高木マニア堂

何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。

269:ワールドカップの恩知らず!

ノンセクション2010年09月21日 08:00 | フォルダ : 

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<2010年7月=東スポ携帯サイトより>


 公園や小学校の校庭などでサッカーに興じる子どもたちを眺めていると、つくづく「うまいなあ…」と感心してしまう。

 小学生時代、サッカーはゴールキーパー以外の、
全員がフォワードとなってボールを奪い合うスポーツ
だった。フォーメーションなんて概念は存在しないし、そもそもオフサイドなんて知らない。「ハットトリック」なんて言葉は、そのまんま、早野凡平のことだと思っていた。

 私の通っていた小学校は、等々力競技場(神奈川県川崎市)に隣接していた。だから「読売クラブ」(ヴェルディ川崎の前身)の選手などは、ごく日常的に目にしていたもの。当時のトップレベルのサッカーが、かなり身近な存在としてあった…にも関わらず、このサッカー音痴ぶりだ。

 幼少期からJリーグや日本代表戦を見て育っている現・小学生世代は、皮膚感覚としてフォーメーションプレーを理解している。全員でボールを奪い合うような〝野蛮でマヌケ〟なことはしない。

 昭和40~50年代。サッカーは「見るスポーツ」としては、かなりマイナーな存在だった。

 6月29日、ワールドカップ・南アフリカ大会の決勝トーナメント「日本×パラグアイ」(TBS系)が、平均で57・3㌫もの高視聴率を稼いだ。だが当時は、W杯の試合ですら、東京12チャンネルの名物番組「三菱ダイヤモンドサッカー」で放送されるぐらいだった。

 小学校の教室で話題になるスポーツと言えばプロ野球かプロレス中継が定番。中には毎週、ダイヤモンドサッカーを見ていて、妙に欧州サッカー情報に詳しい〝通〟の友人もいたが、しょせんは少数派だ。

 当時のW杯中継は、同じ12チャン系スポーツ番組でも、ゴールデンタイムに放送されていたラッシャー木村の国際プロレス中継、いや下手したら「勝ち抜き腕相撲」よりも教室内視聴率は低かった

 8年前に発売されたダイヤモンドサッカーのオープニング音楽「ドラム・マジョレット」のCD(写真)に付属する「ダイヤモンドサッカー・全放送記録リスト」を読んで、恐るべき事実が判明した。

 70年のメキシコ大会や74年の西ドイツ大会は、何と1年間かけて予選から全試合を放送。西ドイツ大会の決勝戦は別枠の特番で衛星生中継まで実施。78年のアルゼンチン大会も半年かけて放送している。

 現在、これほど長いスパンで1つのスポーツ大会を丹念に放送しているテレビ局はない。12チャンネルこそ、日本における〝W杯啓蒙の父〟だったのだ。

 にも関わらず今回、テレビ東京がW杯を生中継できたのは「ウルグアイ×フランス」(6月11日深夜)、「スロベニア×アメリカ」(6月18日)、「アルゼンチン×メキシコ」(6月27日深夜)のみ。

 結局、はじめから高視聴率が約束されている日本代表戦は放送されずに終わった。

 W杯、この恩知らず!

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