「ぐ……あ……」

 血みどろの『スタンド使い』の言葉に『魔法使い』は言い返せない。
 この時、すでに戦いは決着していた。











「うぉぉぉぉぉぉ」

 千雨もまた、承太郎と同じく、降り注ぐ魔法の矢を相手に戦っていた。
 ただし、その多くは氷の矢であった。曲線を描き、迫り来る矢の数々を、両手に持った拳銃で撃ち落し続ける。
 銃を撃った反動は、ウフコックが吸収してくれた。そうでもしない限り、走りながら千雨が銃を連射するのは不可能だろう。
 無様に転げまわりながら、矢の一撃をギリギリで回避し続け、エヴァの魔法の詠唱の隙間を付き、銃で狙い撃つ。それが千雨に今出来る事だった。
 しかし状況は芳しくない。幾度かエヴァまで届いた弾丸は、ことごとく弾かれた。

(あのバリア、ズルすぎる)
<しょうがあるまい>

 クウネルの資料により、魔法障壁は事前に知っていた。だが、予想以上の強度に驚いているのだ。
 千雨は知らない事だが、エヴァの障壁は一流である。一切の無駄を省き、最小の魔力で、最高の強度を発揮するように作られた技術の塊だった。長い年月をかけ磨かれた力だ。見るものが見れば、エヴァの障壁の完成度に驚くあろう、その芸術的なまでの術の構成の高さに。
 そんな障壁が、たかが拳銃の一発で破れるはずは無い。

「ちぃぃぃ、チョコマカと動く!」

 エヴァもまた歯噛みしていた。近くに倒れている茶々丸がいる為、広域魔法は使えない。いや、使う必要が無いと思っていた。魔力が回復してきている自分の『魔法の射手』なら、すぐに撃退できるだろう。しかし、目の前で未だ千雨は走り回っている。素人とたいして変わらぬ鈍い動き。なのに――。

「なぜ当たらん!」

 自らの攻撃の数々、その隙間を的確に千雨は通り抜ける。その度に銃弾が障壁にぶつかる。一方的な蹂躙のはずが、戦いは拮抗していた。
 ガガガッ、先ほどまでと銃撃のリズムが違う。気付けば千雨はアサルトライフルを持っていた。弾切れの銃は投げ捨てられていた。

(アーティファクト? 転送(アボート)か? どちらにしろ面倒だ)

 突如現れた銃をいぶかしむも、エヴァは魔法の矢を止めない。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック、氷の精霊、29頭、集い来りて、敵を切り裂け、魔法の射手、連弾・氷の29矢!」

 氷の矢が再び千雨を襲う。
 隙間無く、矢の”面”で覆われる視界。
 だが、千雨には見えているのだ。
 千雨の肌を覆う人工皮膚(ライタイト)が周囲の歪みを知覚する。千雨の脳が、瞬時にマルチタスクを行い、手に入れた情報を演算処理していく。加速された感覚の中で、誰よりも千雨が『世界』を知覚していた。
 いや、違う。千雨が『世界』を作り上げていた。
 突き刺さる矢の数々を、避け続ける。肉体が重くなり、肺が悲鳴を上げる。それでも動きは止まらない。
 脳内では矢の軌道が予測され、可能性とともに幾つかの三次元曲線が引かれている。周囲の無駄なものをそぎ落とし、ワイヤーフレームで視界は構成されていた。その中には曲線が溢れている。膨大な可能性の海を、情報と確率を武器に走り抜ける。
 これが”今”の『千雨の世界』だ。

「こなくそぉ」

 ごろごろと地面を転がる。落ちていた小石が背中に裂傷を作った。
 体勢を整えた瞬間、銃口をエヴァに向け、アサルトライフルの引き金を引く。
 引き金一回に付き三発の弾丸が放たれる。三点バーストと呼ばれる機構だった。
 相変わらずビクともしない障壁に歯噛みしつつも、障壁のデータは揃っていく。

(どう思う)
<なんとも言えんが、障壁は何もかもを通さないわけではないようだ。やりようはある>

 障壁が張られているにも関わらず、エヴァの視界は遮られる事は無く、音も聞こえている。
 そこに何かしらの勝機があるような気がした。

「ラチがあかん!」

 本来勝負巧者なエヴァが戦いを焦り、一手を進めた。魔法の矢を囮に、足に魔力を乗せ、千雨との距離を一瞬で詰める。

「なぁっ!」

 千雨の目が見開かれる。己の知覚領域で見出せなかった可能性だった。足に魔力や気といったエネルギーを乗せ、爆発的な瞬発力を得る技術『瞬動術』である。

<千雨っ!>

 ウフコックが警鐘を鳴らす。
 千雨の肉体的な死角に現れたエヴァは、その足先を千雨の頬に叩き込んだ。

「ぐあぁぁぁ!」

 なんとか打点をずらすも、奥歯が口から飛び出し、鮮血が舞う。水平に飛ばされる千雨を追う様に、エヴァは再び瞬動を行う。

「やらせるかっ!」

 戦いが始まってから初めて、ウフコックが肉声を上げた。意識が飛びかけてる千雨の腕を操作し、自らが反転(ターン)してる銃口をエヴァに向けた。
 フルオートで乱射される弾幕という盾がエヴァを襲う。

「チィッ」

 弾丸に瞬動の速さでぶつかる事により、エヴァの障壁は一瞬砕けていた。初めて弾丸がエヴァの肉を抉った。

<なるほどな>

 ウフコックがその状況を逃すまいと、意識が混濁している千雨の代わりに情報を集める。
 ゴロゴロと地面を転がる千雨に、ウフコックの叱咤が飛ぶ。

<走れ、止まるな!>

 ヨロヨロと立ち上がり、近くの森に飛び込もうとする。だが――

「させるか、氷爆!」

 氷の塊が現れ、爆ぜた。ウフコックは瞬時に特殊合成繊維のマントに反転(ターン)し、千雨を覆う。
 布越しにも冷気が刃の様に肌に刺さった。

「ぐぅぅ」

 痛みを我慢しつつ、千雨の意識は明確になっていく。合成繊維のマントという『殻』を脱ぎ捨てたウフコックに再び干渉。閃光手榴弾をエヴァに投げつけ、自らは今度こそ森へと飛び込んだ。

「ぐあぁ」

 背後からは激しい閃光と、エヴァの苦痛の声が響く。
 這うようにして進み、一本の樹を背もたれにし、呼吸を整えた。

「先生、死にそうだ……」
「勝機は見えたぞ千雨。まだ動けるはずだ」

 安易な労いはかけない。なぜなら千雨とウフコックは相棒(バディ)なのだから。お互いへの賛辞は勝利の後だ。

「教えてくれ、先生」
「あれを使うぞ。やはり用意はしておくものだな」

 その言葉に千雨は合点がいく。ここ数日の物騒極まりない保険の成果が出そうだった。







「ちぃぃ、やってくれるな小娘」

 視界が回復したエヴァは、目の前に広がる森を睨み付けた。千雨が潜伏しているであろう、その場所を。
 ためらいは無い。森を氷付けにする決意をし、詠唱を開始した。だが――。

「どこからだ」

 銃撃がエヴァを襲う。森とは逆の方向からだった。障壁が防いでるものの、放置するわけにはいかない。

(何時の間に移動した? それとも新手か?)

 エヴァが警戒を催した時を狙い、人影が森から飛びだした。千雨だった。

「うおぉぉぉぉ!」

 両手に持った拳銃を、正確無比に連射する。障壁のただ一点へ、ピンポイントで当たり続けるのだ。例え如何に強固に編みこもうと、それでは破られてしまう。エヴァは打点をずらそうと移動する。しかし、再びあさっての方向からの銃撃が浴びせられた。

「ええい、うっとおしい!」

 溢れる魔力を糧に、周囲の空間を氷の爆破で制圧する。弾丸の雨を綺麗に掃除した。
 千雨の姿を探す。エヴァと一定の距離を保ちつつの銃撃を繰り返している。カチリ、と弾切れの引き金の音を、エヴァの耳が拾う。千雨は銃を投げ捨てるが、手にはやはり新しい銃が握られていた。

(魔力を感知できん。あれが奴の『超能力』なのか?)

 戦いつつも、未だ千雨の力の本性が把握できないでいた。
 過ぎ行く時間が、エヴァを苛立たせていた。見上げれば、世界樹の周辺から黒い煙が噴出している。
 ギチリ、と歯が軋む。目の前の小娘に煮え湯を飲ませられているという現実が、エヴァにさらなる怒りを沸かせた。

「いい加減くたばれぇぇぇ!!!」

 紡がれる詠唱。魔法の矢、二百本近くが現れ、一斉に千雨へと殺到する。
 かつてない絨毯爆撃。しかし千雨は冷静だった。
 先日、麻帆良内に設置した数々の武器やトラップの数々。今この場所で使えたのは、周囲に設置したリモート操作式のマシンガン二丁と、地雷が一つ。あと数百メートル戦場ずれていたら、もっと使えるものが多かった、という悔しさがあったりする。
 電子干渉(スナーク)を使い、マシンガンの軌道を予測し、遠隔操作でエヴァに向けて撃った。銃弾にも限りがあり、もう残りは少なかった。だが、躊躇は出来ない。加減すればそこで待つのは千雨の死だ。
 注意を引かせ、牽制するようなタイミングでマシンガンを操作する。
 二百本の矢を放ち終わった一瞬を狙い、エヴァへと弾丸が突き刺さる。もちろん、障壁に防がれ、エヴァには傷一つ付かない。
 だが、それで十分。千雨は回避行動中、エヴァの追撃を恐れずに済む。『千雨の世界』を展開し、矢を避けながら次々と銃弾で撃墜していく。弾丸が尽きた銃を投げ捨て、新しい拳銃で迎撃し続けた。なんとか二百本もの魔法の矢をやり過ごすも、千雨の戦いは続く。
 エヴァとの距離を保ちつつ、そのエヴァを地雷の設置場所まで誘導し続けた。だが、エヴァは空を飛び、追随不可な動きをしている。

「クソコウモリがぁ!」

 千雨の口から罵声が飛び出る。エヴァが空を飛ぶシルエットはコウモリそのものだった。
 手に持ったライフルをエヴァに向かい撃ち続ける。それに伴い、電子干渉(スナーク)でマシンガン二丁も操作した。残弾を使い尽くす様に撃ち続けた。空を鉛が覆う。

「ちぃっ」

 さすがのエヴァも銃弾の嵐を避け、一旦地上へと逃げた。

(占めた!)

 これこそが千雨の狙いだ。
 エヴァが大地に足を付けた瞬間、爆ぜる。指向性地雷『クレイモア』が牙をむく。
 爆煙の中でも、障壁はやはり破られていない。
 千雨は再び銃を投げ捨て、ウフコックへ干渉する。
 両手の中に現れたのは巨大なライフルだ。
 『ラハティL-39対戦車銃』、それに良く似た銃だ。外観は同じだが、中身はメイド・バイ・ウフコックとして改造されている。五十年ほど前、世界大戦で猛威を奮った『銃』というカテゴリの『砲』だ。その重量は千雨の体重を越えている。本来であれば持つことさえ出来ないそれを、反転(ターン)しているウフコック自らの助けにより、なんとか保持していた。
 銃身をどうにか水平にし、煙の中にいるだろうエヴァに向かい引き金を引く。

「ッ!!!!!!」

 ガオン、という大よそ『銃』に似つかわしくない爆音が響く。エヴァを覆っていた煙は一瞬で晴れ、障壁を揺らした。

「な、何事だ!」

 ありえない程の衝撃に、エヴァも驚愕する。あわてて障壁へ回す魔力を増やした。

「まだまだぁ!!」

 歯を食いしばり、再び引き金を引いた。衝撃が千雨を襲う。いくらウフコックでもこの銃の衝撃は吸収しきれなかった。銃床が千雨の右肩を撃ち、グリップが手の平を強打する。保持している左手からは血が滲んでいた。爆音も鼓膜を揺さぶる。ウフコックが渡した耳栓が無ければ鼓膜が破けていただろう事は想像に難くない。
 痛みを堪えつつ、ぶれる照準を一点に定め、引き金を引き続ける。その一回、一回がエヴァの障壁を削り、また千雨を痛めた。

<ズレてるぞ!>
「すまねぇ」

 ウフコックの言葉に謝罪しつつ、目線は外さない。エヴァも、魔力を集中させるため、動けないでいる。

「よくやるな小娘ェ、だが甘い!」

 前面に集中させた堅固な盾をそのままに、盾を迂回させるようにエヴァは魔法の矢を放つ。千雨は銃を引きづりつつ、それらをかわそうとする。一撃が顔をかすり、メガネが割れた。破片がザックリと千雨の額を切る。

「ガァァァァァ!!!」

 雨音が消えた。痛みを吹き飛ばす闘争の叫び声。ちゃんとした保持をしないまま、千雨は引き金を引く。
 銃弾は二発。エヴァの障壁に一発がめり込み、もう一発が破壊した。だが、そこまでだった。反動(リコイル・ショック)により銃が跳ね上がり、鉄の巨体が千雨の右腕から飛び出した。千雨は後ろに吹き飛びながらも、体の精査する。右肩が脱臼し、指も骨折。各所にヒビが入っていた。
 痛みが駆け巡る。だが、目線はまっすぐ離さない。
 吹き飛んでいく『銃』という殻を脱ぎ捨てたウフコックは、黄金のネズミの姿となり千雨の右腕に飛びついた。そのまま右腕を走り、右肩から左肩、左手の先までを一気に駆け抜けた。

(なんだ、アレは)

 その姿を、吸血鬼たるエヴァの視力はしっかり捕らえている。
 ウフコックは千雨の指先でクルリと反転変身(ターン)する。ズシリとした重みが手の平にあった。
 白い銃だ。千雨の思い、願い、イメージ。それらが人工皮膚(ライタイト)を通し、ウフコックの中を駆け巡る。多次元に貯蔵されたパーツの数々が、千雨のために組み合わされ、世界にただ一つの『千雨の銃』をウフコックが作り上げた。
 流線型を帯びた回転式拳銃(リボルバー)。回転式の弾倉には弾丸が六発、口径は小さく、障壁を打ち抜くという千雨の意志が、貫通力を何より優先させた。しかし撃鉄は外側に見えない。撃鉄を起こすのはウフコックの役目なのだ。引き金は千雨。二人が揃って始めて撃てる、それが千雨の選んだ武器の形だった。
 言葉は要らない。
 吹き飛ばされる体をそのままに、千雨は引き金を引く。
 エヴァは砕けた障壁を再構築していた。万全とは言えない、だが銃弾程度はどうにかなるはずだった。
 一発、二発。先ほどの砲弾のような一撃とは程遠い。だが、小さいながらもその貫通力は、再度張った障壁に小さくないヒビを作っていく。
 三発、四発。まったく同一の軌道で撃たれた弾丸が、障壁のヒビをさらにこじ開け、崩壊させた。エヴァは障壁を諦め、無詠唱の魔法のために魔力を集めた。
 五発、六発。エヴァ目掛けて撃たれたその弾丸を、無詠唱の『氷爆』で打ち落とすも、一発は軌道がそれただけで、頬を掠った。
 カチリ。引き金を引くも、発射音は聞こえない。空しい弾切れの音を、エヴァは再びしっかり聞いた。例え無限に銃を出せようとも、片手しか使えない今、その隙は好機だった。
 決着を付けるべく、エヴァは足に魔力を溜め、瞬動術を発動させた。一秒にも満たない間に、薄いながらもまた障壁が修復されている。

(貰った!)

 千雨は後ろにふっ飛び、倒れかけながらも、弾切れの銃口をエヴァに向け続ける。その闘争心の高さに関心しながらも、エヴァは無慈悲な一撃を振りかぶった。









『この時を待っていた』










 千雨の口がそう動いた気がした。
 瞳の炎がまだ消えていない、むしろこの雨の中でもより一層燃え上がった。
 ガチリと撃鉄があがる。それはウフコックの合図。”弾薬の補充”の合図だ。

「なっ!」

 エヴァの口から驚きの声が上がる。弾切れのはずだ、『今までも弾切れの銃は捨ててきただろ』。周囲には千雨とウフコックが意図的に捨ててきた弾切れの銃が散乱していた。
 だが、万能兵器であり、物質の構成を瞬時に変化させる事ができるウフコック。そのウフコックが反転(ターン)した銃に弾切れなどは”ありえない”のだ。
 全てはこの時のため。無造作にこちらへ”瞬動を使って向かってきてくれる”時のための布石だ。
 この五秒にも満たない、加速した時間の戦いの幕が下りようとしている。
 千雨は引き金を”一気”に引いた。弾丸はまるでマシンガンのような連射速度で、弾倉にある六発を放つ。
 一発が薄いエヴァの障壁を破った。一発がエヴァのあごを掠り、その衝撃で脳が揺れた。耳元、こめかみ。大よそ生物であるが故に、避けられない急所、そこへギリギリの弾丸を霞め、弾丸の衝撃だけをエヴァに残していく。知覚領域と弾丸の軌道計算を演算しつくした、針の穴に通すごときの所業だ。
 千雨は加速された時間から解き放たれ、地面へと放り出される。背中が地面に直撃し、鈍い痛みが全身に広がった。右腕が熱を持ち、動かない。額からの血で、片目も塞がっていた。

「痛っ――」

 しかし、まだ油断できなかった。左手の銃をなんとか持ち上げ、倒れ伏している金髪の幼女に近づく。エヴァは気を失っていた。見るからに外傷は無い、むしろ自分の方がよほど重傷だろうと思う。

「なんとか勝てたか。クソッ、ここは化け物だらけだ」

 勝ちながらも愚痴を言う千雨に呆れつつ、ウフコックは千雨に告げた。

「千雨、私をマクダウェルに近づけてくれ」

 千雨は言われた通り、金色のネズミをエヴァに近づけた。ウフコックはエヴァの髪に潜り、すぐに這い出てきて、千雨の手の中に収まった。

「大丈夫だ。行こう、もう時間は無さそうだぞ千雨」
「あぁ、そうだな……」

 見上げた先の世界樹は、黒いもやに覆われていた。周囲にもう電気の明りは見えず、雨音だけが響いている。
 千雨はボロボロの体を引きずり、世界樹へと急いだ。







 つづく。









あとがき


 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 平日を挟むと、更新の間が空きます。
 というわけで、今回はいつもより少し多めです。


 千雨熱血編という事で、血みどろバトル奮闘中です。
 もう少しバトルに厚みと疾走感を持たせたかったのですが、ここが作者の限界でした。
 内容も、何が正しいか分からない中、お互いが拳でぶつかり、最終的に分かり合えない、とかそんな感じです。分かり合えないのかよ。
 もっとゴミゴミとした心理描写も考えたのですが、これ以上疾走感を削るのも、と思い削除しました。多少の矛盾はスルー願います。

 さて、次回でなんとか一章が終わるかもしれません。一応「しれません」と入れておきます。
 一章のラスボスとの対決。元ネタ知ってる人にはバレバレでしょうが、あの方の登場です。もちろん能力魔改造済みで。

 ご感想や、誤字脱字報告などお待ちしています。




[21114] 第9話「Agape」 第一章<AKIRA編>終了
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:67228ed1
Date: 2010/09/15 23:36
 一つの部屋があった。
 窓が一つも無く、壁は打ちっぱなし。見方によってはデザイナーズマンションの一室とも言えるかもしれない。
 その部屋にはたくさんのポスターが貼られている。音楽史上に残る数々のロックスターやギタリスト。例え興味が無くても、一度はその名を聞く、といったスターばかりだ。
 その下には多種多様なギターが陳列し、乱雑にアンプが置かれている。
 部屋の中央にはソファーが一つ。周囲には食べ物や飲み物が散乱し、生活感が溢れていた。そのソファーの対面には大量の液晶モニターが並べられている。一部はテレビやミュージシャンのライブが流されているが、ほとんどは共通のあるモノが映っていた。
 麻帆良中に設置された監視カメラなどのライブ映像が映されている。世界樹を中心に、黒いもやが広がる様がありありと映し出されていた。
 そして、そのモニターの前に男が一人。長く伸びた前髪を片側で流し、肩にはギターのストラップ。両手でエレキギターを持っていた。
 麻帆良に広がる災害をモニター越しに見つつ、男はウットリとし、ギターを奏でた。激しい曲調。そこにあるのは喜びであり、激情であり、感謝であり、救済であった。
 感情の高まりを抑えきれず涙が頬を伝う。
 密閉された部屋の中で、男はひたすらギターを奏で続けた。
 男の名を『音石明』と言う。














 第9話「Agape」













 視界に映るのは、一面の”黒”だった。
 世界樹広場全てを、あの黒いもやが満たしきっている。しかも、そのもやは未だ増え続けていた。千雨はそっともやに触れてみた。

「うわっ!」
「大丈夫か、千雨」

 触れた部分から侵食が始まり、肌を少しづつ黒い染みが覆っていく。うかつな自分を呪いつつ、千雨は感覚を研ぎ澄ませ、侵食を分析しようとする。
 魔力のフィルティング情報を使い、かろうじてウィルスが認識できた。電子干渉(スナーク)を使い、電子分解を起こさせ、どうにか侵食を止めたものの、染みの除去は予想以上に困難な作業だった。魔力に近い性質のため、千雨はそのノウハウをまだ会得しておらず、手探りでのスタンドへの干渉だからだ。

「なんとか対応できるだけマシかな」
「万全じゃないにしても対処法があるのは僥倖だ」

 千雨は前方を見据えた。世界樹の下、ここから真っ直ぐ百メートル程に人影を感じる。スタンド・ウィルスによるノイズが多いが、間違いなくアキラだろう。
 ローマのスペイン広場のような巨大な階段が、世界樹の真下の広場まで繋がっているはずの風景が、もやにより、階段の一段一段すら視認できない。だが、千雨にとっては関係の無い事だ。多少のノイズがあろうと、地形ぐらいは把握できる。知覚領域を広場全体へと広げる。

「先生、たのむ」
「あまり期待はするなよ」

 肩に乗っていたウフコックがクルリと反転(ターン)。何重にもなっている特殊繊維の生地がスルスルと千雨に被さり、気付けば防護服を纏っていた。
 頭部には透明な特殊アクリル板が視界を遮らないように使われていたが、あまり役に立たないだろう、と千雨は内心思う。右手はプラプラと揺れている。時折生地にあたり、激痛を催すも、それは我慢した。何も痛いのは右腕だけじゃないのだ。
 呼吸を整え、階段の上を睨む。

「行くぞ!」

 ウフコックへの合図と、自身への叱咤だった。
 重い体を無理やり動かし、もやの中へと飛び込んだ。防護服のいたる所に取り付けられたライトは、地面にすら届かない。防護服の表面を照らすのみだった。それでも千雨は走り続ける。雨は一層強くなり、防護服越しに感じる、足裏の感触は心許ない。石畳が雨水で滑りがよくなっていた。

(ここまで来て、転んで死んだら笑い話にもならないな)
<ドクターの話のタネにはなるだろうな>

 栓の無い話をしつつも、なんとか階段の半分までは進めた。そこで防護服を見れば、侵食がかなり進んでいた。

「うわっ!」

 あわてて服の内部を見た。構造上、大きめに出来ており、千雨の視点から、内部のかなりの所までを見渡せた。もやは服の内部まで達していた。
 左手を防護服の内側から目先まで持ってくれば、侵食は手首近くまで進んでいる。

「こいつはヤバイ」

 自らに電子干渉(スナーク)し、スタンド・ウィルスの分解を始める。だが、千雨の膨大な演算処理を使えど、その速度は微々たるものだった。歯噛みをしつつ、その処理を並列思考に放り込み、千雨自身は再び広場の中央を目指す。
 体が重かった。それは疲労もあれど、ウィルスの影響による所も大きい。只でさえ少ない体力が抉られるようだった。
 息も切れ切れで、中央広場まで辿りついた。千雨の体を血と汗と雨水が混じりあい覆っている。そして、更にそこにウィルスが侵食が進んでいた。
 発生源に近づくなり、スタンド・ウィルスは一層濃さを増し、千雨の能力ではそれを抑えきれなくなっていた。

<時間が無い、早くしろ。大河内嬢を急いで救出しろ>
「あぁ! さっさと終わらせて風呂に入る!」

 ターゲットは目前、渾身の力で千雨はアキラの元へ走った。だが――。

「なんだよ、コレは!」

 千雨に向かい、丸太程の太さの鞭が振り落とされた。闇の中、千雨の知覚がそれを正確に察した。アキラの後ろに立つ、二メートル程の人間型のシルエット、その背中から生える尻尾状の物体が千雨を襲っていた。防護服が破られる。それを尻尾に絡ませるように脱ぎ捨てるが、五本ある尻尾は次々と千雨に狙いを定め、襲ってきた。

「ここに来てぇ!」

 ウフコックに干渉し左手に銃を産み出す。銃口を尻尾へと向けた時、ウフコックから制止の言葉が放たれた。

「止めろ千雨、忘れたか! スタンドを傷つければ、スタンド使いも傷つくことを!」
「あ……」

 承太郎に渡された資料を思い出す。斜め読みした資料の中に確かにあった言葉だ。
 一瞬の躊躇が千雨を無防備にする。尻尾の一撃を腹に受け、地面をゴロゴロと転がった。

「ぐあぁぁぁぁ!」

 脱臼し、骨折をした右腕が地面に叩きつけられ、押さえ切れない絶叫が漏れる。防護服を失った事により、スタンド・ウィルスの進行もより一層強くなった。
 もう、麻帆良の街の灯りは消えていた。停電は全域に渡り、一部の電源を残し、そのほとんどが奪われている。
 また、世界樹を中心に漆黒が加速度的に広がり、先ほどまで世界樹広場で収まっていたはずのもやが、今や学園の施設の一部までを覆っている。感染者は三桁に到達しようとしていた。
 雨はより強く降る。地上にある熱を全て冷やすように。抗うべき灯火を消し去るように。
 麻帆良壊滅は時間の問題であった。
 だが、その中心にまだ微かな”輝き”が残っている。
 口の中には血とジャリと雨水の冷たさが広がる。痛みは体中を駆け巡り、もはやどこが痛いのか分からなかった。心臓と肺は休む暇無く動き続け、オーバーヒート寸前だ。逆に体は雨に冷やされきっている。
 アキラを助けられない不安が心に広がり、自らの死への恐怖が渦を作っている。痛みへの肉体的反射で、我慢していたはずの涙が瞳に溢れた。
 だが、手の中に感触があった。背中を押してくれた人々がいた。臆病な千雨に輝きを見出してくれた人がいた。
 そして……暗闇の向こうには、かつて千雨を救ってくれた人がいる。
 微かな輝きは、より一層輝く。麻帆良を覆う闇も、降りしきる雨も、全身を襲う苦痛も、瞳の中の炎だけは消す事が出来なかった。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 千雨は、翔る。














 アキラは暗闇の奥底にいた。
 さっきまで、視界には微かな街の光が見えていた。だが、今はそれすら見えなくなっている。
 手も足も動かず、まるで体の内側から磔にされているようだ。かろうじて出来る呼吸も、今は細い。する度にパリパリという音がして、痛みが走る。
 涙も、心も枯れ果てていた。ただ、体の表面も雨水が滑るのみ。漆黒の感情が、絶望だけをアキラに残し、心を食い荒らし終わっていた。
 懺悔も届かず、謝罪は虚空。救いを求める手を掴む者も誰もいない。視線すら動かせず、傀儡に成り果てたアキラに出来る事はもはや無かった。
 耳に雨音以外のノイズが走った。微かな音だ。
 それはどこかできいたことがあるおとだった――。


『ちーちゃん』


 色が、見えた。
 しかし、それは幻。アキラの視界には未だ漆黒が根付いている。
 闇が人々を蝕んでいくのを感じた。裕奈の顔を思い出した。高畑の倒れる姿も思い出した。
 枯れたはずの涙が再び流れる。届くはずのない懺悔がよぎり、消え行く謝罪の念を抱いた。
 動かないはずの手が微かに動いた。右手が闇の先へと延ばされる。
 痛みを堪えながら、細い声を発した。

「た、す、け、て……」

 しゃがれた、汚い声。こんな状況なのに、自嘲の笑みが漏れそうになる。
 その声に誰も答えるはずはな――





「大河内ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」




 届いた。

















 巨大な鞭が地面を穿つ。石畳に亀裂が入り、巨大な破片が宙を待った。
 縦に、横に、斜めに。一つを避ける度、他の尾が方向を変え振り回された。
 ノイズ混じりで、その本来の能力を発揮できない千雨は、ウフコックとともに尾の嵐の中を進む。

<屈め!>
「くっ――」

 頭上を通る尾に髪を数本散らされる。
 千雨自身が得られる情報を、ウフコックと共有。ウフコックの知覚と”カン”も総動員して、闇の中を疾走していた。
 千雨の襟元から、ネズミ姿のウフコックが顔を出し、鼻をヒクヒクさせた。本来、感情の匂いを嗅ぎわけるウフコックだが、今はその力がかなり失われていた。だが、『攻撃』という強い意志を嗅ぎ分けるくらい、造作も無いことだった。そして、ウフコックが持つ経験こそが、『情報』を失った千雨が頼れる力だった。

<右に避けろ!>
「あいよ」

 アキラまでもう十メートルも無い。しかし、尾の嵐はより一層激しさを増し、千雨へと襲い掛かる。石畳の破片すら、飛礫となり千雨を傷つけた。

「くそぉぉ」

 千雨のノイズ混じりの知覚が、確かに目の前にアキラがいる事を感じている。最後の一歩が踏み越えられなかった。
 ふと、アキラのシルエットに動きがあった。広場に来てからずっと、千雨が知覚できる限り、微動だにしなかったはずなのに。
 アキラの右腕が伸ばされ、空を掴む。それはまるで――






「た、す、け、て……」





 微かな、微かな声が千雨の耳に届く。しゃがれた老婆のような声だった。血が沸騰したようだった。熱さが、自然と体を動かした。
 世界樹広場を覆っていた知覚領域を狭め、周囲十メートルまで絞る。並列思考が加速し、限界を越える四千人の並列思考を作り上げた。その一人一人が周囲のノイズを分解し、千雨に確率の世界を見せる。
 アキラへ向かい、まっすぐ千雨は駆けた。尾の一撃、一撃を致命傷をさけて避ける。体に裂傷が走るのも気にしない。傷口はウィルスで真っ黒く染まり、千雨の体力をごっそりと奪っているはずだ。
 だが”輝き”は収まらない。激情が肉体を凌駕する。アキラへの最後の一歩を前に、二本同時に尾が攻撃を仕掛けた。

(避けられない!)

 背筋が凍った。

<あきらめるな!>

 だが、頼もしい言葉とともに、それは解けた。
 ネズミ姿のウフコックが、千雨の頭を駆け上り、飛ぶ。空中で反転変身(ターン)し、特殊鋼材となり、真上からの一撃を反らさせた。
 もう一本の一撃を、千雨はかろうじて避け、アキラ目掛けて飛び掛る。

「大河内ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 伸ばされたアキラの右腕を掴み、思い切り引っ張った。自分よりも冷え切った体が、胸元に当たるのを感じる。

「先生ぇぇ!」
「まかせろ」

 千雨の願いを、ウフコックは瞬時に悟る。先ほど展開した特殊鋼材が千雨とアキラを覆った。二人の人間が顔を寄せてやっと入れる程の小さい空間を作り上げる。
 それは『殻』だった。卵の『殻』を彷彿とさせる。違いと言えば、金属でできている事と、大きさぐらいなものだった。中身は――たいして本物と変わらない。ギュっと詰まった黄身と白身が入っている。孵化はすぐそこだった。








 『殻』を割ろうと、尾が攻撃しているのが振動で分かる。一体どれほど持つのだろうか。一分か、それとも二分か。だが、今はそんな事は関係ない。
 ウフコックが細工してくれたのだろう、二人の人間が身を屈ませてやっと入れる空間は、かすかに明るかった。『殻』の裏面がほのかに光っていた。
 それにより、千雨は自らの体のほとんどがウィルスに蝕まれている事が分かった。染みは首筋まで広がっている。
 そして、目の前には無表情なアキラがいた。数日前とは別人、まるで人形のようである。ここにきて千雨は緊張でツバを一飲みする。
 動く左手で、アキラの肩を強く握った。

「なぁ、大河内。助けにくるのが遅れてすまない。本当はもっと早くこれるはずだったんだけどな」

 千雨の声に、アキラは一切反応しない。

「わたし、な。前、麻帆良にいた事があるの知ってるだろう。初等部時代なんて悲惨だったぜ、ほとんど友人もいなかったしな。まぁ、お気楽なこの学園の奴らだ、何かと言うと話かけてくる奴はいたがな、明石とか」

 明石、という言葉にアキラがピクリと震えた。

「だけどな、わたしはそれなりにやれていた。転校するまでやる事が出来たんだ。それは、ある人のおかげなんだ」

 『殻』に響く衝撃が、ピシリと嫌な音を立てた。

「幼稚舎の時さ、わたしは不思議に思う事が多かったんだ。だってよ、テレビでは『二足歩行ロボットを世界で始めて開発~』なんて言ってるのによ、幼稚舎から見える大学ではさ、ロボットが走ったり、あまつさせ鬼ゴッコまでしてるんだぜ。おかしいったらありゃしない」

 千雨はクック、と笑いを噛み殺す。

「わたしさ、幼稚舎の子供達に言ったんだよ『あれおかしいだろ!』ってさ、そうしたらもう袋叩き。ガキが揃って『おかしいのはお前だ』って大合唱だ。もう泣きに泣いたよ。それからもな、わたしが疑問に思った事を、かぶせる様に否定されていくんだ。うちの親も、一生懸命話は聞いてくれるんだが、結局はわたしへの説得に入って終わるんだよ。もう、完全に人間不信だ。冬に桜が咲いても誰も疑問に思わないし、近くの大学校舎が半壊してるのを驚いただけでも笑われる、ってどんなだよ。なぁ? 」

 相変わらずアキラは無言、無表情のままだ。

「でも、そこである人がわたしに言ってくれたんだ。『私にはあなたが何を言ってるかわからない。だから一緒に考えてあげる』ってさ。初めてだった。わたしの隣で一緒に悩んでくれる人が居て、本当に、本当に……嬉しかったんだ」

 千雨の声は尻すぼみ、涙がポツポツと落ちた。

「今まで、そんな事言ってくれる奴なんで居なかった。わたしは、その救いがあったからここまで来れた。立ち続ける事が出来たんだ。モノクロだった世界に、そいつが色を取り戻してくれた。そいつとは初等部で離れちまってな、会えなくなっちまったんだ。なにせこのマンモス校だからな」

 千雨はアキラの額にゴツリと、自分の額をぶつけた。

「なぁ、大河内。今、お前の世界は真っ黒で色あせてるんだろ。だから、そんな目をしてるんだろ」

 無表情の顔に、雫が一筋流れた。

「今度はわたしが色を取り戻してやる。大丈夫だ、今のわたしならできる」

 アキラの瞳がすぐそこにあった。目に、微かな光が戻る。

「今度はわたしが一緒にいてやる、一緒に考えてやる。だから、自分を否定するな!、そうだろ――」

 アキラの瞳に、しっかりと千雨が映る。

「あーちゃんっ!」

 その言葉が、アキラの耳に染み入った。

「……ちーちゃん?」
「あぁ、そうだ!」

 『殻』が割れた。千雨の左手と、アキラの手はしっかりと握られている。
 アキラの瞳はしっかりと光を映し、顔には表情が戻っていた。

「ちーちゃぁぁぁん……」

 クシャリとアキラの顔が潰れ、涙と嗚咽が漏れる。
 その瞬間、アキラの周囲を紫電が走った。火花がバチバチと弾ける。

<サセルカヨォォォォ!!>

 合成音のような声が、確かに響いた。電撃がアキラの服を焼き、そのまま千雨を襲う。

「やっぱりか……」

 ポツリと千雨が呟いた。
 電撃は千雨に触れることなく、徐々に分解されていく。電気の流れを操る事など、ウィルスを分解する事にくらべれば千雨にとって造作も無かった。

<どうだ千雨>
「中だ。あーちゃんの中に”いる”」

 千雨はアキラに顔を近づけ、そのまま唇を押し付けた。アキラの顔が涙と驚愕と羞恥でとんでもない事になっている。千雨はそのまま舌を伸ばし、アキラの口内をまさぐった。ふと、舌先に痺れを感じ、その方向へ舌を通じて電子干渉(スナーク)させる。

(ビンゴだ!)

 パチリという音とともに、千雨はアキラに棲くうモノに噛み付き、体内から引きずり出した。

「グギャァァァァァ」

 甲高い奇声が響く。アキラの体内から出たそれは、黄色く発光していた。体躯は一メートル二、三十センチというところだろうか。人間の形をしながらも、頭は鳥のような奇妙な姿をしている。

「お前が真犯人、ってところか」

 千雨の知覚にはスタンドとしての反応がある。だが、電気を纏い、発光しているせいだろう、肉眼でもはっきりと姿が捉えられていた。

「キヒ、キヒヒヒヒ。知ッテルゾ、長谷川千雨。麻帆良カラ逃ゲ出シタ臆病者ガ。コノ『レッド・ホット・チリ・ペッパー・OTT』ヲ前に良ク楯突ク。ダガナァ、麻帆良中ノ電力ヲ手中ニ収メタ俺ニ敵ウ訳ガナイダロォ!」

 『レッド・ホット・チリ・ペッパー』と名乗ったスタンドが大量の電気を周囲に走らせた。スタンド・ウィルスの闇さえも切り裂き、周囲が一瞬明るくなる。
 『チリ・ペッパー』の後ろには、アキラのスタンド――狐に近い姿の女性型――が従うように立っている。

「……お前の能力は『電気を操る』のか? あーちゃんを操ったのもお前か?」
「ギャハハハ、マァソレダケジャナイガナ。『電力』ガ大キケレバ大キイ程、自分ノ、ソシテ他ノ奴ノ能力ヲ強化デキル。ソレガ俺『レッド・ホット・チリ・ペッパー・OTT』ダ!」
「そうか、なら簡単じゃないか」

 千雨のウィルスの侵食は顔の半分まで覆っていた。だが、『チリ・ペッパー』から庇う様に、アキラを背にし千雨は立っている。
 ウフコックはクルリと反転(ターン)し、千雨の首に巻きついた。高性能な演算装置を内臓したチョーカーである。
 千雨にはリミッターが掛けられている。
 それは千雨の能力を応用し、空間に擬似的な演算装置を作る事、の禁止だった。
 いくら強い電子干渉能力を持っていても、その演算が出来なければ意味が無かった。そのため千雨は、空中に電子干渉(スナーク)で回路を作る事を思い浮かべたのだ。それにより、演算装置を作り、干渉能力が上がり、演算装置を増やす、というループが起こり、千雨の能力は際限無き上昇をもたらす事になっていた。それを危険視する学園都市から、千雨に向けて首輪が掛けられたのは当たり前の事だった。
 つまり、千雨には演算装置が足りなかった。そのため、莫大な干渉能力を余しているのだ。なら、どうすればいい? 調達すれば良かった。
 目の前で放たれる電撃を、素手で掴み、簡易的なエネルギー源とした。そのままメイド・バイ・ウフコックのチョーカーを通し、電子干渉(スナーク)を周囲に行った。ケーブルを使わない、独自のネットワークを作り上げる。
 麻帆良に光が戻り始めていた。










 麻帆良工大にある研究室の一室で、超鈴音は複数のモニターの前に座っていた。薄暗い研究室の中、モニターの光だけが明りだった。
 超鈴音は若干十四歳ながら、麻帆良内で知らぬものはいないとまで言われる、天才中の天才である。麻帆良内で大規模な停電が起き、ネットワークが寸断される中、彼女のいる研究室だけは平時と変わらぬ働きをしていた。
 彼女により作られた特殊な発電機と、”この時代”には相応しくない強固すぎるセキュリティが、電気を操るスタンドからシステムを守ったのである。

「超さん、どうですか?」
「うーむ、なんとも言えないヨ」

 世界樹広場を映しているカメラ映像には、相変わらず黒いもやが見えるばかり。ときたま走る電撃が、事態が推移してるのが確認できるが、それだけだった。
 超の背後には、メガネをかけた少女が立っていた。超のクラスメイトにして、共同研究者の葉加瀬聡美である。

「あれ、超さん見てください。この数値……」
「どれネ」

 葉加瀬が指したのは隣のモニターだった。それは麻帆良内のインフラに関するデータであった。電力の数値が急激に変動している。超は椅子から立ち上がり、研究室の窓を開いた。叩きつける雨の中、目を凝らす。

「明りが戻ってきてるネ……」

 真っ暗だった麻帆良に、街の光が戻り始めていた。ふと、研究室の電灯もつき、部屋が一気に明るくなる。

「フフフ、勝負はついた、ってところかネ」
「超さん、しっかりとデータを取っておきましょう」

 二人は笑顔を振りなきながら、モニターの前に戻る。が、そこで表情は一変した。

「な……」
「う、嘘ですよね!」

 研究室にあるモニター、全てにデフォルメされた金色のネズミの画像が表示されていた。キーボードを叩こうと、一向に反応しない。綺麗に電源と演算装置を奪われたのを超は確信した。

「ハハハハ、やられたネ。さすが『楽園』の怪物。数世代先のセキュリティもザルのように破るカ」
「チャ、超さ~ん。システム復帰できません~」
「いいネ、せっかくだから私達も麻帆良を救う一助となろうじゃないカ」

 泣き喚く葉加瀬を背景に、カカと笑う超。視線は世界樹へと向けられた。











 千雨が作り上げた電子のネットワークを、四千にまで分割された思考がダイブする。ウフコックの補助をそのままに、片っ端から演算装置のあるものをジャックしていった。それと平行し、電力の復旧も忘れない。
 『チリ・ペッパー』へと流れている電力ラインを、正常な形へと戻していく。いくら演算装置をジャックしようと、電源が入ってなければ意味が無い。麻帆良中のパソコンを初め、携帯電話にテレビに洗濯機。演算回路を持つ全てを無造作にジャックし、並列処理を施す。ジャックした機器には表示できるなら、ウフコックを模した画像を表示させた。
 麻帆良中に完全な明りが戻り、ウフコックの画像も溢れた。もはや『レッド・ホット・チリ・ペッパー』は千雨の電子干渉(スナーク)の敵では無かった。
 千雨に向かって放たれる電撃をいなしつつ、指をパチンと弾いた。その途端、千雨を侵食していたウィルスが一斉に消え失せ、塵となった。

「ナ、ナニヲシタァーーー!」

 『チリ・ペッパー』の顔が驚愕に染まる。目の前で行われた『スタンド能力の無効化』、それを行ったのがスタンド使いじゃないというのが信じられなかった。

「へぇ、スタンドっていうヤツもそんな顔ができるのか」

 未だ周囲にもやが覆う中、千雨は平然と言い放つ。

「ホザクナァ!」

 『チリ・ペッパー』はアキラのスタンドを”操作”し、周囲のウィルスを一斉に千雨に叩きつける。それに対し、千雨の髪が解け、長髪が舞った。本来、人工毛である千雨の髪の毛には特殊な用途が想定されている。電子干渉の補助である。事故前の髪の色を演じていた有機塗料がパリパリと剥がれ、白い光を放つ髪が現れた。

「だから意味無いって言ってるだろ」

 千雨は左腕を無造作に横に振るった。まるで巨大な手がもやを掴む様に、周囲の闇が一瞬で消える。その力は空まで達し、世界樹の上空の雨雲までを分解した。闇が払拭され、月と星々の光が麻帆良を照らす。

「ナァッ!」

 それだけでは無かった。千雨の電子干渉(スナーク)は広場を中心に伝播し、麻帆良中にあるスタンド・ウィルスを分解していく。

「ウ、嘘ダロ……」

 『チリ・ペッパー』は後ろに後ずさり、よろめいた。膝をついたまま立ち上がらない。

「チ、チカラガ出ナイ」

 『チリ・ペッパー』の後ろに立つ、アキラのスタンドの目に光が灯った。呪縛から解き放たれたようだった。
 アキラのスタンドの姿が霞むと、倒れ伏しているアキラの元に現れた。

「アキラ、大丈夫?」
「あの、あなたは……」
「ワタシハ、アナタ。アナタノ『スタンド』ヨ」

 どこかおかしいイントネーションながら、女性らしい口調だった。
 狐顔のスタンドに怯えつつ、アキラは言葉を交わす。千雨はふと、アキラが裸なのに気付き、ウフコックに頼みコートを出してもらう。それをアキラの肩に掛けながら、その手を握った。

「あ……」

 強く握られた手から、温もりが伝わる。一緒に考え、立ち向かってくれる人がいる。その安心感が、アキラを自分の鏡である『スタンド』と向き合わせた。

「あの……私はあなたが恐い。人をたやすく傷つける力を持つあなたが。でも、それも私。私逃げていた。きっとちゃんとあなたと向かい会えたらこんな事にはならなかった。だからゴメン」

 アキラは自らのスタンドの手を握った。

「恐いあなたは私。ずるい私はあなた。これからはしっかり見る。お願い、私の力になって『フォクシー・レディ』」
「オーライ、ソレガワタシノ名前ネ、最高ニクールダワ」

 アキラのスタンド『フォクシー・レディ』はガッシリとアキラの手を握り、その”傍に立った”。
 千雨とアキラは、キッと『チリ・ペッパー』を睨みつける。もはや逃げ道が無い『チリ・ペッパー』は慌てるばかりだった。

「クソォォォ!」

 渾身の力で、チリ・ペッパーは近くの電源ケーブルに飛び込んだ。千雨達はそれを何もせず見送る。

「まったく、さっきから言ってるだろ。『もうお終い』だって。なぁ?」

 千雨はあらぬ方向を見つめながら喋った。まるでその方向にヤツがいるように。

「さてと、始末をつけるか」

 髪が発光し始めた千雨。その袖をアキラが引っ張った。

「あの、ちーちゃん。私も、私達もやる!」

 後ろでは『フォクシー・レディ』もコクリと頷いていた。ちなみに何故か先ほどから千雨の腕には、『フォクシー・レディ』の尻尾が一本絡まっている。

「わかった。存分に暴れようぜ、あーちゃん。サポートは任せろ」
「う、うん。行くよ! 『フォクシー・レディ』!」
「オーライ! showdownヨ、アキラ!」

 千雨に絡んでる以外の四本の尾が弾け、千雨の誘導の元、電子の海へ消えていった。






 光の海を『レッド・ホット・チリ・ペッパー』は泳いでいた。
 だが、そこにはかつて程の自由も、力も無かった。電気の海を漂いながらも、力が徐々に力が失われていく。

「本体マデ、ドウニカ戻ラナケレバ……」

 『チリ・ペッパー』の自我は強い。電気を操るという能力故、本体の意志を確認している時間が無いのだ。そのため、本体から離れてもこれだけの活動が行えていた。
 だが、今はそれが仇となっている。
 本体の元へ戻ろうと、電気ケーブルの海を泳いでいたが、どこを行っても行き止まり。千雨の妨害に合い、帰還がままならなかった・

「クソ! クソ! アト一歩デ俺達ノ『呪縛』ガ解ケ、『本当ノ自由』ガ手ニ入ッタト言ウノニ!」

 罵詈雑言を吐きつつ、『チリ・ペッパー』は逃げ続ける。だが、ふと足元の違和感に気付いた。

「ナ、何ダト、マサカ!」

 足に尾が絡みついていた。そして絡みついた部分からは黒いもやが染み出てきている。更に今度は左腕に尾が絡みつく。更に右腕。更に首。絡まった先から”染み”が広がっていく。

「アァァァァー! チクショーーー!」

 『チリ・ペッパー』から光が失われていく。もはや、終わりは時間の問題だった。








『まったく、さっきから言ってるだろ。『もうお終い』だって。なぁ?』

 モニター越しの千雨の視線が、音石明の心臓を跳ねさせた。彼は焦りと緊張を音に変え、ギターをかき鳴らす。

「大丈夫、大丈夫だ。この場所がバレるはずが無い」

 音石が生活しているこの場所はシェルターだった。麻帆良工大のある研究室が数年前、閉鎖環境の研究をする際に作った地下シェルターである。その後、研究チームのリーダーである教授が急死し、多くの者に忘れられる形で放置された。
 音石は自分の計画にあった避難場所を探す際、このシェルターに気付き、根城にしていたのだ。

「大丈夫、大丈夫だ……」

 ギターのネックをガリガリとかじり、脂汗が地面に落ちる。目が泳ぎ、足を小刻みに揺らす。その足に違和感があった。まるで何かに縛られているような。
 だが、足を見ても何も無い。試しにズボンを捲り上げた。

「あぁぁぁぁ!」

 足に黒い染みが出来ていた。それが徐々に広がっていく。今度は左腕に圧迫感。次は右腕、更に首。そのどれもに染みが広がっている。

「『レッド・ホット・チリ・ペッパー』めぇ、しくじりやがったなぁ!」

 音石明は自らのスタンドをなじった。体から体力がそぎ落とされる恐怖がせり上がる。
 床に倒れ、もがいた。誰も来ないこの場所で、ひっそりと死ぬのが恐かった。

「誰かー! 助けてくれー! ここから出してくれー!」

 その瞬間、天井が爆ぜた。
 厚さ数メートルはあるだろう分厚い鉄筋と、大量の土が一瞬で消え、空が見える。
 雨雲が無い、綺麗な月夜だった。その月の光の中、一つのシルエットが浮かび上がる。

「よかろう、その願い叶えてやろう」

 金色の長髪に、黒いマント。妙齢の女性の姿をしたそれは、身体年齢を幻術により底上げした『不死の魔法使い(マガ・ノスフェラトゥ)』エヴァンジェリンだった。
 千雨の麻帆良ジャックにより、電力は回復していても、エヴァを抑える結界は復旧していない。つまり、今のエヴァの魔力は枷無き時と同じであった。

「まったく、余計な知恵を働かせるな。”千雨達”は」

 髪の中から取り出したのは通信機だった。

「おかげで事のあらましが良く分かったよ。いい度胸しているな、小僧――」
「あぁぁぁぁぁぁ……」

 エヴァの殺気を直に受け、音石は硬直する。スタンド・ウィルスの侵攻と、目の前の吸血鬼。二つの恐怖の前に、音石は思考が止まった。

「――なぁに、殺しはせんよ。それに幾ら死にたくなっても『死なせない』。覚悟しておけ」

 エヴァの口角が高い角度で釣り上がる。そこにあるのは愉悦。
 音石の絶叫が木霊した。












 承太郎が世界樹広場に到達した時、もう事態は終息を迎えていた。
 広場の中央では、千雨とアキラが背中合わせに眠っている。裸にコート一枚と、アキラの姿も目の毒だが、何より千雨の姿が酷かった。見るからに骨折、裂傷のオンパレード。さらに何故か髪の色まで変わっている。

「俺の仕事はまだ終われんか。ウフコック、二人はコチラで保護するぞ」

 千雨のチョーカーがクルリと反転(ターン)し、ネズミへと戻る

「お手数をかける、”空条殿”」
「すまんが、名前で頼む。お互い今日から戦友だ」
「了解した、”承太郎殿”」

 その後、承太郎はどこかへと電話を掛ける。数分後にスピードワゴン財団の迎えが来ることになった。
 これ程の規模になった大事件。魔法使いどもに二人をそのまま渡したらどうなるか分かったものでは無かった。そのため、スピードワゴン財団での回収が最善だと承太郎は判断する。

(それにしても――)

 承太郎は千雨を見ながら思う。まさか、ここまでの”輝き”を持つものだとはな。
 頭上にヘリコプターの音が響いた。
 帽子を飛ばされないように抑えつつ、呟く。

「本当に、やれやれだぜ」






 エピローグへつづく。









あとがき



 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 さて、僕は何で今小説を書いてるんでしょう。現在時刻午前5時。日曜の間にアップだぜ、とか思いつつ気付いたらこの時間。
 書きたい気持ちが先行して、デンジャラスな時間になってきました。
 ので、とりあえずあとがきは後ほど、修正がてら追加しようかと思います。


・<AKIRA編>について
 ちなみにこの<AKIRA編>ですが、実は名前のタイトルは音石明の「アキラ」でした。ミスリード要因としてピックアップした大河内アキラですが、予想以上の活躍をし、サブタイトルを奪ってしまいました。
 なんて事だw
 と、まぁそんな話をしつつ。

 ご感想などお待ちしています。明日か、明後日にもうちょい追記したり、修正したりする予定です。


■あとがき追記(言い訳、とも言う)
 一章に関する言い訳です。

・レッド・ホット・チリ・ペッパーについて
 セリフで名前を名乗り、あまつさえ能力まで喋るという、とんでもないかませ役になってしまいました。
 正直言って悩んだのですが、原作読んだら似たような感じだったので、そのまんまにしてしまいましたw
 地の文についても悩みました。

 レッド・ホット・チリ・ペッパーが叫んだ。レッド・ホット・チリ・ペッパーの声は大きかった。

 名前長いよ! こんな事毎回書いてたらやってられないし、読者もウザイだろ、と思いつつ、なかなか解決策がない。RHCPとかの略称でいこうかと思いつつも、原作開いたらみんな『チリ・ペッパー』で通してたので、やっぱり採用。


・対戦車ライフルについて
 作者は銃器にあまり詳しくないですが、本来は地面に接地させ、うつ伏せで撃つはずのライフルを、素人の千雨に両手で保持させて撃つという無謀な描写をしました。ですが、「ウフコックならやってくれる」と無理な願望でねじ込み。
 かっこよさ優先です!


・エヴァの通信機について
 エヴァへの千雨からの通信の描写とかは、テンポ上一切無いんですが、麻帆良ジャックを開始したあたりから分割思考でエヴァへ通信して説明している、という設定。
 ネットワークを制圧した後、その中から不自然な痕跡を見つけ、音石の所在を突き止め、エヴァにその場所を教えた感じです。
 うちのエヴァさん、なんか不憫だったんで、締めくらいは活躍してほしかったw



 と、そんな感じで、描写に関する言い訳をつらつら。
 あと、一部の描写を二章に向けて修正しました。二章と関係あったり無かったり色々です。

・一話のシスターズの描写、「一万余の並列演算~」を「一万五千余の並列演算~」に修正。

・千雨の髪の色を「赤みを帯びた黒色」という描写してたんですが、それって「栗色」とかでいいんじゃない? と気付き修正。

・第三話、後半のクウネルの独白を修正。思わせぶりな事言ってますが、単に作者内の設定が固まっていなかっただけ。現在それに合わせて軽く修正しました。微妙にニュアンス変わってると思います。

・ついでにトップも修正。多重クロス、という言葉が足枷になってる気がするので、原作知らなくても読めるように頑張るよ、宣言。特にマルドゥック・スクランブルに関しては、おそらく知らない人が他作品に比べて多いと思うのですが、ぶっちゃけ名前とキャラ借りた後、都合のいい様に改変しまくりなので、SS内でガンガン補完していきたいです。

・さらにトップのあらすじも修正。作者的にはこんな話目指してます。



 次回の第一章エピローグで、一章内の補完となり、一章完全に終了です。
 その際、あとがきかなんかで、アキラのスタンドとかチリ・ペッパーの魔改造内容とかも少し書こうかと思います。
 たくさんのご感想ありがとうございました。作者のモチベーションや糧にしっかりなりました。ついでに第二章も頑張るつもりなので、よろしくです!
 その前に、エピローグをしっかり書かねば……。



[21114] 第10話「第一章エピローグ」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2010/09/20 04:35
 グラグラと肩を揺らされ、千雨の意識は浮上し始めた。それとて覚醒には至らず、まどろみは未だ張り付いていた。
 千雨の夜は遅い。深夜アニメにネットにゲームとやる事はたくさんあった。電子干渉(スナーク)や並列思考など、無粋な事は行わずに巡回サイトを回り、時間が来たら深夜アニメをチェック。ついで、寝る前にゲームをする。
 両親が健在の時には、コスプレ写真や自作ポエムなども作っていた。あと数ヶ月無事に過ごしていたら、ネットアイドルとしてデビューし称賛を浴びていたかもしれない、と千雨は思ってたりする。だが、今のような状況になり、安易に自分の情報を流すことは、強いては周りも危険に晒す事だと考え、自制していた。それ故、憂さを晴らすように千雨の深夜のネット徘徊は続いている。「こいつより、わたしのコスプレの方が良い……」などと愚痴るのだ。
 そんな千雨が日曜の朝に起きれるはずが無い。

「ちーちゃん、朝ご飯出来てるよ」

 アキラのそんな呼びかけに「うぁ」とか「おぉ」とか「うぅ」などと、返事なのかうめき声なのか分からない声を連発している。
 カーテンが開かれ、朝日が部屋を照らした……といってももう午前十時だが。アキラは窓を開け、換気をする。初夏の風が気持ちよかった。
 天気は快晴。青い空が、緑溢れる麻帆良を照らしている。ここからでも、そこらかしこから生徒達の賑わいが聞こえた。
 エプロン姿のアキラはパタパタと千雨に近づき、その手を取る。

「ほら、起きて起きて」
「う……うーん」

 ベッドに上半身だけ起こし、目は糸を引いている千雨。肩に黄金の毛色をしたネズミが乗っかった。サスペンダー付きのズボンを履き、そのズボンの穴からは長い尻尾が揺れている。そのネズミの様相は、どこかコミカルで可愛かった。

「すまないな、アキラ」
「いえ、気にしないでください、ウフコックさん」

 ネズミ――ウフコックの言葉に驚きもせずアキラは答える。
 千雨はボケた頭の中、無意識にメガネを探した。いつもの伊達メガネだ。枕元をパタパタと探し、手先の感触でそれを掴み、メガネをかけた。先日メガネが壊れた後、ウフコックに作って貰った新品である。
 だが、その伊達メガネも、以前より一回り小さくなっていた。
 あの長い夜から十日余り経った、日曜の朝の風景である。











 第10話「第一章エピローグ」











 アキラの作った朝食は洋食中心だった。トーストにサラダ、スクランブルエッグといった定番メニューだ。
 千雨の食事はかなりズボラで、放っておけば毎食カロリーブロックやらサプリメントで済ませてしまう。ウフコックもこの手の事は無頓着で、栄養学やらなんやらの観点でしか指摘しない。そんな千雨だが、更に輪をかけて酷いのはドクターであった。ズボラな千雨ですら心配する食生活で、ハラハラしながら千雨自身が食事の用意をしてたのが、ここ数ヶ月学園都市に住んでいた時の生活だったりする。
 そんな食が細い千雨には、朝の和食などは重いらしく、ご飯を出すと箸が進まないのだ。そこに配慮して、アキラは軽めの朝食を毎回作っていた。

「ウフコックさんはこれくらいでいいですか?」
「あぁ、すまないな、アキラ」

 朝食のテーブルの上に、小さなプレートが置いてある。人形か何かが使うような皿に、トーストの小さな欠片やら、スクランブルエッグの一さじが置かれていた。その前でウフコックは器用にエプロンを首に回し、食事の準備をしている。
 いただきます、とアキラとウフコックの声が重なる。千雨のうめく様な声が遅れて続く。
 もぐもぐ、かりかり、と租借する音が部屋に響く。食べながらやっと千雨の頭は覚醒してきたらしく、目が開き始める。
 向かい側ではアキラがもりもりと朝食を食べていた。体育会系のアキラは千雨と違いしっかり食べる。量も千雨の二倍近かった。千雨の量が少ないと言うのもあるが。
 二人と一匹で朝食食べつつ、ときおり談笑をする。アキラの笑顔も以前のように、いや以前よりも良い笑顔をするようになっていた。

(もう十日か……)

 千雨はこの十日間を思い出す。













 『レッド・ホット・チリ・ペッパー』との死闘の後、千雨とアキラは意識を失い、それを承太郎により保護された。
 太平洋上に浮かぶスピードワゴン財団の巨大クルーザーに運ばれ、治療が施された。アキラは軽度の心身衰弱で済んだが、千雨は酷いものである。右肩の脱臼に始まり、指の骨折、腕のひび、体中に裂傷が出来ていた。額からまぶたの上部にかけての傷があり、あと数センチずれていたら失明である。外傷以外にも、ウィルスのせいで栄養失調の状態になっていたのだ。さらに体力をごっそりと持っていかれた上で、雨に打たれ続け、免疫力も低下していた。
 だが、承太郎は千雨が『楽園』の技術により改造されている事を、ウフコックの存在からおおよそ察していた。千雨へ安易に治療して良いのか、ウフコックに尋ねつつ千雨への治療は行われた。ウフコックも、本来であれば学園都市に千雨を連れて行くなり、ドクターをこちらに連れて来るなりしたかったが、現状ではどちらも難しく、歯噛みしながら千雨の治療を頼んだ。
 スピードワゴン財団が誇る医療チームは、最先端の医療技術だけでなく、秘匿義務をしっかり守るプロ意識もあるとの事。ウフコックとしては承太郎の言葉を信じるしか無かった。
 その間、承太郎は麻帆良学園側との連絡も行う。承太郎は千雨とアキラの保護を学園長に伝え、自分が知る限りの事件の顛末も伝えた。学園長の近右衛門もおおよその事を察し、二人の保護に感謝しつつ、麻帆良の現状を報告してくれた。『スタンド・ウィルス』の被害者が皆助かったことや、真犯人らしき人物を確保した事などだ。
 半日も経った頃アキラは目を覚ました。点滴をされたまま、アキラは承太郎に事の詳細を聞く。自らの事、スタンドの事、事件の事、麻帆良や魔法の事。そして千雨の容態も。
 千雨の事を聞き、アキラは点滴台を持ちつつ、よたよたとおぼつかない足で千雨の元へ向かった。止めても無駄なのが承太郎も判り、部屋の場所だけを言い見送った。
 アキラが二つ隣の千雨の部屋にたどり着き、見たものは驚愕だった。自分は点滴に病人服であり、幾つかの擦り傷に包帯が巻かれる程度だ。だが、千雨は違う。片目を包帯が覆い、他にも見える限りの場所に包帯が巻かれていた。同じ服を着ているはずなのに、肌が見える場所がほとんど無いのだ。
 そんな千雨の姿に、アキラは歯を食いしばる。ベッド横の椅子に座り、千雨をじっと見つめた。ふと、千雨の首元が動いたのに気付く。そこからヒョコリと頭を出したのは、金毛のネズミだった。

「ね、ネズミ!?」
「この姿ではお初にお目にかかるな、大河内嬢。私はウフコック、千雨の相棒(バディ)をしている」

 アキラは突如喋ったネズミに驚きつつ、自己紹介を済ませ、ウフコックにもある程度の事情を聞いた。

「あの、ここでちーちゃん……千雨ちゃんが目覚めるまで待ってていいですか」

 ウフコックとしてはアキラの病状も考え拒否したところだが、本人の意思の固さは目に見えている。それならば、と妥協案を持ち出した。千雨のベッドの横に簡易ベッドを置き、そこで待つという事にしたのである。
 千雨が目を覚ましたのは、更に丸一日経ってからだ。目覚めた千雨が見たのは、泣きながら謝り続けるアキラの姿だった。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 そう呟き続けるアキラを、千雨は唯一動く左手で自分の元へ引き寄せる。千雨の胸にアキラの体が圧し掛かる。ズキリと痛みが走るのを我慢し、嗚咽を堪えるアキラの背中をポンポンと叩いた。

「気にすんな、って言っても無理かもしれないが、わたしには遠慮する必要ねーよ。とりあえずお互い無事で何よりだろ、な」

 そう言いながらニカッと笑いかける千雨、だが反面アキラの瞳には一層涙が溜まり、ワンワン泣き出してしまう。千雨の病人服と包帯に、びっちょりとアキラの涙が染み込んだ。

(あれー?)

 会心の慰めをしたはずが、逆に号泣させた事に驚いたが、アキラの呟きは変わっている。

「ありがとう、ありがとう、ありがとうちーちゃん……」

 謝罪では無く、感謝へと。それに安心し、泣き続けるアキラを片手でギュッと抱きしめた。強く、強く、アキラが泣き止むまで。







 一時間ほど経ち、アキラが落ち着いたのを見計らい、自分達を見守っていたウフコックに現状を聞いた。
 あの事件後、『スタンド・ウィルス』感染者が無事助かった事には安心したものの、学園内の施設破壊や、麻帆良を守る結界やシステムの復旧を聞き、顔が青ざめた。
 元はといえば音石明が原因だが、麻帆良内を壊しまくったのは間違いなく千雨の武器や能力の数々だった。ちなみに千雨は知らない事だが、けっこう承太郎も壊していたりする。
 そこへタイミング良く入ってきた承太郎は、その事について千雨達に話し始めた。

「大河内君にはスピードワゴン財団の保護下に入ってもらおうと思う」

 その言葉の真意が判らない千雨達だが、その後の承太郎の言葉でなんとか理解する。つまり麻帆良での今後の生活を考え、アキラに後ろ盾を作ってやろうというのだ。さらに、感染者達に対する見舞金や援助金も出してくれるという。

「いいんですか?」

 アキラの言葉に、それがスピードワゴン財団の理念だ、と言いきった。莫大な資金を持つスピードワゴン財団だが、元々は承太郎の母方の血統『ジョースター家』を援助するために作られた財団である。表向きは自然保護団体の名前を語っているが、その『自然』の中にはスタンド使いも入っているとの事だ。
 無条件、というのも信用しにくいだろうという事で、なにかの非常時には手を貸してもらうという約束を取り決めた。承太郎とて、その約束をわざわざ使うつもりは無く、アキラの罪悪感がまぎれる様にとの配慮だった。
 承太郎はアキラに幾つかの物品を渡す。それは財団の証明書だたったり、連絡先であったりする。
 そして、更に一日を置いて千雨達は麻帆良に戻る事となった。本来、アキラと承太郎だけだったのだが、無理を言い千雨も付いていく事になったのだ。
 千雨達と学園側の会談は、麻帆良内で一番セキュリティが高い学園長室で行われる事となった。
 土曜の午前、広いはずの学園長室内に主要な関係者が集まり、狭苦しくなっていた。
 承太郎を筆頭に、その後ろには千雨とアキラが。学園側も近右衛門を筆頭に、魔法先生が揃っていた。
 魔法先生達の目は承太郎に注がれている。幾ら不意を打たれたからとは言え、たった一人で自分達を無力化する人間に好感は持てなかった。
 そんな中、会談は淡々と進む。承太郎が千雨達から得た情報なども使い事件の実情を語る。勿論千雨の能力の詳細は語らず、相性がうまく合い敵のスタンド能力が暴走した、という事で通した。その際、音石明の身柄の引渡しも学園側に申し出た。

「おたくらもスタンド使いの異質さを知ってるだろう、身をもってな」

 その言葉に口を引きつらせる者が数名、対して近右衛門は涼しいものだった。善処しよう、の一言で片付けてしまう。
 学園側も音石明の対応には困っているらしい。『電気を操る』というトンデモな能力のため、迂闊な場所では拘束すらままならず、今は生命維持を魔法で行いつつ、氷漬けにしていた。
 お互いが得た情報を照らし出すうちに、事件の実情が浮き彫りになっていく。音石明によるスタンド使いへの無差別の覚醒、その他者の能力の悪用。加害者だと思われた生徒が、実は被害者だという一面。つい一週間ほどまで一般人だったアキラに同情の念が集まった。
 会談が一段落した頃、アキラが学園側の教師陣の前に一歩進む。

「本当に、申し訳ありませんでした」

 アキラは深く、深く頭を下げた。その姿に教師陣は息を飲んだ。被害者であるはずの彼女を、あまつさえ自分達は殺す決意をしたのだ。『立派な魔法使い』という理想を掲げ、その英雄譚の数々に憧れてきた面子である。大人になり、その理想が遥か高く、難しい事は知っている。だが、知っている事と理解できる事は違う。
 頭を下げるアキラを前に、彼らの心を罪悪感が覆った。
 そのアキラの横に、松葉杖を使いながら千雨が並ぶ。

「すいませんでした」

 千雨も頭を下げた。言葉は素っ気無いが、誠心誠意伝わるように、不自由な体を必死に曲げた。
 彼らにとって千雨は眩しい存在だ。
 聞けば、半年前に事故に遭い両親を失い、その後学園都市で治療を受けた際、超能力に目覚めたとの事。目覚めたと言っても大した大きさでは無く、レベル3という能力の五段階評価の三番目程度らしく、自分達魔法使いとは比較にならない程度の強さとの事である。
 魔法という強大な力を持つ自分達が、生徒を救う事を諦め『殺す』という選択肢をしたにも関わらず、彼女はたった一人それに反抗し、そして解決してしまったのである。彼女もまた半年前までは一般人だったのに、だ。
 見ればボロボロの体だった。体中に包帯をし、片目まで隠れている。自分達は魔法による防御手段があるが、彼女の能力にはそういったものが無いらしく、あの暴虐の夜を生身で駆け抜けたらしい。
 声が詰まる。自分達より身も心も幼い、守るべき生徒達に、逆に救われた。そしてその彼女達に、今自分達は頭を下げさせてるのだ。悔しさと恥ずかしさ、情けなさが入り混じる。

「頭をあげてくれないか」

 誰かがそう言った。アキラと千雨は驚いたように顔をあげた。罵声が飛んでくるのでは、と彼女達は身構えていたのだ。

「私達こそすまなかった」

 教師陣は一斉に頭を下げる。その行動に二人は慌てた。
 言葉で伝えたい、だが彼らの内にあるものは様々で、簡単に表せるもので無い。また、その言葉が彼女達の重みになる事は避けたかった。だから、ただただ頭を下げ、謝罪を続けた。
「君達を危険に晒し、さらに命を奪おうとした事、本当にすまなかった」
 アキラも自らが事件当日、標的になっていた事は知っていた。だが、それとて彼らにとって苦渋の決断だった事を、彼らの言葉で理解した。
 学園長室を無言が支配する。
 完全な和解に至らずとも、それは確かに少しづつ動いていた。日常の兆しが見え始める。








「高畑先生」

 学園長室での会談が解散された後、千雨達は高畑を呼び止めた。胸に穴が開いた、と冗談みたいな話を聞いたのだが、高畑はピンピンしており、いつも通りの背広姿だ。

「大河内君、長谷川君……」

 助けられずにすまなかった、そしてありがとう、と高畑の言葉が続く。
 アキラの脳裏に、血の海に倒れる高畑の姿が浮かび、涙が溢れた。千雨は横でアキラの手をしっかり握った。
 高畑と一通り話し、彼の案内で『ウィルス』被害者の元へ案内して貰った。だが、そのほとんどの生徒には直接の謝罪が出来ない。魔法の秘匿を守るためである。感染した魔法使いは数人であり、それらを回るのに一時間も掛からなかった。
 最後に行くべき場所のメモは高畑に貰っている。高畑は仕事のため、もう戻って一緒にいない。

「その前に、ちょっと行くところがあるんだがいいか?」

 千雨の言葉に頷きつつ、その千雨の案内である場所に向かう。
 タクシーを一台捕まえ、図書館島までを指定した。千雨達が着いたのは図書館島の裏手、小さな石造りの通路だった。

「こっちだ」

 千雨の後に着いていくと、通路はどんどん地下へ潜っていく。行き着いた先には扉があり、千雨はカードを取り出し、扉へ近づけた。
 扉の先には広大な空間が広がっている。書架が立ち並びながら、地下とは思えない陽光が照らしていた。

「ここが図書館島の地下らしいぜ、んであいつがその司書とやらだ」

 千雨が指差す先に、いつの間にか男が立っていた。

「おやおや、どうやらこっ酷くやられたみたいですね。半生を取る時が楽しみです」

 ニコリと微笑む優男。

「うるせぇ、契約だ。わたしの体をさっさと治せ。マホウとやらで出来るんだろう」
「はいはい、それではちょっとお体を拝借」

 男――クウネルは千雨に近づき、手をかざした。千雨がほのかに光る様を見て、アキラは驚く。魔法の存在を聞いてはいたものの、見るのは初めてだった。
 クウネルが何事かを呟くと、光は一層強まり、そして消えた。千雨は体の痛みが引いたのに気付き、包帯を取る。包帯の下に傷跡はほとんど無くなっていた。光の加減で薄っすらと線が見える程度である。

「あーちゃん、ここはどうだ?」

 鏡が無いため額の傷が見えず、アキラに聞く。アキラは心配していた、千雨の顔の傷が消え、うれしさのあまり抱きしめた。

「のわぁぁぁ」

 千雨の嬌声で、はっと気付き離れる。アキラはクウネルに振り返り、力の限り頭を下げた。

「あ、あの司書さん。ちーちゃん、じゃなかった千雨ちゃんを治してくれてありがとうございます!」
「お気になさらず”契約”ですので。遅れましたが私、図書館島の司書をやっているクウネル・サンダースという者です。お気軽にクウネルとでも呼んで下さい、大河内さん」
「あ、はい……って私の名前」

 いつものひょうひょうとしたクウネルのペースに取り込まれるアキラ。千雨は自らの体を知覚領域で精査し、異常が無い事を確認していた。

(さすが魔法、相変わらずファンタジーだぜ)
<これほどの治癒速度とはな>

 呆れつつ感嘆していた。
 ふと気付き、千雨は用が済んだとばかりに、アキラを連れて出て行った。

「今度来るときはおみやげもお願いしますよー」

 というクウネルの言葉を聞き流しつつ、図書館島を後にする。









 二人はある病室の前にいた。
 コンコン、とノックをすると元気な返事が返ってくる。

「失礼します」
「おぉ! アキラじゃん! ずっと会えなくて心配してたんだよ~」

 ベッドの上には裕奈がいた。元気はつらつといった体で、雑誌を広げてテレビを見ている。
「おぉ、長谷川も来てくれたんだ、サンキュー」
「あぁ、元気そうで何よりだな……」

 人恋しかったのだろう、いつに無くテンションが高い。裕奈は感染症という名目で、ここ数日友人との面会が認められていなかったのだ。くしくも千雨達はそのお見舞い第一号となっていた。
 裕奈は目覚めた後の病院での色々を語る。父親が号泣し娘離れができるか心配だった、とかそういう話だ。
 アキラは必死に謝罪の言葉と涙を堪えながら、笑顔を浮かべ続けた。裕奈に見えないベッドの下では、千雨がアキラの手を握っている。それでなんとか堪えつつ、アキラは談笑を続けた。
 千雨達がお暇しようとした時、病室へ男が入ってきた。

「あ、おとーさん」

 明石教授である。千雨達は凍りついたが、教授は大人だった。裕奈に何か悟られないよう、普通の会話を続ける。

「おや、アキラくんじゃないか。君も大変だったね、心配してたんだよ」
「え、えぇ……」

 数分会話した後、三人は場所を近くの待合室に移し、対面していた。

「本当にすみませんでした」

 アキラは必死に頭を下げる。それに千雨も続く。
 教授も困惑していた。自分は率先して目の前の少女、裕奈の友人であるアキラを殺そうとしたのだ。あの日、娘を守る、という名目の元に持った殺意の残滓が、未だに教授を悔やませている。
 その上で、アキラ達の謝罪だ。教授にとっては傷口に塩を塗られているようだった。

「いや、頭を上げてくれ。謝るのはこちらだ。僕は恨まれこそすれ、謝ってもらえる立場じゃないよ」

 自嘲の笑みを浮かべつつ、疲れた表情で教授はあの日の事を語った。娘を守るため、アキラに殺意を燃やした事をありのままに語る。それは教授にとっての懺悔だった。年齢が一回り以上離れている彼女達に話すべき事では無いが、教授は止められなかった。

「――だから、むしろ僕があやまるべきなんだ。本当にすまない」

 頭を下げる教授に、今度は千雨が声をかけた。

「裕奈のお父さん、わたしは色々経験が少ないが、あなたが間違ってるとは思えない。だってさ、誰かを殺して親が生き返るなら、わたしだって殺してると思う」

 千雨の頭に両親の顔がよぎった。もう会えない、懐かしい顔だ。

「だから、しょうがなかったんじゃないかな。わたしが言うのも無責任な話だけどさ、親としては当たり前だと思う」

 教授の目に、薄っすらと涙が覆ったが、男として、大人としてそれを見せるわけにはいかず、目頭を押さえた。
 千雨達はそっとその場を離れた。








 翌週、臨時休校が明け、通常授業が再開された。
 変死事件はある大学生による犯行として報道されたが、テレビを賑わしたのはほんの数日で、あっという間に人々の記憶から消えた。そこには麻帆良やスピードワゴン財団の名が働いたのは言うまでも無い。
 殺人鬼として報道された、麻帆良大学の大学生『音石明』は、警察の手に渡った……と名目上なっているが、彼に正当な法の裁きが下ることは無いだろう。
 また、千雨の環境も多少変わった。千雨は事件が落ち着いたら、学園都市へ戻ると思っていた。多少寂しいが仕方は無い、と。

「交換留学生、ですか」
「そうじゃ」

 週明け早々千雨は学園長に呼び出され、急にそんな事を言われた。
 スタンド事件を機に、麻帆良と学園都市の緊張が高まってるらしい。そこで魔法と超能力、お互いの実情を知るものが親交という名目で学生を交換しようと言うのだ。体の良い公認スパイという事である。

「何しろ急に決まった事じゃ、人数も期間もまだ決まっておらん。じゃが、とりあえず長谷川君をそのテストケースにする、というのが先方の意見のようじゃ」
「先方って……それって後づけじゃないですか。いいんですか?」
「構わんじゃろ、それで困るものはおらん」

 千雨はまだ知らない事だが、この交換留学生を働きかけたのは、千雨の保護者やるドクター・イースターである。学園都市を離れられない、彼なりの援護のつもりであった。

「それで、じゃ。長谷川君には寮に関しての通知がある」
「通知?」

 それは寮の部屋換えの話である。女子寮のアキラと裕奈の部屋が例の感染症の後、封鎖される事となった。この女子寮というのがかなり部屋割りが大雑把で、三人部屋を二人で使ってたり、二人部屋を一人で使ってたりするのだ。前者はまき絵と亜子で、後者は千雨である。
 それに伴い、裕奈がまき絵と亜子の部屋に、アキラが千雨の部屋に移れとのお達しだった。超能力者にスタンド使い、要は監視対象をうまくまとめるという事なのだろう。
 裕奈はアキラと部屋が別れる際、ちょっと寂しそうにしながらも、

「まぁ、すぐに遊びにいけるしね!」

 と元気に語っていた。
 こうして千雨が遭遇した事件は収束していった。
 そして千雨とアキラがルームメイトして過ごし、丁度一週間となっていた。
 千雨も交換留学生という名が付属し、まだ当分は麻帆良に居る事になった。その事をドクターと相談したが、何やら目的があるとの事。うまい事お茶を濁されたが、仕方があるまいとも思う。
 千雨は欠伸を一つ。窓からの風景を眺めた。
 初夏の日差しが爽やかに都市を照らし、世界に色を輝かせていた。
























「そんな面白い事があったなんて。スケジュールを全部放り投げて来るべきだったな」

 承太郎の後ろを歩く男がいった。奇妙な風体の男である。
 逆立った髪を綺麗に横に流し、変わったデザインのヘアバンドをしている。体は細身であり、筋肉が少ないのも、服越しにわかった。だが、目は異常に鋭い。いつも周囲に対する観察を怠らないような周到さが伺えた。
 男の名は岸部露伴。承太郎が要請した救援である。本来ならばもっと早くに着いていたはずが、彼自身が海外にいたり、トラブルに見舞われたりと、合流が遅れたのだ。
 そして彼はスタンド使いであり、漫画家だった。有名週刊少年漫画雑誌に連載を持ち、コアなファンを獲得し続けている。

「あぁ~~、惜しかったなぁ~、見たかったなぁ~。何でもっと早く言ってくれなかったんだぁ。ねぇ、承太郎さん」

 承太郎は無言で通路を進み続け、ある扉を前にピタリと止まった。

「ここだ」
「へぇ、やっとご対面ですか」

 承太郎は扉を前にして、服についている貴金属などを外し始めた。
「ヤツのスタンド能力は知っているだろう。用心のためだ、外せるものは外しておいた方がいい」
「それもそうですね」

 露伴は素直に従う。貴金属だけでなく、携帯電話やボタン電池式の腕時計も外してから、扉を開けた。
 中は薄暗く、また冷たい。ヒヤリとした風が頬を撫でた。

「おぉ」

 露伴も思わず声が出た。
 そして部屋の中を確認すれば、中央に大きい氷の塊が鎮座している。氷の中には男の体が埋まっており、顔だけ外へ出ていた。

「へぇ、君が『音石明』か」
「たのむぅ、助けてくれぇ……」

 露伴は無遠慮に近づき、音石の顔をペチペチと叩く。音石は消え入りそうな声でこれに応じた。
 部屋の壁は特殊ゴムで出来ていた。ありとあらゆる物が絶縁体で覆われており、一部の隙も無い。明りも特殊な蛍光ランプにより、電気を使わず部屋を照らし出している。

「露伴、たのむ」
「わかりましたよ、承太郎さん」

 承太郎の短い言葉を理解したのか、露伴は即座に応じた。

「たのむ、”話せる事”は全て話すから助けてくれぇ」
「いや、必要無い。君は一切話す事は無い。なぜなら」

 露伴は人差し指を、音石の目の前に突き出した。

「僕のスタンド『ヘブンズ・ドアー』があるからね」

 指先が光を帯び、その軌跡が露伴の代表作にして主人公『ピンク・ダークの少年』の顔を描いた。

「あぁぁぁぁぁ」

 それを見た音石の顔の表面がパラリとはじけた。まるで顔そのものが本になったようだった。
 岸部露伴の能力『ヘブンズ・ドアー』は自らが描く絵を見せることで、相手を本にする事ができる。能力を受けた人の本の中身には、その人の記憶が書かれている。また、この本の中に命令を書くことで、相手にその命令を守らせられる、というとんでもない能力だったりする。
 露伴は手馴れた調子で音石明のページを捲っていった。

「ふんふん、なるほど」

 ペラペラと捲りながら、音石の名前、出身、特技に趣味に性癖と、あらゆる物を斜め読みしつつ音読していった。
 ページを捲り続けると、途中からきな臭い内容になってきた。

「大学からの帰り道、矢にさされて能力が発現か。その後好き放題してた所で――」

 そこから音石のページに”アノ人”という言葉が増えだした。

「『その日、俺は”アノ人”に会った。思えばずっと”アノ人”の手の上で転がされてた気がする。俺は”アノ人”に興味を抱いて聞いたんだ、お前は誰だ、ってな。これが間違いだった。”アノ人”は自分の名前や住所に性別、好きな映画から嫌いな芸能人まで、自分に関する事を延々喋りはじめやがった。余りのウザさにスタンドを発動しようとした。その時に気付いたんだよ、これが”アノ人”の手だってな』か。ふむふむ」
「やめろぉぉ~、たのむ、それ以上覗きこまないでくれぇ」

 露伴の口は軽やかに回る、対照的に音石の声はか細く、必死だった。

「『”アノ人”の能力により、俺は縛られた。呪いだ。”アノ人”を知ったせいで、かわりに俺は”アノ人”の願いを叶えなくてはならなくなった。『自らの平穏のために、麻帆良にいる魔法使いを殺す』。最初聞いたときは気が狂ったか、とも思ったが納得だ。まさか魔法使いが本当にいて、あれ程の力を持ってるとはな。俺達スタンド使いが、自由気ままに過ごすには確かに邪魔だろう』」
「もう、触れないでくれ! たのむ、”アノ人”はぁぁぁぁ」

 承太郎は音石に注意を払う。

「『”アノ人”から得たものは二つ。スタンド能力と”矢”だ。”アノ人”は計画実行のため、俺に”矢”を渡してきた。おめでたいやつだ。ついで、俺の能力も成長した。”アノ人”への恐怖が、俺のスタンドを強くした。それまで『電気を操る能力』だった『レッド・ホット・チリ・ペッパー』に、『他者のスタンドを操り、強化する能力』に成長した。だが、クズみたいなガキどもで能力を試したが、ロクなものじゃなかった。大量の電力がなければ操る事は難しいし、強化だって微々たるものだ。だけど、どうにか出来る筈だ。とりあえず、矢を使いスタンド使いを量産する。なぁに、死んだやつは電気ケーブルの海に放り込めば見つからない』」
「ごめんなさい! 謝る! 謝るから、それ以上読まないでくれぇぇぇ!」

 音石の顔は涙と鼻水でビショビショだ。だが、露伴は気にもしないという態度でページを更に捲った。

「『何人目だろう、ついに目的が達成できるスタンド使いを発現させた。弱い、はっきり言って弱い能力だ。遅効性のウィルスをばら撒くというクソみたいな能力だが、俺が強化すれば凶悪になる。この能力で麻帆良を覆えば、”アノ人”の願いを聞きつつ、”アノ人”を殺せるはずだ。俺は歓喜した。これで自由だ』。なるほどね、君の狙いはそこだったわけか。首謀者の命令を聞きつつ、自らを脅かす首謀者を殺す。悪くは無い選択だと思うよ、僕は」
「もう、もう無理だ。たのむぅぅぅぅぅぅ!」

 しかし、露伴は止まらない。

「『”アノ人”の顔を思い出す。そうこんな顔だった……』。おや、次のページには写真があるようだね」
「駄目だーーーーーーーっ!!!」

 音石の言動が激しくなる。承太郎は露伴を止めにかかった。

「露伴やめろ! ”そのページを捲るな”!」
「承太郎さん、こいつの焦り方を見れば分かるでしょう。載ってるんですよ、この次のページに”アノ人”とやらが」

 露伴はページを指で掴みつつ、ペラペラと揺すった。隙間からは確かに写真のようなものが微かに見える。

「たのむ、捲らないでくれ、それ以外だったら何でもやる、下僕にでもなってやる、だからァァァァーーーー!」
「……そうかい、そこまで――」

 音石の言葉に露伴の指が止まった。音石の顔には希望が浮かんでいた。まるで地獄の底で天使を見かけた様な、晴れ晴れとした表情だ。

「だが断る。この岸部露伴はあと一歩の真実の前に、怯むことを知らない。そこに他人がいて、迷惑がかかるならなお更だッ! 見せて貰うぞぉぉぉ!」
「やめろぉぉぉぉぉ!」

 露伴は一気にページを捲った。次のページには確かに誰かの写真が載っていた、人影、シルエット、だがそれは――。
 音石が内側から爆発した。

「露伴っ!」

 承太郎はスタープラチナの能力で時を止め、露伴に近づき、その体を壁まで飛ばした。時を止めた瞬間が遅かったらしく、写真の載ったページは真っ先に爆発していた。
 時の流れが戻る。

「ぐぅっ!」

 背中を強打し、くぐもった声を出す露伴。

「大丈夫か露伴」
「えぇ、すいませんね、承太郎さん」 
「まったくだ。それにしてもやられたな、これが”アノ人”とやらの呪いだろう。自らの正体の完全な隠蔽。記憶にすら干渉するのか。それに”アノ人”じゃあ性別すら分からない」
「僕も写真を見損ないました。せめてあと一秒あれば」

 露伴は悔しそうに頭をかいた。
 部屋の中は爆発の影響で散々な状況になっていた。音石を縛っていた氷まで砕け、壁に突き刺さっていた。だが、その程度だ。
 音石の姿はほとんど残っていなかった。血も、肉片も、元の大きさを考えれば微々たるものしか残っていない。

(こいつはまるで――)

 承太郎は先日の資料室の事を思い出していた。麻帆良での『矢』の捜索中、警備員が殺された事件だ。

「これが”アノ人”とやらの仕業となると、『矢』の持ち主は……」

 麻帆良を騒がした『スタンド・ウィルス事件』の犯人『音石明』の最期であった。
 だが、まだ事件は終わらない。








 第一章<AKIRA編>エピローグ終。










あとがき



 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 なんとかエピローグの方も終了し、第一章を締める事ができました。
 今回はダイジェストな感じで、サラサラっと終わらせるつもりが、予想以上に時間がかかり、いつの間にか文量も増えてしまいました。おかしいなー。
 ですが、これでとりあえず文句無く百合百合な展開を見せられるはず!
 次章に関しては、素材は出来てますが、プロットが出来ていないので、一章と同じく見切り発車になりそうです。
 ですが、次章こそは百合百合学園ラブコメとして、色々頑張ろうと思います。千雨がキャッキャウフフしつつ、ハーレムや修羅場で困る所を楽しみにしてくれたら幸いです。

 そして今回、アキラのスタンド能力の設定も載せようと思います。

**********************************************************************************
<スタンド名>フォクシー・レディ
<スペック>まったく考えてないですが、おそらくスピードはA
<基本的特徴>
人型で、ニメートルほどの身長。背中から五本の尻尾が伸びている。
自我があり、喋る事もできる。
性格コンセプトは「ズルイ」。これはアキラの性格の対比と、スタンド名から。
また、体長三メートルの狐の姿になり、その背に人を乗せ走る事ができる。
速さは車程度。
<スタンド能力詳細>
・他者に自らが作るウィルスを感染させられる。だがウィルスで致死にいたるには時間がかかり、それは感染者の体力に比例する。
・ウィルスの進行速度は能力者が調整出来る。
・ウィルス感染者はスタンドを見ることが出来る。
・尻尾一本に付き、一人しか感染させられない。また感染させた尻尾は固まり、動かす事が出来ない。
・固まった尻尾を破壊されると、能力者の意思関係なくウィルスは解除される。
・感染者の数に比例し、スタンドの身体能力に負荷がかかる。

●解説。
 コンセプトは「鬼ごっこ」。ヒットアンドウェイを地で行くスタンドです。
 また「車並みのスピード」と言うのがそそります。
 この表現の曖昧さが、その後の話の展開を広げるのです!
 ある意味最高に強いんですが、ソロで行くと微妙。
 弱体版パープル・ヘイズといった感じです。
**********************************************************************************


 本編で説明仕切れなかったので、こんな所で能力の補完です。
 「感染者にはスタンドが見える」と言った表現は、話の序盤から気を使いました。うまく表現出来てたら幸いです。
 感想、誤字脱字報告などお待ちしています。一言あると本当に励みになります!
 では、今度こそ二章で!






































 男は世界樹を見上げた。
 日も暮れ、人が少なくなってきた時間、男は麻帆良の郊外に立っていた。
 初めて来た東洋の国、その異様な風貌に圧倒されてきた。だが、どこかこの麻帆良地には親近感を覚える。それは西欧を模した作りの建物の数々がそうするのだろう。
 いつか歩いたフェレンツェの地を思いだした。
 だが、フィレンツェにもこれほど大きい木は無かっただろう。世界樹。その名に相応しい巨大さと荘厳さだった。
 風が男の髪をなびかせた。色あせた金髪を、そのまま伸ばし、無造作に後ろで縛っている。元は美男子だったろう顔立ちだが、今は顔を無精ひげが覆っていた。体は黒いタイトな服で覆っている。細身ながらも筋肉質な事が分かった。
 こうやって見れば、渋みのある色男といった感じだが、それを目の下の隈が台無しにしていた。強すぎる色合いの隈の上には、碧眼の瞳が乗っているが、その瞳も濁っていた。
 剣呑さを隠しもせず、男は麻帆良の地に立っていた。
 ここに、彼の願いを叶えるモノがあるはずなのだ。

「そこの君、すまないが名前を教えて貰えるか」

 男の背後に、更に男が立っていた。黒色の肌に、肩幅のある長身。日本では目立つ風貌だが、この麻帆良ではそこまで目立たない容姿、麻帆良の魔法教師ガンドルフィーニである。

『はは、すまないが、僕は日本語が不自由でね。観光に来たら迷ってしまったよ』

 ガンドルフィーニの言葉に男は英語で答えた。

『そうだったのか。ぶしつけにすまないが、君は何者だ。私はここで教師をやっていてね、生徒達のために不審者は排除せねばならない』
『不審者、不審者だって、僕がか。またか、本当に日本は窮屈だな。冗談はやめてくれないか』

 男はさもありなん、と言った感じで大げさなジェスチャーをする。そんな彼にガンドルフィーニは苦笑いをした。

『いや、すまないね。僕も経験がある。日本は僕ら外国人に排他的だが、良い国だ。観光者の君の気を悪くしたのは申し訳ないが、身分証明書を見せて貰えないだろうか』

 ガンドルフィーニの言葉に、男は片手に持ったバッグから、パスポートを取り出し渡す。

『名前はピーノ・サヴォナローラ。イタリアからの旅行かい。それにしては英語が流暢だね』
『昔少しアメリカに住んでた時があるんだよ、そのせいかな』

 男はガンドルフィーニとの会話をしつつ、その懐の膨らみを凝視していた。男はガンドルフィーニの立ち居振る舞いから、ただ者じゃない事を察している。

『宿はもう決まっているのかい』
『いいや、まださ。本当はこの駅で降りるつもりは無かったんだが、あまりにも故郷の風景に似ていたせいで降りてしまったよ』

 ハハハ、と続く男の笑い。だが、その笑顔には鋭さがあった。しかし、それに気付かぬまま、ガンドルフィーニは男に近づく。

『そうか、じゃあ案内しよう。この時間となれば、流石に他の駅まで行くのは億劫だろう。駅向こうなら、幾つかホテルがあるんだ』

 その不用意さが仇になった。

『ありがとう紳士(ジェントルマン)。そしてさようなら、だ』

 ゆったりとした男の動き、そこには魔法などの異能の力は一切無い。あるとしたら練磨の上にある卓越した技術と”才能”だった。
 ガンドルフィーニの首から血の噴水が上がった。次いでガクリと膝が折れ、自らが作った血の海に飛び込む。バシャッという音がして、周囲にさらに血が跳ねた。
 男はもう傍には居なかった。片手にはナイフ。その表面には小さな文字が幾つか刻まれている。刃に乗った血糊を、腕の一振りで飛ばし、仕舞う。
 男の体には血の一滴すら付いていない。
 男は天才であった。”殺す”その一点に置いて、他の追随を許さない正真正銘の天才。その力は魔法ですら薄紙に変えてしまう。
 ガンドルフィーニにとっての不幸は、その”天才”と会ってしまった事だった。血の海に沈み、体が冷えていく。薄れゆく意識の中、妻と娘の姿がよぎった。

(すまない……)

 呟きすらままならず、ガンドルフィーニは永遠の眠りについた。
 男は振り返る事もせず、その場を離れる。瞳には再び濁りが渦巻いていた。
 十年前、男は欧州で名を馳せていた。名が売れる事が二流である世界で、名を売り一流であり続けた男。
 そこではこう呼ばれていた――『ピノッキオ』と。
 その姿は麻帆良の夜の闇に溶けた。







 第ニ章<エズミに捧ぐ>に続く。



[21114] 第11話「月」 第ニ章<エズミに捧ぐ>
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2010/09/15 23:37
 星の瞬きが視界を覆っていた。そして、それらが尾を引き光のラインを夜空に描いている。

「うわー、きれい~」
「ほらほら、見てよあそこ!」

 クラスメイトの声に、夕映はハッっとする。思わず見惚れていたのだ。冬に入り、夜になると肌寒さも増した。厚着をしているが、チクチクと刺すような冷気が服の隙間に入り込む。白い息を両手に吐きつつ、ゴシゴシと擦った。
 その日は、普段閉鎖されている女子寮の屋上が開放され、多くの生徒が詰め掛けていた。今年はある流星群の大出現の年らしく、テレビでも一週間ほど前からこの話題で持ちきりである。そのため、今日は特別に寮長の監督の元、生徒達へ屋上が開放される事となった。
 もう十一月となり、クラスメイトも屋上に行くにあたり、それなりの厚着をしている。夕映もパジャマの上にダッフルコートとマフラーをしていた。鼻がむずむずし、マフラーに顔の半分を押し付ける。

「ゆえゆえ、あっち空いてるよ、行こう」
「ひゃ~、なかなか絶景だねぇ」

 ルームメイトの宮崎のどかと早乙女ハルナが呼びかける。

「わかりましたデス」

 二人の姿を追いかけつつ、返事をした。あまり広くない屋上に、人が溢れている。中等部だけで無く高等部の生徒もいるので、なかなかの混雑ぶりだ。
 背の低い夕映は、人垣に入ってしまうと空が見えなくなってしまう。人の隙間にかすかに星が見える程度だ。だが――。

「こんな夜空でも月はしっかり輝くのデスね」

 どこまでも透き通るような高い夜空に、月が輝いている。満月だ。人垣も、一際空高く浮かぶ月は隠せなかったようだ。周りを跳ね回る星の群れには負けん、とばかりに常に無い輝きを放ってるように夕映は感じる。
 やがて人垣が途切れ、星の海が目に飛び込んでくる。地平線まで続く夜のスクリーンだった。

「おぉ、流れ星のバーゲンセールだ! こりゃあ願い事叶え放題だねぇ。のどかは何願うの?」
「えぇっと、読みたい本があるから、それが図書館に入るようにって……」
「即物的~! さっすがのどか」
「ふ、ふぇ、? パルちがうよ~」
「やれやれデス」

 二人の会話を聞き流しつつ、夕映は夜空を見上げる。少し首が痛かった。
 いつかの『祖父』との思い出がよぎる――気がした。記憶には無い。だが、”感覚”はある。確かあれは天体望遠鏡が――。
 周囲の喧騒が消え、星の光と冷気のみが夕映の世界だった。だが、温もりはあったはずだ。肩に手の重みがあり、彼の吐息が頬をかすめた。ただ、私はそれが嬉しかった。

「ゆえゆえ、寒いの?」

 のどかが夕映の手を握った。ギュっと掴まれた手のひらから、心配する気持ちが伝わる。いつかの逡巡を捨て、目はしっかり今を見つめた。

「いえ、ちょっと昔の事を思い出してましたデス」

 グシャグシャと頭を乱雑に撫ぜられた。

「も~、また『おじいちゃん』の事でも思い出してたんでしょ、本当におじいちゃんっ子なんだから」

 ハルナは笑いつつも、夕映に温もりを伝え続ける。ルームメイトの二人は夕映の祖父が数年前に死んでいる事を知っている。だが、それを口に出す事に対する遠慮はしない。夕映もまたそれを望んでいなかったからだ。

「『祖父』は、その……素敵な人デス。尊敬に値する素晴らしい人だったのデス」

 若干赤くなりつつ、目線を反らして夕映は呟く。もちろん二人には聞こえている。
 寒さと喧騒が心地よかった。コートの隙間に手を突っ込み、胸元のペンダントを触る。ヒヤリとした表面、だがそれも気にせずギュっと握った。夕映の視界をまた流れ星が落ちた。

(もし、叶うなら――)

 十分程星の祭典を堪能し、三人は部屋に戻った。ベッドに潜り、明りを消す。カーテンの隙間からもあの星空が見えていた。そして月も。
 暖かいものに包まれたような感じがする。冷たいはずのペンダントが、夕映に温もりを与えた。
 眠気のせいか、頬に一筋涙が流れた。誰かの名前を呟く。だが、夕映すらもそれが誰の名前なのか分からない。ただ、その姿を月が見守り続けた。
 その夜、夕映はぐっすりと眠れた。
 去年のある日の事である。












   千雨の世界 第ニ章<エズミに捧ぐ> 第11話「月」










 ピンと栗色の髪が跳ねた。事件からおよそ二週間、千雨の髪の色も完全に元に戻っていた。当初、特殊な有機塗料が剥がれてしまい、それを市販の染料で染めてごまかしていたのである。
 しかし、さすがは『楽園』の技術。時間が経てば自動的に髪を覆い、元の色に戻してくれるのだ。これからは髪が伸びようと、根元の白髪部分にドキドキする事は無くなった。
 千雨の口が開いた。無警戒な姿だった。布団を無造作に放り投げ、へそを出して大の字で寝ている。エプロン姿のアキラはその姿に微笑を浮かべつつ、そっとベッドに腰を下ろした。
 千雨の髪を一撫でした。サラリと流れるストレートの髪の感触は、自分とほとんど変わらない。だが、この髪も肌も、そのほとんどが人工物だという。先日、同居するにあたりアキラは千雨の実情を聞いていた。



「人工皮膚(ライタイト)?」
「あぁ、そうだ。それが今のわたしを覆ってるんだ」

 部屋で千雨は向かい合いながら、アキラにおおよその事を話していた。もちろん、機密に関する事は話せない。だが、千雨が半年前に『事故』に遭い、両親を失った事を話した。

「その時にな、わたしも重傷でさ、学園都市に運ばれて改造されたってわけだ」

 千雨は二の腕まで袖をめくり、肌をツルリと触る。

「綺麗なもんだろ。一応細胞と同化しちまったから、よほどの技術力が無い限り、本物とは区別がつかないらしい。で、おかげで得た能力がコレだ」

 千雨はテレビを指差す、するとテレビの電源が入った。指を鳴らす、エアコンのゴウゴウと風を吹き始めた。

「これがわたしの能力『電子干渉(スナーク)』。凄まじいリモコンとでも思ってくれ。そしてもう一つ人工皮膚(ライタイト)を通した周囲への超感覚もある。まぁ電子干渉(スナーク)の延長線上、すげぇレーダーって感じかな。この部屋の中ぐらいだったら何でも知覚できるんだ。はは、ロボットみたいだろ。恐いかな、あーちゃん?」

 自嘲気味の笑い。明るく語っているが、どこか目に不安があった。

「ううん、そんな事無い。それよりも!」
「ふぇっ」

 アキラは頭をブンブン振り、髪が尻尾の様に舞った。

「そ、その寿命とか! こ、子供を産む機能とかどうなの!」
「あ、あぁ……。確かそこらへんは大丈夫って言ってたぜ、ドクターが。あ、ドクターってのはわたしの治療した人で、今の保護者だ」
「そっかぁ、良かった」

 千雨の手を掴み、体を乗り出していたアキラは、ペタリと床に座った。どこか安心していて、悲しそうだった。

「……ちーちゃん、さ、ご両親の事とか、その色々あると思う。私はまだ親いるから分からない。けど、分からないけど一緒にいて考える事はできると思う。寂しくなったり悲しくなったら、私にどんどん言っていいからね。私、背高いから、ちーちゃんくらい抱える事できるし」

 アキラのすこし寂しそうな笑顔に、千雨は心が暖かくなった。両親が『殺されて』半年。ウフコック達のおかげで立ち直れはしたものの、吹っ切れてはいない。いや吹っ切ってはいけないのだ。
 寝る前、まぶたの裏に両親の顔が映され、胸が締め付けられる時がある。『もしも……』とありもしない未来を夢想する時もあった。
 だから、アキラのその真摯な一言は、千雨には何より嬉しかったのだ。

「あれ、あれ、どうしたんだろ」

 ふと、千雨の瞳からポロポロと涙が落ちた。まるで意図しないそれに、千雨は困惑する。

「あれ、嬉しいはずなのに、ど、どうして涙なんか出るんだよ。チクショウ、おかしいだろ」
「ちーちゃん――」

 アキラは千雨に近づき、そっと肩を抱いた。

「ち、違うんだぜ。別に悲しくて泣いてるわけじゃないんだ、ただ、なんか涙が……」
「うん、分かってる」
「分かってねぇよ、わたしは全然、そういう事じゃなくてだな」
「うん」

 千雨の筋道が無い言い訳に、アキラは逐一答える。アキラの肩に、千雨の涙が広がった。
 部屋の片隅で状況を見守っていたウフコックは、そんな千雨を見て安心していた。最近お得意のサスペンダースタイルに、金毛をなびかせている。

「良かったな千雨」

 二人に聞こえぬよう、小さく呟き、ウフコックは寝床に向かう。最近作られたウフコック専用ベッドだ。そこに寝転がり、腹を仰向けに、ネズミらしく寝た。
 千雨のすすりなく様な声と、言い訳だけが部屋に響いた。

「め、目にゴミが入っただけなんだ」
「うん、そうだね」







 そんな先日のやり取りを思い出し、アキラは微笑んだ。
 そして、ふと毎朝の儀式を思い出す。髪を撫でていた指先を滑らせ、髪先から頬へ、そして口元へと移す。千雨の唇は朝なのに潤いを無くさずてかてかと光っていた。その唇を撫ぜ、指先を千雨の口の中へと入れる。

「フォクシー・レディ」

 小さく呟いた。すると、指先から黒いもやが溢れ、千雨の中に流れ込む。二人で決めたとは言え、このどこか背徳的に見える行いが恥ずかしく、頬が紅潮する。
 ほんの一、二秒で指を離す。今、千雨の体の中には『スタンド・ウィルス』が根付いている。だが、その進行速度は微少。アキラのコントロールにより、ウィルスの侵食は最低限に抑えられていた。
 アキラのスタンド『フォクシー・レディ』の能力は、対象にウィルスを感染させ、死に至らしめるというとてつもないものだ。だが、元来のアキラの性格が災いしたのだろう、その進行速度は遅い。健常な人間だったら最速でも一週間以上かかってやっと死ぬ、という兵器としては微妙なものだった。二次感染も発生しない。更にウィルス感染者が五人まで、と決まっていた。
 スタンドの本体『フォクシー・レディ』には尾が五本ある。その一本一本が拳代わりとなり、攻撃する事もできる。そして、対象をウィルスに感染させる事もできるのだ。しかし、感染をさせるとその尾は石のように固まり動かせなくなってしまう。一本を代償にし、一人に感染させるのだ。尾は五本で最大五人。これがアキラのスタンドの限界だった。
 更には感染させる対象が増えるたびに、スタンドの身体能力が落ちていく。具体的に言うと一本に付き一割減、といった所だった。
 ちなみにあの事件の最中は、『音石明』のスタンドにより底上げされ、これらの制限が無くなっていた。
 このように枷が多い能力だが、反面能力の効果範囲やコントロールは優れていた。
 今、千雨に感染させたウィルスも、実際の所千雨にはほぼ害が無い。放っておいても十数年は無害なはずだ。よほどの大怪我や重病にかからない限り、感染しっぱなしのウィルスが原因で死ぬことは無いだろう。
 ではなぜウィルスを感染させるかと言うと、千雨とアキラ、お互いの安全のためだった。千雨はスタンドを知覚領域を展開することで、なんとか視認できるがその輪郭を追う程度だ。自我を持つスタンドの声を聞くことも本来は出来ない。だが、アキラのウィルスに感染することで千雨はスタンドを肉眼で見ることができるのだ。
 アキラも千雨にウィルスを感染することで、千雨との通信ラインが出来るというメリットがあった。これは承太郎の監視の元でアキラの能力が分析され判明した事である。アキラはウィルスに対し、その進行速度をコントロールできる。そのコントロールする通信系統に千雨が逆アクセスできる事がわかったのだ。
 さすがに千雨以外はやる事は出来ないが、ウィルスを通じての会話や、画像の送信などが行えた。
 携帯電話があるご時世、そんなに必要なものでも無かったが、荒事に巻き込まれる可能性のある二人である。用心に越した事は無く、お互いの合意の元で、千雨へのウィルス感染が決まった。

「あっ……」

 アキラも意識すれば千雨が感じられた。ウィルスを通して、気配を感じるのだ。
 万一の事も考え、寝る前にはウィルスを解除する。そして体力の回復をした朝に、また感染させていた。
 そんな朝の儀式を終え、アキラは臨戦態勢を取った。これから千雨を起こし、身支度を整えさせなければならない。
 可愛い衣装が好きなくせに、それを人前でするのが恥ずかしく、千雨はいつも地味な姿をしていた。
 アキラとしては元が可愛いだけに、色々といじって見せびらかしたい気持ちがある。だが反面、その可愛さを独り占めしたい気持ちもあった。
 なので、いつも通りの大きなメガネに、後ろで束ねた髪という格好を千雨は今でもしているが、そこにはアキラの細かなデティールアップがあったりする。
 寝ぼけ眼な朝の千雨は、アキラの言うがまま成すがままだった。そしてアキラもそれを楽しんでいた。

「ちーちゃん、起きて」

 戦いが始まる。







 昼休みのチャイムが鳴る。四時限目の古典の先生は、鳴るなりそそくさと教室を出て行った。
 千雨も周りを警戒しつつ、教室を出ようとする。と、そこへ。

「”千雨ちゃん”、一緒にお弁当食べよ」
「あ、あぁ。わかったよ”アキラ”」

 アキラが行く手を遮った。
 放っておくと、猫のようにどこかに飛び出してしまう千雨を、アキラが襟首を持つように捕まえ、机を寄せ合った一角へ連れて行く。ここ最近のいつもの光景だった。
 ちなみに「ちーちゃん」「あーちゃん」と呼ぶのは恥ずかしいらしく、人前では止めている。
「あははは、また捕まっちゃったね千雨ちゃん」
「いい加減あきらめな。アキラに敵うわけないじゃん」

 まき絵と裕奈が机を動かしながら笑った。いつの間にか机がガシャガシャと寄せ合い、一つの小島を作っている。
 その片隅へ千雨は座らされ、目の前にアキラ特製の弁当が置かれた。

「――ありがとう」
「どういたしまして」

 千雨の控えめな感謝の言葉に、アキラは快活に答える。姦しい談笑の中、千雨は弁当を広げ、もそもそと食べ始めた。

(あ、これうまい)

 ほとんどが冷凍食品であるが、一部千雨の好みを狙い打つアキラお手製の一品が入ってたりする。傍目からも分かるほど嬉々として、それをもぐもぐ食べる千雨。どこか小動物を思わせる姿に、テーブル周りの数人は癒されてたりする。

「何気に長谷川は癒し系だな。頭に耳でも生えてそうだわ」
「アキラ、完全に餌付けしとるねぇ」

 裕奈と亜子が何やらボソボソと話していた。
 食事も終わり机が戻された。千雨もトイレにでも行くか、と席を立った所を呼びかけられる。
「おい、千雨。ちょっといいか」
「げぇっ」

 そこに立っていたのはエヴァだった。横にはいつも通り茶々丸がいる。
 事件後からお互いの直接的接触は無く、時折クラスで目が合っても千雨は視線を避けていた。いつも通りビビっていたのである。
 エヴァの尋常じゃない強さは身に染みており、触らぬ神に祟り無し、と露骨に避けていた。だが、千雨とていつまでも避けれぬ事は知っていた。何せクラスの席順が至近距離なのだ。

「な、なんでせう」

 古典口調になりつつもなんとか返事をする。

<千雨、大丈夫だ。今のところ敵意は無い。はずだ、たぶん>
(何だよ『今のところ』とか『はずだ』とか『たぶん』とか! 嘘でももっと自信持って言ってくれよ!)

 ウフコックに泣き言を言いつつ、千雨はエヴァを見た。いや、見たふりをした。視線はエヴァの後ろの貼り出された『渋み 神楽坂明日菜』と書かれた汚い習字を見つめている。

(きたねぇ字だな)
<部首の跳ねが逆だな。また、漢字とかな文字の大きさが不釣合いだ>

 もはやエヴァの事から現実逃避をし、心の中では習字の批評を始めている。
 そんな千雨の状態を察したアキラは、そっと千雨の横に立った。背中からは不可視の尻尾が一本飛び出し、千雨を守るように浮遊した。

「おいおい、そんな警戒をするな。むしろお前達の思ってる事と逆だ。謝礼がわりに食事に招待しようと思ってな」

 ニヤァとエヴァが顔を歪める。その気配に、アキラは足がすくんだ。

(わたし的には言葉のチョイスも問題だと思うんだが)
<いや、文字数的にも画数的にも書きやすい部類だろう。そしてヘタなりに、なにか熱意は感じるぞ>

 それを他所に、千雨とウフコックの習字談義も過熱していた。
 一触即発な気配を放ち、対峙するエヴァとアキラ。二人に挟まれ、明日菜の汚い習字を論議し始める千雨とウフコック。それらを興味深げに見守るのはクラスメイトだ。
 一部”裏”を知る人間は、剣呑な雰囲気に緊張をしていたが、他の生徒は千雨を奪い合う二人、という穿った見方をして嬌声を上げていた。

「うぅぅむ、これがリアル修羅場か。勉強になるわー」
「ゆえゆえ、なんか機嫌悪そう」
「べっつにぃ、何でもないデスよー」

 目線するどく、口調も投げやりな夕映だった。
 この変な空気は、茶々丸のツッコミにより、エヴァがあらぬ誤解を振りまいてる事に気づくまで続く。
 そして千雨とウフコックの論議は、習字から得られる作者のプロファイリングまで展開していた。

(粗野で大雑把。だが情熱家)
<直線にブレが少ない。決断力があるな。だが、もう少し向上心を持つべきだ>

 ちなみに明日菜は食後のシエスタタイムに入り、机に突っ伏して寝ていた。

「高畑せんせ~、ムニャムニャ」

 完全に蚊帳の外だった。








 昼休みに変な騒ぎがあったものの、その日の授業は滞り無く終わった。エヴァも、後で迎えを寄こすという捨て台詞を残し、帰っていった。
 放課後、今日はアキラの部活も無く、千雨は二人で帰路を歩いている。気分を変え普段とはちょっと違う道を通る事にした。
 その通りは賑わっていた。
 学生が多いこの街だが、それと共に外部からやってくる者も多い。また人口のわりに家族単位での居住が少なく、外食の比率が高いという事もある。金銭的にも学生は毎食外食というわけにいかないが、それを取っても外で食べるものが多い。
 千雨達が通ったのは、そんな食事処が立ち並ぶレストラン街だった。和洋中を中心に、トルコ料理やイタリアンもある。学生が立ち食いしやすいクレープなどの屋台も出ていた。
 平日にも関わらず、地方のお祭り並の人並みである。千雨も数年前までは慣れていた光景だったが、久しぶりに見るとなかなか威圧される。

「相変わらずの人の多さだな」
「そうだね」

 はぐれまいと、二人の距離は心ばかし近くなっていた。
 歩いていると、路上にテーブルを出し、カフェテリア形式でもディナーを出すイタリアンレストランが見えた。

『おい、それは俺のだぞ』
『けっ、何言ってやがる、テーブルの真ん中にあって俺のもお前のもあるか』

 そのカフェテリア席で二人の男が英語で言い争っている。顔の半分をひげで覆った男と、チョビひげのキザそうな男だ。二人ともガタイが良いらしく、無理やりそれをスーツに詰め込み、パッツンパッツンになっている。
 どうやらテーブル上に並んだ料理を取り合っているようだった。
 ドン、と机を叩く音がした。料理の一部が浮く。

『アンタら、いい年なんだからもっと静かに食いな!』

 中央を陣取るふくよかな老婆が吼える。顔に刻まれたしわは深いが、体中から覇気が溢れていた。鷹のように鋭い目。彫りが深く、明らかに日本人では無い。桃色の髪を後ろでお下げにし、まるで二本の角のように固めていた。

『でも、ママ~』
『うるさいよ、シャルル、ルイ』

 髭面の男達はどうやら息子らしい。怒られてる二人の影には、もう一人男がおり、静かに食事を続けている。
 またもう一つのテーブルには、先ほどの男達と同じく不恰好なスーツを着た男達が数人。同じような食事に手をつけている。肌の色からも様々な人種がいるようで、共通する事と言えば、食事の汚さぐらいなものだった。
 二つのテーブルには山のように食事が盛られ、それらをガツガツと食いこぼしを飛ばしながら詰め込んでいる。
 総勢九人ものその所帯は、通りを歩く人々の視線を一手に集めていた。千雨達も例外で無く、彼らのやり取りを見ていた。

「――なんか、あの前通るのやだな。ちょっと通りはずれないか」
「うん、そうだね」

 千雨とアキラはわき道を通り、大通りから一本外れた道へ出た。ここは商店なども少なく、また寮までの最短の道とは外れており、人通りも少なかった。
 並木道に石畳が引かれた、なかなか趣のある通りだった。夕焼けが二人を照らした。

「さっさと帰るか。なんかエヴァから色々あるみたいだしな」
「そうだね、ちーちゃん」

 並んで歩く二人。ふと千雨は後方に気配を感じた。誰かが走ってくるようである。
 千雨は振り向く、それに釣られアキラも後ろを向いた

「あれは……」
「おぉ、アキラに千雨じゃないか。こんなところでそういたアル」

 クラスメイトの古菲(クーフェイ)だった。褐色肌の中国人留学生である。中国拳法の名人、という話を千雨は思い出した。

「古か」
「くーちゃんこそどうしたの?」
「どうしたもこうしたも無いアルヨ。見たとおり鍛錬してるアル」

 そういう古菲は身軽そうな服を着ていた。喋ってる間も足の動きは止めず、もも上げを行っている。

「へ~」
「あ、千雨ちゃん。くーちゃんは中国武術研究会の部長で、とっても強いんだよ」

 アキラのそんな言葉に気を良くしたのか、古菲は照れながら拳法の型を見せ始める。

「そ、そんな事ないアルヨー。私なんてまだまだ未熟アル!」

 そう言いながらも、凄まじい武術を見せていた。飛び上がって蹴りを放つも、その回数は片手じゃ数え切れない。

(すげぇ……つかあんな事普通できないだろ)
<片足で四メートルも垂直に飛んでいるぞ>

 千雨とウフコックも内心ツッコミを入れていた。

「うわぁ、くーちゃんカッコイイ」

 アキラだけが素直に褒めていた。

「えへへー。あ、でも今度師匠がこっちへ来てくれる、ってさっき連絡があったアルヨ。それで思わず張り切っちゃったアル」
「へぇ、良かったじゃん」
「うん! 久しぶりに会えるから楽しみアル!」

 古菲が来た道から、息も絶え絶えの男達の集団がやって来た。話から察するに、どうやら集団でランニングをしていた所、はしゃいだ古菲だけが一人先行してしまったらしい。

「もう、みんな遅いアルヨー!」
「はぁはぁ、む、無茶言わないでください部長」

 筋骨隆々、タフさが外見からも分かる男達が、古菲の周りに倒れこんでいる。

「よーし、じゃあ最後に流しで十周走るアルヨ! 再見(ツァイツェン)アキラ、千雨!」
「うん、じゃあねくーちゃん」
「気を付けろよ~」

 千雨達に別れを告げ、古菲は砂煙を上げ去っていった。
 それに男達がよろよろと追随する。

「大変だな、あいつらも」

 千雨の言葉に、アキラは苦笑いをした。




 つづく。









あとがき



 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 なんとか第二章に入りました。
 一章ではジョジョ分多めでしたが、この章は少し殺伐としてくると思います。
 さらに、たちの悪いことにクロス先も増えていきます。一応未読の人にもわかるように、補足を少し経ったら付けていこうと思いますが、出来るだけ本編で描写しきるように努力します。
 とりあえず百合成分はアップ。モリモリ盛っていきます。
 で、感想欄で突っ込まれそうですが、前話の最後のアレについては、次回か次々回に経過を描写すると思います。
 原作のネギまはいつでもニコニコ、笑顔で解決。という形で落ち着いてしまうので、二章の方向性のためにご退場願いました。
 二章のサブタイについても、ちょっとインテリっぽく、洒落た感じで付けてみました。一応この章の本筋に関わるキーワードになってるんで、二章完結できたら補足しようと思います。

 感想、誤字脱字報告などお待ちしています。





[21114] 第12話「留学」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2010/09/20 04:34
 食事はうまい。それがいつも日本に来たときの感想だった。
 老婆は肉やパスタを口に放り込みながら思う。仕事柄世界中を回っているが、食事に外れが少ない国はこれほど無かった。特に自国以外の料理となるとトンデモないものが出てくる国がある。
 それを考えれば、極東の果てにありながら、それなりに食えるパスタが出てくるあたり、評価はできた。
 だが、自分の引き連れた男達には分からないだろう。目の前でイジ汚く食う息子達に目をやる。おそらく味なんてさっぱり分かって無いだろう。
 そんな日本たが物価が高いのが難点だった。ここの支払いだって馬鹿にできない値段だろう。だが、算段はある。
 『お宝』を手に入れる前祝いだと思えば安いものだった。
 目の前に置かれた、分厚い肉にフォークをガツンと差し、歯で引きちぎるようにして食べる。肉汁が口の中に広がる。ガツガツと食べつつ、それをワインで流し込んだ。
 視線を横に向ければ、通りを歩く人々が自分達を見ているのに気付く。
 通りに面したこの席で、これだけ食っているのだ。自分達に注目が集まらないはずは無い。
 その視線の中に、幾つかの違和感を感じる。
 老婆はニィッと笑いながら、男達に少し訛りの入った”中国語”で話しかけた。

『野郎供! さっさとメシをかき込みな。そろそろお仕事の時間だ』
『えぇ~。せっかく日本に来たんだ。もう少し観光してからにしようよママ』
『そうだぜ! ここは美人が多いから、少しばかり親しくなってからでも遅くはないぜ』

 老婆の言葉に”フランス語”や”スペイン語”など、様々な言葉で返された。
 一見無学に見える彼らだが語学に関しては堪能なようだった。商売柄、様々な国を渡るため必須となった技能である。またこのような会話の時、周囲を気にせず話すため、幾つもの言語を混ぜ合わせ会話するのがいつもの彼らの手段だ。

『うるさいよ! さっさと三人一組で回りな。他の奴らに”お宝”を取られたらどうすんだい! こちとら情報は少ないんだ、食ったら馬車馬の様に働きなっ!』

 老婆の怒声に、テーブルを囲む男達ばかりか、通りを歩く客達まで驚き肩をすくめた。
 男達は無言でコクコクと頷き、急いで皿を空にして、走り去っていった。
 静かになったテーブルで、老婆は再びワインに口をつける。酸味が広がった。こぼれそうになる雫をペロリと一舐めする。

『『運び屋』ドーラ一家、仕事の開始だ』

 老婆の名はドーラ。荒事専門の『運び屋』、カタギでない集団の首領だった。










 第12話「留学」











 麻帆良学園の学園長室には陰鬱な空気が蔓延していた。

「ふぅ」

 学園長、近衛近右衛門の心境は重い。次々と起こる不足事態に辟易していた。
 学生の変死事件に始まり、スタンドウィルスの蔓延にあの大停電である。そして――。

「ガンドルフィーニ君……」

 麻帆良学園の教師にして、魔法先生のガンドルフィーニの死体が先日発見された。現場に魔力の残滓も無く、ガンドルフィーニには抵抗の跡も無かった。
 彼の記憶を魔法で洗ったが、外国人との男性の会話を最後に切れている。その外国人の顔もおぼろげで、それ以上死者の記憶を蘇させる事は出来なかった。
 今、麻帆良の地は混沌としている。それは何もスタンドが原因というわけでは無い。
 あの日、大停電のあった日に麻帆良を覆う結界が消えた。その折に麻帆良内のデータまで流出したのだ。一時的にネットワーク内のセキュリティまで無力化され、侵入された。もちろん、ネットワーク内にある情報だ、重要度の高いものは避けてある。だが、導火線にはなりえるのだ。
 麻帆良の結界は、魔力の有無を持って外部の者を退けている。もちろん、不審者なども取り締まるよう警備を強化しているが、大前提として相手が魔力を持っている事を、敵対対象への優先項目としているのだ。
 逆を言えば、魔力を持たないものは麻帆良内に侵入しやすい。また、麻帆良は外に厳しく、内に優しい。すねに傷持つ者がその庇護下入ってくるのは必然だった。見方を変えればエヴァンジェリンだってそうである。そうした者達が麻帆良内に潜伏しているのは、長くこの地に居る近右衛門は理解し、また放置していた。逐一取り締まった所で意味が無いし、むしろ敵対感情を持たれて暴れられる方が厄介だからだ。
 どの都市にも、その程度の人間は居る。
 だが麻帆良には物理的な結界と、数世代先をいくネットワークセキュリティがあった。それがブラインドとなり、外部からの多くの視線を退けていた。
 それが先日一時的に失われ、『何かしら』を外部が見つけたらしい。

「厄介じゃな」

 そして学園側がその『何かしら』を認識できないのが一番の問題だった。
 今、多くの人間が麻帆良に入ってきている。そのほとんどが魔力を持たない人間であり、こちらの結界をすり抜けてきている。様々な人種がいた。だが、麻帆良には『認識阻害』の魔法が都市全体にかかっている為、一般人が外国人を奇異に思うことはない。相手側がそれを知っているならば、他所にくらべ遥かに動きやすいだろう。
 麻帆良という優しい土地に埋もれていた、幾つかの導火線に火が付き始めたのだ。だが、その種火の行く先も、数も、規模も計り知れない。
 近右衛門は頭痛を堪えるように、こめかみをぐりぐりと押す。
 コンコン、とドアをノックする音がした。

「入りなされ」
「失礼します」
「し、失礼します」

 近右衛門の言葉に、二つの声が応じた。ドアを開け入ってくるのは二人の女生徒だ。片や麻帆良内にある聖ウルスラ女子高等学校の制服を着ており、片や麻帆良学園中等部の制服を着ている。

「ウルスラ女子一年の高音・D・グッドマンです」

 スラリとした長身と金髪。年齢よりどこか大人びた雰囲気を持つ少女である。

「ちゅ、中等部一年の佐倉愛衣です」

 対してもう一人の少女は見た目どおりの幼い感じであった。赤みを帯びた髪を、後ろでお団子にしている。

「うむ、ご苦労じゃの。ま、ま、そこへ座っておくれ」

 ふぉっふぉっふぉ、と笑い声を挙げつつ、近右衛門は二人を近くのソファへと誘導した。
 先ほどの深刻な表情は鳴りを潜め、好々爺然とした雰囲気をかもし出していた。

「あ、わかりました」

 その雰囲気に愛衣の緊張もほぐれたようで、ニコリとしながら腰を落ち着かせる。
 近右衛門は二人の前にお茶を出す様に連絡し、対面へと座った。

「さて、と。二人を呼び出したのは、この前の事件についてじゃ」
「この前、と言いますと『スタンド・ウィルス』とやらのあの事件、ですか?」

 高音はどこか探るように問い返した。

「そうじゃ。わかっておると思うが『スタンド』と『超能力』は別物じゃ。じゃが、若いものの中に超能力開発をしている学園都市を敵視するものが増えている」
「そうですね。私達の近くにも数人、そういう方達がいるのは知っております」

 高音と愛衣はこの学園に所属する魔法使いだった。通称『魔法生徒』と呼ばれる者達である。彼女らは日々麻帆良を守るため、この土地の警備を行っていた。警備の際には色々な魔法使いと組むこともあり、またミーティングなどの会合もある。最近になり、その時々に学園都市に対する不満の声が耳に入る時があるのだ。

「若手の中でも聡い君達なら分かると思うのじゃが、麻帆良と学園都市がぶつかる。これが示すものはわかるじゃろう」

 高音はあご先に指を添え考え始めた。愛衣は二人の会話を邪魔しまい、とじっと聞いている。

「最悪、戦争の引き金になりますね。『学園都市』と言いつつ、あちらはほぼ自治国家。日本の法が適用されない。またこちらは魔法協会の極東支部という位置づけ。各支部からの援護が放っておいてもやって来るでしょう」

 高音の言葉に愛衣が凍りついた。まさか、そこまでの事態とは考えていなかったのだ。

「ふむ、なかなか的を得ている。まぁ、あくまで最悪の場合じゃ。想定しておいて損は無い程度に考えておいておくれ、のぉ」

 ふぉっふぉっふぉ、と笑う近右衛門に、愛衣も涙目ながら落ち着きを取り戻している。

「元々戦争なんてのは非生産的で、非効率的じゃ。じゃが、人と人との怨恨はそんな道理も吹き飛ばしてしまう。そこで、じゃ。グッドマン君に佐倉君、二人に打診したい事があるのじゃ」
「打診……ですか?」
「ふ、二人!?」

 いぶかしそうな顔の高音と、驚く愛衣。

「二人には交換留学生として『学園都市』に行って欲しい。もちろん、それ相応の待遇を保証しよう。二人が一緒に住める住居に生活費はもちろん、留学中の麻帆良学園内の単元も無条件で取得とする。他にも要望があれば、出来る限りの事はするつもりじゃ」
「学園都市……へ?」
「りゅ、留学~~!」

 二人とも呆けた顔をしていた。だが、高音はすぐさま思考を回転させる。

「学園長、それは私達に『探れ』というご命令として受け取るべきなのでしょうか?」
「ふむ、まぁそういう側面もあるのぉ。だが、あくまで親交目的の留学じゃ。あちらさんも”今は”戦いを避けたいらしくての、最近は門戸を大きめに開いておるようじゃ。それに乗り、こちらも幾人か派遣しとこうとして、おぬし達に白羽の矢が立ったのじゃ」
「別に私達じゃなくても良かったんじゃありませんか? もっと実力のある先輩方がいると思うのですが」
「実力だけを見れば上がおるじゃろうが、それとて君達が劣ってるわけじゃなかろう。それにのグッドマン君、わしは君を評価しているのじゃ。あの『スタンド・ウィルス』事件の際、多くの若手が外部に敵意を向けた。だが君は逆に自分自身への悔恨としていた。他者ではなく、自分自身への戒めとする。それは人として中々出来る事では無い、とわしは思っている」
「なっ!」

 高音の顔が一気に紅潮した。事件後の説明の会合で発した、自らの青臭い発言が思い出される。

「多少頭が固いところはあるようじゃがの、君のような人材こそが今回の留学生として適切だと思っておる。まぁ、あっちの世界から出てきてもらった上に、さらに留学までさせて申し訳ないのじゃが。佐倉君とて、グッドマン君を一番近くで見てきているようじゃし、魔法の成績も良い。二人とも、考えてくれんかの?」
「少し、考えさせてください」
「あ、あの私も時間が欲しいです」
「ふむ。それは仕方あるまい。資料を渡すので、じっくり考えて欲しい。とりあえず期間は半年。物見遊山程度に考えた方がいいじゃろ。別に荒事を求めておらんからのぉ」

 その時、ドアがノックされ、女性が部屋に入ってきた。手には茶が三つ乗ったお盆がある。三人の前に緑茶が並べられ、女性は退室していった。

「もう、いいかのう」

 一般人が居なくなり、近右衛門はパチリと指を弾き、防音結界で部屋を覆った。

「言い忘れておったが、もしもおぬし達が留学する場合、超能力開発はされないよう、特別な処置をする事を約束しておこう」
「『学園都市』に行くのに、超能力に触れないのですか?」
「えぇ~、なんか少し勿体無いような……」

 愛衣の言葉に、高音は内心少し同意している。

「ふむ、そうなのじゃがの。問題なのは『魔法』なのじゃ。未確認ながら、ある筋の情報によるとのぉ、『超能力』はどうやら『魔法』を、引いては魔力の運用を阻害するようなのじゃ」
「「え?」」

 二人の顔が引きつった。

「大丈夫じゃ。だから特別な措置と言ったじゃろう。行く際に幾つかの呪的プロテクトも施すつもりじゃし、相手の理事側にも確約を取っておる。留学先で能力開発を強制される事は無いはずじゃ」

 その後も、幾つかの点に付いての質問が飛び交った。結界を張ってあるので、魔法に関する事も気にせず話題と出来た。
 一段落した所で、愛衣が一言呟いた。

「あぁ~、こんな時にガンドルフィーニ先生がいればいいのに」
「……そうですわね」

 少し高音の表情は堅い。

「学園長先生、ガンドルフィーニ先生の出張は長いんですか?」
「ふぉっ。そうじゃのぉ……まだ少し『出張』は長くなりそうじゃ」
「そうなんですかー。帰って来てたら相談できたのになぁ」

 高音と愛衣は、ガンドルフィーニとチームを組んで警邏する事が多かった。必然、魔法に関する事などもガンドルフィーニに相談する事が多いのである。

「学園長、それではそろそろ失礼させていただきます。ご返事は一週間以内、という事でよろしいんですよね?」
「うむ。長々とすまんのぉ。良い返事を期待しておる」
「はい、それでは失礼いたします」
「し、失礼しました~」

 二人は深々とお辞儀をして、退室していった。
 二人が退室をして、数分。近右衛門は背もたれに体重をかけ、天井を見つめた。

「すまんのぉ、ガンドルフィーニ君」

 ガンドルフィーニの死はまだ伏せられていた。知っているのは学園内でも本当に一部の人間と、遺族のみである。
 現在、ガンドルフィーニの死は、いたずらに麻帆良内の若手を躍起にさせるだけであり、より状況を緊迫させる事が明白だった。そのため、近右衛門はその死を伏せた。
 近右衛門の密命を帯びた、長期の出張という事で魔法関係者を納得させ、一部の重要な者数名に真実を話した。今、高畑などはガンドルフィーニを殺した人物を探すため、麻帆良内を飛び回っていた。
 そのためだろうか、どうやら高音も何かに気付き始めてるようだった。

「さすがに無理があったかのぉ」

 その事情を遺族に話したところ、ガンドルフィーニの妻は、どなる事も怒る事もせず、ただ頷いた。それが彼選んだ仕事ですから、と一言言うだけである。
 彼の遺体の埋葬は密かに行われた。遺族は妻と娘の二人、それに学園長と数名の魔法教師だけの、密やかな葬儀だった。墓石に名前は無い。事態が集束したら再び葬儀を行う。慰めにもならない言葉だった。
 だが、妻も娘も近右衛門達を前に気丈に振る舞い続けた。それが何より悲しく、痛かった。近右衛門としてもしたくない措置であり、罵声を浴びせられる事を覚悟していたのだ。それすらも無い。

「はやく解決しないとのぉ……」

 近右衛門の呟きは虚空に消える。
 二人から留学の承諾の連絡が来たのは、この二日後だった。











 くつろいでいた千雨達の部屋にノックの音が響いた。

「誰だ?」

 部屋の前に居たのは茶々丸だった。普段とは違いメイド服を着て立っている。

「千雨さん、アキラさん。お迎えにあがりました」
「あぁ、これってマクダウェルの言ってたご招待ってヤツか?」
「そうです。ご準備がよろしければ私に付いてきてください」
「夕食、準備しなくて正解だったね、千雨ちゃん」

 アキラの呑気な言葉に「あぁ」と答えつつ、千雨の表情は引きつっている。
 千雨達は茶々丸に従い、女子寮を出て歩いた。森の中を十分ほど歩き、見えてきたのはログハウスである。

「あれが?」
「はい、あれが我が主の家です」

 茶々丸は扉を開け、二人を中に入るよう促した。

「さぁ、どうぞお入りください」
「お、おう。お邪魔します」
「お邪魔します」

 中は暗かった。そこらかしこに人形が置いてあり、微かな明りがその陰影が克明に見せ、不気味だった。

「ひぃっ」
「ちーちゃん……」

 恐怖に、千雨は思わずアキラの腕に抱きつく。アキラはそんな千雨を、頬を染めて見つめていた。

「失礼しました。今、明りをつけます」

 明るくなれば印象は一変した。ふんだんなレース生地を使った部屋の装飾の数々。その上に並んだ可愛らしい人形はたくさん。少女らしい趣味の部屋である。
 だが、エヴァの姿は見えない。

「マスターはこちらでお待ちです」

 二人が更に促されたのは地下室だった。不思議に思いつつも地下に足を進める。
 そこにあったのは巨大なガラス球だ。中には精緻に作られた家らしきものの模型が入っている。

「おぉ……」
「すごい。綺麗……」

 二人とも見惚れる程の出来だった。

「お二人とも、もう一歩足をお進めください」
「お、おう」
「うん」

 茶々丸の言葉に従う、と。その瞬間、視界が一変した。

「え?」

 透き通るような空、青く輝く海。目の前には先ほど見つめた模型と同じ建物がある。二人は事態に付いて行けず、目を見開いた。

「マスターはあちらでお待ちです。さぁどうぞ」
「どどどど、どうぞってここ歩くのかよ!」

 建物へ続く細い道が目の前にあった。だが、そこは空中にせり出た回廊である。下を見れば二十メートルは固いであろう高さなのに、手すり一つないのだ。だが、退路も無い。千雨はガクガクと震えつつ、アキラにしがみ付き歩いた。

「千雨ちゃん、可愛い」

 そんなアキラは震える事無く、むしろしがみ付く千雨に恍惚とした表情を向けていた。

「危ないから、ちゃんと捕まっててね」
「う、うん」

 もう千雨はアキラの成すがままだった。








 茶々丸によれば、どうやらこの場所は先ほどのガラス球の中だという。魔法により時間と空間をいじり、あの地下室にこれほどの巨大な別荘を置いているとか。

(なんつー、適当さ。魔法には呆れるばかりだな)
<まぁ諦めろ>

 ずっと大人しくしていたウフコックが慰めた。

「よく来たな、千雨、アキラ」

 茶々丸に案内された先には、長い金髪をなびかせた妙齢の美女がいた。肌も露な格好でふんぞり返っている。手にはワインを持ち、くゆらせていた。

「えーと、誰?」

 千雨の質問は真っ当なものである。予想はできるが、確証は無かった。

「ふふふ、わからんか。私はエヴァンジェリンだよ」

 嬉しそうに答えつつ、エヴァは自らが纏っていた幻の魔法を解き、普段の姿を見せる。そしてまた妙齢の女性の姿に戻った。

「まぁ、そこらに座れ。”外”だと丁度夕食時だろう。今晩餐を持ってこさせよう」

 エヴァの後ろでは茶々丸に似た給仕たちが、世話しなく動いていた。
 勧められた席へ座ると、二人は少し緊張した。高級レストランにも似た雰囲気に圧倒されたのだ。
 今居る部屋も、シンプルでありながら高級そうな装飾が施されている。窓から見える景色も格別で、どこかホテルの展望台を彷彿とさせた。

「ふふ、そうかしこばるな。なに謝礼の晩餐だ。気楽に楽しめ」

 そう言いつつ、ワインを飲むエヴァの仕草は様になっていた。
 千雨達はそれを身ながらコクコクと首を縦に振るばかり。
 少し経つと、千雨達の前に皿が並べられた。

「さぁ、頂こうか」

 エヴァの言葉を皮切りに食事が開始された。千雨達も緊張はしていたものの、前菜やスープの美味しさに、口が緩み始めた。

「あ、これ美味しい」
「家でこんなにうまいもの食えるのかよ」

 やがてメインディッシュも運ばれ、食事は進む。時折エヴァとの会話もあり、お互いのしこりも少しは解けていった。

「そういえばさ、マクダウェルって、その『吸血鬼』なんだよな」
「あぁ、そうだ」

 アキラもその事を聞いてはいたものの、信じられないでいた。

「でも、お前普通に外歩いてるよな。本当に吸血鬼なのかよ?」
「ふむ。私は不老不死の真祖の吸血鬼だ。だが、物証が無いと信じられない、と。なら簡単だ」

 エヴァは片手に持ったナイフを振るう。そうするとエヴァの左腕の肘先が切れ飛び、宙に舞った。鮮血が部屋を汚す。

「なっ!」
「ひぃっ」

 二人は驚愕の声を発する。だが当人は落ち着いたものだった。

「茶々丸、持って来い」
「はい、マスター」

 切れ飛んだ腕を、茶々丸は拾い上げ、エヴァの傷口にピタリと付けた。そうするとどうだろう。切れたはずの腕の指先がピクリと動き、次の瞬間には何事も無かったかの用に腕にくっ付いた。
 茶々丸は傷口の血を布で拭く。そこにはもう傷口すら無い。先ほどの行動を示すものは、床にばら撒かれた血の跡のみだった。

「これでどうだ。信じられたか?」

 ニヤリと笑うエヴァ。

「も、もっとやりようがあるだろ!」
「き、気持ち悪い」

 顔を真っ青にする二人だった。






 一しきり落ち着いてから、千雨は再び切り出した。

「とりあえずあんたが吸血鬼とやらなのは分かった。で、やっぱり日光とか大丈夫だよな。にんにくが苦手とか、あの手の話は嘘なのか?」
「ふむ。概ね合ってるぞ。伝承に尾ひれは付き物だが、それと同じく正鵠を射ているものもある。日光やにんにくが苦手で、心臓に杭を刺されると死ぬ。まぁ、昔からの言い伝えどおりだな。違うとすれば、私がその上位種である真祖の吸血鬼、といったぐらいだ」

 千雨は聞きなれぬ言葉に眉をひそめた。

「真祖、って何だよ」
「ふん、吸血鬼の親玉とでも思えばよかろう。噛まれて吸血鬼になったのではなく、ある時に吸血鬼になってしまった者、あるいは吸血鬼として産まれた者の事を指している」
「へぇ~」

 アキラは興味深そうに聞いていた。顔色も戻ってきている。

「そういや、マクダウェルは、自分で噛み付いて吸血鬼とか作らないのか。よく映画とかだとやってるだろ」
「私はそういうのに飽きたんだよ。幾ら眷属を増やそうと、そいつらは私の言うがままだからな。だが、吸血鬼というのはそういう風にコミュニティを作っていくものだ。寿命が無く、長命なために繁殖能力が低くて、ほとんど子供を残せないからな。中国の西部から、中東、ヨーロッパにかけて吸血鬼の大きなコミュニティが幾つかある。人間に混じり何事も無いように生活してるぞ。そいつらは氏族と名乗り、ときおり小競り合いをしおるわ」

 クックックッと笑うエヴァ。

「わたし達の世界に、そんな奴らがいるなんて」

 ずーん、と落ち込む千雨。

「吸血鬼が弱点を克服するのは容易くないが、科学の発達した世の中だ。やり様は幾らでもある。うちにもカタログが来てたが、吸血鬼用の日焼け止めクリームなんてのもあるそうだぞ」
「あっそ」

 千雨は半ば呆れつつ、デザートの皿に端にあるクリームをグリグリとフォークの先でいじった。

「所詮日常など、薄皮の中にある野暮ったいものなんだよ。一枚破ればこんなもんだ。あきらめろ千雨。お前もその住人だ」
「うるせぇ、お前らと一緒にするな!」

 アキラはどこか二人に対し、疎外感を感じていた。エヴァに噛み付く千雨の横顔をじっと見る。それに気付いたエヴァはアキラを見て、ニヤリと笑う。

「大河内アキラ、お前も覚悟を決めておけ。もしかしたらまだ引き返せるかもしれないぞ」

 覚悟、という言葉にドキリとする。それが一体何なのか、具体的には分からない。だが、きっとそれが千雨と一緒にいるためには必要なのだ。

「おい、マクダウェル。あまり脅すなよ」
「ふふふ、過保護な事だ」

 それなりの悪くない空気で食事は進んだ。
 食後、帰ろうとする千雨達だが、一度この別荘に入ると二十四時間出られない、というとんでもない仕掛けを知り、一悶着あったりする。





 つづく。















あとがき



 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 そんなわけで日常フェイズ。まだ雌伏の時です。
 高音達の国内留学の話や、吸血鬼に関する話題など、地味に今後へのフラグを立てておきます。
 そして謝らないエヴァwあくまで謝礼であって謝罪では無いなので、エヴァに謝る気はあらず。千雨もそんな気ありません。
 アキラに対する助言も、彼女なりの謝礼だとか、そんな感じで。


 感想、誤字報告などお待ちしています。



[21114] 第13話「導火線」
Name: 弁蛇眠◆8f640188 ID:7255952a
Date: 2010/09/23 11:52
 カラン、と氷がグラスを叩いた。
 イタリアの南部は貧しい。さしたる観光資源も無く、経済が不安定な今、その煽りを一気に受けていた。
 そんなイタリア南部の酒場。農家の息子達と日雇い労働者が集まる、所謂場末のバーだった。
 その片隅に一人の男が酒を飲んでいた。誰かと戯れる事も無く、一人で、ひっそりと、隠れるように酒をあおるのだ。
 ボサボサの髪に、壊れかけのメガネ。小太りの体躯をしている。
 酒場の喧騒も男の耳には届かない。目は虚ろに店の壁の向こうを見ていた。
 店のドアが開いた。誰かが入ってくる。喧騒が止んだ。
 カッ、カッ、カッ。床を叩く一定のリズム。それは歩幅が乱れなく等しい事を指していた。
 男は耳を澄ます。かつて聞きなれていた、その足音。訓練を受けた者の足音だった。
 足音が自分の近くで止まり、男は振り向いた。
 女性だ。自分と同じくらいの長身に褐色の肌。ブロンドの長髪を後ろで一本に纏めている。着飾れば美しい女性だろう。だが、女性は上から下まで、ピシリと揃ったパンツルックのスーツを着ていた。男装の麗人、そんな言葉が思い浮かぶ。どうやら酒場内の視線は彼女に集まってるらしい。
 そして、女性は夜なのになぜかゴーグル型のサングラスをしていた。
 女性の顔立ちに、男は誰かを思い出す。そして同時に一人の少女をも思い出した。苦い味が口の中に広がった。

(いや、違う。そんなはずは無い)

 女性は男の隣に座り、カウンター越しに酒を頼んだ。女性はサングラスをずらし、男を見る。赤い瞳が男を見据えた。

「お久しぶりです、マルコーさん。探しました」
「お、お前は、まさか……。そんなはずは無い。生きているはずが」

 女性の声に男は確信をするが、それを必死で否定した。

「信じられませんか? 私があの場所『社会福祉公社』が無くなって十年も経つというのに生きているのが」

 女はサングラスを戻した。とたん表情が伺えなくなる。

「私も信じられません。あの人が死んで、私も処理されるはずだった。だけど、もう――」
「い、今更なんのようだ。用がないならさっさと帰れ。俺はお前達の顔なんて見たくないんだ」

 男は懐からタバコを取り出し、吸った。手が小刻みに震えている。

「そう邪険にしないでください。私は十年前の事を調べてるんです。知っている事、教えてもらえますか?」

 女性の言葉に男――マルコーは沈黙した。タバコを深く吸い、吐く。グラスに残ったウィスキーを一気に流し込んだ。

「……なにが聞きたい」
「十年前の襲撃の理由。なぜ、公社があんなにも簡単に解体されたのか。いつも『破片』という言葉で行き詰まってしまいます」
「ふん。答えは出ているじゃないか。まさにその通り『破片』だよ。空高くある楽園から、パラパラと舞い落ちる破片。その奪い合いにすぎんさ」

 男は茶化す様に手をヒラヒラとさせた。

「マルコーさ――」
「例え話じゃない。そのまんまだ。知っているだろう、二十年前に起きた『大戦』。そこで猛威を奮った脅威の科学力ってヤツだ。ヤツら『楽園』は今衛星軌道上の隔離プラントで技術とともにまるごと封印されている。特例でも無い限り、あいつらの技術は国連法に触れる重罪だ。だが、どこにでも抜け道がある、それがヤツらが落とした『破片』ってわけだ。お前達の”体”にも使われてる技術だ」

 マルコーは酒を注文しなおした。指先の震えは止まらない。

「人体の模造、そんなもんが真っ当な技術力で出来るものか。公社の創設には『楽園』が関わってたのさ。その漏洩があの襲撃に繋がり、そして公社のスムーズな解体に繋がる。見事なシナリオだろ」
「――マルコーさん、もう一つお願いします。私達が入れなかった『第三研究棟』、あそこには何があったんですか?」
「あぁ、それか。ジョゼの事か?」

 運ばれてきた酒を、マルコーはまた一気に煽る。目が眠気を帯びだした。

「はい。ジョゼさんは最後まで、あの研究棟に足しげく通っていたのを私も、同僚も見ていた。そして、公社が解体される時に、あの人は消えた」
「はっ。よく憶えてやがる。ヘンリエッタが死んでからジョゼの野郎、仕事に精細を欠いていたからな。まぁ、いつも通りあてがわれたってわけだ、新作の義体とやらをよ」

 ヘンリエッタ、その言葉に女性は唇を噛む。

「それは四期生ですか?」
「そうらしい。義体としては第三世代とか言ってやがったな。もっともその第三世代のサンプルケースだとかで、三人中一人しか成功しなかったらしいがな。幼児の頃からの生体改造だとよ。オカルトな奴らを相手にするための特注品らしい。眼球から骨格まで、拒否反応が出にくい様に、幼い頃からやるそうだ。気が長くて金がかかりそうな実験だ。次世代では遺伝子からの改造を施すとか言ってたが、全ておじゃんだ、笑えるよな」

 ははは、とマルコーの笑い声だけが響いた。酒場の幾人かも、マルコーを見る。女性は無表情だった。

「ジョゼはなその娘に夢中だった、ってわけだ。毎日ガキにおもちゃだ、絵本だって持っていく。本当にイカレてやがった。だからだろう、あいつは公社が解体される時、あの娘と一緒に逃げ出した。『破片』も一緒に持ってとんずらだ。それを知ってるのは俺とジャンくらいなもんだろうな。あの騒ぎの中、全部がうやむやになっちまった」
「その娘の名前、わかりますか?」
「なんだ、それが目当てだったのか? 探してるのか?」
「約束、なんです」

 女性の脳裏に、死に行く同僚の言葉が思い出される。自分が死んだ後の、ジョゼのパートナーを頼む。なぜなら彼女は自分にとっての妹みたいな存在だから、と。

「もう私以外、同僚は生き残っていない。ならば、最後の妹分の足取りだけでも、知りたいと思ってます」
「約束、ね。――そうだな、なんだったか忘れたが、ジョゼは変な事言ってたぜ。星よりももっと輝いて欲しいだの何だの。アジア系の顔立ちだ、とかでどっかの国の「月」って言葉をそのまんま名前にしたとか言ってたな。恥ずかしい野郎だ」
「星……月……」

 かつて同僚達と流星群を見に行った事を思い出した。記憶が継ぎはぎになる前のヘンリエッタも、確かジョゼと星を見た話をしていた。

「ありがとうございました、マルコーさん。それで十分です」

 女性は大目の金額をテーブルに置いて、立ち上がった。

「お、おい待てよ」

 マルコーは立ち上がろうとするが、視界が歪み、テーブルに突っ伏した。女性が店から出て行く後姿が見える。目蓋が重くなってきた。

「待てよ、ト、トリエラ――」

 その言葉を最後に、マルコーの意識は沈み、いびきをかいて眠りだした。
 麻帆良で停電が起こる、一ヶ月前の出来事である。












 第13話「導火線」












 その日の千雨とアキラは早々と寮を出た。特に何があった、という分けではないが、千雨の寝起きが良かったのだ。
 登校のピークには程遠い時間である。通学する人はまばらだった。されとて人がいないわけでは無い。
 道着を着た人達や、野球のユニフォームを着た集団などがときたま視界をよぎる。部活の朝練をしてるものには遅い時間らしい。

「みんなご熱心な事で……そういやあーちゃんは部活出なくていいのか?」
「うん、とりあえず秋までは休部しようと思って。ほら私の場合、能力がまだ安定してないとも限らないし」
「そっかぁ、そりゃ残念だな」
「ううん、そうでもないよ」

 少し頬を染めながらニコリと笑うアキラ、対して千雨は意味が良く分からず首を傾げた。
 歩を進めていくと、何やら人だかりが出来ている。

「またか」
「くーちゃんだね」

 先日、帰り道でも会った古菲だった。どうやら複数の男子と組み手を行っているようだ。
 様々な格好をしている各部の男子達が、古菲に向かい拳を振り上げるも、それらをするりするりと捌いている。演舞のようだが、その実しっかりと理にかなった動きだった。

「ホアッ! とりゃ!」

 古菲は男子達を瞬く間に倒していく。倒された男子達で背後に山が出来てきいた。

「みんなまだまだアルネ」

 どこか高揚した表情で立つ古菲。その古菲にふと影が襲い掛かった。人込みから飛び出し、一足飛びに襲い掛かる。
 古菲の頬に拳が突き刺さった。だが、古菲もそれを体をよじらせ、衝撃を軽減しようとする。
 古菲はバランスを崩しつつ、転がる様に影の主と間合いを取る。

「古よ、お前もまだまだだな。だが、どうやら少しは成長しているようだ」

 そこには成人男性が立っていた。不適な笑みを浮かべ、古菲を見る。
 さほど身長は高くないが、体の筋肉の盛り上がりが服越しにもわかる。古菲と同じく赤みを帯びた肌が、同郷の匂いを感じさせた。髪を後ろでまとめ、三つ編みにし、道着を着ている様は、日本人が描く拳法の達人をそのまま絵にしたようである。

「うお、なんかまた出て来たぞ」
「すごい、くーちゃんにパンチしちゃった」

 千雨はその胡散臭そうな姿に怪訝になり、アキラは見慣れない光景に驚く。
 地面を転がっていた古菲も男の姿を見るなり、瞳をキラキラとさせた。

「烈老師! 来てくれたアルカー!」

 古菲は男に向かい、じゃれ付く子犬の様に飛び掛った。

「フンハッ!」

 だが、男に顎を打ち抜かれ、地面へヘナヘナと倒れ伏した。

「やはりまだまだだな。精進せい、古よ」

 男は拱手をし、一礼した。周囲に立っているのはその男だけだった。






 千雨達は倒れた古菲に近づき看病した。いくら武道家とはいえ、女の子である。千雨達からすれば心配だった。

「おい、大丈夫か」

 とか言いつつも、千雨は古菲の頬を容赦無くペチペチと叩く。やがて古菲は目覚め、先ほどと同じように男に飛びかかり、抱きついた。

「老師~! 会いたかったアルー!」
「それだけ元気なら大丈夫なようだな。それに壮健なようで何よりだ。だが、まだ鍛錬が足りんな」
「う~、老師にまだ勝てるわけないアル」

 どうやら男は古菲の師匠らしく、その対面シーンを見つめる千雨とアキラ。ふと、古菲がその視線に気付き、男性を千雨達に紹介した。

「あ、千雨とアキラ、さっきは看病ありがとうアル。それでこちらはワタシの師匠の烈海王老師アル。と~っても強い拳法家ネ」
「烈海王という。どうやら愛弟子のご学友のようだな。馬鹿な弟子だがよろしくたのむ」

 烈は拱手をし、千雨達にペコリとお辞儀をした。千雨達はアワアワと慌て、手を振った。

「い、いえ、こちらこそです」
「くーちゃんには色々お世話になって……あれお世話してかな?」

 さり気なくぶっちゃけるアキラに、古菲はナハハと笑いながら応じた。
 千雨とアキラ、さらに古菲と烈は登校時間までまだあるという事で、話しながらゆっくりと学校へ向かう。烈も少し付き添うそうだ。

「老師はいつ日本に来たアルカ。こんなに早く来るとは思わなかったネ」
「日本自体にはここ一年ほど滞在していた。今はある道場でお世話になっている」
「ふぇっ! 日本に来てたのなら、連絡して欲しかったネ」
「はは、すまんな。私も修行中の身。鍛錬と実践にいそしんでいたのだ」

 仲の良い師弟は会話を弾ませていた。千雨達は少し離れ、二人をそっと見守っていた。

「つか、中国拳法とかってどれくらいすごいんだろうな。古が強いのは分かるが、今いちピンとこねぇんだよな」
「うーん、どうなんだろうね」

 千雨達の会話に、烈が反応した。

「ふむ。それじゃ少しお見せしようか」

 烈はクルリと振り向き、千雨と相対した。

「長谷川さん、だったね。私はこれから君がかけてるメガネを拝借しようと思う。正面から普通に歩いて取りに行く。だから君はそれを避けてくれないか」
「うぇっ?! あぁ、はい」

 烈の突然の提案に驚きつつ、千雨は答えた。それと同時に周囲に知覚領域を張る。

「では、行くぞ」

 だが、烈は一歩も動かない。千雨はそれをいぶかしむが、急に目の前に烈が現れた。

「なっ!」
<千雨、どうした?>
 ウフコックの警戒の言葉も上の空。メガネのブリッジへ伸ばされる手を避けようと、千雨は後ろへ体を傾けた。だが――。

「おっと危ない」

 地面に倒れそうになる千雨の片手を、烈が掴んでいた。もう片方の手にはメガネが捕まれていた。

「ふぇっ?」

 千雨は驚きのあまり、変な声を出した。自らが絶対と思っていた知覚領域、それをすり抜けてきたのだ。

(ど、どうなってやがる。あの人、瞬間移動でもしたのか)
<いや、彼は普通に歩いて、千雨のメガネを掴んだだけだ。そうか、そういう事か>

 千雨の疑問の声に、ウフコックは合点がいったという感じに、一人納得している。

「長谷川さん、不思議かね?」

 そういうと、烈は千雨にメガネを返した。

「女性に非礼をしてすまなかった。あやうく怪我をさせる所だった」
「い、いえ。それよりさっきのは何なんです?」
「さっきのか。君は私が目の前に急に現れたように見えたかい」
「は、はい。そうです」

 烈は少し嬉しそうに微笑みながら答える。

「簡単な話だ。”呼吸”だよ」
「呼吸、ですか?」
「そうだ。息を吸い、吐く。人間が普段から行っている呼吸だ。人間は息を吐く時に無防備になる。ただその時を見計らい、動いたにすぎない。幾ら鍛えようと、人間の生態には欠陥がある。そこを突く。これは中国拳法全般に通ずる基礎にして極意だ」
「生態、ですか」
「すごい。くーちゃんも出来るの?」
「アハハハ、ワタシにはまだそこまでは無理アルヨ」

 烈の言葉に、千雨は少し感心していた。魔法やら超能力やらというものばかり見てきたせいか、このような現実的な技術に興味を持った。

「それにしても長谷川君はなかなか鋭いようだな。まさか、あの速さで反応するとは思わなかったよ」
「千雨は学園都市に居た事もあるから、そのせいアルかもネ!」
「ちょっ、おい、古!」

 ちなみに千雨が学園都市から来た事は、もう公的にも隠す事ではないのでクラスメイトにバレていた。千雨が積極的にバラしたわけではないが、クラスメイトの報道部員にさりげなく漏らされたのである。

「ほう、学園都市か。そうすると君も超能力者なのか?」

 学園都市、その言葉に烈の瞳が鋭くなった。

「あ、いえ。超能力者って言ってもボンクラで、ほとんど役に立たない能力なんです。アハハ」

 千雨はクラスメイトに超能力を『リモコン代わり』程度だと教えていた。しかも数回使うだけで疲れるとも。そのため無理に請われて能力を使う事もほとんど無い。

「ふむ。実は先日、私も学園都市に行ってきてな」
「おぉ、老師すごい所行ってきたネ。ちょっと羨ましいアル」
「よく入れましたね。最近は一般人への入場規制がより厳しくなって、観光ツアーも減ってるらしいのに」

 外部からの人材などを取り込むため、門戸を広げたものの、出入りのセキュリティは厳しくなったらしい。その様な事をドクターからの連絡で千雨は知っていた。

「うむ。入れなかったのでな。忍び込んだのだよ」
「おぉ、その手があったアルカ」
「「へ?」」

 千雨とアキラの声が重なった。

「超能力者に興味があったのでな。その手合わせのために忍び込んだんだがな」
「超能力者は強かったアルか?!」
「正直、期待はずれだったな。確かに超能力はすごかったが、それとて銃器などの延長にすぎないのがほとんどだ。そして何より彼らは能力は持てど、戦う意志も術もまったく知らなかった。何人かの荒っぽい者達と手合わせ願ったが、赤子がナイフを持っているようだった。一般人には脅威かも知れぬが、我らから見ればあの程度、片腕で捻れる輩ばかりだ」

 目を瞑り、淡々と語る烈。

「そういえば一人だけすごい能力を持った少年がいたな。白髪に白い肌の痩せた少年だった。少女をいたぶり殺そうとしてたので、思わず割って入ってしまった。何やら異質すぎる力のようでな、あらゆる物が彼に届かなかった。異常な気配に警戒し、標(短剣)を幾つか投げつけたものの、全て跳ね返された。おそらく普通に拳を交えていたら、四肢を失っていただろうな」
「ぶふぉぉっ!」

 千雨は思わず吹いた。

「千雨ちゃん、大丈夫?」
「どうしたアル?」
「だ、大丈夫。大丈夫だ」

 どうやら千雨には何か心当たりがあるらしい。

(先生、まさかとは思うが)
<あまり深く考えるな>

 千雨の脳裏に、以前見た学園都市内のトップの能力者の一覧が思い出された。確かその数人の簡単なプロフィールの中の一人と、嫌に印象が似ていた。

「そ、それで烈さんはどうしたんですか」
「あぁ、もちろん倒した。脆いものだった。まさか崩拳の一撃で気を失うとはな。彼もまた戦いを知らないのだろう。だが、あの目は脅威だ。今はまだ私が勝てるが、彼が戦う意志と術を知ったら、おそらく勝てないだろう」
「ぶふぉっ!」
「老師でも勝てない、世の中にはすごい奴がやっぱりいるネ」

 千雨は再び噴出した。

「ちょ、ちょっと待ってください。さっき相手は何でも跳ね返す、みたいな事言ってませんでしたか。それって矛盾しません?」
「そこも説明しておこうか。私は先ほど”呼吸”の欠点を突いた。だがね、呼吸はそれと同時”武器”でもあるのだよ」

 烈はしゃがみ、道端の小石を手のひらに乗せた。

「呼吸をし、体内に力の流れを作る。そして、それを放つ。このようにな。ハッ!」

 手のひらの小石が、衝撃も無いのに内側から弾けた。

「これが『気』と呼ばれるものだ。国や場所によってはオーラや波紋と言ったりするな。我ら白林寺の拳法が行き着く先はここだ。人の生態を突き、生態を武器にする。件の少年にも『気』を纏わせた拳で攻撃したのだよ。そうしたらあっさりと片がついてしまった」

 そう語る烈はどこか残念そうな表情だった。
 変わって千雨はと言えば、顔を引きつらせハハハと投げやりに笑っている。

(駄目だ。やっぱこいつもファンタジーだ)

 その後も、古菲は嬉しそうに烈の話を聞き、喜んでいた。
 校門が見えた当たりで、烈とは分かれる。どうやら麻帆良市内に当分滞在するらしく、古菲は喜び跳ねていた。












「これは本当かね」
「まだ確証はありませんが、かなり正確な情報かと」
「うーむ」

 学園長室では、近右衛門と高畑が何やら話し合いをしていた。
 高畑は書類を机の上に広げ、言葉を継ぐ。

「外務省に勤める友人からの話です。情報元のアメリカ政府から、米軍経由でリークされたそうです」
「殺し屋、のぉ」

 本来、その手の輩は麻帆良にとって敵にならない。だが、政府筋からの情報となれば、何かを感じざるを得なかった。

「イタリア内部にある組織からの依頼で、さる殺し屋が麻帆良に潜入。三文芝居でも見てるようじゃな」
「アハハ、仰るとおりで」

 軽口を叩きつつ、二人の表情は堅い。だが、その情報は馬鹿に出来なかった。
 イタリア国内の情勢が危ういのは、今に始まった事ではない。ここ数年、GDPの成長率もEU内では最低に近く、経済的な困窮が新聞の紙面を飾るのも珍しくない。経済不安が民衆の不満となり、一部ではテロへの加担の要因となっている。その混沌とした国家内のゴタゴタを、国家主導の元処理している組織は幾つかあった。何れも民間業者を装っているが、その資金源は明白だった。
 今回の依頼元とされる組織も、その一つからだった。

「困ったものじゃな。この所、こんな事ばかりじゃ。わしもそろそろ引退時かの~」
「今学園長に辞められたらみんな困りますよ。もう少し頑張っていただかないと」
「年寄りの扱いがキッツイのぉ。ところで高畑君、その件の殺し屋君の詳細はわかっておるのか」
「いえ、それがさっぱり。今のところ目的すらはっきりしませんが……」

 学園長の眉に隠れた瞳が、ギョロリと動いた。

「ガンドルフィーニ先生、彼をやったのももしかしたら」
「可能性は高いのぉ。高畑君、分かっておると思うが、当分出張は中止じゃ。”ソチラ”に関しては各方面への連絡を行い、救援を送ってもらおう。まずは麻帆良の治安を回復してからじゃ。わし以上に働いてもらうからの」
「ははは、こりゃ手厳しい。ですが望むところです。僕としても、同僚をやられたまま、おずおずと下がるわけには行きませんから」

 温和な表情をしつつ、高畑の瞳には熱が帯びている。それは怒り、憤り、悔恨。様々なものだった。



 つづく。






あとがき



 ここまで読んでいただきありがとうございます。
 今回はいつも以上に文量少なめです。本来はもう一つ、千雨の日常パートを入れるつもりだったのですが、ちょっと冗長になる上、時間かかりそうなのでカットしました。
 とりあえず今回分で、今後の展開への準備が終了です。あとは出来るだけ加速し続けるのみです。そのはず……。

 で、例のお師匠様ですが、本来登場は三章以降だったのですが、千雨に対するアドバイザー的な役割で早めに登場して頂きました。
 彼の登場は物語冒頭から決めており、彼の所業の影響については物語の最初の方でも、さりげなーく描写してたりします。本当にさりげなくですがw
 そげぶ? 何ですかそれ。

 とりあえず登場人物もクロスも多めになって来たので、あと1,2話済んだら登場人物のまとめをまた作ろうと思います。
 さすがに現段階で作るとネタバレ多くなりそうですし。



 感想、誤字報告などお待ちしています。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
5.62722206116