ぐるぐる思考からの脱出に!(続き)
テーマ:あすぺさんの気持ち※携帯でご覧の方:4コマ漫画を選択してOKで、拡大されて読みやすくなります
今日は、少し予定を変更して、前回(日曜日にUPした記事『ぐるぐる思考からの脱出に!「考えない練習」』) の補足をしたいと思います。予定していた「人に頼めないのはなぜ?(2)」は次回(金曜日)にUPします。
さて、前回の記事でお話した「考えない」ということについて、正しく伝え切れなかった感じがあるので、その点についての補足です。
紹介した本の中で述べられている「考えない」というのは、全てのことについて「考えることを放棄する」という意味ではありません。
著者が、もっとも強調している(と私が感じた)点は、
本来、自分が考えなければならないことや、考えたいことに、より集中をするために、ノイズとして入り込む、無駄な「考える」をやめるということです。
人は、何かをしながら、実はそのことに集中せずに別のことを考えていたりします。基本的に、「今、ここ」に集中力を注ぐことが大切だと説いておられます。
そのためには、ノイズのように割り込んできて、本来、集中して考えなくてはならないことに集中できなくなるような状態をいかにして、排除するか。その練習を「かんがえない練習」と表現されています。
考えることそのものを否定するようなものであれば、私自身がみなさんにはオススメしません。
私自身、この「ノイズ」として割り込んでくる「どーでもいい考え」を排除して、いかに自分が考えるべきことに集中できるようにするか、ということに苦心していました。
特に、二次障害のうつ病や強迫性障害の症状で辛いのが、自分でもわかっている「どーでもいい考え」に捕われてしまって、同じ事を何度も何度も考えてしまう。それによって、本来しなくてはならないことに、集中ができなくなり、最悪の場合、日常生活すらまともにできなくなってしまう。
これは、思考の90%以上がノイズに犯されてしまった極端な状態と言えるでしょう。
自分でもムダだとわかっているのに、ただただ同じ事をぐるぐるといつまでも考えてしまう「ぐるぐる思考」は脳のリソースを食いつぶしてしまうため、大切なところにリソースを投入することができなくなります。
「ノイズ」を排除することで、こうした、脳のムダ遣いをやめて、使うべきところに一気に投入できるようになり、さらに「本当に必要な考える力」がパワーアップするわけです。
さて、こうした説明だけでは、実感としてつかみにくいかもしれません。
そこで、冒頭に4コマ漫画で書いてみました。
ちょうど、今日の帰り道のできごとです。
会社でとにかく腹が立つことがありました。
帰り道、私の頭は怒りで一杯で、鼻息は荒く、目は血走っていたと思います。
ずーーーーーーっと、会社から駅までの15分の道のりを、怒り狂ったまま歩いていました。
ほとんど、帰り道の景色なんて覚えていません。怒りで頭が一杯の私の目には入らなかったのです。
そうして、駅に着きました。
駅についてもしばらく、怒り続けていました。
そこで、はっ!と我に返りました。
「はっ!また、怒りで頭がいっぱいになってしまってた…。考えない、考えない。」
そう思った瞬間…
駅のホーム全体を包み込むぐらいの秋の虫たちの大合唱が響いていることに気がついたのです。私は怒りで頭が一杯で、こんなに鳴り響くほどの虫たちの大合唱も聞こえなくなっていたのです。
そして、ホームには夕暮れの秋を思わせる涼しいそよ風も吹いていました。そんな風にも、まったく気がつきませんでした。
怒りで頭が一杯で、こんなにステキな場所にいることにすら気がつかなかったのです。
我を取り戻した私は、読もうと思って持ち歩いていた本のことを思い出しました。
あのまま怒り続けていたら、この本のことすら思い出すこともなく、ただただ、怒りに捕われてムダな時間を費やした上に、疲弊してしまうところでした。
どーでもいい怒りから、「考えない」ことで抜け出した私は、自分が勉強したかった本に集中して読むことができました。
実は、休職の直前の頃も、勉強したくて本を持ち歩くものの、毎日、毎日、怒り狂っていたため、本を読む集中力すら失ってしまっていたのです。そして、怒りに時間を割かれて勉強すらできない自分を情けない奴だと自己嫌悪し、ますます、悪循環のループにはまってしまったのです。
この場合の怒りには、まったく「建設的な考え」はありません。
ただただ怒るだけ。どうすればこの状況を変えられるかなどを考えているのであれば、それは「考えるべき考え」です。
しかし、ここで問題にしている「ぐるぐる思考」の大半は、全く建設的な考えはなく、ただただ同じ事を反芻して、頭や心を疲れさせてしまうだけのものです。
多くのあすぺさんが「怒りや恐れに我を忘れていつまでもぐるぐる考える」傾向があります。そのような状態は、本来発揮できるはずの本当の意味での「建設的な考える力」が弱ってしまうことを意味するのです。それは、とても辛いことです。
できるだけ、ノイズとなり、場合によっては思考のほとんどを埋め尽くしてしまう「ぐるぐる思考」をできるだけ制御できるようにすること。それが、あすぺさんが本当の思考力を発揮するために必要なことなのだと、私自身は考えています。
人の脳みそにも限界があります。
全てのことを同じ比重で考えるのではなく、
本当にムダなことは「考えない」
本当に大切なことは「ガッツリ考える」
というコントロールが必要だということなのです。
「ガッツリ考える」
そのためには
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