きょうの社説 2010年9月23日

◎金沢おどり 花街の名花育てる舞台にも
 7年目を迎える金沢おどりで、芸妓(げいこ)の道に入った新花(しんばな)2人がデ ビューの舞台を踏む。金沢市の三茶屋街では、ここ数年、芸妓を志す女性が増えており、質の高い芸どころの伝統がベテランから若い世代に受け継がれ、金沢の技芸の厚みを高めることは喜ばしい限りである。

 今回の演出を手がけた駒井邦夫氏が本紙で語ったように、金沢で芸妓を志す人は、舞妓 そのものにあこがれる京都などと違い、金沢おどりなどで見た「芸」の美しさが動機付けとなっている人が多いという。金沢が誇る花街文化の名花を育てる意味でも、演じる側と見る側が一体となって金沢おどりの舞台を盛り上げたい。

 金沢伝統芸能振興協同組合に登録されている三茶屋街の芸妓の数は8月1日現在、にし 22人、ひがし18人、主計(かずえ)町13人の計53人となっており、2000(平成12)年度の42人を底に増加傾向にある。引退する人もいる中で、08年度が3人、09年度に5人、今年度はこれまで1人の新花が誕生している。同組合も、金沢おどりのように、お座敷と違い大勢の観客に披露する機会があることが、芸妓にあこがれる要因と指摘する。

 脈々と受け継がれてきた芸を身につけるためのけいこは厳しく、以前は挫折する人も少 なからずいた。しかし最近では、大卒や会社勤めを経験した人の転身も目に付き、芸を極める思いもそれだけ強いことから、息長く打ち込む人が増えてきたようだ。

 新花の誕生を反映するように、金沢おどりは今回、ステージを締めくくる総踊り「金沢 風雅(ふうが)」で、立方(たちかた)が昨年までの2列から3列編成となり、舞台は一層あでやかさを増す。またそれと対照的に、ベテランの笛と小鼓による一調一管「風神雷神」に代表されるように、シンプルで深い味わいを醸し出す演目も盛り込まれた。

 近年では、東京や京都の花街から芸妓も含めた関係者が訪れ、食い入るように見入る姿 も目立ってきた。全国レベルのおどりとしての注目度が高まる中、今回もまたベテランと若手、そして三茶屋街が一つになって芸が響き合う珠玉の舞台をたんのうしたい。

◎首長”多選制限”否決 議員側の提案に違和感
 金沢市議会で市長の任期を制限する条例案が否決された。ここに至るまでの過程で首を かしげざるを得なかったのは、この条例案が議員の側から提案されたことである。

 地方自治体は住民が首長と議員を直接選ぶ二元代表制である。首長が自らの政治信条で 任期を制限したければ、条例案を提案すればいい。逆に議員が自分たちの任期の制限や定数削減を行いたければ、議員の側が条例案を提出するのが筋である。そう考えれば、議会の側が首長の任期を縛るというのは、やはり違和感がぬぐえない。

 多選に関して、山出保市長が市議会の答弁で語った「市民が判断して決めること」とい う認識は、それはそれで筋が通っている。多選の弊害が大きいと有権者が判断すれば、投票行動でその意思を示せばいいわけである。議会が条例で制限をかけるより、住民が判断の主体である方が分かりやすい。

 首長の多選をめぐっては、全国的に多選知事による県政不祥事などが相次ぎ、多選によ る弊害が問題視されるようになった。独善的な傾向が生まれ、人事が硬直化する、マンネリ化に陥り、職員の士気が停滞する。そうした負の側面は過去の不祥事をみても一般論としては導き出せるだろう。だが、多選イコール悪と短絡的に決めつけるわけにもいかない。

 総務省の多選問題研究会は2007年に「法律に根拠があれば必ずしも違憲ではない」 との見解を示し、法律や条例化の流れをつくった。一方で、憲法との関係では、立候補の自由、職業選択の自由などの観点から慎重意見も根強い。

 11月の市長選告示へ向け、山出市長が6選出馬を表明するなか、多選の弊害について は一般論の域を出なかった。首長の多選を論じるにしても、実態を踏まえた議論にならないと有権者も理解しにくいだろう。

 地方分権が進めば首長の権限が強まり、行政手腕がますます問われることになる。と同 時に、多選の弊害を生じさせない努力も一層大事になる。議会が本来の機能を発揮し、そうした懸念を減らしていくことも重要な役割である。