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[21380] シークレットゲームNEXT ~Magician's Select~(原作:シークレットゲーム 『-KILLER QUEEN-』)
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/09/23 04:35
初めまして。でしおと申します。
こういった投稿掲示板での作品発表は初めてですが、どうかよろしくお願いします。

当作品はFLAT社よりPS2、PC、PSP等で発売された「シークレットゲーム」の二次創作作品です。
そして舞台は「原作『シークレットゲーム』より数年後」となっております。

なお、当作品に触れる前に以下の点にご注意願いたいと思います。

 ・原作「シークレットゲーム」のネタバレが多大に含まれています。
 ・原作ジャンルの都合上、一部残酷な描写が含まれています。
 ・オリジナルキャラクターが多数活躍しています。
 ・独自の設定が追加されている可能性があります。

 ・舞台設定上、原作登場人物の風貌・性格等が改悪されている場合があります。
 ・貴方の好きな原作登場人物が不当かつ悲惨な扱いを受けている可能性があります。
 ・貴方の好きな原作登場人物が登場しない可能性があります。
 ・原作登場人物がオリジナルキャラクターと密接な交流を育む可能性があります。

 ・「原作の数年後の世界」ですが「いずれかの『原作END』の数年後の世界」ではありません。

以上の点を許容できなければ、本作品を読み進めることはお勧めできません。


個人的にはこの作品を通して「シークレットゲーム」の面白さや奥深さを少しでも伝えられればいいな、と思っています。

そしてこの作品自体を楽しんでいただければ、これほど光栄なことはありません。


それでは、どうか。お付き合いの程、宜しくお願いします。


8/22 EPISODE-1~4 掲載しました。
8/23 EPISODE-5 掲載しました。

8/27 EPISODE-6 掲載しました。
8/29 EPISODE-7~8 掲載しました。
9/05 EPISODE-9~10 掲載しました。
9/11 EPISODE-11 掲載しました。
9/18 EPISODE-12 掲載しました。
9/19 EPISODE-13~14 掲載しました。
9/23 EPISODE-15 掲載しました。



次回更新予定:10/3(日)



[21380] EPISODE-1
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/09/12 02:50
遠い遠い、幼き日の記憶。とある日の夕暮れ過ぎ。
家事に勤しむ母親の背中を眺めながら少年・鳴神圭介は一人、暇を持て余していた。

夕食の時間にはまだ間があった。手持ちの本は全て読みつくしてしまい、テレビもまだ子供が興じるものは放映されていない。
学校から持ち帰った宿題も既に片付けてしまっていた。
さりとて新たな興味を求めて外へ飛び出るほど少年は活動的というわけでもない。
ゲーム機の類は両親の教育方針のため、何一つ所持してはいない。
それでも今までは友人の誘いであったり何某かが圭介の時間を満たしていたのだが、生憎とその日は都合が合わなかったのだ。
記憶にある限りはこれが初めての何もできない時間。
何かがしたいのにやるべきこと、やりたいことの選択肢が目の前に現れない。

圭介はその年頃の割には手のかからない子供であった。
素直で聞き分けも良く両親に迷惑をかけるようなことは滅多にしない。
外でも問題行動を起こすことは全く無く、見習われるべき子供として教員や他父母にも一目置かれる存在だった。
そんな彼でも子供であることには間違いない。
お茶の間のテーブルにだらしなく上体を突っ伏したまま、何事か思案し続けていたが、
終に音を上げて、母親に現状の打開を願ってしまった。

――ねえ、お母さん。何か面白いことはない?

母親は圭介の言葉に驚いたように振り返った。それは彼女にとっても初めての体験だったからだ。
どうやら夕食の支度も一段落したようで、母親がエプロンで手を拭きながらパタパタとスリッパを鳴らし近づいてくる。
圭介の向かいに座ってすい、と顔を近づける。仕方が無いわね、と柔らかい笑みを向けてきた。
普通であるならば子供の単なる我が侭。おとなしくご飯待ってなさい、と言い放ってしまえばそれで済む。
だが圭介が普段から「良い子」だったからこそ母親も無碍にその願いを断ることはできなかったようだ。

――じゃあね、いいもの見せてあげる。

母親はそう得意げに宣言すると席を立ち、自室に駆けていく。
思いも寄らぬ、初めて見た母のそんな表情に圭介は圧倒され、そして同時に期待に胸が膨らんだ。
母はどうやら何かを見せてくれるようだ。それもなんだか、とてもすごいものを。
先ほどまでの不満は何処かへ消えてしまった。たちまちに今の時間が待ち遠しいものへと変わっていった。
程なく母親は戻ってきた。その両手に、小さな何かを抱えていた。

――お母さんね、実は今まで黙ってたことがあるの。

おどけたように微笑む母親。

――実はね、けーくん。お母さんはね――







後に続く一言と母が操った奇跡と感動を、圭介は10年以上経った今でも忘れない。

その一年後、母親が病に倒れこの世を去ることになってしまってもなお。
輝かしい記憶として。未だ解けることない呪いとして。
いつまでも。圭介の胸の内に消えることなく残り続けている。


――お母さんは、魔法使いだったの――







まず肩に、そして側頭部に軽い痛みが走った。
そのおかげで圭介の意識は急速に現実に引き戻された。

「痛ってえ――」

何事かと、慌てて目を瞬かせる。とりあえず眼前に柔らかな段差が確認され、ああ成る程、と自ら呆れる。

(また落ちてるよ。懲りないよな、俺――)

どうやら生来の寝相の悪さでベッドから転げ落ちてしまったらしい。圭介は乾いた笑いを浮かべながら再び寝床へと這い上がる。

(しっかし、未だに見るかね、あんな夢)

不思議なことに落下の衝撃で全て吹き飛んでしまったかと思いきや。つい直前まで見ていた夢を圭介ははっきりと覚えていた。
それは紛れも無い、過去の記憶。鳴神家がまだ家族全員揃っていた時の記憶だ。
母が亡くなってもう10年が過ぎた。圭介はもう彼女の顔もすぐには思い出せない。
彼女が病院で息を引き取り悲しみに暮れたその日も今は記憶の彼方だ。

それなのに、あの時の。母が自分は魔法使いだ、と告白した日のことだけはなぜか鮮明に覚えているのだ。
それもそのはずだ、と圭介は自虐気味に呟いた。
彼はあの日、母の魔法に魅了され、魔法使いの弟子となった。そしていつの日か、自分も魔法を操れるようになった。

(そして今も――いや、今は――)

馬鹿馬鹿しい、と圭介は記憶の反芻をやめた。そんな記憶のせいで、自分は人生を踏み外しかけたのだ。
陰鬱な気分になってきたので圭介はもう一度寝直そうと再びベッドに横たわり、布団を引っ被った。

(って、今何時だよそういえば)

ふと部屋の薄暗さに騙されかけて時間の確認を怠ったことに気づく。
二度寝と洒落込むにしても半端な時刻なら寝過ごして遅刻してしまうかもしれないではないか。

慌てて手探りで目覚まし時計の位置を探る。ところがその手は虚しく空を切るばかり。
あれ? とそこで初めて圭介は違和感に気が付く。
そもそも我が部屋のベッドは、こんなにも痛みが激しく硬いものだっただろうか。
しかもなぜか未だ学園の制服を身に纏ったままである。
流石に眠る前にはきちんと部屋着に着替える習慣がある、はずなのだが。

疑問を巡らす程に眠気は吹き飛び目が冴えてくる。悠長に惰眠を貪っている場合では無くなった。
首をぐるりと回して部屋の全体像を確認する。
途端に今度は眩暈に襲われる。それは勿論眩みの類ではない。
身の周りの違和感なぞ些細なものでしかなかった。もっと早くにその疑問を抱くべきだった。
ようやく、圭介は。その自らの呟きに辿り着くことができた。

「ここは、何処だ?」

目覚まし時計どころの騒ぎではなかった。
本棚も無ければ机も無い。圭介の自室にあるものと何一つ共通点を見出せない。
四方は無機質なコンクリートの壁面で囲まれ自然な光を取り込むべき窓は一切無い。
ベッド、カーペットの類は何処と無く高級感を漂わせているが、まるで手入れが為されておらず所々薄汚れ埃が溜まっている。
備え付けの家具棚は扉のガラスがひび割れ蜘蛛の巣が張り巡らされている。
大よそ生活観とは無縁の光景だった。そう、まるで廃墟の一室とでも称するべきか。
無論こんな部屋が、圭介が父と住まう安アパートのはずがない。
友人の部屋の一室でも勿論あるはずがない。
一体何の因果で自分は、こんな部屋で眠りこけていたのか。とりあえず直前の記憶を辿り直してみる。

昨日の朝は普通に自室で起床し、父親と二人分の朝食を用意して学園に登校した。
授業中の記憶は曖昧であるがそれはおそらく居眠りをしていたせいであろう。
それから。
特に教師に呼び出しを受けることもなく下校の門を潜り。
自宅までの道中で書店に寄って立ち読みし、夕食の準備をすべく商店街に――

(――行ってない)

そうだ。その途中で確か、誰かに呼び止められた気がする。
見覚えのない中年男性であったか。郵便局の場所を聞かれて、それで。
説明に手間がかかりそうだったのでわかり易い場所まで先導しようとして、角を曲がったその瞬間。

そこで圭介の記憶はぷつりと途切れていた。

不自然である。そこまでを明確に思い出せる割に、その先が完全に消去されている。
まるでその時点で気を失ってしまったかのように。
いや、「かのように」ではないのだろう。
その時に来ていたままの制服姿で今まで自分は寝かされていた。それが何よりの証拠だ。
それも自然に起こったものではなく作為的なもので、自分は意識を失ってしまったのだ。
でなければ目覚めた先は病院でなければおかしいし、この部屋は医療施設に関するものでは断じてない。
あまりにも不衛生すぎる。

ああ、何ということだ。この全ての歪な事象に一致する言葉に、圭介は思い至ってしまった。

「マジかよ――俺、誘拐されてんじゃん!」

思わず、声が飛び出た。
現状を理解すると共に、えも言わぬ恐怖が圭介の全身を包み込んだ。
誘拐され、監禁されている。
如何な目的によるものかは窺い知れないが、それはつまり今は最悪命まで奪われかねない事態ということなのだ。

「いやいや待て待て、有り得ん、有り得んってこんなの。だってウチの家、別に金持ちでも何でもないぜ? 
 億単位の身代金とか払えねえからマジで」

部屋の中には圭介以外には誰もいない。
それでもぺらぺらと思ったことを喋り立てないと何かに押し潰されそうだった。

「あー、そうか。わかった。理解したよ俺。これはあれだ、夢の続きだ。夢の第二段階、第二幕なんだよ。
 チクショウ、夢から覚めた先が現実とは限らないってね。何だっけ? あれ。『胡蝶の夢』とかいう奴だっけ?」

誤用である。だがそれに気付かぬくらい圭介は混乱していた。
兎に角このような現実を認めたくはなかった。一刻も早く逃げ出したかった。

「よし、それならとっととこんな夢からはオサラバしないとね。気分悪いし、怖いし。
 ここはベタだけど痛みと引き換えに覚醒を――うお、痛え! 超痛ぇっ!!」

ベッドの金属部分をつま先で蹴り上げた圭介は小指を強かに痛打し、悶絶した。
これほどの痛みを伴う今が、現実でないはずがない。
いや、そんなことはとっくに判っているのだ。

「い、いや、待て――夢の中でだって痛みを感じることはあるんだ。
 こんな馬鹿げた方法でこれが夢じゃないと断言するにはまだ早い」

それでもまだ圭介は陳腐な一人芝居をやめるつもりはなかった。

「そうだな――むしろ逆に考えろ、圭介。これは夢だ。そして拉致監禁されている。
 つーことは今から俺の華麗なる大脱出劇が始まるということなんじゃないか?
 ふむ。となると単なる一般人である俺が凶悪誘拐犯と対決するのはいささか無理がある。
 ならば今の俺には俺自身も気付いていない未知なる能力が備わって――」

顔を上げた先には古びた家具棚がある。それに向けて圭介は右手を差し上げ銃の形を作り、狙いを定めた。


「ビーム」


――
静寂が訪れた。

当然、指の先から何かが発射されることはなかった。
精一杯ふざけて必死に受け入れを拒否してみたものの、何も変わることはなかった。

紛れも無く誘拐され、命の危機に瀕している今こそが現実だった。

「ま、そりゃそうか。バカだよなー、俺」

「あ、あのー」

「!?」

突如、声が聞こえた。よく見ればこの部屋唯一の出入り口であるドアの隙間が、ほんの少し開いていた。

「い、いったい何をしているんですか――?」

ゆっくりと隙間が大きくなり、声の主が姿を現す。

おそるおそる、といった感じで部屋の中に歩みを進めたのは圭介と同い年くらいの少女だった。
小豆色のブレザーに胸には大きな赤いリボン。膝丈のチェックのスカートは恐らく指定の制服だろう。
さらさらのボブカットに黄色のカチューシャの少女の顔立ちは中々に整っている。
美少女という表現は決して過言ではない。
身長は圭介の胸の辺りくらいの高さ。仮に女子高生だとするならば、まあ平均的といったところだろう。
戸惑いと緊張の面持ちのまま、少女の瞳が上下に動く。
どうやらこちらと同様に圭介がどういった人物か観察しているらしい。

そこに至って漸く圭介は、自分が「ビーム」の体勢のまま固まっていることに気付いた。

「な、何をって――」

流石に部屋に一人しかいなかったからこその奇行である。
こんなものは決して人前で晒せる行動ではない、と判断できるくらいには圭介にも分別はあった。

「――いつ頃から、見てた?」
「えっと」

人差し指を顎に当て、少女は少しだけ考える素振りを見せる。

「『俺、誘拐されてんじゃん!』の辺りから、ですかね」
「うげ」

それはつまり、一部始終を鑑賞されていた、ということではないか。たちまち圭介の顔に熱が灯る。

「それで、あの」
「は――」
「は?」

「恥を、晒してました」

正直な感想が、自然と口をついた。少女はしばし唖然としていたが、

「ぷ――あ、はは、あははははっ!」

堰を切ったように突然文字通り腹を抱えて爆笑した。

「ご、ごめんなさい――だ、だってこんな変な建物に閉じ込められてるのに
 あ、あんな――あははははっ! と、とにかくおかしくって、ははははっ!」
「いや、マジへこむから。そろそろやめて。でないと俺、そこの壁に頭打ち付けて死ぬよ?」
「あははははっ!」

どうやら今は何を言っても逆効果のようだ。圭介は少女が自然に冷静になるまでもう口を開かないことにした。

穴があったら、ではなく穴を掘ってでも入りたい。
そんなことを思いながら。



[21380] EPISODE-2
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/08/22 22:18
「さて、状況を整理しようか」
「はい」

20分ほど時間が経過し、二人は漸く落ち着きを取り戻した。
圭介は少女をベッドに座らせて自分は立ったまま石壁に背を預ける。若干距離を取ったのは一応の警戒のためだ。
間の抜けた出会い方をしてしまったため緊張感は削がれてしまったがそれでもこのような異質な状況だ。
彼女が完全に無害であると断定するまでは万一の為に備える必要がある。
その際に進路を塞がれないよう互いの位置取りにも気を配っておいた。
今の位置ならば何かが起きても、圭介の方がいち早く扉を開けて外へ飛び出すことができる。

「まずは自己紹介から始めよっか。俺の名は鳴神圭介、広西高校3年生です」
「わたしは森下美雪。神尾女子3年です。同い年ですね――『鳴神くん』って呼んでもいいですか?」
「もちろん。じゃあ俺は『森下さん』で」
「はい、よろしくお願いします」

「OK。さて、森下さん。俺たちはなぜこんなところにいるのだろう?」
「それは――おそらく、誘拐されてきたのではないか、と」
「――だよねえ」

わかっていたことだが今更ながら気が滅入る。続けて美雪は訥々とこれまでの自分の状況を語り始めた。
学校帰りに意識を失った、そこまでは圭介と全く同じ。
少し違っていたのは美雪にはその直前に何か薬の様なものを嗅がされた記憶があることだった。
だからこそ目覚めた時に誘拐された事実をわりとすんなり受け入れることが出来たらしい。

(全く同じ境遇、か)

少女が嘘を語っているようには見えなかった。
もしかしたら被害者を装った犯人グループの一味ではないか、などと圭介は当初疑っていたのだが取り越し苦労だったようだ。

「最初はそれはもう、混乱したんですけど。でも拘束もされてなかったですし。それでまず、慌てて携帯で警察に連絡しようとしました」
「ああ、そっか。携帯――」

圭介は慌てて自分のポケットをまさぐり携帯の所在を確認した。
だがいつもの収納場所に手ごたえがない。
没収されたか、と思いきやそうではなかった。
圭介が身に付けていたものは全て、ベッドのすぐ横のテーブルに整頓されて置かれていた。
携帯、財布、ipod、ハンカチ、その他もろもろ。
圭介は小さなものはとりあえずポケットに入れ込んでしまう癖があったのでテーブルの上の小荷物はちょっとした展示物のようになっていた。
何となく見苦しさを感じたので圭介はテーブルに歩み寄り。
必要なものを素早くポケットに詰め込んで、残りは同じく足元に置かれていた鞄の中に纏めて押し込んだ。

(――ん?)

その際に何か覚えの無いものまで混ざっていたような気がしたがとりあえず気にしないことにする。

「ごめん、続けて」
「はい、でもダメでした。電波は圏外で通じる気配すらありません。部屋の中でも、外でも」

まあ、そんなことで容易に助けを呼べるくらいなら最初から自由に行動できる余地は与えないだろう、と圭介は特に残念にも思わなかった。

「それから――このまま部屋に居続けたら危険かも知れない、と感じて。
 いつ犯人が戻ってきて襲いかかってきたら、と思うと――それで、部屋を出て、しばらく迷ってて。そうしたら」
「間抜けな一人コントをやってる馬鹿な男がいた、と」
「はい」
「いや、そこは否定してよ」
「はい、すみません」

喋っているうちに恐怖が舞い戻ってきたのか冗談に反応もできず、美雪は俯いてしまった。

「そっか――俺もだいたい似たような感じだよ。たださっき目が覚めたばっかり、ってだけ」
「そう、ですか。やっぱり鳴神くんも誘拐の被害者だったんですね」
「――安心した?」
「少しだけ。こんな酷い目に遭っているのがわたしだけじゃないってわかったから」
「それは、俺も同じだよ」

不思議なくらいに冷静な自分がいた。一人じゃないから、前を向いて考えることができた。
もしも彼女に出会わなければ。未だ圭介は現実逃避を続けていたことだろう。
ただただ己の身に降りかかった不幸を呪うことしか出来なかっただろう。
この少女に巡り会えて良かった。最低な現実の中、ただそれだけは感謝できることだった。

「わたしたち――これからどうなるんでしょう?」

己の肩を抱き、不安げに圭介を見上げる美雪。

「そうだね。できればこの辺りで犯人の一味にご登場頂いて、一切合財の説明を要求したいところだけど」

その登場理由が自分たちの始末であると洒落にならない。
そう続けるつもりだったが美雪の恐怖を助長するだけだと気づき、圭介は次の言葉を切り替える。

「とにかく、ここから脱出することを第一に考えないと。どうなるか、じゃなくてどうするか、だよ森下さん」

幸いにして自分たちは身動きが取れない状態であるわけではない。
脱出など出来はしない、と高を括られているのかもしれないが。
それでもただ座して次の展開を待つよりは遥かに効率的に思えた。

「質問がある、森下さん。外の様子はどうだった? ここは結構大きな建物なのかな?」

先程美雪は「迷った末にここに辿り着いた」と言っていた。つまりはそれなりに巨大な施設なのだ。
手入れの度合いからしておそらくは廃病院であるとかそういった類である可能性が高い。

「部屋の外は石造りの迷路です」
「――へ?」

だが、美雪の口から得られた情報はそんな圭介の想像を遥かに上回るものだった。

「わたしが目を覚ました部屋からこの部屋は同じ直線通路にあって一番近かったんですが。
 それでも多分100メートル以上は歩いたと思います。
 しかもその先は、端が全然見えなくて、代わりに曲がり角が幾つも。反対方向も同じような感じでした」
「最短で、100メートルだって!?」

慌てて圭介は外に飛び出し様子を伺った。迂闊な行動は危険だという思いはその時ばかりは抜け落ちていた。

「な――」

その光景は常軌を逸していた。

室内と同じ造りの無機質な壁面が延々と続き、美雪の言葉通り突き当りがまったく確認できない。
逆に目視できるだけで分岐が4つ。
恐る恐る近場の角まで歩を進め、そっとその先を除き見ると――やはり見えない突き当たりに分岐が数々。
この廊下だけが特別に長いわけではない。おそらくこの先も同じだけの距離があると容易に想像できる。

(なんだよ、これ――)

下手をすればこの建物の幅は数キロにも及ぶのではないか。
美雪の「迷路」という表現は誇張では決して無かったのだ。

「――ごめん、勝手に飛び出して」
「いえ」
「参ったね、どーにも」

部屋に戻り、再び美雪と向かい合い壁に背を預ける。どうやら脱出は圭介が考えていたより遥かに前途多難であった。
少し息苦しさを感じた。とりあえず制服のタイを緩めてみる。

(――ん?)

指先に、硬い何かが触れる。その時に初めて「その場所の」違和感に気が付いた。
冷たい金属の感触だった。アクセサリと呼ぶにはあまりにも無骨な何かが。圭介の首を一周していた。

(これ、は――)

何だろう。勿論意識を失う前、こんなものを身に付けていた覚えは無い。
まさか、と思い美雪の首筋を注視する。彼女の首にも銀色に輝く首輪が装着させられていた。

「森下さん、それは?」

美雪の首輪を指差す。
美雪はきょとんとした顔で首筋をなぞり、答える。

「ああ、これですか。何か目が覚めた時には付けられてまして。とりあえず苦しくはないので気にしないようにしているんですけど」
「もしかして、俺の首にも同じものがついてる? 鏡がないから見えないんだけど」
「ええ。たぶん同じものだと思います」
「ふーん。ホントは部屋の何処かに俺たちをこの首輪で繋いでおくつもりだったのかな」

それではまるで奴隷のようではないか。およそ人質としての扱いではない。
そうなると益々このまま留まっていることが得策には思えない。
このままではどんな仕打ちが待ち受けているか、考えるのも恐ろしい。

「わたし、昨晩両親と喧嘩したんです」

美雪が唐突に脈絡の無い話題を繰り出してきた。

「きっかけは本当に他愛も無い些細なことだったんですけど――結局わたしの思いを受け入れてくれなくて。
 それでもう知らないって、そのまま眠ってしまったんです。
 でも朝になってやっぱりこのままじゃ気持ちが悪いからって謝ろうとしたんですけど、生憎両親とももう先に出勤していて」

どうやら美雪の両親は共働きらしい。

「だから――だから家に帰ったら今度こそちゃんと謝って。
 それでわたしの話ももっときちんと聞いて欲しいって思ってたんです。それが、こんな――」

言葉が進むに従って消え入りそうに小さくなる。おそらく少女の胸の内は後悔で満ち溢れているのだろう。

「もし、このまま二度と両親に会えなくなる、なんてことになってしまったら――」

(――あ)

体中の血液が逆流したような感覚に襲われた。
その一言に、圭介は最悪の未来を思い知らされた。

そうか。このまま――殺されてしまう可能性だって無いわけではないんだ。
状況や手口から鑑みて、相手は相当な凶悪犯なのだから。

そのまま美雪は押し黙ってしまった。気まずい沈黙が部屋の中に訪れる。

「と、とにかく悲観的になっても仕方が無い」

それはまるで自分自身に言い聞かせているようだった。
二人して不安で動けなくなる事態だけは何としても避けたかった。
だが次の言葉が思い浮かばない。下手な気休めは今の美雪には逆効果に思える。
それでも何とかして彼女を前向きな気持ちに持っていかねばならない。
こうして巡り会ってしまった以上、まさか見捨てて行くわけにもいかないからだ。

(くそ、何かないか――ああ、そうか)

効果があるかどうかはわからないが一案思いついた。

だが正直気恥ずかしい部分もある。
それでも他に思いつかない以上は、実行に移すしかない。
呆れられようが馬鹿にされようが、とにかく今はきっかけが第一だ。

「はい、注目!」

殊更に声を張り上げ美雪を促す。
何事かと美雪が顔を上げたのを確認し、2歩ほど間を詰める。

「森下さん。さっき俺のお馬鹿な一人芝居、見てたよね? 何かそこの戸棚に向かって『ビーム』とかやってた奴」
「? ええ、まあ――」

思い出すだけで顔が赤くなる。だが掴みとしては悪くない。
とにかく何でもいいからこちらに興味を持ってもらわねばならない。

「残念ながら俺にはビームは撃てない。だけど」

左手を軽く掲げる。その間に右手をポケットへ。


「魔法なら、使えるんだ」



差し出した圭介の右手の平には、100円玉が乗せられていた。
美雪の視線がコインに注がれたのを確認し、圭介は親指でそれを高く弾き上げた。

銀の硬貨が宙を舞い、弧を描く。甲の側を上に向けた左手に着地すると同時に右手を素早く動かし、蓋をする。

待つことほんの数秒。
開かれた右手と左手の甲からコインは綺麗に消え失せ、代わりに左手の「中」からコインが零れ落ちた。

「え? ええ??」

美雪が驚きのあまり声を上げる。一連の動作はまるでコインが左手を突き抜けたかのように見えたはずだ。

すぐさま圭介は今度は左手にコインを乗せ、美雪に見せ付ける。
そして二度、三度。流麗な手つきで手を振ってみせる。

手を振るたびに。指と指の間にコインが増えていった。
都合、4度。それぞれの指の間に4枚のコインが挟まれていた。

「金貨でやれば、俺は大金持ちになれるかもね」

全てのコインを投げ上げ、一度に右手で空中で掴み取る。
開かれた手のひらには最初と同じ、1枚の100円玉があるだけだった。

これこそがかつて圭介を魅了し、そして母親から受け継いだ魔法だった。


そう、何のことは無い。ただの手品だ。
タネさえ理解して少し手先が器用であれば誰にでもできる特技でしかない。
だが、それでも幼き日の圭介には衝撃的なものだったのだ。母との唯一の記憶として今も強く根付いているのだ。


次はハンカチを取り出してみせる。裏、表と閃かせ何の変哲も無いことを見せ付ける。

一瞬だけ宙に浮かせ、ぱちりと両手で挟み込む。
広げられた手の中に折鶴となったハンカチが現れる。

仕込みさえきちんとしていれば最終的には生きた鳩に最後に変化させることもできるのだが流石に今の用意では無理だ。
仕方なく日頃持ち歩いている最小限のタネで小マジックを次々に美雪に披露し、そして最後に。

「では、これをお近づきの印に。ご清聴、ありがとうございました」

何も無い手の中から薔薇の花を一輪出現させ、美雪に差し出した。

「――」

薔薇の花を手にしたままぽかん、と小さく口を開けたまま硬直する美雪。再び沈黙が訪れる。

(――うわ、やっぱやっちまったか)

熱演終わって我に返った圭介は猛烈な後悔に襲われた。

「イリュージョン」とまで呼称される技術の粋を極めた大掛かりなショーマジックならばまだしも。
圭介の操る魔法なぞ所詮は手慰み、趣味の延長に過ぎない。
素人芸としてはそれなりの自信も無いではないが、披露すれば必ず拍手喝采、などといったレベルの代物ではないのだ。

ましてこのような特異な状況。何の脈絡も無く始まった拙いマジックショー。
気が晴れるよりはむしろ、呆れてしまったか。

冷ややかな反応が返ってくる覚悟を決めたその時――

「す――すごいすごいすごい! 鳴神くん、すごいですっ!」
「――え?」

圭介に贈られたのは少女の精一杯の拍手と。満開の笑顔だった。

「わたし感動しました! まるで魔法のようでした! 
 はあ――まさか同世代の男の子で、こんな本格的なマジックが出来る人がいるなんて!」
「い、いやこんなの本格的でも何でもないって、別に」
「そんな謙遜しなくてもいいですよ! ホントに、本当に、すごかったんですから!」

陶酔した面持ちで薔薇を胸元に引き寄せる美雪。無論造花なので棘で指を痛めるようなことはない。

「ありがとう、鳴神くん。わたしを元気付けてくれたんですね」
「ん――え、ええと。まあ――ね」

ここまでの大賞賛になると、満足よりも気恥ずかしさが先に立つ。
心臓が早鐘を打ち、美雪とまともに顔を合わせられない。

「と、とにかく。喧嘩しちゃったことを後悔してるならちゃんとご両親に謝るために何としてもここを脱出しないと。だから」
「うん、わかってる。ごめんなさい、迷惑かけて」

当初の目的は何とか達することが出来た。それならば甲斐はあったと言える。

「これ、大事にしますね。鳴神くんと出会えた記念に」

美雪は制服の胸ポケットに薔薇を挿す。白い花びらが高級そうな生地に彩り良く映えて見えた。

「じゃ、じゃあ落ち着いたら少し外に出てみよう。諦めずに探してみれば出口が見つかるかもしれない」
「了解です、魔術師さん」

まあ落ち着くのに時間がかかるのは俺の方だろうな――未だ冷めやらぬ身体の熱と鼓動を抑え、圭介は口に出さず呟いた。



[21380] EPISODE-3
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/08/22 22:41
一先ず二人は出口を捜す前に一旦美雪が目覚めた部屋に戻ることにした。

「とりあえず様子見のつもりで外へ出たので、荷物は前の部屋に置きっ放しなんです」
「そっか。じゃあ早速移動しよう」
「え? でも、いいんですか?」

手ぶらで外へと向かう圭介と、テーブル脇の荷物を美雪は交互に見比べる。

「ああ、あれ。いいんだ。どうせ教科書とかいらないものばっかだし。邪魔になる」

教育者の怒りを買いそうな発言ではあったが圭介なりに考えた結果だった。
この先すんなりと脱出口を発見、となるとは思えない。
もしかすれば犯人グループと鉢合わせ、逃亡もしくは乱闘に発展するかもしれない。
そうなると身体を張るのは男である自分の役目だ。その際には出来るだけ身軽である方がいい。

無事脱出成功の暁には警察権力の介入により、うまくすれば返却の可能性もあるだろうという目論見もあった。
まああまり勤勉な学生ではない圭介にそのテの類のものは本当にいらないものにしたいという欲求もあったのだが。

「それに必要なものは全部身に付けてるから。ほら」

圭介は二度、三度と右腕を美雪に振って見せた。その度に携帯、ハンカチなどが手の中に現れては消えた。

「わ、すごい。それ、どうやってるんですか?」
「タネ明かしは厳禁、といいたいところだけど。単に上着に細工してあるだけだよ」

圭介の制服の上着の袖口にはいくつかの小さな収納ポケットが内側に縫い付けてある。
後は熟練の指裁きで指定のものの出し入れを行えば見るものには瞬間的に手の中に現れたように見えるのだ。

「わたしにも、できますか?」
「――できるよ。少し練習するだけでね」

実際はそうではなかった。圭介はこの技を身に付けるためにおよそ半年の自己鍛錬が必要だった。
それでもそう答えたのは美雪に対する気遣いの他に、ある種の自虐も含まれていた。

「さて、と。ここを出て右、で良かったよね?」
「はい」

慎重に、と一つ小さく深呼吸して圭介は廊下へと一歩踏み出した。
左右に視線を巡らせ誰もいないことを確認する。

「落ち着いて。ゆっくり進もう。何が起こっても対処できるように」

無言で頷く美雪を先導する形で一歩一歩、次の部屋へと向かう。
100メートルという距離は思いのほか長く、まだその扉は視認できない。
空気が重い。粘っこい緊張感が圭介の身体を包み込む。
改めて犯罪者の巣の中にいるのだという事実を思い知らされる。

「鳴神くん、何か変じゃないですか?」

その違和感に最初に気づいたのは美雪の方だった。圭介は何事かと足を止め、彼女の方へ振り返る。
足音の反響が静謐を駆け抜け、やがて消えていく。
そうなるのが普通だった。だが――

(まさか――)

消えない。
二人とも足を止めているのに、足音が消えない。
それどころか徐々に間隔が狭まっている。

(誰か、いるのか!? こちらに近づいているのか!?)

慌てて圭介は周囲を警戒する。
間違い無くこれは第三者の足音だ。だとすると何処から?
反響の所為で瞬時に特定は出来なかった。
それが自分たちの進行方向の反対側からのものだと気づくのに約数秒。

だがその遅れは致命的だった。
走って逃げる、その決断と美雪に指示を出そうとしたその刹那――


「動くんじゃない!」


覚悟はしていたつもりだった。
危険の只中に身を投じ、荒事すらも厭わず脱出に全てを賭ける、と。

だが認識が甘すぎた。
心のどこかでそんなに酷い目には遭わないだろう、とタカをくくっていた自分がいた。

だから。大声で静止を促されたその瞬間。
本来ならば一目散に前に走り進まねばならなかった圭介の足は、まるで呪いをかけられたかのように動かなくなってしまった。
辛うじて美雪を背中に庇い、声の主と相対することができただけだった。

圭介の目覚めた部屋のすぐ近くの曲がり角。圭介が施設の広大さを思い知った分岐の先。
胸が締め付けられるように苦しくなった。
もしかしたらこれが死の恐怖、なのかもしれないと思わされた。

のそり、と姿を現したその男の風貌は、圭介にそう印象付けるに相応しいものだった。

「いいか、おとなしくしていろ。そのまま――そのままだ」

男がゆっくりと近づいてくる。その足音がやたらと重量感を感じさせる。

圭介の身長は決して低くは無い。男子高校生の平均をやや越えるくらいだ。なのにその男は圭介よりも頭一つ以上は大きい。
さらに驚くべきはその巨躯を包み込む分厚い筋肉だ。はちきれんばかりの胸板は白のポロシャツを引き裂かんばかり。
露出した二の腕は圭介の2倍以上もあり、まるで丸太が両肩からぶら下がっているかのようだ。
加えてぎょろりと獣の如き凶悪な双眸。顔の形がやや歪。所々に浮かび出る細かい傷。
その一つ一つがただ事でない生き方をしてきた証拠に見える。

勝てるわけがない。
もし目の前のこの男を脱出のために打ち倒さねばならぬのだとすれば、結果は明白だ。
この重装甲は刃物ですら貫き通せる気がしない。
あの太い腕を振り払われるだけで、圭介の身体は壁に叩きつけられることだろう。
拳を固めてぶつけられれば、身体の骨は折れるどころか粉砕だ。

圭介とて18年の人生において暴力に無縁だった、ということはない。
人並みに喧嘩の二つや三つしてきた。だがそんな些細な経験がいったい何になろう。

今更ながらに後悔する。もっと遅くに部屋を出ようとしていれば。もっと早くに次の部屋に辿りつけていれば。
そう、自分たちが危険と対峙した際、取れる行動など逃げるか身を隠すかくらいしかなかったのだ。
それなのに何を悠長に構えていた? 対処する方法あっての警戒だろうに!
男は5メートルほどまで間合いを詰め、無言でこちらを観察している。品定めのつもりなのだろうか。

「鳴神くん――」

背後から耳元で、美雪が圭介の名を呼んだ。圭介の肩に添えられた少女の手から震えが伝わってきた。
それだけで少女がどれほどに脅えているか、振り返らずとも理解できた。
体験したこともない窮地に、彼女もまた身体が反応してくれないのだ。
圭介の背中に縋り付くことでしか、その身を支えていられないのだ。

前門に巨人、後門に少女。逃げ場など無い。助けなど勿論来ない。
一歩も下がる事が許されないのであれば――挑むしか、道は無い。

強く唇を噛み締めた。痛みと微かな鉄の味が、幾許かの冷静さを取り戻させた。

そうなると今まで見えなかったものが見えてくる。
脅威にばかりに目がいって、気づくべきことを見逃していた自分がわかる。
圭介ははっきりとした視線で男の顔を見据える。一瞬、男の表情が怯んだ様な気配を見せた。

「失礼――こちらに抵抗の意思はありません」

両手を差し上げ、言葉通りの意図を見せる。元より抵抗は無意味だ。重要なのはここから。
主導権を渡さぬため男が口を開くより先、圭介は続けて言葉を放つ。

「それよりも、まずは話をしましょう。その方がお互いのためになるはずです。貴方も実はそう思っているのではないですか?」
「話――か。そうだな、願ってもないことだ。君たちには色々と聞きたいことがある」

予想よりも随分と丁寧な物言いだった。だがそれ以外はほぼ読みの範疇。

「感謝します。それでは手っ取り早くお互いの疑問を氷解させましょうか」

彼の言う「聞きたいこと」。その内容すらも手に取るように判る。

「俺たちは、誘拐されて、ここに連れ去られてきた被害者です――貴方と同じく、ね」

圭介はきっぱりと断言し、首筋をするりと撫でた。
男の首に嵌められているものと同じ、銀色の首輪を。

圭介にとって幸運だったのは同じ境遇の美雪が同じ首輪を嵌められているという事実に出発前に気付けていたことだ。
故に、腹を決めて冷静になった瞬間男の首輪を発見することができ、そこから同じ立場の人間であると判断できた。

無論、犯人が偽装のために同一の首輪を装着している可能性もある。
だが男はこちらを呼び止めたまま次の行動に移らなかった。
勝手に部屋を移動した圭介たちに元に戻るよう促すか、さもなくば制裁を加えるか。
二人を遥かに凌駕する体躯を操るこの男が犯人であるならば、そういった行動を取らねば不自然だ。

なのにそうはしなかった。そこまで思考が行き着いた時、確信が持てた。
男も迷っていたのだ。普通なら拉致された自分以外は押並べて犯人である。
だが客観的に見て――無害な学生にしか見えない圭介と美雪に対し、どう接するべきなのか、何から話を切り出したものか。

「な、なんだ――そうだったのか。脅かさないでくれよ」

迷いに迷い、判断を下せなかった。それが沈黙の真相であったのだろう。



とりあえず敵ではないとわかり、緊張の糸が切れたのか男は肩を落として息を吐いた。
思わず圭介は脅かされたのはこっちだ、という言葉が喉まで出かかった。

「いや、ね? 最近巷で流行っているじゃないか、少年犯罪。
 君たちを見つけた時、そんな類の事件に巻き込まれたのかとてっきり思ってね。
 だけど女の子連れでますますわからなくなって――男の子だけが犯人なのか? 
 女の子だけが被害者なら大人の責任として助けなきゃ、とか思ったけど、
 待てよ、もしかしたらこちらも見かけによらずって奴で、とか考え始めるともうどうにも、ね」

圭介の推理がほぼ満点の解答であったことを勝手に語り出す男。
というかそこまで警戒していたなら、たった一言で潔白を信じるのはちと単純なのではないか?
と、圭介は半ば呆れ気味に笑みを浮かべる。
だがまあ、それだけ人の良い男なのだろう。見た目に似合わず。

「――と、まあそういうわけらしいよ、森下さん。もう安心していいから」
「え? あ――はい! 良かった――」

急に話題を振られた美雪は飛び上がるように返事をした。
そして随分と圭介に密着していたことに気付き、慌てて身体を引き剥がす。
名残惜しい、と微かに不満に思う圭介だったが、それだけ自分が余裕を取り戻せていることを良い方向に考えることにした。

「自己紹介が遅れましたが、俺は鳴神圭介。それからこちらが森下美雪さん」
「森下です」
「鳴神くんに、森下さんか。ボクは大門三四郎。空手の道場主をやっている。見たところ、二人とも学生のようだけど――もしかして恋人同士かい?」
「ええ!? え、えと、その――」
「そうです。結婚を前提としたお付き合いをさせてもらってます」
「な! なななな鳴神くんっ!!??」
「と、いうのが俺の願望です。冗談です。残念ながら同じ境遇で誘拐されてきた初対面同士です」
「もうっ! 鳴神くんはホント冗談ばっかりなんだから!」
「はは、羨ましいな。若いってのは」

膨れて地団駄を踏む美雪とそれを宥める圭介を高い位置から見つめながら大門は厳つい顔を柔らかく崩す。

「しかし空手ですか――道理で鍛えられた身体だと思いました。その身長と筋肉なら、相当にお強いでしょう」
「そう言ってもらえるのは光栄だね。ウチの流派にも一応全国大会みたいなものがあって、その無差別級で3連覇させてもらっている」
「――それって日本最強ってことじゃないですか」
「いやいや。ボクなんか図体のデカさで一日の長があるだけで。技そのものは研鑽琢磨の毎日さ」

輝かしい経歴を鼻に掛けた様子も無い、非常に謙虚な姿勢だった。

(しかし――これで三人目、か)

ふと、圭介の脳裏に疑問が浮かぶ。というより今まで考えないようにしてきたことだった。

それは犯人グループの目的。美雪と出会った時点でも腑に落ちなかった。なぜ縁もゆかりも無い他人を二人も攫う必要があったのかと。
だが学生である圭介たち自身に原因があるとは考え辛い。だが二人の親族関係を辿れば共通点が見出せるかもしれない。
だが大門はどうだ? 当然ながらここにいる当人同士は初対面だ。すると大門もやはり自分たちの親族の関係者なのか?

「あの、大門さん――俺たちの名字に、何か覚えがありませんか?」
「名字? うーん、ないなあ。森下さんは兎も角、鳴神なんて珍しい名字は一度聞いたら忘れないだろうから」

やはり、そうか。では大門も本人ではなく、親族の繋がりのとばっちりを受けた? 
そうなると圧倒的に情報量は不足する。今ここで答えを出すことはおそらく出来まい。

「そうですか。では次に、どうやって誘拐されましたか? 俺たち二人はどうも下校中に拉致されたようなんですか」
「拉致――穏やかじゃないな。
 ボクは昨日の稽古を終えて、更衣室で着替え終わった時に猛烈に眠気が襲ってきてそれっきり、だな」

状況から考えうるに、どうやら催眠ガスの類を流し込まれたらしい。
確かに大門ほどの男になると路上で拉致を敢行するのは困難であろう。
だが裏を返せばそうまでしてまで、この屈強な男を誘拐すべき理由があった、ということなのだ。
それは一体、何のために?

「まったく。ボクのような貧乏道場主を誘拐したって何の得にもならないのにな。
 素人に技を使うのはご法度だけど、犯人たちにだけはぜひ正拳を叩き込んでやりたいよ」

そう言って何も無い空間に正拳を打ち込んでみせる大門。
本人は軽く振ったつもりなのだろうが、聞いたこともないような風切り音が唸りを上げた。

「――できれば俺たちは犯人たちに出くわさず、無事に逃げ出したいところですが」
「はは、それもそうか。ん? ということは君たちはここから逃げることを考えているのかい?」
「勿論です。このままおとなしくしていてもどんな目に遭わされることか。
 その前に何とか、と考えています。大門さん、協力して頂けませんか?」
「喜んで協力させてもらうよ。寧ろこっちからお願いしたいくらいだ。
 見ての通りボクは頭脳労働が苦手でね。色々と知恵を貸してくれると助かる」
「ありがとうございます」

一時はどうなることかと思ったが、結果的に事なきを得ることができた。
恐れていた最悪の事態を回避できたことに気が抜け、一瞬圭介の意識が飛びそうになる。
これほどの緊張と恐怖を感じたのは人生で初めてではなかったか。無事に乗り越えることができて本当に良かった。

いや、まだ安堵するのは早い。追い風は感じているものの犯罪者の腹の中、という事実に未だ変わりは無い。
本当に安心していいのは完全に脱出を成功させてからだ――圭介はより一層の覚悟を胸に、再び気を引き締めた。

「ところでそっちの質問は以上かい? なら今度はボクが幾つか聞きたいことがあるんだが」
「え? あ、はい。俺たちで答えられることなら」
「そうか、じゃあまずはコイツの使い方なんだけど――」
(――「コイツ」?)

大門がズボンのポケットに手を入れ、何かを取り出そうとした、その時だった。



遠く、微かに。連続的な機械音と女性の悲鳴が鳴り響いた。



「な、何だ!?」
「――どうやら物騒な事態が起こったようだ。行ってみよう!」
「あ、ちょっと!」

言うや否や、大門は手をポケットから引き抜いて、悲鳴の方向に走り始めた。
進行方向は圭介たちが向かおうとした美雪の部屋の方向。だが大門は瞬く間にその部屋の前を通過する。

「追いかけるよ、森下さん! 悪いけど荷物のことは後回しだ!」
「え、あ、はい!」

慌てて圭介も美雪を促し、後を追う。予定が覆されるのは気分が悪いが、今大門を見失うわけにはいかない。
いざ脱出の段階になれば、大門の戦闘力は必要不可欠だからだ。
自分でも相応に自信があるからこそ平気で窮地に飛び込もうとするのだろう。

(それにしたって「協力しよう」と言った矢先だろう――ホントに脳味噌まで筋肉かよあの人はっ!)

巨大な背中を見失わないように全力で追いかけながら圭介は心の内で毒を吐く。
その正義感と勇猛さには感心するものの、些か協調性に欠ける行動ではないか?
この先におそらく待っているであろう事件や危険に大門ならば対処できるとしても、自分たち二人はそうではない。
団体行動というものをまるきり理解していない。
自分よりも一回りは年齢が上であるはずの大門の無自覚に圭介は苛立ちを募らせる。
後々、しっかりと言い含めておく必要があるな――と、圭介は後続の美雪を気にしながら必死に足を動かした。



――どれほどの距離を移動しただろうか。

いいかげん元の場所に戻れるか、圭介が不安になり始めた頃。
先に聞こえたものと同じ女性の、今度は荒い息遣いがはっきりと聞こえてくる。

(この角の――先か)

先刻大門がその交差を左に曲がったのは確認できている。事件現場はその近くのようだ。

『大丈夫ですか!?』
『い――嫌ああああっっ!!』

大門の声と、続いてまた悲鳴。何が起こっているのかは容易に想像がつく。
初対面で大門に急に話しかけられれば、殆どの女性は驚くであろうから。
取り急ぎ武装集団との遭遇、などという最悪な事態は待っていないようなので圭介はため息一つついて角を曲がり、現場に辿り着いた。


(――な)


何だ、これは。と、二の句が告げられなかった。

思わず目を背け、膝を付きそうになった。

それは異様な光景。圭介の日常からは途轍もなくかけ離れた光景だった。

髪を振り乱し、半狂乱で暴れる妙齢の女性と、それを両手だけで取り押さえる大門。そこまではいい。
だがその少し先に床に転がる――あれは、何だ?



女。いや女であったものと言うべきなのか。
うつ伏せに倒れたまま、ぴくりとも動かない。

それもそのはず、女の衣服には無数の小さな穴が開いていて、そこから夥しい鮮血が噴き出していた。

むせ返るような臭いが鼻をつき、眩暈を引き起こす。
濃い血の臭いと、何かが焦げたような臭いが混じり合っている。


死んで――いるのか。あれは死体、なのか。


それもただの死体じゃない。未だ床を染める赤の広がり具合から見て――死んだのはつい、先程。


急にヒトが、死体と成り果てる。その因果は自己にはない。あの女はおそらく殺されたのだ。


「はあ――はあ――鳴神くんも、大門さんも――走るの、早すぎ、で――」
「来るなっ!」

漸く追いついてきた美雪が角を曲がる前に圭介は大声で制止した。

「え? あ、あの」
「君は見ちゃいけない――この有様を、見るべきじゃない」

か弱い少女にこの光景は酷すぎる。
圭介のぎりぎりの理性が美雪の惨状との邂逅を回避させようとした。

美雪の気配は角の向こうで留まったまま。
只事でない圭介の声に事態は飲み込めぬものの、理解は示してくれたようだ。

「落ち着いて! とにかく落ち着いて、何があったか話してください!」
「いやっ! 離して――離してぇ!」

傍らで大門と女性の揉み合いは続いている。
大門のような風体では彼女に落ち着きを取り戻させるのは難しいだろうが、今の圭介に手を差し伸べる余裕は無い。
流石の圭介も、今までの人生において他殺体などお目にかかったことはなかった。それ故に衝撃は大きいのだ。

しかも――気付いてしまったことがある。

大門の手を振り解こうとしている女性と、物言わぬ哀れな肉塊と成り果てた女性。

その二人の首にも、銀の首輪が煌いていた。


(一体――何が)

最早思考が追いつかない。
自分たちが誘拐された事実と、今の状況。関連性を、何も思いつかない。
ただ、自分も何かを間違えれば。あのような姿になってしまうという恐怖感だけが全身を侵食していく。

圭介の混乱を他所に、さらに事態は留まる事はなかった。惨劇の舞台の登場人物は、これで終わりではなかったのだ。



「ちょっとそこの貴方、いったいその女性に何を――こ、これは!?」
「お、おいノエル、勝手に飛び出すなって、って、うおおおっ!?」



圭介たちがやってきた反対側。その先の分岐からさらに3人の人物が姿を現したのだ。



(――)

最早驚くにも値しなかった。女性が一人に男が二人。
その3人が3人とも、同じ首輪を装着していた。

合計8名。
圭介の知る限り、これほどの大人数の誘拐など聞いたことも無い。

これはもう、怨恨や営利目的の誘拐では片付けられない。
もっと何か――圭介の及びも付かないような大きな力によって、何か特殊なことが起ころうとしている。
それが何であるのかなど、見当も付かない。

圭介は呆然と立ち尽くしたまま、新たにやってきた女性が大門と女性の間に割って入るのをまるで他人事のように眺めていた。




 ゲーム開始より1時間24分経過/残り????



[21380] EPISODE-4
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/08/23 00:03
「まずは自己紹介でもしておきましょうか。どうやら私たちは同じ境遇に陥った者同士みたいだから」

暫しの後、後からやってきた女性が号令をかけて一同を円座に集めてそう宣言した。

今、圭介たち7人は死体から一番近くにあった部屋に移動している。
大門が発見した女性の介抱を含めて今後何を行うにしても、死体の傍では気が落ち着かない、という彼女の言によるものだった。

「私の名前は波多島乃得留。ノエルと呼んでもらって結構よ。
 上応大学の法学部に所属しているわ――肩書きなんてこの場では意味を成さないかもしれないけど形式として、ね」

乃得留の死体が遭遇して以降の行動は実に迅速で的確なものだった。

まず大門と女性の間に割って入り、説得の仕方が不躾だと一言たしなめて介抱を引き受けた。
次に後の男性二人に毛布か何かを探して死体を隠すように指示を出し、
圭介の計らいで死体から遠ざかっていた美雪を自分たちの元へ呼び寄せる。
さらに全員にその場から今の部屋への移動を促し、
無駄な恐怖を与えぬよう男性陣をなるべく遠ざけてから丁寧に、かつ誠意ある対応で女性の状態の回復に努めた。
その甲斐あって現在女性は簡単な質問になら答えられるほどに気を落ち着かせていた。

大したものだ、と圭介は素直に感心する。大学生、ということは自分とそう歳は離れていないはず。
であるのに圭介はあまりにも非常な事態に動転するばかりで何も行動を起こすことができなかった。
ただ死者が出た、という事実に震える美雪の傍にいることしかできなかった。
尤も、何もできなかった、というのは乃得留以外の誰しもがそうであったのだが。

改めて圭介は乃得留に注目する。腰まで届く美しい黒髪とミニスカートから伸びた曲線が魅惑的だ。
才覚と美貌を持ち併せている、というのは彼女のためにこそ相応しい。

「それからこちらの女性が古谷小枝子さん。まだショックが抜けきっていないから私の代弁になるのは容赦願うわ」
「――古谷、です」

消え入りそうな声で女性が乃得留の名乗りに同調する。
涙に濡れて化粧は落ちかけているがこちらも中々に美麗な女性である。
圭介にはあまり縁の無い、艶かしい魅力がある大人の女性の雰囲気だ。隣に座る大門から、思わず息を飲む音が聞こえた。

「それじゃあ次は――木戸くんと楯岡さん、お願いできる?」
「ああ? ったく、何仕切ってんだよお前は――まあいい。おっさん、先に俺が行くぜ」

二人の男のうち部屋に据え付けられていた木箱を椅子代わりにしていた方の男が小さな掛け声と共に大きく身を乗り出した。

「木戸、亮太だ。もしかしたら俺の顔、どっかで見たことある奴もいるんじゃねえか?」

木戸は大仰にポーズを取ってみせる。だが一同の誰もが呆気に取られるばかりで彼の言葉に同調することはなかった。
みるみるうちに不満を露にし、木戸はぎろりと視線を巡らせ忌々しげに舌打ちする。

「けっ! 反応ナッシングかよ! お前らもテレビくらい見るだろうがよ、ああ?」
「テレビ――というと、芸能人か何かなのか?」

それなりに整った顔立ちをしているので一番高い可能性を圭介は切り出してみる。
どうにも態度が癇に障る上に歳もあまり変わらないようなので敬語を使う気にもなれない。

「あん? まあ、似たようなもんだ。たく、5年前に『天才一年生投手が甲子園に旋風を巻き起こす!』つってマスコミが大騒ぎしてただろうによお」
「だから言ったじゃない。3回戦で負けたチームの選手なんてよっぽど熱心なファンじゃないと覚えてないって」
「黙れノエル! 女のくせにいちいちムカつくんだよてめえはっ!」

突如発された怒号に美雪が小さく悲鳴を漏らす。なるほど、木戸はどうやらかつて高校野球で名を馳せた男であるらしい。
だが5年前、ということはプロにはスカウトされなかったのか? 
一年時以外には甲子園には出場していないのだろうか?
もし彼の輝きが現在も続いているのであれば、流石に圭介の耳にも届く名前であっただろう。
ということは今は栄光とは程遠い位置にいるに違いない。
まるで褒められたものではない彼の態度や物言いには、そういった裏事情が何となく見え隠れしていた。

「――楯岡和志。電工業を営んでいる」

すっかり機嫌を損ねて押し黙ってしまった木戸に代わり、もう一人の男が静かに声を上げた。

規格外の大門には及ぶべくもないが、木戸と同じく均整の取れた長身である。
清潔感のある作業服を身に纏い、落ち着き払ったその立ち姿は木戸とは真逆そのものだ。
ただ帽子とサングラスで表情が隠れていて何を考えているのかは一切読み取れない。
口数が少ないことも含め、底知れぬ何かを醸し出していた。

何よりも先程の死体との邂逅の際、一番反応が薄かったのはこの楯岡なのだ。
乃得留の指示に立ち尽くすばかりだった木戸を余所に、いち早く部屋に飛び込んで毛布を持ち出し、処置を施した。
死体の発見など、珍しいことではないと言わんばかりに。

「こちらの二人とは1時間ほど前に出会ったの。もちろんお互いに面識は無いわ」

付け加えられた乃得留の言葉に小さく頷くと、それ以上話すことはないとばかりに腕組みして壁に寄りかかる楯岡。
どうにも一癖も二癖もある人物ばかりであった。

初対面の人物の紹介が一通り終わったので続いて圭介たちが紹介を始める。
まずは大門、続いて美雪。特に大門の経歴には誰もが驚きの反応を見せた。
唯一木戸だけが露骨に不快感を示していたのは言うまでも無い。

最後に圭介が当たり障りの無い紹介をして結びとなった。

「なる、かみ――圭介、くん?」

そこでふと乃得留が神妙な顔つきになる。

「――ああ、失礼。珍しい名字だな、と思って。他意は無いのよ。ごめんなさい」
「珍しい、ってもノエルさんには負けますが」
「ふふ、その通りね――さて、これで互いの面通しは終わったわけだけど」

乃得留は襟元を少しだけ開き、首輪を見せながら全員をぐるりと見渡す。

「私たちは誰もが初対面で、理由も判らずこの場所に拉致されてきた。その事実に間違いは無いわね?」

6つの首が揃って縦に動く。

「だから何度もそう言ってんだろが――ま、お前ら凡人と違って俺は誘拐されてもおかしくはない資質を持った人間だけどな」
「アンタは少し黙りなさい。それで、何をされるのかと思いきや変に馬鹿でかい施設の中で野放しにしたまま。
 犯人側からの接触は特に無し――不自然にも程があるわね。全く、ワケがわからない――と、言いたいところだけど」

「だけど?」
「――私たちと同じ首輪をした女性が、亡くなった。
 どうして彼女が死ななければならなかったのか、第一発見者の小枝子さんに状況を聞いてみたら意外な事実が判明したの」

「第一発見者? 犯人の間違いじゃないのかあ? あの女が死んだとこ、誰も見てねえんだろうが?」
「言いがかりはよせ、木戸くん! 古谷さんは人殺しなんかじゃないっ!」

大門が声を荒げて木戸を怒鳴りつける。木戸はさして臆した様子も見せずどうだか、と肩を竦めて見せた。

「――話を続けるわ。小枝子さんの証言はこう、よ。
 『首輪のランプが赤く点滅している彼女に出会ったと思ったら、次の瞬間に壁から銃口が幾つも飛び出て彼女の身体を蜂の巣にした』」


「――おいおい、そんな与太話を信じろってのかよ」
「正直、私も俄かには信じられなかった。でも確かに彼女の死体には無数の弾痕が刻まれていたし、
 小枝子さんは勿論、大門さんも圭介くんもそんなことを行える武器なんて所持していなかったわ」
「彼らが犯行に使用した凶器を何処かに隠し、口裏を合わせている可能性は?」
「――私たちが現場に辿り着いたきっかけは銃声と悲鳴を聞いたから。それから到着まで約3分。
 その時には現場にいた二人が一番近くのこの部屋以外に凶器を隠す暇は無いでしょうね。
 そしてこの部屋にそんなものが無い、ということは楯岡さん、さっき貴方に確認してもらったはずよ?」

圭介は乃得留が小枝子を介抱している間、何やら部屋の中を探し回っていた楯岡の姿を思い出す。
あれは、そういう意味があったのか。

「ちょ、ちょっと待って下さい。それが本当だとすると、この建物は所々にそんなマシンガンみたいなものが壁の裏に隠されてて、
 常に俺たちを狙ってる、ってことですか!?」
「恐らくは。そしてそれはある特定の行動を取った場合に起動して、私たちを狙って発射される。この首輪はその行動判定のためにあるんでしょうね」

首輪のランプが赤く点滅していた、という小枝子の証言。そして今は誰の首輪にもそういった反応は見受けられない。
もし今、その「特定の行動」をこの中の誰かが行ったならば、この部屋の壁からも銃口が飛び出してくるのだろうか?

「そ、それじゃあ一刻も早くこの首輪を外さないといつ殺されるかわからない、ってことじゃないか!」
「そ、そうだぜ! それと『特定の行動』てのは何なんだよ! オラ説明しろノエルっ!」
「ふ、二人とも落ち着いて下さい! ノエルさんだって何でもわかってるってわけじゃ――」

「――その解除条件と行動が、これに記載されているのよ」


「――え?」

沈痛な面持ちで、乃得留はポケットから何かを取り出した。手のひらに容易に収まるような、小さく薄型の機械だった。

「それはPDA――ですか?」

自己紹介以外は頑なに口を閉ざしていた美雪が初めて反応を見せた。

「そう。Personal Digital Assistant――携帯情報端末ね。機能の優れた電子手帳、みたいなものかしら。
 これが私が目覚めた時に、枕元に置いてあったわ。
 中に記載されている内容があまりにも突飛で現実味が無かったから一通り目を通してからは放っておいたんだけど――
 もしかしてみんなも持っているんじゃない?」
「ん? ああ、これか――最新のゲーム機かと思って喜んでたら文字ばっか出てきてムカついたから電源切ってそのまま尻ポケに入れてたわ」

木戸がそう言って乃得留と同じ機器を取り出したのを皮切りに、楯岡、小枝子がまったく同じデザインのPDAを乃得留に示して見せた。

「ほら、さっき言いかけただろう? 使い方が解らないものがあるって。これのことだったんだよ」

その風貌に似つかわしくない小型機器を大門が圭介に見せる。これで7人中5人が、同型のPDAを所持していることになる。

「圭介くんと美雪ちゃんは持っていないの?」
「それが――どうも荷物と一緒に部屋に置いてきてしまったらしくて」
「わたしも、同じです」

無駄な小物が多すぎてバッグの中にまとめて押し込み、さらに邪魔になるからとそのまま放置してきた。
そういえばその中に見覚えのないものが幾つかあった気がする。思い返せばそれが件のPDAだったのかもしれない。

美雪もまた、考え無しに部屋を飛び出してしまったせいで荷物一式は今も元の部屋にあるはずだ。
振り当てられたPDAは今、手元には無いらしい。

「そう――じゃあ私の解説が終わったらできるだけ早く取りに戻りなさい。
 もしかするとこれの有る無しは、命にかかわるかもしれないから」

命、というその一言に圭介は思わずごくりと喉を鳴らす。
それが決して大げさなものではないことは、部屋の外の死体が証明していた。
不用意な行動は死に繋がる。それが今の現実なのだ。

「それじゃあとりあえず今はボクのものを3人で一緒に見よう。どうせボクには使い方がわからないし」
「すみません。助かります」
「あ、ちょっと」

一瞬乃得留の制止の声がかかったが、圭介が大門から受け取る方が早かった。
何かまずかったのだろうか、乃得留は仕方が無い、と小さく首を振るばかりだった。
改めて機器を観察する。手にしてみると予想以上に軽く、指で弾くだけで飛んでいきそうだ。
こんな薄型の機械に複雑な回路が組み込まれており、膨大な情報を処理することができるという事実が現代文明の発展をしみじみと感じさせる。
操作は思ったほど難解なものではなかった。
ボタンの種類も3つばかり。その中の一番大きなものを押し込むとたちまち画面が起動する。


トランプの柄を模したマークが小さな画面に表示された。

(へえ、なかなか凝ってるな。でも、「ダイヤの4」ってデザインには中途半端じゃないか?)

そんなことを考えながら違うボタンを操作し、次の反応を窺う。
それが正解だったのかトランプのデザインはディスプレイから消失し、テキストの表示に切り替わった。



 ○ルール・機能・解除条件



まず最上部のタブに3つの言葉が記載されている。
どうやらこのタブの切り替えは左右のボタン、スクロールはタッチパネルで行うようだ。
特に最後の「解除条件」という文字が気になった。解除、というのは首輪のことだろうか?
必要条件を満たすことができればこの忌まわしい首輪を外すことが出来るというのか? 急ぎ画面を切り替える。  



『貴方の首輪を外す条件』 
『4:他のプレイヤーの首輪を3つ取得する。手段は問わない。
   首を切り取っても良いし、解除の条件を満たして外すのを待っても良い。』



(――な)

圭介は愕然とした。
記載されていた情報は確かに圭介の望んだものであったが、その内容は予想を遥かに上回る陰惨なものだった。

首を、切り取る? 例えばあの死体の首を切り飛ばして、首輪を取得しろというのか? 
それほどに酷たらしい惨劇と引き換えにしか、この首輪は外せないというのか?

「圭介くん、PDAの使い方は問題ない?」
「――え? あ、はい。OKです」

乃得留の声が圭介を現実へと引き戻す。慌てて解除条件のページを切り替え、返事をした。
あとはタブの上に幾つかの機能アイコンがあるが、これもタッチパネルで操作できそうだ。一先ずは問題ない。

「よかった。他のみんなも――大丈夫ね? それじゃあ、『ルール』のタブを開いて頂戴。最初の二つを、まず私が読み上げるわ」

誰一人異論は無い。乃得留は一度小さく咳払いすると、よく通る声で「ルール」条項を読み上げていった。



『ルール』
『① 参加者には特別製の首輪が付けられている。
   それぞれのPDAに書かれた条件を満たした状態で
   首輪のコネクタにPDAを読み込ませれば外す事ができる。
   条件を満たさない状況でPDAを読み込ませると首輪が作動し
   15秒間の警告音を発した後、建物の警備システムと連携して着用者を殺す。
   一度作動した首輪を止める方法は存在しない。』


『② 参加者には①~⑨のルールが4つずつ教えられる。
   与えられる情報はルール①と②と、残りの③~⑨から2つずつ。
   およそ5、6人でルールを持ち寄れば全てのルールが判明する。』



「――と、ここまでが各々のPDAに記載されている共通のものみたい。残りの7つはそれぞれ違うみたいね。
 そこでここからは、もし記載されている人がいたら挙手して読み上げてもらえないかしら? ――ああ、それ以外のことは話さなくて結構。
 今後の方針に関わってくるので、例えば自分のカード番号とかは、決して口にしたりしないように。とりあえず③は私のPDAにはないわ」

「あ、この大門さんのPDAに書かれてます。③は俺が読み上げます」

圭介は手を挙げ、乃得留の後を継いだ。
あまりでしゃばりたくはなかったのだがこの「ルール」はこの先絶対必須なものになりそうだ。
まして圭介のPDAは今手元には無い。肝心な事を聞き漏らせば後に相当な苦労が待ち受けていることだろう。

全員一致で「ルール」の確認を行う。そういった流れを今は何としても作っておきたかった。

「待て、鳴神。PDAに抜けのあるルールを書き留めておきたい。少しだけ時間をくれ」

その前に楯岡が待ったをかける。圭介の沈黙を了承と受け取ったのか、足元に置いていたバッグからノートとペンを取り出した。

「あ、じゃあわたし、手伝います」

美雪が圭介の後ろから一歩、楯岡の方に進み出た。

「――手伝う?」
「はい。全部で7人分――必要ですよね? すみませんがノートのページを6枚分、ちぎってわたしに下さいませんか? 
 楯岡さん以外のものをわたしが引き受けます」
「ありがとう、美雪ちゃん。助かるわ」
「――」

その無言の中で、楯岡が何を考えたのか。サングラスで表情が隠されていて読み取ることはできない。
だが程なくノートの最後のページを幾つか纏めて掴み、勢い良く破り捨て、ペンと一緒に美雪に投げて寄越した。

「え、と――それじゃあ改めて」

圭介が③のルールを読み上げ始めた。
その後も情報の共有は順調に行われた。
幸いなことにこの場に現存する5台のPDAで、⑨までのルールを漏れなく補うことができた。

ここまでのルールは以下の通りである。



『③ PDAは全部で13台存在する。
   13台にはそれぞれ異なる解除条件が書き込まれており、
   ゲーム開始時に参加者に1台ずつ配られている。
   この時のPDAに書かれているものがルール①で言う条件にあたる。
   他人のカードを奪っても良いが、そのカードに書かれた条件で
   首輪を外すことは不可能で、読み込ませると首輪が作動し着用者は死ぬ。
   あくまで初期に配布されたもので実行されなければならない。』


『④ 最初に配られる通常のPDAに加えて、
   1台ジョーカーが存在している。
   これは通常のPDAとは別に、参加者のうち1名に
   ランダムに配布される。
   ジョーカーはいわゆるワイルドカードで、トランプの機能を
   他の13種のカード全てとそっくりに偽装する機能を持っている。
   制限時間などは無く、何度でも別のカードに変えることが可能だが、
   一度使うと1時間絵柄を変えることが出来ない。
   さらにこのPDAでコネクトして判定をすり抜けることは出来ず、
   また、解除条件にPDAの収集や破壊があった場合にも
   このPDAでは条件を満たすことが出来ない。』



(――うわ)

明かされていくルールとは別の出来事で、圭介は驚きを隠せなかった。
美雪が何故、他のメンバーの分までルールの書き取りを引き受けたのか、その理由がはっきりとわかったのだ。

都合6人分。
しかも誰のPDAにどのルールが記載されているのか判別できないので③から先は全部を書き留める必要がある。
しかも自分だけが理解できればいい代物ではなく他人に提出する関係上、中途半端な文章構成は許されない。

その膨大で繊細なテキストが、美雪の手によって瞬く間に出来上がっていく。

速記術、という技能なのだろうか。該当者がルールを読み終わってからほんの数秒で一人分の記述が終わっている。
別に急かす理由があるわけではなく、残りの人数分は全ての説明が終わった後に最初に仕上げたものを書き写せばいい。

にもかかわらず――楯岡が自分用の記載のために進行を止めている間に、何と美雪は既に全員分のルール条項を仕上げてしまっていた。



『⑤ 侵入禁止エリアが存在する。初期では屋外のみ。
   侵入禁止エリアへ侵入すると首輪が警告を発し、
   その警告を無視すると首輪が作動し警備システムに殺される。
   また、2日目になると侵入禁止エリアが1階から
   上のフロアに向かって広がり始め、最終的には館の全域が
   侵入禁止エリアとなる。』


『⑥ 開始から3日と1時間が過ぎた時点で
   生存している人間を全て勝利者とし20億円の賞金を山分けする。』


『⑦ 指定された戦闘禁止エリアの中で誰かが攻撃した場合、首輪が作動する。』


『⑧ 開始から6時間以内は全域を戦闘禁止とする。
   違反した場合、首輪が作動する。正当防衛は除外する。』



「それじゃあ、次が最後の⑨。これは私のPDAから。これは、全員分の解除条件ね」



『⑨ カードの種類は以下の13通り。

  A:クイーンのPDAの所持者を殺害する。手段は問わない。
  2:JOKERのPDAの破壊。
    またPDAの特殊効果で半径で1メートル以内では
    JOKERの偽装機能は無効化されて初期化される。
  3:3名以上の殺害。首輪の作動によるものは含まない。
  4:他のプレイヤーの首輪を3つ取得する。手段は問わない。
    首を切り取っても良いし、解除の条件を満たして外すのを待っても良い。
  5:館全域にある24個のチェックポイントを全て通過する。
    なお、このPDAにだけ地図に回るべきチェックポイントが全て記載されている。
  6:JOKERの機能が5回以上使用されている。
    自分でやる必要は無い。近くで行われる必要も無い。
  7:開始から6時間目以降にプレイヤー全員との遭遇。死亡している場合は免除。
  8:自分のPDAの半径5メートル以内でPDAを正確に5台破壊する。
    手段は問わない。6つ以上破壊した場合には首輪が作動して死ぬ。
  9:自分以外の全プレイヤーの死亡。手段は問わない。
 10:5個の首輪が作動しており、5個目の作動が
    2日と23時間の時点よりも前で起こっていること。
  J:「ゲーム」の開始から24時間以上行動を共にした人間が
    2日と23時間時点で生存している。
  Q:2日と23時間の生存。
  K:PDAを5台枚以上収集する。手段は問わない。』




(何だ――これは)

美雪の手によって書き上がり配布されたルール一覧に、圭介は言葉を失った。

まず屋外が侵入禁止エリア。
仮に出口を発見したとして、一歩でも建物の外に踏み出せば、その時点でルール違反。全自動に抹殺されることになる。
ここまで完璧なシステムが構築されているというのなら、なるほど自分たちを拘束しておく必要は無い。
それどころか圭介の当初の目論見は、これで完全に打破された。
危険と隣り合わせ、どころではない。屋外への脱出は地獄への片道切符そのものだ。

そして73時間を経過した時点で首輪をつけたままであれば、建物全域まで拡大された侵入禁止エリアにひっかかりこれまた抹殺。
逃げても死、おとなしくしていても死。助かりたくば何としてでも首輪を外さなければならない。

とはいえそんな簡単に外せるものであればわざわざ誘拐した意味が無い――と、思いきや解除条件はきっちりと明記されている。

なぜだ? わざわざ生存の抜け道を用意して、犯人たちに何の得が有るというのだ?

これでは、まるで――


「――何だか、ゲームのルールみたいですね、これ」

圭介の思考を読み取ったかのように、美雪がぽつりと呟いた。

「そう、だね」

作り笑いを浮かべて無難に相槌を打つのが精一杯だった。




 ゲーム開始より2時間13分経過/残り70時間47分


【プレイヤーカード:開示】
・「4」:大門三四郎



[21380] EPISODE-5
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/08/23 22:04
「そう、だね」

作り笑いを浮かべて無難に相槌を打つのが精一杯だった。
そう。まるでこれはゲームだ。
時間と行動範囲を制限され、その中で条件を達成してみせる。自分たちはそんなゲームのプレイヤーだ。

成る程、合点がいった。
大門と遭遇した時点で浮かんだ疑問。相互に繋がりの無い多人数を拉致した理由。

それは、このためだ。この「ゲーム」を開催するにあたり、13名の「参加者」が必要だったのだ。

馬鹿げた結論。我ながらそう思う。
だが複雑な分岐や壁に埋め込まれた警備システムと呼ばれる自動銃器。
そんなものをわざわざ組み込んだ巨大な施設を「彼ら」は建築している。
全てはおそらくこの「ゲーム」のために。

そしてこの「ゲーム」を最も遊戯じみたものにさせているのが、13人の参加者に設定されたそれぞれの解除条件。
その種類はさまざまで、難易度の格差も激しい。
オリエンテーリングじみた簡易な条件のものから、「皆殺し」が条件のものまである。 

「でも、この『死亡』とか『殺害』ってのの扱いがわからないんだよなあ。
 あれかな、『まいった』でもすれば死んだことになるのかな?」

この期に及んで大門はまだそんなことを言っている。
美雪の「ゲームみたい」という発言に気が軽くなったのか。
それともあまりに簡単に物騒な単語が羅列しているせいなのか。
ルールに違反すれば命の危険に関わることまでは解っていても、その先にまで考えが及ばないらしい。

死亡も殺害もおそらくそのままの意味だ。

例えば「3」のカードを持つ者は、自分の命を守るために3人の命を犠牲にしなければならない。
他にも殺人が直接明記されてはいないが、もしかすると禁を犯さねば達成できないのではないかと思われる条件も存在する。

助かりたくば、人殺しをしてでも条件を達成せよ。
自分の命と他人の命を天秤に掛けよ――「彼ら」はそう言っているのだ。

とんでもないことに巻き込まれてしまった。これが現実だとは、俄かに受け入れ難い。

だけど。これは紛れも無く夢ではない。圭介ははっきりと認識している。

――泣こうが喚こうが目の前の今が俺にとっての真実だ。
――悪ふざけや冗談で茶化すことはあっても、俺はもう二度と逃げ出さない。
――現実から目は逸らさない。あの時、そう誓ったのだから。

負けてたまるか――圭介は腹に力を入れて、折れそうな背中を何とか立て直す。

気を取り直し、他のメンバーの様子を観察する。
一様にルール一覧に視線を落としたまま、誰一人として口を開かない。
それぞれが、どれほどに事態の深刻さを受け止めているのか。
今の状態でははっきりとはわからない。

「――酷い話だわ、まったく。人の命を何だと思っているのかしら」

肩を落としながらも声を発したのは、やはりここまでリーダーシップを執っていた乃得留だった。
これまでの彼女の仕切りからして、どうやらこの異常な「ゲーム」の信憑性を圭介よりも先に真摯に受け止めていたようだ。

「とは言え逃げることも隠れることも出来ないんじゃ今のところはどうしようもないわね。
 一先ずはこのルールに従う他はないわ」
「へえ、ルールに従う、か。ならここにいる俺たちで、殺し合うっきゃねえってことかよ」

木戸が深く唸るような声で乃得留を威嚇する。
先程までの軽快な憎まれ口は今や見る影も無い。

「殺し合う? 冗談じゃないわよ。だってそんなこと、する必要無いじゃない」

だが意外にも乃得留はあっさりとゲームの根本を否定した。

どういうことだ? 解除条件も含めてのルールのはずだ。
それに従うというのなら、それは命の奪い合いに参加する、ということではないのか?
まさか所詮は彼女も口だけで、愚かにも事態を楽観視しているというのか?

「はいはい圭介くん、そんな怖い顔しない。心配しなくても、私はちゃんと理解してるわよ」
「――俺、別に何も言ってませんよ」

だが図星だった。
美雪の速記術と同様に、乃得留には読心術の心得でもあるのだろうか。

「よく聞いて。確かに13種類の解除条件は物騒なものばかり。
 命綱のPDAを奪われたり破壊されたりしたらその時点で首輪は解除できないし、
 首輪が安全な手段で取得できなければそれこそ首を切り取る以外に集める方法は無いかもしれない」

その通り。大門の解除条件はそういった意味合いのものであるし、
「8」、「10」、「K」の条件はそのまま5人の殺害と同意だ。
殺人がそのまま明記されているものは言わずもがな。
ほぼ半数が誰かを殺さねば生きられない以上、狙われる側も応戦せねばならない。

これが命の奪い合いでなくて、何だと言うのだ。

「でもね、これはわざと物騒な言葉を並べて、私たちを『殺し合うしか助かる方法はない』と思わせたいだけなのよ。
 こういうの――ええと、何て言ったかしら。ミス――」

「ミスディレクション」
「MISDIRECTION、ですね」

圭介と美雪が同時に答えた。

「そう、それ」

ミスディレクション――手品のテクニックの一つだ。
特定の動作や場所を隠すため、わざと別のものを注目させる。

例えば右手を大仰に突き出せば、そこに何かあるのではないかと観客は注目する。
その隙を縫って左手で秘密の動作を行うのだ。
言葉にすればこれほど単純なことはない。
だが一流のミスディレクションは、真の動作を決して悟らせることはない。
ゆえに観客は奇跡を目の当たりにしたような錯覚を受け、魔術に魅了されるのだ。

「情報操作による思考の誘導。わざわざ全員分の解除条件を公開している理由は私たちを争いの方向へ導くためよ。
 『誰かが自分の命を狙っているんじゃないか? だったら協力なんてとても出来ない――』ってね。
 でも、本当にそうかしら? 私はそうは思わない。私のPDAには最初から⑨が書かれていたから、みんなよりも長い時間、
 解除条件について考えることができた。そして出た結論はズバリ、『協力した方が遥かにリスクは少ない』、よ」

「そう――なんですか?」

乃得留の右隣に腰掛けていた古谷小枝子が、初めて反応した。
依然顔色は蒼白のままだが会話に参加するくらいには回復したようだ。

乃得留は意思を持ってはっきりと頷くとルールの⑨を指差す。

「順を追って説明するわ。
 ポイントは、『それぞれの解除条件を達成するために何が必要であるか』、ということ。
 この点をしっかりと考えれば自ずと答えは出るの。
 まずは『首輪の解除のために自力での達成が見込まれ、かつ他人に危害を加える必要もないもの』。これが――『5』と『Q』」

「5」の解除条件はチェックポイントの制覇。
「Q」は71時間の生存。
なるほどこの2枚のカードにおいては争いの必要性は無く、
逆に信頼できるという確信があれば協力者はできるだけ多い方がいい。

「次に『首輪の解除のために他人の「協力」が必要不可欠なもの』。これは『J』ね」

「J」は1日以上行動を共にした人間と、71時間一緒に生存しなければならない。
相棒となるべき人間が必要であることに疑いは無い。

「――となると、『J』と『Q』が一緒に協力できるのがベスト、ということですか」
「そうね。そうなれば、お互いを裏切る理由が無いもの」

規定の時間まで生き延びなければならない「Q」と生かし続けなければならない「J」。
条件はぴたり綺麗に一致する。
確かにここまでの条件に該当する人物は、協力関係を結ぶ方が生き延びるには遥かに得策だ。

だが問題はここからなのだ。
残りの10枚のカードは他人の解除条件を阻害せねば解除は成り立たない。
それこそが協力に難色を示す原因であるのだ。

この難題に対して、乃得留は如何な解答を持って安全な結論を出したというのだろうか。
圭介たちはただ黙って演説の続きを見守る。

「ここからは分類ではなく一つ一つ問題点を解析していくわ。さし当たって簡単なものは――『K』、かしら?」

「え? 『K』? それはおかしくないですか?」
「あら、どうして? 圭介くん」
「だって、『K』の解除条件は他人のPDAを5つ収集することですよ?」

乃得留の仮説の前提は協力であるから、この場合は「K」の所持者に対して譲渡、という形になる。
だがPDAはいわば自身の首輪の鍵。
それを差し出す、ということは即ち命を投げ捨てると同意ではないのか?

「鳴神くん。『K』は解除が成功すればPDAは返してあげられるんです」
「え? あ――そうか!」

美雪が解答を示してくれた。
そうなのだ。「K」の条件はあくまで「収集」のみ。
条件を達成すればその時点で集めたPDAは不必要となる。
あとは元の所持者に速やかに返却すればいいだけの話ではないか。

「いや――待て待て。でも一つ問題点があるぞ。そのPDAが無事に返ってくる保証はあるのか?
 何せ生存者は20億円を分配だ。
 自分の命が助かったと決まれば欲が出て借り受けたPDAを破壊したりするんじゃないのか? 『K』は」

未達成の状態で気安くPDAを一時譲渡し、破壊される。
そうすればゲームオーバーだ。
5つのPDAを同時に破壊されれば5人の命が失われる。
その危険性を考えれば誰も「K」の解除に協力しようとは思わないのではないか?

「――かも、しれないわね。でも圭介くん、よく考えてみて? 
 『K』が条件達成後にその凶行に及んだ瞬間、5人以上の敵を作ることになるのよ?」

「――なるほど」

命綱のPDAを貸し出す以上は返却が前提で、目の前での解除が望まれるのは必然。
そんな状況下で邪な行動を起こせばたちまち制裁が加えられるのもまた必然。

「K」の立場を簡単に纏めてみる。
条件達成のために「強奪」という手段を取れば5人のプレイヤーを敵に回すことになる。
無害を装い「詐術」を使えば解除は出来ても生存が絶望的。
対して「協力」であればまったくのノーリスク。

不思議なものだ。まさか解釈の仕方一つでこうも身の振り方が反転してしまうとは。

「――王は決して、暴君であってはならない。ってとこですかね」

「ふふ、上手い事言うわね。
 あ、ちなみに『K』は圭介くんたちがPDAを持ってきてくれれば今のメンバーでも解除は可能だから。
 もしこの中に所有者がいるのであればすぐにでも解除できるから申し出た方がいいわよ?
 尤も――駆け引きの関係上、戦闘禁止エリア解除の後、ってことになるけど」

そうでなければPDAを破壊されてもルールの⑧に抵触し、取り押さえることができない。
乃得留のロジックはどこまでも慎重で、完璧だった。

「名乗り出る人は――いない、か。まあ、いいわ。じゃあ次、『2』と『6』。
 これはお察しの通り、JOKERさえあれば解除は簡単よ」

「2」の条件はJOKERの破壊で、「6」はJOKERの5回以上の使用。

「簡単とは言うが、使い方次第で強力な武器となるJOKERを所有者がおいそれと差し出してくると思うか?」
「だって協力するんだもの。人を騙す以外に使い道のないJOKERなんて隠しても仕方が無いじゃない。
 もちろん『6』を解除してからJOKERを破壊するのが絶対条件よ」

楯岡の発言を乃得留はばっさりと斬り捨てる。

「さて、ここまでで合計6つのカードの条件達成の安全性が確保されたわ。この先は方程式よ」

――なるほど、方程式、か。
さすがに圭介にも理解できた。
ここからは「解除が成功したプレイヤーがいる」という前提で話が進んでいくのだ。

「な、なあ、鳴神くん。
 ボクは頭が悪いからノエルさんの言いたいことがいまいち理解できないんだが――方程式って何なんだ?」

大門が背中を丸くして乃得留に聞こえないように小声で囁く。
その渋面からしてどうやら早い段階で話についていけず混乱を来しているらしい。

やれやれ、と圭介は肩を竦めて美雪に目配せした。
先程からその片鱗を見せ始めている聡明な少女は圭介の意図を即座に見抜き、大門にそっと耳打ちした。

次は、大門さんの番ですよ、と。

「じゃあ、次は『4』ですね」
「はい、ご名答。生憎『5』、『J』、『Q』は解除に時間がかかってしまうけれど、
 『2』、『6』、『K』は早い段階での解除が見込まれるわ。
 そうなると――私たちの手元には、3つの首輪があることになるわね?」

あ、と大門が驚きの声を上げた。
今、圭介たちが3人で覗き込んでいる大門のPDAのカードこそが、「4」なのだ。

他のプレイヤーの首輪を3つ所得。
その後の首切りの補足説明によって無駄な恐怖を煽っていた解除条件。

だがそれも乃得留の思惑通りなら、こんなにも簡単に解除が可能なのだ。

先程の「方程式」という言葉を借りるならばさしずめ「『2』+『6』+『K』=『4』」というところだろうか。

「これで『4』も解除完了。『首を切り取る』なんて非人道的な手段を取らずともまったく問題無いってこと。
 そして首輪を外せた以上、今度はその鍵である個人個人のPDAすらも不要であるから――」
「――誰にも不幸な影響を与えることなく、『8』の条件を満たすことが可能、というわけですか」

「8」の条件はPDAをきっちり5つ破壊すること。
収集のみが解除条件である「K」とは違い、「8」は解除後の返却すらままならない。

だがその役目を果たした後のPDAであるならば、破壊に何の障害も無い。

「2」、「4」、「6」、「K」、そして「5」、「J」、「Q」のいずれか。
このうち5つの解除の達成を待って後に破壊行動を行えばいいのだ。

「あとは外れた首輪を5つ作動させれば『10』だって解除できるし、
 協力者が多ければ全員遭遇が条件の『7』の解除だって容易いものだわ。
 どうかしら? 長々と喋ってしまったけど、これが私のプランの全容よ。
 『戦うことに意味は無い』ってわかってもらえた?」
「うーん、すごいな、ノエルさんは!」

まるで拍手でもしそうな勢いで大門が感心の意を示した。


だが――そんな風に納得の表情を見せたのは彼一人だけだった。


「おい待て、ノエル」


忙しなくPDAをいじくっていた木戸が顔を上げ、乃得留を睨み付けた。

「――何かしら?」
「何かしら、じゃねえだろ。まだあと3つ――残ってるだろーが」

彼の顔色が蒼白となっていたのは決して照明の加減のせいではないだろう。

そうなのだ。乃得留が条件の解析を行ったのはここまで全部で10。カードの種類は13種。

木戸の言うとおりあと3つ、「A」、「3」、「9」の安全な解除方法については言及されていない。
しかもこの3種こそが全ての条件の中でも指折りの苛烈な解除条件なのだ。

それでもここまで考えも及ばなかったルールに潜む安全性を開示してきた彼女なら或いは――
と希望の篭った全員の眼差しが乃得留に集まる。

だが次の瞬間、


「残り3つの安全な解除方法は――今のところ、無いわ」


彼女とて万能の存在ではない、ということを皆が思い知ることになった。


「『A』、『3』、『9』は条件に殺害や死亡が含まれている完全なるキラーカードよ。ルールに沿う以上は、どうしたって犠牲は免れない」


「A」の条件は「Q」の所持者の殺害。
「3」は3人以上のプレイヤーの殺害。
「9」にいたっては自分以外の全員の死亡が条件となる。

今までのカードの条件は巧みに言葉の裏を取ることでその危険性を回避できた。
だがこの3種においては完全に逃げ場は無いのだ。

「おいおい、そんな不完全な持論で講釈ぶったれてくれたのかよ! なぁにが『殺し合う必要は無い』、だよ偉そうに!」

ここぞとばかりに木戸は乃得留を責め上げる。
だが先程までの皮肉交じりの高慢な態度とは違い、言葉の端々に怯えにも似た感情が窺えた。

もしかして木戸のカードは――彼がなぜこうも乃得留に噛み付いてくるのか、その理由がわかった気がした。

「――その前提を撤回するつもりはないわ。生憎ね」

乃得留の表情に若干の影が差したがそれでも木戸の辛辣な視線を受け止め、一歩も退かない。

「もしも、私の案を理解してもらえるなら、13人のプレイヤー中、10人の大勢力が出来上がることになるわ。
 逆に残りの3人は手を組むわけにはいかない。『3』と『9』は互いに殺害対象だもの。
 となると――たった独りでこの人数を相手取れる?」

(な――)
「なん、だと――ノエル、まさか、てめぇ――」
「そうよ」

乃得留の発想には驚かされるばかりだった。だが今回は格別だった。

何という悪魔的発想なのか。彼女の言う「殺し合う必要が無い」とは。
決して「そんなことをしなくても無事に帰れる」という意味だけでなく。


「私は別に、『全員の命を助けたい』、なんて聖人ぶるつもりは無いわ」


キラーカードを持つ者には「戦っても負けるだけだから諦めろ」という意味まで含まれていたのだ――



「このくそアマっ! ぶっ殺してやるっ!」
「よせ木戸、まだ戦闘禁止エリアが解かれていない、ここで暴れると警備システムが発動するぞ!」
「くっ――」

楯岡の制止で木戸は心底悔しそうに唇を噛む。

「ああ、付け加えるなら『ルールに沿って安全に解除する方法は今のところ無い』ってところかしら。
 もし3種のカードを引き当てていても、大人しく告白して拘束されることを承諾すれば、
 余った時間で別のアプローチで首輪を外す手段を考えてあげられるわ。
 例えば、ワイヤーカッターか何かで物理的に首輪を切断する、とか」

気休めにもならなかった。そんなことが可能であるならば、この「ゲーム」はとても成り立つものではない。

「くそがっ!!」

木戸は足元の木箱を蹴り上げた。
誰もいない方向に向けて戦闘行動と取られないようにという計らいはまだ彼の中に残っていたらしい。
そのまま足早に出口へと向かう。

「ちょっと、何処に行くつもり?」
「うっせえ! こんなバカどもとこれ以上一緒にいられるかってんだっ!」

「――いいの? 今の状況でこの場を去るってことは『自分がキラーカードを引き当てました』って告白してるようなものなんだけど」
「けっ! こんだけバカ騒ぎしてりゃもうバレバレだろーが――おいノエル、覚悟しとけよ。
 ここまで俺をコケにしたんだ。もし戦闘禁止エリアが解除されてまた俺と出会って、無事で済むと思うな――
 せいぜい怯えて逃げ回るこったなっ!!」



乱暴に扉を閉める音がして。
木戸亮太は圭介たちの前から姿を消した。



そしてややあって。

「――あ」
「! ノエルさんっ!」

糸が切れたように乃得留の身体がその場に崩れ落ちた。





 ゲーム開始より2時間50分経過/残り70時間10分



[21380] EPISODE-6
Name: でしお◆ff3c50cd ID:912e8347
Date: 2010/08/27 23:52
「! ノエルさんっ!」

慌てて小枝子が支えようとするが、彼女の細腕では完全に抱き止めるに至らない。
二人纏めて床に倒れそうになるところをたまらず圭介が飛び出し、二人の背中を両腕で押した。
勢いで2、3歩たたらを踏むが何とか寸前で大惨事を食い止めることができた。

「――大丈夫ですか」
「ありがとう圭介くん、小枝子さん。大丈夫――大丈夫よ」

力無く微笑みを浮かべて見せる乃得留。
おそらく今までの一言一言が心身に負担をかけていたのだろう。
それが木戸の離脱によって一気に噴き出してしまった、というところなのだろうか。

「でもノエルさん、さっきの言い方はあまり感心しないな。
 あんな売り言葉に買い言葉じゃあ――木戸君が怒って出て行ってしまうのも無理は無いよ」
「どの道、キラーカードの所持者とは協力関係は結べませんから。
 下手に希望を持たせたくなかったんです」

床に腰を落ち着けながら、乃得留は静かに呟く。

「しかし、あれでは木戸くんが可哀想だ」
「わかってます。短い間でしたけど、私も一緒に行動した間柄ですから。
 できればここにいる全員で生還できれば、と思っていたのだけれど――やっぱり、ショックだわ」

木戸は確かに横柄で不遜な態度の持ち主だった。
だがその報いがカードに表れたわけではないはずだ。
彼もまた自分たち同様、この「ゲーム」に巻き込まれてしまっただけの哀れな被害者なのだ。

乃得留もそれをわかっている。
だが彼女の「理想」のためには、今のままでは木戸は切り捨てなければならない。
それは乃得留にとって、どれほど苦渋の決断であったか。
今の彼女の状態が何よりも物語っていた。

「波多島。疲れているところ悪いがまだ問題点が残っている。それをはっきりとさせておきたい」

楯岡が抑揚の無い声を、乃得留に向かって投げかける。

「――何かしら?」

「JOKERの存在だ。ルールによれば、他のPDAとそっくりに偽装できる特殊なPDAが13種以外に存在するらしい。
 木戸はあっさりと自分のカードが危険なものだと認めたが、
 このJOKERがあればお前の言うキラーカードを別のPDAに偽装して非戦同盟に潜り込み、中から食い破ることができる。
 所持してない者も、JOKERの存在が気になって疑心暗鬼を起こすのではないか?
 そうなると協力関係を結ぶのは困難に思えるのだが」

成る程、着眼点は悪くない。むしろそのJOKERなるワイルドカードは、そのために用意されたものであろう。

例えば「3」の持ち主がJOKERでPDAを「5」に偽装し、他の安全なカード所持者に同盟を持ちかける。
「5」の解除は他人を危険に晒すものではないので、おそらくその申し出は承諾されるであろう。
そうして信頼させておいて、油断したところを殺害する。この危険性を楯岡は危惧しているのだ。
さらにその不信が蔓延すれば提示されたPDAにすら確証が持てなくなり、
結果的に乃得留の計画も暗礁に乗り上げる可能性がある。

「確かに、JOKERの存在は脅威ね。でも、偽装なんてそう簡単に出来るものなのかしら?」

どうやら乃得留はこの楯岡の疑問もまた想定していたらしい。
さして考える素振りも見せず、はっきりとした視線を楯岡に返す。

「ほう――聞かせてくれ」

「まずJOKERによってPDAを偽装しなければいけない状況。
 それはさっき楯岡さんが言った通りの状況よ。
 つまりは『キラーカードの所持者が自分は安全だと思わせたい』状況、
 協力関係を偽ってだまし討ちを画策している場合ね。
 さて――今まさに、その該当者がここにやってきたとしましょうか。
 さて、その人はいったい何のPDAに偽装するのかしら?」

乃得留は楯岡だけでなく、圭介と美雪にも視線を向ける。
それをある種の挑戦と受け取り、圭介は真剣に思考を巡らせる。

「そう、ですね――できるだけ安全なカードでないと信用は得られないでしょうから」

まさか「3」の所持者が「9」に偽装するなどバカなことはするまい。
かといって先程安全性が解明された「8」や「K」ではいささか説得力に欠ける。

「『2』、『5』、『6』、『7』――あとは『J』、『Q』あたりかな?」
「鳴神くん、『Q』は除外していいと思います」
「え? なんで?」
「『Q』は『A』に無駄に狙われる可能性があるからです」
「あ、そっか」

「まあ、そんなところかしらね。じゃあ仮に――『2』に偽装したとしましょう。
 果たしてその偽装は成立するのかしら?」
「え? それは――成立するんじゃないんですか?」

「2」は別段危険な解除条件のPDAではない。特に協力に問題があるようには見えないのだが。

「なるほど、そういうことか」
「そうですね――偽装は難しいように思えます」
「あ、あれ?」

ところが楯岡と美雪の答えは成立せず、だった。

「――どういうことです?」
乃得留が悪戯っぽい笑みを浮かべているところを見るに、どうやら二人の方が正解らしい。

「圭介くん、残念ながら一つ見落としがあるわ。今ここに6人いるわけだけど――
 その中で君が知っているカードは大門さんのものだけでしょ?」
「え? あ、そうか!」

現在圭介が把握している現在のメンバーのカードは今手元にある大門の「4」のみ。
しかし他の4人のPDAは未だ公開されていないので謎のままだ。となると。

「もしかしたらこっちに本物の『2』がある可能性があるのか!」

例えば乃得留が伏せているカードが本物の「2」であったとする。
だがそこにもう一枚の「2」の持ち主が現れれば。
その時点でJOKERによる偽装の目論見が白日の元に晒されてしまうのだ。

「そういうこと。安易に無難なPDAに偽装しても、相手のカードがわからなければ完全な偽装は成立しないのよ」
「なるほどねえ――あ、でも裏を返せば相手のカードを全て知っていれば偽装は成立するってことですよね」
「その通り。だからこそ私たちはできるだけ早く、より多くの参加者で協力関係を築かなければならない。
 仲間になってくれた人たちの中にJOKER所持者がいればまず問題無し。
 今後偽装の脅威をまったく考えなくていいし、『2』、『6』の解除も速やかに行える。
 もし所持者がいなくても、まだ見ぬ所持者に偽装を躊躇わせるには十分だわ」

6人いればそこには6種のカード。
しかも協力しているということになれば危険なカードは含まれていない、ということだから、
JOKER偽装に適したカードがその集団に集結している可能性が高い。
そうなればますます偽装は困難なものとなる。

「ふーむ。なんだかどんどん難しい話になってきたな。古谷さん、どうです?」
「――大よそは。騙される心配はあまりない、といったところでしょうか」
「そうですか。頭の悪いボクにはさっぱりですよ、はは」

いつの間にか大門が小枝子の隣に場所を移動していた。
先程からの細かな反応から見て、どうも大門は小枝子に対して思うところがあるらしい。

「私から説明できることはこれで全部よ。さて――」

改めて乃得留が全員をぐるりと見渡す。

「以上の事を踏まえた上で。
 圭介くんと美雪ちゃん以外の方に、私に協力できるか否かの判断を下してもらいます。
 二人は悪いけど自分のPDAのカードが判明してから、ね」
「――わかりました」

自身のカードが不明のままでは安易な約束は取り付けられない。
キラーカードの所持者は本人の意思に関わり無く同盟から弾き出されるのは、
今までの説明と先程の木戸の件が示しているからだ。

正直、酷な言動だと思う。
だが根拠の無い正義感で諭されるよりは余程に圭介には納得が行った。

「協力の証明はもちろん正しいカードの提示。
 ただ、単純に見せるだけではJOKERの偽装が成立する条件を生み出してしまう可能性がある」

一瞬圭介は乃得留の言葉の意味がわからなかったがすぐに解答にたどり着く。

例えば乃得留、大門、小枝子の順で全員にPDAのカードが提示される。
そしてそれが安全なカードだったとする。
しかし残りの楯岡がJOKERとキラーカードの所持者だったとして。
するとJOKER偽装が成立する条件、「相手のカードを全て知っている」状況になってしまうのだ。

女性二人を含む3人では本気で殺意を持った相手に対抗するにはやや不安が残る。
返り討ちのリスクをJOER使用者に躊躇わせるにはまだまだ人数が足りない。
乃得留の危惧はそんなところであろう。

「なので、今から協力を申し出てくれる人には一種の『手続き』を取ってもらうことになるわ。
 まず私のカードは――これ」

そう言って乃得留は自分のPDAを表にして目の高さに掲げた。
その絵柄は――スペードの「10」。

「条件は、5個の首輪の作動。でも私には5人の命を奪うことなんてとても出来ない。
 そんな凶行に及んで条件を成立させようとしても、その前に危険な相手とみなされて逆に殺されてしまうわ。
 だから『外れた首輪を作動させる』方が遥かに安全だと考えたわけ。
 これが私がみんなと協力関係を結びたい一番の理由よ」

ともすれば相手に恐怖を与えかねない、キラーカードに近しい性質を持つ「10」。
だがそんなカードを与えられてなお、乃得留は協力して欲しいと提言した。
5人を殺して条件を達成するのではなく、5人の命を救って自らも救われたいのだと。

彼女のカードが本物であるかどうか。それを今、判別する方法は無い。
だがあまり偽装しても意味の無い「10」であること、
自分以外のこの場にいる5人のカードが不明のままに自分のカードを明かしたこと。
以上の点において、乃得留が嘘を言っていないことはほぼ確実であると言えた。

「このカードの所持者であるから私が信用できないから協力できない、
 と言うならそれも結構。でも自分のカードがキラーカードでないならば、
 単独行での条件達成は難しいということはさっき説明した通りよ。さ、ここからが『手続き』になるわ」

PDAをポケットに戻し、乃得留は続ける。

「もし協力できる、という人は私にPDAのカードとJOKERの有無を『他の人にわからないように』教えて頂戴」

成程、上手い手だ、と圭介は感心した。

これなら先に動こうが後に動こうが協力者、残りのメンバー、
どちらもカードが不明となり常にJOKERの使用は躊躇われる状況が作り出せるからだ。

つまりこの「手続き」によって仲間になった人間は間違い無く安全なカードの所有者であるということ。
信頼できる協力者と言っていい。
しかしその逆。協力を拒む人間は、「手続き」を踏めない理由があるということ。
すなわちキラーカードの所持者であるということなのだ。

この「手続き」は協力の要請だけでなく、危険なカードの判別の意味も含まれている。
この中の誰かが、敵になる。それが今からわかってしまう。
そう気がついた圭介は思わず息を飲み込んだ。

「――鳴神くん。ボクのPDAを」

まず大門が静かに呟くと、圭介にその太い腕を差し出した。
圭介は無言で頷き彼のPDAを絵札の画面に戻し速やかに返却する。

「ノエルさん、ボクはもちろん協力させてもらうよ。っと――これでいいのかな?」

大門は乃得留に近づくと両手でPDAを包み隠すようにして彼女に見せた。
乃得留は画面を確認すると手招きで大門に顔を寄せるように促し、小声で一言二言言葉を交わす。
おそらくJOKERの確認だろう。

「はい、結構です。ありがとう大門さん。貴方のような人が協力してくれるのはとても心強いわ」

その言葉と微笑みは、心の底からのものだろう。
戦うつもりは無いとは言え、反抗に対して無抵抗を決め込むわけではない。
その際に大門の空手の達人という経歴は相手には脅威に、仲間には絶大な支えとなるであろうからだ。
乃得留もおそらく、この中の誰よりも大門のカードが何なのかが一番気になっていたのではないだろうか。

「それはボクも同じだよ。ボクにはルールは複雑でよくわからないし、PDAの操作だって満足にできやしない。
 だからノエルさんや鳴神くんたちのように頭の回転が速い人たちと協力できるのはとても頼もしいことだよ」

武道とは身体と共に、心も鍛えるものである、と。
大門はまさにそれを体現している人物だった。

もし自分が彼と同等の技と経歴を持っていたとしても、ここまで謙虚には振舞えない。
その点においては圭介にとって、大門三四郎という人物は賞賛に値する男性であった。

「もし君たちに出会っていなければ、ボクは本当に首輪をもぎ取ってでも3つ集めなければならなかった。
 そう思うと身震いするよ、はは」
――あとはこの思慮の浅ささえなければ完璧な人なのに。

圭介は呆れたようにため息をつき、乃得留もまた険しい顔で額に手を当てていた。

「――台無しよ、大門さん。せっかくカードを秘密にしているのにわざわざ条件をバラしちゃってどうするの」
「え、あっ! め、面目ない――」

「まあ、いいわ。どの道圭介くんたちにはバレてるわけだし、あまり影響は無いでしょう。他には――」
「あの――はい」

続けて手を上げたのはこの「ゲーム」の恐怖を最も体験している女性、古谷小枝子だった。
小枝子は大門と同じ徹を踏まないよう、最低限度の情報を乃得留に開示する。
それ以上は口を開かない。

「OKよ、小枝子さん。歓迎するわ」
「よかった。これで古谷さんも仲間なんだな!」

大門は乃得留よりも大仰に喜びを爆発させている。
その勢いに気圧されたのか小枝子は僅かに後ずさったが、やがて小さく宜しくお願いします、と呟いた。

「これで3人、ね。後は――」

圭介と美雪は現時点では「手続き」を踏むことは出来ない。
となると残るはあと一人。

全員の視線が一斉に楯岡に向けられる。
JOKER問題が解決して以降沈黙を保っていた楯岡は注目を浴びてなお微動だにしない。

「楯岡さん、貴方は――」

それ以上は乃得留も続けない。楯岡も反応を返さない。
静寂が訪れる。どれくらいの時間が過ぎただろうか。


やがて楯岡はゆっくりと歩を進め――息のかかりそうな距離まで乃得留に近づき、彼女の耳元で「手続き」を行った。




一瞬にして場の空気が弛緩した。
それぞれが、それぞれに。安堵の表情を浮かべていた。
今、ここにいる人間は何一つ縁の無い、先程までは他人同士だった者たちだ。
だけど、出会い、言葉を交わした。その瞬間に自分たちは他人ではなくなった。
そんな人たちと、敵対しないで済む。しかも命のやり取りを強制されたこの「ゲーム」で。
それはどれほどに喜ばしいことであろう。今の全員の反応が、それを如実に示していた。


だが、そんな雰囲気を打ち砕く言葉が次の瞬間告げられた。


「すまない。協力はするが、行動を共にすることはできない」


「え――」

抑揚の無い楯岡の声に、乃得留が愕然とした反応を示す。
完全に予想外の反応だったのだろう。

それもそのはず。
乃得留の理論によれば安全なカード所持者の単独行動にはデメリットしかないはずなのだ。
なのになぜ、楯岡は同行を拒否するのだろう? 
圭介にも彼の思惑が理解できないでいた。

「少しばかり、片付けておきたいことがある。そのためにはできるだけ身軽な方がいい」
「――それは、この場ではどうしても言えないことかしら?」

乃得留の口調が少しきついものに感じたのはおそらく圭介の気のせいではないだろう。

「そうだな。だがお前たちにとって決して不利益なものではない、とだけ言っておこう」
「信用、できないわ」
「そのために身の潔白を証明したつもりだ」

この場を離れると言うのなら楯岡が自分のカードを他人に明かす理由は無い。
だが彼は「手続き」を行った。つまりはそれが信用の証だと言いたいのであろう。

「――その用件が片付いたら私たちに合流する意思がある、と解釈してもいいのかしら?」

やがて、半ば諦めたように乃得留が呟いた。

「無論だ。もしかすれば協力者を増やして戻ってこれるやもしれん」

随分と都合のいい物言いだった。果たして彼は本気で言っているのか。
相変わらずサングラスに隠された表情は窺い知れない。

「わかったわ。気をつけて。もう一度――会えることを願っているわ」
「感謝する」

帽子を目深に被り直すと。
静かなる男、楯岡和志は足音までも静かに去って行った。





 ゲーム開始より3時間23分経過/残り69時間37分


【プレイヤーカード:開示】
・「10」:波多島乃得留






[21380] EPISODE-7
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/08/29 13:45
紆余曲折はあったものの、一先ず乃得留の提唱する「手続き」は終了した。

残ったのは大門三四郎と古谷小枝子。
二人は乃得留の案を好意的に受け止め彼女に協力、同行することになった。

木戸亮太とは完全に決別。
危険なカードを引き当てたことをあからさまに態度に出し、憤怒の形相で一行から離脱した。

そして楯岡和志は一旦は協力の意を示したものの、何やら個人の事情を優先し、同行を拒否した。


残るは二人。鳴神圭介と森下美雪。
だが彼らは協力の判断材料となるPDAを現在所持していない。
この「ゲーム」で生き残るために各々に割り当てられたPDAは無くてはならないものだ。
そのため圭介と美雪は、一度乃得留たちと離れ初期配置地点に戻ることを決意した。




「それじゃ、ちょっくら行ってきます」

勤めて軽く、勤めて明るく。
ぶらりと出かけるような素振りで圭介は宣言する。

「いってらっしゃい。気をつけて」
「寄り道とかして、あまり遅くなるんじゃないぞ。鳴神くん」

小枝子と大門が見送りの言葉をくれる。
ようやく小枝子も落ち着きを取り戻し、相応の表情を見せるようになった。
恐ろしい目に会ったものの、乃得留と大門という親身になってくれる協力者を得たことが大きいのだろう。

「圭介くん。お願い――ちゃんと戻ってきてね」

だが乃得留だけが。やや強張った面持ちでそう告げた。
無駄に深刻な雰囲気を作りたくはなかったので「その程度」の態度を示してみた。
だがやはり乃得留には通じなかったようだ。

「わかりました。必ず――必ず戻ってきます。その時は俺と結婚してください」

木戸と楯岡の続けざまの離脱で気丈な乃得留の胸の内にも不安が大きくなっている。
そんな彼女の緊張を和らげるために、くだらない冗談を投げかけてみた。
バカね、年上のお姉さんをからかうんじゃないわよ――乃得留は呆れたように肩を竦めて見せる。

そんな反応を期待したはずだった。ところが。


「な――ななななななっっ!! な、何をいきなり言い出すかな、キミわっっ!!」
「――へ?」


意外なことに。ものすごく意外なことに。
乃得留の顔は瞬く間に紅に染まり、明らかな狼狽の色を見せていた。

「い、いや――あの、ね? 気持ちはすごく嬉しいの。うん。
 で、でもね? ほら、私たち、まだ知り合って間が無いし、
 こういったことはもっとお互いをよく知ってからっていうかこんな場所でっていうか――
 いや待つ待つ待つ! これって世に聞く吊り橋効果ってやつじゃないの? 
 だったらダメよなおさらダメ――いやいや、でも、もしかしてそうじゃない?
 違う、違うの? 圭介くんはひょっとしてあのと――」


――この人、ひょっとしてこのテの冗談にあまり耐性が無いのか。

意外な一面を発見した圭介だった。

「あのー。ノエルさん? もしもし?」
「圭介くん。子供は何人欲しい?」
「真顔で返されても困ります。とにかく落ち着いてください」
「へ? あ――コホン」

ようやく我に返った乃得留は咳払いを一つ。

「――バカね。年上のお姉さんをからかうんじゃないわよ」
「いや遅いですから」

ふと見れば大門と小枝子も表情を楽しげに崩して口元を押さえている。
場の空気を一変させることには成功したようだ。

「鳴神くん。早く出発しましょう。あまり手間をかけている余裕はありませんから」
「ん? ああ、そうだね。ごめん」

美雪に袖口を引っ張られ、圭介は多少浮かれ過ぎた自分を反省する。
どうにも自分は切羽詰ると悪ふざけに逃げてしまう悪癖があるようだ。
それにしても彼女の表情が若干不満そうなのは何故なのだろうか。

「それじゃ、改めて。行ってきます」

大仰に手を振って見せて。圭介は美雪と連れ立って部屋の外に出た。




――さて。

これからのことを考えるとどうにも胃が痛む。
この先に待っているものはまさしく圭介の運命を決定付ける代物だからだ。
そう。今から成すべきことは。
単に「忘れ物を取りに行く」などという単純な事柄に留まらない。

初期配置時点に放置したままのPDA。
それは「ゲーム」における機能のみならず――圭介と美雪の首輪の解除条件も記されているのだ。
ハズレと言える絵柄を引くのは13分の3。決して高い確率ではないが安心できる確率でもない。
そしてそれを引き当ててしまったが最後、見事最悪な未来が約束されてしまうのだ。

逃れる手段は無い。今からどんな策を嵩じようがカードの変更はできない。
完全に運否天賦の領域。できることといえばただ神に祈るのみ。

一つ、息をつく。唇を切り結ぶ。
願わくば。もう一度。あの扉の向こうの輪の中に加わって。
純情な才女の導きのままに再び日常に戻れんことを。

さあ行こう。確か元の部屋の方向はこちらだったはずだ。

「あの、鳴神くん――」
「――ん?」

その矢先。少女に呼び止められた。
行き先が同じはずの森下美雪は、未だその場に佇んだままだった。

「――なんだい?」

ある程度。予期していたことがある。

まるで当然のように一緒に出発した。
だが二人は別に運命共同体というわけではない。
13種のカードのうち、全く同じものは有り得ない。
必然的に美雪と圭介は解除条件が異なるということになる。

二人して安全なカードが引ければ万々歳。
だがもし、どちらか一方が、キラーカードを引き当ててしまっていたら?
その瞬間に今までの関係は崩れ去る。
すぐそばにいる相手が、忌むべき敵となってしまう。

だから。
一緒には行けない。行きたくない。
美雪の口からそう告げられても、何も不思議なことではない。

おそらくそういった類の事を言い出すのではないか、と圭介は覚悟して美雪の次の言葉を待った。

だが予想を裏切り、美雪は意外な科白を口にした。


「先ほどの――女性の遺体を、見ておきたいんです。ダメ、ですか――?」


何をこの少女は唐突に言い出すのだろう。
最早遠い昔に思える騒動の際、圭介はあえて美雪から死体を遠ざけ、見せないようにした。
あまりにも惨たらしいその有様は、少女には酷だろうと即座に判断したからだ。
それなのになぜわざわざ。
どうにも圭介には美雪の意図が理解できない。

「このままだと、あの人があまりにも可哀相です。せめて、弔ってあげたいと思いまして」

なるほど。確かにこのままだと名も知らぬ彼女が報われない。
ある日突然拉致され、何の事情もわからぬままに無慈悲に射殺された。
そしてこの死体が親族や友人の元へ届けられることはおそらく無い。
真実と共に闇に葬られることだろう。

だからせめて。同じ境遇に陥った自分が見送ってあげたい。
美雪のそんな思いはきっと人として正しいものだ。

「わかった。じゃあ俺も手伝うよ。さっきの場所へ行こう」
「え――いいんですか? わたしの我が侭なんだから別に鳴神くんまでつきあってくれなくても――」
「黙って見てるだけってのも男としてはかっこ悪いもんさ。ここは見栄を張らせてよ」
「――ありがとう」

一つ、森下美雪という少女についてわかったことがある。
それは彼女がこういった他人の不幸に敏感な、心優しい女の子だということだ。
おそらく困っている人がいれば見過ごすことができない。
自分にできる範囲で精一杯救いの手を差し伸べようとするだろう。
でなければ何も返してくれない死体に対して、ここまでの敬意を払うことなどできないからだ。

本来目指すべき方向とは逆に二人で向かう。
角を曲がってすぐ、惨劇の起きた場所へと辿り着いた。

「う――」

何度見ても、見慣れることは無い。
むしろもう二度とお目にかかりたくはなかった。

楯岡の適切な処置によって毛布に包まれ、通路の隅へと押しやられた固まり。
だがその表面に斑の赤が浮かび上がっていた。そして漂う異質な臭い。
その全てが不快なものにしか感じられない。

(ホントにあれに――触れるつもりなのか)

思わず前言を撤回したくなった。
元より圭介にとって先程の同調は口先だけのものでしかなかったのだ。

美雪の考えは確かに賞賛に値する。だが決して共感できるものではなかった。
死体に触れるのは気味が悪い。こんなことに手間をかけて時間を浪費したくはない。
それが圭介の本音だ。だが美雪はそうは思わなかった。
俗物めいた自分の思考が嫌になり、思わず格好をつけてしまった。

だが所詮は言葉すら交わしていない赤の他人。
死後の世界に旅立った彼女がどう思うかなど、今の自分にはどうでもいいことだ。
故にこんな行為は自己満足に他ならない。
再び死体を目の当たりにして改めて圭介はそう感じた。

「――どうする?」

振り返れば美雪の顔色は大理石のように蒼白。
恐怖によるものか、唇がかすかに震えている。

「そ、そうですね、ひ、ひとまず顔を拭いてあげて、腕を組ませてあげたい、と」

こんなことはやめにしないか、との意を含ませたつもりだった。
だが美雪は手順を確認したように捉えたらしい。
彼女は気丈なことにこの無駄で敬虔な行為を未だ止めるつもりはないようだ。

やれやれ、と圭介は肩を竦めるとゆっくり死体に近づく。
もうこうなると引っ込みはつかない。どうにでもなれ、と自棄な気持ちで圭介は意を決した。

嗅覚を働かせないよう、呼吸を口で行うようにする。
毛布に手をかけ、一気に剥ぎ取った。記憶のままのうつ伏せの女性の死体が眼前に現れる。

「ひ――」

直接身体に触れぬよう、手の中の毛布を地面と死体の間に差し込み、そのまま半回転させた。
これにより、女性の身体が天井を向く。
まるでこの世の全てを呪わんばかりの表情のまま固まったその顔に、思わず美雪が悲鳴を上げた。

(ああ、そういえば母さんもこんな感じで死んでいったっけ)

10年前の記憶の一部が蘇り、圭介を幾分か冷静にさせた。
彼の母もまた痛みと苦しみの末にショック症状を引き起こし、最後は安らかとはとても思えぬ表情でこの世を去っていた。

ポケットからハンカチを一枚取り出し、とりあえず見開かれたままの双眸を布越しに強引に閉じてやる。
そしてこれまた開きっ放しの口元を力任せに押し込み、閉じる。

とにかく機械的に。何も感じず考えぬよう。圭介はただの「作業」に没頭する。

「な、鳴神くん。あとはわたしが――」
「ん」

自分から言い出したのにすっかり固まってしまっていた美雪が漸く声を上げる。
圭介はあっさりとその場を美雪に明け渡し、3歩ほど引いて見張りを担当することにした。
まだ戦闘禁止エリアは解除されていないので襲われることはないだろうが、それでも今誰かに遭遇するのは厄介だ。

美雪も自分のハンカチを手にして、女性の血塗れた顔を拭いてあげていた。
だが夥しいまでの流血はたちまち美雪のハンカチを真っ赤に染め上げ、機能を失わせていた。

「足りないなら貸すよ? 替えの拭くもの」
「あ、ありがとうございます。でも、一枚や二枚じゃ足りないかも――」
「じゃ、5枚でいいかな?」
「え?」

圭介は懐に手を突っ込み、綺麗に折りたたまれたハンカチを取り出す。
そして一度手を振ると、その手の中に瞬時に扇状に5枚のハンカチが現れた。

「手品のタネのためにさ。日頃からこれくらいは持ち歩いてるんだよ」
「――すみません。お借りします」

数にものを言わせた戦術で、ようやく女性の顔は綺麗なものになった。
こうして見るとなかなかに整った顔立ちだった。
もしかすると生前の彼女は男性に人気があったのかもしれない。

続けて胸の前で腕を組ませる作業に移り、ここからは再び圭介が担当した。
しかし既に死後硬直が始まっていたのか、関節が上手く曲がらない。
あまり力を入れると骨が折れてしまいそうだ。
やむなく上がっていた腕を下ろし、身体の線に揃えることで妥協した。
こうなると葬儀屋にも技術がいるものなのだな、と圭介は妙な関心を抱く。

結局、弔うといったものとは程遠い形になってしまった。
ともすれば好き放題に死体をいじくっただけの冒涜行為にも取られかねない。
それでも精一杯やった。その努力と少女の気持ちだけでどうにか納得してもらうしかない。

「――これで、いいかな?」
「はい。お手数かけました」

美雪は深々と謝辞を述べると遺体の傍らに膝を付き、手を合わせた。

「――」

圭介はそれに倣わず、ただじっとその祈りを捧げる背中を見つめていた。

意味の無い行為だと思っていた。その思いは今も否定するつもりはない。
だが時折肩を震わせる彼女の姿はさすがに見るにしのびない。

こんな有様はもう二度と見たくはない。誰かが死ぬことも、誰かが死んで悲しむことも。
それだけは圭介の、確かな本心だった。

(だけど――それは無理なんだ。無理なんだよ、森下さん――)

それがどんなカタチであれ。犠牲者を抜きにしてこの「ゲーム」の終末は訪れない。
彼女はそれを理解しているのだろうか。
その時にまた美雪は、こうして祈りを捧げるのだろうか。


「お待たせしました」

どれくらいの時間が過ぎただろうか。
美雪は最後にもう一度遺体に毛布を被せると、圭介の方へ向き直った。

「ごめんなさい、引き止めて。さ、行きましょうか」

先程の圭介の懸念は無為に終わったようだ。
美雪は圭介と離れることを露とも考えていない。
そもそも亡くなった人間すらも見過ごせない美雪が、ずっと傍にいた圭介を見過ごせるわけがなかったのだ。

「急ぎましょう、鳴神くん」
「あ、ああ」

手を差し伸べる少女のやり遂げた表情に、圭介は思わずどきり、とする。
ああ、なるほど。圭介はまた一つ理解した。


こんな行為に意味は無いのかもしれないけれども。
こんな行為を行える人間は、他人の目にはこうも魅力的に映るのだ、と――





 ゲーム開始より3時間49分経過/残り69時間11分



[21380] EPISODE-8
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/08/29 14:02
「大門さん、彼らのスタート地点はここからどれくらい離れていたかわかりますか?」


しばらく自身のPDAを操作していた乃得留が唐突に大門にそんな質問を向けてきた。

「ん? そうだな、確か――走れば5分かそこらの距離だったと思うが」

大門は初めて二人と出会った時の出来事を思い返す。
確か彼らは、部屋を出てすぐ自分と遭遇した、と言っていた。
となれば自分が悲鳴を聞きつけて事件現場に辿り着いた時間がそのまま当てはまるはずだ。

「ありがとう。だとすると歩いて往復したとしてもせいぜい20分程度――少し時間がかかり過ぎかしら」
「そうなのかい? 生憎ボクは時計を持っていないからどれくらい時間が経ったかわからないんだが」
「私も持ってはいませんけど、PDAに『ゲームの残り時間』の項目があります。
 そこから逆算すると、もう30分になりますね」

そう言って乃得留はPDAの液晶画面を大門と小枝子に向けて見せる。
画面には小さな白抜きの文字で「ゲーム開始より3時間56分経過/残り69時間04分」と記されていた。
成程、具体的な時間が判れば確かに少し遅いかもしれない、と実感される。

「何か、あったんでしょうか――もしかして――」

小枝子が己の肩を抱き身を震わせる。
忘れかけていた惨劇が、脳裏に蘇っているのかもしれない。

「かも、しれないわね。でもきっと、小枝子さんが考えているようなことじゃないですよ」
「ええと――確かまだ、戦ってはいけない時間帯なんだっけ?」

大門は美雪の残したルール一覧を取り出す。
ルールの⑦に開始から6時間は戦闘行為を禁ずると記されていた。
まだ4時間弱しか経過していないのだからまだそのルールの適用内、ということになる。

「でも――」
「わかってます。でもあまり深くは考えないでください。さもなくばこの先、やっていけませんよ?」
「――わかりました」
「??」

どうにも言外で意思の疎通を図っているようで傍で聞いている大門には二人の会話の意味がわからない。
だが先程のようにあまり複雑な事を並べ立てられても理解が及ばないのでとりあえず考えないことにした。

「それよりも、もう一つの可能性の方が大きいかもしれない。もしかすると――あの二人、戻ってこないかも」 
「え、それはどういう意味だい!?」

思わず大門の声が上ずった。戻ってこない、とはどういうことだ? 
危険が無いなら戻ってくることに問題は無いではないか。

「やっぱり、大門さんはわかってなかったようね。まあ、それも圭介くんの気遣いが成せる業なんでしょうけど」
「――鳴神くんの、気遣い?」
「いいですか。圭介くんと美雪ちゃんはPDAを取り戻すことによって初めて自分のカードが判明するんです。
 その時もし、キラーカードを引き当ててしまっていたら、ここには戻ってくれないでしょう?」
「え――」

キラーカード。それは13種のカードのうち、他人の犠牲無しには解除条件を達成できない3種類のカード。
そして乃得留の計画の中に、そのカードの所持者の救済は含まれてはいなかった。
だからこそ乃得留は、木戸亮太を引き止めることができなかったのだから。

「そ、そんな――だって、彼は――」

彼は、鳴神圭介は。あんなにも気軽な感じで出て行ったではないか。
あれは、自分のカードが安全なものだと知っていての態度ではなかったのか?

「こんな風に深刻に考えて欲しくはなかったから、なのでしょうね」

だから悪ふざけにも似た物言いをして見せた。
それが圭介の気遣いだったということだ。

「なんて、ことだ――」

大門は胸が締め付けられる思いだった。
自分が今、こんなにも気安く過ごせているのは偏に彼らのおかげだからだ。

昏倒させられ、身柄を拉致され。
こんな異常な施設に放り込まれ、迷い歩いた自分の初めての遭遇者。

自分の風貌が誤解を招きやすいことは自覚している。
なのに彼らはそんな自分と正面から向き合い、導いてくれた。
まだ幼さの残る少年少女に、大門は救われたのだ。なのに。

そんな彼らに応えるどころか――敵対しなければならないのか?

「どうにかならないのかい、ノエルさん! ボクは、あの子たちに――」
「わかってます。私だって圭介くんとこのまま離れてしまうのは嫌よ。でも、今の時点ではどうしようもないの!」
「くそ! なら、ボクが彼らを迎えに行く! 場所はわかってるんだ!」
「待ちなさい!」

今にも飛び出そうとしていた大門を、乃得留は鋭い言葉で制止する。

「お願いだから――どうか短気を起こさないでください。私たちには、大門さんの力が必要なんです――」
「く――」

確かに乃得留と小枝子をこの場に残していくわけにはいかない。
大門がこの場を離脱すると敵対者にとって、か弱い女性二人は格好の獲物となってしまうからだ。

「――すまない。ノエルさんの言う通りだ」

守るべき人物は、あの若者たちに限らない。
握り締めた拳を解き、大門は女性二人に向き直った。

「わかってくれて、何よりです。とにかく、圭介くんたちがまだそうと決まったわけではありません。
 とは言え、後々のことを考えるとあまり彼らを待つためにここに留まり続けているわけにもいかないわ」

小枝子さんのためにも、と乃得留は付け加える。
「手続き」が終わってすぐ、大門たちは情報の共有を開始した。
その際に古谷小枝子のPDAは「7」だと大門に開示された。

彼女の解除条件は開始から6時間目以降に生存している全プレイヤーと遭遇すること。
そのためには戦闘禁止エリアが解かれる前になるべく多くの賛同者を集め、
危険を減らしておきたいと乃得留は発案していた。

禁止エリアの解除まであと2時間弱。
その後の未発見のプレイヤーとの遭遇はそのカードの種類にかかわらず、幾許かの危険がつきまとうことになる。
だからこそ戦闘禁止が生きている間に接近を試みておきたい。
故にあまりグズグズしているわけにもいかないのだ。

「あと10分――いえ、15分待ちましょう。その間に二人が戻ってくるなら万事問題なし。だけど――」

戻ってこないならば。
ほぼ確実に彼らはキラーカードを引き当ててしまったことになる。

考えたくはない。だが人格と振り当てられたカードに関連性など無い。
鳴神圭介と森下美雪がどれだけ好感の持てる若者であっても、
人を殺さねば生きて元の世界に帰れない事実に変わりは無い。

「たとえそうであっても、小枝子さんの解除条件のために私たちはもう一度、圭介くんたちと再会しなければならない。
 それまでに何か、方法が見つかればいいんだけれど」

乃得留にしてははっきりとしない物言いから、その可能性は極めて低いことが大門にも伺えた。
とにかく全てにおいて、今は祈るしかない。
彼らが無事帰ってくることを。悪条件の別口の達成方法が見つかることを。

「少し、外に出てきます。すぐ戻ります」

ふいに、乃得留がそんなことを言い出した。

「気は進まないけど、あの女性の死体を調べておこうと思って。
 もし彼女のPDAが無事なら、圭介くんたちのカードを知る手がかりになるから」
「そうか。ボクも付き合おうか?」
「いえ、大丈夫。それよりも小枝子さんについてあげてて下さい。すぐそこですし、そんなに時間もかかりませんから」

時間をかけたくもありませんから、と冗談めかして乃得留は扉へと向かう。

「え、あ、ちょ」

止める暇も有らばこそ。あっという間に乃得留は姿を消してしまった。


(参ったな――)

大門は伸ばしかけた手を戻し、頬を掻く。そして、ちらりと小枝子に一瞬だけ視線をやる。

「――」

小枝子は部屋の隅で身体を小さくしたまま動かない。
それはそうだろう。彼女が安定を取り戻したのはその場に乃得留がいてこそのことだ。
まして自分には初対面で彼女の怯えを助長させてしまった苦い経験がある。
こうして二人きりになれば警戒されるのは当然だろう。協力関係を結んだとはいえ信頼を得るにはまだ程遠い。

(うう、気まずいなあ――)

生来大門は弁の立つ方ではない。
加えて身体が予期せぬ規格に成長してしまったことがさらに拍車をかけてしまった。
武勇を欲しいままにしている男が実は小心で朴訥であるなどと、誰が想像できるであろうか。

(それに――)

今一度、小枝子を窺う。
こんな時に我ながら不謹慎だと思うが。どうにも彼女が気になって仕方が無い。
憂いを帯びた表情。乱れた衣服の端々から覗く白い素肌。そのどれもが大門の心を乱し続ける。
惨劇をただ独り目の当たりにし、心に傷を負った彼女を本当に気の毒だと思い、力になりたいと思っている。
いつも以上に気後れしてしまっているのはそれが理由に他ならない。

人数が多い間は、会話に便乗して話しかけることができた。だが二人きりとなった今では。
こんな時にあの鳴神圭介ならば、至極簡単に会話を繰り出すことが出来るのであろう。
大門は一回りも歳の離れた少年の気質を心底羨ましく思い、同時に我が身を呪う。

だがこのままではまずい。
乃得留が戻ってくるまで沈黙を保ち続けるのは今後に影響を与えてしまう気がする。
頼りにされるのが自分の武力だけ、という事態は出来ることなら避けたいのだ。
やはり人間・大門三四郎に信頼を抱いて欲しいのだ。

「――あの」
「!! は、はいっ!」

唐突に呼びかけられ。大門の巨躯が跳ね上がった。
振り返ると、すぐ側に。いつの間にか古谷小枝子の姿があった。

「な、ななな何でしょうか古谷さんっ!」

不意を付かれて言葉にならない。これでは先程の乃得留を笑えない。
大仰な大門の反応に小枝子は一瞬訝しげな表情を見せたが、すぐに柔らかいものへと変化した。
幸か不幸か、その少年のような初心な反応が彼女の警戒を解く切欠となったようだ。

「大門さんには、ずっとお礼を言わなければと思っていたんです。私がこうして生きているのは、貴方のおかげですから」
「へ? ボクの――ですか?」

記憶に無い。自分が彼女にしたことといえば、力任せに狂乱する彼女を取り押さえただけだ。
しかもそれは、あんなやり方があるか、と乃得留に叱責された拙い対応だったと言うのに。

「はい。ノエルさんに伺ったんですけど、あの時の私がもし誰かを傷つけていたら、
 警備システムに暴力行為と見なされていた可能性があるらしいんです。
 あの時取り押さえてくれたのが大門さんだったからこそ、判定をすり抜けることができたのだと」
「はあ」

確かに小枝子の身長は、女性にしてはそれなりである。
そんな彼女の暴走を止めるには、多少の筋力では困難なものだったかもしれない。
自分の怪力だからこそ、警備システムには子供を窘めているようにしか映らなかったということか。

「だから――ありがとうございました。助けて頂いて」
(う――)

丁寧に頭を下げる小枝子の姿に、また一際鼓動が早まる。
優雅で、可憐。そんな陳腐な表現でしか彼女を言い表せない自分がもどかしい。

「どう、いたしまして。貴方の助けになれていたのならば、今まで鍛えてきた甲斐があるというものです」
「ふふ、そんなご謙遜しなくとも」

応じて小枝子が短く微笑む。だがすぐにその表情に影が落ちた。

「こんなことを言っても詮無い事ですけれど――なぜ私、なのでしょうか?」
「え!? そ、そ」

それはどういう意味でしょうか――続きが口から上手く出てこない。
まさか、自分の胸の内を見透かされた、というのだろうか?

「私たちは、『ゲーム』のプレイヤーとしてこの施設に招かれたらしいですね。妙な言い方ですけれど、
 プレイヤーにも『格』、というものが必要でしょう? 大門さんやノエルさんは、その資格を十分に有していると思います。
 ですが、私は何の特技も持たない無力な女です。
 人が死ぬ現場を目の当たりにして、怯え泣き叫ぶことしかできない女なんです」

「それ、は――」

そんなことを言われてもわからない。
自分とて空手を除けば人に劣る部分しか持ち合わせていないのに。

「そんな私に、どうやって人を殺せるというのでしょう? 
 誘拐犯が私に人を殺せる何かを見出したから、攫ったのだ、とでも言うのなら――酷い、誤解です」
「も、勿論です! 貴方はそんな人じゃない!」
「!!」
「あ、いや――失礼。つい興奮して声が大きくなってしまった」

自然と口から飛び出した雄叫びのような声は、怒りによるものだと大門は自覚した。
無論小枝子に対してのものではない。これほどに彼女を苦悩させる、誘拐犯に対してのものだ。
だが罰すべき対象は今この場にいない。いるのは哀れな被害者だけだ。
怒りをぶつける相手がいないなら、憤っていても仕方が無い。

「と、とにかく。今はそんなことを考えても仕方が無い、と思います。過ぎてしまったことですから」
「そう――ですね。ごめんなさい。つい、弱音を吐いてしまいました」
「い、いえ。それは、いいんです」

弱音など全部ボクが受け止めます。そう自然に口にできたらどれだけいいだろう。
だが現実はこちらを見上げる彼女の顔を直視できない自分がいるばかりだ。

「そ、それに今は、ボクもノエルさんも一緒です。互いに助け合って、脱出することが先決です」
「ええ、協力して、『ゲーム』をクリアしましょう」

どうにか小枝子はまた落ち着きを取り戻したようだ。大門はほっと一息つく。
それにこんなにも近くで会話が出来るようになったのは何よりの収穫だ。
このまま。何もかもが上手くいけばもしかして――などと邪な妄想が大門の頭をよぎった瞬間。



「早く帰って――娘を安心させてやらないと」


(――え?)

衝撃的な小枝子の発言と同時に。大門は気づいてしまった。

首輪と同じ光沢の、銀色の指輪が彼女の左手の薬指に嵌められている事に。


「すみません、お待たせしました――あ、あら? もしかしてお取り込み中でしたか?」
丁度戻ってきた乃得留の声が、なぜだか遠く聞こえるようだった。














――もしもし、私だ。
――ん、何かあったのか、だと? 当然だ。でなければこんな序盤に連絡などするものか。

――惚けるな。『利根川静香』の件だ。
――なぜ彼女が死んだのか、教えてもらおうか。そちらのモニタでは確認が取れているだろう。

――何? 警備システムに射殺された? そんなものは見れば解る!
――肝心なのはなぜ彼女がペナルティを負ったのか、に決まっているだろう!


――答えろ。

――なぜ「今回のサブマスターである利根川静香が」戦闘禁止が生きている段階で死んだのだ?



――ふん。黙秘か。そうだろうな。
――予定外の事態とはいえこの程度では情状酌量の余地は無い、ということか。

――ああ、わかっている。わかっているさ。
――おそらく彼女は殺されたのだろう。彼女は有能ではあったが同時に迂闊な部分もあったからな。



――ん? その結論に至る根拠か?
――簡単な事だ。彼女のPDAが紛失している。破損した残骸も見当たらない。
――つまりは何者かが明確な意思を持って奪取したということになる。ならばこの結論が妥当であろう?



――まあ、およそ順調とは言い難いな。スタートでいきなりケチがついた。
――だが些細な問題だ。この程度なら私の進行に支障は無い。
――ただ追従カメラの件に関してはそっちでお偉いさんに侘びを入れておけ。私の責任ではないからな。



――言われなくとも。油断などするわけがないさ。
――私は私なりに全力を尽くす。その結果にはきっと満足してもらえるだろう。


――何せ今回は。

――今回の「ゲーム」は。



――私の「ゲームマスター」としての記念すべき初舞台、なのだからな――





 ゲーム開始より4時間05分経過/残り68時間55分



【プレイヤーカード:開示】
・「7」:古谷小枝子



【裏情報:開示】
・13人のプレイヤーの中には組織側から「ゲームマスター」と「サブマスター」が配置されている。
・「ゲームマスター」とは殺し合いの「ゲーム」を恙無く進行させるための現場責任者である。
・「サブマスター」とはマスターの補佐と注目プレイヤーの追従カメラマンとしての責務を負うものである。



[21380] EPISODE-9
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/09/05 14:07
女性の死体の弔いに予想外に時間がかかったものの、その後の道行きに問題はなかった。
連続する変わり映えの無い景色に多少の混乱を招いたものの、そこは美雪の確かな記憶力で被害は最小限に押し留められた。
ルール解析の際の理解の早さといい、彼女の頭脳の優秀さには目を見張るものがある。
おそらく学業の成績も相当なものだろう、と圭介もただただ驚嘆するばかりであった。

二人はまず美雪が最初に目覚めた部屋に辿り着いた。

早速PDAを回収するため、美雪は一人部屋の中へ入っていく。
それじゃあ行ってきます、と宣言した少女の表情は緊張のためかやや強張って見えた。
そして残された圭介は今扉のすぐ横で壁に張り付くように起立したまま彼女の戻りを待っている、のだが。

(遅いな、森下さん。何がそんなに時間がかかっているのだろう?)

美雪が部屋の中へ消えて既に10分が経過していた。
PDAの回収の他に荷物を纏める必要があるとしても、随分と時間がかかっているように思える。
PDAが見つからないにしても装飾に乏しい室内だ。
隅々まで捜索し、「この部屋には無い」と結論を下すのに10分はかからないであろう。

(となると――うん。その可能性は否定できないな)

圭介は自分の上着の裾を摘み上げる。
先程の「見送り」の際、幾らか女性の血で汚れてしまっている。
今の場所に戻ってくるまでの道筋の途中で洗面所を発見し、
出来る限りの血の跡は洗い落としたつもりだったがさりとて完全ではない。
用意があるのなら着替えてしまいたい、というのが素直な感想ではある。

もし美雪も、同じ事を考えたのだとしたら。そして荷物の中に用意があったのだとしたら。
この扉の向こうには、魅惑の光景が広がっているということになる。

(なんだ。だったら男として最低限の義務は果たさねばなるまいて)

圭介はすり足で扉に近づく。些細な物音も立てぬよう、慎重に。

(スケベ心ってのはようするに雄としての種の保存欲求なんだよ。
 つまりは当然、どころではなく必要不可欠な本能であるわけだ)

ドアノブに手をかける。ゆっくりと回す。
音はなくとも開錠された手ごたえがある。

(だから俺のこの行動はいわば人類を守るためのもの! 
べ、別に森下さんの下着姿やもっと先の姿に興味があるわけじゃないんだからねっ!)

微かに、隙間が開く。少しずつ、少しずつ安定した視界のために開いていく。

――いざ参らん! まだ見ぬ理想郷へ!

(――と、まあ冗談はこのくらいにして、だ)

いったい誰に対して言い訳をしているのか。
今までの行動を最速で巻き戻し、圭介は再び元の位置へと戻る。
扉の向こうの美雪は今まさに運命の分かれ道、人生の分岐路に立たされているのだ。
いくら待ち疲れて手持ち無沙汰でも、悪ふざけは程々にしておかないといけない。

(いや――違うか)

本音を言えば。単に不安を紛らわせたいだけなのだ。

美雪が今直面している現在は圭介の未来のものである。
一歩間違えば命を失いかねないこの地獄のような境遇において、それでも救いがあるのか否か。
程なくその結論が出るが故に、目を背けたいがだけなのだ。

(情けないな――あの時「もう逃げない」って決めたのに、また同じ事を繰り返そうとしてる)

逃げること、考えないこと。それは確かに楽な事なのだ。
だがそれでは前に進めない、もしくは道を外れてしまう。決して乗り越えることはできない。

不幸を嘆くな。運命を呪うな。
今までもそうしてきたし、これからもそうでなければならない。
あの時。そう思い知ったはずではなかったか。

ああ、もしかすると。と、圭介は不意に思い至る。
もしかすると、美雪も。今まさにそうなのかもしれない。
下された結論が、どうしても認められなくて。でも認めざるを得なくて。
それでただ呆然と、立ち止まっている。だから出てこないのではないだろうか?

(――ん?)

ふと。僅かに漏れる光に気が付く。どうやら扉をしっかりと閉めておらず、隙間が開いてしまったようだ。
その向こう側から、微かに美雪の声が聞こえたような気がした。

(――何だ?)

こちらに向けられた声ではない。故に最初は泣き声ではないかと不安になった。
だが抑揚だけははっきりとしており違うように思える。呟き、というのが正しいのかもしれない。

携帯が通じないのは既に確認済み。無論部屋の中に他の人間がいるわけもない。
だとすると独り言か? ここからでは内容ははっきりと聞こえないが――

(おっと)

声が止んだ。そして足音が近づいてくる。
慌てて圭介は二歩離れ、何事も無くただ待っていただけの姿勢に戻った。

「ごめんなさい。お待たせしました」

再度圭介の前に姿を現した美雪の表情は思っていたほど深刻なものではなかった。
だが無理に平静を装っている可能性もある。安心に至るのは些か早計に思える。

「鳴神くん、見て下さい、これ」

どう切り出すのが不自然ではないか、などと圭介が思案に暮れる間も無く。
美雪は自分のものであろうPDAを表にして突き出してきた。

「これ、は――」

その絵柄は赤の心臓を彩った貴婦人。ということは――


「はい。『Q』です。わたしは――大丈夫でした」


「Q」の解除条件は「2日と23時間の生存」。
特殊な手順を一切踏むことなく、ただ生き残ればいい。全解除条件の中でも屈指の低難易度条件だ。
最悪美雪は、時間が来るまで隠れ続けてさえいれば条件は達成できるのだ。

「そっか。よかった――本当に」

心の底からそう思えた。
難易度もさることながら、彼女が人を傷つけずとも生き延びられる条件なのが何より喜ばしい。
争い事など縁の無い、だが人を見捨てられない心優しい少女。
そんな彼女が、鮮血に手を染めねば助からないなど、これほど酷なことは無い。
唯一「ゲーム」の最終盤まで戦場に身を置き続けねばならないことが不安と言えるがそれは贅沢というものだろう。

「そういえば、結構時間がかかってたけど何かあったの?」

美雪の服装は部屋に入る前と変わっていなかったのでどうやら着替えていたわけではないらしい。

「え? そ、そんなに時間かかってましたか!?」

軽い気持ちで聞いたつもりだったが、意外に大げさな反応が返ってくる。
どうしたというのだろう? こうなると気になって仕方が無いではないか。

「えっと、ですね。ぴ、PDA自体はすぐに見つかったのですが。
 そ、その――画面を開く勇気が、どうにもありませんで」

その気持ちはよくわかる。
圭介とてこの先に待ち受ける結論を、先延ばしどころか抹消したくてたまらないのだ。

「それで、その――ず、ずっと」
「ずっと?」

「――ゆ、勇気が出るまで、ずっと自分で自分を励ましてましたっ! しかも声に出してっ!」
「――」

それっきり。美雪は真っ赤になって俯いてしまった。

「――『がんばれ美雪、負けるな美雪、わたしは強い子元気な子』、とか?」
「に、にににに、似たようなものですっ!」

どうもこの動揺からして、系統は同じでさらに恥ずかしいもののようである。
そういえば先程漏れてきた声は、内容までは聞き取れなかったが毅然とした男口調のようだった。
追求してみようか、と圭介の中で加虐心が頭を擡げたが流石に理性がストップをかけた。
そうなれば冗談であったとはいえ、のぞき行為を働こうとしたことを告白せねばならない。

「――やっぱり、へんな女の子だって、思ってます?」

深呼吸一つして気を落ち着かせ、美雪は上目遣いに恐る恐る尋ねてくる。

「まあ、少しは、ね。でもそれなら俺だって似たようなところを見られてるし」
「あ、そうでした」

そもそも圭介とて覚醒の段階で混乱の極みに達した挙句、妙な一人芝居をやらかしているのだ。
あまつさえそれを美雪にはしっかりと目撃されている。馬鹿に出来る資格などあるわけがない。

「それに、この程度では森下さんの魅力は色褪せないよ。だから安心して」
「――鳴神くんって、本当にそういう台詞を口にするのに抵抗が無いですよね」
「おかげでよくクラスの女子に冷たい目で見られます」
「当然です! 言葉自体は嬉しいものですけど、男の子はもっと誠実であって欲しいです!」

励ましたつもりが逆に怒られてしまった。
なぜだろう? と圭介はしきりに首を捻る。

「肝に命じます。さて――次は俺の番か」

あ、と少女の表情が再び緊張に包まれた。
美雪のPDAは回収され、好条件も引き当てた。あとは圭介が自身の決着をつけるのみ。
だが美雪とのやり取りで幾分気分は緩和されたものの、事実の重さに変わりは無い。

「森下さんはノエルさんたちのところに戻っていて。俺は――ん?」

一人で部屋を調べてくる、と続けるつもりだった。
だが美雪は圭介の袖をしっかりと掴んで離さない。

「――どうして?」

一緒についていく、ついていきたい。
そんな彼女の言いたいことはわかるし、その気持ちは正直ありがたい。
だが自分の安全は確保された。傍にいる男はその限りではない。
なのになぜ? 圭介には美雪の考えに明確な理由が見出せない。

「――わかりません。でも、鳴神くんを一人にはしたくない、そう思ったんです」
「でも、危険だよ?」
「大丈夫。まだ戦闘禁止エリアが解かれるまで時間がありますから」

違う、そうじゃない。彼女は何も理解していない。
今の状態で美雪が真に警戒すべきなのは、他ならぬ鳴神圭介という男なのだ。
圭介は自身の精神力が鋼の如きものである、などと自惚れるつもりはない。
だからこそこうして、過剰にふざけて適度に発散しているのだ。

そんな自分が、もし。乃得留の提唱する「キラーカード」を引き当ててしまったら。
その時は、平静でいられる自信が無い。
混乱し、錯乱し。ルールの何もかもを考えず、傍にいる誰かを傷つけてしまうかもしれない。
その「誰か」が美雪であることなど、考えたくもなかったのだ。

「――」

だが、少女の瞳の中の決意は揺るがない。
「人を捨て置けない」という性格は相応に頑固でなければ成り立たない、ということなのだろう。
こうなればもう、彼女の説得は容易ではない。
確固たる信念の前には幾百の言葉も意味を成さぬであろう。

「――わかったよ。ただし『俺が』少しでもおかしな素振りを見せたら、すぐに逃げること。いいね?」
「はい、 わかりました」
「よし、じゃ、行こうか」


ついに圭介は、その一歩を踏み出した。100メートル先に待つ、己の未来へと向かって。




 ゲーム開始より4時間17分経過/残り68時間43分




[21380] EPISODE-10
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/09/05 14:37
道行きの間は互いに無言だった。
さしもの圭介も最早軽口を叩く余裕は無く、美雪もまた率先して口を開くことはなかった。

この沈黙は、美雪の気遣いであると圭介には感じられた。
こんな状況でかけられる言葉など、たかが知れている。
だが安易な励ましは相手の苛立ちを不用意に呼び込みかねない。
まして美雪は今「安全なカードを引き当てた」という羨むべき立場にいるのだ。

だからこそ少女は、無言で圭介の後に続く。ただ圭介の背中を見守り続ける。
けれどそれが。たったそれだけの行為が、どれほど圭介に安心感を与えられているだろう。
惑う事無く動くこの足が何よりの証拠であると。圭介は素直に感謝した。


   
「着いた。ここだ」

眼前の光景と記憶とを照らし合わせ、齟齬が無いことを確認して圭介は立ち止まる。
今まで目にしてきたものと寸分違わぬ扉にはどこか懐かしさすら覚えた。

あれから3時間弱。様々なことがありすぎた。

女性の死体の発見、乃得留たちとの邂逅。そして明かされた「ゲーム」の詳細。
犯罪者の思惑に異を唱え、脱出を目論んでいた勇敢な少年はもういない。
今はただ、運命に振り回され臆病になった自分がいるだけだ、と自虐めいた思考が圭介の胸に去来した。

「――」

汗ばむ手のひらをズボンに擦り付け、金属の突起に触れる。
軋んだ音と共に開かれた扉の向こう側は、以前と変わらぬ佇まいだった。
放置したままの圭介のバッグが机の足元にあることも、ここから十分に目視できる。

「ここで、待っていて。ああ、ドアは閉めなくていいよ」
「はい」

何一つ、偽るつもりはない。
美雪に対して圭介は一部始終を見届けてもらうつもりでいた。

手探りで入口近くのスイッチをまさぐり、部屋に灯りを点す。
そのままゆっくりと。部屋の中央に向けて歩を進める。

「――森下さん。森下さんのPDAは、部屋の何処に有った?」
「はい? え、ええと。机の上に普通に置いてありました」
「そっか」

「ゲーム」のプレイヤーにとってPDAの所持は絶対的な生命線。
それを確実に取得させるためには、覚醒してすぐに目に付く位置に置いておかねばならない。
この部屋の数少ない家具の配置はおそらく他の参加者のスタート地点とほぼ同じようなものだろう。
となればベッドのすぐ脇にある机。その上がPDAの置き場所としては最適であることに疑いは無い。

ところが、今圭介の目の前にある机にはPDAの影も形も見当たらなかった。
だが圭介にとってそれは不思議でも何でもない。
3時間前の自分の行動を思い起こせばそれは当然の状態だった。


あの時。この机の上には圭介の私物が展示物のように並べられていた。
そのくだらない中身と数を人前に晒すのが恥ずかしかった。
だから全部纏めてバッグの中に押し込んでしまったのだ。

おそらくその中に、PDAは紛れ込んでいた。
そうなると必然、PDAはこのバッグの中、ということになる。

――なぜあの時、気が付かなかったのか。多少の違和感はあったはずなのに。

圭介は思わず過去の自分を責め立てた。
だがそれも無理からぬことなのだ。何せ圭介の私物には似たような機器があまりにも多すぎたのだ。

携帯電話が3つ。携帯音楽機器が3つ。実は今回のものとは規格が違うがPDAも2つ持っている。
そしてそれらの中に、本来の用途として使えるものは殆ど無い。
機種変更の都合上、不必要となってしまったもの。
型落ちや故障などで、既に使用に堪えないか機能に乏しくなってしまったもの。
そんなガラクタと化したものを、他人から無料か格安で払い下げたものばかりだ。
全ては手品のタネに使えないものかと思案し、収集した成果である。

(――馬鹿すぎる)

普段からそういった思いを抱かないでもなかったが、今回は格別だ。
だが今更そんなことを言っても仕方が無い。

――さて、鬼が出るか、蛇が出るか。

意を決した圭介は膝を付き、バッグのジッパーに手をかけ、一気に引き下ろした。





雑多に詰め込まれた無数の機器が姿を現す。その中に手を突っ込みかき混ぜる。

(――)

程無く見覚えのある色が目に入る。途端に圭介の手が止まる。

(――これ、か。これなの、か)

心臓の鼓動がやけに五月蝿い。
この音は、入口で待つ少女にまで届いているのではないだろうか。

ゆっくりと。手を伸ばす。左手が、一つの機器を掴み取る。

(操作法は――)

画面の上を鍛えられたしなやかな右手の指が滑る。
淀み無く、定められた作業を完了する。

そしてついに。液晶ディスプレイに一つの絵柄が表示された。

「――森下さん」
「は、はひっ!」

美雪の返事は声が裏返っている。
圭介の得た答えを欲すると同時に、恐れているのがよくわかる。

PDAを握り締め、圭介は立ち上がる。背筋を伸ばし、重い重い息を吐く。
やがて。美雪の方へと向き直り。




「どうやら俺も――大丈夫だった、みたいだ」



僅かばかり微笑みながら。「スペードの『6』」が表示されたPDAを掲げて見せた。



「よ――」

しばしの間があって。突然美雪の膝がかくり、と折れた。
慌てて扉の縁に手を添えるものの、身体を支えきれずそのままずるずると床にへたりこんでしまう。

「森下さんっ!?」
「よかった、です――本当、に――」

すっかり脱力してしまった少女の目尻には涙が浮かんでいた。
だがそれとは裏腹に表情は笑顔。圭介のことを魔術師と呼んだ、あの時と同じ笑顔だ。
それだけでわかる。彼女がどれほど、圭介の結果を心配していたか。
心優しい彼女が、どれほど心を痛めていたか。

「ごめん。心配かけちゃったね」
「いえ――いいんです。わたしが自分で言い出したことですから」

背負わずともいい、他人の不安。
だが背負わずにはいられなかった。見届けずにはいられなかった。
おそらく遠く離れた場所で圭介の未来が決まってしまうことの方がより不安だったのだろう。
このまま何も判らずに、もしかすると離れ離れになる方が余程に苦しいと感じたのだろう。

「でも、安心するのはまだ早いよ。むしろここからがスタートだから。生きて、もう一度帰るための」
「はい、そうですね」

圭介は美雪の元へ駆け寄り、手を取って立ち上がらせる。
初めて触れた少女の手は、思っていたよりも華奢なものだった。

「それじゃ、行こうか――と、その前に」

自分で宣言し、そして自ら「待った」をかける。

「? どうしました?」
「いやその――いろいろあって、すっげえ嫌な汗かいちゃったからさ。中のシャツだけでも着替えたいんだけど、待ってくれる?」
「あ、はい。もちろんいいですよ」
「助かるよ」

今度は大股で躊躇い無く。バッグのある位置へと戻る。
そしてバッグと、美雪の顔を交互に見比べる。

「――ごめん。さすがの俺も、女の子の前では着替えにくい」
「え? あ――し、ししし失礼しましたっ!!」

瞬間顔に火を灯し。慌てて美雪は大きな音を立てて扉を閉めた。









閉じられた扉により、美雪の喧騒は一瞬にして遮断された。途端に室内に静寂が訪れる。

少し前に気づいたことだが、この施設の防音設備はかなりのレベルのものらしい。
出入り口さえ完全に密閉してしまえば多少の物音は外部に漏れることはない。
それが企画者たちが意図したものなのかどうかはわからないが。



そんな中。一人圭介は呆然と佇んでいた。
先程まで美雪に向けられていた、若者らしい笑顔はもうそこにはない。
額には汗が滲み出し、唇は青ざめている。

「俺、は――」

呻くような声が、喉の奥から絞り出される。
PDAを握り締める左手は、目に見えて震えを発していた。


「俺は――何を、やってる、んだ――?」


自分の行動が信じられなかった。
まるで何者かに操られているかのようだった。
気が付けば。美雪にこのPDAを翳し、共に喜びを分かち合っていた。


なぜだ、なぜ。
あんなにも平然と、彼女の前に立てた。
なぜ、あんなにも平然と。


何か大事なことを失念している、と思っていた。
それを今、思い出した。

それは美雪のPDAの確認。彼女の「Q」は真実のものであるのかどうか。
だが自分なりに彼女と接してきて。森下美雪がどれほどにまっすぐな少女であるかは痛感してきた。
そんな彼女が、まさか絵柄を偽っているなどとは考えもしなかったのだ。


だけどもう。その確認は必要無い。
彼女のPDAの絵柄は間違い無く本物であると確信できる。


なぜならば。睨みつけるような圭介の視線の先。

最早用済みになったはずのバッグの中に、もう一つのPDAが存在していたからだ――



なぜ圭介が2つのPDAを所持していたか、理由は語るまでも無い。
参加者1名につき1台配布されるPDAが、たまたま圭介の私物に紛れ込むわけもない。

それはたった一人にのみ所持を許されたワイルドカード。
波多島乃得留があれほどまでに所有者の特定に神経質になっていた混乱の種。

しかし、圭介のバッグの中のPDAの絵柄は、道化師のそれではない。

(なぜ、俺は――)

圭介は、今ほど自分自身を軽蔑したことはなかった。
もしも刃があるのなら、今すぐこの身を切り刻んで欲しいとさえ思えた。



(あんなにも平然と――彼女に嘘を、ついたんだ!?)



そう。既に。「JOKER」は効力を発揮していた。
今圭介の左手にある「6」こそが――JOKERの成れの果てなのだ。




何一つ、偽るつもりはなかった。

森下美雪という少女を傷つけたくなくて。失いたくなくて。
例えそれがどんな結末であったとしても。
包み隠さず曝け出そうと。そう心に決めていたはずだったのだ。

だが、2つのPDAを発見した瞬間。
本心と本能が道を違えた。
無意識の内に、圭介の指はJOKERを操作していた。

偽装操作は簡単だった。
大門のPDAにはなかった操作パネルに指を触れると、13の絵柄が画面に浮かび出た。
その中から「6」を選び出すと、画面一杯に絵柄が広がり固定された。
所要時間約7秒。美雪に疑われるべくもない、咄嗟にして瞬時の操作だった。

今この場にいるのは圭介と美雪の二人だけ。そして美雪のカードは「Q」と判明している。
皮肉にも。乃得留が提唱した「JOKER偽装が成立する条件」は達成されていたのだ。
美雪はこの結果を鵜呑みにし、今も圭介の安全を安堵しつつ部屋の外で待機しているのだろう。


――今ならまだ間に合う。真実を全て、彼女に打ち明けろ。
――嫌われようと、蔑まれようともいいじゃないか。元よりそのつもりだったろう?


(――)

だが、圭介の本能はそんな訴えを受け入れることはできなかった。
今圭介は何としても。美雪の側を離れるわけにはいかないのだ。

(俺は――森下さんを)

それは決して、恋慕のような美しい想いからではない。
もっと下衆で最低な欲求によるものだ。

(殺さねば――助かることはできない)

そう。圭介が引き当てた真実のカードは「A」。

首輪の解除条件は「Q」の所持者の殺害。すなわち美雪の死によってしか成り立たない。
その符号が一致した瞬間、悪魔は囁いた。何としてでも美雪を繋ぎ止めるのだ――と。


否定したい。圭介はそんな自分を否定したくてたまらない。
だが、理性の中にも妥当な判断であったと言える自分がいるのだ。

まだ、俺は死ねない。
こんなところで、死ぬわけにはいかない。と。

――だけど、本当にそんなことができるのか?

あれほどまでに自分を信頼してくれて、あれほどまでに心配してくれた少女を。
本当にこの手で、殺さなければならないのか?
本当に彼女を、裏切らなければならないのか?
自分を決して見捨てなかった彼女を――見捨てることができるのか?


許される、わけがない。
人殺しは、人間にとっての最大の禁忌だ。
しかも相手は森下美雪。恨みや憎しみとは真逆の位置に立つ少女。


けれ、ども。

そうでなければ生きられない。
そうしなければ、生きて再び日常を取り戻すことはできない。

自分の命がそれほどに価値のあるものかという問いに対して。
胸を張って論ずることなどできないけれど。

それでも。「死にたくない」という痛烈な思いがあることだけは確かなのだ。


「――」

血が滲むほどに強く唇を噛み締める。
崖っぷちで踏み止まろうとする意識と意思が、いつものように圭介に冷静さを取り戻させる。

――時間は、まだある。あと60時間以上も。
――だけど。それで、もし。どうしようもないことなのだとわかってしまったら。

大きく息を吐き、天井を仰ぎ見た。
ふと、今まで気づきもしなかった機器が、壁の上部に据え付けられているのが目に入る。

(そうだよな――ここまで大げさな準備をしてんだ。これがあるのは自然だろうよ)

13人の人間を拉致し、巨大な施設に押し込めて行われる「ゲーム」。
それがいざ本番になるに至って、放置したままであるはずがない。
それはもう。一部始終を観察できて然るべきだと、圭介はカメラのレンズを忌々しげに睨み付けた。


(俺がこうすることが望みだったんだろう――さあ、望み通りにしてやったぞこの人でなしどもめっ!!)


心の底から、そう叫びたかった。
だがそれが躊躇われたのは、万が一にも美雪に聞こえては困るから。

そして何よりも――自分もまた、その人でなしの一人であると。思い知ったからだった。







「随分と時間がかかってますね。どうしたんだろ鳴神くん」

そんな圭介の葛藤に気づくこともなく。
部屋の外で待機していた美雪は落ち着き無く、コツンと壁をつま先で叩いた。




 ゲーム開始より4時間25分経過/残り68時間35分



【プレイヤーカード:開示】
・「A」:鳴神圭介
・「Q」:森下美雪

・「JOKER」:鳴神圭介



[21380] EPISODE-11
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/09/11 19:25
(出口は――出口は、どこっ!?)

鳴神圭介が最悪の結論と向き合っていた頃。一人の少女が同じ施設内を闊駆していた。

少女は混乱していた。自らの日常が瞬間に断絶を迎え、気が付けば異常な施設の中。
己の人生に深い関わりがある医療病棟に酷似しているものの、医師の姿も患者の姿も見当たらない。
何よりも。命の息吹なるものが、何一つ感じられない。
無機質な造りが、漂う空気が。悪意そのものに塗れていた。

――気持ち悪い。

目覚めて真っ先に抱いたのはそんな感情。
続いて襲ってきたのは途轍もない不安と、恐怖。
それら全てが混ざり合い。今までの自分とは明らかに剥離した現実に直面し。
そして漸く、少女は「自分は攫われたのだ」という結論に至った。

なぜ、と問えども答えは返ってこない。
少女が目覚めた部屋には少女以外には誰もおらず、誰も訪れはしなかった。
時間の経過と共に、不安はますます肥大していく。

一人には慣れていたつもりだった。
数年前に天涯孤独の身と成り果てた少女にとって孤独な部屋は当然な日常だった。

だけど、これは違う。耐えられるべきものではない。

何か、現状を打破できないものかと、少女は部屋を散策した。
その最中で発見されたのが、今少女の手の中にある黒色の携帯端末。
私物の中に紛れて机の上に置かれていたそれは明らかに異形なものであったが、
だからこそ確実に自分の今後の鍵を握るものだと判断できた。

まさか爆発しないよね――と恐る恐るスイッチを押し込み。
そして表示された条項の数々に仰天した。

この場に留まることは危険だと、少女は即座に部屋を飛び出した。

――逃げなければ。逃げ出さなければ。
――じゃないと、私、殺される!

悲運を告げたPDAには、施設内の地図機能が搭載されていた。
少女はそれを片手で操作しながら走る。施設の出口を捜し求めて。


少女のPDAに、ルールの⑤は記載されていなかった。
すなわち少女は、万が一脱出が叶ったとしても警備システムに処刑される事実を知らない。

だが、閉鎖空間の中で殺し合いをさせるという誘拐犯の意図は理解しているつもりだった。
だとすれば。このまま出口に辿り着いたとしても。
おいそれとは逃げ出せない造りになっているかもしれない。

けれどもその可能性に縋るしか、今は無いのだ。
何の取り得も無い自分が、こんな「ゲーム」で生き残れるとは到底思えないのだ。


――だって、こんな条件。私に達成できるわけないじゃない!?


肩まで伸びた亜麻色の髪が、汗で首筋に張り付く。
掻き揚げた指が首輪に触れて、重い何かが胸の内でひしめく。

「はあっ、はあっ――」

徐々に息が、切れてきた。まだそれほどに走ってはいないはずなのに。
虚弱な自分が恨めしい。だけど体力を鍛える暇などなかった。

無理も無い。
何せ少女は今までの人生の半分以上を、ベッドの上で過ごしてきたのだから。

「はあっ――は――」

ついに足が止まってしまった。もうこれ以上は走れない。
身体が休息を求めている。肺が酸素を求めている。
それでも目的地と定めた西南端の広場まではまだ遠い。
まだ脱出の見通しすら立たない状態では、とても留まってなどいられない。

――走らなければ。

疲れた身体に鞭を当て。何とか呼吸を短時間で整える。
さあ、と少女が再び気力を取り戻し。顔を上げたその瞬間。


「――おい」
「!!」


何者かに、背後から呼び止められた。
恐怖が電流のように身体の中を突き抜けた。
走ると決めたはずの自らの2本の脚は、たちまちに硬直してしまった。

「ゆっくりと振り向け。ゆっくりとだ」
「は、は、はい――はいぃっ!?」

180度向きを変えさせられた少女の目の前に立っていた人物は。
まさに今という現実を形にしたような男だった。

(な――何なにこのヒトっ!!)

大柄な体躯、そこまではいい。
だが季節的にも施設的にも必要の無いであろう帽子とサングラスで表情が隠されている。
唯一露出している口元は切り結ばれ、友好的な雰囲気は微塵も見られない。
そして極めつけは上着の袖口に付着した赤い染み。それが血液であることは言うまでもない。
衣服の様相から工事業者の類にも見えるが、その佇まいは人には言えない作業が生業の人物だ。
たとえば――そう。傭兵のような。

「一人、か。まだ誰とも遭遇していないのか?」
「そ、そそそそ」
「――何を言っている」

それを聞いてどうするのか、が口にすべき言葉だった。

仲間がいなければ、何をするつもりなのか?
邪魔が入らなければ、何ができるというのだろうか?


――殺されるっ!


出口の真実と同様に戦闘禁止エリアの存在も知らされていない少女に絶望が襲った。


――逃げなければ、逃げ出さなければ。
――この男から一刻も早く逃げ出さなければ、私の人生はここで終わる。

――なのに、どうして、私のこの脚は、動こうとしてくれないの!?
――動け、動け動けっ!


――でないと、そうじゃないと。
――私は、あの人に。


――ころ、さ、れ――


「――あ」

少女の中で。何かが決壊した。
心は恐怖で押し潰され、混乱の極みに達した思考は緊急停止した。
そして肉体は、全ての行動を放棄した。

(だ――め――)

目の前の景色がぐにゃり、と歪む。
この場で意識を失うことは何よりも最悪だ。獲物は馳走と成り果てる。
それでも少女は抗えない。不審な男よりもまず、自分の身体が抵抗を許してはくれなかった。

身体に力が入らない。この身を支えていられない。
膝が折れ、床に当たる。
手の中からPDAが滑り落ち、音を立てて転がっていく。


これから自分はどうなってしまうのだろう。
もう二度と目を覚ますことはできないのだろうか。

そんなのは、イヤだ。まだ死にたくなんてない。
やっとそう、思えるようになってきたのに。


――助けて。

――たすけて。



(たす、けて――おねえ、ちゃん――)

暗闇へと堕ちていく少女は、かつて最愛であった人物に救いを求める。
だがその願いは。到底叶えられるものではなかった。




「『J』か――よし」



意識を失う寸前。

少女――北条かれんは、男のそんな無機質な呟きを聞いた気がした。




 ゲーム開始より4時間37分経過/残り68時間23分


【プレイヤーカード:開示】
・「J」:北条かれん



[21380] EPISODE-12
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/09/18 17:40
もしも、今。
奇跡の体現者が俺の目の前に現れたとする。
姿カタチは何でもいい。
神々しい光を纏った聖人でも、屈強な巨人であったとしても。
そしてそいつは、俺に向かってこう言うのだ。
「どんな願いでも一つだけ叶えて差し上げましょう」と。

それが紛れもない本物だとして、現実だとして。
そうなれば、俺には。
どうしても叶えたい願いがある。
どうしても譲れない願いがある。
だから。恥も外聞もなく。俺は堂々と言ってのけるだろう。

「頼むから願い事を2つにしてくれ」と。






あの後。圭介は何食わぬ顔で美雪の前へと姿を現した。
手間がかかってしまったことを詫び、いつものように気障な冗談を交えながら。
己の生存への欲求のため、少年は真実を隠蔽した。
脱出への鍵となる少女の身体を側に留めておくため、圭介は偽りの仮面を被ることを選んだのだ。

美雪がその嘘に気付いた様子はない。自分が騙されているとは露とも思っていない。
JOKERの効力は絶大だった。
圭介の翳した偽りの「6」により、少女は傍らの少年を頼もしい味方だとすっかり信じ込んでいる。

美雪の無防備な表情の一つ一つが、圭介の心に爪を立てる。
この無垢な少女の命を奪わねば助からないという事実を考えるたびに目眩がする。
偽りたくなどなかった。騙すつもりなど毛頭無かったのだ。

(何を今更――白々しいにも程がある)

そんな悲嘆を隙あらば抱く自分に嫌気が差した。
そうやって心を痛めていれば許されるとでも思っているのか。
仕方が無かったのだと、彼女の遺体の傍らで嘆くつもりか。
そんな半端な気持ちで――彼女の命を天秤に掛けたというのか?

「鳴神くん、顔色が悪いですよ、大丈夫ですか?」
「え? あ、ああ――」

美雪の呼びかけにふと我に返る。

「ごめん。少し考え事をしてた。大したことじゃないんだけど」
「そうなんですか? わたしに協力できることでしたら、遠慮なく言ってくださいね?」
「はは、ありがとう」

――言えるわけが、ないだろう。

張りつけたような微笑みを浮かべながら、圭介は己の中のどす黒い感情を必死で抑え込む。
とにかく今は、この無様な演技を続けなければならない。でなければ全てが無駄になる。

未だ戦闘禁止エリアが働いていることが幸いだった。
少なくともあと1時間は、美雪はルールによって安全を保証されているからだ。
それだけの時間は、最低な決断を下す必要はないからだ。


「じゃあ、ノエルさんたちのところへ戻りましょうか」
「――ああ」

だが苦悩の種は尽きなかった。
外面的には圭介のPDAは「6」であるので美雪の「Q」と同様、安全なカードを引き当てたことになる。
そうなれば最初の約束通り、乃得留たちと合流を果たすのが自然な流れだ。

だがそれは拙い。再度彼女らと邂逅すれば、偽装が看破される恐れがある。
現在乃得留と同行している2名のうち、古谷小枝子のカードが圭介には判明していない。

もし彼女のカードが圭介が今JOKERで偽装している「6」であればその時点でアウト。
仮に「手続き」を通過したとしても身体検査でも行われれば隠し持っている「A」が発見されてしまう。
当初のメンバー全員が揃った元で真実を暴露させられる様など、想像するだに恐ろしい。

(なるほどノエルさん――貴方の理論は完璧ですよ、まったく)

あれほどに好感を持っていた女性の存在が、今の圭介には忌々しいものに思えた。

とは言え、まさか合流を拒否することなどできるわけがない。
美雪を納得させるだけの理屈など思いつきもしない。

唯一の望みは、ここまで自分たちのPDAの回収に時間がかかっていること。
この時間経過の意味を波多島乃得留なら「鳴神圭介たちはキラーカードを引き当てたからだ」と判断しているかもしれない。
そうなればもう既に自分たちを切り捨ててあの場を去っているはずだ。
今はそれに一縷の希望を託すしかない。
そして圭介の乃得留の才覚に対する見立てでは、その可能性はかなりなものだと思えた。

「? やっぱり鳴神くん、調子が悪そうです。少し――休んだ方が良くないですか?」
「え?」

ここで美雪によってもう一つの選択肢が加えられた。
しかもそれは圭介にとって利のある、魅力的な提案だった。

(休憩――か)

疲労の回復や精神の安定はこの際どうでもいい。
だがこの休憩によって時間を消費すれば、乃得留たちが集合場所から去る確率はさらに高いものとなる。

いや、それだけではない。
もしも。この休息を戦闘禁止エリア解禁の時間まで長引かせることができたなら。
今なら邪魔は入らない。圭介と美雪の二人きり。

だとすれば。
だと、すれば――

「いや、大丈夫だよ。行こう」

だが、あろうことか。圭介の口から飛び出したのは否定の返事だった。

(――何を言ってるんだ、俺は)

自分が達成せねばならぬことが何なのかは重々承知していた。断る理由など無いはずだった。

だがそんな状況が、訪れる瞬間を考えることが怖かった。
美雪を殺せる状況で、美雪を殺す自分を考えるだけで怖気が走ったのだ。
覚悟はしている。だが足りない。未だ到達に至ってはいない。

(――くそ。やっぱり逃げるのかよ、俺は)

もう逃げないと、決めたのに。
どんな辛い現実でも、受け入れると決めていたのに。

それが人として正しい感情だとしても、圭介は己を責め立てる。

「男の子ですねえ、鳴神くんは」

そんな圭介の返事をやせ我慢だと捉えたらしい美雪は柔らかい笑みを向けてくる。

「お褒めに預かり光栄です、女王さま」
「女王さま――? ああ、上手いこと言いますね。ふふ」

狙うべきカードになぞらえた物言いには少し皮肉も含まれていたが、当然美雪が気づくはずもない。

「んじゃ、行きますか」
「はい」

乃得留たちがいるはずの部屋へと向かう圭介の足取りは相変わらず重い。
だがこれは先程までとは違う重みだという自覚がある。

これはまるで、処刑場への道のりだ――と圭介は己の中で吐き捨てる。






「ところでこれ、さっきから気になってたんですけど」
「ん?」

美雪のスタート地点であった部屋を通り過ぎた辺りで美雪がふと立ち止まった。

「ほら、これ。ここだけ床がちょっと変なんです」
「あ、ホントだ」

扉のある壁面とは反対側の壁のすぐ近く。
よく見れば一辺が30センチ程の正方形が床からわずかに一段盛り上がっていた。
排水溝の蓋、のようにも見えるが床下が覗きこめるような穴も開いていなければ外すために手を差しこむ隙間もない。
ただ床をくり抜いてはめ込み直した、としか形容できない歪な状態の代物だった。

「足でも引っ掛けたら危ないですよね、これ」
「うーん。そんな端っこをわざわざ歩く人なんていないと思うけど」

美雪の心配に相槌を打つものの、圭介にとってはどうでもいいことだった。
そもそもこの施設内において、段差に足を取られて転ぶ程度が危険とはとても思えない。

(そんなことよりもっと心配すべきことがあるだろうに。例えば――さ)

――君の側にいる男がもしかしたら命を狙っているかもしれない、とか。

ささくれ立った心にそんな自虐が思い浮かぶ。
それでも美雪は「それ」が気になって仕方が無いようで、近くに寄りつつ膝をつく。

「押さえたら、元に戻るでしょうか? よいしょ、っと」

足で踏みつければ事足りる作業をわざわざ手で行うあたりに少女の性格が窺えた。

そして。

かちり、という金属音と共に。
突如として、鋭い無数の金属の棘が床下から轟音を伴い飛び出した。



「――」
「――へ?」

呆然と。ただ呆然と二人は様変わりした「前方」を眺めるしかなかった。
美雪のわずか3歩ほど先。巨大な剣山が通路を隙間無く埋めている。
生えてきた棘は圭介の膝くらいの高さ。範囲は5メートルにも渡っており完全に封鎖の形になっていた。

「あ、あの、これって――」

錆びついた機械仕掛けのようにゆっくりと、美雪の首が圭介の方へ向く。

「鳴神くんの手品――じゃないですよね?」
「なワケないでしょ」

圭介は言い捨て、懐からハンカチを取り出し指に巻きつけて棘の一つに手を伸ばす。
薬物の類は塗られていないようだったが棘は簡単にハンカチを貫通した。

「――かなり鋭いな。この床の上に乗っていたらひとたまりもなかったかも」
「あ、あの――」
「罠、だね。それも極上に凶悪な奴だ。んで起動スイッチがそれ」
「!!」

今は床にきっちりとはめ込まれた正方形のパネルから美雪が慌てて飛び退いた。

(あ、危なかった――)

冷静さを装いつつも圭介の内心は恐怖で満たされていた。

罠はスイッチよりも前方に配置されていた。
おそらく一定以上の速度で通路を通過し、パネルを踏みつけた状態を想定したものだろう。
故にわざわざ立ち止まって罠を作動させた美雪に被害が及ぶことはなかったであろうが、
圭介自身がスイッチよりも前に進んでいなかったのはただの偶然だ。
一歩間違えば全身を貫かれ絶命していた。巻き込まれなかったのは奇跡以外の何ものでもない。

「じゃ、じゃあ、わたし、もしかしていたら――」
「はいストップ。その先を言う必要はないよ」
「でも、でも――」
「いいから」

もしかしたら圭介を死なせていたかもしれないと、身を震わせる美雪を言葉で制止する。

元より圭介に美雪を責めるつもりはなかった。
行き過ぎた善意により罠を作動させてしまった過失には確かに怒りを覚えなくもない。

だが現状は二人とも傷の一つも負ってはいない。
となれば「この施設内には罠が設置されている」という情報を得ることができた事実だけが残ることになる。
このアドバンテージは大きい。何せルールにすら記載されていない事柄だ。
少なくとも今後の行動において罠の存在を警戒することができ、結果事故死という死に様を迎える可能性は激減した。

そして何よりも、もう一つ。

「でもこれで、この道を通ることはできなくなっちゃったな」
「ごめんなさい」
「だからいいって」

そうなのだ。これで「最短の距離と時間では集合地点に向かえない」という正当な理由が出来た。
乃得留に出会いたくはない圭介にとって罠による通路の封鎖はまさに福音と言ってもよかった。

「でも大丈夫。このPDAの地図機能を使えば多少遠回りでもノエルさんたちのいた場所に戻れるよ」
「あ――そうですね」
「だけど、また同じような罠があるかもしれない。注意しながらゆっくり進もう」
「はい」

美雪が「板でも渡して乗り越えれば」などと言い出すより先に圭介は道を定め、巧みに誘導していく。

――これでいい。

これで元の場所に戻るまでに相当な時間を浪費することができる。
戦闘禁止エリアの解除まで残り1時間も切ればさすがに乃得留たちも自分たちを待ち続けることはあるまい。

即興で構築した割には完璧に近い言い訳に、圭介は自身の悪人としての才能を錯覚した。






「――ん?」

20分ほど歩いただろうか。
圭介の計画通り罠を警戒しながらの行軍は時間の消費の割に進みの鈍いものだった。
美雪がPDAの地図機能を駆使し、最短の迂廻路を弾き出したものの未だ道のりは半分を過ぎたばかりだ。

その道中。先行する圭介の視界に奇妙なものが目に入った。
罠の手がかりではない。そのように無機質なものではない。
角を曲がって50メートルほど先の壁際。丸まった何かが存在している。

(あれ、は――)
「! 鳴神くん、あれって――」

圭介は照準を合わせるために目を細め、逆に美雪は眼を見開いた。

間違いない。あれは、人だ。人が蹲って座り込んでいる。
まだ距離が遠いのでいかなる人物であるのか判別はつかない。
ただ、動き出す気配が欠片も感じられないことだけは確かだった。
そしてその人物が、圭介たちが遭遇した9人目の「ゲーム」参加者であることも。

「ま、まさか、あの人――」
「どうだろうね。ここからじゃちょっとわからないな」

殺し合いの許容されぬ時間帯であっても命を失う可能性があるのは先程示された通りだ。
件の人物が既に帰らぬ身となっていても何ら不思議なことではない。

「どの道さっきの部屋に戻るならここを通らなきゃならない。行ってみよう。怪我をしてるだけなら助けてあげなきゃ」
「――はい! その通りです!」

美雪が瞳を輝かせたのはおそらく自分が秘めていたものと同じ考えを圭介が口にしたからだろう。

(本音は、違うんだけどな――)

言葉の裏で情報の取得を第一に計算を働かせていた圭介にはそんな美雪が眩しく感じられた。

通路の至る所に視線を張り巡らせ、ゆっくりと進む。
少しでも不自然な個所が見つかれば即座に立ち止まれるように。
対象との距離が半分ほど縮まった頃、ようやく視界に人物の全身像を捉えることができた。

(な、なんだ? あの人――)

そしてその異様な風貌に圭介は思わず頬を引きつらせる。

生物学上の性別は男性。顔の造りはかなり端正な部類。
黒の長袖シャツと乳白色のジーンズもなかなかに様になっている。
だがその手足は異常なほどに痩せ細っており、不健康を絵に描いたような肌の色はまるで幽鬼を想像させられた。
そして何より特徴的なのは、その頭髪が余すことなく白色であることだ。
その様は何処ぞの重病患者をそのまま運びこんできた、としか思えない。

「ん――おや?」

さらに圭介が近付くと青年の閉じられていた双眸が力無く見開かれた。
どうやら命に別状は無いようだ。目立った外傷も見当たらない。
背後の美雪が小さく安堵の息をついたのが聞こえた。
だがやはり立ち上がる気配は見られない。相当に衰弱している様子である。

「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
「――」

我先と美雪が駆け寄った。青年は視界の端で少女の姿を認めたようだが返事は返ってこない。
目を凝らすと青年の顔には多量の汗が浮かんでいた。
そして口元から微かな、荒い息遣いが聞こえる。

「お願い、しっかり――」
「――な」
「な?」

漸く青年の元へ到着した圭介がか細い声を取り上げる。
まさか遺言を預かることにはならないだろうな、と恐れながら圭介は次の言葉を待つ。


「な――にか、たべ、ものを――」


どうやら衰弱の原因は空腹によるものらしい。
一瞬冗談にも思えたが、彼の異様な体つきから考えるに至極真面目に緊急事態なのだろう。

「た、食べ物ですか!? ちょっと待ってくださいね――」

美雪が部屋から持ち出した自分の鞄を開いた。非常食でも携帯しているのだろうか。

(森下さんは受験生だろうからな。持っていたって不思議じゃないか)
「あ、クッキーがあります! これでもいいですか!?」
(何っ! クッキーだって!?)

――まさか手作りじゃなかろうな? だとしたら俺も欲しいぞ森下さん!

ふざけた欲求を抱いた圭介であったが美雪が鞄から取り出したのはごく普通の市販のものだった。
だが青年にとっては待望のものであったのか。たちまち目を見開くと美雪に向って身を乗り出した。

「もら、っても――」
「もちろんです。こんなものでよければ」
「!!」
「きゃっ!」

獣のような動作で青年は食料に飛びついた。
およそ上品とは言い難い手つきで青年はクッキーを貪り始める。
ビニールに包装されていた十数枚のそれは、瞬く間に減っていき、数秒後には跡形もなく無くなってしまった。
空になった包装を確認すると傍らに置いていた無印のペットボトルに入った水を一気に呷り、青年は大きく息をつく。

「ふう――生き返った。ああ、ありがとうね」

心持ち血色の良くなった顔に笑顔を浮かべて素直に青年は礼を述べる。

「いえ。お役に立てたのなら嬉しいです。よっぽどお腹がすいてたんですね」
「まあね。ここ数日ロクに食べていなかったから。いや食べられなかった、と言った方が正しいかな」
「そうなんですか?」
「ああ、見ての通り僕は身体に異常があってね。普段はちょっと、人とは違う形で栄養を摂取してるんだ」

打って変って饒舌になってきた青年は肩を竦めて見せる。

「やっぱりご病気だったんですね。そんな人まで拉致してくるなんて――ひどい」
「拉致? ああ――うん。そうだよね」

青年は美雪と圭介を交互に見比べた。視線の位置が妙であることから正確には首輪を注視したのかもしれない。

「――君たちも『ゲーム』の参加者なんだね」
「ええ。わたしは森下美雪と言います。こちらが鳴神圭介くん」
「鳴神です」

圭介は短く会釈する。
危険と判断する情報が不足しているのか、それともそんな余裕もなかったのか。
とりあえず青年に敵意は感じられなかった。

「そうか。お互い大変なことになっちゃったね。この『ゲーム』はすごく過酷で、凄惨なものだから」
「そう、ですね」
(――ん?)

随分と妙な言い回しをするものだ。
確かにルールに目を通せばこの「ゲーム」がとんでもないものだとは理解できる。

だがこの先どのような悲劇が待っているのかは完全に想像の範疇だ。
なのにこの青年ははっきりと断定した。過酷で凄惨なものであると。

それはまるで「ゲーム」の全体像を知っているかのような物言いに聞こえなくもない。

(気のせいだろうか――)
「鳴神くん、と言ったっけ。何か言いたそうな顔つきだね」
「え? い、いや――」
「考えていることはだいたいわかるよ。そしてそれを隠すつもりもない」
「はあ」

白髪の青年の瞳は、まるで全てを見透かしているかのようだった。
何者なんだ、この男――対応は丁寧だが異様な風体もあってどうにも不信感が拭えない。

「これも何かの縁だ。少し話をしよう。っと、まずは自己紹介からかな」

そんな圭介を他所に、青年はぱさりと前髪を掻き揚げ、告げた。



「僕の名は長沢勇治。かつてこの『ゲーム』に参加したことのある者だ」





 ゲーム開始より5時間11分経過/残り67時間49分


【裏情報:開示】
・施設内には各所に罠が設置されている。



[21380] EPISODE-13
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/09/19 21:34
「なん――だって?」

驚くべき情報が青年・長沢勇治の口から告げられた。
名前の後に続いたのはほんの一呼吸で表わされるもの。だがそこには多分な意味合いが含まれている。

「ちょ、ちょっと待って下さい。ええっと――」

まず聞くべきことは何なのか。圭介は混乱して上手く考えが纏まらない。

「――ああ、そうだ。今『かつて』と仰いましたがこの『ゲーム』は今回が初めてじゃない、ってことですか?」
「そうなるね。僕が参加させられたのは数年前のことだけど、
 その次が今回なのかそれとも今に至るまで何度も繰り返されてきたのか。
 それは残念ながら僕にはわからない。ただ――」

「ただ?」
「この施設の内装には見覚えがある。おそらく僕たちの時と、同じ舞台なのは間違いないだろう」
「そう――ですか」

圭介はロクに手入れもされず埃を被っていたスタート地点の家具の数々を思い出した。
なるほどつまり。この施設は「ゲーム」のために造られたものではあるが。
決して「今回のゲーム」のために造られたものではなかったのだ。

(そう考えれば拉致の際のあの手際の良さも納得がいく、か)

取り押さえることすら困難が予想される大門。
日常ですらおいそれと隙を見せそうにない乃得留と楯岡。
そんな彼らでさえ、抵抗の一つも許されずプレイヤーとして強制召集されてしまった。

それは実行犯にそれだけの経験と実績が伴っていたと見て然るべきである。
それだけの経験と実績を、重ねる機会があったということになる。
年に一度――若しくはそれ以上であろうか。

何と恐ろしいことか。圭介は思わず身震いした。
自分が日々を過ごしていた平穏の裏側には、このような闇が隠されていたのだ。

「それで、あの――長沢さんは、その――」

今まで言葉を失っていた美雪が、恐る恐る、と言った感じで口を開く。

「ん? ああ――もしかして、『どうやって前回のゲームをクリアしたのか』、かい?」
「――はい」

そう。それこそが本当に圭介が聞きたかったことだ。
彼は「ゲーム」を過去に経験し、そして今、圭介たちの目の前にいる。
それはつまり。何らかの形で「ゲーム」をクリアしたということなのだ。

だからこそ、この「ゲーム」の惨状を断定することができたのだ。
だからこそ、この時間帯での接触は危険ではないとこちらに無防備な状態を晒しているのかもしれない。

それはいったい、どうやって?
だが長沢青年はすまない、とばかりに顔を伏せる。

「ごめん。できればそれは聞かないで欲しい。
 あまり気持ちのいい話じゃないし、僕がこんな身体になってしまった原因もそこにあるから」
「あ――ごめんなさい」
「謝らないで。むしろ謝るのはこっちの方だ」

どうやら長沢は、相当に悲惨な体験を過去の「ゲーム」でしてきたらしい。
そのせいでまともな日常生活すら送れぬ身体に成り果てたとしても、無理からぬことであろう。

「ところで君たちは、この「ゲーム」をどこまで把握してる? 見た感じ相当に理解している様子だけど」
「えっと、ですね」
「幸いにして個別ルールは①から⑨まで全部把握しています。俺たちには協力者がいますから」

「いた」ではなく「いる」。
美雪の手前、圭介はあえて乃得留たちとの協力関係は現在進行形のものであると告げた。

「――⑨はもしかして、全カードの解除条件?」
「はい。そうです」
「そこは前回と同じか――となると各カードの危険度もそれなりに把握している?」
「そうなりますね」
「――そっか。じゃあまず、僕の身の潔白を示しておこうか」

長沢は少しだけ身を捩り、ジーンズのポケットから黒色の携帯端末を取り出した。

「ご覧の通り。僕のPDAは『5』だ。条件はチェックポイントの全制覇。
 他の解除条件はわからないけど、おそらくもっとも他人を襲う理由の無いカードだと思う」
「――その身体で全部のポイントを回るのは辛くないですか?」
「かもね。でも人を殺して生き残らねばならない条件に比べればずっとマシだよ」

長沢は儚く微笑み、釣られるように美雪も笑顔を見せる。
そんな中、圭介は一人愛想笑いを浮かべるのに苦労していた。
その条件を見事引き当ててしまったのは他ならぬ自分であるからだ。

青年の言を信じるならば、彼もまた殺し合いへの参加を由とはしない方針らしい。
理由の大半はそのままならぬ身体との相談の結果であろう。
それとも長沢の過去の体験を省みての決断でもあるのだろうか。

「じゃあ、わたしも。カードは『Q』。条件は2日と23時間の生存です」

長沢が危険な人物ではないと判断したのだろう。美雪は自身のPDAを提示して見せた。

(――)

――さて、では自分はどうするか。

圭介はまだ長沢を完全に信用したわけではない。
だが過去の「ゲーム」体験者という彼の持つ情報は何ものにも代え難い。
そしてそれを惜しむ様子が無い以上、無碍に扱うわけにはいくまい。
それにここで美雪と同調しておかなければ、彼女にも長沢にも余計な疑いを与えかねない。

――まあ、いいか。どうせ晒しても惜しくは無い嘘カードだ。

あえて友好的なスタンスを取り続けることを決断し、圭介はJOKERで偽装した方の「6」のPDAを長沢に見せた。

「俺の条件はJOKERの5回以上の使用。つまり俺たちは争う理由を持っていないことになります」
「そうか、よかった。うーん、でもそうなると今回の解除条件の一覧は知っておきたいとこではあるなあ」
「あ、でしたらこれ、さしあげます」
「ん? これは?」
「ルールを紙に書き出したものです。①から⑨まで全部載っています」
「それは助かるけど――いいのかい? 美雪さんの分だろ、これ」
「大丈夫です。もう全部覚えていますし、万が一忘れても鳴神くんの分がありますから。ね?」

片目を瞑って美雪は圭介に同意を求める。

「ああ、もちろん異存は無いです」
「はは、仲がいいんだね君たちは」

確か大門にもそんなことを言われた気がする。
だが「一時も離れたくない間柄」という意味合いが変わってしまった今、無駄な茶化しを入れる気にもならなかった。

「じゃあ遠慮無く――ふうん、なるほど」

長沢の両目が文字を追い忙しなく動く。
そしてしばしの後、ぱさりとルール一覧を下し、深く息をついた。

「――まったく同じだね。前回と」
「そうなんですか?」
「ああ。解除条件もまったく同じ。追加されたルールも見当たらない」
「じゃあ、長沢さんの経験は全部活かせるってことになりますね」
「そうなるね。あくまで記載されているルールについては、だけど」

記載されていないルール――圭介の脳裏に先程の危うい出来事が思い浮かんだ。

「あ、じゃあ長沢さんは罠についてはご存知ですか?」

美雪も同じ事を考えたようですぐさま長沢に確認を取る。

「え、罠に引っ掛かったのかい? それにしては怪我はしてないようだけど」
「ええ、まあ何とか無事でした」
「それは何よりだ。どんな罠だったの?」
「実は――」

美雪は順を追って説明し始める。
さらにそれに至るまでの経緯、特に乃得留たちとの出会いとルール説明、
協力の取り付け方など事細かに長沢に語って聞かせた。
長沢が協力の意思を示している以上、自分たちの味方についても解説が必要であろうと考えたらしい。

「なるほどね」

説明は数分間に及んだ。背中を壁に預けたまま長沢は腕組みし、深く頷いた。
だがその表情は先程とは打って変わって厳しい。

「まずいな、それは」
「え? 罠の話ですか?」
「いや違う。その、ノエルさんの同盟のとこ」

実は美雪の説明が乃得留の話になってから、長沢の表情の変化は顕著になっていた。

「? 何か彼女の理論におかしなところがありますか?
 確かに切り捨てなければいけない部分があって多少薄情にも思えますけど――」

キラーカードの所持者を見捨て他のプレイヤーを救うという乃得留の理論。
もしかするとその冷徹な部分が長沢の気に障ったのであろうか。
だが過去に「ゲーム」を体験している長沢ならば甘い考えは通用しないと理解しているはず。
長所の部分に関しても彼のPDA「5」は乃得留と協力を取り付けるに十分な安全条件だから障害は無い。
ならば何が引っ掛かっているのだろう?

「罠についてはPDAのルール条項に記載されていないよね?」
「え? はい」

いきなり話が元に戻ってしまった。
長沢の考えが圭介にはわからない。のでとりあえず続きに耳を傾けることにする。

「まあ最初っから罠の存在に気づかれちゃ困るってことなんだろうけど。
 それと同様に『裏ルール』みたいなものがこの『ゲーム』には幾つか存在する。
 そうだね――まず何から話したものか」

ここで一旦、長沢は話を区切る。そしてペットボトルの水を一口含ませる。

「まず、この建物は6階建てで構成されている」
「え――」

思わず圭介は言葉を失った。
確かにルールの⑤には「1階から侵入禁止エリアが拡がっていく」とは記載されていた。
しかしせいぜいが3階建て程度だと思っていた。

――このバカでかくて複雑な迷路が、6階も重なっているのか!?

これでは最上階への到達だけでかなりの時間がかかってしまうではないか。

「そして罠と同様、僕たちが使用できる武器もそこら中に隠されている。
 さらにその武器は、階層が上がるごとに強力になっていく」
「ぶ、武器だって!?」
「そんな――嘘ですよね!?」

長沢が静かに首を横に振る。

「『3』や『9』が素手で達成できる条件だと思うかい? 残念ながら本当だよ――
 確か2階から刃物、3階から銃の類だったかな。もっと上に行けば重火器や爆薬すらあるだろう」
「――」
「そこでさっきのノエルさんの話だ。おそらく彼女は武器らしいものの見当たらない1階だからこそ、
 そんな理論を考え出せたのだろう。だけど――」

乃得留の理論が成就すれば、非戦闘を提唱する大人数の団体が構成されることになる。
そうなれば敵対者との戦力差は明らかであるから抵抗は無意味、であるはずだった。

だがもし。長沢の言葉が真実であったのならば。

「その団体のど真ん中に爆弾でも投げ込めば――一網打尽だ」
「やめてくださいっ!!」

思わず美雪が両手で耳を塞いだ。
それほどに衝撃的で。残酷な情報だった。

「ごめん。怖がらせるつもりはなかった。けど事実なんだ。
 この裏ルールは『ゲーム』の根幹に関わるものだから僕の時と同じく変更は無いはずだ」
「――根幹、とは?」
「まさしくノエル理論の看破だよ。『生き残るべきは選ばれし少数のみだ』ってね」
「――」

圭介はスタート地点で発見したカメラの存在を思い出した。
なるほど。主催者はどうあっても自分たちに殺戮ショーを強制させたいらしい。

「ノエルさんに知らせなきゃ。でも――」

美雪は元の場所への方向と、未だ一度も立ち上がることのできない長沢を交互に見比べる。
今の彼の様子では人の手を借りねば前に進むことすら困難であろう。
一刻も早く、という条件が付くならば彼を連れていくことはマイナスでしかない。
だが戦闘禁止エリアの解除が迫ってきているこの状況ではこれ以上の時間のロスは致命的だ。

「僕のことなら気にしなくていいよ。足手まといになることは重々自覚してるから」
「だけど!」

そんな言い方をされればますます見捨てられないのが森下美雪という少女だ。
彼女の焦りと混乱が圭介は殊更に目に見えるようだった。

――ここは助け船を出しておくか。お互いのために。

「森下さん。ここは長沢さんが優先だ。焦ってももう、ノエルさんたちはいない可能性が高い」
「鳴神くん!? でも――」
「それに大集団での行動が逆に危険になってくるのはもっと上の階に上がってからだ。
 今はむしろ、人数は多い方が安全だよ」
「――そう、ですね」

納得はできないだろう。葛藤はあるだろう。
だが両方を同時に叶える選択肢は今は無い。渋々、といった感じで美雪は腰を落ち着けた。

(――やれやれ)

逆に圭介は少し安堵する。今は何としてでも乃得留たちとの再会は避けねばならないからだ。
だが同時に、美雪がやけにあっさり長沢を選んだという事実にやや複雑な気持ちになる。

単に噛み合わせの問題だけかもしれないが。
先程から自分とのものより長沢との対話の方が弾んでいることがどうにも気に食わない。

「いいのかい? 僕なんかはどの道置いていくハメにはなると思うんだけど」
「――寂しいこと言わないで下さい。せっかくこうやって、知り合えたじゃないですか」
「ありがとう。その気持ちはとても嬉しいよ」
「――」

優しい言葉と応える返事。
長沢はその儚さも手伝って細面の美青年。美雪は言うに及ばず。
一歩退いて見てみれば、確かに絵になる二人ではある。
一度そう考えてみると圭介は自分の今の立ち位置がまるで道化のようにも思えてきた。

(何を考えてるんだ。関係無いだろ、そんなこと)

否定の言葉を内に投げかけ、思考を排除する。
今はそんな状況ではない。非常事態警報は現在絶賛発令中だ。
考えなければならないことは他に山ほどあるはずなのだ。

(――ん?)

一瞬、長沢と目があった。妙な笑みが浮かんだように見えたのは気のせいだろうか。
まさかまた考えを見透かされた、わけではないだろうが――

「え、えーと長沢さん。他に『裏ルール』は無いんですか? 教えてもらえると助かるんですけど」

このままでは色々とマズい。ひとまず圭介は話題を元に戻すことにした。

「うーん、そうだなあ」

長沢はさして気にした素振りも見せず、思案に暮れる。
やがて検索が完了したのか、「あ、そうだ」と再びPDAを二人の目の前に翳して見せた。

「PDAの機能拡張、なんてのはどうだろう? たぶん1階じゃまだわからないだろう」
「機能拡張――ですか?」
「そう。コイツは外付けのソフトウェアを取り付けることで今現在には無い機能を新たに加えることができる。
 ほら、ここにスロットがあるだろう?」

長沢がなぞったPDAの側面には、確かに何かが嵌め込めそうなスロットが空いていた。

「武器と同様にそのツールもこの先の階層に隠されている。その機能は多種多様だ」
「例えばどんな機能なんですか?」
「僕が前回発見したのは罠の探知機能だね。地図に罠の反応が追加された」
「それは便利ですね」

肉眼で発見することが困難な罠を事前に反応で探ることができる。
それができれば今後の進行がどれだけ楽になることだろう。是が非でも手に入れたい代物ではある。

「で、その使い方なんだけど――って、現物が手元に無いとわかり辛いよね」
「いえ、でも聞いておきたいです。もしかすると変な使い方をしちゃうかも」
「そうかい? じゃあちょっと僕のPDAを試しに使って説明しよう。
 見辛いかもしれないから美雪さん、もう少し近寄ってくれる?」
「あ、はい」
(――なんで俺の名前は呼ばないんだ)

圭介は思わず口元を引きつらせる。構わず美雪は長沢に身を寄せた。

(――って、近い近い!)

長沢がPDAを持つ手を伸ばそうとしないので自然美雪は長沢に身体を密着させる形になる。
二人の距離は最早吐息がかかるほどだ。

「もう少し――ごめんね。正直手を伸ばすのも辛いんだ」
「いえ、お気になさらず」
(俺が気にするってのっ!!)

もう見てはいられない。この苛立ちがどのような感情なのか、知ったことではない。
自分も長沢のPDAの説明を受けるため、と言い訳を用意して圭介は二人の間に割り込もうとした。


「あー、ごめん。俺も」
「そう、そのまま」
「――え?」



突如。
長沢の手の中のPDAが反回転し。
美雪の首筋に押しつけられた。




 ゲーム開始より5時間25分経過/残り67時間35分



【プレイヤーカード:開示】
・「5」:長沢勇治


【裏情報:開示】
・施設の階層は6階が最上階。
・各フロアには武器が各所に隠されており、階層が上がるごとに強力なものになっていく。
・PDAの機能を拡張することができるソフトウェアが存在する。




[21380] EPISODE-14
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/09/19 21:38
「――え?」

かきん、という小さな衝突音がした。
それが長沢のPDAと美雪の首輪が触れ合った音だと気づくのに圭介は数瞬の時間を要した。

PDAのサイドには小さな金属製の突起が付いている。
その部分が首輪に触れて音を立てた。当たった箇所は美雪の首輪の左側にある小さな窪みの――僅かに隣。

「!!」
「きゃっ!」
「うわっ」

反射的に圭介は美雪と長沢の間に身体を滑り込ませた。
そのまま背中で美雪の身体を押し、長沢との距離を開かせる。

「あ、あの、鳴神くん? 急にどうしたんですか?」

突然の圭介の行動に美雪は呆然としている。
自分が何をされたか。何をされそうになったのか。まったく理解していないのだ。

「――」

美雪に返答せず、圭介はただ長沢を睨み付けた。
長沢には特に驚いた様子は見られない。冷やかな眼差しで圭介を見つめている。

「怖い顔だね。何か言いたいことでも?」
「――アンタ今、森下さんに何をしようとした」

自分でも驚くほど低い声が、圭介の喉から飛び出した。

「何って――PDAの機能拡張の説明だけど?」
「そうですよ。鳴神くんだってずっと聞いてたんだからわかってるでしょう?」
「へえ、そうかい。森下さんの首輪にアンタのPDAを接続することが説明とはとても思えないけどね」
「――え?」

PDAの突起部分と首輪のコネクタ。この二つを解除条件を満たした状態で接続すれば首輪を外すことができる。
だが条件が達成されておらず、しかも他人のPDAが接続されたとしたら?
答えは明白だ。たちまち首輪はエラー判定を下し、美雪は先程弔った女性と同じ末路を辿っていただろう。
長沢はそんな惨状をまさに引き起こそうとしていたのだ。

「俺の声に森下さんが反応して少し首を動かしたから接続をミスった。そんなところかな」

しかも偶発的にではなく意図的に。

「へえ。つまり君はこう言いたいわけだ。『僕が美雪さんを謀って殺そうとしたんだ』と」
「そうなるね」
「そんな――そんなの、言いがかりです! 長沢さんがそんなこと、するはずがないじゃないですか!」

美雪は圭介の言葉を信じようとはしなかった。
先程まで懇切丁寧に「ゲーム」の危険性や裏ルールを教授してくれた青年が手酷い裏切りを見せたとは考えたくもないのだろう。

「ただ私の首輪に長沢さんのPDAが触れた、それだけでしょう? そんなことくらいでこんな、まるで悪者みたいに!」

確かにその通りだ。傍目にはほんの些細な接触にしか見えない。
命を預かる精密機器を軽率に扱ったという点においては非難されるべきかもしれないが、
それだけでは長沢を人殺し呼ばわりする根拠に乏しい。
この場で責められるべきは寧ろ圭介の人格であると美雪が判断したのも至極当然に思える。

「そうかな?」

だが圭介の発言は嫉妬に駆られた妄言ではない。
何の確証も無しに今までの関係を否定するほど圭介は愚かであるつもりはない。

「そうですよ! 長沢さんはわたしに、PDAがちゃんと見えるように手を伸ばしただけ、で――」

憤りを露わにしていた美雪の言葉尻が、みるみる小さくなっていく。

「――気がついた?」
「そんな――」

この期に及んで漸く。美雪も長沢の行動に違和感を発見してしまったのだ。

「森下さんの方から近付いてもらったのは、画面を見せるためだったよな?」
「――」

口を閉ざしたままの長沢に向けて、圭介は厳しい視線を投げかける。


「じゃあ、その見せるはずのPDAの画面が、なぜ今は下を向いているんだ?」


長沢の差し出されているPDAは。明らかに裏側が天井を向いていた。
それが何を意味するのか。

「そうしないとPDA側のコネクタの方向が合わないから、だよな」

そう。接続のためにはどうしても両者の口を合わせる必要がある。
そのためにはPDAの画面が上を向いたままでは不可能なのだ。どうしても天地を逆にせねばならない。
だからこそ今の状態は。正解は圭介の方にあると雄弁に物語っているのだ。

「おかしなところはそれだけじゃない。アンタはさっき言ったはずだ。『正直手を伸ばすのも辛い』ってね」
「――」
「でも今アンタの腕は伸びてるよな。特に辛そうにも見えないし」
「――」
「以上の点から、アンタが『森下さんの首輪にPDAを接続しようとした』ことは明らかだ。
 さ、言いたいことがあるなら言ってみろよ。
 まさか機能拡張のために接続が必要だ、なんて言わないだろうな?」

唯一成り立ちそうな言い訳はこれで封鎖した。
それにしたって事前に説明も無く行動を起こせば不安を煽るだけだ。
そもそもPDAの機能拡張はPDA自体で行うべきで首輪の接続が必要であろうはずなどない。

「長沢さん――嘘、ですよね。わたしを殺そうとしただなんて。そんなの――」
「――く」

進退極まった屈辱に、思わず長沢は苦渋の吐息を洩らしたかに思えた。


だが次の瞬間、長沢の様子が豹変した。



「く、くく、くははは、ぎゃはははははははっ!!」



「!!」
「な、ながさわ、さん――? いったいどうし――」

大音量の下卑た笑い声がフロアに響き渡る。
支えることすら困難であったはずの痩せ細った体躯がばね仕掛けのように跳ね上がった。

「はは、は、は――あーダメだダメだ。もう笑い堪えるのに必死。やっぱこんなの『オレ』には似合わないよね!」

死と隣り合わせであるかのような、儚い青年の姿はもう何処にもなかった。
獰猛な爬虫類を連想させる双眸。耳元まで釣り上げられた口元。
掻き揚げられた総白髪の前髪の下から現れた表情はただただ邪悪に歪んでいた。

「いやあ残念、実に残念だよ! そこのお嬢さんが蜂の巣になるか、丸焦げになるか。
 どんな死に様で処刑されるのか、楽しみにしてたのにさあっ!」

「――それが、アンタの本性か」
「んー、何? どんな想像してたワケ? まさかオレが過ちを認めて泣いて許しを請うとでも思ってた?
 んで嬢ちゃんの前でいいカッコするとこまで想像してた? はーは、バッカでね!? お前」
「! て、てめぇっ!!」
「お、やろうってか? いいぜ、かかってきなよ」

激情に任せて圭介は長沢の顔に拳を叩き込もうとした。

(く――待て待て、駄目だ、落ち着け!)

だが何とか踏み止まる。まだ戦闘禁止エリアは生きている。
ここで迂闊な行動を取れば、今度は圭介が警備システムの脅威に晒されてしまうからだ。

「なんだまだその程度の頭はあるか。その割にはかーんたんにオレの演技に騙されてたけどさ、ぎゃは!」
「――」

騙されていた張本人、美雪は圭介の背後でガタガタと身を震わせている。

裏切られた。殺されかけた。
寄せていた信頼が大きい分だけ、少女の失意と恐怖は計り知れないものであるだろう。

「まさか――前回の『ゲーム』でも、こうやって人を殺してクリアしたのか!?」
「ああ、そうともさ。そうしなきゃクリアできない条件だったからねえ。
 でも元から他人の命なんてどーでもよかったし、逆に人を殺すことが楽しみで仕方が無かった!
 だからオレは3人でいいところを4人も殺してやったんだぜ!
 スゲくね? オレってスゲくね? ひひゃはははははっ!!」

さらに驚愕の事実が告げられた。
なんと長沢は、前回の「ゲーム」でキラーカードの「3」を引き当てつつも条件を達成していたのだ。

(そんな――そんなことって――)

この「ゲーム」は殺し合いが基本。頭では理解しているつもりだった。
だがこれまでに出会った参加者は誰一人としてそれを由とはしなかった。
人の命を奪うという禁忌に対して明らかな嫌悪感を抱いていた。
キラーカードを引き当てたであろう木戸亮太でさえも「そうしなければならない」という葛藤に苦しむ様子が見えた。
それは人が人である以上、当然持ち合わせている感情だ。

しかし、この男は違う。
長沢はそんな行動に罪悪感など欠片も抱いていない。
苦悩も悲嘆も同情も憐憫も。この男の中には何一つ存在していない。
逆に人を殺すことに悦楽や恍惚すら感じているのだ。
故に長沢はあらゆる手管を用いてでも人殺しを望む。
たとえ争う必要の無いカードを引き当てていたとしても。

(――狂ってる)

目の前の長沢勇治という人物は。紛れも無い怪物だった。

「ツイてるなあ、お前ら。さっきのテは警戒されちゃ二度とは使えないから。
 さすがのオレも、あと20分少々は手が出せない」

戦闘禁止エリアはあくまで戦闘行動を禁止しているというだけのこと。
先程のPDAの操作のように争わずとも人を殺せる術はあるのだと、圭介は思い知らされた。
だが長沢の言う通り警戒さえしていればこの方法は二度は使えない。

「だからもう少し、ここでゆっくりしていきなよ。戦闘禁止の解除と同時に、仲良くきっちり殺してやるからさっ!!」
「!!」
「ああ、さっき言ってたお仲間も、勿論後を追わせてやるから心配するな。
 20億まるまるゲットするには、オレ以外の生き残りなんて一人もいちゃいけないよな!」

口腔から涎を撒き散らし、長沢は高らかに笑い飛ばす。

(――20億?)

確かにルールにはそのような記載がある。だが圭介の念頭からは完全に除外されていた。
それがどんなに莫大な金額でも。それが殺戮の動機と成り得るなどとは想像だに出来なかったのだ。

「前回の賞金は5億ぽっちだったからな。この程度、ほんの数年で使いきっちまう。
 酒、女、ドラッグ――ホント現代社会で生きていくには金がかかるよ!」

それのどこが現代社会だ、と思わず悪態が口を突きそうになる。

――ダメだ。このまま長沢のペースに嵌められては。

こうしている間にもリミットは刻一刻と迫っている。
戦闘禁止エリアが解除された瞬間、長沢は予告通りこちらを殺しにかかるだろう。
最早彼の廃人めいた風貌など信用できない。戦って勝てるなどとは考えるべきではない。
美雪を庇いながらの戦いともなれば尚更だ。

――逃げなければ。

それ以外の選択肢など無いはずだ。だが毒蛇の視線に呑まれたか、足が動こうとしてくれない。

(くそ、どうすれば――)

「まったく。あの時ヘマさえしなきゃもう少し稼げてたってのに。
 おかげであのクソ野郎に頭下げて参加登録する羽目になっちまった――ああ、くそ! くそクソ糞っ!!」
「!?」

長沢は突然憤りを露わにしたかと思えば激しく身体を上下させ、白髪を掻き毟り始めた。

「くそクソ糞々、薬が、クスリが切れちまったっ!! ぐ、ぐ、ぐわぐわがががががぎゃぎゃが」

(な、なんだ!? まさか――)

――あの異常な風体と頭髪は薬物依存のせいなのか?

確証は無かった。だが長沢の苦しみ様はおそらく正解であろう。


「く、くく、クスリクスリ薬薬薬薬ぃぃぃっっ!! あ、お、オイ手前ぇら、なにボーっと突っ立ってやがるっ!!
 さっさとオレに薬を、クスリをおおおっっ!!!!」

「!!」

長沢の恫喝で呪縛が解けた。チャンスは今しか無い。

「行くよ、森下さんっ!」
「え、あ、はいっ!」

美雪の手を取り圭介は勢い良く床を蹴る。

「あ、ま、待てオイ、ぐあ、ぐ、ぐぎゃががががががっっ!!!!」
「誰が待つかよっ!」

最速で。全速力で。とにかくこの場から離れることだけを考える。

「はあっ、はあっ、は――」
「森下さん、今だけ、今だけでいいから頑張って!」
「――」

美雪の頷きを気配だけで察知し、前へ、前へ。
罠の存在や乃得留たちのいた部屋からまた遠ざかっている事実。
そんな何もかも。今の圭介には考えることはできなかった。









どれくらいの距離を走っただろう。どれだけの時間を走っただろう。

「はあっ――はあっ――」

後方に長沢の姿は無い。だが油断は禁物だ。
2度目の「ゲーム」の体験者であるあの男なら施設の構造を熟知していても不思議はない。
少しでも、遠くへ。先回りを企てようが、決して追いつくことのできない程に。

「はあっ――はあっ――あ!」

ついに美雪が足を縺れさせた。

「! 森下さんっ!」

圭介は咄嗟に身体を反回転させ、繋がれた手を引く。
寸での処で少女を床との接触から救出することができた。

「あ、ありがとう――ございます――はあ――」
「いや、こっちこそ――無理をさせ、て――」

気丈な彼女がここまで疲労を露わにしている。
ということは彼女の体力はとうの昔に尽きていたのだろう。

「ま、ここ、まで来れば、だいじょう、ぶ、だろ。もう、休も、う」
「そ、う、です、ね」
「――ぷはあっ!」

圭介は壁に背を預け、座り込んで大きく息を吐いた。
正直圭介も限界だった。だが長沢の脅威に晒された身体がそれを許してくれなかったのだ。
二人はしばし無言で息を整える。
話したいこと、話さねばならぬことは山ほどあったがまずは落ち着くことが先決だった。


だが二人の持つPDAが同時に警告音を発したのは次の瞬間だった。


(!?)

必要以上に圭介が驚愕したのは握り締めていたPDAではなく懐から警告音が発せられたからだ。
圭介は今、表向きは「6」が表示されているJOKERを主に使用している。
真実のPDA、「A」は今制服の内ポケットの中だ。
どうやら今の警告音は正規のPDAからのみ発せられたらしい。

(――バレてない、だろうな)

圭介は恐る恐る美雪の様子を窺う。
美雪の方は未だ呼吸が整っておらずPDAを調べる余裕も無さそうだった。
少しばかり安心した。そしてJOKERの特別仕様に内心感謝した。
もしも、警告音が3つ同時に鳴っていたら。さすがの美雪も不審に感じたかもしれない。

(――さて)

圭介は右手を一度小さく振り、同時に左手で右胸を叩く。
すると手の中のPDAが袖口に引っ込み、一瞬でもう一つのPDAが現れた。
圭介お得意のマジックの一つ、「瞬間変化」だ。
懐に忍ばせてあるタネは全て袖のバイパスを通して手の先に送り込むことができる。
後は大仰な仕草で元から手にしていたものを袖口から懐に送り返せば完遂。
傍目にはまるで一瞬で手にしていたものが別のものに生まれ変わったように見えることになる。
無論今回の行動は美雪に手品を見せるためではない。
むしろ美雪には見せたくないがため。不審な仕草を見せること無くPDAを切り替え、警告音の原因を調べるためだ。

改めて圭介は「A」のPDAの画面に目を落とす。

(ん?)

スペードのAの初期画面から切り替えていないはずのPDAには以下の文面が表示されていた。


『開始から6時間が経過しました。お待たせいたしました。全域での戦闘禁止が解除されました!』
『個別に設定された戦闘禁止エリアは現在も変わらず存在しています。参加者の皆様はご注意ください』


「森下さん、PDAを!」

圭介は即座に美雪に自分のPDAを確認するよう促す。
美雪は緩慢な動作で自身のPDAを取り出し、そして「あ――」という驚きの声を上げた。

(ついに――来ちまったか。この時が)

これで施設内に存在する参加者の鎖は解き放たれた。
暴力行為を抑制するルールは、今この瞬間をもって消失することとなった。

「となると、この場で立ち止まっているのはマズい。どう? 森下さん。動けそう?」
「は、はい――もう大丈夫、です」

その表情にはまだ疲労の色が濃いがそんなことも言っていられない。
見晴らしの良い通路内に留まったままでは他のプレイヤーに発見される危険性が高い。

「よし、じゃあこっち」

再び美雪の手を取り圭介は近場の扉に移動する。
室内であればとりあえずの発見は困難であるはずだ。話をするならばこちらの方が都合が良い。
もっとも困難であっても不可能ではなく、逆にいざ見つかってしまえば今度は逃走が困難になってしまうのだが。
だがどの道今の状態では逃げることもままならない。
今後の方針の打ち合わせの間だけ、と限定し圭介は扉を開き美雪と共に部屋の中へと身体を滑り込ませた。

「お、こいつはありがたい」

室内は圭介が目覚めた部屋のように家具類は設置されておらず木箱が積み上げられた雑多なものだった。
その中の手前の一つ。蓋が開いたままの箱の中に水の入ったペットボトルが幾つか入っていた。

全力で走り続けたため圭介の喉は相当に乾いている。
これ幸い、とばかりにその一本を手に取り、キャップを捻って口を開けた。

(まさか毒なんて入ってないだろうな――まあ大丈夫だろ)

一拍の躊躇いの後、一気に呷る。たちまちに身体が潤いを取り戻す。
生きていることに感謝したくなる一瞬だ。特に今なら、尚更に。

「――ぷはっ! あー美味い。ほら、森下さんも」
「――」
「あ、ごめん」

勢いでつい圭介は半分まで減ったペットボトルを差し出してしまった。
同性ならばともかく女性の身である美雪は気にかかる部分があるだろう。

「はい。じゃあこっちを」

箱の中から新たなペットボトルを取り出し圭介は美雪に渡そうとする。
だが美雪は顔を伏せたままそれを受け取ろうともしない。

「――森下さん?」

どうにも様子がおかしい。まだ疲労のせいで身体を上手く動かせないのだろうか。

「――さんは」
「ん?」
「長沢さんは――わたしたちを、騙したんですよね?」
「――ああ、そうだよ」

長沢勇治。脆弱な体躯の白髪の青年。
だがその正体はかつての「ゲーム」を生き残り。
賞金の全額確保のために参加者の殲滅を目論む殺人狂だった。
そんな男の善人を装った姦計に、美雪は危うく命を落としかけたのだ。

「いい人だと、思ってたんです。助けてあげなきゃって、思ってたんです。それなのに――」

伏せられた前髪の向こうから嗚咽が聞こえてきた。
誠実を絵に描いたような少女はおそらく誠実な仲間に囲まれ、誠実な人生を送ってきたのだろう。
だからこそこのような手酷い裏切りは余程に応えているに違いない。

「――」

それは過保護な人生であると。世の中はそんなに甘いものではないと。
ここで少女に告げることは容易い。
だがそんな世間の荒波をこの場で説いたところで何になるだろう。
彼女はもう十分に傷ついた。これ以上の何が必要だと言うのか。

それに。こんな風に人を想えることは本来尊いことなのだ。
圭介が既に遠い昔に無くしてしまったものを、今も美雪は胸に抱いて生きている。
だからこそ。圭介はこの少女に惹かれていた。魅せられていた。

「――俺が」
「――え?」
「俺が、側にいるから。森下さんの、力になるから。だからそんなに悲しまないでくれ」

自然と言葉が口をついた。
傷心の彼女を何とか励ましたかった。沈む彼女をこれ以上見ていたくはなかった、から。

「鳴神くん――そう、ですね」

漸く顔を上げた美雪は目尻に溜った涙を拭う。

「鳴神くんは、いつもわたしを助けてくれます。大門さんの時もあの女性の見送りのときも、そして――今回も。
 本当に、本当に――感謝しています」
「そうでしょう。そうでしょう」

徐々に光を取り戻す少女の表情に圭介は安堵する。

――よかった。やっぱり森下さんはこうでなくちゃ。

「何か、お礼をしなくちゃいけませんね」
「え?」
「今はこんな状況ですからプレゼントとかはできませんけど。わたしにできること、何かありませんか?」
「い、いや、いいよそんな別に」
「それではわたしの気が済みません」
「そんなこと急に言われたってなあ――」

突然の申し出は混乱の引き金だった。だがここで退かない美雪であることは圭介には既にわかっている。
さて、どうするか。
物品譲渡は却下されている。かといって金銭の要求では何とも味気ない。
と言うより「わたしにできること」に殊更に反応した自身の邪な欲求こそが最大の障害だ。

(――って、一度意識しちゃったらもうそっち方面しか考えられんじゃないか、俺のアホ!)

頭を抱えて蹲ってしまった圭介を美雪は心配そうに眺めている。

「あ、あの――そんなに悩まなくても。何でもいいんですよ?」
(そゆ事言うから余計に悩むのでしょうが! あーもう――)

純粋すぎるのも考え物だ。先程までと一変した空気は喜ばしいものだが同時にまた悩ましい。

(――よし)

内なる衝動との対決を終え、圭介は美雪に向き直る。

「じゃあ、ハグしてもいい?」

結果は衝動の辛勝だった。

「――はい?」

予想外の返答だったのか、呆気に取られる美雪。

(――やっちまった!)

理性は再戦の意欲を取り戻す。たちまち顔が熱くなる。

「な、なんてね! 別に今はいいよ! そのうちまとめて返してもらおっかなーなんて!」

最初からこう答えればよかっただけの話ではないか――
まともに美雪の顔を見ることができず、つい圭介は少女に背を向けてしまう。

「さ、さてっと。お、せっかくだからこの部屋には水の他に何か無いか探しておこう! えーと、まず」

そして恥ずべき発言を誤魔化すため、大げさな身振りで散策を開始する。

「えい」
「――へ?」

唐突に。圭介の背中に柔らかいものが押し付けられた。
背後から美雪に抱きすくめられたのだと、気がつくまでに多少の時間がかかった。

「あ、あの――もりした、さん?」
「は、話しかけないでください! すごく恥ずかしいんですからっ!」
「――」

そのまま。時間だけが過ぎていく。
長沢のこと、戦闘行動が解禁になってしまったこと。
考えなければならない様々なことは今はもう何も圭介には思い浮かばない。
ただ、今は。この温もりに身を預けることしか出来なかった。

「鳴神くん。わたし――頑張りますから」
「――」

「頑張りますから。頑張って、鳴神くんの力になりますから」
「――うん」

「だから――一緒に元の日常に、戻りましょう、ね?」
「――うん。そうだね」

美雪の囁きの一つ一つが圭介の心を満たしていく。
美雪の温かさが、圭介の中の衝動を打ち消していく。

(――ダメだ)


――殺せるわけ、ないじゃないか。
――こんな子を、殺せるわけが、ないじゃないか。


美雪の存在はもう、圭介の中でかけがえの無いものになってしまっていた。
真実の意味で、失いたくない。心からそう、思えるのだ。

だが現実は残酷だ。彼女の願いは叶わない。
この「ゲーム」から生還できるのは圭介か美雪、どちらかだけ。
圭介が生き残るためには美雪を殺さねばならず。
美雪が生き残るためには圭介の命を見捨てなければならない。


――どうしてこの子なんだ?
――どうしてこの子じゃなきゃダメなんだ?

――この子を守るためならば、手を血に染める覚悟すらできるのに。


(畜生――)

圭介は思わず天井を仰ぎ見た。
そうしなければ涙が零れ落ちてしまいそうだった、から。





 ゲーム開始より6時間13分経過/残り66時間47分


【裏情報:開示】
・施設内には個別に設定された戦闘禁止エリアが存在する。




[21380] EPISODE-15
Name: でしお◆ff3c50cd E-MAIL ID:912e8347
Date: 2010/09/23 14:02
遡ること一時間前。

「――限界ね。これ以上はいくら待っても時間の無駄だわ」

自身が定めた刻限を更に10分超過した時点で、波多島乃得留はそう宣言した。
だが出発を急かす乃得留に大門三四郎は強硬に反対した。
二人がキラーカードを引き当てた可能性を彼はどうしても認めたく無かったのだ。
怪我をして動けなくなっている可能性だってあるじゃないか――と。

古谷小枝子の賛同もあって、止む無く乃得留は二人の進言を受け入れた。
だがこのままでは当初の目的が難しくなってしまう。
まだ見ぬ参加者が、今も何処かで助けを求めているかもしれない。
だから、彼らの部屋の確認だけ行う。それが乃得留の精一杯の妥協点だった。
大門と小枝子はそれぞれに頷き。
そして大門の記憶を頼りに圭介たちの部屋の方向へと向かう。


だが彼らを待ち受けていたのは圭介ではなく――目的地への通路を封鎖した剣山の障壁だった。





「彼らは――本当に無事なのだろうか」

慎重に通路を進みながら、大門は誰に聞かせるともなく呟いた。

結局。圭介たちの捜索は断念せざるを得なかった。
数メートルに渡って敷き詰められた鋭い剣山を乗り越えて進むことは不可能だったからだ。

「わからないわ」

先導する乃得留は振り向きもせず答える。

「あの棘の周りには血の跡が無かったから。怪我をしているわけではないでしょうけど」
「そ、そうか。そうだよな」

今一行はPDAの地図機能に記載されたエントランスホールのような広場に向かって移動している。
「建物外部に出るとペナルティ」というルールを知らない参加者がそこに向かっているかもしれない。
上手くすればそこで協力者を増やせるかもしれない、という乃得留の提案に従っての行動だった。

隊列は乃得留・大門・小枝子の順。
本来一番危険な先頭は大門が務めるはずであったがPDAの地図操作に不安があるためこのような順番となっていた。

「じゃあ、鳴神くんたちはあれが邪魔なせいで戻ってこれなかったのかもしれないな」

件の障害物が現れたのは圭介たちの通過前であったのか後であったのか。
それを大門が知る由もなかったが、いずれにしても最短距離を通過することは不可能であっただろう。
となれば当然、迂廻路を選択せねばならない。だが施設の構造は非常に複雑で難解だ。

「――そうかもしれないわね」

乃得留らしくない適当な相槌は、最早反論は無駄だという諦観なのだろう。
無論大門も理解しているつもりだった。彼らが戻ってこれない一番の可能性など。

だが、それでも信じたいのだ。
あの気持ちの良い若者たちは、依然救われるべき立場に在るのだと。

――そうだとも。そうに決まっているさ。

いつか必ずもう一度出会える。そして互いの無事と再会を喜び合うのだ。
そのためには、そう。
今のメンバーが、一人でも欠けることは許されない。
その時まで二人を守るのが、ボクの役目だ。

(――よし)

新たな決意を胸に秘め、大門は大股で乃得留の後に続く。


だが大門は気づいていなかった。
というよりその場にいる誰もが気づいてはいなかった。

彼らと圭介たちの間を阻んだ無数の剣山。
それは事情を知らない彼らにとっては、ただの「障害物」に過ぎなかった。
あの剣山がどのような経緯で出現したのか。
どのようなタイミングで出現すると、最も危険な状態であるのか。

そしてそれは、何を意味するのか。
それら全ての理由を、彼らは次の瞬間に理解することとなった。




「――え?」

異変を引き起こしたのは、殿を務めていた小枝子だった。
やや足早になってきた乃得留と大門に遅れぬよう歩く速度を速めた彼女は僅かに足を縺れさせた。
慌てて体勢を整えるべく、反射的に近くの壁に手をついた。

その刹那、かちりという音が鳴り。
続いてごとり、という音と共に天井付近の壁の一部が外れ、小枝子の頭めがけて落下してきた。

「!!」
「さ、小枝子さ――えっ!?」

後方での突然の異変に、即座に反応したのは乃得留ではなかった。
彼女の驚きは、同時に気付いたはずの大門が既に行動を起こしていたからだ。

「伏せろっ!」

警告を発し、大門は瞬時に小枝子との距離を詰める。

「え? な」

「セイアッ!」

剛脚一閃。理解及ばず立ち尽くしたままの小枝子の頭上を一陣の暴風が駆け抜けた。

大門の蹴りはものの見事に加工された石の塊を捉え――そのまま3メートルほど吹き飛ばした。

「――」
「――大丈夫ですか。古谷さん」

ゆっくりと掲げた足を元に戻し。静かな声で大門は小枝子に気遣いの言葉をかける。

「あ、あの――いったい何が」

突然の出来事に、小枝子はぺたりと尻もちをついた。
そのまま目の前の大門と、床に転がった重量物を交互に見比べている。

「『アレ』が、古谷さんの頭の上に落ちてきたんですよ」
「!! そ、そんな――」
「危ないところでした。でも妙だな――なんであそこだけ、こんな外れやすくなってるんだ?」

大門はその高い視点で壁の外れた部分を見やる。
そこには正確なラインでくり抜かれたような穴が開いていた。
建築の技法にはまったく覚えの無い大門にとってもそれは矢鱈と不自然なものに見えた。

「おそらく罠、でしょうね」
「え?」

乃得留が周囲を確認しながらこちらに近付いてくる。
そして小枝子に手を差し伸べ立ち上がるのを手伝った。

「罠――だって?」
「小枝子さん、あれが落ちてくる前に何かスイッチのようなものに触れませんでしたか?」
「え、あ――そうです! そちらの壁に触れた途端に何か音がしまして」

小枝子が指差す先。その場所は手の平の大きさ分だけ僅かに沈み込んでいた。

「やっぱりそうですか。きっとあの部分に触った時だけブロックが落ちてくる仕掛けになってるんだわ。
 おそらくさっきの通路にあった剣山も同じ類の代物でしょうね」
「え、と――どういうことだい?」
「あの剣山も誰かがこんな感じで起動させて、結果的に道を塞いでしまったということよ」
「!! まさか――」

先程遭遇した無数の棘の鋭さを、大門は思い返す。
容易に人間の身体を貫けそうなそれは、範囲の広さも相まってとても乗り越えられるものではなかった。
だからあれは単に道を塞ぐためのもの、そうとしか考えられなかった。

だがもし。あれが出現する最中に、床の上に人が乗っていたとしたら?
結果は言うに及ばずだ。重傷どころの騒ぎではない。
そしてそれは、自分の蹴りが間に合わなかった場合の小枝子の未来にも当て嵌まる。

「――なんということだ」
「迂闊だったわ。少し考えれば、解りそうなことだったのに。
 私の至らなさで、小枝子さんを危険な目に遭わせてしまったわ。本当に――ごめんなさい」
「そ、そんな! ノエルさんが謝る必要なんてありませんわ!」

深々と謝罪する乃得留と、恐縮する小枝子。
まったくもってその通りだ、と大門は憤慨した。
誰もが気付かなかった罠の存在などに、彼女が責任を感じる必要は無い。
責められるべきは誰かなどと、考えるのも馬鹿らしいことだ。

――まったくどれ程に人の命を玩べば気が済むと言うのだ。

主催者たちに怒りを覚えたのはこれで幾度目であろうか。

「ありがとう。そう仰って頂けると、心が休まります」
「いいえ。それよりも――」
「ええ、そうですね」
「ん?」
「今回の功労者に、まだお礼すら言ってませんでした」

予め、示し合わせていたかのように。二人の女性は同時に大門へと向き直った。

「ありがとうございました、大門さん。また私を助けてくださったのですね」

まず小枝子が。以前と同じように丁寧に頭を下げる。

「私からも、ありがとう。こうしてみんな怪我一つせずいられるのは、貴方のおかげよ大門さん」

そして乃得留も。小枝子に続くように謝辞を述べた。

「! い、いえ、そんな――別にボクは、大したことをしたわけじゃ」

突然の出来事に、大門は喜ぶどころか動揺を隠せないでいた。
それは彼にとって初めての経験だった。
今まで業を使って賞賛を受けることこそ有れど、感謝されたことなど無かったのだ。

「あれで『大したこと無い』と仰るのは、謙遜が過ぎると思うのですが」
「まったくです。申し訳無いけど大門さんって謙虚を通り越して、少し卑屈じゃないですか?」
「いや、そんなこと言われてもなあ」

気まずさに耐えかねて大門は二人から視線を逸らす。
乃得留の見解は間違いではない。
未熟を自覚する大門にとって、自身の技はまだ誇りに足るべきものではなかった。
全日本を三連覇し当代並ぶ者無しと称えられてなお。
彼にはまだ「武」というものの到達点が見えてはこないのだ。

「何せボクはキャリアがそんなに長いわけではないからね。そのせいで必要以上に尻込みしているのかも」
「そうなんですか?」
「ああ。空手を始めたのは高校卒業前だから――ほんの13年程度かな」
「――十分じゃない」
「そんなことはないよ。空手で生きることを選んだ人たちは、みな幼少の頃から学んでいるからね。
 ボクの同世代で道場を預かる身ともなれば、20年以上の経験が本来はあるべきだ」
「そうなんですか」

規定があるわけではなかったが、大門はそうあるべきだと信じていた。
ましてや彼は不器用で一つの技を覚えるのに常人の2倍の時間がかかっていた。
それでもタイトルを取得し道場主と成り得たのは偏にこの恵まれた体躯あればこそ。
業が身体に追い付いていない。その自覚こそが大門が業を誇れぬ最大の理由だった。

「あ、ちょっと待って。だったら大門さんはそれまでは空手に縁の無い、ズブの素人だったってこと?」
「まあ、そうなるかな」
「随分と奇妙な経歴ねえ。差支えなかったら聞かせてもらえます? 
 普通の青少年ならば進路に悩む時期にどうして空手を学ぶ気になったのか、その理由を」
「あ、それは私も是非聞きたいです」
「うーん。恥ずかしいからあまり語りたくはないんだけど」

やんわりと拒絶の意思を示したものの、女性陣の興味深々な瞳からはどうにも逃げられそうにない。

「そうだな。まず何から話したものか――」







高校時代の大門三四郎の体格は入学時には既に成長しきっていた。
肉付きも現在ほどではないがそれなりのものを備えており、そんな彼を体育会系の部活が放っておくはずがなかった。
だが残念なことに、彼には「運動センス」たるものが致命的に不足していた。
周囲の過度な期待は次第に失望へと変わり、蔑みさえ受けたこともある。
居た堪れなかった。だが身体を動かすこと以外に取り得など無い。
何か自分に向いているスポーツを、と入退部を繰り返し、その度に失態を晒し続けた。
結局何一つ成果を挙げることなく、彼の3年間は過ぎて行った。


「最後の夏は、アメフト部に所属していたんだ。
 で、やっぱりボクのせいで負けてしまった」


素人同然の大門が最後の公式試合に起用されたのは偏に部員不足のせいである。
だがそれで敗戦に納得できるほど当時のメンバーは大人ではなかった。
責任を感じ失意に沈む大門を、ここぞとばかりにチームメイトは責め上げた。


「やれ木偶の坊だの粗大ゴミだの、心無い言葉を散々投げかけられたよ。
 まだ進路が決まって無いこともあって、ボクのストレスも限界だったんだろうね」


――勝手な期待をかけたのはお前たちの方じゃないか。
――なんで俺ばかり、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ。

大門は初めて怒りで我を忘れた。
そして一番口汚く罵ってくれた輩の襟首を捻り上げ、拳を顔面に叩き込もうとした。


「その時たまたま観戦に来ていた部のOBの男性が割って入って――
 で、間違ってその人を殴ってしまった」


事実に気が付き血の気が引いた。
とんでもないことをしてしまったと錯乱した。


「けどその男性はさして気にした素振りも見せず起き上がって――そしてボクにこう言ったんだ」


――大門くん。君、空手をやってみないかい?


「そりゃあ驚いたよ。突然何を言い出すんだ、と。
 傷付くのも傷付けるのも嫌だったからそれまで格闘技系の部活は回避してたから」


だがその中年男性は真剣だった。
穏やかな態度でその場を治めると、大門をファミレスに連れ出した。
そしてなぜ自分がそう感じたのかと、懇切丁寧に語り始めた。


――君の事情は聞いている。正直気の毒だと思っている。
――だが君は、上手くいかないことを全て才能のせいにして諦めてはいないかい?
――自分に足りないのはセンスではなく、心の強さだと考えたことはなかったかい?


雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。その男性の言う通りだった。
自分の身体を活かすことばかりを考え、磨き上げることを疎かにしていた。
才能に妬みを抱きつつも、「体格」という才能に依存していた。
期待に応えるつもりはあっても、期待と真正面から向き合うことはしなかった。
促されるままに入部して、失望されての繰り返し。成長する努力も断る努力もしてこなかった。
それは人から見れば、どれほどにいい加減なものであっただろう。
それなのに、まるで自分ばかりが犠牲者であったかのように考えてばかりで。


――だからこそ、空手なんだよ。武道とは身体と共に心も鍛えるものだからね。
――無論、知り合いの道場主が現在門下生を募集しているというボク自身の都合もある。
――どうだろう。ここは1つ騙されたと思って――いや、違うな。


――よく考えて。君自身の意思で、結論を出すんだ。
――その結果がどうであれ、ボクは君を絶対に責めない。



――だって君の人生は。君自身が責任を持たねばならないものだから――



一つ一つの言葉が大門の心に突き刺さった。
けれどそれは、決して冷たいものではなかった。
この人は、本当に。自分のことを考えてくれている。
たった2、3度顔を会わせただけの若造の自分のことを。
これが強さなのだと大門は理解した。この人のようになりたいと、心の底から思えた。

『空手を学べば――俺も、貴方のように、なれますか?』

ボクなど全然大した男じゃないさ、と男性は腫れた頬を抑えながら、笑った。
その日、大門は初めて人前で大粒の涙を流し。
そして自分の意思で自分の道を選んだ。






「それからボクはその人に紹介してもらった運送屋で働きながら、空手の鍛錬に明け暮れた。
 そして今に至る、というところかな」

大門はそこで言葉を切り、大きく息をついた。

「素敵な話じゃない」
「そうですよ。大門さんのお人柄は、その人の影響によるものなんですね」
「いや――ボクなどまだまだです」

あれから10年以上の月日が流れた。
だが今の大門は、まだまだ当時の彼のようにはなれていないとはっきりと自覚している。
空手の業も、心の強さも。未だ大門の求めるものには遥か遠い。
故に大門は自分の強さに決して増長することはない。

ただ、あの頃とは違うと言い切れる部分も確かにある。
それは自分の巨躯を使いこなせるようになったということ。
「大門の強さはその恵まれた体躯による処が大きい」と心無い言い方をされることもある。
だがその才能を活かせるようになった。これは昔とは違う大きな進歩だ。
それだけで。自分の選んだ道は間違いではなかったと。胸を張って言うことができる。

「それでその人は今、どうされているのですか?」

大門に道を示した、恩師とも呼べる中年男性。その人物の現在を、小枝子は尋ねる。
だが軽快に答えが返ってくるかと思いきや、大門の表情に影が差した。

「それが――数年前からぱったりと連絡が途絶えてしまって」

その人物と大門は頻繁に、とまではいかないがそれなりの交流は続いていた。
それがある日を境に電話がまったく繋がらなくなってしまった。
自宅も既に引き払っており、不動産業者に問い合わせても「守秘義務がある」の一点張り。

「それは――妙な話ね」
「そうなんですよ。まあボクの存在なんて取るに足らないものだから、単に忘れちゃっただけかもしれませんが――」

だが、大門にとってはそうではない。
彼には返せない程の恩がある。
報いというわけではないが、せめて自分が成したことくらいは報告しておきたいものだ。

(――うん。そうだな)

何も諦めることはない。せっかく初心を思い出したのだ。

「古谷さん。ノエルさん」
「はい?」
「どうしても生きて帰らなきゃならない理由が一つ、できました。
 ボクは元の日常に戻ったら、その人を探してみようと思う」

忙しさに感けて、というのもまた言い訳だ。
考えてみればあれほどの人物との繋がりを失うなど、あってはならないことなのだ。
伝えたいことは山ほどある。大会で優勝したこと、道場を持つことができたこと。
さすがに今の状況は、どんな結末になっても話せることではないだろうけれど。

「それまでは、みんなをボクが守りますから。だから、希望を捨てずに行きましょう」
「――大門さん」
「そうね。その通りだわ」

「みんな」とは勿論この場にいる二人だけではない。
鳴神圭介、森下美雪。二人の若者も含めてのものだ。
あの時。あの人に救われたように。今度は自分が、みんなを救ってみせる。

「また――遭えると、いいですね。その人に」
「ありがとう古谷さん。貴方も旦那さんと娘さんに会えますよ。必ず」

男として決意を示しつつも気になる女性に対する気遣いも忘れてはない。

――うん。ボクにしては綺麗に決まったぞ。

つい調子に乗って満足しつつ、大門は女性陣の新たな反応を窺った。

ところが。

「――」
「――」

(あ、あれ?)

乃得留と小枝子は揃って複雑な表情を浮かべていた。

(な、なんだ? 特にマズいことは言ってないはず――だよな?)

「――うん。今回は大門さんは悪くない。悪くないんだけど」
「あ、あの――ですね。大門さん」
「はあ」

「実は――私の主人は、2年前に他界しておりまして――」


良かれと思って付け加えた言葉は、完全に裏目だった。
やはり自分はまだまだ未熟だと、大門は小枝子に平身低頭しながら内心呟いた。





そんな大門が、知らない事実は更に有る。
それは彼の恩師である男性、葉月克巳は既にこの世の人間ではないということ。
そして葉月が命を落とした原因は、現在大門が巻き込まれている「ゲーム」によるものだということ。
さらに葉月が所持していたPDAを、今大門が使用しているということ。


大門と、彼に道を示した男性との繋がりは未だ途絶えてはいなかった。
だがそれは決して。歓迎できるものではなかったことを。

彼は生涯知り得ることは出来なかった。






 ゲーム開始より6時間41分経過/残り66時間19分



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